6/10の魅力

先日あるミュージシャンとお会いした折、彼の新作に関してこんなことを伺った。

「ある人に言われて、今回のアルバムでは、6割のエネルギーで歌ってみた。4割は聞く側の想像する余地を残しておきなさいよ、って。今まで10割の力を出し切って歌っていたのだけれど、そうやって聞く側にゆだねる部分も作っておいた方がいいって、僕も歌ってみて気づいた。」

確かに今日、学習会に行く車中でそのCDを聞いてみたのだが、以前と違って大変リラックスした声質。もちろん決して手抜きをされている訳でもなく、歌詞の内容は相変わらず鋭いブルースだ。でも、どことなくほんわかしていて、聞いていてスッと心に届いてくる。彼の歌声は以前から好きなのだが、そういわれてみれば、前作までは150キロのストレート直球がズバンと飛び込んでくるようなエネルギーで、正直こちらも聞くときを選ぶ、そんな感じだった。でも、今回のミニアルバムは、車の中でもほんわか聴けるのだけれど、しかし彼の伝えたいメッセージは変わらずびしばし伝わってくる一作。まさに彼の意図や想いがドンピシャと当たった、いい作品に仕上がっていた。

で、実はその後、そのミュージシャンと同じ様な経験を僕もした。

もちろん歌ったわけではありません。今日も自立支援法の学習会に呼ばれたのだが、今日の会場には聴覚障害の方も多数来られておられ、そして手話通訳の方も来ておられた。前回別の会場でお話しした折も手話通訳して頂いた方で、「今回はもう少しゆっくり話してください」と言われていた。そう、タケバタは話し始めるとエンジンがかかり、ついつい早口でまくし立てる傾向があるのだ。先週金曜日の夜など、奈良で小規模な学習会で社会保障改革と自立支援法について話しているうち、講演だけで2時間+やり取りであっと言う間に3時間半。そりゃしゃべりすぎやろう、というくらい、まくし立てていた。今回は全体で2時間、うち質疑応答が30分、しかも手話通訳の方が対応出来るように、いつもよりスピードを落とさなければならない。さて、どうしよう、と思いながら、話をはじめた。

で、今回の参加者の方々は以前に県の担当者から大まかな説明は聞いている、ということなので、レジュメからはずれて、いっそのこと主催者から要望のあった「今から出来ること」に的を絞って話をしよう、と腹をくくった。最初はゆっくり話すので、再生の回転数を遅くしたような歯がゆさがあったが、このスピードなら大丈夫、と手話通訳の方に言われ、そのスピードでストーリーを組み立てていく。当然、いつも90分で話す内容から4割くらい削らないと、このスピードでは回りきらない。なので、もうバッサリ切る部分は切って、中身を絞って、「4月までに出来ること」「ここ数年で考えておくこと」の部分を重点的にお話させて頂く。地域生活支援事業、障害程度区分認定審査会、地域自立支援協議会、そして障害福祉計画・・・これら市町村が独自の対応が出来る問題について、障害当事者や支援者・家族の声がどの程度反映されるのか、を皆さん自身が主体的に行政側に提案していかなければ、という部分に3分の1くらいエネルギーを裂いてみた。

講演と質疑応答が終わった後、手話通訳の方から、「前回よりかなりわかりやすかった」とお褒めの言葉を頂く。「前回はあれもこれも、とてんこ盛り過ぎてにもわかりにくかったところがあったが、今回はよく理解できた」、とのこと。なるほど、僕自身はもちろん話の内容は全力投球で、手を抜いていないのだが、10割の全速力のスピードでぶっ飛ばして話し続けるより、こうやって焦点を絞って、言いたい全体像の6割くらいに焦点化してお話した方が、伝わるときもあるのだ。いい勉強になった。

大学の授業においても、10の内容を全速力で伝えると、うまく伝わらない事がある。早すぎてわかんなかった、と。逆に、6に焦点を絞って、それについてご自身の頭で考える時間をもうけながら議論を展開すると、深まりがある、と評価されることもある。授業でも講演でも、10分の6にどう凝縮するのか、がもしかしたら、今のタケバタのキーワードかも、と思った。4の部分を、聞く側が考えたり、感じたり、そういう部分があるからこそ、「わかった」「なるほど」「そういわれて見ると・・・」と言う、自分の中での反芻へと繋がるのだ。そういう意味で、聞き手本意の話に組み立てていくためのヒントを得られた、そんな一日だった。

情報公開の効用

「情報公開」なるものに最近ご縁がある。

秋深い奈良で、精神保健福祉の情報公開、というタイトルでの講演会でコーディネーターをさせてもらった。密室性や情報の非対称性が問題となる精神保健福祉の世界において、どのように情報公開が役に立つか、というシンポジウム。シンポジストの皆さんの話が面白くて、引き込まれているうちに、あっという間に終わってしまった。

で、いつものように付け焼き刃のにわか勉強で臨むタケバタ。当日朝の電車内で、とりあえず情報公開の論点について5W1Hの形で図にまとめ、それを口頭でペラペラしゃべったのだけれど、案外うまくいった。でも、当日配布したレジュメには記載していなかったので、改めて奈良のミニコミ誌の新年号にこの原稿を書かせて頂く。書いてみて、いい加減にしゃべるのとは違い、活字化することの大変さを改めて身にしみて感じる。いやはや、精進が足りませんなぁ・・・。

で、情報公開、といえば、例えば精神病院に関して言うと、情報公開に非協力的なところほど、一般的に言って、アヤシイ。閉鎖病棟や保護室にまで外部の人間を絶対入れない、面会に出かけても病室ではなく面会室で看護人監視の元で面会する、精神医療審査会への訴え件数が極端に少ない、病院が自主的に公表する情報が極端に少ない・・・これらの内容は、その病院の情報公開に対する非協力的態度を物語っている。そして、そういう非協力的態度をとる病院の中には、問題を隠蔽しよう、という方向性で考えている病院も、一部あるのだ。つまり単純に言えば、自分にやましい部分、隠したい部分があるほど、人間は情報を非公開にしたがるのである。

では、タケバタにはやましき部分はないのか? いえ、あります。
今まで情報「非公開」にしてきたけれど、今回敢えて!公表します。

実は僕・・・デブなんです。相当やばい!

そんなん見たらわかるよ、と言われるかもしれない。でも何よりショックだったこと。それは先月に大学の健康診断を受けた結果が一昨日帰ってきたのだが、中性脂肪やコレステロール値だけが堂々の「D(=要改善)」ランクだった!! 運動不足でこのまま行くと脳梗塞などの二次災害に結びつくのだそうな。僕自身、基本的にはオープンマインドなのだけれど、これまで体重情報だけはひた隠しにしてきた。なぜって、一番知られたくないし、気にしているし、でも変わらないデータだ、と思いこんで悲観的になっていたから。

しかし、精神病院でも、知られたくない、気になる、でも変わらないデータを持っている所ほど、公開しないんだよね。隔離拘束の日数や平均在院日数など。だって、それがあんまり良くない事だと知っていて、しかし自分だけの手ではうまく変えることが出来ない、と信じきっているから。しかし、本当に物事を変えたい、と思うなら、そういう「自分にとって都合の悪い情報」も含めて公開し、こういう事実経過があって、現状はこうで、変えるためには、こういう努力が必要だし、私たちは現状においてもこの程度変えてきました、という形での公開が必要だ。実際にこれを実践している精神病院もあるけれど、これは病院に限ったことではなく、オープンマインディッドな人ならば、自分の弱点も含めて公開している。そして一般的に私たちは、そういうオープンマインディッドな人や組織に対しての方が、そうでない場合より信頼を置く。

・・・というわけで、一応これでもオープンマインディッドなつもりのタケバタは、他人を批判するだけでなく、自分の中で、「悪い」けど「うまく変えられない」データについては、自主的公開をすすめて、衆人環視の中で変えていくしかない、そう思うことにしました。

正直に体重を告白します。さっき計ったら82キロまでありました!きょ、きょえー。この夏には77キロまで落ちたのに、また増えたよ! まあ今、ご飯を食べ終わったところだったので、実際には80キロ、かな(希望的観測)。でも、身長が170センチなので、実際には63キロくらいが、標準体重と言われている。ということは、そこから20キロ弱、重い!! わかってはいるんだけれど、ついつい食べちゃうんだよねぇ。でも、あと10キロは何とか減らさないと、早死にしちゃうよ・・・。

今後このブログでは適宜、自分自身の一番知られたくない話題(=体重情報)に関する情報開示を、情報公開請求をされずとも(誰もしないと思うけど)、勝手にすすめていくつもりであります。そこで皆様にもお願い。これをお読みになられた方は、どなたであっても、どうぞご遠慮なさらずにタケバタに「最近何キロ?」とお声かけください。情報公開をすすめ、一番知られたくない、気にしている、変わらないと信じ込んでいるデータをこそ皆様の前につまびらかにして、その現状認識から改善の第一歩がはじまる。精神病院にしてもタケバタの体重にしても、本質は同じだと思っています。この積極的情報公開で、せめて70キロ代前半まで回復したらいいのだけれど・・・。このまま行くと、スーツがアウトになるすれすれなのです。何とか、生活を立て直すためにも、1年でせめて75キロを切るところまで行きたい、これがタケバタの願いでもあります。

あとは、よく噛んで食べて、週に二回のジム、これも公約に入れておきます。

己が業、とは?

あなたのこの書き物には、この視点が欠落しているのではないか?

研究会の席で、主催された方から本質的な問いをいただいた。
というか、僕が発表を終え、その方の顔を見た瞬間、この指摘を受けることが直感的にわかってしまった。そう、まさにその点が足りないし、それがなければ本質的欠陥なのです・・・イテテ。そして、その方は口には出して仰らなかったが、メタメッセージとして次のようなご助言も賜った。「タケバタ君、こだわるべきところでこだわらず、肩肘張らなくていいところで力んでない? ものの本質を見誤っちゃあ、おしまいだよ!」 その言外のメッセージに、自分の至らなさを深く恥じ入るとともに、でもどこかでちょっと楽になった自分がいた。

ここ数年、仕事が加速度的に忙しくなり、でも見えてくるもの・出来うるものも少しずつ拡大する中で、変に肩肘を張っている自分がいた。端的に言えば何にでも口を挟む「やかましい」自分がいた。それはそれで一つのキャラだ、と言われたらそれまでなのだが、でもその一方、この「やかましさ」の中にあるある種の虚勢や力みに対するやんわりとした批判も仲間から寄せられていた。また、自分自身でもそういう作為的な「やかましさ」への疑問符や疚しさも、ここしばらく自分の中に去来していた。

僕は何に向かって、どうしようというのだろう? なぜそんなに力んで、わあわあ言っているのだろう? もっと焦らず、自分が本当に思っていることだけを、話したいスピード・声音で話せばいいじゃないか。気張るなよ。そう思い始めていた矢先の今日だったので、当惑や落ち込みもあるが、むしろ憑きものが取れた気分だったのだ。あんまりあれこれしゃしゃり出ずに、「己が業にいそしみ」なさいよ、と。では、僕にとっての「己が業」とは何なのだろうか?

ここのところは、まだきちんと整理しきれていない。だが、明らかに言えることは、今自分の中で中途半端な正義感や使命感から背負っている(つもりの)もののうち、ちゃんと返すべきところがあるものについては、きっちりその役割と責任をお返しすべきである、ということだ。また、僕ではない他の立場の方が本来の意味で責任をとるべきなのに、もし現状がそうなっていないなら、そうなるような環境整備をすることこそが、僕自身の「己が業」である。まかり間違っても、「○○の代わりに」とか、「僕がやらずに誰がやるだろうか」といった不遜な気負いは、本来責任をとるべき役割の方々に対する越権行為であり、冒とくでもある。この部分をわきまえずに、いらん一歩を踏み込むことはまさに、百害あって一理なし、なのだ。

ということは、研究者の立場にもあるタケバタが当座すべきことは、(本来不必要なのに)わざわざいろんなものを「背負い込む」ことではなく、責務ある人がその責務に気づいていないならそれをお知らせし、果たしたい責任を十全に果たせる環境にない人がいれば、その環境構築のお手伝いをし、果たさなくてもよい人が越権行為としてしゃしゃり出ているの目撃したならば、その退場を勧告する。そういう産婆さんの役割なのだろう。これなら、僕にでも出来そうだ。

今日の指摘は、正直心にグサリとささった。今でもイテテ、というヒリヒリ感が残っている。でもこういう本気の投げかけをしてもらえることは、年をとればとるほど、なくなっていく。ならば、この痛みを気づきの一歩、変革への一歩とするためにも、師走から年明けにかけて、来年の構想を練るなかでじっくりと噛みしめていこう、と思う。返すべきところに返しなさい。これが来年のキーワードになるかも、だ。

師匠と弟子

我が師匠、大熊一夫さんがホームページをお作りになられた。
http://orso.05.to/
早速拝読させて頂く。やはり師匠はすごい、と朝から唸ってしまった。

大学を定年退官され、現在は八ヶ岳の麓でピザ釜を作り、フリージャーナリストも続けておられる師匠だが、そのHPの内容は実に濃縮度が高い(なぜピザ釜か、は直接HPをご覧下さい)。特に、ナチスの障害者安楽死計画に関する話や、スウェーデンにおける内部告発物語など、魅力的な内容が詰まっている。それらを読み進める中で、改めて自分がどれほど多くのことを師匠から学ばせて頂いたか、とういことをつくづくかみしめていた。

大熊さんに出逢ったのは、もうかれこれ7,8年前。大学院に入るときに、教授として着任されたのが出会いだった。「先生」と呼ばれることが何より嫌いだった師匠なので、いつも僕は気安く「大熊さん」「一夫さん」と慣れ慣れしくも呼ばせて頂いていた。当時大熊さんについた大学院生は二人だけで、しかも博士課程に残ったのは僕だけだったので、まさに師匠には手取り足取り教えて頂いた。日本全国、あちこち師匠にくっついて出かけ、師匠が取材される様子を直に見せて頂いたこともあれば、へたくそな私の文章を真っ赤になるまで手をいれて下さったこともあった。初めて北欧に出かけたのも、師匠が「日本の現実だけではわからない」からと、連れて行って下さったのがご縁だ。あと、美味しい手料理も、北欧滞在中のアパートだけでなく、大阪や長野で何度も頂いた。そう、師匠にはお世話になりっぱなし、なのである。

「文章は省略と誇張だ」「いい加減なことを書いてはいけない」「わからないことをわかったふりしない」「自分の頭できちんとものを考えて言わなければならない」・・・

これらのごく当たり前の、でもなかなか実践するのは難しいこれらのことを、大学院生の間に僕にたたき込んでくださったのも師匠だ。これらの珠玉の言葉にも、どれだけ僕は救われたか。なんせ、師匠に出逢う前は、師匠に言われたこととは反対の、「ダラダラした文章」「いい加減な内容」「知ったかぶり」「人の受け売り」・・・が僕の中に多分に見られた。今もまだ一杯あるだろうけれど、でも以前より少しは「自分の頭で考え」て、「わからないこと」に謙虚になって、文章に多少は気をつけるようになったとすれば、それは師匠のおかげ以外の何物でもない。

そして今、大学で授業やゼミをしている際も、やはりそのテーマの扱い方や切り口については、師匠に教えて頂いた視点が息づいている。先週の地域福祉論の授業では障害者の地域生活支援センター建設に関する周辺住民の反対運動について取り上げたが、その延長線上には、障害者への差別・偏見、そして障害者の虐殺・・・といった問題が横たわっている。来週以後、その問題を取り上げなきゃ、と思っていた矢先に、師匠のHPを見て、得心。このナチによる障害者虐殺問題について、今から30年以上前に書かれた不朽の名作、「ルポ・精神病棟」からずっと追い続けてこられたのも、師匠だったのだ。だから、僕がそういう授業展開の回路になるのは、僕のオリジナルでも何でもなく、師匠に教わった通りの経路を辿っているだけ、なのだ。

師匠、不肖の弟子は、何とか大学でヨチヨチ歩きをしております。いつの日か、「タケバタ君の文章は、まだまだヘタだけど、少しは読める内容になってきたね」とお声をかけて頂く日が来ると信じて、日々、精進なのであります。さ、今日もガンバろっと。

タコツボと糸通し

1週間ぶりです。

多忙だった、というのもあるけど、それよりも、ブログを書くことをためらっていた。たまに、そういう時がある。何だか人様にお見せするほどの文章が書けないよなぁ、と。別に自分のブログだからいいじゃん、そんな見方もある。どうせあんまり読んでいないよ、と言われたら、確かにそうだろう(アクセスログはとってないが、多分これは真実)。ただ、書き出してみた内容が、何だかタコツボ的隘路に陥っているよなぁ、と思うと、二の句が継げなくなってくるのだ。

どんな話題でも、根元的に考えることによって、一定の普遍性、というか、より多くの読者への共感をもたらす書き手がいる。そういう書き手の場合、対象となる話題は個別具体的だが、どんな話題であれ、通奏低音のようなものが流れていて、つまりはその話題に近しくはない読者にとってもしっくりくる何か、に気がつけばたどり着いている、そんな筆力の持ち主なのだ。どんな形でどこから穴ぼこを掘っても、確実にある地下水脈につながり、その水脈が普遍的真理(の一部)へと導いてくれる、そんな回路ができあがっている文章を書く人がいる。そういう文章を読んだ後、己が文章を垣間見ると、とほほ、としてしまうのだ。「どこにも通じていない」と。

読み手の僕は、「どこにも通じていない」文章を読まされるほど、腹が立つことはない。でもだからといって、通じている先が自分の掘り当てたある種の普遍性ではなく、何らかのイズムの受け売りであるのも、それはそれでつまらない。自分が気になる様々な現象の向こう側にどんな一定のリズム(通奏低音)が流れているか、それを耳をそばだてて聞こうとするのだが、まだきちんと聞き取れていないのだ。だから、その時々でリズムもノリもバラバラで、統一感も構築できていない。よって、「雑学」がある種の「教養」や「普遍的なるもの」「何らかの体系」へと昇華していかないのだ。これは自分の中での消化不足もあるけれど、それよりも絶対的なインプット不足でもある。知識がトリビアルな状態のままで、断片化していて、きちんと糸が通されていないのだ。でも、この糸通しはすごく難しい、そう感じさせれた。

一昨日、町村の職員の方々の前で自立支援法について講演させて頂いた時のこと。県からの説明をうけてもよくわからない、という参加者の皆さんに対して、僕が行ったことは、この「糸通し」であった。どういう背景で法律が出来て、来年再来年、そして数年後にはどういう見通しになっていく可能性が高くて、4月までにまず町村レベルでもしていかなければならないことは何か? こう書いてしまうとすごく単純だけど、これにデータを入れ込んで説明するのは結構大変だ。でも、そうやって断片的な知識を一本の筋をつけて「story」にして皆さんの前で提示すると、何割かの方々は深くうなずいて、「こういう糸通しだったのか」「これなら自分でも出来るかも知れない」とうなずいたり、納得して下さる。この瞬間が、こんな僕でも多少はお役に立つのだな、と嬉しくなる瞬間だ。ただ、他人様の、ごく一部の「糸通し」がうまく行っても、肝心の自分自身の糸通しが稚拙なままでは、まだまだ、とほほ、である。

まあ、こうやって、自分のダメさも含めて、書き続ける中で、多少は自分自身の「糸通し」ができ、それが自分でもまだ知り得ない地下水脈へと通じて、タコツボ的隘路から抜け出すことが出来れば・・・そんなことを考えながら、今日もポツポツ文章を書き続けているのです。

帰ってきたら

我が家が全く別物のようになっていた。

午後9時。久方ぶりのジムで一汗流し、、その後鍋の食材を買い、ギリギリ行きつけのガソリン屋が開いている時間に滑り込んで給油した後、お腹ぺこぺこ、身体クタクタ、で我がマンションへ車を近づけていた。で、マンションのエントランスをくぐって、目が点・・・・。全くの異世界がそこには展開されていた。

そう、クリスマスイルミネーション。

今朝出るときには全くその面影もなかったのに、夜九時には一変、一階付近は電飾で光り輝いている。しかも、大家さんの事務所からは電飾サンタがこんにちわしているし、ツリーも爛々の光。さらには入り口付近では電飾シカさんがお出迎えして、事務所の入り口にもサンタさんとリースが飾られている。何という手の込みよう。しかも、それを一日でやってしまったのだから、びっくり。一瞬どこの国の誰のお宅に来たのだろう、とびっくらこいてしまった。

確かにスウェーデンにいるときも、西宮時代も、電飾したおうちはこの時期にみたことはあった。特にスウェーデンの西部、イエテボリに冬住んでいた折りは、このころからクリスマスの飾り付けで街中浮き足立っていた。都市部はアパートが多いのだが、派手にブルーの電飾で飾るところもあるし、普通のおうちでもリースやツリーの飾り付けは当たり前。ここらあたりまでは日本と同じなのだが、最大の違いはツリー。なんせ、近所のショッピングモールの駐車場などでは、この時期、ツリーが売り出される。しかも、半端じゃない、原木をそのままカットして売っているのだ。平均で1メーターくらいのがどんどこ売れていくのだから、本気度が違う。そんなに高そうではなかったのだが、坂の上に住んでいた僕たちは、あんなに重そうなもみの木を担いで坂道を上ると思うだけで気が遠くなりそうなので、遠慮しておいた。スウェーデンの人々は、正月の1週間が過ぎるまで、クリスマスの装飾をしておいてもいいらしく、年明けまで電飾も飾り付けも残っていたのを思い出す。でも、我が大屋さんは、きっとこの調子でいくと、25日を過ぎたらさっと飾り付けを片づけ、次は立派な門松を出してくださるんだろうなぁ。我が家といえども、決して目が離せない、と思う今日この頃だ。

クリスマスつながりで、友人のケーキ屋さんのことを思い出す。大学卒業後、一般企業に入職していたはずなのに、いつの間にかフランスで修行を積んでパテシエになっていた彼女。人はいろんな人生があるんだなぁ、と思わされていた。しかも、彼女の作るケーキの美味しいこと。甲府に来てからは頼んでいなかったので、早速「御無沙汰+クリスマスケーキ注文メール」を発注する。週末は高槻までクリスマス用のシャンパンを仕入れに行くし、はや年末に向けた準備は着々と進んでいる。こういう着々さが、論文やら〆切を抱えた仕事やらで応用できればいいのだけれど・・・そうは言っても、好きなことしか早くこなせないタケバタ。まだまだ修行は足りませんなぁ。

そういえば、現時点では来年の手帳をどうしようか迷っている。今までは意外と流行に流されて!?「超整理手帳」なるものを使っていた。ただ、ちゃんと計画的に考えるには、もう少し書き込める情報量が多い手帳がいいかなぁ、と想いながら、思案中のただいま。土曜日に大阪の本屋に出かけるので、少しそこで物色して考えよう、と思う。手帳に書くほどの予定があるのかって? こんな僕でも一応ちょびっとはあるのですよ。それよりも、もう少し時間を自分本位で産みだし、ちゃんとアウトプットに向けた時間確保せねば、といつもうわごとのようにタケバタは今日も繰り返していた・・・。

冬支度

甲府は本気で寒くなってきた。

昼間は暖かいのだが、朝晩はものすごく冷える。気がつけば、最低気温が2度とかテレビで言っている。こりゃ、本気で寒い。

実はこれほど寒いのは、スウェーデンの冬を二年間に過ごしたことがあるので経験ずみなのだが、でも今回は様子が違う。スウェーデンで借りていたアパートだけでなく、スウェーデンの建物はどこでも、中に一歩入ればすっごく暖かい。正直、半袖でも十分、というほどに暖かい。だから、脱ぎ着できるように重ね着して、外ではパッチもはくぐらい寒くても、おうちではそのパッチのおかげで汗ダラダラ、という事態に遭遇していた。日本から持って行ったジャンパーがからきし役に立たず、現地でスキー用の上着を購入してお正月に北極圏まで繰り出したことを思い出す。北極圏ではなくとも、イエテボリでも本気で寒かった。

それに比べたら甲府はましだが、だが家の中が寒い。鉄筋コンクリートの我がマンションも、2週間前くらいから底冷えがし始めた。電気ストーブやエアコンではラチが空かない。いつもお世話になっているHさんが、「甲府の冬を乗り切るには絶対に石油ファンヒーターよ」とご助言頂いたので、早速ストーブを買いに走る。予算は3万円だったが、「消火後の臭さをシャッターをしめてシャットアウト」という宣伝文句の最新型ストーブに思わず目がいき、5000円オーバーだが買ってしまう。当初はもう3000円高かったのだが、値切れてしまったので衝動買いしてしまった。でもこのストーブのおかげで、ようやく朝の寒さも乗り切れる事となった。

冬支度はこれだけでない。先週末は仕事の帰りによった小淵沢のアウトレットで、ダウンジャケットを買う。手持ちのジャンパーは重すぎるか、あるいは生地が薄くて、甲府の冬を乗り切れない。かといって、スウェーデンで買った重装備のスキー用ジャンパーをスーツの上に羽織るのも不格好。なので、ちょっと高かったが、黄色と茶色のリバーシブルのダウン素材のジャンパーを買う。着心地が良く、何より軽い。スーツを着ていても、どうも肩こり気味のタケバタにとっては、大変に良い素材、と感動する。ついでに、以前買ってお気に入りになったシャツ屋で白シャツを買う。良いシャツは、仕立てが本当によくて、着心地がいい。しかも、今回買った白シャツは一ひねりしてあり、着るのがすごく楽しみだ。そう、皆さんご存じないかもしれないのですが、実はタケバタはシャツ好きだったりするのです。でも、この仕立ての良いシャツを見つけてしまったので、当分の間、このシャツ屋で買おう、と心に決めていたりするタケバタであった。

で、冬支度は我が家と自分だけではない。今日は車の冬支度、スタッドレスタイヤの交換も行った。奥さまはノーマルタイヤのホイルがお気に入りだったので、「スタッドレスタイヤのセットについてくるアルミホイルはダサイのではないか?」と不審がられていたが、いざ装着されたタイヤをご覧になられて一言、「意外とわるくないじゃない」。ああ、よかった。一番安いアルミホイルだけれど、16インチなので、結構高かったのですよ。などと言ってもしゃあないけれど、これで冬道も安心だ。なんせ、勤労感謝の日、大阪からのお客様を乗せて御坂峠を登って天下茶屋まで向かった折、朝10時過ぎでも道は一部霜が降りていた。山梨の山道はそれほどもう、寒い。車も朝、かなり白くなっている。西宮と違い、本気の寒さだ。なので、人も家も車も冬支度。そしてタイヤを倉庫にしまったついでに、倉庫に置いてあった奥さまのスノボも取り出す。この冬は、ちょっくら僕もスキーに出かけよう。そうしないとスタッドレスの元もとれないし・・・。などと考えていると、この冬も楽しくなってきた。

緊張と弛緩

今日は久しぶりに午前をお休みにした。

昨晩は真夜中まで八ヶ岳の麓で議論をしていて、帰ってきてもテンションが高かったので夜中からキムチをバリバリ食べながら、食器を洗ったりゴソゴソ二時ぐらいまでしていた。そしてお風呂にも入らず寝てしまったので、当然翌朝はどろどろべたべた。10月中頃から毎週末仕事が続いて、疲れも溜まっているし、明日は長野で仕事だし・・・と思うと、ここらで半日休んでおかないと体が持たない。なので、パートナーを仕事場に送り届けた後、ほったらかし温泉へ。

抜けるような青空の下、素っ裸で甲府盆地を眺めていると、疲れも吹き飛ぶ。目をつぶれば心地よい日差しがまぶたにあたり、体はじんわり温泉で暖まり、極楽状態。太陽の日差しは体の隅々にまであたっていて、本当に気持ちよい。村上春樹の小説の中で出てくる、主人公の男性のサンベイジングの描写がふと頭によぎる。これでピナコラータでもあったら・・・あ、それはハワイのことだっけ。南国に久しぶりに出かけたくなってきた・・・。などとくだらないことを考えているうちに、時間はあっという間に過ぎていく。

体はリラックスできたので、次に出かけたのがインフルエンザの予防注射。この春、甲府に引っ越す直前にアメリカ調査に出かけたのだが、その最終日、飛行機の中で風邪を引き、しかもそれがインフルエンザだった。帰国後1週間で引っ越しというキツイ日程で、そのころは送迎会を連日のように主催して下さっていた。なのに肝心な時に風邪をこじらせてしまい、結局、お世話になったある方が開いて下さった送迎会を、主賓の私が蹴ってしまった。そんな「前歴」があるので、今年も予定は年末まで詰まっているし、ここで風邪をひいちゃあたまらん、と予防接種に出かけたのだ。チュッと一針3000円。これでインフルエンザが予防できるのなら、ありがたいものだ。その後、アクセラ号を洗車機にかけた後、大学へ。

昼から原稿書きをしている最中、元の教え子から久しぶりのお電話。どないしたん?と声を聞くと、受話器越しに泣いておられる。色々聞いていると、今の職場で、ある利用者への支援に関して理不尽な処置がなされ、そのことで腹が立っている、とのこと。「私が怒られるのはいいけど、利用者さんの問題を解決する方向に進んでいないのが腹が立つ」 なんというまっとうな怒り。こういう真っ直ぐな気持ちを、入職1年半経っても持ち続ける彼女は実に頼もしい。ただ、そういう気持ちを持ち続けるためには、真っ直ぐさ、だけでは限界があることを知っている老獪なタケバタなので、少し入れ知恵をしてさしあげる。入れ知恵、と言っても別にたいしたことではなく、組織間不連携や責任の所在のなさを超えるための当座の処方箋をお示しした上で、「今日はお友達と飲んで、愚痴を言いまくって、すっきりして眠る。で、気分を落ち着けてから、明日以後、クールに問題を処理するべし。熱い気持ちは大切だけれど、頭はいつでもクールに分析的でないと乗り切れないよ」と申し上げる。怜悧な彼女のことなので、多分明日以後、復活なさっておられるだろう。

こうやってたまには頼りにされると思うと、こちらも背筋がピンとする。ピンとしたついでに、うねうね考えていた原稿の原案もとりあえず書き終える。こうやって書いたり、話したり、としているうちに頭が活性化するタイプ(逆に言えば書いたり話さなければまとまりのないタイプ)のタケバタにとって、午前中にエネルギーチャージを終えた上で、午後は大変エンジンがかかった良き一日であった。まさに弛緩と緊張のメリハリある一日。肝心の来週の授業の組み立ては積み残しになったが、ま、それは日曜日にのんびり考えるとしよう。さて、今日は白ワインに合う魚でも探しに行きますか。

拒否宣言のメタメッセージ

ボランティア拒否宣言を久しぶりに授業で扱った。
(原文は次のhpに http://syuwade.gozaru.jp/volunteer.htm

9年くらい前、大学4年生の頃だっただろうか、非常勤で教えに来ておられたH先生のボランティアに関する授業の中で、この「拒否宣言」に出逢った。当時は障害者運動の流れも知らず、むしろボランティアする側のマインドでこの「拒否宣言」を眺め、ずいぶんキツイ表現だなぁ、と思っていたものだった。

先日研究室を掃除していた折り、このH先生の授業のレジュメ一式が出てきた。僕はこの先生の授業が好きで、他の授業はろくすっぽ出なかったのに、この先生の授業はすごく考えることが多くって、自分の性にあっていたのか、毎回必ず出席していた。もともと少人数だったが、最後のレポートが終わった後の補講にはとうとう僕しか出席せず、一対一で色々教えて頂いたことを昨日のように思い出す。そういえば、この先生が用いておられたフィールドワークの手法の一部も、自分の中で息づいているような気がする。だが、このときは、正直「拒否宣言」の本質を理解していなかったのかもしれない。

それから10年、今年授業で用いてみて、意外な発見があった。
先週の授業でこの「拒否宣言」を題材に取り上げたのだが、実に様々な感想が出てきた。今週火曜日はその感想から14人分のご意見を一枚のプリントにまとめ、ボランティア・NPO論の4限の授業では、10数名の大学3、4年生の皆さんと全部の意見を読んでみて、自分が誰のどんな意見にどういう気持ちを持つか、のディスカッションをしてみた。そのとき、ある学生の感想の中に「ボランティアを拒否してしまって、車いす生活者なのに、そんなプライド高くして生きていけるのか?」という問いかけにどう答えよう、と思っていた時のこと。ふと、次のようなフレーズが口をついて出だしたのだ。

拒否宣言は、実は文字通りの拒否ではなく、切実なるコミュニケーションを求める過激なきっかけなのかもしれない。例えば皆さんだって、彼氏彼女に「あんたなんか嫌いよ」という場面もあると思う。でも、そのとき「じゃあ別れようか?」と相手に言われたら面食らうことはないか? 「あんたなんか嫌いよ」という表現に対する論理的解答としては、「では別れれましょう」もありだが、「嫌いよ」表現が発するメタメッセージが実は別の所にあるから、「別れよう」という応酬は、「嫌いよ」というメッセージを発したご本人が求める返答としては相応しくない場合がある。

どういうことか? たいていの場合、「あんたなんか嫌いよ」という表現の裏には、「こういう部分についてすごく不満があるのだから、ちゃんとこの部分を聞いてよ(配慮してよ、大切にしてよ、遠慮してよ・・・)」という訴えがある場合が多い。その際、この裏の表現(メタメッセージ)に着目して、「どこが納得いかなかったのかなぁ?」と耳を、目を、心を相手に向ける人と、表面的な「嫌いよ」メッセージにのみ反応する人とでは、その後のコミュニケーションの行く末はずいぶんことなる。

私たちは本質的なデッドロックにさしかかった時に、しばしばそれを打開するための強硬手段として「あんたなんか嫌いよ」というフレーズを用いる。もしかしたら、花田さんの「拒否宣言」も、ボランティアに本音が伝えられずに身もだえした結果、にっちもさっちも行かなくなった折りに、その状況を打開するための強硬手段として選んだ「宣言」なのではないか。ならば、この拒否宣言の表面的メッセージに囚われて「ほんならボランティアなんていらないの?」と感情的判断を先行させるのではなく、メタメッセージは何か、に気づいて、「じゃあどういうことを直せばいいのか?」というコミュニケーションの回路を開いていくこと、それが、この拒否宣言に対するレスポンスとしては相応しいのではないだろうか。

書いてみたらごく単純なことなのだが、このことに気づくのに10年かかってしまった。なんという遅々とした歩み。でも、多分10年前の青臭いタケバタ少年には思いもつかなかった考えだろうなぁ。その一方で、この日の発言に一番深く頷いて、授業後も「今日の先生の発言、恋愛に置き換えて言ってくれたから、深く納得しました」と仰ってくださったのが、女子学生2人組だった。彼女たちが20才で気づいた事を、僕は10年後にようやっと気づいているんだから、まったく、ねぇ・・・。

なにはともあれ、このメタメッセージ分析、というのは、デッドロックにさしかかっている他の事象を解きほぐす際にも有用かもしれない。表面的な言葉に振り回されず、メッセージの本質と真っ当に向き合う、それが肝要なのだと気づけて、変な話だが自分でも得した授業だった。

タコツボを超えて

静岡への出張から帰ってきた。

今回の出張は、他学科の先生方と一緒だったので、大変おもろい二泊三日だった。

大学で研究室と授業と教授会、という3点セットしか回っていないと、同じ学科・会議の特定の先生以外とのやり取りの機会はない。また、あったとしても立ち話程度で、ゆっくりじっくりお話する機会、なんてそうない。それが今回、ご一緒させて頂いたお二方の先生と、文字通りゆっくりじっくりお話出来たのは、大きなひろいもんだった。

何がよかった、って、普段の3点セットでは、「知っている人」との会話になり、どうしても視野が狭くなりがちだ。でも、違う経験を持ち、専攻・分野も違う先生方に自分のやっている事を伝えようとすると、最近の自分が何をしているのか、の棚卸しから始めて、その先生方に届きうる抽象性と普遍性を持つ言葉で自分のタコツボを開きながら、中の具を取り出していかなければならない。そして、この取り出す作業をする中で、「あ、俺って最近こんなことやってたんだ」「こういう事で困ってんだ」とわかるだけでなく、お相手してくださる先生方の意外な方向からのボールに答えようとする中で、放っておいたら閉じがちなタコツボの中身をさらに開く必要にせまられる。これが、ジャンルの違う先生方とのおしゃべりが面白くなる契機となるんだろう。

このタコツボを開く、というのは、最近別の場でも感じている。

例えば今日はこれから大月に講演に出かける。自立支援法が通った後で地域ではどうすればいいのか、のヒントがほしい、と主催者からは言われている。別にこの問題の専門家ではなかったはずなのだが、たまたま去年の10月、グランドデザインが出た後からずっと追い続けて来たら、少し「おたく」になっていたようで、それを勉強会の場などでお伝えするうちに、なんだか「にわか専門家」になっていた。勿論制度を作るのは厚労省側だし、制度の流れもきちんと追い切れているわけではない。でも、それでも多少は「わかりやすい」とお褒めの言葉を頂くこともあるのだが、その理由は、僕がたまたま障害福祉分野のあれこれを垣間見て来たからだろう。

僕は博論までは主に精神障害者福祉を見てきた。そして博論を書いた後の二年のフリーター時代、縁あって身体・知的の脱施設に関する研究班に混ぜて頂き、身体・知的の現実に初めて触れた。去年はそれに重症心身障害の方々の地域生活支援を考える現場にも関わるようになった。で関わってみて感じるのが、「なんだ、精神と同じじゃん」と「でも全然やり方や議論内容が違うじゃん」ということであった。

僕は多分自分のめがねとして「精神障害者のノーマライゼーション」という観点のめがねを持って、知的障害者や身体障害者福祉の現実を眺め始めたのだと思う。そして見てみると、案外他障害の現場で、言われている表面的な事は違っても、事の本質は同じ、という問題に多く遭遇する。施設からの地域移行という問題は、精神病院からの退院促進と全く同じ問題性や困難性を抱えている。なんだ、同じじゃん、と思う瞬間である。

一方、いろいろな業界の方々のお話を聞くようになって、三障害、そして高齢者福祉で、同じ様な問題を扱っているのに、語り口が微妙に(時には大きく)違っているのも気になる。地域福祉、という側面で考えたら同じ問題を扱っているはずの皆さんが、現場のリアリティ、という小さな差をものすごく大きな違いのように感じて、他障害の現場に出かけると「ここは私の現場と違う」と差異を強調されることがある。でも、地域福祉に関係ない普通の市民にとって、三障害の違いなんてわかんないし、高齢者と障害者の福祉の何が違うか、にも興味ない方々がおおいのだ。ならば、三障害と高齢がそれぞれ自身の差異にこだわってタコツボ化していて、どうして「地域に開く」ということが出来よう。こんなことに、僕もフリーター時代に少しずつ気づきはじめた。そこで、ちょうど三障害が「法律的」には統合される時期だし、もっというと将来高齢者の法律に吸収合併される可能性が高い時期だから、「それを利用して皆さんもタコツボを超えて、地域を豊かにする応援団を増やさなければ」と今日も朝からヤイヤイ言ってくるつもり、である。

タコツボを超えるのは、自分を、ダメな部分や至らない部分も含めて客観視することであり、ハッキリ言って楽じゃない。でも、そうやって相対的に眺め、他の人からの視点やアドバイスを入れる中で、自身が育んできた中身、がきっと豊かになっていくはずだ。タコツボ内で水を腐らせない為にも、たまには外ににゅるにゅるっと出て行くのもよいなぁ、と思った週末であった。