2019年の三題噺

年の瀬恒例の私的三題噺。何を書こうかと思っていたが、今朝の話から。

1,子どもとの世界が拡がる

年の瀬の31日、おかあちゃんはご用だったので、おとうちゃんと二人でお出かけ。妙にバスが大好きで、今日もバスに乗る、というので、バスに乗って駅にお出かけ。新快速に乗り換えて、三宮まで行こうと思ったけど、今日はふと思いついて加古川で下りて、ショッピングモールのおもちゃ屋でトーマスグッズを買う。トーマスのDVDを繰り返し見続け、トーマスの服をやたらきたがる娘さん。帰りは姫路駅の王将で天津飯を食べるのが楽しみだったのに、今日に限ってお休みでがっかりな娘さん。また来年食べようね、と約束して、家でお昼を食べて、ねんねしてくれました。

子どもは二歳児の一年であり、この一年、絶賛自己主張期であった。「いやいや期」と一般には呼ばれているけど、確かに口を開けば「いや」って言うけど、「いやいや期」という名付けは何だか好きじゃ無い。母から分離し、自分自身を確立しようとと、好奇心旺盛になっているお年頃であり、自己主張をとりあえず「いや」というひと言からスタートさせている時期。そう思って、なるべく温かく見守ろうとするけど、父としては、娘を通じて修行の一年だった。

娘と過ごすと、当たり前の話だが、ぜんぜんこちらの思い通りにならない。ペースは娘中心。こちらの時間感覚とか効率性とか、全てなぎ倒される。それに、今でも時に苛ついてしまう。でも、娘が産まれ、娘との生活を大切にしようと決めると、僕自身がいかにそれまで仕事中心で、ワーカホリックで生きてきたか、も改めて思い知る。

姫路の住まいは、歩いて目と鼻の先に大きな公園があり、空いた時間があればとにかく公園に娘と鍛錬にいく。この「鍛錬」という表現は、松田道雄の名著「育児の百科」にたびたび出てくるフレーズ。子どもを外で毎日鍛錬させよ、というシンプルなフレーズは、でもエネルギー有り余る娘を見ていたら、確かに重要だと思う。で、公園にしょっちゅう通うと、娘を通じて四季の変化を感じる。寒椿に始まり、桜のつぼみが硬く膨らみ、やがて梅から桜、そして新緑と繁り、夏には蝉がミンミン鳴いて、やがてコオロギから葉が色づき、落ち葉に今度はどんぐり拾い・・・。以前はそれを山歩きして感じていたのだが、近所の公園を娘の後をついて歩き回るだけで、豊かな四季を感じる。そういう時間を、子どもが産まれるまでは、しっかり持てていなかった。あと、例えば年末からの1週間は仕事をしないと決めて、実際メールも含めてほとんど仕事をしていないけど、そういう風に割り切れたのも、やんちゃな主役が我が家におられるから。お父ちゃんのワークライフバランスを保つためにも重要な存在だと改めて感じる。

2,僕の声を取り戻す・統合する旅が始まる

きっかけは英語、だった。

研究をご一緒させて頂いている深尾葉子先生からお誘い頂き、心理学にも造形の深い英語教師のアメリカ人のSさんと、Zoomで英語ディスカッション、というのを1年半くらい続けている。『精神の生態学(Steps to an Ecology of Mind)』とか『実践 日々のアナキズム(Two Cheers for Anarchism)』などの濃厚な原著を肴に、その内容から拡がるあれこれを英語で議論する、というハードな1時間。その中で、深尾先生から「竹端さんは、すごい難しい表現をスルスルと話すときと、頭をかきむしりながら苦しそうに言葉を探すときの、その落差が激しい」と指摘されていた。

ある程度自分が知っていたり、専門に近い領域の英語は、ストックフレーズが沢山あるので、比較的スルスルと言葉が出てくる。でも、全然違う領域の話をしたい、と思っても、どう表現していいのか、わからない。日本語ならもっとうまく話せるのに、話してみたら小学生レベルの内容しか伝えられないことがもどかしくて、それで頭をかきむしって苦悶しているのだ。そう思い込んでいた。だが、この英語レッスンをする中で、どうやら違うとわかってきた。

そのために、先に三題噺の最後を出しておく。

3,ダイアローグの中で、鎧がほどける

この一年は、僕の中での「開かれた対話性」がより深まった一年であった。講演や研修会、授業やゼミでも、なるべく開かれた対話性を大切にして、不確実性を楽しみながら、他者の他者性を引き出す場づくりをしてきた。すると、そのような場づくりの中で、様々な相互作用が起こったり、研修が終わった後にとても満足してもらえる機会も増えた。僕が何かについて一方的に教える・説得する、というabout-nessモードをやめて、その場の人びとと一緒に考え合うwith-nessモードに転換するだけで、ずいぶん良い流れが生まれ始めた。そして、それは、他者に対して、だけではなく、自分自身に対しても、であった。

変な話だが、僕も、僕に対して、「他者の他者性」とか「不確実性への耐性」を重視することなく、論理的で知識中心の僕が一方的に突っ走る、about-nessモードであった。だが、「開かれた対話性」を大切にし、一緒に考え合うwith-nessモードを重視し始めた時、僕の中で、十分に聴かれていない、表現されていない何かが表現を始めた。それが、1の絶賛自己主張期の娘に揺り動かされ、2の英語レッスンと結びつき、自分のなかの新たな声として、胎動し始めた。それは一体、どういうことか。

僕は中学1年から、猛烈進学塾に通い始める。そのときのことは、以前のブログにもかいた。だが、そのときには自覚できなかったのだが、僕は12歳で塾に入って以後、受験勉強の能力主義モードにがっりと入り込み、その後研究者として生き残るためにも、さらにその能力主義に磨きをかけてしまったばっかりに、徹底的に新自由主義的合理性を内面化した部分がある。それは、効率的で効果的なやり方以外の道を否定することであり、能力主義的ガンバリズムを当たり前に考えるあり方だった。そして、子育てをし始めて三年間で、そのやり方では全く子育てがうまくいかないことを身に染みて気づかされ、ズタボロになりかけていた。

これと英語がどう関係しているのか。めちゃくちゃ関係しているのである。

実は英語表現の竹端は、分裂している、ということも以前のブログで書いていた。ほんと、僕のブログは僕自身にとっての外部記憶装置ですね。12歳で受験英語に適応するために、流暢なしゃべりを捨てて、日本人的英語表現に「矯正・強制」した時から、僕の中では受験勉強的な合理性を至上とするモードに切り替わってしまった。魂の情動とか、自然に発露する直観よりも、論理的で理性的な何かを尊重した。そうやって多くの本も読み、論理的に考え、その訓練を続けてきた結果、論理的で理性的な「議論」なら、得意な分野なら、英語でもほどほどに出来るようになった。だが、英語は第二言語ゆえに、日本語ほどだませないし、隠し通せない。

僕は例えば他者にインタビューするのはめちゃ得意なのだけれど、自分のことを語るのは得意では無い。だから、ついファシリテーターとして、皆さんの意見を賦活させる役割を引き受ける。でも、こないだZoomで振り返りの会をした時、20年来の友人から「竹端さんの意見や声は出さないの?」と言われて、ドキッとした。そう、僕はその場の皆さんの声を安心安全に出すお手伝いはするけど、肝心の僕の声を出さないまま、できたのだ。出すとしても、論理的で理性的で、つまりは手堅い範囲内でしか、自分を出さないことになっていた。

だが、こないだの振り返り会で、「竹端さんの声も聴いてみたい人もいると思う」と言われて、ぐらつく自分を発見する。実は、大学の授業やゼミでも、なるべく皆さんの意見を賦活させる事を大切にして、僕は自分の意見を言うことには禁欲的だった。「権力者の意見を押しつけてはならない」というルールをかなりしっかりと守っていた。すると、たまに学生さんから「先生の意見も聞いてみたい」というリプライも来る。こないだの振り返り会の参加者からも、「竹端さんが一個人として自分の意見をその場に差し出すことは、別に支配的でもなんでもないのでは」とも言われる。

そういったことも重なって、こないだ、英語でこんなことを言い始めていた。

「僕は親になった事で、自分に対して責任を取ろうとしている。自分の思いを、自分の声で話そうとし始めている。師匠に弟子入りしたのが98年で、20年が経つ。僕にとっては師匠は今でも尊敬すべき唯一無二の師だが、そろそろ師匠から独立して、師匠とは違う道を歩み始めたのだと思う。それが、ダイアローグやファシリテーションを大切にした場づくりだ。それってあたかも、自分が親になって、子どもでいた時代を卒業し、自分や子どもに対しての責任を持つようになった事と相似形だと感じている。」

こういうことを、頭をかきむしらず、バリバリの日本語英語でもなく、スムーズに落ち着いて表現する事ができはじめた。娘と過ごす日々の中で、僕自身の情動が突き動かされ、開かれた対話性を自らの魂とも発動させることによって、僕の声を取り戻す・統合する旅が始まったのだと、思う。

そう思うと、生産至上主義的にはあまりぱっとしないし、ほとんど論文も書けていない、一年だった。でも僕の中で、12歳くらいから抑圧してきた魂と、30年後の今になって和解し始めた、というか、情動と理性をつなぎ合わせることを試行錯誤の中で結びつけ始めた1年だったのかもしれない。対外的には大した変化はなかったが、対内(胎内?)的にはものすごく沢山の何かが動き始め、つながりはじめ、転換し始めた一年だったのかも、しれない。そしてそれは、来年以後の僕にとっては、計り知れないほどの大きな一歩を踏み出す上での、大切な内的作業だったのだと思う。

従来の1年の振り返りは、「○○した」というdoingの振り返りが殆どだったのだが、今年に限ってはどうあったか、というbeingの振り返りだった。そして、それが今の僕にはぴったりきている。そういうことを、子どもが昼寝している間に書き終えられて、良かった。さて、これから年末の買い出しに行かねば。

みなさま、よいお年をお迎えください。

投稿者: 竹端 寛

竹端寛(たけばたひろし) 兵庫県立大学環境人間学部准教授。現場(福祉、地域、学生)とのダイアローグの中からオモロイ何かを模索しようとする、産婆術的触媒と社会学者の兼業。 大阪大学人間科学部、同大学院人間科学研究科博士課程修了。博士(人間科学)。山梨学院大学法学部政治行政学科教授を経て、2018年4月から現職。専門は福祉社会学、社会福祉学。日々のつぶやきは、ツイッターtakebataにて。 コメントもリプライもありませんので、何かあればbataあっとまーくshse.u-hyogo.ac.jpへ。