治療や支援を要する「病気」ではない不調

紀伊国屋じんぶん大賞2025を見ていて、自分の知っている領域で、知らない著者の本が紹介されていた。それが今回ご紹介する尾久守侑著『病気であって病気じゃない』(金原出版)である。1989年生まれの若手精神科医の本だなぁ、と思いながら読んでいて、p71の図と出会って、おおおーーーーってなった。

「健康」と「病気」の間に、「治療を要する「病気」ではない不調」があると精神科医から見えている。だが、患者からは「自分のせい」なのか「病気」なのか、二択である。患者は「病気」か「病気じゃない」か、の二者択一で、医者にどっちですか?と尋ねてくる。でも、医者からすると、何の問題もない「健康」と、明らかに急性期治療が必要な「病気」の間に、膨大な領域の・しかも健康と病気の間のスペトラム上に、「治療を要する「病気」ではない不調」がある。それが、「病気であって病気じゃない」状態である。そう整理しているのである。

その上で、「病気」と「病気じゃない」を以下のように整理している。

「『病気』『病気じゃない』が、様々なイメージで捉えられていたり、状況によって意味合いが変化することを述べてきましたが、こと、本項に関しては『病気』=概念化・単純化、『病気じゃない』=個別性をみる、というニュアンスで使っています。この前提をもとに『病気であって病気じゃない』と考えるのは、この精神科医と心理士の役割の分裂をやめて、一人で『病気』も『心』も両方みようや、という発想になると思います。」(p82)

病気だと○○疾患・症という形での概念化や単純化がなされている。その結果、標準的な治療が可能になり、クリニカル・パスに代表されるような、標準的な治療経路が導ける。だが、病気じゃない部分として、個々人の性格や発達上の特性がある。これは個別性をみる必要があり、標準的な支援ではずうまくいかなかったり、患者から反発されたりする可能性がある。

その上で、ゴミ屋敷とかリストカット、薬物依存や自傷他害、認知症のBPSDのような「問題行動」「困難事例」に関して、治療を支援に変えて、「支援を要する「病気」ではない不調」と僕は言い換えてみたくなる。「問題行動」「困難事例」とラベルが貼られる対象者について、精神疾患や発達障害、認知症などの「病気」のラベルを支援者は貼りたがる。病気の治療が必要なので、精神病院に入院するしかない、と。でも、その人の「支援を要する「病気」ではない不調」は、もちろん精神科医にも関わってほしいが、精神科医だけではなんともならない。生活支援上の困難や生きる苦悩なので、支援チームが多機関協働で連携して、お互いにできるサポートを出し合う方が、遙かに効率的である。(そのことについては『多機関協働がうごき出す:全方位型アセスメントを使った困難事例の解きほぐし方』という新刊を仲間と出したところだ。)

つまり、「治療や支援を要する「病気」ではない不調」に関して、精神科医に丸投げするのではなく、当事者や家族、福祉現場の支援者が丸抱えをするのではなく、チームで連携しながら、個別性と普遍性が複雑に絡み合った事例を解きほぐしていく方がよいのである。その際に医者が患者にできることは、病名を付けた後だ、と尾久さんは述べる。

「重要なのは、できればつけたくなかった『病名』をつけた後だと思うのです。『不調』の治療は、不調になっている自分をわずかでも俯瞰して認知するところから始まると私は思っています。」(p103)

「治療や支援を要する「病気」ではない不調」を抱えている当事者は、「健康」や「病気」のどちらでもない、「病気であって病気じゃない」状態で苦しんでいる。自分のせいにも、病気のせいにも、どっちにもできなくて、しんどい状況にある。その時に、「不調になっている自分をわずかでも俯瞰して認知する」ことができれば、不調の悪循環から距離を置くことができる。そのための、「操作的定義」として「病名」が役に立つなら、それを用いるのは悪くないのではないか、という整理である。

これは、非常にプラクティカルで、本人にとっても侵襲的ではないやり方だと思う。

「本書にこれまで出てきた『病気であって病気じゃない』のなかで、一番分裂していない捉え方は、『病的な側面』と『健康な側面』の両方が人にはあるとした考えだと思いますが、なにが違うのかと考えると、やはり『病気』という概念を使っていないところがポイントかなという気がしています。
『病気』というのはある精神現象を切り取ってしまう、固定してしまう。『病名』をつければなおさらです。『病気』とそうではないものに世界を切り分けてしまうと、『病気』という視点でしか見られなくなってしまうことが多発する。『病気であって病気じゃない』と考えてみることでバランスをとるしかないわけですが、最初から『病的な側面』『健康な側面』を分けてみるようにするのが一番フラットなのかもしれないと感じています。」(p195)

この表記を見ていて、以前ブログに書いた、「リカバリーとは「矛盾を手なずける」こと」を思い出していた。精神疾患のしんどさとは、「『病的な側面』と『健康な側面』の両方が人にはある」にもかかわらず、家族や医療者、支援者が本人のことを「『病気』という視点でしか見られなくなってしまう」からである。ゆえに、本人が必死に「健康な部分」を表現しようと頑張っても、それを全部「病気」のフィルターで見られ、「易怒性」「衝動性」「まとまりのなさ」などの病気の状況説明のワードで「わかったつもり」をされ、本人はますます怒りだし、話がまとまらなくなり、衝動的に反発し・・・と、本人と周囲の相互作用の悪循環の連鎖の中で、本人が「病気」や「病名」に固着されてしまうのである。

それを開くために、最初から「『病的な側面』と『健康な側面』の両方が人にはある」という前提に立って、「『病的な側面』『健康な側面』を分けてみるようにする」のが大切だと尾久さんは解く。そのことによって、結果的に両者の狭間にある「治療や支援を要する「病気」ではない不調」に、患者と協働して向き合う可能性が生まれてくるのだ。そう受け止めた。それこそが、『病的な側面』と『健康な側面』の矛盾を手懐けながら、リカバリーをご本人が果たしていく上で、大切なプロセスである、と。

そして、この視点を僕は非常に共感的に読んだ。それは、以前近しいことを書いたことがあるからである。

10年以上前、イタリア精神医療改革とは何だったか、を自分なりに整理する論文のタイトルとして、「「病気」から「生きる苦悩」へのパラダイムシフト : イタリア精神医療「革命の構造」」というタイトルを付けた。で、これは生物学的精神医学を信奉している精神科医から見向きもされなかった一方、心理士やソーシャルワーカー界隈には評価頂いた。イタリアで精神病院廃絶の道を開いた医師バザーリアは、「病気」と見なされているものの中に、最大化した「生きる苦悩」を見いだした。よく誤解されがちだが、彼は精神病がないとは言っていない。反精神医学ではない。そうではなくて、彼は生物学的精神医学だけでは説明のつかない、病気の心理・社会的側面を主張している。

「「眠れないと訴える患者に対する私なりの対応は、その理由を当人と一緒に探すことです。そして、症状としてではなく、本人を取り巻く全体的な状況や実存の表れとして、不眠症を理解する方法を見出す事です。」(フランコ・バザーリア『バザーリア講演録 自由こそ治療だ!』岩波書店 p189)

ここでバザーリアが言いたかったのは、眠剤だけでは収まらない不眠症を「病気」と捉えるのではなく、「健康」と「病気」の間にある「治療や支援を要する「病気」ではない不調」と捉え、「本人を取り巻く全体的な状況や実存の表れ」として理解し、支援者(医師)と患者がともに考えよう、という姿勢である。これは「治療や支援を要する「病気」ではない不調」を「生きる苦悩」の最大化した姿、と捉え直すという視点であり、これこそがイタリア精神医療が果たしたパラダイムシフトであった。(そのことは拙著『「当たり前」をひっくり返す:バザーリア・ニィリエ・フレイレが奏でた「革命」』でも描いている)

今回尾久さんの本を読んで嬉しかったのは、日本の若手精神科医が、生物学的精神医学にはまることなく、病気と健康の間の「生きる苦悩」=「治療や支援を要する「病気」ではない不調」をそのものとして理解し、そこと向き合おうとしている姿勢である。彼は内科診療もしており、『器質か心因か』(中外医学社)という面白そうな本も書かれているが、内科医やプライマリーケア医などが、病気と健康の間にある「治療や支援を要する「病気」ではない不調」と向き合う事で、精神病院中心主義を脱して、地域の中で精神障害者を支援し続ける体制ができてくるのだと思う。

尾久さんは詩人で小説も書いているマルチタレントのようで、文章はめちゃくちゃ読みやすく、ポップな文体で軽やかで、本書やサクッと読める。でも、案外バザーリアに通底するような、生物学的精神医学だけではない、心理社会的視点もしっかり内包している医師である。そういう意味では、「『病気であって病気じゃない』と考えるのは、この精神科医と心理士の役割の分裂をやめて、一人で『病気』も『心』も両方みようや、という発想」は頷けるし、これから地域精神医療に関わりたい医療者や支援者にもお勧めの一冊であった。

投稿者: 竹端 寛

竹端寛(たけばたひろし) 兵庫県立大学環境人間学部准教授。現場(福祉、地域、学生)とのダイアローグの中からオモロイ何かを模索しようとする、産婆術的触媒と社会学者の兼業。 大阪大学人間科学部、同大学院人間科学研究科博士課程修了。博士(人間科学)。山梨学院大学法学部政治行政学科教授を経て、2018年4月から現職。専門は福祉社会学、社会福祉学。日々のつぶやきは、ツイッターtakebataにて。 コメントもリプライもありませんので、何かあればbataあっとまーくshse.u-hyogo.ac.jpへ。