省略と誇張

 

「文章は省略と誇張だ」

これは我が師匠、大熊一夫氏の名言だ。『ルポ・精神病棟』(朝日文庫)などのルポタージュで医療や福祉現場の実態にギリギリと迫る姿勢は、現在でも全く変わらない。最新刊、『精神病院を捨てたイタリア 捨てない日本』(岩波書店)は、イタリアへの長期取材をもとに、「精神病院は必要悪」という私たちの偏見を木っ端みじんに砕いてくれ、なおかつオルタナティブとしてのコミュニティメンタルヘルスの実践をエピソード豊かに紹介してくれる名著である。本業以外でも、料理の腕前も超一流で、阪大の退官記念は講演+オペラのリサイタルをするほどの本格的な歌手、男前でお洒落と、師匠に勝てるところが全くない不肖の弟子である。お陰で、料理とファッションの楽しさの入口を囓られて頂きました。

その師匠の文章論の極意が冒頭の一行につまっている。確かに新聞や週刊誌は「見出しで決まる」。いかにタイトルを魅力的で、かつ本文の内容を凝縮させたものにするか。読者の「読みたい」という心に火をつけることが出来るか、が問われている。研究者の論文は「誇張」はしてはいけないけれど、でも、どの部分を売りにするのか、をメッセージとして最前面に出すことは実に重要だ。あと、読みやすさも。ずっと内弟子のように近くでその仕事を垣間見させて頂いて、文章の推敲を何度も重ね、言葉を実に大切に扱ってこられた師匠の後ろ姿は未だに目に焼き付いている。「タケバタ君は文章が下手だねぇ」と言われながらも、真っ赤に添削してくださったお陰で、少しは読みやすさのある文章に改善された、のかもしれない。

そして、最近、件の「文章は省略と誇張だ」という名言を実感する場面が多い。それが、ツイッターである。

このブログは書きたければどれほどでも書ける。それが時として思考の散逸、寄り道、回り道に繋がることもあれば、思考のドライブがかかって書き終わる頃には見知らぬ空間に連れて行ってくれることも(たまには)ある。だが一方ツイッターは、140字という縛りがある。既に多くの識者が指摘している事だが、俳句や連歌の様に、字数制限の中でだからこそ、ワンフレーズの中にどれほどの内容を込めようか、という「省略の美学」的なものがある。また、「誇張」とまではいかなくても、効果的な表現で目を惹くことは、膨大な呟きの大海の中にあっては、時として大切である。まさに、ツイッター的な言説空間こそ「省略と誇張」がものをいう空間なのである。

それゆえ、如何に情報量を圧縮して濃厚な140字を創り出すか、に僕は今、興味がある。そういえば、これも師匠の名言として、「文章は半分くらいに縮めるとちょうどよい」というのもある。私たちは最初の草稿では冗長な文章になることは少なくない。だからこそ、出来上がった文章をドンドン刈り込んでいく中で、締まりのあるキビキビとした文章が出来る、という。半分に削るのは苛酷だが、でも2割3割刈り込んでいく作業の中で、無駄な部分がそぎ落とされるのを実感する。ツイッターでも、20~30字オーバー気味に書いてみて、その後、どの部分が不要・冗長か、を検討しながら縮減していくのは、よい練習になる。だから、あれはあれで、よい文章修行になりうる、と思う。

うちの奥さんが「ツイッターひろし」と揶揄するので、遊んでばかりいるのではありませんよ、と、ちょっぴり反論した今日のブログであった。(今日もtakebataで呟いております)

事実確認的発言と行為遂行的発言

 

オースティンの『言語と行為』を読む。内田樹氏のブログや著作で気になって随分昔から「積ん読」状態にあったのだが、過日の本棚の総入れ替えで、全面に押し出されてきた。言語運用の政治について興味を持ったのも、同書を紐解く理由になった。

(今日のブログは第一次消化のお勉強メモなので、読みづらいと思います。あらかじめ、読みにくくてすいません、と謝っておきます。)

従来の哲学は、ある発言が真か偽か、という「事実確認」の枠内で判断しようとしていたが、それは発言の対象となる命題が先にあって、それを発言内容が正しく伝えているか、を判断しようとする。だが、それとは全く逆の発言もある、というのが、この本のパラダイムシフトに関わるところだ。

「陳述を文(あるいは命題)として考えることを止め、むしろそれを、発言行為(文や命題はその発言行為から論理的に構成されたものである)として考えるようになれば、われわれはますます陳述の全体を一つの行為として研究することに近づくことになる。」(オースティン『言語と行為』大修館書店、p36)

ここから筆者は、「事実確認的発言」ではない「行為遂行的発言」を設定する。

「『行為遂行的』という名称は、『行為』(action)という名詞と共に普通に用いられる動詞『遂行する』(perform)から派生されたものである。したがてt、この名称を用いる意図は、発言を行うことがとりもなおさず、何らかの行為を遂行することであり、それは単に何ごとかを言うというだけのこととは考えられないということを明示することである。」(同上、p12)

そのうえで、発語には、次の三つのパターンがある、とする。
・意味を持つ「発語行為」
・何ごとかを言いつつある一定の力を示す「発語内行為」
・何ごとかを言うことによってある一定の効果を達成する「発語媒介行為」

しかもこの3つのパターンは、一つの文章の表明の中に含まれている。

「『私は明日来ることを約束します』という発言によって、私はまず第一に、このような文法的文章構成を行うという意味で『発語行為』を遂行し、第二に、この文を発話することによって『約束する』という『発語内行為』を遂行し、さらに、第三に、この文を実際に発言することによって、たとえば、ある状況では、聞き手を喜ばされたり、あるいは、場合によっては逆に、驚かせたりするという『発語媒介行為』を遂行することができるのである。」(坂本百大「訳者解説」同上、p328)

ある言葉を話すという「発語行為」に、その言葉が意味する内容を発語によって指し示す「発語内行為」、それからその発語から媒介されて発語対象者に何らかの事を抱かせる「発語媒介的行為」。この3つは共に、事実確認的発言ではなく、行為遂行的発言の三つの機能である。そして、行為遂行的発言をカテゴリー毎に次の5つのクラスとして分類している。

・判定宣告型価値あるいは事実に関する証拠や理由に基づき、明瞭にそれと識別される限りにおいて何らかの判定を伝えること(「分析する」「診断する」「推定する」「算定する」「認定する」)
・権限行使型一連の行為の経過に対する賛成、反対の決定、ないしその行為の経過に対する弁護を与えること(「許可する」「免職する」「警告する」「推薦する」「請願する」)
・行為拘束型それによって話し手がある一定の経過を伴う行為を行うように拘束されること(「約束する」「決断する」「同意する」「受け入れる」「提案する」)
・態度表明型他の人々の行動と運勢に対する反応という概念と、他の人物の過去の行動ないし現在行っている行動に対する態度およびその態度の表現(「陳謝する」「感謝する」「起こる」「無視する」「のるう」「祝福する」)
・言明解説型意見の開陳、議論の進行、語の用法、言及対象の明確化などに伴うさまざまな解説の行為において使用される(「肯定する」「指摘する」「指示する」「言及する」「記述する」「定義する」「解釈する」)

このうち、一番興味深いのは、最後の「言明解説型」である。その他の四類型は、価値判断や主観的な色合いが濃いため、比較的「行為遂行的発言」とわかりやすい。だが、最後の「言明解説型」は、一見すると言及対象の明確化や議論の遂行などを価値中立的に行っているようにも見える。だが、例えば「○○について言及する」という言葉にせよ、その言葉を話す「発語行為」だけでなく、その言葉が意味する○○について発語によって指し示す「発語内行為」、それからその○○への言及が媒介となって、聞き手に何らかの事を抱かせる「発語媒介的行為」が含まれている。つまり、従来は事実確認的発言と思われていたものの中に、かなりの程度、行為遂行的発言が混ざっている、ということである。

以上、回りくどい説明であったが、実は重要な意味が含まれている、と僕自身は感じている。

例えば最近ナラティブな研究が盛んであるが、聴き取った物語を編纂する書き手は、あたかも「事実確認的」な言語を用いている場合が少なくない。だが、実際のところ、物語を編集して記述する、というのは、一つの歴史観の表明であり、「行為遂行的発言」である。「本当は○○であった」と「言及する」こと(「発語行為」)は、そう発言する事によって「○○」の信憑性に真実性を持たせ(「発語内行為」)、それを読み手もそれが真実として信じる(「発語媒介的行為」)という三つがセットになるのである。○○に「明確な殺意があった/なかった」「大虐殺は○○の規模であった」などの、密室で起こった(証拠のない)事件や、あるいは確定的な資料が残っていない(あるいはそれが歴史的争点になっている)出来事を入れてみると、多くの論争が、事実確認的論争ではなく行為遂行的論争であることが見えてくる。しかも、論争の当事者が、自身の発言の行為遂行的側面を組織的にネグレクトして、事実確認的側面のみを盲信している場合、議論が全く噛み合わない。

フィクションの世界であれば、行為遂行的なストーリーという読者の含意が前提とされているから、問題は少ない。だが、ノンフィクションや論文の類の中でも、事実確認的なフォーマットで語りながら、行為遂行的発言で満ちている事も多い。さらにたちが悪いのは、これが事実だ、という論証スタイルで、行為遂行的発言を「事実認定」して、歴史を書き換えていこう、という例が、少なからず見られる、という事だ。

所詮、世の中は「共同幻想」であるのかもしれない。でも、その「幻想」の中にある、事実確認的発言と行為遂行的発言を、少なくとも僕自身は峻別して、聞いたり書いたりしたい。今日のこのブログもそのような「発言内行為」に基づいて、未来の自分の「行為拘束型」言明になればよいのだが

スイッチの転換点

 

朝日が実に気持ちいい甲府である。

一昨日、ゼミの学生達とインド料理屋に出かけ、ナンを食べ過ぎたようで、体重増加と胃もたれを併発し、昨日は朝・昼とも食べずに水分補給だけで過ごした。すると、72キロ台に。夕食はチキンステーキにルッコラのサラダ、それからワインにアテのチーズ、とたらふく食べても、今朝計ったら72キロ台は変わらず。ちょうど低炭水化物ダイエットを始めて3ヶ月。当初体重が80.8キロだったから、三ヶ月で7,8キロ減、とは自分でもなかなか優秀だと思う。

そして、ダイエットという方法を通じて、色んな新しい発見があるのが、面白い。ちょうど一ヶ月前にこのブログに引用したガンディーの発言を、一昨日実体験していた。

「私はたくさん食べます、消化不良になります、医者のところへ行くと、錠剤をくれます。私は治ります。またたくさん食べて、また錠剤をもらいます。こうなったのは薬のせいです。もし錠剤を使わないとしたら、消化不良の罰を受け、二度と過食しないようにしたでしょう。医者が間に入ってきて、過食を助けてくれたのでした。それで身体は楽になりましたが、心は弱くなってしまいました。このようにして最後には、心をまったく抑えられないような状態になってしまいました。」(ガーンディー、『真の独立への道』岩波文庫、p78)

インドつながり、ではないが、ゼミの飲み会で、酒を抜いたのもあって、焼きたてのナンを「今日はいいよね」とパクパク食べる。飲み放題なのに学生達がビールやウィスキーといった単価の高いものを注文しないので、やさしい「マハール」の店員さんは、マンゴーラッシーと追加サラダを無料で追加してくださった。ただでさえボリュームが多い「マハール」なのに、さらに量が多くなり、美味しいからついついパクパク。そういう循環の果てに、帰宅後、お腹がはち切れんばかりに、久しぶりに苦しかったのだ。

そこで、ふとガンディーの先の名言を思い出した。そう、以前はこういう時にはパンあたりを飲んで、苦しさをすっと紛らわせていたよな、と。「呑む前に飲む」というCMも、そういう風潮を煽っているよな、と。すると、「食い過ぎた」という身体からのシグナルを薬で掻き消す事によって、身体からのシグナルをドンドン読み解けないモードに編成されていったのかな、と。ガンディーは「心は弱くなってしまいました」と言っているが、この「弱さ」とは、身体からのシグナルから耳を塞ぐことと、自己コントロールが可能だという幻想の肥大化の双方を生み出しているのではないか、と。そして、この自己コントロール幻想は、やがて「強いられた自己決定」につながりはしないか、と。

ちょうどこないだの福祉政策の講義で優勢思想について取り上げた。その際、出生前診断の話にも及んだ。障害を持つ子が生まれると胎児の段階から分かった時、あなたらどうしますか? その問いかけに、多くの学生達が困惑していた。診断は受けない、受けても産む、あるいは受けたら出産は躊躇するかもしれない。実はこの議論には、「強いられた自己決定」の議論がまとわりついている。診断を受ける事も自己決定、産む・産まないも自己決定。そして、その結果責任も自己決定。しかし、障害があるから不幸な子供になる、というのは、社会の支援の不備であるにも関わらず、そんなスティグマを内面化して判断する事自体、実は「障害は不幸だ」という一元的価値観に縛られた、「強いられた自己決定」の側面はないか、と。

この「強いられた自己決定」の論理は、先の「自己コントロール幻想」ともつながる。飲み過ぎたって食べ過ぎたって、薬を飲めばOK。この論理は確かに楽なコントロール方法である。何せ、自分自身の行動を自分で律することがなくとも、薬という他者がコントロールしてくれるし、しかもそれは「自己コントロール」であるという「幻想」を結果的に抱かせてくれる。だが、実際のところ、それは「薬への依存」を強いる風潮をもたらし、ついには「心をまったく抑えられないような状態」に陥れる可能性もある。そしてさらに言えば、その依存的なマインドになれば、薬物依存症の経験を持つ倉田めばさんの言う、「薬物依存者が薬物をやめると依存が残る」という状態とも地続きになっている。
http://www.yuki-enishi.com/guest/guest-020417-1.html

医学そのものを否定している訳ではない。が、胃薬は、文字通り毒にも薬にもなる。身体のシグナルを、「食べ過ぎだ」「苦しい」といった辛さも含めて、聞き取れる間、向き合える間は向き合って、どうしようもない時に補助的な、最終手段として薬を活用する間は、まだ「薬」でいられる。だが、安易に薬に依存して、それを使えば苦しさなんて大丈夫、というマインドを形成する中で、「心をまったく抑えられないような状態」に転がりこんでいく場合、いつしか「薬」は「毒」の機能を持つ。そして、その「毒」は、自らの依存的な現実を、自己決定だから仕方ない、自分が悪い、と内面化して「強いられた自己決定」を強化する機能をも持ちうる

昨日、朝昼と抜きながら、ボンヤリと「強いられた自己決定」や「依存」のスイッチが見えた。そして、自分が一旦あちら側に傾き欠けていたのだな、とこちら側から眺めている自分にもまた、気づいた。

可動領域を拡げるために

 

最近どうもゴリゴリとした文章はブログに、身辺雑記的なものはツイッターに、と使い分けている(ちなみにアドレスはtakebataです)。ツイッターも初めて1ヶ月半くらいだが、徐々に使い方も覚えて、いろんなマスコミ外情報なんかを横目で見ながら、たまに乙な言葉に連歌のように下の句的コメントをつけて返したり、して遊んでいる。話半分で読んでいても、マスコミが報じない事が多すぎる、と実感しつつある今日この頃。

でも、今日は天気も良いし、久しぶりの土日連続のお休みなので、たまにはブログも身辺雑記。140字では、書ききれないしね。

今日は午前中、色々な予約やら注文やらを片づけ、昼食後、ようやく靴をおろす。9年前に師匠と調査の帰りに出かけたミラノで買った黒の革靴は、格好は良いのだが、小指は痛いし、トウの部分の装飾が一部めくれていた。なので、10日ほど前に出かけた御殿場アウトレットで、以前から目をつけていたグレンスコッチの革靴を安くゲットする。ただ、磨いて防水スプレーをかける時間がなくて、なかなかおろせなかった。ちなみに御殿場ではポロのスプリングコートもゲットしたのだが、こちらは先週以来の寒波でこんなに大活躍するとは思わなかった。翌日の神戸出張だけでなく、今週は寒かったので、三重の出張でも「持っててよかった」と実感。

そしてその後は、ぐちゃぐちゃの部屋の中の整理。負のエネルギーが溜まりまくっているようだったので、とりあえず机の上と本棚だけは何とかしたい、と着手。松岡正剛氏は半年に一度、徹底的に本棚の並びを変える、と言っていたのを思い出し、僕も試しにやってみる。ジャンル別、というより、意味連関での並べ替えをしていたら、奥からわんさと「積ん読本」が顔を出す。買った割に、全然読んでくれていないよ、という多くの書籍の訴えに「イテテ」と思いながら、並べ直す。確かに読んでおりません。すいません。興味関心が移ろいゆき、挙げ句毎晩飲んでいるのでなかなかなんて言い訳をしながら、でもちょっとまずいなぁ、とも。

こないだからツイッター仲間となったある先生は、「積ん読本」を「リファレンスの為です」と言い切っておられたが、歴史系の先生だから、それもあり。僕の場合、特に家の書棚からは小説とか新書とか、書評や雑学的興味関心で買ったハードカバーの類がわんさか出てくるのだ。「パスカル的省察」「取り替え子」「ブルー・セーター」「高慢と偏見」「心はなぜ不自由か」「交易する人間」色んなジャンルの良書が、未読のまま、ざくざく出てくる。その一方で、アマゾンで今月もジャンジャカ注文し、旅先の大型書店で強迫観念的に買い込む自分が一方でいる。読まなければただのゴミ、だ。本とのつきあいは、ほんと、考えなければならない。

ただ、この春はだいぶ志向性・嗜好性が変わりつつあり、一方で、様々なジャンルにジャンプして読書体験を拡げたい、とウズウズしている自分もいる。なので、やっぱり注文してしまう。せめて出来ることは、サクサク読んで、買うスピードを緩めることくらい。いやはや、気をつけなければ。

で、ここしばらく、芸事の導師になってくださった道楽者の件の先生から、CDをごっそり借りる。前回はサンソン・フランソワのショパンやドビュッシー、ラベルのピアノ曲集と落語。今回の第二弾は、宗教音楽特集と昭和の名人落語選の続き。移動中の車内でフランソワ先生を聞き出したら、やみつきになってしまった。なんというエレガント。今までグールドやペレイラ、アルゲリッチなど硬質ではっきりとした弾き手が好きだったので、ルービンシュタインでも柔らかい演奏に感じていた。だが、サンソン・フランソワのエレガントさは、その比ではない。思わずボックスをまたアマゾンで注文してしまい、ついでにアルゲリッチの管弦楽のボックスも注文してしまう。アマゾンの戦略にはまりすぎ、である。あ、カザルスのボックスも手にしてしまいました

かように自己投資していることについて、若干の言い訳をすると、今、自分自身の様々な部分での可動領域を拡げている、のだと実感する。今までは本業以外のことには割と禁欲的であろう、としていた。故に、気になるジャンルの本も、買ってはみるのだが、耽溺してはいけない、と自制していたのである。まだ1Q84を「積ん読」しているのも、そのせい。だが、本業関連の仕事が加速度的に増える中で、「積ん読」していたり、「そのうち」と言っているうちに、いつのまにか月日が過ぎ去り、結果的にご縁がないまま終わる可能性がある、というシンプルかつ重大な事実に気付き始めた。ならば、忙しくても、いや忙しいからこそ、読みたい本を読み、聞きたい音楽を聞いていないとバランスがとれない、と感じ始めている。このことは、昨年11月、入試のお仕事で泊まった静岡の本屋で買った次の本から教えてもらった。

「『業務内』のことがらが、上記のように、あまりにも機微に触れる(=ヤバすぎる)ことがらの連続で、それを書くことができなかったので、まるでそれを埋め合わせるかのように、敢えて『業務外』のことだけに絞って書き綴っていたのだ。今、読み返してみて思うのは、不思議なことに、『業務外』の記述に『業務内』のことがらがしっかりと反映されているのである。あるいは、もっと直裁的に、共振(シンクロナイズ)していることがある。」(金平茂紀『報道局業務外日誌』青林工藝舎、p3

彼は昔のニュース23のディレクターで、今はニューヨーク支局のTBS記者。昔からお顔と名前を一方的にテレビで見て知っていた記者さんだったが、彼の報道局長時代の「業務外」日誌は、以前ブログにも書いたが、かなりインスパイアされた。そう、忙しい事を言い訳にせず、むしろ業務内の内容がディープになる時期ほど、業務外の豊かさも追求しないと、バランスが崩れて、身が持たない、と。で、「業務外」の彼の志向性からもかなり学んだのだが、今これを書くために彼のブログにたどり着いて、ちゃんと「業務内」でも一級のジャーナリストをしておられる事を再確認。僕もお気に入りブログにいれようっと。
http://www.the-journal.jp/contents/ny_kanehira/

さて、回り道うねうねとしてきたが、先ほどの「可動領域を拡げる」話。本業が忙しいからこそ、本業以外の「業務外」での自分の可能性を試したり高めたりしないと、ただの「仕事中毒」になってしまう。そう、バランスを取るためにも、「業務外の豊かさ」は必須なのだ。ま、こうやって自己暗示をかけないと方向転換がなかなか出来ない自分の不器用さが、一番の問題なのかも知れないが。しかし、机も綺麗になったことだし、5時半からは「業務外」の最大の楽しみであり、ここ一年で身体の可動領域を少しは拡げてくれた、合気道も始まるし。今日は素敵な「業務外」の一日であった。

3つの論に共通する思想

 

最近、はっきり理由がわからないが、何だか松岡正剛氏の本を読み直したくなっていた。ちくまプリマーブックスの『多読術』を読み直したが、それがどんぴしゃり、ではない。やはり筆者の主著を、と思って、『知の編集工学』をネットの古本(ハードカバー)で注文する。届いて読み始めようと思ってふと書架を眺めて、愕然。なんと、朝日文庫から出ている同書を、ちゃんと読んでいるのである。奥付を見ると2005年と書かれているので、もう5年前だろうか。今回、読み始めて、以前引かなかった部分に赤線を引きまくっている自分がいて、ビックリ。それと共に、なぜ今自分が松岡氏の著作を読みたくなっているのか、がよくわかった。それは、己のパラダイムシフトと関連がある。

同書の中で松岡氏は、編集方法を<編纂>と<編集>の二つに分けて整理している。そのうち<編纂>は英語のcompileに相当するものであり、「概念や事項を一対一的に対応させるもの」であり、その例として「事典や辞書の編纂」を挙げている。一方、<編集>はeditに相当し、「編纂よりもずっと自由に要約したり適合させたり類推したりする、幅広い方法をいう」(p197)。また編集工学は「もともと分類的編纂性よりも形容的編集性を重視している」(p277)とした上で、次のように指摘している。

「私たちは主語を強調したことで、思索の主体を獲得したように見えて、かえってそこでは編集能力を失い、むしろ述語的になっているときにすぐれて編集的なはたらきをしているはずなのである。」(p279)

以前読んだときに何にも線を引いていなかった所を見ると、以前の僕は、このことの重要性に気づいていなかったのだろう。だが、今の僕にとって、この部分にはありありとしたアクチュアリティを感じる。そう、「我が我が」と言っている間は、「思索の主体を獲得したように見えて、かえってそこでは編集能力を失い」、狭隘な自己認識の歪みを絶対化しようとする。だが、その主語へのこだわりから間合いをとって、「我が我が」という前に、「どうなっているのか?」という、目の前で行われている事態の述語的展開に目を向けてみると、その述語の流れの中で、何をどう「要約したり適合させたり類推したりする」ことが出来るか、という編集可能性が見えてくる。その編集可能性を筆者は、エディトリアリティと名付けている。その上で、述語的なるものの展開を次のように表現している。

「物語というもの、縮めて言えば5W1Hをくりかえす出来事の連鎖なのだから、その出来事の連鎖に関するいくつかのダイナミック・モデルをつくり、そのモデルに従って情報編集が進むようにすればよい。」(p295)

「出来事の連鎖」としての「物語」の本質は、主語の連鎖より述語の連鎖にある。しかも、その述語の連鎖に関しては、「情報編集」が可能である、という。この際、僕が念頭においている物語の範疇には、個々の支援現場で行われているナラティブな何か、は当然のこと、政策形成過程における物語性も強く意識している。新しい何か、を産み出そうという場面で、「我が我が」と言っている人は、だいたいアテにされなかったり、使い物にならなかったりする。そういう何かを創発する場面においては、具体的な5W1Hの問いを通じて、何をすることで、その目標とする何かを創発出来るか、という述語的心性が問われる。そして、そういう述語的心性の持ち主同士のコラボレーションや、その過程で述語的心性への共感が拡がる事を通じて、物語の渦が段々大きく、具体的に、形を現しながら自己展開していく。そのプロセスを経て、新しい何か、が立ち上がっていく。

そういう情報編集のプロセスこそ、「物語」の本質である、としみじみ感じる。そう考えていくと、「編集とは『関係の発見』をすることなのだ」(p329)という筆者の意図は、よりクリアになってくる。「5W1Hをくりかえす出来事の連鎖」の中で、新たな「関係の発見」を連鎖させていくこと。それが物語編集の本質、なのである。そして、この視点は、この本を読む前に読んだ本と、この本を読んだ後に読んだ本、の2冊をつなげてくれる「物語」ともなった。

ひとつは、以前にもご紹介した安冨歩氏の論考だ。彼は複雑系理論の叡智を社会科学にも応用し、従来のPDCAサイクルに代表される操作主義的な計画制御(線形的制御)の図式では複雑な世の中の連関の輪を変えていくことが出来ない、として「やわらかな制御」を提唱している。この制御は「すでにそこにあるさまざまのものごとを相互に接続し、新しい流れを創り出し、そこに価値を生じさせる」「共生的価値創出」を目標としている(安冨歩『複雑さを生きる-やわらかな制御』岩波書店p108)。つまり、「コミュニケーションのコンテキストを創り出し、新しいコミュニケーションの連鎖を創り出すこと」(同上、p138)をこの制御は目的としている。

この「コミュニケーションのコンテキストの創発」やその連鎖こそ、松岡氏の言う「物語編集」そのものである。そう考えたら、<編纂>はロジカルな線形性に馴染みやすい「計画制御」として、<編集>は複雑な世の中の連関の輪を変えていく「やわらかな制御」と捉えることも出来る。そして、この二つの違いは、安冨氏の文献で知って買い求めた『参加型開発』(斉藤文彦編、日本評論社)の中で、安冨氏が引用された論者とは別の論者によって紹介されている内容とも重なった。

ブルーナーの言う「論理実証モード」と「物語モード」の二つのモードを援用した久保田賢一氏は、「論理実証モード」を「世界で起きる様々な事象を計測、測定しようとする」ものであり、「物語モード」では、「一人一人の人間の生き方を語る日常生活の中に人生の意味を見つけ出していこうとする」ものであるとする。そして、途上国の開発援助のコンテキストにおいて、二つのモードにおけるワーカーの実態を次のように整理している。

「論理実証モードでは、開発プロジェクトもワーカーもその地域について調べる前にすでに一連の解決方法がパッケージ化されてきた。しかしながら、このような開発プロジェクトがうまく機能しなかったことは、説明するまでもない。それでは物語モードにおける開発ワーカーはどのように振る舞うのであろうか。個々のコミュニティーの状況は異なり、それぞれの問題状況を一般化しても意味がない。それよりも、地域のおかれている文脈の中で人びととともに理論を構築していくことが必要となる。そのためには、内省的実践が求められる。内省的実践とは、『計画を立てる』、『実践する』、『評価する』という三つの行為を、コミュニティーの『いま・ここ』の状況の中で繰り返し行うことである。(略) つまり内省的実践とは、開発ワーカーとコミュニティの人びととで共同で現状を変革していく、実践と内省を何度も繰り返す過程そのものをさす。」(久木田賢一「西アフリカでの開発ワーカーの実践」『参加型開発』p88-89)

この「論理実証モード」とは。<編纂>や「計画制御」と親和性が高い。一方、「物語モード」とは、<編集>や「やわらかな制御」と親和性が高い。というよりも、この3つの本は、基本的に同じチューンを別の語彙を用いて表現しているだけなような気がする。編集工学の創始者と経済学者、国際協力の専門家が、別の切り口から見つけた、同種の視点の捉え直し。「計画制御」による外部者による概念整理の機械的当てはめが、いかにローカルな知の現状を根無し草的にしているか。そして、その根無し草的現実を超えるためには、ローカルな知の叡智に耳を傾け、そこで展開されている物語を編集しながら、「コミュニティーの『いま・ここ』の状況の中で」「実践と内省」という編集作業を繰り返しし続けることが重要である、ということ。そのプロセスの中から、「すでにそこにあるさまざまのものごとを相互に接続し、新しい流れを創り出し、そこに価値を生じさせる」「共生的価値創出」が生まれ、それが新たな「物語」となること。そんなことが見えてくる。

こう考えていくと、今関わっている現場で、どのような「物語」の渦が産み出されてくるのか、が改めて気になる。山梨でも三重でも、計画制御的発想ではなく、なるべく現場のローカルな知をブリコラージュ的に使い倒し、「ずっと自由に要約したり適合させたり類推したりする、幅広い方法」としての「編集」に邁進してきた。というか、それ以外、方法論が僕には見つからなかったので、やみくもに「編集」しまくってきた。チューニングがあわなかった時には、つまりは僕の<編集>が「地域のおかれている文脈」にそぐわなかった時は、まだ多分に「我が我が」モードだったのだろう、と思う。だが、やがて地域のお顔や関係性といった多くの「主語」が見える中で、己の主語性は後景化し、述語的心性としての黒子的編集者のモードに転換してきた。そして、そういう述語的展開の中で、ある一定の物語の構築が、微々たるものであっても、進んできたのだと思う。そういう、生成しつつある渦のベクトルを大切にしながら、新たな渦をどう作り込んでいくか。このあたりを考えるためにも、今一度、「編集」や「やわらかな制御」、そして「物語モード」の意義とその重要性を、しっかと認識したい。

「ヴォイス」への道程

 

ヴォイスについて、気になっている。たまたま同時期に読んでいた二冊の本にそれが指摘されていたからであり、また自分の今の主題でもあるからだ。

「ヴォイスとは、文体やテーマではなく、それを凌駕する自分では選択できない、宿命的にとらわれてしまっているもののことです。歌手で言えば声質ですよね。アレンジが変わっても、メロディーが変わっても、歌詞が変わっても変わらない声質みたいなものがやっぱりある。表現する人には、そういう指紋のようなものがあると思うんです。」(川上未映子『六つの星星』文藝春秋 p92

彼女の一冊目のエッセイ(『そら頭はでかいです、世界がすこんと入ります』)を読んで、随分切れる同年代だなぁ、と興味を持っていたが、まだ大人気小説『ヘヴン』は手に取れていない。小説は苦手、というより、読み出したらなりふり構わず止まらなくなるので、自省している禁欲的な自分がいる、と改めて思う。受験生時代の貧しい心性を未だに身体化しているようで、少し悲しい。『1Q84』だって、Book3がもうじき出るのに、まだ読んでいない。今週こそ読んでみよう。ワクワク。

で、もとに戻ると「声質」という「宿命」について、それを「指紋」と表現しているのが面白い。確かに他の誰でもない、その人固有の何か。メロディーやアレンジ、歌詞がどうであれ、ちょっと聴いただけで「あ、あの人だ」とわかる「声質」。高校生から予備校生時代にかけて、中島みゆきにディープにはまっていた頃、コアなファンの友人にカセットテープ!にダビングしてもらい、その当時世に出ていた中島みゆきの楽曲の殆どを聞き込んでいた。その中で感じるのは、確かに歌い方は色々変えても、「かもめはかもめ」「中島みゆきは中島みゆき」なのである。ちなみに「かもめはかもめ」の歌も、研ナオコに楽曲提供しているが、もとは中島みゆきの歌。工藤静香に提供した「慟哭」も含めて、中島みゆきが歌うと、全部が中島みゆきワールドに当然なってしまう。そういう自家薬籠中能力、のようなものがすごく高い歌い手である。

で、今まではそれを聞き手として勝手に消費し、似非批評している立場だったので、気楽だった。だが、文章を書く、表現する側になりつつある自分としては、このヴォイスの問題は、他人事として批判ばかりしていられない。自分の喉元に突き刺さるからである。先の村上春樹氏の話に触れながら、ヴォイスについて書いている本をもう一冊、最近読んだ。

「村上春樹さんも書いていたけれど、作家の条件というのは、自分のヴォイスが見つかるかどうかにかかっている。自分のヴォイスを探しあてたら、あとは無限に書ける。ヴォイスというのは、なんとも他に言いようがないんですけども、語法、口調、ピッチ、語彙、語感などが全部含まれていると思うんです。そのヴォイスを見出すと、言葉が流れるように出てくる。ヴォイスが見つからないと、何を語っても、どこかでつっかえてしまう。あるいは、出来合いのストックフレーズを繰り返す以上のことができない。ヴォイスで語ると、たとえばほとんどがストックフレーズでできている文章を書いても、そこにまったく違う、何か活き活きとしたものが感じられる。」(内田樹・釈徹宗『現代霊性論』講談社p272

最近大流行の哲学者の内田さんと僧侶の釈さんの対談集。僕は、内田樹さんの本は出たらすぐに買う、割とコアと自認するファンなので、今回も楽しみに読んでいた。で、彼は別の作品やブログのエッセイでも何度かこのヴォイスの問題を取り上げているのだけれど、改めて川上未映子さんの語りと重ねてみると面白い。誰しも「指紋」を持っているが、その「指紋」である「ヴォイス」が「探しあて」られるかどうか、「みつかるかどうか」が「作家の条件」というのは、極めて示唆的だ。ちなみに余談になるが、内田樹という恐ろしくプロダクティブな作家がなぜあれほど本を短期間で出しているのか、の理由に、内田氏の独特の『ヴォイス』がある、と僕は深く感じる。

僕は、ある時期まで、何も考えることなく、あるヴォイスの片鱗のようなものを持っていた。それをミニコミ誌に書かせて頂いていたりして、少しずつ育んでいた。だが、ちょうど大学院生のある時期に、様々なトラブルを引き起こし、巻き込まれ、一旦ヴォイスも含めた自分自身のコアな信頼の部分が損なわれる経験をする。そのころから、生のままのヴォイスを出してはいけないんだ、と禁欲的になり、また運悪くちょうどその後に博論を各時期と重なった事もあり、「アカデミックでなければならない」と縛りをきつくし、ヴォイスを封印した。査読論文に通らないのは文体より論証力や編集力、論理性の欠如、なのだけれど、それを文体ゆえと思って、変なゴリゴリの文体に変えようとする自分が居た。

そして、大学に就職した6年前から、このブログを開設する。当時はおずおずと、であったが、ちょっとずつ文章を頼まれもしないのに書き出したのは、自己顕示欲、というより、後付的解釈で振り返るなら、自分のヴォイスを取り戻す試みだったような気がする。ネット上の空間で、多少は他人に見られている、と意識しながら、しかし自分の内面と向き合いながら、色んな本を引用しながら、自分のヴォイスを「探しあて」ようとする旅路。小さい頃からニュース中毒だった故に、自分の頭の中には「ストックフレーズ」にまみれている。その煤を払い、あるいは「ストックフレーズ」を自分なりにパラフレーズするためにも、文章修行をする場。それが、このブログだったのだと思う。

そして最近、少なくともブログに関しては、「言葉が流れるように出てくる」「ヴォイスを見出」したような気がする。そして、今自分の関心は、それを論文や他の原稿でも、ちゃんと活かせるか、という課題である。ちょうど昨日がとある学会発表の予定稿の〆切日だった。一旦書き上げた内容が、まだ「アカデミックでなければ」という囚われから抜け出せず、本当に僕でしか伝えられない何か、が書かれていない、と引っかかっていた。それは何だろう、と考えあぐねている中で、「ヴォイス」を思い出したのである。そう、僕にしか語れない「ヴォイス」であり「指紋」。先行研究を知ったかぶりして引用するより、きちんと「ヴォイス」に向き合いながら、必要な研究を参照しながら、something newを紡ぎ出していく営み。それなら、自己欺瞞に陥らずに出来るし、自分なりに楽しく取り組めそうだ。そんな「ヴォイス」を、ようやく「見つける」ことが出来そうな、そんな分水嶺に差し掛かっている。

ビオフィリアと「ネジ外し」

 

もっと陽射しと眺めの良い場所に住みたい。そう思う。

最近、朝の目覚めがすこぶる良いのは、春の陽射しが良くなってきたから、だ。我が家のベッドルームは東側にあるのだが、遮光カーテンの隙間から気持ちの良い朝日が差し込むと、朝から得をした気分になる。一方、既に今は花曇りなのだが、ただでさえ気分が落ちがちになるのに、加えてこの書斎はよその家から丸見えなので、レースのカーテンをしている。すると、部屋の照度が下がって、益々気分が落ちていく。そんな天候に左右されるなんて、と思うかも知れないが、さにあらず。以前住んでいたスウェーデンでは、日照時間がガクンと減る頃を指して、「魔の11月」と言われていた。その時期に、自殺する人が一番多い、というのも頷ける。沖縄や台湾あたりに行きたい、という気持ちが、またムクムク芽生えてくる。

さて、そんなモノローグで書き始めた今日のブログも、やはり長くなりそうな予感。(というか、書き終えてみて、いつもより長くなり、かつウネウネした論考になっています。すいません)

マイブームの「魂の脱植民地化」論の続き。昨日の入学式の後、家でのんびりしながら安冨先生の『生きるための経済学』(NHKブックス)を読了。経済学というより、人間学として読んでいて、大変刺激的な一冊だった。そのエッセンスは、例えばこのあたりに現れている。

「本書が目指すのは、『イチバ』についての『市場経済学』である。それは、抽象的な需要曲線と供給曲線とが交わったり、抽象的な経済人が最適化したり、抽象的な競売人が価格決定したりする世界についての議論ではない。具体的な生身の人間が、コミュニケーションをくり広げる中で、現実に物理的な物質やエネルギーの出入りをひき起こす場面についての考察である。こういったコミュニケーションのなかで、処理不可能なはずの膨大な計算がやすやすと実現されるという奇跡の展開する現実の市場(イチバ)についての考察である。」(同上、p18)

この抽象的な「シジョウ」に対して、具体的な「イチバ」を目指す経済学、というスタンスが、なぜ自分にしっくりくるのだろう。そう考えていて、気づいた。「シジョウ」を「福祉理論」、「イチバ」を「福祉現場」とするならば、それはそっくり僕のフィールドにも当てはまる話だからである。

抽象的な「コミュニティ」や「地域福祉計画」の議論。それが如何に抽象的な世界での一貫性を持っていても、「福祉現場」のリアリティと解離している限り、現場からは冷ややかに見られる。だが一方、準市場なり要介護認定なり、そういう抽象的な世界の「合理的選択」理論が「福祉現場」に持ち込まれ、「福祉現場」が多いに掻き回されている現実が一方である。その事を考え直す為に、線形的な計画制御的発想を一旦横に置いておいて、その「現実の市場(イチバ)」の中でどのようなコミュニケーションが行われ、それがどういう現実を構成しているのか、どのような理論のメガネで掻き回されているのか、その現実を変える為にはどのようなコミュニケーションを考える必要があるのか、を見つめなおすのが、必要とされている。その際、「準市場」や「客観的な尺度」が「一つの幻想」であり、それ以外のやり方で考察も可能だ、というスタンスを取るか、幻想を絶対化(デファクトスタンダード化)するか、で、見える範囲が異なる。その事を、同書から教えてもらったような気がする。

ちなみに、同書はこれまでの「シジョウ」経済学を欺瞞に基づく「ネクロフィリア・エコノミックス」(死せる経済学)とした上で、そこに特徴的な思考連鎖を次のように整理する。

「自己嫌悪自己欺瞞虚栄利己心選択の自由最適化」(同上、p232

これは「自分自身の感覚」という「世界を生きるための羅針盤」を否定して、その代わりに外部からの価値観や評価を内面化した結果生じるサイクルである、とする。そして、そのサイクルはプロテスタンティズムの神学と驚くほど親和的、整合的である、とする。確かにウェーバーが解き明かした「神への献身の証明としての貯蓄」を振り返らずとも、身近にもこのような「自己嫌悪」を無意識化する(=自己欺瞞)事を通じて、「虚栄」という名の新たな(=往々にして疲れる)目標を見出し、その為に「利己心」を発揮して、自分は何でも選べるんだという「選択の自由」の牢獄の中で訳が分からなくなり、結局はテレビなり上司なりの言いなりの形での「最適化」に陥っている人、は存在する。安冨氏が依拠しているフロムの『自由からの逃走』も、「賢明なるドイツ人」がヒトラーに陶酔していった過程を見事にこの図式で描き出している。

では、オルタナティブ、というか、それ以外の道として何がありうるのか。それを、「生を愛好する」経済学として「ビオフィリア・エコノミックス」として、安冨氏は提唱している。

「自愛自分自身であること(忠恕)安泰・喜び自律・自立積極的自由創発」(同上、p236)

ここでいう「自愛」とは、自己矛盾も含めて色んな良い点も悪い点もある自分自身のダイナミズムを他者評価の前に肯定すること、である。そうすれば、他者との関係性のダイナミズムを包括する広義の「自分自身であること」が出来る。それは落ち着きや嬉しさをもたらし、頼れる他人との関わりが持てるという意味での「自立」が出来る。その中で、こころから「自由」を楽しめ、それによって「これまでに存在しなかった機能を生命が見出す過程」(p116)としての「創発」が生じる、とする。

この二つのエコノミックスを比較している内に、僕の頭の中では、それを体現した、つまり「ネクロフィリア」から「ビオフィリア」のプロセスに飛んでいく一群の人々を想起する。それが、「福祉現場ではじける公務員」である。

一般に、公務員の世界は、ルールや規定という自分以外の価値観や評価に基づいて、適正な手続きを行う事が求められる。確かに身分は安定しているかもしれないけれど、自分自身で考えたり、裁量権を発揮する余地があまりない、考えようによっては自己阻害的な労働だ。だからこそ、身分保障をしないと「公僕」として持たないのでは、とも思える。そういうルーティーンの牢獄の中にいて、「ネクロフィリア」的に思考枠組みにすっぽり収まっている公務員が、例えば4月から福祉課に急に配属されると、大混乱する人が少なくない。福祉現場は、「シジョウ」のようなルールと規定だけではどうにもならない、「そこで生きている人がいて、実際に何とかしてくれなきゃ困る」という「イチバ」的現実なのである。その「イチバ」で「シジョウ」のルールを振りかざしても、空振りに終わる。そこで、あくまでもネクロフィリアな「シジョウ」の論理を振りかざすか、敢えて現場の「イチバ」の論理に耳を傾けるか、でその人のその後は大きく変わってくる。

現場で「イチバ」のリアリティを知ると、単に「シジョウ」のルールの適正執行だけでは物事は何ともならない、という壁がある。その際、「壁」をルールだから仕方ない、と他責的に受け止めると、それは目の前の人間よりも制度を、もっと言えば自己保身を重視する事になり、「自己欺瞞」の回路に落ち込みやすい。一方で、そのルールの問題点に気づき、面倒でもルールを変える事が出来ないか、の試行錯誤をし出した公務員の中には、今まで蓋をしていた「公僕」意識の下にある、「人のために本当に役立ちたい」という「自愛」の回路が開いてくる人がいる。そして、その「自愛」の回路が、「ルールの変更」に基づく対象者の生活の向上、という形で具体的な成果を経験すると、「自分自身であること」に「喜び」を感じ、この裁量権の発揮に自らの職責としての「自律」や「積極的な自由」を見出し、新たなコンテキスト作りという「創発」を生きがいとする。そうして、現場をワクワクと楽しんでいる公務員が出現すると、「あ、あの人もネジが外れたな」と、福祉現場では大歓迎され、役所内では白眼視される。

僕自身は、以前このような「カリスマ公務員」の変容を、それはそれで大切なことだと思いながら、その一方で、「その人がいなくなればオシマイのシステム」の脆弱性を感じていた。そして、人で担保されるのではなく、制度として担保されるものにしなければならない、という「システム信奉者」に傾きがちであった。しかし、前回ご紹介した安冨氏の別の本の議論と重ね合わせる中で、それは違うのではないか、と考え始めている。

「理念を共有する限られた人物とそのネットワークに集中的に接続し、資源を投入することで、コアとなるコミュニケーションの形態を創り出すことが第一段階の目標となる。ここに人的信頼関係を創り出し、理念を共有し、またそれを発展させ、実践する人々のネットワークを構築せねばならない。ここには社会における固有名あるいは人格をいかにとらえるかという問題が深くかかわっている。あえていうなら、活動の目標のひとつは「特定の人格のエンパワーメント」でなければならない。(略)ここに形成されたコミュニケーションの活性を維持し続け、それによって理念の共有範囲を拡大するとともに、その流れの中で理念そのものを成長させる。この動きを通じてのみ社会に働きかけることが出来る。」(安冨歩『複雑さを生きる-やわらかな制御』岩波書店p131)

以前の「システム信奉」の先には、PDCA的な計画制御への信頼、がある。だが、市町村に設置が定められている障害福祉計画の現実はどうだったろう? ほとんどコンサルティング会社に丸投げする自治体が多い現実は、計画制御の成功と言えるだろうか? 地域自立支援協議会の、市町村での馴染みのなさや、多くの自治体での受け入れがたさ、は、このような計画制御の範疇に収まらない「合意形成」作りの枠組みへの不安、ではないだろうか? 当事者と行政が同じテーブルについて議論するなんて出来るはずがない、という決めつけに基づく「自己欺瞞」。それを暗黙の前提としているならば、「創発」は生まれない。

いや、見方を変えると、そういう「自己欺瞞」サイクルに安住している人にとって、どこに行くか分からない動的な「創発」ほど、アンコントローラブルで危険なものはない。それよりも、予測と制御可能な「最適化」を生み出すネクロフィリアなサイクルの方が、死んでいてもわかりやすい静的なものであるがゆえに、ルールと秩序の中で把握しきれるし、安心だ。・・・こんな「死んだサイクル」が「システム信奉」の中に内包されている、と、ようやく今になって気づいた。

これを打ち破るのが、ビオフィリア的な『創発的コミュニケーション』である。本当に困っている人がいる、という生身の「イチバ」的現実。それを前に、「シジョウ」的なペーパーワークの範囲では、「どないしたらいいんやろう」と頭を抱える。しかし、だからこそ、ルールの範囲を超え、相手との「コアとなるコミュニケーションの形態を創り出す」中で、「イチバ」における「人的信頼関係」が生まれていく。それが、これまでネクロフィリア的な仕事をしていた人にとって、「特定の人格のエンパワーメント」に繋がり、そのエンパワーメントされた結果として、「理念の共有範囲を拡大」が、結果的に新たな制度創出などの「社会に働きかける」結果をもたらす

障害者福祉や高齢者福祉に関わって「ネジが外れた」という公務員を何人か知っているが、それは文字通り、対象者との生身の接触を通じて、「イチバ」的な抽象性を外し、自らの「自己欺瞞」的な労働のあり方を外す、二重の意味での阻害からの解放、となっているのかもしれない。そして、僕自身は、公務員への研修で、また公務員志望の学生に向けて、「ネジ外し」の仕事をしているんだから、何ともオモロイけど、危険な商売、なのかもしれない。もっともそれ以前に、僕自身の「ネジ」が最近だいぶ外れてきているのかもしれないが

7年後の気づき

 

この春は刺激に満ちあふれている、と前回のブログで書いたが、昨日であった一冊からも多いに刺激を受ける。例によって、「作品」に昇華させておかないとショートしそうなので、とにかくこのブログに書き付けながら考えてみたい。

もう7年も前になるが、博士論文なるものを書いている(「精神障害者のノーマライゼーションに果たす精神科ソーシャルワーカー(PSW)の役割と課題-京都府でのPSW実態調査を基にして-」)。その概要は紀要論文として一部短く紹介したものの、単著にはなっていない。最近では博士号を取る人も多くなり、若い世代の単著本も出ている。また、自費出版的に出している人も少なくない。しかし、僕の論文は、正直に言うと、それだけでは本に出来る内容に高まっていなかった、というのと、どういう切り口で再整理したら一般読者に伝わる内容になるか、がよくわからなかったので、単著化は放置し、半ば諦めかけていた。

その博論では、京都のPSW117人に聞き取り調査を行い、「この人は地域を変えている」と思った人に共通する実践内容を「当事者の本音を聞くことに端を発し、当事者の想いや願いを実現するためにPSW自身が変わり、③)一人で抱え込まずに周りの人々を捲込み、仲間の連携を組織的連携に変える中で社会資源を改善・創出し、その中で当事者の役割意識や自信が芽生え、当事者自身も変わる」という5つのステップとしてまとめた。PSWが精神障害者のノーマライゼーションに本当に役割を果たすためには、この5つのステップが必要ではないか、と提起したのが、博論の唯一のオリジナリティだったと思う。

そして、これは、僕自身が山梨や三重の県レベルで、あるいは福祉組織の変革支援に携わる中で、実践者としても使えるステップである、と実感してきた7年間でもあった。現場の本音を聞きながら、まず頭の固い自分自身が変わる必然性を感じ、官民様々な協力者を見つけ、巻き込み、巻き込まれながら渦を創ってきた。それが、多少なりとも自立支援協議会や圏域マネージャーの形で制度化・システム化し、その渦は、僕が操作するのではなく、渦として動きつつある。そんな創発にこの3年間で立ち会う中で、僕もこの5つのステップの流れを意識し、踏み外さずにステップを踏んできた、と思う。それだけでなく、現場向けの講演でこの「5つのステップ」を使って説明しても、説明力や共感力は割合高かった。そんなこともあって、何とかこの「5つのステップ」だけでも、もう少し普遍化して広く伝わるように書き直せないかなぁ、という密かな願望を抱いていた。だが、その方法論は、と言われると、動き出せない自分がいた。

あれから7年後の昨日、ここ最近ご縁を頂いた安冨先生の本を読んでいた。安冨先生は、複雑系理論の叡智を社会科学にも応用し、従来のPDCAサイクルに代表されるような計画制御(線形的制御)の図式では、複雑な世の中の連関の輪を変えていくことが出来ない、とする。その上で、オルタナティブとして、「区々たるものを結び合わせ、流れを創り出すことを目標とする」「やわらかな制御」を提唱している。複雑系科学の叡智を整理した第一章は読み進めるのがやっとだったが、その後に展開された第2章以後、自らの既知の風景が急に新たな未知となるような、爽快な気分で読み進め気がついたら、自分が博論で言語化出来ていなかった事に光が当てられている箇所にも遭遇。思わず歓喜する。そう、この視点が言語化出来ていなかったのだ、と。

「本来やらねばならない職務とは何だろうか。それはコミュニケーションのコンテキストを創り出し、新しいコミュニケーションの連鎖を創り出すことである。人々の不安と不信を和らげ、自分で筋の通った判断を下せるようにすることである。このようなケアを施す活動が組織を維持再生する上で不可欠であるのは、人間の身体を維持するのに免疫系や自己修復といった機能が不可欠であるのと同じ事である。」(安冨歩『複雑さを生きる-やわらかな制御』岩波書店p138

そう、福祉現場で、新しい何かを生み出している人って、「○○障害だから」「社会資源が少ないから」「行政(家族、理事長、本人、支援者)が無理解だから」仕方ない、とエクスキューズをつけて諦めて、その「諦めの回路」に安住する(=歪んだ構造を再生産する安定状態を保つ)ことを良しとしない。むしろ「諦めの回路」に違和感を感じ、その回路を開くような別のコミュニケーションに基づく、新たなコンテキストを創発しようとしている。その中で「新しいコミュニケーションの連鎖を創り出」しながら、「人々の不安と不信を和らげ、自分で筋の通った判断を下せるように」なり、地域での共感者を増やしていっているのである。この「回路を開く」図式は、別の部分では次のように説明されている。

「理念を共有する限られた人物とそのネットワークに集中的に接続し、資源を投入することで、コアとなるコミュニケーションの形態を創り出すことが第一段階の目標となる。ここに人的信頼関係を創り出し、理念を共有し、またそれを発展させ、実践する人々のネットワークを構築せねばならない。ここには社会における固有名あるいは人格をいかにとらえるかという問題が深くかかわっている。あえていうなら、活動の目標のひとつは「特定の人格のエンパワーメント」でなければならない。(略)ここに形成されたコミュニケーションの活性を維持し続け、それによって理念の共有範囲を拡大するとともに、その流れの中で理念そのものを成長させる。この動きを通じてのみ社会に働きかけることが出来る。」(同上、p131)

僕自身の拙い実践の実感としても、また博論現場やその後の調査研究でお会いした多くの変革者にしても、まずは「コアとなるコミュニケーションの形態を創り出すことが第一段階」である、と深く同意する。教科書的なパターン認識ではなく、「人的信頼関係を創り出し、理念を共有し、またそれを発展させ、実践する人々のネットワークを構築」する中で、その地域や実践を変える「芽」が生まれる。その芽を育むためにも、「ここに形成されたコミュニケーションの活性を維持し続け、それによって理念の共有範囲を拡大するとともに、その流れの中で理念そのものを成長させる」事が重要になる。「諦めの回路」のオルタナティブとしての希望のコンテキストを創発させ、「コアとなるコミュニケーションの形態」を練り上げ、暖め、拡げていく中で、それが一定の普遍性を持つようになる。やがて、その普遍性は官も揺り動かし、市町村レベルの小さな制度や国レベルの大きな制度の変更・改正の原動力となる。

そして、その原動力や大きな渦の背後には、「特定の人格のエンパワーメント」が、いつも見え隠れする。重症心身障害を持つ人の地域生活支援を展開してきた西宮の「青葉園」の清水さん、精神障害者の支援観を大きく変えた北海道浦河の「べてるの家」の向谷地さん、国制度になった小規模多機能型の原点にある富山の「このゆびとーまれ」の惣万さん。あるいはイタリアの精神医療改革だけでなく世界的なコミュニティメンタルヘルスのお手本になったトリエステのバザーリア医師。ノーマライゼーションの実践の原点にあるスウェーデンのベンクト・ニイリエ。ぱっと思い浮かぶだけでも、これらの実践者は、ローカルな現場で「コアとなるコミュニケーションの形態を創り出すこと」の中で、結果的に「特定の人格のエンパワーメント」を成し遂げていった。しかも、それは己が成功、という利己的な目的ではなく、自らが関わる対象者のために「本来やらねばならない職務」として、試行錯誤の中で、「諦めの回路」を開くコミュニケーションを創発させ、新たなコンテキストを創造してきた。その運動展開の中で、「理念の共有範囲を拡大するとともに、その流れの中で理念そのものを成長させる。この動きを通じてのみ社会に働きかけることが出来る」ということを実証してきた。

つまり、先に僕が整理した「5つのステップ」に欠けていた視点とは、「コミュニケーションやコンテキストの創発・連鎖による物語の書き換えのプロセス」である、と言えよう。そして、その「物語の語り部」としての「特定の人格のエンパワーメント」は、単に属人的カリスマで終わるのではなく、社会を変える普遍性を持ちうる、という事である。しかも、上意下達的な計画制御ではなく、ストリートレベルのリーダーシップによる「やわらかい制御」によって、現場が変わり、政策も変わる。ソーシャルワークや福祉政策の研究分野ではまだまだ計画制御の議論が主流となっているが、現場の実態はこの「やわらかい制御」の創発こそが、現場を変えてきた。その事に、改めて気づかされた。

この「やわらなか制御」におけるワーカーの裁量のポジティブな活用と福祉政策、ソーシャルワークの変容の可能性については、大きな関係がある。このことはブログではなく、そろそろ論文にしなければならない時期なのかもしれない。はい、頑張ります。

7年の遠回りをしてきたが、決して迂回路や見果てぬ道ではなさそうだ、という実感が、ようやく今、芽生えてきた。

両天秤の統合

 

役割期待、というものは、その人の潜在能力の開花を促進する為にも、逆に個人に強固な鋳型をはめてそこに固着させる為にも、双方に働きうるものである。毒にも薬にもなる。

私自身にとって、「大学教員」という肩書きは、5年前の成り立ての頃は、割と薬として機能していた。大学院生のマインドのまま講師になってしまったので、もっと勉強しなければ、という誘因には十分になった。フィールドワークにどっぷり浸かっていた大学院生時代の反動も多分にあって、ちゃんと理論を勉強しないと、というモードで、以前より大量に本を買い込み、どっどどっどと摂取していった。切迫感もあったが、その事に勿論楽しさも感じていた。自分の不勉強を何とか補うつもりで始めた読書会・参加した研究会等のお陰もあって、院生時代に学んでおくべきだった(でもサボっていた)バックグラウンドの知識は、研究者としての最低限の水準はクリア出来るくらいにはなってきた(つもりだ)。それは必要不可欠なプロセスであった。

だが、あれは「准教授」という肩書きに変わったあたりからだろうか。自分の中で、分裂気味な気持ちが生じ始めた。3年前から県の仕事にも携わり、現場へのコミットを再び深くするようになってきた。その中では、現場に通じる言葉を模索しながら獲得してきた。単にダメだ、ダメだと批判するだけではなく、相手が納得して自分から変わる言葉を探そう、と必死になってきた。その一方で、日本語の理論の言葉では不十分感を深く感じ、英語圏の本を囓るようになったのは、ちょうどこの頃からだ。以前は「福祉は文化依存的であり、他国の本に学べるところは少ない」と読んでもいないのに嘯いていたが、日本語の本に不全感を感じて読み始めたイギリスやアメリカの文献の中には、文化的差異を超えて現場を捉え直すヒントに満ちた、心に訴えかける良書が少なからずあった。

そうやって、現場の実践へのコミットと理論的良書の理解、の両天秤の負荷が良い具合に双方高まる中で、その両者にバランスを取る自分自身の主体性が問われるようになってきた。天秤は常にグラグラ揺れ、現場へのコミットに傾いたかと思うと、理論的言語に傾き直したり。そんな、右往左往の中で、両者を統合する自分自身は一体何を目指して、何をしたいのか、が不鮮明になってきた。その中で、「准教授」という外部からの役割期待が、眼前が開かれない暗闇の中でのとりあえずの羅針盤として活用出来た故、それに無意識にすがるうちに、自分の直感や感覚的言語、が抑圧され始めた。思っている事をそのまま口に出す、文章に書く、という事が憚られ、とにかくロジカルで説得力ある何かを書こう、と気張ってしまっていた。

そして、回顧録的になるが、そのころから、このブログの文章が急激に長くなり始めたような気がする。論理でゴリゴリ、が別に論文世界で十分に出来ていた訳ではないが、そういう志向性を持って動いている一方で、澱のように溜まった感情的な言葉を相補的に放出する手段として、このブログが機能した。表面的には「本の引用を基に考えたこと」という論理の世界がブログの中心的テーマとなっていたが、「本の引用」に頼らない、情動性を重視した発言も、少しずつ、このブログの中に潜ませるようになってきた。

なぜそういう回顧をするのか。そう、この2010年3月というタイミングで、その両天秤の統合、が自分の中で生まれ始めているからである。役割期待という外在的論理ではなく、主体タケバタとして、理論の世界と実践の世界を、稚拙であっても両方引き受けた上で、何かを伝えたい。そういうモードになりつつあるのだ。そうすると、今までなら届かなかった言葉が、心にビンビンと届いてくる。

It is advisable therefore to forget that you have been living for these “x” years. You are entitled to feel as if you were born today. You are allowed to start things all over again, without necessarily tracing the thing that has been burdening you until yesterday.
“Try to forget” SATURDAY, MARCH 27, 2010
 THE QUALIA JOURNAL by Ken Mogi
http://qualiajournal.blogspot.com/2010/03/try-to-forget.html

今朝のツイッターで知った、茂木健一郎氏のエッセイ。読んでいて、まさしく一条の光が差し込むような文章だった。春の陽射しに背中を押されて、というのもあるのだろうが、「今朝、生まれた」という感覚が、心の中でじんわり沸いてきた。すると、ここに書かれているように、新しい何かを始められそう、というワクワク感も同時に沸いてきた。以前なら、「そんなに簡単に人に影響されたらいけない」「洗脳と間違われるのでは?」という外的規範(=役割期待)に縛られていた。だが、今朝、そう感じたのなら、その感覚を大事にしよう、と思い始めている自分がいる。だからといって、今まで学んだり考えたりした全てのものを捨て去るわけでもないし、それは出来ない。今までの積み重ね(these “x” years)を大切にしながらも、それだけに囚われない「新たな今日」を生きてみよう、と思い立ったのだ。

こんな風に気付き始めている時期には、これも論理的説明の枠組みから越えるが、シンクロニシティが加速度的に起き始めている。手にとって、読んでみたものから、多くの刺激を同時多発的に受ける。

「たぶん、私は世界という絵本のページをやっと開いたところなんだ。そう思える。これまで私は世界という絵本を持っていたけど、それは本棚に飾ってあったのだ。そのページをやっと四十歳になって、開き始めたのだと思える。(略)知覚とは、可能性なのだ。私の心が変われば目が変わる。私という認識の世界はこの程度だ。知覚は大嘘つきだ。真実は何ひとつわからない。この大発見は私にとってコペルニクス的転回だった。そうなのだ、世界とは果てしもなく、不確実なものだ、という認識。そこに立てた時に、いきなり、芸術の扉が開いた。」(田口ランディ「アートの呪縛」『根をもつこと、翼をもつこと』新潮文庫、p246-247)

以前ご紹介した、2月末から3月頭に訪れた香港でインスパイアされた、真木悠介著『気流のなる音』の中で出てきた「人間の根元的な二つの欲求は、翼をもつことの欲求と、根を持つことの欲求だ。」という記述。この記述をみた時から、以前読んだ筈の田口ランディの本のタイトルがちかちか点滅していた。帰国後書棚を見渡してみても見つからないので、ネットで取り寄せて、読み始めてびっくり。読み手の主体性が変容しているから、今の自分にとって共感出来る部分が多い。なのに、読んだ内容を、殆ど覚えていない。多分メッセージとして根底的部分は意識化に潜んでいたからこそ、今回チカチカと点灯した、のだと思う。

そう、僕自身も「世界という絵本のページをやっと開いたところ」である。開こうとしたり、閉じてみたり、を繰り返していた。その時々の「知覚」に左右され、本棚を眺めるだけだったり、手に取った気になったり。その「知覚」や「認識の世界」の変容の可能性を相対的に理解出来るようになった時、僕の中でも「いきなり、何かの扉が開いた」ような気がする。ただ、まだ何の「扉」が開いているのかはわからないけれど。

そして、この「扉」が空いている時には、色んな風が入り込んでくる。

「自らの歩みと、その魂の植民地化のプロセスについて、自分自身で見つめなおし、取り出す作業は決して容易なものではない。そうした苦痛を伴いつつ、自らが囚われてきたものを明らかにする作業は、同時に『生きるために』身に帯びてきたさまざまな『呪縛』とそれを可能にしてきた心の『蓋』をこじ開けることになり、『蓋』の上でかろうじて安定している精神を揺り動かす危険をはらむ行為でもある。通常、そのような行為は、自己の精神や生活を脅かすものであると考えられ、また自分の魂を押し込め、苦しめている『蓋』こそが自らの精神を支えてくれている、と感じられることから、人々は『呪縛』を継続し、『蓋』にしがみつくことで『安定』を維持しようとする。それが呪縛の構造であり、また魂の脱植民地化が困難な理由である。」(深尾葉子「魂の脱植民地化理論の新展開」東洋文化90号、p18)

木曜日に開かれた、深尾先生がスピーカーとなった社会生態学のセミナーへ参加する為に、生まれて始めて東大の赤門をくぐった。以前なら、東大という表層や肩書きに感化されやすかったろうが、この日は、場所の問題ではなく、そこで繰り広げられている議論に大きく見開かれた。その内容は、もう少し消化してからこのブログに書くつもりだが、その日に刷り上がったばかりの深尾論文を帰りの「スーパーあずさ」の中で読んでいて、この部分が深く印象に残る。なるほど、僕の今行っていることは、「魂の植民地化のプロセスについて、自分自身で見つめなおし、取り出す作業」なんだな、と。

確かに「心の『蓋』をこじ開けること」は楽ではない。特にこの3月は、香港での気づきに始まり、深尾先生やこの研究会の主宰者である安冨先生との出会い、ツイッターでの開花、など、激変期にある。それは、ある意味での「不安定期」なのかもしれない。田口ランディの先述のエッセイの中では、「パズル遊び」というタイトルで、その「不安定期」に発病したり、インド帰りのようにぼーっとしてしまう人の話が書かれている。確かに、深尾先生も繰り返し、「過剰摂取による『智恵熱?』にお気をつけになって」とメールで書いてくださっている。僕自身、それを振り解く為に、ツイッターも書いてみたり、妻と飲みながら語らったり、このブログにまとめたり、という形でバランスが取れているから、何とか激変期に波乗りが出来ているような気がする。逆に言えば、そういうバランス均衡の作用が働かなかったら、波に溺れてしまう可能性は少なくない。その事について、先のエッセイはこうも教えてくれる。

「直感や感覚を特化させた時に心の全体像はバランスを失う。思考や感情に比べて直感や感覚が突出していると、他の部分に空白の仮想領域が出現する。その仮想領域を埋めるのがパズル、そんな感じがする。(略)あの遠い夏、熱狂したパズル遊びを、私はいま、確かに作品のなかでしているのかもしれない。」(田口ランディ、同上、p290-291)

そう、「心の『蓋』をこじ開け」て見えてきた世界を、ちゃんと「作品」として捉え直さないと、「蓋が開いたまま」で「身も蓋もない」事態になりかねない。僕にとっての「作品」とは、現場の実践へのコミットであり、理論的分析を絡めた文章を書く事である。つまり、今まではどちらかにバランスがずれていて、その統合が難しかった両者に、今気づきつつあること、「今日生まれた」何か、を還元出来るか、が問われている、と思う。そして、それが出来ている先達がいる、という事も、心強い。

「この経験を通じて、『自分らしさを生かす』ことの、よりグローバルな意義に気がついた。私という『個人』の『人生の充実』はもとより、学術的な研究においてだけでなく、実践・社会的なコンテクストにおいても、『当事者の自己展開を支援すること』の重要性を強く認識したのである。」(千葉泉「『自分らしさ』を中心に捉える-私が中南米の歌をうたう理由-」東洋文化89号、p62-63

著者の千葉氏は、研究者という「蓋」と、その「蓋」により抑圧されてきた聴覚的センス(マプーチェ語を話したり、チリの伝統民謡をギターで弾いて歌ったり)という「自分らしさ」を統合させることによって、「歌って弾ける大学教授」が誕生した、という。僕自身、研究者という「蓋」の下に眠っているどんな「自分らしさ」と統合すべきか、何となく直感で感じている。多分それは、昨日の県の障害者自立支援協議会の部会の現場、あるいは今日の重症心身障害者の地域生活を考えるシンポジウムの双方で求められる「議論を捉え治し、新たな光を与え、一つの方向にまとめる産婆術的対話」なのだと思う。それなら、僕にも出来るし、以前からやってきた。この「自分らしさ」と、これまでの「蓋」の統合の中で、新たな「作品」を理論的にも実践的にも還元していくこと。これが、僕の中での「魂の植民地化」を脱する手段だと思う。

さて、そろろそ今日の現場に向かうとしよう。

「三食教」からの自由

 

久しぶりに休日の日曜日。ソファーでうたた寝をする快楽。それは、何もしないことの快楽でもある。

何かをすることが、良いことだ、とか、生の充実だ、と思いこむようになって久しい。特に、僕の中では強迫観念的に「予定を埋めねば」と、20代の前半頃、思っていた。予定を入れて、どこかに行き、何かをすることが、自分が生きている存在証明そのものである、と思いこんでいた。

その理由は、事後的には色々思いつく。例えば、小学校5,6年生の頃、クラス全体で蔓延したイジメの渦中にあって、全くその2年間の記憶が無いほどの喪失感を持ったから。あるいは、中学時代の塾や進学校といわれた高校時代を通じて競争社会にどっぷり浸かったから。and so on. しかし、そのどれを経験しても、そうならなかった可能性もある、と考えてみると、結局何だかんだ言っても、自分で「何かをすること=良いこと」という幻想を無自覚に選び取り、没入していった事だけは、事実であると事後的に思う。そして、その没入から、ちびりとではあるが、脱出し始めている。

脱出の一番のきっかけが、「三食教」の自覚。

昨日、大学生の頃しょっちゅう話し込んだ友人のTさんが、松本から千葉への移動の途中、甲府に寄ってくださった。実に12年ぶりの再会。スターバックス小作、と場所を変えながらお互いの一回りの年月を総括する中で、ダイエットの話をしているときに、ふとTさんから出てきたフレーズ。なるほど、三食食べなくちゃいけない、っていうのも、一つの宗教というか「三食教」なんだね、と。それを聞いて僕も一言、「三食というより、僕の中では三食でした」と。三食をきちんと食べる事に真剣になる、ということは、ある意味、そのリズムへの囚われ。一昨日もその話を県庁の人としていて、「三食ちゃんと食べないと身体に良くない、っていうじゃないですか?」と聞かれたが、その時ふと感じて言葉にしたのは、「ダイエットに関しては、教義は色々。三食ちゃんと、も教義の一つ。自分に合えば選べばいいし、合わなければ選ばなければいいのでは?」と。そう、そうやってようやく他人から「三食教」への改心を言われても、その教義から自由になりつつある。おかげで体重は、この2ヶ月間で80.8キロから74.4キロと6キロ減りました。

で、この「三食教」からの離脱期に、人から薦められて手に取ったある本に、この話題と重なる事が書かれていた。

「以前、人間達は二、三回、食事をしていましたし、それも手作りのローティー・パンと少し野菜料理があればそれを。いまでは二時間毎に食べ物がいりますし、食べることで人々は暇がないほどです。」(ガーンディー『真の独立への道』岩波文庫、p40

インドがイギリス文明に支配されている現状に警句を発したガーンディーの明言。これを読んでいて、強い既視感を覚える。そう、以前香港で読んでいた、ドン・ファンの教えにそっくりだからだ。

「いつも昼すぎ、夕方六時すぎ、朝八時すぎには食うことを気にしとる。腹がへってなくても、その時間になると食う心配をしとる。おまえの型にはまった精神を見せるには、サイレンのまねをするだけでよかった。おまえの精神は合図で働くように仕込まれとるからない。」(見田宗介『気流のなる音』ちくま学芸文庫、p116)

ガーンディーは、宗主国イギリスからの独立を求めて血気盛んな青年とのやりとりの中で、イギリス人を排斥するのではなく、拒否すべきはイギリス文明である、と説く。ドン・ファンは、アメリカ文明の型から自由になれない文化人類学者カスタネダに対して、その型から自由にならない限り、ドン・ファンが見えているものは見えない、と説く。

どちらも、人間そのものの否定ではなく、人間を強固な鋳型にはめる西欧文明への批判を強める。あなたが「正解だ」と思っている事は、唯一絶対の真理ですか、と。そうではない可能性があるのに、その可能性に盲目になり、自身が信じている体系に無自覚に囚われていませんか、と。「三食教」もしかり。その体系に無自覚な囚われ状態なのか、そうではない可能性をきちんと考えるのか? そう、日本だって、その昔は一日二食や一食だったのだ。昨日Tさんをお連れした小作で食べた「ほうとう」だって、粗食時代のエネルギー源だからこそ、カボチャに里芋にニンジンに、と炭水化物が一杯入った「馬力を出す食事」なのである。それを、車しか使わない今、ぺろりと食べたら、そりゃ、太る。

で、シンクロするときはシンクロするもので、同じくソファー読書に選んだ別の本でも、気づいたら同じ内容が書かれている。

「だから僕たちは考えなければ駄目なんだよ。君たちが皆で現実だと考えているもの、世間だって法律だって食うことだっていいよ。なぜそれが現実と考えられるに至ったのか、よく考えてごらんよ。原因を知らずに結果だけ動かすことと、原因ごと動かすのと、どっちが力だと思うかね。」(池田晶子著『無敵のソクラテス』新潮社、p34)

夭逝した哲学の巫女による、ソクラテス問答集の現代版。筆者の死後、このたびその問答集を集めた「完全版」が出たので、以前のハードカバーは持っていても、ついつい手に取る。いつもの論理のドライブの鮮やかさにはまっていくうちに、気が付けば、「三食教」を相対化する文言に出会う。そう、「三食食べるのがよい」という事にしろ、「なぜそれが現実と考えられるに至ったのか」について考えずに、無批判に受け入れていたのだ。そのくせ、ダイエットしたいとか体重が減らないだとか、は、「原因を知らずに結果だけ動かすこと」そのものなのだ。そして、「三食教」から自由になることは、単に体重が減少することだけでなく、その「三食教」を称揚する資本主義社会の様々な仕掛けの内情まで垣間見える、という意味で、「原因ごと動かす」営みであるのかもしれない。

しかも、上記に挙げた3冊が共通するのが、どれも「対話編」である、ということ。ある教義なり思考なり文明なりにどっぷりと浸かって固着している状態にある時に、別の考えを単に書いて伝える、という一方通行では、固着化された何か、は開かない。固着化された相手の今から対話を始め、一枚一枚、思いこみの薄皮をはがしながら、「なぜそれが現実と考えられるに至ったのか」の大元へと辿り着く。説得ではなく納得を産み出すプロセスには、このような産婆術的対話が必須である。そして、その対話に納得していくうちに、気づいたら己の立ち位置が根本的に変容する。

ダイエットが出来ない自分の意志の弱さを単に個人的問題として責める事は適切ではない。そうではなくて、人々が3食きっちり食べてくれる事で消費が廻り、経済が廻る、というこの資本主義経済至上主義の文明の中にあって、その文明を無自覚に賛同し、文明の維持を(無意識に)称揚させられている、という現実への自覚があるか、が問われている。これはサプリメントによるダイエットでもしかり。

ガーンディーの本は、ダイエットの薦めでは決してない。だが、現代文明がもたらした「三食教」から自由になるためのヒントとしてなら、ダイエットに通底する事は書かれている。

「私はたくさん食べます、消化不良になります、医者のところへ行くと、錠剤をくれます。私は治ります。またたくさん食べて、また錠剤をもらいます。こうなったのは薬のせいです。もし錠剤を使わないとしたら、消化不良の罰を受け、二度と過食しないようにしたでしょう。医者が間に入ってきて、過食を助けてくれたのでした。それで身体は楽になりましたが、心は弱くなってしまいました。このようにして最後には、心をまったく抑えられないような状態になってしまいました。」(ガーンディー、同上、p78)

このガーンディーの発言を、単に個々人の医者の批判と捉えてはならない。資本主義経済の中で、製薬会社や病院の利益との相関関係として現れた、医師の立ち位置への批判、つまりは資本主義文明の片棒を担ぐ存在としての医者役割の批判、と捉えるべきだ。そうみてみると、私たちは胃薬や医者を、「三食教」を補強し、「三食教」へと依存させる、亢進役として用いてきた。薬も医者も、使い方を誤れば毒になる。その典型例として、「三食教」があるのかもしれない。

冒頭に戻ると、「何かしなければならない」というのも、「三食教」と同じ、一つの思いこみ。その思いこみから自由になると、意外と身体も心も楽になる。そんな楽さを、少しずつ、身につけ始めているのかもしれない。