ミッションを考える

今日の身延線は遅れている。市川大門の花火大会の影響だそうだ。そういえば何年か前、北海道からの帰りの高速バスが、石和の花火大会の終わった直後に突っ込んで、大変な思いをしたことがある。ま、夏は仕方ないよね、と思いながら、亀山郁夫訳の「カラマーゾフの兄弟」を読み始める。昨日今日と大量のアウトプットをしたので、全く別のコンテキストのインプットを心から求めていた事がわかる。おかげで、小説はするすると心に染み入り、僕自身もようやく疲労モードから回復しつつある。それにしても、この二日間は、よくしゃべった。

昨日はあるNPOの将来構想計画について議論する為に、大阪入りする。ドラッカーの『非営利組織の成果重視マネジメント』という自己評価のハンドブックを片手に、そのNPOの使命や顧客、顧客が価値あると感じるもの、などを問い直していく。NPOの専従スタッフと、その現場から多くの事を学び、ボランティアとして関わり続けている若手研究者達による議論。その中で、大きな議論の一つとなったのは、「成果とは何か」であった。これについて、先述のハンドブックでは次のように書かれている。

「何を測定し、モニターするか。どのような尺度が適当か。成功のために欠くことのできないものは何か。非営利組織が自らの成果を定義するために、このような問いかけが必要だ。そのためには、使命に戻らなければならない。自らの能力、働く環境、そして活動分野に関する既存研究や事例について熟考する必要がある。
 第一の顧客の声に注意深く耳を傾け、彼らが誰であり何を価値ある者と思っているかについてのあなたの知識を使って考えてみるといい。つまり、対象の定性的および定量的側面について考えるのである。このような方法で努力すれば、ボトムラインを決めることができ、その結果、組織の何を評価し、判断すべきかがわかってくる。」(ドラッカー&スターン編著『非営利組織の成果重視マネジメント』ダイヤモンド社,p42-43)

そのNPOでは、設立して年月が経ち、今、新たな方向性を巡っての転機の時期にいる。それはつまり、これまでの成果尺度の限界と、新たな成果やゴールについての模索である。更に言えば、顧客についての再定義と、顧客に向けて何を使命として仕事すべきか、の非営利組織のビジョンの見直しそのものでもある。僕自身、その団体から様々な恩恵を受け、現場のリアリティについての沢山の示唆を受け、自分自身の今を形作る上で少なからぬ影響を受けてきた。それゆえに、第三者の外部の研究者、という一歩引いた視点ではなく、大切に引き継ぎたい、守り続けたい叡智・宝をどう捉え直せば、次の20年、30年へと活かせるのか、を我が事として考えている。そして、それを考える場に立ち会えた事の喜びと、社会的責務や使命のようなものも、同時に感じていた。そう、そのNPOの使命について考え直す中で、改めて研究者としての自分自身の使命についても考え直していたのだ。

それは、実は今日の会合にもつながる。今日はこの春からの自分自身の変容に大きな影響を与えてくださったF先生とランチをご一緒させて頂いた。夏休みの高槻西武のレストランは恐ろしく騒々しい空間で閉口しながらも、先生にお話したいこと、伺いたいことが色々あった。自分自身、この半年弱の中で、殻を破り、とらわれからの脱皮を試みつつある。以前は馴染みのあるフィールドに関してはインターアクティブだったが、それ以外の場ではアクティブかリアクティブかの一方通行だった。わあわあと他人事として批判するか、あるいは防御反応的に殻に閉じこもるか、の、二極分解だった。普段の職場や親しくさせて頂いている人はあまり信じてもらえないかもしれないが、僕がインターアクティブであるのは、あくまでも自分が守られていると思う局所的範囲での振る舞いだった。そして、それが自分の可動領域や可能性を狭める、一番の理由だった。

だが、この春以後の変容の中で、ベイドソンやポランニー、モランなどの著作を媒介にしながら行いつつあるのは、自分自身が作っていた殻や壁を取り払う作業であった。社会的立場や役割の鋳型に絡め取られ、自分の論理性の薄さへの引け目から論理的であろうと過度に強ばっていた事も加わって、本来の自分の魅力である「直感に基づく編集能力」に蓋をしていた。それが、昨年から始めた合気道、この半年で実ったダイエットなどの、主に身体の変容によって蓋が開き始め、固着した考えの蓋を取ることができはじめた。もっと様々な分野で、心の強ばりを外し、インターアクティブになってもいいのではないか、と思い始めた。それが、自分自身の「直感に基づく編集能力」を活かすことであり、ひいては自分自身の使命を全うする上でもダイレクトにつながっている、とようやく自信を持って言えるようになってきた。そして、その歩みに背中を押してくださるのが、F先生とのやりとりであったのだ。

そう考えると、この二日間は、強く自分自身のミッションについて考え直す旅であった。電車は15分遅れになったが、花火も見れたし、考えもまとめられたので、結果的には程よい遅れであった。

風が通る本読みとは(後編)

「メルロ=ポンティの最初の著作『行動の構造』は、動物の行動の発達の過程を明らかにしながら、その中に人間の行動を位置づけようとしています。これは、ゴルトシュタインの全体論的神経生理学によりかかりながらやった仕事です。次が『知覚の現象学』です。この本ではゲシュタルト心理学のもつ哲学的な含意を洗いざらい明るみにだそうとしています。メルロ=ポンティをはじめて読むと、神経生理学や心理学の話ばかりでてきて、どこが現象学の本なのだととまどいますが、でも、それは生理学や心理学に伴走しながら、方法論的改革をうながし、その哲学的意味をとりだそうとしているわけですから、現象学の発展としてはもっとも正統的なものです。」(木田元「闇屋になりそこねた哲学者」ちくま学芸文庫、p164)

メルロ=ポンティの名前は聞いたことはあれど、恥ずかしながら、これまで一冊も読んだ事がなかった。だが、ユクスキュルの「環境世界理論」とメルロ=ポンティの議論を重ねた授業は、15年前の大学生の頃、何となく聞いた覚えがある。当時の狭隘な精神の持ち主は「何で哲学の先生が生物学の話をするだろう」という狭い認識だったし、その後グッドマンの「世界制作の方法」なんて話を持ち出されても、さっぱりわからなかった。当時からの友人Fくんがメルロ=ポンティが好きで、確かみすずの「知覚の現象学」を抱えていて、格好良いなという阿呆なため息をしていたのは、妙に映像に残っているけれど…。
だが、先の木田元氏の一文を読んで、15年前のわからなさを思い出すほどの風が吹き始め、急にわかったような気になり始めた。そしてそれは、前回ご紹介した松丸本舗のプロデューサー、松岡正剛氏によると、こういうことらしい。
「ぼくが最初にプラトンを読んだのは20歳くらいのときでしたが、あのわかりにくいギリシャ人名と会話体にほとんどなじめなかった。(略)それから三年ほどたって『ティマイオス』を読んだら、ずっと読みやすかった。(略)なぜ読みやすくなったかというと、これはその前にヘルマン・ワイルの『数学と自然の哲学』という本を読んだら、ワイルが『ティマイオス』を薦めていたので読んだんです。ワイルは必ずしもプラトン主義者ではありませんが、二十世紀を代表する自然哲学の理解者としては、ほぼ完璧なほどのプレゼンテーション能力の持ち主で、きっとぼくはその起伏感や強弱感によってプラトンを読んだのだろうと思うんですね。そうしたら、びっくりするくらい面白かった。これはおそらく、ぼくがワイルの味蕾を使って読んだからです。そして、ワイルからプラトンへというコースウェアがひとつながりになって、そこにまだわずかではあったけれど、『感読レセプター』ができたか、その調節の案配がついたからです。」(松岡正剛「多読術」ちくまプリマー新書、p74)
そう23歳の松岡正剛氏がワイルの味蕾を手がかりにプラトンに入り込めたのと同じように、35歳の僕は、木田元の味蕾を手がかりに、現象学に入り込めそうな気がしてきたのだ。それは、木田元氏がハイデガー研究の第一人者だけではなく、ご本人に拠れば「結果的に」ということだが、メルロ=ポンティーのほぼ全ての翻訳者であるところに起因する部分が大きい。彼は現象学を自家薬籠中のものにしている第一人者が、しかも語り起こし的に(対話的に)わかりやすく解説してくれている、つまり「ぼ完璧なほどのプレゼンテーション能力の持ち主」であるがゆえに、「その起伏感や強弱感によって」現象学が読めるのではないか、と思いついたのだ。
だが、自宅の本棚にはあいにくメルロ=ポンティの本はない。最初の著作『行動と構造』は確かに先週の水曜日、丸善で手に取ったのだけれど、買ったかどうかは覚えていない。(明後日あたりに丸善から届くと思うのだが、多分買わなかっただろう。) ネットで早速講義録の『眼と精神』は注文したけれど、届くのは月曜日。で、本棚を漁っていたら、以前チャレンジしようと思って諦めた鷲田清一さんの『現象学の視線』(講談社学術文庫)が出てきた。よしこれだ、と思ったが、すぐに頭から読まない、と今回は決めた。それは、松丸本舗のブックショップエディターMさんが思い出させてくれた、松岡正剛氏の本読みの仕方に従ってみようと思ったからだ。
「実はぼくのばあい、書店で手に取った辞典で、本をパラパラめくる前に、必ず目次を見るようにしています。買う買わないは別にしてね。せいぜい一分から三分ですが、この三分間程度の束の間をつかって目次をみておくかどうかということが、あとの読書に決定的な差をもたらすんです。(略) この三分間目次読書によって、自分と本の間に柔らかい感触構造のようなものが立ち上がる。あるいは柔らかい『知のマップ』のようなものが、ちょっとだけではあっても立ち上がる。それを浮かび上がらせたうえで、いよいよ読んでいく。これだけでも読書は楽しいですよ。」(松岡正剛、同上、p70-71)
そう、この目次読書をこれまで僕は「へぇ」と思いながら、全然実践していなかった。だが、今回少し自分にとっては疎遠な現象学に取り組んでみようとした時、何となく件の鷲田氏の本の「はじめに」を読んでみた。その中で、この本が①「世界との関係」、②「他者との関係」、③これら二つの関係態がたがいに接合し合う場」、④「これらの関係が関係それ自身へと再帰的に関係していく場面」の4つの位相で問うており、本書ではそれぞれ<経験><共存><日常><知>の四つのテーマで論じられている、と書かれている。(鷲田清一、『現象学の視線』、p9) だが、その後目次を見てみると、先に③の章があってから、①→②→③という構成になっている。なるほど、日常の生活世界について、まず読者が疑ってみることを誘い水とした上で、改めて「世界との関係」から問いなおそう、とうい構造なのかな、と思った。だが、僕は既にここ半年の間でこの「生活世界」への、つまりこれまでの「当たり前」への疑いの準備が出来ている。それなら一足飛びで①に入ってみよう、と90ページの第二節から入ってみた。これが、大当たりだった。
「既知の安定した生活にひび割れを起こさせかねないようなある切迫した気配が漂うとき、親和的な意味地平が揺らぎだし世界の浮き彫りが周縁から崩れ出しそうな気配に襲われるとき、馴染まれた解釈枠がきしみだして、ひずみを生じさせるような予兆が現れるとき、経験は本来のある生産的、創造的な営みをふたたび開始する。意味の一定のパースペクティブの下で中心化された世界が平衡を失いだした時は、解釈の網の目からこぼれおちたもの、中心から押しのけられて秩序の欄外にとどまるものが、一義的な解釈の下で枯渇させられていたその諸可能性を取り戻して、蠢きはじめるときでもある。このような気配が誘い水となって、経験の秩序構造の刷新への胎動が始まる。」(鷲田清一、同上、p106)
今書き写していて改めて感じるのだが、前回のブログで書いた、この春からの自分自身の変容とは、実は鷲田氏の言う「経験の秩序構造の刷新への胎動」そのものだった。3月始め、色んな事に気付き始めた時、文字通り「親和的な意味地平が揺らぎだし世界の浮き彫りが周縁から崩れ出しそうな気配に襲われ」た。頭の中がグラグラして、何だこれは、という世界観のパラダイムシフトが生じた。その間の記録を見てみると、確かに「智恵熱」に浮かされて書いていたことが思い出される。5年間このブログを読み続けてくださっているM先生が、「最近は長すぎて読めない」と仰られた時期に一致するが、それは長すぎるだけではなく、「崩れだしそうな気配」が内包されている文章だったからだろう、と今では感じる。
だが、これまでの自分が、その中心世界へと固執しすぎた為、「一義的な解釈の下で枯渇させられていたその諸可能性」を探そうと必死になっていた。それが、ダイエットという身体編成の変容が鍵となり、まさか落ちるはずがなかった体重が落ちるなら、精神的変容も不可能ではないかも知れない、という「ひび割れ」へと繋がったのだろう。そういう「誘い水」があって、自分の中での「経験秩序構造の刷新への胎動」が進み始めたのだ。
そう、あんなに縁遠いと感じていた現象学の世界に、今回は入り込めはじめたのだ。これはいみじくも松岡氏が指摘するように「読む前に何かが始まってる」(p80)からこそ、「自分と本の間に柔らかい感触構造」が立ち上がったときに、行ける、とつっこめるのである。そうすると、僕が最近気になっている複雑系も、このメルロ=ポンティや現象学と介在させれば繋がってくるし、以前から好きだった木村敏氏や向谷地氏の著作、浜田寿美男氏の著作だって、ある連関が現象学という補助線があればつなってくることも、何となく気付き始めた。松岡氏のいう「ハイパーリンク」とは何か、が文字通り体感できはじめたのだ。
前回のブログの冒頭で、
35歳にして、遅まきながら、生まれ変わりはじめている。」
と書いた。その事の意味が、そして「風が通る本読み」とはなにか、が、体感できはじめた、そんな週末だった。

風が通る本読みとは(前編)

35歳にして、遅まきながら、生まれ変わりはじめている。

変な話だが、文字通り、今年は世界が違って見えている。最近あちこちで「タケバタさん、痩せましたね」と言われるが、確かに1月には80キロを越えていた体重は、71キロ前後まで落ちた。お陰でユニクロでスラックスを二本、チノパンを一本、半パンに短パンも買った。特に82キロを超えていた頃のジーンズなどは、ダイエット広告そっくりにブカブカである。結局ズボンは4,5本は処分しただろうか。
体重の変革は、実は考え方やとらえ方の変革と同期している。というか、変わりたいと望み続けた志向性が、まずは体重というフィジカルなもので劇的に効果を見せ始め、それで心の強ばり、というか強い思いこみも、とうとう折れた。今まで体重は減らない、どうせやっても無理、という呪縛に基づく諦念感やそれに基づく言い訳に支配されていたが、そこから自由になることで、「変わる」ということに関しての基礎的信頼を持ち始めた。すると、他の変われていない部分での囚われも気になり始めた。もしかして、体重が減らない時の思いこみと同じように、他の部分の「出来なさ」も、単なる思いこみでは無かろうか、と。特に2月の香港の旅や、3月の学会での出会い、などが大きなきっかけになり、内面の変容の真っ直中にいる。
で、4月以後は前回のブログでもご紹介した「総合福祉法部会」の仕事がかなりハードで、講義もあるし、そんなに忙しくなると思いもしなかった時期にエントリーしてしまった海外学会の口頭発表とそれに向けたフルペーパー書きで忙殺されていた。ま、その間に沖縄に遊びに出かけたりしているので、充実しているのだが、なかなかタフな前期だった。ようやく木曜日に講義は全て終了し、金曜日に来月の韓国での国際学会のフルペーパーもとりあえず送ってしまったので、晴れて一息つける。いやはや、特に連休以後は突っ走り続けましたよ、ほんと。
久しぶりに土日がオフになったので、昨日はパートナーと朝からことりっぷ。蔵元のカフェで聞き酒をしたり、野菜をたっぷり買い込んで、お昼過ぎには我が家に戻ってリンゴのシードルで乾杯。暑い夏の盛りにライなイギリスのシードルは非常に合うのです! で、昼寝をして、読書三昧に餃子パーティーをして、幸福な一日を終える、ちょっと前になって、実は更にスリリングな展開が。それは、読書を巡る「生まれ変わりの体験」であった。
発端は先週に遡る。水曜日がちょうど月曜日の補講日で講義がなくお茶の水大学で研究会を入れていたので、火曜の総合福祉法部会の後、秋葉原に投宿。水曜朝一から、最近のお気に入りの丸の内丸善にまた入り浸る。で、4階の松丸本舗に足を運んだ時、以前から気になっていた、エプロンをつけたブックショップエディターに声をかけてみた。その日にふと浮かんだ、今から突拍子もないオーダーで。
「あの、すいません。エプロンをしておられる方は、本をいろいろお薦めいただけるんですか?」
「はい、そうですよ(笑顔で)」
「実は、自分の中で風が通るような本を読みたいんですが…」
とんでもない未分化でへんてこなオーダーだが、ブックショップエディターのお一人、Mさんとやりとりする中で、自分がどんな風通しをもとめているのか、の片鱗が見えてきた。それは、今まで本と本の間でのネットワークを張っていなかった、関連づけていなかった部分を主題化したい、それによって、タコツボ的知識を越えた、風通しが良く、関連性のある読書体験がしたい、ということだったのだ(かなり後付的だが)。でも、そこで勧められた本は、僕がこれまで手に取ろうとすらしなかった本で、かつ魅力的な本ばかり。今は「猫町」(萩原朔太郎著、岩波文庫)を読んでいるが、じんわり面白い。その後も、連関性のある本を薦められたので、丸善から送ってもらった本が着き次第、数珠繋ぎを始めるつもりだ。
で、数珠繋ぎといえば、その日何となく籠に入れていた「闇屋になりそこねた哲学者」(木田元著、ちくま学芸文庫)もキーブックになってくれた。これは、先週末、京都の書店で買い求めた「思想家の自伝を読む」(上野俊哉著、平凡社)に触発されて買い求めた本。もともと自伝好きだったが、こういう視点もあるのか、と学ぶ事の多かった一冊。
「ある意味で哲学者にとっての本質的な仕事は自伝である。もちろん、哲学が学問(規律と訓練の過程をしっかり備えた専門領域[discipline])であるかぎり、大切なことは先行する仕事を尊重し、そこから活かせるものを取捨選択し、かつて語られたことがらや概念に現在の視覚から光をあてなおし、しっかりした注釈や解釈をほどこし、すこしでも思索を前に進めることであるだろう。」(p41)
こういう視点で自伝を読んでみたら確かに面白い、と思い、筆者の師匠であり、筆者曰く「自伝めいた思索や経験がエッセイ的な挿話や逸話としてではなく、哲学の理解や認識の根底で生きているような文章を書く哲学者」である木田元氏の上述の著作も、大判時代から気になっていたのだが、文庫版がようやく出たので、何気なく手に取ってみた。そして、ここから、上野氏が言うことと、ブックショップエディター氏に教わった事が、大きく交錯し始める。
と、ここまで書いて、そそろそ合気道の時間なので、発作的に「続く」。

わかりやすく書く事の難しさ

今、国の障害者福祉に関する検討部会の委員をしている(内閣府障がい者制度改革推進会議 総合福祉法部会委員)

ちなみにこの会議、内閣府が所管だが、総合福祉法部会は厚労省が事務方なので、HPが違ってややこしい。なので、リンクをそれぞれ張っておきました。

この会議が大変なのは、毎回膨大な意見書を提出している、ということ。まあその為に引き受けたのだから仕方ないけれど、結構骨がおれる。しかも、様々な障害の方に合わせた情報保障もしなければならないので大変だ。点字や手話通訳も勿論行っているが、知的障害の当事者の為に、なるべく資料はわかりやすく書き、ルビも振ることが求められている。

で、同じ部会メンバーの知的障害当事者のNさんに教えてもらったのだが、単純にルビを振るだけではダメ、とのこと。わかりにくい表現やまだるっこしい表現ではなく、簡単に理解出来る表現に変えた資料を作らないと、理解してもらえないそうだ。確かに、知的障害者の団体が作った権利条約の本(「わかりやすい障害者の権利条約」)は実にわかりやすい。学生への講義や一般の方向けの講演でも、この本を使う方が皆さん、すっと権利条約の事を理解して下さる。ユニバーサルデザインと通底していて、知的障害のある方にわかりやすいということは、他の人にとってもわかりやすいのだ。

で、そういう能書きを言っていて、己の意見書はわかりやすいか、という事が当然、問題になる。ちょうど明日の部会の意見書は、トルコの出張の前後で必死に書いた。まだまだかりにくい部分もあるかもしれない。でも、自分なりに工夫して、なるべくわかりやすく書いてみたので、下でご参考までに、添付しておきます。(かなり長く、込み入った論点なで、興味のある方だけ、どうぞ)

これを書きながら思ったのだが、簡単に言う、ということは、物事の本質を突かなければならない、ということだ。オブラードに包んだ婉曲表現や、ストレートに言わない皮肉は一切ダメ。また、難しい概念やカタカナ表現もダメ。誤魔化さず、ストレートに、伝わるように、しかも過不足無く書くことは、本当に難しい。

という言い訳をした上で、まだ未熟者の発展途上の意見書をつけておきます。ご笑覧くださいませ。

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(第5回総合福祉部会)「障害者総合福祉法」(仮称)の論点についての意見

提出委員   竹端 寛      

 

分野A 法の理念・目的・範囲

項目A-1 法の名称

論点A-1-1) 法の名称についてどう考えるか?

○結論

○理由

 

項目A-2 誰の何のため

論点A-2-1) そもそも、この総合福祉法は、誰の何のためにつくるのか?

○結論

だれのため?: 地域でくらす上で何らかの手助けを求めているすべての障害者

なんのため?: 地域の中であたり前(他の者とのびょうどう)のくらしをする上で、必要な手助けをきちんとおこなうため

 

 

 

○理由

 地域の中であたり前(他の者とのびょうどう)のくらしをしたいのに、それができない障害者はたくさんいます。障害のしゅるいや重い・軽いでわけずに、本人が必要としているしえんがなされ、自分らしいくらしが地域の中でできるために、あたらしい法をつくるべきです。

 

 

 

論点A-2-2) 憲法、障害者基本法等と「総合福祉法」との関係をどう考えるか?

○結論

 憲法は、だれにでも基本的人権は守られる、という理念を示している。

 障害者基本法は、障害者が他の人とおなじように基本的人権を持っていること、でも人権を守るためには何らかの手助けもしなければならないという目的が書かれている。

総合福祉法は、憲法の理念や障害者基本法の目的をじっさいに守るための手だんとなる法

 

○理由

総合福祉法は、理念や目的をじつげんするための具体てきな方法が書かれた法です。

 

 

 

 

項目A-3 理念規定

論点A-3-1) 障害者権利条約の「保護の客体から権利の主体への転換」「医学モデルから社会モデルへの転換」をふまえた理念規定についてどう考えるか?

○結論

障害がある人も、他の人と同じ(平等の)権利を持っているし、それは守られなければならない、という理念は法の中で書いておくことは大切です。

 

 

 

○理由

 1.障害者だからといって、しせつや病院でくらさなければならないのはおかしい。2.障害があっても、地域であたりまえ(他の人との平等)の暮らしをする権利をもっている。3.この権利はどんなに重い障害がある人にも保しょうされるべきだ。この1~3を国民みんなでわかちあう必要があります。

 

 

 

論点A-3-2) 推進会議では「地域で生活する権利」の明記が不可欠との確認がされ、推進会議・第一次意見書では「すべての障害者が、自ら選択した地域において自立した生活を営む権利を有することを確認するとともに、その実現のための支援制度の構築を目指す」と記された。これを受けた規定をどうするか?

○結論

 「すべての障害者が、自ら選択した地域において自立した生活」ができない理由をなくす支援の制度を作ることを、法の目的に書くべきです。

 

 

 

○理由

 「自立した生活」ができないのは、いろいろな支援がたりないからです。今のやりかたを変え、医りょう的なケアや24時間の介じょなどに必要なお金も人も地域に向ければ、どんなに重いしょうがいの人も、地域であたりまえ(他の人との平等)の暮らしができます。そのことを、法の目的として書いて、守るべきです。

 

 

 

論点A-3-3) 障害者の自立の概念をどう捉えるか?その際、「家族への依存」の問題をどう考えるか?

○結論

 支援をうけた自立、という考え方を、法の中でもひとつの柱にすべきです。

 

 

 

○理由

 自立には4つの自立があると言われています。1.けいざい的(お金の)自立。2.身体能力の自立。3.自己決てい・選たくの自立。4.個性やその人らしさの自立。1や2の自立がむずかしい障害者が大切にしてきたのは、自分で決める・選ぶという3の自立でした。でも、それが苦手な障害者もいますが、だれだって個性やその人らしさはあります。1や2ができないから、大人になっても家族にずっと頼らなければいけないのは、本人もかぞくも苦しめます。3や4の自立を支えるのが、総合福祉法で大切なところです。

 

 

 

項目A-4 支援(サービス)選択権を前提とした受給権

論点A-4-1) 「地域で生活する権利」を担保していくために、サービス選択権を前提とした受給権が必要との意見があるが、これについてどう考えるか?

○結論

 必要なサービスを選ぶ権利と、必要なサービスを受ける権利のふたつは特に必要です。

 

 

○理由

 今までふたつの権利を守るとは法のなかに書かれていませんでした。だから、重い障害があるから、○○だから、という理由をつけ、地域でのくらしをあきらめ、施設や病院でくらすしかない、と言われてきました。これはさべつです。このさべつをやめるためには、地域であたり前(他の人との平等)のくらしをする上で、必要なサービスを選ぶ権利と、必要なサービスを受ける権利のふたつを法で保しょうすべきです。

 

 

 

論点A-4-2) 条約第19条の「特定の生活様式を義務づけられないこと」をふまえた規定を盛り込むか、盛り込むとしたらどのように盛り込むか?

○結論

 「障害をりゆうに、くらす場所やくらし方が限ていされてはならない。今、入所しせつや精神びょういんに入っている人みんなに聞きとり調さをして、出たい人は出られるようにする。」という地いき移行についての規定をいれる。

 

○理由

 どんなに重い障害がある人にも、地域でのあたりまえ(他の者との平等)のくらしを保しょうすること、そのために必要な介じょや医りょう的なケアも地域でととのえること、がひつようです。そうしないと、入所しせつや精神びょういんといった「特定の生活様式」でしかくらせないと「義務づけら」れるひとが出てきます。それをしないための、具たい的な規定がひつようです。

 

 

論点A-4-3)  障害者の福祉支援(サービス)提供にかかる国ならびに地方公共団体の役割をどう考えるか?

○結論

 国は福祉しえん(サービス)提供の理念やわくぐみ、障害者に守られる権利をつくり、それがちゃんと守られているかをチェックする。それに必要なお金をよういする。

 地方公共団体は、その地域でくらす障害者と話し合いながら、国で決めた理念やわくぐみ、障害者に守られる権利を実げんするためにはたらく。

 

 

○理由

 障害のある人が、地域であたり前(他の人との平等)のくらしをするためには、国と地方公共団体のどちらの役わり分たんも大切です。地域で障害者とであう地方公共団体は、障害者の声をよく聞きながら、障害者の権利をまもる仕事をするべきです。国は、まもるべき権利は何かを決める、まもるためのやり方について指どう・助げんする、まもっていない人・組織にまもるよう働きかける、まもるための予算を用いする役わりがあります。

 

 

項目A-5 法の守備範囲

論点A-5-1) 「総合福祉法」の守備範囲をどう考えるか?福祉サービス以外の、医療、労働分野、コミュニケーション、また、障害児、高齢者の分野との機能分担や(制度の谷間を生まない)連携について推進会議の方向性に沿った形でどう進めていくか?

○結論

 これらのもんだいは、推進会議のみんなといっしょに話をする場所をつくるべきです。

 

 

 

○理由

 推進会議でもこれらの問題について話しあっています。部会は推進会議の方向の具たい化の役わりをもっています。なので、部会だけでは決められない内ようは、推進会議のみなさんと、課だいごとに集まって話をする場をもつべきです。

 

 

 

 

論点A-5-2) 身体障害者福祉法、知的障害者福祉法、精神保健福祉法、児童福祉法、その他の既存の法律のあり方、並びに総合福祉法との関係についてどう考えるか?

○結論

 障害者福祉の3つの法(身体障害者福祉法、知的障害者福祉法、精神保健福祉法)はなくすべきです。精神保健福祉法のうち医りょうの部分は医りょう法に入れるべきです。児童福祉法は障害をもつ子どもをさべつしない内容として高めるべきです。ただ、入所施設にかんする部分は、地域でのあたり前(他の人との平等)のくらしの実現に反する部分もあるので、考えなおすべきです。

 

 

○理由

 いかなる障害の人にも、本人が求める支えんをする法ができたら、これまでの3つの法はいらなくなります。ただ、急になくすのはむずかしいなら、5年か10年かけてなくす、と決めたらいいと思います。また精神保健福祉法と児童福祉法のなかには、「特定の生活様式の義務づけ」につながるところがあるので、それはすぐなくすべきです。

 

 

項目A-6 その他

論点A-6-1) 「分野A 法の理念・目的・範囲」についてのその他の論点及び意見

○結論

 

○理由

 

 

 

 

分野B 障害の範囲

項目B-1 法の対象規定

論点B-1-1) 推進会議では、障害の定義について、「社会モデルに立った、制度の谷間を生まない定義とする」ことが確認されている。これをふまえた、「総合福祉法」における障害の定義や支援の対象者に関する規定をどう考えるか?

○結論

 下の対象と選び方で決める

対象:身体的、精神・知的障害にともない、他のものとの平等にもとづいて、社会にきちんとてきせつに参加することができない大人・子ども

選び方:この法で決められたサービスが必要だと、支きゅう決ていの時に認められること

 

○理由

 だれを「支援の対象者」にするか、にあたって、障害名できめない。だから、法が対象にする障害とは「○○障害」である、とは言わない。本人のニーズにもとづいて対象となる人をきめる。

論点B-1-2) 「自立支援法」制定時の附則で示されていた「発達障害、 高次脳機能障害、難病(慢性疾患)」等も含みこんだ規定をどうするか?制限列挙で加えるのか、包括的規定にするのか?

○結論

 B-1-1で書いたように「身体的、精神・知的障害にともない、他のものとの平等にもとづいて、社会にきちんとてきせつに参加することができない大人・子ども」という、困っている障害者がみんな入る規定にする。

 

 

○理由

 どれかだけ選ぶやり方は、必ず別の不幸なひとがあらわれるので。

 

 

 

項目B-2 手続き規定

論点B-2-1) 障害手帳を持たない高次脳機能障害、発達障害、難病、軽度知的、難聴などを有する者を排除しない手続き規定をどう考えるか?

○結論

障害手帳を持たないけど、障害ゆえに生活のしづらさをもつ人が、法で決められたサービスを利用したいときは、その理由を書いた医師の診だん書などで証めいできたら、対象者にする。

 

 

○理由

 困っていると誰がみてもわかる証めい書があればよいので。

 

 

 

項目B-3 その他

論点B-3-1) 「分野B 障害の範囲」についてのその他の論点及び意見

○結論

 

 

 

 

○理由

 

 

 

 

 

分野C 「選択と決定」(支給決定)

項目C-1 

論点C-1-1) 「必要な支援を受けながら、自らの決定・選択に基づき、社会のあらゆる分野の活動に参加・参画する」(意見書)を実現していくためには、どういう支援が必要か?また「セルフマネジメント」「支援を得ながらの自己決定」についてどう考えるか?

○結論

 どんなに重い障害のある人でも、「セルフマネジメント」「支援を得ながらの自己決定」のどちらかはできる。この理念を実現するための、支きゅう決ていのやり方を考えるべきである。

 

○理由

 重症心身障害をもった人でも、本人中心の個べつ支援けいかくを作る中で、「支援を得ながらの自己決定」ができている。また、それは、本人が中心である、といういみでは、セルフケアマネジメントと同じ方向のものである。そして、それは今の日本でも、十分にやることができる。そのことは、参考資料(「地域主導による障害者支援プロセスのケーススタディ」研究報告書)にくわしく書かれている。

 

 

論点C-1-2) 障害者ケアマネジメントで重要性が指摘されてきたエンパワメント支援についてどう考えるか?また、エンパワメント支援の機能を強化するためにはどういった方策が必要と考えるか?

○結論

 10万人に1つ(市町村もしくは圏域単位)くらい、障害者のエンパワメントをすすめるため、行政がお金を出して、障害者が運営する場所をつくる必要がある。

 

○理由

 障害のある本人は、自分の必要なサービスをほんとうは知っているはずだ。だが、これまでその声はきちんときかれてこなかったし、誰かにまもられたくらしをしていると、それに気づかなくなる。なので、それに気づき、自信をとりもどすため、ピアカウンセリングやピアサポートなども行われる、なかまの集まる場が必ようである。これは自立生活センターやアメリカのリージョナルセンターのように当事者主たいで運えいされ、行政はほじょ金をだすべきだ。

 

 

論点C-1-3) ピアカウンセリング、ピアサポートの意義と役割、普及する上での課題についてどう考えるか?

○結論

 C-1-2の場のなかですべき。

 

○理由

 C-1-2のりゆうとおなじ。

論点C-1-4) 施設・病院からの地域移行や、地域生活支援の充実を進めていく上で、相談支援の役割と機能として求められるものにはどのようなことがあるか?その点から、現状の位置づけや体制にはどのような課題があると考えるか?

○結論

 まず、相だん支えんをする専もん家は、施設や病院などのサービス提きょう事ぎょう者、行政から自立している必要がある。そうしないと、本人の相談に本当によりそうことはできない。そういう自立した相だん支えん員が、地域移行に関わるということを法でもりこむべきだ。また、相だん支えん員が自立してはたらくための予算を国はよういするべきだ。

 

 

○理由

 事ぎょう者には、その事ぎょうが成り立つということ、行政は予算をなるべく超えないこと、などの目標がある。障害のある人のニーズと、事ぎょう者や行政の求めることは、いつもいっしょではない。相反することもある。そのとき、ほんとうの相だん支えん者は、事ぎょう者や行政ではなく、障害者の味方をしつづけるべきだ。そのためには、相だん支えん員の自立を守る予算を国は用意しなければならない。

 

 

 

項目C-2 障害程度区分の機能と問題点

論点C-2-1) 現行「自立支援法」の支給決定についてどう評価し、どういう問題点があると考えるか?また、その中で「障害程度区分」の果たした機能と、その問題点についてどう考えるか?

○結論

 支給決定は、まず本人のニーズからはじめるべきだ。今のしくみは、ニーズの前に「障害程度区分」と枠ぐみにあてはめてしまう。しかもこの枠ぐみには、いろいろなかたよりや限かいがあるのもあきらかだ。だから、このやり方はやめ、ニーズに基づいた支きゅう決ていのしくみにかえるべきだ。

 

○理由

 「障害程度区分」は身体能力の自立について、あるていど計ることができる区分だった。でも、理解することや決めること・選ぶことの難しさ、あるいは病状のゆれ・なみなどには使えなかった。多くの利用者のニーズが計れないのに、この区分にしばられている自治体は多かった。だから、この区分にこだわるのはやめ、新たなルールでの支きゅう決ていのしくみを考えるべきだ。

 

 

 

 

 

 

論点C-2-2) 「障害程度区分」と連動している支援の必要度及び報酬と国庫負担基準についてどう考えるか?特に、今後の地域移行の展開を考えた際に、24時間の地域でのサポート体制(後述)が必要となるが、そのための財源調整の仕組みをどう考えるか?

○結論

 これを参こうにしようねという基準は、これを守らなければならないという上限に、これまでなんども変わってきた。そのたびに、障害のある人たちは、怒りの声をあげてきた。同じことをくりかえさないためにも、基準をこえる支えんを必要とする人にちゃんと必要な量と質のサービスがとどくための基金を考えるべきだ。

 

 

○理由

 来年の予算はいくらくらいになるかわかっている必要がある。そして、障害のある人の福祉にかかる予算がいくらか、基準がないとわからない、という人がいる。たしかにそういう一面もあるが、それだけが正しいのではない。新法ができてからは、5年か10年の間はたしかに予算は毎年増えるだろう。でも、必要なニーズが満たされたら、予算の伸びはおさまる。高齢者と違い、障害者の数とわりあいは、ほぼ一定だ。90年代に高れい者福祉でゴールドプランを立てたように、どこかで予算を沢山用意して、不十分な地域の障害者福祉の状況をかえる必要がある。

 

 

項目C-3 「選択と決定」(支給決定)プロセスとツール

論点C-3-1) 第3回推進会議では、障害程度区分の廃止とそれに代わる協議・調整による支給決定プロセスのための体制構築についての議論がなされた。これらの点についてどう考えるか?

○結論

 障害程度区分をやめるならば、協議・調整のやり方をしんけんに考えるべきだ。今だって、程度区分だけでは判断できないので、障害者と支援者、自治体が話し合って支給決定している現実がある。区分にかわるものとして、何らかのガイドラインをその地域で定めた上で、それにそって自治体はきめることは十分に可能だ。

 

 

○理由

 先の参考資料(「地域主導による障害者支援プロセスのケーススタディ」研究報告書)をまとめる中で、スウェーデンでもアメリカでもイギリスでもなく、日本でほんとうに協議や調整にもとづいた支給の決定をしていた西宮市のことをしらべた。そして、この仕組みは、よその自治体でも使うことができるしくみだ、とわかった。できない(変えたくない)理由をたくさん言い訳するのではなく、できる理由をひとつ見つけ、やってみる努力をしたいものだ。

 

 

 

論点C-3-2) 「障害程度区分」廃止後の支給決定の仕組みを考える際に、支給決定に当たって必要なツールとしてどのようなものが考えられるか?(ガイドライン、本人中心計画等)

○結論

 ガイドラインや本人中心計画、だけでなく、障害者のエンパワメント支援をする機関や、行政や事ぎょう者から自立した相だん支えん者も必要だ。また、決ていが納得できない場合にはそれを審査してもらう場(不服申立機関)も必要だ。

 

 

 

○理由

 この仕組みについても、参考資料(「地域主導による障害者支援プロセスのケーススタディ」研究報告書)参照。

 

 

 

 

論点C-3-3) 支給決定に当たって自治体担当者のソーシャルワーク機能をどう強化するか?

○結論

 協議・調整のやり方をすすめるためには、自治体の担とう者がきちんと本人のニーズをわかることが必要だ。だから、自治体でその役をする人へのトレーニングは必要だ。ただ、一般的な自治体では2,3年にいちど、自治体の人は仕事がかわる(人事異動)。でも、この障害者福祉では、自治体担とう者にも専門性がもとめられる。だから、ほんとうは福祉の資かく(社会福祉士、精神保健福祉士など)を持っている人がになうべきだ。

 

 

○理由

 お年寄りの介ご保けん制度ができた10年まえは、福祉の人材がまだ十分に育っていなかった。だが、この10年で、福祉の資かくを持っている人はかなりふえた。自治体の職員の中でも、たくさんいる。そういう人が、専もん性を活かして働くことがたいせつだ。また、資かくをもっていない人にも、相だん支えん専もん員のようにトレーニングする仕組みをつくればよい。

 

 

 

 

 

 

 

 

論点C-3-4) 推進会議でも、不服審査機関の重要性が指摘されているが、どのような不服審査やアドボカシーの仕組みが必要と考えられるか?

○結論

 都道府県レベルに一つ、不服審査機関が必要だ。この不服審査機関はあくまでも、決められた支きゅう決ていに納得できない人のための機関である(事後救済機関)。それ以外のアドボカシーの機関は、別に作った方がよい。

 

 

 

○理由

 権利をまもるためのしくみは、いくつかにわかれる。支きゅう決ていに納とくできない人の権利をまもるためには、不服審査機関が必ようだ。だが、それいがいにも、たとえば病院や施せつ、グループホームなどでのぎゃくたいや権利しんがいの相だんの場が必ようだ。また、入院・入所している人の権利をまもるため、病院や施設をおとずれて、そこにいる人の相だんに応じるオンブズマンのような仕くみも必要だ。アメリカでは、不服審査以外の様々な権利をまもる役わりを、一つの公的権利ようご機かん(Protection and Advocacy: P&A)でおこなっている。これは国の法でぎむとお金がつけられ、州ごとにつくられた、行政からどくりつした機かんだ。このような機かんを日本でもつくる必ようがある。

 

 

 

項目C-4 その他

論点C-4-1) 「分野C 「選択と決定」(支給決定)」についてのその他の論点及び意見

○結論

 

 

 

 

○理由

 

 

 

 

 

 

よく楽しみ、よく学ぶ

今日はずいぶんとお早い時間に帰路につくスーパーあずさ新宿行き、である。お供は京都のパンの老舗、志津屋のカルネ。バターたっぷりのフランスパン、というのはダイエットと逆行するのはよくわかるが、たまの贅沢なので、もちろん楽しむ。だって、今日は夕方合気道のお稽古に行くしね。

さて、トルコから帰国後、案の定、溜まった仕事に忙殺される日々だった。だが、いつもの忙殺とは少し質が違う。何というか、めちゃくちゃ忙しいのだけれど、忙しいなりに日々の意味と強度が濃密であり、それを楽しんでいる自分がいる、といえばいいだろうか。少しそのことを考えてみたい。

今も旅の途中なので、手元にないのだが、帰国後すぐに前回のブログで触れた『遠い太鼓』を読み返しはじめた。自分が思っていた以上に、村上春樹という作家が、40歳を目前にして、どんなチャレンジに直面し、それと向き合おうとしているのか、がひしひしとわかる一冊だった。ちょうど僕自身も30代の後半にさしかかり、それなりの障壁にぶつかりながら、次の課題に向かいつつある真っ最中。なので、彼が語りかける心象風景からは、彼のアクチュアルな問題意識をありありと感じることが出来たからかもしれない。他人のためではなく、僕自身のために書かれている、と思わせる内容。村上春樹の世界性って、読者をしていつの間にか「これは僕のための本だ」と納得させる才能だと聞いたことがあるが、今回はまさしくそれを自分事として感じた。

そして、話は急に飛ぶのだが、この本を読んでいても、また今日の旅からの帰りの車窓を眺めていても、「やっぱり引っ越したい」という思いがムクムクと沸き上がってきた。昨日の大阪での仕事の前に訪れた甲子園口の散髪屋で、待ち時間に読んでいたインテリアの本に大いに触発された部分も勿論ある。でも、今日、名古屋から塩尻に向かうしなの号の車窓で、梅雨明けの実に美しい碧と青空、それらの調和した正統的日本の夏の美、に見とれていた。そして、ふと「こういう風景って、山梨にもあるじゃんね」と思い出したのだ。

そう、今は甲府に住んでいるが、別に甲府に拘らなければ、山梨県内には美しい風景が沢山ある。5年前に山梨に住むことが決まった時には、たった2日で決めなければならなかったので、駅に近くてオートロック、という安易な理由で今の場所に決めた。ラッキーにも、大家さんも良くして頂いたので、これまで5年間、引っ越しを考えることもなく、ずっと住んでいた。でも、鉄筋コンクリートの3階建ての3階で、かつ恐ろしく風通しが悪いと、夏の暑さは地獄である。しかも、ようやく自然を楽しむ心持ちも芽生えて来た。ならば、そろそろ別のご縁を探してみてもいいかな、と考え始めたのだ。

引っ越したい、という思い。あるいは、村上春樹に同期する心。共通しているのは、今、心も身体も、動き始めている、ということである。そして、体重も。

おかげさまで、最近お会いする多くの方に、随分痩せたね、と言われる。昨日も昔からの仲間に言われたし、今朝は実家で風呂上がりに親にしみじみ言われた。半年前に80キロを超えていて、今朝計ったら70.3キロだったので、まさにその通り。お腹と首周りの贅肉がごっそり落ちたので、ズボンは2~3サイズのダウンで買い直し、Yシャツはちゃんと首元が閉まるようになってきた。ちょうど先週火曜日の合気道の昇級試験の後、先生からも「随分痩せられたけど、身体の調子は大丈夫なんですよね?」とも聞かれた。それに対して、こんな風に答えていた。

「もちろん、低炭水化物ダイエットをしただけですので、健康的に痩せられました。でも、何より1年前に合気道を始めて、体重を減らす準備が整ってきたから、痩せてきたような気がします」

ダイエットに合気道、そして内面の変容。これらは自分の中では一貫している。

合気道を1年前に始めて、当初は続くかどうか、半信半疑だった。でも、誰からも先生とは言わない、つまりは社会的立場や役割から切り離された場で、最初はさっぱりわからず、何も出来なかった状態から、少しずつ出来ることが増え始め、身体能力が活性化されていくのが身に浸みて感じられる。毎週バンバン投げられる中で、身体の強ばりのようなものが薄れていって、それと共に心の強ばりというか、魂の外皮の過剰防衛も少しずつ、減らし始めた。その中で、考え方を変えたいという欲望が生まれ始め、1月に主治医の漢方医に低炭水化物ダイエットを紹介された時、突破口の光明が見えたような気がした。そして、体重が実際に下がり始めることを、NHKの「ためしてガッテン」ダイエット本の薦める「計るだけダイエット」のグラフに落としていった時、文字通りその成果が見えてきた。やれば、できる。この単純な直感が、今までやらなくて、できなかった、諦めてみた、どうせ無理と決めつけていた様々な領域をもう一度見直すことを、自分自身に迫った。それが結果として、今年の春の香港の旅以後の内面意識の編成と、様々な「新たなつながり」へと導かれていった。、

これまでの自分は、出来ないことの言い訳を沢山考えていた。だが、1の出来る可能性に賭ける人生を歩み始めた時、目の前の景色が、全く違った瑞々しさと鮮やかさをもって、立ち現れてきた。それは、活字であれ、他人のストーリーであれ、全く同様。つまり、自分の中のリテラシー、感受性、聞きとり能力、体感力…といったレセプターが全て、すこーんと蓋が取れたように解放され、多様な何かが突如として見え始め、感じ始めることが出来たのだ。あたかもそれは、2,3色だと信じていた虹色が突如7色やそれ以上に見え始めた、という喩えがぴったりなのかもしれない。

この変容に立ち会ってくださったF先生からは、「発病しないように気を付けてください」と言われた。確かに、春先は、かなり混乱することもあった。ブログも膨大な量を書き続け、M先生からは「最近は長すぎて最後まで読めないよ」と言われたが、それは文体にその変成途上の何かが立ち現れていたのかもしれない。でも、その混乱時期は何とか乗り越えると、今度は自分の中で「やりたいこと」が突如としてムクムクと立ち現れた。少し前のブログで整理したが、「出来ること」「世間に求められていること」を意識し、対象化することが出来たからこそ、その二つと混ざっていた「やりたいこと」がすっと前景化しはじめたのかもしれない。〆切を延ばしてもらって格闘してきた論文も、「書きたいこと」と素直に向き合ったものだし、今夕の合気道も「やりたいこと」そのもの。そして、引っ越しだって、優先順位の高い「してみたいこと」として、前景化している。これは、自分の心や身体の変性過程と実にシンクロしているのだ。

もちろん、一回で書きたいことは書ききれていないし、合気道だってまだまだ下手っぴで、昇級試験の際は「二挙」に手こずって先生で後で注意された。引っ越しだって、これから物件探しなので、すぐに決まるかどうかなんてわからない。でも、肝心なのは、自分で勝手に「無理だ」「ダメだ」「どうせ」と線引きするのではなく、「どうしたら可能なのか」をワクワクして考えることによって、未来を切り開いていくということ。以前からそうしたい、と思っていたけれど、今それが出来る魂が少しずつ、自分の中に育まれてきた。関わっている国の委員会はまさに難局にさしかかっているけれど、大事なのはこの「希望」をまず僕自身が持ち続けることだと思う。一見、稚拙な決意表明のように見られるかも知れないが、難局の打破は、結局その気持ちからしか始まらないと思う。

イスタンブールでは、学会の時間はみっちり学び、空いた時間にみっちり遊んで楽しんだ。仕事モードでは濃度と強度、効率性を、そして趣味モードでは完全に楽しみを、追い求められる身と心になってきた。だからこそ、それを日本でも実現したい。そう思い始めた三連休中日であった。

トンネルの向こう側に

結局飛行機は2時間遅れでイスタンブールから成田に帰ってきた。

今回、房総半島から成田空港への着陸途上の風景を見ていて、改めて日本の緑の多さが目に付いた。イスタンブールだってもちろん緑はあった。だが、なんと言ったらいいのだろう、その緑の濃さが、断然日本の方が多いし、また緑の割合も、特に水田があるからだろう、日本の方が目立つのだ。蒸し暑いのは少しぐったりだけれど、緑の多さと瑞々しさは、日本特有のものなのかもしれない。あ、今、車窓で出会ったあじさいも。

今、成田エクスプレスの中でPCを開いている。毎度のこと、出張からの帰りは列車の中でPCを叩いているような気がするのだが、今回の大きな変化は列車が新しくなった事で、モバイル環境も整ったこと。また、NEX車内では民主党の過半数割れを伝えるニュースもやっている。つまり、以前に比べて情報の入力量が車内であっても格段に増えたのだ。ということは、まだ帰国して2時間程度なのだが、すっかり異化作用された何かは失われつつある。というわけで、今回の旅の間に書いてきた心象風景の最終回は、忘れないうちに新宿に着くまでに書き留めておきたい。

イスタンブールでは、時間があれば散歩をしていた。お気に入りのコースは、ペラ地域のホテルを出て、テュネルを使わずに坂道をテクテク歩きながら降りていき、ガラタ棟の側を通って海沿いまで下り、ガラタ橋で魚釣りをしている人を眺めながら、向かい側のエジプシャンバザールまで出かけて帰ってくるコース。だいたい小一時間くらい。帰りは、テュネルの駅前で1TL出してその場で絞ってくれるオレンジジュースをごくごく飲んで、元気があれば歩いて、疲れていればテュネルで上まであがるコース。

このテュネルとは、ガイドブックによれば世界で一番距離の短い地下鉄。ま、雰囲気は地下鉄というよりケーブルカーに近い感じ。急勾配のところを3分ほどで駆け上がる(下りる)、10分間隔で運行されている路線。

トルコ最終日の朝もちょうどテュネルに乗った。イスタンブールの風景を目に焼き付けようと朝から出かけ、アヤソフィアやボスポラス海峡も遠くに眺めてから、いつものように駅までオレンジジュースを飲む。ちょっと疲れていたからテュネルに乗ろうとしたら、目の前でちょうど行ってしまったところ。10分ほど待ちぼうけになった。一瞬、乗り過ごすなんて、という日本の急ぎ足モードでいらっとしかけたが、ちょっと待てよ、旅先なんだし、と思い直し、ぼんやりテュネルの座席に座っていた。

その時、トンネルの入り口にいて、いろんな事が浮かんできた。確かにトンネルとは、A地点とB地点を物理的に結ぶものである。今回の場合なら、ガラダ橋とペラ地域を結んでいる。だが、暗い通路を経て異なる何かを結ぶ役割とメタレベルで捉えたらどうだろう。

大学一年生の冬、アパシー状態になっていて、自分の無力さにほとほと打ちのめされて、何故か高野山への一日旅行に出かけた事がある。真冬のさむーい高野山の宝物館でぼんやり曼荼羅を眺める、という怪しい旅をしていたのだが、その時思い起こしたのは、行きの南海電車の風景だった。ガラガラの車内で、宅地も見えなくなり、トンネルをくぐりながら、極楽橋に向けてどんどん登っていく。その中で、何というか、いろいろな世俗的なことから切り離されていくような感覚を持っていた。たぶんお遍路さんなども、そういう身体感覚を持っているのではないか、と思う。そして、切り離された後で、高野山という「異国」を潜った直後から、いろんなご縁もあって、様々な局面がダイナミックに動き始めたことを思い出していた。

トンネルは、AとBをつなぐもの。普通は両者に土地が入るのだが、ある種の心理状態で、ある種のトンネルを潜ると、それは過去と未来、諦めと希望、恐れと期待、あなたとわたし、わたしと世界・・・など、いろいろなものを繋ぐバイパスになりうるのではないか、と感じた。そういえば文学作品でも、トンネルや井戸などが、異世界への通路として象徴的に書かれている作品が多い。村上春樹などはその代表例のような気がする。

あと、村上春樹と言えば、「遠い太鼓」という作品を思い出していた。彼は、ヨーロッパ各地で住まいを変えながら、長編小説である「ノルウェーの森」「ダンス・ダンス・ダンス」などを書き続けていた。その時の旅行記が「遠い太鼓」である。僕は、彼の小説と同程度にエッセイも好きなのだが、特に一冊を挙げるとしたら、この「遠い太鼓」だろう。今までになんども読み直した。

今回「遠い太鼓」をイスタンブールで思い出したのは、なぜ彼が日本という場を離れて長編小説を書いていたのか、ということ(の理由の一端)が、わかったような気がしたからだ。あの本のテイストは、心温まる旅行記、というより、村上春樹という一人の人間の内面の旅模様の部分が多分にある。太宰治の「津軽」とはテイストは全く違うけれど、ある種、同質の、旅先の風景に仮託して、自分の中の内界と外界を明らかにしていく作品。そういう風に思えてきたのだ。

前回のブログにも書いたが、異国で、仕事を持たずにいるということは、「世間から求められていること」がない状態である、ということだ。これは自ずから「やりたいこと」「できること」だけと向き合うことを意味する。はっきり言って、この状態は、特にアイデンティティが固まっていない段階では、結構きつい。僕は以前、調査で5ヶ月スウェーデンに住んでいたが、その時も「世間で求められていること」から離れていたので、自分の「やりたいこと」「できること」と真正面から向き合わざるを得ず、特に最初の2ヶ月ほどはホントにしんどかった。ついでに書くと、実はかつてトルコの大地震の後、神戸からの義捐金を携えたチームの端くれとしてトルコに行った事もあるのだが、その時も「できること」が全くない己を深く恥じて、ボロボロになっていた。

話がえらく脱線していったが、結局、異国でのチャレンジとは、トンネルを通過するように、周り(=世間)から隔絶された、己との対話の部分が大きい。だから、リスクも大きくて、夏目漱石ですら、神経衰弱になった程である。でも、このトンネルをとにもかくにも抜けることによって、時として、何らかのブレークスルーが生じる。それこそ、何らかの創発を産み出すものであるし、潜る以前とは違う自分の誕生にもつながるのかもしれない。

今回のトルコでは、学会での出会いや学び、気付きも大変多かったのだが、むしろトンネルを潜ろうとしている自分がいるのだ、とテュネルに乗っていて、ふと気づいた。このトンネルから出た先に、どんな風景が待っているのか、それはわからない。でも、7年前のスウェーデンでも、11年前のトルコでも味わえなかった、トンネルの先への期待を、今、持ち始めている。このことだけは、日本の雑踏にまみれる前に、書いておきたかった。

一年前の自分に向けて

アタチュルク国際空港の飛行機待ちの間に、今回の旅を振り返る。旅の途中で大雨が降る日もあったが、来た日と帰る日は快晴。しかも、来たときよりも心は晴れやかになっている。その理由を、少し書いてみたい。

異国に来るといつも自分自身の内面について深く考える。日本語や日本文化、日本の慣習など、身体化された「当たり前」から、否応なく切り離される。思い通りにいかないこと、予想もつかないことが起こる。タクシーでふっかけられる、おつりがうまく帰って来ない、目の前の電車に乗れない、今わかったのだが飛行機が一時間遅れる事になった…。どうしようもない大小様々なトラブルが、当たり前の場所でないからこそ、次々に起こりやすい。そして、その処理の仕方も、日常のようなソフィスティケイトされたやり方で解決はできない。原始的に、ごつごつあちこちに当たりながら、何とかすり抜けていくしかない。非常に面倒だし、くたびれる。

でも、そういう異化作用があるからこそ、自分のコアな性格や生き方の癖みたいなものと否応なくも出会うことになる。実は、うんざりするのは、目の前のトラブルもだけれど、そのトラブルに際して普段よりもはっきりと、嫌な部分も含めて自分自身のリアルな実像と否応なく向き合うことに対してであろう。今回も、うんざりすることがなかったといえば嘘になる。だが、以前より少しはうまくつきあえるようになってきたことがわかる。それは、ある意味で自分が解き放たれていく過程でもあった。

例えば国際学会での出来事。いままで5回も発表しているのに、いま一つ学会の意義や意味を理解していなかった。毎度ひどい英語の発表に呆れるだけでなく、自分自身がそこに時間を投じる意味もよくわからず、前回書いたように壁の花になり、結局何のために来ているのかわからずガッカリして帰ることが多かった。だが、ようやく今回のトルコあたりから、自分が何を求めてその国際学会に来ているのか、を意識出来るようになってきた。また、その場で自分には何ができ、発表では何が求められ、自分のやりたいこととどうつなげたらよいか、もおぼろげながらわかってきた。つまり、学会という旅の歩み方をようやく理解出来るようになったのだ。相変わらず、駄馬はのろま、です。

でも、遅々とした歩みだけれど、気づいたことがある。それは、旅をし続ければ、旅を通じて考え続ければ、遅まきながら変化するポイントに巡り会える、ということだ。少し前のブログで「やりたいこと」「できること」「世間に求められていること」の3つの意識化が大切だと引用したが、異国や国際学会という誰にも「求められていること」がないところに身を放り投げるからこそ、自らの「やりたいこと」「できること」がクリアに見えてくるのである。

前回の春の香港では、プライベートな旅だったこともあり、人間たけばたひろし、の本質的なところと、図らずも向き合う旅になった。今回のトルコは、学会発表の為の旅ということもあり、研究者として自分は何を「やりたい」のか、現時点では何が「できること」であり、何ができないことなのか、が、よくわかった。そして、自分の内面をきちんと理解することができたことによって、余計な防御的反応から自由になり、いろいろな他の参加者に話しかけ、それぞれのストーリーに耳を傾けてみよう、という余裕ができてきた。つまり、己に余裕が少しだけ出てきたからこそ、国際学会において他者と対話出来る余裕が生まれてきた。つまりは、今まで学会がつまらなかったのは、自分自身がそれだけの器量しかなかった、楽しめる器になっていなかったから、であるのだ。

こういう自らの恥まで公共の場で書き連ねるのは愚かしいことかもしれない。でも、僕自身はこういう事を教えてくれる先輩もおらず、ずっと悩み続けてきた。だからこそ、自分が気づいたことは、少しでも書き残しておきたい、と思う。一年前、二年前の自分のような迷える子羊に伝えたいのだ。「ぶつかり続ければ、いつかは光が見えることもあるよ」って。

相手に届ける努力

海外にいると、自分の立ち位置を改めてリフレクションする事が多い。今回のトルコ滞在中も、いろんなエピソードからそう感じる。

例えば、今朝はテクテク散歩をしていた。向かった先は、ガダラ橋を超えて、エジプトバザールの方向。アテもなく、とにかく歩いていく。ちょうど専門店街の開店準備の真っ直中を歩いていたのだが、これが楽しい。何が楽しいって、朝のすがすがしい空気の中で、人びとが今から活動するための準備をしている所を通り過ぎていくのが、何とも気持ちよい。商売が始まったら決してみせることはない、よそ行きでない日常の顔。そういえばこの雰囲気は、昔NGOの関係で訪れたタイ・ノンカイの市場の朝の風景に似ている。なるほど、あれとこれを比較出来るようになったら、そのあれと比較するなかでのこれの意味づけがわかるようになるのですね。と、自分の理解の幅が拡がっているのを感じる。だてに年を重ねるのは悪くない。

で、あれことこれの比較で言うと、昨日の学会懇親会で、ある大物の先生と話していた際、「学会で多くの聴衆を引きつける発表のコツは何ですか」と伺うと、「一つではなく、二つ以上の事例を出すこと」と仰っていたのも、興味深い。僕自身、学会発表の時はこれまで、自分が関わった一つの事例について「こんなに面白い(大切・課題・重要…)なんですと強調したが、なかなか伝わらず、がっかりして帰ることばかりだった。だが、それは、実は聴き手のことを無視した独りよがりかもしれないのだ。

どういうことか。国際学会で、学際性が高いほど、ある一つの事象、一つの切り口で伝えようとしても、その前提を共有しない聴き手には、ただの事例発表にしか聞こえない。それは「なるほど、その問題は大変(大切・課題)ね」という知識レベルの理解にはつながっても、「面白い」とか「重要だ」といった個々人の興味関心や、もっと言えば魂に響くような発表にはならない。それ以前に、自分が相手に本当に伝えようという気持ちなら、その聴き手の対象像をもう少し明確に意識して、届く何かを伝えようと努力する必要がある。それさえ、今までの自分にはなかった。

で、もし効果的に何かを届けようとするなら、比較の軸は大切ですよ、というのが、件の先生の経験値の伝えるところ。つまり、「あれ」だけなら、何が重要で面白いのか力んでいわれてもよくわからないことでも、「これ」との比較なら、聴き手にだって際だって理解出来る。その輪郭を掴める。あわよくば、その中から面白さがじんわりと伝わってくる、ということだ。そして、そう書いていて気づいた。この助言は、確か昨年台湾の学会で、同じ先生から聞いたのだ、と。その時は日本語で聞き、今回はアメリカ人と3人でオシャベリする中で英語で聞いたから忘れていたけど、確か今復旧途上にあるこのブログにも書いた、と今、書きながら思い出す始末。

でも、今回はその助言を忠実に守って!?カリフォルニアと大阪、アドボカシーとサービス提供、といった幾つかの二項対立軸を持ってくるつもり。その方が、他の文化圏の人びとに届きやすいと、改めて感じる。ただ勿論、二項対立というのは、それ以外の多様性を切り捨てるものである、そういう抽象=捨象の結果の延長線上にあることを、よーく肝に銘じておかなければならない。この点を踏み外すと、大変ペラペラな発表になる。表層的でない、かつクリアカットな発表、という、一見相矛盾するようなことを両立するにはどうしたらいいか。土曜の発表なので、明日ももう少し悩んで改善してみようと思う。

懇親会における世界旅行

めるはば♪

竹端@すっかりイスタンブール、です。

アメリカに行くときは14時間の時差に苦しむのですが、6時間の時差も、西に向かうときはそんなにしんどくないですね。昨日もよく眠れ、今日も学会とサイトシーイングの双方で、かなり充実した一日でした。ちなみに、今は現地時間の七夕様の日付変更線ちょっと超える前、です。

1年前の学会で大きくこけた、という話を前回のエントリーで書いた。その時、「壁の花」ということについて、書いておいたが触れなかったので、その話をしたい。

「壁の花」。これは名著「「英語のバカヤロー! ~『英語の壁』に挑んだ12人の日本人~ 」(泰文堂)で知ったフレーズ。ナショナルで、インターナショナルで、名をなした人びとが、いかに英語と格闘したか、という逸話。著名な研究者でも、国際学会の懇親会で、誰も話をする人がおらず、壁際でひっそりと飲み物を飲んでいた、つまりは「壁の花」状態だった、というエピソードが載っている。そして、そのことは、過去3回の学会発表でも強く意識したことだった。顔なじみはいないし、なんだか阻害されているようだし、結局俺って「壁の花」だよなぁ、と。

今回の学会でも、懇親会ではやっぱり「壁の花」になるのではないか、と危惧していた。だが、結果的には、いろいろな人と沢山の話をできた。その大きな違いは何か。それは、周りの人の配慮ではなく、簡単に言えば自分の気の持ちよう。もう少しそれなりに言えば、いかに上手な聴き手になるか、である。今日の実感から、少しそのことに触れてみよう。

今回の学会でも、日本人研究者の数名をのぞいては、知り合いの全くいない学会だった。そして、懇親会が今日の夕方あったのだが、当然最初から「やあ、こんにちわ。ごぶさたしております」なんて言う人はほとんどおらず。さて、どうしたものか、と戸惑っていた。ちなみに、今までならそういう懇親会は全くエスケープしている自分であった。

だが、何だかこの春からそういう選択肢は逆に自分の何かを狭めている、狭隘な自己の肯定のような気もしていた。だから、今日は懇親会で自分がどう変われるか、を試してみた。たいそうな事を言っているが、実践は簡単。ナンパ、よろしく、目があった人、同じテーブルについた人に、「こんにちわ。日本から来たタケバタといいます。そちらはどちらのお国から? 何の研究をしておられるのですか?」という質問をしてみたのだ。これが、単純だが、どんぴしゃり。おかげで、実に多くのストーリーに耳を傾けることができた。

今日偶然お目にかかって聞いたストーリーは、アメリカのユダヤコミュニティとイスラエルのアラブコミュニティの和解、アルメニアにおける汚職文化の変容、マレーシアの若者教育、スリランカの開発経済、アルゼンチンの市民活動、イギリス・日本・イタリアのNPOの違い、国際的な人権条約と人身売買の実態の解離…一見とりとめのない話だが、どれも今日出席している「サードセクター」というキーワードで共通している。そして、たまたま僕が話を伺った人に共通しているだけかもしれないが、「現状に満足しない」「何とかかえられないか」という共通軸を持っていることが、話を伺っていて、よくわかった。そして、その共通軸に沿いながらこちらがよい聴き手になろうと努めると、実に興味深いストーリーを沢山聞くことができるのだ。つまり、たった2時間の懇親会で、世界旅行したかのように、色々なストーリーに耳を傾けられるのだ。

まあ、それはよく考えれば当たり前で、研究者の集まりなのだから、自分の話を聞いて欲しいと思う人の集まりなのだ。で、その場の盲点は、あなたの話を聞きたい、と僕が思うかどうか、ということ。みんな、自分の話を聞いてもらいたい人が多いが、他者の話を聞きたい人がどれだけいるか、という事が問題なのだ。だからこそ、僕のような英語がかなりブロークンなバッドリスナーでも、「その話、もうちょっと聞かせて」とお願いすると、たった二時間で即席世界旅行になるくらい、沢山のストーリーと出会えたのだ。ま、これは「国際サードセクター学会」という、学際的な研究の場だから可能になった部分は多分にあると思うが…。

なにはともあれ、人種を問わずに聴き続ける世界旅行に興じたので、今日はすごく充実した一日だった。明日以後も、懇親会以外でも世界旅行を続けよう、と思う。まだ見ぬ世界はあまりに多い。でも、自分で実践・経験できる場は、ごく限られている。だからこそ、この世界旅行という名の他人の成果から学ぶチャンスは、本当にまたとないチャンスだ。今まで、そのチャンスに気づけなく無駄に落ち込んでいた日々があるからこそ、それをきっちり取り戻したい。そう思うトルコの夜更けであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

海外学会発表を成功させる8箇条

来週はトルコで学会発表。その前に、〆切を延ばして貰った日本語論文と、学会発表のためのパワポ作りが全然終わっていない。英語の発表に際して、その学会では丁寧に口頭発表における8箇条を示してくれている。結構この8箇条がピッタリ当てはまる。日本語に抄訳してみたら、こんな感じだ(いや、その前に仕事しろよ・・・と突っ込まれそうだが)
1,原稿をそのまま読んではいけません。多くの聞き手は、大急ぎのフルペーパー棒読みではなく、鍵となるアイデアに焦点化した発表を求めています。
2,聞き手はあなたの論文の概要を読んで、そのセッションに参加しようと決めたのですから、その概要と口頭発表にどのような関わりがあるのか、を明らかにしてください
3,まずあなたの発表の全体を要約した上で、聞き手が原稿全体を読んでみたいな、と思わせるような一部分を切り取って、発表してください
4,読みやすくて大きい表示のパワーポイントなら、聞き手の理解を助けるでしょう。2,3分で一枚と考えて、5~7枚くらいのスライドを作るのが妥当でしょう。
5,25部から40部くらいのパワポの資料を印刷して持ってきてください。
6,会議に出る前、何度か発表練習してからお越し下さい。
7,時間は守りましょう
8,質問に答えられるように準備しておきましょう
この8つは、実に簡潔にして的を得ている。1の前半や2は基本として、興味深いのが3の視点だ。メッセージや内容を作る事に必死の伝え手の場合、20分なのに全部を伝えようとする。だから、4にも関わるのだが、20分発表なのにパワーポイント30枚、などというあり得ない構成になっていて、時間切れになる。書かれているように、だいたいパワポは2,3分で一枚と考えるのが妥当なので、早口の僕だって日本語での講演でも1時間なら20~25枚程度に収めている。そういえば、某K先生などのように、パワポの資料は50枚ほどあって、2時間講演なのに、実際に使ったパワポは数枚、という大物もいるが、あくまでもそれは超越した人のみに許される特権(笑)。
3に戻ると、母国語話者の間で講演する時も、その分野にどれほど通底しているか、によって、切り取り方は違う。専門家や玄人向きでない発表では、かなり切り取って分かりやすく焦点化しないと、伝わらない。今回は専門家向け、と言っても、文化の異なる人々の集まりで、かつサードセクター学会なので、バックボーンも政治学・社会学・行政学・都市工学…とまさに多種多様。であれば、なおさらのこと、1の後半に触れているように、「鍵となるアイデアに焦点化した発表」をするからこそ、他の領域の人が聴いても、「それはうちの領域で言えば、こうも言えるのではないか」といった学際的な議論に発展するのである。
なんて訳知り顔で言っているが、僕もこの2年間で3回の学会発表して、手痛い思いを色々してきた試行錯誤の経験があるからこそ、この8箇条は痛切に身に染みる。これまで海外学会の口頭発表は5回した、ことになっている。経歴詐称でなく、事実である。でも一回目と二回目は大阪と神戸で開かれたし、一回目は院生の頃で発表するだけで必死、二回目の時など誰も非日本語話者が来なかったので、英語のパワポを使って日本語で話した、という寂しい履歴がある。なので、研究者になってからの発表は、2年前の台湾、昨年のイギリスと台湾、の計3回、なのだが、これが見事に大外れ+壁の花、状態だった。
何が大外れ、って、「聞き手は何を求めているか」についての視点が全く欠けていたのである。こちらはとにかく「英語表する」という事に必死になり、「英語『で伝えたい何かを』発表する」という気持ちに欠けていた。いや、正確に言うと、リスナーを普段の日本の学会発表や講演の層と勘違いしていたので、異文化・違うディッシプリンの人にどうすれば『伝えたい何か』が伝わるか、を考えていなかったのである。だから、日本国の障害福祉分野の、さらには極小の事例発表で終わり、so what?(ほんで、なんなん?)という発表になっていたのだ。これは、僕だけでなく、少なからぬ発表者に共通する問題点でもあった。
この大ハズレは、最初は英語が下手だから、と勘違いしていた。だが、2度3度、発表しては大失敗、を繰り返す内に、単に英語の語彙や表現力の問題ではなく、「切り取り方」の戦略ミスである、とようやく気づいた次第である。つまり、先の8箇条のガイドラインに戻るなら、「鍵となるアイデア」ではなく「事例紹介」に焦点化してあるから、その説明だけで時間が経ち、本質まで至らないのだ。具体的な事実からでも、ある程度抽象度を高めた理論なり概念なりに引きつけた話なら、他文化・他分野の人の眼鏡に引きつけて、「そう言えば自分の領域では」と考えられる。でも、相手の眼鏡に開かれた発表でなければ、自分にとっては自家薬籠中のものであっても、伝え手の自己満足の殻から抜け出して、聞き手のinterestにまで届かないのである。
いつものように付け焼き刃的発表なので、6や8にまでは手が回らない。でも、少なくとも肝心の「鍵となるアイデアの切り取りと焦点化」だけは、明後日までに果たしておくとしよう。