兵庫県立大学に移籍しました

13年ぶりに、新しい職場で、新しい辞令を受け取った。

2018年4月から、兵庫県立大学環境人間学部に准教授として着任した。

久しぶりの関西で、50万都市の姫路という大都会に家族と一緒に移り住む。今年は引っ越し狂想曲が予期されたので、家も研究室も2月末には引っ越しをした。1ヶ月たって、やっと家もどこに何があるか、がある程度わかるようになり、研究室の70箱もほぼ空いた。物理的に環境は整ったが、新しい職場環境に慣れるのはこれから。よってしばらくは移行期混乱の渦中にいることになるだろう。

山梨学院大学時代は、法学部政治行政学科に所属した。今度は環境人間学部の環境共生社会コース(今年度からは社会デザイン系)というコースに属する。どちらも福祉学科ではない。でも、福祉士の国家資格も持っていないし、養成過程教員の研修会にも行っていない僕には、福祉学科では採用される見込みはない。それに、法学部政治行政学科時代は、福祉国家や市民社会論など、この学科に所属するからこそ、守備範囲を広げることができ、政治学や行政学の先生方から沢山のことを学ばせて頂いた。

そして大学で地域福祉論を教えたり、現場での地域福祉課題と向き合う中で、次第に従来の地域福祉の射程の狭さ、が息苦しくなってきた。家や研究室の本棚の整理を手伝ってくれた元教え子のフジワラさんが、「福祉以外の本がメチャ多いですね」と言っていたが、ある時期から、福祉現場で抱いた問いを解決するためには、既存の福祉の本では満たされなくなってきた。なので、上述の福祉国家論や市民社会論、だけでなく、地方自治論や都市計画、地場産業、コミュニティ論など読み漁ってきた。ここ数年は家族療法やオープンダイアローグ関連、それに子どもが生まれて以後、子育て支援や保育関連の本も五月雨式にふえ、相変わらず専門が何だかわからない状態である・・・。

閑話休題。
そんな模索の過程の中から、岡山ではじめた『無理しない地域づくりの学校』。この学校の「教頭」でもある尾野寛明さんが「福祉が中心ではなく、地域が中心だ」と本の中でも明言してくれたのが、最近の僕には一番しっくり来ている。「住民にとって、福祉は地域の一部でしかない。買い物難民や農村振興、地場産業や獣害対策など、様々な地域課題の一つとしての福祉でしかない」と。そう、地域福祉を考える際に、この「大きな地図の中での位置づけ」がないと、地域の住民のリアリティからかけ離れた、福祉専門職のみのタコツボ議論に陥るのである。実際、獣害や買い物難民の問題、商店街や農漁業の後継者不足は、少子高齢化問題と直結している。厚労省や国交省、農水省や総務省と縦割りにしているから、関係がないようにみえても、地域ではそんな縦割りでは、問題は解決しないのだ。

今度の環境人間学部は日本では一つしかない学部。20年前から文理融合で作られた学部で、土木や建築、環境工学などの先生もいる学部の中で、僕が所属するのは社会デザイン系。同じ系の中には、防災教育や都市計画、農村計画やシティープロモーション、社会経済地理学など、魅力的な研究をしておられる同僚の方々がおられる。僕自身がまさに学びたいと思っていた領域の専門家とご一緒出来る。これは、僕自身にとっての願ったり叶ったりのチャンスである。また、大学院の講義も来年度から担当するのも、常勤としては初めての経験。よって、久しぶりに准教授に戻り、一念発起して、ガッツリ勉強し直そうと思っている。

ちなみに、姫路に一ヶ月暮らしてみての感想は、イエテボリやサンフランシスコに似ている、という印象。14年ほど前にイエテボリに半年暮らし、サンフランシスコは調査で何度も訪れた。共に港町で、第二の都市で、魚が美味しい。買い物はこの街で完結できるだけでなく、工業地帯やオフィス街もあり、近隣の官公庁の集積地で、郊外では農業が盛ん。歴史があり、独自の文化も持っていて、かつ雑多な人々の集まりという意味でも多文化な街。

事実、正月には未だに酢蛸や煮貝が振る舞われるほど、山国で活きのいい魚とは遠ざかっていたのが、山梨時代の数少ない不満だった。だが、こちらは瀬戸内や鳥取沖の新鮮な魚が近所のスーパーでも手に入る。うまい甲州ワインやサクランボ、ぶどうに桃は入手しにくくなったが、毎日新鮮な魚が食べられるのは、ありがたい。40代に入り、脂っこいものばかりだと身体が重くなり始めていたので、タンパク質を魚で取れるのは、本当に嬉しい。

ただ、のんびり甲府で暮らしていた13年間が快適だったがゆえに、この人の多さや、車の渋滞、などには、まだまだ全然慣れない。姫路での生活リズムを作るのは、まだ始まったばかりである。

落ち着いたら、兵庫や岡山、鳥取など近隣県のオモロイ現場を色々訪問したい、などの妄想は広がる。ただ、まずは職場になれることが、第一歩。ここで飛ばしすぎると5月病がきつそうなので、関西弁でいう「ぼちぼち、いこか」である。

投稿者: 竹端 寛

竹端寛(たけばたひろし) 兵庫県立大学環境人間学部准教授。現場(福祉、地域、学生)とのダイアローグの中からオモロイ何かを模索しようとする、産婆術的触媒と社会学者の兼業。 大阪大学人間科学部、同大学院人間科学研究科博士課程修了。博士(人間科学)。山梨学院大学法学部政治行政学科教授を経て、2018年4月から現職。専門は福祉社会学、社会福祉学。日々のつぶやきは、ツイッターtakebataにて。 コメントもリプライもありませんので、何かあればbataあっとまーくshse.u-hyogo.ac.jpへ。