ボトムアップ型の創発と自己組織化

今年最初のブログも「コミュニティ」の問題に触れる。
実は、このブログを読まれている、以前仕事をご一緒にした事がある方から、コミュニティについての勉強会のお誘いを頂いた。そこで題材にするのが、以前のブログで取り上げた『コミュニティ・デザイン』、前回のブログで紹介した内山節氏の『共同体の基礎理論』、そして今日ご紹介する『コミュニティのちから』である。
この『コミュニティのちから』は、名著『ボランティア』(岩波新書)を出され、慶応のSFCでソーシャル・イノベーションを教えておられる金子郁容氏と、金子氏のゼミで修士論文を書いた今村氏、園田氏の3人による共著である。長野の保健指導員や茅野市の「パートナーシップのまちづくり」、あるいは鹿児島県鹿屋市の地域医療の再生などの事例を、パットナムのソーシャル・キャピタル論と対比させながら論じている。そして、パットナムの事例に出てくる北イタリアのような自主性や積極性のあるソーシャル・キャピタルと対比して、日本の各地域に根付くのは”遠慮がちな”ソーシャル・キャピタルである、とする。ちなみにソーシャル・キャピタルとは社会関係資本などとも呼ばれているが、その特徴としてパットナムは「社会ネットワーク活動」「相互信頼」「互酬性の規範」を挙げ、コミュニティのソーシャル・キャピタルの豊かさが、そのコミュニティの成否に大きく相関している、と示した。
さて、この『コミュニティのちから』においては、上述の日本の事例を分析する中で、ソーシャル・キャピタル醸成のためには「ルール」「ツール」「ロール」のそれぞれの絡み合いが大切だ、と指摘する。その上で、「いいコミュニティ」を作るのに有効な「七つのルール」を抽出している。(p302)
1、コミュニケーションをよくする
2、きっかけを作る/誘う/巻き込む
3、一緒に汗をかく
4、自分から動く
5、成果の可視化/共有
6、論理で正面突破する
7、実践を促進するためのルールをつくる
この「7つのルール」を眺めながら、これは創発に向けた自己組織化の促進に必要な要素抽出である、となんとなく考えていた。
そもそも、「コミュニティのちから」を必要とされているのは、その「ちから」がないと解決できない問題(=福祉業界ではよくそれを「困難事例」などと言う)が発生したときである。もともとうまくいっていたり、問題が顕在化しなければ、とりたててそんな「ちから」を主題化する必要はない。「コミュニティのちから」が相対的に弱体化する一方、行政でも市場でも解決できない社会的な課題が大きく広がるなかで、それをどうやって弱体化しつつあるコミュニティで解決できるのか、を探るために、ソーシャル・キャピタルという指標も取りざたされている、と考えることもできるだろう。
その際、「これは問題だ」と気づき、動き始める「イニシエーター(新しいことを始める人)」(p294)がいて、その人に巻き込まれていく「フォロワー」の「ロール」を引き受ける人が出始める、と同書では指摘している。そう、実は問題があっても「どうせ」「仕方ない」「自分ひとりでは何も変えられない」と思う人ばかりでは、何もはじまらない。つまり、「イニシエーター」が「問題」を「発見」し、それを解決したいといつの間にか問題を「自分事」として引き受ける瞬間がないと、物語はそもそも起動しないのである。
そして、物語が起動し始めた際に、単なる一人の努力で「燃え尽き」に終わらせず、個人から組織、制度へと昇華していくための有効な「七つのルール」も、非常に共感を持って読んだ。実は、僕自身、精神障害者のノーマライゼーションに関する博士論文を書いている中で、京都中の精神障害者に関わるソーシャルワーカー117人にインタビューを行い、地域を変えている面白い実践をしている現場の精神科ソーシャルワーカーは、以下の5つのステップを踏んでいることに気付いた。
ステップ1:本人の思いに、支援者が真摯に耳を傾ける
ステップ2:その想いや願いを「○○だから」と否定せず、それを実現するために、支援者自身が奔走しはじめる(支援者自身が変わる)
ステップ3:自分だけではうまくいかないから、地域の他の人々とつながりをもとめ、個人的ネットワークを作り始める
ステップ4:個々人の連携では解決しない、予算や制度化が必要な問題をクリアするために、個人間連携を組織間連携へと高めていく
ステップ5:その組織間連携の中から、当事者の想いや願いを一つ一つ実現し、当事者自身が役割も誇りも持った人間として生き生きとしてくる。(最終的に当事者が変わる)
(竹端寛 2003 「精神障害者のノーマライゼーションに果たす精神科ソーシャルワーカー(PSW)の役割と課題―京都府でのPSW実態調査を基にー」大阪大学大学院人間科学研究科博士論文)
このステップを上昇するために、上記の「7つのルール」が必要不可欠である。また、僕が調査したPSWの中には、保健師出身のPSWが沢山いて、ちょうど長野の保健指導員のケースや茅野市のケースなどとも重なる部分が多いなぁ、と思いながら読んでいた。
ただ、僕の今の関心からすると、この5つのステップなり「7つのルール」なりを踏みながら、どう創発が自己組織化されていくのか、が興味がある。つまり、ステップの上昇や、あるいは「コミュニティのちから」の発揮の背景には、もちろんソーシャル・キャピタルの力も大きいが、それだけでなく、イニシエーターとフォロワーの、「特定の人格のエンパワーメント」が必要不可欠のように感じるからだ。(この点は、一年前のブログで安冨先生の議論に基づいて考えたことがある。)
さらに言うならば、触媒役やファシリテーターとして、様々な地域の「コミュニティのちから」を高めるために、どのような創発支援、あるいは「特定の人格のエンパワーメント」の支援が求められているのか、というあたりにも、非常に興味がある。これは、山梨や三重で、障害者の地域自立支援協議会や、高齢者の地域包括ケアシステムに関する様々な動きをお手伝いするなかで、痛切に感じていることである。多くの地域で、地域福祉や地域包括ケアに関して、それなりの努力が積み重ねられてきている。だが、今ひとつ、一皮向けるための、もう一歩の努力、をどうしていいのかわからずに、決め手に欠けている。あるいは官民・官官・民民のセクショナリズムの壁に阻まれて、点が線にならない。ましてや地域を動かす面のアクションにつながらない・・・。そういう実例を沢山見てきた。
金子氏らの本では、個人-組織ー制度を規定するものとして、「社会ビジョン」を描いているが、この「社会ビジョン」をそのものとして描くのではなく、僕の5つのステップのように、個人から組織、組織から制度とボトムアップに積み上げ、実態を変えていく中で、社会ビジョンも後追い的に変わってくる。そういうボトムアップ型の変容と、その中での「社会ビジョン」の創発、および自己組織化が、多くのコミュニティで求められているのではないか。そんなことを感じながら読んでいた。

「魂の諒解」に必要な「構え」とは?

おそらく今日が今年最後のエントリー。なので、改めて東日本大震災の事を考えてみたい。
震災や原発事故について、どういう「構え」をしたらいいのか。未だにわからない。糸口もなかなか見いだせない。震災から9ヶ月たった今も、まだその戸惑いの渦中にいる。そんな中で、すーっと心の中に染みこんだフレーズと出会った。
「大きな災禍からの復旧、復興への歩みがはじまるとすれば、その出発点にあるのは、魂の諒解、魂の次元での折り合いなのではないだろうか。直接的な被災者ではなかった人びとも同じことだろう。魂の次元で被災者とともに生きようと諒解した人びとは、自分のできることを探した。知性の次元で考えれば、被災者とともに生きるとはどうすることなのかはよくわからない。しかし、多くの人たちが今回の大震災では、魂の次元で被災者とともに生きようと考えた。出発点は魂の折り合いであり、諒解なのである。だから頭で考えただけの復興の計画を聞かされても、誰もが空々しく、あるいは虚しく感じる。確かに町や村を再建していくには、いろいろなことをしなければならないだろう。そんなことはわかりきったことだ。だがそれだけでは何かが十分ではないと感じる。そんな感じを抱いている人も多いだろう。それは魂の諒解を伴わない復興計画から浸み出てくる虚しさである。」(内山節『文明の災禍』新潮新書、p13)
確かに僕自身も、3月11日から9ヶ月過ぎた今でも、あの日テレビの映像を通じて見てしまった現実が、「腑に落ちて」いない。「魂の次元で被災者とともに生きようと考え」てはいるのだが、それにはどのような構えや振る舞いがよいのか、未だに見いだせていない。その理由として、「魂の次元での折り合い」がついていないからではないか、といわれたら、直感的に確かにそういう気がする。僕自身が、具体的に震災や原発災害とどう向き合えばいいのか、腰が据わっていない。それは、今回の震災でもたらされた膨大な数の死者・行方不明者を前にして、僕自身がそれをどう受け止めていいのか、どう魂のレベルでこれを諒解していいのか、が、腑に落ちていないから、とも言えるだろう。その上で、内山氏は次のように論を進める。
「東日本大震災では、無関係な他者の死に対しても、無関心でいるわけにはいかなかった。あまりにもすさまじい生と死の境界が、テレビをとおして私たちの前に現れてきたのである。そして関心をいだいたときから、私たちはこの死の現実に対してどう向き合ってよいのかわからなくなった。呆然としているしかなかたのである。現れてきた現実の受け入れ方がわからない。だからそれは恐怖になり、心の奥に沈み込んだ『かたまり』になった。かつて共同体を通して死を諒解していった日本の人びとは、共同体を失ったとき、死を、とりわけ不慮の死を不条理のなかにみるしかなくなった。とすれば、それもまた現代文明の敗北である。現代文明は新しい形で死を諒解する構造をつくりださなかった。なぜなら現代文明は生の饗宴として展開したからである。あるいは個人を軸に置いた生の饗宴として展開した。それでは生と死のつながりの諒解など形成しようもない。」(同上、p45)
震災から9ヶ月が過ぎた今も、ある意味、「呆然としている」状態が続いている。テレビでは年末特集で当然津波の映像をやっているが、まともに見ることが出来ない。それは「現れてきた現実の受け入れ方がわからない」からであり、「心の奥に沈み込んだ『かたまり』」のようなものが、つっかえているからかもしれないし、それが逆流して眼前に出てくることの恐怖なのかもしれない。僕自身が「個人を軸に置いた生の饗宴」を享受し、「生と死のつながりの諒解」からかけ離れていた。共同体に関わりの薄い僕には、だけれども「新しい形で死を諒解する構造」がなかった。それゆえに、「無関係な他者の死に対しても、無関心でいるわけにはいかなかった」際、どう振る舞えばよいのか、がわからず、フリーズしてしまった、というのが実感である。そのフリーズ感を、こうも具体的な表現で書いてくれる作品に、今の時期に出会えたことにより、その氷が、少しずつ溶けつつある。
仕事として、「地域福祉」という領域に関わっている。最近では、地域包括ケアや地域自立支援協議会、といった、コミュニティの再生や賦活化のお手伝いもしている。だが、お恥ずかしい話、僕の中にそのコアな部分にある共同体なりコミュニティなりに対する構えや諒解、というものがなかった。自分なりにビジョンを持つこともないまま、求められるがまま、に、幾つかの地域でのアドバイザーの仕事をしてきた。制度や政策論レベルで、行政施策をよりよいものにするならば、という道具主義的な考え方であれば、それでも何とか仕事をしてこれた。
とはいえ、道具主義の向こう側にある、「何のために」という目的を見据えた支援をしないと、方法論の自己目的化に繋がる。自分の仕事がどうもそういう自己目的化のタコツボの中に入り込んでいるのではないか、と、特に震災以後、感じるようになってきた。福祉現場から依頼された、直接の目的は、確かに果たそうと努力している。しかし、方法論的にある程度の到達が出来ても、目的を見失った方法論であれば、結果として糸の切れた凧のように、初期の目的からずれて、明後日の方向に飛んでいくことになりかねない。そのため、ここしばらく、地域福祉の前提となるコミュニティについて、学び直そうとし、ブログにもメモを書き続けていた。実は内山節氏の存在も、そのブログを読まれた方から教えていただいて初めて知った。
そして、コミュニティや共同体について縦穴を掘り始めてすぐ気づいたのが、それを語るタケバタヒロシ自身が、コミュニティや共同体から切り離された存在である、ということだ。「個人を軸に置いた生の饗宴」の枠の中で、バーチャルな存在として「コミュニティ」や「共同体」を語っている、というお恥ずかしい事態である。しかも、そのロゴス中心の、バーチャルな考え方が、そろそろ破綻している、ということに、震災後、身体が気づき始めた。ゆえに不全感の「かたまり」が全身を覆っている。
だが、それを突破する(かもしれない)道が、見え始めている。そのきっかけは、ふと読み直したくなって手にした、大学生の頃に読んだ新書からだった。
「<ロゴス>と<パトス>というギリシア語からは、ひどく難解な哲学的行論を予想する人がいるかもしれない。しかし、これをくだいて言ってしまえば、<頭>と<気持>なのである。先日たまたま、初期の『男はつらいよ』シリーズのビデオを見ていたら、例の寅さんがくりかえし呟いていた。『頭じゃわかっているんだが、気持ちが俺をひょんな方向へ駆り立てていっちゃうのよ。』 思想・学問・芸術の別を問わず、私たちのいかなる<知>の営為も、『今、ここ』に生きる生身の人間とその日常から遊離してはならないだろう。<頭>と<気持>・・・まことに人間の一生は、寅さんの体験するような、二つの相対立するものの間で揺れ動き、そこからすべての喜怒哀楽が生まれてくる。」(丸山圭三郎『言葉と無意識』講談社現代新書、p16)
震災という不条理を僕自身が「魂のレベルで諒解」出来ていないのは、<頭>と<気持>が分離しているからだ。寅さんなら、ふらふらと『頭じゃわかっているんだが、気持ちが俺をひょんな方向へ駆り立てていっちゃうのよ』と出かけてしまうが、僕はその逆で、どこにも行けず、山梨で閉じこもっていた。もちろん本務の仕事をしていたし、様々な仕事で出張をし続けていたが、被災地支援については、直接のアクションは何も起こせなかった。寅さんのように「気持ちが」「駆り立て」る、という<パトス>に従うことなく、<ロゴス>の回路も情報過多でオーバーフローし、<頭>を働かせられずに「呆然」としていた。
思えばこの10年ほどは、研究者としての「立場」を内面化するために、ロゴスの囚人へと自らの魂を進んで捧げ、パトスについては「ロゴス以前」として見ないようにしてきた自分がいた。だが、大震災や原発災害は、そのロゴスの前提(「まさか」「はずだ」)を「想定外」という一言で吹き飛ばしてしまった。ロゴス=頭、が吹き飛んでしまった今、再度パトス=気持、の前提から、議論を紡ぎ直す必要があるのではないか。だが、このパトスとは、決して単なる情緒的なものではない。
「パトスの位相にあるロゴスは、一切の実体論的二項対立以前の動きであるだけでなく、その差異化自体が、意識的主体の意思によるものではない非人称的活動であることを見逃してはならない。そこでは、自/他以前の<on ひと>が語るのだが、そのonは能動/受動以前の受動性によって語らされる(パトス=パッシオ=パッション)。とは言っても、主体が雲散霧消するのではなく、それは逆に多様化され複数化され、『私はもう一人の他者』(ランボー)となり、『歴史上のあらゆる自分とさえなる』(ニーチェ)のだ。ロゴスの表層において錯視されていた自我の同一性は崩壊し、デカルト的主体(コギト)によて抑圧されていたより豊穣な自己の世界に人は生きる。」(同上、p38)
「生と死のつながりの諒解」を形成してきたかつての共同体は、「意識的主体の意思によるものではない非人称的活動」によって形作られてきた。氏神信仰や祭礼など、「大地にねざした共感、すなわち五感を駆使した『ふれあい』にもとづく人と人との『あいだ』の存立を可能とするような範域性」(吉原直樹『コミュニティ・スタディーズ』作品社 p82))で繋がる地縁とは、「個人を軸に置いた生の饗宴」よりも、「さまざまな無名の霊への融合という『かたち』をとって、自然をわがものとするのではなく、自然に同体化するという、近接性/隣接性の性格(→位相的つながり)を色濃く帯びていた」(同上、p226)。そのなかで、主体が「多様化され複数化され」ることによって、「デカルト的主体(コギト)によて抑圧されていたより豊穣な自己の世界に人は生きる」ことができた。つまり、<頭>と<気持>が繋がるためには、コギト=ロゴスの囚人・抑圧的環境を出るための、死者や霊ともアクセス出来る氏神信仰や祭礼といったコミュニティの共通の象徴の具現的イメージが重要であった。この「昔から続く」ロゴスの範囲を超えた儀礼的な何か、のお陰で、大災害も大干ばつも、何とか共同体として乗り越えてこられた。
だが、京都の街中で育った僕にとって、あるいは山梨で暮らす今の僕にとっても、このような共同体は、少なからぬ部分、崩壊の一途を辿る現実にあると感じる。個人主義的なロゴスの世界は、グローバリゼーションという追い風を得て、パトスを個人消費という形に矮小化し、コミュニティとしての、消費行動の外側にある「非人称的活動」をことごとく「前近代的」と捨て去ってきた。おしゃれで便利な消費生活、という枠内に生を矮小化し、自我の同一性を「消費者」という形で同定化することによって、金を使う・金を回す、という事が第一目的となるような社会を作り上げて来た。いつのまにか、内奥の<気持>より、大衆消費社会というイメージ=<頭>でっかちを優先した。その果てに、<頭>では捉えきれない大災害が直面し、頼るべきコミュニティや共同体も持たない中で、僕自身も、そしておそらく多くの人も、「呆然」と不安の「かたまり」を抱えて、この年末を迎えている。
その時に、どのような「構え」が必要なのだろうか。
人は、<ロゴス>に信をおけない場合、その対極にある<パトス>に飛びつきやすい習性をもつのかもしれない。
今日の朝日新聞の世論調査で、首相になってほしい人、として、1位が石原慎太郎都知事、2位が橋下徹大阪市長、3位が小泉純一郎元首相の名前が書かれていた。これは、不安という社会心理の中で、強烈なリーダーシップを求める集合的<パトス>の反映、とも言えなくはない。この3人の言説に共通しているのは、ワンフレーズで直裁に言い切る<パトス>的発言である。その是非は置くとして、<ロゴス>としての政府や専門家の発言への信用度が失墜している今、<パトス>の言葉や情感、イメージを直裁的な表現でに訴えかける人に、強いリーダーシップを求める<気持>も、理解できなくはない。
だが、ここで大事なのは、<気持>だけの暴走では、やはりダメだ、ということである。大切なのは<気持>と<頭>を再接続させること。情緒的に「ぶっ壊した」ところで、その後に何を作るのか、という<頭>=ロゴス、がなければ、終末論的破壊幻想でしかない。コミュニティについても、単に祭礼や氏神信仰を復活させれば事足りる、という訳ではない。グローバル化と過疎化、少子高齢化が進む地方においては特に、何を残し、何を掛け替え、何を新たに創発させるのか、というロゴスと、その地域で暮らす誇りや喜びというパトスの再接続が必要なのだ。そして、制度やシステムは、そのロゴスとパトスの再接続の為にこそ奉仕すべきである。まかり間違っても、独善的なリーダーシップのもたらす破壊ショーに花を飾る手段に没してはならない。
横道にそれたので、「魂の諒解」の話に戻ろう。
「魂の諒解」のために必要な「構え」についてであった。
時間がかかるし、地道なことだが、震災以後の現実において、個々人が<気持>と<頭>を再接続させることが一番必要な「構え」なのではないか、と感じている。直接に東北の支援につなげるかどうか、ではない。日日の仕事や生活の中で、どこか<気持>が矮小化されたり、あるいはパターナリスティックな消費経済の目くらましにあっていることはないか、の再点検が、第一義となるだろう。その中で、守るべきものは何か、必要なものは何か、大切にしなければならないことは何か、を、自分の<頭>で再構築する。安易なモデルやプランを鵜呑みにするのではなく、個々人の、その地域の、というローカルなレベルで、<気持>と<頭>を再統合する努力をするしかないのだ。震災以前に覆っていたこの国の閉塞感という「ロゴスの表層において錯視されていた自我の同一性は崩壊」してしまった。であるならば、「より豊穣な自己の世界」を求めて、まずは自分自身の<気持>と<頭>を丁寧に結び合わせることからスタートするしかない。
来年は、そんな一年にしたい、と思っている。

べてるの家とローカル・ノレッジ

めっきり寒くなったので、最近は毎日何らかのスープを頂いている。味噌汁やキムチスープなど、あるいは鍋をするときでも、我が家のベースは昆布だし。それも、日高産の「ばらばら昆布」を使うことがここ数年の定番になっている。

「ばらばら昆布」といえば、福祉業界では結構有名な、北海道浦河の精神障害者の回復拠点・コミュニティーである浦河べてるの家で、定番商品になっている、地元の日高昆布の切れ端を袋詰めしたもの。精神障害者の早坂潔さんが「精神ばらばら病の早坂潔が売る昆布です」と、全国での講演でセット販売するゆえに、売れまくっている。事実、おいしい。浦河には3度ほど取材で訪れ、またべてるの講演に立ち会ったら必ず買っているのだが、最近はネット販売で毎年買っている。ついでに言うと、朝さっと味噌汁を作るときは、ばらばら昆布より、刻んだ昆布がお茶パックに入っている「だしパック」の方が便利である。
今朝、商品と共にダンボール箱に入っていた浦河べてるの家の紹介チラシを読みながら、ぼんやり考えていた。そこには、こんなことが書かれていた。
「べてるの家の歩みは、様々な悪条件を好条件として活かしてきた歴史から生まれたものです。社会的な支援体制の乏しさや地域経済の弱体化が、精神障がいを抱えながら生きようとする当事者自身の生きづらさと重なり合ったとき、『地域のために、日高昆布を全国に売ろう』という起業の動機につながりました。」
べてるの本はある程度目を通している僕としては、上記のフレーズは何度も読んだ内容である。でも、改めて今考えてみると、この数行には、大きな意味が込められている。そこには、精神障害者の「生きづらさ」と、「支援体制の乏しさ」、そして「地域経済の弱体化」を重ね合わせ、「地域のために、日高昆布を全国に売ろう」というアクロバティックな発想の転換をした点である。被援助者ではなく起業者として、また支援を受けるだけでなく商売人として、昆布を通じて全国につながっていったことは、これまでも言われてきた。でも、もう一歩踏み込んでみると、精神障害の「生きづらさ」と、地域全体の「弱体化」を重ね合わせたとき、町おこしの一つの手段として、昆布に自らの存在を重ねて売り出した、という戦略には、ここのところ考えているコミュニティの問題と重なるところがあるような気がするのだ。その補助線として、最近はまっている吉原直樹先生の、震災後の論文を用いて考えてみたい。
吉原氏は震災以前から進んでいた、自動車中心の生活による近隣との疎遠化をさして、「プライバティゼーション(私事化)」と呼ぶ。その上で、震災からの復興について、次のように書いている。
「過疎化をそのままにし、プライバティゼーションを放置した状態でいくらコミュニティの再生を説いたところで『絵に描いた餅』に終わってしまう。見方を変えて言うなら、過疎化とプライバティゼーションが現に進んでいる中で、『あるけど、本当はない』地域コミュニティに期待しても決して再生にはつながらないのである。コミュニティの再生のための基本要件は、もはや存立の基盤を失ってしまっている『古きよきコミュニティ』への過剰な思い入れに浸るのではなく、過疎化とプライバティゼーションが深くゆきわたっているという地域の実情を踏まえた上で、そうしたものによって視えなくなっている『生活の共同』の枠組みを再建し、あらためて自律的な生活基盤を確立することである。」(吉原直樹「ポスト3・11におけるコミュニティ再生の方向」『地域開発』2011.9 p25)
そう、地域コミュニティとは、「過疎化とプライバティゼーションが現に進んでいる中で、『あるけど、本当はない』」という危機に陥っているのである。これは、浦河や東北だけでなく、山梨でも全く同じだと思う。そこで、「『古きよきコミュニティ』への過剰な思い入れに浸る」ことは、ノスタルジーの世界観を満喫することは可能であっても、実際に「地域おこし」という実践へと結びつくにはかえって障壁になりかねない。べてるの家の活動が始まった30年前の浦河も、「過疎化やプライバティゼーション」が進む中で、「社会的な支援体制の乏しさや地域経済の弱体化」が先鋭化しつつある状況であった。そのとき、コミュニティの弱体化が「精神障がいを抱えながら生きようとする当事者自身の生きづらさと重なり合った」ことから、商売という突破口を彼らは見つけ出した。
さらにいえば、実はこのときに地域福祉の推進や行政との協働、という方向にべてるの家が当初進まなかったのは、もしかしたらその協働のあり方の問題もあったのかもしれない。
「地震直後および原発事故直後に『区会とか町内会の姿がよく見えなかった』のは確かであるが、そうした地域コミュニティの不活性化が地震勃発以前の行政による『上から』の町内会の起用と被災者を広く囚えてきたプライバティゼーションとの相乗作用に基づくものである」(同上)
この吉原氏の論考は、防災コミュニティを行政主導型で進めてきたが、結局は「上から」のコミュニティ作りが機能しなかったことを指摘している。前回のブログにも書いたように、防災コミュニティを地域福祉と入れ替えても全く通じる、行政主導型の「上から」のコミュニティ論が、「過疎化とプライバティゼーション」とあいまって、本当の地域づくりに実態的に機能していない、ということを如実に表している。
では、どうしたらいいのか。
「『生活の共同』のありようをより視野を拡げて3・11以前にさかのぼって問うなら、クリフォード・ギアツがローカル・ノレッジと呼んだものの地域社会における存続形態が大きな争点になるだろう。それは『住民の視点』から織りなされる『固有の知識』であり、『人間の生がある地でとったかたち』を示している。地域社会の歴史は無数のローカル・ノレッジとともにある。当然のことながら、地域社会の再生にはこのローカル・ノレッジのありようが深くかかわってくる。しかしそれは普段意識されることはない。それが強烈に意識されるようになるのは、専門知=技術知がある大きなできごとを前にして壁にぶつかったときである。われわれがいま遭遇しているのは、まさにそうした状況である。」(吉原、同上、p26)
「地域社会の再生にはこのローカル・ノレッジのありようが深くかかわってくる」とい
う吉原氏の指摘は、深い共感を持って読んだ。僕自身も、以前、「正解」から「成解」へ、というテーマでブログを書いたとき、このローカル・ノレッジを意識していた。そして、改めて浦河べてるの家のことを考えてみると、まさに北海道の辺境地で、過疎化と高齢化が進み、地元の水産業も商売が右肩下がりである、というローカル・ノレッジに根ざしていた。そこで、「『古きよきコミュニティ』への過剰な思い入れに浸る」ことはしなかった。いや、精神医療やソーシャルワークといった「専門知=技術知がある大きなできごとを前にして壁にぶつかった」時に、そんなことを言っていられなかった。そんな追い詰められた局面で、「社会的な支援体制の乏しさや地域経済の弱体化が、精神障がいを抱えながら生きようとする当事者自身の生きづらさと重なり合った」ときに、「様々な悪条件を好条件として活かしてきた歴史」が立ち現れてきたのである。これぞ崖っぷちで「生活の共同」を改めて問う中で、浦河町の特産である日高昆布につながることが出来たから、浦河べてるの家は、その後、地域再生や精神障害者の快復の見本例と昇華していったのだと思う。
そこまで考えたとき、地域包括ケアや地域自立支援協議会と呼ばれる、福祉行政で進めようとしている施策のあり方にも、根本的な疑問が生まれる。それらの施策は、「『古きよきコミュニティ』への過剰な思い入れに浸る」ものではないか。あるいは「上からのコミュニティ論」ではないのか。「過疎化とプライバティゼーション」があいまって、弱体化しているコミュニティを再生させる際に、本当に「『住民の視点』から織りなされる『固有の知識』」を大切にしているか。そのローカル・ノレッジに基づいた、地域づくりをしようとしているか。国のモデル事業を縮小再生産的・表層的に当てはめておしまい、とはしていないか。
立ち返るのは、その地域の住民の本当の「困りごと」であり、その地域の「過疎化やプライバティゼーションの進行具合」であり、それ以前から培われてきたその地域の「固有の知識」であるはずだ。これらのローカル・ノレッジを丁寧に聞き取り、ここから地域福祉を立ち上げていく、というボトムアップ的なものでない限り、浦河のような地域再生は出来ない。
さらに言うならば、浦河べてるの家には、「べてらー」と呼ばれる熱心なファンがいる一方、「べてるは所詮特殊例だから」と蔑む声も聞かれる。僕自身も、長い間、どうべてるを評価してよいのかわからなかった。だが、浦河べてるの家や、中心的人物のソーシャルワーカー向谷地生良氏をローカル・ノレッジに基づく地域再生の視点で捉えると、すっと理解できる。べてるの人々は「全国どこでもべてるは出来る」と言い、べてらーたちもそれを夢見るが、なかなか実践できていなかった。もちろん、「幻覚妄想大会」や「三度の飯よりミーティング」、「当事者研究」というアウトプットや成果を利用できるならしたほうがいいと思う。でも、多分大切なのは、そのアウトプットが出来上がるプロセス、つまり、浦河固有のローカル・ノレッジを精神障害者の地域資源のなさという過酷な実情と重ね合わせ、少しずつ地域の一員として、商売という軸で地域展開を続けてきた、浦河べてるの家のローカル・ノレッジに基づく歩みのプロセスにこそ、他の地域でも応用可能な、福祉のコミュニティ作りのエッセンスが詰まっているのではないだろうか。そしてこれは、制度化やシステム化とは一見相容れない、地道で時間がかかる作業ではないだろうか。
僕自身は、地域自立支援協議会や地域包括ケアといった、ともすれば「上から」の地域福祉にもなりかねないものにかかわり、そのお手伝いをしようとしている。その際、自戒すべきなのは、どんな理想論であっても、上からの網掛けは、絶対失敗する、ということである。時間がかかっても、その地域固有のローカルな文脈に耳を傾け、そこから立ち居がってくる「固有の知識」をベースにして、制度やシステムで使えるものは使い倒しながら、その「固有の知識」に基づいた、その地域独自の展開をうまく促進させる。そういうボトムアップ型のコミュニティ作りをしない限り、「過疎化やプライバティゼーション」の波には絶対に勝てっこない。そう、思い始めている。

動員型から創発型コミュニティへ

自らの恥さらしから始めるが、地域福祉というものに携わりながら、「コミュニティ」というものを、真正面から検討したり、勉強したりすることは、これまでほとんどなかった。だが、最近、コミュニティ・デザインのことなど考えるきっかけがあり、どうせなら、と思って「積読」状態だったある本を読み出したら、その知的刺激にしびれまくっていた。

「ここのところ、コミュニティ・インフレーションとでも呼ぶべきような状態がブーム性を帯びて立ちあらわれているが、そこで中心をなしているのが地縁と直接接続された、『不快な記憶』を消去した『町内会物語』である。そこからは、ヨコの位相的な秩序形成とともにあった、川田のいう美的感受性が歴史的に、さらにイデオロギー的に捻じ曲げられてきた状況の意図的な忘却といった事態、そしてそうした忘却の向こうにおいてすすむ地域コミュニティの道具主義的な利用の動きを観て取ることができる。」(吉原直樹『コミュニティ・スタディーズ』作品社 p227-8)
なんとなく、コミュニティが全てを解決する「打ち出の小槌」的に使われている現状がある。介護保険制度も、もともとが部分保険で家族介護を当てにしていた制度だが、いよいよ家族制度の弱体化や無縁社会なるものの進行の中で、制度で担保する高齢者福祉に限界が来ていて、それを穴埋めするための「地域包括ケア」としてのコミュニティが当てにされている。いわく、インフォーマルケアでの見守り支援が、介護予防につながる、とも。山梨で地域包括ケアを推進するための、県や市レベルでの研究会などにも混ぜていただき、その推進のためのお手伝いをしながら、一方でなんとなく、「コミュニティ・インフレーション」というか「地域コミュニティの道具主義的な利用の動き」への違和感を感じていた。その違和感を、都市社会学の大家は、「イデオロギー的に捻じ曲げられてきた状況の意図的な忘却」としての、「不快な記憶を消去した町内会物語」の注釈の中で、ズバッと次のように表現している。
「関東大震災時に自警団が朝鮮人を大虐殺したこととか戦時体制下において国民の戦争への動員を草の根から組織していったこと等といった町内会につきまとう忌まわしいできごとは今日人々の記憶から忘れ去られようとしている。その一方で、『ご近所の底力』といった形での『町内会物語』が編まれている。『不快な記憶』を忘却の彼方に置くかぎり、『ご近所の底力』が新たな動員であることに気づくことは難しいであろう。今日巻き起こっているコミュニタリアン主導のコミュニティ・インフレーションは、ある意味でこういう状況を一層加速させているといえる。」(同上、p229)
中野敏男氏のボランティア動員論にも通低する、動員の論理の隠蔽を表出させる言説である。先述の地域包括ケアも、その実戦部隊として、町内会・自治会や民生委員の方々に依存する部分が少なくない。もちろん、関わろうとする方々個々人は、「地域のために何かしたい」「恩返ししたい」という善意思をもって参画される方も少なくないだろう。だが、それを官主導で進めることは、実は「新たな動員」になる可能性がある、ということを、ともすれば忘れがちである。
高齢者の地域包括ケアや、障害者の地域自立支援協議会は、住民参画型の地域福祉を進める上での推進役を果たしている。それは、地方分権・地域主権の中では、「ガバメント(統治)からガバナンス(協治)へ」という枠組みとも同期している。だがこの点についても、吉原氏の警鐘は実に重い。
「ガバナンスは今日新自由主義的なコンセンサスの方式として上からのガバメント的な組み込みにさらされつつある」(同上、p154)
そう、「ご近所の底力」で解決しましょう、という美名は美しいが、大きな政府として税を投じて行う地域福祉には限界があるので、政府の規模と関与は小さくし、その代わりに町内会や自治会を通じて地域住民を新たに動員して安上がりで効率的に福祉政策の担い手を育てよう、という「上からのガバメント的な組み込みにさらされつつある」のが、地域包括ケアであり、地域自立支援協議会の抱える内在的危険性でもあるのだ。吉原氏の著作では福祉政策についての直接の言及はないが、防犯コミュニティの「上からのガバメント的な組み込み」の実態を読みながら、これは福祉政策にもそのままトレースできる、と感じている。
では、町内会や自治会は必要ないのか?吉原氏はそうは言っていない。むしろ、これまでの「官治的自治の枠内」つまり「内に閉じられているということを特徴とするような自治的能力=内発性に依拠する」(p50)町内会の形態から、「『異なる他者』との間に緩やかな横結的なつながりをつくり、リゾーム状に立ち上がる」「反措定としてのコミュニティ」(p51)を提起する。そのコミュニティは次のような特徴を持つという。
「『脱領域』、『脱組織』によって特徴づけられるネットワーク型コミュニティは、ある意味で『反コミュニティ』として存在する。たえず『動いていること』がそうした措定を可能にするのである。ネットワーク型コミュニティは『つなぐこと』にこだわるが、それ以上に『囲われること』に抵抗する。領域に固定(化)されるのではなく、状況にしたがってそのウィングを広げたり、縮めたりするのが得意なのである。」(同上、p52)
これは、地域自立支援協議会の立ち上げや推進の支援を行ってきた実感からも、実はしっくりくる整理である。その地域の課題をガバナンス型に上意下達で通達するのではなく、ガバメント的に官民協働で考え、変えていく協議会を構築するためには、「『脱領域』、『脱組織』によって特徴づけられるネットワーク型コミュニティ」であることが求められる。障害者政策にひきつけるなら、三障害の障害別に分科会を作っていた協議会は、領域ごとにタコツボ化したため、大体失敗したところが多い。また、組織の長ばかり並べた協議会では、組織の既得権益やエゴが先鋭化して、これも実質的な議論にいたらなかった。さらには、協議内容を行政が最初からお膳立てしている(=囲われる)協議会は、そもそも会議が活性化されない。一方、活性化された議論を行い、実際に政策を変える力を持つ地域自立支援協議会は、「領域に固定(化)されるのではなく、状況にしたがってそのウィングを広げたり、縮めたりするのが得意なのである。」
このような「ネットワーク型のコミュニティ」に必要なものは何か。それを筆者は「『線形的なもの』からの離陸(テイクオフ)」(p361)だという。そういう計画制御の枠組みを超えた、創発性を持つことが、上記のコミュニティに必要不可欠だという。
「予測不可能な仕方で諸主体が関連しあう際の、諸主体が『ゆらぎ』ながらも、それより高次の『生のコラージュ』へと展開していく状態(being)を自覚的に追求することが、『創発的なもの』を析出する際の要をなすのである。」(p360)
そう、管理や動員をすることが目的の「官治型自治の枠内」を超えた「ネットワーク型のコミュニティ」をオーガナイズしようと思えば、「線形的な」「計画管理」の枠組みを超える必要がある。地域というのは本来「予測不可能」なのだから、その中でのネットワークは文字通り「生のコラージュ」そのものなのだ。それを、計画制御の枠内にとどめず、以前のブログでご紹介した安冨歩先生の著作を拝借するならば、「複雑さを生きる」視点で、「創発的なもの」を希求しない限り、新たな動員論の枠組みから抜けることは出来ない。
そのための方法論をどう現場で築き上げていくか、は、これからの実践および研究課題だが、実に大切なパラダイムシフトを受け取ることが出来た著作であった。そして、優れた著作は、それ自身が「脱領域」的な、普遍性を持ち、「創発的」である、と改めて実感した一冊でもあった。

生産ー拡大再生産に回収されない何か

「はたらく」とはなにか。最近、改めてこんなことを考えている。

きっかけは色々あるが、フックは障害者就労に関する報道。テレビニュースなので、こういう支援をすることによって、これくらい重度の障害者でも、大手の企業で働くことが出来ます、というポジティブな紹介である。
そのこと自体にけちをつけるつもりはない。障害者自立支援法で評価されるべき部分として、障害者の一般就労が広がった、工賃が上がった、ということであろう。大学院生の頃、京都の作業所で、フィールドワークの一貫として、「お○べ」の箱折作業をしたことがあるが、一つ折って何十銭!にしかならない箱折を、汗だくで丸一日体験して、その労賃が数百円レベルだったことに、唖然としたことがある。多くの障害者が働く作業所の平均月収は1万円を越えない、という現実をどう変えるのか。そのために、工賃倍増計画などの取り組みをして、実際に山梨でも工賃がかなり上がった、という実績を聞くと、これはこれでいいことだと思う。
ただ、一方で、障害者の就労は、その方向「しかない」のか、といわれると、それはそれで疑問が生じる。社会復帰やリハビリテーションが、健常者世界との「同化」側面だとすると、「健常者並みの賃金を」というのは、就労における「同化」側面とされやすい。それ以外のベーシックインカムを求める方向性もあるが、上のテレビニュースや工賃倍増計画で言われるのは、あくまでも「同化」側面だ。繰り返し書くが、これもこれで「あり」であり、ケチをつけるつもりは毛頭ない。
だが、健常者の就労感覚に「同化」させること「しかない」のであれば、重度障害者と呼ばれる人、あるいは精神障害者の中でも、たとえば一般就労の厳しさの中で耐え切れなくなって、ドロップアウトを余儀なくされた人には、過酷な「同化」とは言えないか。自らが否定された空間に戻る・漸近線的に近づくこと(=同化を目指すこと)しかない世界であれば、なかなか夢も希望も抱けない。
では、どう考えればいいか。
たとえば、重症心身障害と呼ばれる、たいへん重い障害を持っている人々の地域生活支援を展開している西宮市の青葉園の基本理念には、こんなことが書かれている。
「青葉園のとりくみは、生産性・効率や、単なる身辺自立のみを追求する活動 とは根本的に異なり、通所者や職員・親など園にかかわる全ての人たちが一体となって共に考え、悩み、理解し合い、そして主体的に生き会うくらしを 創造していくことを基本目標にしている。」
重症心身障害の人は、資本主義社会が求める生産性や効率の概念に合わない「規格外」だから、と、資本主義社会が進行する中で、隔離収容の対象となり、入所施設や精神科病院の重心病棟に社会的入所させられてきた。だが、それは、効率や生産性「のみ」を重視した考え方・価値観の押し付けである。その押し付けが、重症心身障害の人だけでなく、「健常者」と呼ばれる人々にも重圧を与え、自殺者3万人社会、そしてうつ病患者が多発する日本社会という帰結になっているのは、皆さんもご承知のとおりだと思う。
青葉園の取り組み、あるいは精神障害者の「作業をしな作業所(=たまり場)」のような空間は、資本主義社会の「生産性・効率」に「のらない」場である。健常者の就労への「同化」とはスタンスを異にする空間である。ではそれをどう表現したらよいのだろう。そう思っていたら、思想家バタイユの解説書の中に、そのヒントが出てくるとは思いもよらなかった。少し長いが、引用してみる。
「近・現代の産業社会において、同質性の基盤をなしているものはなにか。それはまず生産活動である。資本制生産では、生産手段を所有する階級が、生産活動を主導する。それだけではなく、生み出された生産物を商品として流通される仕方、それに応じて消費される仕方も導いている。大衆は自分で好きなように消費していると思っているかもしれないが、基本的には<資本>が商品として流通させたいものを-そして再生産の拡大が円滑に進行するよう企図しているものを-消費している。それゆえ生産-拡大再生産の活動が社会の中心を占め、流通(交換)過程も消費過程もその中心軸に即してオルガナイズされる。したがって、そこでは生産-拡大再生産に役立つことが最優先され、ものごとや人間を測る尺度になる。(略) こうした尺度に照らして『悪い』もの、なにも有用性のないものは嫌われ、抑制され、縮減され、排除される。社会全体から、というよりも『社会の同質的領域』から、である。バタイユの見方では、社会の同質性は、邪魔になる部分、有用性を欠き、意味あるものにはなりえない、<異質性をおびた>エレメントを抑制し、排除することで(より精確にいえば、排除しつつ、欺瞞的に同化し、押さえ込むことで)形成されている。」(湯浅博雄『バタイユ-消尽』講談社学術文庫 p96-97)
資本主義社会の「社会の同質性領域」では、労働者や一市民が生産の主導権を握っているわけではない。「<資本>が商品として流通させたいものを」「消費している」。「流行」なるものに象徴されるように、消費者の欲望は、あくまでも資本の論理の領界内である。そうしないと、「生産-拡大再生産」の活動がうまくまわらない。その意味で、「社会」は「同質性」を保たないと、うまくまわらない、というのが「資本制生産」の論理である。そして、障害者就労というのも、「生産-拡大再生産」の論理の「領域内」のルートにのることを、目標とされている。それ自身は、繰り返して書くが、一つの方向性としては「あり」だと思っている。
だが、その「生産-拡大再生産」の論理の究極的な形としての、新自由主義的・グローバリズム的な、たとえば年俸制や能力給、あるいは派遣労働などによって、仕事の「ゆとり」や「あそび」の部分がどんどん労働空間から縮減し、結果として働く人のうつ病や自殺という形でのドロップアウトを加速させているのではないか。「生産-拡大再生産」の論理は、自らの論理にのらない、「邪魔になる部分、有用性を欠き、意味あるものにはなりえない、<異質性をおびた>エレメントを抑制し、排除すること」をひたすら続けてきたのではないか。
その際、<異質性をおびた>側が、「排除」されることや「欺瞞的に同化」させられることに抗う、ということも一つの形態なのではないか。北海道浦河の精神障害者のコミュニティ、べてるの家は「右肩下がりの人生」「降りていく人生」をスローガンにしているが、このとき、「生産-拡大再生産」から「降りる」「下がる」ことによって、それ以外の豊かさを手にしている、から、あれだけ沢山の「べてらー(べてるファン)」を作り出している、とはいえないだろうか。
バタイユ自身は、この「社会の同質性」に回収し尽くされない、<ロゴス中心主義的>考えに内包されないものとして、<至高な瞬間>と読んでいる。この<至高性>や<消尽>概念が、障害者就労のオルタナティブとどう接続するのか、はまだ僕自身、研究不足であり、断言は出来ない。でも、生産性に回収されない消尽としての活動、と言われると、青葉園の活動なんて、まさにそのような「わくわく」「いきいき」した活動のように見えてくる。
生産-拡大再生産、というのは、現在の消費社会の基本であり、それを否定するつもりはない。だが、その論理「しかない」といわれると、その論理にしんどさを感じている人、その論理に適合的ではない人が、結果的に「排除」「欺瞞的に同化」されてしまう。すると、それ以外の論理をどう組み立てていくのか。<至高な瞬間>という考え方で、「拡大-再生産の論理」をどう捉えなおせるか。このあたりが、今の世の中の「閉塞感」なるものを相対的に捉えなおすための鍵にもなるような気がする。そういえば、「生産-拡大再生産」のルールをまじめに遵守していた人が、障害者福祉に関わって、ねじが外れ、どっぷりその世界にはまり込む、という場面も少なからず見かける。これも、もしかしたら、障害者福祉のもつ、「同質化」概念への<異化>作用に、少なからぬ魅力を感じたせい、と解釈できるかもしれない。
時間切れなので、今日のところはこのあたりにしておくが、この「生産-拡大再生産に回収されない何か」については、もう少し突き詰めて考えてみたい。

消化不良な最近

ブログの更新は二週間ほど止まっていた。ツイッターも、どうも書く事にためらう。

この二週間の間に、東京に2回ほど、ワークショップに座談会と、新たな学びを求めて出かけた。また、25日から28日までは、同僚のH先生ご夫妻と我が妻と4人で、松島→平泉→気仙沼と旅にも出かけた。その間もあれこれ刺激的な本との出会いもあった。様々な事を感じてもいた。だが、どうまとめてよいか、まだ言葉にならない。
昨日もある座談会に参加し、これまでに考えた事もなかった視点やアイデアを沢山頂き、刺激的な時間をすごす。膨大な新しいアイデアや情報に触れると、それを理解・処理するのに時間がかかる。消化するのに時間がかかる。ブログも、その消化の為の補助具として使っているのだが、それ以前に、ブログに向き合うほどの体力が回復していない。新たな考え方に出会う事は、それくらい、気力だけでなく、体力も消耗する。30代も半ばを超えると、そのことに自覚する。それだけ、先入観や固定観念で頭でっかちになっているのかもしれない。
腑に落ちる、という言葉が、身体表現として、アクチュアリティをもって、迫ってくる。
腑に落ちる、ためには、まず口の中に放り込んで、食堂から胃を通って、内臓器官に徐々にジワジワと染みこんでくるイメージが想起される。同じように、新たな考えや視点も、自分の頭の中をくぐらせて、これまでの自分の考えて来たことの中にジワジワ染みこませながら、自分の内在的論理と対話をさせながら、染み渡らせない限り、本当にわかった、ことにはならない、と思う。特に、あまり頭の回転がよくないからか、あるいは実際に身体を通さないと理解できないからか、僕はこういう全身を通じた理解形式でしか、物事と向き合う事が出来ない。
8月にタイに出かけた際、生まれて初めて食中毒になった。食中毒は、自分自身の体調のコンディションと、食べたものと、気候や風土の3つの要素の相互関係の中で、中毒反応として出てくると、その時、つくづく感じた。衛生状態の悪くないデパートのフードコートで、前の人が食べていて美味しそうだった牡蛎のお好み焼きをついつい頼んだのだが、その後、全身の発疹や脱水症状、あるいはめまいやふらつきのオンパレードで、体内がその牡蛎を拒絶している表現に出会ってしまった。
同じように、考えやアイデアは、その時の体調や、考え方、志向性などによって、体内に、受け入れられたり、吐き出したりするものなのかもしれない。例えば昨日の座談会の内容は、自分の中ではまだ消化しきっておらず、じんわり咀嚼し直している段階である。だが、別の場で聞いた別の話は、正直僕の身体が受け付けなかったようで、直後にべろっと吐き出してしまった。
では、その二つの新しいアイデアのどちらがよくて、どちらが悪い、という訳ではない。要は自分との相性、というか、現段階での自分の生き方や視座、志向性と、その新しいアイデアなり視点との、接続がうまくいくか、あるいは反作用の方向に進むか、という有機的な科学反応的な連鎖関係の問題である、と思う。また、いくら良いアイデアでも、ずっと摂取しすぎると、おなか一杯を通り越して、胃が消化不良を起こすかもしれない。それと同様に、ここ二週間ほど、様々な場所に出かけ、いろいろな事実やアイデア、視点を破竹の勢いで吸収し続けた為、頭の中が消化不良を起こしているのかもしれない。
そういうときには、基本に戻る事が大切。今から、ここしばらくお休みしていた合気道の稽古に出かける。頭がぱんぱんになっているときは、その回路を一度きって、身体を使いながら、身体運用の稽古に集中するに限る。その中で、自然と凝りや歪みが、解けてくる瞬間がある。ある程度、現在の消化不良感をブログに書ききったので、そろそろ出かけます。

「創発的な出会い」について

先週末、勤務先の仕事で、2泊3日の静岡出張に出かけた。そこで、創発につながる、貴重な出会いがあった。

その前に、この聞き慣れない「創発」なるキーワードについて。広辞苑で引いてみると、こんな風に定義されている。
「進化論・システム論の用語。生物進化の過程やシステムの発展過程において、先行する条件からは予測や説明のできない新しい特性が生み出されること。」
創発やイノベーションとは、先行条件から予測や説明できない新しい特性、ということ。時として、無から有が生み出されることであったり、これまでの関係性から別の新たな関係性が紡ぎ直されることであったり。僕は今、この創発的コミュニケーションを強く希求しているような気がしている。で、この創発的コミュニケーションについては、安冨先生の定義を補助線にすると、わかりやすい。
「社会をよりまっとうな方向に動かしていくためにすべきことは、創造的な出会いを通じて、一人一人が自分自身の真の姿に恐れず向き合う勇気を持つことである。暗黙知の十全な作動が価値を生み出すのであり、そのためには創発の作動を疎外するものに勇気を持って目を向け、取り除かねばならなない。個々人のこの努力を背景として、人々は創造的な出会いを積み重ねることが可能となり、それが社会の要素たるコミュニケーションの質を高める。組織もまた同じように、自らの真の姿に直面し、それを改め、社会という生態系のなかにふさわしい地位を見出す必要がある。それは個々人の創造性の発揮を促すことではじめて可能となる。」(安冨歩『経済学の船出-創発の海へ』NTT出版、p258)
安冨先生の本を読んで、上記の引用をした1年前のブログでは、まだ僕自身、創発を頭の中で理解するだけで精一杯で、自らの実践として受け止める事は出来ていなかったと思う。だが、最近少しずつ、創発的コミュニケーションの面白さ、にはまりつつある。そこで出てくるのが、静岡での話。
今回はマーケティング論がご専門のH先生とご一緒した。マーケティングとは、お客様に何らかの新たな価値を提供し、ある商品購入へとつなげてもらう戦略である。そこには、創発的コミュニケーションが当然のことながら、必須条件となってくる。その領域のことについては耳学問でしか知らない僕は、行きの車の中から二泊三日の旅の中で、仕事の合間、あるいは飲みながら、色々マーケティングと創発にまつわるお話を伺い続けた。その中で、僕の心の中に強く残ったのは、次のフレーズだ。
「創発とは、関係性を紡ぎ直し、新たな関係性をコンテキストの中に埋め込むこと」
これは、H先生が言ったのか、僕が言ったのか、あるいは今飲み屋の記憶を思い出している僕の創作なのか、よく覚えていない。でも、案外このフレーズは大切なよう気がしている。
安冨先生のいう「創造的な出会い」とは、関係性を紡ぎ直したり、予測不可能な新たな関係性が生まれ出す出会いである。その中では、自家薬籠中のものであったり、当たり前、とされたものが、別の角度から再度、捉え直される。あるいは、固定観念に囚われていた枠組みそのものへの疑いのチャンスが到来する。それを「あいつはわかっていない」とか、これまで構築したブランドやアイデンティティの危機だ、として蓋してしまうことも出来れる。だが、安冨先生が言うように、「創発の作動を疎外するものに勇気を持って目を向け、取り除かねばならなない」。そうしないと、新たな何かを生み出す努力が、いつのまにかこれまでの関係性の枠組みの墨守に、結果的につながる可能性もあるのだ。
つまり、「創発的な出会い」を感じた時、これまでの暗黙の前提世界に引きこもるのではなく、時として量子力学的跳躍(quantum leap)をする事が求められるのである。それが「創発の海」へ飛び込むための、条件なのかもしれない。ちょうど、出張時に買い求めた内田先生の最新刊の中にも、安冨先生の指摘と通底するフレーズがあった。
「新しいものを創り出すというのはそれほど簡単ではありません。創造するということは個人的であり具体的なことだからです。」(内田樹『呪の時代』新潮社、p18)
安冨先生は組織の創発とは、「個々人の創造性の発揮を促すことではじめて可能となる」という。そう、何か新たな価値や関係性が生まれる時には、それを作り上げる「個人的」「具体的」な物語が付随している。これは法や制度であっても、同様だ。最初のモデルは、脱法的で、反制度的な、個々人の努力である。たとえば、富山の看護師の惣万さんが始めた時には「脱法行為」とまで言われた宅老所が、各地に伝播する中で、「小規模多機能ケア」という形で介護保険制度の中に組み込まれたのは、局所的な「成解」のユニバーサルな「正解」への昇華だった。(その事は以前のブログでも触れた)。そう、法や制度は何らかの標準化としての安定的・継続的な「正解」として認識されているが、その内実は、局所的(ローカル)な「創発」が、その地域やコンテキストを書き換える中で「成解」となり、そのエキスが他でも利用可能なものとして抽出される(=普遍化される)中で、結果的に「正解」として機能するのである。つまり、「成解」としての「創発」は、非常に「個人的」「具体的」な何か、からしか生まれない、ということである。そして、その「個人的」で「具体的」な何か、というのは、これまでの関係性の閉塞感を超える、関係性の紡ぎ直しや書き換え、であるのだ。
同じく出張先の静岡で、森まゆみさんの『起業は山間から』(バジリコ)を買い求め、今日読み終えた。世界遺産となった石見銀山で郡言堂というアパレル会社を作り出し、人口500人の村で100人もの雇用を生み出し、旧家を再生させたりリノベーションさせていく達人、松場登美さんと、地域雑誌の古株『谷中・根津・千駄木』の仕掛け人との掛け合いは、非常に面白い。僕もこの松場さんの事は、確か「ソロモン流」で取り上げられていて知ったのだが、彼女のライフヒストリーを、聞き手の名手である森さんが上手に整理してくださった同書を読んでいると、松場さんの創発は実に「個人的」で「具体的」な物語である、と気づかされる。旦那がたまたま石見銀山の出身で、たまたまデザインや服飾にご縁があって、たまたま自分の着たい服がなかったから、という入り口から、松場さんが様々な人との「創造的な出会いを通じて」「自分自身の真の姿に恐れず向き合う勇気」を持ち続けた事によって、地域に根ざした会社作りから、街作り、地域アドバイザー的な存在として全国で講演に引っ張りだこになるほど、の活躍をしておられるのだ。彼女の人生には、何らかの「正解」があったのではない。あくまでも現実との出会いの中で、「自分自身の真の姿」と向き合い続け、「関係性を紡ぎ直し、新たな関係性をコンテキストの中に埋め込むこと」としての創発的な出会いに賭け続けた中で、結果論としての成功や注目に結びついたのである。
前回のブログでも書いたが、僕はこういう「個人的」「具体的」な物語形成が、「福祉の街作り」に決定的に欠けている、と感じ始めている。行政が主導になった時、「個別性」と「具体性」は捨象され、ついつい普遍性と公平性の原則に縛られてしまう。しかし、地域の再生とは、本来、行き詰まった関係性を紡ぎ直す、という意味で、創発的な何か、である。そこで、マクドナルドのマニュアルのような、普遍的なものを外部のコンサルティング会社が持ってきても、そのローカルなコンテキストにはまる訳がない。あくまでも、ローカルなコンテキストにおける一回性や偶有性の土壌の中で、その土地の人びとがどう「関係性を紡ぎ直し、新たな関係性をローカルなコンテキストの中に埋め込み直すのか」が問われている。そこで、高齢者や障害者、児童福祉の問題も、行政課題として、だけではなく、町のこれからの大事な問題(の一つ)として、町のコンテキストの中で、他の問題と重ね合わせながら論じられ、具体的な解決策を模索しない限り、いくら制度や法の編み目をかぶせても、絶対にうまくいかない、と感じ始めている。官民の協働も、結局個々人の「創発的な出会い」がその土台にない限り、うまくいかないのではないか、と。
つまり、福祉の街作り、なるものも、お顔の見える個々人の「創発的な出会い」を通じた関係性の変容や、そこから生まれる新たな価値という個人的・具体的な物語が土台にあって、初めて可能になるのではないか。
今日のエントリーは、たまたまご一緒したH先生との「創発的な出会い」からスタートした。そういう「出会い」に気づける主体でいるか? そういう己自身の課題が創発の鍵を握る、ということに、遅まきながら気づき始めている。

福祉の街作りから、コミュニティデザインへ

ここしばらく、毎週長時間移動の日々。先々週は京都→三重、先週は大阪と2週連続、片道5時間の旅。

若い頃は身体が持ったが、最近、どうも疲れがかなり内部に蓄積される。とはいえ、出張先の本屋で色んな新しい本と出会い、読み進めるには、列車内という空間が決して悪くないのも、また事実。
最近は、デザインに対する認識を変える本と何冊も出会っている。
きっかけは、こないだのブログでも書いた、西村佳哲さんの著作。読み始めた時は、自らの変容期における仕事観の再考、という内的必然性から読み始めたのだが、彼の著作を読み進める中で、それは僕自身の仕事のやり方の再考にも直結している、と思い始めた。つまり、福祉という領域を、そのコップの内部でのみ、観察していないか。タコツボ化をあれだけ警戒しながら、実は福祉という領域内での横断的なつながりは求めていたとしても、福祉以外の領域との関係性を捉えようとしていたか、と言われると、全然出来ていなかった。環境問題やまちづくりなど、近接領域はあるのに、そういう近接領域にすら手を出せていなかった。
しかし、福祉領域内にとどまる、というのは、実は与えられた枠組みを、所与の前提として受け止める、ということにもつながる。例えば精神障害者福祉を専門にしています、いうのは、高齢者福祉や家族福祉は専門外です、ということと裏表の関係であったりする。しかし、それは実は社会的に構築された枠組みを、そのまま鵜呑みにしている、ということ。精神に障害のある人の地域生活支援を考えようとしたら、認知症の問題は高齢精神障害者の問題であり、家族関係の問題を捉えると家族福祉にも直結する。もっといえば、精神障害とは個人と社会環境との相互作用の中から生じてくる何か、であるから、障害者を排除する街作りかどうか、や、そもそも高ストレス・強い同調圧力社会の中での精神障害の位置づけ、さらには「生き方」や哲学の一部としての病、など無限に広げて考えることが可能だ。思考のリミッターをかけているのは、訳知り顔のこちら側であり、リミッターを外すと、ある問題と他の問題は、縦横無尽に関係している。その関係性をどれだけ広げながら、深めることが出来るのか。あるいは、関係性を厳格に限定して、ある部分のみを局所的に掘り下げるか。
僕のやり方は、残念ながら、これまで前者だった。だから、以前西村氏の最初の著作『自分の仕事をつくる』を読んだ時、何となく面白い、と思いながら、その重要性が分からなかった。ゆえに、今回読み直そうと書棚を探したが、実は引越の整理で処分していた事を発見。2年前の僕には、アクチュアルな本として響いてこなかった。しかし、こないだ買い直して読み始めると、今はアクチュアルな問いとして引っかかってくる。枠組みに囚われるのではなく、僕自身が納得する、自分の仕事をつくっているだろうか?と。
その際、出張先の書店で何気なく手に取ったもう一冊の本も補助線になる。
「100万人以上いるといわれる鬱病患者。年間3万人の自殺者。同じく3万人の孤独死者。地域活動への参加方法が分からない定年退職者の急増。自宅と職場、自宅と学校以外はネット上にしか知り合いがいない若者。その大半は一度も会ったことのない知り合いだ。この50年間にこの国の無縁社会化はどんどん進んでいる。これはもう、住宅の配置計画で解決出来る課題ではない。住宅や公園の物理的なデザインを刷新すれば済むという類の問題ではなくなっている。僕の興味が建築やランドスケープのデザインからコミュニティ、つまり人のつながりのデザインへと移っていったのは、こんな問題意識があったからだ。」(『コミュニティ・デザイン』山崎亮著、学芸出版社)
この本を読んで、僕自身、なぜデザインに惹かれているのか、が非常によくわかった。実は僕は山崎さんと逆の辿り方で、同じ問題意識にたどり着いているのかもしれない。
障害者の地域自立支援協議会や、高齢者領域で言われている地域包括ケアに関わる事が多い。行政の会議に呼ばれるだけでなく、いくつかの自治体の場作りや仕掛け作りのアドバイザーもしている。で、市町村の福祉現場の話を聞きながら、どうしたら社会資源を増やせるか、開拓できるか、ソーシャルアクションの仕掛け作りはどうしたらいいか、などを話していて、先述のタコツボ的な限界を感じていた。限界集落や、高齢化率が5割近くなる町の課題、あるいは公共交通が少ない中での移動支援の課題などは、単に障害者や高齢者の問題、という対象を限定した話ではなく、街作りや地域課題そのものなのだ。それは福祉政策の領域を、明らかに超えている。だが、最近までどうそれを言語化していいのか、わからなかった。でも、山崎さんの文章を借用すれば、今なら言えそうだ。
「これはもう、障害福祉計画や介護保険事業計画、地域福祉計画で解決出来る課題ではない。障害者や高齢者制度の物理的なデザインを刷新すれば済むという類いの問題ではなくなっている。」
そう、ゆえに、山崎さんが言うように、「人のつながりのデザイン」を通じて、街作りや観光、商工、環境問題など、いろいろな別の領域と繋がっていかないと、福祉課題は根本的に解決出来ないのではないか。そう思い始めている。一方で、国の会議にコミットし、国レベルの政策転換のお手伝いは続けている。だが、こちらは財源がないという安易な言い訳に逃げる官僚や政治家の都合に、かなり左右される。そう簡単に動きにくい。もちろん、それでも自分に出来るアクションは何らかの形で続けていくが、他方で、市町村レベルであれば、担当者と住民が力を合わせてやる気になれば、大きな変化やアクションが、国レベルよりも遙かに具現化しやすい。山崎さんは家島や海士町でその事を体現されていたが、僕も鳥羽市や南アルプス市と関わる中で、そういう実感を感じ始めている。メゾ的な変化を起こすには、マクロからも、ミクロからも、両面作戦があってよい。で、そのミクロから攻め入るときには、障害者福祉がテーマとなっていても、それに限定せずに、より広いコンテキストの中で、人と人のつながり・関係性を変えるデザインを意識することが、かなり重要になってくるのだ。
これは決して僕のオリジナルな発見ではない。そういえば、面白い地域福祉の実践をしている人は、総じてその土地の物語に耳を傾け、福祉以外の様々な関心ある市民と関わりながら、その土地の、そこで暮らす人との関わりの中で、福祉問題を文脈化させていた。そういう地に足ついた福祉課題の再文脈化と、変革に向けた方向性付けのデザインこそ、コミュニティデザインなのかもしれない。遅まきながら、僕もその志向性をきちんと耕したい、と思い始めている。

誰のための継続性・安定性?

この前、某自治体職員と雑談していたとき、こんな話をきいた。

「厚生労働省は、総合福祉法を本気でやる気など、一ミリもなさそうですね。だって、こないだの主管課長会議でも、来年4月からの改正自立支援法の説明ばっかりで、総合福祉法の話なんて、話題になったのは、たったの5秒ですよ。8月に骨格提言が出て、その後の厚労省の会議で全く説明されないなんて、普通に考えればあり得ない話であって、随分変ですよね」
哀しいけど、さもありなん、と思いながら、その話を聞いていた。以下書くことは、その話を聞きながらふと頭をよぎった、事実に基づく僕の妄想であることを、始めにお断りしておく。
先ほど話題にしたのは、障害保健福祉関係主管課長会議と呼ばれる、厚生労働省が都道府県や政令指定都市の担当者向けに行う会議のエピソードである。確かにHPで出されている上記会議の資料をざっと眺めてみても、障害者自立支援法を廃止し、新たな法律を作るために、私も委員として関わった内閣府障害者制度改革推進会議、総合福祉法部会の骨格提言について、まったく触れていない。私たちは昨年の4月から議論をスタートさせたが、震災で2ヶ月ほど進度も遅れ、拙速にまとめられないから、出来れば1,2ヶ月結論を出すまで時間がほしい、と再三厚労省にお願いした。だが、厚労省は平成25年8月に施行するためには、来年の通常国会に載せなければならないので、8月末の〆切りは絶対に譲れない、と主張。その厚労省の意見を受け入れる形で、8月30日に骨格提言を作り、親会議を通じて蓮舫大臣にも手渡した(この骨格提言の内容や意義については、8月30日のブログにも書いた)。つまり、国の審議会として、正式に国にその内容を上程したのである。しかし、それを担当課である厚労省が全く無視している。これは実に異常な事態である、と共に、霞ヶ関の官僚支配の本質を垣間見たような気がしている。
官僚の仕事の重要なミッションは、「継続性と安定性」の確保、である。ルーティンワークをルーティーンたらしめる継続性と安定性にかけては、「お役所仕事」と揶揄されるほど、彼らの本領を発揮する。だが、震災のような安定した規範の消失した現場では、この「継続性と安定性」の土台が崩壊している。震災時から復旧や復興支援、あるいは原発対応を巡って役所が機能不全を起こしたのも、そもそもこの「お役所仕事」の基盤である「継続性と安定性」そのものが崩れ、圧倒的な「前例なき事態」に押し流されたからであった。そこではボランティアやNPO・NGOのような即興性をもった支援が活かされたのも、阪神淡路大震災や中越沖地震と同様であった。
そして、今、社会保障領域においては、震災時に匹敵するような、「継続性と安定性」の危機にある。増大する社会保障費を前にして、増税という選択肢を取る事が、政治・政局の問題として、何度も否定されてきた。すると、特に介護保険制度財政的にを破綻させないためには、介護保険の被保険者(つまり保険料を支払う人)を40歳から20歳に引き下げ、安定的な独自財源を確保したい、というのは、厚労省の悲願であるはずだ。だからこそ、障害者自立支援法は、将来的な介護保険との統合を前提した制度設計を行ってスタートさせた。であるがゆえに、厚生労働省と自立支援法違憲訴訟団との間で取り交わした、「介護保険との統合を前提としない」という基本合意文章は、おそらくは厚労省にとって「目の上のたんこぶ」の存在であるだろう。しかも、この基本合意文章に基づいて作られた、制度改革推進会議の総合福祉法部会では、介護保険の根幹である要介護認定やそれに基づく支給決定が、障害者の地域生活には不適合である、という整理の基で、新たな支給決定の枠組みを提案した。これは、自治体でやられている支給決定の実態にかなり近いものであるが、これを認めてしまうことは、厚労省の枠組みの否定であり、かつ将来的な介護保険と障害者福祉法の統合=介護保険の被保険者の拡大論をつぶしてしまう。介護保険の「継続性と安定性」を守ることが本丸である霞ヶ関側にとっては由々しき事態である・・・こんな認識なのではないか。だからこそ、厚労省の制度改変を伝える会議で、2ヶ月前に出された障害者自立支援法に変わる新法の骨格提言について、全く紹介しない、という異例な事態になっているのではないだろうか。
さらに邪推すると、来年4月からの改正自立支援法は、「改正」と言いながら、大幅な制度改変を予定している。相談支援や虐待防止が強化されるが、その中でも現場にはかなりの変更を強いられる部分が多い。そういう圧倒的な制度改変のリアリティを来年4月に持ってくる意味は何か。もちろん、表面的には「障害者支援の現実を一刻も早くよりよいものにしたい」という言葉が聞こえてくる。しかし、平成24年4月という時期に大幅な制度改変をすると、当然25年8月にまた新法への改正をする、なんていう気力が自治体担当者や福祉施設の現場の人びとに沸くはずがない。それを承知で厚労省は「今後3年間の間に改正自立支援法を完全実施すればいい」などと述べている。つまり、平成25年8月に自立支援法の枠組みを捨てる気などさらさらなく、この改正自立支援法こそを着実にしたい、そのための仕掛けをしっかりしているように思えてならないのだ。
そういう指摘は、総合福祉法部会でも出された。だが、そのときの厚労省側の答弁は、「政治家が出された法案を着実に執行しているだけですから」とポーカーフェイスで答える。だが、来年4月から始まる改正自立支援法案は、厚生労働省が元々原案を作り、障害者団体の反対で一旦阻止された内容をほぼそのまま踏襲していることは、業界内での「常識」である。かつ、この間、厚労省側が、与野党の厚生労働関係の国会議員周りをしながら、総合福祉法は予算が青天井であり、実現は無理と吹聴して回っている可能性も十分にありうる(その片鱗は小宮山大臣の発言にも見て取れる)。
継続性と安定性の話に戻ろう。いったい、誰のための、何のための、継続性や安定性が大切なのだろうか。
霞ヶ関で働く一人一人の官僚は、障害者の暮らしの継続性や安定性向上を願って働いておられる方も少なくない。これは、霞ヶ関に通いながら、官僚の方と出会いながら、感じていることである。だが一方、省としてこの間の厚生労働省の動向を、部会の一委員として眺めていると、どうも厚労省の考える「継続性と安定性」とは、厚労省の施策体系の「継続性と安定性」であり、障害者の地域生活の「継続性と安定性」が第一義に置かれていないような気が、ふとしてしまう。これが非現実な僕の妄想であればよい。だが、先ほどから書いていた断片をつなぎ合わせてみると、どうも現実感の希薄な空想に思えないような気がする。
青臭い話を敢えて書くが、法律や制度、政策や予算は、人びとの暮らしを豊かにするための方法論にすぎない。そして、その方法論が実態と乖離しているなら、抜本的に見直す、あるいは法律を作り替えて対応する必要がある。2年前に取り交わされた国と訴訟団の基本合意文章が示しているのは、現行法の改正では障害者の地域生活支援の実態に合わないということであり、だから新法を作り直し、パラダイムシフトする必要がある、ということを、国が約束した文章でもある。総合福祉法部会が1年半かけて必死になって作り上げたのは、そのパラダイムシフトの具体的な内容であり、55名という立場もスタンスも異なる障害者団体間で、何とかまとめ上げた、障害者の地域生活支援を実質的に保証する為の、あらたな骨格であった。しかし、その実質的内容を、厚労省は実質的に反故にしようとしている。
誰の、何のための、継続性や安定性の確保なのか? 守るべきは、変えるべきは、一体何なのか? この点について、官僚や政治家の間できちんとした認識がなされないと、真剣に内容を検討することなく「予算がない」という安易な言い訳にすがり、制度改革そのものが流されてしまう。総合福祉法部会は制御不能なアンコントローラブルな部会だったから無視をして、制御可能な自立支援法で対応する、というのが妄想でなければ、優秀な官僚の皆さんは、一体何を支配したいのか、どの継続性や安定性を確保したいのか、誰の何のためなのか、大きな疑問がうかぶ。まさかその答えが「省益」なんてちんけな答えであるはずがない、ということを、祈るばかりだ。

比較軸から羅針盤へ

風通しのよさ、を欲している。心も身体も。
引越しをしたのも、以前の家が本当に風通しの悪い家だったからだ。隙間風は吹きすさび、冬には凍てつく寒さになる鉄筋コンクリート建てマンションの3階。それが夏になると、隙間風どころか、わずかな涼風も吹かない。さらに、照りつける厳しい日差しは、最上階の我が家の気温を面白いほど上昇させ、篭った熱気と湿気は風が吹かない分、熱帯夜をさらに暑くする。引っ越した後に痛感したのだがついたのだが、コンディション的に相当過酷なマンションに6年も住んでいたことになる。
だが、山梨に赴任してからの6年間、なかなか出て行くことが出来なかった。大家さんが良い方だったから、というのもある。妻は3年目くらいから、SOSを出していた。でも、僕自身が、なんとなく引越をするだけの気力やモチベーションを保持していていなかった。暮らしていたマンションも風通しが悪かったが、それ以上に自分自身の心と身体の風通しが悪かったのかもしれない。だからこそ、物理的風通しの悪さに、文句を言いながらも鈍感になり、そこから脱出する、という具体的方法論を模索することのないまま、澱んでいたのかもしれない。
そんな生活との転機が訪れた今年。物理的に引越しをすることによって、風通しのよさ、ということを体感することが出来た。何事も、比較軸を手にしてみないと、それまでの状態がどうであったか、を相対的に評価することは出来ない。たとえば入所施設や精神科病院に長期間「社会的入院・入所」している人に、「今後どこに住みたいですか?」と聞いてみると、一度目に聞いてみるならば結構な割合で「ここに暮らしたい」とおっしゃる。だが、それは、すでに地域生活という比較軸を長期間の入院・入所で実質的に失っているから、他の別な選択肢が想像できないが故の、「もうここでいい」というメッセージの場合が少なくない。現に、長期間施設入所をした後、地域生活を再開された知的障害者への聞き取り調査を数年前にしたことがあるが、誰も「施設に帰りたい」とは言わなかったのが印象的だった。地域に出たいと最初は思っていなかった人でさえも、同様だった。地域生活という別の暮らし方を実感してみて、初めてそれ以前の暮らしが「風通しの悪い暮らし」だった、と実感しておられたのである。
僕自身も、ある意味そのような浦島太郎状態だったのかもしれない。比較軸を手に入れてみて初めて、それ以前の生活が「不便」で「風通しの悪い」生活だった、と遡及的に振り返りつつある。そして、そういう「風通しのよさ」を手に入れると、次は自分の仕事や暮らし方、日々のすごし方といった部分での「風通し」はどうだろう、と気にし始める。すると、どうやら僕を構成する様々な時間的・空間的配置や、僕の働き方そのものが、「風通しの悪い」ものである、ということに気づき始めた。なんだかしんどいなぁ、と思っているものの少なからずは、単なる加齢に伴う体力低下や運動不足といった表面上の問題ではなく、自らの実存上の風通しの悪さという本質的な何かとリンクしているのではないか、という仮説が、より強いリアリティをもって、身体の中で鳴り響き始めたのだ。
たとえば仕事について。ここしばらく、西村佳哲さんの本を何冊か、集中的に読んでいる。彼は「働き方研究家」であり、その処女作は以前に文庫版で斜め読みをしていたが、その際には僕自身の心にインパクトを持って響かなかった。しかし、こないだ出かけた小淵沢のリゾナーレ内にある、県内ではよいセレクションをしているブックス&カフェで、震災後の「どこで生きるか」を主題とした『いま、地方で生きるということ』(ミシマ社)と偶然出会ったことが、大きなきっかけとなった。震災というとてつもない出来事を未だに租借できぬまま、6月に引越しをするからと現地にボランティアにも行けぬまま、悶々としていた心が引越し後に少しずつほぐれていく中で、西村さんや、西村さんが主題化する東北で生きる人々の言葉が、文字通り乾いた心に吸い込まれるように、僕の心の中に染み入った。そんな浸透の様子に初めて、自分の心がカラカラに乾いていると気づいた。そして、次々に西村さんの本を買い求め、どれも貪るように読んでいる自分がいる。
西村さんは、仕事を単に「食い扶持を稼ぐため」という表層レベルでは解釈しない。その人の考え方、だけでなく、生き方・ありかた・実存といったBeingの問題として捉える。どれだけ魂とつながった働き方が出来ているか。どれだけ心からのワクワク・ドキドキが湧き上がってきているか。自分の実存に正直で、嘘をつかない誠実さを仕事に反映できているか。そして何より、世間の空気を読むのではなく、自分自身の中に吹く(時にはか細い)風を読んで、風通しのよさを心にも身体にも持ち続ける事が出来るか。そのためには、時にはNOを言うことを辞さない原則を持ち続けられるか。彼が主題として選んだ「働き手」たちは、みんな上記のポイントを必ずクリアしている人々だった。そして、書き手の西村さん自身がそのプリンシプルを著作を通じて体現しておられることが、よーくわかった。だからこそ、風通しの悪い以前の僕にはそのよさが理解できず、今になって急激に貪るように読みたくなってきたのである。そして、改めて上記の問いが、僕の仕事、働き方、実存に向けて振り向けられる。
自らの不全感・中途半端さ加減の少なからぬ部分が、この風通しの悪さである、と気づいたのは、彼の著作を読み進める中でのことだったと思う。しばらく前から薄々感じ始めていたが、確信を持てたのは、西村さんが紹介してくださった多くの「働き手」と自らの働き方を比較する、その比較軸を西村さんが提供して下さったからだと思う。比較には、「見ないほうが良かった」という比較だってあるとは思うのだが、この比較軸は、自分の中でなんとなく不全感や疑問として感じていた事をはっきりと言語化し、かつ背中を押してくれる貴重な枠組みとして、僕自身は受け取った。「風通しの悪い人生なんて、つまんないじゃないの」と。
だからこそ、久しぶりに京都→三重と出張を続けた帰り道のスーパーあずさの中で、改めて見つめなおす。僕自身にとって「風通しのよさ」とはなんだろうか。どうすれば、日常世界における澱みを少しでも減らし、今よりは心地よい、風通しの良い心身を保てるだろうか。そのために、働き方や生き様をどう変えていけばいいだろうか。持つべき比較軸や羅針盤は、世間的な価値観や評価軸ではない。自分の魂にとっての風通しのよさ、という比較軸であり羅針盤。その枠組みを気づいたら手にし始めている。だからこそ、これからの航海が、澱んだ内海の吹き溜まりではなく、まだ見ぬ大海原という外海に漕ぎ出し初めている、ということも、少しびびりながらも、感じているのである。もちろん、行き着く宛先は、未だはっきりとした輪郭を帯びてはいないのだが、とにかく風を信じて漕ぎ出すしかないのだ。