センシティブ、を捉え直す

今年初めてのブログである。今日は立春、小春日和のように姫路は暖かく、この間、汗だくになっていたタートルネックを三本、洗濯も出来た。

1月はバタバタしていて、何も書けなかった。久しぶりに原稿を二本書き下ろしていたから、というのが前半で、その後、昨日までの冬の土用期間(1月18日~2月3日)に家族内で風邪を移し合っていた、というのが大きい。子ども→妻→僕→妻ときて、また僕が先週末から風邪を引いていた。子どもが産まれて、本当にしょっちゅう風邪をひく。

で、僕は風邪を引くたびに「なんて弱っちいのだろう」と嘆いていた。でも、そうやって風邪を引く=弱い=ダメなこと、と決めつける、想像の連鎖の束そのものが、僕自身を束縛している「強さへの憧れ」なのではないか、と、やっと気づき始めた。

いつも重要な指摘を投げかけてくださる深尾葉子先生と対話している時に、この話題を嘆きながら話した時に、「風邪をひける、って、それだけセンシティブな能力があることでは?」と問いかけられた事に端を発する。

確かに、見かけによらず!?僕はセンシティブである。小説や、ドラマとか映画には変に感情移入過多となり、主人公が恥ずかしい思いをするシーンなど、先が読めてしまって「見ていられない」ので、テレビを消し本を閉じてしまうことも何度もあった。小さい頃は冷たい牛乳を飲むと一発でおなかを壊し、でも親に「ほんと、すぐにおなか壊すねえ」と言われるのが嫌で、夜中にこっそり正露丸を飲んでいたこともある。僕にとって、センシティブである事は、打ち消しがたい自分自身の一つの特性であるが、それはネガティブなもの、否定すべきもの、克己すべき何か、のように思っていた。でもそう簡単に克己できないから、小説やドラマ、映画は見ないようにしていたし、冷たいものは飲まないようにして、風邪だけは避けられないので、風邪を引くたびに「弱っちい」と嘆いていた。

つまり、打ち消しようのない自分の特性を、否定的に捉えていた。

でも、深尾先生に「センシティブな能力」と言われて、はっと気付いた。なるほど、そういう捉え返しもあるのか、と。そう言われると、気づき始めた。ずいぶんと長い間、この「能力」に必死になって蓋をしてきたよなぁ、と。

そもそもドラマや映画、小説を封印したのは、「受験勉強の弊害になるから」。受験勉強あるある話だけれど、僕は高校くらいから本好きになると共に、受験勉強が本当に嫌になり、入った進学校でどんどん成績順位が低下していったのだけれど、試験前ほど死ぬほど小説に没頭できた。パール・バックの大地とか、試験前日の雪降る中、続きが読みたくて、チャリで本屋を探し回ったものである。で、そういう豊かなセンシティビティや感受性を育てたら良かったのに、それは「非効率だ」と蓋をして、読まないようにしていた。ただ、例外はあって、村上春樹は大学時代からずっと読んでいたけど、博論を書く時に「これでは書けなくなる」と一度全部捨ててしまい、博論書いた後にまた古本屋でコツコツ探し求める、という阿呆な事もしていた。

で、いま何故にその蓋を取ろうとしているのか。それは、子どもの存在が大きい。

3歳になった娘は、感受性の塊で絶賛自己主張期(=という名の、またの名をイヤイヤ期)。楽しいことは全力で楽しいと表現し、嫌なことは全力でイヤーと拒否をする。怒られたり納得出来ないと、大粒の涙をポロポロ流す。そんな娘と日々を過ごしていると、この感受性の豊かさに驚かされるし、それと共に、僕の中にも、こういう感受性の源のようなものはあったし、枯渇もしていないよなぁ、と思い出すのである。

さらに、強さへの憧れとは、マッチョイズムとつながるだけでなく、受験勉強以来染みついた、偏差値の序列社会への過剰適応の内面化なのだとも、ひしひし思い至る。僕自身がそうやって他者比較の価値基準を自分の中にインプリンティングし、他者を見る時も、自分自身を振り返る時も、そうやって査定していた。くだらない話を書くが、「あの人は同年齢なのにこれだけ業績を出している(本が売れている、賞を取っている、社会的評価が高い・・・)。それに比べて僕は・・・」という「比較の牢獄」に自分自身が陥っていた。いや、今もまだ、このラットレース的心性を内面に抱えて、身もだえする時がある。

でも、娘には、まだそれがない。だから、自由だし、溌剌としている。もちろん、社会的存在になる、ということは、多かれ少なかれ、このような他者比較の牢獄から完全に自由になることは不可能なのはわかる。でも、少なくとも、今の娘が持つような、他者比較をすることなく、自分自身の感受性の豊かさを全面に出すような、そんな心性を、僕ももうちょっとだけでも取り戻したい。そう思い始めている。

すると、子育てをし始めて、前よりしょっちゅう風邪を引いて寝込む回数が増えたのだが、これも感受性を取り戻すための、大事な身体からのお知らせ、なのかもしれない。でも、その身体からのメッセージを無視して、頭でっかちを続け、脳や意思中心主義に閉じこもっていると、子どももそうやって比較の牢獄に追い込んでしまうことになりかねない。「他の子はもっと出来ているのだから」「ちゃんとしなさい」と。

それは、嫌だ。

そう思うから、娘を変えるのではなく、まず父が変わる必要がある。僕がまず、この比較の牢獄から抜け出せなくても、少なくともそれを意識化する必要がある。僕自身が、己の「強さへの憧れ」の歪みに気付いて、そこからちょっとは自由になりたい。そして、娘から感受性の豊かさ、感受性の表現の仕方をもう一度学んで、豊かな感受性を取り戻したい。

そう思うと、これは以前ブログに何度か書いた、caring withの論考の続きになりそうな気がしている。実際、子育てやケア関係で、書きたいことは沢山ある。でも、それは僕自身の男性性や、「強さへの憧れ幻想」との関係をひもとく中で、明らかになってきそうな何か、なのかもしれないと、今、思い始めている。

(たぶん、つづく)

 

 

 

投稿者: 竹端 寛

竹端寛(たけばたひろし) 兵庫県立大学環境人間学部准教授。現場(福祉、地域、学生)とのダイアローグの中からオモロイ何かを模索しようとする、産婆術的触媒と社会学者の兼業。 大阪大学人間科学部、同大学院人間科学研究科博士課程修了。博士(人間科学)。山梨学院大学法学部政治行政学科教授を経て、2018年4月から現職。専門は福祉社会学、社会福祉学。日々のつぶやきは、ツイッターtakebataにて。 コメントもリプライもありませんので、何かあればbataあっとまーくshse.u-hyogo.ac.jpへ。