授業への姿勢

今、授業へのアプローチを変えなければ、と思い始めている。

そのきっかけは、一冊の本だった。
「自信力が学生を変える 大学生意識調査からの提言」(河地和子著、平凡社新書)http://www.heibonsha.co.jp/catalogue/exec/browse.cgi?code=85_276

一昨日の朝日新聞東京版の生活のコーナーでその概要が載っていて、早速昨日実物を本屋で見つけ、読んでみた。首都圏の大学生2000人以上にインタビューした生データに基づく分析は、なるほど、と肯けると共に、僕自身の姿勢を変えねば、と気付かせてくれた。一番びっくりしたのは、「学生たちは『本当はもっと勉強したい』と思っている」ことであり、「課題を出して『しごく』」(P204)とさえ提言している点である。「やりがいのある課題や宿題を出して、学生が日頃から勉強時間を取らなければならない授業にする」(P204)という部分で、僕はちゃんとそれが出来ているか、と現状を振り返れば、出来ていないよなぁ、と反省せざるをえない。

もちろん僕自身、自分なりに授業改善の努力はこれまでもしてきたし、この著者の主張に僕自身も一致していると思う。出来る限り、学生のニーズに基づいた授業展開をする必然性はヒシヒシ感じているし、その努力もしているつもりである。ただ、現状では、授業中の理解度を増すための努力には重点を置いているが、授業時間外の勉強時間まで要すような課題や宿題は、これまでほとんど課してこなかったのが実情だ。この背景に、僕自身の授業に関する「勘違い」があった、と最近感じ始めている。

何が「勘違い」なのか? それは「基本的に学生の自主性に任せるべきである」という勘違いである。高校生までとは違い、学生は自主的に選択するのだから、それを尊重し、やる気がある・ないも含めて、学生さんの自主性を重んじる、という発想である。これは、自分が大学時代に縛られるのが嫌だったから、という自分の体験談に基づいているが、裏を返せば独善的で、何ら教育的配慮に基づいていない。

4月から専任教員として関わり始めて、一番ぶつかったのがこのポイントだ。本当に自主性に任せていいのか? 答えは「否」。自主性にのみ任せていたら、学生の中に甘えとだらけが蔓延する、ということが、数ヶ月でよくわかった。枠組みのない自主性とは、自由放任であり、それは自主性を育てることとは正反対の、画一的で流れに任せるだけの、無気力な学生を生み出すことにしかならないのではないか、と思い始めている。

本当に学生の自主性を育てるためには、何らかの枠組みを教員の側で設定し、その枠組みの中で彼ら彼女らがどうもがいていくか、を支援する。そして、小さな事から成功体験を重ねてもらい、自分らしい試行錯誤を自発的に深めていけるよう、教員が配慮を持って継続的に関わりを続けていく、そういう必要があるんだなぁ、と感じている。なので、この夏休みは、後期以後の「枠組み」をどのレベルで、どの程度設定するか、の研究もしなければ、と感じ始めている。その上で、「枠組み」に沿った課題や宿題などの設定に落とし込み、この著者のいう「やりがいのある」授業へと高めていかなければ、と今覚悟を新たにしている。

枠組みに変化の兆し

山梨に来て、自分の視野が変わろうとしている。

以前なら「これは自分に関係ない」と済ましていた、色んなジャンルのことが気になる。それは仕事柄、山梨の地域福祉を少しでもたくさん知りたい、という事情ももちろんある。だが、それだけじゃはない。明らかに、以前の僕に比べて関わりを持ちたい範囲が増えている。なぜこんな変化が起こっているのだろう。色々あるだろうけれど、二つの大きな要素は、この山梨で、専任講師で働き始めたから、という理由だろうと思う。

スウェーデンで暮らしていたとき以外は、出張での短期間の調査以外は関西がフィールドだった。その僕が、山梨という新たな土地で、腰を落ち着けて根を張ろうとしている。新しい土地で色々知りたい、と思ったときに、関西だったら、例えば僕が住んでいた西宮一つにとっても40万都市であり、とっても把握できない。だが、山梨は全県で人口が90万弱、甲府なら20万都市だ。規模が小さく、コンパクトにまとまっているから、逆に言えば色々な範囲での出会いに突き当たりやすい。すると、新たなジャンルの開拓の際、人づてに紹介してもらって訪れた場所で、別のジャンルのNPOの人々も後で聞いたら顔なじみ、という場面がこれまでにもいくつかあった。つまり、比較的お顔の見える関係が築きやすい、というのもあるかもしれない。

また、これまでは仕事の掛け持ちで、「タケバタといえばバタバタ」というのを、ある種自分の売り文句にもしてきた。だが、大学での常勤職となって、時間的・精神的にもセカセカしなくなり、より多くの事を色々見てみよう、という余裕が出来たからかもしれない。そして、30にしてようやく物事を見る視点が定まり始めたから、色んな新しいジャンルの分野でも、ブレなく自分らしく眺めてみる、ということが出来るようになったのもあると思う。自分の芯がしっかりしていないと、会う人会う場でその場・人の雰囲気に飲まれ、自分自身がアンコントローラブルになりがちで、それが嫌だから「関わらない」という選択肢をしていた部分も僕の中にはあったと思う。それが最近、大学に軸足をしっかり置いて、落ち着いてきたから、色んな現場でも余裕を持って新しいことに飛び込んでいき、その場で「即興演奏的ディスカッション」をするのがすごく楽しくなった。

こうして考えていくと、単に視野の幅が広くなった、だけでなく、僕がモノを見る枠組み自体に変化が生じているような気もする。ただ、この枠組みの変更は、今後どのように育っていくのか、までは現在進行中でまだわからない。とはいえ、枠組みの変化にわくわくしている自分が、すごく嬉しかったりする。これって実は20代前半以来の枠組み変更なのかもしれない。そのとき果たせなかった夢を今度こそ実現し、その後失敗した同じ轍を踏まないように、しっかりと歩んでいかなくちゃ、と最近感じている。

おもろい現場

大学にようやく慣れてきて、6月からボチボチ山梨の現場に出向き始めています。

僕は元々大学院時代からあまり大学に寄りつかず、色んな現場をほっつき歩いていました。特にここ2年間は、大学に所属はしていたものの、現場に入り込んでの実態調査を中心に行っていたので、いつも色んな現場の人との議論の中から何かを学ばせてもらう、という事が生活の中心となっていました。

なので、山梨に来ても、やっぱ現場は「おもろい(=関西弁で言う「楽しい」)」です。
しかも、山梨の地域福祉を少しでも理解するため、今まで開拓してこなかった現場にも飛び込みつつあります。昨日は子育ての分野のNPO法人の現場に、ゼミの学生さんと一緒に伺いました。現場の何がおもろい、って、一言で言うと「知らなかった事に出会えること」。昨日も、人を巻き込むことの上手なそのNPOの代表の方と話していて、発見や再発見の連続で、お話を聞いている間中ずっと、子供のように鼻がふくらみっぱなし、だったと思います。

そのNPOに限らず、「おもろい現場」には、必ず「おもろい人」がいます。色んなタイプの「おもろい人」と出逢って来ましたが、共通するのは、「欲深い人」である、という点。もちろん「欲」といっても、個人の利益の為に「欲深い」という訳ではありません。自分初で、自分がおもろいから始めた事なんだけれど、気づいたら自分に関わりの深いあることの為に片足だけでなく両足をずっぽりつっこんで、いつの間にかそれがミッションに変わっていた。そして、そのミッションを実現する為に、使える人材を見つけては、自分の近くに引きずり込んでいく魅力がある。その上で、ちまちました夢でなく、大きな野望をそのうち抱き始め、その実現の為に足下から着実に固めていく戦略的側面を持っている。でも基本的には楽観的性格で、「あかんかっても何とかなるわ」と思いながら、チャンスは逃さずモノにしていく。でも一つの成果に飽きたらず、次の事業・展開にお金も時間もエネルギーもどんどん突っ込んで(投資して)いく・・・。

挙げだしたらきりがないけれど、これって今はやりの言葉で言えば社会起業家(Social Entrepreneur)なんやなぁ、と思うんですが、ご自身が「起業家」っていう気持ちがないのも、「おもろい人」の特徴でもあるかもしれません。「何やしらんけど、いろいろやっているうちに、こんな風になってしもうた」というのが、多分ご本人の内心なのでしょう。でも、その「なってしもうた」「こんな風」がすっごく「おもろい現場」となっている事に変わりはありません。そして、そういう場に出かけると、こっちもエネルギーをたっぷりもらえるのが、これも「おもろい現場」に共通すること。昨日もそういう意味ではたっぷり充電させて頂きました。

週末も、大阪「おもろい現場」に出かけて、また充電させてもらってきます。関西だけでなく、山梨の「おもろい現場」でも充電しようと企んでいる僕自身も、もしかしたら「欲深い」ジャンルに入るのかもしれません・・・。

耳学問のススメ

今、耳学習にはまりつつあります。

発端は、ジムでウォーキングしている最中にたまたま読んだ日経ビジネスアソシエという雑誌で「話題の本は読まずに『聴く』」という記事に出会ったこと。この記事を読んでいなくても、その概略は記事に出てくる勝間さんの以下のページで見ることが出来ます。
http://kazuyomugi.cocolog-nifty.com/audio_book/2004/10/post_6.html

これを読んでいて、なるほど、確かに耳学問はいいよね、と再認識したバタ。8月のカリフォルニアでの仕事も控え、英語の耳を鍛えねば、と思っていた矢先で、家ではBBCを見ているけど、なかなかテレビの前で座ってもいられないなぁ、と思っていた時だったので、まさに救世主のようなお話でした。

彼女に触発され、早速アマゾンでブックCDを購入。とりあえず、シドニー・シェルダンの小説と、ドラッカーのコラム、それにWho moved my cheese?を購入。ついでにフラッシュメモリ型のプレーヤーもこの際購入してみました。今、それに落としている最中です。週末は大阪出張で、何せ片道5時間なので、みっちり耳学問にいそしもう、と思っております。

山梨の豊かさ

最近、山梨の豊かさを堪能しております。

特にはまっているのが「さくらんぼ」と「とまと」。
さくらんぼは、ある方に紹介して頂いた農園のさくらんぼがすごく甘くて美味しい。
今までアメリカ産のチェリーしか食べたことがなかった貧乏タケバタにとって、
国産のさくらんぼが、こんなにみずみずしく、美味しいとは思ってもみませんでした。

一方のとまと、なんですが、これはまあ本当に完熟で、青臭くて、すっごい
絶品。たまたま大学の近所でガソリンを入れていたら、そのスタンドの真向かいに
あった農家で自家売りをされているのを発見。露地物野菜が大好きなタケバタは
フラフラ寄ってみたら、おばさんに、「まあ一口どうど」と丸々一個を進められて、ガブリ。
これがたまげるほど美味しかった。以後、毎週の様にファンになって買いに来て
おります。正直、ここのトマトを食べ出したら、よそのトマトが食べられないほどの
おいしさ、です。

そのとまと屋さんは、これからはぶどう農園に早変わり、とか。山梨は、これから
桃にぶどうに、果物王国の本領を発揮する季節です。ある先生からこんなご忠告
まで頂きました。

「タケバタくん、ぶどうは色んな種類があって、どれもうまいぞー。でも、太るぞー!!!」

今年は太っても、ぶどうをたくさん食べよう、と誓ったタケバタです。でも、ちゃんと
ジムにも通っております。さて、現状維持が出来るのか、ダイエットははたまた・・・。

高校生との真剣勝負

今日は静岡の高校で模擬授業をしてきます。

久しぶりに高校生との「真剣勝負」で楽しみです。
というのも、僕は実は、大学生よりも高校生とのつきあいの方が長い
からです。

大学1年生の時に浪人生に教えていらい、「インチキ英語講師」業を
8年くらいしてきました。なぜ「インチキ」かというと、もちろん受験に
受かる英語は教えていたつもりですが、恩師T先生に比べたら英語力
は足下にも及びません。そこで、英語を教える以外にも、勉強法の
コーチングや、進路指導に三者面談、あげくの果てには人生相談まで
結構精力的にこなしており、そっちの方がむしろ定評があったからです。
英語で試験に落ちた子も小論文指導で受かった時など、いったい僕は
何屋なんだろう、と思ったほどです・・・。

高校生って「知りたい」「何かおもしろいことしたい」という望みは強くある
のだけれど、実際に目の前にある「受験」という足かせを前に、なかなか
一歩を踏み出せず、また受験にエネルギーの焦点を当てにくい年ごろ
でもあります。もっと言えば、学校の授業にうまくマッチングしなかったり、
自分のリズムがつかめず、「どうせ自分なんて」とマイナスの評価を自分
に貼り付けている高校生にも数多く接してきました。そして、そんな彼ら
彼女らをいかに短時間で「ひっくり返すか」に命をかけていました。

受験勉強は、大学に入った後の勉強に比べたら、実はめちゃくちゃ楽です。
もちろん覚えることや、こなすべき事はたくさんあります。しかし、小論文
以外では、答えが決まっているのです。だって、×かで割り切れる
問題で、どれほどの水準が問われているか、が過去問で公表までされ
ているのですから。粛々と逆算して、要求水準にどう近づけていくか、
を本気で冷静に考え、イメージがつけば、あとは黙々とその要求水準に
まで登り詰める努力をすれば、結構な確率でその努力は報われます。

「そんなこと言ったって、うまく成績が上がった試しがない」という人は、
自分が何がどこまでわかっていないのか、の分析不足。中一の英語の
レベルがわからなかったら、高三でも予備校生でも、そこから勉強し直し
たら、一年くらいあれば目覚ましい改善が期待できます。実際にそうやって
一年で学力を恐ろしく伸ばして、彼ら彼女らのあきらめをひっくり返す、
ことのお手伝いをしてきました。

そして、大学生の前で伝え始めて、改めて思うのです。高校と大学は
違う、と。大学で僕が担当する「地域福祉論」「ボランティア・NPO論」
とも、一つの正答なるものがない、議論の多い分野です。その国の
社会情勢や、社会政策の力点の置き方によって、中身はどんどん
変わっていきます。現在進行形の分野です。答えを確定させることも、
一元化させることも出来ないし、それをしたら危険な分野です。つまり、
一つの答えを説明することよりも、様々な考えや現実を学び、そこから
一つの自分なりの考えを導きだすことが求められる分野です。

とはいえ私が出会う大学の学生さんの中にも、「考えること」を暗記
で乗り切ろうとしてどつぼにはまっている人、どうやって考えていい
のかわからず、四苦八苦している人、もいます。そんな彼ら彼女らに
「考える練習」の素材を提供するのも、大学での教員の役目だ、と
思っています。大学の授業でも、常にこのことは意識して、授業の
中に「考える練習」を取り入れようとしています。

だからこそ、高校時代までに○×問題の訓練をある程度行うことが
意味がある、と明日は高校生にお伝えするつもりです。答えのない問い
に向き合うためには、答えのある問いの解き方をわかっていて、思考
方法について色んなパターンを知っていた方が得です。自分で推論
するための合理的思考を導き出す訓練にもつながります。なので、
ちゃんと受験勉強を通じても「ものを考える訓練」をし続けてほしい、
そう、高校生に伝えにいくつもりです。

少しは響いてくださる方がいればいいのだけれど・・・。

復活初日を迎えて

いよいよwebスルメが復活しました。

ブログなどは1ヶ月前から試行的に動いていたのですが、全面公開は
今日から、ということです。久しぶりの公開に不安と楽しみで少しドキドキ
しております。

実はスルメのネット版、というのは、予備校講師時代に1,2年、その後
専門学校や大学の講師の時に2,3年、続けていました。ただ、僕自身
の仕事が安定していなかったため、不定期の更新で、しかも統一性が
あまりない、不確かなページでした。

今回、山梨学院に所属して再開するにあたり、偉大なる親友N氏の全面
的協力を得て、デザインも一からやり直し、コンセプトも練り直し、中身を
充実しております。その目玉の一つがこのブログ。出したからには、出来
る限り、いろんなことを書きながら、頻繁の更新を目指します。こうご期待。

それと、最近読者になってくださった方へ。実は、このスルメは7年ほどの
歴史があり、予備校講師時代のデータも相当ストックがあります。この夏
あたりから、徐々にそのストックも放出していくつもりです。そちらの方も、
ご期待くださいませ。

一進一退

うまくいったかな、と思ったら、また失敗したり、と一進一退、です。
授業って本当に難しいですね。

授業の性質上、彼ら彼女らが何を私に期待しているか、という元々の期待値
が違います。シラバスを見て「面白そう」と主体的に授業を取って下さる方が
いる一方で、「単に単位取得のため」「行きたくないけど必修だから」という方
もいます。もちろんどういう動機の方であれ、授業に関わる中で、こっちにも
少しは向いてもらいたい、というのが本心なのですが、特にネガティブな動機
であったり、授業に参加することに意味を見いだしにくい方へのアプローチは
難しいなぁ、と思っています。

僕自身、出会う学生さんとの一期一会はすごく大切だ、と思っています。
それが、自発性に基づくものであれ、嫌々僕の前に現れて下さったものであれ。
そして、とにかく出会った僕が、どれほど皆さんとの対話を通じ、少しは皆さんの
何かを刺激し、はぐくむ役割を担えるかどうか・・・。これはすごく難しいけれど、
僕にとって重要で大切な挑戦です。

うまくいかないこともあるけれど、それは次のチャレンジのためのいい教訓のはず。
沈み込んでしまわず、冷静に分析して、次回の学生さんの笑顔につなげたい、
そう思う梅雨の今日この頃です。

 

投稿者 bata : 10:54 | コメント (0)

当たり前のことなのだけれど・・・

整理整頓、ってほんと大事だと思う。

朝から部屋の片づけをして、書類もばっさり捨てて、必要な電話もかけて、
食器洗って、洗濯物をたたんで、お風呂も洗って、メールの返信もして、
クリーニング出して、たまっていた支払いも終え、通帳に記帳もし、車を
洗車機にかけて・・・としていると、ようやくさっぱりした気分になった。

とにかくリスのようにいろんなものをため込んで、ため込んだことを
忘れられたらいいのだけれど、頭の片隅に残っていて、大変気持ちの
悪い状態。これが解消されたのはすっごくよかった。研究も学務も、
整理整頓した上じゃないとはかどらないものね。

というわけで、すっきりした頭で、昼から研究室で明日のスルメと格闘
いたします。ちなみに週末大阪に仕事に出かけ、髪もすっきりして
きたし、すっきり尽くめ、ですね。

緑深き6月

土曜の朝、久しぶりに自宅の窓から近所の愛宕山を眺めると、愛宕山の緑は
相当深いものになっていた。そういえば、ここしばらく愛宕山をこんな風に
眺めることはなかったよなぁ、と気づいた。

いろいろな事情があって、3月中旬には甲府に引っ越しをしてきたのだが、4月
までの20日あまりは、本当にエアポケットのように空白の日々だった。研究室
の鍵を正式にまだ貰っておらず、大学がまだ居場所にもなっていなかった
日々。かといって本や書類一式は引っ越し時に研究室に運び込んでしまい、
がらんとした自分の部屋で、毎日ぼやーんと愛宕山を眺めていた。今思うと
本当にエアポケットだったと思う。

それから2ヶ月。気づけば我が家では、家事をしているか、妻とご飯を食べ
ながらおしゃべりしているか、それとも疲れ果てて寝ているか、の三パターン
しかこなしていない現場であった。でも、ようやく平穏を少しずつ取り戻し、
今日は朝から雀のチュンチュンいうのを聞きながら、こうして朝からボンヤリ
できている。こういうメリハリが大事なんだよなぁ、と思う今日このごろだ。

とはいえ、今日は昼から東京で泊まりがけの研究会。あと1時間後には
「あずさ」に乗らねばならない。僕はいつも出かける直前までボンヤリぐずぐず
していて、ぎりぎりになって必死で用意して、奥さんに怒られながら直前に
駅まで送ってもらい、走って電車に飛び乗ることが多い。今日くらいは、あと
1時間しかないのだから、ちょっとまじめにいまから用意して、余裕綽々で
駅で電車を待とうと思う。

なんて、こういう風にギリギリになって「スルメも書かなきゃ」「メールの返信は」
などとやっているから、また遅れそうになるのだ。今日はもうこの辺でおしまい。
さて、荷造りをまじめにしなきゃ。