僕の中のクレオール性

宮地尚子さんの新刊『トラウマに触れる』(金剛出版)を読み始めて、真っ先に吸い寄せられたのが、「学問のクレオール」という論文である。クレオールとは何かをよくわからずに読み始めたのだが、僕のことそのものが書かれているようだった。

「クレオールとは、もともと仏領アンティルなどで日常の話し言葉として使われている『クレオール語』から来ているのですが、『純粋性』ではなく『混血性』、『普遍性』ではなく『多様性』、『起源』ではなく『生成』を立脚点とする世界観と言っていいでしょう。」(p292)

宮地尚子さんは、医学部を終えて研修医の時に医療人類学と出会い、医学と人類学という「違う文化」的前提を持つ学問を越境しながら、トラウマ研究を続けてこられた日本の第一人者のお一人である。そんな彼女の来歴が書かれた小論を読みながら、実は僕自身のクレオール性=混血性、多様性、生成的立ち位置、に思いをはせていた。

僕の師匠はジャーナリストの大熊一夫である。酔っ払ってアル中患者のふりをして精神病院に「潜入」し、「ルポ・精神病棟」を1970年2月に朝日新聞夕刊に連載して以後50年間、日本の精神医療の閉鎖性や抑圧性、構造的課題を追い続けてきたジャーナリストであり、『精神病院を捨てたイタリア 捨てない日本』など数々の名作を作り続けておられる。そんな彼が大阪大学人間科学研究科に新設された(その後解体された・・・)ボランティア人間科学講座の教授として迎え入れられた1998年、僕は院生として師匠に弟子入りした。その時、僕がその後20年以上、クレオール性と苦しみながら向き合うことになるなんて、全く予想だにしないまま。

師匠は朝日新聞や週刊朝日で叩き上げられた取材や文章技法のノウハウを僕に惜しみなく伝えてくださった。「文章は省略と誇張だ」「見出しで全てが決まる」「できる限り短い文章で要点を書く」「本を読んで分かったつもりにならず、自分の足で稼げ(取材せよ)」「接続詞はできる限り省いても、意味の通る文章を書くべし」・・・。どれも、読ませるジャーナリストの文章としては必要不可欠な教えである。その基準で僕の文章も真っ赤に赤を入れてくださり、僕は文章の書き方を鍛えられた。それでずいぶんと文章修行をさせて頂いた。

だが、すでにお気づきの読者も多いと思うが、アカデミズムの文化では、上記の教えは受け入れられないものが多い。卒論を書いている時からお世話になっていた、アカデミズムの世界の師匠である社会学者の厚東洋輔先生は、ご自身曰く「アームチェア社会学者」であり、徹底的に文献を読み込んでその内在的論理を推論しながら世界の本質に迫る学者である。理論的言語を追いかける時に、「省略と誇張」なんてもってのほかである。見出しより論理展開の方が当然重要視される。つまり、アカデミズムの文化とジャーナリズムの文化では、重要視される文化的前提が異なるのである。・・・と言うのは簡単、でも両方に目配りするなんて、20代の僕に簡単に出来るはずもなく、めちゃくちゃ困った。

師匠に教わった、ギリギリと対象に迫る思考方法や、10取材して初めて1を書くことが出来るという、裏を取る取材方法などは、僕の中で欠くことの出来ない研究の前提となっている。その一方で、査読論文ではあまりにジャーナリスティックな文体だと、文化が違うがゆえに受け入れられない。そのため、院生時代になっても、厚東先生にアカデミズムの文化における受け入れ可能な査読論文の書き方を教わることで、その両者を越境しようと苦労した。

そして、越境で苦労しているのは、これだけではない。そもそも、学部時代は社会学の端っこにいて、でもほとんど社会学は勉強していなかったのだが、大学院以後、精神医療の構造的問題に迫るうえでは、あるいは脱施設化や権利擁護の研究をする上では、社会福祉学の学的叡智も必要不可欠である。博士論文の指導教官をしてくださった大熊由紀子さんの「えにし」のおかげで、「ノーマライゼーションの原理」を日本に広められた河東田博さんから直接学ぶチャンスがあり、障害者福祉における自立生活運動との繋がりなどは、名著『ケアからエンパワーメントへ』(ミネルヴァ書房)を書かれた北野誠一さんに学ばせて頂き、北野さんにはカリフォルニアの権利擁護機関の調査にも連れて行って頂き、耳学問で学ばせて頂いた。つまり、福祉社会学と社会福祉学は、どちらが専門というほど勉強している訳ではないが、常にどっちも気にしながら、その両者の隙間=ニッチ産業のように立ち回ってきた。

アカデミズムとジャーナリズムの、福祉社会学と社会福祉学の、二重の意味での狭間で苦しんできたのだが、それにクレオール性=混血性、多様性、生成的立ち位置という意味があったのか、と知ると、ずいぶん違った景色が見えてくる。少し前に「『ソーシャルワーカーの社会学』に向けて」という論考も書いたが、宮地さんの論に触れた後では、あれは自分自身の生成的立ち位置を記述した論考なのかもしれないな、と思い始める。

宮地さんはもう一つ、印象深い記述をしておられる。

「学問のクレオール化は、新たなパラダイムを創出するというより、境界のあたりを右往左往し、時に侵犯し、生身の身体を引きずって、時には笑いや嘲りを誘いながら、みっともなく『段差』に立ち続ける動きと言えそうです。それは学問を学問的対象にしつつも、同時に方法論として用いなくてはいけないという意味で、ある文化を生きながらそれを学問対象とするネイティブ人類学者と同じ営みであり、インフォーマント以上、(欧米出身の)人類学以下といいう中途半端なポジションをあてがわれるという意味でも、ネイティブ人類学者と同じ地平にあります。」(p302)

「中途半端なポジション」。この言葉ほど、僕自身の立ち位置を一言で明確に表す言葉はない。そして、僕は自分自身の中途半端さに苦しみ、劣等感を持ち続けてきた。宮地さんが言うように、この20年くらい、「境界のあたりを右往左往し、時に侵犯し、生身の身体を引きずって、時には笑いや嘲りを誘いながら、みっともなく『段差』に立ち続ける動き」を続けてきた。でも、中途半端さゆえに、見えてくる世界もあるのだ。「ネイティブ人類学者は、自文化を翻訳します」と整理した上で、宮地さんはこんな風にも書く。

「興味深いことに、コントロールを半ば奪われた中途半端な場所で無数の斜線を引くうちに、逆説的に甦ってくるものが『自分自身の言葉』なのかもしれません。」(p303)

翻訳は、二つの言語の間で無数の斜線を引く作業である、という管啓次郎氏の定義を用いた宮地さんの言葉に、ハッとさせられる。二つの文化の「あいだ」にいるからこそ、その中で、「コントロールを半ば奪われた中途半端な場所で無数の斜線を引く」という「みっともなく『段差』に立ち続ける動き」をし続けるなかで、「逆説的に甦ってくるものが『自分自身の言葉』なのかもしれ」ないのだ。

一つの文化にどっぷりつかると、その文化の言語を話しているだけで生息することは可能になる。ジャーナリズムの言語であれ、社会学の言語であれ、社会福祉学の言語であれ、単一の文化の単一の言語を話し続け、その専門家になれば、わざわざ越境する必要はない。むしろ、その言語文化の世界を深く掘り下げることに、意味や価値がある。

だが、アカデミズムとジャーナリズムの、福祉社会学と社会福祉学の「境界のあたりを右往左往し、時に侵犯し、生身の身体を引きずって、時には笑いや嘲りを誘いながら、みっともなく『段差』に立ち続ける動き」をしてきた僕は、確かに中途半端だった。でも、その中途半端な立ち位置で、両者に伝わる言語を必死になって模索する、自文化の翻訳作業を続けるなかで、『自分自身の言葉』を逆説的に持ち始めたのかもしれない。

僕にとってその自分の言葉を探すのが、ブログであり、それを初めてまとまった論考として書けたのが、博論を書いてから10年後にやっと初めて書き上げた単著『枠組み外しの旅—「個性化」が変える福祉社会』(青灯社)だった。しかも、この単著は、博論の内容をごく一部しか用いず、それ以外の内容は、今となって振り返ってみると「ある文化を生きながらそれを学問対象とする」、つまりは「自文化を翻訳」する「ネイティブ人類学者」宣言の本だったのかもしれない。

アカデミズムの師匠である厚東先生にお送りした時、一冊目にこんな本を書くとは思わなかった、と言われ、二冊目は主題と副題をひっくり返すような内容を期待している、とメッセージを頂いた。その後産み出した二冊の単著『権利擁護が支援を変える—セルフアドボカシーから虐待防止まで』『「当たり前」をひっくり返す—バザーリア・ニィリエ・フレイレが奏でた「革命」』(ともに現代書館)は、まさにそれを模索した本である。でも、一冊目にどうしても僕が『枠組み外しの旅』を書かねばならなかった理由とは、自分のヴォイスや文体を探し、自分の言葉で書くスタイルを確立する必要があったからであり、それはすなわち僕なりの「学問のクレオール」宣言をしておかなければならなかったからだ、と宮地さんの論考を読んで、やっと腑に落ちた。

ただ、この論考はもともと2001年に書かれたものである。つまり僕がそのクレオール性をどう整理してよいかわからなかった大学院生の頃に、既に宮地さんは整理されていた。読むのが遅すぎた、ともいえるかもしれない。でも、その当時読んでいても、僕はこの宮地さんのメッセージを適切に受け取ることは出来なかったと思う。自分なりに「中途半端さ」に悩み、「みっともなく『段差』に立ち続ける動き」をし続け、『枠組み外しの旅』を書き、さらに自文化の翻訳作業を地道にし続けていた今だからこそ、やっと彼女のメッセージを我がこととして受け取ることが出来たのかもしれない。

そう思うと、今ようやく僕の中のクレオール性を言祝ぐことが出来るようになってきたのかも、しれない。宮地さんの文章に、20年後の今、出会えて感謝している。

投稿者: 竹端 寛

竹端寛(たけばたひろし) 兵庫県立大学環境人間学部准教授。現場(福祉、地域、学生)とのダイアローグの中からオモロイ何かを模索しようとする、産婆術的触媒と社会学者の兼業。 大阪大学人間科学部、同大学院人間科学研究科博士課程修了。博士(人間科学)。山梨学院大学法学部政治行政学科教授を経て、2018年4月から現職。専門は福祉社会学、社会福祉学。日々のつぶやきは、ツイッターtakebataにて。 コメントもリプライもありませんので、何かあればbataあっとまーくshse.u-hyogo.ac.jpへ。