器なるもの

この連休中に、ようやく時間が出来たので、色々考えている。
その中で大きく占めているのが、「自分の器」なるものに関してだ。

今、新しい職場で、もう一度「生まれ変わり」ほどではないにしろ、
脱皮の時期を迎えているのかもしれない。
様々なことが要求され、僕自身新しい様々なジャンルに挑戦している。
時間が足りない。勉強したいターゲットは山ほどある。継続して続けた
いこと、新たにするべきこと、など、課題は山積し、目の前の11つに
対応していくだけで、4月はあっという間にすぎていった。改めて、自分
の「器の小ささ」に辟易する日々であった。

でも、連休にようやくひと呼吸できて、ある種、腹をくくった。
「結局、自分が出来ることをコツコツ重ねることしか、僕には出来ない。
そうしない限り、僕の器は拡がらない」
こんなことくらいはわかっていたつもりだったけれど、実際に
出来ていなかった、ということは、芯から納得していなかったんだろう。
焦りばかり先走って「地に足着いていなかった」んだろう。そんな
状態じゃあ、拡がりうる器も逆に狭まってしまうばかりだ。

〆切と求められている水準を守りながら、でもマイペースに、出来る限り
の誠実さで、11つのことに対応するしかない、そう、ようやく踏ん切りの
ついた夜であった。

投稿者: 竹端 寛

竹端寛(たけばたひろし) 兵庫県立大学環境人間学部准教授。現場(福祉、地域、学生)とのダイアローグの中からオモロイ何かを模索しようとする、産婆術的触媒と社会学者の兼業。 大阪大学人間科学部、同大学院人間科学研究科博士課程修了。博士(人間科学)。山梨学院大学法学部政治行政学科教授を経て、2018年4月から現職。専門は福祉社会学、社会福祉学。日々のつぶやきは、ツイッターtakebataにて。 コメントもリプライもありませんので、何かあればbataあっとまーくshse.u-hyogo.ac.jpへ。