ようやくの出会い

風呂読書は、たまに珠玉の言葉を導いてくれる。

「かつては作者の独創性、他に少しも依存しない独創性こそが創造の根源であり原動力であると考えられていた。それに対して引用の理論の目ざしているのは、ほかのテキスト(プレ・テキスト)からの直接、間接の引用、既存の諸要素(先立つほかのテキストの諸部分)の組みかえのうちに、作品形成の仕組みと秘密を見いだすことである。」「引用においても既存の諸要素の自由な組み替えという点で、創造活動はまぎれもなく働いている。むしろ引用の理論は、創造活動が決して真空の中で無前提に行われるのではないこと、創造活動の実際の在り様は既存の諸要素を大きく媒介にしていることを、かえってよく示しているのである。」(中村雄二郎・山口昌男著 『知の旅への誘い』 岩波新書、p32-33

単に「知」そのものに憧れていた10数年前、古本屋で見つけたこの本をワクワクしながら読んだ記憶がある。とはいえ、その記憶はあくまでも「ワクワク」というボンヤリした印象でしかなかった。引っ越しを期に、大方の本を研究室に運んでしまい、たまたま自宅に残していた本の中から久々に手に取った一冊。それを読んでいて、よもや自分が最近納得しつつあることそのものが書かれていた、とは思いもよらなかった。

論文の書き方がわからず試行錯誤していたとき、「先行研究のレビュー」なるものの意味がよくわからなかった。一期生で教えてくれる先輩がいるでもなく、「どうして誰も手をつけていない分野を勉強しているのに、レビューなど必要なのだろうか?」「どうせこの分野でろくな論文もないし・・・」などと、恐ろしい戯言をわめいていたような気がする。しかし、論文の杜の中に深く分け入るうちに、なぜ分野を特定せずにレビューが必要なのか、がようやくおぼろげながらわかってきた。他の人がこれまで考えて来たことに基づきながらどこまで辿れるか、他の論文が(ホントにダメならば)何処がどのようにダメなのか、に峻別をつけ、結局どこからが誰も言っていない自分のオリジナルなのか、を考えるのが論文なのだ・・・そんな至極「常識」を「納得」するまで、何年もの日々がかかった。論文に対する姿勢が定まらないから、何をどう書いていいかわからず、当惑するばかりだった。でも、大学時代にすでに読んだ文章の中に、その答えはちゃ~んと載っていたのだ。何を読んでたんだか。

でも、多分これを最初に読んだ大学1年生の頃、自分が「創造活動」に関わる、などとは思ってもいなかったんだろうな。おそらく、「他人事」としてのテクスト解釈の文脈で読んでいたから、記憶の端にも残らなかったのだろう。それから一回り弱。講演をしたり、論文を紡ぎ出す、という「創造活動」にまがりなりにも携わるようになり、プレテキストの解釈や組み替えが、どれほど自分のオリジナリティにつながるか、を深く実感する。同じ本、同じ資料、同じ法案、同じ論文を読んでいても、そのテキストへの関わり方や視点の違いで、その解釈は驚くほど変わってくるからだ。

その際大切にしなければならないことは何か。それは、自分がどのようなプレテキストを、どのような文脈で、どういう角度から解釈し、どのように組み替えようとしているのか? その組み替えている主体である自分自身の有り様に意識的であること、だと思う。つまり、情報を切り貼りしながらある論を構築して際に、自分が意識的・無意識的に取っている戦略(メタメッセージ)に自覚的であれ、ということなんだろう。自分の言葉に酔ってしまいがちのタケバタは、特にこのメタメッセージに自覚的でないと、墓穴を掘りかねない。そういえば最近も掘っていた・・・。やばい。

こういう至極真っ当なこと、学者としての当たり前のルールを、30にしてようやく出会い、気付けているのだから・・・いやはや、ほんと、まさにひよっこなんだなぁ。風呂読書で今日は少し謙虚になってきた。

真剣な眼差しを受けて

今日は大学のオープンキャンパス。入試委員のタケバタの今日の担当は模擬面接。合計20人弱の高校生の真剣な眼差しを受けていた。最初、1分間スピーチをしてもらった後、その中から出てきた学生さんの様々なキャラクターに合わせて質問をしながら、学生さんがどんな人なんだろう、と想いを巡らす。奈良や京都、宮城からもわざわざやってきて下さる方もいて、この大学にかけられた期待の大きさに、改めて教員としてちゃんと答えねば、と襟を正す瞬間でもあった。

学生さん達の話をずっと聞き続けて感じた共通点、それは「自分の感じている事」と「理想像」をつなぐ言葉が出てこない、ということ。このご時世なので、政治行政学科志望の学生さんの多くが「警察官」や「消防官」になりたい、と言っていた。確かに両方とも立派な仕事であり、何らかの仕事に憧れを持っていることは素敵なことだと思う。「では、なぜ今のあなたが“○○になりたいと思うようになったの?」「それは○○にならなければ出来ないことなの?」「○○の仕事のどういう所にあなたは惹かれているの?」「それを政治行政学科で勉強したい理由は?」と問うていくと、多くの学生さんが黙り込んでしまう。自分の「なりたい」直感がしっかりあっても、それを他者を説得できるような論理構成で構築していく、という作業に慣れていない学生さんが多い、ということがわかってきた。

確かに、なぜ学者になったのか?と問われても、本当のところ、後付の理由しか出てこない。でも、後付でもいいから、言葉に出して、声に出して、その理由を考えてみること、そこから現実規定としての○○になっている自分の位置づけが見えて来る、僕はそう思っている。「○○になってしまった」地点から、その理由を後天的に模索していくことも、時には必要だ。同じように、「○○になりたい」場合でも、とにかく現時点での理由を先天的に模索することは大切。5年後実際に○○には全然違うモノが入っているかもしれないけれど、それを今も、そして5年後も考え続ける中で、自分らしさが形成されていくのではないか、僕はそう感じている。だから、本音を言えば、確かに「○○になりたい」と現時点で思っていても、それは一応「」つきで、現時点でなりたい、のであって、大学に入った後、様々な授業や本や友人と出会い、語らい、経験を積む中で、その都度修正していって欲しい、そう願っている。あまり最初から「○○」にのみ束縛されてがんじがらめになるのではなく、とにかく現時点では○○、そんなスタンスの方がきっと学生さん自身にとっても楽なのではないか・・・。お話を聞きながら、そんなことを感じていた。

猛烈な3日間

ここ3日間、猛烈に忙しい日々だった。

火曜は、前回書いたけれど、夜に頼まれた講演の直前までその内容に逡巡して、話し始めたら止まらずに帰ってきたのは午前様近く。その後何だか2時頃まで眠れず、夜も何度か目覚め、フラフラとした足取りのまま、水曜朝に大学に向かう。

水曜日は1~3限が授業で、1限はテスト、2限は2年生ゼミの発表会、お昼休みに会議を挟んで、3限は新入生の夏休みの課題について議論、と濃厚だった。このうち2限の学生の発表は、「甲府のバリアフリーチェック」と題した企画で、大学から学生チャレンジ制度として認められ、10万円の資金も頂くことになった企画だ(http://www.yguppr.net/050708cha/050708cha_main.html)。このチャレンジ制度に応募することになってから、2年生ゼミは急に盛り上がり、学生達が自分たちで企画書を書き上げ、交渉や下調べもし、大学と甲府市内のバリアフリーチェックも既に1度、行っている。今回は、その経験を、他のゼミの時間をお借りして発表する「キャラバン隊」の企画の実行だ。このゼミ企画は、実際にバリアフリーチェックを重ねるだけでなく、その経験を、車いす体験のない人々に広く知って貰う「普及・啓発活動」も二大柱に掲げているだけに、学生達も、予行演習や事前準備もして、当日の発表会に至った。

当日は、司会も進行も発表も、全部ゼミのみんなで切り盛りしてもらうことにした。タケバタのしたことと言えば、写真をスキャナーで取り込んで、パソコンで写す係、と他のゼミとの調整や教室変更のお願いのみ。2年生のスキルアップも目的にしているので、基本的に「できないこと、困ったことのみをアシストする」という姿勢で臨んでいる。最初、学生達は相当とまどった様子だったが、少し助言をしたら、自分で気づくことが出来たら、少しずつ前進し始めた。その後、お昼休みに反省会をしたのだが、僕は会議とかち合っていたため、要点のみを伝えて、夏休みの計画などについては学生達に話し合って決めてごらん、とだけ伝えて退散。でも、彼ら彼女らはきちんと話し合い、この夏に新たなバリアフリーチェックや、インタビューなど色々計画しているらしい。何だかいい感じになってきた。

その後、水曜日は会議が重なり、終わった後もある先生と立ち話をしていたら、気がつけば夜7時。昼飯抜き、っていうのがこんなに疲労困憊につながるとヘロヘロになりながら、翌日の準備をして、早々に退散する。

木曜日。この日は2限にロースクールの学生さんに話をする機会を与えて頂く。精神障害者の権利擁護に法曹界が果たすべき役割、という内容を準備したのだが、さすがに司法試験勉強をしている皆さんだけあって、質問も鋭い。あたふたしながらも、頭をフル回転させながら、しゃべりまくってしまった。質問の中で「現場の大変さはわかるけど、もっと普及啓発をしなければならないのでは? 先生はしているのか?」と尋ねられたので、「この場がまさに普及啓発です」とお答えする。冗談ではなく、障害者の権利擁護に理解関心のある弁護士の数はまだまだ少ない。なので、未来の法曹界を担う方々に、現時点での問題点や、今成立や施行されようとしている障害者自立支援法案、医療観察法などについて、その問題点や論点をお伝えするのも、私の大切な「啓発活動」だと思っている。やはり、どちらの法律についても初めて耳にされた方も多かったようで、これをきっかけに少しはご関心を持って頂ければ、と願うタケバタであった。

で、お昼休みには前述の2年生ゼミの学生2人が昨日のお昼休みの話し合いの報告に訪れる。彼らとじっくり話していて、最初に出逢った4月の時点より遙かにたくましくなっていることに気づく。これまで塾、予備校、専門学校や大学で色んな学生さんに出逢ってきたけれど、どこでも学生さんの「成長の瞬間」に立ち会えるほど、嬉しいことはない。「しんどいけれど楽しい」と評価して貰えるのは、何よりも教師冥利に尽きる瞬間だ。そして、彼ら彼女らが授業にコミットする率が高くなればなるほど、現状では満足できなくなるのも、どこでも共通した事実。件の2人も、「ちょっと先生に頼りすぎているような気がする」「もっと俺たちがしっかりしなきゃ」と話してくれていた。いいぞ、いいぞ! その感じ。はじめの一歩、は踏み出してくれた。そこからもう一歩、もう二歩、と歩んで行くうちに、自分らしい何かが彼ら彼女らの中に生まれてくるはずだ。そしてそんな彼ら彼女らのヨチヨチ歩きをどうアシストするか、もタケバタの課題である。

その後一呼吸置いて、今度は3年生のゼミ学生が訪れる。先週でゼミ自体は終わったのだけれど、たまたまボランティアやNPOの現場に精通されている方が今大学院にいらっしゃり、先週ゲストスピーカーに来て頂いたら、学生さんたちも鼻が膨らむほど!おもしろがってくれた。終わった後もその方のところに押しかけて話を繰り広げていたので、「それなら今週も」と時間を取って頂いたのだ。たまたま僕が秋に講演の依頼を受けたある町の福祉事情の事に端を発し、都会と地方の「我が町への愛着度」の違い、自治会活動へのコミットメントの問題、社会福祉協議会の現在のあり方、はたまた地域福祉ってなに、という根源的問題まで、2時間近く、濃密な議論が続いた。こういう「場」は、僕自身にとってもすごく大きな学びになるし、学生さんにとってもきっと刺激的で、知的好奇心がそそられるんだろうなぁ、と思いながら、気がつけば次の会議の間際までしゃべっていた。来週もまたご足労願えることとなり、泣く泣く閉会した。

猛烈な3日間だったけれど、吸収するものもすごく多い3日間だった。特に後半2日間では、学生支援についてたくさん考えていたと思う。学生達の中には、大学に入って以降、「しんどいけれども楽しい」という体験を積んでいない人々もいる。そういう彼ら彼女らに、自分自身が体験することや、あるいはホンモノに触れる経験を積んでもらうなかで、いかに「はじめの一歩」を踏み出す支援を教員側が提供できるか。夏以後の大きな宿題を、僕も夏休み前にもらったような気がした。

しゃべればしゃべるほど

さっきまで現場で話をするチャンスがありました。

そこは地域で障害者を支援していらっしゃる拠点の場。その現場だけでなく、同じ職種で働いていらっしゃる方々が、新しく変わる予定の「障害者自立支援法案」に関する勉強会に多数ご参加くださいました。僕はこの法案に大いなる疑問を抱いているのですが、それを含めて「ゼロからわかる自立支援法案」というお題を頂き、久しぶりにこの問題を話すチャンスが与えられました。この法案が出てきた昨年秋の「改革のグランドデザイン案」からずっとこの問題を追いかけて来たのですが、関西での講演のチャンスはあったものの、山梨での講演は初めて。はらはら、どきどき、で現場に赴きました。

でも、実は今日は万全、ではなかったのです。レジュメも、直前にファックスすればいい、と伺い、ギリギリまで逡巡していました。現場を離れて、ちゃんと最新情報も復習しなければならないし、何より聞き手の皆さんにちゃんと価値あるお話が出来るか、と不安でした。レジュメをファックスしたのが、ギリギリの講演1時間前。結局レジュメ作りに逡巡して、くたくたになって、現場に赴きました。あんパンとおにぎりを食べながら来たモノの、ちゃんと現場でお話がまともに出来るか、かなり不安に思いながら、研修会は始まりました。ついでに言うと、しゃべる直前は、夜遅いスタート、っていうのもあって、ぐったりしていました。

ただ、自分で言うのも何なのですが、現場に強いタケバタ。というより、単にしゃべり好きなだけかもしれません。講演を始めるや否や、エンジンがかかってしまいました。現場の方々が業務を終えて駆けつけてくださったので、スタートが8時過ぎ、でしゃべり始めたらとまらず、9時半ましゃべり続け、その後質疑応答でも1を聞いて20倍しゃべ利続けて、気がつけば10時半。現場の方々との真剣勝負が楽しくって、ついついしゃべりたくってしまいました。長い研修会になって、現場の方々、すいません。

でも、何が嬉しいって、講演の後、現場の職員の方々から「現場でもがき苦しんでいる、その実感にそって話をしてくれた」という評価をいただけたこと。現場から離れて象牙の塔に籠もりがちのタケバタにとって、現場の方々からこのように評価されるほど、嬉しいことはありません。まだまだ、腐っちゃいないな、と再認識するチャンスを与えられた一日でした。だから、しゃべればしゃべるほど、現場の方々からのエネルギーをいただいて、どんどん元気になっていく私。話す前にぐったりしていたのがまるで嘘のよう、話し終わる頃にはめっちゃテンション高く、終わった次第であります。

僕は、亜流かもしれませんが、現場と理論の往復を絶対自分の基本スタンスにしたい、と願い続けています。その際、現場の方々の「もがき」「苦しみ」を、何とか抽象的普遍的言語に置き換えながら、制度政策の改善につながるように、言語化のお手伝いをする、というのが研究者の役割だと思うのです。なので、現場の方々とのやりとりのチャンス、そして、現場の方々の実際の「もがき」に触れ、伺うチャンス、これほど貴重な機会はないと思っています。あくまでも、しつこく、しぶとく、現場発、を守り抜いていきたい。そう願っているタケバタでした。

生まれて初めて・・・

山梨に来て、生まれて初めて、の経験が多い。
大学の専任になった、法学部で教えている、僕の方がパートナーより収入が多い(今までヒモ状態でした、パートナーに深謝!!)・・・そんな「初めての○○」に、もう一つ嬉しい○○が、この七月から加わっている。それが、生まれて初めての新車!である。

どう、いいでしょ? マツダからやってきたアクセラ号です。(ちなみに奥様もどこかにちんまく写っておられます)

これまで十年以上車に乗ってきたけれど、最初に買ったスプリンタートレノ(85トレノというレアもの、でもマニュアルでなくオートマ)は親父がいつも使うガソリンスタンドの下取りモノで、とにかく20万円前後で!という希望を伝えるとやってきた。トレノ君には大学時代ずっとお世話になってぶんぶん走り回ったのだけれど、大学院に入るとき「これからは貧乏になるだろうから、その前に買い換えよう」と思って、友達にトレノ君を託した。

そのとき、ほんとは経済性と安定性を考えて中古のカローラを買うつもりだった。というのも、NGOの関係でよく出かけるタイでは、タクシーのほとんどはカローラなんだけれど、バンコクの運ちゃんの手荒な運転でも、カローラは本当に元気。で知り合いに紹介してもらった自動車に出かけると、出てきたのはサニー。確かにこれも経済的だけれど、内装もちゃっちいしなぁ、と二の足を踏んでいたら、「見ていくだけ見ていったら」と横に止まっていたビスタ君も紹介される。内装の良さや乗り心地の良さで、ビスタ君に即決め。5年半乗っている間に塗装ははげるし、パワーウインドウはは2,3枚落ちるし、大変だったけれど、仲良く乗っていました。

で、スウェーデンに引っ越す際に知り合いに譲り、帰国後、「金はないし、妻も乗るので、小回りの効く車がほしい」と、修理工場をやっている元教え子のお父さんに相談すると、ひっぱて来てくれたのがスターレットさん。この車にも1年数ヶ月、よくお世話になりました。夜中に奥様を仕事場まで迎えに行ったり、都会に住みながら1年数ヶ月で2万キロ弱、乗りました。

つまりまとめると、これまでの僕の人生の中で、車選びの際、「選択肢が非常に限られていて」「格安の予算の範囲内で」決めた車は全て「中古のトヨタ車」だのだ。それが、「いろんな選択肢の中から」「以前より格段に高い値段(をローンで組ん)で」「新車のマツダ車」に乗った!のだから、そりゃあ、わくわくも広がります。一応、他の候補でキムタクの宣伝しているカローラフィールダーにも乗ったのだけれど、このクラスのトヨタ車にない「わくわく」「ドキドキ」感がアクセラ号に合って、何度か乗り比べて、アクセラ号に決定!なのでした。

20代は車は本当に足以外の何者でもなかった。スポーツカーやジープなどで楽しんでいる人もいたけれど、僕は本業の足下を固めるのに精一杯で、車はあくまでも実質的手段。おそらくアクセラなら2,3台買えるカネを、調査と本と現場を動き回る交通費につぎ込んで来た。未来への投資に精一杯で、今を楽しむ余裕はあまりなかった。確かにあちこち出かけたけれど、ドライブを楽しむ、というより、車で誰を乗せて楽しむ、という事がメインで、運転はあくまでも目的遂行のための手段だった。常に走り回るけれど、セカセカした走り回り、だったような気がする。車に乗ることも、それに合わせてセカセカと乗っていた。

それが30になって、ようやく仕事の拠点も定まり、腰を落ち着けて仕事をし始めた今、余暇もすごく楽しみたい、と思い始めている。「真面目も休み休みに」じゃないけれど、仕事にグッと集中して、いいアイデアを出して形にしていくためには、お休みに楽しむことも大事なファクターだと思っている。家と大学の往復が主流をしめる日々だから、お休みの日は色んな新しい発見をするためにどんどん出かけて、「わくわく」「どきどき」体験をしたい、と思っている。そんな気分だったから、どっしり落ち着いて乗れて、しかも運転がワクワク出来るアクセラ号がぴったり自分に来た。

昨日は、霧ヶ峰に美ヶ原までドライブ。高校時代に写真部の仲間と夜行列車で訪れた懐かしの地だ。あのときは8時間以上かけて美ヶ原までやってきたのに、甲府からは渋滞とお昼ご飯を挟んでも2時間半で到着。しかも、途中の白樺湖近くにあったイタリア料理店はめっちゃうまかった。食事も、風景も、そしてアクセラ号でのドライブも、どれも大満足な一日。しかも帰ってきて、お風呂につかっていたら、新しいアイデアまで浮かんでしまった。何と「ありがたや」。こりゃ、これから何かに詰まるたびに(そう言い訳して!?)「ドライブ三昧」だねぇ。

いよいよ始まった

はじまりました。いよいよ。何がって? 甲府の夏ですよ。

甲府ビギナーとしては、今日くらいの日差しでも、げっそりする。でも、多分甲府歴の長い皆様にとっては、なんてことない一日なんでしょうねぇ。おかげさまで研究室にはクーラーはついているけれど、ずっとクーラーかけっぱなしでパソコンの前に一日座ってあれやこれややっているうちに、体は疲れていないはずなのに、頭だけが煮え立ってくる。

というわけで、ここしばらくブログでも真面目な議論をしていましたが、今日はギブアップ。ホントは権利擁護と支援者の問題を突っ込んで書こう、と思っていたのですが、今日は中休みです。「続きをこうご期待」、なんて調子よく電話で言ってしまったEさん、すんません。

で、早めに引き上げ、「さかなやありやけ」でお刺身を購入して我が家へ帰還。この「さかなやありやけ」は、甲府で僕が発見している限り、唯一の安くて活きのいい魚がいる魚屋さん(他に良い店をご存じな方がおられたら、是非教えてくださいませ)。しかも大学の近所なので、たまによって帰ります。活きのいいのは魚だけでなく、店員さんも活きがいい。学院の生徒さんもバイトしてるみたいだけれど、みんなすごく凛々しくてかっこいい。妻曰く「イケメン揃い」の魚屋です。

甲府に3月引っ越してきて、ショックだったのが、普通のスーパーで売っている魚がホントに美味しくない、ということ。まあ、以前は明石直送の魚を食べていたから比べるだけ野暮なのだけれど、西宮に比べたらくたびれたような魚しかなく、魚大好きタケバタとしてはとほほ、なのです。美味しい魚を多くの種類から選ぼうと思えば、南は1時間半から2時間かけて静岡の清水港に行くか、北なら高速で1時間で長野県の諏訪IC近くの魚屋「角上」に買い付けに行かねばならない。ちなみにこの角上、今ネットで調べてみたら(http://www.rakuten.co.jp/kakujoe/info.html)、新潟は泊漁港の魚屋さんで、美味しい魚を諏訪まで運んでくれている。どうせなら後1時間足を伸ばして甲府までやってきてほしいのに、店舗一覧を見たら、東京や埼玉はあるのに山梨にはない! なんで山梨を飛び越えるのよ!! 少し寂しく思いながら、でも「さかなやありあけ」で買ったお刺身は、今から楽しみであります。

で、今、我が家でパソコンをたたいていると、耳を澄ますまでもなく、鳥や虫など、いろんな鳴き声が豊かに聞こえてくる。魚と蒸し暑さはかなわんけれど、こういう自然が近い、ってのはやっぱ山梨のいいところですね。普通にウグイスやヒグラシの鳴き声が聞けたりもするから、よい塩梅。ヒグラシを聞くのは、すっごく久しぶりかもしれない。母の実家、島根の山間の村に夏はよく遊びに行ったけれど、その記憶をヒグラシはたぐり寄せてくれる。おばあちゃんは元気かな。常勤になった報告をしにいかなくちゃ。

と、日記状態のウダ話を書いているうちにちょっと元気が出てきたので、もう少し。

大学教官で、僕がブログを書いているのをほぼ唯一知っておられる先生と、お話する機会があった。議論の中身は、ネット上にブログを書くこと、について。「抵抗感はないのですか?」と聞かれ、「僕は破廉恥だからかもしれません」と答える。でも破廉恥、というより、自己顕示欲の強さ、いや、単純に書きたい、という衝動だろうか。「じゃあ、誰も見ない日記でいいではないか?」と問われるかもしれないけれど、先生に答えていたのは、「一斉送信でメールを送るようなものです」。とはいえ、読み手は誰だかわからないし、時には悪用されるかもしれないし、責任が取りきれないかも・・・。確かにそう考えれば、ネットには書けなくなる。なので、基本的に責任感の強い方は、ブログにあまり参入されないのかも。ということは、僕は無責任体質なのか・・・。いや、何だか違う。こうやって、他者にも開かれている・見られることを意識する形で、自分の考えていることを少しずつ書き連ねていくことが、何となく気持ちいいから書いているのだと思う。そう、快楽がなければ、ブログなんてしないんだろうと思う。

来週で授業は終わり、夏はスルメを書かない。なので、いよいよブログのフル回転。よく考えたら、スルメだって何で書くのか、と聞かれても、うまく答えられない。リアクションペーパーではあるけれど、それを超えて伝えたい何かを書き連ねることも多いから。そう、結局、言いたがり、書きたがり、しゃべりたがりだから、おしゃべりをブログにしてみた、っていうのが、今のところ一番しっくりくる。そうお伝えすることが出来なかったので、今度M先生にあったらそうお伝えしよう。あっ、その前に読んでくださっているか・・・。

大切なz軸

「あなたは黙って考えるタイプですか、それとも話しながら考えるタイプですか?」

そう聞かれたら、僕なら間違いなく後者と答える。そりゃ四六時中しゃべっている訳にもいかず、ずっとおしゃべりにつきあって下さる奇特な方もいないので、もちろん黙って考えることもある。でも、思いもよらなかった発想が滑らかに浮かんでくる瞬間って、誰かと話し込んでいるうちに、っていうのが僕の場合は結構ある。今日もそういう瞬間が現れた。

現役のソーシャルワーカーの方と組織間連携の話をしていた。同じ資格を持つ者同士でも、組織の縛りがあってなかなか同じ方向を向かないんですよね、と伺って、ふと思いついたのが、三次元のベクトル。x軸に組織、y軸に専門職能集団、そしてz軸に権利擁護とおいた時、組織の外を見ようとしない人は文字通り、直線的思考しか出来ない。ただ多くのソーシャルワーカーの方々は、専門職の職能団体に所属して、専門職としてのスキルアップを図ろうと勉強も重ねていらっしゃる。つまり、組織の壁を越えた横のつながりの中から、直線思考が平面思考へと拡がる。ただ、そういう平面思考をされている方々が、皆さん「当事者のために」と仰りながら、往々にして、その視点が個々人でずれていて、組織間での摩擦や不連携につながる。これは何故なんだろう、と考えてみたら、z軸が答えを出してくれた。つまり、当事者のため、といいながら、その意識がどれほど当事者主体(=当事者の権利擁護の促進)の方向へ向かっているか、あるいは全く逆に当事者不在(=支援者主体=当事者の権利の剥奪)の方向へ向かうのか、によって、つまりz軸でのスタンスの置き方によって、当事者への関わり方・仕事の仕方が変わり、それが組織間の壁を越えて横のつながりがある人でも、立体的なズレ、を生んでいる。そして、この認識のズレが、もしかしたら組織間の不連携の根本原因なのかもしれない。

博士論文を書いている中で、京都中の精神障害者の支援現場を訪れて、おもろい現場では、以下の5つのステップを踏んでいることに気付いた。
ステップ1:本人の思いに、支援者が真摯に耳を傾ける
ステップ2:その想いや願いを「○○だから」と否定せず、それを実現するために、支援者自身が奔走しはじめる(支援者自身が変わる)
ステップ3:自分だけではうまくいかないから、地域の他の人々とつながりをもとめ、個人的ネットワークを作り始める
ステップ4:個々人の連携では解決しない、予算や制度化が必要な問題をクリアするために、個人間連携を組織間連携へと高めていく
ステップ5:その組織間連携の中から、当事者の想いや願いを一つ一つ実現し、当事者自身が役割も誇りも持った人間として生き生きとしてくる。(最終的に当事者が変わる)

このステップと、さっきの3次元は密接に結びついている、と、これも話しながら気づき始めた。福祉の現場では今しきりにネットワーク作り、がいわれている。だが、何の為の、どこに向かったネットワークなのか? 単に同じ職種にある人の仲良しクラブのネットワークなのか。それならば、ステップ1も踏み出せていない。多分、現場で葛藤を抱えながら働いているソーシャルワーカーの方々が横のつながりを求めて職能集団に所属される際には、きっとステップ1に直面して、解決策を求めてステップ2から3へと踏み出すために、福祉士会などに入会されるのだろう。ただ、それで終わっていたら、あくまでも仲良しクラブで閉塞してしまう。本当に当事者主体の、当事者が諦めさせられたり、無理だといわれ続けてきた想いや願いを実現するサポーターとしてのソーシャルワーカーならば、権利擁護、というz軸上で一つの方向を向けるはずだ。そして、その方向性の一致が、個々人の連携を組織的連携へと高める大きな原動力になりうる。これがあるから、その地域全体が変わっていき、その地域でくらす当事者の方々の暮らしが豊かになり、ご本人の願いや想いが実現されていくのだ。そういう意味で、ソーシャルワークの基本といわれているソーシャル・アクションを実現するためには、権利擁護というz軸がなくてはならない大事な視点となってくるのだ。

勿論、これくらいのことは福祉の教科書にも載っていることかもしれない。だが、現場で日々奔走されておられるソーシャルワーカーの方々の、リアリティのある言葉として、権利擁護がくっついてこない。権利擁護といえば、成年後見制度=お金のこと、と思っておられるワーカーも少なくない。そうではなくて、高齢でも、病気でも、障害があっても、地域で豊かに自分らしく暮らすための支援をする際の根本原理として権利擁護を柱においたならば、きっと支援する側と当事者とが同じ方向を向くことが出来るし、支援における様々な誤解や混乱も解け、当事者主体の地域変革がもっとうまく進むのではないか、と感じている。

ちなみにz軸の怖いのは、z軸の片方の極を権利擁護とすると、もう片方の極には権利剥奪がおける点である。そして、この権利剥奪の極を見据えたとき、あの30年以上前に書かれた不朽の名作の最終章の一節がまざまざと想起させられる。
「ナチスは、『社会の中の穀つぶしに金をかけても無駄だ』と殲滅手段をとった。日本は、といえば安楽死体制ならぬ生殺し体制といったらいいか。」(「ルポ・精神病棟」大熊一夫著、朝日文庫、p236)
私たちの社会は高齢者や障害者を「生殺し」にする体制をとってはいないか? そして、ナチスの安楽死計画に多くの善良なる医師や看護師が荷担したように、生殺し体制に多くの専門職が荷担していないか? これを根本から考えるためにも、権利擁護についての自覚が、専門家ほど特に大切なのではないか、そう感じた。

すももももも

山梨が果物王国であることは以前書いた。それくらいは住む前も知っていたけれど、こっちに来て初めてわかったのは、果物王国では「おすそわけ」を頂く機会も少なからずある、という事である。

今朝、いつもお世話になっている先生が研究室を訪ねて下さった。「家で育てているので良かったら」と袋一杯に入れて下さったのは、すもも! ご自宅で育てておられるそうで、レモン、グレープフルーツやキュウイなど酸っぱい系フルーツが恐らく妊婦よりも!?大好きなタケバタ(ついでにお腹も妊婦なみ・・・)としては、この上もない幸せ! 研究室の冷蔵庫に入れているのだが、今朝から既に3つ目を口に入れた! 先生、ありがとうございました。

先週は大学で七夕祭りがあったのだが、その際には職員の方から「自宅でなった桃だから持って帰って」と美味しい桃を3つも頂く。これもめちゃくちゃ美味しかった。妻はこれまでフルーツが「甘ったるい」と好きではなかったのだが、その桃はえらくお気に入りのようで、パクリと一個丸ごとご相伴なされた。果物観が変わった、とは彼女の弁。確かに、この山梨では「すもも」も「もも」も、めっちゃ美味しい。いかにこれまで大阪で安い果物しか食べてこなかったか、というのもあるけれど、本場の果物は、王国の冠たるに相応しいおいしさがあるなあ、と思う。

あと、おすそわけ、と言えば、妻は妻で職場で昨日はキュウリをどっさり頂いて帰ってきた。元来野菜は何でも大好きな我々なので、めちゃくちゃ嬉しい。そう、こうやって何かを頂いたり、お返しをしたり、っていうのを相互に報酬しあう、という意味で「互酬性」って言ったんだよなぁ、と基本的な事を思い出す。で、なんとなく気になって「酬」の字を漢和辞典(角川新字源)で引いてみると、酒と相互を意味する州がくっついて、「たがいに酒を飲みかわす」意があるそうな。ついでだから福祉社会事典(弘文堂)も引いてみると、「あくまで贈与と返礼によって形成されている相対的な関係概念」とある。確かにお互いが持ち合うものを贈与と返礼を繰り返し、たがいに酒を飲みかわしながら、「えにし」を築いてきたのが、日本的な原風景だった。「都市部では崩壊しつつあるこの原風景が山梨では自治会や無尽という形で色濃く残っている」、と社会学の先生にも伺ってはいたが、すももや桃が、その原風景を「おすそわけ」という形で僕にも実感させてくれた。

ただ、この福祉社会事典の「互酬性」の項には続きがある。
「近年では福祉供給システムへの住民(市民)参加が促されているが、住民参加型福祉サービスは、住民がサービスの提供者であるとともに受益者でもあるという互酬的な意味を持った活動として積極的に評価されている」
ここに至ると、実は少し困惑してしまう。確かに地域でのNPOや草の根ネットワークの中から互酬的サービスが立ち上がり、それが地域の社会サービスのあり方を変革する大きな先導役となっている事例をいくつか知っている。でも一方で、住民参加型福祉への疑問の声も出ている。

たとえば森川美絵氏は、住民参加型福祉サービスについて「家族介護の費用化を一定程度推進させたが、他方で、在宅介護の経済的評価の準拠枠を『主婦パート』水準とすることも推進してきたのである」(「福祉国家とジェンダー」明石書店、p148)と述べている。つまり、住民達で介護サービスのNPOを立ちあげて、家族介護から介護の社会化を目指すことは成功できても、その担い手はあくまでも主婦層が中心であり、「介護=主婦がパートでする仕事=低賃金」という論理からは抜け出せていない、という指摘である。一見住民参加型福祉サービスは行政と市民のパートナーシップを謳っていて、理念としては聞こえがいいのだが、実際のところ、行政が自分達よりも安上がりな市民(の中でも主婦)に代替させているのではないか、という指摘は、大いにうなずける。住民参加型の互酬的サービスを前面に出せば、行政は福祉サービスに限定的な責任しか取らなくても許されるのではないか。では行政がとるべき責任っていったい何のか・・・。この問題はもしかしたら、すももを下さった先生が僕に教えて下さったガバメントとガバナンスの問題につながっていくのかも知れない・・・。

こうとりとめなく考えているうちに、すももをもう一個食べてしまった。むむむ。先生は僕に考えさせるために、すももを教材として下さったのかぁ。そう思いながら、さすがにお腹も頭もふくれたタケバタであった。

僕の仕事とは・・・

朝から研究室でスルメをまとめる作業をしていて、ちょっと頭を切り換えたかったので、ネットでふらふらと内田樹さんのHPにたどり着く。内田さんの文章は、池田晶子さんの文章と共に、僕が一番好きな文章の一つだ。彼のブログを読みながら、なるほどなぁ、と目に止まった部分があった。

『メディアの仕事は、世界にうずまくカオティックでアモルファスな出来事の渦の中に手を突っ込んで、ひとつながりの「情報単位」を掬い上げて、それをひとつの「文脈」の中に並べて、読者が携行したり、引用したり、批判したりしやすいように「パッケージ」して差し出すことである。』
http://blog.tatsuru.com/archives/2005_06.phpより)

まさにその通り、いつも端的にズバッと射抜かれるので「ほんと凄いよあぁ」と憧れてしまう。そして、これはメディアの仕事、に限らないんじゃないか、と考えている。僕自身、自分がこだわる分野について、出来る限り「パッケージ」して多くの人々に差し出したい、と願っている。そして、その差し出した内容が、少しでも多くの人の心に届けば、と願っている自分がいる。これは、僕の師匠がジャーナリストであった事に多分に関係していると思うけど、「論文でも、読まれなかったら意味がない!」と思っている。(残念ながら、まだ意味がない!レベルを超えられていないのだけれど・・・)

こんな事を書くと研究者としても失格なのだけれど、自分の中で「論文って何の為にあるのだ?」という疑問が、大学院時代からずっとこびり付いたように、心の底に溜まっていた。それは、ある時期少々論文(に限らず文章全体)に対してトラウマちっくになっていた時代からの残滓なのだが、根本的に、自分の中で、論文に対する腹づもりが定まっていなかったことにも起因すると思う。でも、常勤の職を得て、山梨でボチボチ考える内に、少しずつ腹が固まってきた。それは、単純明快、「僕は僕らしい文章しか書けないし、僕らしい文章を書けばいいんだ」ということ。自分が考えてきたこと、現場で実践していること、その試行錯誤を含めて、自分が考える文脈で切り取り、自分らしいパッケージで提供できればいい、それが論文というメディアなのか、ブログやスルメなのか、あるいは他の媒体なのか、で勿論TPOは考えるけれど、基本的にオドオドせずに、自分らしく書いていけばいいや、そう割り切ることができはじめた。

よいパッケージならば、ジャーナリストの作品でも、学者の論文でも、人の心を打つ。ありがたいことに、その両者の傑作を見る機会が、その作者から直に教わる機会があった。ただ、ジャーナリストの弟子で研究者の立場に立ち、どういうスタンスで、どちらの側から臨めばいいのだろう・・・などと考え込んでいる内に、どう立ってよいのかわからなくなり、足下がふらついていた。どう立ってよいのか、なんて、考える前に、自分が伝えたいことを書き続ければ良いのだ、スタイルやスタンスは、その中から立ち現れてくるのだから。最近そう思い始めている。自分の仕事のジャンルやよって立つ学問は未だにわからないけれど、とにかく気になること、大事だと思うこと、まとめなければならないと感じること、をちゃんと考察して、パッケージにしていく作業、それが僕の仕事だ、という腹がくくれてきた。

授業への姿勢

今、授業へのアプローチを変えなければ、と思い始めている。

そのきっかけは、一冊の本だった。
「自信力が学生を変える 大学生意識調査からの提言」(河地和子著、平凡社新書)http://www.heibonsha.co.jp/catalogue/exec/browse.cgi?code=85_276

一昨日の朝日新聞東京版の生活のコーナーでその概要が載っていて、早速昨日実物を本屋で見つけ、読んでみた。首都圏の大学生2000人以上にインタビューした生データに基づく分析は、なるほど、と肯けると共に、僕自身の姿勢を変えねば、と気付かせてくれた。一番びっくりしたのは、「学生たちは『本当はもっと勉強したい』と思っている」ことであり、「課題を出して『しごく』」(P204)とさえ提言している点である。「やりがいのある課題や宿題を出して、学生が日頃から勉強時間を取らなければならない授業にする」(P204)という部分で、僕はちゃんとそれが出来ているか、と現状を振り返れば、出来ていないよなぁ、と反省せざるをえない。

もちろん僕自身、自分なりに授業改善の努力はこれまでもしてきたし、この著者の主張に僕自身も一致していると思う。出来る限り、学生のニーズに基づいた授業展開をする必然性はヒシヒシ感じているし、その努力もしているつもりである。ただ、現状では、授業中の理解度を増すための努力には重点を置いているが、授業時間外の勉強時間まで要すような課題や宿題は、これまでほとんど課してこなかったのが実情だ。この背景に、僕自身の授業に関する「勘違い」があった、と最近感じ始めている。

何が「勘違い」なのか? それは「基本的に学生の自主性に任せるべきである」という勘違いである。高校生までとは違い、学生は自主的に選択するのだから、それを尊重し、やる気がある・ないも含めて、学生さんの自主性を重んじる、という発想である。これは、自分が大学時代に縛られるのが嫌だったから、という自分の体験談に基づいているが、裏を返せば独善的で、何ら教育的配慮に基づいていない。

4月から専任教員として関わり始めて、一番ぶつかったのがこのポイントだ。本当に自主性に任せていいのか? 答えは「否」。自主性にのみ任せていたら、学生の中に甘えとだらけが蔓延する、ということが、数ヶ月でよくわかった。枠組みのない自主性とは、自由放任であり、それは自主性を育てることとは正反対の、画一的で流れに任せるだけの、無気力な学生を生み出すことにしかならないのではないか、と思い始めている。

本当に学生の自主性を育てるためには、何らかの枠組みを教員の側で設定し、その枠組みの中で彼ら彼女らがどうもがいていくか、を支援する。そして、小さな事から成功体験を重ねてもらい、自分らしい試行錯誤を自発的に深めていけるよう、教員が配慮を持って継続的に関わりを続けていく、そういう必要があるんだなぁ、と感じている。なので、この夏休みは、後期以後の「枠組み」をどのレベルで、どの程度設定するか、の研究もしなければ、と感じ始めている。その上で、「枠組み」に沿った課題や宿題などの設定に落とし込み、この著者のいう「やりがいのある」授業へと高めていかなければ、と今覚悟を新たにしている。