誰のための、何のための地域福祉?

最近、地域福祉の専門家、とラベルを貼られることもあるし、確かに地域包括ケアシステムに関する編著や文章も書いているので、少し気になることを書いておく。
僕が結果的にラッキーだったこと。それは、地域福祉に関わる前から、精神病院や入所施設の構造的問題と向き合い、「脱施設化」というテーマと向き合っていたこと。「地域で暮らしてはいけない」、と、社会的に排除されている人をどう再び地域に包摂するか。その方法論として、地域福祉と出会ったこと。この順番が、決定的に大切だと、今ならわかる。
「迷惑をかけるから、地域から出て行ってくれ」「親が面倒を見れないなら、精神病院や入所施設しか行き場がない」と第三者に決めつけられ、地域生活から排除され、日本も批准した障害者権利条約19条が差別だと指摘する「特定の生活様式を義務づけられている」状態に長い間おかれている人。それが、社会的入院・入所の根本的問題である。今年の夏に起こった相模原での連続殺傷事件でも、そもそも入所施設に障害者を分ける思想そのものが、排除の論理であり、そこから差別が起こった、と僕自身は考えている。(この点は以前、ブログにも書いた)。
つまりは地域社会から排除されてきた人が、どう地域の中で自分らしく生きることが出来るか、をずっと考えてきた。歴史的に辿れば脱施設化とはコミュニティケアへの転換であり、地域の中で障害が重くても、認知症でも、ターミナルの時期でも、暮らし続けられるし、それを支え続ける、というのが施設や精神病院、家族介護者に依存しない地域支援のあり方として模索されてきた。だからこそ、地域福祉で出てくる「困難事例」って、「本人の困難」、ではなく、「その地域や支援者にとっての困難」であり、変わるべきは本人ではなくて地域だ、と思い続けてきた。
でも最近、地域福祉領域で現場と関わったり研修をする中で、どうやら上記の前提が共有されていない、ということに気づき始めた。地域福祉に関わる専門家といわれる人の中にも、「認知症でBPSDが出てきたら、精神病院に入れるしかない」「特別支援学校の卒業後は、みんなと一緒に暮らす入所施設の方がよいのではないか」という発言をする人と、いまだに出会う。僕としては、脱施設化が世界の潮流なのに、どうして「何をいまさら!」なのだが、いまだに!そういう発言に出会うのである。
「○○ならば、施設・病院しかない」という論理の、何が問題なのか。それは、「地域に迷惑をかけない人は地域福祉が支えるけど、地域に迷惑をかける人は入所施設や精神病院へ」、という選別のロジックに、他ならぬ地域福祉に関わりがある人でも染まっていることである。脱施設化、という前提がないと、こういう選別の論理が跋扈する。だが、これは地域福祉にとっては、本末転倒である。
なんのための地域作りであり、誰のための地域福祉か。それは、介護給付費の削減のためでも、ボランティアという「安上がり労働力」の確保のためでもない。どんなに重い障害を持っても、BPSDや強度行動障害、幻聴や妄想などの形で生きる苦悩が最大化していても、地域から排除されない。誰もが地域住民として尊重される。そんな地域を創り上げるために、専門職や行政、地域住民がどのように学び合い、関われるか。地域作りとか地域福祉と言われるものは、この学び合いや関わり合いの中から生まれる相互作用を生み出すプロセスなのだと思う。そして、僕自身は、そういうスタンスで地域作りをしてきた、精神科ソーシャルワーカーから沢山のことを学び、結果的に地域福祉のダイナミズムを学んできた。(「五つのステップ」という学恩
そして、社協も民生委員も地域福祉も、そういう大きなビジョンのための方法論なのだ。方法論は、ビジョンの達成のために、柔軟に変わるべきである。方法論が絶対化や固定化し、自己目的化されてはならない、と、改めて感じる。
そう考えると、社協や民生委員の活動の中には、誰のため、何のため、が見えにくく、方法論が自己目的化してしまった活動が、あるのではないだろうか? 地域包括支援センターや基幹型障害者相談支援センターが、「○○ならば、施設・病院しかない」という選別や排除の論理に手を染めてはいないだろうか? 誰のための、何のための、地域福祉なのか? 今一度、原点に戻って問い直さねばならないと、僕は感じている。

余裕がないのは、さて、どっち?

先日、ACT全国ネットワークという、精神科の訪問医療を進めている全国団体から、ニューズレターの巻頭言のご依頼を頂いた。この原稿をお送りし、既に発刊されているが、マイナな雑誌なので、当ブログにも転載することとする。
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「『余裕のあるほうがないほうに合わせる』のが対人関係の原則である。この定義によれば『治療者』とは『患者』より余裕が大きい人のことで、もし逆だと悲劇である。」(中井久夫『統合失調症をほどく』ラグーナ出版
中井久夫と考える患者シリーズ」と題されたこの本は、中井久夫の名人芸的な統合失調症の読み解きと、そのテキストに触発され、ラグーナ出版という鹿児島の就労A型事業所で働く「考える患者」達が自らの経験を語る、という紙上ダイアローグである。前作の「たどる」も面白かったが、本作の「ほどく」も、実に含蓄の深い言葉のやりとりがなされていた。引用したのは、その中での中井のテキストである。
ぜこのテキストを引用したのか。それは、先日リカバリーフォーラムで出会った奥野信子さんが、ご自身の患者体験について語られた次の言葉と重なったからである。
「診察室で先生は私の話ではなく、私の病気の話だけを聞こうとする」「先生は私の話を聴いてくれないから、私は先生に話を合わせて、先生の聞きたいことだけをしゃべってきた」「治療の前に、まず私の話を聴いてほしかった」
奥野さんは「悲劇」に遭遇してしまった。本来ならば「『治療者』とは『患者』より余裕が大きい人」の「はず」なのに、実際に合わせているのは、治療者ではなく患者の奥野さんの方である。つまり、治療者の方が明らかに「余裕がない」のだ。この奥野さんの経験は、例外的な「悲劇」なのだろうか?
中井久夫は多くの精神病につづく共通の三段階として、「余裕の時期」「無理の時期」「あせりの時期」の過程で整理している。受験勉強や就職、恋愛や過労などで余裕がなくなり、無理をし、空回りしてあせる中で、不眠症状が継続し、やがて発病状態へと至る、というプロセスだ。このプロセスを、先の「治療者」と「患者」の関係に当てはめると、実に恐ろしい「妄想」が浮かんでくる。
「患者」は「私の話を聴いて欲しい」と願っている。でも、治療や支援の場面で出会う「治療者」たちは、「病気のこと=治療者の聞きたいこと」しか聞こうとしない。聴く「余裕」がない。だからこそ、「患者」は諦めて、「治療者に合わせて」きた。つまり、「患者」は「治療者」より「余裕」をもっている。その一方、「治療者」は何とか目の前の仕事をこなそうと「無理」をしたり、「次の診察(訪問、予定、会議・・・)が迫っているから」と「あせりの時期」に入ってはいないだろうか。そして、そのような「無理」や「あせり」を重ねる中で、「余裕」を失っているのは、「患者」なのだろうか、それとも「治療者」なのだろうか? 全体性や見通しを失っているのは、さて、どっち?
この原稿依頼を受けた際、本号の特集テーマは「病院から地域へ その後は」であると伺った。「その後」に必要なのは、まずは治療チームのリカバリーである、と僕自身は思う。「余裕」なく、「無理」をして、「あせって」いては、良い仕事は出来ない。地域生活支援のはずなのに、気がつけばリスクマネジメントが最優先とされ、患者の管理や隔離、自由の制限が中心となってしまいかねない。現にグループホームが「ミニ施設化」している例は、洋の東西を問わず散見されている。ACTも「ミニ精神病院化」しないか、が常に問われている。
では治療チームが「余裕」を取り戻す為に、何から始めたら良いだろうか。それは、「水平の対話」以前の「垂直の対話」であろう。治療者の聞きたいことではなく、患者の話をきちんと聴く、という「水平の対話」を果たすためには、それ以前に、「自分は一体誰のために、どんな支援をしたいのだろうか?」と内なる自分自身の声と対話する「垂直の対話」が求められている。(詳しくは『オープンダイアローグを実践する』日本評論社の拙稿参照)
あなたは、自分自身の魂の声に蓋をしていませんか? まず、その蓋を外さない限り、自分の声を聴く「余裕」のない人が、他人の声に耳を傾けられるでしょうか?
治療チーム自身のリカバリーとは、「垂直の対話」からこそ、始まるのだと僕は思う。

泥臭く、かつ合理的に動いた経済学者

正直に言うと、鈴木氏の以前の著作をパラパラ捲って、「新自由主義に親和的な人」だと思っていたし、橋下・松井体制への評価も僕のそれと大きく異なる人である。僕自身が信頼できるジャーナリストで、精神医療や貧困について当事者目線で鋭く切り込む読売新聞の原昌平さんが関わっている事を知らなかったら、正直買い求めなかったかも、しれない。むしろ、なぜ原さんが鈴木氏と一緒に仕事をしているのだろうか、という疑問さえ、持っていた。
だが、読み始めると、面白くて一気に読み終えた。確かに彼は「経済合理性」をご自身のドクトリンにするがゆえに、「人権派」と呼ばれる人々への嫌悪感を抱いている事は、よくわかる。でも、その自分自身の主義主張を超えて、「あいりん改革」に文字通り泥臭く取り組み続けた事が、この本を読んでよくわかった。東京からしょっちゅう通い、ドヤ街近くの宿に泊まって、現地の住民や労働組合、支援者や行政関係者と何度も何度も話し合い、飲み交わし、信頼関係を作り、自らが「ハブ」となっていく。そこには、目的を遂行する為には「怒鳴りつける反対派事務所に一人で乗り込む」、という意味での「何だってする」という「経済合理性」があるのだが、その目的が「あいりん地区からの日雇い労働者の排除」ではなく、「あいりん地区に関わるステークホルダーがみな納得する形で街の再生を進めていく」という、非常に高い目的を達成しようとしていた。しかも、見事にそれを実現していく。
彼が阪大の大学院生から助教授になる間、あいりん地区に通い続けたことや、その中で現地の支援者や原さんを含めたあいりん地区に詳しいジャーナリスト・研究者達とつながり続けていたことは、本書を読んで初めて知ったことである。単なる落下傘の「特別顧問」ではなく、現地で温め続けてきたネットワークが前提としてあり、橋下改革の目玉として提示された「西成特区構想」というアドバルーンと見事に結びついて、結果的に彼が特別顧問としてこの問題に3年8ヶ月も関わり続けた、という成果になっていった。
本の中身はすごくオモロイので、是非とも手にとって頂きたいのだが、僕自身がこの本を読みながら、思い出したことを書く。それは、僕が闘いに敗れたことを、かれは成功したんだ、という敬意の眼差しである。
僕は民主党政権時代に内閣府に設置された「障がい者制度改革推進会議」の「総合福祉部会」委員として、障害者自立支援法の廃止と新法の制定に向けた議論に1年半、コミットしていた。そして、2011年8月に、利害関係が複雑に異なる障害者団体が一致団結して「骨格提言」を創り上げるも、翌年2月に見事に厚労省からゼロ回答され、民主党政権もそれに押し切られる、という惨敗の渦中にいた。その事は、以前総括的に書いている。僕自身は、敗因として、①厚労省と全面対決をしたこと、②この議論が障害者団体の枠内に収まり社会的な関心を充分に集めきれなかったこと(東日本大震災の被災とも重なり)、だけでなく、③僕自身や日本社会の認識論的な枠組みの限界があったこと、の3点があると感じていた。そして、②と③に関しては、『枠組み外しの旅』という拙著を書く形で、自分なりに総括した。だが、①については、どうすればよかったのかについて、総括しきれないでいた。それを、鈴木氏は大阪市というフィールドで、乗り越えているのだ。
実は、鈴木氏も国の審議会で、同種の経験をしていたという。彼自身も御用学者ではなかったから、むしろ民主党政権下の審議会では外された、という。その上で、これは僕と認識の共通するところなのだが、審議会はアジェンダ設定や委員選びを誰が握るか、が鍵であり、それを官僚に握られてはいけない、と理解し、実際にこの西成特区の有識者会議でもそれを貫いた、という。ここまでは、障がい者制度改革推進会議と同じ、である。だが、鈴木氏の場合は、その上で、2つの強みを持っていた。一つは、橋下・松井両氏という市と府のトップとのパイプラインがあり、いざという時には直接の対話で突破力としたという点。もう一つは、西成区役所を始めとした行政の職員ともガッツリ関わり、彼ら彼女らの内在的論理を探り、相手のメリット・デメリットや急所を押さえた上で、自らの改革に協力させていった、という点である。これは、ヤワな普通の学者では絶対に出来ない事だ。
そして、この本を読みながら感じたのは、肥大化した官僚機構の硬直性や自己組織化がここまで酷いことになっている、という現実である。首長が号令を掛けたくらいでは、簡単には変わらない。終身雇用を維持する為の最適化戦略をとろうとする官僚システムを動かすには、その内在的論理を知り、その文化が受け入れざるを得ないようなルートを創り上げて行かなければならない。これは民主党政権や総合福祉部会が失敗したことであったが、鈴木氏は、元日銀マンで官僚制機構の内在的論理を知り、かつ「経済合理性」を徹底的に追求していった結果、このハードルも突破していく。この辺りの彼の戦略や、官僚より先にアジェンダ設定をする突破力、そして、あくまでもボトムアップ型まちづくりを進める為に、大声で反対する人も対話集会に受け入れる度胸や度量が、ほんまもんだなぁ、とつくづく感じた。むしろ、そういう戦略と突破力、度胸や度量がない限り、硬直した官僚制機構の逆機能を打破することは出来ないのである。
さらに、この本を読みながら、改めて感じたのは、まちづくりにおけるボトムアップ型の重要性である。大阪市があいりん地区改革を失敗し続けてきたのは、戦略と突破力、度胸や度量に欠けるがゆえに、こそこそと密室で決めて、それを直前になって形式的に住民に説明し、怒鳴られても強行採決的・一方的に決めてしまうがゆえ、だった。つまり、行政内部で根回しをしても、住民との膝詰め談義をしていなかったのだ。一方、反対運動側も、行政との対話の機会がないばかりに、不信感は蔓延しても、それを抗議行動以外の形で昇華させる場が少なかった。鈴木氏が「アゴラ」の形で提供したのは、全てのステークホルダーがお顔の見える関係を作り、本音で議論を出来る空間を作ることであった。これは、大都市であれ、中山間地であれ、まちの再生には必要不可欠な要素である。そして、それをあのあいりん地区で実現させたのである。
海外の大都市のスラム地区の再生の本などを何冊か読んできたが、それと近いことを実際に日本でやることが、想像を絶するタフネスを必要とすることである、というのもよくわかった。そして、彼がハブとなり、あいりん地区に共感する支援者や学者、ジャーナリスト、地域住民などを巻き込みながら、渦を創り上げるなかで、「改革の舞台監督」として、大舞台を展開させていったプロセスを学ぶことができた。僕自身も、いろんな自治体を垣間見る中で、こういう地道な対話の積み重ねの上にある改革の重要性を、ひしひしと感じている。大言壮語するだけでも、悲観するだけでもなく、地に足のついた「抜本改革」を実現するためのヒントを、同書から得ることができた。
その意味では、本書は単なる闘いの記録、を超え、普段はなかなか表に出てこない・内幕が語られない政策形成過程分析のケーススタディーとしても、貴重な一冊であると感じた。

社会をマニコミオから解放する

「施設としての精神病院はなくしても、マニコミオは人々の頭の中にある。マニコミオは、考え方である。単にある具体的な場所ではなく考え方のことである。人々の頭の中や文化の中にある。社会をマニコミオから解放するのは、その考え方を壊す、ということでもある。」
先週の土曜日、大阪で開かれた講演会で、イタリアの社会学者、マリア・グラツィア・ジャンニケッダさんから発せられたメッセージは、僕の心に深く残った。彼女は、1970年代初期からバザーリアに誘われてトリエステで活動し、バザーリアが亡くなった80年代以後は、精神病院の新規入院を禁じた法律180号法をイタリア全土で機能させるための運動に携わってきた。その彼女が、イタリアでこの40年間大切にしてきたことは、「精神医療の近代化」ではなく、「社会をマニコミオから解放する」ことだ、と言い切った後に、彼女が説明したのが、冒頭の部分である。
マニコミオとは、簡単に言えば「狂った人を閉じ込めておく収容所」のことである。それと「精神病院」とはどう違うのか? 「精神病院」とは松沢病院や洛南病院など、固有名を持った一つの病院のことを指す。イタリアでは、こういう単科の精神病院を20世紀のうちに閉鎖した。だが、マニコミオはまだ残っている、という。それは一体どういうことか?
精神病院という箱物がなくなっても、リスクマネジメントや治安の維持、社会防衛の名の下で、精神障害者の自由を制限し、管理や支配下に置く、という考え方は、未だに残っている。これが、「マニコミオは人々の頭の中にある」という彼女の指摘の本質である。「人々の頭の中や文化の中に」はいまだに、何かオカシイ人、社会的に逸脱している(と他人から見なされる)人、社会に迷惑をかけた人や社会的秩序を乱した人は、どこかで管理され、自由を剥奪されても仕方ない、という考え方がこびりついている。
その最大の証拠に、2ヶ月前に起きた相模原での殺傷事件を受けて、厚労省が行った真っ先の「対策」が「措置入院(という強制入院)制度の検証や見直し(という名の強化施策)」であった。犯人の精神鑑定が終わっていない段階で、そもそも犯人が本当に精神疾患を持っていたかもアヤシイとされている段階で、警察の対応についての検証をすることなく、措置入院の強化だけを重点的に検討しているのである。これは、私たち日本社会が根強くマニコミオに囚われて、マニコミオ信仰に呪縛されている事を強く表していると感じている。
そして、この信仰は、実は相模原事件の加害者をも捉えていたのではないか、という「妄想」すら、浮かぶ。
障害者をある能力のある・なしで判断して、生きる価値がある・なしを査定や判断しようとする姿勢。この姿勢こそ、社会の標準的な基準や価値から逸脱している人は、自由を剥奪したり、管理や支配される存在であっても構わない、というマニコミオの思想そのもの、である。その意味では、入所施設、精神病院という場そのものの問題、というよりも、人間の尊厳や価値を奪う事を合理化する、その呪縛的な思考そのものと私たちは闘い、そういうマニコミオへの依存から社会を解放することが、求められている。
では、一体どうしたらよいのであろうか?
僕は、遠回りなように見えても、一人一人が自分自身の生き方を振り返るところから始めるしかない、と思っている。己の中に「マニコミオ」信仰がないか、を問い直す営みである。コミュニケーションがスムーズに行かない人、「空気」を読めない人、自分を傷つけたり他人に害を与える形でしかコミュニケーションが取れない人・・・こういう人を「○○障害者」と一括りにして自分とは別の存在と見なさず、一人の人間としてきちんと出会う、という営みである。
相模原事件の容疑者は、障害者施設の正規職員だったけれど、マニコミオ思想が支配的な入所施設という空間で、おそらくは「一人の人間」として「○○さん」に出会ったのではなく、「ただ介助され、他人から世話を受けるだけの、可動領域の限定された障害者」という「モノ」と出会って来たのであろう。そして、人間的に利用者と出会うための充分なトレーニングを受けることなく支援現場に放り込まれることによって、自分も決まり切った時間で介助を行うだけの、介助マシーン的な「モノ」になってしまった。安直な言い方をすれば、「モノとモノの出会い」、である。そこでは、ユニークな個性や価値を持った、かけがえのない「あなたと私の出会い」が生まれない。すると、モノ化された個人は、その貶められた価値を自ら取り戻す為に、自分より弱い存在を虐殺することで、自らをモノ化した社会に存在証明をしたり、反逆しようと企てたのではないか、という「妄想」が浮かぶ。
でも、こういうことは、絶対にダメだ。あかんもんは、あかん!のである。
マニコミオ信仰にはまることなく、人間が、人間と出会う。それが、今一番求められている。例えば、学校教育の場で、分けられることなく、障害のある子どもとない子どもが、普通に出会えているか? 「発達障害」や「○○障害」とラベルが貼られ、普通学級で集団管理や一括処遇が出来にくいから、と排除されていないか? 標準偏差的な思考に囚われて、ある基準値から外れた人を排除する、という思考は、日本社会の「同調圧力」として強く日本社会を縛り続けているのではないか? その中では、落ちこぼれてはいけない、頑張らなければいけない、世間に適合的でなければならない、という「裏返されたマニコミオ信仰」が強迫観念的にこびりつき、そこにのみ適応しようと必死になってはいないか? そして、適応できない人は、マニコミオ的空間に排除して、社会から見えないように隔離しているのではないか? そういう処罰的な思想でもあるマニコミオ信仰こそ、今の日本社会の「生きづらさ」を生み出す元凶ではないか? この信仰に「そんなの嫌だ!」とNO!を突きつけない限り、私たちの社会は、ますます生きづらく、面白くなく、しんどい社会になるのではないか?
そんな問いを持ち続けている。
今日は相模原事件から2ヶ月後にあたる。参議院会館で開かれた追悼集会に参加して、改めてオカシイものはオカシイ、あかんもんはあかん、と言い続けなければならない、と思いを新たにした。それと同時に、人間と人間が出会い続ける中で、マニコミオ信仰から自由になるために、自分からどう変わっていけるのか、を改めて問い直されたような気がした。僕自身が、心の内なるマニコミオからまず解放される。その上で、社会に蔓延するマニコミオ信仰から自由になるために、こうして文章を書いたり他人に語りかける活動をする中で、「社会をマニコミオから解放する闘い」にコミットし続けたい、そう思った。

向谷地さんへの反論、というよりも

向谷地生良さんといえば、精神医療のみならず障害者福祉の領域では超有名な「べてるの家」の支援者である。僕も当事者研究から多くを学び、毎年のようにゼミ生にも紹介している。師匠大熊一夫にくっついて、何度か浦河を訪問し、いろいろお話を伺い、臨床家としても尊敬している一人である。

その向谷地さんのインタビューを読んでいたら、気になる部分が出てきた。少々長くなるが引用したい。
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ーオープンダイアローグは、精神科病院をベースにしたシステムでは出来ないだろうという意見もありますが。
向谷地 それは逆で、全く可能だと思います。
ー現状の日本のシステムでも?
向谷地 この連載第一回で紹介したように、私は今全国3カ所の病院にお邪魔して、長期入院で治療やケアに一番困っている統合失調症の患者さんを紹介してもらって、スタッフといっしょに当事者研究のスタイルで患者さんとミーティングをしているんですけど、2年ほどのかかわりで、3人中2人が退院にこぎつけました。
 そこで思ったのは、その人達は、もちろん病状が悪くて退院できないわけですけど、それ以上に自分の人生に行き詰まっている人たちなんだと。彼らが退院する時にも、幻聴さんや妄想的な気分はそんなに変わっていないんです。むしろ当事者研究で話し合うことで、そういうところをかかえながら生きていこうとする土台ができていった。そんな気がしているんです。
(略)
 こういうふうに、幻聴や気分は変わらなくても大丈夫で退院できる人たちとの出会いって、現場の人間を励ましますよね。だから今の精神科病院の現場にこそ、オープンダイアローグ的なアプローチが求められている気がしますね。
(精神看護19(5)455-456)
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これを書き写していて、向谷地さんへの反論、というよりも、インタビュアーの「問い」への反論がしたいのだな、と気がついた。
ちなみに、「オープンダイアローグは、精神科病院をベースにしたシステムでは出来ないだろうという意見」を東大のセミナーで去年発表したのは、他ならぬ僕である。また「現状の日本のシステム」ではダメだ、と発言したのも、僕である。まず、僕自身の意図を表明した後、それに対しての向谷地さんのリプライを、僕なりに考えてみたい。
まず僕自身が「現状の日本の」「精神科病院をベースにしたシステム」では「オープンダイアローグ」が出来ないと思う根源的な理由。それは、圧倒的なマンパワーおよび基礎教育の違いである。そのことに関して、この5月に東京で開かれたオープンダイアローグのワークショップ時に書いた拙稿では、次のように整理していた。
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ケロプダス病院では、30人の病床(見学した時の入院者は20人で病床削減の計画もあり)に39人の看護師が働いています。1:1以上の人手がないと、上記の条件をクリア出来ないのです。あなたの病棟では、どのような人員配置基準で、何人の看護師が働いていますか?
つまり、病棟であろうがなかろうが、対等な人間関係を指向し専門家主導から当事者主体へと生まれ変わるための専門職の覚悟と、不確実な「対話」に柔軟に対応するために十分な人手を確保しトレーニングを積むことが出来る組織改革とが、日本の現場でオープンダイアローグを実践する上で問われていると、私は思います。
(竹端寛「日本の現場でオープンダイアローグを実施するための条件」)
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さて、このスタンスを示した上で、向谷地さんの発言を読み解いていきたい。
向谷地さんの仰るように、「長期入院で治療やケアに一番困っている統合失調症の患者さん」は、病状「以上に自分の人生に行き詰まっている人たちなんだ」というのは、僕も全くその通りだと思う。これはトリエステでも言われ続けてきたことである。また、「当事者研究で話し合うことで、そういうところをかかえながら生きていこうとする土台ができていった」ことにより、向谷地さんが関わった「3人中2人が退院にこぎつけ」たことも、頷ける。向谷地さんの実践そのものにケチをつけるつもりはないし、良い仕事をしておられるのだと思う。
ただ、気になるのは、「なぜ、向谷地さんが出かけないと退院できなかったのか?」という問いである。向谷地さんが訪問する以前のその患者さんには、なぜ「治療やケアに一番困っている統合失調症の患者さん」というラベルが貼られていたのか? そのラベルにその病棟のスタッフは疑問を抱かなかったのか? そして、なぜ向谷地それさんだけが、その病院の因習を突破して、「それ以上に自分の人生に行き詰まっている人たち」とラベルを貼り替える事が出来たのか?という問いである。
僕は、ここにこそ日本の「精神科病院をベースにしたシステム」の「まま」ではオープンダイアローグが実現「出来ない」と思う理由が詰まっていると考える。
簡単に言えば、目の前の患者さんに対するモノの見方を変えることなく、単にオープンに話し合いましょう、なんてやっても、患者と家族、支援者の関係性は変わらないのではないか、という問いである。精神科の一般病棟は3:1の基準である。ケロプタス病院の3分の1以下、である。そのような中で、従来の医学モデル的な看護スタイルで「病気や症状を診る」ことを重視している看護スタッフが、病気や症状と直接関係ない(と一見思える)「自分の人生に行き詰まっている」内容を、ちゃんとそのものとしてじっくり聞けているか、という問いである。向谷地さんのような、「治外法権的な外部者」がやってきて、「当事者研究」という触れ込みで介入できたからこそ、やっとその人の「本当の困りごと」が病棟内部であってもみえてきた。それを、「では皆さんもどうぞ病棟でやってください」と言われても、そう簡単に病棟の因習は変わらないのではないか。そう疑っている。
「今の精神科病院の現場にこそ、オープンダイアローグ的なアプローチが求められている」という点については、僕自身も同意する。でも、今の「精神科病院をベースにしたシステムでは出来ない」とも思う。それは、以前のブログにも書いた一言に収斂する。
「本当に精神病院の中でオープンダイアローグをしようとするなら、『その矛盾を社会ネットワーク全体の問題とみた上で、その関係性の不全に踏み込む』なら、精神病院という構造の『矛盾』をも、自由に話すことが出来なければならない。」
僕が「今の精神科病院の現場」にまず求めるのは、「オープンダイアローグ的なアプローチ」を真面目に実現する為の「専門職の覚悟」と「組織改革」である。向谷地さんは、浦河の地で、何十年とかけてその二つを実践してきた。それが、今の病棟現場にできるのだろうか? そこが、最大の疑問である。

「迷惑をかけない」「いい子」の「蓋」

岡本茂樹さんは、刑務所や少年院で長年、心理教育や更生支援をしてきた経験を元に、表面的な「反省」が逆効果になることを示した新書を何冊か出している。昨年亡くなられた彼の遺作『いい子に育てると犯罪者になります』(新潮新書)は、本当に力作だった。

この本は、「問題行動」といわれるものには、その行動に至る理由があり、その理由や行動に駆り立てる内在的論理を分析しない限り、どのように叱ったり、厳罰化したりしても、そのような行動は抑止できない、とハッキリいう。こう書くと、「わがままや逸脱行為に甘い」と思われるかもしれない。でも、それは「急がば回れ」。実は本当に犯罪や問題行動を減らしたい、と思うなら、その行為に至る根本的理由と本人が向き合うのを支援しない限り、そのような行動は減らず、「表面的反省」に終わり、再発を繰り返す可能性が高い、というのである。
それを、タレントの酒井法子さんの事例を元に分析している。彼女が一連の経緯を綴った手記(『贖罪』)を分析しながら、岡本さんはこう指摘している。
「覚醒剤に手を出したのは、『軽い気持ち』とは『安易』とか『自分が弱かった』という理由ではありません。人に素直に頼れなくなって、ストレスをモノ(覚醒剤)で埋め合わせていたからです。」(p166)
つまり、その時の彼女には「薬物が必要だった」(p146)と指摘している。だが、彼女は薬物が「必要だった」とは語らず、「自分は弱い人間だった」と語る。一方、岡本さんは、酒井さんの内在的論理を次のように読み解く。
「酒井さんの『自分の弱さや悩みをどんなときも一切見せない』姿は、周囲の人からは『芯の強さ』と映るでしょう。しかしこれはまったくの誤りです。酒井さんの内面を考えれば、『芯は脆い』と言うべきです。本当に『芯が強くなる』ための条件は、誰かに心を開いて悩みや苦しみを話して、人からエネルギー(=愛情)をもらうことです。そうして心はたくましくなる(=芯は強くなる)のです。」(p149-150)
酒井さんがどうして「弱みや悩みをどんなときも一切見せない」のか。それは、岡本さんによれば、彼女の幼少期の経験による、という。出生後に両親が離婚し、親戚に育てられ、7歳との時に「実の子ではない」「父が引き取ると言っている」という事実を突きつけられ、その後、父と2番目の母、3番目の母と暮らしてきた、という辛い幼少経験を持つ酒井さん。彼女は父に一度見捨てられた辛さや苦しさ、怒りを素直に表現せず、「良い子」として父や義母に認められたい、受け入れられたい、と必死になってきたという。そして、岡本さんによれば、犯罪者の中にはこのような幼少期の別離や過酷な体験により、「いい子」を必死で演じたり、逆に不良行動をしていくパターンが極めて多い、という。
岡本さんは、このような幼少期を持つ子どもが全て犯罪者になる、と言っている訳ではない。だが、このように「弱みを見せない」「迷惑をかけない」「いい子」が陥りがちな、次の特性が問題だ、と指摘する。
「酒井さんには『~ねばならない』という完全主義的な価値観があるのが分かります。『~ねばならない』という価値観は自分自身を追い詰める危険性があります。こうした考え方を貫こうとすると、どこかで自分に無理をすることになるので、生きづらさやストレスをもたらします。」
「大切なことは、『いい大人』を子どもに見せるように努めることよりも、親である酒井さんが息子に『ありのままの自分』を見せることです。そうすれば、子どもも『ありのままの自分』でいられます。」(p168)
そう、酒井さんも「ありのままの自分」を素直に出せず、「良い子」を演じてきたのである。その中で、数多くの「~ねばならない」を必死に演じ、その努力の甲斐があり、日本のみならずアジア圏にも人気が出るスターになった。だが、彼女は人に頼ることが出来ない生き方を、「芯が強い」と誤解したがゆえに、ストレスや苦しさも自分でため込み、薬物が「必要」になるほど、「芯が脆い」状態に追い込まれていったのだ。そして、こういう構造は、多くの犯罪者に共通している、という。つまり、「人に迷惑をかけない」「弱みをみせない」「いい子」だからこそ、その論理的帰結として、ストレスをため込み、自分を傷つけたり、他人に害を与える可能性がある、というのである。
では、どうすればよいのか。
岡本さんは、「ありのままの自分」を素直に認めることだ、という。そして子育てにおいては、子どもと親の相互関係のなかで、まずは親から変わるべきだ、という。
「テストで悪い点を取ってもOK、試合で負けてもOK、勉強でも運動でもお兄ちゃんに負けてもOKと伝える事で、子どもは『自分は今の自分でいいい』と思えます。そして、子どもが『自分は今の自分でいい』と思ったときこそ、自分から『頑張ろう』という気持ちを持てるのです。」(p215)
これは「ありのままの子ども」を、そのものとして受け止めること。親の価値観に当てはまった時にのみ褒める、という「条件付きの愛」では、子どもに我慢を強いたり、あるいは親の顔色をうかがう子どもに育ててしまう、という。だからこそ、「今の自分でいい」というメッセージを大人が子どもに伝えることで、子どもは安心して育ち、「頑張ろうという気持ち」が持てるという。
では、酒井さんのような事件を起こしてしまった人は、どのようにして回復していくのか。岡本さんは、こう語る。
「(自分は出生時に親に捨てられたという:引用者注)悲しい現実を、わずか7歳だった少女は『一人で抱え込』まざるを得なかったのでしょう。本当はつらいので避けて通りたいことですが、事件を起こした酒井さんが向き合わないといけないのは、このときに封じ込めた否定的感情なのです。」(p152)
「心の傷は、身体の傷と同じで、外に出さない限り消えることはありません。結局、否定的感情を出せないまま出所して、彼らの半数はまた何かのトラブルでカッとなって大きな事件を起こしてしまうのです。」(p163)
「酒井法子さんは、本当はものすごく傷ついていたのです。それもわずか7歳の時に。それをきっかけに人に甘えられなくなった(頼れなくなった)酒井さんは否定的感情をどんどん抑圧させ、長い時間をかけて傷は深くなっていきました。大きくなった心の傷は今も癒やされているとは思えません。」(P164)
「ありのままの自分」を承認する。そのためには、まず「ありのままの自分」を出せない原因になっている「否定的感情」を「抑圧」せずに、封印を解く必要がある。しかし「迷惑をかけない」「いい子」にとって、これこそが最も苦しいことである。一人でそれを行うのは、そう簡単ではない。また「弱みを見せることが出来ない」という表面的な「芯の強さ」=実質的な「芯の脆さ」を抱えていると、なおさらそれはしにくい。
でも、本当に更生しようと思うなら、「世間に迷惑をかけた」と謝罪する前に、自分の中での許せない・悔しい・惨めな・辛い「否定的感情」の蓋を開ける必要がある。この蓋をしたまま、表面的に強がることこそ、深尾先生の「蓋」概念そのものである。
「社会でよりよく生きるために、自分の本性に『蓋』をして、獲得された人格を懸命に生きようとする場合、もっとも恐れるのは、自分本来の本性を覗き見ることであろう。自分でも本性の姿を忘れてしまえるほど分厚い『蓋』を構築し、社会の期待する自己を首尾よく演じた場合には、もはや自分自身の本来の魂は、暴力的な発露の機会でもうかがう以外に表出する可能性はまずない。あるいは、それが内側に向かって蓄積されてゆく場合には、身体を蝕み、自己の崩壊を招く。」(『魂の脱植民地化とは何か』深尾葉子著、青灯社、p24)
酒井さんが、「身体を蝕み、自己の崩壊を招く」プロセスとは、「自分の本性に『蓋』をして、獲得された人格を懸命に生きようとする」プロセスそのものだった。だが、それを生真面目に追い求め続けた結果、自分自身の人生が破綻した。ゆえに、その後彼女が同じようにまた「本姓に蓋」をしたまま「いい子」を演じると、元の木阿弥になる。
彼女にとっては辛いだろうが、本当に必要なのは、「抑圧」し「蓋」をした「否定的感情」を、そのものとして眺めること。「社会の期待する自己」という「体裁」を脱ぎ捨て、「ありのままの自分」を捉え、「本来の魂」を取り戻す事である。そして、本当に犯罪者を更生させたければ、単に厳罰化したり、家族も含めてさらし者にしてバッシングするのではなく、このように「否定的感情」と向き合う支援をすることが、一番大切なのだ、と改めて学ぶことが出来た。
更にいえば、「それでも厳罰化が必要だ」と言う人もまた、「迷惑をかけてはいけない」という「いい子」の呪縛や「蓋」が強く、「自分自身の本姓をのぞき見る」ことが怖い、人なのかも、しれない。

そもそもなぜ、わけるのか?

相模原の事件に関して、ヘイトクライムは「あかんもんは、あかん」という原則を書いた。また、措置入院の患者は出すな・GPSで追跡せよという思想と、「障害者は生きるに値しない」という発想自体が、「同じ穴のむじな」であることも指摘した。その上で、もう一つ、原理原則として指摘しておきたいことがある。それは、「なぜ、人里離れた入所施設に、障害者は大量に集められて、隔離収容させられていたのか?」という問いである。「なぜ、重度障害者の暮らしは、他の人の暮らしとわけるのか?」という問いである。

僕は2003年の秋から2004年の春にかけての5ヶ月間、スウェーデンに暮らしていた。ちょうどスウェーデンは、2003年に知的障害者の入所施設をゼロにした。1999年12月31日までに入所施設を完全閉鎖にする法律を作って、その期限内には達成できなかったが、その3年後にはきちんと達成した。「やまゆり園」に集団で暮らしていた、強度行動障害とラベルが貼られた人も、また重症心身障害の人も含めて、日本では「この人達は施設しかない」と言われている人も、施設ではなく、地域で暮らしていた。その実態を調べるために、スウェーデンのイエテボリを拠点に、LSSという法律と支援の実態、それを理論的に支えているノーマライゼーションの原理を書いたベンクト・ニィリエのインタビューなどをして、一本の報告書にまとめた。

強度行動障害とラベルが貼られる人の中には、言語的なコミュニケーションが非常に苦手な人もいる。こちらが口で伝えることも、理解してもらいにくい、だけでなく、相手が何を伝えようとしているのかも、わかりにくい人がいる。そういう人と接する経験が少ない・あるいは相手の事を理解するノウハウに乏しい人だと、本人の訴えや主張が理解できず、「ああいう人に人格があるの?」という、恐ろしい差別発言をしてしまう。今回の容疑者も、そういう意味では残念ながら支援の素人だったと思われる。

ただ、強度行動障害や重症心身障害の人々も、接していると、実に豊かな個性を持っている。例えば、壁に頭を打ち付ける「自傷」や、他人に大声で怒鳴る「他害」とラベルを貼られる行為も、実はその人と関わる支援者との関係の中で発生している。例えば、ご本人にとって不快・不安なことが起こった時、それを表現する言語的手段がないが故に、頭を壁に打ち付けたり、大声で騒ぐことで、「わかってほしい」と必死の訴えをしている。その際、支援のプロに求めらるのは、本人の「自傷他害」行為を非難する事でも、「ああいう人って人格があるの?」と馬鹿にすることでも、ない。そうではなくて、そのような行為を通じて、何を訴えようとしているのか、どう関わればその行為が減り、ご本人の笑顔が増えるのか、を関わりを通じて考えることである。

スウェーデンの知的障害の理解に関する古典的教科書の中では、そのような知的障害のある人の内在的論理が書かれていて、どのように関われば、本人の快に導くことが出来るか、が整理して書かれていた。そして、重症心身障害のある人でも、パーソナルアシスタンス(日本でいう重度訪問介護)を使って一人暮らしをしていたり、あるいは強度行動障害に理解がある職員と共にグループホームで暮らしていた。そもそも、じっくり関わる事で関係性を築くことが大切なのに、集団管理と一括処遇をする場では、不適応を起こして、それが自傷他害という形での訴えを起こしているのだから、入所施設より少人数での暮らしの方が本人が安定する、と言われていた。

また、日本に帰国後、西宮の青葉園でもフィールドワークをさせて頂き、日本の中でも、そのような本人中心の関わりをすることで、重度の障害を持つ人でも地域で支え続ける仕組みを作り上げた現場がある事を、肌身で実感した。山梨では「国立病院重心病棟」のようなところに一生暮らしているような、医療的ケアが必要な障害者であっても、訓練を受けた介護・看護の人々のケアに支えられ、グループホームやアパートでの一人暮らしを続けている。そんな障害者が西宮には沢山いた。日本でも「やれば、できる」ということを実感していた。

だからこそ、事件の詳細を聞くにつれ、「なぜ、わけて、集めていたのか?」という根本的な問いが浮かぶ。本人中心の支援が出来る支援者と共に、グループホームや一人暮らしが出来ていれば、そもそも「入所施設」に暮らす必要がなかったのではないか。19人もの命が一気に奪われたのは、普通ではあり得ない人数が1カ所で暮らしていたことに、根本的な原因があるのではないか? 入所施設の警備を強化したり、防犯カメラを増やしたり壁を高くすることよりも、そもそも入所施設を減らし、地域での暮らしを支える態勢に切り替えたら、このような「大量虐殺」は防げるのではないか。なのに、障害者を「わけて収容する」ということへの問いは、なぜ主題化されないのか? 事件が起きて以来、ずーっとそのことが気になっている。

入所施設で30年、40年と暮らしていた人は、どんな気持ちで暮らしていたのだろう? 人生の膨らみのない、同じ場所にずっと収容され続ける事って、どんな気持ちだったのだろう? 諦めや絶望を感じていたのではないだろうか。そんなことが容易に想像出来る。

だからこそ、スウェーデンで成文化された「ノーマライゼーションの原理」に立ち戻る必要がある。この原理を提唱したスウェーデン人のベンクト・ニィリエは、今から半世紀近くまえ、1969年の段階で、こう整理している。

1,ノーマライゼーションの原理は、知的障害者に一日のノーマルなリズムを提供することを意味している。

2,ノーマライゼーションの原理はまた、ノーマルな生活上の日課を提供することでもある。

3,ノーマライゼーションの原理はまた、家族とともに過ごす休日や家族単位のお祝いや行事等を含む、一年のノーマルなリズムを提供することを意味する。

4,ノーマライゼーションの原理はまた、ライフサイクルを通じて、ノーマルな発達的経験をする機会を持つことを意味している。

5,ノーマライゼーションの原理はまた、知的障害者本人の選択や願い、要求が可能な限り十分に配慮され、尊重されなければならない。

6,ノーマライゼーションの原理はまた、男女が共に住む世界に暮らすことを意味する。

7,知的障害者ができるだけノーマルに近い生活を得られるための必要条件とは、ノーマルな経済水準が与えられることである。

8,ノーマライゼーションの原理で特に重要なのは、病院、学校、グループホーム、福祉ホーム、ケア付きホームといった場所の物理的設備基準が、一般の市民の同種の施設に適用されるのと同等であるべきだという点である。

(ベンクト・ニィリエ『再考・ノーマライゼーションの原理』現代書館、より)

「やまゆり園」に暮らしていて、容疑者に殺されてしまった方々は、そもそも「ノーマルな一日のリズム」が提供されていただろうか。一人暮らしや、居酒屋で飲んだり、ディズニーランドに遊びに行ったり、というような「ノーマルな発達的経験をする機会」を持っていただろうか。「本人の選択や願い、要求」が尊重されていただろうか? それらのチャンスが提供されず、集団管理と一括処遇が基本になるような場に収容されていたならば、人間的な暮らしが出来ず、人間らしい輝きや魅力がどんどん奪われていくのではないか。そして、本来はそういう非人間的な処遇のあり方こそ告発したり、本人と共に地域で暮らすチャレンジをすべき支援者が、「非人間的な処遇」ゆえに非人間的な表情やふるまいをする個人に「生きていても仕方ない」というラベルを貼り、抹殺するに至ったとすれば、そのような環境こそ、大きく問われなければならないのではないか?

繰り返し述べるが、スウェーデンではこのノーマライゼーションの原理が出来てから30年で、知的障害者の入所施設をゼロにした。理念のあるべき姿と方向性を愚直に追い求めたら、入所施設こそ必要ない、というシンプルな結論に辿り着き、それをしっかり実現した。一方日本では、ノーマライゼーションの原理が英語で発表されてから50年たっても、未だに入所施設での収容が続いている。そして、今回のような残忍な事件があっても、この入所施設への収容という構造自体が、問われることはない。

僕は、この構造こそ、問い直す必要がある、と思っている。「そもそも、わけることこそ、変であり、オカシイ!」 これも、繰り返し言っておきたいポイントだ。本当にこのような残忍な大量虐殺を防ぎたいなら、このような収容環境こそ、解体すべきである。地域で支援する為の施策をきっちりと打つべきである。防犯カメラや、高い壁を作ったところで、根本的な解決策にはなるはずもない。

障害者の入所施設への収容は、他の者との平等を重視する障害者権利条約にも違反しているし、差別政策である。そもそも、この施設入所の現状を、今こそ問い直す必要がある。

同じ穴のむじな

残虐な障害者連続殺害事件から1週間たった。原因探しに奔走するマスコミは、容疑者が措置入院の経歴がある事をいかにも「原因」であるかのように報じ始めている。

この事件に対する僕自身のスタンスは、前回のブログでも書いたように、「あかんもんは、あかん」である。これは明らかにヘイトクライムであり、絶対に許してはいけないことである。だが、その前提に立った上でも、「措置入院者は安易に出すな」という論調の姿勢も、「あかん」と思っている。詳細に関しては、大阪の池田小学校事件のことも踏まえ、NPO大阪精神医療人権センターが申入書を出していて、ほぼここに論点が言い尽くされているので、そちらをご覧頂きたい。あるいは、池田小学校事件の報道にも関わった読売新聞の原さんのコラムも、ズバッと本質を突いている。僕が今日、言っておきたいこと、それは、「障害者は死んでしまえば良い」というのと「措置入院の患者は出さない方がよい・出した後も厳しく追跡した方がよい」というのは、「障害者へのフォビア(恐れ・憎悪)に基づく排除」としては、全く同じ構造、同じ穴のむじなである、ということである。

人権センターの申入書にも書かれていたが、そもそも事件発生直後で、犯人がどのような経緯で殺害に至ったのか、が不明確な時点で、厚労大臣は既に「措置入院について検討する」と発表している。そして、首相も含めて、それを「再発防止策」としている。これは、ヘイトクライムに対して、新たなヘイトを生み出す、という愚策に思えてならない。

措置入院というのは、「自傷他害の恐れ」がある場合に、精神保健指定医2名の診察をうけて、強制入院をさせる、という仕組みである。だが、この「自傷他害」をそもそも一括りにして良いのか、という問いがある。それは、自傷については、医療で対応可能だが、他害については、そもそも医療の対象外ではないか、という大きな問いがあるからだ。実はイタリアでは、他害を強制入院要件に入れていない。それは、大熊一夫師匠の次の文章に理由が書かれている。

「この法律が世界的にユニークなのは、精神科医に治安の責任を負わせていないことである。それは法文の中で、治療(収容)の判断基準として、『他害のおそれ』がうたわれていないことでわかる。(略)バザーリアたちは『他害の恐れがあるかどうかは、警察の判断に任せるべきことで、精神科医の仕事ではない。精神科医は警察の役目を捨ててこそ患者と良い関係を築けるのだ』と主張してきた。それが180号法に反映された。」(大熊一夫『精神病院を捨てたイタリア 捨てない日本』岩波書店、p108-109)

ここで重要なのは、精神科医の役割と警察の役割は違う、ということだ。警察は、犯罪予告があれば、未然に防止することが、その役割である。これは、容疑者が精神障害者であろうと糖尿病患者であろうと関係ない、はずである。だが、現状では、犯罪予告が糖尿病患者からなされても、糖尿病の医者の対応は求められない一方で、精神障害者による犯罪予告であれば、警察は精神科医にその責任を丸投げしてしまう。今回のケースでも、既に報じられている内容からすれば、その可能性が高い。

これは、明確な精神障害者差別である。

「自分を傷つける恐れ」に関しては、精神医療が介入して、その予防に向けて関与する。これは自殺防止などで、実際に効果があることである。一方、「他人に害を与える恐れ」に関しては、糖尿病の容疑者を警察や公安が監視の対象にするのであれば、精神病者だって同じ処置を受けるべきである。そうしないと、精神科医と患者が良い関係も築けない。

厚労省が対策を打つならば、実はこの部分こそ、対策を打つべきなのだ。精神障害者だけを別扱いして、精神医療に犯罪予防を任せる、という「筋違い」な政策をこそ、一から見直すべきである。それは、一度罪を犯した精神障害者は「自傷他害の恐れが消えるまで」無期限での入院を迫られる医療観察法自体の廃止ないし抜本的見直しを行うことも同様である。やるべきことは、真っ当な精神医療をきちんと提供することであり、闇雲に措置入院患者の退院要件を厳しくしたり、退院後の監視を厳格化することではない。精神医療に出来ない殺人予防は、出来ない、と認めた上で、警察に他害防止の権力を返上することである。そして、真っ当な寄り添う精神医療を展開することである。

だが、厚労省は、そのような本質的な議論に着手しようとしない。措置入院の内容をより強化せよ、障害者施設の警備をよりしっかりせよ、という「小手先の対策」しか出ていない。これは、言葉は悪いが「世間から怒られないように対策をしているフリ」をしているようにしか、みえない。更に言えば、「措置入院患者を外に出すな」という主張に繋がるような政策は、「障害者は生きていても仕方ない」と同様の、一人一人の個人の尊厳を踏みにじり、カテゴリーとしての「障害者」「措置入院精神障害者」への恐れや憎悪に基づく、一元的な対応に思えてならない。凶悪犯罪を防ぐため、と言いながら、凶悪犯罪者が抱いていたものと似た、「措置入院患者は何をしでかすかわからない」といった「恐れ」に基づく差別政策を本当に厚労省は展開してよいのか。この部分が非常に気になる。

このような残忍な犯行は絶対に許してはならない。だが、本当に犯罪を抑止したい、防ぎたい、と願うなら、精神障害への偏見を高めたり、措置入院をより厳しい制度にする方策が、本質的な解決にはならない、ということも、しっかりと押さえておくべきだ。必要なのは、犯罪予防という本来業務ではない内容を精神医療に委ねない、ということ。その上で、精神医療が地域の中で頼りになる存在として機能させることである。そして、ヘイトクライムを許さない事や、ヘイトクライムに繋がる恐れがあるヘイトスピーチへの予防や対策法を打つことである。何でも精神医療のせいにして、「わかったフリ」をすることは、精神障害者への差別であり、同じ穴のむじなである、と繰り返し、述べておく。

あかんもんは、あかん

今般起きた、障害者施設における連続殺人事件は、障害者への憎悪に基づく虐殺、という意味では、ヘイトクライム(憎悪に基づく犯罪)である。これは、絶対に許してはならない。「あかんもんは、あかん」のである。そのことについて、いくつか述べておきたい。

容疑者は、「障害者はいなくなったほうが良い」とか、「重度障害者は安楽死した方が良い」と言っていた、という報道がある。この発言を聞いて、二つの事を思い出していた。

先週の金曜日、渋谷で映画を見た。「風は生きよという」というドキュメンタリーである。呼吸器を付けて暮らしている「重度障害者」とカテゴリー分けされる人々の日常を追いかけたドキュメンタリーである。この映画は元々見たかったのだが、その主役のお一人で、『まぁ空気でも吸って』という素敵なを書かれている海老原宏美さんのアフタートークも聞きたくて、渋谷まで出かけた。

海老原さんはトークの中で、この映画の主人公として「撮られる側」になった理由として、尊厳死法案の存在を挙げていた。この尊厳死法案では、終末期医療にある人が、自己決定に基づいて、延命治療をやめることを医療がサポートすべきかどうか、が論じられている。海老原さんは、一度そのような法律が出来ると、人工呼吸器を付けなければ生きる事ができない人は、「延命治療してまで生きる価値があるか?」を問われる対象になるのではないか、と危惧する。その際、非常に気がかりな事を口にしていた。

「この国では、迷惑をかけて生きる、という事に対して、否定的です」「私たちは、そんなに迷惑を掛けていますか?」

そう、日本社会の文化的規範として、「他人に迷惑をかけてはいけない」というのは、ものすごく強い呪縛として、現代日本でも機能していると感じる。これは、ゼミ生と議論をしていても、感じる。「人様に迷惑を掛けないよい子でいなければならない」というルールを守ることを、自分のしたい事にチャレンジする事より上位に置いている学生達が少なくない。そして、個性を去勢化し、同調圧力に従って、同じような振る舞いを必死にして、疲れていく。

そして、この「迷惑を掛けてはいけない」という呪縛は、「他人に迷惑を掛ける存在は、あってはならない」と、容易に転化する可能性があるのではないか、という海老原さんの問いかけは、決して妄想ではない。現にそれを「実践」した国がある。それが、ナチスドイツである。

たまたま昨日の「福祉社会学」の講義で議論するために、『ナチスドイツと障害者「安楽死」計画』という分厚い一冊を読んでいた。この本に書かれていた事を簡単に要約すると、当時のドイツではアーリア人の優秀性を担保・根拠付けするために、公衆衛生にも力を入れていた。その中で、善意に基づいた医師達は、次の様な信念に取り憑かれていく。

「自分たちこそおは科学者として、患者の福利とドイツ民族総体の浄化に配慮していると信じていた。近代科学技術が医学に飛躍的な革新、リハビリテーション可能な障害者はリハビリテーションし、残りの『治療不能』な場合は抹殺するという治療の過激化の機会を提供したと信じたのである。」(p14)

この「治療不能」な障害者は「生きるに値しない命」と言われ、精神病院のガス室で抹殺され、火葬=焼却処分された。これはヒトラーのメモ書きによる許可に端を発するもので、その合法性が国内でも問われたが、やがてヒトラーの言うこと=合法、と認められると、医者や法律家も全国的に荷担し、官僚主義的でシステマティックな虐殺によって20万人以上が殺された、と言われている。そして、この「やり口」はユダヤ人の抹殺に、見事に引き継がれていった。

ここで論点になるのは、「生きるに値しない命」という価値判断である。

当時のドイツ社会では「治療不能」というのが、その判断基準の一つであった。だが、実はもう一つ、大きな判断基準があった。それが、「生産能力」=お金を稼げるか、という視点である。ちょうどこのテーマを昨年取り上げた、NHKのハートネットTV「ナチスから迫害された障害者たち (1)20万人の大虐殺はなぜ起きたのか」のHPに、その当時の記録映画のフレーズが記載されていた。

「健康な国民同胞を健全にする資金が、白痴者を扶養するために使われている。施設にはそのような者がうようよいる。この遺伝性疾患のあるきょうだいの世話にこれまで154000マルクかかった。どれほどの数の健康な人々がこの費用で家を買えるだろうか!」

簡単に言えば、「生産性のない人を養うために、これだけのお金を費やす位なら、殺した方が良い」という、戦慄する主張である。それが、「安楽死」「治療可能性がない」などと、医学のフレーズで装飾されて、さも専門家が決めたのだから仕方ない、とばかりに、歯止めが利かずに、虐殺の肯定化へとつながっていった。そして、当初は遺伝病などごくごくわずかな対象者が範囲だったのだが、やがて障害者やアルコール依存者や浮浪者など、「社会に迷惑をかける」存在が抹殺の対象として広がっていく。そして、「ヒトラーが認めたのだから」という錦の御旗の下で、このシステマティックな虐殺に、医師や法律家はごく一部を除いて反対することなく、粛々と従って虐殺に荷担していく。そういう実態が、法や官僚システム、医療への信頼が厚いドイツで、起こったのである。

そして、70年後の日本で起こった、相模原の障害者施設での凄惨な連続殺戮事件。容疑者とされる男は、障害者を不幸な存在だと決めつけ、社会的活動が困難な場合、保護者の同意を得て安楽死させた方がよい、と考えていた。これは、ナチスドイツが行ったことと構造的には同じである。生産性や治療可能性、そして「社会に迷惑をかけないか」とう恣意的基準で人の「価値」を判断し、「あなたにはその価値がない」「そう査定する私には価値がある」と、障害者と自分を分けて考えた上で、自分の「価値」観を絶対化し、自己正当化を図って、人殺しも正当化する、という、身勝手極まりない発想である。他人を殺してはいけない。それは「あかんもんは、あかん」のである。「こういう場合は良いのではないか」という留保を付けると、医学的・法律的理由なんて、どんどん拡大解釈される。それは、人間の理性の限界なのである。だから、「あかんもんは、あかん」と倫理的に基礎付けなければならないのである。

それから、この件に関して、反省を込めて、もう一つ述べておきたい。

僕はヘイトスピーチやヘイトクライムは許さない。ただ、これまでそう公に表明してこなかった。ヘイトスピーチをする団体へのカウンターデモをする人々の存在をツイッターなどで知る度に、「頑張って欲しいな」とは思っていた。でも、自分はカウンターデモには行かなかった。また、ヘイトスピーチはダメだ、と、こうやって公言してこなかった。「わざわざ僕ごときが口に出さなくても」と思っていた。

でも、そういう静観・傍観者態度が、ヘイトスピーチへの「消極的荷担」をしてこなかったか? 「これくらい、言っても良いんだ」という人間の醜さ・愚かさの結果論的肯定に繋がってこなかったか? そして、そのようなヘイトに甘い環境が、今回の相模原での障害者への憎悪(ヘイト)に基づく大量殺戮(クライム)へと導かれなかったか。

それは、例えば都知事時代に「ああいう人って、人格あるのかね?」と発言した石原慎太郎氏のような、常に差別発言を繰り返す人を、放置してきたこともつながる。「有名人や政治家が言っているんだから、これくらい言っても大丈夫だ」というのが、日本社会の暗黙のルールになっていたのではないか? そして、それを許容し、そういうヘイトに甘い社会を作っていたのは、他ならぬ僕であり、あなたではないか? すると、今回の犯罪の土壌を作ってしまったことに、僕自身が全く無関係と言えるだろうか? そういう問いである。

僕は、「社会を変える前に、まず自分自身が変わる」ということを、自分の原則にしている。

今回の凄惨な事件を繰り返さないために、まず僕に出来ることは何か。それは、こういう考えを整理して伝えると共に、「あかんもんは、あかん」と繰り返し言い続けることだ。「言わずもがな」の世界ではない。ダメなモノはダメだと伝え続けないと、いつしかズルズルと、ダメなモノが許容され、このような打ちひしがれるような事件に繋がる。ヘイトスピーチやヘイトクライムは絶対許してはならない。それが、日本社会が変わるための、原点として求められていると僕は思うし、ヘイトクライムやヘイトスピーチを僕は絶対許さない。改めて、ここに宣言しておく。

「手段の自己目的化」を超えるために

職場で同僚と、大学の自己点検評価に代表される数値による評価の問題をおしゃべりしていたら、それを小耳に挟んだ科学哲学がご専門の森幸也先生から、「教育効果におけるエヴィデンス主義・実証主義の限界」という論考を頂いた。この論考がめちゃくちゃ面白かったので、ご紹介してみたい。森先生は、大学の授業の評価に関して、次の四つの項目に分けて整理している。

A 授業の個別内容の理解・習得
B 科学論的批判精神の涵養と科学の特質に対する理解
C 社会システムに対する複相的洞察
D この社会内での生きる姿勢、あるいは人間的成熟。さらには共同体への影響
この上で、「教育活動に宿された豊穣性を信じるならば、成果の重要度は、A<B<C<D」であるが、「成果の測定可能性については、A>B>C>D」である、と指摘した上で、「成果の測定可能性」について、次の様な疑義を示しておられる。
「教員が『教育目標とは測定可能なものでなければならない』と錯覚してしまう危惧を捨てきれない」
「エヴィデンスや実証主義は、よりよい教育活動を展開するという目的のための『手段』なのである。方法論を『目的』と錯認する倒錯を侵している」(p10)
これは極めて大切なことを指摘している。
文部科学省は今、補助金や交付金をダシに、大学への改革を次々に迫っている。まあ時代の転換点なのだから、必要な改革であれば、しなければならない、とも思う。でも、彼らが示すのは、数値目標であったりエヴィデンスとして示せ、というものばかりである。つまり、実際にどれくらい達成できたかを数値で示せるもの、を、クリアするように、度々求めている。これは「成果の測定可能性」で、改革の要求をされている、ということである。
だが、教育は「測定可能性」だけで計るものでは、もちろん、ない。AやBの一部は何らかの効果測定で計ることが出来るかも知れない。でも、高等教育機関に最も求められる、「成果の重要度」として最も高いはずの、CやDを評価しよう、ということが、文科省の姿勢からは感じられない。これは、森先生の表現を使えば、「方法論を『目的』と錯認する倒錯」そのものである。
ただ、もっと怖い妄想を抱いてしまう。
それは、文科省はそもそもCやDについては、大学教育の重要性として重きを置いてはいないのではないか、という妄想である。これが僕の妄想であれば良いのだが、以前L型大学とG型大学の分類に関する批判的ブログでも触れたように、文科省は本気でこのようなわかりやすい二分法を採用しようとしたり、あるいは数値目標だけで成果を測れる、と思い込んでいるのだろうか、と危惧する。さらにいえば、普通のL型大学に行くような大学生には、CやDのような人間的成熟はいらない。お上や上司が言うことを黙って粛々と従う、自発的隷従を求めているのではないか、とさえ、疑ってしまう。
森先生は、科学哲学論の系譜を紐解きながら、これを「ガリレオの倒錯」である、という。
ガリレオは、自然界の神秘を数学で解き明かそうとした。これを「実証主義」という。この実証主義は、「自然界から『質』的なものを削ぎ落とし」「自然界を探求するのに、数学的手法の適用で十分」と考えた(p12)。これがなぜ「倒錯」なのか。それを、森先生は次の様に喝破している。
「言い換えると、『自分の方法で把握できる世界こそが、真の世界である』という放漫で倒錯した思考が、ガリレオには宿っていたと思われる。これは『方法論原理主義』の一形態である。(略) 教育成果や教育目標において『実証的に提示しうる事柄のみが大事である』と錯認してしまう『倒錯』と同型の構造が、ガリレオの自然観の中には織り込まれていた。どちらも、『手段』を『目的』と取り違え、『手段』が特権化・絶対化してしまっているのである。」(p12-13)
文科省という役所の「行政指導」のやり方を見ていると、「『自分の方法で把握できる世界こそが、真の世界である』という放漫で倒錯した思考」が見て取れるのだが、これも僕の妄想だろうか・・・。
そして、この倒錯の本質的構造を、森先生はガリレオに基づき、次の様に述べている。
「ガリレオ自身はおそらく、運動理論を確立する際に、そこに哲学的『意味』が混入するのを慎重に避けていたと思われる。アリストテレスの運動論では、『なぜ』運動が起こるのか、を問題にしていた。それに対してガリレオは、『なぜ』とは問わずに、『いかに』運動は進行するのか、という問いにのみ答えようとした。戦略的に、哲学の問いを避け、技術、あるいは数学の問いに課題を絞り込んだのである。その意味で、フッサールがガリレオを『発見する天才であると同時に隠蔽する天才』と評するのも頷ける。」(p13)
ここに至っては、単に文科省批判を超えて、「お役所仕事」への共通性を見て取れる。
僕はアドバイザーとして色々な行政や社協と関わってきたが、役所や社協で働く人の中には、「なぜ」を問わずに、「いかに」をいかに上手に遂行するか、にエネルギーを投入してきた人を沢山見てきた。つまり、何らかの問題なり政策課題について、「法律で決められたからやる」という前提で動き、「なぜそれをしなければならないのか?」「自分の自治体にとって、そのことを行う事にどのような意味があるのか」という原理的な(哲学的な)「意味」の問いをすることなく、とにかく「決められたからするのだ」という「いかに」にのみ、取りかかる人が少なくないのだ。そして、大変残念なら、「いかに」思考のプロは、「なぜ」と結びつかないから、それを「業務」でのみ行い、とにかく「いかに業務として形にするか」に拘る。その施策が対象者・地域にどのような意味があるのか、を考えない。だからこそ、形だけ出来上がっても、実質的に機能しない、成果が見えない施策に繋がってしまう。
このような「なぜ」のない「いかに」が、いかにダメなのか、を散々見てきた。
そういう実感を持つと、文科省のお役人さんたちも、この「なぜ」という「意味」を問うことのない、「いかに」という問いへの埋没の危険性を感じてしまう。そして、そのような動きが、大学教育改革という問題を『発見する天才であると同時に隠蔽する天才』になってしまわないのか、という根本的危惧さえ、抱くのだ。
森先生は、この「いかに」への倒錯や実証主義、客観性への傾倒に、警鐘を鳴らす。
「客観性は、そうした背景を覆い隠し、説得力を持たせる『戦略』である。『この客観性の理想は、科学的であると同時に、政治的なものでもある』。統計的数値の背後に、さまざまな前提条件や価値観が伏在していることを、忘れてはならないだろう。」(p16)
AやBのみで、評価が出来たと思い込んでいる。これは「科学的であると同時に、政治的なものでもある」。「いかに」を遂行する能力を求め、その指示なり政策なりを「なぜ」遂行しなければならないのか、を問う力を養わせようとしないのも、一つの「政治的」な力動、パワーポリティクスが「伏在」している。その「統計的数値の背後」にある、「さまざまな前提条件や価値観」をこそ疑う力が、CやDの要諦である。これこそ、大学教育で最も必要とされている視点ではないだろうか。そして、そのような真の力を去勢する動きこそ、いくらもっともらしい「いかに」であっても、手段の自己目的化、として厳しく批判しなければならないのではないだろうか。
森先生の論考から、こんなことを考えていた。