「本土復帰」と「社会復帰」

今日の甲府は朝から牡丹雪が降り積もる。おとといまで滞在していた沖縄本島とは20度の気温差。だるまストーブに首巻をしております。

僕は旅のお供に本を何冊か持っていく、だけでなく、空港や現地の本屋でも何冊か買ってしまう。「せっかくの旅行なのに」という指摘も受けそうだが、僕にとって、旅先の読書こそ、普段とは違う空気感、違う角度で味わえる絶好の機会なのだ。旅というスパイスは、「本の味わい」を何倍にも増す。
なぜそういうことになるのだろう、と考えていたときに、次のフレーズと出会った。
「時計時間はそれ自体、道具的合理性を根拠とした計算を成り立たせるための、質を剥ぎ取られた仲介物なのである。機械の時間は、労働を組織化するときや企業のバランスシート、また日常生活や公的な暦において、個別的な体験と社会のリズムとの間の区別を一切行わない。すべてが同質的な量でできている標準尺度を用いることで、すべてを測定し、すべてを分解し、すべてを計算するのである。」(アルベルト・メルッチ『プレイング・セルフ-惑星社会における人間と意味』ハーベスト社、P21)
そう、この社会は「時計時間」に沿って動いている。日本の鉄道の正確さは、時計時間を重要視する日本人的心性の賜物、である。電車だけでなく、宅急便の翌日配送(恩名村の農産物も、壷屋のやちむんも、那覇のジュンク堂の本だって・・・)も、この時間時計のなせる業だ。思えば僕の生活は、宅急便にずいぶんとお世話になっている。また、この標準尺度に個別的な体験を合わせる、というのも、日本人的な時間感覚に深く埋め込まれている。だからこそ、旅先で思い通りに物事が進まないと、いらつく。そして、いらついて改めて気づく。自らが、この時計時間に根深く支配されていることに。
そして、時計時間=社会的時間の意識化とは、それとは別のもうひとつの時間への気づきを導く。先述のメルッチはそれを「内的時間」と表現している。
「内的時間は、情緒や情動と結びついた時間であり、身体に宿る時間であることから、社会的時間と極めて異なる特徴を有している。それは多重/多層/多面的で不連続である。その時間のなかに、異質な時間が共存しており、それらが主観的な体験のなかで、互いに継起し合い、交わり合い、重なり合う。またそれは循環的な時間であり、神話的時間のように、出来事はだいたい元の場所に戻ってくる。その循環性は、身体のなかで、情動のなかで、諸々の夢、徴候、イメージ、そして何度も回帰する行動のパターンのなかに、はっきりと生起している。さらにそこには、同時的な時間が存在している。昨日と明日、私の時間とあなたの時間、ここと別のどこか、このようなたくさんの時間が、まさに同時に存在するのである。」(同上、p28)
旅の間の時間は、あっという間に過ぎ去る。前回の旅と今回の旅を重ね合い、思い出し、反芻する。美味しいものや見慣れぬ風景など、圧倒的な迫力を持つ瞬間の時間の深さと、移動中に内面に生起する様々な想念に身をゆだねる茫漠とした時間。それらはまさに、「多重/多層/多面的で不連続である」。時計的時間の制約から解放されるからこそ、かつての、あの場面の、あなたの時間と僕の時間が同期する。その中で、内的時間旅行が始まっている。
ただ、このような内的時間旅行は、あくまでも「旅の間」に限定することが、現代社会の暗黙のルールになっている。「つかの間のバカンス」で時計時間から存分に解放される。これは、旅が終わったら時計時間に復帰することがセットとなっているから、許容されているのである。あくまでも時計時間の支配的枠組みの中での、たまの逸脱。
このように、標準尺度=機械的時間がドミナント・ストーリーである社会では、日常からそれとは違う「内的時間」を生きる人は、夢見がち、とラベルを貼られる。子供、老人、芸術家、シャーマン、障害者、「未開社会」の人々・・・など「周縁」と名づけられた人々の中には、「中心」の機械的時間に対する「社会的不適応」という特徴を持つ人もいる。だが、機械的時間の支配力そのものが、そもそも個々人がもともと持っている内的時間を奪うことによる、魂の植民地化であるとするならば、この標準化圧力、というのは、個々人の生きられた時間の圧殺である、とはいえないだろうか。そして、旅とは、しばし、その生きられた時間を取り戻すための試み、ともいえるのではないだろうか。
そう考えると、一つの問いが浮かぶ。時計時間への過剰適応は、本当に好ましいことなのだろうか、と。
沖縄で垣間見たのは、「本土」の時計時間の標準化圧力に対する、厳然とした抵抗の時間であった。
旅の間、毎日沖縄タイムスを読んでいたが、期間中、辺野古埋め立て申請、あるいはオスプレイの増強配置などの唐突の計画浮上の記事が一面を飾り、それに対する激しい抗議の意見が表明されていた。「いつまで植民地扱い」というタイトルの記事も、紙面で読んだ。だが、甲府で溜まっていた一週間分の新聞を読んでいて、それらの記事がほとんどないことに、愕然とさせられた。そして、前回のブログで引用した奥田博子氏の、次のフレーズを思い出していた。
「本土の主要メディアは、沖縄の<抵抗>を『県民感情』と言い換え、一過性のものにすぎないとする価値付け報道に終始していた」(奥田博子『沖縄の記憶-<支配>と<抵抗>の歴史』慶應義塾大学出版会、p180)
確かに、本土のメディアの取り扱い方を見ていると、沖縄問題は局所的、部分的な扱いであった。安部首相の経済政策や中国メディアへの共産党の圧力と抵抗、などを大きく取り上げたいのがわかる。だが、最近、東京のテレビや新聞というメディアへの信頼が大きく損なわれているのは、その情報の重要性を推し量る物差しの狭さや偏狭さ、ではなかったか? ツイッターやSNSが、情報の断片だけれども、テレビや新聞の情報より重要視する人々が増えてきているのは、このメディア支配の「大きな物語」への疑いゆえではないか? 中央集権的な思考に基づく日本社会の同一化・同調圧力的な政策が、沖縄政策だけでなく、被災地復興政策や障害者政策など、様々な領域で破綻の局面に差し掛かっているからこそ、この機械的時間への疑いのまなざしがますます増えている、とはいえないだろうか。
うねうねと考えてきたが、実は今日話題にしたいのは、ここから、である。
あるドミナント・ストーリーに「復帰」することを「目的」とする、この機械的時間論で、私たちは幸せに生きられるのだろうか?
沖縄の「本土復帰」、障害者の「社会復帰」。これらの「復帰」概念には、元に復元し、回帰することこそが「正しい」という概念があるように思える。だが、そもそも本土の中央集権的同一化思想、あるいは健常者社会の強迫的な労働観念、そのものが、機械的時間の歪みの影響をもろに受けている、とはいえないだろうか。周縁から中心への「復帰」の文脈では、前者より後者が正しいとされる。だが、実は、周縁の独自の物語の中にこそ、中心が失ってしまった内的時間、個々人のアクチュアリティのある自己、が内包されているとはいえないだろうか。
ここからは、かなり暴走的に書き進める。
作家で元外務省の専門官だった佐藤優氏は、最近しばしば「琉球独立論」を説く。ソ連の崩壊時のバルト三国の分離・独立の動きと、今の沖縄の情勢が似ている、と。依存状態にある沖縄が、米軍基地の常設化と経済振興というアメとムチに頼る限り、ずっと本土との相互癒着関係は変わらない。それを「いつまで植民地状態なのか?」と怒りとともに表明する琉球人は、宙吊り状態を超えて、分離独立の道を模索しているソ連崩壊直前のバルト三国の姿に重なる、と佐藤氏は分析しているのである。
これは、障害者問題と重ねると、またもや共通性を感じる。例えば入所施設や精神病院への隔離収容政策は、三食昼寝つきの保障と、一般社会からの隔絶、というアメとムチの政策そのものであった。つまり、障害者は構造的な依存状態におかれていたのである。この構造的な依存状態そのものに「NO!」を突きつけ、ヘルパーの支援を受けながら地域の中で暮らしたい、という自立概念を、青い芝の会をはじめとした障害者たちは打ち出してきた。これは、中央集権的な支配とコントロールに対するNo!であり、自分たちの内的時間、内在的論理を大切にしながら暮らしたい、という訴えであった。そのためにも、健常者中心主義の社会構造こそ、変わらなければならない、と周縁から中心に対しての強烈な異議申し立てを行い続けてきた。
国はいまだに入所施設や精神病院には膨大な国費を投入し続ける一方、地域で自立して暮らしたい、という障害者の支援には極めて抑制的な現実がある。このリアリティは、国の提示する政策や枠組みに従い・依存し続ける障害者には支援の手を差し伸べるが、自立や独立心のある・国に異論や対論を提起する障害者は制裁しよう、という姿勢に重なる。この部分を沖縄人と入れ替えても、また共通性があるような気がするのは、僕の妄想だろうか。
また、精神障害者の「社会復帰」という文脈では、これとは別の問題を感じる。うつ病や不安障害など、様々な病気でいったん職場を追われた人が、フルタイムの仕事に戻りたい、と希求する。だが、そういう人の中には、機械的時間が個々の内的時間を消尽することで成り立つグローバライゼーションの抑圧的文化にへとへとになって、病気という形でSOSを出した人も少なからず、いる。その際、病気療養としてやっと抑圧的時間から解放されたのに、病気が治ったら、また元の抑圧的文化に「復帰」すること「しか」道はない、と思い込むことが、本当に「社会復帰」なのか、という疑いをもつ。
もちろん、それでは食べていけないではないか、という反論もあるだろう。だが、働くことは、必ずしも抑圧的機械的時間への迎合、と同一化ではない。健常者社会のドミナントな規範や枠組みに同調せずとも、自分の内的時間に適合的な形で働く、役割を持つ、という可能性はあるはずである。同じように、沖縄も、本土と同じような形で発展を遂げよう、本土の補助金を出来る限り引き出そう、という発想ではない形での独立の可能性もあるはずである。
つまり、時計時間が提供する標準的な働き方・生き方、これをグローバルスタンダードの支配的な生き方、とするならば、そのやり方にNO!といい続けるやり方を希求する道だってあるはずである。このような、内的時間と社会的・機械的時間を共存させるような、抑圧的でない時間を取り戻すことが、魂の解放にもつながるのではないだろうか。そして、周縁からの「復帰」概念は、単に中央に戻ることではなく、自らの内的時間を取り戻しながら社会的時間と折り合いをつけること、と書き換える必要があるのではないだろうか。
さらにいうならば、これは沖縄問題や障害者問題に限定されるわけではない。僕自身の中にある魂の本性を周縁化し、進歩・発展・標準化・序列化というドミナントストーリーを中心的概念として信奉してきた歴史そのものを見つめなおすことがが出来るか、も問われている。機械的時間への迎合や「復帰」を目的とせず、内的時間を大切に扱うことこそ、真の意味での「個性化」につながるのではないか、と。
深々と降り積もる雪景色の中で、そんなことを考えていた。

投稿者: 竹端 寛

竹端寛(たけばたひろし) 兵庫県立大学環境人間学部准教授。現場(福祉、地域、学生)とのダイアローグの中からオモロイ何かを模索しようとする、産婆術的触媒と社会学者の兼業。 大阪大学人間科学部、同大学院人間科学研究科博士課程修了。博士(人間科学)。山梨学院大学法学部政治行政学科教授を経て、2018年4月から現職。専門は福祉社会学、社会福祉学。日々のつぶやきは、ツイッターtakebataにて。 コメントもリプライもありませんので、何かあればbataあっとまーくshse.u-hyogo.ac.jpへ。