枠組み外し その2

今思い返すと、体重の変容は、その後の「大転換」のための「準備体操」だった。自分が一番気にしていて、かつもっとも無理だと無意識的に諦めかけていたもの(体重の大幅な変容)が、突然、動き始めた。しかも、自分が苦しくない形で。

炭水化物を減らす。米を食べる量を減らし、外食で麺類を食べる場合は残すことにした。その際、心が苦しくなる理由は、「もっと食べたい」という欲望よりも、むしろ「残しては勿体ない」という意識ゆえだった。その「勿体ない」という言い訳と戦うことは、最初のうちはかなり時間がかかった。だが、「皮下脂肪に蓄えるのと、残すのと、どちらもエネルギーをどこかに残す点では変わらない」「最初から麺を少なめにしたら良い」と自分に言い聞かせているうちに、心苦しくなくなってきた。これも、後付け的になるが、ドミナントストーリーの書き換え、というか、暗黙の前提としている言説に対して、新たな別の信念体系をぶつけ、その暗黙の前提を捉え直す、ある種の「枠組み外し」であり、自己洗脳だったのかもしれない。
そうやって、実際に体重が減り始めた変容の中にあって、香港に出かけた事が、次なる変容への契機となった。
海外に出かけると、否が応でも日本の常識や価値観を相対化して見ることになる。日本の「当たり前」が通じない事にいらだったり、日本では出会わないトラブルに遭遇したり、あるいは日本で見たことのない、食べたことのない、感じたことのない何かと向き合ったり。そういう「異化作用」をフィジカルに全面的に体験するプロセスの中で、自らの暗黙の前提自体が現前化する契機となる。妻と遊びに出かけた香港で、しかも旅立つ直前に偶然に本棚から取り出してナップサックに入れた一冊によって、体重変容の次の変容の口火が切られ始めた。
「とざされた世界のなかに生まれ育った人間にとって、窓ははじめ特殊性として、壁の中の小さな一区画として映る。けれどもいったんうがたれた窓は、やがて視角を反転する。四つの壁の中の世界で特殊性として、小さな窓の中の光景を普遍性として認識する機縁を与える。自足する「明晰」の世界をつきくずし、真の<明晰>に向かって知覚を解き放つ。窓が視角の窓ではなく、もし生き方の窓ならば、それは生き方を解き放つだろう。」(真木悠介著『気流のなる音』ちくま学芸文庫、p121)
自分自身の視点や思考枠組みは、所与の前提として疑いようのないものである。
これまで、そう思い込んでいた。逆に言えば、それを疑い始めたら、存在根拠が崩れ、アイデンティティの危機に陥り、全くそこから動けなくなる。勿論10代後半から20代前半にかけて、私自身にも人様同様のアイデンティティ・クライシスはあった。だが、結婚し、大学で定職に就き、社会的にも必要とされる(と感じる)仕事に取り組む中で、気づけば自分自身の思考の枠組みは固定化・強化していき、それ自身を疑う、という場面がどんどん減っていった。それを私自身は「成熟」だと思い込んでいた。
だが、体重変容の過程を通じて身につまされた事は、思考の枠組みの固定化・強化は、時として「○○だから仕方ない」という諦めの内面化・自己正当化でもある、ということだ。そして、それが内面化・自己正当化である、ということにすら、その枠組みから自由にならないと、気づけない。体重が本当に3キロ4キロと減る中で、「無理」と思い込んでいた所与の前提があっけなく崩れ去る中で、ようやくその「無理」という思い込み(=所与の前提)そのものが、実は脆い基盤の上になりたっていた、ということに気づかされたのである。真木の比喩を用いるなら、「窓」が開かれた瞬間だ。
初めて訪れる香港という場で、新たな何かを受けいるだけの心の余裕と開放的な気分が、その前提としてあった。しかも、体重変容という変化のまっただ中にあった。そこに、上記の真木のフレーズが、あまりにもぴったりの布置の中で置かれた。「そんなの無理」と思い込んでいたダイエットという「特殊性」が、「いったんうがたれ」てみると、「やがて視覚を反転」しはじめた。無理だという思い込み自体が、「とざされた世界のなかに生まれ育った」「特殊性」そのものだ、と見え始めた。それまでの自分自身の信念体系が、もしかしたら「自足する」(=つまりは閉ざされた)「『明晰』の世界」なのかもしれない、という気づき。そして、それを「つきくずし、真の<明晰>に向かって知覚を解き放つ」ことが出来るかもしれない、という可能性の発見。自分が体験していたことが、先達の手によって言語化されている事に、驚き、喜んだ。それと共に、ダイエットというフィジカルな変容が、どうやら単なる身体変化を超える可能性があることに、このテキストから気づかされ始めた。
つづく

枠組み外し その1

人は、自らの参照枠組みそのものを、なかなか疑うことはできない。そして、その参照枠組み自体は、内発的な自然さで構築されるものではなく、外発的な、様々な契機に左右されている。だが、いったんそれを無意識的に内在的論理として組み込んでしまうと、その参照枠組み自体が所与の前提となってしまい、その枠組みそのものへの疑い、というメタ認知的な「捉え直し」を、自分自身に対して行うことは容易ではない。それだけでなく、その内在的論理とは異なる視点の違う論理に対して、強烈なる嫌悪感を持って全否定をしようとする。あたかも、自らの存在論的裂け目に出会う事を拒否する為に。

と、抽象度を上げて(=小難しく!?)書いてみたが、言いたいことは、自身の中で1年以上かけて、少しずつ気づいた事をまとめてみたら、上記のようになる。
例えばダイエットについて。
以前も書いた事があるが、私は自分でやせれない呪縛にはまり込んでいた。「腹が減っては戦は出来ぬ」「三食しっかり食べないと」「朝ご飯を抜いたらリズムがおかしくなる」といった、世間一般に流布されているフレーズを、食べる為の自己正当化として使っていた。痩せられないのも、体質や、仕事の忙しさや、運動する暇がない、などの理由をつけて、言い訳をして、「○○だから仕方ない」としていた。
だが、この「仕方ない」というのは、自己正当化という名の呪縛である事に、昨年気づかされて以来、事態がコペルニクス的転回をし始める。
きっかけはとある漢方医の一言だった。
「炭水化物を減らせば、ダイエットは確実に出来るよ」「夜ご飯を食べ過ぎたら、朝飯を抜けばいい」「無理して3食食べる必要はない」
ある医学レポートをプリントアウトしながら指摘された上記のフレーズは、大げさに言えば私の信念体系を根底から揺さぶる発言だった。これまで「○○だから仕方ない」と言っていた、その根拠を崩しかねない事態だったのだ。
普通、自らの信念体系を否定しかねない言説と出会うと、多くの人は「そんなことはない」と、躍起になって否定しようとするだろう。私自身も、以前なら上記の言い訳のストックフレーズを準備して、「そんなことはない」と聞く耳をふさいだかもしれない。だが、30代の折り返しの年にあたり、しばらく前から人生そのものに行き詰まりの感覚を持ちづけていた私は、この医師の一言を、全否定ではなく、命がけの跳躍やチャンスと捉えた。何か変わらなければならない、変わりたい、でもその方法論がわからない、と悶々としていた時期だったので、「これだ」と無意識的にその方法論に飛びついたのかもしれない。また、その半年前から合気道を習い始め、これまでの身体の硬直的運用と、それを超えて新たな技に見開かれていく経験をしていた矢先だったので、新たなる身体変容への誘いを、全否定ではなく、可能性と捉えたのかもしれない。
とにかく、最大で84キロ、医師に出会った時には81キロくらいあった体重が、上記のフレーズと出会った後、「計るだけダイエット」メソッドも併せて記録をし続けた事もあって、半年後には10キロ減り、1年後もその体重を維持している。私にとっては、無理だと決めていた事が、こうも簡単にリミッターを超えて、現実化されたことに、嬉しさもひとしおだが、驚きの方が大きかった。そして、少しずつ、「○○だから仕方ない」という考え方、つまり私自身の自己規定の枠組みそのものが、実はタケバタヒロシという存在そのもの限界を規定しているのではないか、と感じ始めた。そして、そこから枠組み外しの旅が始まったのである。(多分 つづく)

風が通る

引越をして一週間。まだ開かずの箱はあるけれど、だいぶ生活が落ち着いてきた。

場所を変える、というのは、身体作用にも大きな影響をもたらす。今回、身体が引越を求めていたので引っ越した、という部分が非常に大きいので、よくわかる。職場はそのままだし、駅からは前の家の方が近いし、別に引越をする外的必然性はなかった。だが、心も含めた身体全体が、場を変えることを切実に望んでいたのだ。これは、妻も同様である。
今の家に来て、風が通る、ということの重要性を、具象的にも抽象的にも感じている。
事実、以前の家の難点は、風通しの悪さだった。北東角の3階建ての3階、という立地。夏場は恐ろしく日差しが熱く、あつ夜には外は涼しいのに、その冷気が家に入ってこない。理由は、北向きのリビングと、東向きの書斎や寝室とをつなぐ導線が悪く、窓を開けても、風がなかなか勢いよく通過しなかったのだ。
また、抽象的レベルでいうと、収納が少なかったので、部屋にモノが散乱し、気持ち的にも風通しが悪かった。だが、そこで6年住んでいた私たちには、その風通しの悪さ以前に、甲府で、夫婦として、社会的立場や役割として、生き続けるだけ精一杯だった。大げさに見えるが、僕の30代前半は、間違いなく、「一杯一杯」、というか、キャパシティーの限界以上の課題に常にチャレンジし続ける、ポジティブな意味で言えばアグレッシブな、反転させると全く余裕のない日々だった。
それが、30代の折り返しを迎える去年あたりから、役割や立場という対社会的自己だけでなく、喜びや楽しみ、うれしさといった内在的自己を重視し始めた。その際、合気道という身体作用が、心のこわばりや防御機制のプロテクトを取り払うのに役立った部分は決して少なくないと思う。今まで無視していた、センサーを切っていた、身体の様々な部位との対話(最初は「○○という技が全く出来ない」という形での)によって、自分がいかに対社会的、それも目の前にすでに見えている世界という局所的世界に向けての対話しかしていなかったことに、気づき始めた。すると、ヤドカリではないが、自らの住んでいる家の様々な問題点が、局所的世界の裂け目から、少しずつ見えてきたのだ。これは、今の自分の身体にフィットしていない住まいである、と。
おもしろいもので、結婚して8年が過ぎようとしているが、妻とそのあたりの感覚が同じであった。共振している、というか、拡張する身体感覚なのかどうかわからないが、二人して同じ時期に動きたい、と感じ始めた。そして、新たな家で、新たな身体感覚を構築しようとしている。
部屋作りのため、この一週間、いろいろなモノを捨てたり、配置し直したり、新たに買い求めたりしている。以前なら、それは単に収納するとか、しまうとか、そういう現前の目的の為、としか意識していなかった。だが、今回の引越後の軌跡でおもしろいのは、判断基準が、「それは気持ちよいか? 快適か?」という項目が加わった、ということである。逆に言えば、これまではそんな当たり前のプリンシプル自体を無視して生活を構築してきた、というお恥ずかしい現実の暴露でもある。
妻はここ数年、近藤典子の本ライフオーガナイズの本を読み込んでいるので、引越を気に、キッチンまわりをかなり快適に構築してくれた。いわく、後ろを振り向いたらすぐに調味料や道具が取り出せるキッチンが、一番使いやすい、とのこと。確かに引越後、調理中に動く量がかなり減り、実に快適に料理が出来る。同じように、書斎は以前より狭くなったのだが、パソコン机の向かい側に書棚を取り付け、そこに見えやすいように書籍を配置したので、実に本が取り出しやすく、良い刺激が沢山本棚から発せられている。座ったままの目の高さで手に届く本が増えた事が、読んで書く、という営みを、後ろから大きく応援してくれているように感じるのだ。キッチンも書棚も、「気持ちよさ」と「快適さ」が随分向上した。
まだ、それでも1週間しかたっていないので、手をつけていない箇所は沢山ある。でも、それに着手することは、「重荷」ではなく、楽しみにになりはじめている。風通しのよい家にいると、僕の中でよどんでいた気脈が流れ始めるような気がする。いや、僕自身の内在的論理の変容が、心の中に風を通し始め、引越と風の通る家に導いたのかもしれない。または、両者のシンクロニシティ、という方がぴったりくるかもしれない。
いずれにせよ、この夏は、いろいろなものをまとめるタイミングが重なってくる。そのために、スタートし始める準備が整ったようだ。

トポスの変容

と、小難しいタイトルを思いついたが、内容は簡単。引っ越しました。

同じ甲府市内なのだが、着任後6年間住まいを変えなかった。場所的には気に入っていたのだが、色々脱皮の時期だと思って、思い切って引っ越したのだ。
引っ越し先では、出来るだけ「暮らしやすさ」を大切にしようとしている。
以前の家では、本棚の3分の1が、スペースの関係上、半分死にかけていた。今回、とりあえず書斎では、PCと机、本棚しか置かず、それ以外のものは段ボール箱を未開封、あるいは収納スペースに放り込んでいる。机の真後ろに、すべてが見える本棚を置いたので、非常に一覧性に優れている。お恥ずかしながら、「こんな本を持っていたのね」と在庫をすっかり忘れていた本も多い。また、一日でやってしまったので中途半端ではあるが、今の時点での興味関心に基づいて書架を並べ直したので、非常に各棚の発するエネルギーが好ましく、また強い。自ずと各本棚に手に届く割合も高い。これだけでも、早く家に帰りたくなる配置だ。
それだけでない。これは妻の成果なのだが、キッチンもかなり使いやすく変えた。もちろん新居がキッチンとダイニングのセパレートになっている事が大きいのだが、それ以外に引越を気に、大量にモノを捨てた。本だけでなく、中途半端な収納用具や、使わない食材なども(昨日は8年前が賞味期限の蜂蜜も捨てた)。すると、めちゃ料理しやすい。キッチンのコックピットで、ほとんど動かずとも、ひょいひょいと調味料も食材も料理器具も手に取れる。今までどれだけ導線が悪かったのだろう、と再認識させられる。
あと、リビングも、なるべくモノをあれこれ置かないよう、目の上の高さ以上はすっきりするように心がけている。ここは、まだ引っ越して間もないので、志半ばだが、少しずつ、整い始めている。
引っ越す前のマンションは、立地もよく、大家さんもフレンドリーだったが、とにかく収納が極端に少なかった。ゆえに、物持ちの我々夫婦は、自然と部屋が雑然としてきて、争いや怒りに満ちる事になる。道具は、夫婦で暮らすための、あくまでも手段。でもその手段が自己目的化し、ある種、手段に支配されると、「夫婦がくつろぐ」という目的が達成できなくなる。超してきた当初はそれでもモノが少なかったが、この6年間であれやこれやが増えた。ならば、そろそろカタツムリよろしく「宿替え」の時期だね、ということになり、引越シーズンでもなければ、仕事先が変わった訳でもないのに、引っ越したのだ。
新居でも、引っ越して以後も、モノを捨て続けている。
これまでのため込む癖と向き合うのは、楽ではない。それは、自らの性格の、ある種のコアの癖の部分と向き合うことだから。なので、休み休みしないと、爆発しそうになる。でも、少しずつ片付けながら、少しずつモノとの距離の取り方、住まい方について、以前と違う場で、引越の段ボール箱を一つずつ開けながら、その場を構成する要素を大きく変えながら、毎日を位置取り直している。自分たちの場所(=トポス)を構築し直している。
以前なら、出来合いのトポスに身を合わせるだけで精一杯だった。もっといえば、トポスを重視する以前に、生きるだけで精一杯だった。だが、多少なりとも、目の前の日常生活だけでなく、その日常生活を構成する場の重要性に気づく時期を迎えた。すると、トポスを意識的に変容させることによって、今までよどんでいた流れを再活性化させて、新たな出会いや物語が生まれ始めそうな予感がしている。断捨離ではないけれど、場の再活性化の為には、確かにモノと向き合う姿勢の変容は悪くない。そして、捨てるだけでなく、自らの現時点での処理能力で向き合えるだけのモノに絞った上で、モノと向き合い直す、つきあい直す、使い倒すことこそ、活き活きとした暮らしなのではないか、と思い始めている。
新居第一号のブログは、そんな予感を言語化してみた。自己成就すればよいのだけれど。

新たな展開の予感

二週間近くのご無沙汰です。

相も変わらず日帰り東京出張が二日連続で続いたり、など仕事も確かに忙しいが、この二週間で、いろいろな事が変化していて、時間的にも物理的にもブログに時間をとれなかった。備忘録的にその変化を少し記録しておきたい。

1,Evernoteが習慣化する。
前回のブログを書いた24日から、Evernoteを使い始めたのだが、これはかなり習慣化してきた。毎朝、前日の記憶を頼りにEvernoteに日記を書き始めたのだが、まあ、書くことがあるわ、あるわ。ブログやツイッターなどのアウトプットは「他人に見られる」ことを基本としているので、実はこれでもかなり取捨選択して、抑制気味に書いている。別に暴発したいのではなく、他人の目に触れるには値しないけれど、自分では書いておきたいその日の出来事や、他人の印象や発言、等を、書き出したら、結構書くことがあるのである。朝からどん詰まりに忙しい日以外は、朝起きてご飯を食べるまでの隙間時間に、ツイッターを見ながらこちょこちょ書いている。
いや、それだけでなく、研究にも活用している。ちょうど来週の11日が、福祉社会学会での学会発表があって、予稿集は書いておくっているのだが、まだその内容を仕上げていない。どうせだったら、とこれまでにため込んできたアイデアも含めて、EvernoteでB6カードよろしく書きためている。すると、アイデアの思いつきや、忘れかけていた記憶の再生など、色々な効果が出始めた。これまで福祉社会学会では2008年からずっと、地域自立支援協議会というメゾレベルの現場のダイナミックスについて、その本質に迫れないか、とあれこれ考えてきた。ただ、ぼちぼち今回あたりでいったんまとめをして、論文にしなければ、と思っている。そのため、具体的な事象に埋没せず、「問いの次数を上げる」ことが求められる。そして、僕が今、研究上でデッドロックにさしかかっているのは、「木を見て森を見ず」ではないが、個別具体の事にこだわってしまい、問題の本質にまで迫れていなからである。
ちなみに、この「問いの次数を上げる」というのは、内田樹さんがよく言っているフレーズである。彼のHPを引いてみると、大変興味深い例が載っていた。読み返していて「そうそう」と思う直近の例を、今ブログであれこれ書き始めたのだが、内容が表に出来ない部分もあったので、これはEvernoteの日記に移行する。そう、これまで書けない内容については書かれずに死蔵されて来たのだが、それを書いて消化・昇華させることが出来るのも、良いところです。と、脱線しているけれど、とにかく研究のまとめをそろそろせにゃまずいので、俯瞰的にこれまで考えて来たことをまとめるにも、Evernoteは活躍し始めている。
2,引越作業とゴミ捨て大会が進む
あと2週間ほどで、市内の別の場所に引っ越すことにした。今の場所は足かけ6年住んでいる。朝は鳥のさえずりで目覚める、大変良い場所なのだが、心機一転したかったのと、次の家のご縁が見つかったので、思い切って引っ越すことにした。そのため、連休明けくらいに業者に段ボール箱を運び込んでもらい、以来少しずつ、段ボール箱に詰めながら、部屋の整理も同時並行的に行っている。
その中で、読んでいない本でも、今の関心から外れてしまった本は、今回思い切って処分することにした。段ボール箱に引っ越し先にも持って行く本を詰める中で、この本とはご縁がないな、と思う本は処分用に分けていったのだ。数にして200冊は超えただろうか。感じ的に段ボール箱で2-3箱分くらいは避けただろうか。大学でフリマをし、8000円くらいのお買い上げになった。それは被災地の障害者支援団体に振り込む予定だ。それでも、14箱は新居に持って行くのだから、決して少なくはない。
2回分の週末を本詰めにかけた後、昨日あたりから、「開かずの箱」やゴミゴミした周辺領域、にも手をつけ始めた。「とりあえず」詰め込んである雑多な内容を、一度地面にさらけ出して、本当にいるものだけを取り出し、あとは捨てる、という地味で面倒くさい作業だ。本を箱詰めするより肉体は使わないが、実は精神的にクタクタになる。なぜなら、真実は細部に宿るから。
前回の引越は、プータローだった西宮時代から、常勤となった新天地へと移る時期と重なった。かつ、引越の1週間前にアメリカ調査から帰って来て、その間にインフルエンザにもかかり、送迎会を軒並みキャンセルする、という失態も重なった。その上で、1週間で引越準備を完了する、というかなりクレイジーなスケジュール。とにかく箱詰めして、前の日は徹夜して、必死になって片付けて、ふらふらになりながら夕方の高速道を甲府に向けて走っていたのを、ぼんやり覚えている。あの頃は全く人生にゆとりがなくて、引越をするだけで精一杯だったのだ。
その後、甲府に超してから、山梨での生活に慣れるのに2,3年かかった。それは、常勤の仕事に慣れるのに、と言い換えてもいいもしれない。で、慣れた頃から、山梨県や三重県での障害者福祉のアドバイザーをし始めたので、加速度的に仕事が忙しくなる。妻はその頃から、引っ越ししたい、と言っていたのだが、今度は忙しくて余裕がなくなったので、とてもじゃないけれど、と拒否していた。乱雑な部屋をみて、ここからどうやって荷物を整理できるのだろう、と途方に暮れていたのも、一因であった。
それが昨年の心境の変化のあたりから、ぼちぼち動いてもいいのではないか、と思いを改める。そして、昨年の夏には不動産屋も廻ったり、学内で声もかけてみたが、なかなか物件は見つからない。そんなもんかなぁ、と思っていた矢先、今年の年明けに、身近な知り合いから、分譲マンションを人に貸したい、というご縁と出会う。いわく、5月末をめどに実家に戻ろうと思っている、とのこと。3月は仕事も立て込んでおり、引っ越し代も高いので、半年後の引越なら余裕もありそう、ということで、話がとんとん拍子で決まった。
6ヶ月の心理的余裕は、確かに大変良い。少しずつ片付けながら、心理的にも、今までの固着した考えを捨てていくのに、それくらいの時間が必要なようだ。実際、今回は連休明けから、よほどの用事がない限り、土日は引越のためにまるまる時間を確保している。その中で、今まで先延ばしにしてた「開かずの箱」「ゴミだめ」とも、向き合うことが出来ている。自分に余裕があるから、これまで蓋をしていた様々な「ゆがみ」「よどみ」と向き合えるようになってきたのだろう。使わないパソコンソフトやハード、読み返さない記録、聞き返さないカセットテープ、袖を通さない洋服、など、この際一気に処分する。毎週ゴミ袋を一杯にするたび、少しずつ心が軽くなっていく実感がある。そして、パソコンラックや、普段使わない重いスーツケース、不用意に取っておいた紙袋、などもとにかく捨てまくる。すると、変なもんで、部屋がだいぶシンプルになり、良い気が流れるようになってきた、ような気分になる。断捨離ではないけれど、引越を機会に、モノとのつきあい方を、大きく見直そうとしている。
3,蘊蓄ハイキング隊、はじまる
先週の金曜日から突然始まったこの企画。ちょうど、「せっかく山梨に来たのに、山梨の自然とふれあっていなかったなぁ」と思い始めた矢先に、大学の同僚A先生から、ハイキングのお誘いを受けたのだ。曰く、「大菩薩峠の半日ハイキングとその後の温泉」という、なんとすばらしい企画。
前日は雨だったのに、その日は非常に晴天に恵まれ、実に気持ちのいいハイキング日和。同僚が多いハイキングなので、山歩きしながらもピーチクパーチク、蘊蓄や阿呆な話に余念がない。かつ、隊長のS先生が、装備もばっちりで、山歩きのことだけでなく、森羅万象についての蘊蓄の大家。よって、蘊蓄ハイキング隊と決まったのでありました。
大菩薩峠の尾根から見る雲海の景色は実に美しく、隊長の言う「山登りはいっぺん出かけてみると、その魅力にはまるよ」という言葉を、文字通り実感した。この夏はこの隊の企画に乗っかって、僕も山梨の山と、一つずつご縁を頂こう、と思う。
Evernoteも引越も、蘊蓄ハイキング隊も、胎動する何か、を感じ始めるエピソード。どこに進むかはわからないけれど、何だか新たな展開の予感がする三題噺、でした。

方法論の刷新

タイトルは仰々しいが、中身は現実的だ。

ウメサオタダオ展に出かけた、という事を前々回のブログでご紹介した。
今回氏の著作を何冊か集中的に読む中で、以前読んだつもりだったけれど、ちゃんと記憶にも残っていないし、また書架にもなかった大ベストセラー『知的生産の技術』(岩波新書)を、東京出張のついで、昨日オアゾの丸善で買い求めた。
実は読み直す以前にも、改めて方法論の刷新が必要だ、と感じていた。みんぱくにつとめる大学時代の同期のO君から、展示会の折に『特別展「ウメサオタダオ展」解説書「梅棹忠夫 知的先覚者の軌跡」』を頂いたのだが、このガイドブックは非常に内容が濃くて、学ぶことが多かった。その中でも、方法論に関しては、山根一眞氏の『情報の整理と再構築の偉大な一歩』というエッセーに非常に心惹かれていた。その中で山根氏が梅棹氏から言われた言葉が、非常にあまたの中に残っていた。
「山根君は『B6カード』を使うことで、情報をどう扱うべきかを学んだ。それで、自分なりの方法や技術を産み出した。そういうことを想定して書いたのが『知的生産の技術』なんです」(p100)
つまり、ばらばらの情報をB6カードに「発想メモ」としてとり続け、何かのテーマについて書くときには、テーマや小見出しからそのカードを引っ張り出して、並べ直し、「こざね法」でカードなりメモなりを組み合わせ、論理を発展させていく。梅棹氏の友人、川喜多二郎氏のKJ法と共に、情報を帰納法的に集約していく中で、大きなテーマでのひとまとまりをつける、という編集機能を備えたやり方が、B6カードによる知的生産技術の要旨である。
このやり方を、パソコンやクラウド時代にどう活かせるのだろう? そう考えていた矢先、昨年の夏に人から教わったけれど、放置していたEvernoteを思い出した。そうか、あれはカードそのものだし、ファイルメーカーと違ってクラウドだから、アンドロイド携帯とも同期出来るのではないか、と。
ネットで調べてみたら、gmailと同時活用している人の本や、『知的生産の技術』との関連性で論じている人の本など、ちゃんと気づいている人は沢山いたのですね。上の二つの本も、早速アマゾンで購入。
仕事の方法論については、山梨県や三重県の障害者福祉のアドバイザーをし始めて、学外での社会貢献の仕事がかなり増え始めた3,4年前に、ビジネス書やライフ・ハック系の本、また「週刊東洋経済」「日経ビジネス」[The 21」などのビジネスマン向け週刊誌をかなり貪り読んだ。その中で、仕事の締め切りに対する意識や、常に先々の仕事を見据えた中で早め早めに処理する技術など、方法論的なものについて、ある程度学んだ、つもりでいた。事実、以前に比べたら、仕事の処理速度はかなり速くなっていたと思う。
ただ・・・。
それでは、事務仕事や講演のパワーポイントなどは早くこなせても、論文など、じっくり考えて文章にしていく作業に活かされていなかった。処理は出来ても、「知的生産」には至っていない、という不全感が、ずっと蓄積したままだった。本は以前より膨大に吸収し、昨年あたりから色々新たな気づきもあって、それをブログやツイッターで時に触れてアウトプットもしているけれど、それはあくまでも情報の断片であり、その情報の断片と、これまで研究してきた自分の研究テーマや主題との関連づけが非常に薄い、と感じた。つまり、以前、我が学科のM先生から言われた「雑学王をどう脱するか?」という壁を、超えられないまま悶々としたままの自分がいたのだ。
そんな中でのEvernoteくんとの出会いは、実は雑学王を脱するための、僕なりの処方箋にもなり得る、と勝手に夢想している。
僕は、いちおう障害者福祉政策の専門家、というタグが貼られているらしい。たしかに、障害者の地域移行や地域生活支援などで、文章も書いている。しかし、それにとどまらず、高齢者福祉や地域福祉、ボランティアやNPO、支援や新しい公共など、より広いコンテキストの中で、自分の研究が位置付いている、と感じている。また、最近どうもユング心理学系が気になって仕方がないが、もともと博論時代からの主題である、「精神障害者のノーマライゼーション」課題の、主観ー実存的問題と、社会環境(の障壁)との相互作用論も、自分の中でアクチュアルな主題となりつつある。複雑系やメタ認知理論、フーコーにメルローポンティも、単なる趣味を超えて、関係があるような気がして仕方ない。
そんな雑食家が、雑学王を超えて、ちゃんと情報を関連づけ、つなぎ直す方法。それが、クラウド環境やITメディアを活用した、現代版のこざね法的、KJ法的法的な「知的生産の技術」ではないか、と感じている。これまで試行錯誤しながら、「情報をどう扱うべきかを学んだ。」 その修行時期がそろそろ終わり、「自分なりの方法や技術を産み出」す時期に移行しているのではないか。そう感じていた。
ゆえに、今日からEvernoteは早速大活躍している。メモを書きまくり、そこで気づいた事はツイッターに加工したり、逆にツイッター内容を貼り付けたりして、メモをどんどん膨らませていく。研究室で死蔵しかけていた幾つかのキーブックも、「著者にとってのだいじなところではなく、自分にとってのおもしろいところ」としての「わたしの文脈」(「知的生産の技術」p112)でノート化していこうと決めた。
ここしばらく、情報をむやみやたらと吸収しているばかりでなく、きちんと分析して、考えて、アウトプットしたい、と思い続けてきた。それが、ウメサオタダオ展という媒介項で、知の巨人とつながり、そこから自分なりの方法論について刷新するチャンスをいただけた。なんとありがたい学恩。
出来の悪い一研究者だけど、氏から勝手に受け継いだと思い込んだバトンを手に、自分なりに知的生産の大海に漕ぎ出したい。

バランスを考える

前回のブログを書いたのは大阪、上本町のホテル。その後、大阪で講演し、翌日と翌々日は三重県のお仕事で研修にみっちり関わって、帰ってきた時には、ひどく疲れて果てていた。それでも、翌日講義をしてから、東京での会議に行こうとしていた。だが、さすがに体力の限界一歩手前。ドクターストップならぬ、妻からの「倒れる前に休んだら」の一言で、仕事をキャンセルして、火曜水曜と静養する。

倒れるまで最善を尽くして働いても、その後、沢山の穴を開けることになるくらいなら、倒れる前に、休みを入れる。いや、その前に、4月末からの20日間の間に、金沢2泊3日、京都・岡山3泊4日、大阪・三重3泊4日、というタイトな予定を入れる事の方が、問題性が高い。連休で、同僚の結婚式に実家周り、それに講演が重なった事による無茶なスケジュールだが、もう少し1ヶ月とか半年とか、見通しを立てた日程調整をしなければ、とつくづく痛感。
火曜日も水曜日も、最低限の講義だけをこなして、家に直帰してゆっくり休んでいたら、何とか復活。やはり、寝不足と移動時間の長さが応えたようだ。何せ、一日5時間以上の移動が計7日、という強行スケジュールで、しかもずっと旅というわけではなく、その間に甲府に戻って講義もしたり、という環境を続けて来たので、平時と旅路の混ざり具合もしんどさに拍車をかけていたのだろう。何せ、オン・オフの切り替える暇もなく、ずーっと5速で走り続けて来たのと同じだから、そりゃあ、モーターも焼け焦げます。というわけで、先週後半はかなりセーブモードで過ごしていた。
そのクールダウンの時期に読んだのが、もう1年も前に買った次の二冊。
『未来を変えるためにほんとうに必要なことー最善の道を見出す技術』(アダム・カヘン著、英知出版)
『シンクロニシティー未来をつくるリーダーシップ』(ジョセフ・ジャウォースキー著、英知出版)
ちょうど一年前にカヘンの『手ごわい問題は、対話で解決する』ジャウォースキーの『出現する未来』を読んで、ブログにご紹介もしていた。そのときに買ってはいたのだが、書棚に寝かせていた両著者の別の本を、改めて読んでみて、なかなか刺激的だった。いつものように両方の引用をする、というよりも、印象に残っている事を、デッサンしてみようと思う。
この両者は、ロンドンのシェルの世界戦略を考える部門で共に仕事をした事がある、というだけでなく、ある共通点がある。それは、徹底的に論理的に考え抜いた上で、論理思考以外の何かを取り込みながら、自らの思考を発展させて来た、という点である。
カヘンはアパルトヘイト後のアフリカや内戦後のグァテマラなど、コンフリクトや対立の激しい現場において、方向性をまとめ上げ、コンセンサスを作るファシリテーターの仕事をずっと続けてきた。ジャウォースキーは、一流弁護士の立場を捨てて、リーダーシップを育てる為のフォーラムを組織したり、あるいはシェルでは90年代の激変期にシナリオ・プランニングの仕事を続けてきた。両者とも、科学的因果論で徹底的にロジカルに考えた上で、その論理だけでは突き抜けられない壁を、生成的複雑性やシンクロニシティの考え方を取り入れながら、バランス感覚や直観も大切にしながら、乗り越えていく。そのプロセスの物語自体が大変興味深いだけでなく、東洋人の僕からすると、西洋的思考の限界を東洋的叡智を吸収しながら乗り越えていく、という点でも興味深い。
ニュートン・デカルト的な心身二元論的思考は、産業革命や大量生産・大量消費というパラダイムシフトをもたらし、ヨーロッパ・アメリカ主導型の20世紀型文明を構築する事に高く貢献した。だが、その因果論的な思考の枠組みそのものが、実験・論証可能なものに限定する事によって成り立つ世界である。メタ認知的に考えた時、認知可能なものしか認識せず、それ以外のものについては口を閉ざす、というあり方は、確かに知的には誠実かもしれない。だが、「だからこそ、それ以外のものはない」という思考は、実はそれ以外の可能性のふたを閉ざす可能性があるのではないか。そのことは、これまでバーマンの『デカルトからベイドソンへ』、あるいは佐藤優の『国家と神とマルクス』などの著作に引き付けて、ブログでも書いた事がある。20世紀の後半、特に複雑系の知識が広まった後に明らかになってきたのは、因果論的科学思考の外側にも、何らかの世界観がある、ということであり、それは仏教哲学やユング心理学、老荘思想などでは、ずっと前から言われていたことを再発見する過程でもあった、ともいえる。
とまあ、小難しいことを書いていたが、結局のところ、自然と人間、論理と直観、心と身体、男性と女性、文明国と発達途上国、一神教と多神教、などを二項対立として浮きだたせ、そのどちらかを優位だと盲信するところに、問題の複雑化、絡まり具合のさらなる混乱化がある、ということは、どうやら間違いないようだ。だが、だからと言って、今傾いている一方を否定して、もう片方に傾けば、オカルト主義か、あるいは逆のイズム信奉者で終わってしまう。大切なのは、自分がどの領域に偏っているのか、それ以外の何が足りない(見えていない)のか、という己の偏差を自覚し、吸収できそうなものがあれば、適宜吸収する、というバランス感覚なのだと思う。
そのバランス感覚で言えば、合気道をするようになって今月で3年目に突入するが、身体の声をちゃんと聴いてこなかった、ということが、最近は以前より、よくわかる。身体が固い、凝っている、疲れて悲鳴を上げている・・・などのことは、以前は全くセンサーを切っていたので、気づけなかった。だが、先週のダウン時も含め、限界でヒューズが飛ぶ・ブレーカーが落ちる前に、危機を察知することが、少しずつではあるけれど、できるようになってきた。そして、昨日の朝は、急に緑が恋しくなって、近所の武田の森まで車を走らせ、午前中は森林浴。すっごくエネルギーを充填できたので、その後は仕事もはかどり、今日は模様替えや書斎の整理まではかどった。
ことほど左様に、バランスを保とうと意識することが、何らかの歪みやひずみを補正し、邪気を払い、まっとうな魂の感覚を保全するために、実に大切なのだ、と、昨年から感じつつあるし、今年はとみにそれを意識している。
さて、そろそろ合気道の時間なので、今日はこの辺で。

フィールドワーカーの原点

常々、僕の師匠から言われ続けた事がある。
「足で稼げ」
師匠大熊一夫は、朝日新聞記者からジャーナリストを経て、大学教員になった経歴を持ち、今は再びジャーナリストに戻った。幸いなことに僕は大学院生として彼に師事し、ジャーナリストに戻られた後も、折に触れご指導頂き、その謦咳に触れている。師は、『ルポ・精神病棟』などの名作で知られる、対象にギリギリ迫って本質を平明な言葉で鷲づかみにするジャーナリストである。
それまで弟子も持たず、最前線のジャーナリストであり続ける為にも早期退職した師匠が、自らの体験知や方法論を後人に伝えたい、と3年間だけ教育職に就かれた。一方、新聞記者に憧れながら就職活動にも躊躇っていた僕は、「一流ジャーナリストの弟子入り出来る」という安直な気持ちで、大学院の門を叩く。あれから14年。たぶん僕は大熊一夫という師匠に弟子入りしなければ、大学教員として働くことはなかっただろうと思う。それを、再認識したのが、師匠に学んだ校舎(阪大人間科学研究科)の目と鼻の先にある「みんぱく」である。恥ずかしながら、昨日が「みんぱく」デビューの日でもあった。目指すは、国立民族学博物館で開かれている「ウメサオタダオ展」。様々な原点を垣間見た半日だった。
事のきっかけは、連休中に仕事先の秋葉原駅のエキナカ書店で偶然眼にした梅棹忠夫氏の『裏返しの自伝』(中公文庫)。大学院生の頃に月並みに『知的生産の技術』(岩波新書)は読んだけれど、B6カードに挫折する、と言う「定番」学生であり、それ以外の膨大な著書に触れるチャンスもないまま、だった。しかし、何気なく読み始めたら、彼の「ごっつさ」というか様々な魅力に引きこまれる。さらに挟まれていたしおりは、6月まで彼が作ったみんぱくで開催されている「ウメサオタダオ展」の案内。ちょうど5月の第二金曜日はみんぱくのお向かいの古巣で学会の仕事もある。これは、行かない理由がない。よって、早速彼の表の自伝である『行為と妄想』(中公文庫)も買い求め、甲府から大阪に向かう移動旅で読み進めながら、ワクワクとみんぱくに出かけた。その期待は、勿論裏切らなかった。
今回二冊の自伝を読んで、みんぱくの展示を眺めて、改めて感じたこと。それは、会場二階にある「はっけんデジキャビ」に「参加」している時に浮かんだ。体験型博物館の重要性を感じていた梅棹氏の思想を受け継ぎ、この特別展示では、観る者が触ったり体験出来たりする展示資料が少なくない。その最たるものが、梅棹氏の開発した先述のB6版カードに、入館者が自分の感想やお勧めを書き込み、デジ刈るアーカイブとして取り込んで、それも展示の一つとしてしまう、という内容。ちゃんとB6カードと鉛筆も用意されている。10数年ぶりに手にしたB6カードに、気が付けばこんな事を書いていた。
「『帰納論の大家』
足で稼いで、現場でじっくり観察し、現地の人・モノ・歴史に耳を傾ける。それを収集するだけでなく、共通項を抽出し、組み替え、編集し、紡ぎ合わせる。時には捉え直す。今回よく分かったのは、この知の巨人が帰納論的方法論の大家であったという事。この技芸と学問魂を、僕も見習いたい。」
本質は細部に宿る。だが、細部にばかり没入していると、大きな地図の中での位置づけを見失う。もうお一人の師である大熊由紀子さんはよく「鳥の眼、虫の眼、比較の眼、歴史の眼」と表現しておられたが、梅棹忠夫氏もまさにこの4つの眼を縦横無尽に駆使した巨大フィールドワーカーだった。今回自伝を読んでようやく知った東洋と西洋の間の「中洋」概念にしても、西アジアから南アジア、東アジアに至るまでのフィールドワークをしながら、現地の声に耳を傾けながら、それを日本や中国、ヨーロッパと比較する中で出てきた概念である。足で稼いで、その現場で見聞きし、感じた事を、B6カードに書き記し、編集し直し、組み替える中で生まれてきたアイデアである。我が師は足で稼いだ現実の積み重ねを多くのルポとして結実されたが、梅棹氏はその方法論を基に独自の文化・文明論を打ち立てていったのだ。だが、私自身、このウメサオタダオ展に触れ、足で稼ぐ、という二人の共通点と、私自身の原点を改めて再認識させられた。
もちろん、足で稼いでいても、ルポとしても、文明論としても、ちゃんとした仕事(作品化)は不肖の弟子にはまだ出来ていない。しかし、今回改めて「知の生産技術」の方法論にも触れながら、今現在自分が向き合っている仕事を「フィールド」として捉え直したら、出来うる仕事はあるのではないか、その中でちゃんと記録や整理が出来ているか、といった事を色々考えさせられた。まずは、B6カードの電子化であるファイルメーカーかエバーノートあたりの活用を考えねば。そういう研究欲をすこぶる刺激した、原点回帰の展示会であった。

道具考

連休の初日は、我が家のPCのお引っ越し。

職場のPCもまる6年使ってガタが来ていて切羽詰まっていたので、なんとかニューマシンに変えてもらった。一方我が家のPCは4年半落ちくらいの、エプソンダイレクトくん。普通にワードやパワポを使ったり、メールを書く分には何の不便もない。だが、ネット動画を見たり、itunesで音楽を流したり、ツイッターのTLを追いかけたり、ということを同時並行でやっていると、処理能力のキャパを超えているようで、ひーひーいっていた。同時期に二台とも変えるのはどうかな、とも思っていた。だが、ツイッター上でお二方のPCの達人からもアドバイスをいただき、思い切ってPCを買い換えることに。
実はこの買い換えを機に、改めて道具についても考え直していた。
以前なら、まだ使えるのに「もったいない」という気持ちの方が先行していた。だが、マルチタスク(というほどのものではないが)を一台のマシンでこなし、なおかつ効率的に処理できなければ、仕事用としての「用をなす」ことにはならない。用途を限定すればまだ十分に使えるマシンであっても、それは道具に併せて自分がしたいことを限定することになるのであれば、トータルとしては自分の身の丈にあっていない。それって、よく考えたら昨年、別の局面で経験していたことである。
年10キロダイエットした後、洋服をたくさん捨てた。ジャケットはそのまま使えたけれど、下腹の贅肉がかなり消えたので、ズボンが全く合わなくなってしまったのだ。中にはそこそこの値段(といっても貧乏学生にとっての)の、思い出もあるパンツやスーツもあった。が、無理してきても、高校生の”ぼんたん”(なんて言葉はたぶん死語だろうが)のように、ものすごく不格好。服と自分が全く適合していない。ゆえに、思い切って、捨てたり、あげたりした。(ちょうど我が家に遊びにきたMさんにウェストサイズがぴったりだったのだ!) まだまだ使える、と思っても、自分の姿形や内実に一致していないものは、結局、実質的に不釣り合いで、使いようがないのだ。
これはPCでも全く同じ。自分の用途と、PCの機能が不釣り合いになった段階で、そのPCとおさらばすることは、問題がないどころか、むしろ次の段階に進むためには必要不可欠。新しいマシンがこれまでとは比べものにならないくらいに処理能力が高く、ソフトをインストールしながらメールを書く、といった同時並行作業もへっちゃらなので、改めて今回の買い換えはよい買い物をした、と満足。しかも、ご縁はあるもので、先ほどツイッターにPC買い換えをつぶやいたら、連動させているFacebook経由で、お世話になっている障害者福祉組織のTさんから、「XPパソコンが足りないので、譲ってくださいませんか」というコメント。
何というタイミング。捨てるのはもったいないし、有効活用できないものか、と思っていたので、渡りに船、のお話。連休中にリカバリディスクをかけて、まっさらにしてから、モニタとともに大阪に送ろうと思う。このモニタも、博論を書いている時に買ったから、もう8年選手。両方とも、大変お世話になりました。
これまで使ってきた道具に感謝しながら、次の局面で必要な道具に乗り換えていく。そうしながら、道具とともに成長していく。そういうことが必要なんだと、PCから改めて学ばせてもらった。今のマシンは、芸事の導師さまにご同伴いただき、パソコン工房で買い求めたUNITCOMというマシン。インテルのコアi3で4GBのメモリ、1テラバイトのハードディスクと言われても、もはや宇宙語。でも、半日使う中では、非常にええ仕事してくれています。
さて、今度は使い手が、PCに見合う「ええ仕事」をする番です。はい。

イメージの書き換え

ポスト311、という現実の中で、以前なら手に取らなかった本と出会い、その視点の鋭さに驚かされることは少なくない。たとえば、以前なら表題だけでよまなかったであろう次の本にも、はっとさせられる記述と出会った。
「人間は自分を取り巻く周囲の現実に注意をふり向けなければ、快適に、あるいは効率的に生きていくことはできない。そして我々は頭のなかで、言葉やイメージといったシンボルを通じて現実を理解する。もちろん人によって思い描くシンボルは異なる。現実に対するイメージも、各人が抱く感情や人生に対する価値観によって違うだろう。しかし共同体の人々とともに効率的にものごとを処理し、生きていくためには、だれもが共有できるイメージが必要である。もしある人物が思い描く現実が、周囲の人々に共通する平均的なイメージと著しく異なっていたら、その人物は共同体社会のなかでは、変人あつかいされることだろう。では、人々が共有できるような現実というイメージを決定するのはだれなのか?」(カレル・ヴァン・ウォルフレン『誰が小沢一郎を殺すのか?』角川書店、P116)
小沢一郎氏と検察とのやり取りが、正当な判断なのか陰謀的なものなのか、そのあたりは私には判断できるだけの材料がそろっていないので、このブログで何か書くことは、今のところない。ただ、現実認識の社会的構築と、そのイメージ化にマスコミが果たした役割、ということを考えるとき、この記述は非常に重い意味を持つ。私たちが、自分とは直接面識もないし、知識もない、関わり合いも薄い・ない「大きな問題」、たとえば原発や政治家の問題を考えるときに、多くの人はその考える素材は、「言葉やイメージといったシンボル」を通じた間接的な思考方法でしかない。そして、そのシンボルによる判断、というのは、実のところしっかりした論理的根拠や土台に基づかない、あやふやなものなのかもしれない。
「現実とはイメージだからである。そして私たちがイメージとして思い描くシンボルや思考、概念は、周囲との関係性のなかで解釈する必要がある。そしてそれがどのように解釈されるかということには、当然、意味がある。なぜならば政治的現実とは、我々が手で触れ、その形や色について容易に表現できるようなものではないからだ。それは政治にかかわる人々のあらゆる行動、思考、相互作用、政界での出来事、そうした一切は我々に示されて初めて現実となるわけだが、それがどう示されるか、ということが重要になる。ところがそれが示される際、そうした行動や出来事を我々のために解釈する人々がいるために、ゆがんだ形で提供されることがある。ではそのような人々とはだれかなのか? それはメディアを動かす人々である。」(同上、P116)
この文中にある「政治的現実」を、「原発を巡る現実」と入れ替えても、同じことがいえる。原発を巡る情報は、専門家ではない一市民は「手で触れ」ることもできないし、「容易に表現できるようなものでもない」。だから、ベクレルだのマイクロシーベルだの、出てきてもさっぱりわからない。「そうした行動や出来事を我々のために解釈する人々」の解説を聞いて、安全か否か、を判断している私たちがいる。しかも、その判断は、あくまでもシンボルによる判断であり、イメージによる判断でしかない。だから、「あの学者(政治家、テレビ局、新聞・・・)は信用できそう」という信念も、あくまでも想像上の信念でしか、ない。だが、その信念を、「周囲の人々に共通する平均的なイメージ」として受け止め、「平均的なイメージ」なんだから、「なんとなく真実に違いない」と思い込むことによって、「大きな問題」に悩まされることなく、日々の些事に没頭できたのである。
だが、ポスト311の現実が突き付けたのは、この「平均的なイメージ」の虚構性の暴露、であった。恥ずかしい告白だが、私自身、震災直後は「原子力発電所はなんとか止まったはず」「安全性はきっと東電で保証してくれているはず」と思い込んでいた。自分が直接かかわることができない「大きな問題」については、日本社会の「平均的なイメージ」を信じ込み、大丈夫なはずだ、という無謬性にすがろうとしていた。ツイッター上で流れる様々な情報も、「そうではない”はず”」と思い込もうとしていた。つまり、現実の直視、よりも「平均的なイメージ」の延長線上(土台?)にある、イマジナリーな想像上の不安定な信用性に逃げ込み、それ以外の情報を「そんなはずはない」と信じ込んで安心しようとしていた。そして、震災から1週間、2週間とたつ中で、「我々が手で触れ、その形や色について容易に表現できるようなものではない」問題についての認識の虚構性、イメージという不安定さ、に見事に直面することになってしまったのだ。
もちろん「共同体の人々とともに効率的にものごとを処理し、生きていくためには、だれもが共有できるイメージが必要である」。だが、この「だれもが共有できるイメージ」の再構築、およびイメージの書き換え、も、ポスト311の局面で、切実に求められているのではないか。そんな風に感じ始めている。