オンライン研究会で何年もご一緒している増渕あさ子さんの『軍事化される福祉(ウェルフェア) 米軍統治下沖縄をめぐる「救済」の系譜』(インパクト出版会)をやっと読み終えた。
軍事(warfare)は一見すると福祉(welfare)と相反するように思える。だが、米軍統治下だけでなく、そもそも戦前から地続き的に、沖縄では「救済」的な視点の中に「植民地支配」の暴力が内包されていた、ある種の同時並行であり時として共犯関係にあった歴史を丹念に辿っていく。一章では「アメリカ人宣教師」、二章では「公衆衛生看護婦」、三章では「ハワイ沖縄移民」、四章では「土地闘争の主体者」である。誰が救済の主体か、によって、その内実が大きく変化している。
一章「『神に見捨てられた島』で」では、「聖書とともに生きる村」というキリスト教的物語(ミショナリー・フィクション)の構造的問題が描かれている。
「聖書に象徴されるキリスト教信仰が『敵』と『味方』を峻別する文化的指標として機能している。誰が生きて、保護される価値があり、誰が『戦争の惨禍』の中に放置され、死ぬ運命にあるかを裁断する境界線として機能するのである。キリスト教は、米国社会において他者に関する公的言説を形成してきただけでなく、実際に冷戦政策構想の上で重要な役割を果たした。」(p45)
増渕さんはフーコーの生政治の概念を本書の下敷きに用いているのだが、これはまさに「誰が生きて、保護される価値があり、誰が『戦争の惨禍』の中に放置され、死ぬ運命にあるかを裁断する境界線」を当事者以外の誰か=権力側が保持している状況を指す。一般にキリスト教ではその裁断主体者は「神=キリスト」なのだが、植民地においては宣教師や軍隊が、その神の代理人として、神の論理に従順な人を「味方」とし、その論理に従わない・脅威となる人を「敵」と見なす。沖縄においては「ユタ」が最大の「敵」であった。戦後沖縄にキリスト教が他の植民地ほど根付かなかったのは、沖縄戦で生まれた膨大な「不幸な死をとげた者の魂(マブイ)」を鎮魂するためには、宣教師ではなく、ユタの需要が急増していったからである(p61)。植民地的な救済には相容れない鎮魂が、沖縄では求められていた。
第二章では、医療者が極端に不足していた戦後沖縄で養成された公衆衛生看護婦(公看)を主題化する。その際、注意しなければならない視点を増渕さんは指摘する。
「戦後沖縄の歴史学では、植民地主義に関する他の分野と同様、沖縄の人びとと米軍の関係を記述する際、しばしば『抵抗/協力』という二項対立図式が用いられてきた。鳥山は、このような枠組み自体が、沖縄社会の分断を再生産し、悪化させてきたと批判し、こうした分析枠組みから慎重に距離を置いている。そして、軍事主義の論理がいかに沖縄の現実を形成しており、人びとが米軍に協力せざるをえない状況を生み出しているかに焦点をあてている。」(p86-87)
先に「「聖書に象徴されるキリスト教信仰が『敵』と『味方』を峻別する文化的指標として機能している」と引用したが、「『抵抗/協力』という二項対立図式」も、まさにキリスト教的な植民者の論理である。だが、実際には「人びとが米軍に協力せざるをえない状況」という抵抗と協力の「あいだ」の状態があり、その中で人びとは協力しつつもその枠内に収まらないという形で抗ってきたのである。その「あいだ」の存在として公看を描こうとしている。
「公看は、占領下沖縄社会が抱えていた矛盾をより鮮明な形で体現し、またそれを間近で観察していた。彼女たちは、慢性的な医師・医療施設不足に悩まされていた米軍統治下沖縄社会で、地域医療の重要な担い手となった。米軍からは主として、基地周辺のいわゆる『キャンプタウン』における性病管理の担い手となることを期待されたが、実際の彼女たちの任務は生活改善、母子保健指導、衛生教育、結核予防、限定的な治療に至るまで多岐にわたるものであった。生活福祉に関わるあらゆる住民が必要とするもの/要求(ニード)を見つけ出し、自分たちの任務(ケース)として引き受けていった。」(p87)
自分たちは戦後沖縄の地域医療を支えたいと、アメリカ式の教育を受けて、公看になった。そのプライドを持って、「生活福祉に関わるあらゆる住民が必要とするもの/要求(ニード)を見つけ出し、自分たちの任務(ケース)として引き受けていった」。医師不足で日本の法律が適用されないという例外状況の中で、離島や郡部においては、この自由裁量に基づいた、創発的な仕事を展開できた側面「も」公看にはあった。でも、その一方、米軍が公看にミッションとして求めたのは、「『キャンプタウン』における性病管理の担い手となること」であった。この二重性は、公看内部でも矛盾や葛藤を生み出す。
「沖縄における性病対策は、占領者と被占領者の間だけではなく、沖縄女性たちの間にも境界線を引き、それを強化していたことがうかがえる。そこで公看は、職業行為を通して家父長制的異性愛規範を反復し再生産することによって、『敗戦の女達』との間に境界線を引いていた。」(p110)
「敗戦の女達」も公看同様、戦争の犠牲者である。だが、一方は植民地政府の庇護下の中で公看という性病管理の「専門職」として、他方は生活の糧としてキャンプタウンで自らの身体を売らざるを得ない売春婦として、境界線が引かれていく。それは、公看の内面であった差別意識、だけではなく、「職業行為を通して家父長制的異性愛規範を反復し再生産する」ことであり、その家父長制的異性愛規範は、まさにキリスト教的な前提に基づく支配者の米軍が求めたものでもあった。これも『抵抗/協力』という二項対立図式では描けない世界である。
第三章では、主にハワイに戦前に移住した沖縄人が、戦後の沖縄を救済しようと同胞として救済しようとしたプロセスが描かれている。ただ、ここにも、「軍事化された潮流」があったと増渕さんは述べている。
「『命を生かす』ことを本来の目的にしていた生政治的なプロジェクトは、実のところ、冷戦期アジア太平洋を横断するように拡大した軍事化・軍事介入による、いわゆる『殺す権力』の回路と緊密に連携しながら実施されていたのである。」(p149)
「命を生かす」ことと「殺す権力」の回路との緊密な連携とはどういうことか。増渕さんは「救済運動が帯びていた両義的な性格」として整理する。
「郷土の救済と解放を望めば望むほど、少なくとも公的には被占領民の救済と民主化を掲げていた米軍の沖縄統治計画と限りなく接近してしまう。」(p179)
アメリカに移住した沖縄人にとって「郷土の救済と解放」は、同じ郷土の同胞たちの「命を生かす」プロジェクトだった。だが、その救済と解放という理念そのものが、「公的には被占領民の救済と民主化を掲げていた米軍の沖縄統治計画」と通底している。その意味では、「拡大した軍事化・軍事介入による、いわゆる『殺す権力』の回路」と、繋がってしまうし、その影響力の範囲の中に組み込まれてしまう。占領者の論理や磁場に強く引きつけられてしまうのである。
第二次世界大戦中、敵国民と見なされたドイツ系や日系アメリカ人が、「モデル・マイノリティ」の兵隊として志願し前線で戦っていた。それと同じように、日系移民も「米国への忠誠を示す日系人」という「モデル・マイノリティ」(p169)として振る舞うことが期待されていた。その期待の内面化は、実は公看に求められた期待と同一地平上であった。これはまさに「救済と解放」が持つ米軍統治への協力の論理と同じである。その一端を担ってきた湧川清栄は、この矛盾について以下のように語っていた。
「琉球大学は急速に延びて大変立派な大学になりました。この大学はあくまで封建主義、天皇崇拝、軍国主義の温床である文科省によってあやつられている、いわゆる御用大学であります。(略)琉球大学の益々の発展を私は希望しますが、ただ植民地大学には転落しないでください。」(p203)
彼は戦後初期のハワイで沖縄の救済と再建のために大学設立に奔走した。だが、占領政府主導で出来た琉球大学は「植民地大学」であり、沖縄返還後に文科省に引き継がれた後も、「封建主義、天皇崇拝、軍国主義の温床である文科省によってあやつられている、いわゆる御用大学」である。この叫びは、「命を生かす」ことと「殺す権力」の回路との緊密な連携への苦痛の表明でもあるといえそうだ。
そして第四章では、「救済と解放」に抗う土地闘争を「『命』を乞う」という形で主題化している。自分たちが先祖代々受け継いできた土地を、強制的に「私有財産」として米軍による「買い上げ」の対象となった際、命がけで拒否する伊江島の住民が取ったのは、「乞食」だった。
「乞食することを、法に触れる恥ずべき行為としながら、それ以上に、武力でもって土地を取り上げ『乞食させる』ことこそが恥であると、米軍の暴力を糾弾している。土地から追い出され、生活基盤を奪われた人びとにとって、『法に触れる』乞食こそが、生きのびるための戦略となった。逆説的にいえば、『乞食する』という行為の、その無法性(lawlessness)ゆえに、米軍が行使し続けている主権権力に抗い、異議申し立てをする発話行為となりえた。すなわち、米軍によって強制された補償を受け入れて、『救済の法』の対象になるかわりに、自ら『乞食する』ことを選びとることで、強いられた『チョウダイ』という行為を、生への意思を表明する政治的・主体的行為へと転倒させたのである。」(p240)
先の公看やハワイに移住した沖縄人たちは、モデル・マイノリティとして、『救済の法』に協力し、その枠組みに従いつつも、植民地主義に抗おうとすき間を探していた。その一方、強制的・暴力的に土地接種をされていた伊江島の住民達は、「乞食」という形で触法行為をしながら、「武力でもって土地を取り上げ『乞食させる』」米軍の暴力を浮き彫りにさせる。法に触れる行為をさせるのは、法制定をして統治する米側にある。そこから、「『乞食する』という行為の、その無法性(lawlessness)」が浮き彫りになってくる。その無法性を際立たせるための「米軍が行使し続けている主権権力に抗い、異議申し立てをする発話行為」=パフォーマンスとしての「乞食」だというのだ。そして、この「生への意思を表明する政治的・主体的行為」は、終章におけるキャンプタウンの「コザ騒動」にもつながっていく。
僕は個人的に沖縄が好きで、プライベートで沖縄に毎年のように通い、昨年あたりから、沖縄の地域福祉や障害者福祉の人びとと仕事で交流をするようになってきた。その中で、沖縄に関する論考もぼちぼち読み進めてきた。沖縄こども調査などで、「いまだ2~3割の世帯が困窮世帯で深刻な状況にあるといえる」と指摘されていることも、眺めてきた。
その沖縄の貧困や困窮、生活支援の困難性の福祉課題のルーツとして、「軍事化された福祉」があり、『抵抗/協力』という二項対立図式がもたらした分断の歴史がある。このこんがらがった糸をほぐして理解するためには、沖縄の福祉の辿った道のりを歴史的に分析する増渕さんのような視点が必要不可欠だ。そして、この本では日本への返還以前の沖縄の歴史が整理されているが、その地続きとして、そこから半世紀の日本政府のアプローチの仕方を眺めていく必要があるのだと思う。
そういう意味で、沖縄の福祉を考えるのは、トランスパシフィックな視点に立った文脈と、日本政府の残余的福祉のあり方の交差性を捉える必要がある。
「戦後沖縄に関する学術研究はこれまで、協力と抵抗、支配と被支配の二元論に回収されてしまうか、あるいはそのいずれかの立ち位置に重心を置く傾向にあった。このような枠組みは、ある人びとがなぜ『基地との共存』のように見える道を『選択』したのか、そもそもなぜ『基地による経済発展』か『抵抗』か、いずれかを選択するように仕向けられているのか、といった問いの立て方を阻んでいく。
本書は、福祉と軍事主義の連携を分析するとともに、こうした状況でも、住民をケアし、命を守ろうとした人びとの日常的な抗い—『生への意思』—に焦点をあてたが、こうした視座が、これまでの二項対立的な枠組みをずらすことに少しでも寄与できればと願っている。」(p289)
そう、二項対立のほうがわかりやすいが、そのわかりやすさでは見えなくなっていることや、二項対立の図式を選択させるように仕向けた統治権力への問いを覆い隠していることを、本書では実感することができた。それと共に、日本人宣教師も、公看も、ハワイやアメリカでの沖縄人も、「乞食」闘争の人びとも、「二項対立的な枠組みをずらす」営みを続けている。そして、それは現在の沖縄の地域福祉や障害者福祉の現場でも、その潮流は続いているのではないか。そんな妄想を抱くこともできる。今度出張した時には、そういう議論もしてみたいと思った。
増渕さんの本は、本当に豊かな問いを生み出してくれるし、考えるきっかけを与えてくれる魅力的な一冊だった。
追記:ちなみにいきなり学術書を読むのはハードルが高いと思う人は、増渕さんのインタビューポッドキャストおすすめ。「第91回 増渕あさ子さんインタビュー『軍事化される福祉(ウェルフェア)〜米軍統治下沖縄をめぐる「救済」の系譜』」