身と心の大掃除大会

 

週末、わるいもんを出し切っていた。

ここしばらくあれこれ仕事が重なり、口内炎だけでなく、身体のあちこちからSOSのサインが出されていた。挙げ句の果てに、他責的になりかけている自分がいた。“I am right, you are wrong.” この文法だけは使いたくない、と思ったのに、他人のメールやら電話やらに思わずこの他責的修辞句を吐き捨てている自分がいた。いかんいかん、刺が出過ぎている。こういう時は、荊を抜きに行く「湯治」がよろしい。というわけで、生まれて初めて伊豆に行ってみた。

今回の最大の発見は、甲府から伊豆って、意外と近い、ということだ。
あちこち寄り道しながらでも、往復で260キロほど。名古屋に行くより近いのである。
ただ、箱根の山越えと、帰りの富士山の麓を通る時は、まさに「イニシエーション」のごとき、辛い道であった。何が辛いって、全く道が見えない。そう、行きも帰りも、雲が低く垂れ込めていた為、山の中腹の「スカイライン」は、景色が全く見えないだけでなく、数m先が見えない、という霧の立ちこめた状態だったのだ。

ガイドブックに載っている箱根の山越えも、富士山麓も、緑豊かな美しい光景。しかし、運転している目の前は、真っ白な世界。例えると「三途の川」として描かれるような風景だが、僕自身、まだあの世には行きたくないので、慎重に、ゆっくり運転する。それでも、3時間ちょっとでたどり着くのだから、案外近いのね。

今回は、「海の見える客室で、露天風呂つき」というガイドブックの文句に引かれ、熱海にほど近い、網代温泉のお宿に泊まる。塩分を含んだ濃厚なお湯は、手荒れ(洗剤負け)の治療に丁度良い。海に浮かぶ初島を眺める絶好のポイントで、海をボンヤリ眺めていると、何ともクサクサしたものがスコーンと抜けていく気分。結局、5回も入ってしまった。うち1回は、夕食をたらふく食べて、8時半には床につき、夜中1時頃目覚めて、の深夜風呂。海の音を聞きながら闇夜の世界に同一化するのは、大変よろしい。翌朝の「貸し切り露天風呂」も、開放感溢れる感じでよかった。

そうやって、身体から毒素を出しながら、ゆっくり荊を取っていくと、いつしかシンプルな気持ちが生まれてくる。自分が「こういう大人にはなりたくない」と思っていた他責的で唯我独尊的尊大さを持つ姿に気がつけば近づいていたこと、「こういう大人」というカテゴライズは、いつでも自分に置き換え可能な、決して他人事ではない「今ここにある危機」であること。しかも「こういう大人」を他責的に非難している時点で、その非難の文法こそ「他責的」で「尊大」な「こういう大人」と同じフレームワーク内にあること・・・。湯船に浸かりながら、我が身が最近隘路に陥りかけていた、その無理さ加減が、汗と共にジワジワ現前に現れてくる。そうか、クサクサしていたものの正体は、忙しさや他者との関係という外的要因よりも、むしろこの内面からの腐食だったのかぁ・・・。伊豆の海はそんなことを優しく教えてくれた。

帰ってあまりに疲れていた為か、今日はこんこんと一日眠り姫状態。ようやく起きあがり、今、キノコと鳥の手羽元をグツグツ煮込んだ薬膳スープ(我が家の名前は「毒素出しキノコスープ:略して毒キノコスープ!?」)を作っている。睡眠とともに、心と体のグタグタも取れ、ようやく少しはすっきりし始めた。薬膳スープでさらにドバッと汗をかきかき、今週末の「身と心の大掃除大会」の締めくくりとしよう。

来週は月曜日の現場訪問に始まり、講演や出張、そして週末には調査も入っている。忙しくなりそうだ。わるいもんが取れた身体で、たまった仕事をコツコツ片づけていこうかしらん。

投稿者: 竹端 寛

竹端寛(たけばたひろし) 兵庫県立大学環境人間学部准教授。現場(福祉、地域、学生)とのダイアローグの中からオモロイ何かを模索しようとする、産婆術的触媒と社会学者の兼業。 大阪大学人間科学部、同大学院人間科学研究科博士課程修了。博士(人間科学)。山梨学院大学法学部政治行政学科教授を経て、2018年4月から現職。専門は福祉社会学、社会福祉学。日々のつぶやきは、ツイッターtakebataにて。 コメントもリプライもありませんので、何かあればbataあっとまーくshse.u-hyogo.ac.jpへ。