因果論を超える「対話」

最近、本を読み飛ばす癖が付いてしまった僕にとって、久しぶりに時間を掛けて味読した一冊だった。昨年から僕も話題にしており、精神医療の業界では大きな注目を集めているオープンダイアローグについての体系書の、待望の翻訳。しかも、訳者はACTーKの高木さん達のチームなので、現場のリアリティに基づいた、スッと入ってくる翻訳である。これほど面白くて、味わい深いものがあるだろうか。たとえば、こんなフレーズ。

「初めてのミーティングで患者がしゃべることはとても理解できないと思われるかもしれないが、回を重ねるうちに、患者が話していることは彼の人生のいくつかのリアルな出来事であるということがわかってくる。このような出来事には、精神病的危機を生じる前には普段の言葉ではほぼ言い表すこともできなかった、患者にとって脅威となっていた恐ろしい事柄のいくばくかが含まれている。精神病体験には、現実的な出来事が含まれていて、以前には言葉にできなかったテーマが前面に出てくる。同じ事は、逸脱行為についても言えることである。怒りや抑うつ、不安などの強い感情を伴って、患者はこれまで口にしたことがなかったテーマを語る。このように、危機状況の中心にいる人物である患者は、そのまわりにいる人たちには計り知れないところにいるのである。治療がめざすのは、それをあらわす言葉を分かち合える表現がこれまでなかった経験について、それを表現出来るようにすることである。」(セイックラ&アーンキル『オープンダイアローグ』日本評論社、p59)
「精神病体験」は、従来は異常で理解出来ない特有な何か、とラベルを貼られていた。今でもそう思う人は少なくないと思う。一方、このオープンダイアローグの思想の核心には、「精神病体験には、現実的な出来事が含まれていて、以前には言葉にできなかったテーマが前面に出てくる」という価値前提がある。つまり、従来のモノローグ的な「介入」であれば、「患者がしゃべることはとても理解できない」ので、取りあえず行動を沈静化させることが目的になりがちだった。しかも、それはあくまでも「正常」というカテゴリーのルールの範囲外、というラベルの張り方である。そして、精神病体験をしたご本人の内在的論理を追おうともしない。
だが、本当のダイアローグは、「とても理解出来ない」と一見思える内容の話を聞き続ける中で、「患者が話していることは彼の人生のいくつかのリアルな出来事であるということがわかってくる」体験を重ねていくことである。しかも、理解が不可能に思え、幻覚や妄想に支配されている状態とラベルを貼りがちだったのは、「精神病的危機を生じる前には普段の言葉ではほぼ言い表すこともできなかった、患者にとって脅威となっていた恐ろしい事柄のいくばくかが含まれている」からである。「CIAが見張っている」「宇宙人に思考が筒抜けである」などの表現は、それほど「恐ろしい事柄」がその患者の「危機」の時に起こっていて、それを表現する方法が「普段の言葉ではほぼ言い表すこともできなかった」からである。この時、大切なのは、その「突飛な言葉」に見える表現の背後にある「恐ろしい事柄」という普遍的課題を掘り起こし、話を聞き続ける中でそれを表現してもよい、と、支援チームに信頼関係を寄せられる・賭けてみることが出来るような環境を構築出来るか、である。
「危機状況の中心にいる人物である患者は、そのまわりにいる人たちには計り知れないところにいるのである。治療がめざすのは、それをあらわす言葉を分かち合える表現がこれまでなかった経験について、それを表現出来るようにすることである。」
つまり、「CIA」とか「宇宙人」で表現される内容は、「それをあらわす言葉を分かち合える表現がこれまでなかった経験」なのである。だから、絶対者や圧倒的存在としての「CIA」や「宇宙人」という記号が用いられる。そして、私たちはその記号の表層に振り回されて、「そのような事はあり得ないのだから、この人の言うことはオカシイ」と決めつける。だが、その記号でしか言えない「危機」とは何か、という問いを抱きながら話を聞く中で、「危機状況の中心にいる人物」の持つ、「まわりにいる人たちには計り知れない」「患者にとって脅威となっていた恐ろしい事柄」が、次第に浮き彫りになってくるのである。家族や信頼していた他人からの裏切りや虐待、ソーシャルネットワークから切り離された孤独など、私たちが了解可能な危機が、「普段の言葉ではほぼ言い表すこともできなかった」表現として、精神病的危機の場面で語られるのである。
従来は、それらの言葉を語らないようにすることが、治療者の一方的な(モノローグ)の「介入」における「回復」と見なされることがしばしばだった。だが、オープンダイアローグの目的は、「それをあらわす言葉を分かち合える表現がこれまでなかった経験について、それを表現出来るようにすることである」。モノローグは了解不能な言葉を異常と決めつけ、その異常な言葉が出てこなくなることが目的としていた。一方、ダイアローグはそのような「表現」を出すことが「危機」において非常で大事なことである、とした上で、その表現を通じて、相手の圧倒的な恐怖や不安を理解する手がかりを掴もう、という姿勢である。そういえば、昨年の9月にフィンランドのケロプダス病院を訪れた時も、心理士のタピオさんがこう語っていた。
「ただ聞かなければならない。ある程度の見通しや目標を立てて聞くと、沢山のことを聞き逃す。」
「見通しや目標」とは、専門的知識に基づく「予断」のことである。だが、この本にはその「予断」を持つ危険性を、こんな風に示している。
「浮かんでくる診断に関する考えやそれに続く治療の図式のような専門家の予断は、相手の話を聴くことを妨げ、<対話>の生成を邪魔する『ノイズ』を生み出す」(p202)
そう、「この人は○○のカテゴリーに入るのではないか」という診断や分類、治療の図式は「予断」であり、「<対話>の生成を邪魔する『ノイズ』」である、と言い切っている。なぜならば、それは、「相手の話を聴くことを妨げ」「沢山のことを聞き逃す」からである。予断があれば、「自分が見通しや目標を持つ上で必要な要素のみを聴く」ことになる。つまり、「専門家が聴きたいことを聴く」のである。一方、「ただ聞かなければならない」という時に大切にされるのは、「相手が妄想やあり得ない表現を用いなが
ら、どのような恐怖や不安を伝えようとしているのか」を、「予断」を持たずに聴く、と姿勢である。これは、全く異なる二つの「構え」である。
さらに言えば、この「構え」の違いは、実は科学認識やパラダイムの違い、でもある。第9章では「ダイアローグの思想」の背後にあるパラダイムの違い、を全面展開している。科学哲学を論じるノヴォトニーらの著作に基づいて、従来の「根拠に基づく研究は前時代の残滓だ」(p191)と言い切る。そして、ノヴォトニーらの著作のこの部分を引用する。
「単純な因果論のような信念は、たいていは線形的因果関係という暗黙の想定を底に秘めているのだが、それもまた過ぎ去った観念である。多くの、いや、おそらくほとんどの関係は非線形的で予測不可能な変化をしつづけるパターンに従っているという認識が、それにとってかわった」(p191)
ランダム化比較実験(RCT)や根拠に基づく治療(EBM)は、A→Bという「線形的因果関係」を暗黙の前提にしている。でも、ある人が「CIA」や「宇宙人」についてありありと語るとき、その表現の背後に共通する「A」という「原因」を一義的に決めることは出来ない。恐怖や不安感という共通要素があるとしても、その恐怖や不安感がなぜ、どのような形で生じたか、は人それぞれに違う。またどのような恐怖が、どんな幻覚や幻聴、妄想と結びついているのか、も「非線形的で予測不可能な変化」である。なのに、それをわかりやすい「線形的な物語」に無理矢理落とし込み、「沢山のことを聞き逃」しているのに、「わかったふり」をしていないか? オープンダイアローグが問いかけるのは、この治療者が前提とする「線形的因果関係」の「暗黙の想定」に対する、最大の疑問符なのである。それって、「自分の見たいものだけを見ていませんか?」という問いかけであり、人間の状態という「動的プロセス」を線形的な「静的プロセス」で理解(=誤解)する事への疑問である。そして、複雑系科学の視点では、このような「動的プロセス」の理解が、もはや新たな常識になっているのに、精神医学の世界では、旧来の「静的プロセス」に固執していませんか、という問いかけでもある。
つまり、以前僕が書いた、精神医療のパラダイムシフトの議論そのものである、とも言える。
認識や価値前提が異なるのだから、旧来のパラダイムから新しいパラダイムにシフトするために、支援者の心構えを大きく変える必要がある。エピローグでは、「対話的実践の新たなパラダイム」の特徴を次の様に整理している。
「1,専門的支援者は自分たち自身の不安を解消する為に、クライエントや『素人』たちに支援を求める。
2,専門的支援者は何らかの目的にそうように相手を変えようとするのではなく、自分自身の行動を変える。
3,いつも一緒に進んでいく(「共進化」)のであり、そこでは専門家も含めて皆が変化する。
4,クライエントのパーソナル・ネットワークは、問題の出所や温床ではなく、援助資源である。
5,協働作業は、皆が問題を共通に認識することで行われるのではない。そうではなく、専門家は参加者たちがそれぞれどのように今の状況を見ているのかということに関心をもつようにする。
6,治療の援助の計画は、治療や援助のプロセスでもある。そしてプロセスはクライエント抜きに専門家間で作って行くのではない。
7,話に耳を傾けることがアドバイスを行うよりも有効である。
8,考え方・態度・出会いが技法よりも重要になる。
9,専門家は互いの領分の線引きをやめて、システムの境界を乗り越えていかねばならない。」(p199-200)
治療する側とされる側、正常と異常、万能者と無力者、専門家と素人・・・従来の「線形的因果関係」は、この二つを切り分けて理解する前提があった。だが、複雑系科学や新たなパラダイムでは、この二つは分かちがたく関わり合う相互関係として理解する。すると、切り分けて相手にモノローグ的に介入するのではなく、ダイアローグ的な相互関係は、関わる側の専門家の態度如何で大きく変わる、ということが見えてくる。だからこそ、まず「自分自身の行動を変える」ことが必要なのだ。そのためには、「わかったふり」をせず、「クライエントや『素人』たちに支援を求める」ことも大切になる。それは「あなたのために」というモードから、「あなたと共に」という「共進化」のモードへの切り替えでもある。すると、悪循環の出所や温床に見えた「クライエントのパーソナル・ネットワーク」を、「援助資源」としてどう巻き込むか、という課題にもなる。本人や家族が大切な援助資源なのだから、彼ら彼女ら抜きでその治療プロセスを作っても、先に進めない。だからこそ、支援者は「アドバイスする」という役割を手放し、「話を聴く」ことが大切で、それは「技法」ではなく、「考え方や態度、出会い」の構えや姿勢の問題でもある。そうやって、専門家が線形的因果論パラダイムを乗り越え、「システムの境界」を乗り越えることで初めて、「切り分けられていた側」の「異常」に見える世界の内在的論理が了解可能になるのである。
そういう意味では、僕自身がオープンダイアローグに出会う以前から考えていた認知論的転換の話とすっきり接続される議論で、すごく腑に落ちる読書体験であった。

発達障害と「まっすぐなキュウリ」

3月31日づけの山梨日日新聞に、コメントが掲載された。山梨以外の人はご存じないと思うので、再掲した上で、少し書き足したいとおもう。
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―発達障害がクローズアップされている。
 「発達障害」と位置づけられる人が増えたと捉えている。1990年代以降、社会の効率化が進んだ。それまで発達障害の特性があっても地場産業で小商いなどの形で働けた人が2000年代に解雇されるケースは、事例検討に関わる市町村でよく聞く。
 コンビニのアルバイトにもあらゆる業務が求められる時代になった。端末の操作やおでんの仕込み、商品の発注、補充もする。レジでは客の年齢層も打ち込む。酒屋や小さな商店では、一人何役もこなさなければならないアルバイトはいなかった。チェーン店になり規格化が進んだ結果、マニュアルに合う人材だけが求められ、合わない人は要らないと言われやすくなった。
―環境の変化が要因か。
 話を聞かない、そそっかしいなどの特性は、かつて標準の範疇だった。多少変わっていても関わり合う中でコミュニケーションを学び、社会に受け入れられていた。それが、第3次産業化など雇用環境が変わる中で「問題」として顕在化した。発達障害者支援法により支援が進んだ一方、周囲が発達障害を「規格外」としてラベルを張る空気も強まっていると思う。
―周囲はどう捉えればいいのか。
 かつて生きづらさは本人の疾病、障害に起因すると考えられてきたが、現在は本人だけでなく環境や社会参加の要因も入れた複合的な捉え方が広がっている。「障壁」は本人の中ではなく環境との間にある。周囲の「態度」も社会参加を阻害する要因になる。
 県内では特別支援教育が広がっている。保護者からのニーズがある一方で「特別な人に、特別な配慮を、特別な場所で」という考え方が障害者を排除する方向に結びつかないか懸念している。発達障害の本人を排除せず、そう分類するようになった社会の変化にも目を向けるべきだ。
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この記事が出た後、今月に入ってから、山梨では発達障害のある子どもを親が殺す、という事件が起きた。動機としては「息子に発達障害があり、育児に悩んでいた」と供述しているという。これは、残念ながら、昔から起こり続けている事件である。僕は2012年に起こった事件に関連して、「みんな、殺すな!」というブログ記事を書いていた(ことをググって気付いた)。両親が障害を持つ子どもの将来や、子どもへの支援に悩み、悲観視、無理心中を図ったり、子どもを殺す事件は、先のブログでも引用したが40年50年前から、ずっと続いている。
僕の発言と、この事件の記事を重ねて考えてみよう。結局、「障害者問題は、個人や家族問題であり、社会的な支援の問題だという認知がまだ薄い」のが、厳然たる背景にあるような気がする。「母が育児に悩んでいた」は普遍的課題だが、育児に悩むから子どもを殺したりするケースは殆どない。発達障害だけでなく、例えば特別支援学級に入ることなどで「規格外」とのラベルが貼られていなかったか。そのことによって、母親は子どもの問題を「特別な問題」と捉え、解決不能であるという悲観的予測を抱かせていなかったか。この母親は、こういう悩みを打ち明けるような「ママ友」がいたのだろうか。
加えていうと、学校システム自体の課題も気になるところだ。このお子さんが映画「みんなの学校」の舞台である大空小学校に通っていて、「全ての子どもに学習権を保障する」という方針のもと、一般の子ども達と分け隔てなく育てられていたら、同じ事がおこっただろうか。この映画に出てくる木村先生の著書にも書かれているが、発達障害や知的障害のある子でも、他の子ども達と同じ環境で学び、その中でクラスメイトがお互いが「同じ部分」と「違う部分」を理解していたら、母の苦悩や背負いすぎた責任はもっと軽くならなかっただろうか。学校現場の人手不足や事務量の多さは以前から指摘されているが、それゆえに以前に比べて標準化・規格化した対応が求められ、「手の掛かる子ども」は、「発達障害」とラベルを貼られて、特別支援学校(学級)に排除されている現状はないだろうか。そうではなくて、大空小学校のように、地域の方々が学校支援に関わってくれて、先生以外の目が入っていたら、この母親は身近な悩みももっと相談出来る環境が持てたのではないだろうか。このプロセスの中で、「うちの子は特別なんだ」という「違い」のみが強調され、他の子どもと「同じ」ような成長期の課題がある、という「同じ」の部分が見えなくなるような布置があったとはいえないだろうか。
僕は裁判官ではないので、この事件そのものを裁きたいのではない。
だが、日本社会では、残念ながら未だに「障害は個人や家族の不幸」とされる現実がある。標準化や規格化が進む社会とは、社会が採用する厳しい基準に適合しない人が、「不適合」と排除されていくプロセスである。それは、曲がったキュウリも美味しいのに、スーパーに並べられず、下手をしたら廃棄処分されてしまう光景に重なる。曲がったキュウリだって、良い味という意味では「同じ」である。でも「見た目」の「違い」や、扱いにくい・梱包しにくいという「社会的な手間」が先立って、排除される。
しかし、実は「まっすぐなキュウリ」こそ、いびつなのである。
これも今ネットで見つけたのであるが、キュウリを真っ直ぐにするためには、おもりをつるしたり、クリップで挟んだり、という「矯正」がなされる。これは子どもに置き換えると、標準化・規格化の進んだ学校社会のルールや枠組みに適合しなければならない、と重しや枠をはめられる「矯正」である。その時、キュウリやその子自身が本来持っていた「伸びたい方向性」は、グイーっと「強制」的に雁字搦めにされる。それが、「空気」を強烈に気にする日本の若者達を作る元凶にある、とは言えないだろうか。
そう思えば、わが子が「まっすぐなキュウリにはなれない」事を悲観することも、また重しやクリップで無理矢理「まっすぐ」に「強制・矯正」することも、どちらも子どもの本性を伸ばす、ということとは相反する、息苦しい・生きづらい現象ではないか。私たちの社会が誰にとっても「生きやすい・暮らし心地の良い社会」になるためには、この「まっすぐなキュウリ」が求められるような社会構造こそ、変えていかなければならないのではないか。そんなことを、つらつら考えている。

自治会を超えるNPOの可能性

先週、高知県社協が主催のイベントで講演をさせて頂いた。せっかく高知に伺うのだから、とあったかふれあいセンターを視察させて頂きたい、というリクエストを出した。その上で、「住民自身がリードするボランティア・NPOなどの活動がどう豊かに発展して行っているのか、街作りと連携出来ているか、の視点でオモロイ活動をしている現場を知りたい」という要望を伝えた所、そこにぴったりの場所があります、と教わり、連れて行って頂いた場所がある。それが、あったかふれあいセンターとかの、である。

高知空港から1時間半かけて辿り着いたのは、高知県中西部に位置する佐川町の斗賀野地区。地区の中心部にある、小学校と保育園に挟まれた場所に、そのあったかふれいセンターとかのがあった。おじゃますると、ちょうどお姉様方が編み細工で鞄を作っておられる教室が開催されていた。予定表には「自由にすごす日」と書かれているが、このように、教えるスキルを持つ地区の人が、教わりたい人に自然発生的に教えているのが、このセンターの日常茶飯事ということ。私たちがお話しを伺っている間にも、色んな人がでたり入ったりして、お茶を飲んだり、そのサークルに加わったりしている。社協のサロンのような「参加者の固定化」をイメージしていた僕にとって、まずこれが大きく違う現実。
ここで、このセンターを運営するNPO法人とかの元気村理事長の庄野孝也さんと、センターのコーディネーターを務める森田さんにお話しを伺う。この二人の話が、抜群におもしろい。
庄野さんは元々高知市内のデパートに勤めていて、現役時代は地域活動にはご縁がなかった。それが、交通安全の街頭指導に誘われたのが、退職後の15年前。そして、14年前には、農業の推進や環境保全を通じた地域コミュニティー作りを推進する「とかの懇話会」を立ち上げる。その延長線上で、地域の様々な団体と大同団結して、地域全体の事を考えるNPOを平成17年に立ち上げ、住民が集まる「とかの元気村役場」を平成19年にスタートさせる。そして、地域住民の居場所提供だけでなく、「秋祭り」のイベント開催や地域の小学校の支援活動、地区運動会の開催や、町の図書館・公園の指定管理など、その活動範囲を大きく拡大していく。その流れの中で、平成26年には「あったかふれあいセンター」も立ち上げ、買い物支援、生活支援なども有償ボランティアで引き受けるなど、活動を拡げていった。
どうしてこんなに活動がうまく展開出来たのですか、と伺うと、庄野さんは「お節介焼きの気質があるから」と笑う。ただ、それだけでなく、現役時代に組織マネジメントに携わった強みを活かし、行政や社協とも是々非々で議論をする。また、「わしはワンマンやから」と言いながら、NPO法人の理事会などでは、庄野さんの子供の世代である森田さん達の意見をけ入れ、決まりかけていた計画の変更も行う柔軟性も併せ持つ。しっかりとした推進力と、周りの人を巻き込む柔軟性、お人柄を兼ね備えた、地域の人が認めるリーダーだ。
一方、森田さんは「私は普通の主婦だから」と仰るが、なにを、なにを。センターに集う住民さん達の何気ない会話の中から、その人の持つ趣味や特技、強みを引き出し、ストックする。その上で、田んぼの刈り、秋祭りや運動会など、様々なイベントで、住民さんたちにうまく「お願い」し、手伝って頂く「甘え上手・頼り上手」である。だからこそ、このセンターの登録者は690名であるが、そのうち男性は35%を占めるという。そもそも、登録者数の多さにも驚くが、そのうち35%が男性、というのも、また驚きの数字である。僕が見ていて、このNPOをつうじて、住民達が自主的な活動を楽しく行い、つながりややりがい、役割や責任、誇りを取り戻す黒子役の支援が、このセンターのコーディネーターやスタッフの仕事なのだと思った。

さらに、このNPOのおもしろいところは、37地区の自治会では出来なくなった地域活動を、小学校区のNPOとして引き継いでいった、という部分。例えば地区の「たらふく秋祭り」、NPOが主催して行う事で、町外の参加者も含めて5000人以上が参加する大イベントである。また敬老会もNPO主催となると、140名が参加するようになった。この部分は、行政や自治会と比べて、住民のニーズに寄り添いながらも、NPOとして組織的に動くことによる成果を出している、とも言える。さらに、小学校の持っている田んぼの田植えやら稲刈りまでも、地域住民を巻き込みながら支えるだけでなく、小学生達と地元住民が関わる「活性化支援」まで行う。この部分は、PTAが担っていた部分を肩代わりしている。こう考えると、しがらみや義務感が多い自治会活動、現役世代にとって参加にハードルが高いPTA活動を、地元のNPOが引き継ぎ、地区の元気高齢者たちが自分たちの持てる特技や力を発揮して、地域のために面白く貢献しよう、という新たなNPOの一つの形である。

なぜ、この活動がこんなに維持・発展しているのか? それを佐川町社協の田村さんに伺った時、高知らしい、でも大切なヒントを教えて下さった。
「みんな、活動が終わったあとの、コレが楽しみですから(笑)」
「コレ」とは、おちょこで飲む姿。そう、とかの元気村に関わる人々のモチベーションとは、もちろん活動のやり甲斐もあるが、その後、地区内の色々なひとと交わりながら、酒を酌み交わせる、大人の付き合いの面白さにもあるのかもしれない。そういえば佐川町は、全国的に有名な銘酒「司牡丹」の蔵元がある町で、乾杯は日本酒で、という「乾杯条例」まで制定している。ただ、飲み会といっても、いつも同じメンバーでばかり集まっていては、面白くない。このNPOの活動で出会った、同じ地区内で何となく顔を見たことはある、けれど、そんなにゆっくりとしゃべったこともない、多世代の男女混ぜ合わせた人々と交わる飲み会は、それだけで地域活性化になる。しかも、活動の推進と飲み会のセットは、NPO活動の発展の両輪にもなる。

「元気村に関わる事で、『俺の地域』という帰属意識も持てるし、多世代の飲み会で『夢を語り合える』」と田村さん。なるほど、そんな関わり合いを続けたら、勝手に地域活動は活性化されますね。もちろんそこには、元気村をNPOにした庄野さんのリーダーシープや、うまく多くの人を巻き込むプロの森田さんのお人柄、といった属人的要素も多分にあるだろう。でも、この展開なら、自治会活動の展開や新しい総合事業の生活支援コーディネーター事業をどう取り組んで良いのかわからない、他の自治体にも大きなヒントになるのではないか。そんなことを学ばせて頂く訪問だった。

付言すると、この活動が他の社協のサロン活動や、住民参加型地域福祉と一線を画するところがあるとしたら、それは「本物志向」にあるだろう。ほんまもんの地域課題を取り上げ、そこに住民のほんまもんの実力を借りようとするから、関わる住民達も本気になる。「お客様」的なデイサービスやサロン、あるいは専門家が「住民のために」と一方的に考える企画と違い、本気で地域課題に立ち向かい、楽しみながら解決していこう、という夢と希望が、この「本物志向」の中に隠されている。だからこそ、多くの住民達が、この活動を「ほんまもん」だと感じ、その魅力にはまっていくのではないか。そんなことをも帰りの道中で考えていた。

追伸:帰りに直売所で買った文旦と司牡丹も、死ぬほど旨かった(^_^)

「収奪や暴力」の自覚化と超越

恐るべきスピードで本を出しまくっている佐藤優氏。その氏の著作の中でも、マイナーな出版社の本であるが故に、目にとまりにくく、一見すると関係性が低いと思われる事を結びつけた著作がある。それが『官僚階級論』(佐藤優著、にんげん出版)だ。官僚の内在的論理を読み解くために、『資本論』や公共圏だけでなく、聖書やナチスまで持ち出しながら、縦横無尽に説いていく一冊、新書とはいえ、風呂読書で1時間読了、という訳にはいかない、スケールの大きさと深い掘り下げに唸らされた一冊。それもそのはず、彼自身が官僚階級論の表も裏も味わい尽くし、獄中以後、本との格闘の中から彼を追い出したその論理をあぶり出した張本人だからである。
そんな彼だからこそ、官僚の本質をずばりと射貫いている。
「国家は税金なくして成り立ちません。そして国家を運営する官僚は、社会の外側にいて、社会から吸い上げる税金で生きている存在だと、私はみているわけです。それは暴力の独占を背景とした収奪機構の民主主義です。その暴力と収奪を組織的に行使する集団こそ、官僚階級です。」(p35)
一見すると、かなり物騒な表現である。僕は福祉領域で働く公務員の方々としばしば仕事を共にするが、彼ら彼女らが「暴力と収奪を組織的に行使する集団」とは思いにくいし、本人を前にしてそう言う気にもならない。だが、佐藤氏も指摘するように、脱税すると東京地検特捜部が捜査し、重罪とし刑務所に入れられる、という論理は、税金を「収奪」し、時にはそれを「暴力」を伴っても行使する集団、という説明そのものである。
「国家の実態は官僚です。軍人も官僚です。『国家の運営』とは、官僚が一般意志を体現しているというフィクションの上に立って、じっさいは官僚のやりたい放題にすることです。ボナパルトやヒトラーや小泉、安倍という対抗革命のなかにみなければならないのは、民主主義制度の裏側で、『われこそが一般意志を体現している』と思い込んで、恣意的な正義を行使しようとする官僚の存在です。ただしそれは、悪意をもって大衆をだましてやろうということではありません。」(p230)
僕自身、実はこのような「官僚のやりたい放題」を垣間見たことがある。何度も書いているが、2010年から2011年にかけて、障害者制度改革に関する国の審議会の委員になった。これはちょうど4年前にシノドスに書いたことだが、30代の若造が国の委員会の委員になれたのは、ひとえにその時が民主党への政権交代のシンボル的政策の一つであり、官僚主導ではなく、政治任用された内閣府の担当者から、厚労省がこれまで手がけなかった「精神病院や入所施設からの地域移行」を本気になって制度化する為に手伝ってほしい、と依頼されたからである。つまり、官僚の前例踏襲主義を打ち破るために、国の委員になった。(と気づいたのは、就任した後になってからだが)
ゆえに、「官僚のやりたい放題」に棹さす僕たちの存在は、「『われこそが一般意志を体現している』と思い込んで、恣意的な正義を行使しようとする官僚」にとっては、非常にうっとうしかったはずだ。彼らは何が何でも、自分達の「恣意的な正義を行使しようと」手練手管を使ってきた。噂や情報操作、政治家へのロビー活動などを周到にする中で、大臣から任命された委員会の決議に対して、慇懃無礼に「ゼロ回答」してみせた。このプロセスを垣間見ながら、この国は政治家ではなく官僚が支配している国である、と心底思い知らされた。しかも、彼らの考える「一般意志」が、その他の人々の考える「一般意志」と違っても、彼らは自らの「恣意的な正義」こそを絶対視する存在なのだ、と。
そういえば、彼は国の審議会についても、経験談に基づきその本質をクリアに表現している。
「ヨーロッパでも、インテリにとって国家の諮問委員会に入ることは、やはりルビコン(以後の運命を決め後戻りのできない重大な決断と行動)です。ところが、日本ではそのあたりがよくわかっていない。外務省にいた頃の私も、重要な事案は、できるだけ学者を国のヒモ付きにして、最初は『われわれは金はだしますけど口は一切出しません』とかいって、そのうち身動きが取れないように学者をからめとってしまう。それを『蜘蛛の巣オペレーション』と呼んでいました。蜘蛛が張った巣に蝶がかかると、蜘蛛は蝶の体液だけを吸い取ります。すると、外から見れば、蝶は生きているように見えますが、じつはすでに死んでいます。だから蜘蛛の巣には絶対に近寄らない方がよいということです。」(p126-127)
10年ほど前、まだ国の審議会にまさか自分が関わるなんて思ってもいなかった頃から、友人に誘われて、「国のヒモ付き」とおぼしき学者が書いたものを読み漁っていた時期がある。正直に申し上げると、「なんでこんなカスカスの中身の本を、しかも厚労省の主張の丸写しのような本を、バカバカ書いて、定評ある出版社はどんどん出すのだろうか?」というのが、率直な感想だった。また、その学者が大先生と呼ばれ、講演料が50万を超えるとか、ゴルフや高級ホテルがセットでないと講演しない、とか、そういう裏話を聞くと、失礼ながら、「一体何であんな人の話に・・・」と疑問符がついたものだ。
でも、この佐藤氏の説明を踏まえたら、納得できる。そう、あの大先生は、「身動きが取れないように」からめとられ、体液を吸い尽くされたから、文章の中身がないのだ。そして、そのように国家に忠誠を尽くした人だからこそ、その人身御供の対価として、高額な講演料や接待を要求できる階級になられたのだ。でも、もしかしたら学者としての魂は既に「死んで」いるのかもしれない。そんな妄想が浮かんでくる。
だが、これはあながち妄想ではないことが、僕もその後の「フィールドワーク」で分かってくる。僕はたまたま、55名という多すぎる人数の委員会だったので、またその中でも雑魚の委員だったので、以下に書くことは直接経験していない。だが、他の委員会の委員の話を聞くと、毎回毎回、会議の前に「ご説明」と称して、官僚が複数人でわざわざ研究室までやってきて、個人的な関係を結びながら、じんわりと官僚の内在的論理や、話してほしい中身の「ご説明」まで試みる、という。更に言えば、「ご説明」にうまく乗る人がいるならば、一緒に飲みに行き、カラオケで共に歌い、仲間意識を涵養する。すると、最初は舌鋒鋭かったはずなのに、いつの間にか「○○ちゃんと飲み友達で」と官僚の内在的論理も理解しすぎてしまい、気づけば「蜘蛛の巣オペレーション」に見事に引っかかる御仁も出てくる。そうやって、いつの間にか「ヒモ付き」になる学者、ジャーナリスト、支援者、当事者・・・を垣間見てきた。あのオペレーションたるや、恐ろしいものである。僕だって、それだけ接待責めにあったら、危なかったかもしれない。だからこそ、佐藤氏は国の諮問機関の委員になることを「ルビコン」超えだ、と言うのである。
では、このような官僚の暴走を押さえるには、どうしたらよいのだろうか。彼は二つの方法論を提案している。
「官僚は国家のために必要です。知的なエリート、能力的に高い人たちがなる職業です。官僚として、自分のはたしている機能がなんであり、どこから自分の給与が出ているのかを客観的にわからせることです。官僚は社会から吸い上げた税で食べている。これは、イデオロギーとは関係ありません。論理の世界であり、論理整合性の問題です。たとえ個々人の官僚がどんな考えをもっていようとも、『官僚とは階級である。官僚以外の社会から収奪することによって食っている階級である。自分の仕事の裏打ちをしているものは国家が独占している暴力である』-こういう議論を承認せざるを得ません。」(p171)
自らの立ち位置が「収奪と暴力」によって構築されていることを自覚させること。これがなぜ官僚の暴走を押さえるのに有効なのか。それは、国家のプロセスがきれい事ではなく、自らも「収奪と暴力」の一員である、という権力性を自覚させることにより、権力行使にも自覚的になり、結果として抑制的になれるからだ、と、僕自身は考える。その抑制やタガ、佐藤氏が「歩留まり」と表現しているものが外れたら、どうなるか。
「新自由主義的な時代になるとともに知的劣化がはじまり、『自分たち官僚が絶対的に正しい』『自分の努力でエリートの地位をつかんだ』とカン違いしている愚か者が多数となっています。」(p172)
そう、自分の正しさに疑いを持たない、無謬性こそ、人間の最大の盲点である。しかもそれが、「一般意志」なる抽象的で、どうとでも解釈できるものと結びついたら、最悪である。
「私は国民の考え=一般意志を理解している。だから、私が言うことは正しい。だから、黙って従えば良い」
この論理に収奪と暴力が結びついたとき、それはまさしく独裁そのものである。だからこそ、「収奪と暴力」に自覚的である必要がある、と佐藤氏は説くのである。これが、官僚個人への処方箋であるとするならば、国家はどのような方向に向かうと、官僚の暴走を防ぐ事が出来るのか。佐藤氏はこう整理している。
「国家にできるだけ社会福祉的な機能をもたせて、大きな国家にして、教育であるとか社会福祉を大切にして、どんどん大きくしていくわけです。そうすることによって、国家の中にある暴力性は希薄になります。その反対に、小さなな政府をつくると、おしまいには軍隊と警察と外務省だけになって、そこにかたちばかりの経済官庁があるという小さな国家は、もう暴力の固まりのようなものです。日本のみならず世界をみても、後期資本主義をとっていた国々が、資本の運動の行き詰まりによって新自由主義と帝国主義の間を行ったり来たりのシーソーゲームをはじめました。それをどのように脱構築するかを考えなければなりません。」(p290-291)
非常にプラグマティックで現実的な案だと思う。官僚の「収奪と暴力」性を、現実的に消し去ることは出来ない。であれば、その「収奪と暴力」を「希薄」にすることが、具体的で実現可能な選択肢に見えてくる。それが、社会福祉や教育など、「収奪や暴力」とは相反する、再配分的な内容を強化していく、という選択肢である。逆に「小さな国家」を志向することは、夜警国家への逆戻りであり、「収奪と暴力」の濃度が高まる。マスコミに踊らされ、あるいはSNS上で目立つから、と公務員バッシングで溜飲を下げている庶民は、そうすることで、小さな国家を志向する新自由主義的志向を持つ「対抗革命」者をおだて上げることになり、結果として自らの土台を崩される、文字通り「墓穴を掘る」自体になるのだ、と。
この本だけでなく、佐藤氏は著作の中に、様々なメッセージを陰に陽に込めている。僕が今回受け取ったのは、「霞ヶ関と闘いたいと思うのであれば、まずは官僚階級の内在的論理をしっかり把握せよ」ということであった。「収奪と暴力」という立脚点を理解し、それを官僚自身にも理解させた上で、「小さな国家」という形で「収奪と暴力」を強化させるのではなく、土建国家ではなく福祉や教育などの再分配による「大きな国家」を志向することで、国家の「収奪と暴力」を「希薄化」させる。そのことこそ、フリーターや非正規労働者、貧困世帯や障害者、高齢者など、声にならない「一般意志」の声を実現するために、必要不可欠な道である、と。この認識の共有を官僚にしてもらうためにこそ、官僚と近づくべきであり、決して「蜘蛛の巣オペレーション」の餌食になってはならないのである。
つくづく、自戒を込めて。

リカバリーとは「矛盾を手なずける」こと

ぶあつーい洋書を久しぶりに真面目に読む。

「矛盾を手なずける:重度の精神障害からのリカバリー(Managing the Contradiction -Recovery from Severe Mental Health)」
12年前にスウェーデン在住時に、誰かに勧められて買ってみたものの、積ん読だったこの本。ネットで調べたら全文がダウンロード出来るのですね。でも分厚い博士論文なので、本で読んだ甲斐があった。
実はこの著者のToporさんの講演を、12月にイタリアのトリエステで聴いた。トリエステ精神保健局長のロベルト・メッツィーナ氏の論文にもたびたび引用されていて、興味を持ったのだが、実際にその講演を聴いて、びっくり。「薬も認知行動療法も、精神療法も、効く人には効くし、効かない人には効かない。では、リカバリーって、一体何だろう?」 こんな刺激的な議論の上で、彼の最新の研究を紹介してくれた。それをツイッターで紹介したら、約9000回ものRTされた。それが、このツイート。
「2015年12月19日: 精神病の人に、50ユーロを9か月間「投与」してみたら、対象群に比べて不安やうつ症状が減り、人間関係も豊かになり、生活の質も向上した、という興味深いスウェーデンの論文→Money and Mental Illness
このツイートで紹介した彼の論文を読んで、これは本気で読まねばならない、と手に取ってみた。(ちなみに、上記論文の概要や12月のトリエステ調査のダイジェストは、3月に発売される雑誌『福祉労働』150号に掲載予定です)
Toporさんがタイトルに込めた「矛盾を手なずける」とはどういう意味か。彼は16人の精神障害者へのインタビュー調査から、こんな結論を引き出している。
「リカバリー実践の物語における重要な要素とは何か。それは、最も強調すべき事は、矛盾を解決することではない、ということだ。むしろ、矛盾とうまくやっていく道を模索することであり、自分自身と折り合いを付ける事が出来るようになり、そのプロセスにおいて痛みをあまり感じずに済むようになるということだ。それこそが、矛盾を手なずける、ということなのだ。リカバーするとは、他の誰かになる、という事を意味していない。むしろインタビューの中では、リカバリーの過程は、人が自分自身を発見する道として表現されていた。それは問題に何とか対処することができ、しかしながら以前とは違うやり方で対処するのである。」(p318-319)
リカバリーの文献をそう沢山読んだわけでもないが、今まで出会ってきたリカバリーに関する表現の中で、最もしっくり来るものの一つだ。そう、「完治」がリカバリーではない、ということ。業界用語では似た表現として「寛解」というのもある。でも、これは病気の猛威が収まること、という意味合いであり、本人よりもどちらかと言えば病気が主人公。Toporさんは、リカバリーを経験した当事者の語りから、「病気の猛威が収まること」よりも、「自分自身と折り合いを付けること」ことをリカバリーと定義する。それは、僕が見聞きした精神障害の経験者の物語とも、共通する要素だ。いや、それだけでない。実は精神病体験に圧倒されないためには、誰にとっても必要不可欠な要素なのかもしれない。
この本の中では、精神病体験を通じて、非合理とラベルを貼られ、通常の人間関係が破綻し、通常の地域生活から排除された人々の経験が語られる。極度の孤独や社会的排除の中で、病状という表現でしか自分を護れない極限状況に追い詰められる。自分自身の言動に振り回され、家族とも敵対的な関係になり、医療や福祉サービスも、時として侵襲的に作用する。薬の副作用がきついときもある。
そんな中でも、例えば幻聴には、社会的な孤立に対処するための、「かなり苦しい対処方法」いう側面もある(P266)。嬉しくはない幻聴だけれど、少なくとも誰も話しかけてくれない、という状態ではない、という意味で、孤独への対処にもなってしまっている。また、家族とのかかわり方が変われば、当人にとっての問題の原因とも、問題に対処する上での強力な味方にもなる(p329)。薬だって、医療者の指示に従わねばならないという意味で他律的要素としても、またどの薬をどれくらい飲むかへの決定過程に参加することを通じて自律を取り戻すこともできる手段ともなる(p333)。専門家が一方的な見方を押しつけたら対象者のニーズに目と耳を塞ぐが、互酬性の関係を構築すれば「同行二人」のパートナーにもなる(p326)。包括性や継続性は、患者のトータルな管理にも、リカバリーの重要な要素ともなる(p330)。
つまり、症状も家族も専門家も薬も、さらには精神障害者への接し方も、どれもが両義的で不確実(ambiguity and uncertainty)な要素が含まれているのだ(p338)。
だからこそ、完治する=異常から健康に「治る」という、白黒付けるという二者択一の姿勢よりも、「自分自身と折り合いを付けること」という意味で、両義的なまま、「矛盾を手なずける」方が、現実的である、とToporさんは結論づける。ここからは、精神病状態に陥る以前の暮らしから、「両義的で不確実」な状態を許容し、「矛盾を手なずける」ことが出来ていたら、しんどい状態にはまり込まなくて済むのかもしれない、とも予期される。
これを読みながら、強く思い出していたのが、日本では超有名なべてるの当事者研究だ。
このべてるの家の実践も、自分自身で自己病名を付けることにより、他者によるラベリング(他律)から、自律性を快復しようとしている。また病気の悪循環サイクルを自分一人で抱え込む状態から、仲間と共に研究することで、社会的孤立への対処をしようとしている。専門家が一方的に病気と判断し服薬を強要するのではなく、当事者の内在的論理を明らかにした上で、しんどい状態を克服するための自律的なコントロール方法を、専門家と共に考えようとする。それは精神病院のような権力装置の中での他律的管理・支配を超えて、街の中で、試行錯誤しながらも、自律的にリカバリーしていく可能性を提供する。
結局、リカバリーの物語は、洋の東西を超えて、圧倒的に苦しい・追い詰められる経験をした後に、当の本人が、周りの人々と共に、どのようにその経験を手なずけ、その経験と共に、以前よりはましな形で、矛盾と共に生きていくのか、というプロセスなのだ。この部分を理解した上で、医療や福祉サービスは何が出来るか、が問われているのだ。それが、イタリアのトリエステの人々にも興味を持たれるポイントであり、メッツィーナさんが日本の当事者研究にも大いに注目していた最大の理由なのだろうとわかった。
そこで問われているのは、日本の精神医療や、日本の障害者福祉は、本当に精神障害者のリカバリーを志向しているか、支援しているか、という問いである。精神障害者が圧倒的な苦しさやしんどさにいる状態から、矛盾を手なずける、非常に個人的なプロセスに寄り添い、じっくりその物語を伺い、ともに次の一手を模索するプロセスに関われているか、という問いである。生物学的アプローチや心理療法的アプローチを否定しているのではない。そうではなくて、両者が(bioもpsychoも)、矛盾と共に当事者が社会の中で生きていくのを応援する、という側面がなければ、リカバリーではなく、他者による管理と支配の手段に堕落する、という点に自覚的であるかどうか、が問われている。それこそが、ほんまもんの生物-心理-社会モデル(biopsycosoial model)のはずだ。それが、今、日本で実現出来ているのだろうか? 精神病を経験した人が、再び「矛盾を手なずける」状態にリカバリーするまで、「同行二人」で「ともに」考え合う支援を出てきているだろうか? もしや、「支援対象者を手なずける」仕事になってはいないだろうか?
様々な問いを投げかけてくれる、実に刺激的な一冊だった。
追伸:16人の経験者の物語は、著者の素材を引き出す旨さにも支えられ、理論的に面白かっただけでなく、単純に物語として面白かった。こういう掘り下げた研究こそ日本でも必要だし、この本は翻訳されるべき本だ、とも思った。誰か、やってくれないかなぁ・・・。

内面化された規範の呪縛

どのような社会問題であっても、「逸脱した個人の自己責任」と捉えることも出来れば、「社会の歪みが脆弱な個人に反映された結果」と捉える事も出来る。障害学で言えば、前者は「医学モデル」と言われ、後者は「社会モデル」と言われる。後者は、個人のわがままや努力不足とラベルが貼られている問題に対して、個人の問題は社会的な背景があり、社会の抑圧的構造が悪循環的に個人に作用したとき、その回路から逃れることが出来なくなってしまった果ての、症状化・顕在化であると捉える。そのことを強く感じさせる新書に出会った。
「現代の『ひきこもり』は、自分自身と向き合うこととは違う。既存の価値観を内面化し、自己点検を繰り返し、その内面化した価値観に合わない自分自身が社会に漏れ出すことを必死になって防いでいる。そうでなければ社会での居場所を失うと感じ、その不安と恐怖と戦っている。だが、どのようにしても漏れ出す生身の自分を隠すことはできない。ひきこもりは『自傷行為』だと多くの経験者が言う。そうすることでかろうじて生き延びることができる、その人なりの逃げ道だ。」(杉山春著、『家族崩壊ー「ひきこもり」から問う』ちくま新書、p29-30)
ここに書かれていることは、何も「ひきこもり」に限らない。ちょうど今、卒論指導が佳境に入っているが、ゼミ生達が自らの実存を問い直す論文の中にも、他者肯定を得ようと必死になっていたり、同調圧力と自分自身の実存とのズレに苦しんでいる姿をしばしば垣間見る。KY、つまり「空気が読めない」という言葉に代表されるように、その裏返しの「空気を読め」という同調圧力、つまりは「既存の価値観」の押しつけは、21世紀日本社会では、もしかしたら以前よりきつくなっているのかもしれない。特に、小中高という学校空間では、「スクールカースト」のような序列化がきつく進んでいる、と最近のゼミ生は教えてくれる。その序列や同調圧力の「内面化」を強要され、「その内面化した価値観に合わない自分自身が社会に漏れ出すことを必死になって防いでいる」のだ。それほど、「社会の居場所を失う」「不安と恐怖」はきついのである。
そんな消耗戦に歯を食いしばって耐えろ、と強要するのは、全く人間的ではない。だからこそ、人間的な選択肢の一つとして、「漏れ出す生身の自分を隠す」手段として、「ひきこもる」ことにより、「かろうじて生き延びることができる」。しかし、それは温々と得られた解決策ではない。『自傷行為』という表現にあるように、切れば血が出るような、自らを切り刻む、痛みを伴った行為なのである。逃げないことも、逃げることも、共に苦しいのだ。
ここまでの分析なら、他の「ひきこもり」ルポでも見られる分析である。だが、この新書が類書と一線を画するのは、その「ひきこもり」の背景にある、家族の不安や歪み、また社会的な歪みにも、肉薄していく部分である。ご自身の息子さんも不登校になった経験を持つ杉山さんは、学校の担任の対応に対して、このように書いている。
「『適応できない児童には教師が指導する。母親の甘やかしは困る』という考えが透けて見え、親を指導しようという姿勢も感じた。育ちの偏った息子は学校に受け入れてもらえないのだ。私も母親として、否定的に見られている。私は不安になり、怯えた。このとき、私は学校教育、つまり社会の要請に適応しなければ、という気持ちが強かった。学校へのぎくしゃくした不信が生まれた。困難を理解してもらえないことへの、怒りの気持ちが含まれていた。」(同上、p95)
学校で標準化された価値観に「適応」することのみが「正しい」とされると、「適応できない児童には教師が指導する」という一方的、反-対話的アプローチが強化される。これは、支援ではなく、支配である。「育ちの偏った息子」という言葉も、100人いたら、標準偏差と同じように、中央値からずれた子どもが1割か2割存在する。だが、学校が認める偏差の枠内に収まらないと、「適応できない児童」とラベルが貼られ、適応すること=その偏差の枠内に収まることのみが、「社会の要請」の主要な課題となる。のびのび・すくすくと、その子の特性が活かされた形で育ってほしい、というのは、現代日本「社会の要請」ではないのだ。標準化・規格化された枠内に収まることが、「社会の要請」の強い圧力として、子どもだけでなく、親にも当てはめられるのである。
この経験を元に、杉山さんはこうも語る。
「ひきこもりの背後には、『抑圧』や『暴力』がある。その連鎖はどこから来るのか。どのように抜け出すのか。その謎は、私自身の中にもある。」(p116)
人を「自傷行為」せざるを得ない状況に追い込むこと。これは、確かに「抑圧」であり「暴力」である。この「抑圧」や「暴力」は、学校空間の中でも、「連鎖」として、自己反復・自己増殖的に蔓延している。そして、杉山さんは「その謎は、私自身の中にもある」と書いているが、まさに社会の構成員としての私たち自身の中に、「抑圧」や「暴力」の「連鎖」の「謎」が内包されているのだ。
「取材を続ける中で気付くのは、高度経済成長期かそれ以前に就職した若者たちは、少々の偏りを抱えていても、社会の中に居場所を見つけることが今よりも容易にできたということだ。就職時、過酷に振り落とされることなく、会社が大きくなるにつれて、仕事の種類は膨れあがり、ポストは増え、力を発揮できる場が次々に発生する。目の前の仕事をこなしていくことで、力をつけ、人との関わりを持ち、経済的に恵まれ、親世代の収入を超えた。
能力が吟味され、その力によって仕事をあてがわれるようになるのは、70年代半ばに入って、経済成長が鈍ってからだ。その頃から、不登校やひきこもり、育児不安という現象が顕在化していく。自分はうまく適応できるだろうか、対応できるだろうかという未来に対する不安が生まれていくのだ。」(p48)
社会の第三次産業化は、規格化や標準化圧力の強化でもある。高度経済成長期までの日本社会は、第一次産業も第二次産業に労働力が吸収された割合も高く、第三次産業が膨張化する以前の状態であった。だから、「会社」で働こうと、「工場」や「田んぼ」で働くのと同じように、どんな労働力であっても、その現場に役に立つものであれば、必要とされた。「振り落とす」なんてこともなく、猫の手も借りたいくらい、の状態であった。
だが「経済成長が鈍り」、第一次産業や第二次産業が、他国との価格競争で脅威にさらされる中で、70年代以後、日本社会は急速に第三次産業化していく。米や車、など「モノ」を売っていた時代から、「サービス」という付加価値を売る形態に社会が変化していく。すると、「モノ」の標準化だけが求められていた時代から、「サービス」の標準化に、ひいてはその「サービス」を提供する、人間の標準化・規格化圧力が強まったのではないか、と僕自身は考えている。
杉山さんは70年代から「不登校やひきこもり、育児不安という現象が顕在化して」いった、と述べているが、僕はこの表現を見て、2000年前後から、発達障害という現象が「顕在化」していった事に、強く重なって捉えている。
例えば、映画の「寅さん」は、今であれば明らかに特別支援学級に送り込まれる対象者と有徴化されただろう。杉山さんの表現を使うなら、「既存の価値観を内面化」できず、適応的な「価値観に合わない自分自身」が常に「社会に漏れ出」している。つまり、「社会の要請に適応しなければ」という規範や同調圧力に従わず、周囲の「指導」にも従わない。こういう「偏りを抱え」ている人であっても、以前は社会自身の標準化・規格化が進んでいなかったがゆえに、「しょうがない奴だなぁ」と「社会の中に居場所を見つけることが今よりも容易にできた」。だが、社会自身の標準化・規格化・制度化が進む中で、このような「偏り」は「魅力」ではなく、「逸脱」と捉えられる。その中で、「逸脱」を障害や症状として捉える社会的合意が構築されていったのではないか、と僕自身には思えてならない。
余談であるが、精神病院や入所施設は、産業革命以後の社会で構築されたものである。工場労働には成年男子の労働者が大量に供給され、その規格化された労働力の外にある、子ども、高齢者、障害者をケアする役割として、「専業主婦」も発明される。その上で、手のかかる子どもは「学校」に、高齢者や障害者は「老人ホーム」や「入所施設」「精神病院」に預けることで、より効率的に社会を規格化し、労働生産性を高めようとした。この社会の労働生産性を重視した結果として、労働生産性という価値に不適合な、つまりは社会が「標準」と定める価値規範から逸脱している個人が排除されていく。そして、多くの人はその排除を「不安や恐怖」と捉え、その排除から免れるために、労働生産性という標準化された価値規範を内面化し、それを常に自分の参照枠として「自己点検」し、必死になって同調しようとしているように、僕には思える。
この視点は、杉山さんの視点にも重なっている。
「ひきこもりの背後には、『自分に課す規範から自由になれないことがある。その規範が与えられるのは、多くの場合家庭=イエである』と私は書いてきた。規範を求めるのは高度化した産業社会だ。人の能力を計り、選別し、社会に配置するシステムを持つ。(略)共同体と呼ばれていたものが形を失う時、家族が孤立すれば、家族内の『規範』は偏り、次世代を苦しめる。次世代が生活する社会のあり方が、親世代の『規範』とは大きくずれる場合もある。」(p198)
「『私』の願いや怒り、価値観を我が子に伝えるよりも、我が子に他者を感じていほうが、社会に繋ぎやすい。我が子に他者性を持つことは、実は、現代の新しい『規範』なのではないか。だが、親自身が自分自身が生きてきた規範から自由になることは、案外難しい。それ以外の生き方を知らないからだ。」(p199)
親が子に対して過剰な「願いや怒り、価値観」を押しつけること。これが、不登校やひきこもり、家庭内暴力など、様々な形で子どもに顕在化される拒否反応である。このように顕在化しなくても、親や社会の「規範」に雁字搦めになり、そこから自由になれず、その「規範」が示す「良さ」を前にして、自分自身の「願いや価値観」を「抑圧」して、親や社会の顔色をうかがい、その範囲内に自己を矮小化する若者が多いことも、ゼミ生達との対話で強く感じていることでもある。これは、旧来の共同体的価値批判が団塊世代によって壊された後に、社会的連帯のベースとなる価値規範が作られることなく、家族が「孤立」していった帰結でもある。
だからこそ、ひきこもりを社会的に解決するには、ひきこもりの「矯正」ではなく、社会の構成員一人一人が、自らにも「内面化」された「抑圧」や「暴力」を自覚することが必要不可欠なのだ。僕自身はそれを「枠組み外し」と命名した。「自分自身が生きてきた規範から自由になる」ことが、自分を開き、他者を開き、他者の価値観、つまり「他者性」を肯定することでもある。同調圧力が強い、標準化・規格化された社会とは、この「他者性」が極端に抑圧された、単調な社会である。その息苦しさをどう突破していくか。
改めて、僕自身のライフワークでもある、標準化・規格化という呪縛と、それへの対抗策というテーマを考えさせられる一冊だった。

沖縄への植民者、という自覚

遅い正月休みを沖縄で過ごした。2年ぶりである。南国好きで、台湾や香港にも行くが、それ以上に沖縄には何度も通う。そして、いつものように旅先でゆっくり本の世界に浸るのも、僕にとっての休暇の楽しみの一つ。ただ、その本の世界が、自分の実存そのものにグイッと食い込む旅になろうとは、出かける前に想像できなかった。

きっかけは、行きの移動中に読んでいた新書のフレーズだった。
「もし、明日の新聞に、いきなり四国の独立運動グループが活動を開始したとか、『北海道の人のための北海道でなければならない』とかそのような記事が載ったとしたらびっくりするでしょう? でもそのときの衝撃は、そんな感じだったのですよ。人々は狼狽し、そして憂慮したのです。植民地の独立と地域ナショナリズム、これら二つの要素によって、ナショナリズムの新しい捉え方の重要性を、人々はあらためて認識するようになったのです。」(『ベネディクト・アンダーソン グローバリゼーションを語る』光文社新書 p37)
英国内のスコットランドやスペインのバスク、カタルーニャ地方などが1970年代に声を上げた「地域ナショナリズム」運動の事を語るアンダーソンは、そのたとえで四国や北海道の独立を出していた。その時は引っかかりがなかったのだが、四国や北海道を「沖縄」に変えると、アンダーソンが2007年に指摘したことが、2016年の沖縄ではかなりアクチュアルな問いになっている、という自覚が、僕にはまだなかった。
そのことをまざまざと教えてくれたのが、「沖縄戦の図」を見に佐喜眞美術館を訪れた際に買い求めた、知念ウシさんの一冊だった。
「旅先とは、自分の地域とは別のところ、例えば外国である。さらに、この両地域の権力関係の種類によって、癒やしの旅は二つに分けられるだろう。対等なものと、不平等、すなわち植民地主義的なものである。後者では、己の責任から離れ休息を取る以外に、政治、経済、社会、文化的に強者の地域から弱者の地域にやってきて、優位に立てて優越感が持て精神的に楽しい、というのも重要な『魅力』である。
沖縄はおよそ百三十年前日本国に併合され、それ以来固有の文化が破壊され、日本化が進められている。また、現地でどんなに軍事基地に反対しようとも、本国の圧倒的多数の国民が沖縄に基地を置くことを認めているために、なかなか撤廃できない。それが経済、社会、文化、自然環境にもふかい影響を与えている。それなのに本国国民が責任を問われず、沖縄の主人公のようにもてなされる観光地化が進む。このような沖縄は植民地主義的な癒やしの旅の行く先として、代表的なものだろう。」(知念ウシ『ウシがゆく 植民地主義を探検し、私をさがす旅』沖縄タイムス社、p122)
彼女は、本当の事を、オブラードに包まずわかりやすい言葉で書く。以前朝日新聞の記事を読んだ時もそう感じたが、地元の新聞に連載し続けた彼女のエッセーを読みながら、最初のうちは深く頷き、興味深く読んでいた。だが、この部分を読んだあたりから、気持ち悪くなりはじめる。胃のむかつきや消化不良感がグワッと出てきて、苦しくなる。オモロイ本を読んでいるはずなのに、胃だけでなく頭の中も混乱し始める。それはなぜか。
そう、僕自身もまさに「植民地主義的な癒やしの旅」の真っ最中ではないか!
そんな問いというか気づきが、グサリと突き刺さったからである。本土資本の大型リゾートホテルに宿泊し、本土資本のレンタカーで沖縄を乗り回し、その上で「沖縄でお金を落としているのだから」なんて優越感に浸っている。しかも、無自覚に。そう思うと、彼女の言葉は、「あなたは日本人の一人として、一体どう思っているの? どう責任を取ろうとするの?」とグイグイ問われているような気がし始める。しかも、「主人公のようにもてなされる観光地」沖縄に、日本国内の75%もの在日米軍基地を押しつけておいて、である。
そう考え始めると、沖縄が好きです、なんて言いながら、癒やしと称しながら、対等ではなく権力関係で僕自身が何らかの搾取をしているのだろうか?とか、そういう問いが頭の中をグルグルし始め、胃も苦しくなり、混乱する。一体、このことをどう考えたらよいのだ、と。妻とも話をしたり、那覇の街中を歩いたりしながら、本屋で新たに買い求めたもう一冊の本を読んでいるうちに、その混乱が収まる。しかも、もっとドギツいフレーズに出会って。
「ポストコロニアリズム研究とは、第一に、植民者の問題化を不可欠とする学問的実践である。なぜなら、植民者の存在があってはじめて植民地主義は成立しているからだ。日本人に特化して述べれば、ポストコロニアリズム研究とは、日本人という植民者を一貫して問題化することを通して、植民地主義を実践しつづけている日本人の政治性を解明し、植民地主義を継続させる権力的メカニズムを批判的に分析することによって、日本人の植民地主義の終焉を構想する学問的実践である。つけ加えておけば、日本人がみずからの植民地主義を終焉させたとき、彼/彼女らが植民者でなくなるのはいうまでもない。その点、ポストコロニアリズム研究とは、日本人が植民者から脱却する方法についての思考でもある。」(野村浩也「植民者とは誰か」『植民者へ-ポストコロニアリズムという挑発』松籟社、p41)
「植民地主義を実践しつづけている日本人の政治性を解明し、植民地主義を継続させる権力的メカニズムを批判的に分析すること」
これって、僕が『枠組み外しの旅』で問い続けて来たことに通底しているのではないか。そう思うと、僕の中で一つの筋が見え始めた。日本人がどのような「植民地主義」を実践したり継続させたりしているのか。この問いは、日本人がどのような枠組みに囚われ、それを所与の前提にしているのか、の問いでもある。野村氏も喝破するように、植民地主義は、植民者をも囚われの身として、植民者に居着かせる論理構造を持っている。しかも、この植民地主義は、隠蔽されることによって、より持続可能なものになりやすい、という。
「植民地主義の隠蔽は、植民地主義の存続に大きく貢献する。なぜなら、隠蔽されればされるほど、植民地主義の存在を意識することが困難になるからだ。植民地主義の存在に気付かなければ、それを問題化することもありえない。そして、問題化されることがなければ、植民地主義は無傷のまま温存されることになる。(略) 植民地主義は、『現にあること』として存在するにもかかわらず、隠蔽されることによって、存在しないことになってしまう。その結果、植民者が自分の行為を植民地主義と認識する可能性はきわめて低くなる。」(同上、p38)
沖縄は法的に日本の領土であり、日本人と同じ権利を法的には所有している。だが、米軍基地の75%を沖縄に押しつけ、知事選を通じて県内移設をしないでほしいという民意を示しても、決して沖縄以外に移転することがない。これは僕が住んだ事のある山梨県や兵庫県、京都府では一度も経験したことのない、一県民への差別の常態化である。つまり、沖縄人から見れば、実質的な植民地主義の温存である。
そもそも琉球「処分」(=筆者はこれを琉球「征服」という)や日本語の強要、沖縄戦時には琉球語を使う人々をスパイとして日本軍が射殺していた事など、明らかに植民地政策である。これは、多くの研究者が述べているが、日本政府が韓国や台湾で行った植民地政策と共通している方法論である。また、沖縄が「本土復帰」を求めていた事実はあるが、彼らが求めていたのは、米軍占領下から本土復帰する事による、米軍の撤退である。だが、米軍占領下に日本本土から米軍が沖縄に移されることはあっても、日本復帰後に沖縄の米軍が日本本土に移されることは、決してない。地政学的重要性とか、「もっともらしい言い訳」をつけながら、日本は本土に米軍基地を置くことなく、沖縄に押しつけ、ぬくぬくと平和を享受している。これが、隠蔽された植民地主義であり、隠蔽されているので、植民者である日本人自体がこのことに無自覚である。これを、沖縄人は告発しているのである。
「敗戦後の日本人は、『平和憲法』と民主主義に守られながら、平和を唱え、核兵器廃絶を自由に叫んできた。一方、沖縄人は、日本国という『唯一の被爆国』を核の傘で守るための犠牲を強制されることとなった。(略) 他者を暴力的に犠牲にすることによって成り立つ平和とは、民主主義とは、自由とは、いったい何なのか。そんなものは、植民者的な偽善でしかない。」(p62)
このフレーズを読みながら、日本的システムの歪みとは、「隠蔽された植民地主義の歪み」ではないか、と思い始めている。不都合な部分を植民地的に、簡単に言えば金の力で何とか押さえつけ、民主主義的な合意形成を形式的には作った上で、押さえ込んで文句を言わさない。沖縄の米軍基地や福島の原発、に限らず、水俣病などの公害問題の隠蔽や、障害者の入所施設・精神病院への隔離収容など、この国が進めてきた社会的排除の構造の背後に、このような「植民者的な偽善」があった。それを、「でもそんなことを言ってもしょうがない」「どうせ今更何も出来ない」と「どうせ」「しゃあない」という呪文で抑圧してきたのである。
だが、その呪文というか、蓋は、開きつつある。
野村さんや知念さんが主張している「沖縄人に押しつけている米軍基地を日本人の手で日本に持ち帰らなければならない」(同上、p67)は、沖縄ナショナリズムの極端な発言に見えるが、その意見への賛同は拡がりつつある。
例えば『琉球独立宣言』を唱える松島さんは、こんな風にも述べている。
「沖縄戦、米軍統治時代、そして今日まで軍隊は住民を守らない、つまり抑止力ではないという事実を、琉球人は体験を通じて嫌というほど知っています。日本人の大部分は軍事基地の実態を知らないのか、または忘れているのです。『米軍=抑止力』という虚構の論理に従ったままなのです。(略) 2004年に普天間基地所属の軍用縁が沖縄国際大学に墜落したとき、『事件現場』で米軍のなかにはトランプに興じている軍人がいました。米軍はしばしば琉球人を殺害し、レイプしており、同じ人間として琉球人をリスペクトしていません。」(松島泰勝『琉球独立宣言』講談社文庫、p236)
また、野村さんや松島さんへのインタビュー記事も載せるだけでなく、琉球がそもそも一国として日本や中国から独立していたこと、それが「琉球処分」時に暴力的に奪われたことを解き明かし、その上でパラオやスコットランドなどの自主独立を勝ち取った・そうなりつつある国々を取材した地元紙琉球新報社が『沖縄の自己決定権-その歴史的根拠と近未来の展望』(高文研)という本を出している。この二つの本は、2015年に出ている。
つまり、沖縄の中では、明らかに日本の居丈高な植民地主義に我慢ならず、自己決定権を返してほしい、独立も視野に入れて考えるぞ、そもそも米軍基地を本土に引き取ってほしい、という主体的な意見が強まっているのである。
だからこそ、沖縄好きの僕自身には、問われているのだ。沖縄で植民者的に楽しむのではなく、沖縄と対等に付き合うにはどうすれば良いか? 個人としては、沖縄資本の宿やレンタカー、お店を選ぶ、という小さな実践も、もちろん大切だろう。でも、僕自身が実践というか、研究にコミットしている「魂の脱植民地化」研究の一環としては、日本人に根深く根ざす「植民地主義」についての自己研究が必要不可欠であり、その更なる言語化がもっと必要だ、と感じている。
「日本人が『日本人=植民者/沖縄人=被植民者』という二項対立を記述して徹底的に意識することは、それを解体するための不可欠のプロセスである。日本人がこの二項対立を意識することは、沖縄人に対する植民地主義を実践することによってそれを構築している自分自身を意識することである。そして、日本人自身が植民地主義をやめないかぎり、この二項対立の解体もありえないし、植民地主義が終わることもない。」(野村、同上、p46)
沖縄はこうすべき、とか、植民者がとやかく言うべきではない。そうではなくて、沖縄や福島に対して、「植民者」として振る舞う日本人の「二項対立」を、隠蔽することなく自覚化し、それを言語化することが、植民地主義の「解体」の前提にあるのである。自分自身で抑圧(隠蔽、忘却・・・)して「なかったこと」にしている、植民地主義的な心性を、そのものとして言語化し、それはアカン、ときちんと口に出して言い、では他にどうすれば良いか、を考える営みに漕ぎ出すこと。これは、知念さんの副題を借りれば、日本人が「植民地主義を探検し、私をさがす旅」に出ることである。
僕は「枠組み外しの旅」を書いた前後も沖縄に来ているが、日本人の「植民地主義」について、無自覚なまま、この本を書いた。だが、沖縄での植民地主義、植民者としての日本人という「二項対立」を自覚した後には、植民地主義という「枠組み」を外すプロセスを我が物にする必要がある。今回のブログも、そんな「二項対立を記述して徹底的に意識する」プロセスの入口として書いてみた。
ゆっくり休暇が出来た上に、研究上の大きなバトンまで(勝手に)託されてしまった。これから、このバトンを持って、走り始めたいと思う。

2015年の三題噺

ここ数年は、一年最後のエントリーはその年を三題噺で振り返る、という題目である。この1年をどう振り返ってみるか、書き始めた段階では一つ目しか浮かんでいないけれど、とにかくそれからスタートしてみよう。

1,精神医療の社会学、という「原点回帰」
事の発端は、9月に訪れたトリエステだった。雑誌「福祉労働」に、精神病院を廃止したイタリアの医師フランコ・バザーリア、脱施設化の旗手であったスウェーデンの理論家ベンクト・ニィリエ、そして権力関係の認知転換を『被抑圧者の教育学』で説いたブラジルの哲学者、パウロ・フレイレの三人を巡る連載をしはじめた。その連載もあって、イタリア・トリエステに、バザーリアの実践の「その後」を調べに出かけた。
その時、時間を取って議論につき合ってくれたのが、現トリエステ精神保健局長のロベルト・メッツィーナ。2014年の11月に日本での講演を聴いて、そのロジカルでパワフルな語り口に感銘し、その続きの話をしたい、とトリエステに押しかけた。そして、彼と議論をしている最中に、ふと気づいた事がある。「精神医療の社会学を、自分はきちんと追い求めなければならない」と。
大学院のフィールドワークは精神病院だったし、2003年に提出した博論は、「精神障害者のノーマライゼーションに果たす精神科ソーシャルワーカーの役割と課題」だった。博論の一部は『枠組み外しの旅』にも入れ込んだし、関わり続けているNPO大坂精神医療人権センターのことや、アメリカでの権利擁護研究のまとめは『権利擁護が支援を変える』にも整理して入れ込んだ。とはいえ、この二冊で「仕上がった」訳ではない。まだまだ精神医療の問題について、病棟転換型施設の問題や、精神科病院が「司令塔役割」と位置づけられた認知症の「オレンジプラン」問題など、追求すべき課題は沢山ある。でも、どこかで、「精神医療の問題は、二人の師匠(大熊一夫さん大熊由紀子さん)の仕事だから」と遠慮していた部分もあった。
でも、ロベルトと議論しているうちに、社会学者としてきちんと精神医療の現状と課題を整理したり、どう変えていくべきか、について整理するのはとても大切な仕事だ、と改めて認識する。精神科医や看護師、当事者などの様々なアクターがどのように構造転換に関われるか、を社会学的な視点で分析したり、提起する仕事が必要かも知れない。そう思い始めたのは、イタリアに行く前にフィンランドでオープンダイアローグの現地取材をした事も大きいのだが、このトリエステ方式とオープンダイアローグの事を色々読んだり、考えたり、話したりしているうちに、この3ヶ月はあっという間に過ぎた。久しぶりに研究が滅茶苦茶面白いし、何というか、一から学び直している、という感覚が強い。大学院生に戻ったようだ。そういう意味では、40才という文字通りの「人生の正午」で、原点回帰の一年になったようだ。
2,ダイアローグを本気で考える
先に触れたフィンランドのオープンダイアローグについて、11月末東京で、ケロプダス病院の医師と看護師を招いた講演会が開かれた。その際の前座で登壇した僕は、「精神病院の中でのオープンダイアローグは、権力関係を問うことなく行うなら、矛盾である」と発言した。そのことについて、「反精神医学だ」とラベリングされたり、「トリエステ主義者がオープンダイアローグを乗っ取ろうとしている」と揶揄されたりもした。なぜ、そんなラベリングをされるのか、が全くわからず、ずいぶんくたびれた。

でも、結局精神医療について本質的な議論をするとき、このような既存の精神医療の構造そのものを問い直すか、現状や病棟の中で出来る可能性を探すのか、が二項対立的に分かれて、その溝が深い、ということを、改めて学んだ。これは、前回のブログでも書いたが、原発や辺野古移設を巡る賛成派と反対派と同じくらい、溝が深い、ということも、よく分かった。これらの問題に関して、「意見の対立を避け、お互いもう少し歩み寄って、相手の立場を理解しよう」という形でアプローチすると、どちらかに取り込まれるか、激しい反発を食らうか、という二項対立図式から逃れられないことも見えてきた。

ではどうしたらよいのか。まだ完全なる解法は見えていない。だが、12月にトリエステのバザーリアセミナーで伺ったTrialogueというアプローチが、一つのヒントになるのかもしれない。ダイアローグが二者の対話だとするなら、トライアローグは三者の対話。精神病院で言うなら、本人と家族と支援者が、対等な立場で話をする、ということ。これは治療ではなく、お互いの理解を深める為の対話で、病院でも患者の家でもない、公共の施設などで行う、という。オープンダイアローグが治療関係のパラダイムシフトだとするならば、トライアローグはその前提というか、互いの認識や価値観の違いを認め合う基盤作りだ、と、この考え方を提唱したウィーンの精神科医、アメリングさんは述べていた。

異なる価値前提の人々が、お互いを糾弾し合うことなく、自分の価値前提を見つめ直し、相手の価値前提を学び、その中から「ともに」考え合い、別のアプローチを協働して作り上げていく。これって、自立支援協議会や地域ケア会議で求められていることでもあり、僕自身が色々な研修の場でも大切にしてきたことである。それらの研修が僕にとってのOJTになって、研修における価値前提の違いを乗り越えるファシリテーションは、それなりに出来るようになってきたのかも、しれない。そして、僕が学んできたこの方法論は、精神病院や入所施設の価値前提を捉え直すためにも有効な方法だ、というのは、頷ける。大切なのは、誰かを責めたり糾弾したりすることなく、でも支配-被支配の関係を超えた場をどのように設定するか、ということである。このようなダイアローグの場を作り上げることが出来るか、は、来年に向けた宿題でもある、と書きながら感じた。
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3,出張と座談を繰り返す
9月以後、大きく僕の中で認知転換を果たしていったが、そもそも今年は出張や様々な人との座談・議論の場が多かった。グーグルカレンダーで振り返ってみると、主なものだけでも、こんな感じ。
海外出張:ニューヨーク(2月)、香港(6月)、フィンランドとイタリア(9月)、イタリア(12月)
国内出張:岡山(7回)、大阪(4回)、三重(4回)、大槌・釜石(2回)、その他日帰りでの東京出張多数、一回の講演・研修会もあちこちで
思えばニューヨークのエンパワメントセンターで議論をしていたのも、まさにリカバリーの話だったし、香港のソーシャルワーカーの集会では、いかにしてソーシャルアクションに関わる事が出来るか、を議論し合っていた。この時、まさか2ヶ月後の日本で、雨傘革命やジャスミン革命にも似た、SEALDSやママの会などのソーシャルアクションが自然発生するとは思いも寄らなかった。国内に目を向けると、岡山には毎月のように通い、「無理しない地域づくりの学校」の校長役を務めながら、尾野「教頭」や西村「用務員」だけでなく、オモロイ岡山の人々から多くを学び、旨い酒と肴に舌鼓を打ち続けた。大槌や釜石での半年に一度の地域づくりのお手伝いも板についてきたし、三重では相談支援体制の底上げが少しずつ果たされ始めていると実感する。大阪に戻ると、いつものように「議論の続き」が待ち構えている。
そういう意味では、忙殺されながらも、去年よりも一段と学びを深め、インプットし、吸収することが多い一年だったのかも知れない。
そうそう、3月末には編著『自分たちで創る現場を変える地域包括ケアシステム』(ミネルヴァ書房)も上梓し、地域包括ケアについて取り組んできた成果を少しは形に変える事も出来た。
さて、来年はどんなオモロイことが展開出来るか。今から楽しみである。
ついでに言えば、山登りは念願だった北岳・間ノ岳・農鳥岳の白峰三山は制覇出来たが、山登りの回数自体は激減。合気道もじっくり腰を据えて稽古できなかった。その代わりに、ランニングシューズも買って、出張先で観光ランニングをする、というI先生の得意技を真似始め、茨城や京都、岡山やケミ、トリエステで走っている。来年は、もう少しこちらの方面にもエネルギーを注ぎたいが、果たしてどうなりますやら。
みなさん、よいお年をお迎えください。
たけばたひろし

対立を超える対話に向けて

原発や沖縄米軍基地、あるいは精神病院に関して、「それは必要だ」という人と、「それはいらない」という人々は、今の日本社会で大きく対立している。そして、こう対立して固着することが、疾病利益的に良い、と思う人々も、残念ながら存在するようだ。

さて、この問題をどう考えたらよいか。そう思っていた時に、3年前に書いた拙著をめくってみて、びっくり。その解決のヒントになるようなことを、当時の僕は書いていた。現時点で、自分が考え進めるためのヒントとして、当該部分を備忘録的に掲載しておきたい。
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言語哲学者のオースティンは、陳述文の中には、単に生起した事実・出来事について記述する「事実確認的発言」だけでなく、「行為遂行的発言」と命名される、別形態の発言がある、という。
「行為遂行的」という名称は、「行為」(action)という名詞と共に普通に用いられる動詞「遂行する」(perform)から派生されたものである。したがって、この名称を用いる意図は、発言を行うことがとりもなおさず、何らかの行為を遂行することであり、それは単に何ごとかを言うというだけのこととは考えられないということを明示することである。(オースティン一九七八、一二頁)
(略)
「原発」を推進する側の論理として、「代替エネルギーの安定的供給には、まだまだ時間がかかる」「原子力発電所の存在がある種の核抑止力になる」「安価な電気を安定的に供給する為には必要不可欠だ」「高度な原子力技術を持ち続ける事で、世界のリーダー的存在になれる」と言った価値前提がある。あるいは、「沖縄の米軍基地」を容認する側の論理として、「日米同盟での戦略的重要性がある」「北朝鮮や中国の潜在的脅威から日本を護るために必要不可欠だ」という価値前提がある。だが、これらも事実確認的言説に見えて、行為遂行的言説に過ぎない。本当に「原発」や「米軍基地」が必要かどうか、は、無くしてみないとわからないのである。だが、推進側にはその存在が「正しい」という立場に拘泥され、「原発」や「米軍基地」がゼロになった場合の電力供給や安全保障に関する具体的なシナリオが描けない。その代わり、これまで「出来ない一〇〇の理由」を必死になって構築してきた。原発災害は、事実確認的言説と行為遂行的言説の取り違えがもたらした惨事でもあった。
だが一方で、反「原発」や反「沖縄米軍基地」運動も、「出来る一つの方法論」を具体的に提示できていただろうか。他国で原発や米軍基地を無くした事例などを論拠としても、反・非「○○」は「正しい」という価値前提に基づく行為遂行的言説を事実確認的言説と取り違えて発言していれば、「正しさ」を巡る互いの綱引きの段階を超える事が出来ず、「泥仕合」になってしまう。両者が「説得」モードで互いを批判しても、お互いが「納得」できない限り、「地すべり的移行」は起きない。
では、どうすればよいのか。まず、お互いの推進・反対の論拠となる価値前提の違いをハッキリとさせる必要がある。どのような背景や思惑、不安等があって、推進・反対の論拠が構築されて来たか、について、お互いの立場を超えて学ぶ必要がある。そのことを精神科医の名越康文は次のように述べている。
「福島第一原発の事故後、原発反対派と原発推進派がすごく対立していますが、その対話は、多くの場合、不毛なものに終わっているように見えます。反対派が推進派と話すときには、相手の中に自分と同じ要素を見つけつつ、自分の中に原発推進賛成派の人の論旨を見出すような営為がなければ、その議論は避けがたく不毛なものになってしまうでしょう。」(名越二〇一二、一九八頁)
この発言は、横塚の「重症児を自分とは別の生物とみるか、自分の仲間である人間とみるか(その中に自分をみつけるのか)の分かれ目である」という論理と通底する。「自分とは別の生物とみる」ならば、それは「反―対話」でしかない。「相手の中に自分と同じ要素を見つける」、つまり相手の意見の「中に自分を見つける」ことが出来ないと、対話は始まらないのだ。
例えばあなたは原発反対派であるとしよう。原発推進派という自分とは真逆の意見を持つ人が、どのような価値前提と内在的論理に基づいて、そのような推進・賛成の見解を構築したのか。それを、批判や糾弾という審判的・評価的態度で決めつけるのではなく、虚心坦懐に「自分の中に原発推進賛成派の人の論旨を見出すような営為」をすることが出来るか。意見(論理)も感情も大きく対立する問題に関しては、その感情的嫌悪感の波に呑まれやすい。だが、一方的で「反―対話」的な「説得」「恫喝」「糾弾」ではなく、対話の中から両者の「納得」を探るためには、まず自らと相手の立場に関する「枠組み外し」を徹底的に行う中で、膠着状態での安定の基盤にある「一次的存在論的安定」そのものを問い直す必要がある。
さらに言えば、「原発」や「沖縄米軍基地」問題は、国論が二分した状態で、何十年も「一次的存在論的安定」状態が続いている。その悪循環構造がなぜ止まらないのか、何が構造的制約なのか、についても考える必要がある。この悪循環構造が解決しないことは、誰にとって、何のメリットがあるのか。つまり、この構造の背後にある「世界の定立」とは何か、についても考える必要がある。最近では、その「世界の定立」に関して、アメリカの思惑という補助線を引くことにより、日本がアメリカの属国状態に置かれる事を「世界の定立」とする事によって、第二次大戦後の復興と経済的繁栄を勝ち取ってきた、その代償としての「原発」であり「沖縄米軍基地」である、とする言説が見え始めている(例えば吉見二〇一二、孫崎二〇一二)。
「原発」や「沖縄の米軍基地」についても、「どうせ」「しかたない」「無理だ」という言説は、明らかに宿命論的呪縛そのもののである。一方で、ただ反・非「○○」と唱えているだけでは、表面的な対立という悪循環構造から抜けられない。この表面的対立構造を超えて、「構造的制約」や「世界の定立」そのものに向き合う事を通じて、「○○」であり続けることにより、どのような「自分の権利を獲得」する機会を失っているのか、を理解する事が可能になる。この視点を持つと、事実と価値を取り違える失敗を繰り返さなくてもよくなる。
「『蓋』の上の人格」に気づき、蓋を開け、箱の外に出ようとすること。これはこれまで自らが「正しい(客観的な)世界観」と思い込んでいた価値前提に対して「正解幻想」というラベルを貼り直し、「枠組み外し」を行う事である。その中で、支配的言説(=ドミナントストーリー)を単に否定する(Aに対して非Aを対置させる)のではなく、その信念対立の前提についての現象学的還元を続け、「世界の定立」を問い直し、ドミナントストーリーを「非中心化」することによって「脱実体化」させる、という「地すべり的変容」に持ち込むことでもある。このような「枠組み外し」のプロセスに自ら一歩踏み出すことによって、「蓋」の「下」に潜む「真の<明晰>」に出会い、「生き方を解き放つ」ことが出来る。このプロセス全体が、「その循環のプロセスを含む循環性を認識すること」を通じて、「『みずからがいま書きつつあるメカニズムそのもの』を対象化しうるエクリチュール」を体得する、という「学習過程」そのものでもある、と言えるだろう。
そして、このようなプロセスを体感できる人こそ、「問題の一部は自分自身」であることに気づき、「反-対話」の論理を超え、自らのコミュニケーションシステムの不全感をまず変えようとする「対話」の論理を身につける事が出来る。そして、このような真の「対話」の論理の中から、「出現する未来」を導き出す事が出来る。

専門性を脇に置く勇気

僕の師匠、大熊一夫氏に教わった大切なことの一つに、「わからないことを、『わかったふり』しない」という格言がある。僕自身、小さい頃から「知ったがぶり」をして、それで周囲から尊敬されたい、と高望みするガキだったので、師匠のこの姿勢には、すごくビックリした。知識人自らが「わかりません」と口にして良いのか、と驚いた。でも、大人になればなるほど、その姿勢がどれほど大切であり、かつ実践するのが難しいのか、を痛感するようになった。そんなことを思い出させてくれた本と、先週末出会った。

「私たちが未知を恐れる理由のひとつは、自分自身と向き合わざるを得なくなり、自分の弱さ、不完全さをつきつけられるからだ。」「肩書きや役割は、すっぽり身を包むマントのようなものだ。私たちはその中に隠れて、知らないことによって脆弱になるのを避ける。」「人は、知らないという内面的体験と、有能という印象を維持したい外面的問題とのあいだで、葛藤を感じる。」(『「無知」の技法 not-knowing』デスーザ&レナー著、日本実業出版社、p108-109)
そう、社会人や職業人として、「肩書きや役割」を持つと、その「すっぽり身を包むマント」に依存する。いや、そのマントと共依存の関係に陥るのかもしれない。その肩書きを護る為に、という名目で、「知らない」という「脆弱」性から逃げようとするし、また「専門家が言うから」とそのマントが「隠れ蓑」の役割を果たしてくれる。そのことにより、「有能という印象を維持したい外面的問題」を護ることが出来、「知らないという内面的問題」から逃げる事が出来る。それは、確かに言われてみれば、「自分自身と向き合」うことからの逃避、つまりは「葛藤」の回避そのものである。
そういえば、東大話法で有名な安冨歩先生は、それを「立場主義」と命名した。「立場を守るためなら、何をしてもよい」という立場主義のテーゼは、結局「知らないと言う内面的体験」を抑圧し、その葛藤をなかった事にすることによって、「脆弱性」や「不完全さ」を棚上げするのである。だから、「想定外」の事態に直面した時に、全く役立たない思考となる。僕自身は、以前のブログにも書いたが、タケバタヒロシという実存と、「准教授」という肩書きの間でずいぶんの差異を感じ、苦しんでいたが、でもその「葛藤」を何とか抑圧せずに保ち続け、危機を乗り越えられたのも、思えば師匠の教えに従っていたからかもしれない。
そして、この『「無知」の技法』は、「わからない」「知らない」ことを、ポジティブな可能性に置き換える点が、非常に魅力的である。
「『知らない』を『ない』でとらえるのをやめ、そこには機会と可能性が『ある』ととらえなければならない。」(p134)
こないだから書いているオープン・ダイアローグの話を聞いた時にも、この視点の転換が必要不可欠だと感じた。例えばクライシスの状態にある人と出会うとき、多くの専門家は、「この人はどのような症状であり、診断名は何だろう?」と「見立て」ながら聞くという。でも、ケロプダス病院の看護師や臨床心理士は、口を揃えて、「ただ聞く」ことの重要性を指摘する。こちらが診断名やカテゴリーわけをしたい、という「予断」を持って聞くと、患者さんの生きる苦悩の最大化の危機、という問題の本質を見失い、大切な事を聞き逃す、というのだ。
とはいえ、多くの専門家にとって、診断名という見立てを適用せずに、「ただ聞く」ことは、専門性の否定であり、不安に思うかも知れない。でも、それはこの本が言うように、専門性の否定ではないのだ。専門性を脇に置くことで、「知らない」「わからない」という事実と向き合うことで、「そこには機会と可能性が『ある』」のである。これは一体どういうことか。
「不可知の道とは、単なる『ものを知らぬ無知』とは異なる。(略)『知ある無知(learned ignorance)』『愚者の知恵(foolish wisdom)』という意味だ」(p 152)
「知ある無知(learned ignorance)」というフレーズに出会って、なるほど、と思わず膝を打つ。師匠は、確かに単なる「ものを知らぬ無知」ではない。いろいろな事をジャーナリストとして知っている。でも、初めて出会った内容について、安易にわかったフリをせず、自分の知っていること・わかっていること、と対比させながら、その新しい内容について、色々考えながら、一体それがどういうことなのか、を自分自身に照らして考え続けているようだ。その中で、「知らない」「わからない」部分と、これまでの経験や知識と共通する「知っている」「わかっている」部分を腑分けする。その上で、「知らない」「わからない」部分を、そのものとして受け止めて、自分の新たな検討課題として受け取っているのだと感じる。それが、「そこには機会と可能性が『ある』」の意味することなのかもしれない。
オープンな対話、とは、実は「知ある無知」に開かれた対話、と言い換えてもよいのかもしれない。それは、専門性の否定ではないし、反精神医学とも全く違う。そうではなくて、専門家が、ある特定の対象者(や家族)の、一回きりであり非常に個別性の高い「生きる苦悩の最大化の危機」に接した時に、「知らないという内面的体験と、有能という印象を維持したい外面的問題とのあいだで、葛藤を感じる」ことを、否定しない、ということである。むしろ、その「葛藤」にオープンになることによって、「有能という印象」の枠から飛び越えることが出来る。これは、僕が「枠組み外しの旅」の中で、「エクリチュール」という「箱の外に出る勇気」として整理した部分でもある。
専門性が「既知」への固着へと結びつくことがある。その「既知」への固着を超えて、未知の、一回性の新たなにかに対して、文字通りオープンマインドで、「知ある無知」の状態で、「知らない怖さ」を素直に認めながら、その新たな世界に飛び込んでみる。これが、固着を超えた、未分化なsomething new & interestへの向き合い方として大切なのである。
この部分について、イギリスの精神分析医のビオンを引き合いにだしなが
ら、こんなことを著者達は述べている。
「ビオンは、人には『複眼の視点』が必要であると語っている。知っていることと、知らないことに、同時に焦点を置くのだ。」(p190)
シンプルだけど、名言である。
専門家になればなるほど、いやこれは年齢を重ねれば重ねるほど、といった方がよいのかもしれないが、「知っていること」「経験していること」の手垢がいっぱいついて行く。すると、新しい一回性の出会いに関しても、「知っていること」「経験していること」という「既知」の枠組みに当てはめ、ものをみようとする。その方が、思考が節約できるし、判断が速くなる。だが、そうすることによって、単眼思考に陥るのだ。それは、「知らないこと」がもたらす、新たな「機会と可能性」を見落としてしまう、ということである。ここを見落とせば、いつの間にか、「知ある無知」から「もの知らぬ無知」に堕落・劣化してしまう可能性もあるのだ。
「知らない」「わからない」ということは、肩書きや立場の「マント」でかくしている限り、「脆弱性」である。それは、自分自身の「知らない」「わからない」という葛藤の表現を抑圧しているがゆえの、脆弱性である。だが、その「葛藤」をそのものとして引き受け、「知ある無知」のまま、自分自身の目の前で展開されている「知らない」「わからない」世界を、共に探求することができれば、それは葛藤を引き受け、「ない」を「ある」に変える旅に船を一歩漕ぎ出すことにもつながる。そこからしか、「不可知の道」を歩み始めることは出来ない。それが、オープンマインドにつながり、その姿勢がないと、オープンダイアローグは始まらないのではないか、とさえ、思う。
そういえば、この本は、U理論のオットー・シャーマーも推薦しているが、U理論の中でも、「盲点」への気づきが創発につながる、と書かれていた(U理論と盲点については、以前論文を書いたこともある)。その「盲点」=「知らないこと」を「知らない」ものとして素直に認め、その事実を知ることって、葛藤を引き受けるだけでなく、ソクラテスの言う「無知の知」そのものであり、これは知的な営みのαでありΩなのである。
そんな原点回帰の「きほんのき」、を改めて教えてくれる、大切な一冊だった。
追記:不勉強な僕は、この本で初めてビオンさんと出会った。何冊か面白そうな訳本も出てみるので、これも読んでみようと思う。そういう意味では、成果がすごくたくさんありました。