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「一番病」と「魂の植民地化」

鶴見俊輔の対談を読んでいて、すごくアクチュアルに響く表現が出てきた。彼は、自分の父で戦後に厚生大臣になった鶴見祐輔のことをさして「一番病」である、と喝破する。

「そもそも親父は、勉強だけでのし上がってきた人だったんだ。貧しい生まれで、一生懸命に勉強して、一高で一番になるところまではきた。それで後藤新平の娘と結婚したんだ。そうやって勉強で一番になってきた人だから、一番になる以外の価値観をもっていない。そういう一番病の知識人が、政治家や官僚になって、日本を動かしてきたんだ。」(『戦争が遺したもの』鶴見俊輔・上野千鶴子・小熊英二著、新曜社、p16)
「みんな知識人になろうとして、試験で模範答案を書こうとする。だから自由主義が流行れば自由主義の模範答案を書き、軍国主義が流行れば軍国主義の模範答案を書くような人間が指導者になった。そういう知識人がどんなにくだらないかということが、私が戦争で学んだ大きなことだと思う。」(同上、p17-18)
「一番病」の知識人にとって、自らの言説の論理一貫性よりも、「一番になる」ことの方が優先順位が高い。普通考えれば、自由主義と軍国主義は全く違うベクトルを向いていて、同じ人がその言説を変えることは、その論理を心の底から信じるなら、文字通りの「転向」になるほど、身もだえの苦しさがあってもおかしくないことだが、それを「知識人」達は易々とやってのける。それは、彼らにとって「知識」とは「一番になる」ための「模範答案」であり、「一番になる」という究極の目的のための「手段」にしかすぎない。だから、その時々で、「一番」になれるために、「知識」を入れ替えていく。それが、真逆の価値であっても、そんなのはどうでもよい。大切なのは、「知識」の価値や論理の首尾一貫性ではない。自分が一貫して「一番なる」ことができるかどうか、が最大の関心事なのだ。
僕自身は幸いにも、このような論理構造には陥っていない。だが、大人になって、賢くて優秀なはずの「知識人」たちが、論理矛盾する事を平気で口にするのを垣間見て、理解できない場面に何度か遭遇する。その度に、その人の論理一貫性の崩れを指摘するが、相手は全く意に介さない。あんなに賢い人が、なぜ論理矛盾に平気なのだろうか、と疑問だったが、「一番病」という概念を聞いて、氷解する。つまり、論理一貫性よりも、「一番であること」のほうが、自分の価値前提としての優先順位が上なのだ。であれば、論理の崩れをいくら指摘しても、相手には響かないのである。だって、論理を一貫したところで、今は時流が変わり、それを主張しても一番になれないから、である。その時々に「一番」になることだけを気にして、いくら論理矛盾や嘘をついても、そのことを気にしない。そういう論理構造の人々が、「政治家や官僚になって、日本を動かしてきたんだ」というのは、戦後70年経っても変わらない事態だと感じる。(そのささやかな観察記録は、ブログネット上の論考に書いている。だがこの論理矛盾を突く批判は、一番病の人には、痛くもかゆくもない指摘である、と今ならわかる。)
この「一番病」には、どのような構造的背景があるのか。それをぼんやり考えていたとき、書架から一冊の本が「おいで、おいで」しているのがわかった。久しぶりに手に取った本を再読して分かったこと、それは「一番病」には、「蓋」と「箱」が機能している、ということだ。
「社会でよりよく生きるために、自分の本性に『蓋』をして、獲得された人格を懸命に生きようとする場合、もっとも恐れるのは、自分本来の本性を覗き見ることであろう。自分でも本性の姿を忘れてしまえるほど分厚い『蓋』を構築し、社会の期待する自己を首尾よく演じた場合には、もはや自分自身の本来の魂は、暴力的な発露の機会でもうかがう以外に表出する可能性はまずない。あるいは、それが内側に向かって蓄積されてゆく場合には、身体を蝕み、自己の崩壊を招く。」(『魂の脱植民地化とは何か』深尾葉子著、青灯社、p24)
「一番病」とは「社会の期待する自己を首尾よく演じ」ることである。その為に、「自分の本性に『蓋』をして、獲得された人格を懸命に生きようとする」ことである。僕の最初の単著、『枠組み外しの旅』を導いて下さったお一人であり、この本も含まれた「叢書 魂の脱植民地化」の第一巻を書かれた深尾先生の著書を読み返して、改めて「一番病」とは、「自分でも本性の姿を忘れてしまえるほど分厚い『蓋』を構築」する、「魂の植民地化」状態である、と気付く。この際、誰が植民地の支配者か、といえば、「一番」と評価する「社会」や「世間」である。その「世間」の評価する「模範解答」を書こうと「懸命」に頑張ることは、「自分本来の本性」=「魂」に「蓋」をすることである。その上で、魂とは切り離された部分で、「蓋の上の人格」を構築し、その「蓋の上の人格」が「社会の期待する自己を首尾よく演じ」ることによって、「一番」はとれる。だが、魂とは切り離されているので、その人の言説にはぶれがあり、時流の変化に合わせて主義主張が変わり、論理一貫性の崩れを指摘されても、「一番」を取るために平気で抗弁ができる。そこには、「蓋の上の人格」を生きる上での「箱」が機能している、と深尾先生は指摘する。
「『箱』とは『蓋』によって押さえ込まれた魂の上に出来上がった空間で、そこには何でも挿入できる『空箱』が用意されている。そもそも『魂』と断絶しているため、そこに注入するものは何でも良い。母親の期待、何らかの教条主義的思想、アイドルスター、さまざまな知識でもいい。要は自分自身を構成する何か都合の良いものをそこに充填して、あたかもそれが自分であるかのように同一視することが大切だ。先の多重の役割を演ずる人は、この『箱』がいくつかの部屋に分かれていたり、さらに偏差値が高く情報を収集するのに長けたタイプの人間は、箱がまるで蜂の巣の小部屋のように沢山用意してあり、その対象となる事象ごとに、必要な知識が分類していれてあり、必要に応じて、必要な箱を開けて情報を取り出すシステムになっている。(略) 当然これらの情報は『情動』とは断ち切られていて、それぞれの箱の中の情報の整合性に主たる注意が払われ、箱と箱の関連性については必ずしも十分に考えられているとは言い難い。」(同上、p287-288)
例えば冒頭の例を用いるなら、自由主義と軍国主義は、相容れない二つのイズム、である。だが、それを「知識」として「箱」の中に「収集」すると、どういう事が起きるか。「一番病」の人は、「必要に応じて、必要な箱を開けて情報を取り出すシステム」を活用する。だが、その「箱」の中に入っているものは、本来なら単なる情報や知識ではない。自由主義も軍国主義も、その人の魂や情動に結びついている時、それらの価値や思想を「生きる」ことができる何か、である。だから、自由主義と軍国主義を、何の苦しみもなく1人の人間の中で両立させることは、本来はできないはず、である。
しかし、「箱の中の情報の整合性に主たる注意が払われ、箱と箱の関連性については必ずしも十分に考え」ない人なら、話は別になる。軍国主義と自由主義の関連性を検討しないで、それぞれの「主義」の「整合性に主たる注意が払われ」るだけならば、ある優勢な「主義」の「模範解答」を書くことにのみ、エネルギーが注がれる。時流が変わり、別の「主義」が主流になれば、その別の「主義」の「箱」を引っ張り出し、その「模範解答」を書くことに、重きがおかれる。以前の主義と今の主義の「関連性」について、検討はなされない。なぜなら、そもそもその人にとって、そこは「空箱」であり、「『魂』と断絶」されているからだ。「魂」の一貫性は全く「蓋」がされていて、「一番病」を満たすための「知識」に専心し、「あたかもそれが自分であるかのように同一視すること」によって生き残ろうとする生存戦略だからである。
そういう人を、私たちは、「空虚な人」という。そう、沢山の「空箱」を抱えた人のことである。だが、沢山の「空箱」を抱えた「空虚な人」は、見た目ではそれとは逆の、エネルギッシュな人、に映る場合もある。深尾先生は、そういう人種を、次の様に描く。
「自分自身の魂に蓋をして、その閉じ込めたエネルギーで、前に進む。一見エネルギッシュで、精力的であるととらえがちであるが、当の自分自身は、重い蓋の下に閉じ込められているので、少しも楽にならない。どんなに努力しても、どんなに自分に欠乏しているものを求めても、そこには答は見いだせない。これはまさに本稿で示した『蓋の上の人格』そのものであるといえよう。しかし、蓋の上の人格が自分自身であると確信し、それにしがみつこうとしていた当時の自分自身には、永遠に解くことができない苦しみが、自分を取り巻く外部世界に存在し、それに対し、もがいてももたいても、より一層強く自分自身に襲いかかってくると、認識されていた。まさかそれが真の自分に対する『蓋』に由来するものであるとは、理解できず、何をやっても抜け出せない絶望感と徒労感に苛まれていた。これもまた本稿の冒頭に述べた『自己呪縛』そのものである。」(同上、p54)
「箱」の中身を次々に入れ替えて、世間の時流に合わせて「模範解答」を書き続ける。これは確かに、「一見エネルギッシュで、精力的であるととらえがちである」。でも、それで「一番」が取れても、何も安心ができない。なぜなら、『蓋の上の人格』を前提にしているならば、「永遠に解くことができない苦しみが、自分を取り巻く外部世界に存在し、それに対し、もがいてももたいても、より一層強く自分自身に襲いかかってくると、認識され」るからである。自分自身の魂ときちんと向き合う事なく、「自分を取り巻く外部世界」にのみ目を向け、その他者の目にのみ迎合的になり、自分自身に「蓋」をすると、「何をやっても抜け出せない絶望感と徒労感に苛まれ」るのである。だから、「一番病」の人は、一番をとっても、全然安心ができない。一番をとり続けるための「抜け出せない」不毛な戦いにエネルギーをどんどん吸い取られていくから、である。
では、この「一番病」や「魂の植民地化」状態から、どうすれば抜け出せるのであろうか。
「『蓋の上の人格』については、当然社会生活を送る上で必要なものだ、むしろ、『本性』のままに振る舞うような人間ばかりが跋扈するならば、社会は秩序なき混乱に陥ってしまう、といった反論が聞こえてきそうだ。しかし、本書では、そんな反論を想定しつつなお、『魂の声に従って生きる』ことの重要性を根幹に据える。なぜなら魂を封じ込めていかに知識や人格や能力を構築しても、そこには生きるエネルギーを創成する力は備わっていないからだ。」(同上、p295)
「他者への暴力や支配、ハラスメントのより少ない社会は、より大きなハラスメントや支配によっては決してもたらされるものではなく、暴力やハラスメントに荷担する個々人の魂を封殺する『蓋』を揺り動かし、その下に閉じ込められている魂を解放することによって実現に一歩近づくのではないか。我々は、暴力を組織化する言説化された世界を、直接攻撃するのではなく、その暴力を産み出す1人1人の魂が『生きられる』状態にするという『難行』を達成する必要がある。そしてそれにはまず、自らとその周辺の人々の魂が『生きられる』社会を自らの周辺に構築する、というこれまた至極困難な課題に直面せねばならない。」(同上、p296)
なぜ「魂の声に従って生きる」=「本性のままに振る舞う」ことが、ネガティブに捉えられるのか。それは、世間や同調圧力が求める「模範解答」に、唯々諾々と従う事を拒否するからである。「魂」に「蓋」をして、「蓋の上の人格」を生きている人々にとって、自分が必死になって従っている「模範解答」を易々と踏みにじることは、社会に「秩序なき混乱」をもたらす脅威に映る。だから、あらん限りの知識や権威を用いて、そのような「混乱」を阻止しようとする。それが、「他者への暴力や支配、ハラスメント」につながるのだ。
これに対抗するためには、「暴力やハラスメントに荷担する個々人の魂を封殺する『蓋』を揺り動かし、その下に閉じ込められている魂を解放すること」が必然的に重要になる。「生きるエネルギーを創成する力」を取り戻す為には、『魂の声に従って生きる』しかないのだ。「自らとその周辺の人々の魂が『生きられる』社会を自らの周辺に構築する」ことによって、「本性」のままに振る舞う人間が、消して「秩序なき混乱」を作り出す元凶ではない、ということがわかる。むしろ、「一番病」の人々が構築してきた「秩序」そのものが、砂上の楼閣であり、時流が変わればあっという間に180度変わる虚構である、と見えてくる。このような虚構的な秩序を「模範解答」として信奉する「自己呪縛」から抜け出すことが、必要不可欠なのだ。
「他者への暴力や支配、ハラスメント」といった「暴力的な発露の機会」は、「それが内側に向かって蓄積されてゆく場合には、身体を蝕み、自己の崩壊を招く」。少なからぬ「一番病」の人が、病に倒れたり、アルコールや暴力に依存したり、自死に至る危険性を抱えている。それは、魂と切れた虚構を追求するがゆえの、「蝕み」や「崩壊」なのである。
平気で論理矛盾する「政治家や官僚」を「直接攻撃」しても、彼ら彼女らは、その時流の求める「模範答案」を書くことに必死であり、論理破綻の指摘は、痛くもかゆくもない。肝心なのは、「個々人の魂を封殺する『蓋』を揺り動かし、その下に閉じ込められている魂を解放すること」である。そのためには、安直に聞こえるかもしれないが、僕自身が魂に「蓋」をせず、「箱」の知識をひけらかさず、「自らとその周辺の人々の魂が『生きられる』社会を自らの周辺に構築する」ことを愚直に実践するしかない。そして、この「蓋」の揺り動かしや「魂の解放」を通じて、「1人1人の魂が『生きられる』状態にするという『難行』」が実現される、ということこそ、実はリカバリーへの道そのものである、と感じ始めている。

なぜ闘争が「ふれあい」なのか?

「障害者と健全者の関わり合い、それは、絶えることのない日常的な闘争(ふれあい)によって、初めて前進することができるのではないだろうか。」

実に衝撃的な文章である。障害者と健全者の関わり合いとは、「絶えることのない日常的な闘争」だと言う。しかも、その闘争に「ふれあい」とルビが意図的に振られている。これはいったいどういうことか。
引用したのは、『【増補新装版】障害者殺しの思想』(横田弘著、現代書館)のp104である。横田さんは、日本の障害者運動の源流の一つである神奈川青い芝の会のリーダーのお一人である。この本は元々1979年に出されたが、今年、立岩真也さんの解説付きで復刊されたもので、日本の障害者福祉を考える上での古典的名著の一冊でもある・・・。
という書誌情報は知っているが、現物は復刊されるまで、実は読んだことがなかった。横田さんの同士で、同時代に活躍していた横塚さんの名著『母よ!殺すな』の方は、復刊されたものを読んで、ブログにも引用したことがある。その文章の濃さに圧倒されていたが、今回読んだ横田さんの文章も、ぐいぐいと引きつける魅力を持った文章だった。冒頭の引用の後には、次のような文章が続いている。
「たくみな差別構造の利用によって分断化された『障害者』と『健全者』の間を止揚するためには、まず、『障害者』が自らの位置を確認する、つまり、現代資本主義の下にあっては、その疎外された肉体性によって『本来あってはならない存在』とされた位置を確かめ、逆にその位置を武器として『健全』な肉体を与えられたと思い込まされている『健全者』の社会への闘争(ふれあい)を働きかけることではあるまいか。」
実に70年代的な(=学生運動世代的な)臭いのする文体である。だが、この文章には、僕たちが今でも立ち戻って考えるべき本質が詰まっている。障害者たちは「その疎外された肉体性によって『本来あってはならない存在』とされた」とは、ICFなどの概念形成より20年以上前に、障害は社会からの「疎外」によって生じ、「本来あってはならない存在」という形で排除されている、ということを喝破している。かつ、その障害者の「肉体性」をもって(=つまり、顔も名前もある生身の肉体をもった人として)、「『健全』な肉体を与えられたと思い込まされている『健全者』」と出会うことが大切だ、と言っているのである。ただ、これを「闘争(ふれあい)」と言っている部分が、非常に興味深い。なぜ、「たくみな差別構造の利用によって分断化された」両者の出会いが、「闘争」であり、「ふれあい」なのか。それを理解する補助線となる文章を、二つほど検討してみたい。
「私たち『障害者』、特にCP者たちは日常的に『健全者』の『保護』がなければ『生かされない』現実がある。食物を摂ることから排泄まで一切『健全者』の手を煩わさなければ行い得ない現実がある。そうした日常的な現実の繰り返しの中では『障害者』の精神は、ともすれば、『健全者』に屈服し、『健全』に同化しようと思考し、『障害者』を理解してもらうことが『障害者福祉』の正しい姿だと思い込んでいる。『健全』に同化しようとすることは『健全者』によって規定されている『障害者』を認めることであり、自己を自ら『本来、あってはならない存在』と規定することではないのだろうか。事実、多くのCP者たちは、この『同化』への道を歩むことにより、自ら苦しみを深め、自己の『肉体』の否定、つまり、完全な自己否定にまで追い込まれていってしまうのである。」(同上、p117)
書き写しながら改めて感じたのは、実に論理的な文章である、ということだ。
「『健全者』の『保護』がなければ『生かされない』現実」が日常になると、その保護してくれる「健全者」の支配的論理に従わざるを得なくなる。だが、「健全」「障害」という二項対立的切り分けは、「健全」こそ理想である、という価値前提をはらんでいる。そして、この価値前提に従う、ということは、「健全」への「同化」を理想化する、ということであり、かつ「障害者」を「『本来、あってはならない存在』と規定すること」でもある。この「同化」の論理を肯定することは、まさしく障害者が「自己の『肉体』の否定、つまり、完全な自己否定にまで追い込まれていってしまう」ということになるのだ。だからこそ、青い芝の会のメンバーたちは、命がけで、「健全者」の価値前提や支配的論理への「同化」にNOを突きつけてきた。そして、この「同化」への反対闘争(ふれあい)が、最も先鋭化して表現されたものの一つに、養護学校義務化論争へのコミットが挙げられる。
青い芝の会は、1979年から始まった養護学校の義務化を前に、なぜ養護学校が問題なのか、に関する運動方針を立てた。その中に、「同化」を巡る「闘争(ふれあい)」のエッセンスが詰まっている。
「養護学校を語る時、『その子にあった教育』という言葉が切り札のように持ち出されます。教育の目的が知識を授けるためだけにあるのではなく、人格形成、人間同士の相互理解という側面がきわめて重要であることからして、障害児の存在を抜きにした所の普通教育や、障害児ばかりが小さくかたまった所で行われる養護学校教育が、各々の『その子にあった』ものなどとはとうてい言えないことは明らかです。それ以上に見落としてはならない点は、『その子にあった教育』という時、多くの場合、『障害児が入ってくると、普通児の教育の邪魔になる』『障害児とは関わりたくない』という教師や学校当局者の本音が隠されていることです。これはたまに普通学級に入った障害児が、子どもによってではなく、教師や学校当局の物の考え方によって、『お客様』にされ、排除されていくという事実を見れば弁解の余地はありません。」(同上、p168)
正直に告白すると、15年ほど前の僕は、「その子にあった教育」なる「幻想」を、鵜呑みに、とは言わないまでも、自分で検証することなく、「そういうものかもしれない」と思っている節があった。養護学校に関して、世界の潮流と反する分離主義に関しても、「その子にあった」という「幻想」は、教育領域が不勉強な僕にとって、「もっともらしく」聞こえていた。だが、横田さんのこの文章は、そういう甘っちょろい「幻想」を木っ端みじんに砕く。それは、「教育の目的が知識を授けるためだけにあるのではなく、人格形成、人間同士の相互理解という側面がきわめて重要である」という指摘に尽きる。そう、義務教育においては特に、「人格形成、人間同士の相互理解」の側面は、非常に重要な教育目標なのである。障害者と健全者を最初から分けてしまうと、日常的に「ふれあう」ことがない。実際、僕の授業でも、障害者の福祉課題を話しても、ぴんとこない、他人事と考えている学生が少なくない。それは、小中高と、障害者と「ふれあう」ことを通じた「相互理解」の経験がないから、である。だからこそ、日常的な「ふれあい」を求めた、養護学校義務化=養護学校への障害者の隔離への反対の「闘争」が必要不可欠になるのである。この論理が、昔の僕には理解できていなかった。
また、「その子にあった教育」なる「幻想」の欺瞞性として、「『障害児が入ってくると、普通児の教育の邪魔になる』『障害児とは関わりたくない』という教師や学校当局者の本音」を横田さんが指摘している点も興味深い。二枚舌的に、一方で、「少人数できめ細かい指導を」と言いながら、「指導の邪魔になる」「障害児とは関わりたくない」という教育関係者の「本音」が潜んでいないか、という指摘である。そういえば、スウェーデンの幼稚園では、障害児がいるクラスの方が人気がある、と以前聞いたことがある。それは、障害児がいるクラスには、先生がもう一人クラスに加配されるので、クラス全体にきめ細かい指導ができるから、という理由である。「きめ細かい指導」というのなら、学校や学級をわけるのではなく、障害児一人に教員一人を加配して、普通学級の中で二人担任制にして学べば、障害児にも健常児にも、きめ細かい指導ができる。かつ、学校を建設・維持するコストだって馬鹿にならないことを考えたら、こっちの方がよっぽど合理的である。そういう面で、「その子にあった教育」の、ある種のご都合主義的な部分が見えていなかった。
ただ、一方で、特別支援学校に通う学生が、特に高等部を中心として、全国的に増えているという現実がある。今の特別教育を推進するシンクタンク的役割である国立特別支援教育総合研究所では、だから特別支援学校の新設校や分校設置を、と提言している。しかし、これは『その子にあった教育』の「幻想」を利用した、現状肯定の論理ではないか? そもそも、発達障害の学生が増加する原因として、高度消費社会において、第一次産業や第二次産業が衰退し、第三次産業が異常に求められる日本社会において、「空気を読み」「社会の同調圧力に従順な若者」が学校現場でも強く求められる結果、そのキツイ標準化・規格化の論理から外れた人々を、安易に発達障害とラベリングしている部分はないか。そして、標準化・規格化の論理に合わない学生を「障害児」と分けることで、『障害児が入ってくると、普通児の教育の邪魔になる』『障害児とは関わりたくない』という本音を『その子にあった教育』なる「幻想」にくるんでごまかしていないか。そして、このことを問い直す時、それは健常者の頑強なる常識や価値前提を問い直すことそのものであり、それは健全者と障害者の「ふれあい」であるが、同時に異なる価値前提どうしの「闘争」ではないか。
「その子にあった教育」とは、障害の有無にかかわらず、一人一人の個性や障害特性を認めた上で、人間的な成長を促すことであり、障害をもったままでのありのままの自立を認める、という意味では、同化とは反対の、異化を認める、ということである。でも、現実に行われているのは、障害児と健全児を違う存在として同じクラスでともに学ばせる異化ではなく、障害児は健全児と分けて、健全児学級、障害児学級と、同じカテゴリーの人だけで「同化」させる戦略である。これは、入所施設や精神病院の隔離収容の論理と全く同じである。本当に、「その子にあった教育」を、幻想でなく、まっとうに求めるとしたら、論理的必然として、同化ではなく異化が目指されなければならず、それは一人一人が異なる存在として、「人格形成、人間同士の相互理解」が教育の現場でなされなければならない、ということである。まかり間違っても、教師や学校の「効率化」のために、障害児が排除されたり「お客様」扱いされてはならない、という当然の論理になるのだ。
ここまで書いてきて、映画にもなった「みんなの学校」の木村校長先生が言っていた「すべての子どもの学習権を保証する」という意味が、横田さんの40年近く前の文章を通じて、アクチュアルに胸に響いてきた。そして、それは40年前だけでなく、今だって、単なる「ふれあい」だけではすまされない、「闘争」の現実があるということも、改めて感じた。(ちなみに、この映画「みんなの学校」も、めちゃくちゃよい作品です。元になった番組を見て、僕は何度もうるっときています。)

ひきこもりの「声」と悪循環からの脱却

先週の金曜日、一見全くつながりのなさそうな二つのものが、カチリと僕の中で繋がり始めた。

一つは、山梨県立図書館で開かれた「ひきもり大学 in 山梨 思い込み学科」のイベント。地元紙、山梨日日新聞の「ひきこもり」の連載に実名で登場し、こないだ僕の地域福祉論にもゲストに来て下さった元ひきこもり当事者の永嶋さんから誘われて、参加した。このイベントにおいては、永嶋さんと、「ひきもり大学」の活動も応援し、「ひきこもり」当事者への取材や支援活動も続けているジャーナリストの池上正樹さんのトークと、グループごとに別れたグループトークと分かち合いの場、から構成されていた。
永嶋さんのお話は、前述の大学での講義でも伺っていたが、池上さんとのセッションの中でも、実に深い内容が語られていた。ご自身は、「アゲアゲ系とは真逆」と仰るように、しみじみとした語りだが、心に染みいるものがいくつもあった。例えば
「役割や肩書きがなくなることが、関係性の喪失につながり、ひいては社会との接点の喪失に繋がる。」「ひきこもりから出てくる時も、支援者と言われる人が、本人にどのように接するか、に、大きく左右される。たとえば支援者が『○○してあげる』という上から目線の、上下関係的な接し方ならば、それが嫌で再度ひきこもることもある」
「僕(永嶋さん)自身は、運良く共感できる相手と出会え、そこからフラットな関係性が生まれ、つながりが拡がっていき、そのプロセスの中で、実名で語れるようになってきた」
これらの言葉を実名で語る永嶋さん。なぜ、この言葉に迫力があるのか。それは、トークのお相手である池上さんの著書の中で、わかりやすく書かれている。
「『ひきこもり』という状態に陥る多様な背景の本質をあえて一つ言い表すとすれば、『沈黙の言語』ということが言えるかもしれない。つまり、ひきもる人が自らの真情を心にとめて言語化しないことによって、当事者の存在そのものが地域の中に埋もれていくのである。ひきこもる当事者たちの多くは、本当は仕事をしたいと思っている。社会とつながりたい、自立したいとも思っている。しかし、長い沈黙の期間、空白の履歴を経て、どうすれば仕事に就けるのか、どうすれば社会に出られるのか、どのように自立すればいいのかがわからず誰にも相談できないまま、一人思い悩む。」(池上正樹『大人のひきこもり-本当は「外に出る理由」を探している人たち』講談社現代新書、p10)
この「沈黙の言語」の「パンドラの箱」が、県立図書館という場において、少しずつ、開かれ始めた。言語化が始まった。埋もれていた、誰にも相談できない「声」が、再び産まれ始めた。もともと「声」がなかったのではない。「ひきこもる」ことによって、埋まり、押しとどめられ、「言語化」できなくなってしまった「声」が、ピアの仲間達が手作りで産み出した場において、再生し始めた、のだ。
当事者や家族、支援者達が自発的にボランティアとして集まって構成されたこのイベントは、行政主導のイベントとは違い、手作り感満載で、段取りも含めてゆるーい雰囲気で開催された。池上さん曰く、山梨は、自治体のひきこもり対策が最も遅れている県の一つ、だそうだ。でも、逆説的に言えば、だからこそ、行政主導型に時としてありがちな、形は立派だけど魂が籠もらないイベントではなく、魂が籠もった、参加者の胸に響くイベントが展開されていった。そして、その場に遭遇して、僕は新宿駅のコンコースの書店で買い求め、甲府に戻る車内で貪り読んでいた、一冊の本と、会場全体から伝わってくる「声」が、結びつき始めた。
「一般的には、その主な原因にはいくつか、たとえばAとBとCと・・・があり、Aがまず重要でおおよそ何%ぐらいの割合で影響があり、次にBで約何%の影響があって・・・と考えがちです。小さな原因から小さな結果が起き、大きな原因から大きな結果が起きる。これらを合算したものが全体の結果である、と。
私はこれを『線形思考』と呼んでいますが、こういうものの考え方をしてはいけないのです。なぜか。まず第一に、社会においては、さまざまな物事が関連し合い、関係が連鎖して運動しているからです。そこでは因果は一方向に流れるのではなく、循環しています。ですから、『原因→結果』という枠組みを外し、結果がまた原因に作用する『フィードバック』を重視すべきなのです。(略)
この相互促進作用、すなわち『ポジティブ・フィードバック』は、一旦作動を始めると想像も出来なかったような爆発的な結果を引き起こします。なぜならフィードバックのループが廻るたびに自己増殖的に結果が増えていくからです。」
安冨歩『満洲暴走 隠された構造 大豆・満鉄・総力戦』角川新書、p18-19)
共同研究もさせていただいている安冨先生の最新刊の主題は「満洲」。「緑に囲まれ虎も生きるユートピア」だった満洲が、わずか20年の間にはげ山にされ、「どこまでも続く地平線、果てしなく広がる大豆畑」に変容させられてしまった。その謎を解き明かす中で、日本の思惑や中国におけるアメリカやソ連との関係、および満洲の地理的・気候的・文化的独自性などを分析し、満洲統治的なエートスと「立場主義」日本社会の今日的暴走の起源を辿ろうとする、安冨先生渾身の一冊。その内容や分析にも、多くの学びがあるのだが、安冨先生が「満洲問題」を分析するために用いた方法論の部分が、ひきこもりの「声」を聴く際にも、すごく役立ちそう、という点を、以下述べていく。
ひきこもりの問題も、わかりやすい原因が特定か出来ない場合が多い。だが学校や福祉関係者だけでなく、当事者や家族だって、「○○(性格が優しすぎる・失業した・自己肯定感が低い・・・)のせいでひこもっている」と思い込みやすい。しかし、これは「線形思考」である、と安冨先生は指摘する。このような「『原因→結果』という枠組み」に囚われる限り、悪者探しは出来ても、ではどうすればそこから脱する事が出来るかが、不透明なままである。
一方、「因果は一方向に流れるのではなく、循環してい」ると考えるなら、「原因を特定する」という方法論は無意味である、ということが見えてくる。「結果がまた原因に作用する『フィードバック』」に着目するならば、「さまざまな物事が関連し合」うなかで、一旦家に「ひきこもり」、そのことによって、家族や世間との関わりが切れ、それが「沈黙の言語」になり、「当事者の存在そのものが地域の中に埋もれて」、さらにはその声が聴かれなくなり、するとますます本人が自己主張出来なくなり・・・と、「一旦作動を始めると想像も出来なかったような爆発的な結果を引き起こ」される『ポジティブ・フィードバック』が強化される、という悪循環構造が見えてくる。そして、ここ最近、「ひきこもり」が大きく社会問題化されているのは、その「フィードバックのループが廻るたびに自己増殖的に結果が増えて」、ひきこもりの人々の数が、ある閾値を超えたからではないか、と感じ始めている。
永嶋さんにも来ていただいた地域福祉論の授業では、ここ数年、「悪循環の高速度回転」という、安冨先生が『複雑さを生きる』で提唱された概念を用いて、学生達と考え合っている(この概念については、以前のブログにも書きました)。ひきこもり、だけでなく、ホームレスや、認知症、ゴミ屋敷、シングルマザー、児童虐待、ワーキングプアなど、様々な社会的問題に共通するのは、全て「悪循環」というフィードバックがポジティブに、つまり加速させるようにループしているからではないか、という仮説である。もちろん、ひきこもりとホームレス、シングルマザーなどでは、悪循環を構成する各要素は違う。でも、「ポジティブ・フィードバック」が強化され、「一旦作動を始めると想像も出来なかったような爆発的な結果を引き起こ」されたことで、社会問題化して表面化する、という共通点があるように思える。
そして、このようなポジティブ・フィードバックという「悪循環」を断ち切るためには、循環のどこか一部を強化したりするのではなく、どうしたら「悪循環の高速度回転」を脱却する事が出来るのか、の分析が必要不可欠である。地域福祉論の授業を通じて、様々な社会問題の「悪循環の高速度回転」を学生と考え続ける中で、僕はその脱却の手がかりが、「沈黙の言語」の賦活であり、言語化である、と感じている。
それがなぜ、「悪循環」から「好循環」へのスイッチングの手がかりなのか。そこには、二つのコミュニケーションパタンの切り替えの問題が潜んでいる。そして二つのコミュニケーションの違いを、安冨先生は正規軍とゲリラ戦の違いで説明している。
「先進国のような組織化、正規化された集団は、戦争になると強いのです。そして、攻撃を受けてある程度の被害が出ますと、国家が崩壊することなく、秩序を維持したまま敗北できるのです。(略)ところが、ネットワーク的で分散的な社会は、攻撃力は弱いのですが、どんなに攻撃されて犠牲が出ても崩壊しないので、負けません。というより敗北できないのです。」(同上、p70)
「満洲の地は、中国には珍しくネットワーク性が低くて、ピラミッド型の県域経済システムが支配する、非常に簡単な構造でした。だから関東軍が乗り込んできて、そこだけ占領すれば、満洲全体を支配できました。(略)それに対して中国本土、華北以南は、分散的・階層的な社会でしたので、県域と鉄道を支配しても何も起きませんでした。ゲリラは村々に引っ込んで、延々と『負けない戦い』を繰り広げ続け、正規軍つまり日本軍は、ただただ疲弊していったのです。」(同上、p71)
秩序が形成されたピラミット型の社会と、ゲリラ的なネットワーク的で分散的な社会。前者を上意下達的・中央集権的に指揮命令系統が整う一極集中的なコミュニケーションとするならば、後者はゲリラに代表されるように「ここで負けたらあっちへ行く、あるいは、あそこが負けても私は戦う」(同上、p69)という、一つの命令系統が切れても、別のネットワークで繋がっていく、分散的で複雑な関係性を維持しているのである。
これが、ひきこもりやホームレスを初めとした社会的弱者の話と何らかの関係があるのか?
私は「大アリだ!」と睨んでいる。
日本における福祉的支援とは、行政が絡んでいる場合には特に、正規軍的なアプローチになってはいないか。標準化・規格化されたサービス体系の中で、全国一律・公平中立を謳い文句に、ケアパッケージを提供する、という発想が、特に21世紀に入ってからの、介護保険や障害者総合支援法の枠組みに、しっかりと見えている。このこと自体の是非は置くとして、この正規軍的アプローチが十分に・うまく機能しないのが、ホームレスやひきこもり、ゴミ屋敷など、世間でしばしば「支援困難事例」とラベルが貼られるケースではないだろうか。
なぜ、これらのケースに「支援困難事例」というラベルが貼られるのか。それは、正規軍的アプローチが標準化・規格化した「想定」の「外」にあるケースだからである。正規軍的アプローチのルールの中に収まろうとしない・できない人々だから、である。多くの社会的弱者は、行政から給付される現物・現金給付という対価と引き替えに、その行政の統制の下に、自発的にであれ、嫌々であれ、入る。就労支援や生活介護など、様々なプログラムにも載ってくる。だが、現物給付や現金給付を、行政の管理・統制からの自由とトレードオフ的に受け取らず、ゲリラ的に「支配」に抵抗する人々のことを指しして、「支援困難事例」とは言っていないか。その際、現実的には、その一部は、「”支配”」困難事例、とも言えないか。
先の安冨先生の一節のゲリラをひきこもりに変えるなら、「ひきこもりは家々に引っ込んで、延々と『負けない戦い』を繰り広げ続け」ている、とはいえないだろうか? それに対して、正規軍的に「このようなひきこもり対策を全国・全県・自治体全体・・・で一律・公平中立に行います」というのは、方法論的失敗に陥るのではないだろうか。
では、どうすれば良いのか。
その芽が、金曜日のイベントで垣間見られた。それは、行政が主催する時にありがちな、統制の取れた集権的・秩序的コミュニケーションとは違う、草の根からの、ネットワーク的で分散的な「ゆるい」つながりをもとにしたコミュニケーションである。実はこの会場には、お顔を存じ上げている県や自治体の多くのソーシャルワーカーや公務員、民間のベテラン支援者達も参加していた。だが、誰も自らの立場や地位を全面に出していなかった。みなさん、ワッペンに自分のペンネームだけを書き、平場で語り合っていた。このような立場を超えたフラットな関係性の構築こそ、信頼関係を築く大前提なのである。「あたなと私」の関係が、「支援者と支援対象者」の前に、構築される。これが、分散的でネットワーク的なアプローチの肝である。このお顔の見える関係があるからこそ、人と人のつながりのネットワークの中で、その「声」が聴かれ、魅力が再発見されていく。
そういえば、ひきこもり支援で有名な秋田県藤里町社協では、ひきこもり対策に最初カウンセリングをしようして誰も集まらなかったのに、ヘルパー2級講座を開いたら、ひきこもり当事者が沢山参加した、という。これも、「沈黙の言語」に対して、「○○してあげる」という一方的で規範を押しつけるようなコミュニケーションであれば失敗したのに対して、社協の職員募集に履歴書を送ったひきこもり当事者の声を手がかりに、自らのアプローチを変え、その「沈黙の言語」を活かす形での支援を行ったことで、ひきこもり当事者が「声」を上げ初め、そのなかで、当事者が安心して語り合える居場所を提供し、ひきこもり当事者のリカバリー支援に結びつけていった。
行政や社協などの支援者の側が、勝手に創り上げた支援プランに基づいて、相手を当てはめようとする。これは、正規軍的アプローチの戦略や戦術である。でも、その正規軍的規範に同一化されな人々が、ひきこもりやホームレスなど「支援困難事例」という形で、「負けない戦い」を繰り広げている。それに対して支援現場は、「ただただ疲弊して」いるのである。であれば、コミュニケーションパターンそのものを変える必要がある。
ひきこもりが、「本当は『外に出る理由』を探しいてる」のに、「家々に引っ込んで、延々と『負けない戦い』を繰り広げ続け」ている」。
こう認識するならば、ひきこもりの「負けない戦い」の悪循環を、好循環に変える支援が必要だ。それは、「かわいそうなあなたに、支援者が○○してあげる」という上下的・統制的・正規軍的コミュニケーションをまず捨てる、ということである。相手の「沈黙の声」に思いをはせ、その声をじっくり聞く中で、相手との信頼関係を構築し、ひきこもりの当事者のネットワークの中に入り込む、ということである。まずは、ひきもる人が「心にとめて言語化しない」「自らの真情」を語るのを、じっくり伺う、ということである。この「沈黙の言語」の言語化支援こそ、実は障害者支援領域で言われているセルフ・アドボカシー支援そのものであり、そこからしか、悪循環は好循環に転換しない。
だが、「声」を取り戻し、「言語化」が始まると、「家々に引っ込んで」いる当事者が、「外に出る理由」を、仲間や家族、支援者と一緒に模索し、構築し始める。このプロセスの中で、「負けない戦い」でお互いが疲弊する現状を乗り越え、状況をひっくり返す方法論が見えてくるのである。
僕自身は以前拙著で、このセルフアドボカシー支援のことを、説得的な支配から納得に基づく支援への転換に絡めて論じたことがある。ここに接続させるなら、コミュニケーションパタンの転換、とは、正規軍的な「説得」アプローチから、ネットワーク分散型の「納得」アプローチへの転換である。前者では厚労省や政治家の「○○すべし」という規範に基づく中央集権的ルールが重要視される一方、後者では「沈黙の言語」の当事者の声を聴き、その微弱な声を増幅する中で、その声や「納得」に基づいた、その場その場でのローカルな・分散的なルールが適応される。前者が「沈黙の言語」を結果的に増幅させる、悪循環の高速度回転=ポジティブ・フィードバックの自己増幅であるとするならば、後者はフィードバックのループ構造を理解した上で、その悪循環から好循環へとループ構造の切り替えを促す、当事者主体型の変換プログラムである。そして、それは局所的でローカルな、草の根的なものである。
正規軍的な規範や統制、標準化が、制度化された福祉の領域では色濃く見える。だが、そのような「制度化された福祉」における「支援困難事例」だからこそ、ひきこもり支援においては、ネットワーク型・分散型の、ローカルでボトムアップ的な、ルール生成的な協働作業が、「沈黙の言語」を打ち破るためにも、非常に大きな力を持っている。そしてそれは、ポジティブフィードバックのループを悪循環から好循環へと移行させるために、必要不可欠である。
先週の金曜日は、改めてそんなことを感じた一日であった。

周辺革命とソーシャルアクション

先週末、香港に出かけてきた。The Asian Progressive Social Work Forum 2015に参加しにでかけた。

この集会には、以前著作を読んで感動したイアン・ファーガソンさんの基調講演も含まれていた。かつ、ファーガソンさんと個人的に親しくされている日本福祉大学の伊藤文人先生から、「香港や台湾の進歩的なソーシャルワーカーの集まる熱い集会ですよ」と直々にお誘い頂いた。「これは、何だか面白そうだ!」 その直観だけを頼りに、蒸し暑い香港に出かけてみた。そして、その予想を遙かに超える収穫があった。
今回の集会は、香港とマカオ、台湾、そして中国本土のソーシャルワーカーや、社会福祉の研究者の集まりである。学会とは違い、現場のワーカーが中心の集まりなので、主要言語は英語ではない。広東語と北京語が主要言語で、ファーガソンさんや私たちとのやりとりだけが英語、という、大中華圏の集会。そのアウェー感に、当初はたじろいだ。ただ、香港理工大学の学生さんや教員が、無料で通訳をしてくださったので、何とか話についていけた。聴いている内に、議論の内容の少なからぬ部分が、雨傘革命やひまわり学生運動などの社会運動と、ソーシャルワークの関係性を問い直そうとしている。そう、日本では既に絶滅危惧種になりかけている「ソーシャルアクション」が、この会議のメインテーマである、と出かけてみて、ひしひしわかった。いくつか面白いトピックを、備忘録的に書き付けておく。
今回一番印象的だったのは、台湾の社会福祉専攻の修士の学生で翻轉社工學生聯盟」のメンバー黄さんによる「從社工學生出走潮」という発表だった。通訳とパワポスライドを合わせると、だいたい次の様な事を言っておられた(と思う)。
台湾では、中国との「サービス貿易協定」締結に反対する学生達による社会運動が、昨年の春に起こった。学生達に共感する市民がひまわりを持って応援に駆けつけたことから「ひまわり運動」とも呼ばれている。この運動に参加した社会福祉系の学生(社工学生)さんたちは、運動終了後、自分達が受けているソーシャルワーク教育にも、疑いの眼差しを持ち始めた。授業で教員から学ぶ理論と、現場実習で先輩ワーカーから学ぶ実践の乖離が凄く大きい。また、社会福祉の現場は、労働環境も悪かったり、管理主義が強まったりで、燃え尽きたり離職する福祉職も少なくない。そういう実態と理論の乖離を目の当たりにした学生達は、運動にコミットする以前には、矛盾や衝突を、「どうせ」「しかたない」と諦めていた。
だが、ひまわり運動に関わった後の学生達は、自分達の目の前の実態の衝突や矛盾と、向き合い始め、自主的な学習会を組織した。それが、この連盟である。この「
翻轉」とは、「ひっくり返し」の意味であり、学生の側から、社会福祉教育の矛盾や構造的問題点を問い直す、という非常に面白い試みである。その中で、一体何のためにソーシャルワークを行うのか、社会福祉は誰のためになっているのか、を構造から問い直し始めている。教師が教える「価値中立」を鵜呑みにするあまりに、社会的矛盾が起こる抑圧的構造そのものを哲学的に問い直す視点がないのではないか、と気づき始めている。そして、様々な社会運動や地域活動と連体しながら、学生たちも共に学び、変わる運動にコミットし始めているのだ。
それを聴いていて、ファーガソンさんが基調講演の中で言及していた、パウロ・フレイレの批判的意識化概念を、強く思い出していた。
「批判的に思考すること。それは、世界と人間を対立するものとしてとらえる発想を認めず、世界と人間のわかちがたい共生について考えていくことだと思う。具体的にいうと、それは、現実に起こっていることを、固定されたものとしてとらえるのではなく、プロセスとしてとらえ、常に生成されていくものとしてとらえるということでもある。自らを常に動的な状態に置き、危険はあっても怖れることなく、今この時に『浸る』ということである。」(パウロ・フレイレ『新訳 被抑圧者の教育学』亜紀書房、p129)
社会福祉の理論では、価値中立やケアマネジメントの重要性が指摘されている。そして、価値中立と言うことによって、抑圧者の価値観にも被抑圧者の価値観にも、どちらにもコミットしない、ということになりがちだ。また、ケアマネジメントは、本人が望むサービスをいかに効率的に提供するか、が原義のはずだが、いつの間にか支給額上限が決まっている中でサービスの給付管理をする、というマネジドケアに意味にすり替わっている。つまり、そのどちらも、「現実に起こっていることを、固定されたものとしてとらえる」罠に陥っている。そしてそれが罠なのは、現実を「固定」化するとは、つまり社会の抑圧構造を「固定化」することに結果的に荷担している、ということでもあるからだ。
ここ罠から抜け出すためには、「問題行動をする人」「依存症状態の人」を「その人が問題」と「固定」して捉えず、その人がそのような問題状況に陥るのを「プロセスとしてとらえ、常に生成されていくものとしてとらえる」必要がある。すると、そういう問題状況が作られる中で、社会の抑圧的状況も見えてくる。新自由主義や社会的抑圧をアイデンティティの問題に矮小化したポストモダンの問題も、同時に考慮し直す必要があるだろう。つまり、個人的な不幸や悲劇の問題とされていたものが、社会的抑圧や差別の問題とリンクしてくる。これは、「世界と人間のわかちがたい共生について考えていく」際に必要不可欠なことだ。
そして、台湾のムーブメントで興味深いのは、学生や若手ソーシャルワーカーといった、20代~30代の若者達が、文字通り「自らを常に動的な状態に置き、危険はあっても怖れることなく、今この時に『浸る』」実践をしていた。これは、マカオでも同様で、家庭内暴力への対策法制定が否決されようとした事に反対するソーシャルアクションを語るのは、20代後半のワーカー達だった。香港で雨傘革命をサポートしたソーシャルワーカーにも共通することだが、「お上」の定めたことを「どうせ」「しかたない」と「固定化」されたものとして捉えず、「動的な状態」にあることを「怖れることなく」、何が問題で何が課題になっているのか、その背後にはどのような文化的・社会的背景があるのか、を分析し、そこから全体像を掴もうと「今この時に『浸る』」取り組みをしていた。
この批判的認識が、1970年代に勃興し、80年代のサッチャーやレーガン政権以後、全世界的に勢いを失っていった、ラディカル・ソーシャルワークそのものの核心にあるもの、である。つまり、マカオや香港、台湾のソーシャルワーカー達は、期せずして、ほぼ同じ時期に、ラディカルソーシャルワークにコミットし始めているのである。
ここで、以前のブログでも引用した、ファーガソンさんによるラディカルソーシャルワークの位置づけを、もう一度振り返って見よう。
①中核的な思想として、「抑圧された立場にある人々を、彼ら・彼女らの生活の社会的・経済的構造の背景から理解する」という特有の信念がある。
②ワーカーとクライエントの間のより対等な関係への要求である。
③主流のソーシャルワークにおいて留意されることが次第に少なくなっていった集団的アプローチの重視である。
(イアン・ファーガソン著『ソーシャルワークの復権』クリエイツかもがわ、p181)
 
これは、僕がこの二日間で聴いていた、香港や台湾、マカオの実践者達が口々に語っている内容をまとめたものと、全く一致している。①抑圧された立場にある人々の問題を、「個人的悲劇」と片付けず、社会経済の構造の矛盾から生まれたものと捉え、その背景を理解しようとしている。②そして、「価値中立」を気張ってお高くとまらず、利用者が何を求めているのか・困っているのか、という立ち位置に立ち、利用者と「対等な関係」を築こうとする。さらには、①や②を実現する為に、グループワークやコミュニティワークなど、「集団的アプローチ」を重視する。問題によっては、ソーシャルアクションや社会運動へのコミットもいとわない。こういう共通点がある、と感じた。
 
さらにいうと、これは「何に対するソーシャルアクションか?」という問いをいれると、もう一段、深く問い直すことが出来る。この大会で、発表者の口から意識的に発言されていなかったのだと思うが、話をつなぎ合わせて聞けば、中国共産党の抑圧的な支配に対する異議申し立て、という側面が強いと感じた。その中で、香港に旅立つ前に読んでいたある本のフレーズが、強烈によみがえってきた。
 
「『強権と言論弾圧による一党支配体制から腐敗は生まれているので、それをなくさない限り腐敗撲滅はできない』ことと、『言論弾圧をやめたら中国共産党の一党支配体制は崩壊する』という自己矛盾を中国は抱えている」(遠藤誉「雨傘革命が突きつけたもの」『香港バリケード』明石書店、p146)
 
ソーシャルワーカーが見聞きする現実、社会的弱者が遭遇する現実とは、社会的矛盾が集中している現実である。そして、香港やマカオは、一国二制度から中国化しつつある中で、中国共産党による強健や言論弾圧が強まっているし、そう両市民は感じている。
 
その際、ソーシャルワーカーは、誰のための、何のための専門家か、が強く問われている。
 
中国本土では急激な高齢化に伴い、ソーシャルワーカーをこの数年間で何十万人という単位で促成栽培しようとしている、と別の報告者は言っていた。だが、この時に共産党政府が育てようとしているワーカーとは、行政の末端で、行政の言うことを聴いて、社会福祉の対象者に適切なサービスを提供する支援をする「だけ」の職員である。だから、高い専門性は必要とされず、促成栽培が可能だ、と踏んでいる。
だが、本来のソーシャルワーカーとは、政府とは一線を画した存在だ。たとえ政府に雇われたワーカーであっても、専門職としての倫理や価値観を持っているし、それが尊重されなければならない。医師や弁護士が、判断や実践に自律性を持っているし、それが法的に担保されているように、本来はソーシャルワーカーの判断や実践にも自律性が担保される必要がある。
とはいえ、そのワーカーの自律性は、社会的弱者の声に結びつき、その抑圧された声の代弁に結びついた時、抑圧する側の「強権や言論弾圧」への批判に、自ずと結びつきやすい。社会的問題を現行制度の範囲内で解決する専門家を必要としているのであって、社会問題が生じる現行制度の矛盾を突きつける存在であっては、困るのだ。だからこそ、ソーシャルワーカーに自発性を持たせてはならず、あまり深く勉強されては困る。これが、促成栽培の理由である。
 
そして、ここまで書いてくると悲しいかな、日本のソーシャルワークの現実だって、結果的に同じ部分はないか、という問いも生まれる。「抑圧された声」に本気で向き合うなら、その抑圧を産み出す組織的・社会的課題への問い直し、が必要とされる。だが日本のソーシャルワークの職能団体は、この部分にきっちりと目を向けているか? それより、厚労省との良好な関係の保持にのみ、汲々としてはいないか? 日本は、政府や党による「強健や言論弾圧」ではなく、職能団体自身がそれらに自発的隷属をしている、とは言えないだろうか? その上で、「現実に起こっていることを、固定されたものとしてとらえ」、自らが社会福祉の閉塞状況を作り出す一因になってはいないだろうか?
そう考えてみると、地域福祉やソーシャルアクションに関心のある人々にとって、香港やマカオ、香港の実践から学ぶべき点は沢山ある。それらの地域は、中国共産党の中心から遠い「周辺地域」だ。しかも前者は一国二制度で、後者も別の国家形態を取っていて、本土と比べたら「言論弾圧」はされていない。だからこそ、こういう事をきちんと主張出来る。しかし、共産党政権が今の矛盾を抱え続ける限り、「強権や言論弾圧」は波状攻撃のように訪れる。だからこそ、3地域のソーシャルワーカーは、現実を「プロセスとしてとらえ、常に生成されていくものとしてとらえ」ることで、周辺からの変革にコミットしている、と言えるのかも知れない。
ちなみに、今回は中国本土からの発表者は、事柄が事柄だけあって、何人かは発表を諦めたそうだ。だが、参加者の中には中国本土のソーシャルワーカーや、その教育を受けている学生が沢山いて、活発な議論を交わしていた。周辺ほど自由ではないが、それでも周辺革命の自由に触れ、中国本土のワーカー達もずいぶん刺激を受けたようだ。これは、自発的隷属をしている日本からの参加者にも、同様だった。
香港や台湾、マカオなど東アジア地域の進歩的なソーシャルワーク実践から学べることは、凄く沢山ある。それを深く認識した二日間だった。
 
最後に、進歩的なソーシャルワーク実践と雨傘革命の関係性を、もう一点だけ触れておきたい。先の革命を側面的にサポートした立法院の委員で、「香港のゲバラ」と言われている長毛に、安冨歩先生はインタビューしている。その記録の中で、次の様なフレーズが出てきた。
 
「占拠は人々の自発的な活動の集積として形成されたが、同時に、その限界も示された。完全に個々人が自発的に動くだけでは、人々が求めていることは実現出来ない。今後は、組織性を高めねばならない。もちろん、武力を使って闘争する条件はないので、平和的で直接的な方法で闘争するべきであるが、もっと集結された行動を考えるべきだ。ストライキとか、ボイコットとか。街角の闘争と職場なりの闘争とが連結せねばならない。」(『香港バリケード』p214-5)
 
これは、ラディカルソーシャルワークの復権の必要性を説くファーガソンの3つの整理と見事に一致している。①抑圧された市民の「生活の社会的・経済的構造の背景から理解する」中で、強権や言論弾圧などの、さまざまな矛盾の背後にあるパワーが見えてくる。これを、②運動の参加者達が「対等」に分かち合う必要がある。さらには、その個々人が「対等」に「関わり合う」ために、ファシリテーター的な存在が、「集団的アプローチ」の形成を支援することによって、「組織性を高め」ることが可能になる。「個々人の自発的な動き」を、「集団的アプローチ」にどう編み直すのか、が問われている。
そしてこの点では、官邸前で行われている反原発運動のデモに対する、安冨先生の危惧と、同じ思いを持つ。
「参加している人々の間でコミュニケーションが発生すれば、この運動はもっと広がっていくだろうけれど、そうでなければ、力を持てないのではないか」
運動に参加している人々の間で、対等な立場でコミュニケーションが発生しない。これが、21世紀の日本の現実である。ここには、かつての社会運動の少なからぬ部分が背負っていた、上意下達的なものへの反発もある。一部のリーダーが専制的に決めて、それを黙って従う、という形に対する、団塊ジュニア以下の世代の無意識的な反発でもある。それは、中国共産党の「強権」と同じではないか、と。
だが、だからといって、運動に参加しいている個々人が、お互いに対等な立ち位置で思いをぶつけ合う事が出来ないとしたら、運動の力が十分に発揮されない。安冨先生はガンディーを引用しながら、「非暴力的抵抗」の精神を説いている。そして、「非暴力的抵抗」のためには、「集団的アプローチ」が必要不可欠であり、そのためのヒントが、ラディカルソーシャルワークの実践の中に詰まっている。そう思うと、改めて、21世紀の日本でも、ラディカルソーシャルワークの可能性は、「再発見」されてもよい、と強く感じた。そして、そういう日本に住む私たちは、香港や台湾、マカオなどのアジアでの「非暴力的抵抗」の実践から、もっと沢山のことを学べるのではないか、と感じた週末でもあった。

身体を通じたメッセージ

久しぶりに朝、6時前に目覚めてブログを書こうとしている。ずいぶん久しぶりのことだ。

2012年から2013年にかけて、二冊の単著を一気に出すため、毎朝5時起きで、原稿を書き続けていた。あのときは、ぱっきりと目覚めることが出来、どちらも夏休みで初稿を終え、秋口には本を出していた。どちらも春から書き始めたので、今から言えば驚異的なスピードだ。まあ、ある程度の下原稿も出来ていたし、コンセプトが定まっていた、というのもある。そして、去年の2014年は一冊の編著をまとめ、国際学会のフルペーパー一本、国内学会でも求められていないのにフルペーパーを二本、書いていた。とにかく、ずーっと何かを書き続けていた気がする。
で、気がつけば、身体はクタクタになり、エネルギーが消耗していた。
5年ほど前から須玉の中田医院という中国医学の先生に主治医になって頂いている。先生の所に通う中で、いろいろな根本治療をして頂き、花粉症もきつい薬からおさらばできたし、体調も全体的に良くなっている、はずだった。だけど、冷えがしつこく残る。その話をしているとき、先生にふと言われた。
「40のあなたが、身体が冷えるなんて、本来はオカシイ。身体が冷えていく、とは、死に向かって進んでいる、ということだ」
どきり、とする表現だ。でも、言われてみれば、その通りである。しばしば、ストレスはありませんか?と聴かれる。僕自身は、愉快に働いているつもり、だし、職場環境にも恵まれているし、最近やっとアウトプットも出来るようになってきたし、ルンルンしているつもりである。そりゃあ生きていれば人並みに腹の立つことや業務集中もあり、ぐったりする事もあるが、それでも愉快に生きてきたつもりだ。それでも喉がつかえたり、痰が絡んだり、眠りが浅い、早朝覚醒など、挙げてみたら確かに色々なストレスの症状が出ている。それって一体何だろう、と思いながら、ふと手に取ったある本に、そのことがずばりと指摘されていた。
「エッジは、プロセスを、クライアントが同一化している一次プロセスと、彼が直接に関わっていないと感じている二次プロセスとに分裂させる。エッジは個人を、自己一致させることもあるし、自己不一致の状態や、分裂させたりもする。例えば、視覚タイプの人は、自分の身体の感じとは同一化しないかもしれない。このため彼は腹痛にみまわれても、それが耐え難くなるほどひどくなるまで認めようとしなかったりする。彼は自分の身体など大事じゃないとか、身体を感じ取ることができないと言ったりする。そのため身体感覚を分裂させるエッジが生じ、自分の身にふりかかった二次的現象として現れるのである。自分が好きで自覚しているプロセス、すなわち視覚と、もうひとつの嫌いな腹痛というふたつのプロセスを体験し続ける限り、彼は自己不一致の状態になってしまう。長期にわたって存在し続けるエッジは、ブロックとなり、心身相関的な問題と関わってくる。なぜなら、意識的にキャッチされない情報は、常に別ルートで身体をめぐるからである。」(アーノルド・ミンデル『プロセス指向心理学』春秋社、p57)
これは、小さい頃からの「ひろしくん」そのもの、である。
ひろしくんは、小さい頃から絵本が好きで、その後は本をよく読むタイプの子どもだった。また、ドラマや小説など、その世界に入り込んでしまうという意味でも「視覚」タイプの子どもであった。一方、昔からよく腹を下し、正露丸を欠かせないように飲んでいた。休日前、腹を下してしんどくなっても、予定通り遊びにつれていってもらいたくて、「耐え難くなるほどひどくなるまで認めようとしなかった」こともある。大人になって、暴飲暴食が減ってくると、腹痛は今度は冷えに変わった。この冷えだって、中田医院に通うようになるまでは、「耐え難くなるほどひどくなるまで認めようとしなかった」点で同じである。そういう意味で、書いたり読んだり、という「視覚」チャンネルの世界には自己一致させているけれど、身体感覚とは「自己不一致」そのものであり、「分裂」状態であった。「身体の声」に耳を傾けず、「ブロック」として、身体症状をどんどん悪化させていった。「意識的にキャッチされない情報は、常に別ルートで身体をめぐる」事態そのもの、だったからである。「死に向かって歩みをすすめる」ほど足を冷やしてまで、警告しているのである。
ミンデルの本は、1年ほど前から、『ディープ・デモクラシー』『ワールド・ワーク』などの集団プロセスの変容支援の本を中心に、読み続けてきた。でも、それが僕自身の問題だ、とアクチュアルに突き刺さる感覚はなかった。だが、連休後にこの本を読みながら、他者や集団のプロセスの問題を考える前に、まず自分自身のプロセスと向き合う必要がある、という当たり前のことに、気づき始めた。特にこの数年意識している「足の冷え」。これは、単に身体が冷えているだけではない。自覚化出来ていないストレスが溜まったり、緊張したり、身体がへとへとになったり、という「身体自身の自己主張」に、僕が耳を傾けようとしないまま放置したとき、エッジとして、つまり「身体の声の代表選手」として、猛烈に「抗議」しておられるのである。それを、僕はこれまで「足にはるカイロ」や「登山用靴下」で、冬場は誤魔化してきた。でも、それ自体がそもそも、「何とかしろよ」という抗議の内容に耳を傾けることなく、抗議の声を押さえ込むために、「まあまあ、今日はこれでお引き取り下さい」となだめすかし、騙して、沈静化させていた。エッジを「意識的にキャッチ」しようとしないから、「心身相関的な問題」は最大化しつつあるのではないか、という仮説を抱くようになった。
そして、ここ数週間、少しずつ、身体の声を自覚的に聴こうとしている。すると、今まで聴けなかった声が、色々聞こえてくる。
ぐったりしている、身体がだるい、ゆっくり眠りたい、熟眠感がない・・・
つまり、休日を作り、何もしない日を増やして、心身をのんびりさせなさい、という、月並みだけれど、大事なメッセージである。休日も出張続きで、出張がないと山登りに出かけたり、という、ずっとギアを入れっぱなしの生活に、区切りをつけて、身体のメンテナンスをしてほしい、という声である。そういえば、家のソファーに座ってのんびりすることもなく、ちょこまか動き続けてきた。朝から原稿も書き続けてきた。認めたくないが、「ワーカホリック」そのものである。では、どうすればよいのか。
「プロセス指向心理学者は、身体的問題が、身体化されたメッセージを知らせてくれるエネルギーの発端になることを発見する。いいかえるなら、身体は必ずしも克服すべき病理的問題であふれているのではなく、とぐろを蒔いている、開発すべき潜在的エネルギーの源泉からのメッセージに満たされているのである。」(同上、p150-151)
ほほう。「冷え」は「克服すべき病理的問題」ではなく、「開発すべき潜在的エネルギーの源泉からのメッセージ」なのか。そう思うと、いろいろ合点がいく。これまで「冷え」を無視してきたのは、自分が「病理的問題」に蝕まれている、という事を認めたくなかったからである。でも、「病理」ではなく、、「開発すべき潜在的エネルギーの源泉からのメッセージ」であれば、話は全く別である。色々な部分で根詰まりや不全感を抱えている、40歳で前厄のひろしくん。ここでは、エッジとして表面化しいてる「冷え」の声を聴くことで、「開発すべき潜在的エネルギーの源泉からのメッセージ」を探り当てる事が出来るかも知れない。すると、「ワーカホリック」ではななく、まずはゆっくり休んで、身体の声に自覚的になるところから、スタートしなければならない。
そう気付いて、5時頃に早朝覚醒しても、二度寝してみることにした。休みの日も予定を詰め込まず、数日間の出張を減らしてみた。劇的な変化はない。微弱な声を聴くのは簡単ではない。でも、ちょっとずつ、何かが変わり始めている感覚がある。視覚タイプの僕は、この変容プロセス自体を書いておかないと、きっと身体の声をまた無視して、暴走して、エッジを最大化させることになるだろう。昨日もお休みを頂き、この週末で「1Q84」も再読してすっかりリフレッシュ出来たので、備忘録的に視覚に刻み込ませるために、「身体の声をきけ」と、ここに書き付けておく。

ほんまもんのエンパワーメント論

目の覚めるような切れ味の鋭いエンパワーメント論を御恵贈頂いた。
著者の北野誠一さんは、日本の障害者運動における理論的支柱のお一人である。僕自身は大学院生の頃、指導教官の大熊由紀子さんからご紹介いただいて以来のご縁で、14年前には、お二人と共にスウェーデンでリンクビストさんのお話しを伺うという素晴らしいチャンスも頂いた。その後、北野さんのフィールドであるカリフォルニア調査に誘って頂き、その後いくつかの編著もご一緒させて頂き、博論を書いた後から30代後半までの10年以上、外弟子的に学ばせて頂いた。支給決定のあり方やパーソナルアシスタンスを学んだスウェーデン調査も、カリフォルニアの権利擁護実践調査が下敷きになった『権利擁護が支援を変える』の骨格も、北野さんがいなければ生まれることはなかった、という意味で、本当に大恩人である。
北野さん(親しみを込めてそう呼ばせて頂いている)は障害者福祉領域で数多くの書籍づくりに携わってこられた。が、実はこの本が北野さんの待望の初単著、である。これまで単著執筆より現場支援を重視してこられた北野さんが、大学教授も卒業され、やっと時間が出来てまとめられた一冊である。興味がないわけがない。この本は、支援におけるステイクホルダー論や法制度における権利擁護課題と、本人と支援者の相互エンパワーメント論が、曼荼羅のような一体化された世界として示されていて、支援の羅針盤のような本である。気になるところを、何点かピックアップしてみよう。
「本人のおもしろい人生をサポートするということは、けっしてふまじめでいい加減なストーリーなのではない。それが楽しい人生をサポートすると書いていないのは、楽しいには、安全をキープしたおぜん立てのニュアンスが感じられるからである。おもしろいということは、人間主体としての投企性の問題である。その危険性を前提とした、賭けたものがなければ、私たちの自立生活は死んでしまう。まさに一期一会の思いで・一時を生きることを、『本人と支援者の相互エンパワーメント』は意味している。」(p47)
この短い文章の中に、人を支えるとは何か、の根源的な価値が詰まっている。慈善的な福祉は、確かに「楽しい」アクティビティを利用者に提供する。でも、そこに「安全をキープしたおぜん立てのニュアンス」が含まれている限り、それは支援者にコントロールされた暮らし、を意味する。こう書くと、「安心や安全を護ることが支援者の第一の役割ではないか」「そうしないと施設のコンプライアンスが護られないのではないか」という疑問が出てくるかもしれない。
でも、北野さんが指摘しているのは、支援とは「施設のコンプライアンス」や「安心・安全」のため「だけ」ではない、という点である。一人の人間が、活き活きと生きる喜びを持って暮らすとき、そこには「おもしろさ」がある。それは、「一期一会の思いで・一時を生きる」という「運命へのチャレンジ」をしている。それが「賭け」であり、「人間主体としての投企性」なのだ。その、ほんまもんの「おもしろさ」を支援することこそが、支援者と本人が紡ぎ出すエンパワーメントという関係性における、最大の魅力なのかもしれない。
では、その時に支援者に求められる立ち位置とは、どのようなものだろうか。
「私たちが必要としているのは、『自分で何とか事態を理解・掌握して、一緒に自分らしく面白く生きてゆきたい』という本人の基本的な希求を、『本人と支援者の相互エンパワーメント関係』において展開できる、本人と支援者の面白い相互変容関係である。(略)本人は、支援専門職にその生き様を決められたり、拘束されることなく、支援者のプロとしての意思決定・表明支援を介して、ますます『自分で何とか事態を理解・掌握し』、支援者のプロとしての技術を介して、ますます『自分らしく面白く生きて』ゆくことになる。」(p95)
ここで大切なのは、支援のゴールが『自分らしく面白く生きてゆきたい』という点にある。安心安全を護る、ことは、そのための手段になれど、目的ではない。現状の支援はともすれば、上位概念にある真の目的を忘れ、「手段の自己目的化」に矮小化されてはいないか? この部分に、北野さんは最大の警鐘を鳴らしているのである。
そして、本人が「支援者のプロとしての意思決定・表明支援を介して、ますます『自分で何とか事態を理解・掌握」し、本人が「ますます『自分らしく面白く生きて』ゆく」のを間近で感じするからこそ、支援者の仕事も「面白く」なってくるのである。そういう意味では、支援の物語、とは、「本人と支援者の面白い相互変容関係」そのもの、である。ならば、ここで問われるのは、支援者が本人と共に「面白い」と思っているのか、ということである。
ここで再び考えなければならないのは、「楽しい」と「面白い」の違いである。「楽しい」というのは、受け身的な空間であっても、瞬間的には生じうるものである。だが、「面白い」というのは、極めて能動的なものである。北野さんも「おもしろいということは、人間主体としての投企性の問題」と言っている。本人も支援者も、能動的に人生に賭ける(=投企する)からこそ、その責任と役割を自発的に担うからこそ、ほんまもんの「面白さ」が生じるのである。つまり「おもしろい」を実現するためには、本人が支援者に管理や支配されないのは勿論のこと、支援者だって、施設管理者や雇用主、施設の論理に従順にならずに、そこから自由になり、本人とともに、本人が「おもしろい」と感じることに、一緒に能動的に賭ける事が出来るか、が問われている。これは、認知症高齢者の支援でも、全く同じである。
北野さんはエンパワーメントを敢えて日本語に置き換えずに用いているが、訳すとするならば、「自分らしく・人間らしく共に生きる価値と力を高めること」(p99)と整理している。一般に訳語として用いられている「能力・権限付与」には、自己責任的な臭いがするとした上で、特に重度の知的障害や認知症の人など、意思決定・表明支援が支援の重要な鍵になる人の場合はなおさらのこと、支援者と本人との「共に」の行為が必要不可欠である、と整理している。だが、その際に問われるのは、「共に」における、支援者と当事者の関係性や、権力関係構造の問題である。北野さんは、こう指摘することも忘れていない。
「支援とは、支援を必要と見なされている利用者に対する介入行為なのであって、それが本人の自己決定・自己選択と同意に基づかない場合には、それは余計なお世話であるのみならず、本人の自由な生活を抑圧する可能性のある不法行為なのである。」(p173)
支援に携わる人々の中で、自らの行為が「本人の自由な生活を抑圧する可能性のある」ことに自覚的な人は、一体どれだけいるだろう? そして、確かに北野さんが言うように、アプローチの仕方を間違えば、支援者は抑圧者になる「可能性」があるのだ。その権力関係の危険性に、どれほど自覚的か、が常に問われている。そして、アプローチの違いによって、次のどちらにもなりうる、という。
「①重度の障害者を『援助を必要とする弱者』『援助者に依存する受け身的な存在』ととらえて、『相互役割期待-成就』関係を形成すれば、まさにそのような依存者として、本人はその期待に答えてしまう危険性が高いこと
②そうではなく、重度の障害者を『意志決定・表明支援を含む支援を必要とする生活主体者』としてとらえ『相互役割期待-成就』関係を形成すれば、まさにそのような、生活主体者としての人生が、『本人と介助支援者との相互エンパワーメント関係の展開』の中で創出される可能性が高いこと」(p161)
重度の障害者は、支援者との関係性によって、依存者にも生活主体者にもなり得る存在である。その際、支援者が重度障害者とどのような「『相互役割期待-成就』関係を形成」するか、が最大の分岐点になる。意志決定・表明に支援が必要な認知症高齢者や重症心身障害者が、『援助者に依存する受け身的な存在』とならずに、『意志決定・表明支援を含む支援を必要とする生活主体者』としてエンパワーメントされていくためには、関わる支援者の志向性や、障害者との関係性自体が、大きく問われる。そこで、北野さんは「権力関係の自覚化」の重要性を指摘する。
「自己実現等でなく、エンパワーメントという言葉を使用するのは、私たちの概念形成の前提に、ステイクホルダー間の利害・利益という力(パワー)の相克があるからだ。きれいごとで何とかなるように見える世界は、基本的にパターナリズムや力(パワー)のイネルティア(惰性・なれあい)に安易に依存した世界だと思って、まず間違いない。」(p95)
実に、実にシャープな分析である。支援者と支援対象者、あるいはサービスを求める当事者と支給決定の主体である行政、は、異なるステイクホルダーであり、異なる「利害・利益という力(パワー)の相克がある」。この歴然とした前提に目を向けることなく、「きれいごとで何とかなるように見える世界は、基本的にパターナリズムや力(パワー)のイネルティア(惰性・なれあい)に安易に依存した世界だと思って、まず間違いない」とまで言い切られる。だからこそ、異なるステイクホルダー間の、特にパターナリズムやなれあいの「犠牲者」になりやすい、援助対象者やサービス受給者のエンパワーメントこそが、必要不可欠だ、というのである。ここには、当事者間によるセルフアドボカシーなども、当然に含まれてくるだろう。本人の選択や決定を重視しない介入行為に毅然と「NO!」を突きつけるためには、「ステークホルダーA(サービス利用者)のもの申す市民性・当事者性や市民活動・当事者活動」(p53)としてのセルフヘルプ(自助)グループの存在が必要不可欠である。だが、現在の自助・互助論に対する北野さんの評価も、非常に厳しい。少し長い引用となる。
「私は、アメリカ、カナダ、スウェーデン、イギリス等に調査に行ったが、地縁関係における近隣の助け合い活動を強調している地域にはお目にかからなかった。むしろ、干渉し合わない個人主義を前提とした近隣関係の下での、地域社会内外で、様々な興味・関心・生きづらさを同じくする仲間活動としての『互助』のイメージである。
今後ますます、スマートフォンやパソコン等で様々な興味・関心・生きづらさを共有する仲間とのソーシャルネットワーキングを行う団塊の世代が高齢化してゆくとすれば、『互助』のイメージは、様々な興味・関心・生きづらさを同じくする仲間活動と言えるだろう。
そもそも、『自助』とは、可能な限り地域での自らの生き方・生き様を自己決定・選択してゆくことを目指す、各種のエンパワーメント戦略を意味し、さらにセルフヘルプグループ(SHG)のところで見たように、同じ生きづらさ・困難・障害・病気等をもつ仲間(ピア)の相互支援である『自助-互助』を意味する。
繰り返すが、欧米でも、また我が国のこれからを想定しても、近所の助け合いとしての『互助』より、干渉し合わない個人主義を前提とした近隣関係の下で、様々な興味・関心・生きづらさを同じくする仲間活動としての『互助』が重要となろう。」(p54)
最近の地域包括ケアシステムの議論に、文字通り正面から異議を唱える指摘である。だが、この指摘も、よくわかる。確かに、僕もスウェーデンに半年住んだが、「地縁関係における近隣の助け合い活動を強調している地域にはお目にかからなかった」。また、スウェーデンでのボランティア活動についてもちょこっと調べた事があるが、介助や見守りなどの直接ケアや支援活動よりも、「様々な興味・関心・生きづらさを同じくする仲間活動としての『互助』」活動が中心だった。例えば障害者領域でいうならば、サッカーやヨットなどを障害者と共に楽しむボランティア団体は沢山あっても、障害者の直接的支援は行政がする仕事、と公的責任をはっきり打ち出していたことを思い出す。
また、北野さんは団塊世代まっただ中の1950年生まれだが、団塊の世代が文字通り克服してきたのは、ムラ社会的な共同体の同調・従属圧力であった。繰り返し「干渉し合わない個人主義」と書いているのは、「干渉する集団主義」としての共同体にウンザリしてきた記憶が古くないからだ。そして、その「干渉する集団主義」には、あの日本型福祉の「亡霊」が見事にこだまする。
ご存じの方も多いと思うが、オイルショック以後の1970年代後半から80年代にかけて政府与党によって提唱された日本型福祉とは、欧米型の福祉国家論を切り捨てた上で、「個人の自助努力」「家族・近隣の相互扶助」「民間活力の活用」「ボランティアの推進」などを推進し、上記が機能しない場合の補完機能としての公的責任、という「残余主義的公助」の発想である。スウェーデンでは老人の自殺が多い、などという嘘をまことしやかに喧伝し、「干渉する集団主義」としてのムラ社会の中で、主として嫁や姑という女性がケア労働を無償で行えばよい、という発想が、この日本型福祉社会論の中には伏流している。そして、今の地域包括ケアシステムにおいても、特に「地域での支え合い」という視点で互助を定義する時に、この日本型福祉社会論の「亡霊」が息づいているのではないか、という北野さんの警鐘である。これには、この領域での実践に取り組む際の大切なヒントが隠されている。
「干渉し合わない個人主義を前提とした近隣関係の下での、地域社会内外で、様々な興味・関心・生きづらさを同じくする仲間活動としての『互助』というイメージ」という時、ムラ社会的共同体が個人に干渉して1人1人の主体性を潰すことがない、という前提がある。特に、一見すると声の弱い障害者や高齢者などは、この部分が護られないと、「手の掛かる人は入所施設か精神病院で面倒を見よう」という風潮も、「亡霊」のように、何度も蒸し返される。ここは、残余型ではなく、生存権保障として、ちゃんと「公助」が1人1人の生活保障をすべきである。この部分に「互助」や「自助」を担わせてはならない。
その「公助」による生活支援の保障の上で、「様々な興味・関心・生きづらさを同じくする仲間活動」としての「互助」が展開されるべきだ、というのが北野さんの主張である。その前提がないと、「可能な限り地域での自らの生き方・生き様を自己決定・選択してゆくことを目指す、各種のエンパワーメント戦略」としての「自助」は成り立たない。「自助努力」とは、「公助」の放棄でも、「互助」への丸投げでもない。「公助」という土台がしっかりしているからこそ、「エンパワーメント戦略」としての「自助」や、「様々な興味・関心・生きづらさを同じくする仲間活動」としての「互助」が活き活きしたものになるのだ。この部分が、今の日本では、特に行政や企業という「金を出す側」のステークホルダーの意向によって本末転倒なものになってはいないか、というのが、北野さんの問いかけである。
「あまりに介護保険制度の維持に汲々とする余り、『生活支援』なるものの、重要性と専門性を見誤っていると言われても仕方あるまい」(p58)
同書の中でも触れられているが、大学教員を早期退職して、この数年間、お母様の介護をしてこられた経験にも裏打ちされた北野さんの指摘は、誠に深く、重い。地域包括ケアシステムの展開のお手伝いをしている僕自身としても、何のための自助・互助・共助・公助なのか、をもう一度、原点に戻って考え直すきっかけになる一冊であった。「制度の維持に汲々とする」ことが、「互助」活動のインセンティブになってはならない。すると、団塊世代が必死になって抜け出してきた「干渉する・同調圧力の強いムラ社会」が復活するだけだ。そうではなく、同じ価値観や志向性を持つ仲間との協働活動としての「互助」に関わる中で、「生活主体者」としての「エンパワーメント」がなされ、「自助」が豊かになるはずである。「公助」はそのために、ちゃんと責任と役割を果たすべきで、介護保険という「共助」(僕はこれを「共助」と言うのは好きではないし、拙著でもそう書いたが)を護るためのみの、「互助」「自助」の方向付けは、「反エンパワーメント実践」につながりうる。最後に、北野さんの「反エンパワーメント」の定義をご紹介して、本論を閉じたい。
「その人間関係・社会関係において、他人や社会に仕切られ、自分自身をコントロールされてしまっているというミジメな実感や実態」(p164)
「反エンパワーメント」は認知症や重度の障害を持っている個人への支援というミクロ関係だけでなく、地域の中での「見守り支援」というメゾ・マクロ関係においても、残念ながら十分に起こり得ることである。そして、そのような日本型福祉の「亡霊」を地域包括「ケア」という言葉で表現しても、「きれいごとで何とかなるように見える世界」の背後には、「パターナリズムや力(パワー)のイネルティア(惰性・なれあい)に安易に依存した世界」が存在している。だからこそ、「ケア」から「エンパワーメント」への枠組み転換が必要不可欠なのだ。それを、長々書きながら、改めて強く感じた一冊であった。
追伸:エンパワーメント支援の迫力やリアリティから読み始めたい人は、3章以後を先に読んで、最後まで読み終わってから1章2章を読みすすすめた方が、頭に入りやすいかも、しれません。

自律性を支援するには

昨日、ゼミ生の皆さんと飲み会だった。彼ら彼女らの語りに耳を傾けながら、ある一冊の本を思い出していた。

「自律的であることは、自己と一致した行動をすることを意味する。言いかえれば、自由に自発的に行動することである。自律的であるとき、その人はほんとうにしたいことをしている。興味をもって没頭していると感じている。たしかな自分から発した行動なので、それは偽りのない自分である。統制されているときはそれとは対照的に、圧力をかけられて行動していることを意味する。統制されているとき、その行動を受け入れられているとは感じられない。そういう行動は自己の表現ではない。なぜなら、統制に自己が従属しているからである。まさに疎外された状態だと言ってよい。統制されたり疎外されたりすることなく、自律した偽りのない自分であることが、生活のあらゆる場面で大切だ。」(デシ&フラスト『人を伸ばす力-内発と自律のすすめ』新曜社、p3)
僕の3,4年のゼミは、自分の頭で考えること、を大前提にしているゼミであり、自発的で、議論にも積極的な学生達のあつまりだ。そして、少なからぬゼミ生が、これまでいわゆる「よい子」であった、と思われる。ただ、「よい子」というのは、世間の基準における評価が高い、ということと、しばしば一致している。すると、世間の基準に自分を合わせてきた、という意味での評価の高さは、下手をすれば「親や周りの人々、世間の『統制』を受け入れてきた」ということにつながりかねない。それが気になって、飲み会の時にそれとなく聞いてみると、ぽろぽろ目に涙を浮かべるゼミ生も、やっぱり出てくる。そんな折に、ちょうど読んでいた本の一節を思い出したのだ。
内発的動機付け」研究の権威である社会心理学者のエドワード・デシの考えを、ニューヨークタイムズ元編集者がわかりやすく伝える形で整理した共著には、「支援する」側が学ぶべき至言にあふれている。冒頭における「自律」と「統制」の」違いも、その一つ。ゼミ生だけでなく、いわゆる「よい子」の中には、これまで「統制に自己が従属している」人生を送ってきた人も少なくない。ただ、大学生となり、親や教師、コーチや彼氏・彼女の言うことに「違和感」を感じ始めたとき、僕のゼミの門をくぐる。それは、何だかオカシイ、という不全感を感じ始めているからかも、しれない。そういうゼミ生達をこれまで何人もみてきた。そして、彼ら彼女らの内在的論理を一言で表現するのが、先の表現を用いるならば、「統制」や「疎外」された状態、である。
一方で、ゼミ生のなかには、そもそも最初から我が道をスクスク歩んでいる学生の一群もいる。何だか奔放にやっているようにみえるが、発表やコメントをさせると、すごくシャープで切れの良い発言をしてくれる。彼らの言動を見ていると、「自分から発した行動なので、それは偽りのない自分である」と思える。他方、涙を見せる学生とは、これまでの行動に、自己評価ではなく、他者評価の軸が強く影響している、と思われる場合が少なくない。それは、「自己と一致した行動」ではなく、「他者の評価と一致させる行動」である。しかし、原則的に、人は他者の意見を完全には理解できない。ということは、「他者の評価と一致させる」というのは、実は到達不可能な幻想であり、その幻想を追い求める、ということは、いつまで経っても「見果てぬ夢」である。「見果てぬ夢」を追い求めるうちに、いつのまにか自己は他者に統制されたり、あるいは「自分のほんとうにしたいこと」から疎外され、しぼんでいく。そんなときに、僕のゼミで、スクスク歩む「自律的」な仲間と出会うことは、一種の衝撃であるようだ。かつて、「僕は自分のことがわからなくなりました」と混乱したゼミ生もいたが、これは、統制・疎外された状態から、ほんまもんの「自律」に移行する「移行期混乱」なのかもしれない。
ただ、それに気づいても、変容は簡単ではない。
「変化への出発点は自分を受け入れ、自分の内的世界に関心をもつことである。たとえば、自分はなぜ食べ過ぎるのか、自分はなぜ妻に向かって怒鳴るのか、自分はなぜ子どもと一緒に時間を過ごさないのか、自分はなぜこれほどタバコに依存しているのか、などと考えることである。もともと、何年も、何十年も以前にその行動を獲得したのは、その行動が困難な状況に対処するための最良の方法であったからだと思われる。何かの行動をする理由をみつけるのは、出発点としては有益であるが、非難をする機会になってはならない。変化の過程は、人が非適応的な行動をする理由に気づくことで促進されると同様、その行動について自分自身や他者を非難することによって妨げられるのである。」(同上、p266-267)
僕自身も、以前はしばしば「食べ過ぎ」て今より10キロ以上太っていたから、よくわかる。『枠組み外しの旅』でも書いたが、その肥満化のプロセスは、何者でもなかった大学院生から、収入の乏しい非常勤講師を経て、大学教員として組織に順応するに至る、20代から30代中盤までの10年以上の間、自分のストレスという「困難な状況に対処するための最良の方法」であった。それは、自律的、というより、ある種の統制された状況であった。「枠組み外しの旅」を書くきっかけとなった東日本大震災後の混乱の中で、僕自身はある種の崩壊の危機にもいた。そして、「世間の目」に統制されり反発を覚えたり、そこで疎外されるよりは、「内的世界に関心」を持とうという追い詰められた動機によって、自分自身を呪縛する囚われから自由になるプロセスであった。
一方、ゼミ生達をみていると、その統制や反発、疎外に気づいているものの、「その行動について自分自身や他者を非難することによって妨げられる」状況に陥っている人も、いるような気がする。低い自己肯定感が前提となって、「そうなってしまうのは、私が悪いからだ」と決めつけてしまい、自分自身への非難を行う事で、悪循環に陥ってしまうのである。すると、支援する側に求められるのは、その悪循環構造からの離脱支援である。これは、言うは易く行うは難し、である。だが、同書の中には、そのヒントも載せられている。
「われわれのほんとうの仕事は、彼らが自分自身の意思で自主的に活動に取り組むよう促すことであり、それによって将来、われわれが側についていて援助の手をさしのべなくても、彼らが自由に活動できるようにすることである。」
(p124)
ここはすごく大切な部分である。支援をする両親や教師、管理職や支援者は、支援と支配を、時として無自覚に混同しやすい。自律を促すのではなく、統制の管理下におきたがる。そこに対して反抗をしてくる対象者には、より強い統制や圧制によって、無理矢理自分の支配下におこうとする。これは、自律の芽を摘む行為そのもの、である。
ほんまもんの自律支援とは、「彼らが自分自身の意思で自主的に活動に取り組むよう促すこと」である。今は支援の手がないとうまく立ち上がれないゼミ生達も、疎外や統制された状況でなければ、つまり「その行動について自分自身や他者を非難すること」のない、安心できる環境であれば、「非適応的な行動をする理由に気づくことで」、自分から変わる事が「促進」される。これはつまり、「将来、われわれが側についていて援助の手をさしのべなくても、彼らが自由に活動できるようにすること」に直結する。
この変化を、自律に向けた第一歩と喜べるか、自らの支配・統制下からの離脱と恐れるか? それは、実は支援をさしのべる側が支配者になっていないかどうか、の試金石でもあるのだ。
「真の自己は内発的自己から始まる。すなわちわれわれの生得的興味と潜在能力、そして新しく経験したことがらを統合しようとする、生命体としての傾向が出発点なのである。真の自己が洗練されていくにつれて、人はより大きな責任感を発展させていく。自律、有能さ、関係性に対する欲求から始まって、人は、他者に何かをしてあげようとする意欲や、何かが必要とされているかに応じて行動しようとする意欲を発達させる。こうした価値や行動を統合することによって、より責任感を強め、同時に、個人的自由の感覚をも保ち続けることができるのである。」(p155-156)
時に自己評価の低い学生と出会うこともある。その際、教師タケバタに求められているのは、彼ら彼女らの「内発的自己」を信じて、それが促進するのを励まし、その芽がスクスクと伸びるのを応援することである。自分の「統制」に応じた時だけ評価する「愛情留保的アプローチ」(p156)ではなく、「個人的自由の感覚をも保ち続ける」ことができるように、応援しつづけることなのかもしれない。それが、統制や疎外、反発などで、低い自己評価状態という悪循環に陥っている学生たちが、その悪循環から脱出する一つのきっかけになるのかも、しれない。
そう思えば、このゼミ生とのやりとりは、僕に実に多くの何かを気づかせてもらえる大切な機会であり、そのゼミ生の自律性が深まることを通じて、僕自身の自由や自発性が促進される、という意味で、相互エンパワーメントの世界なのだな、と実感した。そんな飲み会であった。

「知性」って、ワクワクすること

この連休中は、前半が風邪を引いて本を読みながらダラダラすごし、後半は原稿を書いていた。なので、比較的いろんなジャンルの本に目を通していた。その中で、『日本の反知性主義』(内田樹編、晶文社)を読んでいると、ワクワクする表現が沢山出てくる。反知性主義に関して、ではない。「反知性主義」を語る、ということは、「知性とは何か?」を語ることでもある。エッジの効いたオモロイ著者達が、「知性とはなにか?」を語るのを読んでいると、こちらもワクワクしてくる。まずは編者の内田先生の定義から。

「『自分はそれについてはよく知らない』と涼しく認める人は『自説に固執する』ということがない。他人の言うことをとりあえず黙って聴く。聴いて『得心がいったか』『腑に落ちたか』『気持ちが片付いたか』どうかを自分の内側をみつめて判断する。そのような身体反応を以てさしあたり理非の判断に変えることができる人を私は『知性的な人』だとみなすことにしている。その人においては知性が活発に機能しているように私には思われる。そのような人たちは単に新たな知識や情報を加算しているのではなく、自分の知的な枠組みそのものをそのつど作り替えているからである。知性とはそういう知の自己刷新のことを言うのだろうと私は思っている。」(内田樹、p21)
大学院生の頃、大熊一夫師匠に教わった最も大切なことの一つが「分かったふりをしない・知らないことは知らないと言う」ということであった。「わかったふり」をすることで、目の前の問題を問題として認識出来なくなる、と。ギリギリと考え続けるためには、他人の説明や本を鵜呑みにせず、目の前の事象がなぜ生じているのか、について、「なぜそうなのか?」をギリギリ考え続けることが必要不可欠だ、と学んだ。
これを内田流の表現で言い換えるなら、「自説に固執」しない、ということだ。「これも、あれも知っている!」と知識のストックの多さを自慢するのは、所詮「クイズ王」に過ぎない。残念ながら、どんなクイズ王でも、スマホの検索機能には、ストックの面では勝てない。インターネット時代においては特に、知識の多寡ではなく、「自分の知的な枠組みそのものをそのつど作り替え」る、という意味での、「知の自己刷新」こそ、「知性」そのものである。
そして、拙著『枠組み外しの旅』を書くプロセス自体も、自慢げに響くかもしれないが、「自分の知的な枠組みそのものを作り替え」る営みであった。とにかく、安易に「わかったふり」をしたくなかった。様々な著者や、自分が過去に書いた文章と対話しながら、「『得心がいったか』『腑に落ちたか』『気持ちが片付いたか』どうかを自分の内側をみつめて判断する」作業を、虚心坦懐に行ってきた。時には学者のルールや世間の常識から逸脱しているように思えることでも、自分の内側と対話を重ね、「知的枠組みを作り替える」という意味での「知の自己刷新」に必死になって取り組んで来た。その中で、風穴をあける体験が出来たのではないか、と感じている。そして、これもおこがましい表現かもしれないが、その「知の自己刷新」の体験こそが、「ギリギリ考え抜く」ことそのもの、なのかもしれない。
次は、作家の高橋源一郎さんの定義。
「『歪み』を見つけること、そして、その『歪み』を描くこと。それが『知性』だ。『歪み』が見えることを、『知性』がある、っていうんじゃないかな。」(高橋源一郎、p124)
内田・高橋定義に共通するのは、「知性」を感覚的言語で表現している、という点。IQや情報のストック、あるいは情報処理能力をさして、「知性」と述べてはいない点である。高橋さんは、「知性」を「『歪み』の認識」として表現している。これは「多数派が作る社会の『歪み』」を認識することだ、とも述べている。
例えば精神病院って、「多数派が作る社会の『歪み』」の象徴的空間、かもしれない。そこに排除されること、そこから出られないことが何を意味するのか。なぜ日本では30万人以上の人が、その空間に未だにいるのか。それを「必要悪だ」「しかたない」「受け皿がない」と分かったふりをせず、なぜそうなのか、本当に仕方ないのか、を考え続けることが「歪み」を見つけることにつながる。また、私たちが、「どうせ」「しかたない」と見ないことにしている・蓋をしていることの中にこそ、この社会の「歪み」が多く内包されている。沖縄の基地移設問題や、原発再稼働問題にしても、「わかったふり」をせず、「多数派が作る社会の『歪み』」をどう自分事として認識するか、が「知性」には問われている。
もう一人、今度は映画監督の想田和弘さん。
「知性とは、自分の頭で吟味し、疑い、熟考する能力や態度のことである。それは『結論先にありき』の予定調和や、紋切り型でお仕着せの思考を拒絶する。知性の発動に『ショートカット(近道)』はあり得ない。それがゆえに、知性が充分に働くには時間と労力が必要である。同時に、時間と労力をかけて考えても考えても、なんの地平も開けず、したがって何の結果も得られない可能性もある。そういう『空振りのリスク』を潔く引き受け、知的投資をドブに捨てる覚悟の上で、それでも誠実に”発見”や”気づき”を希求すること。それが真に『知的な態度』なのではないか、と思う。」(想田和弘、p243-244)
これも内田先生の受け売りになるが、「知性」とは、市場原理主義のタームとはだいぶ違う。四半期決算で回収できないもの、それが「知性」である。つまり「時間と労力が必要」なのである。しかも、時間と労力を投資することが、見返りやリターンに直結するとは限らない。「そういう『空振りのリスク』を潔く引き受け、知的投資をドブに捨てる覚悟の上で、それでも誠実に”発見”や”気づき”を希求すること」という部分は、すごくわかる。「発見」や「気づき」は、「想定外」のものであるから、だ。
市場主義や会社経営においては、「これだけ投資したら、このようなリターンがあります。リスク分散はこうやっています」というロジックは、説明責任として必要不可欠なことである。なるべく、「想定内」にすることが求められる世界である。それでも、株価の暴落や敵対的買収など、「想定外」の事態は起こる。しかし、一般的には「想定内」で考える事が、クールなことだ、と誤解されがちである。でも、ほんまもんの事業も投資も、そして学びも、実は「『結論先にありき』の予定調和」ではない。それは複雑系の世界であり、予測可能性とは、安冨先生の言葉を借りれば「計算量爆発」の帰結に陥るからである。(さらに言えば、本当に「知性」のある経営者なら、「想定外」の事態に心が開かれている柔軟性がある)
つまり、「知性の発動に『ショートカット(近道)』はあり得ない」のである。「こうなるはずだ」と「自説に固執」せず、「多数派が言うことの歪み」に自覚的になりながら、「時間と労力」をかけて、手を抜かずに「自分の頭で吟味し、疑い、熟考する」こと、それが「知的な態度」なのである。テキパキと処理能力を高めるよりも、時間がかかっても、ウロウロしながら、「空振りのリスク」を潔く引き受けながら、それでも「歪み」に敏感になり、自分の身体が「腑に落ちる」まで「ギリギリ」考え続けること。それが「知性」なのだろう。そして、こういう営みをする中で、自らの「知の枠組み」の「作り替え」が少しずつ、生じるのだと思う。
僕自身は、多くの先達から学び、「知の枠組み」の「作り替え」作業の面白さや、ワクワクさ、に気付いてしまった。だから、予定調和や「想定内」の世界に身を置くことは出来ず、「空振りのリスク」を覚悟の上で、「知性」の世界を希求する旅に出続けている。
そう、「知性」って、お高くとまることでも権威主義的に小難しい知識をひけらかすことでもない。もっとワクワクするし、イノベーティブなことなのだ。そう思うと、「反知性主義」って、ずいぶんつまんなさそうだよなぁ、とつくづく感じてしまう。でも、他人をとやかく批判している暇はない。自分自身の「知的枠組みの自己刷新」を目指して、この連休もギリギリ考え続けたい、と思う。

精神病院という構造そのものへの問い

久しぶりに論文を読んで興奮していた。イタリアで脱・精神病院の展開をしたフランコ・バザーリア。彼やバザーリア派の実践してきた成果は、師匠の本にも書かれ、松嶋さんの本や、拙稿でも触れている。そして、その延長線上で、「施設化の何が問題か」を正面から取り上げ、バザーリアに関するイタリア語文献も用しながら議論を展開する、興味深い論文を、著者の鈴木さんから御恵贈頂いた。面白くて、一気に読んでしまった。

「施設の中で患者は精神医学の『対象』となり、医師の側から診断が下される。次に職員が行う一連の医療処置の『物体』となる。こうしたプロセスの中で患者は『自分自身を完全に見失ってしまう』、つまり自らの存在がもはや主体ではなく『客体』となっていくことに気付く。こうして施設内では、『対象化・物体化・客体化』という三重の意味での”モノ化”のメカニズムが作動していくことになる。」(鈴木鉄忠「”二重の自由”を剥ぎ取る施設化のメカニズム-F.バザーリアの精神病院批判を手がかりに-」社会学・社会情報学第25号 p140)
入所施設や精神科病院への批判は、僕も拙著の中で行ってきた。だが実際に、そうした施設・病院の職員と議論をすると、「僕たちだって一生懸命頑張っている」「帰るところのない人もいる」「今さら地域に戻しても、かわいそうなだけだ」といった反論が出てくる。僕は、そうした病院・施設の現場で、頑張って中身を変えようとしている職員がいる、ということは、理解している。でも、だからといって、入所施設や精神病院の構造を、そのまま続けても良い、とは思わない。それはなぜか、と言えば、鈴木さんが整理しているように、そういった環境では、「『対象化・物体化・客体化』という三重の意味での”モノ化”のメカニズムが作動して」いるからである。
これは、個人の資質や性格の問題ではなく、構造への問いである。福祉や医療という、人を支えるシステムが、障害や病気と診断を下し(=「対象」化し)、決められたルールに従う「物体」とみなし、主体性を失って客体化する。このプロセスそのものが、人間性を剥奪しているのに、その結果よだれを垂らしたり、生気を失った表情を見せた人々は、「病気や障害のせい」だから「しかたない」とされる。この「”モノ化”のメカニズム」によって、効率的に少ない人手で管理のしやすい「患者」「入所者」とはなるが、個性や尊厳、誇りや役割をもった「○○さん」の主体性は剥ぎ取られ、喪失していく。この主体性を剥奪する構造そのものが、問題なのである。つまり、そこで働いている人々の個人的努力や性格の良さ、だけでは、どうにもならない問題が、入所施設や精神科病院に代表される「施設化」の問題である。
そして、この施設化の問題点を、鈴木さんは「・・・からの自由」と「・・・への自由」の”二重の自由”の剥奪、と整理している。前者は、物理的な隔離拘束を指す。だが、そのような物理的な自由の剥奪は、同時に「人間らしい仕方で生きてゆく可能性にたいする、一定の、具体的・積極的態度」を、その被収容者から剥奪する。これは、「・・・への自由」とまとめられている。例えば、病棟転換型施設とか、あるいはグループホームなどでも決められたルールに雁字搦めになっている「ミニ施設化」された場所ならば、この「・・・への自由」は剥奪されたままだ。施設化とは、自由を剥奪することを通じて、人々を「モノ化」し、主体性を剥ぎ取る暴力装置そのものをさしている。しかも、それが法律や制度に則って、システマチックに、かつ標準化・規格化された形で行われる、という意味で、生権力の行使であり、集団管理型一括処遇がもたらす個人の無力化プロセスでもある。
この無力化プロセスを乗り越える糸口が、ゴリツィアの精神病院改革でバザーリアが取り組んだ、アッセンブレアと呼ばれる、患者と医療者の対話集会だった、というのも、なるほど、と頷かされる指摘である。
「この集会では患者自身に発言が求められる。自分自身のこと、人生や願望について、精神病院に居続けることの意味について、変えてゆくべき事柄について、意見が求められる。アッセンブレアを通じて『患者の自由意志と自己決定とコミュニケーション能力を蘇生させること』(大熊2014:54)により、『人間らしい仕方で生きていく可能性に対する、一定の具体的・積極的態度』と結びついた”・・・への自由”を取り戻していくのである。」(同上、p141)
モノ化され、主体性が剥ぎ取られた存在には、意見が聞かれない。聞かれないうちに、言いたい意見も抑圧され、失われていく。あるいは何を言っても「病気だ」とラベルを貼られたら、その空間で言う気もなくなる。こういう状況を変えるためには、まず患者自身が本当に思っていることを、安心して表明できる場が必要不可欠だ。それは、患者を「モノ」として扱わず、意見を持つ「主体」として受け止める聴き手が存在して、初めて可能になる。つまり、患者より、聴き手の医療従事者が、自身の患者との向き合い方を180度転換し、病院や入所施設の構造的暴力にも意識的であり、自由の剥奪から距離を置いて、患者ではなく「入院している○○さん」の声をじっくり聞こうという姿勢。それが、アッセンブレアという舞台だったのだ。
こう考えると、アッセンブレアとは、べてるの家の「当事者研究」や、オープン・ダイアログ、あるいは精神医療オンブズマン等の、源流にあるものだ、ということも見えてくる。このどれもに共通するのが、患者の声を「狂った人のおかしな発言」と決めつけるのではなく、「生きる苦悩が最大化した人(=主体)」による、必死の訴えであり、その人の生きづらさや生活のしづらさを本人の「声」として受け止め、そこから支援や治療のあり方を変えていこう、というプロセスである。さらに言えば、治療する・されるの関係であれば、医療者が支配し患者は依存的に従う、という関係性になりがちだが、共に課題を探り、問題を一緒に乗り越えていこう、という姿勢であれば、協働する、という関係性へと変容する事が可能だ。これは確かにパラダイムシフトであり、価値転換である。問題は、この価値転換を、医療者側が認めるか、という課題だが。
これに関連して、オープンダイアログに早くから着目している精神科医の斎藤環氏は、次の様に述べている。
「精神科医自身が、今まで、この内因性疾患についても、『脳の疾患であり、脳の疾患である以上は薬物治療が必須である』と教え込まされてきたわけです。世界中のマジョリティーの精神科医はそれを頑なに信じていて、脳の病気だから薬物治療だという等式はゆるぎないものです、いまだに。オープンダイアログがなぜ画期的かというと、そのゆるぎなかった図式に、ひびを入れるからです。(略) オープンダイアログが薬を一切使わないにもかかわらず、発症期の統合失調症を改善する力があるとすれば、投薬なしに治療できないと思ってきた前提が変わってくることになります。」(精神看護17(4):30)
実は、アッセンブレアの取り組みから、バザーリア達が産み出していったのは、「モノ」化した患者の主体性を回復することであった。それは明らかに、施設化された空間における投薬中心の治療より、効果的であった。つまり、投薬や精神病院が必要不可欠だ、という「ゆるぎなかった図式に、ひびを入れる」ことは、オープンダイアログが世界中に広まるより何十年も前から、イタリアで実践され、成果をもたらしてきたのである。その帰結は、必然的に以下のようになる。
「バザーリアは精神病院を『治療の場所』ではなく『施設化の場所』として捉えた。その『施設化』は患者に対して”モノ化”のメカニズムを作動させる。そうして最終的に患者の”二重の自由”を剥奪するところまで到達する。『施設化』の乗り越えは、入所者の”二重の自由”を守るという倫理原則を据えて、医師・患者の関係に象徴される非対称な関係を変容させるような、施設内の改革と地域支援サービスの構築、そして精神病院の『破壊』に求められたといえる。」(鈴木、前掲書、p143)
オープンダイアログが目指すのは、「医師・患者の関係に象徴される非対称な関係を変容させるような、施設内の改革と地域支援サービスの構築」である。確かに、これだけでも大きなパラダイムシフトがある。だが、本当に「非対称な関係を変容」させ、入所者の「”二重の自由”を守る」ことを念頭に置けば、精神病院という構造そのものの『破壊』は、その論理的帰結として必要不可欠である。イタリアで進んでいる司法精神病院の全閉鎖に向けた闘いは、まさにこの論理的帰結から生まれた、当然の方向性である。
本当に「治療」や「支援」を行おうとすれば、対象者の自己回復力や自己治癒力への働きかけも、必要不可欠である。だが、主体性が剥奪される場所では、自己回復力や自己治癒力も縮減する一方だ。利用者と支援者が非対称な関係性を乗り越えるためには、その関係性が暴力的に規定されている入所施設や精神科病院の構造的問題そのものが前景化され、その『破壊』こそが必要不可欠である、と改めて感じながら、鈴木論文を読みふけっていた。

「チーム山梨」の地域包括ケア本、出来ました

山梨に引っ越して丸10年が経つ。この間、地域福祉に携わる自治体や現場の皆さんと、様々なコラボレーションを行ってきた。その成果の一部が、やっと一冊の編著という形で出来上がった。
ちょっとタイトルが長くてすいません。でも、「チーム山梨」を創り上げる上で大切にしてきたことを、タイトルに込めてみました(^_^)
で、出版記念に、僕自身が書いた「はじめに」をブログ上に公開します。良かったら、ご一読を♪
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現場からの疑問
本書のタイトルを見て、現に手にとって下さった方の中には、地域包括ケアシステムの構築に既に関わっている、あるいはこれから関わろうとされる方が少なくないだろう。そのような「想定読者」の皆さんが、持っているかもしれない「疑問やためらい」の数々を、冒頭にいくつか提示してみたい。
・地域包括ケアシステムって、何だかよくわからない。
・地域包括ケアシステムの理念はわかるけど、具体的にどうしていいのかわからない。
・法律で求められているから、何かしなくちゃいけないのだけれど、何から手を付けてよいのかわからない。
・「個別支援会議」と「地域ケア会議」の違いは何か、が腑に落ちない。
・地域包括ケアシステムって、地域包括支援センターの仕事のはずで、なぜ行政の事務職が取り組まなければならないのかが、理解できない。
・わが自治体はどうすべきかの「正解」を示してほしいけど、国も県も誰も示してくれない。
これらの発言は、実際に私が何度も聞いたことのある話である。そして、これらの現場発の質問に応える為に、本書が作られた。そこで、本書の全体構成についてご紹介する前に、本書が出来る経緯についても触れておきたい。
「チーム山梨」の「規範的統合」
これまで我が国の地域包括ケアシステムの理念的整理を行い、事情通の人なら必ず目を通す報告書を作ってきた「地域包括ケア研究会」は、平成26年3月に「地域包括ケアシステムを構築するための制度論等に関する調査研究事業報告書」を発表した。これは、厚生労働省の補助金で行われた研究事業であり、我が国の介護保険政策の方向性を示してきた研究者や元厚労省専門官などが関わり、今後の地域包括ケアシステムの目指す方向性や意図が明確に示されている報告書である。
2015年度の制度改正の前提にもなった同報告書で、「規範的統合」という聞き慣れないフレーズが登場した。同報告書の4ページには、このように定義づけされている。
「保険者や自治体の進める地域包括ケアシステムの構築に関する基本方針が、同一の目的の達成のために、地域内の専門職や関係者に共有される状態を、本報告書では「規範的統合」とよぶ。「規範的統合」を推進するためには、地域の諸主体が、同じ方向性に向かって取組を進める必要があり、自治体の首長による強いメッセージの発信も重要である。また、自治体・保険者には、まちづくりや医療・介護サービスの基盤整備に関して、明確な目的と方針を各種の計画の中で示す工夫が求められる。」
一見すると難しそうな解説だが、実は本書の元になる「手引き」(後述)を創り上げるプロセスは、「チーム山梨」のメンバーが、「同一の目的の達成のために、地域内の専門職や関係者に共有される状態」を産みだしてきた「規範的統合」のプロセスそのものでもあった。しかも、それは国のやり方を上意下達的に鵜呑みにする・あるいは「自治体の首長による」トップダウン的なアプローチとは真逆の、現場から創り上げるボトムアップ的な手法に基づく「基本方針」としての「手引き」の作成であった。
つまり、「地域包括ケアシステムの構築に関する基本方針」の創設と現場レベルでの「共有」という「規範的統合」のためには、様々な関係者を巻き込んだ「チーム作り」が必要不可欠である。そして、本書の出来上がるプロセスとは、「チーム山梨」の「規範的統合」過程であり、「自分たちで創り上げる地域包括ケアシステム」の動きそのものであったのだ。
これは一体どういうことか。
「チーム山梨」の生成プロセス
本書の編者4人(竹端、伊藤、望月、上田)は、「チーム山梨」による「規範的統合」のために活動を共にしてきた。
山梨県庁で地域包括ケアシステム推進担当であった保健師の上田は、平成 23 年度から、地域包括支援センターの現状や課題整理、そして「地域ケア会議」の推進をテーマにした「地域包括ケア推進研究会」を設置することになった。その際、障害者領域での地域自立支援協議会の立ち上げ実績があり、コミュニティ・ソーシャルワークにも詳しい福祉政策の研究者である竹端にも声をかけ、研究会のコーディネート役を依頼した。
この1年目の議論をもとに、平成 24 年度は、市町村の地域ケア会議の実践を支援するアドバイザー派遣事業もスタートした。先述の竹端だけでなく、ケアマネジメントが専門で介護福祉士・社会福祉士でもある伊藤、公衆衛生が専門で保健師でもある望月、そして老年看護学が専門の小山(1年目のみ)という山梨県立大学の3名の若手研究者も加わり、4名体制で県内の市町村支援チームを作った。このアドバイザー派遣や、二年目を迎えた上記研究会の議論を踏まえ、山梨の現場で見聞きする困難とは何で、それを克服する為の処方箋や、実現可能な地域ケア会議とは何か、について整理した「地域ケア会議推進のための手引き~市町村・地域包括支援センターの視点から~」を平成25年3月に発刊した。この「手引き」の中で、「チーム山梨」による「地域ケア会議」のオリジナルな定義づけも行った。
「地域ケア会議とは、自分の住んでいる地域でよりよい支え合いの体制づくりを作るためのツールであり、単に会議を開催すれば良いのではなく、各地域の実情に基づいて、地域づくりの展開のプロセスの中で、開催形式や方法論を柔軟に変えていくことが求められる、動的プロセスである。」
研究会での議論や、アドバイザー派遣による支援などを通じて、「チーム山梨」が最も大切にしてきたことは、こ
の「動的プロセス」である。こちらが予め「正解」を用意して、それを現場に「当てはめる」のではなく、各現場で起きている「課題」の背景にある「困難な物語」を読み解き、その要因を分析する中で、各現場固有の解決方策を、それぞれ見つけ出そうとする「動的プロセス」を重視してきた。そして「手引き」は、各自治体で成功する解決策としての「成解」を見出すヒント集として作成された 。
この「手引き」は、現場実践で苦悩している地域包括支援センター関係者だけでなく、地域包括ケアシステムをゼロから学ぶ自治体事務職や社会福祉協議会など、様々な関係者に読まれた。また、ウェブで公表した為、県外からも広く読まれることになった。平成25年度は、アドバイザー派遣事業を続けると共に、この「手引き」を普及・啓発しながら、「地域ケア会議」を「魂の籠もったもの」にするためにはどうしたらよいか、を上記研究会で議論し続けた。特に、「自立支援に資するケアマネジメント支援」「地域ケア会議への医療や多職種の参画」「住民主体の地域づくりへの展開」の「3つの視点」が研究会での議論の争点となり、この「3つの視点」からどのような現場の変容課題が浮かび上がるか、を整理し、平成26年3月には「地域ケア会議等推進のための手引き(Part2)~住民主体の地域包括ケアを多職種で効果的に実践するために~」が刊行された。
本書は上記の二つの「手引き」を創り上げた「動的プロセス」の中から産み出された、「チーム山梨」の「規範的統合」の一つの成果である、ともいえる。
カリスマ依存ではなく「自分の頭で考える」
ここまでお読みになられた段階で、読者の中には、「山梨ってすごい」「うちの県・市町村・組織・・・ではとてもそこまで出来ない」「核になる人材がいない」・・・という嘆きやボヤキを抱かれた方もいると思う。現に、こういう声は、私の耳にも入ってくる。
だが、本書を通じて「チーム山梨」で整理してきたことは、カリスマワーカー・保健師・社協職員・行政職員・首長・・・が「いない」自治体でも実現可能な方法論である。「いやいや、そもそも研究者がこんなに現場で継続的にアドバイスしてくれることがない」という反論も聞いたことがあるが、これだって山梨の専売特許ではない。
平成23年度末に山梨で講演して下さった美作大学の小坂田稔先生は、中山間地における地域包括ケアシステムのあるべき・出来うる姿を早くから提唱され、「地域ケア会議 岡山モデル」という形で整理してこられた。その後、赴任された高知県立大学時代には、「高知県地域福祉支援計画」という行政・包括・社協が一体的に地域福祉に取り組む総合計画も作成された。この小坂田先生が、岡山や高知で実績を出し続けておられるのは、研究者仲間や実践現場の人々とのチーム形成を巧みに作ってこられた故、である。山梨でアドバイザー派遣事業として研究者チームを作ったのも、また「地域包括ケア研究会」というチームで「手引き」を作り続けたのも、この小坂田方式の模倣、であった。
ただ、いくら模倣であっても、単なるカット&ペーストやパクリ、当てはめ、ではない。山梨で活躍する専門職・市町村職員・社協職員・県庁職員・研究者・・・という貴重な社会資源をどう活かすことができるか、を常に意識し続けた。その中で、カリスマ自治体、カリスマワーカーでなくとも、どこの自治体でも実現可能なレシピを作ることを目指してきた。ただし、「自分の頭で考える」という条件付きで。
願わくば、本書を手にとって下さった皆さんが、「チーム山梨」で整理した方法論を参考にしながら、皆さんの自治体で実現と持続が可能な、「わが自治体独自の地域包括ケアシステム」を創り上げて頂きたい。そのために、様々な関係者と本書をダシにして、わが自治体の「あるべき姿」をじっくり考え合い、語り合って頂きたい。それこそ、国が求める「規範的統合」に向けた第一歩になるはず、である。
本書の構成
本書は第Ⅰ部「地域包括ケアシステムを創る」と第Ⅱ部「地域包括ケアシステムを『創る』ための3つの課題」の二部構成になっている。第Ⅰ部は総論、第Ⅱ部は各論、という位置づけである。そして、第Ⅰ部の前に序章を、第Ⅱ部の後には終章を置いている。
序章では、「地域包括ケアシステムって、何だかよくわからない」「地域包括ケアシステムって、地域包括支援センターの仕事のはずで、なぜ行政の事務職が取り組まなければならないのかが、理解できない」という疑問に答えるための、地域包括ケアシステムに関する5W1Hが描かれている。想定読者としては、福祉行政に初めて携わる自治体担当職員向けの初歩的な解説、をイメージした入門編である。
第Ⅰ部は三章構成になっている。冒頭の疑問に即していえば「地域包括ケアシステムの理念はわかるけど、具体的にどうしていいのかわからない」「 法律で求められているから、何かしなくちゃいけないのだけれど、何から手を付けてよいのかわからない」という疑問に答えようとしている。
第1章「地域包括ケアシステムは誰が創るのか」では、従来の専門職の「個別指導」というアプローチを超えた「御用聞き」のスタンスや、個別課題を地域課題に変換する為の視点・論点、リーダーとファシリテーターの違いなどについて論じた。
第2章「ボトムアップ型地域包括ケアシステムの創り方」は、ボトムアップ型の仕組みとは何か、その中で地域ケア会議をどう位置づけるか、という概念的整理を行う(第2章第1節)と共に、その効果的な実践に必要な「7つの要素」を提示し、「戦略」や「戦術」以前に、自治体レベルで内政と対話に基づく「土台」づくりを行わないと、規範的統合はうまくいかないことも整理した(第2章第2節)。また、本書に至る「研究会やアドバイザー派遣事業を活用した動的プロセス」も整理している(第2章第3節)。
第3章「事例から見るボトムアップ型地域包括ケアシステム」では、二つの全く異なるアプローチを取り上げる。第1節では、総合相談体制の構築や地域福祉計画作成に向けた動的プロセスを、地域包括ケアシステム形成にむけた要として位置づけている南アルプス市の実践をご紹介する。第2節では、「御用聞き」に基づき、支援者の事業ベースではなく、住民のニーズベースでの地域課題の把握と地域展開を進める北杜市の実践をご紹介する。
第Ⅱ部は、先の手
引き作成の経緯でもご紹介した「自立支援に資するケアマネジメント支援」「地域ケア会議への医療や多職種の参画」「住民主体の地域づくりへの展開」の「3つの視点」を深める章立てになっている。また、「『個別支援会議』と『地域ケア会議』の違いは何か、が腑に落ちない」「わが自治体はどうすべきかの『正解』を示してほしいけど、国も県も誰も示してくれない」という問いへの応答も心がけた。
第4章「ケアマネジメントを徹底的に底上げする」は、5つのパートから構成されている。まずは「課題を明確化するとはどのようなことか」を焦点化した地域アセスメントに関する概説(第4章第1節)の後、地域ケア会議における「困難事例」の検討を行う意味や、今後の事例検討のあり方についての整理・検討がなされる(第4章第2節)。その上で、地域ケア会議においてグループスーパービジョンを通じたケアマネジメントの底上げを行った富士吉田市の事例報告を受け(第4章第3節)、介護支援専門員が地域包括ケアシステムにどう向き合うべきかの論点整理も行った(第4章第4節)。それらを踏まえ、多くの現場専門職が苦悩している「個別課題から地域課題への変換」に関して、ケアマネジメントの観点から具体的なあるべき姿を描いていく(第4章第5節)。
第5章「多職種が本気で連携する」は、5つのパートから構成されている。多職種連携を本気で進めるためには、各々の専門職が、自らの専門性の壁をどう乗り越えて変容する必要があるか、を、介護支援専門員(第5章第1節)、医療ソーシャルワーカー(第5章第2節)、訪問看護師(第5章第3節)、作業療法士(第5章第4節)の実践現場から見えた課題として提示している。その上で、実際の自治体における地域ケア会議における連携課題の整理の中から、「自分事」としての「連携」とは何か、についての総括的な考察を行った(第5章第5節)。
第6章「地域づくりへと一歩踏み出す」は、4つのパートから構成されている。最初に、これまで何度も触れてきた「動的プロセス」としての地域ケア会議とは一体どういうものか、を具体例に基づきながら整理する(第6章第1節)。次に、地域包括ケアシステムを政策として機能させるためにはPDCAサイクルの必要性が繰り返し主張されているが、現場で本当にそれを回すためのポイントを概説する(第6章第2節)。その上で、地域づくりにおける主軸を担う社会福祉協議会がどのような変容課題を迫られているのか、それを文字通り「身をもって」体験している南アルプス市社協の実践を報告する(第6章第3節)。その上で、包括と社協の役割分担について、コミュニティ・ソーシャルワークの課題として整理し、さらにはCSWそのものの変容課題も整理する(第6章第4節)
これらを踏まえて終章では、「チーム山梨」の「規範的統合」に向けた動的プロセスや本書作成を通じて見えた地域包括ケアシステムの今後の課題や、ボトムアップ型で「自分たちで創り上げる」上でのポイントなどを改めて整理する。また、医療との今後の連携課題についても提示している。
繰り返しになるが、本書は法律書でもなければ、マニュアルでもない。これを読めば全て解決、という本ではない。そもそも、地域包括ケアシステムの構築は、何かを読み、それを鵜呑みにすれば出来るものではない。その地域の実情や社会資源を頭に浮かべ、「自分の頭」で考え、「お顔の見える関係性」を構築する中で、一組織・一法人・一専門職の壁を越えた「チーム○○」を創り上げる動的プロセスが立ち上がる。そして、その動的プロセスの中にこそ、地域包括ケアシステムを「自分たちで創り上げる」エッセンスが詰まっている。
本書が、その動的プロセスを展開する原動力やヒントになってほしい、と願っている。