「見えない身体」との「つながり」

単著用の原稿に一区切りついたので、久しぶりに自宅書斎の書棚を整理する。原稿を書いている時は、あれこれ本を引っ張りだしたり、研究室からごっそり本を持ち帰って並べたりしているので、書棚も窒息寸前のエントロピー増大状態だった。そこで、用済みの本たちと研究室へと戻した後には、だいぶ本棚も息を吹き返したようだ。風通しがよい本棚をぼんやり眺めていて、何となく手に取ったのが、恐ろしく迫力のある一冊で、気がつけば一気に読み終えていた。

「『僕』は、現実的にかかわっている物事に対しては自分なりにベストを尽くすし、かなり有能かつ器用にこなしていくことができる。しかしその現実が何か自分の大事なものとつながっている実感がない。つまり、『見える身体』の現実での横軸は、何とかつながることができているけれど、自分の中の縦軸が途切れてしまっているのである。この自分自身の縦軸とのつながりが途切れるということは、『向こう側』の見えない身体(羊男)と自分自身とのつながりが切れているということである。それは、自分自身の魂と切れている状態と言ってもいいだろう。そのつながりが切れていると、現実の横軸でどれほどの経験をしても、それぞれの経験はそのときだけの単発な出来事にしかなりえず、ひとつの大きな流れを持った意味のある体験として感じられなくなってしまうのである。」(岩宮恵子『思春期を巡る冒険-心理療法と村上春樹の世界』日本評論社、p173)
副題にもあるように、岩宮さんは心理療法家で、思春期を巡る心理的危機を、村上春樹文学を用いて分析した一冊である。僕は古本でハードカバーを買ったが、ある書評で取り上げられたあと、文庫版が再び出ている。僕は村上春樹も心理療法もどちらにも興味があるが、それゆえに、本当に面白いのかどうか、となんとなく疑っていた。村上文学への肩入れと、それに基づく偏った愛や憎しみが透ける文芸批評だったらどうしよう、と危惧していたのだ。だが、それは全くの杞憂であった。2つの世界観に精通し、なおかつご自身の臨床を重ねあわせながら、岩宮さん自身の独自の世界観を「物語」る文章世界に、ぐいぐい引き込まれていった。
以前ブログに書いたこともあるけれど、村上文学は、日常の世界からある日すっと象徴的暴力の渦巻く「神話の世界」へと主人公が引きずり込まれていく話である。これは、「多崎つくる」でも同類型である。日常世界という「見える身体」での現実において、主人公の「僕」は、「自分なりにベストを尽くすし、かなり有能かつ器用にこなしていくことができる」存在である。アイロンかけや食事作りなど、プラクティカルなことにはかなりマメな人物である。でも、冒険に飛び出す前の主人公は、どこかで「空虚」を抱えている。それが、「自分の中の縦軸が途切れてしまっている」のである。その縦軸とは何か。それを『見えない身体』との「つながり」である、と岩宮さんは語る。これは一体どういうことだろうか?
「見えない身体領域は、霊性の次元に関わっている」(鎌田東二)や「現実化されてない潜在的な統合可能性をふくむ<遍統合体ともいうべき身体>」(市川浩)といった身体論を援用しつつ、彼女は両者を「普通の状態では認識することができない錯綜隊としての身体を『見えない身体』、それ以外の身体を『見える身体』」(p98)と定義する。
こう書くと難しそうだが、村上文学で言えば、『羊を巡る冒険』の「羊男」の世界も、『海辺のカフカ』のナカタさんの世界も、「見えない身体」領域である。主人公の「僕」は、いくらプラクティカルな力を持っていても、「『向こう側』の見えない身体(羊男)と自分自身とのつながりが切れている」。それを岩宮さんは「自分自身の魂と切れている状態」と指摘する。なるほど、だからこそ、プラクティカルにうまく日常をこなしても、どこかで「僕」はその「空虚さ」を埋められないわけだ。
ただ、「見えない身体」=「自分自身の魂」との「つながり」が「切れている状態」の人は、世の中を見回せば一杯いる。近年研究をご一緒させていただく深尾先生は、著書の中でそれを『魂の植民地化』と述べていた。あるいはそれは安冨先生の言葉から引用するなら「立場主義」への呪縛なのかもしれない。岩宮さんも同じようなことを指摘している。
「表面さえごまかせたら裏で何をしてもバレなければいい・・・という発想で、銀行や警察、省庁などという、決してそのようなことをしてはならない機関がどのようなことを行っていたのかは、さまざまな報道で明らかだろう。そこには間違いなく、その機関にいる人たちの価値観が反映されているものだ(もちろん、その流れに逆らって苦しんだ人たちも間違いなくいると思う)。もう一歩踏み込むと、その場限りの表面的な流れが整うことだけを重視する浅薄な物語に日本中が支配されてしまっていると言えるのではないだろうか。」(p56)
「見えない身体」=「自分自身の魂」との「つながり」が「切れている状態」というのは、「その場限りの表面的な流れが整うことだけを重視する浅薄な物語」を産み出しやすい。それは、プラクティカルに取り繕うことだけを重視し、表面の背後にある本質(=「見えない身体」)の面での大切さを捨てて、自分の「立場」にのみ拘泥し、その「立場」というものに「魂」が「植民地化」されてしまうからだ。僕はそれを、自らの「枠組み」へのとらわれ、という形で拙著で表現した。
では、どうすればそういう「浅薄な物語」と決別することが出来るのだろうか? それを、岩宮さんは「異界」とのアクセスという形で表現する。
「人が本当に自分の核と結びつこうとするときにたましいの中から生み出される物語には、日常の常識的な世界とは違う異界の視点が不可欠である。そうした異界の視点のひとつとして、村上春樹の小説の中では、思春期の視点が重要な役割を果たしているように感じられる。これは勝手な推測だが、村上春樹が小説を書くために自分の心の井戸を降りて、その中で見つかったメッセージをこの世に通じる形で成立させようとしたとき、思春期のイメージがその物語の成立を助けるものとして動き始めたのではないだろうか。もしくはそのメッセージそのものが、思春期と深くかかわりをもつものなのかもしれない。」(p38)
「見えない身体」とは「魂」との「つながり」がある、「潜在的な統合可能性をふくむ」身体である。この「見えない身体」と「見える身体」を統合するための「物語」には、「日常の常識的な世界とは違う異界の視点が不可欠である」。
冒頭に引用した部分に振り返って考えてみるならば、「見えない身体」という「魂」の次元との「つながりが切れていると、現実の横軸でどれほどの経験をしても、それぞれの経験はそのときだけの単発な出来事にしかなりえず、ひとつの大きな流れを持った意味のある体験として感じられなくなってしまうのである」。「見える身体」の世界での「横軸」の知識を網羅的につなげても、それは「単発な出来事」の集積にしかならない。「ひとつの大きな流れを持った意味のある体験」として「見えない身体」(=自分自身の魂)と「見える身体」(「横軸」の知識)をつなげることが出来てこそ、初めて自分独自の「生きられた物語」として描き出すことが可能なのである。この指摘は、僕も単著を書いてみて、すごくわかった。確かに、僕自身の物語を描き出すためにも、僕も「異界」に降りていった。
「僕自身が『身体を蝕み、自己の崩壊』の危機にあって気づき始めたこと、それはこの『自分自身の自己になること』への希求であった。何かがおかしい、と、合気道をはじめ、ダイエットによって身体が軽くなることで、思考のリミッターが外れ、自分自身に『蓋』をしているペルソナや心的肥大の存在に真正面から向き合うようになった。これは、まさに心的危機そのものでもあった。だが、ペルソナの心的肥大、つまり『社会の期待する自己を首尾よく演じ』ることが社会に役立つ唯一で最善の道である、と誤認していた僕自身にとって、この危機のお陰で、次のことを深く納得出来る状態に変容する事が可能になった。『個性化とは、まさに人間の集合的な使命を、よりよく、より完全に満たすことになるのである。(ユング 一九九五、九四頁)』」(竹端寛『枠組み外しの旅-「個性化」が変える福祉社会』青灯社、p187)
東日本大震災後、「被災地に直接行って何らかの役に立つことをしなければならない」という「ペルソナの心的肥大」=「見える身体」の強迫観念が増大していた。だがその一方、震災の1年前から「枠組み外し」の実践に取り組み始め、自らの「見えない身体」とのつながり=「自分自身の自己になること」を希求していた僕は、「ペルソナの肥大」(=「見える身体」)との折り合いをつけることができず、どうしても被災地に行けなかった。その中で、震災直後は「存在論的な裂け目」という「異界」にいたのだと、今振り返ってみると、気づく。そして、僕自身も「自分の核と結びつこうと」「自分の心の井戸を降りて」行きならが、『枠組み外しの旅』を書き続けていた。そういう意味では、村上春樹と同じように、僕自身も「自己治癒」的にこの本の執筆に取り組んでいたし、どこまでそこで見つけた「メッセージ」が読者のみなさんに届いているかはわからないが、僕自身としては、この本は「ひとつの大きな流れを持った意味のある体験」としてまとめることができた。そして、それは僕自身にとっての「個性化」であり、「ペルソナの心的肥大」ではなく、その「個性化」を果たさない限り、「社会に役立つ」=「人間の集合的な使命を、よりよく、より完全に満たすこと」なんて無理ではないか、と気づくことができた。
岩宮さんの「物語」を通じて、僕自身の「見えない身体」と「見える身体」、横軸と縦軸の「つながり」の回復が、拙著を書く中でなされていたようだ、ということを、後付的に知ることができた。ブログを書き始めていたときには、こんな結論になるとは思いもよらなかったけれど。

自由と不自由

内田樹さんの武道論を読み直していたら、実に納得するフレーズが目についた。

「自由であるというのは、ひとことで言えば、人生のさまざまな分岐点において決断を下すとき、誰の命令にも従わず、自分ひとりで判断し、決定の全責任を一人で負う、ということに尽くされる。他人の言葉に右往左往する人間、他人に決断の基準を訊ねる人間、それは自由とは何かを知らない人間である。そのような人は、ついにおのれの宿命について知ることがないだろう。」(『私の身体は頭がいい』内田樹著、新曜社、p26)
一見すると、「不自由」の方が楽に思える。他人の言葉を参照軸にして、決断の基準も他人にお伺いをたてる。自分で判断する「重み」がない分だけ、負荷が弱い、と。現に、そのような理由で、自分で判断せず、判断や責任を他者になすり付けている人も少なくない。その上、そういう人に限って、右往左往したり、他者の判断がまずかったりすると、愚痴を言ったり、他人をなじったりする。すなわちそれは、「不自由」であることの表現だったりする。肩の荷を卸しておいて、他者に責任をなすり付けておいて、うまくいかなったからと言って他者をなじる。これは、ある種の自作自演、自らが招来した不自由でもある。だが、この枠組み自体から「降りる」決断をするのは容易ではない。
自由になるためには、「誰の命令にも従わず、自分ひとりで判断し、決定の全責任を一人で負う」というシンプルな三要件につきる、と内田氏はいう。この三つは実にシンプルであり、一見すると、すぐにでも実現可能に見える。だが、選択肢を吟味していると、「Aの分岐点の次はBで、これをどちらにいくかでCやDという選択肢が出てきて、そのどちらかを選ぶと次に・・・」と無限の選択肢を想像せざるを得ない。そのうちに、この前書いたような「計算量爆発」の罠に陥り、どう考えていいのが、自らが雁字搦めになってしまう。そうなるくらいなら、身近な他人という参照枠に寄りかかる方が、知的負荷は楽である。これは、僕のオリジナルな知見ではない。作家の森博嗣氏のあのフレーズを思い出す。
「『決めつける』『思いこむ』というのは、情報の整理であり、思考や記憶の容量を節約する意味から言えば合理的な手段かもしれない。しかし逆にいえば、頭脳の処理能力が低いから、そういった単純化が必要となるのである。」(森博嗣『自由をつくる 自在に生きる』集英社新書、p42-43)
他者の言葉に右往左往する、というのは、その他者の言葉を聞かねばならないと「思い込む」ことから生じる。決断の基準を他者に訊ねるのは、自分より他者の判断の方が良いと「決めつける」ことから生じる。ともに、思考の節約をもたらす、過度な単純化である。
中途半端に頭がいい人ほど、端的に言えば「よい子」経験の長い人ほど、「長いものにまかれる」為に、自らの行動の準拠枠を他者に求め、その準拠枠に雁字搦めになることが、「よい子」の象徴であると信じる。実はそれは、他者への隷属でしかない、にも関わらず。
ではどうすれば、不自由から脱出できるか。これも森さんが喝破している。
「支配だと気づくことで、その傘の下にいる自分を初めて客観的に捉えることができる。それが見えれば、自分にとっての自由をもっと積極的に考えることができ、自分の可能性は大きく拡がるだろう。」(森博嗣『自由をつくる 自在に生きる』集英社新書、p42-43)
自らの準拠枠を他者に譲り渡すことは、「思考の節約」なだけでなく、他者支配である。このことに気づけると、楽をしているようでいて、本質的には右往左往しているだけ、振り回されているだけ、という実態に気づく事が出来る。自らが振り回されている、支配されている、という現実に、まずは気づく事。それが出来れば、「その傘の下にいる自分を初めて客観的に捉えることができる」と森さんも言う。
だが、プライドだけが高い人ほど、自らの隷属状態を認めたくない。へりくつをつけて、その隷属状態に自ら進んで入っている、あるいは他者の参照枠に準拠せざるを得ない状態を「しかたない」「それしかない」という言い訳でごまかす。しかし、その自己欺瞞こそ、自らを不自由にしている最大の根拠でもあるのだ。
社会的立場や、世間の動向、を言い訳にするのは、「思考の節約」だ。「自分にとっての自由をもっと積極的に考え」、その結果として、「誰の命令にも従わず、自分ひとりで判断し、決定の全責任を一人で負う」ことが出来れば、不自由な他者の論理から自由になれるのだから、実はもっと楽になる。だが、その「本当の楽しさ(=自由さ)」こそ、人は忌避しているのかもしれない。そんなことを感じることもある。
日々、自らが自由かどうか、支配されているかどうか、を意識すること。これは、被支配の現実を認める、プライドが許さない現実認識かもしれない。だが、その先にしか、本当の楽しさと自由はないのだ。

動的プロセスとしての支援

最近、現場の人びとと勉強会を始めた。テーマは、コミュニティーソーシャルワーク(CSW)について。木曜日の夕方、ネタ本として用意したあるテキストの次のフレーズで議論が大きく盛り上がった。

「人びとが自分自身で行動するのを援助する(help them do things themselves)」のか、それとも「彼らに何かしてあげるために我々がいる(do things for people)」のか?
そして、現場のある支援者がぼそっとつぶやいた。
「うちの町では、住民活動って、お膳立てして、用意してあげるもんだ、というのが常識になっている」
なるほど、住民たちの自発的行為を促し・支えるのか、住民活動の「お膳立て」をするのか。この部分が、地域福祉を展開していく際の鍵となる部分なのかな、という感触が見えてきた。
「地域福祉」が政策的に重要視されて久しい。地域包括ケアシステムとか、障害者地域自立支援協議会とか、地域を巻き込んだ、住民参加型の地域作りの必要性を、国は政策誘導的に展開している。介護保険もこのままいくと財政破綻になるから、と要支援・要介護1の人への支援を縮小する案を提案している、という報道もある。地域の中での住民助け合い活動によって、軽度の要介護者のサポートをしてほしい、そのためには、地域活動を支えるコミュニティーソーシャルワーカーも増やして、地域作りも展開してほしい。そんな思惑がじわじわと感じられる。
で、僕自身は一昨年から、山梨県の長寿社会課の地域包括ケアシステムに関する研究会に関わらせて頂き、この問題について学びながら考えてきた。現場の地域包括支援センターの職員さんたちと議論しながら、山梨での課題を探っていた。また、3年前からは南アルプス市で、そして昨年度からは昭和町で、アドバイザーとして自治体や包括、社協の担当者たちと議論を重ねながら、その街の地域包括ケアシステムのあり方について、模索を重ねてきた。
もともと僕は、大学院時代には高齢者政策も学んだけれど、その後一応障害者福祉政策が専門になったので、しばらく高齢者政策から遠ざかっていた。なので、これを気に、国の報告書など読み囓ったけれど、どうもあまりしっくりこない。現場の人も混乱しているようだ。ならば、研究会のメンバーと一緒に作ってしまえ、ということで、山梨県版のマニュアルを「チーム山梨」で作ってみた。
おかげさまでこの「手引き」は、かなり好評なようだ。自治体や包括が何を考えたらいいのか、を「考えるヒント」になる、という。同時期に国の基金事業で出された地域ケア会議運営マニュアルの作成メンバーだった方からも、山梨の報告書はわかりやすい、とお褒めの言葉を頂いた。
で、長い前振りになったが、山梨の「手引き」を作るときに大切にしたのも、先ほどのポイント。
この手引き作成を通じて大切にした問いは、「人びとが自分自身で行動するのを援助する」のか、それとも「彼らに何かしてあげるためにこの手引きがある」のか、である。言い換えれば、支援を必要としている人・自治体が自分たちの力で考え行動していくのを支援するのか、ずっと支援者に依存する状態を作り出すのか? 以前から書いているフレーズを使えば、現場で「成功する解決策」としての「成解」を導き出すための支援をするのか、一律の「正解」を現場に当てはめるのか?
実は、ミクロの個別支援であれ、マクロの自治体レベルのシステム作りであれ、その支援対象者・自治体の「自発性」を引き出すエンパワメント支援なのか、あるいは「出来ない人・自治体の代わりに”やってあげる”」型の支援なのか、が大きく問われているのだ。
その際、どうも日本の地域福祉の教科書を読みあさっていても、なかなか「人びとの力を引き出す」という部分が強く出てこない。そこで、どうせなら、とイギリスのコミュニティワークの定評ある教科書を読み始めた。初版は1982年で、第三版は翻訳も出ているので、現場の人びとにはそれを読んで頂き、僕は第四版を読んでみた。で、読み進めるほどに、日本の教科書との本質的な違いが見えてきた。それは、イギリスのコミュニティワークは、あくまでも住民活動を自発的に組織化する支援をする、というのが大前提になっているのである。だからこそ、ある時点での撤退(Withdrawal)というテーマも出てくる。この部分を読んだ現場の支援者の中には、「撤退なんて発想はないよね」というつぶやきも聞かれた。
なぜ、撤退はないのか? それは、結局、住民活動も「事業化」された、ルーティーンワークの一つになってしまっているから、である。愛育会や民生委員活動も、出来た当初は地域課題に取り組むダイナミズムをもった活動だった。が、現在、そのダイナミズムを保持し続ける愛育会や民生委員活動は、どれほどあるだろう? 自治会の機能低下も叫ばれるが、以前からあるそれらの「住民活動」が、ミッションを問い直し、定義し直し、活動を再編することが出来ているだろうか? そのようなミッションマネジメントの支援に、行政が取り組めているだろうか? 何となくの年中行事をこなすだけの、事業継続支援に終始していないだろうか? それって、まさに「お役所仕事」ではないだろうか?
地域福祉とは、システム化してしまえばルーティーンでまわせる、静的なもの、ではない。その地域の人口動態の変化、社会資源の推移、キーパーソンのやる気、あるいは首長や自治体の姿勢の変化にあわせて、どんどん動いていく動的プロセスである。なので、山梨の「手引き」にも、次のように定義づけしてみた。
「地域ケア会議とは、自分の住んでいる地域でよりよい支え合いの体制づくりを作ためのツールであり、単に会議を開催すれば良いのではなく、各地域の実情に基いて、地域づくりの展開のプロセスの中で、開催形式や方法論を柔軟に変えていことが求められる、動的プロセスである。」
「事
業」という形で官僚制システムの中に飲み込まれると、毎年継続するという意味では安定するが、ルーティーンワーク化されると、何のために、どういう目的で、なぜ行うのか、という根本的な問いが消えてしまう。しかし、地域の実情はどんどん動いていく。にもかかわらず、以前の実態に適応した方法論にこだわり続けると、支援アプローチと実態が大きく乖離してしまう。その際、形式や方法論を、実態に合わせて柔軟に変えていくことができるか。これは、「彼らに何かしてあげるために我々がいる」、つまり支援者側の都合で支援をするのか、「人びとが自分自身で行動するのを援助する」=人びとの自発性や潜在能力の最大化を支援する為に支援者が存在するのか、の分かれ道なのである。
そういう意味で、支援が固着化し、支援漬けになり、人びとの自主性をそがないためにも、人びとの自発性・誇り・役割意識を引き出す「動的プロセスとしての支援」は、個別援助でも、市民活動のサポートでも、どんな局面でも必要不可欠だ。そんなことを、現場の人びとの議論を聞きながら、ぼんやり考えていた。

相手の内在的論理に精通する

昨日、ブログでつぶやいたことが、結構リツイートされているようだ。そのつぶやきは・・・
「本当に何かを変えたいのなら、自己主張する前に、まず相手の内在的論理にじっくり耳を傾ける必要がある。相手の論理構築の方法論をしっかり理解し、敬意を抱いた上で、こちらの論理との共通点を探る。本当に対話の出来る「大人」なら、声高・雄弁に語る前に、謙虚に聞く耳を持っている。」
このつぶやきが出てきた発端は、SYNODOSの『したたかな韓国』著者・浅羽祐樹氏へのインタビュー記事だった。その中で、大変興味深い発言があった。
「まずは、ゲームの構図がどうなっているか、そのルールはなにで、ジャッジは誰なのか、といった「大きな絵」を理解することが大切ですね。本書の副題は「朴槿恵時代の戦略を探る」ですが、もちろん、朴槿恵の戦略をそのまま受けいれるという意味ではけっしてなくて、相手やゲームの性格におうじた日本の戦略を探り、外交にのぞむためです。読者の方々には、ぜひとも優秀なクライアントになって、自分に不利なものも含めてそれぞれのシナリオごとに筋道を考え結論を導く<悪魔の代弁人>を立てて、さまざまな問題にアプローチしていってほしいと思っています。」
この浅羽さんの発言を読みながら、彼のこの骨法は国際関係だけでなく、何らかのコンフリクトに陥っている論点に対して使える、極めて普遍的な考え方だと感じていた。少しその点について掘り下げてみたい。
浅羽さんの発言の興味深い点は、日本と韓国の外交関係の論点を考える際、日本側の立場に立つだけでなく、韓国側に立つ重要性を<悪魔の代弁人>というスタンスで整理しているところである。自分とは意見の違う相手(=悪魔)がどのような根拠を持って自らの「正しさ」を主張しようとしているのか。自らが相手の主張の「代弁人」なら、どのように相手の内在的論理をくみ取り、相手側の正当性・正統性を主張するか。それをきちんと考えておかないと、相手の戦略に結果的に飲み込まれていく、という風に僕は受け止めた。
で、僕自身も含めて案外陥りがちな罠とは、「自分の正しさ」にこだわる・居着くと、「相手の正しさ」が見えなくなることである。
意見が異なる論点について、「僕は悪くない」「相手が問題だ」と、You are wrong! I am right!という善悪の二項対立図式にはまり込んでしまうと、この「思い込み」から安易に離れられない。
「何を言うのだ! 正しいことを正しいと述べて、何が問題なのだ」
そういう反論が聞こえてきそうだ。
ただ、何のために「正しさ」を述べるのか、という目的に応じて、適切な手段は分かれる。
①「私は正しい」と自己表現をする目的
②「私の正しさ」を相手も(部分的には)認めた上で、相手と一定の合意形成をする目的
①の場合は、自己表現をする事が目的なのだから、ひたすら「○○はオカシイ・間違いだ」「そう指摘する私は正しい」と主張していればよい。ただし、これはあくまでも自己表現であって、対話ではない。
もし、あなたが何か今の現状を本気で変えたい、と思うなら、①のアプローチは、方法論としては不適切である。なぜなら、①はあくまでも「自己表現」が最終目的である。価値前提が異なる・争点となる問題について、自己表現や説得では、物事は動かない。なぜなら、相手も「自己表現」モードであれば、異なる自己表現のどちらがすばらしいか、という審美主義的価値論争になり、簡単に言えば「好み」の問題になるので、永遠に決着はつかないからだ。
本気で何かを変えたければ、②のように、自分と相手の違いを見定め、お互いが納得できる価値前提にまで立ち返り、そこから共有できる部分を増やすしかない。①は自己表現だから、不勉強でも、思いつきでも、いつでもどこでも簡単にできる。でも、暗礁に乗り上げた問題とは、そもそも乗り上げるまでの様々な誤解や相違、価値前提の違いが積み重なった上での「結果論」なのである。異なる意見が構築されるプロセスにおける、相手の「正しさ」の内在的論理を徹底的に分析し、理解した上で、自らの内在的論理と共有できる部分、ズレが生じた部分はどこか、を見定める必要がある。そして、共通する価値前提の部分に基づき、相違する争点に関して、相手の内在的論理も添う形で、こちらの主張も盛り込んだ「代替案」を示し、それに対する理解や納得、一定の評価を得る。その中からしか、共有化できる論点は生まれない。そして、論点が共有化されないと、相手と私の間で、一定の合意形成は出来ない。
ものすごく、当たり前のことを書いているつもりである。でも、感情的な問題では、どうもこの当たり前の前提が無視されがちだ。
自分の意見が相手に伝わらないとき、つい次のような愚痴を言ってしまわないだろうか。
「理不尽だ」「許せない」「なんでこんな事もわからないんだ」「わからずや」「こいつは頭が悪い」
しかし、自分が言っていることが正しくて、相手の言っていることは頭が悪い、と最初から決めつけている論理は、だいたいにおいて、自己満足ではあっても、その知性は疑われる。僕はそういうときには、いつも内田先生の次の箴言を思い浮かべる。
「私たちは知性を計量するとき、その人の『真剣さ』や『情報量』や『現場経験』などというものを勘定には入れない。そうではなくて、その人が自分の知っていることをどれくらい疑っているか、自分が見たものをどれくらい信じていないか、自分の善意に紛れ込んでいる欲望をどれくらい意識化できるか、を基準にして判断する。」(『ためらいの倫理学』内田樹著、角川文庫)
ここで大切なのは、自分がどれだけその問題について熱心か(=真剣さ)、どれだけネットや本などを読みあさったか(=情報量)、どれだけその現場に足を運んだか(=現場経験)を、知性の計量において、勘定には入れない、という点である。「その人が自分の知っていることをどれくらい疑っているか、自分が見たものをどれくらい信じていないか、自分の善意に紛れ込んでいる欲望をどれくらい意識化できるか」というのは、簡単に言えば、「どれだけ自分の愚かさを勘定にいれているか」という事である。裏を返せば、「どれだけ自分の論理のおかしさを検証しているか、どれだけ相手の正しさの可能性を検討しているか」が、「知性の判断基準」である、と指摘しているのだ。
相手に「わからずや!」と暴言を吐くとき、論理よりも「私は正しい」という自己表現が先立つ。そして、残念ながら自己表現は、好みの問題でもあるので、特に大きく意見の異なる相手の「好み」と合う可能性は低く、相互理解や変容は導き出せない。
その時に大切なのは、「自分の正しさ」を捨てること、ではない。ただ、一度はその「自分の正しさ」から「自由」になる必要はある。一度自分の「好み」を横に置いておいて、相手がなぜ自分とは異なる考え方を「正しい」と「好む」ようになったのか、その好みの理由を徹底的に相手の立場にたって考えることである。その際、既に書かれている相手への悪口を判断材料にしたって、絶対にその内在的論理は理解できない。大切なのは、相手が正しいと考える根拠となる一次資料を丹念に読み解き、相手がどういう考え方の根拠で「その正しさ」を獲得するにいたったのか、相手の頭の論理構造をトレースすることだ。そして、厳しいことを言うと、その相手の内在的論理を分析する時間と手間を惜しむ人ほど、②のアプローチをとらず、①の自己表現に終始しているような気がする。それは、本当に「知性的」と言えるのだろうか。
・・・と書く僕も、決してこれがきちんと出来ている訳ではない。手痛い失敗がある。
昨年まで務めた国の障がい者制度改革の委員会では、厚生労働省の内在的論理に迫りきれなかったのが、その後の「失敗」に結びついた一因である、と感じている(事の顛末はシノドスにも書かせていただいた)。もちろん、この委員会では、これまで意見がまとまらなかった多様な障害関係者の意見をまとめた骨格提言を作り上げる事が出来た。だが、肝心の厚労省とは、残念ながら全面対決姿勢になってしまったので、歩み寄れなかった。その結果、骨格提言内容は見事に葬り去られた。
この際、「厚労省が悪い」というのは、①の自己表現になってしまう。確かに、厚労省の前例踏襲主義に対して「そりゃないよ!」と思うことは多々あった。だが、②を目指すなら、厚労省がなぜ障害程度区分にあれほどまでに拘るのか、なぜ国庫負担基準は絶対死守するのか、なぜ入所施設や精神科病院をあれほどまでに庇うのか、という内在的論理を、厚労省の<代理人>として分析する知性が、少なくとも僕には足りなかった。障害者福祉の国際的動向や、社会モデルの考え方、当事者主体などの理論を基に、「自分たちの考える正しさ」を全面に押し出してしまった。
自己表現なら、それでいいのかもしれない。とはいえ、別に厚労省におもねる必要もない。だが、本当に厚労省を変えようとするなら、厚労省が「正しい」と考えることの内在的論理を徹底的に分析し、その論理の「正しさ」の価値前提を理解した上で、双方の価値前提の共通点と相違点をきちんと踏まえ、その共有化した前提ポイントから相手を揺さぶるオルタナティブを提起すべきだった。だが、自分たちの「正しさ」の骨格提言をまとめるのに精一杯で、その「対話」の論理を徹底的に煮詰めきるには至らなかった。もちろん、向こうも最初から「対話」する気がなかった、という悲しい事情もあるが・・・。
言うは易く行うは難し
だが、この<悪魔の弁護人>の論理は、本当に社会を変えたければ、絶対に身につける必要がある。原発問題や憲法改正、米軍基地問題など、大きく意見が分かれる問題についても、自己表現ではなく、相手と納得できる共有点を探し、そこから相手の価値前提を動かしていく<悪魔の弁護人>のスタンスが必要とされている。
だからこそ、声高に叫ぶ前に、まず謙虚に、相手に敬意を持って、相手の論理をじっくり聞く必要があるのだ。なかなか自分がカッとなってしまうと、それが出来にくいのだけれど・・・。

計算量爆発による高熱?

最近、季節の変わり目ということもあり、風邪を引いているひとも多い。

僕もご多分に漏れず!?先週末から調子を崩し、月曜日には38.5℃の高熱を出して寝込んだ。幸い、中国医学が専門の主治医、中田先生にすぐに診て頂き、大量の汗を全身でかきまくるうちに、何とか火曜日には平熱に下がって、社会復帰できたのだけれど。
で、今回の風邪は単なる体調不良とかハードスケジュールではない。その原因をいろいろ探る中で、最近自らがうじうじ考えていたことに原因があることが、ようやく見えてきた。
「この先の人生、どうなるのだろう」
このような漠然とした将来への不安を抱く人は、少なくないと思う。就活をしている学生と日常的に出会う僕にとっては、「よくある話」である。で、それが学生からの相談だったら、「予言者でもない限り、誰にもわからないよ」「とりあえず働いてから考えてみたら」等と言っている自分がいる。だが、今回その主訴を抱えるのが、学生ではなく他ならぬ自分自身だったので、話は別になる。
少し前のブログで「人生の正午」について書いた。この頃から、自分自身の生き方の様々な局面で、何をどうデザインしていけばいいのか、が宙づり状態になっている。その中で、具体的に今後何をどうしていこうか、という判断に迫られた際、自分の選択決定に関する判断根拠そのものに疑いの眼差しを向け始め、それによって、堂々巡りをする自分がいることに、最近気づいた。そのしんどさを、夜ご飯を食べながら妻にボソボソしゃべっているうちに、ふと、ある言葉が浮かぶ。
計算量爆発!
これは合理的選択に関する計算量が爆発的に増大してしまう事に関する、安冨先生の慧眼である。少し、その原理をみておこう。
「いま、財2種類で4組の選択肢があった。これが3種類になると、2の3乗で8組の選択肢ができる。4種類なら16組、5種類なら32組。いわゆるねずみ算式に組み合わせが増える。10種類で1024組、20種類で104万8576組、50種類になると、
1,125,899,906,842,620組
なってしまう。(略)こういう具合に種類が増えると組み合わせが激増する事態を、『組み合わせ爆発』あるいは『計算量爆発』と呼ぶ。この膨大な数の組み合わせを、望ましい順にならべるには、さらに長い時間がかかる。」(安冨歩『生きるための経済学』NHKブックス、p30)
そう、合理的選択とは、一つ一つの選択をきちんと理詰めで行っていく、ということだが、そもそも一つ一つの振る舞いを理詰めで行い続けたら、生きていけない。たとえば目覚めから出勤までの間でも、「今起きるのか」「今日はどの服でいくか」「朝食は食べるか・食べるとしたら何をどれくらいか」」・・・など、ものすごい数の選択を無意識にこなしている。これは合理的ではなく自動化された選択である。だから、短時間で何とか身支度が可能なのである。これはルーティーン化された内容だけではない。たとえば、「どの洋服を買うか」「夜ご飯はどこで食べるか」「どこに旅行に行くか」「10年後に何をしたいか」など、非日常、あるいは将来に関する未決定のことを決めていくときも、全く同じように無数の選択肢の組み合わせが生じる。
で、僕は愚かにも、「この先の人生どうしたらいいのだろう」という合理的選択が出来ようもない課題について、一つ一つ考えを巡らせているうちに、無意識でも歯止めがきかなくなり、計算量爆発の渦の中に飲み込まれ、その身体症状化として高熱に至ったのではないか。そんな仮説を立ててみる。するとそれだけで、元気が出てくるから、単細胞というか、不思議なものである。
では、計算量爆発の事態にどう対処したらいいか。それも、安冨先生は、名著『生きる技法』(青灯社)の中で、以下のように構造化してくださっている。
【命題6】   自由とは、選択の自由のことではない
【命題6-2】  成功とは、可能な選択肢の中から、最善の選択をすることではない
【命題6-4】  無数の選択肢の中から、正しい選択をすることなど、原理的に不可能である
【命題6-7】  不可避の選択に直面しているなら、どれを選ぶかは問題ではなく、どのように選ぶかだけが問題である
【命題6-8】  自分の内なる声に耳を澄まして、その声に従う
【命題6-10】 自由とは、思い通りの方向に成長することである
合理的選択や最適な選択という「ワナ」にはまるな、そんなものはない、という喝破である。その上で、「どうすればいいのか?」と一つ一つの選択肢を合理的に吟味して追い込まれるくらいなら、「自分の内なる声に耳を澄まして、その声に従う」、という自分の感覚を信じた方が、よほどましである、とも指摘している。論理や「正しさ」に呪縛されるより、感覚に素直に選ぶ方が、何を選んでも、結果的にうまくいく可能性が高い、ということでもある。そして、「選択の自由」や「合理的選択」概念の虜になる限り、思い通りの方向に成長」することはできない。それって、「不自由」だよね、という結論である。
そう、この間の計算量爆発による高熱とは、自らの将来を、自分で不自由なものにしようとしていることに対する、身体を張った抗議活動だったのだ。
その当たり前のことに気づくと、なんだか靄が晴れたように、自分の中でのしんどさがスッと消えていった。もちろん、まだ風邪の後遺症は残って、多少ゼイゼイ言っているので、用心しなければならない。でも、「人生はコントロール可能である」という不遜で傲慢な立ち位置、その根拠なき立ち位置がもたらす漠とした不安、その不安を振り切ろうと「合理的選択」に走る事による計算量爆発という暴発、という自らの悪循環を、風邪や高熱は知らせてくれた。いやはや、きちんと高熱や身体反応の内在的論理を伺う必要がある、と気づかされたこの1週間であった。とほほ。

続 わかりやすく書くことの難しさ

以前、国の会議の委員をしていた時、知的障害の当事者にわかりやすい資料を、と求められていたことをブログに書いたことがある。

今回、その委員会でご一緒したNさんが、僕の本を読んでみたい、とおっしゃった。
じぇじぇじぇ!
僕の本は、「すごく面白くて読みやすかった」と言う人と、「途中でさっぱり訳がわからなくなった」という人に分かれるのだ。つまり、万人受けに読みやすい文章ではない、ということである。こまった。
もちろんNさんには、会議の時にチョコなどを頂いてお世話になっているので、本を進呈したい。でも、そのままお送りすると、「さっぱりわからない」とダメだしされそうだ。なので、以前の意見書と同じように、拙著をわかりやすくダイジェストにまとめたお手紙を添えてみた。以下、その本文の一部をご紹介する。伝わるといいのだけれど・・・。え、難しいって? ううん・・・。
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<この本は何を言おうとしているのか(目的)>
この本を書き終えて、一番伝えたいこと。それは「法律や制度は変えることができる。でも、本当に何かを変えたい、と思ったら、まずは自分が変わらなければならない」ということです。
<なぜ書こうとしたのか(理由)>
国の障がい者制度改革推進会議は、本当にかなしい結果におわりました。僕たちがまとめた「骨格提言」を、厚生労働省はほとんど無視したのですよね。あの会議では、厚生労働省の役人は、いねむりをしたり、きちんと話を聞いてくれなかったり、ということがありました。そして、会議の外では「こんな会議はまとまるはずがない」と悪口を言っているのも聞きました。また、会議が終わったあと、「あんなまとめが法律になるはずはない」「夢のようなお話であり、現実的ではない」という悪口も、たくさん聞きました。
僕は、そういう悪口や、うまくいかなかった現実が、すごく悲しかったのです。その理由は、自分が心を込めて作ったものが否定されたから、だけではありません。多くの人が助け合いながら作ったものを、中身をきちんと読んで考えることなく、「どうせ無理だよ」「できっこないよ」「今の世の中では、しかたないよ」と最初から決めつけて、否定していたからでした。全く言葉も中身も相手に伝わっていなかったことが、最大のショックだったのです。
僕は「どうせ」「しかたない」という言葉が嫌いです。その理由は、「どうせ」「しかたない」と口にする人は、自分自身のことを見下して、自分自身の「あきらめ」を他人に押しつけているような気がするからです。そして、国の法律や政策を本当に変えたい、と思うのなら、まずはみんなが口にする「どうせ」「しかたない」という「あきらめ」の言葉を、どうしたら減らすことができるのか、を考えなければならないと思いました。
そこで、この本の中では、僕自身が「あきらめ」ていたダイエットや花粉症の話からはじめました。僕は他人に「変われ」と言いながら、自分自身のダイエットは「どうせ無理だ」と「あきらめ」ていたんです。でも、その「あきらめ」が、自分自身の「思い込み」であることに、気づかされました。そして、ダイエットができて、体重が軽くなると、その「思い込み」もなくなった分、心が「自由」になったのです。その話を書きながら、どうしたら「どうせ」「しかたない」という「あきらめ」から「自由」になり、心が楽になるのか、も考えました。心を不自由にする「枠組み」をどう「外す」ことができるか。その「枠」を「外す」と、どんな新しい「旅」がはじまるのか。それを「枠組み外しの旅」の中では考えました。
<どんな内容が書かれているのか(あらすじ)>
5点ほどにまとめてみました。
【①自分の「思い込み」が、世の中が変わらない最大の理由】
「どうせ無理だよ」「社会のことは、変えられないよ」「しかたないよ」
こういった言葉は、「本当のこと(事実)」ではなく、自分の「思い込み」です。でも、自分の「思い込み」は、「外せないめがね」のように、自分自身にくっついています。そして、いつもその「めがね」を通してみることが「あたり前」になっていたら、いつのまにか、「思い込み」を「本当のこと」と間違えて信じてしまいます。
僕たちの社会で「どうせ」「しかたない」と思っていることの中に、このような「思い込み」を「本当のこと」と間違えて信じてしまっていることが沢山あります。「政治家が悪い」「役人はだめだ」「マスコミは一方的だ」など、「○○が悪い」という悪口を、多くの人は言います。でも、その悪口を言うひとは、「○○が悪い、と言う僕は悪くない」と思っているのです。そして、この「僕は悪くない」というのを、みんな「本当のこと」だと「思い込み」をしているのです。
その「思い込み」こそが、世の中が変わらない一番の理由だと僕は考えました。
【②僕とあなたが「学びあう」話し合いの中から、学びの「うずまき」ができる】
では、どうしたら「思い込み」という「めがね」を外すことができるのでしょうか。それは、違う意見を持つ人と「話し合い(対話)」をする中からしか、始まりません。
ただ、「話し合い」とは、自分の意見を相手に押しつけることではありません。たとえば学校では、先生が生徒に一方的に知識や意見を押しつける、生徒はだまってそれを受け止める、というやり方がされている時もあります。これは、「話し合い」ではありません。なぜなら、先生の考えの押しつけ、だからです。福祉でも、支援者が障害者に同じように押しつけている場合もありますよね。これも、「話し合い」ではありません。
では、「話し合い(対話)」とは何でしょうか。それは、お互いが「学び合う」なかから生まれるものだと僕は考えます。僕はあなたに、僕の知っていること、考えていることを伝える。あなたは僕に、あなたの感じていること、考えていることを伝える。その「やりとり」をする中で、お互いが自分の知らない、感じていない、考えていないことを、相手から学ぶ。そのような関わりが、先生と生徒、支援者と障害者のあいだに生まれたら、お互いがもっと楽しく「学びあい」成長できると思うのです。
そして、お互いが「学び合う」関わりの中で、学びの「うずまき」ができます。うずまきとは、いろいろなものを吸い込みながら、大きくなっていきますよね。一人で学ぶのではなく、僕とあなたが一緒に「学び合う」なかで、学びの「うずまき」が少しずつ大きくなっていきます。
【③学びの「うずまき」が、「どうせ」「しかなたい」を超える力を持つ】
学びの「うずまき」が大きくなると、それはやがて僕やあなたが持っている「思い込み」を吹き飛ばしてくれます。「どうせ」「しかたない」と「あきらめ」ていたことは、僕の小さな「思い込み」に過ぎない。でも、その「思い込み」を「本当のこと」だと間違えて信じていることを、「学びあい」の「うずまき」は気づかせてくれます。
ただ、人間は弱い生き物です。自分自身が「まちがっていた」と気づかされることは、楽しいことではありません。だから、「話し合い」が嫌いで、自分の意見を押しつける「いばりんぼう」の人は、「思い込み」を「本当のことだ」と言い張ろうとします。でも、もし僕やあなたが「話し合い」を大切にして、あいての意見から「学ぼう」とするならば、このような「いばりんぼう」こそ、バカバカしいと気づけます。その「気づき」が増えると、やがて学びの「うずまき」が大きくなり、その中で、「どうせ」「しかたない」と「あきらめる」こともバカバカしい、と気づけるのです。
【④一人一人の「思い込み」という「枠」を「外す」と、「自由」な世界が見える】
僕は、学びの「うずまき」が「気づかせてくれること」を、「枠組み外し」と名前をつけました。その意味は、自分自身の「思い込み」というのは、自分が作りあげた「勝手な枠組み」であるし、その「枠組み」は「外す」ことが可能だ、ということです。
たとえば、福島で原発が爆発して、多くの人が福島に住めません。そんな中でも、「原発がなかったら日本はダメになる」という「思い込み」を「本当のこと」だと言っている人は沢山います。でも、それは「本当のこと」なのでしょうか? 少しでも減らす・なくす努力をまじめにした後に言うのなら、「本当のこと」かもしれません。でも、「原発は今すぐ動かすべきだ」と言う人の大半は、少しでも減らす・なくす努力をしようとしているようには、僕には思えません。つまり、「どうせ」原発がないとダメだ、原発があるのも「しかたない」という「思い込み」を「本当のこと」と信じて、その「枠組み」から「自由」になれない人たちだ、と僕は思うのです。
もしあなたや僕が、意見の違う相手と「学びあい」をしながら、「気づき」を増やし、学びの「うずまき」を作ることができたら、「どうせ」「しかたない」という「思い込み」を外すことができるかもしれません。そして、その「思い込み」を外してみたら、いろいろなできそうなことが見えてきます。「どうせ」「しかたない」とその先を考えなかったことについて、「自由」に考えることができると、もっと別のやり方を思いつくこともできるのです。そうやって「思い込み」を外す・減らすと、少しずつ、生きるのが楽しくなり、「自由」が増えるのです。
【⑤「思い込み」を外して、「学びあう」中で、一人一人の「個性化」が進む。そして、自分が変わることによって、社会も変わり始める】
実は、この本を書いていて気づいたのですが、「社会人」と呼ばれる人の多くが、いろいろな「思い込み」に苦しめられています。「どうせ」「むりだ」とため息をつき、「あきらめ」ているのです。「あきらめ」の毎日って、ずいぶんつまらないですよね。楽しくないですよね。
本当に「楽しもう」とするなら、周りの人がどう言っている、とか気にすることなく、自分が学びたいことを、相手からきちんと学ぶことが大切です。その「話し合い」が「学びあい」になるなかで、自分が何を本当はしたいのか、ということが見えてきます。その「本当にしたいこと」を追求するのが、少し難しい言葉ですが「個性化」といいます。
人はもともと「その人らしさ(個性)」をもっています。でも、大人になるなかで、「その人らしさ」よりも、社会の「あたり前」を大切にするようになります。すると、他の人について行くことはできても、自分一人で進んでいくことが苦手になります。「学びあい」を通じて、自分自身の「思い込み」に気づくことにより、少しずつ「どうせ」「しかたない」という「あきらめ」から自由になれます。その中で、「その人らしさ」をもう一度、取り戻すことができます。それが「個性化」なのです。
そして、「その人らしさ」を取り戻すことは、実は社会を変えることにもつながっています。
一番さいしょに、「本当に何かを変えたい、と思ったら、まずは自分が変わらなければならない」と書きました。それは「自分が変われば、社会も変わるかもしれない」ということでもあるのかもしれません。
そんなこと、前から知っているよ!という声が聞こえてきそうです。いや、もしかしたら、「難しくて、何言いたいのかわからない」と言われるかもしれません。
僕は、自分の頭で考えて、文章にしてみて、やっとこの内容がわかりました。ただ、まだまだ簡単に言うことが、上手ではありません。本の中では、もっと難しくしか、書けませんでした。すいません。
長い文章を最後まで読むのは、大変だったと思います。読んでくださって、ありがとうございました。

1年ぶりの単著執筆プロセス

1ヶ月近くも、ブログに書く時間がとれなかった。

4月の後半は、講義やら学内委員会仕事やら、でドタバタ過ぎ去り、連休はうちの大学は幸運にも全部休みにしたので(近年15回授業必須の呪縛の影響でGW期間中も講義をしている大学も多い)、二冊目の単著となる予定の「権利擁護本」の序論を必死になって書いていた。
新たなテーマでまとまった何かを書くときは、深く自分の中に潜り込み、あるテーマに関して、これまで知っていること・考えてきたことを掘り下げて考え抜く中で、思いもよらなかった何か、に辿り着く。去年の連休も同じサイクルだったので、ちょうど1年前、人生初の単著となる原稿の初稿を書き終えた頃、ブログでこんなふうに書いていた。
『書いている自分自身にとって、「新鮮み」や「発見」のない原稿を書きたくない。でも、僕が持ち合わせている知識や元ネタには限界がある。それをないから、と新しい本を読むことに必死になったら、クイズ王的なトリビアとしての「新鮮な発見」はあるかもしれないが、内容的には面白くない。むしろ、「新たな発見」とは、これまで見えている景色を、どう新しく解釈できるか、ではないか。それは、新たな情報を探し続けるネットサーフィン的なものではなく、村上春樹流に言えば、「井戸を掘る」ように、所与の前提とされた世界観の奥底に潜む、誰もが知らない集合的無意識のような闇に潜り込み、その中から、自分でしかすくい取れない視点や考え方を掘り当てて、この世の光に照らし直すような営みでは無いか。そして、その営みこそ、内田樹さんは「前言撤回的」と言ったのではないか。』
これは、一冊の本を書き終えてみて、深く実感することである。
僕自身、「研究者」という肩書きに必死になって適応しようとしていた頃は、「クイズ王的なトリビア」に拘っていたのかもしれない。あるいは、「先行研究のレビュー」という「お作法」に雁字搦めになる、とか。実は、いままで権利擁護について書きためてきた論文集を出してもらえることになり、その序章を書こうと4月の後半から机の前に座っても、1週間ほど、固まっていた。その最大の理由が、この「お作法」や「トリビア」への無意識的こだわり、であった。まだまだ権利擁護について、Advocacyについて、知らないことは多いし、読むべき未読文献も少なくとも集めたものだけでも山ほどある。それを全部網羅して体系的に論述しないと何か言えないのではないか、と思い込んでいた。
ただ、ある時点で、「待てよ、読者はだれだ?」と問い直す自分がいた。
この本は、博士論文を取得するために書いているのではない。また、研究者向け、というより、ケアマネージャーや社会福祉士、PSWや行政職員など、権利擁護に日々関わる現場職員にこそ、読んでもらいたい、と思っている。であれば、そのような体系的な権利擁護やアドボカシーの理論的・概念的整理にエネルギーを注ぐ必要があるのか、を問い直した。確かに文献レビューをすることも、それはそれとして「新鮮さ」や「発見」があることは、僕も博論や査読論文を書く中で、多少なりとも経験している。だが、単著は、そのような厳密な科学的手続きの世界の枠組みに拘束されず、もう少し自由に、議論を展開できるはずだ。そして、権利擁護実践について伝えたいのは、現場を変えるための「武器となる知識」である。
また、前期のブログでも触れた、1年前に仲間に言われた次のフレーズも引っかかっていた。
『これまでの竹端論文を全て読んできたので、コアなファンの眼では「竹端論文ダイジェスト+新事例」という印象で、新鮮な発見が少なかったからかもしれません。もちろん、一般の読者にとっては、要旨明瞭で、竹端論文の美味しいとこ取りの論文だと思いました。』
実は上記の指摘は、とある原稿を書いた際に受けたコメントだったのだが、この時点で、「権利擁護」について、「縮小再生産になるくらいなら、原稿を書くのをやめよう!」、と決意した。そこで、これまで書きためてきた「権利擁護」についての原稿は一端横に置き、ここ数年続けてきた「魂の脱植民地化」研究を自分自身の実存にアクセスさせる中で、『枠組み外しの旅』という名の一冊に仕上がった。
で、結果的にこれまでの内容を捨てて、自らの「個性化」を先に探求してよかった、と、この連休、つくづく感じている。今年の連休に2万5千字ほど書き上げた、新たな単著用の「序章」では、「反-対話」から「対話」モードへの相互変容や、それを通じた「個性化」のプロセス、それを通じた「学びの渦」の形成などの『枠組み外しの旅』のコア概念を、権利擁護やアドボカシーの考察に注ぎ込むことが出来た。1年前に自分の中では「掘りきった井戸」は、これまで書きためて来たけれど、十分に掘り切れていなかった「別の井戸」を貫通させるために、非常に役立ったのだ。
「所与の前提とされた世界観の奥底に潜む、誰もが知らない集合的無意識のような闇に潜り込み、その中から、自分でしかすくい取れない視点や考え方を掘り当てて、この世の光に照らし直すような営み」までが出来たかどうか、は読者のご判断に任せるしかない。でも、自分の中では、近年地域包括ケア領域で盛んに「困難事例」と言われる「ゴミ屋敷」問題を主題として、その「ゴミ屋敷の主」がどのような内在的論理で世界を眺めているのか、をナラティブモードの知で再解釈する事から、「生きる苦悩に寄り添う支援」としての権利擁護課題を照らし出すことができた。その原稿を書く中で、「縮小再生産」ではなく、「前言撤回」的に、これまで考えてきたことを、別の新たな確度から光を入れて考え直すことができた。前回はユングの「個性化」論だったが、今回は木村敏氏の現象的人間学や臨床哲学を援用し、特に氏の初期作品から、大きな影響を受けながら、文章を書き進めた。
「枠組み外し」というのは現象学的還元だが、その現象学的還元の先にある人間理解、「病気」や「異常」な人という差別的見方ではなく「生きる苦悩」を抱えた人、という人間理解が、権利擁護の根本にある。今回の原稿を書く中で、深くそれを感じている。権利擁護は成年後見とイコールではない。成年後見は、権利擁護実践の大事な方法論の一つではあるが、その方法論が自己目的化している現実に、僕は違和感を持っている。なぜなら、あくまでも社会的弱者と言われる人の内在的論理や「生きる苦悩の最大化」に寄り添い、そこからエンパワメント支援を高めていくことこそ、権利擁護やアドボカシーの最大の醍醐味だからだ。その目的が薄れたところで、方法論が自己目的化することに、非常に大きな危惧を感じている。
・・・といったことも、新たに井戸を掘り直す中で、するすると言語化できた。
この連休で、何とか序論を書き終えた。あとは、掲載予定の原稿を、リライトする作業。これも時間がかかるだろうが、きちんと書き込み、訂正していかないと、リーダーフレンドリーではない。というわけで、まだしばらく原稿書きに没頭する日々だが、とにかく必死だった去年とは違い、このプロセスを「至福の時間」と思えるようになってきたのが、去年に比べての少しだけの進歩かも知れない。

「わからない」という「蓋」を外せるか?

今日の朝日新聞で、「15歳と語る沖縄」という座談会が掲載されていた。その中で、沖縄在住のライター、知念ウシさんが気になることを語っていた。

「気になるのは、みなさんから『難しい』『わからない』という言葉が出ることです。全部知って、初めて意見が言えるとか行動できるということではないと思う。『これっておかしい』だけでいい。おかしい、ショックだ、悲しい、逃げたくなった。まずそういう自分自身に気づく。そこから考える。伝える。全部わからないといけないなんて思っていたら、何もできません。」
僕はこの語りを、深く頷きながら読んでいた。
勤務先の大学の横には、系列の短大があり、その保育科で「地域福祉」の講義を担当して、4年目になる。法学部政治行政学科でも同様の講義をしているのだが、短大の保育科の学生と比較すると、大きく違う事がある。それは、短大の保育科の学生の方が、遙かに「正しいこと」を希求している、ということである。裏を返せば、「間違ってはいけない」という規範概念が強く、それゆえ、正しいかどうかわからないことについては、「難しい」「わからない」という言葉が比較的、多く出るということだ。
僕の講義では、できる限り双方向型にするために、毎回、あるトピックに関するビデオや新聞記事の素材に触れた後、そのトピックについて、どう考えるか、という設問をワークシートに書き込んでもらい、その書いた内容について、ランダムにマイクを向け、発表してもらうスタイルを取っている。これは大学でも短大でも同じなのだが、その際、マイクを向けると、大学よりも短大の方が、拒否反応が多い。最近でこそ、その理由がわかったので、オリエンテーションで「正しい意見ではなく、あなたの感じたことを話してほしい」「語ってくれたことについて、僕が『正しい』とか『間違っている』と査定するようなことはしない」と、繰り返し伝えるようになって、拒否反応がだいぶ消えた。それでも、授業の最初の方では、「当てられるとパニックになる」「『何で?』と突っ込まれるのが恐怖」「意見を言うのは怖い」などのコメントが、講義後のリアクションとして寄せられる。
僕は、その背後には、「正解幻想」という考えがあるような気がしている。これは以前ブログに書いたこともあるし、拙著『枠組み外しの旅』でも考えたことだが、「ちゃんとした正解があるはずだし、それに従わなければならない」という「思い込み」である。もちろん、センター試験に代表される高校までの勉強は、マルかバツか、の二項対立的な「正解」を求める思考様式に支配されている。高校生までは、比較的その考え方に親和的だ。だが、恋人や配偶者、仕事、居住地・・・を選ぶこと、あるいはどのような食事を取れば長生きするか、など、世の中の行動の大半には唯一で正しい「正解」はない。にもかかわらず、特に同調圧力の強い日本においては、空気を読み、世間にしがたいながら、「これをすれば正解だろう」という「正解幻想」に浸り、そこから抜け出せない雰囲気が蔓延している。そして、拙著ではこんな風に分析した。
「他人を治療・教育する、という医者や教員のエクリチュールそのものに、社会的に「望ましい」とされる「正しさ」や「正常」といった規範や社会通念がこびりついている。しかも、その「望ましさ」が、医師や教師はこうあるべし、という役割期待(=というエクリチュール)を作り上げている。」(竹端寛『枠組み外しの旅―「個性化」が変える福祉社会』青灯社、p38)
これは、僕自身が「正解幻想」に陥っていたことを分析したくだり、であるが、保育科の学生も、「ちゃんとした保育者にならなければ」という善意思が強ければ強いほど、僕が陥っていたのと同種の「正解幻想」に浸りやすいと思う。そして、社会的な役割期待に迎合しようと必死になって、その「望ましさ」や「社会的に評価される正しさ(Political correctness)」の範囲から逸脱するような内容については、「わからない」「難しい」と口にしやすいし、それ以上について伺うと、「頭が真っ白になる」というのである。
このことを以前から問題視していたのだが、今日の知念さんの意見を読んで、その前提というか、メカニズムがクリアになった。彼女は「わからない」「難しい」と口にする背後に、「全部知って、初めて意見が言えるとか行動できる」という規範意識を指摘している。つまり、「意見とは、一通りのことを全部知ってから、言うべきこと」「社会的な行動とは、一通りのことを全部知ってから、行うべきこと」という規範意識である。僕が接した学生たちが「意見を言うのが怖い」というとき、「一通りのことを全部知っていないのに、意見を言ってはいけない」という暗黙の前提があるような気がする。
それに対して、知念さんは「『これっておかしい』だけでいい」と言い切る。「おかしい、ショックだ、悲しい、逃げたくなった。まずそういう自分自身に気づく。そこから考える。伝える。全部わからないといけないなんて思っていたら、何もできません。」とも言う。これはどういうことか。
論理的な意見を構築する為には、その問題に関する多角的な情報を収集し、その正否を比較検討した上で、自分なりの筋道をつける事が求められる。これが「意見とは、一通りのことを全部知ってから、言うべきこと」という規範意識の前提にある。だが、知念さんが語ったのは、その論理的な意見構築以前に、『これっておかしい』という感情や感覚がわいたら、その感覚を大切にせよ、というメッセージである。「おかしい、ショックだ、悲しい、逃げたくなった。まずそういう自分自身に気づく」ことの重要性を指摘している。自分の魂がダイレクトに感じたことに蓋をせず、そう感じた「自分自身に気づくこと」が大切だ、という。その「気づき」をもとに、考えはじめたらいい、という。つまり、情報収集して正否の比較検討をした後に「意見」を持つのではなく、まず直感的に「意見」の元になる意思判断の感覚を持って、その感覚に基づいて情報収集して、自分なりに「意見」を育んだらいい、そう伝えてくれているように感じた。
こう書くと、もうひとりの、一応は科学的・学問的ルールを身につけたタケバタヒロシから、それって「科学的ではない」「最初から主観的なバイアスに左右された、一方的な議論や意見に偏る情報収集になるのではないか」という疑いの声が聞こえる。だが、僕は、先述の拙著の冒頭で、「蓋」概念を用いて、こんな風にも考えてみた。
「「どうせ」「しかたない」というフレーズは、自らの潜在能力の最大化にとって最大の「蓋」であり、「呪縛」の言葉である。「どうせ」「しかたない」と述べることで、自分の、社会の、世界の変容可能性を拒絶し、旧来の世界に閉じこもることを容認している。しかも、変えられない現実に対して文句や不満を持ちながら、「でも、しゃあないやん」と、呪詛のように、「諦め」の言葉を発して、自分に言い聞かせようとしている。あたかも自己洗脳のように。そうして、それ以外の世界に蓋をすることで、自分の中に澱のように「諦め」を沈殿させ、その「諦めの沈殿物」によって、自らの魂は毀損され、内側から腐り続けていく。気がつけば若い日に持っていた溌剌とした気持ちはすっかり萎え、日常生活はパターン化されたものになり、余計なことに手を出さず、ため息をつきながら与えられた仕事に我慢して堪え、様々な事も「見て見ぬ振り」をして、感覚や感情にも蓋をして、「つつがない日々」を送ろうとする・・・。」
「難しい」「わからない」というフレーズも、「どうせ」「しかたない」というフレーズも、「自らの潜在能力の最大化にとって最大の「蓋」であり、「呪縛」の言葉」であると感じる。つまり、それらの言葉を吐くことで、これ以上その問題にはコミットしたくない、という意思宣言になる。そして、僕が学生たちにマイクを向けたとき、ややこしい社会的問題について「あなたはどう思う」と伺った時ほど、この「難しい」「わからない」というフレーズを耳にする。つまり、どれを言えば「正しいか」という正解が見えにくい問題の場合、とにかく「難しい」「わからない」と言ってその場をスルーすることが出来ないか、という防御機制が働く。これは、「どうせ」「しかたない」という発言をするときの防御機制と全く同種の構造であると感じる。そして、これらのフレーズを言う時、「自分の、社会の、世界の変容可能性を拒絶し、旧来の世界に閉じこもることを容認している」ようにも受け取れる。
確かに、余計なことには関わらないことの方がスマートかも知れない。自分自身をコントロールしやすいかもしれない。だからこそ、沖縄の米軍基地の問題や、原発の是非、あるいは憲法改正の問題など、事が大きくなればなるほど、「難しい」「わからない」「どうせ」「しかたない」というフレーズになりやすい。そういう大きな問題について、「一通りのことを全部知って」いないのに、なんかの意見を言う立場にない、という考えだ。面倒なことには関わりたくない、という感覚もあるのかもしれない。
だが、「難しい」「わからない」「どうせ」「しかたない」という呪詛の言葉を多用する事で、「それ以外の世界に蓋をすることで、自分の中に澱のように「諦め」を沈殿させ、その「諦めの沈殿物」によって、自らの魂は毀損され、内側から腐り続けていく。」 これは、本を書きながら強く感じたことだし、そうやって「魂が既存された」た人の言葉のことを、安冨先生は「東大話法」と名付けていた。そのような魂の劣化を避けるために大切なのが、冒頭で引用した知念さんが言う、『これっておかしい』という感情や感覚なのである。論理の後に感情、ではない。直感的に感じたことを、本当にそうかどうか確かめるために、学び、考えていくのである。筋道が逆である。
教育や福祉など、「~すべし」という規範が強いところほど、直感や感覚的なものを抑圧する傾向もある。だが、大切なのは、まず自らの魂が蓋されることなく、しっかりと大地を踏みしめていることである。それがなしに、いくら知識を身につけたところで、それらは上滑りの知識であり、その知識を用いる者も、内側からの「溌剌さ」が抜けてしまう。
ある問題に接したとき、直感的に、「これっておかしい」という言霊がわき上がってきた。ならば、その感覚は「おかしくない」のである。その感覚を大切に育むことは、規範意識という名の蓋を突き破り、「自分の、社会の、世界の変容可能性」を信じ続け、実行に移すための、必要不可欠な要素である。
保育の現場に出る学生さんたちに、この真っ当な感覚を持ち付けてもらいたい、そう思いながら、教育現場でも「枠組み外し」にコミットしている。

個別化原理の危機、という岐路

最近、木村敏氏の著作を読み返している。自伝「精神医学から臨床哲学へ」というタイトルが示すように、現象学的人間学の観点から、精神医療を問い直し、哲学的な「木村人間学」を打ち立ててきた、精神医療と臨床哲学の架け橋をする第一人者である。彼の九十年代以後の著作は何冊か読んできたが、自伝を読んで以後、彼が三十代から四十代に書けて書いてきた、比較的初期の作品を読み直す中で、彼の視点の確かさ、に改めて驚かされた。それは、彼があくまでも、病者の症状を外形的に判断する、のではなく、病者の「内在的論理」に肉薄しようとする姿勢である。

「分裂病患者が世界をあるがままにあらしめることをえないのは、個を捨てて個に徹するということが困難になっているためと解せられる。自らの個別化が疑わしいものとなり、我を圧倒し否定しようとする非我の力が次第に増大していくにつれて、分裂病者は次第に世界から身を退いて自閉的な態度をとり、あるいは逆に自然な一貫性を欠いた意志的努力的仕方で、我を世界に向かって主張するのであるが、このような分裂病者の自閉性が形成されていくにあたっては、その最初から、分裂病特有の個別化の危機の様相が明らかに認められると思うのである。これをブロイラーやミンコフスキーのように『自閉性』の面で捉えるも、ビンスヴァンガーのごとく『奇驕性』の面で捉えるも、実は個別化原理の危機という単一の基礎的過程に対して患者がいかに対決するかの有様を、それぞれ異なった両面からみたものにすぎない。」(木村敏『新編 分裂病の現象学』ちくま学芸文庫 p199)
これは1965年、筆者が三十四歳の時に『哲学研究』に寄せた一文である。このときから木村氏は既に狭い意味での(つまり生物学的な)精神医学の範囲をとうに超え、あくまでも患者の世界観の内在的論理に肉薄しようとしているのがわかる。特に、統合失調症と名称が変更された精神分裂病を「個別化原理の危機」と捉え、幻覚や妄想、無為自閉などの「症状」を、「個別化原理の危機という単一の基礎的過程に対して患者がいかに対決するかの有様」である、と50年近くも前に喝破した点が圧倒される。
精神障害者の場合、ライセンスを持った精神保健指定医という医師が「この患者は自傷他害の恐れがある」と認めた場合、本人の同意がなくても、隔離や拘束など、強制入院をさせることが出来る。その背後には、急性症状を示す精神病の患者は、暴れたり、叫んだり、わけのわからないことをして、医師などの外部者と了解不可能であり、その沈静化の為には、「やむを得ず」強制治療を行うことも正当化される、という論理がある。これは、一言で言えば、「訳のわからない、本人もコントロールできない病状は、強制的にでも沈静化しなければならない」という、ある価値前提がある。だが、木村氏は、その単純な論理に異議を唱える。
「病者の治療は、病者の個別化を確立させて危機を克服せしめることによって達成しうると考えられる。これに対し分裂病の薬物療法は、病者の緊張状況を弛緩させることにより、この緊張から生じている諸種の症状を消失せしめ、病者がある程度の余裕をもって自らの危機的状況に冷静に対処しうるような状態を作ってやるものであるから、精神療法に対してはあくまでも従属的補助的なものと考えられるのである。」(同上、p221)
筆者は別の本(『異常の構造』)の中で、薬物療法を否定する反・精神医学とは違い、反・反・精神医学だ、と書いていた。だが、反・精神医学と共通するのは、薬物療法を第一義的におかず、「あくまでも従属的補助的なものと考え」ている点である。これは、昨年訪問したイタリアの地域精神医療にも共通する点である。筆者は薬物療法の効能について、「病者の緊張状況を弛緩させることにより、この緊張から生じている諸種の症状を消失せしめ、病者がある程度の余裕をもって自らの危機的状況に冷静に対処しうるような状態を作」ること、としている。つまり、あくまでも「個別化原理の危機」にある患者が、その「危機的状況に冷静に対処しうるような状態」になるためには、危機ゆえに極度に「緊張」して、そこから「生じている諸種の症状を消失せしめ」る必要がある、と指摘している。つまり、あくまでも目的は、「病者の個別化を確立させて危機を克服せしめることによって達成しうる」と考えているのである。
この論文から半世紀あまり、日本の精神医療の中で、「病者の個別化を確立させて危機を克服せしめることによって達成しうる」と考えている医者が主流を占めているだろうか? もし、主流を占めているなら、長期社会的入院がその「個別化原理の危機」に対応するベストプラクティスとなり得ているだろうか? そんな疑問が浮かぶ。
「精神病といいうるのはむしろ、対人関係の成立をまってはじめて出現するところの、いわば『人と人との間柄』の問題だということになる。」(同上、p243)
この視点に立ったとき、2つの視点がありうる。1つは、「人と人との間柄」の問題(=病気)なのだから、一般的な「人と人との間柄」から退却させる事によって対処しよう、という戦略である。隔離・拘束・社会的入院とは、一言で言ってしまえば、その退却の方法論である。だが、「人と人との間柄」だからこそ、その「間柄」の中で、支援チームが患者と向き合って、「病者の個別化を確立させて危機を克服せしめる」支援に当たることも出来る。イタリアでみた、三田や京都のACTなどで為されている「寄り添い型支援」とは、そのような方法論である。「我を圧倒し否定しようとする非我の力」を前に、「だから病院という世界に一生閉じこもりましょう」とするのか、「その力にどう対処するか、地域の中で一緒に考えましょう」というのか。これは、根本的な価値命題の違いだ。
「世界から身を退いて自閉的な態度をとり、あるいは逆に自然な一貫性を欠いた意志的努力的仕方で、我を世界に向かって主張する」精神障害者の、その「自閉的な態度」や「意志的努力的な仕方」での「主張」という表面を捉えて、それを薬で制圧する事が精神医療の本当の目的ではない。木村さんはそう訴えかけている。そうではなくて、その表面の背後にある「個別化原理の危機」にこそ目を向けてえ、その問題に寄り添い、それを「克服」する支援が出来るかどうか、が問われている、と主張している。僕は、この話と、以前ブログにも書いたバザーリアのあの発言が重なって見える。
「この仕事の基礎となっている接近法は決して病気が中心にあるという事実を避けようとするものではない。しかしながら、この新しい潮流の中ではこれまで患者に、あるいは少なくとも精神病院に内在するものとされていた葛藤がそれら葛藤が因って来たるところのより広い社会に投げ返される-というのは病気というものは本質的に社会的関連における自我の特異的な矛盾の歪んだ表現と見なされるものだからである。精神医療従事者にとってこのことは全く新しい役割を担うべきことを意味している。つまり患者と病院との関係の中にいて仲介者の役割を果たすのではなく、家族、仕事場、あるいは福祉事務所といった現実世界での葛藤に介入しなければならないのである。」(フランコ・バザーリア「管理の鎖を断つ」『批判的精神医学 : 反精神医学その後』.イングレビィ編、悠久書房、p321)
「個別化原理の危機」とは、「本質的に社会的関連における自我の特異的な矛盾の歪んだ表現」と同じである。であれば、単に病院の中で囲い続けることが治療ではない。「患者と病院との関係の中にいて仲介者の役割を果たすのではなく、家族、仕事場、あるいは福祉事務所といった現実世界での葛藤に介入しなければならないのである」という指摘は、この危機の克服に当たり、支援チームに求められている基本的視座を改めて示していると思う。

「人生の正午」にさしかかり

春は憂鬱。年度末のバタバタと、その後のどっと疲れも重なり、すっかりブログもご無沙汰していた。

こんなに桜が咲き、野菜も美味しくなり、暖かくなるのに、なぜ憂鬱なのか。精神病の友人・知人もみな、春はしんどい、とおっしゃる。寒暖の差がめまぐるしくかわり、自律神経のコントロールも効きにくい。気持ちは前向きでも、身体は冬眠モードからなかなか目覚めない。心と身体の一体感のなさ。そして、目まぐるしい気候の変動。そんなことがあって、調子を崩す人が多いと聞く。僕もそう聞いて、以前からの春先のしんどさを、やっと納得できた。爾来、春先はいつも気怠い、と納得している。
だが、タケバタヒロシ38歳の春は、その例年の気怠さ以外の、より大きな心身バランスの不全感を感じている。
分析心理学の祖、ユングは中年を「人生の正午」と名付けた。そして、「午前」にあたる30代までが、外向的・社交的な関係性や成熟を育む時期だとすると、「午後」の時期は、内向的・精神的な関係性や成熟を育む時期だと整理している。で、その「正午」にあたる中年が、外向から内向へ、社交から精神的関係性へ、と転換期にさしかかる時期である、と指摘している。これは理論的な話だけではない。彼自身の自伝を読んでいると、30代後半、フロイトと決別をした後から、彼は外向的な肩書き・成功を追い求めるのではなく、自らの内面世界との対決に迫られ、人生の危機にさしかかる。彼はその危機を乗り越える冒険の始まりにおいて、何故か住まいの近所にある湖畔の石を拾って、城や棟を作る建築遊びに夢中になっていった。
「私は自分自身の神話を見出す途上にあるという内的な確かさがあるのみであった。というのは、この建築遊びは、ひとつの始まりにすぎなかった。それは一連の空想をさそい出し、後になって私はそれを注意深く書きとめておいた。このようなことは私に適合していた。そして、この後も、何らかの空虚さに立ち向かうときは、私は絵を描いたり、石に彫刻したりした。そのような体験はすべて、成熟されかかっている考えや仕事のための入門の儀式となった。」(『ユング自伝1ー思い出・夢・空想ー』みすず書房、p250)
ユングにとって、建築遊びや絵描き、彫刻などの創作は、自らの内的な「成熟されかかっている考えや仕事のための入門の儀式」であった。つまり、内面の旅に漕ぎ出すための、入り口の役割を果たしているのである。その中で、彼自身の中で少しずつ「内なる声」がはっきりとしたイメージを持ち始める。この際、ユングは次のようなアプローチを用いて、対決していく。
「大切なことは、これらの無意識的な内容を、それらを人格化することによって自分自身と区別することであり、同時に、それらを意識と関係づけることである。これが無意識的な内容の力をとり去る方法である。それらは常にある程度の自律性をもち、それら自身の区別された同一性をもっているので、人格化するのはあまり困難なことではない。この自律性は、これらを自分自身と調和させるのに最も不都合なことであるが、無意識がそれ自身をこのような方法で示すという事実は、われわれがそれを取り扱う最上の手段を与えてくれることになっている。」(同上、p267)
ユングの言う「自分自身の神話」は、簡単に形作られる訳ではない。無意識のイメージは、茫漠で、しばしば不安感や空虚さ、焦燥感など、ネガティブな、しんどい気分で襲ってくる。ユングはそれらの空想を書き留め、やがてアニマという人格を与えることで、統合していく。彼は自らの中で蠢く、「ある程度の自律性をもち、それら自信の区別された同一性をもっている」存在を、アニマ(心の中での異性としてイメージされる何か)として「人格化」して、その「自律性」を促すことによって、自らの意識と区別し、「自分自身と調和させる」ことに成功し、やがて「集合的無意識」の発見からユング心理学の体系化へと、考えを進化・深化させていった。(アニマ・アニムスについて詳しくは復刊されたエンマ・ユングの『内なる異性』を参照)
そして、注意深く観察していると、このような「人生の正午」に、創作を通じて、自らの中での無意識のイメージを分化(differentiation)させていった存在は、彼以外にもいる。
例えば作家の森博嗣氏。彼は名古屋大学工学部の准教授だった39歳の時、『すべてがFになる』でデビューし、一躍人気作家になり、ご本人曰く「一生分稼いだ」とのことで、今は大学も作家業もやめて、もっぱら工作とガーデニングの日々を送っている。彼は最近のエッセーの中で、自らの物語形成に通じる何かを、次のように語っている。
「抽象的思考というものは、結局は、そういういう風に考えられる頭、面白い発想、新しい思いつきが生まれる『場』を作ることが第一であり、そういう『場』というのは、一朝一夕にできるものではなく、毎日毎日、自分の思考空間を観察して回り、具体的な雑草を見つけたら抜き、こんなのがあれば良いなというものの種を蒔く、そういう手入れを少しずつ続けてこそ、ゆっくりと、しだいに現れてくるものなのではないか。」(森博嗣『人間はいろいろな問題についてどう考えていけば良いのか』新潮新書、p179)
彼自身は、模型製作にまとまったお金が必要だから小説を書いたらあっという間に売れた、とよく書いている。事実、そうなのだろう。だが、彼の模型製作も、あるいは小説執筆も、本業以外での『場』を作ることであった、とも感じられる。そこで、「毎日毎日、自分の思考空間を観察して回り、具体的な雑草を見つけたら抜き、こんなのがあれば良いなというものの種を蒔く、そういう手入れを少しずつ続け」るなかで、小説や、あるいは自らの「人生の午後」の歩み方を成熟させていった。そんな風に感じてならないのだ。
あるいは、また作家になるが、村上春樹氏だって、そういう部分があるように思う。
僕はたまに無性に彼の小説やエッセイを読み返したくなる。この春は、どうしても『遠い太鼓』が読み返したくて、単行本を持っているのに、また文庫本を買って読み直していた。これは、彼が30代後半から40にさしかかるあたり、ギリシャやイタリア、イギリスなどのヨーロッパ生活を続けていた時期に書いたエッセイある。僕もちょうど彼がこの作品を書いた時期と同じ年齢にさしかかり、その内容の断片断片が、すごく心に刺さってくる。例えば、『ノルウェイの森』を書き終えた、38歳の時の、こんな一節など。
「朝が訪れる前のこの小さな時刻に、僕はそのような死のたかまりを感じる。死のたかまりが遠い海鳴りのように、僕の身体を震わせるのだ。長い小説を書いていると、よくそういうことが起こる。僕は小説を書くことによって、少しずつ生の深みへと降りていく。小さな梯子をつたって、僕は一歩、また一歩と下降していく。でもそのようにして生の中心に近づけば近づくほど、僕ははっきりと感じることになる。そのほんのわずか先の暗闇の中で、死もまた同時に激しいたかまりを見せていることを。」(村上春樹『遠い太鼓』講談社文庫、p250)
彼自身が小説を書く中で、「少しずつ生の深みへと降りていく」。そして、近づいていく「生の中心」とは、「死もまた同時に激しいたかまりを見せている」、生と死の交錯点でもある、という。そんなぎりぎりのところに、小説を書く中で降りていく。降りて行かざるをえない。その先にしか、彼自身が求める何かはないから。そこは「死の高まりが遠い海鳴りのように」震わせる危険をはらんでいるが、彼は降りて行かざるをえないのだ。
「人生の正午」。それは、そのような危険極まりない、無意識的なイメージや抽象的な思考の「場」に降りていき、そこでの世界と対決するかどうか、を、あなたにも、そして僕自身にも問いかけている、時間の踊り場。おそらくその際に、外向的・社交的な具体の世界にとどまる事も、不可能ではないだろう。だが、そのような「アンチ・エイジング」は、外見的にいくら取り繕えても、内面を蝕むばかり、僕はそう感じる。「人生の午前」と「人生の午後」は、物語のフェーズが違うのだ。そのとき、具体から抽象へ、外面世界から内面世界へ、意識のみの論理的・合理的世界から無意識の世界も含めた不合理な<生命>や<自然>の世界に、つまりは「生の中心」に、「降りていく」ことが出来るか? それが、問われている。
猪突猛進で、前ばかり向いて、突っ走ってきた。そんな僕も、そろそろと、「自分自身の神話を見出す途上にあるという内的な確かさ」と向き合い始めている。「人生の正午」が、春とともに始まった。そんな、2013年の春です。