トラウマの並行プロセスと回復共同体

読み始めたら圧倒的な迫力で、著者渾身のメッセージがビシバシ伝わってきたのが、毛利真弓さんの『刑務所に回復共同体をつくる』(青土社)である。彼女は日本ではじめて官民協働の刑務所での回復共同体(Therapeutic Community: TC)の立ち上げ支援をした心理専門職である。

このTCについては、坂上香さんによって『プリズン・サークル』として映画化されたので、ご存じの方も多いだろう。僕もコロナ下でオンラインで観てブログを書き、坂上さんの著作もブログで取り上げた。昨年1月には岡山の上映会でもう一度見て、坂上さんとも対談させて頂いた。その映像の中で、現場で訓練生と向き合う毛利さんの姿は非常に印象的であり、その甲高い声もまだ僕の中で残像として残っている。

ただ、彼女はその後大学教員になったと知っていたので、この経験を活かして研究者に転職されたのだろうと思っていた。そして、彼女の博論を元にした本著を見つけ、読むのを楽しみにしていた。読み始めて、序章からのけぞった。なぜなら、彼女は自発的に辞めたのではなく、TC現場に「出入禁止」!となったと書かれていたからだ。

「極めつきは、受刑者の前で刑務官に意見を述べた民間スタッフが次々と現場出入禁止になったことである。出入禁止を命じるのではなく、あくまで民間側が自分たちの判断で自粛したという形にさせるというのも嫌な感じが残った。実は私も、その出入禁止になった一人である。そして一年半後、現場には戻してもらえずそのまま退職した。ものを言えない雰囲気が作られていき、みんなが叱られないように頭を低くし、忖度して目立ったことをしないようにし始める。
それは、私がアミティで体験し、作りたいと思ったものとは真逆の場であった。刑務所で対話の場を作ることは、ある意味最も対等な対話が難しい場所で対話の場を作るという、非常に困難な、いわゆる『無理ゲー』への挑戦に近かったと思う。」(p14-15)

これを読んで、正直なところ、やっぱりそうだったか、とも思った。

僕は以前、オープンダイアローグが日本に広まった初期の頃、「精神病院の中でのダイアローグは無理だ」と東大講堂で言い放って、物議を醸したことがある。精神病院においては患者と医療者の非対称性が強く、「縛る・閉じ込める・薬漬けにする」ことが可能な病院のなかで、「利用者と対等に話しましょう」なんて簡単なことではないと思っていた。患者を治せない病院では、職員や病棟組織にもトラウマ状態が連鎖する「トラウマの並行プロセス」に置かれるからである。そして、こないだ矢原さんが書かれた本を読んで、刑務所内でもまず必要なのは職員同士の対話なのだと思った。そして今回毛利さんの本を読んで再度気づかされたのは、刑務所内での対話不全な組織環境の構造的問題である。その歪みが最も弱い部分で最大化され、毛利さんも「出入禁止」となったのだ、と。

「刑務所の組織は男性社会で、弱音を吐くことが許されないのは当然のこと、努力したことをほめてもらえる機会はほとんどなく、1つの失敗は単なる失敗と受け止められ叱られる。そしてそれらの評価は即、職務配置(どの部署でどんな仕事をするのか)に反映され、自分がどう評価されているかが自他に瞭然になる。大きなヒエラルキーの中にいて、下の者が上の者に物を言うなど許容されない。何より、彼らにも刑務官人生の中で傷ついたり失敗したりして自分なりに処遇スタイルを確立してきたというプライドがある。そんなところに、官民協働だかなんだか知らないが法務省の方針というお墨付きを得た民間の支援員達がポッと現れたら、自分たちのパラダイムを変えられるのではないかという脅威を感じるのも当然だろう。専門資格を持っているという支援員が新しい刑務所についての処遇理論や理念を話していたら、自分たちのこれまでの処遇を否定されるような思いを抱いたかもしれない。そのおそれは、変わることへのおそれと、変わることはこれまでの自分たちを否定することと同義だと誤解してのおそれだ。当の刑務官達は『おそれなんか抱いていなかった』と言うかもしれない。でも本当におそれを抱いていなければ執拗にたたきに来たり、いちいちマウントを取りに来たりする必要などなかったはずだ。本当に力のある人たちは『俺は偉い、お前はだめだ』と言って優位性を保とうとしたりしない。」(p244-245)

書き写していても、彼女の文章の気迫を感じる。彼女が刑務所という構造から排除されざるを得なかった(=出入禁止になった)背景論理や、マウント被害にあった現実に肉薄していく。そして、彼女の書いていることに、思い当たることがありまくる。それはぼく自身も、毛利さんほどではないが、批判の矢面に立ったことがあるからだ。

クローズアップ現代という番組で病院での身体拘束の問題がテーマになった際、ゲスト出演した。身体拘束に批判的なコメントをした後、ツイッターでは軽い炎上状態になり、「自分たちはこんなに頑張っているのに、あいつの発言は理想論だ」「現場をわかっていない」「おまえがやってみろ」と罵詈雑言を浴びせられた(これもブログに書いた)。四半世紀前、大学院生の頃、生まれて初めて担当した非常勤の授業で、「身体拘束やミキサー食は人権侵害だ」と述べた後、精神病院で夜勤をしている准看護師達から強烈に反発を喰らったのも同じ構造である。どちらも、毛利さんの言葉を用いるなら、「変わることへのおそれと、変わることはこれまでの自分たちを否定することと同義だと誤解してのおそれ」なのである。そして、現状肯定にはこのような「おそれ」がつきまとう。

「変わることはこれまでの自分たちを否定すること」というのは、学生たちと話していても感じることだ。授業で能力主義の構造的問題を議論していると、「それは受け入れがたい」という学生に出くわす。なぜかと深掘りしてみると、能力主義の「批判」は、自分自身の受験勉強の「否定」に思えるからだ、と。だから、最近では授業の冒頭で、「批判」と「否定・非難」の違いを必ず述べるようにしている。ぼく自身は存在や経験を「否定や非難」したいのではない。そうではなくて、現状とは違う、よりましな、別の可能性を探りたくて「建設的批判」をしているのだ、と。(これは僕のオリジナルではなく、人類学者のグレーバーが「別の可能性も想像できる」という意味で「批判的」と使っているのを真似ている。)

ただ、その現場「しか知らない」人は、しばしば「別の可能性」が想像できない。そのようなインプット経験もない。しかも知っている現場が、「弱音を吐くことが許されない」「下の者が上の者に物を言うなど許容されない」マッチョで懲罰的な究極の縦型組織だったら、どうなるだろう。すると、刑務官自身も心を落ち着けて働けず、ビクビクおびえながら仕事を続けるようになる。ちょうど新聞記事にもなったが「仕事にやりがいはない」と感じる刑務官だって増えていくはずだ。

先ほどの引用の直後に、毛利さんはこうも書いている。

「非常に感情を消費する仕事であるうえに、こうして何も迷いのないふりをして堂々としていることを求められるのは、心に強い負荷がかかるのだと感じた。傷付きを負った対象者を扱うことで自身も傷つく二次被害と、彼ら自身の傷つきの双方があるにもかかわらず誰にも扱われない、『トラウマを受けた組織の影響を受けている人たち』という言葉が頭に浮かんだ。」(p245)

これも精神病院と共通している。本来、病院は通過施設であり、治療をし回復すれば地域に戻すことが求められている。だが、現実の精神病院の多くが、長期に社会的に入院させ続けてきた。実際に病院に長期間入院させることによって「施設病」状態になっても、入院させ続けるしかないと思い込んで、抱え込んできた。「家族丸抱えか施設丸投げ」の二項択一構造に国自身も加担してきた。地域の中で精神障害のある人の回復を支える支援は日本の中でもあちこち芽生えているのに、厚労省は脱・精神病院やコミュニティメンタルヘルス推進に向けた政策誘導する仕組み作りは、本当にずっと放置されてきた。

厚労省と同様の放置が、法務省でもあったのだと、毛利さんの論考を読んでいて感じた。本来、刑務所も通過施設であり、受刑者を再犯しないように更生させて地域に戻すことが求められている。でも、秩序を護ることのみが重視され、受刑者の更生についても、「反省の色が見えない」(p285)などのパターナリスティックで主観的・情緒的判断が主になっている。毛利さんもこの言葉を言われて出入禁止が継続したので、この主観的評価は職員相手にもなされている。ということは、これはろくでもない刑務官個人とか、良くない個々の刑務所組織、といった単独の問題ではない。日本の矯正行政において、どのように受刑者の傷付きや生育歴に向き合うか、その上でいかにして受刑者の生き直しを支援するか、というアプローチを全く取ってこなかった。そういう組織風土が醸成されてきたのであり、それを温存していた法務省の政策的瑕疵なのである。

だからこそ、遅まきながら刑法改正に伴い、2025年7月から拘禁刑を導入し、対話実践なども入れようと、刑務所改革が始まっている。その中で、どういう方向性を目指せば、受刑者の更生可能性があるのか。それについても、本書の中でふんだんに触れられている。

まず、犯罪についての私たちの認識を改める必要があると毛利さんは述べる。

「犯罪をする人全員に当てはまることではないが、犯罪行動は、自分のしんどさを抱えられずに外(誰かもしくは何か)に解決を求める行為である。したがって、まずは、言葉にする前のしんどさを抱える力を伸ばすところからだった。もちろん抱えることができても、今度は握りしめていたものを手放すこと(語ること)も難しい。そしてそれが難しいのは、罪を犯した人たちだけではなかった。」(p13)

もしかしたら正義漢の強い人にはこの表記だけでも許せないかもしれない。犯罪者を甘やかしている視点ではないか、と。誤解なきように付け加えたいが、毛利さんは犯罪を正当化するためにこのような論理を述べているのではない。そうではなくて、犯罪行動とは何か、なぜ・どのように生じるのか、というパターンや構造を理解し、個々の受刑者がそこに陥った背景構造も理解した上で、そのことに向き合わない限り、ほんまもんの意味での再犯防止には繋がらない、という非常にロジカルな視点である。薬物依存領域で「ダメ、ゼッタイ」がダメなのと同じように、厳罰主義では何も変わらないのである。

では回復共同体は受刑者達を甘やかしているのか? 実際のやりとりを見ていると、単なる刑務作業より、ある意味かなりキツいやりとりが行われていた。

「個人としても、社会にいれば『あいつは嫌い』と言って口もきかなかった存在と話をする貴重な経験ができる。実際にTCの訓練生から他人の悪口を聞くことも多かったが、『嫌っているのはあなたの心で相手のせいじゃないですよ。なんで嫌いか考えてみてください』と言うと、偉そうだった父親を思い出すとか、いい顔ばっかりしているのが嫌いだったが自分も周囲に評価されたい気持ちが強いのにそれを認めていないだけだったなどと考え、結局は自分の問題だったと気づく。TCは『方法としてのコミュニティ』とも言われるが、コミュニティ内でリアルタイムに起こるいざこざを通して、自分を知り、他人を知り、感情と行動をコントロールしつつ、適切に自分の考えや気持ちを相手に伝える方法を学ぶことに重きを置いている。」(p153)

僕にもあなたにも、「嫌いな奴」はいるだろう。そして、大体「あいつは嫌い」というとき、あいつのどこが嫌いなのか、と相手に矢印が向いているだろう。でもTCでは、「嫌っているのはあなたの心で相手のせいじゃないですよ。なんで嫌いか考えてみてください」と矢印が相手ではなく、自分に向けられる。しかも「コミュニティ内でリアルタイムに起こるいざこざ」を元にして、そこから自分自身を見つめ直す作業をさせるのである。これはめちゃくちゃキツいことだ。そしてこの見つめ直しは、先ほど引用した「言葉にする前のしんどさを抱える力を伸ばす」ことや、「握りしめていたものを手放すこと(語ること)」につながる。さらに言うと、こういう「しんどさを抱えること」や「握りしめていたものを手放すこと」が不得意なのは、受刑者に限らない。専門職や一般人、あなたも私も、みんなこれに慣れていない。回復共同体(TC)では、訓練生だけでなく、ワークを行うスタッフ達にも、この力が問われていた。そういう意味では、支援者が訓練生を教え導く、のではなく、共に自分を見つめ直し、相手に伝え合うコミュニティが徐々に形成されていったのだと、読んでいて感じた。

また、日本の刑務所TCが参考にしたアメリカのアミティの教材では、こんなことも述べられていた。

「自分自身をかわいそうと思うこと(自己憐憫)と、心から後悔することは違います。多くの人にとって、これを区別するのは難しいことです。あなたが本当に変化しようと思うならこの区別を正しくすることが非常に大切です。
自己憐憫は逃げようのない罠になりますが、心から後悔することは、それができるなら自由と解放につながります。
多くの人が心からの後悔のサイクルの途中でひっかかり、後悔が自己憐憫へと麻痺し、ついには自己破滅、恨み、自己破壊的行動を育んでいるのです。
あなたが自分自身をかわいそうと感じたときのことを思い出してください。」(p190)

これも結構キツいワークである。

受刑者が出所後再犯するプロセスの中には、「後悔が自己憐憫へと麻痺し、ついには自己破滅、恨み、自己破壊的行動を育んでいる」部分が多分にあるだろう。「自分はかわいそうなんだんから○○しても許されるだろう」というのは、その認識枠組みを一度持つと「逃げようのない罠」になる。自分はかわいそうなんだから悪くない、というパターンもあり得る。犯した犯罪に対しての「心からの後悔」は、矢印が自分に向くしんどい作業である。自分や他人を深く傷つけた言動を振り返り、それと向き合うのは、先ほどと同じで徹底的に自分の心と向き合うことである。刑務作業をしていても、あるいは独房に閉じ込められたり、刑務官から説教されていても、「心からの後悔」は生まれない。後悔と自己憐憫の違いを考えるワークに向き合わないと、こういう感情は生まれてこないのだ。

「少なくともこれからの人生を自分でコントロールできる、自分次第だと思えた人は、強い。もちろん自分のしたことを忘れてはいけないが、これからの人生では、被害者でも加害者でもなく、犯罪者でも前科者でもなく、一人の人として自他を傷つけない生き方を選ぼうとすることができるようになる。罪を犯した人生からの回復にまず必要なのは、被害者の痛みを知らせることや、刑務所でしんどい思いをさせて事件の重大さを痛感させることではない。学習と成長の場と、自分の人生の主導権を取り戻す機会だ。自己憐憫を引きずったまま主導権を取り戻せなければ、『自分が』被害者に傷を与えたという本当の意味での責任は自覚できない。」(p193)

日本の刑務所で回復共同体を手探りの中から作り上げてきた第一人者の毛利さんだからこそ、「罪を犯した人生からの回復にまず必要なのは、被害者の痛みを知らせることや、刑務所でしんどい思いをさせて事件の重大さを痛感させることではない」と断言する。これは非常に重要なことである。懲罰は再犯防止に直接的な効果がないとはっきり述べている。その上で、自己憐憫に引きずられることなく、「学習と成長の場と、自分の人生の主導権を取り戻す機会」が作れるかどうか、が回復可能性や心からの後悔につながると述べる。それが犯罪からの「自由と解放」につながるのだ、と。

そして、これは刑務所で働く刑務官にも、同じ事が言えるだろうし、むしろそういう職場に変わっていく必要があると、本書を読んで痛感した。マッチョで上意下達で上司の命令はゼッタイな組織であれば、そこで働く個々人の刑務官の「学習と成長の場と、自分の人生の主導権を取り戻す機会」がない。そんな現場では、受刑者に対しても、同じように上意下達でマッチョで懲罰的な言動が繰り返される。これがトラウマの並行プロセスである。だからこそ、先進他国で常識とされているダイナミックセキュリティ(動的保安:刑務官と受刑者との信頼関係の構築、積極的な処遇の展開が、刑務所の保安にとっても大きな役割を果たすことができるという考え方)を、刑務所組織で学び、その風土を取り入れていくために、矯正職員自身が成長する機会を取り戻すことが大切だ。それを通じて、刑務官ひとりひとりが、まずは自分自身の「声」を取り戻せるかが鍵なのだろうと、この本を読んでいて感じた。

最後に、素敵なフレーズを引用しておく。

「また、是非自分のことを語る経験もしてほしい。私たちは皆、何かしらの当事者性を持っている。そして以外と、人に自分のことをじっくり聞いてもらう機会はない。話してみると、思いもよらぬ傷を思い出したり、傷つけられて二度と回復しないと思っていたしこりが変化したり、これが自分だと思っていたものが違っていたことに気づいたりするかもしれない。ぜひ、発見を楽しんでいただきたい。」(p352)

回復共同体の魅力をぎゅっと凝縮したフレーズである。また拘禁刑の導入と共に刑務所に導入されることになった「対話実践」のコアでもある。対話をしたからと言って、すぐに改善や更生、社会復帰が出来るのではない。でも、「人に自分のことをじっくり聞いてもらう機会はない」のは、受刑者だけでなく、刑務官も同じである。精神病患者だけでなく、精神病院で働くスタッフも同じである。まず支援する側が、「人に自分のことをじっくり聞いてもらう機会」を持たないと、他者の話をじっくり聞くことはできない。そして、「じっくり聞いてもらう」なかで、「思いもよらぬ傷を思い出したり、傷つけられて二度と回復しないと思っていたしこりが変化したり、これが自分だと思っていたものが違っていたことに気づいたり」という「発見を楽」めないと、他者とも対話ができない。

刑務所や精神病院だけでなく、入所施設や老人病棟、児童養護施設など、社会学者ゴッフマンが「全制的施設(total institution)」と述べた全ての場で真っ先に必要とされているのは、そこで働く支援スタッフの人々が、「人に自分のことをじっくり聞いてもらう機会」を作ることである。こうやって支援スタッフの「学びと成長」を保証し、彼ら彼女らが自らの人生の主導権を取り戻せる場でに変わることでしか、トラウマの並行プロセスを逃れる可能性はない。

化学物質ではなく心と社会の不均衡

貧困研究や若者研究が専門の知り合いが高く評価していたので、ヨハン・ハリ著『うつ病 隠された真実』(作品社)を読んだ。圧倒的な迫力で、普遍性が高く、確かに読ませる1冊である。

この本が信用できるのは、まず世界中の精神医療関係者へのインタビューを行い、膨大な論文を読みあさったジャーナリストによる著作であるという点、しかも著者のヨハンさん自身もうつ病で苦しんだ経験当事者であり、その視点から「本当に薬は効くのか?」という問いをぶつけ続けてきた「研究成果」であるという点だ。

死別によるトラウマが専門のジョアン・カッチャトーリ氏とのやりとりが、特に印象的だった。

「ジョアンはぼくに言った。わたしたちは『状況を考慮にいれること』をしない、と。人間の感じる痛みというものを、あたかも人生とはまったく切り離された一つのチェックリストによって査定でき、脳の病気であるとレッテルを貼ることができるかのように振る舞っている、と。
それを聞いたぼくは、自分も13年間抗うつ薬を処方されていて、用量も次第に増えていったのだけど、その間、ぼくがそのように苦痛を感じる理由が何かあるかと、医者から尋ねられたことは一度もないという話をした。ジョアンはぼくに言った。ぼく自身に異常があるわけではない、ある種の災害のようなものだ。医者たちのメッセージ—われわれの感じる痛みは単に脳の機能不全に由来する—こそが、わたしたちと『わたしたち自身との絆を断ち切る、ということはつまり他者との絆も断ち切るのだ』と。」(p57)

うつ状態を「脳の機能不全」だと単純化するならば、それは私たちの生きている「状況を考慮に入れること」がなくなる。近代科学においては、そうやって個人因子を取り去って生物学的な機能面での同一性にのみ着目する「操作的定義」を行う。そうやって「ノイズ」を除去し、「科学的」な原因を特定し、結果を一元的に把握し、その因果モデルに則った対処療法となる薬を開発する。「セロトニンの不足には、この薬が効果的です」と。

ただ、抗うつ薬を処方する際、「そのように苦痛を感じる理由が何かあるかと、医者から尋ねられたことは一度もない」のは、ヨハンさんだけではないと思う。もしかしたら、標準的な生物学的治療を信奉する精神科医にとって、「操作的定義」が排除する個人の悲劇を聞いていても、時間が取られるだけだし、それは「ノイズ」だと感じる人もいるかもしれない。あなたが苦痛に感じる理由を聞いたところで、それはあくまでも個人の主観に過ぎませんよね、と。

だが脳の機能不全に原因を単純化すると、見えなくなることがある。それが、「わたしたち自身との絆を断ち切る、ということはつまり他者との絆も断ち切るのだ」という点である。この部分は、本書の本質的な核になる。本書の英語の原題は“Lost Connections: Why you’re Depressed and How to Find Hope”であるが、つながりや絆を失うことで、絶望的な経験はますます深まっていく。その際に、どう視点を切り替えればよいのだろうか?

「ジョアン・カッチャトーリと話してからだいぶん時が経って、自分でも大幅に調査を進めたあとで、ぼくは再びこのときのインタビューの音声を聞き直した。そのときぼくは、悲嘆とうつが同じ症状を呈するという事実には、何か重要なところがあるのではないかと考え始めたところだった。その後のある日、うつを抱えた人たちに話をきいたあと、ぼくはふと自問した。うつが、実は悲嘆の一形態だったらどうだろう。本来あるべき状態にない自分たちの人生を悲しんでいるのだとしたら? あるいはぼくらが失ってしまった、でもまだ必要としている絆を惜しんでいるのだとしたら?」(p59)

悲嘆とうつが同じ症状を呈する。言われてみれば、ものすごく当たり前のことなのだが、操作的定義がされてしまうと、そうではなくなる。「本来あるべき状態にない自分たちの人生を悲しんでいるのだとしたら? あるいはぼくらが失ってしまった、でもまだ必要としている絆を惜しんでいるのだとしたら?」と問うてみると、すべきことは「しっかり話をきく」こと一択なのだ。でも現実は、ヨハンさんがいうように、「13年間抗うつ薬を処方されていて、用量も次第に増えていったのだけど、その間、ぼくがそのように苦痛を感じる理由が何かあるかと、医者から尋ねられたことは一度もない」のである。これが、うつ病を巡る、単純だが最大の落差なのである。そうやって、患者は自分の苦痛や苦しみの理由について話を聞かれることはなく、自分や他者とのつながりを断ち切られ、薬に依存し、でもそれでは治らず、袋小路に陥るのである。

ではどうすればよいのか?

そのことのヒントが本書にはちりばめられているのだが、どうしても紹介したいのが次のエピソード。抗うつ薬もプラセボも変わらないと主張する、『抗うつ薬は本当に効くのか?』の著者アーヴィング・カーシュに真っ向から反論した抗うつ薬の擁護者、ピーター・クレイマー博士は、自身の論を正当化するために製薬会社の治験会場に赴く。法律で謝礼が40ドル〜75ドルと制限されているなかで、うつ状態の人に治験薬を受け入れてもらうために、こんな努力がなされていたという。

「ピーターは、貧しい人々がバスに乗せられて町外れから連れてこられ、日頃家では得られないような上等な心遣いの数々を受けるさまをじっと観察していた。たとばセラピー。そこでは誰もが話をじっと聞いてくれる。あるいは一日中くつろげる温かな場所。医療。そして貧困ライン以下の者にとっては収入が二倍にもなるお金。
こうしたことを観察したピーターは衝撃を受けた。このセンターに姿を見せた人たちは、たまたまそのときそこで検証されているどんな条件にも自分が合っているように見せかける強力な動機があるということだし、また治験を実施しているのは営利企業なのだから、その人たちの言うことを信じているように見せかける、これまた強い動機があるということになる。」(p46)

これは非常に象徴的である。薬が効くか効かないか、以前に必要とされていることを、実は製薬会社も知っているのである。

「たとばセラピー。そこでは誰もが話をじっと聞いてくれる。あるいは一日中くつろげる温かな場所。医療。そして貧困ライン以下の者にとっては収入が二倍にもなるお金。」

つまり、じっくり話をきいてもらえる、心からくつろげる、自分のことを心配してくれる人がいる、お金の事で心配しなくてもよい・・・といった、自分や他者との絆(Connections)が取り戻されている状況があれば、その人は安心が出来るのである。そして、そのような安心できる環境で治験をすれば、それは薬は効くにきまっているのである。だからこそ、「科学界を代表する抗うつ薬の擁護者であるピーター・クレイマーが、薬を擁護するために、薬が効果的だとする科学的エビデンスをくずだと言った」。

「治験そのものが、ペテンだ」(p47)

それ、言うたらあかんやん奴やん・・・! 抗うつ薬の擁護者は、治験現場を見て、科学者であるがゆえに、嘘がつけなかった。製薬会社も被験者も言わないことを、言ってしまったのだ。「王様は裸だ」と。

そして、この本がすごいのは「うつと不安の9つの原因」を述べるだけでなく、「絆の再建」のために大切なこともしっかり提起している点である。しかも「社会的処方」や「ベーシックインカム」、「意味ある仕事につながる」「子ども時代のトラウマを認め、乗り越える」といった、極めて真っ当な解決策を提示している。しかも方法論だけではなく、そもそもうつ病に向き合う価値前提も捉え直そうとする。

「『うつは一種の自意識の拘束なんです』と、ビル・リチャーズはぼくに語った。ビルはジョン・ホプキンス大学での治験チームの一人だ。『うつの人たちは自分が誰か忘れてしまっている、自分に何が出きるのかを忘れてしまっている、自分がのめり込んでいたものを忘れてしまっているのだと言っていいかもしれません。・・・多くは自分の痛みしか、自分の受けた傷しか、自分の恨みしか、自分の失敗しか見えなくなっているのです。青い空も黄色く色づいた葉も目に入らないのです。わかりますか?』 自意識をもう一度開いていくプロセスによって、この拘束を壊すことができる。そしてそれによって、うつを壊すこともできるのだ、と。そのプロセスはエゴの壁を取り払い、たいせつなものと絆を結ぶために自分を開いてくれるのだ。」(p324)

「自分の痛みしか、自分の受けた傷しか、自分の恨みしか、自分の失敗しか見えなくなっている」状況とは、想像するだけでも息苦しくなる。そして実際、うつとはそのような息苦しい状態であり、「自意識の拘束」=「エゴの壁」である。「どうせ」「しかたない」と可能性に蓋をしてしまう。その際、確かに脳の何らかの気質の特性や異常があるのかもしれない。でも、他ならぬ私自身の痛みや傷、恨みや失敗は、あなたのそれとは異なる。生物学的な状況がたとえ特定できたとしても、傷や痛み、恨みや失敗は、薬だけでは癒えない。ゆえに多くの人が「自意識の拘束」=「エゴの壁」に囚われてしまう。その悪循環から脱出するためには、「自意識をもう一度開いていくプロセス」が必要不可欠だと筆者は述べる。なぜなら、自意識の拘束を超えることで、自分が誰かを思いだし、自分に何が出きるのかを思いだし、自分がのめり込んでいたものを思い出すことが可能になるからだ。

イギリスで社会的処方に取り組む医師のサムは次のように言う。

「とりわけうつや不安の場合は、『どうしましたか?』と尋ねるのではなく、『あなたにとって何が大切ですか?』を尋ねるようにしなくてはならないことを学んだとサムは言う。解決策をみつけたいと思うなら、うつや不安を抱えた人が、人生で何をなくしてしまっているのか耳を傾け、なくしてしまったものを取り戻す途を見つける手助けをしなければいけない、と。」

自分自身の「痛みや傷、恨みや失敗」に苦しめられ、そこから抜け出せない人に、「どうしましたか?」と尋ねても、傷口に塩を塗り込むだけかもしれない。であれば、それより「あなたにとって何が大切ですか?」と聞く方がよい。それは、不安や心配ごとではなく、希望や夢に目を向けることだからだ。だからといって、しんどい状況について尋ねないわけではない。「人生で何をなくしてしまっているのか耳を傾け、なくしてしまったものを取り戻す途を見つける手助けをしなければいけない」というのは。その人の悲嘆や喪失の物語をじっくり伺った上で、ではどうすればそこから何かを取り戻せるのか、を一緒に考えることである。これは、薬の処方では出来ないことだ。

その上で、筆者はうつ状態に苦しみ始めた10代の自分に向かって、こんな風に最後語りかける。

「君は脳内の化学物質の不均衡で苦しんでいるんじゃない。君が苦しんでいるのは、われわれの生き方における社会の不均衡、心の不均衡だ。これまで君が聞かされてきたことのほかに、はるかにたくさんの問題がある。セロトニンじゃない。社会なんだ。君の脳じゃない。君の痛みなんだ。君の生物学的機能の不調が、君の苦悩を悪化させることは確かにある。でもそれは原因じゃない。それは後押しをするだけだ。だから一番の解決策を求めているなら、探すのはそこじゃない。」(p351)
「うつは、有意な程度に、われわれの文化の中のおかしな方向に進んできてしまった部分に由来する集団的な問題であると理解した以上、その解決も—有意な程度に—集団的なものでなければならないのは明らかだ。つまりぼくらは、文化を変えなければだめなんだ。そうやってもっと多くの人たちがそこから解放されて、自らの人生を変えることができるようにならなければだめなんだ。」(p356)

生物学的な精神医学では、うつは「脳内の化学物質の不均衡」と説明される。だが、この本の結論では、「化学物質の不均衡」説は退けられ、「われわれの生き方における社会の不均衡、心の不均衡だ」と著者は喝破する。「セロトニンじゃない。社会なんだ。君の脳じゃない。君の痛みなんだ」と。社会的な抑圧や力の不均衡、そしてそれが個人に内面化された際の、個人の不安やストレスの最大化。そういった悲嘆や苦しみ、生きる苦悩の最大化こそが、うつの元凶にある。そして、それは個人的な問題ではない。物質主義化した西洋近代社会という「集団的な問題」である、とだからこそ、パキシルを飲んでも状況は改善しない。本当に状況を変えるためには、「文化を変えなければだめなんだ」と。

本書では、オープンダイアローグもイタリアの精神医療改革も、一切登場しない。でも著者のこの結論は、病気から生きる苦悩へのパラダイムシフトを果たしたバザーリア達の達観とも通じるし、近代合理主義に自閉した人工的な生態系を越えて、「一神教的な裁定者・裁定システム」の限界を超えた結論なんだと改めて感じた。

『どうすればよかったか?』を観て

映画「どうすればよかったか?」をやっとみた。(今日のブログは映画のネタバレあり!です)

両親が医師で研究者でもある、というエリート家庭で育った藤野雅子さん。親の期待を一身に背負い、4度目でやっと医学部に入学する。そして、在学中に統合失調症らしき状況に陥り、救急車で父の教え子のいる精神病院に運ばれるものの、翌日には「彼女は病気ではない!」ときっぱり言い切る父が連れて帰る。以後25年間、精神科を受診することなく、家に閉じ込められた状態だった。その姉のことがずっと気になっていた8歳下の知明さんは、「研究者の父と母は偉そうに理屈を言うが、姉に対し無力で事実をかくす嘘つきだと感じた」(パンフレットp5)という。彼は、研究者の夢を捨て、映像学校に通ったあと、2001年からずっと家族3人を被写体にカメラを回し続ける。そして出来上がったのが、本作である。

知り合いが何人もみて、色々な感想を教えてくれた。でも、僕は見る踏ん切りがつかなかった。それは、「家の中で鍵をかけて閉じ込めている」「25年間の未治療」・・・といった前情報でうんざりしていて、わざわざしんどい気持ちになる映像を2時間も見てられるだろうか、が不安だったからだ。ただ、精神医療に詳しい友人たちが「モヤモヤするけど、見る価値はある」と教えてくれたので、ようやく重い腰をあげた。

で、見てどう感じたのか。それは友人の評価と一言一句変わらない。「モヤモヤするけど、見る価値はある」という感想である。

まがいもない本物の「家族の葛藤と修羅」が描かれていた。

幻聴や妄想に支配されたのか、独自の世界について語り続ける雅子さん。それに対して、医師の父母は、幻覚妄想を聴いてはいけない、というその当時の医学教育を踏襲してか、彼女のしんどい言葉や叫びにまったく応答しようとしない。でも、毎日ご飯を作り、食事を囲み、彼女を「まともな人」であると思って付き合おうとしている。見ているようで、見ていない。聴いているようで、聴いていない。退職後立てた都市郊外の立派な外見の邸宅の中で、夫婦で研究所を作り、医学部を卒業して家の中にいる娘を手伝わせていた、という。彼女の葬式の際、父は娘と一緒に書いていた論文を棺に入れた。あくまでも、彼女を「親が想定するまともな人」の枠の中で捉えて、それ以外の部分は「見て見ぬ振り」をしているように見えた。

にもかかわらず、雅子さんは強烈な存在として、あの家の中で存在した。嵐を避けるかのように歯を食いしばってじっと様子をうかがっているか、と思えば、饒舌に「あちらの世界」からの呼びかけに応答している彼女がいる。時には叫び、苦しいことを伝えようとする。その映像を見ると、幻覚妄想に支配された「あちら側の人」に一見思える。以前の僕なら、そう思い込んでいたかもしれない。でも、どんなにしんどい時でも、叫んでいる時でも、「お茶あるよ」という声かけに一瞬応答したり、黙り込んで自分の世界にこもっているように見えるときでも、カメラ越しの知明さんをちらっと見ている雅子さんがいた。つまり、彼女は「あちらとこちら」を行ったり来たりしながらでも、強烈に存在していたのである。それを、知明さんはずっと捉えようとしていた。その一方で、父と母は、見ようとしていなかった。

そして、母が認知症になり、父は母も娘も一人で支えきれないと思って、やっと知明さんの提案に応じ、精神科への入院を決断する。三ヶ月で合う薬が見つかり、家に帰ってきた際には、「あちら側の人」の部分がずいぶんなりをひそめ、「こちら」の世界で生き始めた。母が亡くなった後は、朝食を作るようになり、買物や宝くじを買いに行き、好きなタロット系の買物もし、父と知明さんと三人で旅行にも出かけた。25年分の青春を取り返すように、少しずつ、生活を楽しみ始めた。正直言えば、彼女のこのリカバリーの部分が映像に入っていたから、この映像は、何とか最後まで見ることが出来た。

で、知明さんは、この映画を、姉の統合失調症の発病の原因を探ったり、両親を糾弾することが目的で作ったのではない、という。だからこそ、僕もそれはしない。彼はパンフレットにこうも書いている。

「我が家は統合失調症の対応の仕方としては失敗例でした。
現在は統合失調症を発症しても通院しながら仕事に就いている方々の話も聞きます。
医学の助けを借りることはもちろん、家族会や専門家、書籍、ネット、色々な助けがあります。隠したり、閉じ込めたりしたら、その先は袋小路です。それだけは確かです。」(p8)

そう、知明さんが書くように、「隠したり、閉じ込めたりしたら、その先は袋小路」なのだ。その家族の修羅や葛藤を、彼は隠さず、閉じ込めることなく、「どうすればよかったか?」という映像として私たちに示してくれた。

「私はどうすべきなのか、25歳くらいで自分なりに答えを出しました。
まず事実を受け入れて、次に解決のための行動をとる。
しかし両親を説得し姉を受診させるまでに25年もかかってしまったのはあまりに長すぎました。
もっと良い方法はなかったのか、今も自問しています。
このタイトルは私への問い、両親への問い、そして観客に考えてほしい問いです。」(p8)

ここからわかることは、医師で研究者の両親は雅子さんのしんどい状況を、そのものとして「事実を受け入れ」ることが出来なかった。そして、おだてて医師免許を取らせようとさせたり、それが無理なら家の中で一緒に研究をしたが、「解決のための行動をとる」ことを頑なに拒否した。知明さんはその状況を理解しながら、息子・弟という「立場」で、一人で状況を変えることが出来なかったのだ。

この映画評で、オープンダイアローグを実践する医師である斎藤環さんはこんな風に述べている

「「ぼくならどうするか?」は言える。僕はお姉さんと「対話」してみたかった。誰からもスルーされた意味不明な話題に食いついて、理解できそうな断片を掘り下げたり、どこがわからなかったか感想を伝えたり、すれ違い続ける対話に家族みんなを巻き込みたかった。それができると強く感じた。」

僕もこれに強く同感する。

雅子さんは、「あちらの側」のエネルギーに強く巻き込まれている時でも、「こちらの側」との接点は確実にあった。カメラを向ける知明さんを認めていた。だからこそ、彼女がその状況でどう苦しくて、どんな風に感じているのか、その声を聴いてみたかった。話すまで待ってみたかった。知明さんは書いているが、「母は私が姉に話しかけても姉の代わりに答えることがしばしばありました」(p5)そうだ。お母さんに奪われる前の、彼女の声が聴きたかった、というのは、僕が映像を見ていていも、強く感じた。

そして、知明さんがカメラを持って果敢にチャレンジしたことは、カメラという「第三者」を持ち込んで、「すれ違い続ける対話に家族みんなを巻き込」もうとする努力だった。でも、知明さん一人とカメラだけでは、医者であり研究者という親の圧倒的で時に抑圧的な、有無を言わせぬパワーに対抗しきれなかった。そして、母が認知症になる、という形でパワーを失いかけるまで、状況が25年続いたのだ、ともいえる。

「どうすればよかったか?」を僕は軽々に言う気にはならない。

でも、これからの社会で、雅子さんと同じような状況に合っている人と出会った際、「これからどうすればよいか?」は言える。それは、家族以外の第三者を巻き込んだ対話をしていくことである。「すれ違い続ける対話に家族みんなを巻き込」みながら、袋小路の回路を開くことである。

雅子さんが発病した90年代とは異なりオープンダイアローグやACTなどが、日本でも展開され始めた。以前紹介した近田真美子さんの『精神医療の専門性—「治す」とは異なるいくつかの試み』(医学書院)の舞台であるACT-Kのようなチームが藤野家に関わることができれば、雅子さんの苦悩、だけでなく、父や母の孤立や頑なさ、にも別の視点から関わる事が可能だ。そういう意味では、入院させることなく、地域の中で、25年後に雅子さんが笑顔で暮らしていたような支援が、今では日本でも可能なのだ。だからこそ、「これからどうすればよいのか?」の可能性が、既にそこかしこにある。

そのことを言語化しておきたくて、今日のブログを書いた。いずれにせよ、やはり見て良かった映画だった。

治療や支援を要する「病気」ではない不調

紀伊国屋じんぶん大賞2025を見ていて、自分の知っている領域で、知らない著者の本が紹介されていた。それが今回ご紹介する尾久守侑著『病気であって病気じゃない』(金原出版)である。1989年生まれの若手精神科医の本だなぁ、と思いながら読んでいて、p71の図と出会って、おおおーーーーってなった。

「健康」と「病気」の間に、「治療を要する「病気」ではない不調」があると精神科医から見えている。だが、患者からは「自分のせい」なのか「病気」なのか、二択である。患者は「病気」か「病気じゃない」か、の二者択一で、医者にどっちですか?と尋ねてくる。でも、医者からすると、何の問題もない「健康」と、明らかに急性期治療が必要な「病気」の間に、膨大な領域の・しかも健康と病気の間のスペトラム上に、「治療を要する「病気」ではない不調」がある。それが、「病気であって病気じゃない」状態である。そう整理しているのである。

その上で、「病気」と「病気じゃない」を以下のように整理している。

「『病気』『病気じゃない』が、様々なイメージで捉えられていたり、状況によって意味合いが変化することを述べてきましたが、こと、本項に関しては『病気』=概念化・単純化、『病気じゃない』=個別性をみる、というニュアンスで使っています。この前提をもとに『病気であって病気じゃない』と考えるのは、この精神科医と心理士の役割の分裂をやめて、一人で『病気』も『心』も両方みようや、という発想になると思います。」(p82)

病気だと○○疾患・症という形での概念化や単純化がなされている。その結果、標準的な治療が可能になり、クリニカル・パスに代表されるような、標準的な治療経路が導ける。だが、病気じゃない部分として、個々人の性格や発達上の特性がある。これは個別性をみる必要があり、標準的な支援ではずうまくいかなかったり、患者から反発されたりする可能性がある。

その上で、ゴミ屋敷とかリストカット、薬物依存や自傷他害、認知症のBPSDのような「問題行動」「困難事例」に関して、治療を支援に変えて、「支援を要する「病気」ではない不調」と僕は言い換えてみたくなる。「問題行動」「困難事例」とラベルが貼られる対象者について、精神疾患や発達障害、認知症などの「病気」のラベルを支援者は貼りたがる。病気の治療が必要なので、精神病院に入院するしかない、と。でも、その人の「支援を要する「病気」ではない不調」は、もちろん精神科医にも関わってほしいが、精神科医だけではなんともならない。生活支援上の困難や生きる苦悩なので、支援チームが多機関協働で連携して、お互いにできるサポートを出し合う方が、遙かに効率的である。(そのことについては『多機関協働がうごき出す:全方位型アセスメントを使った困難事例の解きほぐし方』という新刊を仲間と出したところだ。)

つまり、「治療や支援を要する「病気」ではない不調」に関して、精神科医に丸投げするのではなく、当事者や家族、福祉現場の支援者が丸抱えをするのではなく、チームで連携しながら、個別性と普遍性が複雑に絡み合った事例を解きほぐしていく方がよいのである。その際に医者が患者にできることは、病名を付けた後だ、と尾久さんは述べる。

「重要なのは、できればつけたくなかった『病名』をつけた後だと思うのです。『不調』の治療は、不調になっている自分をわずかでも俯瞰して認知するところから始まると私は思っています。」(p103)

「治療や支援を要する「病気」ではない不調」を抱えている当事者は、「健康」や「病気」のどちらでもない、「病気であって病気じゃない」状態で苦しんでいる。自分のせいにも、病気のせいにも、どっちにもできなくて、しんどい状況にある。その時に、「不調になっている自分をわずかでも俯瞰して認知する」ことができれば、不調の悪循環から距離を置くことができる。そのための、「操作的定義」として「病名」が役に立つなら、それを用いるのは悪くないのではないか、という整理である。

これは、非常にプラクティカルで、本人にとっても侵襲的ではないやり方だと思う。

「本書にこれまで出てきた『病気であって病気じゃない』のなかで、一番分裂していない捉え方は、『病的な側面』と『健康な側面』の両方が人にはあるとした考えだと思いますが、なにが違うのかと考えると、やはり『病気』という概念を使っていないところがポイントかなという気がしています。
『病気』というのはある精神現象を切り取ってしまう、固定してしまう。『病名』をつければなおさらです。『病気』とそうではないものに世界を切り分けてしまうと、『病気』という視点でしか見られなくなってしまうことが多発する。『病気であって病気じゃない』と考えてみることでバランスをとるしかないわけですが、最初から『病的な側面』『健康な側面』を分けてみるようにするのが一番フラットなのかもしれないと感じています。」(p195)

この表記を見ていて、以前ブログに書いた、「リカバリーとは「矛盾を手なずける」こと」を思い出していた。精神疾患のしんどさとは、「『病的な側面』と『健康な側面』の両方が人にはある」にもかかわらず、家族や医療者、支援者が本人のことを「『病気』という視点でしか見られなくなってしまう」からである。ゆえに、本人が必死に「健康な部分」を表現しようと頑張っても、それを全部「病気」のフィルターで見られ、「易怒性」「衝動性」「まとまりのなさ」などの病気の状況説明のワードで「わかったつもり」をされ、本人はますます怒りだし、話がまとまらなくなり、衝動的に反発し・・・と、本人と周囲の相互作用の悪循環の連鎖の中で、本人が「病気」や「病名」に固着されてしまうのである。

それを開くために、最初から「『病的な側面』と『健康な側面』の両方が人にはある」という前提に立って、「『病的な側面』『健康な側面』を分けてみるようにする」のが大切だと尾久さんは解く。そのことによって、結果的に両者の狭間にある「治療や支援を要する「病気」ではない不調」に、患者と協働して向き合う可能性が生まれてくるのだ。そう受け止めた。それこそが、『病的な側面』と『健康な側面』の矛盾を手懐けながら、リカバリーをご本人が果たしていく上で、大切なプロセスである、と。

そして、この視点を僕は非常に共感的に読んだ。それは、以前近しいことを書いたことがあるからである。

10年以上前、イタリア精神医療改革とは何だったか、を自分なりに整理する論文のタイトルとして、「「病気」から「生きる苦悩」へのパラダイムシフト : イタリア精神医療「革命の構造」」というタイトルを付けた。で、これは生物学的精神医学を信奉している精神科医から見向きもされなかった一方、心理士やソーシャルワーカー界隈には評価頂いた。イタリアで精神病院廃絶の道を開いた医師バザーリアは、「病気」と見なされているものの中に、最大化した「生きる苦悩」を見いだした。よく誤解されがちだが、彼は精神病がないとは言っていない。反精神医学ではない。そうではなくて、彼は生物学的精神医学だけでは説明のつかない、病気の心理・社会的側面を主張している。

「「眠れないと訴える患者に対する私なりの対応は、その理由を当人と一緒に探すことです。そして、症状としてではなく、本人を取り巻く全体的な状況や実存の表れとして、不眠症を理解する方法を見出す事です。」(フランコ・バザーリア『バザーリア講演録 自由こそ治療だ!』岩波書店 p189)

ここでバザーリアが言いたかったのは、眠剤だけでは収まらない不眠症を「病気」と捉えるのではなく、「健康」と「病気」の間にある「治療や支援を要する「病気」ではない不調」と捉え、「本人を取り巻く全体的な状況や実存の表れ」として理解し、支援者(医師)と患者がともに考えよう、という姿勢である。これは「治療や支援を要する「病気」ではない不調」を「生きる苦悩」の最大化した姿、と捉え直すという視点であり、これこそがイタリア精神医療が果たしたパラダイムシフトであった。(そのことは拙著『「当たり前」をひっくり返す:バザーリア・ニィリエ・フレイレが奏でた「革命」』でも描いている)

今回尾久さんの本を読んで嬉しかったのは、日本の若手精神科医が、生物学的精神医学にはまることなく、病気と健康の間の「生きる苦悩」=「治療や支援を要する「病気」ではない不調」をそのものとして理解し、そこと向き合おうとしている姿勢である。彼は内科診療もしており、『器質か心因か』(中外医学社)という面白そうな本も書かれているが、内科医やプライマリーケア医などが、病気と健康の間にある「治療や支援を要する「病気」ではない不調」と向き合う事で、精神病院中心主義を脱して、地域の中で精神障害者を支援し続ける体制ができてくるのだと思う。

尾久さんは詩人で小説も書いているマルチタレントのようで、文章はめちゃくちゃ読みやすく、ポップな文体で軽やかで、本書やサクッと読める。でも、案外バザーリアに通底するような、生物学的精神医学だけではない、心理社会的視点もしっかり内包している医師である。そういう意味では、「『病気であって病気じゃない』と考えるのは、この精神科医と心理士の役割の分裂をやめて、一人で『病気』も『心』も両方みようや、という発想」は頷けるし、これから地域精神医療に関わりたい医療者や支援者にもお勧めの一冊であった。

2024年の三題噺

今年も大晦日。毎年恒例の、この一年を振りかえっての三題噺を書く日である。一つ目は決まっていて、あと二つはまだ思い浮かばないけど、多分書いているうちに湧き上がってくるだろう。

1,ダイアローグを活性化させる

11月に京都でトム・アーンキルさんの集中研修を久しぶりに受けた。7年前に「未来語りのダイアローグ」の集中研修を彼から受け、僕の対話実践の質は大きく変わったことは、このブログでも何度も書いてきた。今回、トムさんと4日間ご一緒して、ある晩はトムさんご夫妻と三人で夕食もご一緒する中で、ぼく自身の対話実践を改めて振りかえり、ブラッシュアップする時間となった。

そして、各地の実践共同体での受講生の皆さんとの対話の時間とか、最近は講演に呼ばれても事前にアセスメントのモヤモヤなどについて書いてもらい、受講生と対話していたりもする。あるいは、12月は三つの研修現場で、フィッシュボール形式で話したい人に真ん中の円に来てもらってお話して頂いたり。そういう意味で、対話的な時間を過ごすことが多い。そして、こないだVoicyでも話した「振り返り会」でてっちゃんやてっしーさんに「対話実践のなかで自分が問われることはありませんか?」と聞かれて、まさにその通りだよなぁ、と改めて思う。

思えば、今年もシビアな対話があった。自分を試される対話。権威や権力、知恵や知識で誤魔化そうとしても、それを見抜かれるような対話。丸腰で臨むけど、その先どうなるのか、落としどころも筋道も見えない対話。怒りや葛藤、困惑や疲労が最大化した対話。あのとき、僕はどうやってそれを切り抜けたのだろう、と思う。はじまる前は、深呼吸して、相手を歓待した。そして、こちらへの印象が最悪な相手に対して、丁寧にその人の考えていることを教えて欲しい、とお願いした。「こんなこともわからないのか?」と思われても、「申し訳ないけど、できる限り全体像を理解したいので、一から教えて頂けませんか?」とお願いした。そして、半時間以上かけて、じっくり丁寧に、相手の意見を聞き取り、それぞれの話に対して、「いま、わたしはこのように聞いた・理解したけど、それは合っていますか?」と確認し続けた。そのプロセスを踏まえた上で、「言いたいことは十分言えた」と相手に言ってもらってから、その相手の発言の内容について、一緒に考える時間を作った。発言の内容が、どのような事実や価値に基づいているのか、を1つずつ紐解き、ほぐし、分類する作業を共にしていった。そのプロセスの中で、一筋の光が見えた。そこから、相手も納得のいく筋道が広がっていった。

毎回、どんな対話になるか、わからない。使える武器もないので、丸腰である。だからこそ、前の晩によく眠ること、相手の話を遮らずにじっくり聞くこと、価値ベースで勝手にラベリングせずに相手の言葉通りに受け取ること、を大切にしている。そして、こちらがアドバイスや評価をしようと思わず、愚直に相手の論理を教わっているうちに、筋道が見えてくる機会が、何度もあった。逆に言えば、うまくいかなった対話とは、筋道が見えてくるまで話を聞くことなく、途中で話を遮ったり、あるいはか細い「声にならない声」に耳を傾けきらなかったばっかりに、相手の話の全体像を理解できないまま、何かを提案するモードになったのだと思う。これは次年度以後の宿題として、残しておきたい。

2,休みは意識的に取れた方?

夏休みに一週間、ルチャ・リブロの司書、青木海青子さんから教わって、東吉野村で一週間滞在する。子どもと共に、天気なら川遊び、雨が降ったら榛原の温水プールに出かけた。ガツンと一週間も休むことはなかったので、こういう長期休暇は良いなぁ、と改めて思う。3月にはコロナや台風で行けなかった沖縄に3度目の正直!で家族旅行に5日間行ったり、暮れはおじいちゃんおばあちゃんの金婚式の御祝いで淡路島の温泉宿に泊まったり、なんだかんだと旅行は出来ていた。

以前「休暇のマネジメント」を読んで、休みをゆったり取ることの大切さと、それに向けて意識的に動くことの大切さを教わり、それを実行したら、出来ていた。なので、次の正月休みは、この春と夏はどこで過ごそうか、の作戦会議をしたいと思っている。

ただ・・・それ以外の期間、ちょっと働き過ぎた傾向がある。特に10月から12月は、みっちりと予定が詰まって、それに身体がついていかず、3、4回は風邪を引いてしまった。睡眠時間が足りない+移動時間が多いと、てきめんに風邪を引く。同じことを毎年書いているが、この仕事を詰めすぎる悪いクセは本当に直さねば、来年50才になるので、身体がもたない。子どもが小学校に入ったあと、手のかかる部分がかなり減ってきたからと、週末は子どもと遊ぶ時間より仕事を詰め込んでしまっている。これは本当にマズイ。最近、お友達と遊ぶことも増えてきた娘が、父と遊んでくれるのは、あと数年と見積もった方がよいだろう。であればなおさらのこと、休日に仕事を入れる日数は減らさないと。来年は、このスケジューリングが出来るか、も問われている。

3,足踏みの一年

今年は次の展開への足踏み=仕込みと待ちの一年だったように思う。こないだ、オムラジ「生きるためのファンタジーの会」で青木真兵さんから「今年はどんな一年でしたか?」と聞かれて、自然と口に出していたフレーズだった。海青子さんや向山さんに「そうはいっても、まわりからみたら、めちゃくちゃ動いているように見えますよ」と言われた。それはそうなのだが、ぼく自身の中では、仕込みの時期であり、待ちの一年、だったように、思う。

何を仕込んで、どんなことを待っているのか? それは、正直、まだわかっていない。最近、以前なら伝わらないと思った相手にも、話が通じるようになってきた。相手の話を聞いていても、聞こえる内容の幅や奥行きが広がったように思う。それに連動するかのように、関連付けする思考も、だいぶ豊かになってきた。そうやって、目の前の一人一人の方と出会い、その場その場で話したり聞いたりしながら、こうやって原稿やブログをコツコツ書く。本との対話をし続ける。その積み重ねで、11月には共著『あなたとわたしのフィールドワーク』が出たし、12月にはお招きされた勅使川原真衣さんの対談本『「これくらいできないと困るのはきみだよ」?』も刊行される。1月には『「困難事例」を解きほぐす』の続刊も出るし、2月は晶文社の単著も出来る予定だ。

そういう文字通りの仕込み、だけではない。来年2月には50才になるのだが、40代の最後の踊り場のような一年で、50才以後どう生きていこうか、ということを、地べたで足を踏みながら、考えていたように思う。

対話実践に誠実に向き合いながら、ブラッシュアップしていたのも、50代で自分が注力したいことのチューンアップの1つだったと思う。バカンスを精力的に取り入れたのも、メリハリのある暮らしは、50代で身を滅ぼさないために大切だと思っている。何より、最近「嫌なものは嫌だ」「アカンもんはアカン」と社会的にも言い続けている。それは、自分自身が腐らないためにも、怒りや違和感には「肉体の反射」が大切なのだと、暮れの記事を読みながら改めて感じている。

ウダウダ書いてきたが、何だか次のフェーズに行くために、自分の心の持ちよう、行動原理、優先順位などをチューニングし、再確認し、引き締め直していたような一年だった。だからこそ、良い意味で足元を見つめ直す「足踏み」の一年だったのだと思う。

さて、来年はどんな50代に突入するのか。それは全くよくわからないけど、少なくと、家族三人で楽しんでいたいというのだけは、確かだ。

みなさま、佳い年をお迎えくださいませ

脈絡を把握し揺らす

土曜の夜から喉が急激に痛み出したのに、調子に乗って酒を飲んだのがダメだった。早めに寝たにもかかわらず、日曜日は声が出なくなり、月曜日は研修講師なので、これはまずいと一日伏せっていた。朝はいつも作る生野菜ジュース、昼夜は具なしのスープのみで済まし、一日プチ絶食して、なんとか復帰する。その間に読んでいた本が、心に染み渡る。

「東アジア医学では、脈をとられる患者の、今現在の状況が重要だ。患者の状況は常に変化するため、脈を捉えるとき、まさにその瞬間にあらわれる様相および出来事が重要となる。流れの様相を読もうとする東アジア医学にとって、これは当然の傾向だろう。」(キム・テウ著『二つ以上の世界を生きている身体 韓医院の人類学』柏書房、p100)

僕の今回の風邪は、西洋医学的に言えば喉の炎症であり、炎症を抑えるうがい薬等を用いて、炎症を抑えることが目指される。でも、ぼく自身の炎症が現れたときの「様相および出来事」としては、仕事がハイシーズンで十分眠れておらず、連日移動も多く、暴飲暴食気味で、冷え込んで足先も冷たい日が多くて・・・と、風邪に至るまでの状況が十分に構築されてきた。そういう「流れ」の延長戦の中で、「喉の炎症」が現れる。そういう意味では、喉の炎症が単独で生じているのではなく、ここ数ヶ月の繁忙期の限界が、炎症という症状として到来した、とも読むことが出来る。

この本は、東アジア医学の一つである韓医院についてのフィールドワークの記録である。ぼく自身は、10年以上前から、漢方治療にお世話になっているので、実に親和的な世界であるが、韓国に独自の体系が進化していることは知らなかったので、めちゃくちゃ面白かった。しかも著者は医療人類学者なので、西洋医学と東アジア医学の対比が実に秀逸である。

「近代西洋医学の空間化が特徴的なのは、それが幾何学的な想像力にもとづく空間化であるためだ。座標を通して点で位置を特定するように、近代西洋医学の空間化は人間の身体に点を打とうとする。すなわち、病気の位置を指定しようとする。近代西洋医学は、病理解剖学という名の下に、解剖学的な空間(すなわち身体)の上に点を打つ方法を体系化した。これは疾病が身体という空間上に固定可能な現象であり、くり返し示すことができるという前提で身体を理解する方法だ。」(p91)

確かに昨日の僕は声が出ないという形で、喉の炎症があった。これは、「座標を通して点で位置を特定するように、近代西洋医学の空間化は人間の身体に点を打とうとする」考え方である。そして、その炎症に対して、消炎鎮痛剤などを投与する、という方法論をとる。これは「疾病が身体という空間上に固定可能な現象」であるという「疾病独立体」の認識前提に基づいている。でも、東アジアの医学は、それとは異なる視点をもっている、という。

「韓医師は主体の位置にあるが、受動的に患者の状態を受け入れてもいる。すでに決まっている疾病独立体を『発見』し、確認するのではないことから、『血糖値が145です』といった断定的な表現は使わなかった。主体と客体が出会う瞬間のゆらぎがあり、東アジア医学はこの状況を言葉に込めようとする。存在を消去されない主体が身体の状況を充分に受け入れることで成り立つ知が、『感じられます』という表現に込められている。」(p102)

西洋の医学は、喉の炎症なら喉の炎症と部位を特定する。その際、医療的対象(患者)の特定の部位に炎症がある、という判断主体は、病院においては患者ではなく医者である。そこでは「対象を確実に把握しようとする強力な行為者」(p96)として医者は存在している。だがら「『血糖値が145です』といった断定的な表現」を「客観的」に用いる。一方、脈を診る東アジアの医師達は、この「強力な行為者」のような断定はしない。「すでに決まっている疾病独立体を『発見』」する営みではなく、脈を診ながら、患者さんの話を聞き、状態や様子を確かめながら、「受動的に患者の状態を受け入れ」ようとする。

喉に炎症がある。カラオケで歌いすぎたからなのか、疲労や寒気が蓄積されたからか、何らかのポリープなどの可能性があるのか・・・表面に出来ている現象の背景には、様々な要因がある。それを、「疾病独立体を『発見』」するために探るのか、「その瞬間にあらわれる様相および出来事」という「流れの様相を読もうとする」のか、で解釈者の視点は大きく異なる。前者であれば、「幾何学的な想像力にもとづく空間の特定」が目標とされ、その空間に位置する「疾病独立体」の各個撃破が目指される目標になる。でも、後者であれば、喉の炎症に至る「流れ」を理解する必要がある。これは主観的な行為であり、受動的な行為であるからこそ、「主体と客体が出会う瞬間のゆらぎ」のなかで、『感じられます』という表現が立ち現れる。

「基本的に脈絡という単語は、脈が経路に従って流れるという意味だ。ある物事を『脈絡の中で眺める』ことは、その物事を全体的な関係と流れの中で見るということだ。それに合わせて対応する、ということだ。脈絡の中で眺め、その脈絡に合わすように動けば事はうまくいくだろう。問題も解決するだろう。鍼を通した治も同じだ。身体の全体的な関係と流れの中で問題を眺め、手助けする。」(p136)

10年以上前、不妊治療で煮詰まっていた頃、人に教わって恵比寿にある呉澤森先生の治療院に通っていた。呉先生は『鍼灸の世界』という著書もある、中国医学の名医である。精子の運動率が悪い、という「疾病独立体を『発見』」されたが、それは西洋医学では何ともしようがない。そのとき、呉先生に診てもらったところ、精子だけでなく、気の流れが悪い陰陽両虚だと言われた。そういえば、その頃講演で2時間喋り倒すと、終わったあとぐったりしていた。文字通り、精も根も尽き果てる状態だったのだ。

そこで呉先生のところで、鍼灸治療をして頂いたのだが、あのとき受けた治療はまさに『脈絡の中で眺める』治療だった。精子の運動率が悪い、という問題「だけ」だとその当時の僕は思っていたが、腰が悪いことも発覚し、手足の冷え性など、色々な問題に関連付けて状況を見ながら、「脈絡の中で眺め、その脈絡に合わすように動けば事はうまくいく」ようにサポートしてくださった。僕だけでなく妻も一緒にかよい、夫婦の身体の「脈絡」をうまくサポートしてくださったからこそ、高齢出産だったにもかかわらず、8年前に待望の娘が来てくれた。まさにそのような布置に至るための「脈絡」を導いてくだったのだと感謝している。

そして、「ある物事を『脈絡の中で眺める』」というのは、精神障害者の地域生活支援でも重要なのではないか、と感じている。幻覚や幻聴、妄想、躁や鬱といった状態は、「疾病独立体を『発見』」してそこに効果的な製薬で対応しようとしてきた。でも、何度もブログで書いているように、その状態に導かれるに至った「最大化された生きる苦悩」はそれでは減らない。それを減らしていこうと思ったら、「脈絡の中で眺め、その脈絡に合わすように動」く必要がある。そして、それは「「疾病独立体を『発見』」し、そこにアタックする薬を投薬する、という標準的な医療では出来ないことである。

こないだ、僕が関わりがある、重度な精神障害者の包括的地域支援チームであるACT−Kの訪問に、久々に同行させて頂いた。ACTは、移動支援や行動援護、重度訪問介護などの標準化された障害福祉サービスにのらないような、病状が重くて生きていくのがやっとの人を、病院ではなく地域の中で支え続けるチームである。その日の訪問で、例えば怒っている人とか、素っ気なくてすぐに帰ってほしい、という人も、粘り強く支援をし続けていた。同行させて頂いた職員の方と車でしゃべっていると、その方だけでなく、ACT−Kのスタッフ達はまさに「脈絡の中で眺め、その脈絡に合わすように動けば事はうまくいくだろう。問題も解決するだろう」という視点で動いていた。「「疾病独立体を『発見』」し、そこにアタックする薬を投薬しても、状況は改善されない。であれば、その方の生きてきた人生、暮らしている家族との関係性、その人の叶えられなかった夢、いま・ここで感じている焦燥感などの「脈絡」を把握し、「主体と客体が出会う瞬間のゆらぎ」のなかで、支援者は対象者の「身体の状況を充分に受け入れることで成り立つ知が、『感じられます』という表現」のかたちで表されていた。そのような協働性や相互作用が、鍼灸の世界だけでなく、ACT−Kでも垣間見ることができた。

ということは、この東アジア的な医学の思考は、実は中国医学や韓医学、漢方だけに限らず、生きる苦悩が最大化した精神障害者の地域生活支援にも充分に応用可能なのではないか、という妄想が生まれている。

そして、この本は人類学の多自然主義の理論を用いながら、韓医学や鍼灸とは東アジアのアナロジーのネットワークで捉え、そのネットワークをゆらし、流れを通す治の道である(p157)とも述べている。これは因果論的な「疾病独立体を『発見』」するメカニズムとの対比で面白いし、実はこの「アナロジーのネットワーク」をゆらすのは、悪循環にある家族システムをネットワーク的に揺り動かすオープンダイアローグや家族療法とも通底しているのではないか、と思うが、これを書き出したら今の倍ほど書かねばならないので、とりあえずその思いつきをここに置いておこう。

最後に一言。この本はすごく読みやすくて、優れた訳である。訳者の酒井瞳さんは、大学で韓国語を学んだ後に、漢方に興味を持って、大学院で医療人類学的な日韓比較をした経験がある。こういう訳者だからこそ、この本が実に読みやすく、訳注も丁寧にされている優れた仕事に仕上がったと思う。この本は何度も読み返したい名著である。

「届けたい教育」と未来語り

作業療法の実力というか面白さが詰まった1冊を読む。それが仲閒知穂さんの『学校に作業療法を』(クリエイツかもがわ)である。何が良いって、「問題行動」に着目せず、「届けたい教育」とその可能性に着目するのが、問題の外在化であり、オープンダイアローグの思想と親和性が強いところだ。

106ページに掲げられた、「問題行動」としばしばラベリングされる「悩み事」を、「届けたい教育」にどのように変換するか、が非常に見事だった。

「友達への暴力と多動」「教室から出て行く」「いつも泣いている」「大きな声を上げる」・・・これらは、学校の先生からすれば、秩序を乱す「問題行動」「困難事例」である。でも、それは本人自身も困っている状況でもある。しかし、本人、親、先生だけでは、そのような「問題行動」や「困難事例」を鎮めることが出来ず、みんな困り果てている。そのときに、作業療法士の仲閒さんが学校に関わる事になる。

だが、仲閒さんは「問題を解決すること」を目標としない。なぜなら、その「問題を解決する」枠組みでは上手くいかない事例が、彼女の元に寄せられるからである。その際、発想と視点の転換がなされる。

「先生が子どもに何か『問題』を感じるのは、『こうなってほしい!』『いまのうちにできるようになってほしい!』という期待があるからです。それは親や本人も同じです。親は子どもにできるようになってほしいと願うから、それが上手くいかないことに『問題』を感じます。本人は、自分がこうなりたい、これがしたいという思いがあるから、上手くできないと不安やいら立ちを示すのです。
私たちは先生、親、本人が直面している『問題行動』の解決ではなく、その問題を感じる行動の先にある『届けたい教育』に焦点を当て、それをかなえるための関わりをしています。」(p105-106)

「友達への暴力と多動」をする子も、「苦手な算数も教室で頑張ってほしい」。「教室から出て行く」子だって、「係活動で協力し合う経験をさせたい。「いつも泣いている」子も「身の回りのことをできるようになってほしい」。 「大きな声を上げる」子も「社会科見学に参加させたい」。つまり、教員には学校の中で「『こうなってほしい!』『いまのうちにできるようになってほしい!』という期待」があって、それが上手く実現出来ないから困っている。それは、親や本人も同じである。

であれば、「先生、親、本人が直面している『問題行動』の解決ではなく、その問題を感じる行動の先にある『届けたい教育』に焦点を当て、それをかなえるための関わり」をすればよい。このコペルニクス的転換がなされたのである。これによって、作業療法士などの外部の専門家が立つ位置づけが、本当に大きく変わる。そのことはp109の図に以下のように書かれている。

専門家が知っていて、先生や子どもは知らない、という左側の立ち位置で専門家がいても、「友達への暴力と多動」「教室から出て行く」「いつも泣いている」「大きな声を上げる」は解決できない。それは、専門職の立ち位置が間違っているからである。学級運営は教師の専門性があり、保護者には親の専門性、そして子ども自身は自らの経験専門家である。そう位置づけると、専門家がすべきなのは、三者の目標や見立てを「届けたい教育」と整理し、それに向かって三者が協力できるようにお手伝いすることなのである。

そして「届けたい教育」の目標が「友達と休み時間に楽しく遊ぶことができる」であれば、ここからが作業療法士の真骨頂なのだが、活動単位ではなく工程(行為)単位で作業遂行を評価し、工程を以下に分けて、何ができる、できないを観察し、出来るためにどうしたらよいか、を一緒に考えるという。(p138-139)

工程1 友達を誘う・誘いに乗る
工程2 友達と1つの遊びを共有する
工程3 意見の違いを相談する
工程4 遊びが変わっても再度、その遊びに乗る
工程5 また遊ぼうと約束するなど

こうやって整理されると、一つずつの工程で出来ることが明確に見えてくる。そして、一つ一つの工程で出来ないことがあれば、「かなえるための作戦会議」を行い、それぞれの工程はなにをどうしたら出来るようになるのか、をみんなで考え合うのだ。

これは、僕が学んできた「未来語りのダイアローグ」の手法と共通している。この中では、次の三つの質問をして、話し合っていく。

①「一年がたち、ものごとがすこぶる順調です。あなたにとってそれはどんな様子ですか? 何が嬉しいですか?」
②「あなたが何をしたから、その嬉しい事が起こったのでしょうか? 誰があなたを助けてくれましたか? どのようにですか?」
③「一年前、あなたは何を心配していましたか。あなたの心配事を和らげたのは、何ですか?」

問題がこじれてどうしようもない悪循環に陥っている時に、問題や困難に目を向けるのではなく、「一年後にすこぶる順調である未来」を、本人や家族、支援者などが集まって、まず想起してもらう。これは「届ける教育」を決めるプロセスである、といえる。その上で、誰がどのように協力したらそれが実現出来るのか、を一緒に考えるのは、「かなえるための作戦会議」のプロセスである。それらを話し合った上で、一年前=現時点での心配ごとを語ると、「届けたい教育」や「かなえるための作戦会議」が既に話し合われた上で、なので、その心配ごとの悪循環に巻き込まれずに済むのだ。

なるほど。「届けたい教育」という叶えたい未来を先取りすると、問題行動や困難事例に巻き込まれている本人や家族、先生はその悪循環とは違う「希望の持てる未来」が見えてくる。すると、「問題行動を解決する」というモードではうまくいかず、絶望的・悲観的になっていた人々にも、希望の炎が再び灯る。本人と親、教師の三者が目標を共有することができる。その上で、では具体的にどうすればよいか、を「かなえるための作戦会議」をすることで具現化していく。そのファシリテーターとして作業療法士が機能するだけでなく、その後、希望を叶えるために、作業遂行評価に入るのだ。

ただ、ここで大切なのは、最初から作業遂行評価をしない、という点である。作業遂行評価から入ると、問題点の指摘になる。それだと、本人や親、だけでなく教員も「出来ていないことをネガティブに評価される」というモードに陥る。すると作業療法士は「私の現状を否定する人」と映り、一緒に協力できる相手ではなくなってしまう。だからこそ、先に三者の「叶えたい未来」を伺い、それを「届ける教育」として共通化することができれば、その「届ける教育」を実現するチームの一員に、外部の作業療法士が入ることが出来るのだ。

この位置づけの転換は、非常に魅力的だし、こういう形で学校に作業療法士が積極的に関わってくれると、社会的障壁としての障害が大きく減っていく可能性がある。これは、就労支援にも同じ事が言える、と同書に書かれていたが、確かにと頷く。仲閒さんはこの「届けたい教育」に焦点を当てた次の本『「届けたい教育」をみんなに』があるので、これも早速読んでみよう。

マイプランに基づく実践共同体

自分がやってきた事が概念化されている本に出会うと興奮する。松本雄一さんの『学びのコミュニティづくり:仲間との自律的な学習を促進する「実践共同体」のすすめ』同文館出版を読み進めるうちに、どんどん興奮度が高まっていった。だって、10年やってきたことが「実践共同体」だと、ようやく言語化された=わかったからだ。

岡山で2014年に始めた「無理しない地域づくりの学校」。全国で「週末ヒーロー的な担い手養成講座」を展開する尾野寛明さんとコラボして、僕が校長、尾野さんが教頭、そして主催者の岡山県社協の西村さんを事務局ではじめたら、めちゃくちゃ面白かった。で、三年後には『無理しない」地域づくりの学校「私」からはじまるコミュニティワーク』として書籍化もした。今は紆余曲折を経て、岡山では「ふくしのえんがわ」として続いている。

そして、この学校の動きは各地で伝播している。今続いているものだけでも、長崎県社協では「フツーの人のまちづくりの学校」が三年目を迎える。この内容は一期生で運営も手伝ってくれる平畑隆寛さんが見事に言語化してくれている。今年からは、兵庫県養父市でKANAUカレッジもスタートした。そして、これらの学校でやっていることを一言で言えば、「マイプランに基づく実践共同体」なのである。

まず実践共同体の定義から。

「あるテーマにかんする関心や問題、熱意などを共有し、その分野の知識や技能を、持続的な相互交流を通じて深めていく人々の集団」(p2)

そうそう、僕たちが10年続けてきたのは、「マイプランシート」の作成という共有ツールを用いて、持続的な相互交流や相互学習を続ける実践共同体である、といえる。この機能とメリットについて、著者は以下のようにのべる。(p21-27、番号は僕が付けた)

①学びに関心のある人々を集める
②参加者間の学びを促進させる
③もともと所属している組織と、同時に所属できる
④もともと所属している組織に影響を与える
⑤実践によって相互理解を促進し、また学習にいかせる
⑥学びのモティベーションが高まる
⑦境界を越えさせる
⑧学んだことをすぐ実践にいかせる
⑨問題解決のために多様な立場の人々を集め、協働させる
⑩知識や技能も学べるし、価値観やものの見方も変えられる
⑪参加する人々の居場所を作る

10年コミュニティが続いてきたのも、まさにこの11この要素だと書き写しながら思う。どの学校でも仕事として職場から派遣される人もいれば、個人参加する人もいる。いずれでも、①学びに関心のある人々の集まりであるし、③もともと所属している組織と、同時に所属できる講座である。尾野さんはよく「遠くの異業種、近くの同業種」と言っているが、とにかく異なる立場・所属・専門性を持つ参加者間での学び合いを促進させている(②と⑦)。尾野さんはずっと「自治体や地域の枠組みを超えた対話や自分なりの取り組み計画(マイプラン)の作成を重視」してきたが、受講生は毎回マイプランを発表してもらい、講師だけでなく、受講生や聴講生から付箋のコメントシートという形でのフィードバックをもらう。これが、⑥学びのモティベーションが高まることにつながる。また、毎回のプラン発表や、講師・OBOGとの面談などを通じて,受講生は⑤実践によって相互理解を促進し、また学習にいかせるし、それらのプロセスは⑨問題解決のために多様な立場の人々を集め、協働させる仕掛けにもなっている。そして、私が色々お話を伺っているうちに、価値変容が起こったり、目から水を出す受講生も毎年いるが、これは⑦境界を越えさせる体験であったり、⑩知識や技能も学べるし、価値観やものの見方も変えられるからだと思う。⑧学んだことをすぐ実践にいかせる人もいれば、3年5年と放牧期間の人もいる。でも、結果的に⑪参加する人々の居場所を作ることは間違いがなく、OBOGがこの展開を応援してくれている。

そして、この本では実践共同体には4つの学習スタイルがある、という(p74)。

・熟達学習は参加と濃密な相互作用から、知識をお互いに学びとっていく学習スタイルです
・複眼的学習は多重所属のメリットをいかし、自身やキャリア、企業を客観視することで学ぶ学習スタイルです
・越境学習は境界の外の人々と交流し、学びと人脈を得る学習スタイルです
・循環的学習は職場と実践共同体の間に学習ループを生み出し、連続的に学ぶ学習スタイルです

4〜6ヶ月間の講座開催期間、毎月1度を原則に集合研修で集まって、マイプランを毎回発表していく。その中で、マイプランシートを少しずつ書き足しながら自分のやりたいことを言語化し、講師に深掘りされ、参加者や聴講生からフィードバックをもらいながら、自分の興味関心と仕事のいま・ここを重ねていくプロセスは、「参加と濃密な相互作用から、知識をお互いに学びとっていく学習スタイル」としての熟達学習なのだと思う。

その際、バラバラな所属、肩書き、専門性の人々が集まることによって、「多重所属のメリットをいかし、自身やキャリア、企業を客観視することで学ぶ」複眼的学習が進んでいく。さらに言えば、尾野さんや僕、OBOGや他の受講生など、自分の職場や専門と違う人との「境界の外の人々と交流し、学びと人脈を得る」越境学習をしている。

それが、「職場と実践共同体の間に学習ループを生み出し、連続的に学ぶ」循環的学習であることも、実例が思い浮かぶ。尾野さんや僕がおたずねするのは、「日々の実践を違う視点で眺める問い」である。例えば福祉現場でのプレイング・マネージャーをしている人なら、そのマネージャー業務におけるモヤモヤをマイプラン課題にするように応援し、整理して言語化しながら、深掘りしていく。その中で、一ヶ月の間に自分の仕事を見つめ直し、さらに翌月の発表で言語化することによって、「職場と実践共同体の間に学習ループを生」まれている。そして、これら4つの学習が有機的に重なっていくからこそ、たった半年の間に、大化けする、大きく変容する、ご自身のモヤモヤを言語化出来る人が続々と出てくるのである。

そして、この実践共同体の特徴は「変容的学習」でもある点だ。筆者はそれを「価値観や信念等を獲得・変容していく学習」(p56)と定義している。これも、ご紹介したい実例が沢山ある。

岡山で「ふくしのえんがわ」を主宰している圓山典洋さんは、無理しない地域づくりの学校のマイプランで「みんな食堂」を掲げ、実際に岡輝みんな食堂を毎月開催して7年が経つ。同じく岡山のOBの森亮介さんは、その後仕事も変えただけでなく、「MONJUnoCHIE」という任意団体も主宰している。長崎の学校のOGの久保田渚紗さんは、マイプランのゴミ拾い散歩を見事に面白く展開させているし、先述したOBの平畑さんと共にSocial Good Circleを続けている。あるいは岡山のOGの難波衣里さんと伊東陽子さんはお勝手ふらふらという居場所を100回以上続けている。これ以外にもご紹介したい「変容的学習」から産まれてきたあれこれが色々あるのだ。(ちなみに岡山で10年前にこの企画を一緒に立ち上げた西村洋己さんは、今、僕の研究室で社会人院生として更なる変容的学習の真っ只中にいたりする)

ここで取り上げている人々は、最初からカリスマだった訳ではない。「マイプランに基づく実践共同体」の中で、言語化を何度もして、色々な人からフィードバックをもらい、受講生同士でモヤモヤ悩み、尾野さんや竹端との面談で深掘りをして、その後試行錯誤を沢山続けるなかで、自分自身の一皮むける経験をするなかで、変容的学習を遂げていったのである。そういう意味では、10年続けてきたこの取り組みは「変容的学習を可能にする実践共同体」(p56)そのものだったのだ。

この本では、具体例として陶磁器三業地の実践共同体、公文指導者や学習療法を学ぶ介護施設の実践共同体などが出てくる。これら3つは本業にダイレクトに直結している。一方、「マイプランに基づく実践共同体」は、本業に結びついている人もいれば、そうではない人もいる。でも、その人のマイプランを通じた「変容的学習」が産まれ、結果的に色々な場や機会が創出され、「週末ヒーロー」的な担い手として育っている。そういう場を作りづけてきたのだなぁ、だから面白いんだ、と改めて合点がいく読書体験だった。

評価や査定を手放して聞く

最近、色々な現場で対話のファシリテーションをさせてもらっている。昨日は曽爾高原のそにっとキャンプで、保護者の方々とのダイアローグ。一昨日はウェブ上で、とある社協の中長期計画作りに向けたワークショップ。それに加えて、この時期、岡山で10年、長崎で3年続け、そして養父で今年初開催の「無理しない地域づくりの学校」系列講座で、受講生との個別面談もずっとやっている。とにかく何だか対話漬けの日々。

そんな日々の間に、対話実践の原典に当たるような本を、ぼちぼち読み進める。

「クライアントは専門家であると言うとき、わたしは、クライアントが彼ないし彼女の人生の専門家であると言っているのです。クライアントは、何について話すことが重要であり、重要でないかについての専門家です。クライアントは専門家であると考えることで、わたしは学習者になります。クライアントが教師で、わたしはクライアントから学びます。わたしの経験では、わたし自身が相手に対して本当に興味を持ち、その人に関心を向けているときには、私の興味と探究心が自然とその人を、共通のないし相互の探求や共同作業へと招き入れるようになります。言い換えれば、一方向の探求やプロセスから始まったと思われるものが、クライアントとセラピストが共に学習し探求する双方向のプロセスへと変化するのです。」(ハーレーン・アンダーソン「コラボレィティヴ・アプローチの可能性」『会話・協働・ナラティブ』金剛出版 p127)

ハーレーンのいうことは、本当にその通りだと実感する。グループでの話し合いの場でも、個人面談でも、僕がしていることはただ一つ。「わたし自身が相手に対して本当に興味を持ち、その人に関心を向けている」だけなのだ。でも、そうやって相手の世界観を面白いと思いながらお話を伺っているうちに、「私の興味と探究心が自然とその人を、共通のないし相互の探求や共同作業へと招き入れるようになり」はじめる。そこから、接点ができて、話が深まっていく。これは1:1の場、だけではない。昨日は金魚鉢(フィッシュボール)スタイル(ググって見つけた解説はこちら)で、しゃべりたい人が話すのを、他の人が聞くスタイルだった。一昨日は、Zoomの画面越しに、僕が参加者全員とおしゃべりし、それを他の人が聞いているスタイルだった。いずれにしても、そうやってじっくり話を聞いていくなかで、何かが開かれていく時間が生まれていく。それは「クライアントとセラピストが共に学習し探求する双方向のプロセスへと変化する」プロセスなのだと思う。

以前の僕は、面談なので、何か解決案を示さないといけない、とかアドバイスをしなければ、と力んでいた。それが上手くはまれば良いが、自分の得意げになった見立てほど、相手の実像とズレていた。そして、得意げなアドバイスほど、相手は命がけで反発してくる場面もあった。その際、僕は講師や教師として権力行使をして、相手をねじ伏せようとして、更にドツボにはまり、悪循環にはまることもあった。そのたびに、「相手はわからやずだ」「あの人は批判的意見を受け入れられない人だ」と、相手の責任にしていた。でも、それが一番ダメだと、ダイアローグの実践を学ぶようになって、気づき始めた。何がダメって、「クライアントが彼ないし彼女の人生の専門家である」という敬意を払えていなかったのだ。一般的なアドバイスは出来ても、それが彼女や彼の人生に当てはまるかは、その人自身が決める。その大前提に経つことができなかったのだ。これは、クライアント、だけでない。娘や妻に対して、父や夫として色々アドバイスしたくなっても、彼女たち自身の人生の専門家は、僕ではなく妻であり娘である。そのわきまえを持てるかが、ぼく自身に問われている。そして、それはそう簡単ではないことも、よーくわかっている。

だから、ダイアローグの目的は、ダイアローグし続けること。僕は、色々な人の話を聞き続けながら、聞き方を学び続けている。対話の中で、それぞれの人生を伺いながら、そこから無知の姿勢(Not Knowing)で学ばせてもらうことが出来るか、が問われている。

ダイアローグの名手三人の対談集のこの本の中で、マイケル・ホワイトはこんな風に言っている。

「規範的な考えの弊害について、今の話には引き込まれたよ。職業的規律・訓練の文化においては、人々を規格化するアイデアに服従させるような励ましが山ほどあるからね。『結局、この問題は家族から君を分離しているんだ。それは惨めなことに違いない』とか『そうした努力において君はあまり生産的じゃないようだね。この立場にいることは、君にとってあきらかに困難でしょう』。規範的な考えから一歩退く中で、重要な会話を開く質問をすることができるようになる。『家族から分離していることは嫌ですか、もしそうなら、それはなぜですか?』とか『公式な教育から分離していることは、どんな感じですか? もしもそれが問題なら、なぜそうなのか私が理解出来るように教えてくれませんか?』と問うことができるのです。『これを達成するための努力において行き詰まりに来たと言ったけど、その経験は君にとってどんな感じなの?』」(p260)

僕はずっと「規範的な考え」や「規格化するアイデア」に縛られてきた。それを信じて遵守することが正しいと信じてきた。それは、「社会性」とか「協調性」と呼ばれるものである。そして、それ自体を否定するつもりはない。でも、何らかのモヤモヤを抱えている状態においては、そのような「規範的な考え」や「規格化するアイデア」にうまく適合できなくて、それを無理に当てはめようとすると問題が生じる場合もある。そのときに、話の聞き手の僕が規範的な何かに縛られていると、相手のモヤモヤの本質を封じ込めてしまう。『結局、この問題は家族から君を分離しているんだ。それは惨めなことに違いない』とか『そうした努力において君はあまり生産的じゃないようだね。この立場にいることは、君にとってあきらかに困難でしょう』などの決めつけフレーズを用いて。

この際、断定的な価値判断からどう自由になれるのか、が、対話における聞き手に問われている。なぜなら、査定・評価・糾弾する/される、の関係性であっては、対等な対話を続けて行くことができないからだ。すると、聞く側こそが、査定や評価や糾弾の根拠となる「規範的な考え」や「規格化するアイデア」を手放すことができるか、が問われる。これは、オープンダイアローグでは「不確実性への耐性」という概念で言われていることにあてはまる。聞く側の慣れ親しんだ世界観やパターンを横に置いて、話し手の人生の物語を、そのものとして伺うことが出来るか、という問いである。

そのとき、例に出された別の質問を、ちょっと分解して考えてみよう。

『家族から分離していることは嫌ですか、もしそうなら、それはなぜですか?』
→これは、家族から分離していること、に対してどのような感情を抱くのかを教えてほしい、という中立的な質問である。分離に関しての評価を相手に委ね、その理由もその人から学びたい、という質問である。

『公式な教育から分離していることは、どんな感じですか? もしもそれが問題なら、なぜそうなのか私が理解出来るように教えてくれませんか?』
→不登校など「公式な教育から分離している」ことについて、「どんな感じですか?」と評価を相手に委ねている。その上で、それを「問題だ」と相手が解釈するのであれば、その解釈の理由も教えてほしい、と相手にお願いしている。

『これを達成するための努力において行き詰まりに来たと言ったけど、その経験は君にとってどんな感じなの?』
→相手が「行き詰まりに来た」と評価する経験についての語りを聞いて、「そんなことはないよ」「大丈夫だよ」「思い込みに過ぎないよ」などの声かけをすると、それは聞き手の評価を相手にぶつけていることになる。その評価的な声かけは、その人の経験の否定に繋がりかねない。だからこそ、相手の語りを正確に受け止めた上で、「その経験は君にとってどんな感じなの?」と、相手自身がその経験をどう評価しているのかを聞くのだ。

これらの言い換えは、「規範的な考え」や「規格化するアイデア」を手放すことによって可能になった、別の可能性である。たぶん、相手の話を聞いていて、「むかつく」時って、自分自身の「規範的な考え」や「規格化するアイデア」に抵触する瞬間である。そのときに、その自分自身の価値観を横に置いて、相手自身の内在的論理を理解することができるか、が問われている。

ハーレーンは、こんな風にも語る。

「対話は、ある特定の話し方だと考えています。対話の参加者が互いに、そして自分自身に関与し、その会話の焦点やそこに集まった目的について相互の、ないし共同の探索に携わる話し方です。対話には目下の問題についての探索を伴います。共に検討し、問いを立て、コメントし、考え、リフレクトします。それは、互いの意味を理解しようとするプロセスです。そしてこのプロセスで新たな意味が生成されるのです。わたしは、すべての会話は対話(ダイアローグ)だと考えますが、教える時や書く時には、対話との比較対象のため独白(モノローグ)という用語を用いることもあります。わたしは対話を一つの連続体として捉えます。会話はその連続体上を行き来し、ある時はより対話的で、またある時はより対話的でないというわけです。」(p123)

ぼく自身も、うまく相手と対話出来る時もあれば、独白寄りになってしまう場合もある。うまくいかない時って、「目下の問題についての探索」するモードから始まるのに、気付いたら、「こうすべきだ」「こうした方がよい」という「規範的な考え」や「規格化するアイデア」を押し付けている場合が多いのだ。

そういう時に軌道修正したければ、「互いに、そして自分自身に関与し、その会話の焦点やそこに集まった目的について相互の、ないし共同の探索に携わる話し方」をするように、モードを切り替えた方がよい、ということになる。相手との探索が上手くいかない時には、「いま、何だか話がうまくかみ合っていないようで、ぼく自身は対話相手として大丈夫か不安です」といった「自分自身に関与」する言語を出してみてもいい。それをする余裕がなくて、「あなたは○○すべきだ」なんて言ってしまったら、対話は独白になってしまう。この間、そういう独白的な対話に成り下がった場面を経験したゆえに、ぼくは「いてて!」と思いながら、敢えてそれを書き付けておく。

「共に検討し、問いを立て、コメントし、考え、リフレクト」するプロセスを通じて、「互いの意味を理解しようとするプロセス」を開けるか。その際に、相手に自分の価値観を押し付けるのではなく、当惑したらならばその自分の価値観を「アイ・メッセージ」で相手にそっと差し出してみることができるか。それが、「互いの意味を理解しようとするプロセス」なのかも、しれない。

そして、対話はつづく。

「あなたとわたしのフィールドワーク」序文公開

研究者仲間の鈴木鉄忠さん高橋真央さんと共に『あなたとわたしのフィールドワーク』(現代書館)という本を出した。この本は、編集者の向山夏奈さんにも二年近くにわたって議論に加わってもらって生まれた一冊であり、ブックデザイナーの木下悠さんが実に素敵な装丁をしてくださったので、「ジャケ買い」したくなる、美しい一冊になった。「新たな学びの地平を等身大で描く人文学的エッセイ集」という新たなジャンルも確かにその通り、な一冊である。

鈴木さんはイタリア地域研究が元々のフィールドで、『バザーリア講演録 自由こそ治療だ』の訳者でもある。高橋さんはボランティアや国際教育が元々のフィールドで、女子教育への造詣も深い。そういう意味では、一見すると接点のない、バラバラな三人である。

でも、この三人で、8年前から研究チームを組み、二回の科研研究班で議論をし続けてきた。特に、2020年春からのコロナ・パンデミック以後は、毎月一度、Zoomで研究会を続けながら、お互いの授業実践のモヤモヤも対話をし続けてきた。その中で、研究者や教育者としての「あるべき姿」というよりも、等身大の、実存のモヤモヤを出しながら、対話を重ねてきたチームである。

だからこそ、今回の著書は敢えて「人文学的エッセイ」という形で、研究や教育、そして人生というフィールドにどう向き合い、試行錯誤してきたか、を格好付けずに描いてきたつもりである。読んでくれた友人達も、こういうエッセイは読んだことがない、とか、研究者ではなくても面白く読めた、などの嬉しい感想もボチボチ頂いている。

11月に刊行したのだが、ここ最近本当に忙しくて、全く告知が出来ていなかった。そこで、以下には鈴木さんに書いてもらった「はじめに」を公開する。

また、来月以後、この本に関する出版イベントを対面やオンラインでもする予定で、さっき作戦会議をしていた。そちらもお楽しみに♪ (リアル書店さんで、ポップなど書かせて頂けるなら、どうぞお声がけくださいませ<(_ _)>)

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はじめに:「あなたとわたしのフィールドワーク」の旅へようこそ!

鈴木鉄忠

「あなたとわたしのフィールドワーク」ってどういうことだろう? 本の題目を不思議に感じた人は多いかもしれません。普通の理解だと、「あなた」は情報提供者(インフォーマント) で「わたし」はフィールドワーカーです。前者が調べられる側で、後者が調べる側であり、この関係は基本的には変わらないとされます。しかし、実際の現場では、双方の立場が入れ替わったり、相互の関係が変化することが往々にして起こります。なぜならフィールドにいる「あなた」は、「わたし」の予想を超える存在として立ち現れるからです。そうした「あなた」は、現場にあるモノやにおいのような人間以外の存在かもしれません。フィールドで出会う「あなた」の存在を真剣に受け止めることによって、「わたし」の存在が揺らいでいきます。この本では、ひとりの人間としての「わたし」に変化をもたらす「あなた」との学びの過程を広く「フィールドワーク」と捉えることを提案しています。そこから見えてくる学びの新たな地平を等身大で描こうというのがこの本のねらいです。

ここで文化人類学者のティム・インゴルドの議論が参考になります。インゴルドは、フィールドでの参与観察法は民族誌という学問成果の手段である、という従来のフィールドワークの理解に異を唱えました。参与観察法が手段で民族誌が目的なのではなく、それぞれが別の目的をもつ方法であると主張しました。つまり、民族誌が異文化フィールドの「他者について知る方法」であり、その目的が「資料の「記録 (ドキュメンタリー)」にある」のに対して、参与観察法は「他者とともに学ぶ方法」であり、その目的は「生成変化」にあるとしたのです (ティム・インゴルド著、奥野克巳・宮崎幸子訳『人類学とは何か』亜紀書房、二〇二〇年)。

インゴルドのいう「他者とともに学ぶ方法」としての参与観察法は、この本の「フィールドワーク」の理解に近いものです。この本の三人の書き手は、データの収集方法としてではなく、フィールドの「あなた」と共に学ぶ方法を身につけながら、「わたし」が「生成変化」する過程を描きたいと思いました。三人はそれぞれ福祉社会学、地域コミュニティ、国際協力というように、普段は異なる分野で調査や研究をしています。ただしフィールドの「あなた」から学ぶという過程には、領域を横断した大事な共通点があるのではないかと考えるようになりました。それを一言でいえば、「あなた」と「わたし」の間で起こる「生成変化」になります。それゆえに本書全体を貫くテーマは「あなたとわたしのフィールドワーク」であり、私たちが読者のみなさんを招待したいのは「関係性の変容から始まる旅」なのです。

この本の旅の行程をご案内します。第1部の「あなたとわたしの相互変容」は、大学での教育場面がフィールドです。ここでの「あなた」は学生で、「わたし」は教員になります。通常の教員―学生の関係は、教える―教えられるという役割と立場の違いが明確にあります。しかし学生と接する場面を「他者とともに学ぶ」フィールドと捉えるならば、教室であれ、課外学習で訪れた国内外の現場であれ、学生と教員の双方に「生成変化」が起こり得ることを伝えます。

第2部は、「他者とともに学ぶ方法」としてのフィールドワークをどう体で覚えていったのかを描きます。「体で」と書きましたが、文字通り「頭で」勉強したというより、フィールドで出会った「あなた」から全身で学び、生きる方法を見つけるために変化する過程です。その意味では「実存のフィールドワーク」といわざるを得ないものになります。

第3部の「他者と出会い、共に変わる」は、自分の価値観では理解できない「あなた」にどう向き合うかを考えます。想定を超えた相手や状況に接したとき、それを見ないことにして自分を守るか、もしくは勇気をもって対話するかが問われます。後者の選択には、時にほろ苦い失敗や楽しいだけではない大変さが伴います。ですが同時に、自分の当たり前を脇に置き、「いま・ここ」に焦点を合わせた出会いは、対話的な二者関係や新たなコミュニティが生まれる幕開けになり得るのです。