癖の認識

 

部屋を掃除していたら、8月末のゼミ合宿のメモ書きが出てきた。その時に、「いじめ」問題を取り上げたゼミ生の話題を議論して、即興で浮かんだ内容が、何だか自分の今にピッタリのような気がして、慌てて書いたメモである。そのメモを、今日の自分の雑感に重ね合わせながら、少し膨らませてみたいと思う。(って書いたら、だいぶ違っていたのだけれど)

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ある人にとっての「体験的認識」と、世間一般で認識されている「集合的認識」に違いがある場合がある。例えば、いじめられている側の「体験的認識」と、周りの人が眺めた際の「集合的認識」に大きなズレがある。あるいは、小さな子供が生々しく感じているファンタジー的世界と、多くの「大人」と呼ばれる人の見る世界にもズレがある。このファンタジー的世界は、自閉症の人の世界観や、幻覚妄想を持つ人の世界観、とも置き換え可能かも知れない。あるいは環境問題や貧困問題、途上国支援などを「自分事」と考える人の認識と、それらの問題を「他人事」と考える人にも、同様のズレがあるだろう。

その時、マジョリティという名の「集合的認識」の圧力は、「体験的認識」を凌駕するほど、時として強くなる。昨日深夜、偶然見ていたNHKのイチローの9年連続200本安打の記念番組の中で、彼はオリックス時代に、自身の振り子打法が駄目だ、と否定され続け、涙を流し続けてきた、と語っていた。結局、その振り子打法が彼にとって良い、という「体験的認識」を、プロ野球界の常識という「集合的認識」の前でも屈することなく、例え二軍に落とされても貫いたから、今の彼がある。しかし、そんな超人イチローでも、時として、「集合的認識」の圧力は、涙を流すほど、凌駕しそうになったそうである。

何が言いたいのか。つまり、「集合的認識」と「体験的認識」にズレがあった場合、そのズレが大きければ大きいほど、個々人がその「体験的認識」を持ち続けるには、かなりハードな状況である、ということだ。

これを逆に捉えてみると、「集合的認識」の囚われの中に安住している人々には、その「集合的認識」の偏差を自覚し、自らの偏りを補正するために、自らの世界の外に存在する「体験的認識」をも否定せず、そのものとして認識することが大切だ、ということである。だが、「集合的認識」と「体験的認識」にズレがあればあるほど、前者が後者を認めることは、同様にかなりハードな状況である。

このことを指して、阿部謹也も次のように述べている。

「『世間』とうまく折り合うことができな人は『世間』の本質を知り、歴史と直接向き合うことができる。そのような意味で歴史はまず『世間』とうまく折り合えない人が発見してゆくものである。」(『日本人の歴史意識』岩波新書、p203

この阿部氏の文章の「世間」を「集合的認識」と置き換えると、どうなるだろうか。

「『集合的認識』とうまく折り合うことができな人は『集合的認識』の本質を知り、歴史と直接向き合うことができる。そのような意味で歴史はまず『集合的認識』とうまく折り合えない人が発見してゆくものである。」

「集合的認識」とうまく折り合えない「体験的認識」を持つ人がイチローだった、とすると、先のイチローのコメントが、すっと頭の中に入ってくるような気がする。

では、僕自身の立場はどうなのか。今の僕は、あるカナダ人研究者に教えてもらった言葉を使えば、boudary walker(境界線を歩く人)なのではないか、と感じている。昔から気になっていた色々な問題は、よく考えれば「集合的認識」と「体験的認識」の境界線や際(きわ)にあったような気がする。中心と周縁でいえば、後者のマージナルな領域。中心が定められた円の内部と外部が触れる接点あたり、というべきか。その外部に排除された側の視点に立つ人から、多くの事を教えてもらい続けてきたような気がする。そして、その視点から、「世間」という名の「集合的認識」であり、日本の「中心」を眺め続けてきたような気がする。

あと、僕自身が「しゃあない」(=仕方ない)という言葉が一番嫌いなのも、このことに関わりがあるかもしれない。仕方ない、というのは、「集合的認識」にとっては周縁であり、切り落としてしまっても、中心には影響が与えられない部分だからこそ、容易に切り落とされる部分である。しかし、周縁から眺めてみれば、切り落とされた「体験的認識」の中にこそ、「世間」のメガネに曇らされていては見えない「歴史と直接向き合う」可能性がある、ともいえる。確かに、現実問題として、全てを「しゃあない」と言わない、で生きていくことは出来ないかもしれない。だが、少なくとも自分が「わかる」範囲で、「自分事」としてのリアリティが持てる範囲では、「しゃあない」と言わずに、その「体験的認識」に耳を傾け続ける事が大切ではないか。これは、当為ではなく、しみついてしまった僕自身の癖のようなものかもしれない。

夏の終わりに

 

遅めの夏休みも終わった。今日からみっちり仕事の再開である。

10日間の夏休みのうち、1週間はインドネシアのバリ島にいた。そのうちの殆どをスミニャックのビーチでボンヤリしていた。もちろん、クタやデンパサールにお買い物に出かけ、ジンバランのビーチで夕日を見ながら魚料理(イカンバカール)に舌鼓を打ったりしたことは、断片的記憶として残っている。だが、それ以外のことは、ぼんやりしている。

毎日予定らしきものはあまり入れず、文字通りボーッとしていたからだ。偶然宿泊先のホテルは、日本人が殆どいなかったことも幸いして、すっかり日本的なものから離れ、ということは必然的に仕事の事も忘れた。出かける前は、「パソコンでも持って行ってこれからのことを練ろうか」などと阿呆なことを考えていたが、あんな重い塊を持って行かなくてよかった。毎日、海を眺めて、本を読んで、うたた寝して、ちょっとだけ泳ぐ。そうしている内に、ノートにメモを取るなんて事も出来なくなり、ただただボンヤリの繰り返し。そういう徹底した「放電」状態が、逆にバッテリーチャージに大変重要だ、と、帰国して気づく。そう、帰国後、ここしばらくとらわれていた、あの嫌な切迫感から解放されていたのだ。

なるべく、日常的なものから離れるため、旅のお供本もすこし毛色の変わったものばかりを持参した。例えば、こんな感じ

「われわれは、今日の大衆人の心理図表にまず二つの特徴を指摘することができる。つまり、自分の生の欲望の、すなわち、自分自身の無制限な膨張と、自分の安楽な生存を可能にしてくれたすべてのものに対する徹底的な忘恩である。この二つの傾向はあの甘やかされた子供の真理に特徴的なものである。そして実際のところ、今日の大衆の心を見るに際し、この子供の心理を軸として眺めれば誤ることはないのである。」(オルデガ・イ・ガセット『大衆の反逆』ちくま学芸文庫、p80

80年前の警句にみちたこの本を、最初に手にしたのは15年前。大学生の頃、他大学の思想史の有名人教員のゼミに「もぐり」をした時の、指定書籍だった。ただ、忙しかったのと、その先生との相性が合わなかった事もあり、ゼミも出席は数回で、オルデガのこの本も結局読まずに「積ん読」となっていたのだ。今回初めて通読してみて、ジャーナリストでもあるオルデガの、その読みやすい文体と、内容の普遍性に驚きながら、頷いていた。なるほど、「甘やかされた子供」とは、言い得て妙なフレーズ。「無制限な膨張と徹底的な忘恩」に浸ると、確かに会社は潰れ、社会は駄目になる。世襲政治に代表される今の日本社会の多くの断片に当てはまるだけでなく、別に二代目三代目ではないけれど、先達からの叡智への忘恩がないか、と問われると、己自身にもグサッとくるフレーズ。あと、脈絡はないが、別の本のこんなフレーズも気になった。

「かつては作者の独創性、他に少しも依存しない独創性こそが創造の根源であり原動力であると考えられていた。それに対して引用の理論の目指しているのは、ほかのテキスト(プレ・テキスト)からの直接、間接の引用、既存の諸要素(先立つほかのテキストの諸部分)の組み替えのうちに、作品形成の仕組みと秘密を見出すことである。(略)たしかに<引用>の観点が導入されることによって、かつてのような素朴で牧歌的な<独創性>の観念は崩れ去るであろう。けれども実際には、引用においても既存の諸要素の自由な組み替えという点で、創造活動はまぎれもなく働いている。むしろ引用の理論は、創造活動が決して真空の中で無前提におこなわれるのではないこと、創造活動の実際の有り様は既存の諸要素を大きく媒介にしていることを、かえってよく示している。」(中村雄二郎「ブリコラージュ」中村雄二郎・山口昌男著『知の旅への誘い』岩波新書p32-33

この本も、1981年の著作なので、もう30年近く前になる。以前に書いたが、確か予備校生か大学1年頃の、「知」そのものへの憧れを持っていた頃に古本屋で買い求め(後ろに200円と書かれていた)、憧憬の眼差しで読んだ本である。十数年ぶりに読み直し、改めて二人の「智の巨人」の叡智に触れ、最近の自らのタコツボ的閉塞感を反省しながら読んでいた。また、オリジナリティにこだわりたくとも沸いてこない哀しさを感じていたのだが、改めて「既存の諸要素の自由な組み替え」こそが「創造活動」なのだ、と後押しを得た。これなら、僕にも出来るし、ささやかながらし続けてきた事でもある。結局、無から有を作る天才型、ではなく、目の前のものをウンウン唸って組み合わせて、何とか形を整える「ブリコラージュ」型なのだ、と改めて再認識する。

あとは、まだ読み終えていないのだけれど、600頁もあるThe wind-up bird chronicleの3分の1は読み進めた。2月のカリフォルニア出張の際に買い求めた、村上春樹の「ねじまき鳥クロニクル」3巻分の英訳合本、である。日本語版は2,3度読んでいたので、筋は頭に入っている。むしろ、場所と言語を変えて読むと、新たな発見も少なくない。特にこの本は、大学生の頃に読んだ一読目ではその世界にのめり込んでしまい、読み終わった後、しばらくその世界から出られなかった思い出がある。それだけ、引きずり込む力の強い本であるがゆえに、慣れない言語で突っかかりながら読むと、読み流せない、引っかかりが出来る部分がある。言語的な未熟さによる引っかかりが勿論大半なのだが、でも一部で、諸要素間の関係について再考を促す引っかかりも出てくる。村上作品を「味読」したい場合には、こういう読み方も「アリ」だ、と再認識させられる。

そんなこんなで、仕事の事は考えずに、プラグを抜いてボンヤリできた。で、今日からグーグルカレンダーをのぞき込むと、また、みっちり詰まっている日程に逆戻り。休みボケもまだあるのだが、今から夕方まで、二つの会合に出ずっぱり、である。さて、寝言はこれくらいにして、そろそろ起きなくては。

ぬるま湯的文章

 

夕方から涼しい風が吹いている。もう夏も終わりだ。

久しぶりに、土日が丸々休みである。午前中にジムに出かけ、お昼ご飯の後、読書半分・シエスタ半分してたら、もう夕方。あっという間に休みは過ぎていく。何も、やる気がおきない。

台湾での学会発表にエントリーしたら通ったので、その準備もしないといけない。フルペーパーの〆切が10月上旬だが、どう考えても来月中に作らないといけない。イギリスの学会で日本人にしか着目されなかった。次の発表は、多少はドメスティックではない(つまり日本のコンテキストを抜いた部分での普遍性を持つ)内容に高めないと、とこないだ決意したばかりである。決意倒れにならないために、色々準備をしているのだが、それをまとめる気力がまだ沸いてこない。「夏バテ」かなぁ、と思っていたら、友人から「単にバテているのでしょう」との返信。確かに昨日も東京日帰り出張で、8月は出張が多すぎた。そりゃ、バテるわねぇ。

ここしばらく、移動中には良い意味での大風呂敷の本を伴った。島根の道中では松岡正剛『誰も知らない世界と日本の間違い』(春秋社)。これは、以前読んだ本の続編である。近現代史をネタに、日本と世界、文化と政治と科学を網羅する、本人曰く「『モーラの神』のふるまい」としての「編集制作物」。編集学とまで高めた著者故に、時代を串刺しにする横糸の入れ方が、実に面白い。

で、松岡氏も確かに博覧強記なのだが、それを上回る達人、山口昌男氏の講義録『学問の春』(平凡社新書)は、福島に出かける途中の大宮駅の構内の書店で発見。鞄の中に他の本も入れていたのだが、結局それらの本はそっちのけで、行き帰りの車内でむさぼり読む。こちらのタペストリーは、ホイジンガの『ホモ・ルーデンス』というテキストを縦糸において、横糸にはテキストに書かれたインドネシアや古代中国の習俗に言及したかと思えば、インドネシアやアフリカの現地調査に赴いた筆者のエピソード、ホイジンガが属するライデン学派の系譜やレヴィ=ストロースに与えた影響、あるいは記号論の話など、氏の魅力と遍歴、それに人類学的思考の興奮のようなものを詰め込んだ、誠に山口色としか言えないタペストリー。こういう鮮やかさを出せる講義を、僕も出来るのだろうか、と少年のような憧れとため息を持ってしまった。

そして、三重からの帰りに読み直していたのが、毛色は変わるがロフランド夫妻(ジョンとリン)による名著、『社会状況の分析』(恒星社厚生閣)。社会調査やフィールドワークの方法論の本は結構眼にしてきた方だと思うが、この本ほど体系的でスッキリまとまっていて、かつ説得力がある本はない。福島に出かける前に東京であった研究会で、ちょうど「研究者の立ち位置」が論点になった。ちょうど博論を今書いている後輩から、調査対象地にどっぷり浸かる(つまり書きたい対象を自分で作った)研究者が、自身と、そしてそれを対象化して研究としてまとめることとの間にどのような関係性を構築すべきか、の問題が提起され、その日の議論になった。で、帰ってこの本をパラパラめくっていたら、その事に焦点化した章を発見。(オカシイ、読んだハズなのだが)。こんな風に書かれていた。

「『調査の原点』は、個人的かつ感情的なものとそのあとに続く知的で厳格な手続きとの間に、ある意味のあるつながりを提供する。個人的な感情という土台なしでは、残りのものすべてが儀礼的で虚ろな言葉となる。」(p15

そう、学会誌を眺めていて、「儀礼的で虚ろな言葉」が最近どれほど多いことか。ただ、己を見直すと、逆に「知的で厳格な手続き」が甘い。だから、もう一度初心に戻って、第7章「問いの立て方」、第8章「関心の喚起の仕方」を、帰りの車内でノートにメモを取りながら、読み直す。そう、恥ずかしながら己の研究はまだ「個人的かつ感情的なもの」が先行しすぎて、方法論的に弱いからこそ、文化特定的なコンテキストを越えた「関心の喚起」を伴わないのだ。

こう書いていると、ちびりちびりとやる気が復活していく。まさに、自己治癒的な、ないしは湯治的なぬるま湯ブログであった。

ファシリテーターの極意

 

今日は最終の「ふじかわ」号、甲府行き。鳥羽市からの帰りである。この8月は、冒頭の鳥羽大阪ツアーから始まり、翌週の島根、先週の福島、そして今週の再度の津・鳥羽ツアーと、毎週出張が続いていた。提出書類やらテストの採点やら原稿の〆切やらも抱えていると、結局、あっという間に過ぎ去ってしまう。最後まで残っていたタカハシさんにお約束していた原稿の目鼻も、ようやっと今回の出張の道中で着けられたので、ほっと一安心。

とはいえ、7月の段階で考えていた「夏休みのお勉強&論文書き計画」には全くたどり着けないうちに、8月も残すところ、あと数日。宿題が全く出来ていない小学生の気分を、今年も強く感じる。三つ子の魂なんとやら、ではないが、日程管理の甘さに仕事の遅さ、など、反省すべき所は山ほどある。しかし一方で、現場との関わりの場面だからこそ、の、貴重な学びもあるから、ツアーについつい出てしまう。今日の大きな学びは、ファシリテーターの極意。教えてくださった、というか、身をもって体現してくださったのは、いつもお世話になっている北野先生(敬意を込めて、いつもきたのさんと呼ばせて頂いている)。同じ現場で関わって、実に今日も多くの事を学ばせて頂いた。

今日のお仕事は、鳥羽市における自立支援協議会の立ち上げ支援現場であった。北野さんは鳥羽市の、タケバタは県のアドバイザーとして、協働で立ち上げ支援に関わらせて頂いている。その中で、地域の皆さんが集って行われた準備会の現場で、今日のお題は「ライフステージ毎の困難課題を整理してみよう」というテーマだった。縦軸に「介護」「教育」「就労」などの生活課題が、横軸に「乳幼児」「就学前」「小学校」などのライフステージの単位が書かれた模造紙を前に、「こども」と「生活」の二つのグループに分かれて議論をして、まとめていったのだが、その際の北野さんの引き出しが多いこと、多いこと。

「おかあちゃん達は、自分の子の代では達成出来なかったけど、次の世代の為に計画作りに頑張ってくれた」「社会資源マップは、それ単独で検討するとたいてい失敗する。事例を分析する中で、なんでうまくいったか、いかなかったか、の背景には、必ずその地域の社会資源の問題が浮き出てくる」「活動の場を障害の重度・軽度で分けることは、固定化につながるし、ノーマライゼーションの考え方から言ってもおかしい」「重度訪問はちっちゃな単位でも作ることが出来るので、こういった鳥羽でも実現は不可能ではない」「就学期の6歳、卒業後の18歳、親亡き後の40代以後、介護保険の65歳、といった時点で、問題が表面化・極大化することが多い」

書き始めたらキリがないが、すぐに思い出すだけでも、上記のような発言がぽんぽん飛び出してくる。しかも、改めて感じるのは、どれも理論と実践の双方から裏打ちのあるコメントが、目の前の議論や発言にピタッと当てはまる形で、当意即妙に出てくるからだ。数多くの審議会や検討会、学習会などで多くの当事者・家族と議論や検討を重ねて来た歴史から出てくる経験談は、まずもって説得力がある。しかも、例えばノーマルな生活環境(障害の種別や程度で固めない支援環境)といったノーマライゼーションの原理も勿論しっかり押さえておられる。さらには、結果的には北野さんのコメントによって、会が引き締まっていく、ということは、ちゃんと全体の構図の中で、ご自身の発言の位置づけも直感的に押さえながら進めておられる。こうして僕が分析的に書くと何だか陳腐になってしまうが、そばで見ていて、かつ僕自身もファシリテーターという同じ立場に立たせて頂いて、その達人技に、心底敬意を抱く。文字通り、とてもかなわない。そして、自らの経験・理論不足の青二才ぶりが、改めて露わになる。

そういう意味で言うと、僕は北野さんの近くで関わらせて頂いて(勝手に師事しはじめて)8年近くになるが、年々師の凄さが、身に浸みてわかるようになってきた。いつもハハハと笑って偉そうぶらないマッドサイエンティスト的(バック・トゥー・ザ・フューチャーに出てくる例の博士のような)風貌と、つまらない親父ギャグは、核心をつくホントは鋭利な刃、を隠す、よい鞘となっているのかもしれない。

鋭利な刃、で思い出すのは、お誘い頂いて数年来ご一緒させて頂いているアメリカ研究の現場でのエピソード。一回目の調査は、ちょうど僕がプータロー時代の最後(大学に就職する直前の春)で、ホテルのツイン部屋に同宿させて頂いた時のこと。ある程度の睡眠がないと持たない僕とは対照的に、いつも半徹夜状態で膨大な資料を読み込みながら、インタビュー相手の現実に対して、時間ギリギリまでご自身なりの仮説を構築・整理している姿だった。「これはこうなるはずだから、あれ、この部分はどうしてこうなっていないのか」 数多くの資料をつきあわせながら、論理の矛盾を探し、聞くべきポイントを深く絞り込んでいく姿には、普段のおもろいおっちゃんの面影は微塵もなく、厳しい研究者の背中そのものであった。この部分があるからこそ、現場でインタビューしていても、訪問先の人の顔色が変わる。「このガイジンは、ちゃんとこちらの実情をわかった上でクリティカルな質問をしている。旅行気分の他の日本人訪問者とはどうやら違うようだ」 そういう厳しさが同居するから、深度と確度の深い情報がもたらされる、という事も、インタビューに同行させて頂いたからこそ、わかる現実だ。

ファシリテーターの極意の事を書いている内に、研究の極意のエピソードまで、教えて頂いていたことを、ようやく思い出した。こりゃ、明日からちゃんと勉強しなければ。 

トップダウンとボトムアップ

 

昨年も、今年も、石和の花火大会の「直後」に現地を通過する。昨年は怒り心頭の渋滞に巻き込まれたが、今年は「かいじ」の人。今回は福島からの帰り、である。

全国の保健・医療分野で働く公務員の労働組合の大会に呼ばれ、福島の飯坂温泉でお話させて頂く。公務員の大切な仕事は、事業実施過程だけではなく、政策形成過程もある。事業実施後の評価がきちんと出来、問題が発見出来れば、それは新たな政策形成に繋がる。でも、現場ではなかなか政策形成過程は「後回し」になり、ついつい目の前の事業の計画と実施で過ぎてしまう。それでは、機関委任事務的な仕事であり、本来の地方自治体の持つポテンシャルを使い切っていないですよね、という話をしていく。これは、どの分野でも言われているが、事に障害者福祉の分野でも、如実に表れている。

例えば、障害者福祉計画、というものがある。これは自立支援法で策定が義務づけられているものであり、私の研究室には山梨県内全ての自治体の同計画がある。これを見ていて、本当に愕然とするのが、県内の殆どの自治体がコンサルに作成を丸投げしていた、という実態である。見れば分かる。標記や解説の仕方、住民アンケートのフォーマットやその分析方法が「ほぼ一緒」なのである。違うのは、表紙と、データの母数(そりゃ、市町村が違うのだから、そうでないとマズイ)、あとは施策推進協議会のメンバー名や、若干の施策内容の違いのみ。コンサル側も、いくつかの福祉計画をパッケージで依頼されたら、力量を入れて作り込むことなんて出来ない。そんな背景もあり、金太郎飴のような福祉計画が並んでいるのである。

そこで、今、山梨でも三重でも力を入れているのが、福祉計画や自治体の施策を「金太郎飴」にしない為の、その地域の実情に合った内容を作り込むための、自治体職員や相談支援従事者に向けての研修である。こんな風に書くとモノモノしいが、実際はそんなことはない。個別支援の現場で出てくる課題、それは「実施された事業に関する当事者側からの事業評価」そのものなのだ。そういう事業評価(やその素材)を無視・蓋をして、なかった事にするのか。あるいは、それを元に自治体の障害者計画や施策の改善に繋げるのか。この場面で、地域自立支援協議会などをどう活用出来るか、が問われているのである。

もちろん、自立支援協議会が薔薇色ではなく、色々難点がある、ということは、みたさんの指摘などを見てもよくわかる。それは、私自身も感じている。だが、別項でとみたさんも書いているが、文句や批判を言っていてもしょうがないから、目の前の法律の中で、最大限に活用出来る部分は活用してやっていくしかないのである。

山梨でも去る8月10日、初めて県と地域自立支援協議会の「合同協議会」を開催した。どこも「他の地域では何をやっているのか?」「県はどうしているのか?」を聞かれるので、では県内で情報交換をしましょう、という主旨で開催した。全ての協議会の報告と、その後分野ごとに別れての意見交換会、という形式だったが、参加者からは概ね好評だった。こういう地域での取り組みは、どこでも試行錯誤の中でやり方を模索しており、よその地域の実践から学ぶ、という場面の提供が求められていたのだ。開催後のアンケートには、年に二回程度の開催を求める声が多く、またもっと部会ごとの突っ込んだ議論を求める声も少なくなかった。つまり、適切な場や方法論を提供したら、ちゃんと地域課題について議論し、改善するための方策を考えたい、と思う現場は少なくないのだ。こういう場作りを、自立支援協議会という枠組みを活用しながら、どれだけ作り込んでいけるか、が問われている。

とはいえ、障害者自立支援法にも限界があるのも、また事実。こないだご紹介させて頂いた、私も編者の一員となって作った『障害者総合福祉サービス法の展望』(ミネルヴァ書房)も、その限界を超えるための提言を含んだ書籍になっている。ちょうどこの本に関連して、自らも障害者家族の立場から、千葉県の差別禁止条例作りにもコミットしてこらられた毎日新聞の野沢さんが、こないだの社説で次のように書いておられた。

「ただ、民主党内の優先順位はどうだろう。看板政策の子ども手当、農家への戸別所得補償などに大きな財源を充てる一方、障がい者総合福祉法には400億円とされているが、それで足りるのか、地方分権・補助金削減方針とは整合するのか。政府批判の声を得て「自立支援法廃止」の旗を立てたものの、中途半端に終われば、せっかく地域や会社で存在感を発揮し始めた障害者が再び施設に囲い込まれることになりかねない。」
衆院選 障害者施策 民主は本気なのか  毎日新聞 2009年8月20

政権与党がどこになるのか、ということではなく、本当に障害者のためになる法律や制度が作られるか、が争点になって欲しい。後一週間の選挙戦で『お祭りは終わり』ではない。むしろその後、どのような政策が展開されていくのか。「また制度が変わる」と現場では否定的なため息も聞こえるが、それを希望の光にどう変えられるのか。法律そのもの、も大切だが、運用面でのパワーアップが求められる。それは、自治体の担当者増・専門職配置とか、相談支援現場の力量アップといったソフト面、自立支援協議会と障害者計画の関連づけやその財源的保障といった政策面、など色々論点はある。分かっていることは、銭の話は露骨だけれど、野沢さんの言うように「400億円」では足りないのである。

以前のこのブログでご紹介した慶応大学の権丈先生は「足りないのはアイデアではなく財源である」と仰っておられたが、アイデアも財源も不足している障害者福祉領域で、何をどう変えるべきか、は国政レベルでも問われている。一方、僕に出来ることは、山梨や三重で、コツコツとボトムアップ型の研修なり仕組み作りなりし続けること。このささやかな努力と、トップダウン的変更が、いつしかくっつけばいいのだけれど

お盆と米寿

 

お盆は島根の山間の温泉地にいた。祖母の米寿のお祝いをするためだ。温泉宿で泊まった翌日、祖母を自宅まで送り届けた後、達成感で疲れがどっと押し寄せていた。

発端は一年前に遡る。毎年夏に実家に帰っている母から、祖母の体調がかなり悪く、精神面でも落ち込んでいる、という話を聞いた。なんでも躓いて骨折し、入院した後に調子を崩し、自宅に帰る頃には、すっかり歩けなくなっていた、という。気になって昨年10月の岡山での学会発表の「ついで」に島根まで足を伸ばす。それまで農作業や家の事を一人でやっていた祖母は、「できない」自分が本当に情けなく、哀しい様子で、私の顔を見るなり泣き出す状態。「ほんに、なんもできんくなってしもうて」と言う姿に、遠くにいる自分には何が出来るのだろう、とずっと頭の片隅で探索が続く。そして、同居しているおばさんから一言。「来年、ばあさんは米寿。米寿の会って、孫がするもんらしいで」。これや、と閃いた一筋の光。「ばあちゃん、来年の夏には米寿の会をするから、それまでに元気になってね」。そして、米寿プロジェクトが始まった。

祖母には、母を含めて4人の子供に10人の孫がいる。僕自身は、二人目の娘の長男である。そこで、この2月には、西宮での調査の「ついで」に島根まで出かけ、「4家長男孫会議」。地元に住むスグル君、広島に住むオサム君、ヒサシ君と、遠く離れた僕が集まって、会場や大まかなスケジュールを決める。なんせ、開催日がお盆の8月14日なので、宴会場は一番かき入れ時。30人ほどの会場なので、さっさと予約しないと取れない。色々候補を考えたが、祖母の実家までバスで迎えに来てくれる、浜田市の温泉宿に会場を決定して、以後、会の準備を進めた。

で、先週末が本番。ロジスティック関係を全て優秀なる官僚のヒサシ君が手配してくれていたので、僕の役割は、餅は餅屋!?の総合司会。子供や孫からのメッセージなどで、あっという間に宴会の時間は過ぎていく。食事が済んだ頃から、アトラクション。M先生が自前で持っていたプロジェクタをお借りし、今回は新幹線で出かけたので島根まで送ったのだが、これがスクリーンともに大活躍。ヒサシ君は祖母の家でアルバムを借り、祖母や祖父の若かりし時代から、子供、孫との写真まで、見事にスライドショーにしてくれたのだ。祖母はスクリーン前の「特別席」に陣取り、大喜び。こうして、あっという間に米寿の会は無事終わったのだった。

会の終了後、温泉宿に、母を含めた三姉妹と祖母、そして私たち夫婦の二組が残って、その日は投宿。久しぶりにばあちゃんとも話せて良かった。やはり、一家の長老として、おばあちゃんとして、嬉しさと自信を持った笑顔に出会えたのが、何よりの喜び。どんなに障害が重くても、高齢になっても、病気になっても、役割と尊厳が人間には大切。使い古されたこのフレーズを、まさに我が事として実感した時間でもあった。

そして、もう一つの忘れられない思い出が、翌朝の出来事。その温泉宿はバリアフリーではなく、二階の部屋から一階までばあちゃんとおぶっておりることに。最初は祖母が怖がっていたが、いったん僕の背中に収まると、安心したようだ。「まさかひろっちゃんにおぶってもらうとはのう」と言いながら、喜んでいる感触が、背中を通じて伝わってくる。後で妻に聞いたら、祖母は満面の笑みだったとのこと。昨日のスライドショーの最後に、偶然にも祖母に背負われた二,三歳の泣き面のひろしくんの写真があった。三〇年後、今度は逆に背負う機会をもらった。何とも、感慨も一塩、である。

別れる際、「次は九〇歳のお祝いね」と伝えると、またもや満面の笑みの祖母。こういう集いは、実に大切にしたい、と思いを新たにして、お盆の人いきれに戻っていったのであった。

本の数珠繋ぎ

 

昨日まで怒濤の日々で、身体がへたっていた。お盆も飲む予定があるので、ここらで一つ休肝日。中野翠の『会いたかった人、曲者天国』(文春文庫)を読みながら、久しぶりに風呂読書をする。クーラーに飲み過ぎににオーバーワークに、と、へとへとになっていたのだが、ゆっくり風呂に浸かる余裕もここしばらくなかった。汗をたらたら、エッセイの名手の誘いで、明治から昭和期の「いぶし銀」的な人物評伝を何十人分も読み進める。仕事に関係のない本ほど、頭の中がさっぱりすることはない。1時間半ほど浸かって、酒を抜き、早く寝ると、何とか今日は体力を持ち直した。

この中野翠の本、だけでなく、夏休み用にと今まで食指を動かさなかった著者の本を、アマゾンの古本屋やあるいは丸善などで10冊ほど、購入。全ては米原万里『打ちのめされるようなすごい本』(文春文庫)を読んでしまったばっかり、である。月並みな言い方を敢えてすれば、この本にこそ、「打ちのめされ」た。

佐藤優の本を色々読んでいて、米原万里への尊敬を込めた書きぶりが気になっていた。そういえば、昔ブロードキャスターに出ていた陽気なおばさん。そんな断片的知識で、まずは『言葉を育てる米原万里対談集』(ちくま文庫)を読んで、人となり、そしてかなりの読書家であることなど、何となく知っていた。しかし、これほど「読ませる」書評家だとは、全然知らなかった。例えば、ぱらりと開いただけでも、

「発見の驚きと喜びに満ちた本だ。読了後、付箋を付けた頁の方がつけない頁を上回っていることに気づいた。その付箋が、私の眼から剥がれた鱗にも見えてくる。」(p321)
「『通訳になるにはどのくらいの語学力が必要なのでしょうか』と尋ねられるたびに、私は自信満々に答えている。小説を楽しめるぐらいの語学力ですね、と。そして、さらに付け加える。外国語だけでなく、日本語でも、と。」(p465)
「旅に似て、魅力ある本はこちらの心をまたたくまに日常のしがらみから解き放ち異なる時空へ運んでくれる。だから旅に持って行く本にはくれぐれも注意を要する。せっかく高い旅費を投じ時間を捻出して肉体の方は秘境を訪れているというのに、心の方は飛行機の中で読み始めた長編推理小説の部隊である大都会の片隅を彷徨っているなんていうお馬鹿な経験が私にもある。」(p438)

短文で、簡潔。かつ、ぐいぐい読者を引き込むスピード感と、落語のような味わいのあるオチ。話芸でも、文章でも、ここまで書けるひとはそう多くない。そんな「目利き」が選んでくれた書評集なのだから、自分の目が見開かれる本、読んでみたい本がわんさか詰まっている。そして、彼女が面白い、という本は、ほんとに面白かったりする。読書音痴にとって、こんな有り難いことはない。

小さい頃は福音館書店の絵本(こどものとも、かがくのとも)を毎月買ってもらうのが楽しみだったのだが、小学校以後、ルパンシリーズや「ズッコケ三人組」以外の「名作」は読まずに、特に小学校高学年以後、トラック雑誌!電車雑誌写真雑誌、とオタク系趣味雑誌ばかり読んでいた。途中で星新一のショートショートなり、北杜夫のエッセイなど読んでいたが、生活の一コマにオタク系雑誌以外の本を読み出したのは、高校生とか予備校生から、だったろうか。相当の遅咲きであり、特に大学時代は、岩波文庫や講談社学術文庫なんぞをめくっている友人や、名前は知っていてもまだ読んだこともなかった村上春樹の世界に18歳で入り込んでいた友人などに圧倒され、自分の無知や空虚さを少しでも埋め合わせようと、焦り始めた。

そんな青年タケバタは、「こいつは面白い」と感じた友人・知人・先生に出会うと、片っ端から「何かお勧めの本はありませんか?」と聞いていった。村上春樹の全集二箱を買ってしまったのも、丸山真男や大塚久雄を囓ったのも、パール・バックの「大地」の続編を探しに雪道をチャリで本屋巡りしたのも、皆、「読書案内」してくれる先達のお陰、である。

そんな読書後発組にとって、米原さんのような乱読家は憧れの的。予備校生時代に図書館で借りて読みあさった森毅先生のエッセイと同型の縦横無尽さと、独特の「おばさん感覚」的な親しみやすさ、それにプラスして専門のロシア関連の書籍を紹介する際の深い洞察力、それに上記でさわりを紹介した、キレとコクのある文体。こういう書き手には、本当に憧れる。

こう書いていて思い出したのだが、高校時代に、家の近所に吉祥院図書館ができた事が大きかった。何せ、誰も借りていない新刊の本がどかんと置かれた図書館。そこから、本格的な読書が始まったのかも知れない。当時はエッセイがとにかく好きで、上述の森毅先生や北杜夫、遠藤周作、椎名誠のエッセイを読みながら、エッセイストに憧れた。河合隼雄の『こころの処方箋』(新潮社)やユングの『個性化とマンダラ』(みすず書房)に出会ったのも、上野千鶴子と中村雄二郎の往復書簡『人間を超えて』(青土社)や森岡正博編著『「ささえあい」の人間学』(法蔵館)、山口昌男の『人類学的思考」(筑摩叢書)に出会ったのもこの図書館だった。具体的な学問の中身、よりも、学そのものに憧れていた10代後半だったから、山口昌男の博覧強記ぶりには、文字通りぶったまげた記憶もある。そう思うと、大変なる学恩をこの図書館には感じる。

こんな本話、を書いていると、つかの間のお盆休みのお供に何を選ぼうか、楽しみになってきた。久しぶりに数日間、仕事以外の本に耽りゆこう。

ツアーを終えて

 

今日はスーパーあずさのひと、である。しかも、久しぶりに塩尻からの最終便、である。この週末もツアーに出かけていた。なかなかハードなツアーであった。

昨年度から関わっている三重県の相談支援体制整備・強化のお手伝いの仕事の一環で、今年は鳥羽市の自立支援協議会立ち上げのお手伝いにも関わらせて頂いている。関東の人は鳥羽と言ってもピンと来ない人もいるようで、木曜の飲み会でも???という表情の方もおられたが、関西人にとって伊勢・鳥羽・志摩といえば、南紀白浜と共に、海水浴にバカンスに、と憧れの地。まさか観光地に仕事で関わるとは思ってもいなかった。そして、関わってみると、いろいろな問題がわかってくる。数多い離島への支援問題、既存の社会資源の少なさ、支援体制の脆弱さ。だが、これらの難点を跳ね返そうとする勢いが、金曜の自立支援協議会準備会の議論でも散見された。そういう息吹を、システムに、制度化にどうつなげていけるのか、ここしばらく月刊鳥羽、となりそうだが、実に楽しみだ。ちなみに、打ち上げ時に頂く刺身も勿論格別である。

さて、オモロイ現場で関わらせて頂くのはありがたいが、大変なのが移動。その日は鳥羽市のアドバイザーを務めている、恩師のK先生とご一緒するので現地で打ち合わせが必要だったのだが、集合時間が正午。で、山梨から朝一番の「かいじ」「ふじかわ」に乗っても、その時間にたどり着けない。そこで、木曜の飲み会は中座して、最終の「スーパーあずさ」で八王子新横浜まで出かけ、前泊! 津や大阪なら5時間の移動で、鳥羽ならさらにプラス1時間の6時間。津なら朝一番でも間に合うのだが、たかが1時間、されど1時間、を実感した。

そして、土曜日は藤井寺まで帰るK先生と大和八木まで近鉄特急でご一緒し、僕はそのまま京都まで。月曜午後に梅田でワークショップの打ち合わせが元々予定に入っていたので、週末は久しぶりに実家に滞在する。そして、3月以来関西にご縁がなかったので、あれやこれやを土、日、月の午前とぶち込んでいく。土曜のお昼は京都駅で研究者の友人Sくんと議論をした後、梅田に場所を変えて、「大阪のお母さま」と再開。9月の仕事の打ち合わせもそこそこに、現場の課題についてあれやこれやと議論をしている内にあっという間に3時間。その後は友人Eくんの新居+愛娘へのご挨拶に逆瀬川(宝塚)まで北上する予定でいたので、汗をかきかき、阪急梅田駅から電車に飛び乗る。

日曜午前は友人Nくんと某所訪問の後、京都駅の近鉄名店街の「鳥八」で昼酒をあおる。日曜は朝から照りつける日差しにやられていたので、ビールが死ぬほどうまい。で、その後、梅田で別件の打ち合わせをした後、いつものコスパで久しぶりに店長と団らんしながらワインを15本!(自宅に送る12本+実家に持って帰る3本)を頼み、その後は甲子園口で散髪。ここしばらく関西に来れなかったので、山梨で仕方なく髪切り屋に6月、入ったのだが、これが大失敗。某理容日本一を名乗る店なのだが、まあ流れ作業で雑に刈るし、美容室と違って顔剃りしてくれるのはよいが、クリームをケチった為、あごは血だらけ。中に入って床屋の台座に座った瞬間、その失敗が予感されたのだが、もう手遅れ。つくづく馴染みのヤマツタさんにこれほど感謝したことはなかった。その後悔の念も、きちんと日曜日に告白し、安心して切ってもらう。たかが散髪、されど散髪、である。

で、今日午前中は大阪府内の障害者支援施設を訪問。そこでの職員研修についてお手伝いして欲しいと言われ、現状についてお話を伺う。何だか最近、あちこちで研修の仕事をさせて頂いていて、自分の研究課題にもこの職員エンパワメントが1項目として加わっているのだが、これも「成り行き」といえば成り行きだし、自然の結論とも言える。以前から、福祉施設において、当事者への支援に本気になっている人が、一方で同じ施設の同僚支援者への目線が必要以上に厳しいことが気になっていた。支援を職人芸に高めている支援者ほど、一方で職人同士の評価が厳しいだけでなく、「技術は盗んで覚えよ」といった徒弟制度的手法で居るような気がしてならなかった。当事者だけでなく、支援者もエンパワメントされないと良い支援は出来ないはずなのだが、その部分が個人の資質の問題に矮小化されているような気がしていたのだ。障害の社会モデルの観点に立てば、支援者の支援内容や力量だって、支援施設の組織論や研修体系によって社会的に構築される(放置される)側面も少なくないと言うのに

そんな思いを、支援現場で15年以上突っ走って来られたAさんと共有出来たのは、僕にとっても大きな収穫だった。そして、「どうせならワクワクする研修をしたい」という思いも。最近このブログでも書いているが、人は「説得ではなく納得」でしか動かない。その際、ダメだダメだと非難や批判をされて、それで納得するのは、よほどお利口さんかマゾ的な嗜好性のある人でないと、続かない。だからといって、安直な「ほめて育てる」と同化するつもりもないが、でも、批判や非難だけでなく、建設的でポジティブな提案に基づく何かがあった方が、多くの人の納得を導きやすい。そう思っていたので、「おもろい研修をしよう」という提案がすっと相手に伝わり、僕もワクワクしてきた。そう、夢と希望がないと、ね。

で、るんるん気分で梅田に場所を移し、午後1時からの別件の打ち合わせから逆算すると、15分しか余裕はなかったのだが、紀伊国屋書店の梅田店に一応寄ってみる。最近あまりご縁がなかったのだが、るんるん気分が同調してか、15分で6冊ほどの本をゲット。気分が良いとこんな事もあるのである。さっさと大学宛に郵送手続きも済ませ、4時まで侃々諤々の議論をした後、新大阪まで急いで戻り、パートナーがご所望の551のシュウマイと餃子もゲット出来て、名古屋までの「のぞみ」では熟睡。次の「しなの」で〆切間近の原稿と格闘して、振り子電車特有の揺れに気持ち悪くなりながら、何とか原案を仕上げて、スーパーあずさの人になった。しかも、これは木曜の夜に乗った同じ列車なのである。

まる4日、よう頑張った。でも、明日も朝からみっちり仕事。今宵、僕より先についているはずのコスパのワインで旅の疲れを取って、早く寝ることにしよう。

単なる宣伝を超えて!?

 

昨日今日とオープンキャンパス。未来の学生さん達に出逢える大切な機会である。

昨日一緒のブースで対応した同僚と、「自分たちの時代にはオープンキャンパスなんて無かったよね」と話す。赤本や合格体験記、大学の入試案内パンフレットといったごく限られた情報で、4年間という大切な期間の所属先を決めるのだから、よく考えたらバクチ的要素があった。まあ、僕自身は、たまたま合格体験記に書かれていた「変人科」という名前に引かれて、人間科学部の門を叩く、という、相当リスキーな選択肢をしたのだが、結果的に今、大学の教員になれているのも、その選択肢が間違っていなかった、のだろう(多分)。

今の受験生は、大学に来て、教員や在校生と話したりするなかで、その雰囲気を感じることが出来る。どこの大学だって、学生囲い込みの側面がこのオープンキャンパスにあることは否定出来ないが、でも、その現場に行き、そこにいる人々のお顔をみて、雰囲気を感じると、宣伝している内容以外の、言外の何か、が感じ取れるはずだ。今日来て下さる方々も、そこでこの大学に対するよい雰囲気を感じ取ってくれたらよいのだが

さて、バタバタしているうちに、告知をし忘れた、大切な情報を二つ、ご紹介しておきます。

一つ目が、山梨県障害者自立支援協議会の平成20年度報告書がようやくネットでアップされました。
http://www.pref.yamanashi.jp/shogai-fks/jiritsushien-kyougikai.html

昨年2月からスタートさせ、市町村に権限が委譲された時代にあって、県単位で出来る「広域的・専門的支援」とは何か? 当事者主体や権利擁護支援を本当に官民協働で議論出来るのか? 形式的会議で終わらせないために、どうすればいいのか? そういった課題や宿題が山積し、昨年1年間、やりながら、悩みながら続けてきた同協議会の報告書。通常の審議会や協議会より、泥臭い記述が多いかも知れないけれど、その分、現場のリアリティに基づく何か、が記載されているのではないか、とちょっぴり自負している。

もちろんこれは通過点であり、来月8月10日に開かれる、県内全ての地域自立支援協議会と山梨県障害者自立支援協議会の「合同協議会」で、この内容も報告し、併せて地域の側からも提言を受け、一つでも二つでも、実際の課題に取り組んで、成果を上げていくための土台が出来ただけである。でも、プロセスとしての中間報告を出しておくことの大切さを、玉木さんが座長を務める西宮市から多く学んだ。市町村ほどダイレクトに課題に接していない分、少しパンチは弱いかも知れないけれど、ご笑覧くださいませ。ちなみに、泥臭さで言えば遙かに泥臭い内容として、私と今井志朗さんという二人の特別アドバイザーの二年間の活動報告も、ついております。こちらは、二年間の学びをまとめた、「宿題」提出のような気分で書きました。

で、書き物について、大切なもう一つの御報告が。次の本が出来ました。

「障害者総合福祉サービス法の展望」
茨木尚子・大熊由紀子・尾上浩二・北野誠一・竹端寛 編著
出版社名:(株)ミネルヴァ書房、発行年月日:20097
ISBN
コード:978-4-623-05519-7
ページ/サイズ:
368p/A5
販売価格:3,150円(税込)

自画自賛ではありますが、良い本になっております。リンク先のDPIHPに目次も記載されていますが、90年代以後の20年間の障害者福祉政策の激変を振り返り、自立支援法以後、すっかり忘れ去られてしまった観のある地域生活支援のうねりや、社会福祉基礎構造改革、支援費に到る経緯やその背景分析などが、ちゃんとなされています。また、介護保険との関係についても、相当突っ込んだ議論をした上で、第三部で自立支援法を批判するだけでなく、では何が必要なのか、の対案を示すべく、努力してきました。ここ数年、DPIの研究会でずっと議論してきた内容をまとめた成果でもあります。僕は個人的に、障害者福祉の分野での、今や古典的名著とも言える「自立生活の思想と展望」(定藤・岡本・北野編、ミネルヴァ書房)の続編とも感じているのですが

3000円を超える、とは高い本になってしまいましたが、その価値は十分にある、はず。なので、良かったら、お手にとってくださいませ

と、うだうだ書いているうちに、今日の大切な宣伝ミッションである、オープンキャンパスの打合せの時間であった。では、この辺で。

二重の誤解

 

久しぶりに、何も予定のない三連休。こういう時でなければ、出来ないことがある。

例えば、観葉植物の植え替え。あれは確か7年ほど前のこと、大阪のお母さまと勝手に思慕させて頂いているMさんから、観葉植物の株を分けて頂いた。その名は、確かドラゴン・ツリー。日光さえきちんと与えていなければ、あまり水やりをしなくても、すくすく育つよ、といって、Mさんのご自宅で見せて頂いたのは、天井に届きそうなほど、大きな鉢植えに育った立派な「樹木」。その一部を株分けして頂いたのだ。

以来、西宮時代に一度、近所の花屋で植え替えを手伝ってもらい、山梨に来て二年目くらいに、大学の近所の花屋で一回り大きな鉢植えに植え替えて、幹はひょろひょろではあるが、育ってきた。窓際の隅、と言っても、あまり日もあたらず、家主(=つまり私)は気が向いた時しか水もやらず、夏は締め切っていたら30度以上はある暑いマンション最上階で暮らしているのに、何とか枯れずに育ってきたのである。バジルを枯らし、クワズイモも根腐れ、サボテンまで枯らしたこともある我が家では、例外中の例外と言うべき快挙。食卓では切り花を切らさぬようにしているが、それ以外では我が家の唯一の生存する緑、である。

この貴重な観葉植物は、どうも最近よりひょろひょろ伸びていき、以前買った接ぎ木も越してしまった。そこで、ようやくこの連休のタイミングを利用して、以前酒折にあった花屋の本店に電話して持ち込む。今は昭和町に移動したので車で30分ほど。たった30分、なのだが、この面倒くささを乗り越えるには、たっぷりとした時間的余裕が必要なのだ。

で、専門家の前に持ち込んでみて、二重の意味で誤解していることがわかった。

誤解その1:植え替える必要はないこと。
ひょろひょろ長く伸びる様子を一目見て、オーナーとおぼしき女性が一言、「日照不足ですね」。日の光が少ないから、光合成をする断面を増やそうと、ひょろひょろ伸びているのだ。だから、茎も痩せている。故に、植え替えも必要ない。下手に大きな鉢に入れると、水がなかなか下まで落ちず、逆に根腐れの原因になる、とのこと。今は茎も根も大きく育てるのが大切なようだ。よって、ひょろひょろ伸び、の対策も、変わってくる。一本の添え木を外し、4本の竹を鉢の四隅に差し込んで、もう一方の端っこを真ん中でまとめてツリー上にしたものに螺旋階段的に巻き付けるべし、とのこと。こうして、幹が太くなるのを待った方がよいそうだ。なるほど。

誤解その2:名前の間違い。
ドラゴンツリーと信じ込んできたのだが、花屋に行く前にネットで調べてみると、そんな名前は出てこない。なんだろう、と思ってお姉さんに聞いてみると、「姫モンステラ」と書いて鉢に刺してくれた。7年間も、名前を間違っていたのですね。たいそうスンマセン。

というわけで、指導料も払えないので565円の液体肥料だけを買い求め、帰りにホームセンターで竹を買い、今日は我が家で補強作業と水やりをしてみたら、少しずつお元気になってこられた。もう少し光も当てて、我が家の「姫」が育つ支援が必要なようだ。