ツイッターと呪縛からの解放

 

ここ最近、新たな出会いや展開の波に乗っている。いろんなご縁に見開かれ、防衛的反応ではなく、自然と楽しむモードに切り替えてみたら、スルッとあれこれが受け止められる。しかも、様々な気づき、にリンクが張られている、ということにも気づき、何だか今自分がそれらを一体として受け止める事が出来る時期に来ているのだな、と実感する。

まず、その具体例として、twitter。以前お知らせしたが、先々週の学会先でアドレスを取得し、先週の勉強会打合せでその話をしてみたところ、同席していたジュンコさんがツイッターメンターとなって下さって、一気に世界が拡がる。興味ある人のフォロワーを芋づる式に探る中で、先週の段階で2人しかフォローしていなかったのだが、一気に30人ほどをフォローし、フォロワーも何だか付いてくださる。

この間読み囓った入門書によれば、ツイッターは主に仲間との交歓、情報の取得、新たな出会い・やり取りの創発、といった内容に強いそうだが、僕自身は現段階では主にを志向している。呟きを発信する、と気張らなくても、リリーフランキーのぼやきにニヤリとしたり、茂木健一郎のアフォリズム(なぜかいつも英語)にフムフムと頷いているうちに、このブログと同じで、引用やら解釈なら、をしたくなってくる。そんなときに呟きを整理してみると、ちょびっとカタルシス。例えば、こんな感じ。

takebata 抵抗勢力ではなく、「負の関心」と捉えたら、「正の関心」への転換戦略を考えられる。 RT @kenmogi Resistance to new things can be used to create the fuel to carry on with the reform.

こんな風に、他者からのメッセージを、自分なりのコンテキストに落とし込む作業の面白さを実感しているものだから、昨日読み終えた本に同じ事が書いてあって、びっくりする。

「我々人間はメッセージからコンテキストを創発する能力を持っている。お互いに与え合ったメッセージからお互いに新しいコンテキストを創発することができる。こうして接続されたコンテキストは元々お互いが持っていたコンテキストの足し算とは別のものである。この足し算以上のものが生まれるところに、コンテキストの接続の意義がある。」(安冨歩・本條晴一郎『ハラスメントは連鎖する』光文社新書、p270)

これは、前々回に書いた「魂の脱植民地化」に関しの議論の「基本文献」として勧められた、ハラスメントの構造について分析された本である。正直、この本を読むのには時間がかかった。文体は分かりやすい。内容も筋道がはっきりしている。読みたくないのではない。だが、自分の課題意識と深くつながる論考をしている為、時間を置きながら、休み休み読んでいなかいと、受け止めきれない、と感じていたのである。こういう読書は初めてだ。だからこそ、途中で一旦読むのを止めて、ツイッターにのめりこんでみた。で、昨日読むのを再開して、最後まで読み進めてみた時に、出会ったのが、上記の一言。ハラスメントの対極にあるコミュニケーションとして、「受容と提示からなるエンターテイメント」(p260)を指摘しているのだが、そのエンターテイメントとしてのコミュニケーションの構造を分析した上記の論考は、そのまま、ツイッター論にもつながる。先にも少し書いたが、「お互いに与え合ったメッセージからお互いに新しいコンテキストを創発する」事によって、「コンテキストの足し算とは別のもの」が生まれる、そんな「コンテキストの接続」の場として、ツイッターが機能している。ちょっとだけしか遊んでいないのだけれど、現時点では、そんなことを感じる。

もちろん、何となくしかわからないけれど、この種のソーシャルメディアには、当然負の側面も存在する事が容易に想像出来る。その一つとして、エンターテイメントからハラスメントへの転換、という事態も考えられる。その点について考える為にも、先の新書が頼りになる。

「ハラスメントとは、『人格に対する攻撃』『人格に対する攻撃に気がついてはいけないという命令』の二つの合わせ技であり、情動反応の否定とラベル付けの強制によって実行される。そしてハラスメントにかかった状態、つまり呪縛された状態とは、『謂われなき劣等感』を押しつけられた上で、『劣等感に気づかないように設定した自己像』を守ろうとする状態である。」(同上、p185)

同書は、「メッセージは身体の情動反応を通過して、コンテキストになる」という前提で議論を進めている。様々なメッセージは、自分の感情や生理的感覚を通過させる中で、自分なりのコンテキストとして解釈される、という立場だ。その立場から見ると、「情動反応の否定」、というのは、自分自身の中をくぐらせてメッセージを独自に解釈してはならない、というキツイ事態になり、つまりは「人格に対する攻撃」となる。その上で、他者の情動反応に基づくコンテキストの自己内部化の強制、という形で「ラベル付け」が行われると、その状態に呪縛され、そこから一歩も出れなくなってしまう。その呪縛から解き放たれる為には、まずは情動反応の「肯定」と、ラベル付け「からの自由」の二つがキーポイントとなる。その上で、情動反応に基づくメッセージのコンテキスト化と、その相手のコンテキストを認めつつ、創発的なコンテキストの交歓の中で、「足し算以上」の新たな何か、を生み出そうとする。

僕が誤読でなければ、それはツイッター上で行われている過程でもあり、だからこそ、僕のような多くの新規参入者が爆発的に増えているような気もする。そう、既存のメディアが(グーグルでさえも)ツイッターにかなりおびえている、というのも、それは、メッセージ交換における質的転換の可能性をツイッターが秘めているから、とも言えるのかもしれない。そして、それ自身、様々な閉塞感に苛まれていた、自分自身が求めていた事でもあった。

タケバタのブログは写真もなくていつも長文ですね、とあきれられる。その理由は、もちろん言いたい事が山ほどあるからだけれど、それに付け加えて、これまで外的規範に遠慮して禁欲的だった、情動反応をダイレクトに通過させた自分なりのコンテキスト化、の魅力にはまっているからである。色んなインプットをする中で感じること、考えること。それを、学問の枠組みの中で禁欲的に表現するだけでなく、その枠組みの外で自由にあれこれと脱線的にズンズンと書き進め、その中で思考をスパークさせ、拡げていきたい。そう思ってブログを書いていると、今日も気づけば1行40字がデフォルトのテキストデータで80行を越えている。どんどん、そのコンテキストの中身が膨らみつつあるのだ。

これまでは、主に他者のテキスト(書籍)とのメッセージの交歓、が、このブログを長く書き進める誘因となってきた。もちろん、それは読んでいる時の自分の状態とリンクする形での動的なものだったのだけれど、ツイッターはその相手のコンテキストも動的であるが故に、躍動感が更に増す。だからこそ、140字という制限は、ライブ感を保つための上限なのかもしれない。そして、ある程度の思考がまとまったらこのブログで、普段の創発的状態を導くためにはツイッターで、というのが、今のところ、自分に適しているのかもしれない。

実は本当はハラスメント論についてもあれこれ書きたかったのだが、長くなりすぎたので、それはまた、今度。

今日も京都て

 

もとい、今日も今日とて流浪の民、である。今日も京都からの帰り道。しかも、今週も学会からの帰り道。

今日は立命館大学で開かれていた、日本NPO学会で大会発表してみた。この学会の理事で大会校の幹事であるサクライくんは、大学時代のボランティア仲間。そのボランティア団体で、彼は集団を統括するマネジメント、僕は渉外的な仕事をしながら共同代表的なポジションにいた。15年後の今、彼はボランティア論で単著も出す立派な研究者になっている。片や僕は、相変わらず渉外?的に、学会的にも研究的にもディシプリンも定まらず、うろうろ動き回る日々。敢えて言えば、お互い「らしいね」となるような気もする。

そんな彼とも再会したり、大学院時代の後輩や知り合いにも出会えたり、だけでなく、この学会の僕のフロアは、なかなか面白い発表の場だった。アドボカシーという共通の切り口はあるものの、テーマはソーシャルメディア、河川環境、国際協力NGO、そして精神医療オンブズマン制度、と実に多様。切り口も異なる。そんな多種多彩な場であったが、討論者と司会者の二人の先生による各人への切り口がなかなか鮮やかで、僕自身も様々な事を学ばされる。

特に、切れ味鋭い討論者のK先生が「面白かったよ」と終わった後で仰ってくださり、嬉しくもビックリ。これまでの僕の学会発表の中でも、精神医療分野のNPOに関する内容の時はしばしば、読者フレンドリーではないこと?も影響し、あまり関心も寄せられない、ひどい時には誰からも質問されない事があった。今回も会場からの質問は無かったけれど、討論者からの質問はどれも発表内容の穴を付いてくださるだけでなく、内容をしっかり理解された上での、改善点に直結するご指摘。こういう鋭い質問を受けた事が久しぶりで、一匹狼としては、京都まで来た甲斐があったなぁ、とほっこりする。今回はフルペーパーを準備する中で、コンテキストが異なる読者にも理解される様な努力はしたつもりだったが、こうして届いて欲しい方に届くことほど、喜ばしいことはない。

で、先述のサクライくんには、「昨日の懇親会は凄く評判がよかったよ」と言われ、この学会なら出てもよかったかなぁ、とちょっぴり思ったのだが、実は昨日は別の「懇親会」に出ていた。しかも、京都ではなく、福島で。

昨日は福島県の自立支援協議会の人材育成部会主催の研修会に呼ばれて、郡山に出かけていた。1月にDPIのタウンミーティングでお世話になった際、「ジャパネット」さん、と命名され、その早口が聞きたい、とまた呼ばれたのだ。確かに早口で興奮すると、オクターブがあがり、例の「さらにぃ、みなさーん!」のキンキン声になる。だが、これまで皆さん遠慮して、そう思っても言わなかったのだが、ユーモアあふれるミヤシタさんから命名されて気づく。以来、講演の際の「つかみ」で使わせて頂いているが、笑いがとれて、大変よろしいのです。

で、昨日わざわざ京都の学会を一日サボってまで郡山に出かけたのは、こういうオモロイ現場の人との懇親会の場は、多くの学びの場でもあるから。昨日も、一次会、二次会とインフォーマルな場でのオシャベリの中で、福島でどんな風に相談支援のネットワークを構築して来たのか、の裏話を色々伺う。で、このネットワークって、今日の学会発表で河川環境に関する市民ネットワークについて発表されていた、東工大の飯塚さんによる「キーパーソン連結型」そのものだよな、とも振り返ってみて整理出来る。

この飯塚さんの整理は、市民団体の連携の形の多くが、各市民団体のキーパーソンによる連携である、と、多摩川流域の事例研究から整理しておられたが、福祉分野の連携がまともに機能する場合も、確かに各団体のキーパーソンがつながっている事が、コアな連携になっている。昨日の福島では、スズキさんとミヤシタさんというキーパーソンの二人の飲み会が、昨日の一次会に集まった10数人を初めとした障害者福祉のネットワークの原点にあった、とお二人から伺った。このコアメンバーによる結びつきは、確かに障害の分野においても、確実にネットワークを広げていく。ただ、この「キーパーソン連結型」の連携の危うさは、そのキーパーソンが居なくなればオシマイの壁、がある点であろう。

この「○○さんが居なくなればオシマイの壁」というのは、何もNPOに限った訳ではない。私が大学院生の時からずっと追いかけているソーシャルワーカーの世界だって、一人職だったり、あるいは複数配置された現場でも、ある人に高い力量があったりすると、生じやすい問題である。カリスマワーカーと呼ばれ、地域のある種の顔役にもなって、どんな問題でも解決に導く職人としての力を持っているワーカーが、いろんな現場にいる。そういう人って、頼りがいがあるのだけれど、その人「しか」いないと、その人がいなくなれば、その地域の福祉レベルは急にガクッと下がってしまう。本来福祉のシステムとして検討すべき課題が、属人的な機能・要素に還元されてしまう脆弱性や危うさを、僕自身は問題意識として感じていた。そして、その危うさは、次の一文へとつながる。

「日本では、『お伺いをたてる』という卑屈な役割関係を踏まなければ生きていきにくい医療との関係を呪う人もいれば、逆にその支配力に依存し保護される事を求め続ける人もいる」(山本深雪「『心の病』とノーマライゼーション」ノーマライゼーション研究1993年年報:103

○○さんが居なくなればオシマイ」という状態に、特に権力の非対称性が指摘される精神医療分野でおかれてしまうと、それは容易に「オシマイ」にならないための「お伺い」という戦略が創出する余地を残す。精神障害を持つ人のこの「お伺いを立てる」という論理のハラスメント性と、にもかかわらず、その論理の中に絡め取られてしまう実態を鮮やかに説き起こす山本深雪さんの文章は、17年前に書かれたと思えないほど、残念ながら現在性を持ってしまっている。病院内にあっては、文字通り「その支配力に依存し保護される事を求め続ける」中での長期入院の選択、院外にあっては、「『お伺いをたてる』という卑屈な役割関係」に関する葛藤、その中での、専門職による「○○さんが居なくなればオシマイ」という状況構築の危険性と、権力性の保持。こういった問題は、決して過去物語になっていない。そういう状況をどう超えられるのか、も、今回発表したアドボカシー課題と直結しているし、郡山でも議論された相談支援の今日的課題でもある。

まだ、きちんと整理出来ていないが、このあたりに次の研究課題をもらって、今日も甲府への旅路を急ぐのであった。

内なる植民地化

 

金曜日にお会いした深尾先生に、おずおずとメールで感動した旨を送ってみたら、早速返信頂いただけでなく、このHPを見てくださったり、お仲間をご紹介してくださったり、そして読みたかった論文をお送り頂いたり、の展開が続いている。突然の展開にびっくりしながら、温かく迎えてくださる先生の心意気に感謝し、そしてその展開を楽しんでいる自分がいる。

さて、甲府は昨晩大雪になったが、その最中、昨日はようやく時間が出来たので、深尾先生に送って頂いた論文(深尾葉子著「魂の脱植民地化とは何か呪縛・憑依・蓋」『東洋文化』89号、p6-37)を読む。真っ赤になるほどあちこちに線を引いて、書き込みをしながら、あるフレーズに強い既視感をおぼえる。

「植民地は、ある一定の集団が、別の集団に対して、一方的に支配権、決定権を持っている状態を指し、それらが集団的にも個人的なレベルでも行使される。植民地的状況(ここでは、広義に、国家的植民地のみならず、個人間の支配被支配関係も含む)のもとでは、被支配側は、しばしばいわれなき劣等感を押し付けられる。(略)このようにして、自分自身の属性が、否定的なまなざしで他者から眺められ、そのような処遇を受け続けることによって、魂は傷つけられ、その発露をゆがめられる。」(深尾論文より。以下、今日のブログエントリーで特に出典記載なく引用するものは、全て上述の『東洋文化』に掲載された深尾先生の論文である)

この文章を読みながら、僕自身が研究テーマとして追いかけている、精神科病院や入所施設の問題も、我が国の「内なる植民地化」にあたるのではないか、と強く感じた。そして、自分がこの「魂の脱植民地化」問題について、実は入所施設や精神科病院から地域に戻って来られた方々への聞き取り調査の中から、気付き始めていた論点である、ということも、みえてきた。

精神科病院や入所施設は、元々、治療が支援が必要な障害者の為に作られた施設である。本物の植民地とは違い、搾取や疎外が、元々の目的とされた訳ではない。むしろその逆に、「良かれ」と思って作られた施設である。だが、病院や施設での利用者の声を分析し続ける中で、どうやら実質的には「植民地」と通底する何かがある、と深く思うようになってきた。

『入院してもう5年。「保護者いないから単独では退院はあかん」と医師から言われる。このままがまんしないといけないのか。』
『看護師、ヘルパーに偉そうに言われたり、ひっぱられたりします』
『しょっちゅう保護室にいれられている。保護室の使われ方に疑問を感じるが、どこに聞けばよいのかわからない。』
『病院にはケースワーカーがいない。看護師にきくと、退院については主治医にまかせているから、と取り合わない』
『薬を山ほど飲まされる。「減らして」と言うと増やされた。』

これらの声は、精神科病院への訪問活動を続ける、NPO大阪精神医療人権センターに、大阪府内の入院患者から寄せられた声として、同センターのニュースに掲載されたものである。どの「声」も、50年前ではなく、今世紀(20037月~200511月:25ヶ月分)の「声」である。この「声」を分析し、一つの論文(竹端寛「『入院患者の声』による捉え直し-精神科病院と権利擁護-」横須賀・松岡編著 『支援の障害学に向けて』現代書館、2007年)にまとめる中で、精神科病院の中が、本当に「異国」状態(=深尾先生の言葉を使うなら「魂の植民地化」状態)であると強く感じた。そして、この論文を書くキーワードにもなった、忘れられないある入院患者さんの声がある。

「病気に疲れ果てた。退院したくない。」

これをさもしい自己決定と早合点するなかれ。「病気に疲れ果て」る事(A)と、「退院したくない」こと(B)の間には、そのままで論理的な因果関係としての結びつき(AB)は弱い。その間に何かがある(A→□→B)、あるいは「病気に疲れ果て」る以前に大きなストレス(=深尾先生の論文では「ハラスメント」という使い方をされている)がかかって、そのスパイラルの中で結果的に「退院したくない」となる(■→→■’→B)か、どちらにせよ、単純に個人的な「病気」の問題ではなく、そこに何らかの人為的、社会構造的な問題があるのではないか。そう思って、論考を進めてきた。その論考は、先の深尾先生の考察を用いるならば、精神科病院での「一方的に支配権、決定権」が「行使される」状態が継続する中で、「自分自身の属性が、否定的なまなざしで他者から眺められ、そのような処遇を受け続けることによって、魂は傷つけられ、その発露をゆがめられ」た結果、「退院したいくない」という(表面上の)「選択」に結びついた、とは言えないか。そして、この(表面上の)「選択」、については、もうじき発売されるある雑誌に、ちょうど次のように書いていた。

『「○○したい」という表明。それが、そのまま自分の本心からの想いや願いの表現である場合もあるが、一方で、抑圧された何かをそのまま口に出せずに、その代わりの表現として口にしている場合もある。「薬を飲みたくない」という場合、(略)、単なる服薬拒否ではなく、副作用や過剰投与の心配、あるいは医療機関への不信感などの表明である場合もある。これは、強制治療への不満の表明にも同様の事が言える。当事者の「○○したい」を尊重しつつ、その背景にある、前景化しない(諦めさせられている)想いや願いがないかどうか、を探る支援。このような権利擁護支援を展開するには、どうしたらいいだろうか?』(竹端寛「セルフアドボカシーから始まる権利擁護-方法論の自己目的化を防ぐために-」『季刊福祉労働』126号)

これを書いた頃、まだ「魂の脱植民地化」というフレーズには出会っていなかったが、深尾先生の論考に割と近い線で書いているのかもしれない、と改めて感じた。「前景化しない(諦めさせられている)想いや願い」が抑圧されている現状をどう変えるか、という論考をしていたのだが、そもそも「前景化しない」ということ自体、「魂の植民地化」に近いのかも知れない。深尾先生は、その定義を次のように書いている。

『他人に何かを押し付けられたり、強制されたりするだけでは、「魂は植民地化」されない。その相手のパースペクティブを自分自身の中に取り込んで、自分本来の情動や感情に逆らいながら、自らを制御し、行動を形成し、他者への働きかけを行う場合に、その魂は「植民地化され」ているのである。』

「相手のパースペクティブを自分自身の中に取り込んで」「自らを制御し、行動を形成」すること。これを先の精神科病院の論考に当てはめるなら、これまでの治療や支援過程(相手のパースペクティブ)で「病気に疲れ果て」てきたのに、それを「自分自身の中に取り込んで」、「退院したくない」という「制御」に結びつけていないか。つまり、人為的、社会構造的な問題を、個人の問題として引き受け、「退院したくない」と内面化して処理しようとしていないか、という事である。ただ、もっと言えば、それを外部の権利擁護機関に電話してくる、という点で、ご本人の中での内なる葛藤がきっとあるのではないか、とも見て取れる。

この論点は、実は精神科病院だけに限った事ではない。大阪府立大学の三田優子さんが中心となり、僕もお手伝いさせて頂いた、長野県の大規模県立入所施設「西駒郷」から、地域に戻られた知的障害のある方々へのインタビューでも、次のような事が聴かれた。

「あのね、今もうこういう暮らしが楽しいから、二度と帰れって言われても嫌だ」
「グループホームに来て、ああ幸せだなあって思って。4人部屋だったもんで。西駒におるときに。小さな部屋に4人部屋でね。」
(『「長野県西駒郷の地域移行評価・検証に関する研究事業」報告書』)

入所施設から地域の暮らしに変えてみて、初めて地域のリアリティがわかる。比較対象を得る事になる。上記の声のお二人は共に20年間、入所施設で暮らしておられた方々だが、地域で暮らすようになって、別世界を知って、初めてこれまでの自身の住んでいた入所施設という世界の特殊性に気づく。自分がこれまで住んでいた居住区間が、「小さな部屋に4人部屋」であること、その不便さは、「グループホームに来て」、一人部屋を持つ、という比較体験があって初めて、「ああ幸せだなあ」という形での気づきとなる。これは、「魂の植民地化」の自覚(=つまりは「脱植民地化」)とも通底する、とは言えないだろうか。だからこそ、「二度と帰れって言われても嫌だ」という「魂」の叫び、が出てくる、とも言えるだろう。

深尾論文に触発され、何だか小論文のように長々書いてきた。これを終える前に、一つ、忘れてはいけない大事な論点にも触れておきたいと思う。

このブログを、精神科病院や入所施設で職員として現に働いておられる方も読んでおられる、と聞く。そういう方々に対して、僕は職員個々人への糾弾の為に、この文章を書いている訳ではない。逆に、施設や病院には、善なる意志を持って、個人的に良くしたい、と思って働いておられる方々も、少なからずおられる。ただ、「植民地化」されたシステムの維持の為に、結果的にそこで働く労働者の「魂の植民地化」も進んできたのが現実だ。

その事を指して、「病院・施設は悪い」と糾弾するだけでは、「脱植民地化」ではなく、別のイデオロギーなり権力による「植民地化」につながりはしないか、とも危惧している。深尾先生は論考の最後で、『魂の自由は、「呪縛」からの解放によってのみ獲得されうる』と書かれている。「呪縛」を、一方的な「○○すべし」の押しつけ、とするならば、「病院・施設」イデオロギーも「呪縛」だが、「地域で暮らすべし」と「べし化」することも、一つの「呪縛」とならないか。そうではなくて、「○○したい」(=地域で暮らしたい)を実現する為に、これまでの日本の障害者福祉政策にかけられてきた「呪縛」をどう解きほぐせるか、このような論点で取り組まないと、物事はうまく進まない、と思う。

その事を、これも偶然先週の金曜日の夕方、京都の書店で手にとって再読した僕の心の師の一人、内田樹氏も適切に表現している。

「死者であれ、制度であれ、イデオロギーであれ、死に際には必ず『毒』を分泌します。かつては社会に善をなしていたものが、死にそびれると生者に害をなすようになるのです。それをどうやって最小化、無害化するか、それを考えるのは、社会人のたいせつな仕事の一つなのだとぼくは思います。」(内田樹『疲れすぎて眠れぬ夜のために』角川文庫、p212)

「脱植民地化」の議論の際には、一方で必ずこの「毒」の「最小化、無害化」を意識しなければならない、そう強く感じている。

食毒から、魂の脱植民地化へ

トンネルを抜けると、本当に雪国だった。

京都からの帰り道。二軒茶屋で開かれた「国際ボランティア学会」に出席すべく、金曜から京都に来ていたのだが、学会のラウンドテーブルが終わるや否や、夕刻5時半からの合気道のお稽古目指して、タクシーに駆け込み、国際会館京都名古屋塩尻甲府、と疾風怒濤の帰り道。昨日は遅くまで飲んでいて、新幹線で昼ご飯を食べた後、乗り過ごさないためにメールを書いた後、名古屋からの「しなの」で爆睡。で、起きてみたら、外は真っ白なのである。あれまあ、びっくり。国内にいても、この気温差は疲れる。もちろん、先週香港に居たので、なおのこと。そりゃ、電車で爆睡したくもなります。

で、この旅で大きな収穫だったのは、「魂の脱植民地化」という言葉に出会えた事。阪大の深尾先生の研究発表の中で、環境問題も社会的な文脈のコンテキストの中で読み込まねばならない、という議論に興味を持ち、懇親会で質問していたら、出てきた。まだ、ちゃんとその言葉を理解している訳ではないので、あくまで印象的感想しか書けないのだが、私たちのパースペクティブや行動は、テレビや習慣、「○○すべき」という規範など、様々な外因性のものに「植民地化」され、情報化が進む中でその「植民地化」と個々の「植民地」の隔絶度合いが、個人の中である種の解離状態を引き起こすくらい、深刻なものになっている。しかも、その「植民地化」された状態について個々人が無自覚なので、何だかしんどさを抱えながらも、解離状態に気づかない。自身の「植民地化」された状態に気づけなければ(相対化出来なければ)、当然の事ながら、他の類型の「植民地化」された状態にある人の事も理解出来ないし、ましてや態度変容を迫る、なんて事は出来ない。少しアルコールが入った場面で先生の話を聞きながら、そんな風に解釈してみた(だから、この説明は完全に僕の読み込みである)。

そして、昨日から、この「魂の脱植民地化」というフレーズが、頭の中でワンワン鳴り響いている。そう、僕自身の「魂」の「植民地化」とは、以前書いていた、香港で相対化し始めた、「目の前の一点にしかすぎない」「明晰さ」への固執につながるのではないか、と。また、それを穿つ<明晰さ>とは、見田宗介氏によれば、「生き方を解き放つ」、固着された自分自身の視点から普遍的な世界へと開かれた「窓」であり、それが「魂の脱植民地化」ではないか、と。

別に他責的に「誰かに乗っ取られた」という意味で、「植民地化」と使っているのではない。そうではなくて、自分が納得して、その通りだよな、と思いこんでいて、かつ「自分らしさ」と思いこんでいる、自分の中での支配的な言説なり視点なりの少なからぬ部分が、ストックフレーズや手垢にまみれた思想の焼き直し・刷り込みに過ぎないのではないか、ということである。しかも、それを主体的に選び取った、と思いこんでいるけど、どこかで「選び取らざるを得ない」場面に構造的に追い込まれていませんか、とも、この「植民地化」から読み取れる。

深尾先生は、中国の黄土高原での砂漠化と、その対策としての植林を例に挙げ、人為的に砂漠化し、その反転として植林しているけど、そのどちらにも、「自然のご都合」というものを無視した「人為的な良きこと」が支配的に流れていて、それって結果的には「不自然」ではありませんか、と仰っている(ような気がした)。この場合、「魂の脱植民地化」とは、人間のあれやこれやの思惑・都合に「植民地化」されるのではなく、「自然のご都合」を考慮の対象にして、計画的植林ではなく、里山的な「自ずから」の世界を大事にする、というメタファーが当てはまる、と僕は受け取った。整然と規格化され、雑草抜きまで暑い中している植林地は、結果的に自然の快復力を奪っていませんか、と。

話がワープするが、前々回紹介した見田宗介の本の中で、ドン・ファンは次のように呟いているのを紹介している。

「いつも昼すぎ、夕方六時すぎ、朝八時すぎには食うことを気にしとる。腹がへってなくても、その時間になると食う心配をしとる。おまえの型にはまった精神を見せるには、サイレンのまねをするだけでよかった。おまえの精神は合図で働くように仕込まれとるからない。」(見田宗介『気流のなる音』ちくま学芸文庫、p116)

この「型にはまった精神」。レコーディングダイエットの著者、岡田氏は「太る努力」と言っていたもの。僕自身も、一ヶ月前に主治医の漢方医、N先生から「食毒」とラベリングされるまで、真面目に「努力」を続けてきた。「その時間になると食う心配」を律儀にし続けた。「その時間」の前から、食事の確保だけは「お腹がへったら大変だから」と胃の一番(@ATOK16)に考えていた。しかし、この「胃の一番」と思いこんでいた姿勢は、実は胃自身にとっては負担感の相当強い事態だったのだ。だから、過剰な食料接種を何とか処理しようと、せっせと皮下脂肪にため込んで、メタボまっしぐらとなり、かつ身体は重く、疲れる、という悪循環に陥っていた。この「食毒」の悪循環と、「砂漠化植林やせ細った大地の継続」というパターンに、ある種の類型・同型を見いだしつつあるのだ。

回りくどい言い方になったが、つまり僕自身、「食べなきゃ」という「型にはまった精神」を「所与の前提」として受け入れて、信じ込んでいて、この呪縛を解くことへの抵抗感は相当強かった。だが、ここ1ヶ月、炭水化物の量を減らす、という簡単な事で、体重が3キロ程度減り、それを維持し続ける中で、どうやら「食べなきゃ」が、「魂の植民地化」だったのではないか、とうすうす感じていた。そんな矢先、だったので、ご発表の中で触れられた「呪縛を解く」という深尾先生のフレーズに、我が事として反応し、その後の押しかけ議論の中で伺った「魂の脱植民地化」が、今の自分にぴったり来るフレーズとして立ち上がってきた、のだと思う。

そして、一歩引いてみると、この「型にはまった精神」という名の「魂の植民地化」は、僕の言動の、思考の、かなりの部分を占めているのではないか、と疑い始めている。「急激に気づきすぎると、病気になるよ」と深尾先生は仰っておられたが、確かに、この「植民地化」への疑いは、休み休みしないと、自己解体のすれすれの域かもしれない。でも、今は面白そう、なので、楽しめる範囲内で、休み休み、「型にはまった精神」という「植民地」を眺めてみたい。

追伸:何となく、ついったー始めてみました。呟き、は、なるべくはき出そう、と。よかったら、そちらもごひいきに。

波長を合わせる

 

先日、職場を定年退職される先生方の歓送会が開かれた。その際、たまたまお隣の席におられたのが、二人のスポーツの先生方。お二人は、トップレベルのアスリートを指導する監督でもいらっしゃる。こんなチャンスはなかなかないので、トップアスリートの養成について、色々伺う。これが大変面白い。

コーチングにおいては、他者(アスリート)を納得させて態度変容へと導く必要がある。しかも、ある程度の半強制的な指導が効く小学生や中学生ではなく、自主性の尊重や、その裏返しとしての枠組みへの反発も抱く大学生相手である。お二人とも、ご自身のコーチングの手法について、押しつけではダメだ、ときっぱり仰る。彼ら彼女らのやる気を導き、チームの中で高め合うための雰囲気をどう醸成するかが鍵だ、というお話には、深く頷く。昨日たまたま手に取った本は、その飲み会の席でのお話の「復習」の内容に思われた。

「教えるとは、納得させ、行動を変えさせ、さらにその行動をこれから先もずっと続けさせることです。一人の人間にそれだけの変化を起こさせるためには、教える側の言っていることを心の底から納得してもらう必要があります。それを言葉でやろうというのですから、相当なインパクトのある表現でなければダメだと言うことです。」(平尾誠二・金井壽宏著『型破りのコーチング』PHP新書、p86

ラグビーの元日本代表と博学の経営学者の対談。金井先生の本から多くのことをこれまでもインスパイアされてきたが、今回の平尾さんとの対談も非常に面白かった。上記の発言は、その平尾さんのもの。伝える側の発言を「心の底から納得してもらう必要がある」からこそ、コーチの側の言葉も大きく問われる、ということ。僕自身も、教員として、あるいは福祉現場に置いて、コーチングを求められる場面があるが、「相手の納得に基づく態度変容」という部分は全く同じ。であればこそ、言葉を磨け、という平尾さんの発言は、軽い言葉しか紡ぎ出せない私には、ずっしりと重く響く。

ただ、当然想定される反論に、教わる側の能力に関する問いがある。相手が頑固だ、理解する力がない、人間的に未成熟だと、その能力に疑いの眼差しを挟んだ上で、だからこそコーチする側ではなく、コーチを受ける側の問題である、という視点だ。これは、スポーツの世界だけでなく、教員の世界でも、このような言説は一定の真実性を持っている。また、学生による授業満足度調査などについても、その学生の資質への疑いを差し挟む声が聞こえるのも、同類型に思える。この点についても、平尾さんは次のように言う。

「相手の受信機の精度を高めるには、どうしたらいいのでしょうか。これは簡単です。こちら側の受信機の性能を上げればいいのです。もう少し具体的に言いますと、まずは選手の話をよく聞くこと。この監督やコーチは自分の話をきちんと聞いてくれるとわかれば、選手のほうからいろいろ話をしてくれるようになります。そうしたら、その話を流さず効いて、こちらが伝えたい部分にかすったと思ったら、『いまのはいい話だ、もう少し聞かせてくれ』とか『いいところに気が付いた、じゃあこういう場合はどうだ』とか敏感に反応して、そこに選手の興味を集中させるのです。興味を持てば、選手のほうからこちらの話に自然と耳を傾けるようになります。受信機の精度が上がるとは、こういうことなのです。」(同上、p129-130)

相手を変えたければ、まず自分が変われ。このテーゼを深めた平尾さんの発言は、大変説得力がある。「相手の受信機の精度」に問題がある場合、単純に「あなたが悪い」と言って解決する場合もあれば、問題がこじれる場合もある。以前ならそれは「なにくそ」という反発心を伴った努力の正の誘因になったが、今では反発が内面化し、「じゃあやめた」という諦めにつながる場合も少なくない。そういう受信機の精度自体の問題について、以前の叱り方は通用しなくなっている。

そんな場合、平尾さんはまず、コーチ(発信機)の側が、選手(受信機)の話をじっくり聞き、信頼関係を構築する必要がある、という。両者の信頼関係の醸成の中で、相手が聞き取ることが出来る(チューニングの範囲内の)波長に合わせる事が可能になる。そのチューニングが済んだ時点で、相手とこちらの波長が合う、穴が空きそうな場面にさしかかった所を逃さず、相手にも聞き取ることが出来、こちらも伝えたい内容を、スッと差し出す。そうすれば、相手に受け取れる範囲内で、問題の捉え直しが始まり、その捉え直しの主体であるコーチの側の意見にも「聞く耳」を持ち始める。受信機側の単なる糾弾ではなく、受信出来る波長を探しだし、その波長の中で、少しずつ聞きとれる領域を広げるコールサインを送っていく。そのプロセスの中で、受信機の根元的な変容や、質的転換がもたらされる。

名監督の至言は、教員として、福祉現場のコーチとして、行政のアドバイザーとして、送信機の立場に置かれた僕自身にとっても必要な不可欠な視点だった。

根と翼(香港雑記、後編)

 

旅の楽しみの一つに、「旅行のお供本」がある。日常から離れた空間では、テキストから読み取る主体(である僕)の内面の変化が生じていることが少なくない。すると、普段ではなかなかスッと頭に入らない内容から、多くの異化作用をもたらされ、時としてそれが自身の変容にダイレクトに直結する場合もある。

例えば大学生の海外初の一人旅に選んだイギリスに持っていたのは、1年生の頃随分お世話になったウェーバー研究者の先生による分厚い研究書(『マックス・ウェーバーと同時代人たちドラマとしての思想史』)と、ハイデッカーや鈴木大拙、ヘーゲルや西田哲学を老子と対決させた『老子の思想』(講談社学術文庫)だった。その当時の自分には(いや今でも)消化できない程の大作だったが、そういう本を、冬の閑散とした湖水地方のB&Bの、暖炉の前でボンヤリ読んでいると、数ミリは飛び立つことが出来そうな気がした。ただ、その当時は根無し草のように、アイデンティティや自信の根拠が自分の中で希薄だったので、数ミリ浮き上がるだけでも、このままどこに行ってしまうのだろう、という漂白感のような漠とした不安が渦巻き、単に落ち込んでいたような気もする。

あれから15年、仕事や社会的関係ではすっかり根が着いたが、今度は、浮遊するチャンスが少なくて、どこかで消耗感や焦燥感のような何かがくすぶっていた。そんな事情には全く自覚的ではなかったのだが、香港へ旅立つ朝、何気なく書棚からナップサックの中に放り込んだ一冊から、随分多くの気づきをもらった。

「人間の根元的な二つの欲求は、翼をもつことの欲求と、根を持つことの欲求だ。」(真木悠介著『気流のなる音』ちくま学芸文庫,p167)

確か田口ランディの初期のエッセイ集に同様のタイトルがあったと思うのだが、社会学の大家の出世作を遅まきながら初めて「旅のお供」にして、本当によかった。なぜなら、それはようやく今になって、読者である僕自身が、「二つの欲求」の具体的な中身が読み取れる主体になったから、と感じる。特に、全く予期せずに読み始めた故に、読みたかった内容と事後的にわかる喜びは一塩であった。

人類学者カルロス・カスタネダがメキシコインディアンであるドン・ファンに弟子入りして10年間で学んだことをまとめた4冊の著作を引き金に、3年間の海外生活を終えて帰国する直前の著者が自身の枠組みを書き留めた一冊。「あらかじめ私自身のうちにあったモチーフや問題意識が、ドン・ファンとの出会いを触媒として」「結晶」化した、ドン・ファンの「魅惑的なトリックやヴィションやレッスンに仮託した、私自身の表現」(同上、p45)。であるが故に、その後の『現代社会の理論』『社会学入門』(見田宗介の名で岩波新書)から多くを学んだ読者としては、筆者のコアな原点に触れられて読み物としても面白かっただけでなく、研究や生き方のパースペクティブについて大いに触発されたり、また問題意識の掘り下げ方についても、沢山のことを学んだ。その全部は書き留められないが、断片的にメモをしておこうと思う。

「とくに自分の明晰さはほとんどまちがいだと思わねばならん。そうすれば、自分の明晰さが目の前の一点にしかすぎないことを理解する時が来る。」(ドン・ファンの言葉、同上、p99
「「明晰」とはひとつの耽溺=自足であり、<明晰>は一つの<意志>である。<明晰>は自己の「明晰」が、「目の前の一点にすぎないこと」を明晰に自覚している。<明晰>とは、明晰さ自体の限界を知る明晰さ、対自化された明晰さである。」(同上、p100

思えば僕自身は、自分自身の「明晰さ」にしがみついていたような気がする。何かを学ぶときも、その知識を受け取る自分自身の枠組みが「ほとんどまちがいだ」だなんて可能性を考える事はほとんどなかった。他の可能性の考慮に心も頭も開かれず、「目の前の一点にすぎないこと」とだけ、向き合おうとしていた。根無し草時代の漠とした不安の反転として、根を張ることに必死で、根絶やしにつながるような「一つの耽溺」の意識化を極端に拒否していた。そういうモードであれば、いくら勉強しても、読める範囲が自身の「明晰さ」を補強するものだけに限定され、「耽溺=自足」を「対自化」するような言説は意図的であれ、無意識であれ、排除していたようにも思える。そして、次第に在る程度の知識はオタク的に身に付くが、その知が「目の前の一点」と立場を異にする「他者」に通じず、不満やいらだち、焦燥感に苛まれていた。それがここしばらくの自分の心模様であった。

だが、海外の学会や、少し毛色の異なる学会で発表し始める頃になって、理解されないことの根元的理由が、他者ではなく、己自身にあることに気づき始めた。わかってくれない、と他責的に憤るよりも、自分の論理が通じない他者に説明する為に、自分自身が変わる必要があること。そして、相手に届く言葉を用いることは、決して変節や転向といった妥協とは異なること。むしろ、本物の書き手は、ジャーナリスト・小説家・研究者のジャンルを問わず、そのような「相手に届く言葉」で、自らの考えを伝えるプロであることも、ようやくおぼろげながら見えてきた。コンテンツ(=根)を、変える必要はない。ただ、相手にそのコンテンツを届ける為には、相手に届きやすい文体やロジックは何か、を探す必要がある。そのためには、自身の根が多くの根の「一点にしかすぎないこと」を理解する必要がある。その上で、他の根との相異を理解し、相手の根に届きうる形態で伝える為にも、「翼を持つこと」が重要である。そんなことを、再確認していた。

「とざされた世界のなかに生まれ育った人間にとって、窓ははじめ特殊性として、壁の中の小さな一区画として映る。けれどもいったんうがたれた窓は、やがて視角を反転する。四つの壁の中の世界で特殊性として、小さな窓の中の後景を普遍性として認識する機縁を与える。自足する「明晰」の世界をつきくずし、真の<明晰>に向かって知覚を解き放つ。窓が視角の窓ではなく、もし生き方の窓ならば、それは生き方を解き放つだろう。」(同上、p121)

香港で感じ始めた解放感は、単に一時的なリフレッシュではないのかもしれない。確かに、火曜に日本に戻ってまだ1週間も立っていないが、すっかり日本の「お忙し」(=ビジネス)モードにどっぷり戻っている。ラマ島までの無料クルーズや、現地の夕焼け空とチンタオビールに合う海鮮料理、なんて、すっかり忘却の彼方に行きつつある。(今必死で記憶の倉庫を開いて、探し出してきた。) だが、この『気流の鳴る音』の波長に、他ならぬ今の自分が感応している。その中で、以前から何度か予感的に書いていたが、はっきり自分の「視角」の「反転」を感じる。壁の中の「特殊性」と、窓の外の「普遍性」が自分事としてリアリティを持つ。それに気づくことは、同時に、今までの自分が「窓」を閉じた上で自己の特殊性を普遍化しようという「構造的ゆがみ」を抱えていたことも、よくわかった。そういう無理をしているから、疲れるし、ストレスも溜まるのである。だって、生き方が「解放」されていないのだから。

困ったら、聞けばいい。自分の枠組みが歪みかねない程の『他者』との出会いこそ、見かけ上は「煩わしい」ものに見えて、実のところ自分の枠組みをより豊かなものにしてくれる最大のチャンスなのだ。ドン・ファンも同じ事を言っている。

「チャンスとか、幸運とか、個人的な力とか、とにかくなんと呼んでもいいが、そいつは独特のものなんだ。わしらのまえに出てきて、摘むように招くひどく小さな小枝のようなものさ。ふつうだと、わしらはいそがしすぎたり、他のことに気を奪われていたり、でなければただおろかで不精すぎたりして、それが自分の一立方センチメートルの幸運だっってことに気づかないんだ。」(同上、p107-8)

思えば、どれだけ「小枝」を見過ごし、邪険に取り扱ってきただろう。それはあたかも、次の(時として変容も伴う)幸運よりも目の前の矮小な体系性に閉じる(=それを盲目的に信仰する)、ディスコミュニケーションの塊としてのオタクを思い起こさせる。別にそれでよい人は、そうしたらよい。だが、僕はそれを選ばないだけだ。自分に共感的な同質性集団ではない「他者」と向き合うこと。それが、今の暗礁を乗り越える、最も有効で、かつ最もやりやすい、だが今まで頑なに避け続けた方法論なのである。気づいてみれば、なぁんだ、ということ。でもそういう歪みに気づけ、窓の外に目が向けられるようになっただけで、随分楽になった。

職場で、フィールド先で、どういう他者と出会えるか。やっとこさ、根と翼の両方を「欲求」出来る主体になったのかもしれない。この本と、35歳の今、旅先の香港で出会えて、本当に良かった。

香港旅日記(その1?)

 

2月末から3月初旬にかけての6日間、スイッチを切ってきた。向かった先は香港。春休みを頂いて、パソコンは持参せず、とにかく現地でボンヤリしよう、と日本を脱出した。

日本に出る直前は、いっつも〆切前の仕事で追いまくられて、身も心もボロボロになりやすい。今回もご多分にもれず、前回のブログにも書いたように、3月のNPO学会のフルペーパーに、8月の海外学会(EASP)のアブストラクト作り、の二つの〆切を前に、必死になっていた。それに加えて腹風邪を引いたり、体調は優れなかったのだが、とにかく25日のキャセイパシフィック航空に何とか乗り込む。今回はいつもと違って午後遅い便にしたので、朝4時とか5時のバスに乗らなくて良かったのが、不幸中の幸い。飛行機でアルコールもパスし、本にも集中出来ず、ダラダラ寝たり本を読んでいる内に、香港に到着。だが、そんな出立前のトホホ、な顛末も、今グーグルカレンダーを見ながら辛うじて思い出すくらい、現地でのステイは充実していたのである。

何がよかったって、まず、エイジアンモンスーンの気候で、最高気温が28度、最低でも22度と半袖。ただし、湿度も9割越えと蒸す為、室内はとんでもなくクーラーが効いていて、ジャンパーは欠かせない。しかし、街歩きの最中には、ポロシャツでちょうど良い、そんな気候に気持ちがウキウキする。当然、日本帰国後の寒さは、身に応えるのだ(今日だって、セーターですもんね)。気温に左右されやすいなんて、幼稚ではあるが、しかしファンダメンタルなものでもある。

次に、香港旅行の定番、お買い物と食べ歩き。普通は3泊4日でも飽きる、と昨冬先に訪れたマオ嬢は言っていたが、僕たち夫婦にはさにあらず。正直、5泊6日でも足りない、というほど、楽しかった。我々はチムサーチョイの地下鉄駅から徒歩5分、という抜群のロケーションのホテルに滞在したのだが、香港は地下鉄やバスを使えば、大体行きたいところにいけるし、かつタクシーも安い。非常にコンパクトな(=というか狭い)街故に、高層マンションがニョキニョキ立ち並んでいる土地柄。そういうところで、アーケードを眺めながら掘り出し物を探し歩くのが楽しい(麻のジャケットをゲットできたのはうれしかった)。そして、休憩先で食べたケーキやエッグタルトなんかも、すこぶる美味しい。かなり毎日歩き回ったのだが、一方で飲茶も餃子も海鮮料理も四川料理も、どれもパクパク美味。それだけなら豚になってしまうので、今回はちゃんと日本からコンパクトな体重計も持参! 朝食を抜くか、果物だけにとどめ、レコーディングダイエットもまめに続けた結果、ちゃんと76キロ台をキープし続けられた。アブナイ、あぶない。

いつのころからだろうか? スウェーデンに滞在することが決まった時以来だから、もうかれこれ7,8年になるだろうか。我が家の定番として、旅に出る前に、現地のガイドブックやその土地にまつわるエッセイなどを5,6冊以上、買い込むことにしている。その理由の一つとして、行く前から旅の気分を高めていく、というのもあるのだが、現地で改めて感じたのは、「複数の視点」の大切さである。

一般のガイドブックに載っているお店、というのは、定番のものもあれば、その店から何らかの見返りがあって掲載されているものもある。しかも、取材は複数のソースに基づいているのは良いのだけれど、何というかオリジナリティがあまり無い。ま、逆に言えばガイドブックには「ベタ」が求められ、多くの読者にとって、逸脱しない事が安心感になっているかもしれない。確かにそうなのだが、パックツアーでもなく、「他の人がしているから○○したい」があまりない我が家のニーズと、定番ガイドブックはどうもずれる。そんなとき、オルタナティブな視点を提供してくれるのが、著者名のクレジットがしっかりしている単行本だ。今回、予習本としては『転がる香港に苔は生えない』(星野博美著、文春文庫)が、現地では『お値打ち香港・マカオ改訂版』(山下マヌー著、メディアファクトリー)が、そのお供にぴったりだった。

星野さんの本では、広東語を主に話すローカルな香港人たちの人生の断片を垣間見ることができる。分厚い本だけれど、第32回大宅壮一ノンフィクション賞受賞もうなづける、香港人の縮図が楽しめる一冊。実際に現地で、中国からの元密航者と思しき貧しき労働者の横を、バブル景気で大金持ちになってチムサーチョイのブランドモールで買いまくる中国からの旅行者軍団が通り過ぎていく風景を目にした折に、ふと星野さんの本に出てくる彼・彼女の光景を思い出すのであった。目の前に単に見えている景色に、どういう意味合いがあるのか、を解釈する上で、彼女のルポは格好の補助線となる、濃厚な一冊だった。

それに対比して、マヌー氏の本はタイトルからもわかるようにガイドブック。ただ、大手のガイドブックと違い、自分の目で確かめて納得した内容だけを厳選した、と筆者が言うように、かなりその信頼性はある。実際、前回のバリ旅行でその視点に共感した我々は、今回彼のお勧めのエアラインをネット予約し、ホテルに泊まり、食事も食べたが、どれも確かによかった。自分の視点や感性と似た部分(同じ方向性)を持つ著者の枠組みにお世話になってみるのも悪くない、と思わせる一冊だった。香港で滞在中、ずっとワクワクさを持続できた理由のひとつに、この本との出会いはあるかもしれない。1冊の本を鵜呑みにするのではなく、複数のガイドブックを重ね合わせる中で、一番安心してお供にできたのがマヌー本であった。

で、実はそんなことは入り口で、香港に脱出したからこそ!?、現地でいろいろ考えたこと・気づいたことはもっとあったのだが、それはまた項を改めて。

便りのないのは

 

よい便り、です(たぶん)。

先週から急激に忙しくなっている。2月末に、学会発表用のフルペーパー1本、海外学会用のアブストラクト1本を仕上げて、月曜火曜は三重で講演3本+会議2つ。研究モードにだいぶ頭が戻りつつあるのはよいことなのだが、とにかく忙しくて、ブログを書き込む暇がない。

そういえば、火曜日の夜は最終の「ふじかわ」号で帰る中でブログをしたためようと思っていたのだが、静岡駅のホームで水を買おうとしていると、「あら、どうしたの?」と声をかけられる。職場の先輩のE先生。あちらは学内で要職にありながら、本や論文も沢山書き、そして現場で講演も週1ペース以上でしておられる。本当に超人。ブログを書くより、せっかくなので、E先生の席にお邪魔し、2時間話し込む。当然、水は缶ビールに変わっている。

印象的だったE先生の一言がある。
「僕のやる分野って、教科書も先行研究もないんだよなぁ。だから、講演に出かけて、現場の人と話す中で、考えるしかないんだよなぁ」

僕自身も、月曜火曜の講演現場でちょうど様々なことを教わっていたので、そのシンクロニシティにびっくり。そう、先行研究って、ある程度固まった何か。しかし、自分も、まだ流動的で、あまり眼もかけられていない、アモルファスな何かを追いかけているんだよなぁ、と改めて感じた。きさくな先輩の叡智を、しみじみと噛みしめながら聴いている内に、あっというまの2時間だった。

「生の技法」に見る「学的精神」

 

少し風邪気味、である。熱はないが、放っておくとゲホゲホするので、家の中でもマスクをしている。先週火曜日は唇を切って合気道をお休みしたが、今日も泣く泣く合気道はお休みにせざるを得ない。悲しい。

で、昨日はコンコン咳き込む中、東京で読書会。障害者福祉の政策や実践に関わる皆さんと、古典を読み続ける不定期の勉強会。前回はイギリス障害学の古典であるオリバーの『障害の政治』だったが、今回は日本の障害学の原点、だけでなく、自立生活運動の軌跡をまとめた古典的傑作でもある『生の技法』(安積・岡原・尾中・立岩著、藤原書店)を読む。

この本を人に勧められて最初に手にしたのは、大学院生に入った頃だろうか。その当時、精神病院でのフィールドワークを初めて1,2年、の頃だったと思う。なので、脱家族や脱施設に関する部分に興味を抱いて読んでいた。だが、10年ぶりに真面目に通読してみて、古典たる所以を再発見する。20年前の本とは思えない、現代性を持った切り口。社会学のフレームワークを持ちながらも、それは前には一切出さず、あくまでも自立生活運動の当事者達の書いたものや記録を丹念に掘り起こしながら、しかし社会学的な視点で自立生活運動が「なぜ、あるのか」をあぶり出していく。そして、恐ろしいことに、20年前に指摘されている論点は、ポスト自立支援法の論点、としても何の問題もない、という点だ。変わらない現実のほうが、問題なのかも知れないが。

昨日の勉強会では多くのことを議論し、学んだが、ブログに特に書いておきたいのは、この本の主たる書き手の一人である立岩真也氏による、問題設定に関する記述である。

「今まで彼らについて、『福祉』について語られる時に見過ごされていると思われることを専ら考察の主題とした。それは隠された新たな問題というよりは、彼らに対して在る『制度』-ここでは個々の生を規定するものというように広い意味でこの言葉を用いる-がそれ自体として持っているもの、それ自体を作っているものへの問いである。」(『生の技法』p3
「私たちがみてきた障害者の運動は、このような社会の諸領域の分割、編成を自明なものとしない。分割としてある社会、しかも一つの方向に導こうとする社会をそのまま受け入れない。」(同上、p210
「理念を現実の中にどのように実現していくのか。ここには多くの考えるべき課題がある。この社会の基本的な編成のされ方自体が思考の対象になる。」(同上、p269

これらの記述から強く感じるのは、障害者が社会的に排除されている現実を所与の前提とせず、その現実がどのように社会的に構成されているか、その構成のされ方自身に対する「問い」を日本の障害者による自立生活運動は持ち続けてきた、ということである。私たちは普段福祉について語るときには、「○○の制度は悪い」「諸外国をならって□□の考え方を導入すべきだ」という法や制度の良い・悪いが多い。だが、その法なり制度がそうなっている現実という「この社会の基本的な編成のされ方自体が思考の対象」として捉えて来ただろうか? ここで制度を先の引用のように「個々の生を規定するものというように広い意味でこの言葉を用いる」とすると、家族制度や入院・入所中心主義も含めた、現在の福祉をそうならしめている「枠組みそのものへの問い」を、自立生活運動は、少なくともその初期段階では持っていた、ということである。この「枠組みそのものへの問い」というのは、単に批判的、だけでなく、根元的という意味も込めたラディカルな問い、であり、具体の制度・政策の変容を求める漸進的な(incremental)問いとは対極にある問いである、ということである。

その自立生活運動の持つラディカルさを鮮やかに整理する同書は、単に運動の記録、ではなくて、研究書としてのラディカルさを持っている、と、再読して改めて感じた。立岩氏がここで問おうとし、氏の後年の多作を産み出す原点に、「それ自体として持っているもの、それ自体を作っているものへの問い」がある、ということも、納得出来た。そして、そのような「枠組みそのものへの問い」というものが、実に「学的精神」なるものに通底している、と感じた。

「およそ学(体系知 Wissenschaft)なるものは、論証を基本とする。その論証方式の完全不完全を問わず、学には必ず論証を伴う、いやむしろ論証こそ学の本質であり、学の内容そのものである。論証なき言説は、その外見が『理論的』であろうと、学的ではありえない。ひとつの命題(「甲は乙である」)は、すでに論証の形式である。ひとつの命題は、ひとつの結論であり、その背後には必ずそこへと至る推論過程すなわち論証をもっている。いっさいの命題は論証した結論である。論証が不在のときには、あるいは論証がすでになされながらも表に出ないときには、その不在の論証を再構成しなくてはならない。」(今村仁司『親鸞と学的精神』岩波書店、p29)

先週の朝日新聞の書評欄で、高村薫が取り上げていた一冊。「学的精神」というフレーズが気になり、早速取り寄せてみた。まだ、中身は読んでいないが、当該部分を読んで、深く納得した。たった数行で、研究とは何か、をここまで深く掘り下げている文章に初めてであった。

何だか理論的フレーズや先行研究のお化粧がまぶしくても、納得出来ない(つまんない)論文が片方にある。もう片方で、『生の技法』のように、当事者の語り・記録・発言を前景化させ、理論や先行研究はあくまで注などに後景化されていても、深く納得出来る作品もある。その査定基準は何か、をちゃんと自覚化していなかったのだが、結局の所、「そこへと至る推論過程すなわち論証」がきっちりしているかいなか、なのである。それがきっちりしていないものは、「その外見が『理論的』であろうと、学的ではありえない」。信頼出来る、そして説得力のある基準である。

「生の技法」を「論証」という側面で見てみると、まさにこの今村氏の定義が当てはまる。自立生活運動が、その起源において、なぜ「愛と正義を否定する」「安易な問題解決の道を選ばない」と、既存の「制度」との真っ向勝負をしたのか。その背後にある、福祉政策の持つ「二重の否定」(当時の医療・リハモデルに代表される障害の除去・軽減の志向性と、施設福祉という政策実施に伴う一般人の負担免責機構)を当事者の言葉からあぶり出し、現前のものとする。そのことを通じて、障害当事者が取り組み続けた「枠組みの捉え直し」を主題的に取り上げ、またその記述を通じて筆者らは、福祉を巡る研究言説の「枠組みの捉え直し」を行おうとする。その二重の「枠組みの捉え直し」が、分厚い推論過程を伴って巧みに行われているので、真に「学的」なのだ、と納得した。

そんなことを考えていたら、別の文脈で同じようなことを書いている人にも出会う。

「氏の仕事の重要性は、ラカン理論を日本の現象に当てはめて金太郎飴のような結果を出してくるのではなく、日本の現実からラカン理論を自分なりに組み直して生産的でオリジナルな理論を作っていることにあり、それを通して日本社会の現在に四つに取り組んでいることである。」(樫村愛子「解説:『心理学化論』は『心理学化社会』を超えるためのラカン派の武器である」斎藤環『心理学化する社会』河出文庫、p245

社会学者の樫村さんの著作は、こないだ京都駅で買った本の中にあるのだが、まだ読んでいない。だが、斎藤環の解説に寄せた彼女の分析に、ハッとさせられる。そう、「その外見が『理論的』」だけれど、面白くない論考は、文字通り「金太郎飴のような」性質なのだ。それは理論や実態(のどちらか、時には両方)に対する「枠組みへの問い」がない(薄い)からである。高名で流行の理論をそのまま現実を切る道具に使ってみても、その理論への疑い(なぜ、あるのか)を問わないまま盲信していると、それは不十分な論証であり、学的精神にもとるのである。そうではなくて、現実から理論を「自分なりに組み直して生産的でオリジナルな理論を作ってい」くこと。そこに、研究のエッセンスが詰まっているのである。そして、立岩氏が『生の技法』で示しているのも、「枠組みへの問い」に基づく、「自分なりの組み直し」なのである。そのオリジナリティが高いからこそ、「学的精神」にあふれる一冊として完成している、と言えるかも知れない。

自分が目指すべき(しかも遙かに遠い)目標が、ようやく見えてきたのかもしれない。

不完全燃焼と不全感

 

合気道のお稽古に行く直前、唇を切ってしまう。ジャンパーのジッパーを勢いよく上げた時に、ついでに唇も挟んでしまった。大変マヌケなこと、この上ない。行こうか、とも思ったのだが、柔道場で投げられて、また血が出たら、僕はよくても相手をしてくださる方の胴着についてしまっては、申し訳ない。せっかく出陣モードだったのに、取りやめる。情けないやら、そそっかしいやら。で、仕方ないので、パソコンを立ち上げて、ブログを書き始める。

ここしばらく、引用したい本を色々読んでも、なかなかブログに書き込む間もなかった。なので、今日は脈絡があるかどうかはアヤシイが、最近気になったフレーズをいくつか書き込むこととする。

「上野千鶴子や中島義道の体験には、形としての『家族と子育て』はあったのだが、『世代を紡ぐ』体験、そこから生じる『ともに-あること』の体験、つまり『三世代存在』の体験、さらに言えば『あなた』の体験がされてこなかったと私は感じる。『家族』や『子育て』というテーマを考えるということは、多様な家族形態や多様な子育ての形態を機能的に考えるだけのことではない、と私はかねてから思ってきた。このテーマを考えることは、人間という存在が基本的に『世代を紡ぐ存在』であり、『三世代存在』であること考えることにならなければならなかったからだ。しかし、現代日本は『家族と子育て』というテーマを無にし、こんどは『老後』の問題を、『最後はひとり』の問題にすり替え、『三世代存在』ではなく『おひとりさま』や『シングルライフ』の人間観でふたたび見直しをさせようとしている。そういう思想が上野千鶴子の『おひとりさまの老後』からまたはじまっているように私は感じる。」(村瀬学『「あなた」の哲学」講談社現代新書、p51)

上野千鶴子と中島義道、ともに、言論人として色々書いているし、エッジが効いていて文章は面白い。だが、何だかよく分からない違和感を感じていたのだが、この村瀬氏の分析を読んで、なるほど、と頷く。二人の文章を読んでいて、強い「私」を感じ、それが文章や文体にラディカルな刺激を載せている。二人とも超が付くほどの論理性を持っている。だが、何かが欠落している。その何か、が「『ともに-あること』の体験、つまり『三世代存在』の体験、さらに言えば『あなた』の体験」と言われて、そうだよな、と腑に落ちた。

そういう「ともに-あること」を前提にしない文章は、相手をやりこめるための強いメッセージとしては有効な、機能的言語かもしれないが、曖昧さ、というか、異なる存在をも入れる器のような拡がりが感じられない。特に家族やケアを議論する時には、その硬直性が目に付く。そのことを、「あなた」の欠如、として村瀬氏が上げているのが、この本の面白いところであった。ただ、前半が読ませる故に、後半の論理展開に少し甘さがあり、前半ほどのシャープさが見られなかったのが、残念であったが。

で、こう書いていると、今日引用したいもう一冊のテキストとくっつきそうになってきた。

「真に分析的な知性とは、自分が『何を見ているか』ではなく、『何から目を背けているか』、『何を知っているか』ではなく、『何を知りたがらないのか』に焦点化して、己自身の知の構造を遡及(そきゅう)的に解明しようとするような知性のこと」(内田樹『女は何を欲望するか』角川書店、p102

この本は単行本版で以前読んでいたのだが、かなり書き直されたという新書版も買っていて、ちょうど内田樹の新刊を読んだついでに読み直したくなくて読んだ一冊。この中で、『何から目を背けているか』『何を知りたがらないのか』という部分を、先の上野氏や中島氏は焦点化していない。いや、それを完膚無きまでに徹底的に否定する形で、いわば負の形での焦点化はしているのかもしれない。そして、そのオリジナリティや論理の鮮やかさ、で、多くの読者を引きつけているのかも知れない。しかしそれが「負の焦点化」である限り、「真に分析的な知性」とは言えないのではないか。内田氏の議論を援用すれば、そう思えてしまう。

負の形で焦点化していることに無自覚であったり、その部分について「遡及的に解明しようとする」努力をしない限り、どこかで他責的になり、機能的言語の遂行という枠組みの範囲内に収まってしまう。そうすると、『ともに-あること』の体験、という形でしか表せない感覚的な何かにまで、たどり着けない。そして、その何かにたどり着けない限り、『何を見ているか』『何を知っているか』についていくら論理的・網羅的にまくし立てても、どこかで不全感や不安定性が、読者によっては沸き起こるのかもしれない。僕が感じた上野氏の本に時たま感じる不全感も、そのあたりにあるのかもしれない。

勿論、僕は上野氏や中島氏ほど、文章にキレも論理性もない。だが、『何から目を背けているか』『何を知りたがらないのか』については、自覚的ではありたい、と願っている。そして、その意識に基づいて、「己自身の知の構造」というほどたいそうなものではなくとも、自分自身の偏りやバイアスを自覚しながら、『ともに-あること』にどこかでアクセスしている文章を書きたい、と願っている。

唇の出血は止まったが、ちょっと腫れてきた。こういうそそっかしさも含めて「目を背け」ずに、ぼちぼち、自分と付き合っていきたい、そう思う、不完全燃焼の夕べであった。