分岐点

甲府の暑さでグッタリしていると、無意識下に押し込んだ「はず」の思わぬものが出てくる。今朝見た夢も、そして午後本を読んでいるときに急に思い出したエピソードも、どちらも僕にとってはすごくネガティブで、思い出したくもない類のものだった。向き合うのさえしんどくなるような、ちょっとキツイことを思い出していた。ただ、そのとき読んでいた本が、グログロとぐろを巻きそうになっていた僕の心を、現実に引き戻してくれた。

「自分の犯した間違いや欠点を認めるだけでもむずかしいのに、至らない自分に対する恥を克服してそこから学ぶのは、もっと難しい。だが、ハインツの例が物語るように、リーダーとなり、良い人生を生きるためには、それは欠かせないことなのだ。」(「ハーバードからの贈り物」ランダムハウス講談社、p115
http://www.randomhouse-kodansha.co.jp/catalog/2004_015.html

ハーバードビジネススクールでは、教授陣が学期の「最終授業」の最後の数分間に、自分の経験に基づいたアドバイスを若者に語りかける伝統がある。本書はその「逸話」を選りすぐった文字通りの「贈り物」なのだ。一昨日でかけたジムで手にしたビジネス雑誌で紹介されていて、早速本屋で買って、今日読んでいた。一つ一つが数分の話なので、読んでも短い。だが、内容の密度の濃さに唸ることの多い本だ。

引用したナンシー・F・ケーンの略歴もこの本で初めて知ったくらい、またハインツといえば食品会社大手、くらいの知識しかない、僕は経済には全くの門外漢である。でも、ナンシーが徹底的に調べた起業家の一人であるヘンリー・ハインツの話に引きつけながら学生に伝えようとしたメッセージは、僕にもビンビン伝わってきた。「自分の犯した間違いや欠点」「至らない自分に対する恥」を認めるだけでも嫌だし、ましてや直視して克服するのは、確かに本当に大変なエネルギーが伴う。だけれども、リーダーでなくとも、「良い人生を生きるためには、それは欠かせないことなのだ」と僕も心底思う。自分が放ったらかしにしておいた問題は、まわり回って必ず自分の元に返ってくる。ならば、その問題から逃げずに、どうしたら二度と同じ陥穽にはまらずに済むか、少しは至らない点を改善するために、今何から始めればいいか、を真面目に考えることは、すごく大切だと思う。当たり前のことが書かれていて、僕がここに書いている事も大変基本的なことなのだけれど、その基本を実践できるかどうか、がその人の分岐点なのだな、と感じている。

そういう意味で、僕は30という年齢で、また一つ、分岐点にさしかかっている。20代で繰り返して来た「間違いや欠点」「至らなさ」をどうクリアして、一つずつ、目指すモノに向けて実践を積み重ねていけるか。それが問われているな、と感じる週末であった。

「異国」と異邦人性問題その2

実は、と告白するのだが、車の中で、結構聞いているのが「中島みゆき」だったりする。このHPを作ってくれているmamnag氏と高校時代からの付き合いなのだが、一年後輩の彼が写真部に入ってきてすぐに、僕に勧めてくれたのがきっかけだった。以来、怪しい薬のように体中が反応してしまい、浪人時代などはウォークマンに入れて、行き帰り毎日「みゆき漬け」の日々。今でも、心身ともに疲れ果てた時などはかかせない。「えっ、あんな暗い歌を、浪人生とか疲れている時に聴いたらよけい落ち込むやろう?」 それは彼女にはまったことのない人が言うセリフ。本当に聞き込んでいると、彼女の、特に昔の時代の真っ暗路線の曲には魂がギッシリ込められていて、聞いていると、歌詞も曲調も声色も暗いのに、なぜか僕は元気が出てくるのだ。

で、以前旅行用に作ったMDLPに40曲以上ギッシリ詰め込んだ「私家版中島みゆきスペシャル」を、今日もアクセラ君で帰りしな、聞いていた。そこで、今日の一曲は「異国」

「悪口ひとつも自慢のように ふるさとの話はあたたかい
忘れたふりを装いながらも 靴をぬぐ場所があけてある ふるさと

しがみつくにも足さえみせない うらみつくにも袖さえみせない
泣かれるいわれもないと云うなら あの世も地獄もあたしには 異国だ

町はあたしを死んでも呼ばない あたしはふるさとの話に入れない
くにはどこかときかれるたびに まだありませんと うつむく

百年してもあたしは死ねない あたしを埋める場所などないから
百億粒の灰になってもあたし 帰り仕度をしつづける」
(アルバム「生きていてもいいですか」より 1980年)

いいねぇ、と思いながら、聞いていて、ふと考えていた。それは、前回のブログに書いた「異邦人性」の問題だ。「異国」の主人公は、狂おしいほど「ふるさと」に憧れている。「百億粒の灰になっても」「帰り仕度をしつづける」くらい、ふるさとが自分を受け入れてくれるのを待ち続ける。これ程までに、濃い「ふるさと」への愛憎半ばする思いの深さ。これが発売されたのは今から25年前の昭和55年。このころまでなら、「町はあたしを死んでも呼ばない」ほどの村八分や、そこから追われて(勘当されて、蒸発して・・・)都会に出てきた者の悲哀、というのに、リアリティがあったのかもしれない。だが、昔ながらのコミュニティが崩壊しつつある、といわれる2005年の今、この「あたしを埋める場所」への強い気持ちを持つ人が、どれほどいるのだろう・・・。地域福祉を考えるに当たって、この部分がよくわからいのだ。

ただ、これを大学と学生の問題に置き換えると、ちょっと様相が変わってくる。今、僕も学生と接していて、大学への帰属意識や、それに限らず自分の大学を「好き」と思う学生、「この大学に入ってよかった」と満足している学生、がどこの大学でも減ってきているのではないか、と感じている。自分自身への低い価値付けと共に、大学への愛着や所属感、も希薄な学生さんが、少なからぬ数、いるような気がするのだ。これは、大学における「異国」問題であるような気がする。

だからといって我が大学は「しがみつくにも足さえみせない うらみつくにも袖さえみせない」ような大学ではない。それとは逆で、学生サービスを真剣に考える教員がすごく多い大学だと、お世辞でなく、本当に思う。ただ、「しがみつく」「うらみつく」ほどのエネルギーを大学に傾ける前に、簡単に諦めてしまう学生さんが、どうも少しずつ増えているのではないだろうか? はじめの一歩、を踏み出す事さえ躊躇して、「どうせ俺・私はアホやから」「出来ない」と決めつけている、そういう学生さんを、以前教えていた大阪の大学でも、この大学でも見ている。これはものすごく勿体ないことだ。なぜって。スルメでもしつこく書いてきたのだが、学生さんが低い自己規定する事によって、自己暗示と自己への束縛を強めているような気がするのだ。つまり、はじめの一歩を踏み出さないばっかりに、自分をどんどん低い状態におとしめてしまい、それが在学中に助長されていくような気がするのだ。

そこで、私たち教員の側の、支援の力量が今、問われていると思う。大学でstrangerの気分でいる学生、ハスに構えいる学生、「しがみつく」「うらみつく」ほどのエネルギーを喪失している学生、彼ら彼女らが活き活き出来るように、学生をエンパワメントしていく必要があると思う。その際大切なのは、彼らが単なるサービス受益者でありお客様である段階ではダメで、大学における自身の役割と尊厳がしっかりあって、謙虚な自信を持ち、主体的に「関わり」を求めてくる、そんな学生へと、どう変身を手助け出来るか、だ。「この大学はおもろい」「ここにおったら自分のためになる」そんなインセンティブの提供の中で、学生の持つ異邦人性が解体され、大学生としての自覚と矜持が生まれると思う。

「忘れたふりを装いながらも 靴をぬぐ場所があけてある ふるさと」

こんな大学を今も、そしてこれからも作り上げていくために必要なことは何か。これも夏休みの大いなる宿題の一つだ。

異邦人性

今日はスウェーデンからの来客がこられる。

お昼に「小作」にて甲府名物「カボチャほうとう」をお勧めする。クーラーが効いた部屋だけれど、フーフー言いながら、みんなで食べながら議論。スウェーデン社会における移民問題についてやりとりをする。移民への適応政策や手厚い福祉施策を講じても、言語的・文化的ハンディを背負った大人達は壁を越えて社会に適応できず、結局自文化の殻に閉じこもってしまう。そして、その影響が、異文化にも適応しようとしている子供への抑制にもつながる・・・そういう話を伺っていた。スウェーデンに限らず、ロンドンのテロでも英国籍の第二世代・第三世代の問題が指摘されていたが、同じ様な問題がスウェーデンでも起きているようだ。

実は、この問題は全く他人事ではない。例えば僕はよく激安商品を求めて業務用スーパーに出かけるのだが、甲府でもそういうスーパーに行くと、たくさんの外国人を見かける。精密機器などの工場労働に従事している日系人や、歓楽街で働くアジア系の人々など、多くの外国人が甲府でも働いて、生活している。そんな外国から甲府に移り住んだ人々の子供達への教育支援の問題や、あるいはその親世代で日本語がままならない人々の生活上の支援など、多くの地方都市で外国人支援の問題が顕在化しつつある。そういえば、外国籍の子供達を支援している現場に阪大時代の仲間が何人か携わっており、支援の内容も重要性も年々拡大し続けている、という話を伺ったことを思い出す。

もう一つ、自分事に感じたのは、スウェーデンで半年暮らしていた時の経験だ。あのときは僕はまさに「外国人」だったのだが、母集団以外の社会への溶け込みにくさ、を感じた。色々な段階があるのだが、まず言葉の壁。僕たちはルーズで結局英語で通してしまったため、言葉が出来ないことによって本当に閉ざされた感覚があった。次に、「ためらい」の壁。それは言葉が出来ない事とリンクしているのだが、自分たちの価値観や考え方と違う集団に合わせたり、その一員として振る舞うことに、何となく躊躇してしまうのだ。「ここではどうせ外国人だし」という異邦人性が、別の社会では常時くっついている。すると、コミュニティへの愛着や帰属意識を持つことは出来ない。

もっとも、この異邦人性、つまりコミュニティへの愛着や帰属意識のなさは、単にスウェーデンという外国だから、という訳ではない。日本にいても、実は生まれ育った京都への帰属意識(京都出身だから)というのはあっても、それ以後住んだ茨木や西宮でもコミュニティへの愛着や帰属意識は、残念ながら持てなかった。甲府でもまだ持てずにいる。もちろんそれは、子供がまだいなかったり、持ち家ではなく賃貸だったり、引っ越して半年もたっていなかったり、という様々な事情が重なっているとは思う。ただ、自分自身が地域で「根無し草」的状態であるのに、よく地域福祉を教える側に立っているよなぁ、と実の所、思っていたりする。甲府では自治会活動が今でも立派に存在しているのだが、僕自身は、自治会活動に参加しなくてもよい、と言われて今のマンションを選んだ。つまり、住んでいる町への「所属感」を持とうとしなかったのだ。この所属感のなさ、は、その町への、そしてその社会への愛着の低さ、にもつながるんだろうなぁ、というのは容易に想像できる事だ。すると、甲府やスウェーデンでのstranger達がどんな思いを馳せているのだろうか、というのは、決して他人事ではなく想像出来てしまう。

では、そういう人々を、コミュニティはどう受け入れていけばよいのか? もちろんそう簡単に答えが出る問題ではない。事実、地域福祉の大きな課題でもある。ただ、今日議論している時はきちんとまとめられていなかったのだけれど、地域福祉の問題を考える際、ニューカマーの人々に、どのようにその地域の問題に自分事として参画してもらうか、が鍵である、と思う。ニューカマーは往々にして「お客様」であったり「サービス受益者」であるが、サービス提供者側になりにくい。正直それでは、その街のことを主体的に考えにくいのでは、と思う。例えば小学校のPTAに外国人の会長がいたっていい。自治会活動に色んなニューカマーが積極的に「おもしろい」「自分達家族の為になる」という活動を取り入れることも大切かもしれない。そういう、ニューカマーにも役割と尊厳がきちんと提供される中で、いつの間にか異邦人性が消えていくのではないか。茹だるような暑さの中で、そんなことを考えていた。

挨拶と組織文化

ようやくコーヒーが身体に効いてきたのか、頭が回り始めた。

昨日はある先生にごちそうになり、お店をハシゴする。ほとんどビールしか飲んでいないのだが、ひどく身体がだるい。これは単純明快な「二日酔い」。それに運動不足まで重なって、ダルい朝なのだ。身体がだるいと、それはすぐに心にも伝染して、一気にやる気が失われてしまう。結局研究室に朝からいるのに、今までぼーっとネットをしたり、本を読んだり、だった。そういえば、新大阪駅構内の本屋でみた何かの本のタイトルに「机とパソコンを無くせば営業成績が上がる」というようなフレーズがあったが、確かにさっきまで僕のような状態だと、机とパソコンは何もしないための言い訳として通用する、といわれても、仕方ない。でもね、時計の針が午前10時を指す頃、ようやく頭の電源も入りました。今週はテストの採点もあるし、明日はスウェーデンからお客さんを研究室に迎えるし、そろそろ報告書のまとめもしなくちゃいけないし・・・と書き付けながら自分を鼓舞している。頑張るのですよ、タケバタ君。

で、頑張るのですよ、といえば、今日は僕の研究室がある建物の4階に高校1,2年生の皆さんが集まっている。夏休みのお勉強会だそうだ。みずみずしいエネルギーが詰まった高校生の皆さんと、朝、入り口で一緒になる。皆さん口々に「こんにちは」と気持ちよい挨拶をして下さる。何だか、すごく嬉しい。実はこの大学に入ってちょっと寂しいのが、多くの学生さんと「すれ違う」のだが、「こんにちは」と挨拶する、ことがあまりないことである。まあ、確かに僕も大学に入ったあと、あんまり挨拶することはなくなった。でも、この前模擬授業で訪れた高校では、皆さん挨拶して下さったし、半年間住んでいたスウェーデンでも、特定の建物の中では、知らない人でも目が合ったら「ヘイ!」なんて言い合っていた。そういう視点で眺めてみると、大学教員として甲府に来て、授業期間中は多くの学生さんにすれ違うのだけれど、教職員で挨拶をすることがあっても、学生さんと挨拶することはない。教職員と言ってもまだ面識がない方々がほとんどだが、大人(の格好をしている)人には会釈や黙礼をするのに、なぜか学生には挨拶しない。僕も学生もお互い何となく目を合わせず通り過ぎていくような気がする。これってすごく寂しいことだ、と前々から何となく気になっていたけれど、今日、見ず知らずの高校生に挨拶をされて、強く問題に感じ始めた。

そういえば、さっき何気なく読み返していた本の中でも、元宮城大学の学長である野田一夫氏が、大学開学時に「キャンパス内では、行き交う人同士で挨拶をしよう!」と呼びかけたことが、宮城大学の慣習、そして文化に高まっていった、と言っていた(「『革命』にかける7人の男たち」佐藤豊著、本の森)。宮城で出来て、山梨で出来ない、なんてことはない。現に、高校生達は、挨拶をしてくれるのだ。それが、どうして大学に入ってきて、挨拶しなくなるのか。ほんとは挨拶したいけれど、誰も挨拶しかけてくれないから、気まずくて、恥ずかしくって、挨拶を返してくれなかったら嫌だなぁ、なんて思っているうちに、挨拶しないことが「当たり前」になっていくのではないか。あ、でもそれって、あそこと同じだよなぁ・・・と連鎖反応は続く。

今、ある福祉組織で定期的に職員研修のお手伝いをさせて頂いている。新人だけでなく、施設長や幹部職員含めた全ての職員を対象にして、その施設が今陥っている構造的問題に立ち向かうための、一人一人の職員をエンパワメント(力づける)ためのお手伝いだ。実はその現場で今年の初め、全職員にインタビューを行い、その結果を発表したのだが(詳細は「論文・記事」のコーナーにあります)、その発表会の席で、ある職員の方がこんなことを言っていた。
「この組織では、『おはようございます』の挨拶がない。僕はするんだけれど、あまり返してくれない」
出勤時、スタッフルームに入る際、お互いあんまり挨拶をしあわない。先に来た人は、黙々と仕事をし、後から来た人は黙って更衣室へ向かう、という光景がある、というのだ。この指摘を受けた後の4月以後、少し挨拶をするようになった、という話も聞いたのだが、7月末の職員研修の場でその話を聞いたとき、再び挨拶をする人は少なくなった、というのである。でもその一方、新入社員のスタッフはいつも笑顔で挨拶してくれるので嬉しい、なんていうエピソードも伺った。

僕はこの挨拶というのは、結構根元的な問題の一つでもあるような気がしている。少なくとも挨拶をしあうことで、人と人との間の交流が出来、それが組織的に自然に生まれてくることで、良いエネルギーが流れ出す。すれ違いざまに「こんにちは」というやりとりをする事、それを通して、お互いが同じ場を共有する事を認め合い、その現場でお互いより良く・気持ちよく過ごしていこう、という契機が生まれて来る。このように、社会的に構成されていく現場において、気持ちよい一日を過ごすための原始的なツールとして挨拶が機能している、とは言えないだろうか。そして、このツールが使われなくなった組織は、大学であれ、福祉組織であれ、気がつけば内部での結束やその組織への愛着心が薄れ始めるのではないか・・・文字にしてみれば実に平凡なこの事実に、ようやく僕は向きあいはじめている。

そんな挨拶一つで、と言われるかもしれないが、そういう何気ない身体感覚に基づいた「常識」の変容こそ、文化形成に与える影響は計り知れないものがあるのではないか、と感じるのだ。
「能書きはわかった。じゃあタケバタはどうするねん?」
簡単です。今日から学生さんにも、すれ違いざまに、ちゃんと挨拶をしようと思う。ドドッと人とすれ違う時は大変かもしれないし、気後れするかもしれないけれど、出来る限り目があった人には挨拶しよう。こういう原始的なことの繰り返しの中から、組織文化が変わるきっかけが生まれたら、所属している人間にとって、これ以上気持ちのよいことはないのだから。高校生に、ええことを教えられてしまった。

素麺、パンゴリン、そしてえにし

今日は久々のまったりとした休日。午前中、昨日、大阪出張のついでによった贔屓の酒屋で仕入れたワイン12本が届く。山梨はワインの産地でもあるのだけれど、自分の舌に合うワインを、しかも1本1000円程度で、というと、なかなか定番にたどり着けずにいる。でも、この贔屓の酒屋さんの店長Mさんは、ほぼ確実に、ドンぴしゃに美味しくコストパフォーマンスばっちりのワインを勧めてくれる。というか、単に彼も僕も飲んべえで、たまたま彼と僕の好みが似ているだけかもしれないけれど。でも、2,3年前からの知り合いで、山梨に引っ越した後も、必ず時間を見つけて色んな種類のワインを合計12本、買ってしまう。理由は簡単、12本(一ダース分)買えば送料が無料だからだ。

で、Mさんのお店でワインを買うのが楽しいのは、味が良いから、だけではない。半分はMさんとのやり取りに惹かれて、もある。お互い同じ年代のMさんと僕は、そこではワインの話しかしない。しかも、僕は未だにブドウの種類も産地の違いも、ようわからんビギナーである。でも、ワインをこよなく愛しているMさんの説明を聞いていると、何だかもう既にワインを飲んでいるような、少しほろ酔いの気分になれるのだ。前回買っておいしかったワインの話を枕に、この1ヶ月に入ってきたお勧めのワイン、インポーターやボジョレーヌーボーの話、ブドウの品種と味の相関関係・・・。やりとりをしながら、自分がすっかりワインの園奥深くに入っていることを楽しみながら、さて今回はどんなワインと対面出来るか、と思うとワクワクする瞬間なのだ。で、確か3万円だか5万円だか買うと、2000円キャッシュバックしてくれ、しかもこの日は10パーセント引きセール中だったので、某百貨店なら5000円もするワインを含めて12本で合計1万2000円なり。一本あたり1000円。ほんと、安くていい仕事、してはります。ちなみに、このお店の名前も、そのものズバリ、「コスパ!」といいます(http://www.cospa.jp/)。Mさんは高槻店の店長さんです。ワイン好きな人は、是非立ち寄って見てくださいませ。

で、お昼は、これもお取り寄せの素麺、「島の光」を堪能する。これはスウェーデン在住時に、陣中見舞いに来られたEさんから頂いたもの。この素麺を食べていらい、少なくとも100円ショップで売っている素麺は食べられなくなった。本気の素麺の奥深さ、を堪能させられた。Eさんは現在関東にお住まいなのだが、ご実家が四国で、実家から必ず毎年送られてくるそうな。四国はうどんといい、素麺といい、どうして麺類がこうもしっかりしているのか。根性の入り方の違い、に今日も脱帽させられながら、生姜ときざみノリ、だし巻きにおネギさんを添えて、腹一杯いだだく。休日なので、Mさんお勧めのリンゴのシードルを飲みながら頂くと、どっちも最高に美味しい。こういうぐーたらは、何とも格別である。日本のジュースのようなシードルとは違い、大人の淡い苦みが炭酸と絶妙に合うシードルは、生姜を絡めて食べる素麺の為に生まれてきたのか、とすら思ってしまう。

お昼以後は、田口ランディの「ハーモニーの幸せ」を読みながらの午睡。実は以前ハードカバーで読んだときには全然ピンとこず、途中で放棄して、挙げ句の果てに妻がブックオフに出してしまったのだが、お昼前に出かけたイトーヨーカドーの本屋で偶然遭遇。なぜか惹かれてまた買ってしまう。本ってほんとに面白いなぁ、と思うのは、2年前くらいに全然面白くなかった本が、今回はすっごく面白く感じてしまうこと。きっと感受性のレセプターの方向性が日々変わっていて、たまたま現在の位相に彼女のメッセージ性の在り方が見事にはまったんだろうな。うたた寝を挟みながらも、夕方までには読み終えてしまう。彼女の辿る心象風景にシンクロさせながら、彼女が書かずにいられない業の深さに思いを馳せる。書くことが癒しになる、とは彼女のような人にピッタリなんだろうなぁ。では、僕は何のために、こんなにブログに書き付けているのか。彼女ほど背負っている業も深くない僕が・・・。たまゆらに考えるけれど、月並みな理由以外に出てこない。あんまり簡単な答えに依存せずに、ぼんやり考え続けた方がいいのかな、とも思っている。

夜は、早速届けられたワインの中から南アフリカのシラーという種類のブドウを使った「パンゴリン」というワインを頂く。ほんと、1000円でお釣りが来るこのワイン。夏場などちょっと冷やさないとくどすぎるくらい、こゆい。でも、うまい。今日はお世話になっている先生から頂いたインゲンとトマトを鳥の胸肉と煮込んだ「イタリアのマンマ風煮込み料理」を妻がつくってくれたのだが、まあそれによく合う。ペロッと平らげ、ゴクゴク飲んでいるうちに、一本がか~るく空いてしまう。これほどの至福はない。昼も夜もよく飲んでます。すんません。でも、気持ち良いのです。

で、少しほろ酔いの気分でパソコンに向かいながら、今日の一日を整理する。いろんなご縁があって我が家に集まった様々な食材のコラボレーションのおかげで、気持ちもおなかも満たされた一日であった。食べたり飲んだりすることを通じて、いろいろな人とのつながりが再認識された一日。ついでに言うと、田口さんの本の編集をしているのが、大学時代の友人だったりする。ほんと、つながりが生み出す拡がり、に支えられて生きている事に感謝の一日。そういえば今、酔っぱらいながら読んでいるのは「はじめたばかりの浄土真宗」。ついでに僕がもとより惹かれているのが、母校の高校のあった東寺をつくった空海。まさに、仏縁、ほどではないけれど、「えにし」を色々感じている。縁と言えば、本当にお世話になりっぱなしの指導教官が主催されていたのは「えにしの会」だっけ。拡散しがちな酔っぱらいの思考の中でも、「お顔の見える関係の拡がり」の豊かさが自分にとってどれだけかけがえのないものか、と再認識させられた7月の終わりの日であった。

丑の日とシンクロニシティ

昨晩は甲府に引っ越してきて初めての「はしご酒」だった。

この日は新任教員3人で「前期お疲れ様でした会」の飲みに行くことになっていて、朝メールをチェックしたら、高校からの親友のメール。「今日は6時に仕事が終わるので、その後なら大丈夫よ」 ま、まずい。そういえば霞ヶ関で働く彼が、山梨に出張だから飲もうよ、と誘ってくれていたのだ。7月頭に。ここ3週間ほど、新車が来たり、授業をまとめたり、入試委員のお仕事が忙しかったり、とバタバタしていて、すっかり彼との約束を忘れていた・・・。どないしょう?と思っていたが、よく考えれば、3人会のスタートはいつも決まって5時半過ぎ。ならば「8時頃に合流できそうだから、それまでほうとうでも食べて小腹を満たしておいてください」とご了解いただき、「はしご酒」を決め込んだのであった。

で、3人会なのだが、今日のお題は「土用の丑の日」。「やっぱりウナギでしょう」と仰る某先生。でも、甲府でウナギ屋って知らないよなぁ。まあ、ウナギも食べさせてくれる飲み屋を探そうか、と駅前を歩き始める。新聞ではウナギが高騰している記事も読んでいたので、正直、あんまり当てにしていなかった。で、何となくメインストリートでなく、路地裏の道が誘っていたので、「あっちに行ってみましょうよ」と言いながら歩いていくと、「鰻屋」の看板が。ほんとかよ、と思いながら、角を曲がると、なんと鰻屋さんに行き着いたのです。本日特別メニューと張り紙してあったけれど、上でも2000円。まあ、季節物ならいいか、と入ってみると、どの席にも「ご予約席」の表示が。だめかなぁ、と思いながら聞いてみると、「テーブルは一つ空いていますから、どうぞ」だって。5時40分から飲み始める人もおらず、早く来て良かった。

その後、前期の反省会などをしながら、ビールをちびちび鰻を待っていると、次から次へ、来るは来るは。お持ち帰り予約の人々がひっきりなしに訪れる。何気なく入ったこの鰻屋、知る人ぞ知る、の名店であったようだ。その店にいた2時間弱の間に、お持ち帰りの鰻は、少なく見積もっても100食分はあっただろうか。丑の日に鰻屋にいると、少し騒々しいけど、でも「旬のものを現場で!」という喜びも得られます。何だかグルメブログを書いている友人に似てきたなぁ・・・と思いながら、そのブログを見てみると、彼曰く、「肥満への階段」だってさ。いやはや、ごどうはい。あんさんきいつけな、僕と同じになりまっせ。

で、鰻屋で大満足して、予約席も一杯になったところで外に出てみると、件の友人が。別に待ち合わせた訳でもないのに、「あれま!」とばったり。「いやぁ、友人にあってしまったので、では・・・」などと言いながら、お二人の先生に別れを告げ、こないだ行った目抜き通りの居酒屋へ直行。友人と乾杯しながら、お互いの近況話に花を咲かせる。そうこうすると、携帯電話がルルルと。もしもし、と出てみると、その居酒屋と通りを挟んで真向かいの旅行会社の担当の方から電話。出張のチケットの打ち合わせをして、「夜遅くまでお疲れ様」と挨拶をして電話を切る。なんだか、数珠繋ぎのような夕方。シンクロニシティ(共時的)といってもいいし、お釈迦さんが数珠でつないでくださった、と言ってもよいし。何にせよ、ありがたき夕方であった。

インプットの時期

ここしばらく、「インプット不足」を痛感している。

大学の教員となり、大学だけでなく、現場で、地域で、アウトプットするチャンスが増えてくる。しゃべっていて、一応の体系をなしていることもあるけれど、深みが足りない、拡がりが薄い。これは、しゃべっている自分が一番よくわかることである。これほどまでにインプットを切実に感じることは、これまでなかったかもしれない。とにかく切実に「調べなきゃ」、「読まなきゃ」、「まとめなきゃ」、と思っているキーワードが山ほど目の前で点滅しているのだ。

今日あたりから、ようやく自分のペースでインプットできる期間になりはじめた。よく考えたら、この数年間、現場をほっつき回る、あるいはある論文を書く、という限定的な目的のために集中的なインプットをする機会はあったけれど、広く深く、自分が今気になっているターゲットに対してインプットに集中できる時間的・精神的・金銭的余裕がなかった。これが、大学に所属することの、教員としての大きなチャンスなんだと思う。もちろん、休み期間中もテストの採点や、あるいは研究プロジェクトのお仕事など、色々片づけなければならない事もある。でも、それをしつつ、いかにインプットに邁進できるか? それが、これから9月末までの、自分の課題だ。

台風一過のあとは、富士山もきれいにみえ、研究室の前からは蝉の大合唱が聞こえてくる。リフレッシュも上手に入れながら、いかにインプットにこの夏集中できるか? 甲府での初の夏休み、新たなインプットのチャンスに、今からワクワクしている。

「えいやっ」の瞬間

今日は早起き。妙にリアリティのある夢を見て目覚める。人間気になっていることについては、その予測含めて夢の中でまで予行演習するようだ。推測するのは勝手だけれど、どうせ始まってみなければわからない話なのに。僕は結構、「やってみる前にネガティブに推測する」ということが、まま、ある。

「嘘つけ。おまえのこれまでを見ていると、『やってみなければわからない』派に決まっている」

僕のこれまでの言行を知っている人からは、そう言われそうだ。確かにあれこれ色々手出ししてきた。でも、いつも「やる直前」には相当逡巡しているのだ。「どないしょう。うまくいくかな?」「失敗したら・・・」「そこまで引き受けられるかな」・・・頭の中で、否定的な言葉が流れていく。一言で言えば、びびり、なのだ。それで「ほな、やめとこ」となることもあるけれど、ある瞬間に「えいやっ」と飛び越えて、気づいたら「ああ、やってもた」状態になり、引くに引けなくなって、色々引き受けていく、ということが、あったりするのだ。この流れを変える瞬間が、どういう理屈で、なぜそうなるのか、よくわからない。でも、「えいやっ」と清水の舞台を飛び降りると、気づいたら自分を此方から彼方へと運んでしまうのだ。なるほど、今日見ていた夢も、あれをすると、また一つ、彼方に行くことになるよ、という箴言なのかもしれない。でも、多分引き受けてしまうんだろうなぁ・・・。

昨晩も、一つ「えいやっ」の瞬間を経験する。ここしばらく懸案になっていたことに、気づいたら一つの提案をまとめていた。言語化しにくかったことなのだが、これも「えいやっ」と書いてしまうと、案外書けてしまうものである。昨日からのトリガー(引き金)は「共通言語」。昨日の案件も、夢で出てきたことも、このトリガーが結びつけてくれたもの。そういえば、最近研究と教育と学務とが、何だか三位一体状態になって、進んでいる。こっちで考えていることが、あっちで使えたり、逆にそのことで悩んだ経験が、こっちで大きな教訓になったり。僕は関西弁で言う「がめつい」性分なので、たぐり寄せて引っ張れるなら、とことん地引き網漁のように引き続ける傾向にある。例えば共通言語という網にも、ヒトデさんやフグさんやらタイやらヒラメやら、いろいろなものが引っかかってくるのだが、「これでおしまい」とせず、潮時の局面が向こうからやってくるまで、今回も引き続けている。パチンコには詳しくないのだが、玉がジャンジャン出るまで長く仕掛けて、出始めたら打ち止めになるまで粘り続けるそうな。あれと似ている。つまり、「行けるところまでいくぜい」ということなんだろう。

今回もどうやら気がつけば既に、「行けるところまでいくぜい」と覚悟を決めた、つまり「えいやっ」と飛び越えてしまったようだ。まぁ、しゃあないか。地引き網には、引くか、引かないか、という選択しかない。一度引くなら、とことん引く。引かないなら、あっさり諦めて、別の潮時を待つ。その判断が頭だけでなく、身体的な感覚できちんと出来ていれば、途中の漁が大変であっても、まあ何とか収穫を迎えることが出来る。フィールドワークで培った勘と経験は、船乗りタケバタにとって大海原を渡り歩く貴重な羅針盤だ。

お外を眺めると、まさに「台風一過」の極上の晴天。「出漁」するにはいい日より、である。ビルトインされた感覚を大切にして、さあて、漁に出てみますか。

評価の目的とは?

今日からテスト週間。学生さんのテスト監督のお仕事である。

自分もそういえば、テストの時きりきりまいだったよなぁ、と思いながら、試験監督にあたる。試験を前にして、必死に格闘する人、余裕な人、全く絶望的な人など、監督をしながら多くのタイプをみるにつけ、自分の今やっている課題に思いをはせる。今、ある組織のempowerment(やる気や自信、力をつけてもらうこと)を目的としたevaluation(評価)の方法はないか、を模索中だ。評価、といっても、ネガティブな、あら探しのような評価ではなく、その評価がきっかけとなって、その組織のモチベーションや仕事の中身が高まっていく、そういったempowermentが導かれるような評価方法はないだろうか、それを模索している。

学生さんの試験だって、同じ事がいえるかもしれない。どうしたらテストやレポートを通じて、学生さんがempowermentされ、力がついた上で、その努力を評価し、さらに高めていけるようにもっていけるか? 高校までのように○×問題で評価出来ないが故の、面白さと困難性がつきまとう。でも、彼ら彼女らのempowermentを目的としない評価は、devaluation(価値の引き下げ)につながり、無気力と大学への不信感を募らせる結果を導く以外にはない。ならば、「この大学に来てよかった」と思ってもらうための、彼ら彼女らの自信と勇気につながる評価、それが大切なんだと思う。その尺度として、評価基準として、方法論として、どのようなempowerment evaluationの方法を編み出せばいいのか。これがここしばらくのタケバタの研究と実践の両方の面での課題だと感じている。

明日以後も、テスト監督が続く。いろいろ考えながら、知恵を絞りながら、の監督作業をしてみようと思う。

ようやくの出会い

風呂読書は、たまに珠玉の言葉を導いてくれる。

「かつては作者の独創性、他に少しも依存しない独創性こそが創造の根源であり原動力であると考えられていた。それに対して引用の理論の目ざしているのは、ほかのテキスト(プレ・テキスト)からの直接、間接の引用、既存の諸要素(先立つほかのテキストの諸部分)の組みかえのうちに、作品形成の仕組みと秘密を見いだすことである。」「引用においても既存の諸要素の自由な組み替えという点で、創造活動はまぎれもなく働いている。むしろ引用の理論は、創造活動が決して真空の中で無前提に行われるのではないこと、創造活動の実際の在り様は既存の諸要素を大きく媒介にしていることを、かえってよく示しているのである。」(中村雄二郎・山口昌男著 『知の旅への誘い』 岩波新書、p32-33

単に「知」そのものに憧れていた10数年前、古本屋で見つけたこの本をワクワクしながら読んだ記憶がある。とはいえ、その記憶はあくまでも「ワクワク」というボンヤリした印象でしかなかった。引っ越しを期に、大方の本を研究室に運んでしまい、たまたま自宅に残していた本の中から久々に手に取った一冊。それを読んでいて、よもや自分が最近納得しつつあることそのものが書かれていた、とは思いもよらなかった。

論文の書き方がわからず試行錯誤していたとき、「先行研究のレビュー」なるものの意味がよくわからなかった。一期生で教えてくれる先輩がいるでもなく、「どうして誰も手をつけていない分野を勉強しているのに、レビューなど必要なのだろうか?」「どうせこの分野でろくな論文もないし・・・」などと、恐ろしい戯言をわめいていたような気がする。しかし、論文の杜の中に深く分け入るうちに、なぜ分野を特定せずにレビューが必要なのか、がようやくおぼろげながらわかってきた。他の人がこれまで考えて来たことに基づきながらどこまで辿れるか、他の論文が(ホントにダメならば)何処がどのようにダメなのか、に峻別をつけ、結局どこからが誰も言っていない自分のオリジナルなのか、を考えるのが論文なのだ・・・そんな至極「常識」を「納得」するまで、何年もの日々がかかった。論文に対する姿勢が定まらないから、何をどう書いていいかわからず、当惑するばかりだった。でも、大学時代にすでに読んだ文章の中に、その答えはちゃ~んと載っていたのだ。何を読んでたんだか。

でも、多分これを最初に読んだ大学1年生の頃、自分が「創造活動」に関わる、などとは思ってもいなかったんだろうな。おそらく、「他人事」としてのテクスト解釈の文脈で読んでいたから、記憶の端にも残らなかったのだろう。それから一回り弱。講演をしたり、論文を紡ぎ出す、という「創造活動」にまがりなりにも携わるようになり、プレテキストの解釈や組み替えが、どれほど自分のオリジナリティにつながるか、を深く実感する。同じ本、同じ資料、同じ法案、同じ論文を読んでいても、そのテキストへの関わり方や視点の違いで、その解釈は驚くほど変わってくるからだ。

その際大切にしなければならないことは何か。それは、自分がどのようなプレテキストを、どのような文脈で、どういう角度から解釈し、どのように組み替えようとしているのか? その組み替えている主体である自分自身の有り様に意識的であること、だと思う。つまり、情報を切り貼りしながらある論を構築して際に、自分が意識的・無意識的に取っている戦略(メタメッセージ)に自覚的であれ、ということなんだろう。自分の言葉に酔ってしまいがちのタケバタは、特にこのメタメッセージに自覚的でないと、墓穴を掘りかねない。そういえば最近も掘っていた・・・。やばい。

こういう至極真っ当なこと、学者としての当たり前のルールを、30にしてようやく出会い、気付けているのだから・・・いやはや、ほんと、まさにひよっこなんだなぁ。風呂読書で今日は少し謙虚になってきた。