脳の暴走から逃れられるか

 

論理性が、自分の身体感覚や直感に寄り添ったものとして機能するためにはどうしたらいいのだろうか。内田樹氏の最新刊「街場の教育論」(ミシマ社)を読みながら、そんなことを考えていた。

この本の中で、内田氏は出版社の人びとの採用面接の極意を聞いたエピソードを披露している。曰く、採用面接でその人が残るかどうか、は、扉を開けて入ってきた5秒ほどで決まる、とのこと。この人なら一緒に働いてみたい、という気持ちにならない人は、あとは楽しくオシャベリして頂き、その場をどう気持ちよく去って頂くか、のサービスの為に熱心にお話を伺う。逆にこの人は採用したい、という人は、もう5秒でわかってしまったので、さっさと話を切り上げる。よって、試験の時に話が盛り上がったのに採用されなかったとか、逆に自分は絶対落ちているはずと思っていたのに受かってしまった、ということが度々生じるという。そして内田氏はそういう有り様が、協働作業の現場ではごく当たり前のように起こる、とまとめている。

その記述に、そうだよなぁ、と想いながら、実はもっと気になったのは、そういう気分や感覚、直感的なものを、論理の力で説明出来る内田氏の力量であった。私たちは、普段無意識のうちに様々な物事を決定し、判断し、処理している。その際、論理的に、なんて意図が働くわけもなく、直感や身体感覚で決めている場合が多い。なんでそう思うのか、と聞かれ、何となく、としか答えられない、その感覚である。しかも、その直感や身体感覚は、素直に無理せずわき出るものに従うときほど、精度が高くなる。この身体感覚の精度の高さを挙げることと、それを論理的に説明する力をつけること、この二つがどう両立可能なのだろう、と考えるのだ。

つい先日も、ふとしたことで、自分の頭の中の限界に突き当たる。身体感覚とは違うメッセージを脳が勝手に作り出し、状況的にはこういうことだよね、と判断する場面が出てきた。状況として確かにそういう事かもしれないが、それは脳が把握する、前例としての状況である。その前例を前提としている限り、いつまで立っても、その枠組みの囚われから逃れられず、身体のアラームに反応せずに脳の暴走に身を任せ、結果、より状況がまずくなる。そういうことが、脳と身体のズレだとは気づかなかったが、そういう視点で捉え直すと、デッドロッグにさしかかった少なからぬ案件に、そのズレがあることに気づき始めた。

そう整理出来てくると、さらに気になるのが、論理性との関連だ。僕自身の論理のリソースを、脳の暴走につきあわせている場面が少なくない。頭の中で作った「作り話」という名の妄想をふくらませ、その妄想から、「だからこうに違いない」という場面設定を論理的に導き出し、その穴ぼこに結果的にはまって、「やっぱりその通り」と悲憤する。しかし、これってよく考えてみたら、「そうでない可能性」もたくさんあったはずなのだ。そういう分岐点で、「そうではない可能性」を確かめることなくひたすら脳の暴走に追従した結果、論理的に導き出された陥穽なのである。世間ではそのことを指して「マッチポンプ」とも言うのだが

論理のリソースを、経験値も少なく考えの幅も浅いちんけな僕自身の脳の暴走に盲従させることなく、時には身体の微弱なシグナルの方にどう同期させられれるか。村上春樹のイスラエルでの講演ではないが、壁ではなく卵としての私、堅牢に見えるシステムではないフラジャイルな身体性を持つ個にどう同期させることができるのか。自分のピットフォールでもあり、しんどい部分はどうやらこのあたりにありそうだ、ということまではわかってきた。

安易な批判、の向こう側へ

 

自分が気づきたかった(けど気づききれなかった)ことが明確に書かれていると、思わずそうそうと口に出てしまう。次のフレーズも、そう声を上げた瞬間だった。

「批判する人が気づくことは、当然気づいていて、その先、相手は、なぜ、こんな間違ったことをしているのかとか、そのことが自分たちにどういう意味を持っているかとか。そしていま、欠点が目立ったり、問題がある相手を、未来に向かってどう生かすか、というビジョンが求められる。」(山田ズーニー『おとなの小論文教室』河出文庫、p167)

そう、単なる批判の限界はわかってきた。人から説得されても、本人が納得できないと、ものごとは動かない、変わらない、ということも、文字面ではなく経験として浸みてきた。でも、気づいたら批判という形で説得してしまう愚をしょっちゅうおかしている。おせっかい、というか、過剰なのである。しかし、その過剰なエネルギーを、お互いにとってもメリットが少ない(聞く方も嫌になるし、言う方も甲斐がない)説得や批判ではなく、それを乗り越えて、相手の納得を導く何かをするにはどうしたらいいのか、それを考えあぐねていたのだ。その時に、小論文指導の名人が、書くことを考えるコラムの中で導き出した先のフレーズにぴぴっときたのだった。

相手が批判される問題をしている。その時に、それが悪い、と糾弾していたら、いつも繰り返している、You are wrong(裏を返せばI am right!)の思考パターンに陥ってしまう。そういう糾弾的な枠組みは、聞く方だって(時として言う方だって)、実のところ飽き飽きしていたりする。「そうそう、わりぃーよ、でもしかたねーんだよ」と相手が開き直ることだってある。その際、回路を開くためには、単に自分が善で相手が悪、という二元論に矮小化せず、相手の論理を徹底的にトレースすることが大切なのだろう。なぜこういう論理に相手がなっているのか。その論理はどこから導き出せるのか。どこに突破口があり得るのか。そもそも本当にこの論理は間違っているのか。自分が悪いと決めつける、その決めつけの方こそが間違っていることはないのか。

こうして頭を冷やしながら対象化していくうちに、独善的な偏見の殻が破れ、「未来に向かってどう生かすか」というビジョンが開けてくる。頑なな相手とも対話が生まれる。すると、事態打開に向けた芽が生えたり、突破口が生じるのだろう。

こうまとめてみて、あることに気づかざるをえない。これまでどれほど沢山のチャンスを、良い出会いの可能性を、変革の芽を、恐れから来る不安や決めつけによって遮って来ただろうか、と。

思えば、つい最近まで本当に「批判的」物言いが全面に出ていた。批判することに安住していた。だが、それは、馬鹿にされたくない、相手より優位に立ちたいなどの自己顕示欲やびびりの裏返し、でもある。自分の努力不足の言い訳でもある。そして、相手の声を、本音を、聞いていないことの証明でもある。つまりは、僕自身が行っていた「批判」の表明は、己の愚かさの開陳ともつながっていたのだ。

これは世の中の批判が全て間違っている、ということをではない。「未来に向かってどう生かすか、というビジョンが」ない批判ほど、自己満足の域を超えない無内容なものはない、ということが言いたかっただけである。

明日で34歳になる。節目だから、ではないが、そういう無内容な批判に安住せず、どんな状態に直面しても、どんな人と出会っても、「未来に向かってどう生かすか、というビジョン」を持ち続けられる人間に成長したい。

蔵出しと再構成

 

今日は比較的早い時間に「あずさ」のひとである。

昨日、西宮の現場で1年ぶりの追跡調査を再開する。ある現場を定点観測的に眺め始めて気が付けば5年目。その間、現場も変わるが、私自身も変わる。仮説を立てていたことが、あたったり、見事に崩れ去ったり。そこで、現場へ再度足を運び、考え直し、考えあぐねる。バームクーヘンのように、何度も何度も同じような所を巻き直しながらも、しかし、巻いている内に、出口、とはいかないまでも、「こうも考えられるのではないか」という新たな契機が見え始める。そろそろ、原稿としてまとめなければ、という想いが芽生え始める。

この「書きたい」という想いは、関わりの時間の長さとは関係がないようだ。現に、三重の研修のことは、まだ関わって半年なのだが、こないだ紀要原稿用に入稿してしまった。8月から根詰めて3ヶ月、通い詰めた熱気は、忘れないうちにスケッチしておかねば、という想いがむくむく出てきたのだ。ワインにたとえるなら、ヌーボーのようなもの。その年の成果を、まずはフレッシュなうちに瓶詰めにして届けてしまいたい、というタイプの原稿である。一方、昨日訪れた西宮の現場も、あるいはお昼によった大阪の現場も、こちらはどっぷりと関わる蔵出しタイプ。何年か通い続け、蓄積を続ける中で、そのうちに尖った刺激だけでなく、全体のバランスがとれて、独特のアロマが出始める。そのアロマをうまく整え、論理の流れと整えを施して、インパクトだけでなくしっかりとした味わいまで出せるかどうか、が問われている。

これまで、まだ書き手としての蓄積もない中ではとにかく遮二無二書いてきたが、そろそろ、こういう書き分けのようなものを意識化しないとなぁ、と思い始める。ヌーボーにはヌーボーなりの美味しさと社会的使命があり、でも熟成された旨みはなんと言ってもオーク樽に何年も寝かせているほうがしっかり付く。一度知り合いの酒屋で、50年もののブランデーを分けてもらったが、あのトンでもないまろやかさとアロマは忘れられない印象を刻みつけている。さて、僕の文体に良いアロマ(臭みではなく!)が出てくるのは、一体いつのことなのだろう。

アロマ、と言えば、今回の旅行のお供に持っていた橋本治の「窯変源氏物語」(中公文庫)は、非常によい。実は彼の「桃尻娘」を読もうとして挫折し、遠ざかっていたのだが、新書の「わからないという方法」(集英社新書)を読んで非常に好感を持ちはじめた。

「『わかる』とは、自分の外側にあるものを、自分の基準に合わせて、もう一度自分オリジナルな再構成をすることである。」(同上、p105

彼の文体はくどいのだが、くどいのには、自分がわからない事を徹底的にわかるために、敢えてくどく思考していく(書いていく)彼なりのスタイルである、ということがわかってきたのだ。この「窯変源氏物語」には、その彼のスタイルが見事にはまっていて、よい。源氏物語という「自分の外側にあるものを、自分の基準に合わせて、もう一度自分オリジナルな再構成を」見事に果たしている。そのことは、文庫版の第一巻の終わりにも、こんな形で表明されている。

「本書は紫式部の書いたという王朝の物語『源氏物語』に想を得て、新たに書き上げた、原作に極力忠実であろうとする一つの創作(フィクション)、一つの個人的な解釈である」(窯編源氏物語1巻、p369)

そう、彼は「源氏」を徹底的にわかろうとして、「自分の基準」の中に全部飲み込んだ上で、「もう一度自分オリジナルな再構成」までしているのだ。この「わかる」プロセスが踏まれた作品であるために、読み手も非常に見通しがよく、「王朝の物語」という異次元の話なのにグイグイ引っ張られる。つまり、橋本治オリジナルゆえに、下手な翻訳本を読んでいるときの「わからなさ」がないのだ。

これは古典の現代版や翻訳小説だけでなく、僕が取り組んでいる世界でも切実に必要とされていることだと思う。山ほど取材したって、資料を読んだって、「自分の基準に合わせて、もう一度自分オリジナルな再構成をする」ことが出来ない限り、わかったことにはならない。そう思うと、わかっていないのに書かれたテキストのなんたる多いことか。もちろん、自壊も込めて。わかるための格闘、それが、完遂した時に、先に書いた独特のテイストなりアロマが醸し出されるのだ。

どんな「再構成」が出来るのか。そろそろ蔵出しが楽しみになってきた。

理解していないのは、どちら?

 

久々にのんびり出来た日曜日。

朝から定番のジムよってけし(JA直売所)に出かける。本当はこの土日、長野で気になるフォーラムがあって、そこに行く予定にしていたのだが、1月末〆切の二本の原稿がどうしても終わらず、日付変更線ギリギリで、ようやく脱稿したのだ。身も心もクタクタになっていたので、長野まで足を向けられず、さぼってしまったのだ。久しぶりに先輩Mさんにもお逢いできるチャンスと思っていたのだが残念。

で、今日もジムで運動しながら、「積ん読」状態だった本に手を伸ばす。そしてまた、ハッとさせられるフレーズに出会う。

「『ずいぶん分かりやすく話したとおもっていたのだが』と、ぼくはいった。『理解してもらえなかったようだ』。『理解していないのは、あの人たちを理解していないのは、あなたのほうじゃないの、パウロ?』。そういって、エルザはつけ加えた。『あの人たち、あなたの話はだいたいわかったと思うわ。あの労働者の発言からしても、それは明瞭よ。あなたの話はわかった。でも、あの人たちは、あながが自分たちを理解することを求めているのよ。それが大問題なのよね。」』(パウロ・フレイレ『希望の教育学』太郎次郎社、p34)

ブラジルの民衆教育のリーダーも、後に「被抑圧者の教育学」という名著につながる叡智を、若かりし日の失敗から見いだしていた。当時フレイレは、後に自らが否定する事となる、一方向型の詰め込み型教育(銀行型教育:banking education)を行っていた。「無知な民衆」を前に、子供への罰がいかに子供の心に悪影響を与えるか、科学的知識に基づきながら分かりやすく「啓蒙」しようとしたのである。その彼の話が終わった後、聴衆の1人が、「よい話を聞きました」と前置きした上で、「先生は、ぼくがどんなところに住んでいるか、ご存じですか? ぼくらのだれかの家を訪ねられたことがありますか?」と切り出す。その上でこの聴衆は、フレイレが住む暖かな家庭とはほど遠い住環境や社会状況で暮らす実態を述べた上で、こう締めくくったのだ。「わしらが子どもを打ったとしても、そしてその打ち方が度を超したものであるとしても、それはわしらが子どもを愛していないからではないのです。暮らしが厳しくて、もう、どうしようもないのです」

この記述を読んでいて、かのフレイレ氏も若かりし頃、自分と同じ過ちをしたのだな、と親近感を持つと共に、身につまされる思いをした。何度もこのブログに書いていることだが、「あなたは間違い」という表現の裏側には往々にして「私は正しい」という文言が張り付きやすい。しかし、その「間違い」とされる側にも、単純に切って捨てることの出来ない、本人なりの妥当性がある。「便こね」という「問題行動」をする認知症のお年寄りも、その行為の背景にはかなりの意味世界がある(何かわからないものがお尻に付いていて、気持ちがわるい、でも、どう処理していいのかわからないから、とにかくタンスの中に隠しておこう)。

この「本人の側から見た世界観」を「それは間違い」と切り捨てるか、あるいは「なぜそんな世界観に立つのだろう」という「対話」を試みるか。この点は、その後の歩みを大きく変えてしまう。フレイレもこんな風に言っている。

「人びとの世界の見方は、具体的な現実そのものによって条件づけられており、ある程度まで、前者は後者によって説明される。具体的な現実が変われば、そのことをとおして、世界の見方も変わっていくだろう。しかしさらにまた、(認識行為をとおして)現実が暴き出されていき、自分のこれまでの世界の見方を規定していた諸要因が見えてくると、そのことによっても世界の捉え方は変化しはじめるものだ。」(同情、p33)

そう、対話という「認識行為をとおして現実が暴き出されてい」くことにおそれをなすと、自分が持つ「標準的」知識から逸脱することに拒否的になる。自分の世界観(=自分にとっての標準的知識の枠組み)に固執する。しかし、自分の枠組みと相手の枠組みを「対話」させる事からでしか、別の見方を獲得することは出来ない。研修や授業という現場で、自分がうまくいかない時は、たいてい対話でなく、私の世界観の押しつけになっている。つまり、僕自身が相手の世界観から現実を「暴き出す」ことを面倒だと感じたり、恐れている場合に限って、僕は無意識的にではあるが、高圧的になるのだ。そういう場合って、自分が知らなかった「自分のこれまでの世界の見方を規定していた諸要因が見えてくる」絶好のチャンスなのに、いやそうであるが故に。

「あながが自分たちを理解することを求めているのよ。」

対話相手は、理解を求めている。福祉現場の職員研修をしていて、もっと障害者の声を聞いて、と伝える前に、まずはその研修現場に来ている職員の皆さんを理解することが基本となる。こう書くと、妥協的だ、とか、当事者よりも支援者贔屓なのか、という声も聞こえてきそうだ。しかし、違うはずだ。支援者という1人の人間が置かれている現状がどういうもので、構造的に大変な部分とは何か、に思いを馳せることなく、「良い支援をすべき」と銀行型的詰め込み教育をしても、人の考えは変わらない。本人が納得して初めて、何かが変わる。そして、納得とは、相手がわかってくれている、という安心感がベースにあって、その上で、説得力ある話が上に乗っかると、自分にも確かに非はあるかもという動きにつながるのだ。そこで大切なのは、まずは「信頼」である。信頼構築無く、いきなり説得だけで来られたら、それが正論であればあるほど、論理的反発が出来ないから、感情的に反発する。そして、それは講師の側にも強いハレーションの形で跳ね返り、互いが感情癒着状態になる。ああ、失敗した講義や授業って、だいたいこのパターンだった。

当たり前のことを、自戒を込めて繰り返すが、まず僕自身が、「認識行為を通して現実を暴き出す」ことに同意署名することが大前提になる。見えてきた「自分のこれまでの世界の見方を規定していた諸要因」の中に、改善点があるのであれば、潔く変えていくことが大切なのだ。それが、対話の回路を開く第一歩なのである。

「あの人たちを理解していないのは、あなたのほうじゃないの、パウロ?」

この言葉は、私自身への呼びかけそのものでもある。

バトンについて

 

久々のエントリー。

今月末に二本の原稿〆切+センター試験やらテストやら大学雑務+相変わらずの研修が重なり、10日以上書く余裕もない日々が続いていた。そして、今日は、そう、相も変わらず「かいじ」号の人。今日は、いつもと違って最終の一本前に乗れております。移動中だから、ぼんやり原稿が打てる。

で、今日の東京出張は、私の母校、阪大人間科学部のボランティア人間科学講座が、「店じまい」するので、それを期に作るメモリアル報告書のための座談会。お茶大で、講座出身の4人の仲間と議論するチャンスがあった。研究分野は、社会心理、教育援助、人道支援、病院ボランティア、そして僕のノーマライゼーション論と実にバラバラ。でも、共通していたのは、「ボランティア人間科学講座」という得体の知れない講座だからこそ、自分が何をやっているのだろう、という説明責任と、他の人は何をやっているのだろう、という好奇心から、タコツボ化せず、幅を拡げて議論を縦横無尽にし続けてきた、ということだろうか。大学院生の時は、それこそしょっちゅう議論をしていたが、あれから6年以上。お互いに現場を持つ中で、久々に出会った人びとが、しかし共通の何か、に関して議論をスパークさせる内に、あっという間に3時間というタイムリミットが過ぎ去っていた。

ボランティア、というと、世間の人は、やれ「無償」だの「偽善」だの、「奉仕活動」だの、その言葉にこびりついた特定のイメージに埋没しやすい。しかし、今日の議論の中にも出ていたのだが、私たちがあの講座で学んだこととは、そういう矮小化された固定観念ではない。むしろ、その対極にある、「枠組みを疑う・作る」という意味での、メタ知識的なものであろうか。知識を鵜呑みに学ぶための講座、ではなく、どうすればその知識を持って現場を変えられるか、もっと言えば、現場を変えうる知識とは何か、あるいはそもそも現場を変える事が必要なのか、といった根本から疑い抜く、「枠組みへの問い」というものと向き合う智慧のようなものを、あの講座から「学恩」として受け継いだのかもしれない。だからこそ、ボランティアという語も、矮小化された「善意」「無償」「公共」ではなく、社会的な何かをより高める・伝える・変えるためのツールとしての、「ボランタリー」という用語法であった。something newなんだけど、とりあえずどう命名していいかわからないから、一時的に「ボランティア」と名付けるような感覚だ。

しかし、面白かったのは、講座内で専攻も指導教官も違う5人が、議論をする中で、結局その「根っこ」のようなものとしては、同じモノを受け継いでいる、という点だ。アプローチは違っても、まだ見ぬ「同じ山」に登ろうとしている、その中でお互いを高め合おうとしている。同床異夢、だけれど、何かが一緒、そういう差異と共通性を改めて再確認した一日だった。

そして、共通と言えば、みんなその受けた「学恩」を、誰かに、何らかの形で伝えなくてはいけない、という社会的使命感のようなものを持っている、という点で共通していたことだろうか。我が我が、ではなく、うけとった何かの社会性や公共性を重要視した上で、次代に託せるバトンとして認識している。そういう意味での「根っこが同じ」という感覚を共有することが出来た。それこそ、「同じ釜の飯を食う」仲間だからこそ、見えてきた共通性。何だか、久々に「母港」に帰還したような清々しさを感じた。講座としての実態はもう亡くなった。しかし、そのソウルを受け継ぎ、次代にバトンする、というミッションを共有できたひとときだった。

いつもの「最終」より

 

2009年に入ってから初の「最終かいじ」号のひとである。

思えば昨年は本当にこの「最終かいじ」号にはお世話になった。22時20分頃まで、神保町で研究会があり、そこから都営新宿線(22時28分)に乗って新宿駅へ。研究会の間にご飯を食べ損ねた日(例えば今日)は新宿駅のキオスクで腹の足しになるもの(今年から再びダイエット計画なので、今日は98kcalのシリアルビスケット)を買って、行きに予約しておいた新宿23時発の「最終かいじ」の8号車4番あたりに座る。昨年は前期の月曜、立教で非常勤(1・2限)をしていたので、朝5時50分の普通電車!に乗って新座まで行き、二コマした後、東京に出てきて夕刻から研究会、というえげつない日程が4,5回はあったので、よくもまあ無茶したなぁ、と改めて驚嘆する。今日だって、4時半まで授業教授会で、終わるや否や電車に飛び乗って、だったのだけれど

大変だけれど、無理をしてでも出かけるのは、ずっと続けてきた研究会の成果として、一冊の本にまとめる最終段階だから。障害福祉政策のトップランナーの集まりの末席に加えて頂き、その場での議論についていこうと必死になりながら、にわか勉強を続けてきた。その議論と検討の成果が形になっていき、私自身の分担部分のドラフトも何とかおおむね了解も頂き、ほっと胸をなで下ろす。こういう「大きな背伸び」をすることが、学びの本質(の一つ)であるのだな、と改めて感じる。もともと絵に描いたような凡人なので、気が付けばずっと「大きな背伸び」ばかりだ。でも、こうして受け止めて頂く土壌があるから、伸びきったり筋が切れたりすることなく、何とかアジャスト出来ている(つもり?)のである。

実は明日も授業後、今度は徳島に出張なので、また今日帰る道の逆戻りなのだが、まあそれは仕方ない。それに、土日は全国の大学教員が総動員される例の「センター」とやらで、文字通り朝から晩まで詰めている。タイトな日々だが、まあ好きで選んだのだから、仕方ない、か。それに、こないだの3連休は文字通り「引きこもり」のように、家でずっといた。まあ、今日議論のまな板の上に上げたドラフトを書いていた、というのが主な理由だが、でも比較的のんびり本も読めたし、多少風邪も引きかけたが、そのおかげもあって身体もゆっくり休めた。まずまずの休暇であった。こういう休暇の後なので!?、馬車馬のように働くのも、まあしゃあないか、と諦めもつく。卒論の〆切もいよいよ来週火曜日なので、その追い込み学生の指導も明日だけで終わらない可能性も大いにあり得るし

忙しいことを言い訳に、モノを考えないでただ単に右から左、に済ます人もいる。一方、どれほど忙しくても、いや忙しいからこそ、きっちりと筋道立てて優先順位を考え、ロジカルな判断と組み立てを基本にして、次々と課題を整理していく人もいる。昨年の暮れあたりから、自分が前者であること、そしてそれが問題であること、を遅まきながらようやく強く意識し始めた。忙しいから「こそ」、徹底的に考え抜き、必要とされる事は何か、手持ちのカードで出来ることは何か、を突き詰めないと、突き抜けることはできない。そうようやくわかり始めた。このあたりが、今年の超えるべき課題だ、といつもの車内で改めて整理してみたくなった。

通奏低音と同語反復

 

謹賀新年
今年もよろしくお願いします

2009年になった。この正月は本当に何もない「寝正月」。年中ジタバタドタバタしているタケバタにとって、4日まで全く予定がない、というのは珍しい。おかげで毎日9時頃まで寝て、完全にゆるゆるモードである。

普段めったにDVDや映画も見ないのだが、たまには、ということで年末に大学の図書館で借りた「靖国」を見てみた。話題騒然となり、上映自粛の事態にまで発展した映画、と言うから興味津々で見てみたが、うーむ、そんな騒ぐ価値ある映画なのだろうか、と思った。確かにあの神社に行かないと見ることが出来ない「断面」が切り取られている。しかし、その「断面」ともう一つの主題である「刀」を巡る物語のつなぎ方が、何だかブツ切り的挿入で、直線的過ぎて、違和感を覚える。またグレツキの「悲歌のシンフォニー」(交響曲第3番 作品36)を主題歌的に用いているが、映像との取り合わせ方もかなり「煽っている」感が強かった。歴史解釈の正否よりも、「作品」としてはいかがなものか、という不満が一番残る作品だった。

せっかくの休日に見たDVDでモヤモヤしてしまい、困ったなぁ、と読みかけの本を「風呂読書」していたら、ようやくスッキリする言葉に出会う。

「正しさを担保するのは正しさではない(それは「私は正しい。なぜなら私は正しいからだ」という原理主義的な同語反復にしか帰着できない)。正しさを担保するのは正否の判定を他者に付託できるという人間的事実である。この付託によってのみ、真偽正否の判定を下しうるような知性と倫理性に『生き延びるチャンスを与える』ことができる。信認だけが、人間を信認に耐えるものにする。そのことを私は『受信者への敬意』、『受信者への予祝』、あるいは端的にディセンシー(礼儀正しさ)と呼んでいる。それは『呪い』の対極にある。」(内田樹「呪いと言論」鷲田清一・内田樹著『大人のいない国』プレジデント社、p88-89

あの映画そのものが「原理主義的」なのかどうかは判断を留保する。でも、僕はあの映像の通奏低音には同語反復的なものを感じた。それが、観る者の内部に鈍く響きつづけて、気持ちよくなかったのだ。「正否の判定を他者に付託」するという意味での「ディセンシー」が不十分である、といえば良いだろうか。そういう編集を2時間も見させられると、少し胸焼けがする。

ある価値に基づいて何かを表現する事に異論を挟むつもりはない。何かを表現すれば、自ずと「偏った」見方になる。それはいい。でも、その偏差に自身が気付いた上で、それとは対極の「受信者」も含めた他者への「信認」の姿勢があるか。『受信者への敬意』は、どのポジションでどういう主張をするか、という差し出されるコンテンツの前に守るべき形式のような気がする。その形式段階での逸脱が、多くの他者の逸脱を喚起したのではないか、と感じた。

「森達也が撮ったらもう少し面白い作品になっただろうに」

そう思わずにいられなかった。

方法を考える力

 

今年は実家に帰らない正月だが、相変わらずバタバタ続きである。今日になってようやく年賀状の印刷がはじまるのだから、相変わらず始末がわるい。

しかし、時間が出来たので、好きな本がルンルン読めることほど嬉しいことはない。年末にご紹介するのは、実に気持ちの良い読後感の一冊。

「独学で建築家になったという私の経歴を聞いて、華やかなサクセスストーリーを期待する人がいるが、それは全くの誤解である。閉鎖的、保守的な日本の社会の中で、何の後ろ盾もなく、独り建築家を目指したのだから、順風満帆に事が運ぶわけはない。とにかく最初から思うようにいかないことばかり、何か仕掛けても、大抵は失敗に終わった。
それでも残りのわずかな可能性にかけて、ひたすら影の中を歩き、一つ掴まえたら、またその次を目指して歩き出し-そうして、小さな希望の光をつないで、必死に生きてきた人生だった。いつも逆境の中にいて、それをいかに乗り越えていくか、というところに活路を見出してきた。」(『建築家安藤忠雄』新潮社、p381)

元プロボクサーで大学にも通わず独学で世界の頂点を極め、東大の名誉教授の称号も。そんな「肩書き」「立場」では絶対にわからない安藤氏の激しさ、ひたむきさ、そして徹底的に考え抜く姿勢がこの本の中に詰まっていた。「大抵は失敗」というスタートでも、「残りのわずかな可能性にかけて、ひたすら影の中を歩き、一つ掴まえたら、またその次を目指して歩き出し」というプロセスを彼は地道に踏んでいたのだ。この部分に、特に「一つ掴まえたら、またその次を目指して歩き出し」、という部分に自分の歩みを重ねてしまった。そう、自分が現時点でやっているのは、「順風満帆」ではない環境の中にいて、「希望の光をつな」ぐ作業そのものであるからだ。

で、希望、といえば、年賀状にも使おうとしている良いフレーズに出会えた。

Hope=Mental Willpower+Waypower for Goals (Snyder, The Psychology of Hope, Free Press pp10)

これを我流に訳すと、こんな風になるだろうか。

希望=精神的な意志の力+目的に達するための方法を考える力(年賀状にはもう少し簡潔な訳にしたが、こっちの方がピッタリ来るかも知れない)

安藤忠雄氏の自伝を読んでいても、彼が強靱な「意志の力」を持つだけでなく、徹底的に建築を考え抜く、というこの「目的に達するための方法を考える力」を持ち続けていた、という点に非常に興味を引かれた。そう、この二つがないと、希望が現実にならない。逆に言えば、この二つを適切に支えられば、希望の火を多くの人に点すことが出来る。

障害者支援の現場でも、この「希望」のプロセスが今、大きく問われている。自己決定やサービス、といっても、目の前になかなか適切なサービスがなかったり、あるいは自分が決めにくい環境下に置かれている場合も少なくない。また、エンパワメントという言葉も多用されるようになってきたが、ついつい「精神的な力を付与する」という事に傾きがちなような気がする。

だが、「とにかく最初から思うようにいかないことばかり、何か仕掛けても、大抵は失敗に終わ」るような日々の中から、支援を構築し、現状を変えていくためには、「精神的な意志の力」だけではどうにもならない。たまたま一ケースが例えうまくいっても、それを一支援者が抱え込むと、燃え尽きに至る。その際、現状を変えていくためには、「小さな希望の光をつないで」いくためには、大切なのはWaypower、つまり「目的に達するための方法を考える力」なのだと思う。それも、安藤氏が実践してきたように「徹底的に考え抜く」という姿勢が、求められているのだと思う。

この一年、自分としては何とか、「小さな希望の光をつないで」これた。それを、来年はもう少し今より大きな光にするために、さてどうするべきか。それを「徹底的に考え抜く」中から、自分なりのWaypowerを見いだせるのではないか。年越しに、そんなことを考えていた。

みなさま、良いお年を!

投稿者 bata : 18:21 | コメント (0)

20081215

呪能について

忙しい時ほど、仕事に関係のない本を読みたくなる。

「白川静という巨知を語ることは、まずもって『文字が放つ世界観』を覗きこむことであり、古代社会このかたの『人間の観念や行為』をあからさまにすることである」(松岡正剛『白川静 漢字の世界観』平凡社新書、p10)
「白川さんは文字がもつ本来の『力』というものを想定していました。そして、それを『呪能』とよびました。文字には呪能があり、その呪能によって文字がつくられたのだと想定したのです。」(同上、p38)

かの博識の松岡正剛氏が「先生」と呼ぶ、我が国の東洋学の巨匠。以前から気になっていたけれど、一度読むのを挫折していた白川氏の著作について、深くかつ安心してついていける水先案内人としては、松岡氏ほどの適任はいない。同書を読み終えた頃、すっかり漢字の持つ「呪能」に魅入られていたら、次に読んだ本にも、こんなフレーズが出てきた。

「詩の生まれてくる場所とは『聖地』であるということになる。詩のみならず、神託や祝詞や真言などの宗教言語、神聖言語の発生も『聖地』から発出するといえるであろう。」(鎌田東二『聖地感覚』角川学芸出版、p46)

そう、本当の意味での言葉には、「魂」が籠もる。だから、それを「言霊」という。そういえば、「哲学の巫女」と呼ばれていた、亡くなられた池田晶子さんも、繰り返し、次のような事を言い続けていた。

「言葉はそれ自体が価値である。人がそのために生きるまさにその価値である。価値とは思わないもののために人は生きることはしない。それなら、『真善美』という言葉は、我々の全生活をその根底において衝き動かしている価値そのものではなかろうか。価値ではないものを間違えて価値だと思うためにも、これらの価値による以外にないのだから、我々の人生とは言葉そのものなのである。」(池田晶子『人生は愉快だ』毎日新聞社、p233

「言葉はそれ自体が価値」であり、一つ一つの言葉に、独特の「価値」なり願い・祈りなりが込められている。よってそれらの言葉を連ねて「神託や祝詞や真言」、あるいは「詩」という形で言葉を紡ぎ出す場所は、まさに「聖地」そのものなのだ。つまり、言葉を絞り出す、ということは、呪能が宿ることであり、それだけでも実は神聖であるのである。

言葉を安く垂れ流しているタケバタとしては、襟を正さなければならない論考である。

ちなみに、昨日仕事で訪れた新宿の本屋で、字通は在庫がなかったので、代わりに買い求めた「常用字解」で自分の名前を引いてみると、こんなことが書かれていた。

「寛:祖先を祭る廟の中で、眉を太く大きく書いた巫女がお祈りしている形。巫女は神がかりの状態となって、くつろいだ様子で神託(神のお告げ)を述べる。うっとりとして意識のない状態であるので、『ゆるやか』の意味となり、また神意を受けているので、『ゆたか、ひろい』の意味となる。すべて人の気質・態度についていう。用例:寛厳 寛大なことと厳格なこと (以下略)」(白川静『常用字解』平凡社、p81)

これを読んでいるあなた、まさか太眉のタケバタが巫女姿で「神がかり」状態で「うっとり」している、なんて恐ろしい情景を思い浮かべていないでしょうね。(自分で想像して、思わず吹き出してしまいました)

そう言えば、確か僕の名前は、京都に住む親が、晴明神社で見てもらって選んだ名前だとか。小さい頃は、「生命神社」と思い込んでいたのだが、さにあらず。晴明といえば、平安時代に呪能を最大限に活用したかの「陰陽師」、安倍晴明をまつる神社。なるほど、名は体を表しているか、は別にして、きちんと「呪力」ある名前をつけて頂いたのですね。と襟を正したところで、どうせなら、この用例にある「寛厳」の「厳しさ」もきちんと持ち合わせる人間になりたいな、などと思ったのであった。

希望の再組織化

 

今日火曜日は大学で講義が二コマある日。午後のボランティア・NPO論では、ゲストに明治学院大学のボランティアセンターに関わる三人組にお越し頂いた(この写真の中のお三人です)。

引率的な存在なのは、コーディネーターをしているよんちゃん。彼女は大学院時代からのおつきあいで、でも密に議論をしたり、ゲストに来て頂いたり、という関わりをするようになったのは、僕が山梨に来て、彼女も明学に着任した後のここ2,3年のこと。昨年はよんちゃんの、元々のボランティア活動と今のコーディネーターのお仕事、という彼女のパーソナリティーに光を当てたお話をして頂き、それはそれでめっちゃ面白かったのだが、今年は彼女が関わるお二人の学生さん(3年のY君と1年のIさん)も一緒に来て頂き、自分たちの活動を他大学である我が山梨学院で話して頂いた。この3人組の話は、受講生の学生達にとっても、また私自身にとっても、大いなるインパクトを与えるものだった。

まずボランティア・NPO論の受講生達にとって、最大の効果は何か。それは、同じピアの立場の他大学の学生が、他ならぬ自分たちの授業の場で講義をしてくれた、ということであろう。その中で、僕が質問する「お二人は特別ではないか」「偽善ではないのか」といった様々な質問(突っ込み)に対して、Y君もIさんも、自分の言葉で、自分の経験に基づき、率直に思いを返してくれた。「ボランティアなんかするよりバイトの方が身になるかも、と思った時期もあったけど、でも得難い経験が沢山出来ている」というY君。「私は一杯一杯だから、皆さんのような活動が出来ない」という問いかけに、「私も一杯一杯だけれど、空いている休み時間とか、そんな隙間の時間をボランティアに使っているだけ」と答えてくれたIさん。私が教員の立場で、上記の内容を百万遍唱えても「そんなの先生だから出来るので私は無理だよ」と切り替えされてオシマイになりそうだが、自分と同じ学生の立場のY君やIさんの言葉は、おそらく我がYGUの学生の皆さんにも、僕の言葉の百倍以上、重く響いたであろう。

で、重く響いた、という意味で言えば、僕自身がズシリと重く受け止めたのが、よんちゃんの最後の締めのいくつかの言葉だ。

「私は皆さん学生の一番良いところといえば、夢を語れる存在であることだと思います」「だから、大学におけるボランティアマネジメントとは何か、を一言でいうならば、『希望を組織すること』だと思います。」

これらの言葉に、文字通りガツンとやられた。

私自身、ここしばらく滅茶苦茶ヘビーなスケジュールで参りそうなのだが、それ以上に精神的に参りかけていた。よんちゃんの言葉を絡めて言うなら、「夢を語らない大人達」と多く出会う中で、希望が根絶やしになりかけていた。元々は超楽観主義者のハズなのに、変にリアリスト達の「どうせそんなの」「無理に決まっている」「そうは言っても」という否定的な言葉に出会い、心がどんどん蝕まれていくような、そんなクサクサした日々を送りつつあった。それに業務多忙が重なっていて、正直なところ、色んな事をを投げ出したくなる一歩手前の段階まで来ていた。そんな時に、「夢を語る」三人の話から、そしてよんちゃんの締めの言葉から、自分の「夢」自体をもう一度見つめ直すきっかけをもらった。

それと共に、前にも書いたプレイングマネジャーとして自分がやっていることは何か、と言われると「希望の(再)組織化」なんだ、と改めて感じた。僕が関わっている山梨や三重の障害者福祉の現場にしたって、あるいは継続的に関わるある通所施設にしたって、何らかのミッションなり使命なり業務範囲なり、という「組織化」が伴って、存在している。ただ、県レベルの相談支援体制にしても、あるいはある福祉組織の実態にしても、「組織化」した当時の実情に比べて現在、問題があまりにも複雑化、多元化しているため、「組織化」当初の整理と噛み合わなくなってきている。なのに、その根本と向き合わない中での表層的なパッチワークに終始していると、いつまでも「ズレ」「歪み」が補正されないまま、ますますその「ズレ」「歪み」が酷くなっている。そんな実情がある。

その中で、タケバタがここしばらくやっている仕事は何か。それはよんちゃんの言葉に触発されて言うならば、「希望の再組織化」なのだ。今現在の「組織化」ではまわりきらないから、問題点も含めて洗い直して、新たなミッションや方向性を作り、仕切直しのお手伝いをする。それが「再組織化」なのである。当然、その際には変革を恐れる人から、あるいはこれまで「再組織化」に失敗した・諦めている人から、様々な反対意見や水掛け論がおこる。正直、それらの緒論の波に流されそうになり、心が蝕まれそうになっていたのだ。だが、「希望の再組織化」という難事業に立ち向かっているならば、当然そういう波こそ越えていかなければならない。その際必要なのが、青臭い話だが、「夢を語り続ける」「その夢を共有する」ことそのものなのだと思う。明学の学生さん達とよんちゃんが作り上げてきた、そのエネルギーこそ、自分が今、一番欠けていたものなのだ。そんなことを気づかせてもらった。

ついでに、彼女と僕の出身大学院である(今は潰れてしまった)ボランティア人間科学講座についても触れておきたい。この講座も、実は「希望の(再)組織化」という共通のミッションを持っていた講座だったのだ、と今日の話を受けて、改めて感じていた。テーマが国際協力であれ、福祉であれ、防災であれ、希望を持って暮らし続けるためにどう「組織化」するのか。あるいはコンフリクトや災害後にあってどう「希望を再組織化」するのか。これらの課題は、テーマが変わっても共通する課題だ。だからこそ、病院ボランティアが子供達や病院とどう関わったか、がD論テーマであるよんちゃんと、精神科ソーシャルワーカーが地域作りにどのような役割を果たしているか、がD論テーマである僕が、「希望の組織化」という同じ土壌でアクセス可能なのである。

ここしばらく仕事が断れなくて、どういう基準で仕事を整理してよいのか、についても当惑していたが、「希望の組織化」という基準で優先順位をつければいいのだ、という事まで気づかせてもらった。よんちゃんは講義の中で「一石十鳥」とご自身の事を仰っておられたが、明学三人組から私自身は「一石百鳥」ほどのものを頂いた。なんて「儲けもん」なのでしょう!!

蝕まれつつあった心に、再び夢と希望のオイルが注ぎ込まれた一日だった。

同じ目的、違う方法

 

今日も身延線の車中より。

何だか最近、身延線車内でしかブログを書かない日々が続いている。今日は三重で地域自立生活支援に関するシンポジウム。この間、三重の市町職員エンパワメント研修で取り組んできた課題を報告する事もあって、ゲストに呼んで頂いた。今日は夕方5時には津を出られたので、何とか最終のワイドビューふじかわに間に合う。静岡に夕刻止まる新幹線は今朝の時点で満席で、かつワイドビューも指定席は一杯。大阪方面で一杯お買い物をされた皆さんが乗り込んでいる。こちらは土日もなく、馬車馬のように働いております

で、今日のシンポジウムの、自分自身の出番は午後だったのだが、午前のシンポジウムが大変考えさせられた。重い知的障害や自閉の方々を支える支援者の柳さんの問いかけと、重度の脳性麻痺当事者の松田さんの応答に、「同じ事と違うこと」の両方を見たからだ。

柳さんは、ご自身の冒頭で「今日は誤解を恐れず申し上げます」という前振りをした上で、「当事者の自己主張ということが全面に出される、というシンポジウムでは、自己主張が苦手(不得手)な自閉症や重い知的障害の当事者が排除されてはいないか?」という問いかけをされた。ご自身の、自閉症の方の声にならない自己主張に丁寧に向き合う経験談を重ね合わせながら、自己主張・自己決定・自己選択が出来る人はその尊重が大切だが、それが苦手な人にもその前提に基づく議論をすることに問題はないか、と鋭く問うたのだ。

一方、自立生活運動をしている松田さんは、そもそも「親の愛」なるものが、これまで重度障害者の自立を阻害してきた、と語る。安心や安全を重要視するあまり、施設や親の保護下を離れる生活を許さなかったのが「親の愛」だと言う。その上で、障害者自身が我慢や諦めなくてもよいように、自分らしい生活を送るための支援システムの構築が大切だ、という。

この間、自立支援法の議論の中ではなかなか忘れがちになるこの二つの本質的論議が、久しぶりに眼前で繰り広げられ、寝ぼけ頭が急速に活性化しはじめる。この二つの「同じと違い」って何だ、と。しかも、松田さんと柳さんは元々親交があるようで、仲良く昼の時間にお話しされている。一見すると真逆のような発言でいて、二人をつなぐ共通項がある。それを、同じシンポジストだった岡部さんは「お互いの立場性の違い」と整理しておられたが、何だかそれだけ、と割り切ってしまうのも、もったいないような気がする。なので、自分なりに「何が同じで何が違うのか」を少しだけ考えてみたい。

まず同じ所。二人とも、能力主義的視点ではない、という共通点がある。重度で就労能力があろうとなかろうとその人らしい暮らしが出来る、という考えは、二人に共通している。また、支援者と当事者の関わりの中で、支援者の立ち位置の有り様が大きな問題だ、というのも二人の主張を貫いているように感じた。脳性麻痺の当事者に先んじて支援を勝手に組み立てる事の問題性を松田さんが話したかと思うと、柳さんは言語表出のない自閉症の方の、行動を通じた表現を支援者がどう読み取って、どう斟酌するか、が専門家に問われている、という。二人とも支援者-当事者関係における、支援者のセンスの問題を前景化させているのだ。そして、重い障害のある人を価値ある存在と捉える、という点でも全く同一だ。どんなに重い障害がある人でも、何らかのチャレンジが出来るし、それを支えられるのだ、という視点も一緒だ。

ここまで同一でありながら、でもこの話は一見すると「違い」が目立つようにも見える。「自己主張」を前提とした議論は能力主義ではないか、という柳さんの問いかけに対して、「自己主張」を抑圧する家族システムからの解放を訴える松田さん。同じ部分が多いのに、なぜ同時に違いが強く感じられるのだろう、と、その場にいたカナリア県庁職員Nさんとお話していた。

で、その後もぼんやり考えて感じること。それは、「お互いの立場性の違い」の、更に背景にある、「そう二人に言わしめる現実」に対する違和感という共通項についてだ。二人とも、障害の重さなどの能力で判断するのではなく、どんなに重い障害のある人でも価値と尊厳があるのだ、という点では一致している。支援者と当事者の関係性に重きを置き、当事者の世界にどう寄り添えるか、が肝心だ、というのも、同じラインだ。だが、現実は、この二人の一致点そのものが、法律で守られていない現実がある。自立支援法の骨格そのものが能力主義的な要素の残滓が沢山詰まっている事は、多くの識者の論じる所だ。相談支援や権利擁護システムの弱さ、「親亡き後」の地域生活支援基盤の脆弱さなどは、重度障害者の尊厳を社会で支える仕組み作りがなっていないことの証拠でもある。

まだるっこしい説明になってしまったが、端的に言えば、二人が前提としている一致点がまずもって守られていないからこそ、その前提確保の手段としての相違点の強調がなされたのではないだろうか。自己主張ができない(不得手な)人を排除しないでと述べることも、「親の愛」より本人の主張を大切にすることも、単純な能力主義の否定と重度障害者の尊厳の保持、という目的の為の、方法論である。同じ目的であっても、障害特性故に、方法論が違う。その時、目的があまりに遠いと、まずは方法論の確保が強調される。それは戦略上間違っていないのだが、しかしこの戦略が危ういのは、手段が容易に目的化に転倒しやすい、という点である。つまり、同じ目的を共有している、という前提を強調することなく、方法論上の違いのみを強調することは、結局は仲間割れ、というか、分断的な状況の構築に意図せざる結果として協力する羽目にはならないだろうか。

二人に「そう言わしめる」くらい、状況はまだまだ厳しい。ゴールが遠く、入口の確保もままならない。だが、そうであるが故に、お互いの方法論に過度に固執すると、どちらの方法論にも関心がない一般市民から、両方ともが「面倒だ」と切り捨てられるような気もする。当事者にとっても支援者にとっても、状況が厳しいからこそ、方法論上の差異よりも、同じ目的の主張という共同戦線、そちらの方が、むしろ求められている課題として大きいのではないか。そんなことを感じていた。