久しぶりにのんびりとした朝である。
文字通り、疾風怒濤の日々が続いていたが、この週末は珍しく「2連休」。っていうか、本来お休みは「休む」ためにある、と考えると、ワーカホリックを無自覚にマゾヒスティックに楽しんでいる自分がいた、ということだろうか。だから、変に空白があくと、何だか居心地が悪い、という昔の悪癖を思い出す。
土曜の用事を一個飛ばしてまで日程的に確保したのは、とある原稿の締め切り日が今日だったから。確保した時点では、書き直しの原稿のスタンスが定まらず、相当な危機感を感じていた。しかも、先月から今月にかけて、あれやこれやと〆切や発表で追われ、せっぱ詰まっていた事もある。だから、この二日を確保せねば、と時間を空けておいたのだ。
しかし、それが案外早く、昨日の朝には編者と出版社に送ってしまうことが出来た。先週の金曜日、大阪に向かう特急電車の中で、エイヤッと構成を変えてしまった。筋を複雑に考えていたのをやめ、一本の幹に統一し、その幹に肉付けをしながら論を進めていく、というごく基本中の基本に立ち返って話を整理して見ると、思わずサクサク出来てしまったのだ。もともと紀要に書いていた原稿を、あるテーマの論集の1章に取り上げてもらえる事になったのはよいのだが、「障害学」というその論集のテーマとどう引き寄せていいのかわからず、さんざん回り道し、あれこれにわか勉強もし、迷いに迷った。で、結局のところ、「『入院患者の声』による捉え直し-精神科病院と権利擁護」というタイトルに落ち着く。障害学のスタンスが、これまで専門家が「これはよい」「こうすべきだ」と思って教育・指導・治療してきた営みを、障害者自身によって「捉え直す」営みであるとするならば、僕が権利擁護というテーマで関わってきたのも、まさしく本人の声による「捉え直し」そのものである。そう思ったら、変な肩肘を張らず、スルッと話が出てきた。
精神科病院の権利擁護の話、というと、すごく偏狭な分野の研究なのですね、と水を向けられることもある。あるいは、それはごく一部の劣悪病院の話であって「もう古い」、という顔をする人もある。でも、私にはそうは思えない。
日本や東南アジアの中小企業のフィールド研究をしている関満博氏の『現場主義の知的生産法』(ちくま新書)の中で、言葉は正確ではないかも知れないが、「両端を追う」という表現があった。ある産業なりフィールドの、時代の最先端と最後尾の両端を追う中から、その分野の構造的問題が見えてくる、と。福祉分野(とりわけ障害者福祉)における「最先端」が、社会保障政策の激変であり、自立支援法の急展開であり、市町村への権限委譲、という部分であるとすると、それと同じように忘れてならないのが、入所施設や精神病院という、「旧態依然」と言われながらも、これまでの隔離収容型福祉の主翼を担ってきた施設福祉へのスタンスである。時代は変わってきた、と言いながら、21世紀の現時点で、そこに3障害合わせて政府統計でも50万人近い人が住んでいる。山梨県の人口の半分である。その方々の権利擁護がどうなっているのか、は決して古くない課題、なのだ。
この話は、私が市町村役場を訪問していても、現実の話として出てくる。東京や大阪のように障害者福祉の地域での拠点施設が山梨の、特に山間部にはない。すると、「家族で支えられないから」という理由で、入所施設に入っておられる町村民、というのも、リアリティとして話に出てくる。あるいは家の中で障害者を抱え込んでいて、福祉サービスに全くつながっていない、という話も出る。その際、最先端!の「地域移行」「相談支援」の話をしてみても、「実際にはねぇ」「この町では無理です」「ご家族もそう望んでおられます」「家族の問題には介入できません」という話で終わってしまいかねない。その際、気になるのが、「ではご本人はどういう想いを持っておられるのでしょうか?」という部分だ。
今、私はお隣の長野県の知的障害者入所施設である西駒郷から地域に移行した人々の聞き取りを進める「検証チーム」の一員にもなっている。そこで、いろいろなグループホームに訪れて、ご本人の話を伺う。すると、20年、30年と西駒郷に住んでおられた方々の、いろいろな想いに出会う。ご本人の希望ではなく、周りから行くように、と言われて、わけのわからないうちに施設で暮らしたこと。盆や正月に実家に帰れたのがすごく嬉しかったこと。でも、親が死んでしまったら、兄弟のいる実家は居心地が悪かったこと。施設を出てグループホームで暮らして、テレビや部屋を独り占め出来ることが嬉しいこと。地域でいろいろな出会いが始まっていること・・・。
これらの「声」と精神病院の「入院患者の声」とは、表と裏、光と陰、のように、見事にひっついてくる。そういう聞き取りをする中で、やはり障害者本人の「声」が尊重されてない、聞かれていない、という現実に突き当たる。そして、「特別アドバイザー派遣事業」として「相談支援体制の構築」という最先端の(わけのわからない)仕事で市町村を訪れた時に、結果として議論になるのが、最先端の話、よりも、ご本人が望んだわけでもないのに、入所施設や精神病院での社会的入院・入所、あるいは家族による抱え込み、という、この最後尾に取り残されてしまっておられる方々をどうするんだ、という当事者の権利擁護の話になっていくのだ。
現実でおこっていることや、これからキャッチアップしていかなければならないこと、という今や最先端の話を考えるにあたって、常に取り残されている最後尾の議論も踏まえないと、首尾一貫した政策は作れない。市町村の現場をフィールドワーク的に回っていると、深くそう感じる。このことに関連して、先週からマスコミをにぎわせているコムスン問題も関わってくるのだけれど・・・少し話がゴチャゴチャになるので、改めて稿を変えて論じることにする。