私の両義性

 

身延線の沿線ではそこかしこで桜模様が見え始めている。ここ数日、寒の戻りはあるものの、春はいよいよ目前に来ているようだ。

月曜から3日ほど、大阪と三重に出かけてきた。毎日違う現場で、いろいろな人とやりとりする機会もあった。久しぶりの友人や先輩との語らいのチャンスもあった。そうして、いつもとは異なる場所で話をしている中で、改めての自己定義、というか、自分のやっている方向性のようなものが、その現場との「あいだ」に立ち現れている。そう「あいだ」といえば、「あいだ」論を精神科の臨床から哲学領域にまで高めた木村敏氏の入門書的な語りおこしである「臨床哲学の知」(洋泉社)の記述を思い出す。(その本が手元にないので、記憶を頼りに再構成してみる)

木村氏は、私というものを、主語的なものと述語的なことの二つから構成される、としている。アイデンティティとか私の唯一無二性という時、それは主語としての、取り替えの効かない場としての私であり、彼はそのことを「リアリティ」と呼んでいる。そして、それ以外に、リアリティを持った私が、いろいろな現場で、様々な人や出来事との「あいだ」で繰り広げられる多元的な現実は、述語的な「こと」であるという。私は同じでも、することは、その時々で違ってくる。職業人をする、家庭人をする、職業と言っても僕で言えば、研究する、教育する、実践するといった様々な「する」から成り立っている。この時々によって違う「する」の現実を、先のリアリティに対比させて「アクチュアリティ」と呼んでいる。

この二つを用いると、今までの自分のバラバラな営みが、割とすっきり整理出来てくる。

例えばこの3日間を例にとっても、ある通所施設の組織的課題の整理、入所施設や地域移行からの退院促進、支援職員のエンパワメント、など多様なジャンルの仕事を引き受けている。確かにつながりはあるのだが、違うアクチュアリティの場に複数関わる中で、僕自身の唯一無二性のようなものがそもそもあるのだろうか、という揺らぎが生じする。しかし、どういう述語を持ってきても、その述語の主語として、取り替えられない唯一無二の場としてのタケバタヒロシという主語(=リアリティ)がいつでもかぶっているのだ。どんな述語と向き合う際にも、幸か不幸か、この主語は不在にすることは出来ない。つまり、何に関わっても、タケバタが関わる、という主語性はいつもついてくるのである。

これは、考えようによっては面白い。

専門家、と言われる人の中には、自身の「述語性」を限定して、つまり「する」ことを限定して、一つの「する」を深く深く掘り下げる中で、その専門家としてのアイデンティティを築こうとするかたもおられる。それはそれでよいのだが、欲張りタケバタは、その述語性の限定が時として「タコツボ的隘路」にはまりこむことに対する危惧をもっていた。ゆえに、タコツボにならないように、あれこれと手を出すのだが、するとどうしても深入りしにくいし、散漫になりやすい。そんな述語の中途半端さや、場合によってはその分裂に当惑していたのであった。

しかし、結局何をやっていても、その述語が立ち現れる「場」である主語としての私の一貫性は、別に無理しなくても保持されている。何をしても「私は私」という自己同一性は間違いなくあるのだ。ならば、無理に述語性まで制約しなくても、のびのび気になることをとことん追い求めたらいいのではないか。複数の述語が同時並行的に走っていても、それを統括する場としての私、というリアリティに対する信頼があれば、なんとかなるのだ。私という場の輪郭を意識しながら、一つ一つの立ち現れるアクチュアリティの世界に没入し、そこで流れるリズムやメロディに身を寄せる。そういう両義性の中で、各現場の求める何かに寄り添うことが可能ではないか。

少し出張に疲れ果てながら、ぼんやりそんなことが頭に浮かぶ、夕刻の「ふじかわ」号であった。、

投稿者: 竹端 寛

竹端寛(たけばたひろし) 兵庫県立大学環境人間学部准教授。現場(福祉、地域、学生)とのダイアローグの中からオモロイ何かを模索しようとする、産婆術的触媒と社会学者の兼業。 大阪大学人間科学部、同大学院人間科学研究科博士課程修了。博士(人間科学)。山梨学院大学法学部政治行政学科教授を経て、2018年4月から現職。専門は福祉社会学、社会福祉学。日々のつぶやきは、ツイッターtakebataにて。 コメントもリプライもありませんので、何かあればbataあっとまーくshse.u-hyogo.ac.jpへ。