なんだか最近、目の前の締め切りとしなきゃならない雑務で追いまくられている。
それはそれで大切なのだけれど、どうもそんな毎日で、「ほんまは大事だけれど〆切が自分で設定できること」がどんどん後回しになり、ストレスがたまっている。なので昨日大阪から帰る飛行機+電車の中で、タイムマネジメントに関する本を読んでいた。曰く、「忙しいを言い訳にしてはいけない」・・・。今の自分は「とにかく忙しい」とよく言い訳にしていたので、イテテ、と胸に刺さった。さらに曰く、「すぐの締め切りにばかり振り回されてはいけない。タイムマネジメントをして、本当に大切な仕事をちゃんとこなせるようにならなければ」・・・その通りなんだけれど、そう簡単に出来ないんだよねぇ。でも、急激に仕事が増えて来ると、ほんと対策を考えなければならない、と思って、一念発起。今日はその本に書かれていた、スケジューリングをアウトルックを使ってやってみた。何のことはない、既に決まっている予定に加えて、「自分へのアポイントメント(=自分一人でする仕事に関して自分で時間的にどれだけ使えるか見積もりすること)」をしてみた。そして、愕然。ほとんど、時間が残っていない。
そんなグチをある先生にこぼしていたら、その先生はこう仰っていた。「そりゃあ、社会人なんだから仕方がないねぇ。だから僕だって、論文と授業と学務の常に三本を頭の中に錯綜させながら、空いた5分でも10分でも、パッと何かに取りかかれるように、常に臨戦態勢になっている。そんな中から、時間を振り絞って、論文を書いているんだ」。さすがは先輩。恐れ入ります。タケバタはまだそこまでする器はございません。・・・と思いながらも、僕もそうしてムリしてでも臨戦態勢組まないとムリだよなぁ、とも思い直していた。
で、じゃあ真面目に今日は報告書作成に取り組んだのか。いやいや、さにあらず。またもや、僕の中の「お節介おばちゃん」の血が騒いでしまった。
今日は4限、法学科の一年生向けの法学の授業で、「精神障害者と権利擁護」というタイトルで一コマ授業をさせてもらった。僕は政治行政学科所属なので、こういう授業でもないと、法学科の皆さんの前で話すことはない。しかも、一年生の半数(140人くらい)が受講してくれている。こういう新たな出会いはまたとないチャンスだ、とばかり、いつものようにまくし立て、挙げ句の果てに、法学科の大家の先生の御前で、「法律という枠組みを不変のものと考えずに、どうすればみんなが幸せになれるよう、この枠組みを維持・変更すべきか、を一生懸命考えてほしい」などとわめいていた。にもかかわらず、多くの学生が真摯な眼差しでしっかと受け止めてくれ、授業後に3人の学生が声をかけてくださり、うちお一方は研究室まで訪れてくれ、1時間くらい、じっくり話し込んだ。こういう風に、お節介にダイレクトに答えてくださる方がいられるのは、教師冥利に尽きる。
「1件の重大災害(死亡・重傷)が発生する背景に、29件の軽傷事故と300件のヒヤリ・ハットがある」というのがハインリッヒの法則だが、この法則を都合良く理解すると、授業後に一人の学生がわざわざ来てくれる、ということは、29人の方が興味を持ち、その倍以上の方の心の片隅に、何らかの言葉が残っていればいいなぁ、とタケバタは夢想している。そう思うと、こういう他学科や一回こっきりの出会いといえども大切であり、お節介おばちゃんにとっては、手が抜けない貴重な経験だ。
ちなみになぜお節介「おばちゃん」か、というと、大阪のおばちゃんというものは、「にいちゃん、これええで、絶対お勧めやさかい」と自分が気に入ったものをやたらとひとに勧める傾向がある。タケバタの授業のやり方も、これに似ているので、題して「お節介おばちゃん」なのです。
さらには、何だか今日はこの「お節介おばちゃん」の血が騒ぎまくったのか、授業後に来た学生さんをお相手に1時間以上話しまくっただけでなく、以前メールをくださったワーカーさんへも1時間近くかけて自分ありの考えを書きつづったり、帰宅後も別のワーカーさんにまたワイワイガヤガヤまくし立てたり、まあまああれこれしゃべって、同じくらい書いておりました。こういう風に盛り上がっているからこそ、またタイムマネジメントがうまくいかなかったんだよね。でも、それも大事だし、まあしゃないか、などと思っているうちに、今日も一日が終わっていくのであった。さて、アメリカ報告書は〆切の週末に本当に間に合うのだろうか・・・。これはマネジメント能力の問題か、はたまた仕事の詰めすぎの問題か、その両方なのか・・・。