心理社会的援助の醍醐味

今まで、精神障害者への支援に関する本はそれなりに読んできた。でも、今日ご紹介する本は、これまで読んできた本とは、少し毛色の違う本である。母の目の前でリストカットを繰り返す人に聞き取りをしたエピソードに関して、このように書かれている。

「なぜ、こんな行為を繰り返したのか。ゆりさんに聴いてみた。ゆりさんは『手当てをしてもらっているときは自分だけのお母さんっていう感じしてた』と語りながらこう続けた。『今思うと・・・、お母さんは辛かったと思うよ。血だらけなんやもん。ほんまに悪いことして迷惑かけてって。冷静になったらわかるんやけど、そんときはそんなことは考えない、ただただ、自分がしんどいからコントロールがきかへんのよ。お母さんに甘えて、お母さんにあたって。そんなことの繰り返し。私、酷いよね』。母親が抱えたであろう痛みに対して申し訳ないという思いを抱えているのだが、『手当をしてもらう 』ということで母親のぬくもりを感じようとしていたゆりさんの思いも理解できないことはない。たとえ、方法は間違っていたとしても、必死でお母さんを求めていたんだなと思う。」(山本智子『「家族」を超えて生きる−西成の精神障害者コミュニティ支援の現場から』創元社、p28-29)

山本さんは公認心理師で、心理的援助スタッフとして、副題にあるように、西成の精神障害者コミュニティ支援の現場で、精神障害者の声を聞き続けてきた。この本は、彼女が聴いてきたたくさんの声の物語を編み直した、素敵な一冊である。そして、類書と何が違うのか。それは、聴かせてもらった語りと、それを聴いて山本さんが感じたことや心に浮かんだことを交錯させながら、審判や評価をするのではなく、生きづらさの問題を「共に眺めよう」とする視点にあふれている点である。

心理的なアセスメントの視点は持ちつつ、本文の中では、その評価やアセスメントの視点で「病状」の「解説」や「分析」をすることはない。そうではなくて、ゆりさんの生きづらさ・苦しさの内在的論理を本人の語りから辿りながら、聞き手の山本さんが理解できたことをそのものとして差し出す。道徳的な非難や批判をせず、どんな思いでそのような行為がなされたのか、を辿ることで、他者の合理性を理解しようとする。その営みが、全編にあふれているのである。その意味では、理解社会学の方法論と極めて近いと感じる。以前のブログでも引用した、社会学者の岸さんの言葉を思い出す。

「他者の合理性を再記述する、つまり、行為の合理性を理解するとどうなるか。その帰結はいろいろあると思いますが、そのひとつは、行為責任の解除です。「そういう状況なら、そういうことするのも仕方ないな」というのが理解でしょう。」(「インタビュー 社会学の目的 岸政彦」

山本さんの聴く姿勢も、まさに「そういう状況なら、そういうことするのも仕方ないな」という姿勢である。だからこそ、彼女に語る人々は、安心して、これまで胸の内にしまっておいた事を語り始める。

「『10代後半からの十数年、精神科病院と施設で過ごしたという話をしましたけど、そこが自分の人生の中から抜け落ちているっていう感覚がわかりますか? 取り返しのつかない、たぶん、人にとって一番元気で楽しかったはずの時間を僕は失ってるんですよね。これから生きていてもなんの意味があるんでしょうか。』
この言葉を聴いて、淳さんが死にたいと語るその理由の一つにこの『失われた時間』が深く根付いていたのだなと思った。」(p95)

精神障害者の人はしばしば「希死念慮」がある、と語られる。教科書的には、それが病状の一つと整理されている。だが、淳さんの語りを聴いた山本さんは、病状としての希死念慮より、諦めざるを得なかった・取り返しのつかない・抜け落ちた感覚が「失われた時間」につながり、「そういう状況なら、そういうことするのも仕方ないな」と、病状ではなく、淳さんの内在的論理として理解し、受け止めようとしていく。

精神障害の支援においては、脳の器質性の理解やそこに働きかける薬物療法のような生物学的なアプローチと、山本さんが専門としているカウンセリングや発達支援のような心理的アプローチ、そして居住支援や生活支援、就労支援などの社会的な(ソーシャルワークの)アプローチの三つの重ね合わせが大切にされている。そして、病院中心医療においては、生物学的アプローチに偏り、心理・社会的アプローチが不足してきた。山本さんがチーム支援の一人である、西成の精神障害者コミュニティ支援の現場においては、心理・社会的アプローチが豊かであると感じたし、山本さんの物語にも、その視点から、ゆりさんや淳さんの語りを受け止めようとする彼女の姿勢が色濃く出ている。

急性期に家族に多大な迷惑をかけ、妻から離縁され、娘からも愛想を尽かされ、息子とのつながりをかろうじて保っている祐さんの物語にも、それが濃厚に詰まっている。

「祐さんとの面談を重ねていく中で、なぜ初回面談のときに切羽詰まった様子で『早く働くためにどうしたらいいのかを教えてほしいです』と言ったのか、その理由が少しだけわかったような気がしていた。祐さんはもう一度、家族に戻りたいのだろう。そのためにも、ちゃんと働いて、夫として、父親として、認めてもらいと思っていたのではないだろうか。奥さんに対して、息子さんや娘さんに対していままで自分がしてきたことは、一生、許されることではないということも十分わかっている。そして、幸せな家族を自分が壊してしまったという思いから逃れることもできていない。しかし、面談も終わりに近づくにつれ、『できたらもう一度、家族と一緒に暮らしてみたいです。奥さんや子どもたちがもし許してくれるなら』と言った。これが祐さんの心からの願いなのだろう。私はそれを聴きながら、家族一人一人の心には許しがたい深い傷が残っているだろうし、時間はかかるだろうが、祐さんがそれをあきらめない限り、いつか実現するのではないかと、密かにそう期待した。」(p144)

仲間たちと作った『「困難事例」を解きほぐす:多職種・多機関の連携に向けた全方位型アセスメント』というアセスメント本の中でも、支援対象者の主観的世界の理解が大切だ、と整理した。ゴミ屋敷や自傷他害に代表されるように、「迷惑行為」や「暴力・暴言」などを繰り返す支援対象者は「困難事例」とラベルが貼られやすい。それは、本人が困難だ、というより、本人に関わる家族や支援者、周囲の人にとっての困難さが大きい場合、そのようなラベルが貼られる。でも、そのような行為をしてしまう本人にも、主観的な世界があり、それなりの行為の理由や、その行為に関しての主観的な思いがあるのである。祐さんは、自分が家族に振るった暴力や暴言、迷惑行為によって、家族を壊したことを理解している。でも、「ちゃんと働いて、夫として、父親として、認めてもらい」、それを通じて「家族に戻りたい」と切実に願っている。だからこそ、「対人関係に困難があって定職に就きにくい」とラベルが貼られている状態であっても、山本さんに対して「切羽詰まった様子で『早く働くためにどうしたらいいのかを教えてほしいです』と言った」のである。

山本さんや西成の精神障害者コミュニティ支援のチームの素敵なところは、この祐さんの語りを読み解きながら、その内在的論理を辿り、その主観的な思いや願いを実現するために、現実的に何ができるか、をチームで考えていこう、という姿勢が明確な点である。それは、太郎さんを支援する久美さんという支援者のエピソードに象徴されている。

「ある日、太郎さんが『一人で暮らしてみたい』と久美さんに言ったそうだ。その頃の太郎さんは、幻聴も酷く、身体は常に震えていて、歩くことさえおぼつかない様子だったので、支援会議の中でも『無理じゃないか』という話になっていた。私が、過去に同じような困難がある人が周囲からの援助を受けながら一人暮らしを実現できた経験を話そうとしたときに、久美さんが『なんで? やってみんとわからんことを無理とかいうのはおかしい』と言った。それでも、ほぼ全員の援助者が太郎さんの一人暮らしには反対だった。そこで、久美さんはこう言った。
『私ら援助者は、そもそもその人の『自己決定を支える』ために何をすればいいのかを組み立てるだけであって、『無理やろ』とか、実際にやってもみないうちから予想して、援助者の考えを押し付けるのはどうかと思う。どうすれば、一人暮らしが可能になるのかを太郎さんと一緒に考えたらいいんじゃないの。」(p164-165)

ある状態の当事者のアセスメントをした上で、「無理じゃないか」と判断する。それは、きつい言い方をすれば、リスク回避的なやり方であり、「できない100の理由」を述べることでもある。でも、「太郎さんが『一人で暮らしてみたい』と久美さんに言った」ということを、久美さんはすごく大切にする。久美さんの中には「そもそもその人の『自己決定を支える』ために何をすればいいのかを組み立てる」のが援助者の仕事であるという明確な方針があり、そこから「どうすれば、一人暮らしが可能になるのかを太郎さんと一緒に考えたらいいんじゃないの」という戦略が生まれる。結局、この久美さんのブレない姿勢に他の支援者も感化され、一人暮らしをするための、「できる一つの方法論」をチームで考え、それを実現していくのである。

これぞ、精神病院や入所施設ではなく、地域で障害者を支え続ける醍醐味だと感じた。自己決定を大切にして、それを支える、というのは、標準化・規格化された生活に障害者を合わせるのとは真逆の発想である。「○○ができたら自立生活可能」という発想自体、能力主義的な発想であり、医学モデル的な発想である。そうではなくて、「幻聴も酷く、身体は常に震えていて、歩くことさえおぼつかない様子」であっても、その太郎さんが『一人で暮らしてみたい』と語った、その状態の太郎さんの「いま・ここ」をそのものとして尊重する。それが、自己決定支援の原点である。無理難題をかなえる、のではない。人間として尊厳のある暮らしを支えるために、「できる一つの方法論」を共に考え合うのが、支援チームの醍醐味なのだ。そして、山本さんの関わる西成の精神障害者コミュニティ支援の現場においては、そんな素敵な支援が展開されているのである。

脱施設化とは、このような「できる一つの方法論」の積み重ねなのだと思う。そして、標準化・規格化された施設や病院の中では「ないこと」や「病状」にされ、消されていた・諦めさせられていた当事者の語りが豊かになり、他の人とは違う、太郎さん、祐さん、淳さん、ゆりさんの大切な物語として語られ直されるプロセスなのだと思う。そして、そのプロセスを豊かにする上で、心理・社会的な援助が豊かに展開され、それが太郎さん、祐さん、淳さん、ゆりさんの「唯一無二性」がそのものとして再度花開いていくのだと思う。

実に良い本を読んだ。

投稿者: 竹端 寛

竹端寛(たけばたひろし) 兵庫県立大学環境人間学部准教授。現場(福祉、地域、学生)とのダイアローグの中からオモロイ何かを模索しようとする、産婆術的触媒と社会学者の兼業。 大阪大学人間科学部、同大学院人間科学研究科博士課程修了。博士(人間科学)。山梨学院大学法学部政治行政学科教授を経て、2018年4月から現職。専門は福祉社会学、社会福祉学。日々のつぶやきは、ツイッターtakebataにて。 コメントもリプライもありませんので、何かあればbataあっとまーくshse.u-hyogo.ac.jpへ。