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密画と略画の重ね描き

「正しさ」を疑うことは、簡単なことではない。
特に、自らが寄って立つ基準にしている「正しさ」、以前から空気のように当たり前に思っている「正しさ」。それらが、「もしかしたら違うかも知れない」と言われると、自らの土台が崩されるようで、「ほんまかいな!」「そんなはずはない!」と絶叫したくなる。
例えば、311や原発災害の後、言われているのは、「科学万能主義」への大いなる懐疑である。「専門家」と称する人が、原発災害について、それこそ全く違うことを言っている。それぞれが根拠とする数値や「科学性」を根拠に、「安全」「危険」など異なる価値表明をしている。その価値表明に、一喜一憂しながらも、本来「唯一の正解」を出せる「はず」と思っていた科学者達が、現実に対してこうも違う見解を述べる事に、大きな違和感を感じている。
その中で、哲学者の大森荘蔵の言う「科学は常識に密着したより詳しいお話」という考え方をヒントに、生命誌研究家の中村桂子さんは、「まずは一人一人が『自分は生き物である』という感覚をもつこと」の重要性と、そこから近代科学を問い直す論考を提示してくれいる。
中村さんは、大森荘蔵の「略画」と「密画」を、「常識」を問い直すキーワードとして提示している。
「日常、自分の眼で物を見、耳で音を聞き、手で触れ、舌で味わうという形で外界と接している時に私たちが描く世界像を、大森は『略画的』と呼びます。(略)それに対して、近代科学が生まれたことにより可能になった世界の描き方を、大森は『密画的』と呼んでいます。『密画』は、(略)ここでは可能な限り最小の単位まで還元し、分析的にものを見ていく見方を指しています。基本的に科学は密画を描くものであり、世界を密画化していく、というのが大森の考え方です。」(中村桂子『科学者が人間であること』岩波新書、p98)
これはすごくよくわかる二分法である。日常的には、僕たちは「略画」の世界で生きている。そこでは好き・嫌いや五感が大切にされる、はずである。だが、一方で、僕たちは近代科学の「密画」世界も徹底的に「学習」して、それを常識(=略画世界)の中に取り込んできた。賞味期限とか、平均体重とか、正常値の範囲内とか、そのような数値化・標準化可能な「分析的」な「密画」のデータを、日々の生活(=「略画」)の世界に取り込んできた。テレビでも毎日、そんな「密画」を紹介したり、それを取り込むバラエティ番組や情報番組で溢れている。その中で、ある価値転倒が生じている、と中村さんは指摘する。
「重要なことは、『科学的』だからといって、密画の方が略画よ『上』なわけでも、密画さえ描ければ自然の姿が描けるわけでもないということです。密画を描こうとする時に、略画的世界観を忘れないことが大切なのです。」(同上、p109)
これは、科学(=「密画」)を万能と捉え、何でも科学で説明出来るはずである、というある種の「科学信仰」と、その裏表の関係として、科学を否定し科学を敵と見なす「略画信仰」の双方に対する批判である。つまり、密画と略画は、どちらが優れている訳でも、どちらか「だけ」が大切な訳でもない。その両方が併存する中で、初めて人間理解が進み、より良い暮らしへのヒントも得られる、という視点である。これは、「密画」(=科学)万能主義を唱える機械論的世界観が、人間を「死物化」したことへの批判でもあり、その一方で、人間的復権を求める「略画」万能主義は、近代科学が成し遂げた「より詳しいお話」を全否定するという意味で、蒙昧にならないか、という指摘である。
では、どうすればいいのか? その時に大切なのが、「重ね描き」である、という。
「科学で『知る』ことによって自然を全て理解することはできないとしても、それは大きな問題ではありません。科学の役割は、密画を略画に重ね合わせることえで、自然(人間・生命を含む)のわかり方がより豊かになることを楽しめるようにすることなのですから。密画と略画を重ねて見えてくる全体像をもとに、自然・生命・人間について考える世界観を、機械論的世界観に対して、『生命論的世界観』と呼ぶことにします。これは人間が本来持っている略画的世界観に近いもの、というよりそれと同じと言ってもよいと思うのですが、ここに密画を重ねることを拒まないという新しい視点を入れます。」(同上、p138-139)]
ふだん生命論とか自然科学系の本をあまり読まない僕なのだが、この部分の記述を読んで、「ああ、そうだよなぁ」と深く納得した。そして、これは前回のブログの最後で書いた部分と重なる、と感じている。ちょっと、引用してみたい。
「僕が書いていることは、一見すると論理に飛躍があり、非科学的に見えるかもしれない。でも、そのパンを美味しいという人がいて、その支援で助かったという人がいるならば、その「目に見えない(=非線形的)」理由に基づいていても、「目に見える結果」を重視すべきではないか。科学を否定するのではない。科学のみが万能である、という科学万能主義のパラダイムこそ疑い、「美味しいパン」「満足できる支援」という成果を徹底的に追求すべきではないか。」
「腐る経済」に基づいて、天然酵母に基づく美味しいパン作りをしているタルマーリーさんの実践と、入院しかないと言われていた重度精神障害者を訪問支援チームで支え続けているACT-K。この双方の実践は、「密画」的世界の限界を、ある種、超えている。
「『腐らない』食べものが、『食』の値段を下げ、『職』をも安くする。さらに、『安い食』は『食』の安全の犠牲の上に、『使用価値』を偽装して、『食』のつくり手から技術や尊厳をも奪っていく。」
これが、「腐らない経済」=近代資本主義経済の基本だった。そしてそこには、計量経済学や様々な密画的な技法が駆使され、べらぼうな額の「腐らない」金銭取引が日夜続いている。それが利潤と貧困を大きくしてもいる。だが、タルマーリーさんの実践は、その「腐らない経済」を否定するのではない。「密画」世界の中で成立した「どんな山奥から東京までも1日でパンが運べる」ロジスティックや、山奥の店でもインターネットで全世界に発信できる通信網などのお陰で、タルマーリーさんのファンは増えてい
る。同じように、ACT-Kだって、薬物治療を否定する「反精神医学」ではない。そうではなくて、投薬による治療をチーム医療の方法論の一つと捉え、それ以外の「寄り添う支援(=「ひとぐすり」的なサポート)を展開する事で、幻覚や妄想に苦しんだり、医療中断で症状が悪化した人を、強制入院という非人道的な処遇に戻さず、地域の中で支え続ける方法論を見出したのである。
これは「密画」という科学に基づく世界観の否定ではない。そうではなくて、「密画」の限界を知り、「密画」だけで対処出来ない領域を、「略画」の世界でカバーする「重ね描き」をする中で、ほんまもんの「おいしさ」「満足できる支援」を作り出す、というシステムなのである。「密画」のみを「信仰」するならば、「菌を豊かに育てるためには新築よりも古民家の方がいい」「悪霊に苦しんでいる当事者には一緒にお札を貼ってみる」という行為や発言は、「密画」の外にある世界観故に、「非科学的だ」と一笑に付されることも少なくない。だが、それはあくまでも「密画」以外の世界を「ない」とする、一つの信仰である。「密画」世界に「のみ」拘泥せず、密画と略画を「重ね描き」する実践を通じて、現にそれで「おいしい」「満足できる支援」が展開されているのに、それを標準値から逸脱した「例外的事象」と割り切ってしまう考え方こそ、「非科学的」とは言えないだろうか。
「科学は常識に密着したより詳しいお話」というスタンスに立ち戻るなら、その「より詳しいお話」には様々なバリエーションがありうるということ、そして「詳しいお話」だって、軌道修正が必要なことがあること、密画と略画の重ね描きが双方の「お話」の世界観をより豊穣にしてくれる可能性があること・・・これらの「生命論的世界観」こそが重要視されているような気がする。そして、自然科学を社会科学と言い換えるなら、「密画」の絶対信仰からの脱却としての現象学的還元は、拙著『枠組み外しの旅』の重要なテーマでもあった、ということを、最後に付け加えておく。

「腐る経済」と本人中心支援の共通点

ここ一ヶ月、落ち着いてブログ更新が出来なかった。先週末、新刊の『権利擁護が支援を変える』も上梓され、やっと一息付ける。で、今日のテーマは昨日の朝、京都駅の本屋で買い求め、甲府に帰り着く間に一気に読み終えた一冊から。

「『腐らない』食べものが、『食』の値段を下げ、『職』をも安くする。さらに、『安い食』は『食』の安全の犠牲の上に、『使用価値』を偽装して、『食』のつくり手から技術や尊厳をも奪っていく。(略) そしてもういひとつ。時間による変化の摂理から外れたものがある。それが、おカネだ。おカネは、時間が経っても土へと還らない。いわば、永遠に『腐らない』。それどころか、投資によって得られる『利潤』や、おカネの貸し借り(金融)による利子によって、どこまでも増えていく性質さえある。これ、よく考えてみるとおかしくないだろうか? この『腐らない』おカネが、資本主義のおかしさをつくりだしているということが、僕がこの本で言いたいことの半分を占めている。」(渡邉格著『田舎のパン屋が見つけた「腐る経済」』 講談社 p74)
渡邉さんは、岡山の勝山で「タルマーリー」というパン屋を営むご主人。経営理念に「利潤を出さないこと」を掲げ、辺境革命を冒頭では宣言している。その革命の原動力が、表題の「腐る経済」だと言う。食の偽装が次々と暴露される昨今、マルクスの資本論も引きながら彼が整理する、「腐らない」食べものの問題点についての指摘は、実にアクチュアルである。そしてそれは、彼がイースト菌や偽装された天然酵母と決別し、ほんまもんの発酵や菌と出会う過程の中で気づかれた、現場からの叡智である。そして、ほんまもんの天然菌に基づく酒種パンを作り上げるためには、菌を変えるだけでなく、菌に馴染みやすい地元の自然栽培の麦や美味しい水が不可欠であることや、そのような「菌の声」に基づく「菌本位制」のパン作りをするならば、安く大量に作るという「腐らない経済」とは決別し、「パンを正しく高く売る」必要がある、という。
この「菌本位制」の「腐る経済」の話はめちゃくちゃ面白いので、ご興味がある人は是非とも手にとって読んでほしいのだが、僕はこの本を読みながら、僕自身が考えてきた「支援」の世界にも共通する話だ、と興奮していた。
それは、「腐らない経済」が障害の「医学モデル」に代表される科学万能主義に、そして「腐る経済」が「関係性」と「生命現象」を重視する、障害の「社会モデル」やナラティブ世界と通底している、と感じ始めているからである。ちょっと整理してみよう。
近代科学やそれを内包した20世紀型の「医学モデル」は、線形的な因果関係を重視してきた。AならばB、という時、Aが原因でBが結果、というモデルである。そして、その流れは標準化可能であり、ゆえに画一化と効率化の対象にもなる。ベルトコンベアー式労働とは、手工業の複雑なプロセスをできる限り因数分解し、原因と結果という細かい線形のパッケージに組み立て直し、各部分のみを分担する分業制を徹底化させる中で、職人の熟練を、未熟練の単純作業に分割した。その上で、それは機械労働や低賃金国での単純労働にどんどん置き換わっていく。「安く」「大量に」というこの高度消費社会のメカニズムの中で、生産者の尊厳はどんどん劣化していく。渡邉さんの先の発言の「食」を「モノ」に置き換えると、こんな風にもいえる。
「『腐らない』モノが、『モノ』の値段を下げ、『職』をも安くする。さらに、『安いモノ』は『モノ』の安全の犠牲の上に、『使用価値』を偽装して、『モノ』のつくり手から技術や尊厳をも奪っていく。」
食品偽装の前には建築偽装など、日本人は勤勉で生真面目、と言われて、もの作りニッポン、なんて言われた時代も凋落しつつあるが、その背後には、大量生産や大量消費を煽り、「腐らない」おカネ(=利潤)を大量に生み出すことを目的にした、「腐らない経済」の弊害があるのではないか、と渡邉さんも指摘する。
そして、実はこの問題は支援パラダイムの根幹にもある。
例えば入所施設や精神科病院に長期に社会的に入院・入所させられている障害者が何十万人といる。そのような、入所施設や精神科病院という、全生活を一元的に支配・管理するような施設のことを、アメリカのゴフマンという社会学者は「全制的施設 (total institution)」と名付けた。そこでは、集団管理と一括処遇がパッケージとして行われ、少人数の支援者で大人数の入居者を「効率的」に「処理」することが求められている。全ては施設の「決まり」と「タイムスケジュール」の中で進み、寝起きの時間や食事の時間もそのスケジュールに従わねばならない。この「支配的支援」は、いくらよい支援者がそこで働いていても、抑圧的な施設構造そのものの問題であり、その抑圧的構造そのものを問題視しないと、問題は解決されない。(その辺りの詳しいことは、『権利擁護が支援を変える』でも議論した。)
で、この「全制的施設」での画一化・効率化・標準化されたケアとは、まさに「腐らない経済」の論理そのもの、なのである。そして、問題は、支援とは本来、生きている人(=つまりいつかは「腐る」存在になる人)を対象にしている。「腐らない」モデルは、時間による変化を想定しないモデルである。標準化も画一化も、時間による変化を考慮に入れないからこそ、考えられる視点だ。だが、人間は、発達や成長、老化や病気など、様々な要因で、日々刻々と変化する存在である。つまり「死に至る」(=少しずつ劣化していき、いつかは「腐る」)存在なのだ。ただ、その劣化の仕方は、人それぞれで違う、だけでなく、その人がどのような関わりをするか、でも大きく変わる。近代科学は再現性と線形性を大切にしてきたが、実はパンでも人でも、「腐りゆく存在」と考えれば、そこに見過ごされているのが、「関係性」と「生命現象」という視点である。
実はこの「関係性」と「生命現象」とは、臨床心理学者の河合隼雄氏が、脳科学者の茂木健一郎氏との対談の中で語った内容である。
「近代科学は、ご存じのように、関係性を絶って、客観的に研究する。しかし、われわれのほうは関係性がなかったら、絶対、話にならない。だから、その関係のあり方をすごく大事にしていく。それから生命現象というものは、
物理の力学のように、これだけ質量があって、位置がこうで、というふうに定義できないんですね。また物理は、目で見えていること以外のことを絶対扱わない。しかも、ほかにどんな可能性があるか、それに気づこうとしない。それに気がついて、そこに注目して、ユングなんかはやったわけですね。」(河合隼雄・茂木健一郎『こころと脳の対話』新潮文庫、p16)
医学的に説明がつかないけれども、治癒する、ということがある。これは、線型モデルの中では説明がまだ出来ないけれど、現象として変化が生じている、ということである。「目で見えていること以外」をも認めるかどうか、というパラダイムが問われている。タルマーリーでは、毎日菌と対話しながら、作り方の条件を変え、菌が喜ぶようにパン作りしている、という。これは、明らかに数式や標準化という「目で見える」以外の事を扱っている。でも、そこから美味しいパンが出来るなら、タルマーリーの皆さんは、菌とよい「関係性」を保ち、その関わりの中から聞こえてくる変化に合わせて作るプロセスを変化させる中で、一回性の生命現象として、「今日のパン」を作り続けている、とは言えないだろうか。そして、それこそが「腐る経済」であり、「腐る」という「生命現象」を持つパンだからこそ、「腐らない」、規格化と標準化されたパンとは違う本気の味わいがあるのかもしれない。
で、今日はもう少しだけ続けたいのだが、この「関係性」と「生命現象」を重視した「腐る経済」の論理は、支援においても必要不可欠だ、というのが、今日一番伝えたいことだ。それを実感したのは、精神科病院にずっと社会的入院を続けているような、「重度」と言われた精神障害のある人を、地域で支え続けているACT-K(集中的地域支援)のチーム支援の本に、まさにそれと合い通じる内容を見つけたからである。
「急性期状態が過ぎると、1日1回1時間程度の定期訪問に少しずつ戻していった。『玄関から悪霊が入ってくる』との訴えには、本人と相談し神社のお札を玄関に貼り、大きな杉の木の棒で玄関を固定し、中からでしか開けられないように工夫を凝らした。その工夫が功を奏したのか安心感が徐々に出てこられ、幼少期にいじめにあい不登校でほとんど勉強していないことや、勉強したいことなど自分自身のことや希望を話すようになった。」(高木俊介監修、福山敦子・岡田愛編『精神障がい者地域包括ケアのすすめ』批評社、p64)
『玄関から悪霊が入ってくる』というのは、普通の人にとっては明らかに「目で見えていること以外」のことであり、再現性や標準化不能なことである。近代科学はそれに「幻覚・妄想」というラベルを貼って標準化し、それに薬物治療という対処療法を当てはめて、対応しようとした。もちろん投薬でその状態が治まるならば、それでよい。でも、この例に出てきたカズマサさん(仮名)の場合、そのような投薬では全く治まらないどころか、幻覚や妄想で様々なトラブルを起こし続け、強制入院と退院を30年繰り返して来た人である、という。
このような悪循環の増幅作用を何とか阻止し、好循環に変える為に支援チームがとった戦略。それが、一見すると「非科学的」に見える、「お札を玄関に貼る」「玄関の戸締まりを強化する」という戦略だった。それは、標準化された科学の枠を明らかにはみ出している。だが、ACT-Kの支援チームは、本人の『玄関から悪霊が入ってくる』という訴えを、幻覚や妄想と切り捨てず、それにより「困っている」という生命現象に着目した。そして、その「悪霊」に苛まれて悪循環プロセスから抜け出せないなら、まずは「悪霊」を一緒に退治する関わりをカズマサさんとし始めた。その関係性の変化の中で、これまで周囲の人を全て敵だと思っていたカズマサさんが、初めて自らの困り事や本音を語り出す、という形で、カズマサさんを巡る生命現象が、固着状態から開き始め、動き始めたのである。それによって、精神科病院という「全制的施設」での標準化されたケアでは治癒不能だったカズマサさんに、安心感が生まれ、「地域で安心して生活できる」状態を少しずつ取り戻しつつある、という。これこそが、科学中心主義ではなく、本人中心型の支援の醍醐味だ。
さて、ここから何が言えるのだろうか。
渡邉さんがタルマーリーで挑戦し続けているのは、「菌」の声を聞き、菌が喜ぶような素材を選び、素材を活かしながら(素材との関係性を深めながら)、日々刻々と変わる条件を加味して、パンという生命現象を作り上げている姿であった。一方、ACT-Kのチーム支援とは、支援対象者の声に基づき、一見すると科学の範囲の外であっても本人の声に寄り添う中で当事者との関係性を深め、その中でご本人の「強み」や「想い・願い」を活かした支援を展開し、ご本人の生活状況を向上させる支援を展開しているのだった。どちらも、「腐る経済」という視点で考えると、一期一会の関係性を重視し、作り手と素材、支援者と対象者を切り分けず、関わり合い、相互変容を行う中で、酒種パンや地域生活支援という生命現象を作り上げてきた、とは言えないだろうか。
僕が書いていることは、一見すると論理に飛躍があり、非科学的に見えるかもしれない。でも、そのパンを美味しいという人がいて、その支援で助かったという人がいるならば、その「目に見えない(=非線形的)」理由に基づいていても、「目に見える結果」を重視すべきではないか。科学を否定するのではない。科学のみが万能である、という科学万能主義のパラダイムこそ疑い、「美味しいパン」「満足できる支援」という成果を徹底的に追求すべきではないか。それこそが、ベルトコンベア的な生産や支援が見失った「職人魂」、なのではないだろうか。つまり、「腐る経済」とは、21世紀型の「職人魂」の全人的復権、とは言えないだろうか。
そんな「妄想」が昨日から頭の中をグルグル巡っている。

『権利擁護が支援を変える』一部公開

いよいよ明日、11月8日が、僕の二冊目の単著、『権利擁護が支援を変える』(現代書館)の発売日である。今回は税込み2100円に抑えて頂いたが、それでも2000円超えとは、決して安くない金額。そこで、出版社とも話し合った上で、前著と同じように、本書の冒頭を「立ち読み」出来るようにしました。お読み頂いた上で、よかったら、ご購入頂くか、図書館にリクエストしてくださいませ。では、どうぞ。

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この本は、私がこれまで権利擁護について考え続けてきた内容をまとめた論考である。序章では、本書全体を貫く総括的な(マクロの)視点を描こうとしている。だが、とりかかりは私の経験という個人的な(ミクロの)視点から始めたい。
小学五、六年生の頃、私が通っていた地元の小学校では、クラス全体で「いじめ」がしていた。私は実家のマンション11階の手すりから身を乗り出して、「ここから飛び降りたら死ねるんだなぁ」とぼんやり考えていた。
当時、いじめっ子の番長が、クラス内の他の目立つ人間を次々に標的にしていじめを開始し、ついには担任の先生をクラスから追い出すほど、私のクラスは荒れていた。私自身は、幼なじみのAくんがいじめの標的になり、その子の友人という理由で無視されていた。あの二年間の記憶は、先述の飛び降り願望を除けば、今ではごっそり欠落している。だが、断片的に強烈に覚えている光景がある。それは、「いじめられる側」から「いじめる側」への「大転換」が起こったときのことである。
ことの発端は、一緒にいじめられていた親友Bくんの一言だった。「僕たちが本物の標的ではない」。転校生だったBくんは、いじめの構造を見抜き、本当の標的と、その標的の周辺領域ゆえにいじめられている層を、冷静に分析していた。そして、ある日の放課後、いじめる側の周辺領域(いじめる側のある種の”最下層”)にいた比較的気弱なCくんと、いじめられていた私とBくんの三人だけが教室にいたとき、BくんはCくんに話しかけた。
「あのさあ、あんたは、ほんまは僕らをいじめる気持ちはないやろ? ○○に言われて、仕方なしにいじめに加わって僕らを無視してるのやろ?」
私は、クラス内の暗黙の「裏ルール」を破る事態のに、「そんなことをすれば何をされるかわからない」と戦々恐々だった。恐らくそれは話しかけられたCくんも同じだったのだろう。でも、気にせず話しかけるBくんに対して、Cくんはおずおずと頷き、話し始める。その瞬間、「いじめられる側」の周辺領域にいたBくんと僕は、「いじめる側」の周辺領域へと、立ち位置が変わり始めた。以後、僕はAくんを避けるようになり、「いじめる側」の級友とよく話すようになった。結果的にAくんへのいじめに加担してしまったのだ。
その後、このいじめは、小学校卒業と同時に終わった。教育委員会がこのクラスを相当問題視していたようで、私も含めたほとんどの級友が進学した地元公立中学では、私のクラスの子どもたちだけが、周到に一四クラスに振り分けられた。以後、いじめられる経験は私にはなかったが、Aくんとはその後も疎遠になってしまったままだ。
なぜ、このような個人的な内容からスタートしたのか。それは、私が権利擁護の問題に関わるきっかけが、この問題に詰まっているからである。いじめという「差別」や「排除」は、いじめられる側からすると、圧倒的な抑圧・統制の下に置かれる事態である。今から考えれば「そんなことくらいで」と笑えるが、「その世界しか知らない」当時の私は、いつまで続くかわからない抑圧的事態に嫌気がさし、その当時は漠然と「死」も考えていた。「客観的」に見れば、私自身の被害は「無視されること」くらいだったので、ひどい被害とは言えない。小学校卒業までのたった二年間だから、まだ「まし」だった、と。しかし、当時の私自身の主観の中では、全く見えない将来に絶望していた。
しかも、その後の「いじめられる」側から「いじめる」側への構造転換を経験して、世間や集団の「境界」と言われるものの不透明さ、曖昧さを実体験する。いじめられる側だった時に圧倒的な抑圧性をもっていた「壁」が、実は自分自身を内的にしていた規範(いじめというゲームのルール)の内在化であること、そしてそれを外在化することで、「いじめられる」構造の外に出ることは不可能ではないことも実感した。裏を返せば、「いじめる側」もいつかは「いじめられる側」に追いやられる可能性がある、ということだ。だから、級友で傍観者は一人もおらず、みな必死になって「いじめ」行為に荷担していた。
私が体験したこの「いじめの構造」は、権利擁護の課題と密接に結びついている。まず、「社会的弱者」と言われる人は、多数派にとっても「他人事」ではない。ある日、気づいたら自分がごく当たり前の「したいこと」「嫌なこと」を口にできない状況に構造的に追い込まれる可能性がある、という意味で、極めて「自分事」であるということだ。その上で、「社会的弱者」が自らの持つ力に気づき/気づかされると、その呪縛的構造から飛び出すことも可能である、という点は、第一章で述べるセルフアドボカシーやエンパワメントの考え方とも共通する。ただ、私のように呪縛的構造を内在化した人間が一人でその構造に立ち向かうのは大変なので、同じ経験をした仲間や支援者から支援されないと抜け出せない、権利擁護の課題でもある。そして、「いじめの構造」はクラス替えという組織的関与で終らせることが可能だった。ということは、組織や社会構造的な権利擁護の課題もある、とも言える。つまり、ミクロの(微視的な)「いじめ」問題も、マクロの(巨視的な)課題とつながっており、それら全体を権利擁護の課題として焦点化することで、「死ぬことばかり考えている」状態に構造的に追い込まれた人を支え、救うことも不可能ではないのである。そんな「枠組み外し」の方法論を展開したい。
本書では、権利擁護の構造や方法論をひも解くなかで、絶望的な苦悩に追い込まれた人びとに寄り添い、その構造転換を支援
する具体的な方法論を示したい、と考えている。その具体例に入る前に、まず「構造転換」とは何か、に関する二つの方法論を考えたい。一つは、アサーティブネス(自己主張・自己表現)や権利の自覚と呼ばれる、内在的論理の変更の方法論であり、もう一つは、社会や環境側の転換であり、後述するノーマライゼーションの原理が目指したものでもある。前者が心理的な抑圧について、後者が社会構造的抑圧について、それぞれ主題化している。
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権利擁護が支援を変える*目次
序章 権利擁護が支援を変える
第一章  セルフアドボカシー論
  一 セルフアドボカシーから始まる権利擁護──方法論の自己目的化を防ぐために――
  二 相談支援と権利擁護──カリフォルニア州と日本のピア・セルフアドボカシー――
  三 当事者研究とセルフアドボカシー
第二章 セルフアドボカシーから権利擁護まで――アメリカにおける権利擁護機関・アドボカシー実践――
  一 個別事例から法改正にまで取り組む公的権利擁護機関
  二  強制入院時における「患者の権利擁護者」の役割--真の「代弁者」役割とは--
  三 障害児教育の現場における隔離・拘束
  四 権利擁護の四つの側面
第三章 日本における先駆的実践――精神医療の「扉よひらけ」――
  一 「入院患者の声」による捉え直し――精神科医療と権利擁護――
  二 NPOのアドボカシー機能の「小さな制度」化とその課題――精神医療分野のNPOの事例分析をもとに――
終 章

コミュニティを変える社会起業家精神

このブログは、前回書いた「出来る一つの方法論を徹底的に考える」「あるもの探し」としての、コミュニティ・ワーク論の続きでもある。そこに、社会起業家という補助線を引くと、かなり展望が開けてくるのではないか、というお話。

社会起業家というと、市場を通じて社会を変える取組み、と認識している人も少なくない、と思う。だが、必ずしも市場を使うかどうか、が社会起業家の条件ではない。むしろ、解決すべき課題(目的)を何とかするための方法論の一つとして、ビジネスも有効な手段の一つだ、という認識である。もちろん、ビジネスではない、教育や福祉などの制度、地域の人々のボランタリーな活動を手段として、その目的が達成される場合もある。あるいは、ビジネスの力と、制度やボランタリーな活動を組み合わせて解決する場合もある。
僕自身は以前、スウェーデンのベンクト・ニィリエは、「重度障害者は入所施設や精神病院しかない」という社会の思い込みを壊し、「ノーマライゼーションの原理」という形で支援の新たな形態を作り上げ、世界中で脱施設・脱精神病院の動きを広めた社会起業家だという論文を書いたことがある。あるいは、システムの限界・壁を越える社会起業家の創造プロセスをU理論や魂の脱植民地化との関連で論じたこともある。これらの一部は、『枠組み外しの旅-「個性化」が変える福祉社会』という単著の中にも組み入れた。
この本を上梓してはやもう1年、今月末には二冊目の単著『権利擁護が支援を変える-セルフアドボカシーから虐待防止まで』(現代書館)が出ることになった。前著が理論編だとしたら、後者はその実践編とも言える本であり、この10年間、追いかけてきたことをある程度この二冊で形に出来た。(今回の本の内容は、発売日近くになったら、またアップします)。
で、二冊目の本も校了し、最近またインプットモードに戻りつつある。その中で、改めて「枠組み外し」が、社会起業家やコミュニティ・ワークと強く関連付いている、と再確認させてくれる本と出会った。
「社会起業家たちは、単なる対処療法ではなく、根底にある問題を解決するヒントとなる、社会的なパターンを見出そうとしている。問題を生み、長引かせているそもそもの社会システムとは何かを理解しなければならない。必要であれば構造そのものをかえようとするだろう。そうしなければ、強いインパクトを伴った持続的な変化は起こせないからだ。このように、物事の上流に目を向けて問題のおおもとに対処しようとするアプローチは、下流を見て出てきた問題に応急処置を施そうとするよりも、はるかに持続的な効果をもたらす。」(ビバリー・シュワルツ『静かなるイノベーション』英治出版、p28-29)
実はこの本の原著『Rippling』も1年前に買っていたのだが(密林ではご丁寧に「2012年3月30日に注文しました」と出てきた)、この1年半は二冊の本を出すのに必死で、洋書はほとんど積ん読だった。己の不勉強ぶりがお恥ずかしいのだが、でも良い本が時間をおかずに翻訳される日本の翻訳書環境は本当に有り難い限りだ。で、この本は翻訳も実に読みやすい素敵な本で、昨日の東京出張で読み出したら止まらず、一気に読み終えてしまった。
そして、「単なる対処療法ではなく、根底にある問題を解決するヒントとなる、社会的なパターンを見出そうとしている」という表現から、ノーマライゼーションの原理だけでなく、僕が博論で見つけ、『枠組み外しの旅』でも触れた「5つのステップ」だって、ある種の社会的なパターンだな、と思い始めている。で、去年あたりから、この「5つのステップ」が、コミュニティ・ソーシャルワークと繋がっていると感じ始め、その関係性もブログでぼつぼつ考えていた。そんな中、このシュワルツさんの本を読んで、見事にピースがはまった感覚を持ち始めた。
シュワルツさんが関わる、世界中の社会起業家のネットワーク、アショカ財団は、システム変革に向けたアプローチを、次の5つに整理している。
アプローチ1,時代遅れの考え方をつくりかえる
アプローチ2,市場の力学を変える
アプローチ3,市場の力で社会的価値をつくる
アプローチ4,完全な市民権を追求する
アプローチ5,共感力を育む
この本は、それぞれのアプローチに取り組む代表的な社会起業家を合計18人取り上げ、彼ら彼女らの取組が、どう個人や組織、地域や社会を変えてきたのか、を魅力的に描き出している。
そして、この5つのアプローチは、最近僕がぼんやり考えてきた、コミュニティ・ソーシャルワークからコミュニティ・ワークへと向かう上で、重要な補助線である、と染みこんできた。
たとえば、前回のブログで紹介した「フラノマルシェ」や「里山民主主義」は、アプローチ2や3から取り組むやり方である。でも、過疎化していく状況を逆手に取り、「出来る一つの方法論を徹底的に考える」「あるもの探し」の姿勢は、市場に関与する局面だけで求められているわけではない。「福祉は行政からのお恵み」、だから与えられる側は黙って従え、という支配-服従の論理の問題性は、前著でもこの10月末出る新著でもずっと考え続けてきたことだし、それは「時代遅れの考え方をつくりかえる」こと、そのものである。そして、僕自身が気になるのは、精神科病院や入所施設に長期社会的入院を続けている人、強度行動障害や重症心身障害、ゴミ屋敷や問題行動とラベルが貼られている人々のことである。そういう状態の人に「困難事例」とラベルがつくと、いつの間にか「完全な市民権を追求する」ことが本人に出来なくなるばかりか、その人々を支える支援者も、ましてや周辺住民も、「共感力」を失って、「迷惑な存在」を排除しようというベクトルが働く。
こういう問題の「個人化」に抗して、社会が解決すべき問題だと捉え、現実的な解決策を模索して歩みを進める社会起業家は、福祉の現場でも沢山求められている。それは、行政が提供するサービスに限界があり、かつ従来の市場の価値とも相反するものだったからだ。だが、例えば日本のモノ作り産業の現状を追いかけ、近年は中山間地の女性起業や六次産業に着目する関満博先生の『地域を豊かにする働き方』(ちくまプリマ-新書)に出てくるのは、被災地で起業家精神を持って、ネットワークの力を借りながら、事業再生を果たしていく人々の姿である。しかも、その事業再生を通じて、地域社会の雇用を護り、活性化の支援をする、という社会的使命を帯びるなら、それは社会起業家そのものである。また、物語としてのコミュニティデザインの側面から、「歓喜咲楽」「私発協働」「対話共有」「軋変可笑」の4つのキーワードを基に場所の持つ物語の可能性を論じて来た延藤安弘先生の『まち再生の術語集』(岩波新書)の議論とも繋がる。
自らが暮らす家、地域、住・自然環境、社会に目を向け、自分自身や地域住民が役割や誇りを持つ(取り戻す)・・・それらを再生させ、つなぎあわせ、新たな魅力を付加する営みが、日本のそこかしこでも同時多発的に生成している。それは、地域福祉に限定したらコミュニティ・ソーシャルワークだが、対象領域に切り分けなかったら、地域活性化としてのコミュニティ・ワークそのものであり、そこには何らかの社会的問題の解決に心血を注ぐ社会起業家やプチ・リーダー達の存在が、少しずつ、だが着実に増え始めているのである。
ただ、少し気になるのは、制度化された福祉領域の中では、地域福祉、なんて言っても、それは事業や制度の枠内でとどまっているのではないか、という疑問である。厚労省は「地域包括ケアシステム」の展開の重要性を語るが、市町村や社協、地域包括支援センターなど法や制度に準拠した機関は、法や制度、事業の枠内で、そのシステム構築を考えるのではないか、という危惧である。本来、地域の再生や、そこに住む人々の役割や誇りのある暮らしの支援、とは、どう考えたって現場発の、ボトムアップ型の考え方のものである、はずだ。だが、国が音頭を取って地域福祉展開を語るとき、どこかで例えば介護保険の要支援サービスの見直しに代表される、「制度内福祉の切り捨て」の側面が見え隠れする。また、手法も、先進事例から抽出化されたパターンを全国に普及しようという努力は一定評価されるべきだけれど、現場の問題からその地域における問題のパターンを見つけ出し、解決する為に先駆的事例のパターンを活用できる社会起業家やプチリーダー的な実践者がいないと、単年度主義の行政的な「事業」の枠組みは乗り越えられない。つまり、トップダウン的な国主導の地域包括ケアシステムと、今回取り上げたシュワルツさんが提示した社会起業家のアプローチには、大きな隔たりがあるのだ。
で、僕自身はどう考えるのか?
僕は、限界集落や中山間地の現実を変えるために、「完全な市民権を追求する」社会起業家がコミュニティ・ワークを志向するのを応援したい、と思い始めている。対象別の福祉、だけでなく、住宅政策や環境政策との壁も乗り越え、営利と非営利の壁も乗り越え、その地域全体を再生させるための方法論を考える社会起業家論=コミュニティ・ワーク論が必要不可欠だ、と感じている。そのために、僕自身が色々な現場を尋ね歩く旅を再開し、そこで見聞きしたことに基づきながら、拙著の表現で言うなら「学びの回路」を開き、「学びの渦」を生起・発展させ、チェンジメーカーと対話を重ねる中で、福祉領域を突き抜けるコミュニティ・ワーカーが増えるために出来ることを考えたい、と願っている。地域福祉実践家が、より広い視野で地域活動に取り組めるための、視点の転換の支援をしたいと思っている。そして、そのためにも、僕自身が、社会起業家精神(social entrepreneurship)をもって、アクションを起こし始めたい、と感じている。
ここ数年は政策的議論を展開してきたけれど、そろそろ、地道にフィールドワークを本格的に再開せねば。他人の批判をする前に、まず自分が動き出さねば。そういう想いで、ふつふつとし始めている。

コミュニティ・ワークに向けて

学会発表というのは、新たな分野にチャレンジするときの「腕試し」の場でもある。最近、気づけば地域福祉やコミュニティ・ソーシャルワークの領域に関わっているので、ここらで少し考えを整理して、その領域のプロ集団の議論にも耐えうるものか、チャレンジしてみよう。そんな気持ちで、数年ぶりに、札幌で開かれた社会福祉学会で発表をしてみた。

その中で、最大の収穫だったのが、コミュニティ・ソーシャルワークとコミュニティ・ワークの違いについて。学者は定義を厳密にする種族なので、「あなたはその二つをどう使い分けていますか?」と、僕の発表後に訊ねられた。そこから、総括討議の時間にも、この二つの違いを巡る議論が展開。実は、感覚的に使い分けているものの、厳密に両者を比較検討したことのない僕自身にとって、冷や汗もののセッションだった。だが、関西の地域福祉の大御所のとある先生が、簡潔明瞭にスパッと言い切る。
「学者間では定義を巡って議論するのも大切だけれど、現場に対しては、研究者が自分なりに定義づけたらよろしいのです。」
なるへそ!
この分野を何となく独学で囓りながら、気づけば越境していた僕自身は、アメリカやイギリスだけでなく、日本の定義も充分に勉強していないし・・・と、おっかなビックリの部分があった。だが、僕は地域福祉「研究の専門家」になりたいわけではない。地域福祉の「課題を解決するお手伝い」をしたいのだ。であれば、現場の人と一緒に使えるわかりやすい定義を作って、もちろん諸研究も勉強し続けながら適宜改変を繰り返し、考え続けていけばいいのだ。であれば、とりあえず僕なりに、こう位置づけてみよう。
コミュニティ・ソーシャルワーク(community social work)・・・地域に関わる福祉的支援。ある地域において、生活上の困難(福祉的課題)を抱えている人びとに寄り添い、その人びとを直接的に支える仕組み作りに関わりながら、その個別課題を「その地域における解決困難事例」として「変換」し、地域住民と課題を共有しながら、その地域課題を解決・予防していく仕組みをも作り上げていく仕事。
コミュニティ・ワーク(community work)・・・地域全体を支える支援。地域の福祉的課題は、単に福祉のみで完結しない。過疎化・少子高齢化・限界集落や障害者の地域自立生活支援、孤独死の問題は、単に共同体の減退のみならず、商店街や地場産業の斜陽、耕作放棄地の課題、里山の崩壊や獣害、公共事業や補助金依存型の産業構造の限界、外国籍やひきこもりの人びとの居場所のなさ、住環境の荒廃・・・など様々な地域の問題と密接に結びついている。それらと地域福祉課題を関連づけ、住民たちが「自分たちの問題だ」と意識化するのを支援する。その上で、住民たちが、より大きな地図の中で、領域を超え、使えるものは何でも使い、地域の中で、様々な課題を有機的に解決するための方策を考え、実践するのを後押しするのが、地域活動としてのコミュニティ・ワークである。
こう整理しながら、明らかに僕自身の志向性は、コミュニティ・ソーシャルワークを超えて、コミュニティ・ワークに向かいつつある、と感じ始めている。福祉の問題は、福祉「だけで」は解決出来ない。福祉の問題を常に一方に置きながら、複眼的に、地域全体の課題を捉え、両者をつなげながら、解決の糸口を見つける。それを通じて、福祉従事者以外の人にも、広く福祉的課題を「自分事」として捉えてもらう。そのためには、まず福祉関係者が福祉以外の地域課題を「自分事」として目を向ける。その円環的な作用としての、コミュニティ・ワーク。
学会発表の内容に引きつけて言うなら、地域の問題や課題を、カリスマ・リーダーと呼ばれる人が解決する図式は、多くの地域福祉や町おこしの現場で、これまで語られてきた。だが、コミュニティ・ワークに求められているのは、特定の一人のリーダーが住民を引っ張る、という図式ではない。ファシリテーターが、住民たちの持つ潜在的能力や可能性を引き出し、多くの住民自身が既存の/新たな役割を担って、みんなが「自分事」として地域課題解決に向けて協働していく。その協働化や住民活動の組織化を、コミュニティ・ワーカーやタウンマネージャーと呼ばれる人が支援する。そういうenabler/facilitatorの機能を担う人材こそ、地域変革に求められているのではないか。そう感じ始めている。
そして、その実感は、この旅で読み終えた二冊の本と共鳴する。
一冊目は、学会前にちょいと休暇で訪れたフラノマルシェ。富良野の名産品が売っているから、というガイドブック情報くらいしか持ち合わせていなかったのだが、白い恋人も六花亭も置かず、富良野のお土産だけを沢山置いているコーナーの一角に置かれていた、『フラノマルシェの奇跡』(西本伸顕著、学芸出版社)。妻がお土産を選んでいる間にパラパラと眺めていたら、「カリスマではない、プチリーダーの存在」という項目が目に飛び込んできた。おおっ!と読んでみると、こんなことが書かれていた。
「金と力のあるカリスマリーダーが、ヒエラルキーの力で周囲を強引に巻き込み、力づくでことを成していくという、ローカルにありがちな構図は富良野には存在しない。それぞれのテーマごとにリーダーの存在があり、参加メンバーの顔ぶれは似通っていても、リーダーとフォロアーの関係はテーマごとに入れ替わるだけで、今日のリーダーが明日のフォロアーという場合も珍しくない。実にフレキシブルかつフラットな人間関係が富良野のまちづくりの特徴だ。しっかりとしたテーマを持った言い出しっぺが、腹を括ってことにあたれば、仲間連中がフォロアーとなって後押しをする。そんなまちづくりの仕組みが暗黙の了解事となっているのだ。私は、こうした数多くの『プチリーダー』の存在が、富良野のまちを健全なまちとして発展させていく上で大きな原動力になっていると考えている。一人のカリスマよりも多数のプチリーダー。富良野の『まち力』の特徴はこんなところにもあるのではないか。」(p124)
「一人のカリスマよりも多数のプチリーダー」の重
要性。これは地域福祉の領域に置き換えても、全く同じ課題である。同じ住民として、お互いの得意・関心分野を活かしながら、「今日のリーダーが明日のフォロアー」という「フレキシブルかつフラットな人間関係」の中で、役割を交換し、お互いの「言い出しっぺ」をみんなで応援していく。それが、カリスマリーダーや行政の補助金に依存していく関係性を脱し、住民ひとりひとりの役割と誇りを生み出すまちづくり、にも通じている。これは、福祉的課題の解決でも、同じロジックで考えられるのではないか、と思いはじめている。そして、このフラノマルシェの産みの親であり、富良野のまちを官民協働で変えてきたお一人である著者の西本さんは、本の最後にこんなフレーズも書いている。
「まちづくりに関わる人間に欠かせないのは『当事者意識』と『やり抜く覚悟』だ」
「まちづくりでつい陥りがちな『ないものねだりの、あるもの無視』という態度をあらため、『あるもの探しのあるもの活かし』に向き合うことこそがまちづくり=まち育てのあるべき姿なのだと思う。」(p212)
「当事者意識」とは、僕が「他人事」から「自分事」へ、と表現していることそのものである。また、「ないものねだり」から「あるもの活かし」とは、僕がよく使う表現で言い換えるならば、「出来ない100の言い訳を考える」段階から、「出来る一つの方法論の探求」への移行である。どちらも拙著『枠組み外しの旅』で考え続けてきたテーマそのものである。
そして、「当事者意識」を持った「あるもの活かし」をメインとしたコミュニティ・ワーク論として、もう一冊の本がつながってくる。
「これまで我々が発達させてきた社会は、様々な立場の個人を分断し、問題ごとに解決策を講じ、お金をかけて解消していくという道筋をたどってきた。老人も、子どもも、働きたいのに子どもを預けられない主婦も、みんな弱者として扱われる。でも、単体では弱者に見える人も、実は他の人の役に立つし、その『お役立ち』は互いにクロスする。クロスすればするほど助かる人が増え、それまで『してもらう負い目』ばかり感じてきた人が『張り合い』に目覚め、元気になっていく。気がついてみれば、孤立していたみんながつながっている。そこには、無縁社会の孤独の中、たったひとりの親の死を隠してまで、その年金にしがみつくといった寒々とした悲壮はない。孤立をなくすために何か対策を講じたのではなく、地域にいる、ハンデほある人たちをどうにか活かすことを考え続け、課題を克服した結果、孤立もなくなっているのだ。しかも、かかるお金は課題ごとに講じる『対策費』より格段に少なくてすむ。」(『里山資本主義』藻谷浩介・NHK広島取材班著、角川書店 p221-222)
老人と知的障害者、児童、生活保護受給者、シングルマザーなど、対象が違うと行政の所轄が違い、「様々な立場の個人を分断し、問題ごとに解決策を講じ、お金をかけて解消していくという道筋」をとってきた。だが、つながりがきれた「単体」としては「弱者」であっても、様々な関わりを取り戻す中で、それぞれの「弱者」の持つ潜在的能力や役割、可能性を発掘する事が出来ないか。そして、そういった多くの人びとの「お役立ち」を「クロス」させ、要支援者という立ち位置に「『してもらう負い目』ばかり感じてきた人が『張り合い』に目覚め、元気になっていく」。これこそ、全人的復権、という意味での地域におけるリハビリテーションそのものである。身体機能の回復、安心・安全の確保だけでなく、その地域で役割や誇りを持って自分らしく楽しく生きていくこと、これこそリハビリテートの考え方そのもの、なのだ。(ちなみに福祉の世界で、リハビリの概念を変えた取組は次のHPを参照)
「地域にいる、ハンデほある人たちをどうにか活かすことを考え続け」る。その中で、広島の中山間地の社会福祉法人は、空き家をデイサービスに改築し、そこに通うお年寄り達の育てる野菜を買い取って社会福祉法人で地産地消に励み、対価として地域通貨も払う。また、野菜の集荷などに、地元の障害者を雇用する。「里山資本主義」で紹介されたこの事例もまさに、『あるもの探しのあるもの活かし』そのものである。この活動を進める「過疎を逆手に取る会」とは、「出来る一つの方法論」を徹底的に考えるグループである、とも言える。その中で、誰も目を付けなかった製材屑からペレットを作り、エコストーブやバイオマス発電にまでこぎ着ける。そこから、里山の活用や、コンクリートに変わる集成材の可能性を開発していく。この『里山資本主義』で取り上げられたテーマは、福祉・環境・地場産業・まちづくり・エネルギー政策と領域横断的だが、「その地域の課題を、当事者意識を持った住民達の協働の中で、その地域らしく解決していこうという試み」とまとめることが出来る。これこそ、住民の「地域活動」としての、コミュニティ・ワークそのものなのだ。
「出来る一つの方法論を徹底的に考える」「あるもの探し」としての、コミュニティ・ワーク。この世界は、まだまだ僕が知らない面白さが沢山ありそうだ。そして、その視点で眺めてみたら、灯台もと暗し。山梨の中でも、コミュニティ・ワークの領域での面白そうな実践がいくつか頭に浮かぶ。日常的には地域包括ケアシステムや障害者自立支援協議会の支援というコミュニティ・ソーシャルワークに関わる事が多いが、少し意識して、コミュニティ・ワークという地域活動に目を向け、あちこちに訪ね歩いてみたい。そう感じ始めている。

内奥への旅

発作的に山登りを始めた。せっかく山が多い山梨県に住んでいるのだから、少しでも登ってみたい、と。

数年前から、大学の同僚がハイキング部を主催していて、日程が合えば大菩薩峠や網笠山のハイクに連なっていた。だが、ちょうど二冊目の単著原稿の整理をし始めた連休の頃、ふと「一人で登ってみよう」と思い立ち、5月から茅が岳、金峰山、瑞牆山、東天狗岳(これはハイキング部での登山)、甲斐駒ヶ岳、赤岳、と破竹の勢いで登っている。自分では「一月一山作戦」と名付けていたが、この夏は海外調査も旅行も帰省もせずに、二冊目の単著にずっと取り組んでいたので、8月だけで三山も登ってしまった。
で、お話は先週木曜日の赤岳登山の時の話である。
合気道を4年間続けてきたお陰で、体力はかなりついてきたようである。登山のガイドブックで書かれている標準時間より、だいたいにおいて早く登れる。ハイキング部の隊長によれば、歩き方がしっかりしている、とお褒めの言葉さえ頂く。それが、合気道で重心を下げる訓練をしているからなのか、小学生から高校生まで続けていたボーイスカウト活動の記憶がよみがえってきたからなのか、はわからない。でも、甲斐駒ヶ岳にしても赤岳にしても、体力的には余裕を持って登れた。それが、次の山登りを楽しみに待つ理由なのかも知れない。とはいえ、赤岳登山は、不思議なつながりをもたらしてくれた。
事はまだ登り初めて20分くらいしか経っていない時期に起こった。
以前から、八ヶ岳は登山者にかなり知られた山である。僕は美濃戸から南沢を通って行者小屋へと進む、最も定番のなだらかな登り道ルートを辿ったが、この道はかなりわかりやすい目印が各所に付いている。かつ、難所には鎖があったり、川を渡る箇所には工事現場の足組を使った仮設の橋まで架かっている。登山客の往来も激しい。普通なら、迷いようのない登りである。
なのに、迷ってしまった。
後から思えば、何の変哲もない広場の終盤でのこと、である。広場ゆえ、真っ直ぐな一本道のように行く先が固定されていない。その広がりをルンルン歩きながら、ふと道が狭まるところで、二本に分かれていた(ように思えた)。時刻は朝7時、日の光は直接はさしこまない場所で、かつまだ森の暗がりが微かに残る時間帯、である。左には山側に登る道が、右には川へと折れる道がある。そういう時は、木に付けられたテープや、木や石に書かれた矢印を頼りに、登山道を探す。そして、その木は、右に行け、と書いている(ように見えた)。何だか少し訝しい気持ちになりながらも、歩を進めてみると、川にぶつかる。橋もなにも架かっていない。渡れなくはなさそうだが、割と滑りそうだ。でも、向かい側には、また道らしきものが続いている。
なんか怪しいな。
そう思ったら、引き返すべきが原則。なのに、歩き始めで急いていた足取りゆえに?、へんに焦ってしまって、気づいたら川を渡っていた。でも、渡り終えてみて、やはり違うような気がする。変だ、戻ろう。そう思って、余計に焦りながら、つるつる滑る石の上に足をのせていたら、バランスを崩して・・・。その後は、ご想像どうり、川にはまった。両側の靴と、両手をついたから上半身がばっしゃーん、と、べちゃべちゃになる。夏とは言え、寒い川の水にかかり、ずくずくである。やってしまった。
で、分岐点でとにかく荷物を降ろし、上着を着替え、タオルで拭いていたら、先ほど抜いたはずの人びとも、後からきた人も、誰ひとり!!!間違えようもなく、すいすい登っていく。誰も間違えない場所で、もののけか何かに吸い寄せられるように、川に落ちるために、引き寄せられていったのだ。悔しい、とか、恥ずかしい、とかよりも、あまりにも阿呆らしいその間違いに、何だか不思議な思いをしだした。
その後、替えの靴下を持ってこなかったので、靴の中はびちゃびちゃのまま、登り進める。体力は落ちていないが、気力はごっつう下がっており、かつ足が冷えているので、足取りが重い。その中で、何とか気力を回復しながら、頭の中ではあるフレーズがこだましていた。
「あ、これって、ある種の『内奥への旅』なのかもしれない」と。
『内奥への旅』。それは、「戦場のメリークリスマス」の原作者で、イギリスの元軍人、ローレンス・ヴァン・デル・ポストのアフリカ探検記である。臨床心理学者の秋山さと子さんのエッセイに出てきて気になって、とうの昔に絶版になっていたので、密林!で30年前の古本を手に入れて、家の書斎に放ったらかしていた。アフリカの奥地を探検する紀行文で、ユング心理学とのつながりがある、という紹介くらいしか知らない。だが、なだらかな登り道から行者小屋を経て、急峻な階段→岩肌のよじ登りをしながら、赤岳の頂上を目指す過程でも、このタイトルが頭から離れない。ユング心理学では、布置とかコンステレーションという「ご縁」が重なったことを大切にする風土があるので、そのご縁を大切にして、山を下りてから、くだんの古本を仕事の合間にちびりちびりと読み出した。
アフリカの未踏の山を探索する探検紀行文としてもなかなか面白いこの著作。あるいは、植民地時代のアフリカ人とヨーロッパ人の対比を知る歴史的価値もあるのかもしれない。が、僕が最も目を引かれたのは、次のフレーズだった。
「われわれ自身の内部の亀裂こそ、われわれの生のパターンの中にも亀裂を生み出すのだ-それこそが真ん中に恐るべき切り傷を、この暗く深いムランジェの峡谷を刻みつけ、その峡谷に厄災が走り、悪魔が跳梁するのだ、私の本能はそう答える。外の世界に起こる事故や厄災は、内なる自己と厄災とを喰って太るのである。われわれの外面的な生のデザインは、その微少な部分から、最新式の爆弾の原子に至るまで、われわれの最も内奥にあるひそかな目的を反映し、追認するものなのである。」(『内奥への旅』p197)
「外の世界に起こる事故や厄災は、内なる自己と厄災とを喰って太る」とは、外部世界の出来事と、内部世界の変容の共時性(シンクロニシティ)やある種の共犯・増幅関係の妙味を伝えている。確かに、何か第六感で「変だ」「オカシイ」と思ったとき、そのか細いシグナルを信じて慎重に行動するか、「いや、大丈夫」と理性で第六感に蓋をして無理をするか、は大きな分岐点だ。で、その理性で第六感に蓋をして無理をするとき、「その微少な部分から」「生のパターンの中にも亀裂を生み出す」結果、大きな「厄災」へとつながる。誰も間違えない分岐点で間違えて川にはまった僕は、確かに「魔が差した」のであるが、それは外部的な「悪魔の跳梁」だけでなく、僕「自身の内部の亀裂」の外在化、とも言える。
ゆえに、その後の心のか細いモールス信号は、このヴァン・デル・ポストの小説のタイトルを灯し続け、僕はそのお陰であまり無茶をせず、体力的には消耗しきっていなかったが、横岳や硫黄岳への踏破はお預けにして、早い時間に山を下りることが出来た。今から思えば、そのシグナルを聞いていなかったら、厄災は川にはまるどころの生やさしいものではなかったのかもしれない。
ひとりでの山歩きのどこが楽しいの?
と妻に聞かれることもある。確かに仲間と登っていたら、おしゃべりに花が咲き、あっという間に頂上に来ていることもある。何より、経験豊かな隊長に身を委ねると、自分自身で道を探す苦労はせず、このように川にはまる危険性もかなり減り、随分と気が楽である。だが、それでもひとりで山に向き合うとき、月並みな言い方だが、山を登りながら、「内奥への旅」がリアルに実感できているのかもしれない。「外の世界」で急峻かつ険しい道に格闘しながら、心の中でも、一歩、また一歩と、普段は向き合う事のない、井戸の深みに降りていっているのかもしれない。だからこそ、「亀裂」にも気づきやすいし、また気づいたらハマりやすいのである。しかし、そのようなリアルな生そのものと向き合うこともまた、山登りの楽しみの一つかもしれない。
「われわれの精神の内部にはっきり認められる亀裂に、各人の幇助しているところをしかと見つめ、生のあらゆる部位においてその裂け目を埋めるべく努力することが、かつてないほどに肝要だと思われるのである。」(p197)
私は、どのような外部のトラブルや厄災、それにつながる「亀裂」に「幇助」しているのか。私の生や精神の「亀裂」や「裂け目」とはどこにあるのか。何を矛盾したまま放置しているのか。どこから目を背けているのか。そして、どう「埋める努力」が出来そうか。峻険な山を登るとき、いつも「こんな高い山なんて登れるのだろうか?」と挫けそうになる。でも、千里の道も一歩から。歩みを一歩ずつ進める中で、確実に頂上に近づく。生の亀裂や裂け目の一つ一つと向き合い、逃げずに埋める努力をするのは、ある種、一歩一歩の地道な足取りに近い。だが、その歩を着実に進めながら、内なるモールス信号の微弱な電流を逃さず、その第六感を着実にキャッチして、慎重に、着実に、歩を進められるのか? この本を読み終えた後、僕は微弱な電流に耳を傾け、己の内側の「亀裂」を辿ろうとし始めている。
僕自身の「内奥への旅」は、まだまだ歩み始めたばかりである。

「代償」としての「男らしさ」や「学歴」

前回のブログで書ききれなかったことを書き留める。受刑者の境遇と、「魂の植民地化」は実はつながっているのではないか、という話である。

まずは、それを示唆してくれた、当該箇所を引用してみる。
「受刑者は、例外なく、不遇な環境の中で育っています。親からの虐待、両親の離婚、いじめの経験、貧困など、例を挙げればキリがありません。受刑者は、親(あるいは養育者)から『大切にされた経験』がほとんどありません。そういう意味では、彼ら確かに加害者ではありますが、『被害者』の側面も有しているのです。被害者だからと言って、人を殺したり覚醒剤に手を染めたりすることはけっして許されることではありません。しかし支援する立場になれば、加害者である受刑者の、心のなかにうっ積している『被害者性』に目を向けないといけません。このことが分かれば、最初から受刑者に被害者のことを考えさせる方法は、彼らの心のなかにある否定的感情に蓋をしてさらに抑圧を強めることになるのは明らかです。したがって、まずは『加害者の視点』から始めればいいのです。そうすることによって、『被害者の視点』にスムーズに移行できます。受刑者が『被害者の視点』を取り入れられる条件は、『加害者の視点』から始めることと言えます。」(岡本茂樹『反省させると犯罪者になります』新潮新書、p119)
誤解のないように前提を言っておく。犯罪を容認する、というのではない。定めれたプロセスに基づいて刑が確定した受刑者は、罪を償うべきである。ただ、厳罰化や反省・謝罪の強要は、出所者の再犯を防ぐ方法論としては不適切ではないか、ということである。これは、アメリカの刑務所における「治療共同体」のアミティのことを取り上げたブログで、以前書いたこともある。ただ、今回付け加えるならば、反省や謝罪、あるいは厳罰化という「被害者の視点」を重視した政策が再犯抑止力として不十分な背後には、加害者が背負わされた「魂の植民地化」そのものと向き合う契機のなさがあるのではないか、という視点である。
こう書くと、「犯罪者を甘やかしているのか?」という問いが必ず起こりそうである。しかし、甘やかしている云々、という話は、処罰感情や道徳的判断など、極めて主観的・感情的色合いの濃い考え方である。本当に再犯率を減らしたい、凶悪な犯罪を減らしたい、と思うなら、感情的・道徳的な発想を超えて、犯罪の発生メカニズムそのものを眺め、それを抑止する戦略を立てる必要がある。そして、先に引用した岡本氏は、その発生メカニズムの根幹に、「加害者である受刑者の、心のなかにうっ積している『被害者性』」や「彼らの心のなかにある否定的感情」がある、と指摘する。この部分に向き合うことなく、単に厳罰や反省・謝罪を強要しても、加害者の行動変容には結びつかない、と指摘しているのだ。
「心のなかにある否定的感情に蓋をしてさらに抑圧を強めること」、これは、魂の植民地化そのものである。そのことを考えるために、拙著でも引用した深尾先生の定義を振り返っておこう。
「植民地は、ある一定の集団が、別の集団に対して、一方的に支配権、決定権を持っている状態を指し、それらが集団的にも個人的なレベルでも行使される。植民地的状況(ここでは、広義に、国家的植民地のみならず、個人間の支配―被支配関係も含む)のもとでは、被支配側は、しばしばいわれなき劣等感を押し付けられる。(略)このようにして、自分自身の属性が、否定的なまなざしで他者から眺められ、そのような処遇を受け続けることによって、魂は傷つけられ、その発露をゆがめられる。」(深尾葉子「魂の脱植民地化とは何か─呪縛・憑依・蓋」『東洋文化』八九号、二〇〇九、二一頁)
「自分自身の属性が、否定的なまなざしで他者から眺められ、そのような処遇を受け続けることによって、魂は傷つけられ、その発露をゆがめられる」。これは、児童虐待や家庭崩壊、貧困、いじめなどの「被害者」にしばしば生じる事態である。暖かい愛情で守られるはずの子供時代に、「いわれなき劣等感を押し付けられる」ことによって、魂の発露がゆがめられ、他者の支配的価値観に隷属させられる、という。その結果として、岡本さんは、大半の男性の受刑者に、愛情の「代償」がみられる、という。
「幼少期から寂しさやストレスといったものを抱えながら、それを受け止めてもらえない『心の傷』を心の奥底に秘めたまま生き続けています。幼少期から抱き続けてきた寂しさやストレスを克服するために、彼らは『男らしくあらねばならない』『負けてはいけない』といった価値観を持つことで、必要以上に自分を強く見せようとします。自分を強く見せることによって、他者に『認められること』で自分自身の愛情欲求の埋め合わせをするのです。他者から『男らしくて恰好いい』と思われることは、満たされていない彼らの愛情を求める欲求の代償となっているのです。しかし、それはあくまでも『代償』にすぎません。本当に望んでいる愛情が得られないため、彼らはますます『男らしさ』を追い求める生き方を自らに強いて他者から評価されようとします。彼らにとって、弱音を吐いたり誰かに負けたりすることは、自分が他者から認められなくなる(=愛されなくなる)ことを意味するので、絶対に弱音を吐かず、いかなる手段を用いても相手に勝とうとします。その結果として起きる最悪の行為が、犯罪なのです。」(岡本、前掲、p123)
この「男らしさ」という「代償」行為が悪循環回路にはまり、「弱音」を吐かずに勝ち続ける究極の形態が「犯罪」という形につながる。確かにその通りなのだが、ここで疑問に感じることがある。得られない愛情を埋め合わせる「代償」行為で、悪循環回路にはまりこみ、「弱音」を吐けずにその負の回路を強化しているのは、はたして犯罪者だけだろうか、という疑問である。「弱音」を吐かずに勝ち続ける「代償」に当てはまるのは、「男らしさ」だけだろうか。実は、先の岡本さんの文章のうち、「男らしさ」を「学歴」に変えても、まったくもって説得力あるストーリーとなる。
「本当に望んでいる愛情が得られないため、彼らはますます『学歴』を追い求める生き方を自らに強いて他者から評価されようとします。彼らにとって、弱音を吐いたり誰かに負けたりすることは、自分が他者から認められなくなる(
=愛されなくなる)ことを意味するので、絶対に弱音を吐かず、いかなる手段を用いても相手に勝とうとします。」
「学歴」を追求しないと、勉強のことで「弱音を吐いたり誰かに負けたりする」と、他者から認められなくなる。学歴エリートはこの恐怖を常に抱いていると、「魂の脱植民地化研究」のもう一人の主導者である安冨先生も、次のように語っている。
「戦時中に『お国のために死ぬ』という『役』を果たすのが当然だと思っていた子どもたちと同様、自分のことを自由意思を持った人間ではなく、『学歴』を軸に形成される『立場』の詰め物に過ぎないという考えに支配されます。完全に『立場の奴隷』になってしまうのです。こうなると、大学合格という『役』を果たさなければ自分自身の『立場』がありません。『役立たず』になってしまうからです。」(安冨歩『「学歴エリート」は暴走する』講談社+α新書、p130)
「立場」に固執する、というのは、「学歴」であれ「男らしさ」であれ、本来は愛情の「代償」にしかすぎない。だが、その「代償」にすがることでしか、自らのアイデンティティを形成できなくなると、その「立場」の放棄は、「役立たず」に繋がる。すると、どんな手段を使ってでも、その「代償」=「立場」を死守する、という意味で、「立場の奴隷」になるのである。これは、一見すると正反対に見える、犯罪者と学歴エリートに共通する課題である。どちらも、自らの魂が、「立場」や「代償」に、「植民地化」されている(=奴隷状態になっている)のだ。
そして、そこからの「脱植民地化」の為に必要なことを、安冨先生は一言で言い切っている。
「あなた自身を『あなたの立場』から取り戻すことこそが、変革なのです。」(安冨、同上、p176)
「心のなかにうっ積している『被害者性』」や「彼らの心のなかにある否定的感情」、これらに「蓋」をして、その代わりに「男らしさ」や「学歴」という「代償」を与えることで、悪循環回路が暴走していくのであった。であれば、「代償」を正統化せず、「代償」の背後に隠れた、愛情の欠落や「被害者性」「否定的感情」そのものと向き合う必要がある。これは、そう簡単なことではないし、自らの「立場」をグラグラと根幹から揺さぶる、危険なことでもある。でも、自らが何の「奴隷」になっているのか、魂がどう「植民地化」されているか、に気づき、そこから、その「植民地化」という「枠組み」を外さない限り、「代償」からは自由になれない。「あなた自身を『あなたの立場』から取り戻すこと」とは、「男らしさ」や「学歴エリート」という、一見すると居心地の良い「代償」と決別して、「健全な魂の発露」を導くために、自分自身が「変革」することである。
最後に、余計な一言を。私たち自身が「魂の植民地化」にあるならば、他者、ましてや受刑者の「魂の脱植民地化」に恐怖を覚える可能性はないか。犯罪を減らす、ということは、受刑者の真の変容を支援することなくして、あり得ない。だが、受刑者の真の変容、とは、単なる厳罰化ではなく、「代償」へのアディクションを脱する為の、「魂の脱植民地化」支援が必要不可欠である。そして、その「魂の脱植民地化」に支援が必要なのは、単に受刑者だけでなく、彼らを取り締まる・裁く側である「学歴エリート」にも共通してはいないか。そして、「学歴エリート」に「魂の脱植民地化」を導く支援がない中で、受刑者にのみそのような支援を行う事への嫉妬や羨望が、「甘えている」「厳罰化を」という主張の裏側に、隠されていないか。「被害者性」や「否定的感情」に向き合うべきは、受刑者だけなのか? そのような疑問と妄想が、頭の中を駆け巡っている。

説得ではなく納得

私たちは、「常識的」「道徳的」な眼差しで判断すると、大きく問題の本質を取り逃がすときがある。とくに、「問題行動」とラベリングされる事象を前にしたとき、どのようにそれを捉えるか、で大きく異なる。ふつう、誰かが何かの「問題行動」を起こし、他者に迷惑をかけた時、それに対する反省と謝罪が求められる。だが、単なる反省や謝罪は、本質的に解決には結びつかない、とはっきり主張する本と出会った。

「反省させるだけだと、なぜ自分が問題を起こしたのかを考えることになりません。言い換えれば、反省は、自分の内面と向き合う機会(チャンス)を奪っているのです。問題を起こすに至るには、必ずその人なりの『理由』があります。その理由にじっくり耳を傾けることによって、その人は次第に自分の内面の問題に気づくことになるのです。この場合の『内面の問題に気づく』ための方法は、『相手のことを考えること』ではありません。」(岡本茂樹『反省させると犯罪者になります』新潮新書 p76)
一見すると「反-常識・道徳」的な文章である。だが、実際に刑務所での矯正教育に携わり、受刑者たちの更正に成果を上げている著者の言うことには、重みがある。それだけでない、実はこのフレーズを読んで、これこそ僕自身も感じてきたことだ、と我が意を得た気持ちになった。
ブログを見返してみたら、2年ほど前に、レポートでコピーアンドペースト(コピペ)をしているのを発見した学生を指導したエピソードに基づいて、こんな文章を書いていた。
『先のコピペ学生の場合、たまたま僕が叱責型の限界を感じていて、また時間もあったので、コピペする背景には何があるか、を相手と共に探ることが出来た。だから、短時間で表面的理由(クラブが忙しい)の背後にある真の理由(どう書いていいのかわからない)という所に結びつき、それを変える為の支援(クラブの内容と似ている所に引きつけて書いてご覧)と言えば、じゃあ週末に書けますという解決策を導くことが出来た。
これを、例えば「問題行動」「反社会的行動」をする人の支援、に当てはめてみると、僕などより遙かに大変長いプロセスがあるが、ある種の共通性はあるのではないか、と思う。本人がその行為が悪い、ということが理解できていないかもしれない。あるいは「ダメだ」という言語的コミュニケーションを「叱責的解決」と理解できず、パニックになったり、暴れ出すかもしれない。言語的コミュニケーション自体が苦手な場合もあるかもしれない。でも、支援する側としては、探偵になって、何がその背景にあるのか、どういう場面でそういうことが起こるか、繰り返されるとしたら何が鍵となっているか、を探しながら、少しずつ本質に迫っていき、本人が「ダメな行為」をする事で表現したかった事を理解し、それをしないでも済む為の方策を探りだそうとする。これは、力量ある支援者なら、当たり前のようにやっている支援の王道でもある。』
そう、反省や謝罪を促す「叱責型」の「限界」とは、結局表面的な謝罪や反省に終始し、相手の行動変容に結びつかない、という点である。一方的なお説教をただ有り難く伺う、という「反-対話」的なやり方であれば、説教者の自己満足は満たせても、よもや相手の行動変容には結びつかない。それは、「説得」の論理だからである。一方、本当に相手の中に「反省」や「謝罪」の気持ちを芽生えさせたい、つまりは相手を変えたい、と思うなら、相手がまず「納得」する必要がある。そこには、一方通行ではなく、双方向の「対話」がないとはじまらない。
先に引用した岡本氏は「問題を起こすに至るには、必ずその人なりの『理由』があります」と述べる。また彼は、問題行動は「必要行動」だとも述べる。反社会的な、あるいは逸脱行動に、「必要行動」なんて書くと、また非常識だ、道徳的なセンスに欠ける、と言われるかもしれない。だが、そういう社会の常識に「反する」「逸脱」する行動を取らざるを得なかった本人側に、それなりの「理由」や「必要性」があるのだ。だからこそ、そういう行動に出るのである。それを、単に叱責したり、あるいは体罰を加えて、恐怖や脅しで「するな」と言っても、それなりの「理由」「必要性」を打ち消すことにはつながらない。本人でも、時として整理できないまま行った「問題行動」に対して、その「理由」や「必要性」を訊ね、相手と共に考えることで、「(本人が時には気づいていない)『自分自身の内面の問題に気づく』」ことが出来る。そして、この「自分自身の内面の問題に気づく」ことが出来て、初めて納得が生まれる。だからこそ、行動変容が始まるのである
僕の関わる障害者福祉の領域に引きつけて、以前のブログでは「支援という探偵業」と整理した。「問題行動」を叱責・糾弾するのは、道徳的・常識的には良いのかもしれない。そうやって、「悪いこと」が広まらないように、プロパガンダすることも、秩序形成には役に立つのかもしれない。だが、「問題行動」を実際に起こしている人に対して、その「行動」をしないような「支援」をしようとするのなら、その種のプロパガンダは百害あって一利なし、ということになる。なぜなら、それは、本人を「説得」することはあっても、本人が「納得」に基づいて行動変容する支援とは言えないからだ。逆に言えば、問題行動という「問題の顕在化」した事態(=危機)をチャンスと捉え、その背後にどのような「内面の問題」があるのかを、支援者と本人が共に掘り下げ、そこからそのような「行動」に至らない方法論を共に模索する必要があるのだ。
そのことを、以前拙著ではこんな風に書いていた。
『他人を「説得」する理論を構築する前に、お互いが「納得」する理由を「探求するプロセス」に身を投じ、変わる方が、支援目標にたどりつく上で、効率的で効果的である。』(竹端寛『枠組み外しの旅-「個性化」が変える福祉社会』青灯社、 p95)
「説得」の論理とは、自分自身が変わることなく、相手に「変われ!」と命令・指示する論理である。その論理で事が済むなら、そもそも「問題行動」は生じない。逆に言えば、「問題行動」が生じるのは、その「説得」の論理の破綻した結果である、ともいえる。であれば、その「問題行動」を減らす・なくす事に関わる支援者・教育者に求められるのは、まず相手を変える前に、自らの「説得」論理というアプローチそのものを変えることである。(これも拙著で散々検討したことでもある。例えば次のブログなど参照)
お互いが「納得」する理由を「探求するプロセス」に身を投じること。これこそ、支援者に求められる、寄り添う姿勢であろう。同じ事を、岡本氏も次のように整理している。
「真の反省は、自分の心のなかにつまっていた寂しさ、悲しみ、苦しみと言った感情を吐き出させると、自然と心の中から芽生えてくるものです。(略) 非行少年であれ受刑者であれ、問題行動を起こした者に対して支援するのであれば、反省をさせるのではなく、なぜ犯罪を起こすにいたったのかを探求していく姿勢で臨むことが、結果として彼らに真の立ち直りを促すのです。」(岡本、同上、p130)
認知症のお年寄りの徘徊、あるいは強度行動障害を持つ人の暴力、精神疾患を持つ人の自傷行為・・・それらにも共通するのは、心の中につまっていた寂しさ、悲しみ、苦しみが沸点を超えてわき出した「問題行動」である、という理解である。その時、「やってはいけない」と「説得」モードを振りかざしても、本人の切迫感には何も響かない。本人の切迫感の元にある、「寂しさ、悲しみ、苦しみ」という「内面の問題」をじっくり伺って、言語表現が出来ない相手なら共感的に受け止め、その本質を探求するプロセスに身を投じることからしか、「問題」の「解決」に向けた糸口は見つからない。説得ではなく、支援する側・される側の相互の納得でしか、人は変わらない。改めてその原則を噛みしめた一冊であった。

ファシリテーターという「御用聞き」

イギリスのコミュニティ・ワークの定番教科書に、ある中国の名言として、こんなフレーズが出てきた。

‘When excellent leaders have been at work, the people say “We did it ourselves.” ‘
直訳すれば、「ある優れたリーダーが事をなし終えたとき、住民たちは『それは自分たちがやった』と言うだろう」
出典は書かれていないが、これは言わずと知れた老子のフレーズである。久しぶりに昔読んだ解釈書をめくって当該箇所に行き当たる。
「最上の指導者は誰れも知らない。
(略)
仕事が行われ、事業がなしとげられたとき、
それはひとりでにそうなったのだと人びとは言うだろう。」
(老子 第17章「最上の指導者」 張鍾元『老子の思想』講談社学術文庫、p112)
「ひとりでにそうなった」と「自分たちがやった」とは、東洋と西洋での大きな解釈の違いだ。だが、ここではそれを強調したいのではない。大切なのは、事が成し遂げられたとき、その成果がリーダーに帰するのではなく、ひとりでにそうなった・あるいは自分たちの手で成し遂げた、と住民たちが感じるということである。この際、リーダーは一体何を成し遂げたのだろうか。そのヒントは、リーダーの力を借りながらも、住民たちが、自分たちの力で事を成し遂げ、その成果も自明のもの・自分たち自身のものである、と感じていることにある。実際には、リーダーの支援があったから、事が成し遂げられた。にも関わらず、それを自明のもの・自分自身の成果、と感じている。老子を引用した著者は、そのような存在を、’local leader’はなく、’facilitator’, ‘enabler’と表現する。「地域のリーダー」ではなく、「ファシリテーター・可能にする人」である。これは一体どういうことか?
この本の主題は、コミュニティ・ワークである。地域を活性化させる、住民たちがより良い暮らしを実現する為に、自発的な住民活動を行うことを活性化・支援することを主題としている。また、貧困層や障害者、子どもなど社会的弱者のエンパワメントと、コミュニティの中での生活改善・自発的な活動の促進を促す仕事として、コミュニティ・ワークを規定している。その時、コミュニティ・ワークを行うソーシャルワーカー(CSW)は、「地域のリーダー」ではなく、「ファシリテーター・可能にする人」であるべきだ、と言っているのだ。
もう少し現実に即して考えてみよう。
高齢者の地域包括ケアシステムや障害者の地域自立支援協議会などの、「地域福祉の(再)活性化」が国でも称揚され、専門職種の国家試験でも「地域福祉」に焦点が当てられ、アカデミズムでも議論が盛んだ。少子高齢化が進み、社会保障費が膨らむ中で、いつまでも全てのサービスを行政によって提供するわけにはいかない。地域で出来ることは地域で、と、社会保障制度改革国民会議の最終報告書でも、要支援を介護保険サービスから外し、住民たちのボランティアを活用しようと方向転換を考えている。
「要支援者に対する介護予防給付について、市町村が地域の実情に応じ、住民主体の取組等を積極的に活用しながら柔軟かつ効率的にサービスを提供できるよう、受け皿を確保しながら新たな地域包括推進事業(仮称)段階的に移行させていくべきである。 」
これに関する解説記事は、次のように伝えている。
「市町村独自の事業では、市町村の判断でボランティアやNPOを活用するなどして、地域の実情に応じて柔軟な取り組みができるようにしています。ボランティアなどを活用することで費用を抑えるとともに、きめ細かい生活支援が提供できるとしています。」
これは、現在介護保険事業として行っている、要支援者へのサービスを、ボランティアやNPOの活動に切り替える事で、「費用を抑える」ことを目的にしている。下手をすれば、ボランティア動員論にも繋がる。地域福祉は、常にこのような「ボランティア動員論」の危険性を孕んでいる点を忘れてはいけない。(このことは以前にブログでも書いた)
で、僕が今回書きたいのは、この国が主導する、介護保険の費用抑制の為の「動員型ボランティア」のことではない。動員型であれば、あくまでも動員主体である行政が、「地域のリーダー」として、表面上は「お願い」という形を取っても、実質的には国の意向を上意下達するトップダウン的に住民を「動員」する構図である。だが、僕はこの「動員」型が21世紀の時代、上手くいくわけない、と思っている。ただでさえ、動員型半強制コミュニティである町内会・自治会、PTA活動などは、その曲がり角に来ている。それと同様の手法を、要支援の介護サービスに創設したって、うまくいくはずがない。
その理由は、動員型半強制コミュニティは、人びとの「納得」ではなく、一方的「説得」の論理で動いているからである。多くの人は、強圧的な「説得」では動かない。
もし、住民の「納得」に基づいて地域福祉を展開しようと考えるなら、そこで求められるのは、トップダウン的(=説得的)な「ローカル・リーダー」ではなく、対話的なファシリテーターなのである。
地域支援を行う存在として、保健師や社会福祉士、ケアマネージャーなどの存在がいる。地域包括支援センターや基幹相談支援センターなどが、地域作りの拠点として期待されている。また近年、社会福祉協議会がコミュニティー・ソーシャルワーカーを置いて、住民活動の組織化支援を行っているところもある。だが、それらの組織・人材が、地域福祉のリーダー的な動きを果たしている限り、行政や社協が描く「あるべき姿」に近づけるために住民を「活用する」という意味で、あくまでも「ボランティア動員論」に繋がりかねない。
一方、先のイギリスの本に戻れば、本来のコミュニティ・ワークとは、「ボランティア動員論」ではなく、「住民たちがより良い暮らしを実現する為に、自発的な住民活動を行うことを活性化・支援すること」である。一方的な「説得」ではなく、住民の「納得」に基づく「自発的な住民活動」の活性化支援に必要なことは何か。それは、国や自治体が「あるべき姿」を一方的に規定するのではなく、あくまでも「住民の声」に基づいて「あるべき姿」をかんがえる、ということである。言い換えれば、国や自治体の「あるべき姿」を住民に教育・指導するのではなく、あくまでも住民の声に「御用聞き」として耳を傾ける、ということである。
ようやっと表題の、ファシリテーターという「御用聞き」、という部分に繋がってきた。
ファシリテーターとは、触媒役である。住民たちが、自分たちが安心して地域の中で住み続けるために、様々な課題や問題を意識化する。その意識化支援を行いながら、自分たちなら何が出来るか、を考え、実践していく支援である。その前段階として、まず住民の様々な本音に耳を傾け、その中から地域課題を析出するお手伝いをする。行政側の「あるべき姿」を指導・教育する、という一方的、「説得的」視点ではなく、住民活動につながる「本音」を探り出し、その中から住民自らが活動化・組織化できることを一緒に探る、という「対話的」姿勢。それが、ファシリテーターという「御用聞き」に求められている課題なのである。
いま、日本のCSWは、どちらの姿勢を向いているのだろうか?
国や行政の「御用聞き」ばかりしていないだろうか? 住民の率直な本音にこそ、じっくり向き合っているだろうか?
国が「住民主体の取組等を積極的に活用しながら」というとき、そこには「ボランティア動員論」という問題に突き当たる可能性は、多分にある。ゆえに、実際に「住民主体の取組」を支援する専門家こそ、専門家主導で住民を「教育」「説得」する専門家なのか、当事者主体で住民の「御用聞き」をするプロセスを通じて住民の「納得」に基づく自発的活動を促す専門家なのか、という立ち位置が問われているのだ。
「ある優れたリーダーが事をなし終えたとき、住民たちは『それは自分たちがやった』と言うだろう」
この発言は、「説得」ではなく、「納得」からしか、生まれな

「読書と私」論

面白そうな書評や読書論などは、なるべく読むようにしている。僕自身の好みには、かなりの偏りがあるし、狭隘な世界観を少しでも拡げたい。そうは言っても読める本にも限界がある。ならば、他人がセレクトしてくれた書評に目を通すだけで、「当たり」読書に近づける可能性が高まる。

で、新聞やツイッター、ネット、本などの様々な書評・読書論に目を通すが、最近の一番のヒットは、楠木建さんの『戦略読書日記』(プレジデント社)だった。その理由は、単なる書評を超えた、「何のために、何を考えて読むのか」というメタ読書論、ないし「読書と私」論が展開されていて、その部分がすごく僕自身にとっても学びになった。
「論理を獲得するための深みとか奥行きは、『文脈』(の豊かさ)にかかっている。経営の論理は文脈の中でしか理解できない。情報の断片を前後左右に広がる文脈の中に置いて、初めて因果のロジックが見えてくる。紙に印刷されたものでも電子書籍でもよい。あるテーマについてのまとまった記述がしてあるものを『本』と読むならば、読書の強みは文脈の豊かさにある。空間的、時間的文脈を拡げて因果論理を考える材料として、読書は依然として最強の思考装置だ。」(p17)
地頭の良い人の特徴として、「因果のロジック」を見破るセンス良さがある、と楠木さんは指摘する。そして彼は、そのセンスを、「文脈に埋め込まれた、その人に固有の因果論理の総体」(p15)と整理する。その「因果論理の総体」という「引き出しの多さ」が多ければ多いほど、より沢山の文脈に対応可能となり、柔軟な経営も可能になる、と。
この「因果論理を考える」プロセスというのは、何も経営でのみ必要とされる技術ではない。福祉現場でも、もちろん必要不可欠なものである。
例えば、「ゴミ屋敷」問題を例に出してみよう。家の中だけでなく、庭や道路にまで、溢れるほど、一見すると「ゴミ」に見える何かを溜め込んでいるお宅のことを、「ゴミ屋敷」と言ったりする。そして、近所迷惑だから、と苦情が来ても、本人は「ゴミではない」「何を溜めようが本人の自由だ」と言われ、近隣との間でトラブルになったりする。あるいは、町内会総出でそのゴミを片付けたとしても、数ヶ月でまた元の木阿弥に戻ったりする。
この時、そのような「ゴミ屋敷」の住民に対して「専門家」ほど、「○○障害(人格障害、認知症・・・)じゃないの?」と安易なラベリングをして「わかったふり」をしやすい。でも、そういう「病名」や「障害名」のラベリングをしたところで、その問題は何も解決しない。むしろ、ラベルを貼られた側からすると、その種の「専門家」は、自分の生き方を否定する存在と感じられ、反発心が強くなるばかりだ。
一方で、「引き出しの多い」専門家なら、安易なラベルを貼らず、ゴミを溜める当人の「内在的論理」に着目する。その人の人生という「文脈に埋め込まれた、その人に固有の因果論理の総体」、つまりその人が「ゴミを溜める」「センス」という「因果論理の総体」をつかみだそうとする。すると、「ゴミを溜める人はだらしない(汚い、良くない・・・)」という規範論や道徳論で「わかったふり」をすることなく、その人がその道徳論を知った上で、敢えてゴミを溜めるという選択肢を選んだ、その「文脈」が見えて来る。
もし、本当に「困難事例」を解決したいと思うのなら、その「困難事例」とカテゴライズされる人・家庭の「文脈に埋め込まれた、その人に固有の因果論理の総体」を掴まないと、相手との波長は合わない。そして、波長を合わせることなしに、こちらから勝手に解決策を示しても、それは「説得」であって、相手の「納得」を導き出せない。さらに言えば、相手の内在的論理が変容するためには、相手との信頼関係を構築し(=波長を合わせ)た上で、相手の「納得」を導き出さないと、「文脈」そのものを動かすことは出来ない。そして、多様な困難を抱えた人の「文脈」を読み解き、波長を合わせ、その因果論理を想像するためには、読み解く側ができる限り様々な「因果論理の総体」という「引き出し」を知っておく必要がある。そして、それが可能になるのが、「読書」なのである。(僕自身も、この「ゴミ屋敷」の内在的論理については、一冊の良いルポタージュから多くを学んだ。)
このように、楠木さんの本の中では、ある本の魅力を取り上げながら、彼がそこからどのような「因果論理」をつかみ取り、それが彼の考える「戦略」や「経営」の文脈とどう繋がっているのか、を読み解いていく。まさに、「読書と私」論の王道を行く、非常に興味深いストーリーが各章を貫いている。また、紹介される本たちも、僕にはご縁がなかったジャンル・筆者・内容のものばかりで、気づいたら16冊、密林でポチっていた。それだけでも、随分「お買い得な本」である。そして、僕自身にとって、大いに励まされたのが、以下の記述であった。
「僕がやっているのは『経営学』じゃなくて、『経営論』です。 (略) 理論(セオリー)じゃなくて論理(ロジック)を考えるのが僕の仕事だと心得ている。論理というのは因果関係についての洞察。一方の理論とは再現可能で一般性が高い因果関係についての法則を意味している。理論と論理がどっちがエラいかという話ではない。僕は論理を考えるほうを仕事として選択しているということだ。この『戦略読書日記』もそうなのだが、ロジックというのは、『僕はこのように考えますが、いかが?』『こう考えたらどうでしょう』という話であり、科学的理論が重視する再現可能性についてはいたって腰が低い。セオリーと違って、ケース・バイ・ケースが前提だから、一般性には欠ける。」(p406)
この記述に触れて、にんまり笑ってしまった。なぜなら、僕がやっている仕事も「福祉社会学」「社会福祉学」じゃなくて、「福祉社会論」「社会福祉論」なのだ。(そういえば、初めての単著の副題も、無意識に学を付けず、「福祉社会」としていたっけ。)
僕自身も、福祉という領域で、「理論(セオリー)じゃなくて論理(ロジック)を考える」
ことを生業にしている。福祉現場でフィールドワークをしたり、アドバイザーとして関わっていても、常にその「文脈」を読み、その現場の「因果論理の総体」をつかみだそうとしている。でも、そうやって掴みだした何かが、どうも「理論」と一致せず、しっくりこないなぁ、と不全感を感じていた。だが、それは「セオリーと違って、ケース・バイ・ケースが前提だから、一般性には欠ける」と開き直ればいい。とはいえ、「因果関係についての洞察」の確度が深まれば、それはそれで現場に有用だし、価値ある研究にもなり得る。そのような「社会論」「福祉論」を生み出す事が出来て、現場の叡智に少しでも貢献出来れば、それはそれとして、一つの仕事になり得る。そのようなスタイルのことを、楠木さんは「芸風」と表現する。
「芸風はただ一つ。仕事でプロとして生きていくことは、そもそも自分の芸風と心中するということだ。」(p429)
そう、僕は福祉現場において、「理論(セオリー)じゃなくて論理(ロジック)を考える」のが好きな「芸風」なのだ。そして、それを「仕事でプロとして生きていく」ということを選んだし、幸いにもその「芸風」で暮らせている。ならば、「自分の芸風と心中する」くらい、自らの「芸風」に磨きをかけなければ、プロとして失格だ。そのためには、僕自身が今、そしてこれから関わる福祉現場において、「因果論理の総体」をつかみ取り、そのロジックに関する洞察力をさらに深めていく必要がある。ようは、「センスを磨け」の一言に尽きる。そして、センスを磨くためには、「戦略的な読書」に励むのが、一番の近道なのだ。
楠木さんの「読書と私」論は、計らずしも僕自身の「読書と私」論を深めてくれるきっかけを与えてくれた。