福祉の政策とは、演繹的なものではなくて、帰納的なもの。
「○○が正しい」という理論や価値が先にあって、それを実践に当てはめると、だいたいがうまくはいかない。逆に、現場のお一人お一人への支援の中で「こうすればうまくいった」という好事例(good practice)に共通する要素を抽出して、それを抽象化して整理して行く中で、現場から機能論的に立ち上がるエッセンス(本質)が見えてくる。ノーマライゼーション、セルフアドボカシー、ピアカウンセリング、自立生活運動・・・これらの理念や価値は、現場の実践の抽象化から生まれた。
昨日の午前中、北海道のサービス管理責任者研修で講演の機会を頂く。その後、以前東京のセミナーでご一緒させて頂いた山崎さんにお誘い頂き、札幌この実会が実践されてきた、入所施設の閉鎖と地域移行の実践現場をご案内頂いた。半日にわたってグループホームや支援センターの現場を歩き、当事者や支援者の方々のお話に耳を傾けるなかで、ずっとその帰納的な何かについて考えていた。
スウェーデンに半年暮らしていたことがある。あれはもう8年も前のことだ。その時、スウェーデンでは入所施設をゼロにした現実をみて、本当にビックリした。強度行動障害、水中毒、重症心身障害・・・だから、という理由で、「施設・病院しかない」と社会的に排除されている人びと。その「○○しかない」ということが、如何に「社会的に」構築された理由であるか、を「○○」以外の実践を実ながら、実感する日々であった。グループホームでのんびりくつろぐ当事者と、それを温かく見守る支援者。行動障害のある方のGHの挑戦、水中毒なんてものはないという精神科ユニットの支援者、重症心身障害者へのパーソナル・アシスタントの実践・・・様々な「別の現実」を見て、日本ではこの現実は無理なのだろうか、とずっと考えていた。5ヶ月の滞在期間を終えて現地を離れる2003年の3月に、滞在報告のまとめの中で、次のように書いていた。少し長いが、引用する。
「日本の知的障害者への地域生活支援の実状を振り返ってみたときに、ノーマライゼーションという言葉が「歴史的な言葉」になるほどまで浸透したであろうか? 言葉だけは輸入されるが、ベンクト・ニイリエ氏が言葉に込めた思想まで、日本に届き、それが政策にも活かされているのであろうか? これを振り返ってみた時、日本とスウェーデンの二国での大きな違いを感じざるを得ない。
しかし、だからこそ、単なる外国のシステムや知識の輸入にとどまらず、知的障害を持つご本人達の想いや願いに基づいた、日本独自の本人支援や地域生活支援の体系を構築していかなければならない時期に来ている、と私は考える。今回、筆者が行った5ヶ月の調査の結果を、単なる「海外の知識の紹介と輸入」にとどまらず、日本の今後の本人支援のあり方や地域生活支援ネットワーク構築の上で、理念的基盤の一部として「使える」知識となるよう、出来る限り日本の地域生活支援の実状や課題を思い浮かべながら、そして日本の参考文献も踏まえながら、本報告書をまとめたつもりである。
この報告書が、日本の知的障害を持つ人々の現状を変える一つの「武器」となり得るなら、筆者としては存外の喜びである。そして、筆者自身も、今回の調査の知見を元に、知的障害者ご本人の声に常に耳を傾けながら、日本独自の本人支援や地域生活支援の体系づくりに、知恵を絞り、汗を流して関わっていきたい、と考えている。」
このときに直感的に感じていた「日本独自の本人支援や地域生活の支援の体系」というものが、この実会では既に昭和50年代から着実に積み上げられてきた、ということを学んだ。法律や制度の後追いではなく、ご本人が求めている支援を追求し続けた結果として、入所施設や施設内訓練施設の閉鎖と、街中でのグループホームの展開。24時間スタッフ配置による支援センターや、マンションの何部屋かを借りたサテライト型のグループホームなど、8年前にスウェーデンで見た現実と結果的に非常によく似た現実を、昨日は垣間見ていた。しかも、特段他の国の実践を真似したのではなく、ご本人が求めることは何か、を誠実に考え続ける中で、帰納論的に出てきた入所施設の閉鎖であり、地域生活支援であり、グループホーム展開だった。そして、その展開の本質が、全く意図していないのに、スウェーデンで見たそれと類似性が高い、というところに、ノーマライゼーションの考え方に通底する、「当たり前(=他の者との平等)の暮らしの保証」という帰納論的結論の普遍性、通文化性が強く見えていた。
上記の報告書を書いていた時は、大学院が終わったが定職がない、宙ぶらりんの状態だった。その時は、とにかくスウェーデンの現実を掴むことに必死で、それをどうしたら日本で置き直して考えることが出来るのだろう、ともがきながら考えていた。自分自身も浪人の身であったので、何がどう展開出来るかわからないままに、しかし志だけは持って、上記のような勢い込んだまとめを書いていた。
それから8年。気がつけば、障がい者制度改革推進会議総合福祉法部会の委員として、「日本独自の本人支援や地域生活の支援の体系」を考え、まとめる仕事に従事している。今年の8月の新法の骨格呈示に向け、日本でも出来うる、地域生活の基盤整備とは何か、について、この3回は集中的に議論するチームに所属している。だが一方で、障害者基本法の改正は、本当に社会モデルへのパラダイムシフトが出来るのか、が大きな争点になっている。総合福祉法部会への厚労省のコメントだって、以前も書いたように、部会の議論とはかなり違うスタンスを取っており、今後どう折り合いをここから付けられるのか、は情勢判断が実に難しい。政策の安定性とコンテキストは揺らぎ、流動性を増している。
そんな中にあって、たった半日の視察ではあったが、札幌での「追体験」は、もう一度スウェーデンで見た原体験を、更に深めるエピソードであった。スウェーデンでは、札幌では、という「出羽の神」じゃなくて、どの地域であっても、どんなに重い障害があっても、認知症やターミナル、シングルマザーであっても、地域で自分らしく暮らせる、そのための支援体制を、どう作っていくのか。これを、現場実践の積み重ねという帰納的推論から出てきたものとして、制度政策の本質の中に落とし込んでいかなければならない。その上で、現場の試行錯誤を応援する柔軟性をどう担保出来るのか、も問われている。財源論や国と地方の役割分担論は、それを実現するための方法論であって、この方法論に束縛された、あるいは方法論の自己目的化に唯々諾々としていては、より良い「日本独自の本人支援や地域生活の支援の体系」は積み上がらない。
そう認識を新たにした(再確認した)、春も間近の札幌であった。