お盆休みの効用

夏バテ、でへたばっていた。

始まりは火曜の夜。秋刀魚の開きが売られていて、それを山梨県産の美味しい白ワインと共に頂いていた。これはあの食品メーカーのフジッコが作っているワイナリーの白ワインなのだが、なんかの大会でも賞を貰ったほど、だそうで、結構すっきりした辛口でよかった。で、奥さまが半分残した秋刀魚を無理して食べた、のがいけなかった。その後、どんどん胃がむかついてくる。こりゃあ単に油っこさに胃がやられたから、寝たらなおる、わけではなかった。翌朝も、大学で仕事をしていても、ずっと気持ち悪さと胃の不全感は直らない。夕方ジムに行っても、やっぱりだめ。もしかしたら夏バテなのかも・・・。ジムのエアロバイクに乗りながら考えていると、確かに「初めての甲府の夏」×「ずっとクーラーの効いた部屋での座り仕事」×「毎晩ビールやワインで晩酌」×「夜はクーラー付けっぱなし」・・・すでにこれだけで夏バテ要素が十二分にある。そして、浅い睡眠まで付け加わると、もう完全な「夏バテ」のいっちょあがり、である。

あれま、と思い、昨日と一昨日の夜は、ほとんどアルコールを抜きにした(といっても奥さまが飲まれるので、コップ一杯は飲んじゃったのだけれど)。今日は大学が停電しているので、家で休養。そういえば、今年はお盆も全くなく働く予定。お盆休みって、夏バテでへたばった時期にあるなぁ、と考えると、日本の式のリズムの合理性にも深く納得してしまう。

で、お盆というと、一昨日の夜、友人から電話。「今年は実家に帰ってこないの?」というお誘い。「ごめん、まだ仕事がいっぱいあって、今年は帰れそうにないよ」と返事しながら、四方山話。彼とは、小学校5年生の頃、からだから、足かけ20年近い友人である。高校までは同じで、大学で僕が社会科学、彼は自然科学、にすすみ、今や彼は現場、僕は教育機関、という違う境遇だ。色々話し込んでいて感じたのは、今の彼が、小学校の頃の様な、謙虚な自信と夢を持った、誠実さのある男に戻ってきた、ということ。小学校時代から色んな議論を彼としてきた僕にとっては、中学校以後、才能を開花させた、と言えばそれまでだが、何だか言動が派手になり、突っ走る姿にどこか「ついて行けないよなぁ」と感じるものがあった。しかし、お互い30ニなって、電話越しで話している彼は、物腰もすごく穏やかで、でも自分が抱いている夢を実現さえたい、という熱い気持ちをきちんと胸に秘めている、10才で出逢った時の「少年」と同じスタンスに戻っていた。

「お互いみずがめ座のA型やから、根は慎重なんやで」とボソッとつぶやく。確かに僕も彼も同じ2月生まれだ。だが、別に歩んでいく道も違い、その歩幅や指向性も当然違う。にもかかわらず、彼が出逢った頃の真っ直ぐさ、を今も持っている事が嬉しく、また彼から反射された僕の姿勢も、どうやらまだ真っ直ぐさが失われていなさそうだ、ということに気づけて、こちらも嬉しかった。お盆休み、とは、こうした「振り返り」と「夏バテ休暇」を与えてくれるもんだなぁ、とありがたく思っているうちに、すっかり2時間半近く、話し込んでいた。

投稿者: 竹端 寛

竹端寛(たけばたひろし) 兵庫県立大学環境人間学部准教授。現場(福祉、地域、学生)とのダイアローグの中からオモロイ何かを模索しようとする、産婆術的触媒と社会学者の兼業。 大阪大学人間科学部、同大学院人間科学研究科博士課程修了。博士(人間科学)。山梨学院大学法学部政治行政学科教授を経て、2018年4月から現職。専門は福祉社会学、社会福祉学。日々のつぶやきは、ツイッターtakebataにて。 コメントもリプライもありませんので、何かあればbataあっとまーくshse.u-hyogo.ac.jpへ。