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実存を深く問う本との出会い

書き手が自らの実存をかけて、魂を込めて書き上げた本と向き合う時、それは己の実存が問われるし、魂が揺さぶられる。小松原織香さんの『当事者は嘘をつく』(筑摩書房)を読んでいて感じたことである。

小松原さんは自らも性被害を受け、そのことに苦しみ、自助グループで助けられながら、やがて性被害や修復的司法に関する研究を深め、その論考で博士号を取って研究者になった。被害を受けたときから、研究者になるまでの、様々な心の葛藤や揺れ、実存が揺さぶられるような問いが、全編にわたって描かれている。今回の著作で、はじめてそれを対外的に公にされた。

だが、この本を詳細に紹介することはしない。実存をかけて、魂を込めて書き上げられた素晴らしい本に「返礼」するためには、己がこの本でどのように実存が揺さぶられたか、魂が震えたか、の自分語りをするしかない。そう思わせる「力作」である。

ぼくが大きく揺さぶられたのは、次の部分である。

「私は、当事者が望んで自己の探求を行う手法として『当事者研究』を使うことには賛同するし、大きな価値があるのだろうと思う。しかしながら、私は『当事者研究』のなかに、当事者の生々しい言葉をすべて『回復』の言説に回収しようとする支援者の欲望の匂いを嗅ぎつける。」(p93)

なぜ揺さぶられたのか。それは、「当事者研究」に関して、それをリスペクトしつつもモヤモヤしていたことを、ズバリと指摘しているからである。

支援者は、当事者の「回復」を目指した仕事をしている。そして、精神障害を持つ人は、自分自身との折り合いをうまくつけられず、家族や仕事場などの対人関係のまずさ・しんどさ・悪循環が重なる中で、「回復」しにくい。そんな「絶望」の状況の中で、北海道の浦河にある「べてるの家」のソーシャルワーカーの向谷地さんが生み出したのは、当事者が自らの悪循環を仲間と「研究」し、自己病名をつけることによって、その悪循環から逃れる方策に言葉を与え、それを「練習」することによって、「回復」していくプロセスを生み出してきた。この浦河発の当事者研究は全国的に、そして国外でも広まり、一定の評価がされてきた。ぼくも、浦河に何度か出かけ、本も沢山読んで、多くの事を学んで来た。

ただ、「当事者研究」を手放しで評価していたのではない。確かにすごく魅力的な実践なのだけれど、なんだかなぁ、とモゴモゴしてしまう部分があった。小松原さんは、そこをバッサリ、次の様に描き出す。

「私にとって性暴力被害者の直面している問題とは、社会制度や社会構造の不備であった。十分な支援制度が確立されず、経済的に不安な状況で性暴力被害者は苦境に陥っていた。性暴力被害の当事者として語るのは『社会を変える』ために訴えたいからであり、自己のトラブルの対処方法を知りたいのではなかった。その点において、『当事者研究』はそれぞれの当事者が直面する問題を個人化、内面化しており、自己や個人的な知り合いといった小さな人間関係に矮小化していると、私には思われた。」(p92)

これは極めて重要で本質的な指摘である。

ぼく自身は、精神障害や薬物依存、社会的ひきこもりなどの圧倒的な悪循環を前にして、その悪循環からの離脱を、仲間と共に考える「研究」である「当事者研究」は、これまでの支援のあり方を覆すような可能性や魅力を持っている、と感じている。

その一方で、自立生活運動から学び、障害者制度改革にコミットし、脱精神病院に向けて「社会を変える」ために動いてきたぼくにとって、「当事者研究」に感じていた物足りなさは、「それぞれの当事者が直面する問題を個人化、内面化しており、自己や個人的な知り合いといった小さな人間関係に矮小化」している部分だった。

当事者研究の創始者である向谷地さんは、その背景を次の様に語る。

「わが国における統合失調症を中心とした当事者活動が、社会的・政治的な変革と地位の向上を目指す『社会変革機能』に偏り、いわゆる明確な『自己変革機能』を持ち得なかったのは、その部分の役割を、精神科医をはじめとする援助者が『治療』と『援助』の名のもとに独占してきた、という背景がある。」(向谷地生良『統合失調症をもつ人への援助論』金剛出版、p53)

精神障害者の当事者活動が、1970年代からずっと、主として「社会的・政治的な変革と地位の向上を目指す『社会変革機能』に偏」っていたのは、事実である。抑圧的な社会に対してNOと言い、精神病院の劣悪な処遇を改善するように訴え続けてきた。だが、自らが精神症状になることによる、上記の「悪循環」からどう抜け出せばよいのか、という『自己変革機能』に関しては、「精神科医をはじめとする援助者が『治療』と『援助』の名のもとに独占してきた」のであり、当事者はその部分では無力であった。しかも、治療や援助が必ずしも上手くいかず、援助者も無力に陥っていた。

当事者研究のパラダイムシフトは、この無力状態を超えるために、当事者運動の『自己変革機能』を用いて、治療や援助ではうまくいかなった、当事者の抱える悪循環から抜け出る方策を「研究」によって導き出すことであり、それによって「己のトラブルの対処方法」を、援助者に教わるのではなく、自分たちで導き出すことが出来た。

これは本当に画期的で、重要な進歩だと感じている。

だが、である。ぼく自身が以前から「当事者研究」を尊重しつつも、それだけで良いのかな、と感じていた危惧は、「自己変革機能」に集中するあまり、「社会変革機能」を手放したり、置いてけぼりにしていないだろうか、という危惧だった。この点については、少しだけ上記の向谷地論考を引用しながら、『権利擁護が支援を変える』にも書いたし、ブログでも「向谷地さんへの反論、というよりも」という形で書いた事もある。どちらも、精神病院での強制収容を減らす・なくすといった、「社会を変える」を重視しなくてもよいのか、という問いだった。

だが、小松原さんの見抜いた「『当事者研究』はそれぞれの当事者が直面する問題を個人化、内面化しており、自己や個人的な知り合いといった小さな人間関係に矮小化している」という指摘と、「私は『当事者研究』のなかに、当事者の生々しい言葉をすべて『回復』の言説に回収しようとする支援者の欲望の匂いを嗅ぎつける」という警句には、重大な問いが含まれている。

向谷地さんが、べてるの家が、という個人批判ではない。そうではなくて、「当事者研究」を称揚し、それを研究者もこぞって研究する流れの中で、精神医療の構造的問題への告発という「社会変革機能」が矮小化・なかったことにされ、「自己変革機能」の先鋭化にのみ、すすまないか、という問いである。また、それは「当事者の生々しい言葉をすべて『回復』の言説に回収しようとする支援者の欲望の匂い」に結びつき、当事者研究を支援する支援者・研究者の「欲望」が支配する可能性はないか、という問いである。

もちろん、混沌とした中で生きるより、「回復」した方がよい。でも、「当事者の生々しい言葉をすべて『回復』の言説に回収しようとする」ことは、複雑でアンビバレントな思いを持つ当事者の実存を「回復の途上にある者」というフレームの中に縮減して理解することではないか。そして、それは語る人の唯一無二性の生きる苦悩を、「回復者の苦悩」という形で標準化・パターン化して「わかったふり」をすることにつながらないか。そこに、向谷地さん自身がかつて批判した「精神科医をはじめとする援助者が『治療』と『援助』の名のもとに独占してきた」、自己変革機能の他者のフレームによる独占が継続する可能性はないか、という問いである。

「その傷つきやすく、混乱している私に向けられる、支援者の善意ややさしさや愛情こそが、私(たち)の言葉を『回復』の言説に回収し、もともと秘められていた生命力を奪っていく。支援者に『わかってほしい』と思っているかぎり、私の目指す道は拓かれることがない。
だからこそ、愛情深く優秀で真摯な支援者たちに背を向けなければならないのだ。『良き支援者』の協力の誘いこそが当事者の言葉の力を奪うのであり、形骸化した『当事者の語り』はかれらの知の体系に埋め込まれる。私は『わかってほしい』という心を捨てて、当事者として支援者と闘わなければならない。」(p98)

支援者や研究者が、当事者の生きる苦悩を理解しよう、わかろうとする。それは他者の合理性の理解、という基本的で重要な営みである。だが、そこに「回復」のフレームワークを用いると、その当事者の生命力のある「生の言葉」を、「回復」のどの段階か、を査定するモードで捉えるようになってしまう。「混乱している私」から発せられる、まとまらない言葉を、そのものとして受け取るのではなく、「回復」の初期・前段階における昏迷や葛藤だな、と「解釈」して受け取ってしまう。そして、その言葉をまるごと受け止め理解するのではなく、そこに「回復」という視点に基づく「解釈」を入れ込むことによって、「当事者の言葉の力を奪うのであり、形骸化した『当事者の語り』はかれらの知の体系に埋め込まれる」のである。これが、「良き支援者」だけでなく「共感的な研究者」のやっている、相手の実存と向き合わない暴力ではないか、という問いだと受け取った。

そこで、改めてぼく自身はどうだったか、を振りかえってみる。

四半世紀前、精神病院でのフィールドワークを始めるとき、ぼく自身は、理解が解釈にするっとすり替わる暴力が、恐ろしかった。それは、自分の師匠が『ルポ 精神病棟』を書いていた大熊一夫だったから、というのが大きい。精神病院の中にはもちろん「愛情深く優秀で真摯な支援者たち」がいる。にもかかわらず、長期社会的入院が続いている。支援者個人がいくら愛情深くて優秀で真摯でも、社会制度や社会構造が不備で、精神病院から出られないのであれば、あくまでもその構造を告発し続ける必要がある。師匠はそのスタンスで、一貫して告発し続けてきた。

だからこそ、ぼくは元々学部時代から河合隼雄やユングが好きで、神田橋條治とか中井久夫とかよみかじり始めていたけど、師匠と出会い、精神病院で当事者の方々と出会うようになって、博士論文を書き上げるまでの間、精神科医や心理学者による本を読むのを「封印」した。そういう本を読んでいたら、出会う相手を勝手にエセ診断したり、解釈するのではないか、と恐れたからだ。ぼくが通った阪大人間科学部の図書館には、臨床心理学や精神医学の本が沢山あったので、時間的に余裕があった院生時代にそれらを封印していたのは、今から思えば何という勿体ないことをしたのだろう、とも思う。でも、それよりも、「その傷つきやすく、混乱している」当事者の語りを、「回復」や「診断」の枠組みに矮小化して理解・解釈するのではなく、そのものとして受け取るためには、当時のぼくとしては、「そういう本は読まない」という選択肢しかなかったのだと思う。結果的に、その経験があるからこそ、当事者会の中に混ぜてもらうこともできたし、大阪精神医療人権センターに長年ボランティアとして関わらせてもらうきっかけにもなった。「良き支援者」が孕む暴力性には、直観で気づけていた、と今だからわかることである。

あと、この本を読んでいて、ぼく自身が「救われた」と思うエピソードを、もう一つだけ取り上げたい。

性暴力と修復的正義で博士論文を書き上げた小松原さんは、その後、水俣における修復的正義について考えるため、水俣に通うようになる。そこで、彼女は当事者ではなく、研究者として社会問題に関わることになる。その際、以下のような気づきがあった、という。ちょっと長いが、重要な箇所なので引用する。

「私は自分が当事者の立場になっていれば、もっと丁寧にものごとを積み上げて論じたはずだ。
それなのに、私の筆は走り、一面的で浅薄だが、自分なりの視点を打ち出した論文が書けてしまった。なぜなら『当事者』ではない『研究者』だからだ。かれらの苦しみの声を聞かず、ひたすらに自分の見たいものだけを見て、論文を書く鈍感で精力的な研究者。それは私の忌み嫌った研究者像だった。
『なるほど、だからかれらはスラスラと論文が書けたのか』
私は自分が『当事者ではない』ことを受け入れた。同時に、私が思ったことは、『だったら、私は仕事をしなければならない』ということだった。
私が『書けない』ことに葛藤し、苦しみ、筆が進まなかったのは当事者だったからである。だからこそ、水俣に来て私が『書けない』と思うことは、苦悩のふりをしているようにしか思えなかった。私はここでは、『書けない』わけがない。『書ける』のだから、書かなくてはならない。」(p155)

ぼく自身は、長年精神障害や「困難事例」という問題をずっと研究しながら、医者でも福祉専門職でもないし、また当事者でもないのに、どうしてこの問題をずっと研究し続けているのだろう、という問いを抱えてきた。自分自身の立ち位置=ポジショナリティを、問い続けてきた。でも、「当事者」になってしまうと、「書けない」のである。それは、大学教員の当事者だからこそ、日本の大学の構造的問題を書くことが出来ない。こないだ『日本の私立大学はなぜ生き残るのか』という、英国人による優れたフィールドワークの成果を読んで、ぼくの私学勤務で見聞きしたけど書けなかったことがズバリと書いてあって、驚いた。そう、「当事者」だから「書けない」ことでも、「当事者ではない」から見抜けるのだとつくづく感じた。

そして、ぼくは当事者でも医者でもソーシャルワーカーでも当事者研究者でもないことが、自分自身の劣等感というか、寄る辺のなさのようなものとして、あった。でも、今回の彼女の発見を読むことによって、『当事者ではない』ことの可能性を再発見した。「『書けない』わけがない。『書ける』のだから、書かなくてはならない」し、『だったら、私は仕事をしなければならない』のである。

長年放置してきた、精神医療の社会学に関する単著化プロジェクトも、そろそろ本腰を入れて考えなければならない。そんなエールまで勝手に受け取った。

正解のない問い、だからこそ

頂いたわたしをつくるまちづくり 地域をマジメに遊ぶ実践者たち』(尾野寛明・中村香菜子・大美光代著、コールサック社)を面白く読んだ。そして、版元が出している文芸誌「コールサック」109号に書評を頼まれたので、以下のように書いてみた。

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きっかけは直感

「まちづくり」なんて、わたしには縁もゆかりも関係もない。そう思う人こそ、手に取ってほしいのがこの本である。少し前までは「まちづくり」に関係はなかった中村さんと大美さん。人生におけるモヤモヤが深まった30代半ばに尾野さんと出会い、そこから物語が始まる。恋物語ではないのだが、別種の「熱さ」が、この本には内包されている。

中村さんと大美さんは、一見すると性格が真逆である。三人の子どもを育てながら、高松の有名な子育てサークルであるぬくぬくママSUN’Sの代表を務めている中村さん。自己肯定感低め、承認欲求高めであるため、団体の活動を継続しつつも、満たされない思いをずっと抱え続けてきた。他方、大美さんは、やりたいことがある人の助けになろうと全力になるマネージャータイプで、「私の話なんかで大丈夫ですか?」が口癖だった。そして、シングルマザーでうつも経験し、職場の閉鎖と共に退職も迫っていた。そんな二人がうっかり出会ってしまったのが、「高松地域づくりチャレンジ塾」だった。

いや、ちょっと待って。「まちづくり」に興味もないのに、いきなり「地域チャレンジ塾」に入塾するのですか? そんなツッコミを筆者もしたくなる。大美さんは、退職のタイミングで、職場の信頼できる先輩にチラシを紹介され、「6回分で5000円」という安さに半信半疑であったが、それが参加するきっかけになった。中村さんは、末っ子が3歳で幼稚園に入るタイミングで、子連れでなく子育てサークルが出来るのだろうか、と不安を抱えていた時に、相談にのってもらっていた仲間がSNSで告知しているのを見て、「これだ!」と思った。二人とも中身を理解していないなかで、直感だけで入塾を決める。向こう見ずな二人だ。でも、こういう向こう見ずな直感が、人生を切り開く突破口だったりする。

「風の人」に翻弄される

尾野さんは2011年から全国各地で「起業しないでいい起業塾」を開いている、地域づくりの担い手のプロである。しかも、1982年生まれの彼が最初に人材育成を始めたのは20代! ご自身も大学生の頃からやっていた古本屋の経営を、Amazonでの通販専門店だったこともあり、東京都内から賃料の安い島根の過疎地に移した事がきっかけで、中山間地域の過疎化や担い手不足の問題に直面する。その中で、古本屋経営をしながら、移住支援や地域づくり支援をしているうちに、「一歩を踏み出したいと思っているが、何から始めていいかわらからない」「放っておけない身の回りの課題があるけれど、モヤモヤしていてうまく説明できない」という悩みを抱えている人に沢山出会う。そして、普段は別の仕事を持ちつつ、地域の事にも関わってみたいけれども、一歩が踏み出せない人達を「週末ヒーロー予備軍」と名付けたところから、物語が大きく展開し始める。

尾野さんご自身は、企業経営者だし、カリスマ性もあり、メディアで数多く取材されている。だが、世の中、カリスマだけでなりたっている訳ではないし、まちづくりって、一人のカリスマだけで担えるものでもない。これは彼自身が過疎地に関わる中で、痛いほどわかっていた。だからこそ、「毎年10名ずつ週末ヒーロー予備軍を発掘し、10年かけて100名の輪を作っていこう」というキャッチフレーズで、全国各地で高松と同様の塾を展開し、2021年時点では全国20カ所以上で開催している。

こう書くと立派そうな人に見えるが、大美さん曰く、尾野さんは「正論なし、正義感なし、責任感なし」の「三なし男」である。筆者は彼と岡山で姉妹塾(『「無理しない」地域づくりの学校』)を7年続けてきたが、あまりに的確な!指摘に吹いてしまった。そう、紛うことなく「三なし男」である。だからこそ、彼は各地で風を吹かせることができるのだとも感じている。

正論や正義感は、しゃべっている方は気持ちよいが、聞かされる側はしばしばうっとうしいお説教でしかない。「わかっているけど、それが出来ないから困っているんでしょ」と。そして、「僕について来たら全力でサポートするよ」というのは、体の良い責任感に聞こえるけど、実際のところハラスメントや共依存関係に簡単にこじれてしまう。彼は全国各地を旅しながら、様々な週末ヒーロー予備軍に会い続けながら、一カ所にこだわらず、ふらりとその場に現れて、じっくり話を聞く。その上で、的確なコメントや情報提供をして、懇親会で飲んだくれた後に、サクッと次の現場に出かける。そういう意味では、「風の人」であり「三なし男」だ。でも地元でずっとくすぶっている「週末ヒーロー予備軍」にとって、そういう無責任な外の風が、閉塞感のある現状を突破する大きなきっかけになる。

わたしをつくる

そんな3人の出会いや成長のプロセスが記されたこの本が、まちづくりにご縁のない「普通の人」にもお勧めな理由は何か。それが、表題にある「わたしをつくる」というフレーズだ。他者と関わり、関係性を結びながら、何かを始め、継続する。そのためには、他者や対象となる業界・地域を知る以前に、自分自身の内側に眠る潜在的な可能性や、強み・弱みを知る必要がある。尾野さんの講座では、「自己紹介」から始まるマイプランを毎回受講者が発表し、自分のことを話し続ける。大美さんや中村さんも、このマイプランを発表し続ける中で、自分が何者で、どんなことに興味があって、何をしたいのか、を言語化できるようになった。

実は、まちづくりだけでなく、研究であれ詩作であれ、己の井戸を深く掘り下げて、自分の内なる鉱脈にたどり着くことが出来ると、その人は以後、自分を巡る世界が豊穣になるのではないか、と思っている。そういう意味で、尾野さん自身はまさに「三ない男」というマイプランを実践する「風の人」だし、中村さんや大美さんも、マイプランを通じて、30代のモヤモヤをくぐり抜け、次に自分は何をしたいのか、の鉱脈に出会うことができたのではないか、と思う。

そういう意味では、この本は自らの鉱脈にまだたどり着けていない「普通の人」にこそ是非とも読んでみてほしいし、ご自身にしかない鉱脈にたどり着くガイドブックとしても活用されてほしい。そんな風に思っている。

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追記的に書いておくと、この本はモヤモヤしている人に本当にお勧めの本である。

最初の一歩をどう踏み出していいのかわからない、何かを変えたい・はじめたいけど何から始めていいのかわからない、という人は多いと思う。そこで、自己啓発の本やセミナー、Youtubeにはまったり、あるいはヨガやジムに通ったり、通信講座を受けてみようとしたり。

もちろん、それもありなのだけれど、商品としてあるパッケージを購入するということは、そのパッケージや枠組みに従う、ということである。それは、確かに楽だし、そのパッケージが優れていれば、その手本に従うことで、一定のスキルやレベルはあがる。だが、あくまでもそのパッケージや枠組みの範囲内において、という限定はついているのだけれど。

一方、この本の主題である「まちづくり」には正解がない。また、私がどう関わったらよいか、という「正攻法」もない。だからこそ、私がどんな人間で、どんな風に生きてきて、何が得意で、どんなことだったら当たり前のように出来て・・・という自分の「在庫整理」というか「強みと弱みの棚卸し」が必要になる。そんな自分の内面との「垂直の対話」をしながら、自分が住んでいる・関わっている地域にも少しだけ目を向けて、そこで気になる地域課題をぼんやり探す。色々な人に出会ってみる。そういう「水平の対話」を行いながら、「垂直の対話」と重ね合わせるなかで、ほかならぬ自分だからこそ出来そうな何か、が少しずつ見えてくる。

これは、誰かがパッケージやノウハウを示してくれる訳ではないし、正解がない、自分への問いである。正直、一人でやると、どうやっていいのかわからない。だからこそ、同じ課題を持つ仲間と語り合い、何度もマイプランを書き直すプロセスの中で、「垂直の対話」と「水平の対話」を繰り返し、小さな試行錯誤もやってみるなかで、改めて自分と出会い直すのである。そして、そのプロセスを通じて、他者比較をするとか劣等感にさいなまれている暇があったら、自分の目の前の課題をコツコツ掘り下げてみようよ、というモードに転換する。この地道なプロセスこそが、結果として、他の誰とも違う唯一無二の「わたしをつくる」のである。そういうプロセスがあるからこそ、他者に必要ともされ、それが結果的に「まちづくり」にもつながるのだ。

表題「わたしをつくるまちづくり」に込められたメッセージは、案外深い。今回追記を書いていて、改めて感じた。

複雑な権力関係を可視化するインターセクショナリティ

今日は長い表題だ。その場もズバリ『インターセクショナリティ』(コリンズ&ビルゲ著、人文書院)を読んだ。まさに王道を行く概説書であり、読み進めるのに時間はかかったが、決して難解ではなく、読みやすくて、この概念への見通しがよくなった。

インターセクションとは交差点のことである。なので、インターセクショナリティとは「交差性」と訳されている。何と何が交差するのか。それによって、これまで見えていなかったどのような点が可視化されるのか。著者は冒頭で、以下のように明快に定義している。

「インターセクショナリティとは、交差する権力関係が、様々な社会にまたがる社会的関係や個人の日常的経験にどのように影響を及ぼすのかについて検討する概念である。分析ツールとしてのインターセクショナリティは、とりわけ人種、階級、ジェンダー、セクシャリティ、ネイション、アビリティ、エスニシティ、そして年齢など数々のカテゴリーを、相互に関係し、形成し合っているものとして捉える。インターセクショナリティは、世界や人々、そして人間経験における複雑さを理解し、説明する方法である。」(p16)

この定義を、最近「はやり」のヤングケアラー問題に当てはめてみたら、どんなことが言えるだろうか。最近流行しているから、だけでなく、研究室に関わる方がヤングケアラー経験を持つ方だったり、ゼミ生の卒論調査でヤングケアラーに関わるスクールソーシャルワーカーへのインタビュー調査をするのに同席させてもらったり、あるいはブログで書いたが教育社会学系のエスノグラフィーを読み進めたりする中で、ヤングケアラーを単に「親を世話するかわいそうな子ども」と単純化して理解してはならない、と思い始めている。そこで、ヤングケアラーを巡る「世界や人々、そして人間経験における複雑さを理解し、説明する」ために、インターセクショナリティを使うと、どんな風に言えそうだろうか。

まず、ヤングケアラーの親の中には、精神疾患の当事者が結構な割合でいる。私も精神障害者支援を研究してきたので、これまで当事者が子育てをされている例も、見聞きしてきた。ただ、精神障害者福祉の視点だと、あくまでも当事者の子ども、という切り取り方であり、その子どもがどのような苦悩を抱えているのか、になかなか焦点が当たってこなかった。

次に、精神疾患を抱えた親を持つ子どもは、親の世話や障害の理解、だけでなく、自分や兄弟の世話なども必要で、充分に勉強が出来なかったりする。だが、これまでは「自分でする」「家族でする」ことが当たり前になっていると、それが出来ない子どもや家庭は「ルーズな家の子」とひとくくりにされていた。しかし、「出来ない」背景にある、親の困難や子どもの困難という複合性に目を向けると、その困難の内在的論理が浮かび上がる。これは、以前論文にも書いたが、ゴミ屋敷を巡る「困難さ」に関して、世間や常識といった「合理性のレンズ」で眺めるのではなく、あくまでも本人の「非合理の合理性」を捉えることが必要である部分である。

さらに、精神疾患を持つ親の抱える困難は、それだけではない場合がある。離婚してシングル家庭であるとか、経済的困窮を抱えているとか、近所や親戚との関係性がうまくいかないとか、依存症の離脱がしにくいとか・・・様々な不利や障壁とセットになっている場合もある。

すると、上記に挙げただけでも、障害とジェンダー、貧困や教育格差、福祉的支援の有無・・・といった様々な領域・要因が絡み合っている事が見えてくる。これが、複合的問題であり、多重な困難として家族全体に覆っているからこそ、ヤングケアラーの問題が大変なのである。

しかもだ、そんなヤングケアラーを「個人の悲劇」モデルで考えると、「交差する権力関係が、様々な社会にまたがる社会的関係や個人の日常的経験にどのように影響を及ぼすのかについて検討する」機会を喪失してしまう。親が精神障害(発達障害)を持っているから、シングル家庭であるから、貧困であるから・・・という理由で、子どもがヤングケアラーを引き受けなければならない、という直接的な因果関係はない。上記の理由が重なった上で、「そのような家庭や子どもに充分な支援が行き届いていない」がゆえに、ヤングケアラー問題が大きくなっているのだ。そこには、権力構造が、その問題を放置してきた、という構造的な瑕疵があるのである。それは、家族介護は日本の美風である、ケアは家族が責任を負うべき「家族責任」だ、という日本型福祉の発想が根底にあり、だからこそ、家族内のケアに国家が関わるのは残余的であり、家族が抱えきれなくなったら精神病院か入所施設に丸投げ、という「家族丸抱え」か「施設丸投げ」の論理があるのである。

この交差する権力関係や、その前提となる日本型福祉の権力構造を見抜いて、それを批判しないと、ヤングケアラーのような問題は、くり返し起こり続けるのである。そして、以下の「ウィメン・オブ・カラー(非白人女性)」の表記を「ヤングケアラー」に言い換えてみると、多くの事が学べる。

「(1)個人のアイデンティティと集団のアイデンティティ感のつながりを描き、(2)社会構造に焦点を当て、(3)ウィメン・オブ・カラーに対する暴力的な権力関係を理論化し、権力の構造的、政治的、象徴的な力学を強調し、そして(4)インターセクショナリティの研究目的は、社会正義イニシアティブへの貢献にあることを読者に思い起こさせる」(p142)

そう、ヤングケアラー問題が放置されていることは、社会的不平等の温存であるばかりでなく、ヤングケアラーが家族介護の枠組みに矮小化され、放置されることによって、社会構造への焦点化を妨げ、個人の悲劇に矮小化され、結果的に社会的正義が損なわれている状態なのである。

「『批判的(クリティカル)』という用語は、社会的不正義の状況下において起こる社会問題を批判し、拒否し、解消しようすることを意味する。」(p106)

ヤングケアラーは個人の悲劇だ、と矮小化して、ヤングケアラーを巡る社会的不正義の状況を放置するのであれば、インターセクショナリティ概念は必要ない。だが、障害やジェンダー、貧困などが複雑に絡み合うことによって明らかに社会的な不正義がヤングケアラーに襲っていて、その状況を批判し、拒否し、解消しようとするなら、ヤングケアラーにどのような交差する権力作用が働いているか、を批判的(クリティカル)に捉える必要がある。これは、ヤングケアラー問題にも共通する視点であると感じる。

そして、本書の最後の方では、教育の構造的問題にも触れている。サラ・アーメド(Sara Ahmed)による以下の言葉の引用は、非常に重い。

「<ダイバーシティ>という用語の登場は、<平等>を含む他の(そして、おそらくより重要な)用語から離れることを伴う。ダイバーシティの制度的な魅力に警戒しながら、制度に組み込まれやすいことが脱政治化の表れではないかと問いかけなければならない」(p285)

「ヤングケアラー」が流行語になる以前から、「SDGs」は流行語になっている。その中でも、ダイバーシティ=多様性、というのはキー概念の一つになっている。多様であって何が悪いのか? そんな突っ込みも受けそうだ。多様性が悪いのではない。ただ、多様性を尊重することが「制度に組み込まれる」ことによって、「脱政治化」されることを危惧している。それは、よくわかる。制度に組み込まれることによる「脱政治化」、とは、例えばLGBTや障害理解を大学教育の中に組み込むことによって、多様性を担保したことが「お墨付き」が得られた、と「勘違い」することである。もちろん、障害やジェンダーの理解教育は必要だ。でも、理解教育をしたらそれで免罪符を渡されるわけではないのは、ヤングケアラー理解や啓発教育でも同じだ。実際に、障害を持って、セクシャルマイノリティで、ヤングケアラーとして、社会的不平等の扱いを受けたり、社会的な不正義の状況に置かれている人がいた時に、それを解決する「政治化」された行動が必要になる。それを、個人の不幸や悲劇に矮小化して、理解はするけど行動しない、あるいは温情的な行動に終始するようでは、「制度に組み込まれることによる脱政治化」であり、「批判的(クリティカル)」とは言えないのである。

ヤングケアラー問題も、制度的な解決が求められている。だが、制度に組み込まれることによって「脱政治化」し、ヤングケアラーが置かれている社会的不正義や構造的な抑圧を、なかったことにしたり、そこに触れずに表面的な解決策を探るだけでは、本質的な問題への対処とは言えない。こういう複雑な問題こそ、どのような構造的課題が複雑に絡み合っているのか、を解きほぐし、その交差性を明らかにする中で、では他の類似の問題だったらどう対応できているのか、あるいは他と同様何が支援不足として明らかになっているのか、を炙り出す必要がある。ヤングケアラー問題でいえば、ファミリーソーシャルワークや家族全体の福祉的支援の欠落、障害や貧困、女性支援などの縦割りを超えた重層的相談支援の不全、などの問題も見えてくる。こういったことの交差性=インターセクショナリティを押さえることが出来るか、社会構造の改革へと踏み切ることが出来るか、それによって社会的不平等の温存や放置を変えていくことが出来るか、が問われているのだ。

今回はヤングケアラーに引きつけて論じたが、この本ではもっと沢山の有益な示唆があり、そのほんの一部しか今回は触れることが出来なかった。インターセクショナリティのことが気になる方は、是非ご自身で手に取って読んで頂きたい一冊である。

積ん読の効用!?

世の中には、買ってすぐ読める本と、寝かしておいた方が良い「積ん読」本がある。今回は、2014年に購入しているから、7年前に買い求めた、定評のある一冊なのだけれど、ぼくは最近まで「読めなかった」。でも、2022年の今だからこそ、読んですごく良かった。それが『その後の不自由』(上岡陽江・大嶋栄子著、医学書院)である。

「疲れたって言えばいいのに言えずに自殺未遂しちゃう人たちですが、『死ぬ』としか言えなくて本当に死んじゃうことが私は怖いんです。だから、グチも不満も何も言えなくて“いい人でしかいられない”人たちに、『少し日常的に困ってることを話そう』とか言ってあげてください。手首を切ってまで生き延びようとしている人たちなんだから、グチがないわけはありません。」(p103)

この記述の迫力というか、真の価値を、7年前のぼくが理解出来ていたか、というと、多分怪しい。それはちょうど1年前に読んだ、荒井裕樹さんの本に出てくる「苦しみ」と「苦しいこと」の違い、などを補助線にすると、やっと理解出来る世界である。

「疲れた」という「グチや不満」が言えない。だからこそ、リストカットしたり、本当に死んじゃう人がいる。そんなの普通じゃあり得ない、と、昔なら思っていた。でも「疲れた」「しんどい」という形で「苦しみ」を表現出来ないから、でも「苦しいこと」をわかってほしいから、自殺未遂しちゃうとか、手首を切るのである。これは「死にたい」のではなくて、「手首を切ってまで生き延びようとしている人」の、「苦しいこと」という自己表現なのだ。そのことを押さえた上で、上岡さんや大嶋さんの語る内容を読んでいくと、ほんとうに頷くことが多い。

「アルコールや薬などアディクションは止まらないままであっても、たしかによくなっていく。よくなっていくとは、仕事、お金、社会的地位など“何か”を手に入れるといった、上昇していくことではないと思います。
むしろ自分がさまざまなものへのめり込みながら逃れようとしたこと、忘れようとしたことを、なかったことにしないでほしいのです。嗜癖にのめり込んだ意味を消して生きることは、自分を否定しながら生きることです。人に迷惑をかけたことをきちんと償うことは大切ですし、病気のせいにして自分を正当化するのはそれこそビョーキです。
けれども、自分のなかにある、『そうでもしなければ生きられなかったなかで嗜癖が必要だった』というその“意味”を消してしまうと、等身大の自分と、表面に見せている自分の距離が少しずつ大きくなってしまいます。その距離の大きさはやがてバネのような反動となり、ふたたび本人を嗜癖の世界へと押し戻してしまうでしょう。」(p127-128)

「嗜癖」や「アディクション」を「仕事中毒」と入れ替えると、案外多くの人に当てはまる可能性の言葉ではないだろうか。ぼくはそれを、子育てをしながらの5年間の間に感じている。

子どもが産まれる前は、「馬車馬の論理」だった。業績をとにかく沢山出さなければ、そのためにはもっともっとインプットして、もっとアウトプットしなければ、と強迫観念的に思い込んでいた。読めるはずもないほどの大量の本を買い込み、研修や講演の依頼があればとにかく引き受けて全国各地を移動しまくり、予定表をみっちり詰める事をデフォルトにして、その中での効率性を高める為のライフハック本を読みまくっていた。それは、「もっともっと」という「上昇」志向そのもの、だった。

だからこそ、子育てを始めて仕事を極端に減らした時、身を切るように苦しかった。あれは、今から思うと、仕事中毒というアディクションから離脱する時の苦しみだったのかもしれない、と思う。自分の存在価値が否定されるような苦しみに、当時は感じられた。でもよく考えてみれば、それまでのぼくは、仕事中毒になることで、自分自身の自己肯定感を満たそうとしていた。忙しいほど評価されていると思い込んでいた。そして、忙殺されることで、「自分がさまざまなものへのめり込みながら逃れようとしたこと、忘れようとしたこと」を、「なかったこと」にしていた。

子どもが産まれた後、仕事の量を極端にセーブすると、その「なかったこと」が見えてきた。「等身大の自分と、表面に見せている自分の距離」というものが、クリアになってきた。それはぼく自身が仕事中毒という「嗜癖にのめり込んだ意味」を考え直すプロセスでもあった。前任校で准教授から教授になり、給与も上がり、講演や研修にもひっきりなしに呼ばれていた。でもそのなかで、ある種の虚像というか、「等身大の自分」から離れた何かになっていたのだと、今になっては思う。

「ケアと男性」で書き続けてきたが、子育てというのは、本当に思い通りにならない、想定外の、自分で選択も決定も出来ないことだらけだ。子どもの事で、親が振り回されまくっている。それは、腹が立ったり、トホホと思うことだらけだ。でも、そのプロセスがあるからこそ、娘や妻との関わりのなかで、ぼくは有り難いことに、「等身大の自分と、表面に見せている自分の距離が少しずつ大きくなって」いくことを食い止めることができた。娘と関わっていると、虚像のぼくを出そうとしても、等身大のぼくに引き戻してくれるのである。

嗜癖と仕事中毒を、それでもやっぱりごっちゃにされたくない、と感情的に反発する人はいるだろう。でも、『そうでもしなければ生きられなかったなかで嗜癖や仕事中毒が必要だった』という補助線は、沢山の気づきをもたらしてくれると思う。それは医師で、自分自身も仕事中毒でクラシック音楽CDの「買い物依存症」でもあったGabor MateのTED映像をみても、そう思う。彼はこう語っている。

「依存とは一時的な安らぎや喜びを与えながら、長期的には害になり悪影響をもららす行動のことで、その悪影響にも関わらずやめることができないもの」

この定義に照らすと、家族や他の社会関係、等身大の自分自身との関係もなおざりにして仕事に忙殺されるほど、のめり込むことは、明確な「依存」でありアディクションである。

そして、この本はそういったアディクションから距離を取った「その後の不自由」が描かれている。確かに、一度距離を取ったからといって、そう簡単に自由になれるわけではない。子どもが赤ちゃんの時代は仕事をかなり減らしていたが、今はこども園に行き、そのうち小学校に行くようになると、少しずつ仕事できる時間が増える。そして、放っておいたら、また以前と同じように仕事中毒になりかねない。だからこそ、等身大の自分、とか、向き合ってこなかった、逃げていた自分自身の実存と不自由ながらも向き合う事が出来るか、が「その後」の人生には問われているのだ。

「回復とはある地点に到達することではなく、むしろ変化し続ける過程そのものを指している」(p126)

アルコール依存でもリストカットでも仕事中毒でも、その地点に到達して無限ループに入っている限り、「回復」とは言わない。その悪循環から出る、ということは、何かに没頭・埋没・はまり込んだ状況から抜け出る、ということである。生きていると、様々なことが起こる。そのことに、柔軟に対応し続け、変化し続ける。その過程が「回復」というのだ。それは、子どもを育てながら、柔軟に対応し続け、今も変化をし続けている、というか、娘にそれを迫られている父としては、本当によくわかる。

・・・と書いてみて、単なる書評を書くつもりが、まさか自分語りをするとは思ってみなかった。でも、それほど、アディクションの問題って、すごく縁遠い、一部の人の困った・他人事の問題のように見えて、いま・ここ、の自分に近い、自分事の課題なのだと思う。そしてそれを実感として言葉にするためには、購入してから7年間、寝かせて置く必要があっとのだと思う。時間はかかったけれど、いい本を読めました。

逸脱という関わりの内在的論理

実に素敵なフィールドワークに基づく大著を読んだ。『社会の周縁を生きる子どもたち:家族規範が生み出す生きづらさに関する研究』(志田未来著、明石書店)である。この本は両親と子ども(たち)から構成される「標準家庭」とは違う「ひとり親家庭」や「虐待などの環境下で生きている家族」を「非標準的家庭」に焦点をあて、そのような家庭の子どもたちが中学校でどのように暮らしているのか、教師と生徒の関係性がどのように構築されていくのか、を、関西とカリフォルニアの二つの学校でのフィールドワークに基づき辿っていく一冊である。

で、何が圧巻か、というと、この著者のフィールドワークの肉薄度というか、対象となる子どもや学校への入り込み方が、本当に圧巻だったからだ。例えばこんなフレーズが出てくる。

「4時限目、体育の時間。授業開始直後に彩が話しかけに来てくれる。
彩:らいらい元気?
*:元気やで。彩元気?
彩:元気! 最近調子いいねん。
*:そうなん? 全体的に?
彩:うん。全体的に。お父さんもな、最近叩いたりしてこーへんしな。
*:ホンマに? よかった。」(p118)

さらっと書いているが、一度でもフィールドワークをした事がある人間なら、このやりとりに唸ると思う。彩さんが親しげにあだ名で志田さんに話しかけてくるだけでなく、するっと「お父さんもな、最近叩いたりしてこーへんしな」と会話している。それは、彩さんが父に叩かれていて、父との関係が上手くいかないことも含めて、志田さんにも話してよいと感じていて、安心してその内容を話せる間柄、になっているからである。

志田さんはなぜこのような関係性を築けたのだろうか?

「調査を開始する前、生徒たちには学習補助の『大学生』として紹介された。男子生徒たちからは『志田』『元ヤン』、女子生徒たちからは『らいらい』と呼ばれることが多かった。調査時は教師とは違ったかかわりを持つように心がけ、生徒を注意するなど教師と認識されそうな言動は極力避けた。塚森中の教師からも『僕らとは違った関わり方をしてもらえれば』と言ってもらうなかで調査をさせてもらった。」
「荷物を置く以外に控室を使うことはほぼなく、登校後は控室に荷物を置いてすぐに教室に入って生徒たちと雑談した。」
「生徒と少し違ったのは、エスケープをする生徒たちについていくことだった。教室から出て行く生徒がいた時には常に後を追いかけた。」(p45)

本当に「入り込んで調査する」の王道である。対象となる中学生と一緒にいることを心がけ、授業をエスケープして体育館の裏でタバコを吸っている生徒達の話を聞き、それを告げ口することなく、その輪の中に入り込んでいる。そういう教員とは違った関わり方をしているからこそ、「らいらい」と親しく呼んでもらい、関係性を深めていく。だからこそ、「授業崩壊」の瞬間にも立ち会うのだ。

「この日の社会の授業が始まる前、クラスの生徒たちは授業中どのように振る舞うべきかをお互い相談し合っていた。この時点ではクラスメイトたちの『状況の定義』が一致せず、それに伴い『適切な振る舞い』も定まらない不安定な状況にあった。しかし、友介が家庭訪問時に明確な反抗の意思を示したことを知ることで、浩二は教師への反抗的な態度を『適切な振る舞い』として採用する。教室のドアを蹴り飛ばし大声で不満を叫ぶことで浩二はクラスメイトたちにそのスタンスを強烈に示している。その浩二の『状況の定義』を(男子生徒一人を除く)クラスメイト全員で共有することによって、クラス全体が一つのインタラクション・セットとなり、授業崩壊が起こったシーンである。」(p144)

文章は書き写すことによって、その論理構成を辿ることが出来る。今回、授業崩壊が起こったシーンに関する志田さんの文章を書き写す中で、この短いフレーズに込められている内容の濃さ、分析の深さに圧倒されていた。まず、社会の先生が登場する前のクラス内での、教師を巡る査定や評価の模様を、志田さんは的確に把握している。その上で、友介の対応を浩二が受けて行動化している、という内在的論理を読み解いている。その上で、浩二の行動化がきっかけとなって、クラス内が騒然として行く様子が、この記述の直前のフィールドノーツに活き活きと描かれているのが、それがインタラクション・セットのひとまとまりと、「適切な振る舞い」の合意としての「授業崩壊」と論じる。観察眼の鋭さ、視ている解像度の深さ、だけでなく、それを理論的な枠組みで切り取る鮮やかさも備えている。これは、ほんまもんである。

さらに、ここから一歩引いて、このコミュニケーションから見えてくる相互行為を分析している。

「逸脱を一つのコミュニケーションの方法として用いて教師たちとやりとりをし、駆け引きをし、さらには学級崩壊を招いた時のように他の生徒たちをリードする存在へとなっていく。それまで学校の中にあった文化的価値パターンを、逸脱という行動を用いることによって転覆させることによって自らが下位に位置付く可能性を無効化し、自由を行使できる存在として自らを上位に位置づけ、承認を獲得しようとしていたのである。」(p160)

教師からみれば恐るべき逸脱に思えても、生徒には生徒なりの内在的論理がある。下位に位置付いていた自らを上位に位置づけ直す、コミュニケーション戦略としての逸脱が、学級崩壊の瞬間にも行使されていた、と志田さんは見抜く。さらに、その背後も分析する。

「春樹や浩二のように、逸脱する生徒達の交流の場をうまく活用しながら、学校での活動に戻っていくことができたことを鑑みると、問題となるのは逸脱それ自体というよりも、逸脱する生徒たちのネットワークの中にしか彼らの居場所がなくなってしまうことではないだろうか。そういった状況を避けるには、逸脱する生徒たちとクラスをつなぐブリッジングの機能を果たすような教師や友人の存在が極めて重要であると言える。」(p161)

志田さんは体育館裏など、生徒がエスケープする溜まり場にも通い、そこで逸脱する生徒たちの内在的論理を学んでいた。だからこそ、逸脱そのものを問題として捉えていなかった。そうではなくて、「逸脱する生徒たちのネットワークの中にしか彼らの居場所がなくなってしまうこと」、つまり体育館裏しか居場所がないことの方が大きな問題であると見抜いた。だからこそ、体育館裏にいても、教室に戻れるような「ブリッジングの機能」が重要だと気づけたのだろうし、実際、友人だけでなく「らいらい」と呼ばれていた志田さんご自身も、そのようなブリッジング機能を結果的に果たしていたのではないか、とも想像が出来る。

そして、相手の内在的論理に肉薄しているのは、生徒だけではない。フィールドワークを行った塚森中の先生達へのインタビューも、読ませるものがある。

「*ここに勤めてはって、だんだん自分が変わってきたかなって思う部分って何かありますか?
吉岡先生:ある。(略)結構子ども中心に考えられるようになってきた。今までは『自分が、自分が』って。自分がしんどいし、とか、自分が嫌やし、とかやったけど。なんか子ども様子変やなって思ったら、まず聞こう、とか。子どもの方にすぐにいけるようになった、とかは大きいかなぁ。」(p157)
「*:かまって欲しいのかなーとか。やっぱり先生とかかわっているところですごい嬉しそうだったりとかするので。
雨宮先生:ケガねえ、つくんなくてもいいんやけど。理由が欲しいんでしょうね。人とかかわる理由というか、かかwってもらう、触れてもらうとか。ここでね、よくね、ゴロゴロして寝ている子とかいるんですけど。やっぱりちょっと触れてほしいっていうのがあるんですよね。で、私が起こすじゃないですか、寝ると。それが結構嬉しかったりするみたい。」(p172)

吉岡先生は前任校から、やんちゃな子の多い塚森中に転勤して、カルチャーショックだったという。最初は辞めたくて仕方なかったが、子どもたちの声を聞くことで、子ども中心に考えられるようになってきた。それは、結果として、これまでの自分が教師中心であったことに気づくプロセスであり、そこから距離を取ることで、この学校で逸脱している生徒達とも上手く関われるようになってきた。

保健室の養護教員の雨宮先生は、もっとダイレクトに、一見すると逸脱しているように見える生徒達が「かまって欲しい」という思いを持っていて、中学生であることもあり、素直にそれを先生に伝えられないので、無理矢理ケガをつくったりして、人とかかる、触れてもらう理由をつくって、保健室にやってくる。そんな生徒たちの繊細な心の襞の部分を、志田さんは聞き取り、描き出している。そして、その繊細さは、吉岡先生など、教師の側にもあった。だからこそ、こんなまとめが彼女には可能になる。

「教師達はこれまでの生活のなかで自身の依存状態を意識することがなく、学校のなかでも依存を扱うべきものだとは考えてこなかった。そうして社会のなかで人々が抱える依存状態が隠されてきたからこそ、生徒の依存状態にも、教師自身の依存にも目を向けることは非常に厳しい状態にあった。『もしこれが、ちゃんと授業座って聞いている子ばっかりだったら、こういう風にできることもないでしょうね』と田中先生が語っていたように『自立』を前提としたうえで学校教育が成り立っていたとしたら、その事実を自明として疑うことはなく依存状態は隠されてきただろう。この自立神話とも呼べる固定概念が非常に強固なものとして教師たちの中に根付いていたために、それを覆すためにはここで塚森中の教師たちが経験するカルチャーショックほどの大きな出来事が必要だったと言える。」(p195)

これは、教員の主流文化と、逸脱している子どもたちの文化という、二つの異なる文化をつなぐ、重要な指摘だとぼくは受け取った。

教員は、生徒時代におそらく大半が「ちゃんと授業座って聞いている子」だったし、教師になってもそれが当たり前だという「自立観」に基づいて学校教育に関わっている。そしてしっかり出来ていない、クラスを統制できていない自分は悪いと責めたり、ちゃんとしなくちゃいけない、と自立に向けて頑張り続ける。それが教員の燃えつきに結びつきやすい。

でも、逸脱している子どもたちは、「ちゃんと授業座って聞いている」ことができない。それを、逸脱だ、しっかりしなさい、といっても、それが出来ないのには、彼ら彼女らなりの「しんどい」家庭環境の事情がある。それを理解すると、生徒達が体育館裏にたむろしたり、かまってほしいと教員にコミュニケーションを取ることでしか、そういう依存状況も含めて承認されることでしか、学校空間にいれない、という事情も見えてくる。すると、これまで自明だった「学校(教育・教師・生徒)とは○○だ」という当たり前の価値前提がぐらつく。これが「カルチャーショック」なのである。

ただ、そのカルチャーショックを経た後だからこそ、先生達ははじめて子どもの声に耳を傾け、子ども中心の視点へと転換していくことが出来る。それは、逸脱する子どもたちから学ぶことによって、関わり方を変えざるを得なくなることによって、時には学級崩壊を経験することによって、自らの当たり前の前提を突き崩し、新たな可能性を探るのである。それは、教師も生徒も、ともにか弱い存在であり、両者が依存し合い、協力し合い、ともに考え合う中で、学級という空間を協働構築していくしかない、ということに気づき合うプロセスでもあるのだ。

そして、志田さんがこのようなまとめができたのは、カリフォルニアでエスニックマイノリティの子どもたちを教える公立中学校の先生達から教わったことも、大きいと思う。

「*ケアすることとか、生徒や教師同士のつながりが、生徒達を巻き込んで何かするという時にすごく重要じゃないかぁと感じているんです。特に、社会的に不利な状況に置かれている生徒にとって。
William先生:そうだね。自分で動機付けできるひともいるよ。いるけど、周縁化されてきたマイノリティグループとか、疎まれてきた人たちとかは、なぜ自分がそんな状況におかれているのかわからない。そんな時に教師を信じることなんて出来ない。十分やる気がある生徒がいて、『難しいだろうけどできるよ!』って教師に言われる子はいいよ。専門職にでも技術者にでもなんでも就いたらいい。でもこの学校で必要なのは、生徒への期待を高く持って、かつ、感情を持って接して、ケアすることなんだよ。難しい要求を突きつけても、モチベーションが既にあるからできるっていう生徒はいい。でもここではそれじゃうまくいかない。感情を持って接して、気にかけるよっていうことも示す。でも同時に生徒達がそれに甘えてサボらせてしまうのではなく、難しい課題にも立ち向かえるようにする。そのバランスを取ることが重要だと思う。」(p221)

これは、福祉領域で言われているエンパワメント概念と全く同じ事である。あなたのことを気にかけているよ、と、心からの(感情を持って)応援をしつづけ、まず「この大人は信じても良い」と、子どもたちの諦めを、希望に変えることが大前提で必要である。でも甘えてサボらないよう、「もうちょっとやってみよう」と難しい課題にも立ち向かえるように応援する。そのバランスを取ることが、国を超えて、周縁化されてきた子どもたちの教育や支援には必要不可欠なのである。

「Miller先生:ここで働くことの一番の難しさは、それは同時に一番いいところでもあるんだけど、自分自身が一体誰なのかということを学んでいかなきゃいけないってことだと思う。自分自身からは絶対逃げることができないってこと。」(p245)

Miller先生は白人で、エスニックマイノリティの子どもたちに白人至上主義を批判的に伝える難しさを語るときに、このフレーズが出来た。ただ、これは日本の塚森中の先生でも共通しているのではないか、とぼくは感じた。教師至上主義、とか、学校中心主義、を内面化して、そういうものだと思い込んでいるからこそ、塚森中に赴任した時に、カルチャーショックを受ける。だが、それは教師である自らの特権と向かい、自分は一体誰なのか、教師として何をしたいのか、と向き合うことである。教師は教師、生徒は生徒、と無意識・無自覚に線を引いていたら、こんなことは考えなくてもよい。でも、逸脱する・かまってほしい生徒達が、その線引きに揺さぶりをかけてくるからこそ、教師はそのことを問い直す必要がある。しかしながら、実は「ちゃんと授業座って聞いている」子どもたちだって、本当は教師にかまってほいしと思っているのではないか。線引きをして距離を取らず、先生が先生役割を問い直して、子ども中心の視点を持って近づいてほしいと感じているのではないか。そういう妄想も浮かぶ。

もう6000字も超えてしまったので、ちょっとだけ自分の興味関心にひきつけて、書評を終えたい。

僕はこの本を読みながら、福祉領域で言われている「問題行動」「困難事例」との共通性を強く感じていた。教師や支援者にとって「逸脱行動」と思える行動であっても、本人にとってはそうせざるをえない、内在的論理がある。不適切な振る舞いをカテゴリー化して逸脱行動とする、という従来の研究に対して、志田さんの調査の魅力的なところは、逸脱行動をする子どもたちの視点から「状況の定義」を捉え直し、教師にとっては逸脱行動に見えても、子どもたちにとっては「適切な振る舞い」がなされた結果、学級崩壊などの「行為」が発生する、と、問題行動を「インタラクション・セット」として捉え直している点である(p135)。これは、ぼくたちが『「困難事例」を解きほぐす』で捉えた視点と似ていると感じた。

次に、ぼくは志田さんの描く世界に、「謎解き」のような感覚を持って読み進めた。以前からブログに書いているが、僕もやんちゃな子どもが多い公立中学校で育ったからであり、「ちゃんと座って授業聞いている」ことが出来ない子達が、身近にいたからである。そして、言われてみたら、彼ら彼女らの多くが「非標準家庭」だったし、コミュニケーション的な逸脱をしていた。でも、その時の僕には、そのことがよくわかっていなかった。そんな30年近く前の現象を、こういう構造的背景があったのでは、と解き明かしてくれて、すごく分析にも納得して読めた。

だからこそ、志田さん自身が後書きに書いておられた事に、強い意味性を感じた。

「思春期の私は、父子家庭・母子家庭で過ごす中で親に反発し自らの手で家庭での居場所をなくしていました。そのため時間時期にかかっわらず友に時間を過ごしてくれるAを含むヤンキーの男友達が唯一の居場所でした。教師を含む全ての大人たちに反感を抱き、勉強嫌いだった私は、16歳になったらすぐに結婚して家を出て、自分こそが『幸せな家庭』を築くのだと心に決めていました。その将来展望が大きく変わるきっかけになったのは亡くなった父でした。勉強をナメきっていた高3。父が生前ICUに行かせたがってことを突然思いだし、父が生きている間『親孝行』からほど遠かった私はこれが最後と思い、ICUへの進学を目指しました。」(p279-280)

彼女自身も、やんちゃな子どもたちに囲まれていた、だけでない。彼女自身が「非標準家庭」で育ち、大人を信用できず、逸脱するヤンキー仲間だけが頼りだった。中学校を卒業したら結婚する、とも思っていた。そんな彼女が、父の死や、父の遺言的なフレーズを思い出し、それを契機に猛勉強してICUに進学し、その後、教育社会学の授業に出会って、自らの経験を振りかえると共に、教師ではなく、逸脱する子どもたちから捉えた世界観を描こうとした。それが、この素晴らしい大著につながったのだと後書きで知ることができた。

彼女は大学院の時、僕と同じ大阪大学大学院人間科学研究科の教育社会学講座で学び、この博士論文を書き上げた。阪大の教育社会学は本当にレベルが高い、と気づいたのは、大学院の時ではなくて、今頃になってから。大学院の同期の柏木さんの『子どもの貧困と「ケアする学校」づくり』を読んで、その面白さに気づかされる。また、学部時代からの後輩の濱元さんが翻訳した『学力工場の社会学』もめちゃくちゃ面白かった。僕は院生の頃、本当に視野が狭くて、教育社会学系の授業をちゃんと取っていなかった愚かさを、今更ながらに悔やむ。そして、阪大だけでなく、こないだ書評で取り上げた都島さんの『非行からの「立ち直り」とは何か?』も含めて、教育社会学研究者の層の厚さ、教育を批判的に捉え直すフィールドワークの質的水準の高さ、に圧倒されている。福祉社会学で、こんな魅力的な論文にあんまり出会わないよなぁ、とも。もちろん、自戒を込めて。

この本が高いのが惜しいけど、5000円払う価値は絶対にある、と太鼓判を押せる一冊だった。

「意味の網の目」の内在的理解

「人類学的思考で視るビジネスと世界」という副題の付いた『アンソロビジョン』(ジリアン・テット著、日本経済新聞社)は読み出したら止まらなくなって、他の読みかけの本を差し置いて一気読み。彼女の前作『サイロエフェクト』が面白かったので(そのことはブログにも書いていた)、珍しく発売直後に買う。

博士課程の間、90年頃、タジキスタンの婚礼儀式について調査していた人類学者で、そのことを博士論文にもしているのだけど、その後のソ連崩壊のプロセスで、ロシア語が出来る特技を活かしてファイナンシャル・タイムズ紙の記者になり、資本主義経済をおもに取材する。そして、膨張した金融市場で複雑な数式を用いたデリバティブ取引を主導する人々の会合に出ていて、次の様な感想を持つ。

「投資銀行業界の会合はタジキスタン人の結婚式とまるで変わらない、と私は思った。どちらも集団の社会的絆と世界観を共有し強化するために、儀礼や象徴を使っていた。タジキスタンではそれが結婚の儀礼、踊り、刺繍入りのクッションの贈り物といった複雑なサイクルを通じて行われた。一方コートダジュールの投資銀行の面々は、一緒にゴルフコースを回ったり、明かりを落とした行動でパワーポイントを眺めたりしているあいだにも、名刺を交換し、酒を酌み交わし、ジョークを飛ばしあっていた。どちらのケースでも儀礼と象徴が、共有された認知バイアス、前提を確認すると同時に再生産していた。」(p118)

ダジキスタン人の婚礼と投資銀行業界の会合、踊りとゴルフコース、には、全く関係がなさそうに思える。でも、それは表面的な事実の違いである。その集まりで重視され、取り交わされている「儀礼や象徴」とは何か、を掘り下げて考えると、二つに共通することが著者には見えてきた。それが、「共有された認知バイアス、前提を確認すると同時に再生産していた」という点だ。タジキスタンの人々が、同じ谷(=地域)の住人としか理解し合えない(ので婚姻関係も結ばない)と思い込んでいたのと同じように、高度な数式を前提とした投資銀行業界の人々には同族意識や選民意識があった。

ここから人類学的思考が華開く。

「ここもタジキスタンと変わらない、新しい言葉を学べばいいだけじゃないか、と思った。投資銀行の人々も、さまざまな儀礼と文化的パターンで自らの営みを彩っているに過ぎない。タジク語を学ぶことが出来たなら、外国為替市場の仕組みも絶対に学べるはずだ」(p122)

表面的な違いを超えて、「儀礼と文化的パターン」という抽象的な視点で捉え直すと、タジキスタンの婚礼と投資銀行という「異なる部族」には、構造的類同性がある。その類同性は、相手の言語を学ぶことで理解可能である。これが、著者の洞察力の優れたところである。これは、サイロエフェクトで「たこつぼ化」というキーワードから、異なる業種の大企業に共通する官僚制的システムの弱点を見抜いたのと、同じような発想である。

「マネーと文化を同時に調べ、二つの視点を結びつけることができれば、新たな気づきが得られるのではないか、と私は考えた。ヨーロッパの経済チームを振り出しに、五年にわたって東京支局で記者と支局長として働くなどFTでキャリを積む中で、私は同じ問いを何度も繰り返した。マネーはどのように世界を動かしているのか。世界のさまざまな場所に住む人はこのプロセスをどう見ているのか。言葉を換えれば、ファイナンスをめぐる『意味の網の目』はどのようなものか。」(p123)

文化を「意味の網の目」と捉えたのは、人類学の大家、クリフォード・ギアーツである。著者はその視点を継承し、一見すると人類学や文化と関係なさそうな金融資本主義やファイナンスにおける文化や「意味の網の目」を読み解こうとした。タジキスタン人の婚礼儀式を学ぶためにタジク語を理解したのと同じプロセスで、金融市場システムを学ぶために経済記者として取材し続けた。そのどちらでも、「意味の網の目」を探ろうという問いを持ち続けたので、双方の「部族」における儀礼や象徴とは何か、を捕まえることが出来た。

その上で、「意味の網の目」を読み解く上でのヒントもいくつか示している。その一つが「汚れたレンズ」の意識化である。

「第一に自分のレンズは汚れていると自覚すること。第二に、自らのバイアスを意識すること。第三にこうしたバイアスに惑わされないようにするために世界を別の視点から眺めてみようとすること。そして最後にとても重要なこととして、ここまでの三つのステップを踏んでもレンズが完全にクリーンになることはあり得ないと肝に銘じることだ。私たちは(そして私は)他者を笑い飛ばす前に、社会的沈黙に耳を澄ます必要がある。」(p211)

これは、SNSなどで自分と似た情報ばかりを選択的に吸収することで、視野が狭くなってしまうエコーチェンバー現象を考える際にも有用だ。「なんでそんな常識的なことが通用しないのだ?」と思った時には、特に自覚的になった方がよいと自戒の念を込めて書く。アメリカでは共和党と民主党の支持者の世界観が全く異なっていることが深刻な社会問題になっているが、それは「相手は間違っている=自分は正しいはずだ」という「汚れたレンズ」への無自覚さが拍車をかけている。さらに、ある程度知識や情報を収集していると、「私は知っていて、相手は知らない・無知だ」という特権的・選民的意識を持ちやすい。これが、世論との大きな乖離となって、まさかのトランプ現象を生み出した、とも筆者は指摘している、

自分自身に関しても、「なんでそういう乱暴な事がまかり通るのだ?」とか、「どうしてそういう極端な思想や発言が評価されるのだ?」と思うことも、しばしばある。でも、それは自分のレンズの汚れを度外視して、相手の方が問題だ、と問題を相手に押しつけている場合がある。自分のバイアスと相手のバイアスは違う。その時に、「世界を別の視点から眺めてみようとすること」を通じて、相手のバイアスの内在的論理を理解する事が出来れば、一定の論理を理解できる。共感はしなくても、まずはそれを理解する必要がある。そのためには、何が語られているか、だけでなく、何が語られていないか、という「社会的沈黙に耳を澄ます必要がある」のだ。

その上で、次のまとめも有用である。

「では、どうすればアンソロ・ビジョンを身につけられるのか。本書では少なくとも五つの方法論を提案した。①誰もが自らの生態学的、社会的、そして文化的な環境の産物である事を理解する。②「自然な」文化的枠組みはひとつではないと受け入れる。人間のあり方は多様性に満ちている。③他の人々への共感を育むため、たとえわずかなあいだでも繰り返し他の人々の思考や生き方に没入する方法を探す。④自分自身をはっきり見るために、アウトサーダーの視点で自らの世界を見直す。⑤その視点から社会的沈黙に積極的に耳を澄まし、ルーティンとなっている儀礼や象徴について考える。ハビトゥス、センスメイキング、リミナリティ、偶発的情報交換、汚染、相互依存、交換と言った人類学の概念を通じて自らの習慣を問い直す。」(p309-310)

他者は、自分と違うので、なぜその他者の他者性があるのだろう、と、他者の「生態学的、社会的、そして文化的な環境の産物」を理解することは、意識すれば少しずつ可能だ。でも、自分の中で当たり前になりすぎている「自らの生態学的、社会的、そして文化的な環境の産物」を、改めて問い直す事は、簡単ではない。ぼくの場合は、たまたま子どもが生まれたことによって、それをボチボチ問い直している

その上で、「他の人々への共感を育むため、たとえわずかなあいだでも繰り返し他の人々の思考や生き方に没入する方法を探す」というのは、人類学だけの特権ではない。社会学者の岸さんも、同じ事を述べている。

「他者の合理性を再記述する、つまり、行為の合理性を理解するとどうなるか。その帰結はいろいろあると思いますが、そのひとつは、行為責任の解除です。「そういう状況なら、そういうことするのも仕方ないな」というのが理解でしょう。」(「インタビュー 社会学の目的 岸政彦」

そして、難度が上がるのが「アウトサーダーの視点で自らの世界を見直す」ことだ。自分はどうしてそのような思考様式をしているのか。自分の金銭感覚や判断基準は、どのような合理性に基づいて構築されているのか。そんなことを普段は考えない。でも、他者の合理性をそのものとして理解するプロセスを経ていくなかで、それとは違う己の合理性の構成要素も理解することは可能なのかも知れない。

いまの僕にとって、最も難度が高いと感じるのは、ツイッタやSNS、マスコミ等で論争的な事態が起きている時に、「何が語られているか」だけでなく、「何が語られていないか」という「社会的沈黙」に耳を傾けることである。でも、問われていない、語られていないことに耳を傾けることは、何が欠けているのか・盲点となっているのか、を知る上で、すごく重要である。そして、それは結果として、その世界の常識やルーティン化された儀礼や象徴とはなにか、を捉え直すことにもつながる。でもそれを全く道具なしですることは難しいから、「ハビトゥス、センスメイキング、リミナリティ、偶発的情報交換、汚染、相互依存、交換と言った人類学の概念を通じて自らの習慣を問い直す」ことが第一歩になる、というのはよくわかる。僕もこれは意識化したい。

長々と書いて、もう紹介する余裕がないが、日本で独自に華開いたキットカット受験バージョンがどのようなグローバルな変化をもたらしたか、とか、様々な事例の話はどれも面白いし、記者出身だけあって文章はめちゃ読みやすい。翻訳もすごくこなれている。なので、お勧めの一冊である。

ライフハックは何のため?

2005年に大学教員になった時、効率的に仕事をしないと仕事が終わらないことに焦っていた。当時は山梨に住んでいたのだが、東京や大阪に出張した折は、大きな本屋で色々買いあさるついでに時間管理や仕事術系の本も買い込んで、100冊以上は読みあさってきた。だが、あるときからその生産性や効率性は、新自由主義的合理性を内面化するものだ、と気づき、それはすごくいやだな、と思った。それ以来、生産性や効率性を上げるノウハウ本を読むのをやめて、そういう本はあらかた処分した。

そんなぼくなのだが、久しぶりにそのものズバリの生産性や効率性本を読む。『ライフハック大全 プリンシプルズ』(堀正岳著、角川新書)である。

ある程度知っているノウハウも、この本を読んで知ったノウハウも色々あって、辞書的に活用できるのだが、今回一番ピンときたのは次の部分だった。

原則:時間管理とはどれだけ忙しくできるかではなく、与えられた状況のなかで能動的な選択の自由をどれだけ生み出せるかのスキルである。
その上で、生み出された裁量の窓を長期的に向かいあいたいと思っている航路に向けるために、行動を入れ替えていくこと。つまりは、抱いている目標と時間の使い方にアライメントがとれている状態を増やすのが、本質的な時間管理になります。」(p46)

ここに、ライフハックは何のため?という問いの答えが詰まっている。以前のぼくは「より沢山本を読んで、より沢山の業績を作るんだ」と意気込んでいた。それは確かに生産性至上主義そのものの発想である。そういう形でしゃかりきに働くために、ライフハックを使うこと「も」できる。

ただ、子育てをし始めて、馬車馬の論理(=生産性至上主義)よりもケアの論理を優先させるようになって、そういう業績至上主義ではケアが出来ない、ということが骨身にしみてわかった。その当時のぼくは、だからこそ、ライフハック系の本を一度捨てた。

でも、いま改めてこの本の原則を読んで、別の道があり得るとようやく気づいた。子どもや妻との時間を大切にしたい、そして自分のリフレッシュの時間も確保したい、そのような価値前提を置いた上で、「抱いている目標と時間の使い方にアライメントがとれている状態を増やすのが、本質的な時間管理にな」るのである。以前は、その目標が無自覚に「どれだけ忙しくできるか」に向いていたので、時間管理に追い立てられていた。でも、ある程度時間的・精神的な余裕を持つための時間管理、であれば、生産性至上主義や新自由主義的合理性を括弧に入れるための時間管理、という考え方もありうるとやっと気づいた。

悪いのは時間管理やライフハック本ではない。時間管理やライフハックを何のために使うのか?という自分の主体性が問われているのだ。

その上で、この『ライフハック大全』は、大学院生とか社会人で、これからどんな風に生きていこうともがいている人にお勧めする一冊である。来年度の大学院のリサーチトレーニングの担当回で紹介しようとも思っている。アウトプットでいきなり完璧を目指さなくてもいい、とか、日々大量に読んで大量にアウトプットすることが、アウトプット術の練習になるとか、王道的なことがしっかり書き込まれている。ぼく自身も、ツイッタで色々書いて、ブログにまとめて、それを論文にする、というサイクルを回していた時期があったので、それはよくわかる。で、その癖がつくと文章を書くのがめちゃくちゃ早くなり、師匠から「タケバタくんは文章の自動販売機のようだね」と言われる始末。褒められているのだか、けなされているのだか。。。

40代後半に久しぶりにこの手の本を手に取って、50代に向けて、時間管理によって「生み出された裁量の窓を長期的に向かいあいたいと思っている航路に向けるために、行動を入れ替えていくこと」をしてみたい。その目標を、いくつか備忘録的に書きたい。

いま一番したい「行動の入れ替え」は、洋書を読む時間を毎日1時間は確保したい、という目標設定である。最近は読書会で読まねばならない本以外は全然手をつけられていない。でも、海外の学会発表もオンラインで参加の敷居が低くなったし、ちょっと英語で日本の福祉的課題をしっかり発信したいよなぁ、と思い始めている。そのために、圧倒的に語彙力と文脈形成にかける時間が足りない。コツコツと積み上げる必要がある。

とはいえDeepL訳という素晴らしい武器に最近お世話になっているし、まだ使いこなしていないけど英文を書くならGrammalyとかも使えそうなので(p204-205)、日本語でやり続けてきたインプットとアウトプットの一部を英語に切り替えてやってみようと思っている。以前から気になってきたAudibleも試して見ようかな(p258)。とりあえず、3月中頃〆切の某学会発表のアブストをまず考えるところから、かな。

そしてこれも死守したいのは睡眠を守る10−3−2−1ルールである(p337)。

・10時間前にはカフェインを控えるようにする
・3時間前には食事も控える
・2時間前には仕事をするなどの緊張感を高める作業を止める
・1時間前には液晶スクリーンを見るのをやめる

良質な睡眠がないと、僕はすぐに風邪を引く。そして、今のご時世、風邪は結構命取りである。であるからこそ、ぼくは11時には寝ることが多いので、お昼の早い時間に珈琲を飲んでしまい、夜7時にご飯を食べて、9時にはメール仕事も終えて、10時にはKindleやPDF化した本も読まないで、紙の本を読んで眠る、というのは定番化したい。

明日出来るメールを「今日のうちに書いておかないと」と11時近くまで書いていると、眠りが浅くなってろくな事はない。メールと言えば「3分以内に返事できるメールは、その場で返事する」「返事する必要のあるものは、『読みました、あとで返事します』とだけ返信する」(p123)というのも使えそうである。

どれも生産性至上主義になるため、ではない。自分の余裕を取り戻し、カリカリせずにゆっくり子どもや妻とおしゃべりする時間を確保し、ケアを中心として生きていく為に、必要なライフシフトなのだと思う。

あと、苦手な領域で時間をかけずに済むために、パスワードマネージャーを活用する(p212)とか、せっかくスキャンスナップを持っているのだからレシートは家計管理ソフトに連結させる(p197)とか、そういう自動化を促進させようと思う。

「数年に一度、自分をアップデートする」(p294)と書かれていたが、この本はまさに、久しぶりに自分の行動様式を見直し、「長期的に向かいあいたいと思っている航路に向けるために、行動を入れ替えていくこと」を意識化させてくれるきっかけとなった。

子育てと民主主義

子どもを育てていてつくづく感じるのは、子どもへの接し方を通じて、自分自身の変容課題と向き合わざるを得ない、ということである。子どもと関わる中で、己自身の癖とか無意識・無自覚な思い込みや偏見が表面化する。それと向き合うのか、子どもの問題だから、とごまかすのかで、大きく変わると思っている。そんな折りに読んだ本で、強く心を揺さぶられた。

「民主主義には、相手の声に耳を傾けることの価値や誰に対してもインクルーシヴであることの価値に加えて、すべての人が自分の気持ちや意見を聞いてもらえるという共通の価値が存在します。」(アルネール&ソーレマン『幼児から民主主義 スウェーデンの保育実践に学ぶ』新評論、p9)

訳者のお一人の伊集守直さんと、ある研究会でご一緒している関係でお送り頂いた。実に素敵な本で、読みながら頷いたり、いてて・・・と自分自身の関わりを問い直していたり、しながら、ゆっくり読んでいった。

何に「いてて」となるのか。それは、ぼく自身が子どもの「気持ちや意見を聞く」ことが出来ているか、子どもの「声に耳を傾けることの価値」を尊重しているか、と問われると、十分に出来切れていないよなぁ、と思うことがしばしばあるからだ。

「民主主義社会に生きる人間であれば、年齢に関係なく、自分の話を聞いてもらう必要があります。生まれた瞬間から亡くなるまで、人は『自分の声』をもつことができます。生まれたばかりの子どもを見てください。小さな赤ちゃんは泣くことで何かを表現しています。そして、泣くことで大人が駆け寄ってきてあやしてもらいます。このような行為が、子どもに影響力をもたせることになります。一方、年老いて最期を迎えようとしている人も、話を聞いてもらうことで家族などに影響を与えるという権利をもっています。」(p39)

僕は娘に注意したり、叱ったりすることで、娘に影響力を与えようとしている。でも、娘だって、「年齢に関係なく、自分の話を聞いてもらう必要があ」る。振り返ってみれば、「赤ちゃんは泣くことで何かを表現してい」たし、親の役割は、その泣き声から、おなかがすいているのか、寒い・暑いのか、しんどいのか、疲れたのか・・・と、どのようなことを表現したいのか、を想像してきた。

ただ、こども園に入る年齢になり、自分で話せるようになってくると、大人であり親であるぼくは「言葉で伝えたらわかってもらえるはず」と思い込んで、子どもにあれこれ伝える。でも、注意したり、何度か伝えたことなのに、子どもが出来ていない場合、やめてほしいことをし続けている場合もある。すると、ついついその理由を聞くことなく、「何度言うたらわかるの!」と頭ごなしに叱りつけたくなる。でも、それは子どもなりの理由を聞くことなく一方的に決めつけている、という意味で、ぼく自身が民主主義的なプロセスを重視していない、ということなのである。「すべての人が自分の気持ちや意見を聞いてもらえるという共通の価値」を大切にしたいのに、自分自身が娘に対して、それが出来ていない。これが、いてて、と感じる最大の意味だ。

「私たち大人は、子どもを対等な存在として見ていないために叱るという接し方をしています。もし、子どもの行動が大人にとって望ましいものでなければ、多くの場合、『それはよくない行動だ』と解釈してしまいます。しかし、子どもの視点から見れば、その行動は私たちが叱るといった対象ではなく、関心をもって学ぶべき、合理的で論理的なことかもしれないのです。」(p86-87)

これを書き写していて、さらに「いてて」が広がる。なぜって、それは福祉における「問題行動」「困難事例」を扱うときに、ぼく自身が常に意識してきたこと、そのものだから。

親が子どもを叱るとき、「『それはよくない行動だ』と解釈して」いる。でも、子どもにはそうする内在的論理がある。つまり、親にとって問題だと感じても、子どもにとっては「合理的で論理的な」理由があるのである。それは、『ゴミ屋敷』などにも共通する論理である。そういうことを講演で何度も支援者向けに伝えながら、いざ子育てになると、自分自身が思う「望ましさ」を子どもに押しつけて、それに従わないからと叱っている。それは、「私たち大人は、子どもを対等な存在として見ていないために叱る」ことそのものなのである。言っていることとやっている事が違うじゃん、と。これでは、子どもの手本にはならないなぁ、と。いてて、いてて・・・。

この本を読んだり、観察が大切だとこども園の先生方から教わったこともあり、最近は叱りたくなったら、とりあえず深呼吸をして、子どもに理由を聞こうとしてみる。すると、「その行動は私たちが叱るといった対象ではなく、関心をもって学ぶべき、合理的で論理的なことかもしれない」ということが見えてくる。子どもなりに、そうしたくなる理由があるのだ。

「それがじゃまだった」「○○ができるとおもった」「××をやってみたかった」

これらの理由は、大人のぼくからすると、非合理であったり、受け入れにくいものである場合もある。でも、いずれにせよ、子どもなりの合理的で論理的な理由があるのだ。それを頭ごなしに「何してんの!」と叱り飛ばしてしまうと、子どもはその理由を「親に言ってはいけないんだ」と思って、本心を言わない子どもに育ってしまう。それでは、「すべての人が自分の気持ちや意見を聞いてもらえるという共通の価値」を尊重していないことになる。だからこそ、「言い訳を言うな」ではなく、まず子どもなりの理屈を教えてもらう必要があるのだ。その上で、子どもなりの理由(合理性や論理性)と、大人のぼくが考える合理性や論理性の両方提示した上で、どちらの方が良いかを一緒に考える必要があるのである。

それは結構面倒くさいし手間がかかること、である。でも、よく考えてみたら、子育てとは、そのような面倒くさいし手間がかかるプロセスそのものである。でも、そのプロセスを共有するからこそ、子どもが育つ、だけでなく、子育てを通じてぼくたち親自身も学び直す事が出来るのかも知れない。

「これまで伝統的に、大人は自分の視点で、さまざまな方法によって子どもたちの評価を行ってきました。しかし、『関係的な視点』から子どもたちを見ることで、子どもたちがどんな人間『である』かではなく、どんな人間『になる』可能性を含んでいるのかが理解できるようになります。そしてそれは、子どもと大人の出会いや関係がどのように築かれるのかということに影響してきます。」(p171)

子どもの声にまず耳を傾けることなく、「○○するな」「何度言ったらわかるの!」「だめでしょ」といった言葉が絶対にダメ、な理由は、「子どもたちがどんな人間『である』か」を固定してしまうような言説だから、である。親や教師の言うことが絶対で、その絶対的なルールを逸脱する・受け入れられない・守れない、からダメなやつだ、と決めつけているし、それによって、子どもの可能性は縮減されてしまう。

子どもは大人に比べて遙かに可塑性に富んでいて、様々な「人間『になる』可能性を含んでいる」のである。だからこそ、子どもなりの内的合理性や論理性を、それが稚拙であったり我田引水的であろうと、まずは聞く必要があるのだ。それは、「子どもと大人の出会いや関係がどのように築かれるのか」に大きな影響を及ぼす。つまり、子どもとぼくや妻がどう関わるか、という「関係的な視点」で考えると、子どもを通じて僕たちも成長できるし、その親の成長は子どもの成長にも伝わる、のである。

そうは言っても、子どもの言うことをじっくり聞いたりするのが、面倒くさいときもあるし、イライラする時だってある。でも、そんなときこそ、次のフレーズを思い出したいな、と感じている。

「子どもたちは、制限されるのではなく、責任を持つことについて学ぶ機会を必要としているのです。子どもたちが大人に対して自らの『道』を示してくれるように、私たち大人は、子どもたちが一歩踏み出すことができるような『道』を示さなくてはいけません。」(p181)

そう、道を指示するのではない。そうではなく、子どもが責任を持って自分の道を歩めるように、その一歩踏み出す後押しをするだけでなく、大人自身が相手の声に耳を傾けながら責任を持って歩き続ける「道」を示す必要があるのだ。大きな自戒を込めて、そう書き記しておく。

己の唯一無二性を自覚する

やっと授業がおわったので、今年の初投稿。

こないだツイッタで、非常に印象深い図に出会った。「大学でインポスター症候群(周りの評価よりも自分のことを過小評価すること)をなんとかしようみたいなオンラインレクチャーがあったときに提示された図」と書かれた図が、本当にぼくのニーズにぴったり合った図だった。

ぼくは先月くらいまで、ずーっと「知識が足りない、足りない。。。」と思い続けてきた。博識ですね、とか、大量の本を読んでおられますね、と言われることも最近増えてきたが、ぜんぜん本人の自己意識とは違って、「まだまだ学びが全然足りない」と思い込んできた。

それには理由がある。ぼくが専門性がない、と思い込んできたからだ。

実際、大学の研究者の大半が、ご自身の専門をしっかりと定め、それを深掘りしておられる。一方、ぼくは、興味の向くままに、あれこれとつまみ食いしている。ここしばらく、原稿依頼されたのは、「レジリエンス」「ボランティア」「コロナと精神医療」・・・と、テーマはバラバラである。今、校正している紀要原稿は「アクターネットワークと義父の死」だし、連載中の原稿タイトルは「ケアと男性」。大学院の授業では「子どもの貧困」についての本を読みあさってきたし、ファシリテーションやオープンダイアローグの本を読んでいたか、と思うと、新自由主義批判の本とか若者支援の本を研究会で読み続けている。最近集中的に読み進めている吉福伸逸さんのことが、『ファシリテーションとは何か』の中野論文で描かれていて、一人でにんまりしていた。本当に雑多でまとまりがなく、深みがない。ハチャメチャである。だからこそ、いつまでも専門がないのだ、と落ち込んでいた。

でもそれって、各分野の専門家の深みのある知識と比較して、「ぼくは全然知らない」という、「ないものねだり」の発想だった。ただ、今頃になって気づいたのだが、ぼくの守備範囲はどうやら結構広いらしい、ということ。確かに福祉領域の研究者で、権利擁護も精神医療も地域包括ケアもオープンダイアローグもカバーしていて、魂の脱植民地化とか能力主義を問い直す視座に基づき、それなりに原稿を書いたり、講演や研修をしたりしている人材は、あんまりいないんじゃないかな、と改めて気づく。つまり、他の人が色々深めている複数の領域を興味向くままにあれこれ囓りながら、それを自分なりに統合しているのが、ぼく自身の「知っていること」なのだ、とやっと気づかされた。

だからこそ、他者比較の牢獄に陥る必要は全く無いし、他者と比較するだけ無駄である、と改めて気づかされた。

ちなみに、imposterとは詐欺師の、という意味である。ぼく自身、自分は専門を深めていないのに大学でずっと働いている、という意味で、詐欺師とまではいかないが、ずっと自分が「うさんくさい」と思っていた。そして、imposter syndromeって結構有名な概念のようで、こんな整理もあった。正直知らなかった。

これを読みながら改めて思ったのだが、「他人から評価されているにも関わらず、自分が偽物であるという感情を抱いている」というのは、ぼく自身の心象風景そのものである。それは、ぼくが一つのことに没頭できず、あれこれとつまみ食いして渡り歩いてきたし、だからこそ未だに専門はこれだ、と言えないし、それが中途半端の極みだと思ってきたから、である。

でも、よく考えてみたら、ぼくは他者より広い守備範囲を持っていて、それをつなぎ合わせて言語化することが、己の唯一無二性なのかも知れない、とやっと腑に落ち始めた。というか、それぞれの領域をグッと深めるなら、他の領域の学びを削るしかない。でも、ぼくはあれもこれもどれもそれも、気になることは知りたいし、囓りたいし、自分の経験に引きつけて考えたい。ならば、専門を一つに定めず、あれやこれやを行ったり来たりしながら、それを面白がって、関連付けて、自分なりに言語化して、深めていく。一つの学会や専門家集団に貢献することはあんまりできないだろう。でも、そういう雑多な知をハイブリッド的に結びつけていくことで、現場のわけのわからん問題に対応する対応力は増しているし、それなりに社会貢献も出来ている様な気がする。

実際、ぼくの所に「ご相談があります」と持ち込まれる案件って、どれも「非定型」案件ばかりである。普通の専門家のところには持ち込まれない、色々な要素が絡み合った課題が、なぜかぼくの所に持ち込まれる。こちらはそもそもどうしていいのかわからないので、相手に困っていることを話してもらい、こちらからおたずねをしながら、絡み合った糸をご一緒にほぐしていく。するとある時点で「やっぱり、そうなのですね」と言われることがある。つまり、相手が意識していなかった、でも言われてみたらその通りで納得出来る、そういう要素を探り当てていくプロセスである。それは、断片化された情報をつなぎ合わせて、相手が自分が納得出来る形で体系化する支援、というのだろうか。実際、ぼく自身がやっていることを、相手にもやってもらう、という感じなのだが、案外それは具体的な問題を解決したり、前に進める上で、役立っている。

王道の研究者は、それぞれの専門を深掘りして、極めてくれたらいい。でも、ぼくは飽きっぽいし、一つの深掘りは向いていない。であれば、あちこちの鉱脈をランダムに掘り進めながら、その根底でつながる部分を自分なりに横穴を掘ってつなげて、それを言語化していく仕事が出来たらそれでいいし、それしかぼくのオリジナリティはない。そして、それは時には他者にも役立つアプローチとなり得る。そう思い始めている。

40代後半まで気づけなかったのも、愚かと言えばその通り。でも、ここで腹をくくって、ぼくの実存に引きつけながら、面白さをどんどん横串していったら、それはそれでオモロイ未来になるのではないか、と夢想している。

それが、己の唯一無二性の自覚になれば、いいのだが。

2021年の三題噺

毎年恒例の、自分自身の一年を振りかえるブログ。今年も三題噺を書いて、店じまいとしたい。

1,暗中模索の日々

コロナ危機はこの一年でも収束せず、大学の授業もオンラインと対面を行ったり来たり。教養の大人数授業はオンラインで、それ以外の授業は対面で、とか色々やっていたが、講演はオンラインやハイブリッドがまだ多い。正直、打ち合わせや会議はオンラインで充分で、講演もウェビナーで結構代替できるので、移動するとはどういうことか、を改めて選び取るのがきっと来年以後になるのだと思う。

そんな中で、今年は暗中模索だった。

コロナ、にではない。自分自身のあり方に関して、である。今までのやり方を手放して、「いま・ここ」での試行錯誤を色々してきた。例えば原稿書き。今までは、自分の中である程度使い方を知っている内容で、原稿を書くことが多かった。でも、今年はサクサク書くというよりは、敢えて違うルートを辿る、というか、書き慣れていないテーマやアプローチを試しながら、何本か論考を書いた(どれも来年の春あたりに出る予定)。

あるいは授業やゼミ。大学教員になって16年目だけれど、今までのパターンとは違うやり方を試行錯誤している。例えば授業は、完全反転授業に切り替えていった。教科書や課題は事前課題としてやってきてもらい、授業時間中は、その内容に関する学生同士の議論を20分ほどしてもらい、そこから学生たちの声を拾い、その声に基づく授業をすることに切り替えっていった。そして、教科書や事前につくったレジュメも手放して、学生たちの「いま・ここ」の話題について行ってみることにした。すると、想定外の色々な声が出てきて、それらをまとめようとせず、色々その声に基づいた対話をして、黒板に学生たちの声を書き続けていると,自然とそのうちにまとまってくる、ということも、実感として感じるようになった。竹端が一方的にまとめるより、勝手にまとまっていくほうが、学生たちにとっても納得出来る内容になる、ということも、わかってきた。今まで、無駄な力が入りすぎていたのかもしれない。

それはゼミでも同じだ。今年は本当にフローというか、うまくゼミ内の議論や発表が流れるようにだけ意識をして、後は学生たちの力を信じて、任せていった。すると、4年生は各自のテーマで自分でアポを取ってどんどんZoomインタビューをしながら卒論をまとめてくれるし、3年生は自分たちで「3年ゼミプロジェクト」を企画して、それを面白く展開してくれた。授業にしてもゼミにしても、学生たちの潜在的な可能性を信じて、そのポテンシャルがうまく発揮できるような水路を作るお手伝いさえこちらが出来れば、あとは勝手に彼女ら彼らが進めていく。困ったときには最低限のアドバイスをするけど、それ以外は信じて見守れば良い。暗中模索の中で気づいたのは、もっと己を開け、という啓示でもあった。

己を開く、と言えば、開かれた対話性における「余白」を意識したのが、今年後半でもあった。余白があると、色々な出会いが流れ込んでくる。それを吟味して取捨選択する、よりも、面白そうならば、とりあえず対話的にその余白を大切にし、そこから生まれる流れも尊重してみる。すると、何だか良くわからない渦が生まれはじめ、それが自分にとっても大切な意味を持ち始める。そんな出会いが今年はいくつもあった。これも、暗中模索の試行錯誤ゆえに出会いであり、結果的にぼく自身が以前のやり方やパターンを脱皮しようとしているのかも、しれない。

2,直観に乗っかってみる

実は去年の大晦日のブログと似たエントリーになっているのだが、以前のパターンの脱皮とは、論理的整合性や客観性を優先させる世界から、「いま・ここ」で浮かび上がったこと=直観にのっかってみることであり、それを精査せずにとりあえずその流れに身を委ねてみることである。

それがこれまで出来ていなかったのは、直観を出しては叩かれ、ということを繰り返していたからだった。ちょうどこのエントリーの内容を考えていた時に、ふと思い出した「墓場ネタ」を、そろそろ時効だし、わざわざ「いま・ここ」で思い出したのだから、成仏させるためにも言語化しておきたい。

10年近く前のことである。お世話になっていたとある大御所から、セミナーでのコメンテーターを求められた。こちらは基調講演の方の本を読み込んで、それから関連する文献も読み進めた上で、そのセミナーに参加し、基調講演の話も踏まえた上で、20分程度のコメントを行った。その日のセミナーの「いま・ここ」の流れも掴むことが出来たので、我ながら割とコメントは上首尾だったと思うし、それはその場に参加されている方々の反応をみても明らかだった。こちらは、声をかけてくださった大御所に何とか面目がつく話が出来たのではないか、と、ホッと一息ついた。

その矢先、である。当の大御所の最終コメントで、直前に話した私のコメントを全否定された。「今の話、もっともらしいけど、信じちゃだめだよ。すごく荒い議論だし、○○の論点が抜けているし・・・」。正直、その話を聞きながら、気が滅入った。そんなの懇親会の席でこそっとお叱り頂いたらいいのに、よりにもよって大勢の前でつるし上げなくてもよいではないか!と。ご期待に添えなかったのなら申し訳ないけど、呼ばれて行ったのにその仕打ちはないじゃないか、と。懇親会の席で、周りの若手から「結構キツかったっすね」と言われて、こっちも混乱してヘトヘトになって帰宅した記憶がある。

で、今頃やっと気づいたのは、実はその大御所の想定を超えるコメントをしたが故に潰された、ということだった。つまり、その大御所に花を添えるには、もう少し凡庸なコメントをした上で、最後に大御所を褒めるようなスピーチを「すべき」だったのに、僕は自分のあらん限りの力を出して、大御所以外の人に着目させるような発表をしてしまったのだ。直観に基づいて、空気を読まずに発表すると、相手の逆鱗に触れる。それならその直観は、使わずにしまい込んでおいた方が良い。そういう「悪い学習」をしてしまったばっかりに、直観はなるべく蓋をして、出さないようにしていた。

でも、4年ほど前にダイアローグをみっちり学んで以来、「いま・ここ」での対話を大切にするようになった。すると、事前に用意した・仕込んだことではなく、「いま・ここ」で浮かぶことに乗っかる方が、対話としては絶対上手くいく、ということが改めてわかった。それは、原稿であれ、講義やゼミや研修であれ、あるいは家族や色々な人との対話であれ、同じである。そして、その時に、「いま・ここ」で考える前に浮かんだりイメージできる直観をまずは言語化してみて、それを後から論理づけていった方がうまくいく。実際、僕が大御所にディスられた時も、的外れだったからではなく、「あまりにもビンゴな話をしてしまった」こそ、潰されたのである。しかもその大御所は、こないだも若手をコテンパンにする書評を書いておられたので、はっきりわかった。僕が悪いんじゃない。もうそろそろ、ネガティブな記憶を書き換えても良い頃だ。

そして、大人になってから「生意気だ」という理由で、何度もハラスメントを受け、そういうハラスメントを受けないためには、直観に蓋をして、世間に迎合的になり、世間の幅や枠内に合わせた方が身のためだ、と思い込んできた。でも、それはある種のトラウマである。確かに20代までは、自分の直観に奢り高ぶり、増長になっていたのは事実だ。だからこそ、それは反省した方がよい。でも、だからといって、その直観をしまい込んだり、なかったことにしてしまったら、自分自身のあり様すら、矮小化されてしまう。それは嫌だ。

あと3年で50代を迎えるにあたり、そろそろ迎合的に、矮小化させた魂で生きるのはもう止めよう。「いま・ここ」で浮かぶことに誠実に生きよう。それが、暗中模索な日々の中で確信に変わってきたことであり、対話や授業、あるいは文章を書くことを通じても実感してきたこであり、来年以後、もっと自由に生きるためにも、自分の軸の根幹に置きたいことである。そして、それを気づかせてくれたのは、やはり娘だった。

3,娘という教師

娘は、忖度しない。空気を読まない。でも、そろそろ親の顔色を見始めている。そして、親の言うことを聞いてくれない時、だいたいぼく自身の関わり方のまずさが、反映している。本当に思い通りにならない相手である。

その相手と付き合って、もうじき5年になる。でも、ぼく自身が鍛えられてきたのは、そのような想定内=思い通りのパターンに安住できずに、常に自分のアプローチを振りかえり、これで良かったのか、とリフレクションさせてくれるのは、娘の力だった。そして、自分が変われば、娘との関係性が変わってくることも、何度も何度も経験している。すると、40代後半の今からでも、学び続け、変わり続けることで、娘とよりよい関係が生み出される。そういう事を僕にコーチングしてくれるのが、娘という教師の存在である。

だからこそ、父親の僕は、敢えて今までの慣れ親しんだ「勝ちパターン」を捨てて、暗中模索にこぎ出してみることが出来た。娘が直観を頼りにズンズスン進んでいくのを目の当たりにして、父ちゃんも、倉庫にしまい込んでホコリがかぶっていた直観を再びおずおずと使い始めた。ぼくが娘に教えるのではない。その真逆で、娘という存在と関わる中で、僕が娘から学び続け、変わるきっかけを与えてもらい続けているのである。なんという、有り難いことだ。

子育てとは親の育ち直し、というのは、本当にぼく自身にあてはまる。娘との相互作用を通じて、娘という鏡を通じて、己の強みも弱さも、明らかになる。そして、大声を出したり怒鳴ったり怒ったりするとき、娘が本当に危険な行為をしているから、というのは1割以下で、大半の場合は「親の思うように動いてくれないから」という己のエゴの極悪な姿を見せつけられたとき、それを自分事として受け止めないから、抑圧しようとして怒鳴って、娘のせいにして誤魔化しているのである。

それは、いやだ!

だからこそ、僕は娘からのコーチングを受けながら、娘も抑圧したくないし、自分も抑圧しないように、もっと直観を大切にしながら、自由に生きていきたいと思う。それが、この暗中模索の期間に気づいた最大の発見のような気がする。

【番外編:「言語化の達人」】

で、番外編なのは、こないだやった振り返り会で教わった「beの肩書き」について。それは、自分ではごく自然に出来ているけど、他人から見たら簡単に出来ているではない、ということが、その人の有り様を表している、という意味。

その話を聞いた「いま・ここ」で浮かんだのが、「言語化の達人」だった。とはいっても、美しい文章を繰り出す達人、という訳でない。そうではなくて、対話をしている時に、相手がモヤモヤ言葉を探している時に、「それってこういうことではありませんか?」とおたずねしてみると、「そうそう、それが言いたかったの!」と言われることが、実はしょっちゅうある。というか、僕の所に「ご相談があります」と持ち込まれる案件の大半は、そういう言語化がなされておらず、関係者がどうやったらよいのか、を解きほぐしかねている案件。その時に、僕はずっとお話を聞きながら、わからないことを質問しながら、要点を探り当てた上で、「それって、こういうことではないですか?」とおたずねしてみる。すると、「実はそうなんです」から始まって、相談の表面上の主訴とは違う、本当に解決すべきだけれど向き合いたくないからと置き去りにされてきた課題が浮かび上がってくる。そういう案件は、一度表面化されると、あとはご本人達が勝手に解決していく。

そういうものを探るときも、こっちが既存の枠組みや知識にあてまめるのではなく、じっくり聞いた上で、「いま・ここ」で感じる事を相手に投げかけ、相手の言葉を引き出し、さらにこちらの直観で思うことを伝え、というやりとりを深めるうちに、コツンと井戸の蓋にあたり、そこから、抑圧していた何かが吹き出してくるのである。そういう意味で、「ご本人も抑圧してしまいこんでいたけど、本当はそろそろ探り当てたいと思っているモヤモヤを、一緒に探りながら、言語化して顕在化させるアシスト」が僕には得意なのかも知れない。なんのこっちゃわからない表現かもしれないけど、最近そういう対話を結構楽しんでいたりする。

というわけで、暗中模索と表現出来た時点で、そろそろその時期を脱し始めているようなので、来年はさらにオモロク、じんわり楽しんでいこうと思います。

みなさま、よいお年をお迎えください。