毒キノコパーティーの夜

松の内の最終日、今日は学校法人の新年会があった。

昨年まで組織に属していない「あぶれもの」だったタケバタにとって、就職以来経験する様々な組織としての儀式に新鮮な驚きを持ちながら参加していた。今日の会もしかり。新年のおめでたい雰囲気で、法人としての一体感や連帯感を育む上で、こういう会が大きな役割を果たしていることを学ばせて頂く機会であった。で、昼からの「おとそ」は大変まわりが早い。帰ってきた時点で、緊張の糸が切れてか、そのままベッドにばたん。夕方まですっかり寝込んでいた。

その後眠りから覚め、今はデトックス料理の準備。何せ正月は食べ過ぎて太っちゃったしね。現在恐ろしや、81キロ・・・(涙)。明日はジムで精出して泳ぎます・・・

デトックスなんてはやりの言葉を使う前から、我が家では濃い食べ物が続いた後は、「毒キノコパーティー」なのだ。実際に毒キノコを食べる訳ではもちろんない。ただ、キノコを薬膳風に山ほど食べて、毒素を体内から出してしまおう、という「毒」素をとる「キノコ」「パーティー」なので、「毒キノコパーティ」なのである。昔新聞の日曜版で中国料理研究家が書いていたのが、3年前の博論で苦しんでいた時期。あのころは、ストレスも毒素もたくさんあったからか!?、月に一度は「毒キノコパーティー」をしていた。そういえば、お金もないのにJR立花駅近くの「高麗飯店」に数ヶ月は一度出かけ、あそこでたらふく焼き肉三昧の翌日は、必ず「毒キノコパーティー」をしてたっけ。山梨の方はよくわからんと思いますが、関西方面の読者の方々、「高麗飯店」はちょっと高めだけれど、本当においしい焼き肉が食べられます。立花は尼崎から神戸よりの次の駅。是非ともお立ち寄りあれ。

ここで気になる!?レシピのご紹介。
1,キノコをとにかくいろんな種類、山盛り用意して、さくさく切って熱湯に放り込む
2,一煮立ちしたらざるにきり、鍋を洗う
3,また熱湯を用意し、今度は鳥の手羽元を放り込み、また一煮立ち。
4,ざるにあげて、鍋にこびりついたアクもあらい、今度は水をいれる
5,その鍋にざるにあげた手羽元と刻んだショウガ、キクラゲや干し椎茸を戻したもの、コショウ粒を適量いれ、40分くらいグラグラ
6,最後に2のざるにとったキノコを入れて、5~10分くらいグラグラ
7,食べる際は黒酢とごま油(ないしラー油)があるとなおよし
8,残ったら翌朝、ご飯を入れておじやにするとおいしい

というレシピを書き終わった頃に、そろそろ煮立ったようです。さて、ただいまから粛々と!?「毒キノコパーティー」をはじめるとしますか。

 

何のための「理想」「価値」?

八王子から甲府に帰る「かいじ号」の中で、ダイナブックくんをパタパタ打っている。

時刻は午後11時。8号車指定席の大半が十代後半とおぼしきうら若き女性陣。みなさん一様に大きいバッグを抱えている。バーゲンにでも出かけたのだろうか、でもその割に大集団だよなぁ、とちらちら観察していると、出てきたのは大きな半円形のうちわ。そこには同じくティーンズ男子の等身大の顔写真が張られている。これはもしや・・・と思いチラチラ観察を続けていると、出てきたのが某アイドルグループ名の入ったパンフレット。なるほど、今日はあのグループがコンサートだったのですね。いやはや、ファンの力は恐るべし、です。今はICレコーダーで「無断録音」した音源を聞き比べておられます。なるほど、隠し撮りも進歩、ですなぁ・・・。

今日はとあるところで春先に行われるある会議に関する打ち合わせ(指示語ばかりですいません)。その後、その会議の主催者であるYさんと喫茶店で議論をしていた。Yさんは団塊世代より十歳若い「団塊の世代に反発した世代」と言っておられたが、この40代後半までの世代は「社会運動としての福祉」というものにリアリティを持っていた世代であり、日本の障害者福祉の支援者として一定の層をなしている。そして、その下の40代前半から30代後半までが、バブル期の世代。ここが人材不足で福祉業界には少なく、その下が「福祉の国家資格化」と「福祉で飯が食えると錯覚!?」した世代で急激に従事者が増える。つまり福祉従事者は世代的に考えると40代後半以後と30代前半未満のふたコブがあるひょうたん型である。

で、このひょうたんの両側では、全く発想が違う。前者の40代以後が「社会運動としての福祉」とすると、後者の30代前半までは、ある種「お仕事としての福祉」であり、そこには「社会運動」「地域変革」「障害者解放と自己解放」といったロジックが希薄な場合が多い(もちろんそうでないケースは両方共にある。燃え尽きてしまって給料泥棒の40代以後と、薄給でも地域支援に必死になる20代30代など)・・・。上の世代からすれば下の世代は「筋金が入っていない」ということになり、下の世代からすると上の世代は「自己犠牲的・滅私奉公的」に映ってしまう。つまり、同じ福祉の世界で働く人間なのに、共感や連携が成り立ちにくい、という構造を抱えているのだ。

これがお商売の世界だったら、こういうズレは生まれにくい。なにせ、「儲け」という単純な指標で計れるし、この「儲け」には思想は入り込んでこないから。ただ、当事者支援というものは、制度政策がどれほど実現したか、という面ではある種の数値化が可能な部分もあるかもしれないが、社会の偏見がどれほどなくなったか、エンパワメントがどのようになされているか、などはある種の理念や思想と不可分なところがある。すると、現状では視座の違いによるズレが出てくるのだ。

ただ、ズレが生じないよう障害者福祉も数量化して考えるべきだ、とは全く思わない。

「戦後の日本では、統計学的手法やコンピュータの発達に支えられて社会現象の数量化(計量化)が急速に普及し、行政や企業経営はじめ各分野で広く利用されてきています。しかし、主として計測手法が依然として幼稚な段階にとどまっていることから、計量的アプローチに頼ることによって、現象の本質が見極められなかったり、時には誤って認識されたりすることさえざらではありません。これには正に要注意です。
 日本の社会科学界で俄然計量的アプローチが盛んになったのは、戦後のアメリカニズムのおかげで、そのためどの分野でも、理系出身の学生が過大評価されて大学研究室に残される比率が一時期高まりました。僕自身も志望先の工学部航空学科が廃止になったためやむなく文系へ転科したポツダム文科生の一人ですが、計量的アプローチに関わって以来、社会現象の本質的価値は、例えば理想とか倫理といった絶対に数量化不可能な部分にあると信じて疑いません。」
野田一夫 2005年12月21日 Rapport-581より)

野田氏が指摘するように、「社会現象の本質的価値は、例えば理想とか倫理といった絶対に数量化不可能な部分にある」とは僕もその通りだと「信じて疑」わない。ただ、ここで指摘したかったのは、その「理想」や「価値」が支援者の嗜好物ではなく、当事者が求める「理想」であり、当事者主体という「価値」に合致するか、が一番に問われるべきである、という点である。視座がズレるのは、誰の「理想」「価値」を守ろうとするのか、が、障害者支援の現場でもバラバラだからではないか、と最近感じ始めているのだ。つまり、視座がズレたりぶれたりしないためには、支援者が自分の思想を投影する訳でもなく、また自己のエゴを当事者に仮託するわけでもない、本当の意味での当事者が求める「理想」や当事者主体という「価値」に合致する支援が求められる。そういった支援というものがどうすれば日本でも出来るのか、を先述のYさんとハイネケンのハーフパイントを頂きながら議論していたのである。(なんだか長い回り道でしたね)

で、落ち着いた結論が大変単純かつ自明な事実。「People first」であり「私たち抜きで私たちのことを何も決めるな」なのだ。逆に言えば、今の日本の障害者支援の現場では、障害当事者がいつもlastにおかれ、障害当事者抜きで障害当事者の現実がほぼすべて決められている、という現実がある。これは障害者に限らず、子育て支援であれ、不登校やニートの問題であれ、広く児童支援であれ、同じ理屈だ。いわゆる「専門家」と称する人々と官僚が、当事者の意見をきちんと聞かずに「対策」をたてるから生じる問題である。もっと言えば、対策を後付的に講じる時点で、事前救済ではなく事後的救済である、という時点で、一歩も二歩も出遅れているのであるが。(その点スウェーデンの福祉は、実際に施設入所してしまった、あるいは社会参加出来ない人への「対策」に力を入れるより、とにかくそういった施設や病院をつぶして、入所施設や社会参加促進の阻害を「予防」することに政策的に力点を置いている、という点で興味深いのであるが。)

つまり、障害当事者の人々が権利意識を持って、地域変革につながっていく、そういう活動が展開し、支援者がそれをどう支えていけるか、という展望が、今の日本においては描きにくい、それは支援者の年代的分断にも起因している部分もあるのではないか・・・と議論はつきないのであった。

実はこの議論はその後、本当は、一般人にすら権利意識の根ざしていない日本における「障害者の権利意識」と欧米でのそれとの違いなども議論していったのだが・・・この権利の問題は相当にやっかいなので、また時間のあるときに考えてみることとする。

お洒落と中身

 

1300キロの旅を終え、甲府の我が家に戻ってきた。

両家の実家+挨拶まわり+両家のお墓参り、という実に真っ当なお正月ツアーをしてきた。しかも昨日の帰路は「Uターンラッシュ」なるものにも見事に巻き込まれる。こういう「絵に描いた餅」のような正当派正月をきっちり過ごしたのは今年が初めてだったのだが、「まんざらでもないな」と感じている自分がいて、びっくり。もしかして、それだけ年を取ってしまった、ということなのでしょうか。

そんな正当派のお正月ツアーの間に、嬉しい「めっけもん」をしてしまった。それは「王様の仕立て屋~サルト・フィニート~」(大河原遁、集英社)

イタリア・ナポリの泥棒市に住む日本人、織部悠は、ナポリの伝説の名仕立て屋が唯一認めた弟子。その織部が作り出す芸術品とも言えるスーツと、それを身にまとう者の人間ドラマが、魅力的に描かれている味わい深いシリーズもののマンガ。もともとイタリアントラッドにひそかな憧れを抱いてた僕は、本屋で出逢った時、全部一挙に買おうか迷った挙げ句、1巻だけにしておいたことが悔やまれる。このブログを書き終わったら、早速探しにいかなきゃ。

で、お洒落と言えば、タケバタの青臭い時代のことを思い出す。

僕は高校生くらいまでは服に全くといって興味がなかった。男子校で彼女なんて言うのも無縁な存在だし、それなら当時凝っていた白黒写真の現像液やらレンズやらを買った方がいいや、とも思っていた。一方で格好良い人への憧れもあることはあったが、「どうせ僕なんて」と自分の不細工加減、特にぽっちゃり体型とたらこ唇などにものすごいコンプレックスを感じ、なるべく地味で目立たない服を所望していた。大学入学時に親とスーツを買いに出かけた際も、ブレザーに合わせる緑のパンツを「こんな派手なのは僕には合わない」と反発していた。

それがうって変わって、派手な色のシャツを好むようになったのは大学生になってから。タケバタ=派手なシャツ、と大学時代の友人にインプットされているくらいだ。その理由は、大学時代から始めた塾講師と関係がある。僕がバイトしていた塾では「ジーパン禁止、スーツ着用」が原則だった。その塾講の現場には、年齢は同い年だけれど、大学には僕より一年先に入った「先輩」のejapomがいた。でも高校が同じだったので、偉そうな僕は彼と「ため口」をきき、以来彼とは10年来の親友である。奴は、すごくおしゃれが上手で、タケバタのほのやかで、しかし諦め気味だったおしゃれ願望に火をつける。その後、塾講やら家庭教師で稼いだ金で、初めて阪急のバーゲンで四つボタンのスーツを買ったのも、ejapomのお導きのおかげである。一応そのスーツは今でも着れている。何とかギリギリ体型維持、である。

で、おしゃれに凝りだした一方で、タケバタは塾の中間管理職と仲が良くなかった。大学1,2年生の頃にその塾の管理職だったT氏からも、折りにつけいびられる。「服が派手だ」「ネクタイがなっていない」「不遜だ」・・・。生意気ざかりだったタケバタは、その塾の経営者であり恩師であるI塾長を心から尊敬していたが、中間管理職のT氏に対しては敬意を抱くことが出来なかった。彼の教え方もいいかもしれないが、僕には僕の教え方があり、それはそれでいいはずだ。あんたにあれこれ指図されたくない。そんな思い上がった考えを持っていた。だから、反発心もあって、絶対オーソドックスな白シャツなんて着ないし、ネクタイも派手にするし、定番スーツなんて着ない、と決めていた。今思い出したのだが、T氏は必ずダブルのスーツに白のカッターだったので、それに対する反発もあって、服装から考え方まで全て反旗を掲げていたのかもしれない。

だが、実は昨年から、白いカッターやら定番のスーツやら、への抵抗がなくなってきた。というより、わざわざ派手なシャツばかりを着て、やかましく自己主張するのが面倒くさくなってきたのだ。別にピンクや派手な格子柄のシャツを着なくても、僕は僕。服でそこまで自己主張しなくても、見てくれる人は見てくれるし、関心を持たない人は持たない。何も服にそこまで「焦る」必要はないのではないか? それよりは、きっちり教育なり論文なりにエネルギーを注いだ方がいいのではないか? そう思うようになったのだ。まあ、法学部ではスーツ姿の先生方が多いので、僕もスーツの方が「目立たない」という効用故もあるのだが、昨年以来、スーツ姿は多いし、プレーンな白や青のシャツも多い。そして、そういうシャツを着だして、「白」や「青」シャツの方が奥が深い、ということもしみじみわかり始めた。そんな時に先述のマンガと出会い、次のフレーズがグッときたのだ。

「化粧は元々自分の中に眠る隠された人格を引き出す宗教儀式から生まれた
 お洒落だって同じ事さ
 特にあの旦那は扉が錆びついて開かなくなった蔵のようなもんだ
 ちょいと油を差して扉を開いてやれば
 あとは三十年間磨き続けたお宝を並べるだけだ」
(「王様の仕立て屋~サルト・フィニート~」p125

着飾る際に、中身の「お宝」を成熟させていれば、つまり引き出す「何か」が隠されていたならば、ファッションによってグッと自分が引き立ってくる。これは逆に言えば、中身や引き出す何かが備わっていない段階で派手に着飾ると、かえって空疎さが増す、ということである。きっとバイト先の上司T氏は、その空疎さを伝えてくれようとしていたのだと、一回りの年月が経ってようやく身にしみてわかる。Tさん、すんません。そのときはあなたに対抗心を燃やすのに必死で、自分の馬鹿さ加減、服装に現れる空疎さにまで頭が回らなかったのです。

もちろん、お洒落が無駄だ、と言っているのではない。その逆で、服の色の派手さや綺麗さ、形に惑わされず、自分が着てみて、自分の雰囲気にフィットする服装でお洒落を楽しめばいいのだ。だから今では、白や青のプレーンシャツで、どれほどお洒落に着こなせるのか、をたまに考えたりする。最近では八ヶ岳のふもとのアウトレットのシャツ屋がお気に入りなので、そこで店主に色々教えてもらいながら、定番カラーのシャツでの年相応の冒険、というものに手を出している。このブログで服のことを書くなんて、書き慣れていないから変な感じだけれど、そうやって自分が好きな服、気持ちのいい服でよりいい仕事が出来るよう、この一年もがんばろう、と年始に何度も誓うタケバタだった。今日で正月休みはおしまい。明日が初仕事です。

抽象と捨象

 

「周囲のどちらへも行ける自由とは、すなわち砂漠の真ん中に取り残された夜のようなもので、つまりそれが、孤独の必要条件でもある。
 だから、自由と孤独は、切り離せない。
 道が一本あれば、行く手は自然にその一つに決まる。選択する機会が失われる。その不自由さに、人は安堵して、歩み続けるだろう。立ち尽くすよりも歩く方が楽だから。
 そして、その歩かされている営みを『意志』だと思い込み、その楽さ加減を、『幸せ』だと錯覚する。」
  (「恋恋蓮歩の演習」(森博嗣、講談社文庫、p11)

自分で決めなければならない、というのは確かに面倒くさい。単純な話で、その責任はまさに自分に起因するからである。誰をなじることも出来ない。なじるのも、なじられるのも自分だからである。こういう状況は確かに自由であるかもしれないけれど、絶対的な孤独がつきまとう。一方で、誰かのせいに出来ることほど楽だし、他責的な自分を「自覚的に選び取った」と信じれば、孤独からも逃れられるし、これほど「幸せ」っぽいことはない。ただ、「手放しの自由」を放棄すればいいだけだ。

僕の前には、幸か不幸か一本の「道」もない。頼れる、あるいは参考に出来るストーリーなりロールモデルなり思想なり先輩なり、がいないのだ。もちろん尊敬すべき先輩や恩師はいる。ただ、偉大すぎたり、自分とベクトルが違ったりして、「この人の歩んだ道を追いたい」というわけにもいかない。その結果、「僕の後に道が出来る」というほど立派なものではないが、ここしばらくずっと、草深き藪の中を鉈を片手に突き進んでいる日々なのである。どこに向かうか、は鉈をふるう僕自身にもわかっていないのであるが・・・。

年始めに親や恩師と話していると、ついつい自分が歩んできた道のりについて、他人の目から回顧する機会に恵まれる。たかだか10年15年ほど前の事でもすっかり忘れている自分がいて、「あのときはこうだったんだよ」と言われて「そんなことでもあったのか」と気づく自分がいたりする。

そんな中、自分の行く末の不確かさに漠たる不安を抱く20歳の若者に出会った。様々な情報に埋もれ、でもその情報を元に一歩を踏み出す勇気や意欲がわいてこず、とりあえず「たんま」の状態で一時休止しているのだ。彼と話しながら、ふと思い出した。そう、僕も「たんま」している頃があったっけ、っと。

「たんま」。未来の不確かさと、自分の自信のなさ、環境との不適応性・・・そういう要素にさいなまれ、一歩踏み出すことに躊躇するがゆえの「小休止」。一本の「道」に突き進んでいく周りの人々に羨望のまなざしを持ちながら、なぜか納得できずにその道に帯同することも出来ず、地団駄踏みながら、同じところを行ったり来たりしていた。

そんな僕が鉈を片手に歩み始めたのはいつ頃からだろう。よく覚えてはいない。しかし、地団駄踏んでも「なんともならん」と気づいた時から、そして「皆が進む道をついて行っても順風満帆ではなさそうだ」とわかってしまった頃から、立ち止まっても付き従ってもしゃあない、と、道なき道を歩き始めたのだ。歩き始めた当初は何度も周囲に不安を漏らし、「孤独だ」とわめき続けていた。しかし、そうやって孤独さを語っている自分が一番孤独である、という単純明白な事実が迫ってきて、ガタガタ言うてもしゃあない、と、諦めたのだ。何かを選んで、何かを諦めた。「抽象とは捨象である」という大塚久雄先生の名言通りである。その「捨象」の重みと痛みを感じながらも、選び取ってきた結果、捨ててしまった結果、30の僕の今があるのだ・・・。

実家に里帰りをしながら、そんなことを考えていた。

あきらめでないで

 

謹賀新年

あけましておめでとうございます。
喧しい新春特番に「相も変わらず」と思いながら、まあこれが日本的正月なのだろうなぁ、と思ってみたり。そんなテレビはつけっぱなしにしておいて、ブログを今年もポツポツ書いてみまひょ。

さて、これもごく当たり前なことなのだが、一年の冒頭に、この一年の抱負を述べる、というのは、未来完了形で物語を構築する上で大切なことだと思う。昨日は年に一度の総決算で、今日は年に一度の予想屋タケバタなのであるが、まあ当たるも八卦当たらぬも八卦、でこの一年の間に考えたいことを少しばかり列挙してみよう。

4者のバランスをうまくとる
4者とは、教育と研究、社会活動にプライベート、である。昨年は教育と社会活動を必死で成り立たせていた。よって、研究とプライベートがおろそかになっていたと思う。土日もなく講演やら勉強会ならで家を空け、パートナーには相当ご迷惑をかけた。すんません。やはり、プライベートが充実してこそ、の教育研究活動。ここをおろそかにしてはいかん、と思う。また、あまり大きな声では言えないのだが、研究に納得いくほど力を注げなかったのも否めない事実。ものごとをまとめるのに充分な時間がなかった、と言い訳をするのも不細工だ。今年は、もうちょっと研究にちゃんとした時間を作って、もう少し4者のバランスをとりたい、と思う。それがないと、自分らしい人生を形作れない・・・。

薄く浅く、よりは濃く深く
薄味の浅漬け、的な関わりは、物事をいいかげんにすませてしまう可能性がある。去年は正直に言うと、この「いいかげんさ」でごまかしていた部分があった。こういういいかげんさは、人に指摘される前に自分から変えておかないと、後でえらい目にあう。ただ、濃く深く関わるためには、時間と期間が必要だ。ということは、必然的に仕事を選び、出来ないことは出来ない、と断る局面も必要になってくる、ということである。まあこれまでは何でもかんでも引き受けすぎのきらいがあったので、これからはじっくり本腰になって、濃く深く、関わりへとシフトできるように、少しずつ自分の仕事の台帳を整理していく必要があるのだろう。

イズムに流されるのではなく
ここしばらく、様々なイズムに流されて、ちょっとしんどい日々が続いていた。この国は、思想史だけではなく、社会福祉においても、様々なイズムが跋扈している。もちろんそのイズムが当事者の豊かな地域自立生活に役に立つのであれば、それはそれでよい。しかし、イズムや他人の自己実現のために犠牲になるのが当事者だとしたら、それはひどい話である。日常を構成する様々な考えの背景にあるイズムに支配されている限り、まっとうな話は通じない。まっとうな議論を構成するためには、その事実の背景に隠されているイズムをあぶり出し、そのイズムとは関係ないところで現実を構成していく必要がある。我々の先輩が社会運動としての福祉を作り上げてきた功績は評価するとして、その背後で積み上げていた運動論的ロジックについて、当事者中心の発想から考えて「おかしいところはおかしい」、とそろそろ引導を渡さなければならない時期にきているような気がする。まあ僕がその引導役になる気はないが、今年はそのイズムを超えた議論を出来るよう、僕自身が勉強していかなければならない、と感じている。

現場主義
→①
を書いていて思うのは、このままいけば僕自身も観念的になる可能性がある、ということだ。現場主義を貫き、耳をそばだて、目を見開き、いろいろな現実にじっくり腰を据えて取り組む必要がある。研究室に閉じこもっていたら、腰砕けになってしまう。今年は現場に腰を落ち着けて、じっくりその現場の声に基づいたストーリーを創り出していかなければだめだ、とつくづく思う。

・・・にもかかわらず、諦めないで
様々な現実にふれると、僕は必ず言われる。「青臭い」「現実は違う」「物事がわかっていない」・・・。何を言われてもよい。でも、現実が理不尽であっても、だから仕方ない、なんて言いたくないのだ。いろいろあるけれど、「にもかからず諦めたくない」という思いは、年々強くなっている。諦めたくなる現実が強く支配すればするほど、諦めたくない、という思いが、どんどん強くなってくるのだ。ある種の意地っぱりなのか、現実を認めないユートピアンなのか。でも、なんと他人にラベリングされようと、現実を諦めずに構築していく必要を、年々強く感じている。ここで諦めて「しゃあない」と言ってしまったら終わりではないか。強く強く、それは感じる。この直感を大切にして、2006年もますます「あなたの夢を 諦めないで」でいこう、と思う。別に岡村孝子のファンではないけれど。

このブログでも、上述の5点をもとに、この一年も無知蒙昧な暴言や妄動記録を書き連ねていく可能性がたこうございます。読者の皆様、どうぞ暖かな気持ちで、見守ってくださいませ。今年もよろしくお願いします。

今年の三大ニュース

年の瀬にあたり、今年の三大ニュースを発表します。

と書きながら、実は結構テンションが低い。なぜってさっき結構長く書いたのに、アップロードの時にへまをして、文章がいっぺんに全部消えてしまった。こういうのって、がっくりきますよね。でも、今から露天温泉に出かけた後に、実家でごちそうと大酒を飲む予定なので、つべこべ言っている暇もない。しかも、どう考えても新年までにパソコンに向かう時間もなさそう。なので、泣く泣く!?、さっきの一〇分の一くらいの分量で、今年の三大ニュースのご報告をしておきます。

山梨への引っ越し
もちろんこれが最大ニュース。非常勤から常勤へ、人間科学部・福祉学科系統から法学部政治行政学科へ、西宮から甲府へ・・・様々な移動があった。たくさんの発見や気づき、もがき、がないまぜになった9ヶ月間だった。しかし、本当に住めば都、とはこのことで、山梨の食べ物やワインも堪能し、法学部でいろんな先生方からたくさんの刺激をいただき、一年目からこの状況を大きく楽しめている。もちろん、学生さんとの真剣勝負も実におもしろい。来年は腰を落ち着けてもう少しじっくり仕事をしたい、と願っているのだが・・・。

アクセラ号との出会い
なんせ、このアクセラ号は本当に乗り心地がよい。甲府に引っ越す折りはスターレットさんに荷物も山積みしながら中央道を走っていたが、今回は逆の道をアクセラ号で疾駆する。高速走行の安定感と馬力の良さにほれぼれしながら、昨日は夜中の中央道を突っ走っていた。実に気持ちよい。もともとずっとトヨタの中古車に乗り続けてきたのだが、初ボーナスをいただいて、「せっかくだから新車を買いたい」という欲望がもたげてきたのだ。で、カローラフィールダーとアクセラで迷ったのだが、アクセラ号のあまりの馬力の良さと魅力的デザインの虜になって、生まれて初めてマツダの車に乗っている。

ノーマライゼーションについて考える
障害者自立支援法を巡って、昨年10月から厚労省は山ほど資料を出してきた。僕もその一部をプリントアウトしただけで段ボール箱二箱分になる。今年はこの自立支援法関連で講演もあちこちでさせて頂いた。この自立支援法の厚労省資料を眺め続けていて、90年代にずっと言われていたある言葉がすっかり抜け落ちていることを一部識者は指摘している。それが「ノーマライゼーション」についてである。

ノーマライゼーションは、スウェーデンではお題目の思想ではない。障害を持った人もふつうの人と同等の生活が出来るように、所得保障や住宅・日中活動の提供を実態的に保証する、ということを法律に明記している。そして、その法律に基づいてお金も人も社会資源も構築されている。つまりノーマライゼーション思想が制度政策、そして現場へと降りていく、上からのノーマライゼーションの実体化が30年くらいかかって展開されてきたのだ。

一方日本では、厚労省は90年代に国の政策として「障害者プラン-ノーマライゼーション7カ年戦略ー」なるものに取り入れられることもあったが、結局スウェーデンレベルの所得保障や地域移行を果たす前に、既に公的文章から消えてしまった。僕はこれをもって日本のノーマライゼーションが完了した、なんてとうてい思っていないし、多くの障害関係者も思っていない。

ただ、では日本では全くその動きがなかったのか、というと、その逆だ。博論で調べていて感じたのだが、日本では現場レベルの、下からのノーマライゼーションが各地で展開されている。国の政策が「頼りない」から、地域福祉を実体化するために、各地で当事者・支援者・家族・行政の垣根を越えた、地域変革の動きが各地で様々に行われてきた。そして、それを制度が後追いする、というのは、富山の託老所「この指とーまれ」から富山方式なる言葉ができ、それが小規模多機能方式として介護保険や自立支援法に取り入れられたことからも明らかだ。

で、今年考えていたのは、「では自立支援法が施行された後、日本なりの下からのノーマライゼーションを実現するためにはどうすればよいのか?」ということ。様々な地域で話をさせて頂いた時も、いつもこの点についてはふれていた。「地域自立支援協議会」といった自立支援法の枠組みは、うまく使うと「下からのノーマライゼーション」の具現化、となることも、あるミニコミでも書かせて頂いた。また山梨でも微力ながら、そのお手伝いが出来ないか、と動き始めている。来年も、この活動が花開き、山梨からのノーマライゼーションの発信、につながれば、と夢見ていたりもする。

というわけで、この一年は、仕事にも、プライベートにも激動の一年でした。で、来年の目標は、というと・・・、今から露天風呂にでもつかって考えてきます。あ、そうそう、このスルメブログ開設も、今年の大きなニュースの一つ。この数ヶ月、ブログをお読み頂きありがとうございました。来年もどうぞよろしくお願いします。

煤払いな日々

ようやくあれこれと念願の煤払いの日々である。

昨日は住所録の整理と年賀状の印刷、それに来月に向けた仕事の整理にあけくれていた。引っ越しとデスクトップパソコン、ノートパソコンの相次ぐクラッシュのおかげで、バックアップデータはとっておいたものの、住所録構築などあれこれすることがたまっていた。特にこの年の瀬は実家に帰るので、年賀状の準備はこっちにいる間に完了しなければならない。例年は紅白でもみながら、の年賀状作業だったのだが、そうはいかない。山梨に引っ越してきて以来、一本電車を逃すと二時間(下手したら一晩)待ち、という状態なので、何かとギリギリではなく早め早め、とシフトしてきた。よい傾向である。「夏休みの宿題を9月に入ってからやる」というのは、無責任な学生の間は許されたが、今それをすると、各方面に甚大なご迷惑をかける。30にしてそういう事にもようやく気づいているんだから、何だかなぁ、である。

そういえば、こないだ恩師の先生から電話がかかってきた際も、「タケバタも少しは大人になったね」と言われた。「生きるためのお金稼ぎ」に必死であった時代は、とにかく余裕がなく、仕事の質も雑で、自分の事に精一杯で、周りをじっくりみるなんてことはとっても出来なかった。そして、そういう雑な仕事がますます自分の首を絞めて・・・という悪循環に陥っていることも気づかずにいた。それが山梨の豊かで落ち着いた環境の中で、ようやくこのサイクルに気づくことが出来、それとともにそこから少しずつ抜け出せつつあるようだ。本当にありがたい限り。それでも今年は各方面にご迷惑をかけることが多かった。来年は、もう少しきっちりと、早め早めでやらねば、と年賀状を書きながら感じていた。

で、今日はその年賀状書きとおうちの片づけ。パートナーは今日まで仕事、なので、送り出した後、ガソリンを入れ、おみやげの桔梗餅とトマトとキュウイなども買い込む。いつもの豊玉園のおばあさんに良いトマトを詰めてもらった。先述の恩師のところに2日に出かける予定なので、以前送って喜んで頂いたトマトを持参しよう、という考えである。ここのトマトは、本気の青い味がして、大好評。ついでにキュウイもすごく甘くておいしい。トマトのハウス栽培で一緒に育てている、とのこと。こっちは実家に持って行こう、とついでに買ってみた。

そして念願の我が家のパソコン間のデータ共有。デスクトップに入っているメールとマイドキュメントデータを、以前クラッシュしてデータが飛んでしまったダイナブックくんに移植する作業だ。これをしたくて外付けハードディスクを買う算段も出来ていたのだが、何しろここ数ヶ月は死ぬほど忙しくて、年末まで放ったらかしであった。その間にダイナブックくんの電源もどっかに行ってしまっていたため、今日はまずアダプター探しに小一時間ほど奔走する。大学にあるかも、と探しにまで行きかけたが、灯台もと暗し。居間の陰にこっそり隠れていらっしゃった。まるで横山やすしの「めがね」じゃないれど、一番目につくところに忘れてあったのだ。これも今年後半のバタバタゆえである。

ついでに言うと、その昔は、恥ずかしいことに「バタバタする」ということが僕の代名詞というか、それがちょっとかっこよい、なんて錯覚していた。もちろん今はさにあらず。バタバタと予定を無駄に詰めていると、本当にしなければならないことは出来ず、締め切りもきちんと守れず、挙げ句の果てに仕事の内容の質が落ちる、という最悪の結果を招きかねない。ここ数ヶ月、そういう状態が続いていて、先日、別の恩師からも「それではバランスに欠いている」と厳しいご指摘を受ける。そうなんです。バタバタとしていると、
仕事をしている「ふり」は出来るけれど、研究・教育・社会活動・それにプライベートの四者のバランスが総崩れしてしまうのだ。これではまっとうな仕事に結びつかない。危ない、あぶない。

というわけで、年末はお部屋の煤払いだけでなく、頭の中の煤払いまでやっていた。

モードの切り替え

22日で今年の授業はとりあえず終わった。
まだ来年二回ほどあるけれど、峠をようやく越した、という感じである。

ブログをご覧頂いているチャーミングなMさんから、「お忙しくて返信の余地もないでしょうから・・・」などと暖かい言葉をかけて頂いたが、Mさん、すんません、確かに忙しかったのですが、23日からは久しぶりに遊んでいます。

23日は大学時代からの親友が甲府まで遊びに来たのでおもてなし。彼は私たちがスウェーデンに暮らしていた二年前の冬も、わざわざ高いチケットを買って遊びに来てくれて、妻と三人で北極圏のイエリバーレでオーロラを眺めながら正月を過ごした親友である。あのときは仕事し過ぎで死にそうな顔をしておられたが、今回は顔がましになっていた。プライベートも充実してきた、とのこと。そう、やはり余暇や文化活動が豊かであってこそ、の人間らしさ、なのです。

この「人間らしい」暮らしは、スウェーデンに暮らしている時に、ホントに思い知らされた。なんせ向こうでは、普通のお宅でもソファーやライトなどの室内インテリアにかなりのお金をかけている。僕がご厄介になったEさんのお宅でも、ソファーは本当に豪華な革張りだった。11月から3月にかけて、日照時間が短い冬には、おうちの中でゆったり過ごす時間が長くなる。そのときに、座るものやそこを照らす光にお金をかける、というのは、豊かな時間を作り出す上で、必須のことだ。土日もなく走り回っていたこの3ヶ月のタケバタなんぞは、豊かな時間とは真逆の姿。いかん、いかん。

で、友と出かけたのは、まずは「ほったらかし温泉」。この日は澄んだ青空で雪の富士山を眺めながらの朝風呂は最高だった。その後、もっと富士山を近くで見ようと、河口湖まで出かける。この春妻と出かけた湖畔の大石茶屋でほうとうを食す。なんとお昼前だったのでまだ客が少なく、富士山が真正面に見える縁側の席を陣取る。雄大な富士山を真正面に眺め、私はお茶を、友はビールをちびりちびり。すてきなお昼だ。でその後、精進湖ラインを通って道の駅で野菜を買い込み、続いてはいそべ酒店でワインを買い込み、大学へ。今晩はシチューにしよう、と決めたので、いそべさんのところでキザンワインと勝沼酒造のワインを買う。この両方とも超ヒット。2本はあっという間になくなり、贈答用に買った一本まで開けてしまった・・・。で、大学近くの鳥一で美味しい地鶏を買おうと思って立ち寄ると、皆さん大変忙しそう。何だろう、と思っていると、24日のイブの為に、鳥の丸焼きをせっせと作ってらっしゃったのだ。スウェーデンでもスーパーで売ってたよなぁ、と思うと懐かしく、丸焼きとシチュー用のお肉を両方買い求める。これで準備はバッチリだ。

その後、帰ってシチューを作り始めながら、宴はスタート。奥さまも所用があったのだが、せっかくだから、とそれをキャンセルされてご参加。イエテボリの年末から二年経ち、お互いの境遇の異同をポツポツ語りあっているうちにドップリ夜も更けた。そして、彼は夜10時の夜行バスで帰路につかれた。やはり友はいいもんだ、としみじみ感じたイブイブであった。

さて日付はかわって24日。この日は初スキーである。「年内に一度は行きたい」というパートナーの強い希望もあり、日程的にこの日を逃すと、という状態だったので、少し酒ものこってしんどいけれど、白樺湖方面へ車を走らせる。ここしばらくの寒波で、白樺湖近くから一面の銀世界。スタッドレスタイヤをはいてつくづくよかった、と思いながら、ズンズン進んでいく。目的地の車山高原はパウダースノーの良い雪質だった。ボーゲン隊のひろしくんも大満足の、コースの多さと景色の良さ。次は朝から来ないとね、といいながら、半日みっちり初滑り、である。帰りがけに「河童の湯」にも浸かって疲れもとり、我が家ではイブイブに買った鳥一の丸焼きと、以前買い求めた美味しいシャンパンで、イブの夜に感謝しながら、じっくり飲んだ。ここ最近の忙しさや緊張感など様々なものが解けていくような、気持ちの良い「酔い」に包まれていった・・・。

真面目も休み休みに

「先生、むっとしないで、もっと授業中笑った方がいいよ」

わかれ際、ある学生さんに言われた一言がずしんときた。
授業で色々伝えようと必死なのだが、「必死さは伝わってくるけど、むっとしているように見えるから、みんなもいやになってくる」そうな。もっと僕が笑顔になれば、みんなにもそれは伝わる。でも、僕は授業の中で笑っていない・・・。そりゃあ、聞く方だったら、笑いのない伝え手の話なんて聞きたかないよなぁ・・・。うまく伝わらないのは、聞き手の問題ではなく、僕自身の「余裕のなさ」にあったのか・・・。まさに目から鱗、であった。

一年目の授業は、本当に色々越えねばならない山あり谷あり、だった。特に「笑っていない」その授業は、僕にとってやったことのないジャンルの授業であり、本当に試行錯誤の連続だった。こなすべき課題があり、伝えたいこともあり、でも学生さんが求めることもイメージしにくく・・・そういう中で、力が入るもののこっちの想いが伝わりにくい、そういうジレンマを感じていた。気づいたら「ワイワイがやがや」の授業ではなく、ピシッと何かを終わらせる事に力を入れていた。学生のエンパワメントを指向しながら、やっている実際はあるレールに無理矢理はめ込もうとしていただけだ。そりゃあ、学生さん達は腹立つし面白くないし、納得出来ないに決まっている。「真面目も休み休み」でなければ、疲れるのだ。それを僕は1コマ中ずっと真面目さを学生に求める。彼ら彼女らがtoo muchと思う気持ちも、逆の立場だったら本当によくわかる。

今日は一応の一区切りを伝えるために、いろんなメッセージを伝えようとしたのだけれど、あんまり伝わらず、授業後に落ち込んでいた。でも何とか来年度に向けて変えるきっかけがほしくて、残っていた二人の学生さんに聞いてみたところ、親切にも彼女たちは色々本音を教えてくれた。僕が「『自分の頭で考える』ということをしてほしくって、こういうことをしてきた」というと、「それを先に伝えてから、今日のワークのようなものもしてくれたら、もっと色々書ける」と。説明を先にしてくれて、それを実践させてくれたら、自分たちもやりようがある。でもタケバタのこれまでのその授業の中身は、説明が後回しなので、やっている時には「何のためにやるのか」がよくわからない。なので、書きたいことも「人に知られたくないから」「目的がはっきりしないから」書けないのだ、と。なるへそ。僕自身は先に説明を聞かされると、「種明かし」されるようで、最初は答えを見ずにやりたいタイプだが、先に「種明かし」された方がやる気がでてくる人も少なくないのだ。本当にたくさんのことを学ばせてもらった。

そして、件の「笑ってない」。じゃあね、と言って別々の方向に向かい始めた時に、本当に彼女が思っていることを教えてくれた。たぶん「こんなことを言ったら・・・」と学生として教員になかなか言えなかったことを、別れ際に思い切って言ってくださったのだ。よくぞ!です。大感謝。来年度の授業の課題は山ほどあるけれど、今日気づかされた「ワイワイがやがや」「笑いをまじえながら本質を伝える」「真面目も休み休みに」・・・については優先順位上位にエントリーしておこう。何はともあれ、今年の問題は今年のうちに気づかせてもらって、ほんとによかった。

パッチ隊の冬

とうとうはいてしまいました。パッチを。

そう同僚に切り出したのだが、「パッチって何ですか?」と問われる。あれって関西弁だっけ、と思いながら、股引です、と答えると、「ああ、ババシャツの男版ですね」とのお答え。そうです。甲府の冬は本当に寒くって、薄っぺらいスーツの下にはこういう股引でもないと、もうやってられない季節になってきた。それを二年のゼミで「告白」すると、「俺もっすよ」とばかり、ジーンズの下にあるジャージを学生さんは見せてくれた。老若男女、甲府は皆、パッチ隊なのである。

明日で授業は一応年内は終わり。しかも年明けも二週間授業期間の後、テスト。そう書けば、実に楽そうに見えるが、全然楽ではない。今日、教授会の後にスケジュール管理をしていて、顔が段々悲壮になってきた。なぜって、1月末の研究会までに、全面的に書き直し報告書1本+全く手つかず報告書1本、が待っている。しかも、家に帰ってみたら、1月末〆切で別のレポートの依頼が届いていた。そういえば、それに関連した、よその報告書の〆切も1月末・・・。死にそうだ、やばい。年末は30日から妻と僕の実家に帰省することを考えると、29日までみっちり働いて、年始も5日あたりからフル稼働しないと間に合わない。しかも、前回の研究会でのコメントは相当厳しいものがあり、まあどう書き直さなければいけないか、という方向性は定まったが、一から書き直すように相当手を入れなければならない。これはのんびり一息つくのは年度末までお預けだ。でも年度末にはせっかくだから海外に調査もいきたよなぁ・・・。などと考えていると、結局自分の首を絞めるようで恐ろしい限りだ。

そうなってくると、以前にも書いたが、いよいよ「自分へのアポイントメント」が大切になってくる。今日は学内で研究会があったのだが、発表された先生も、コメントを寄せられた先生方も、皆さん僕より遙かにお忙しいはずなのに実にエッジの効いた刺激的発表および議論が展開されていた。こういう場に最近真面目に足を運んでいなかったタケバタとしては議論について行くのに必死になりながら、「こういう勉強のために自分がどれほど時間的・密度的アポイントメントを取っているのか」について反省することしきりだった。

誰しも「忙しい」。でも、その中でもこういう濃度の高い「お仕事」をキリッとこなす先生方と、とにかく目の前の事を追いかけているうちに忙殺されるタケバタ。超有名なコヴィーの「7つの習慣」の中に出てくる時間管理の4つのマトリックス(緊急度と重要度の大小で4つに分類する)で言うならば、「緊急度大+重要度大」のものばかりになっていて、「緊急度小だけれど重要度大」という部分が出来ていない。コヴィーが言うように、「緊急度大で重要度大」というのは、単に〆切が迫ったものが多く、時間管理や優先順位決定が適切になされて、空き時間に早めにこなしていたら、その課題に振り回されなくていいことが多い。そして、それらの〆切が迫ったものの陰でついつい後回しになる「緊急度は小さいが自分の手がける仕事として重要度が高いもの」(タケバタで言えば研究のインプットとアウトプット)にどれだけ時間的リソースを分配できるか、でその人の将来の成果が変わってくる。ならば、ちゃんとそういう「緊急度小で重要度大」のものにどれだけ意図的に時間を振り分けられるか、それを自分へのアポイントメントとして確保しておかないとまずい、そういうことなのだ。やれやれ、説明できるのに実行していないや。情けない。

というわけで、この冬は、真面目に仕事場に出かけ、コリコリ報告書作成にいそしもう、という思います。忘れていたけど、1月末は、7割くらい書いて放ったらかしてある別の報告書の〆切でもあった。ああ、こりゃ、ほんと死ぬね。しかも教員としてはセンター試験のお仕事もあったっけ。何かと来月にかけて忙しい。風邪を引かないようにパッチをはいて、パッチ隊タケバタの冬は「お仕事の冬」になりそうだ。