2023年の三題噺

毎年恒例の、大晦日に書く、今年一年を振り返っての三題噺。書きながら、三つのテーマで今年を振り返ってみる。

1,5冊目の本があっという間に出来てしまう&凱風館に入門する

10月にぼく自身の5冊目の単著である『ケアしケアされ、生きていく』(ちくまプリマ—新書)を上梓した。前の本『家族は他人、じゃあどうする? 子育ては親の育ち直し』を書き上げたのは、2022年7月。前著を書き上げるまでに、2,3年かかった。初めてのエッセイで、初めてのケア本で、自分と家族の話題を書くのにどういうフレームや文体にしたら良いのか、を試行錯誤し続けてきた。だから、4冊目を書き上げた後、次の単著は数年後になるだろうな、とぼんやり思っていた。でも、今年の初めから、話が急展開する(そのことは本の後書きに書いたが、ちょっとそれを膨らませてここに書く。)

きっかけは、昨年秋から通い始めた整体の無形庵だった。もともと、内田樹先生がツイッターで、姫路で開業する三軸修正法の門人のお祝いに駆けつけ現地を訪れた、と書かれていたツイートを覚えていた。それで、昨年から通いはじめたのだ。その中で、山本さんに勧められて、ファスティングにも成功したことは、去年の三題噺にも書いた。今年も一年、朝は野菜ジュースのみにする生活を続けたら、体重は大学時代の72キロ代を維持できている。これは本当にありがたい。

で、その無形庵の山本さんと、毎週のように施術を受けつつ合気道や内田先生の話で盛り上がっているうちに、1月に梅田で開かれる、友人の青木真兵さんと内田先生の対談イベントに行きませんか?と誘われた。ちょうどセンター試験監督から外れたので、これ幸いに、と出かけ、内田先生にも拙著をお渡しする、というご縁が出来た。終わったあと、内田先生や凱風館の関係者の皆さんが夕食を食べに行く群れに混ぜてもらった。そして、その帰り道に、無形庵の設計も担当した建築家の光嶋裕介さんと芦屋までの20分弱、めっちゃ話し込む。それがおもろかったので拙著を3冊送ると、光嶋さんからもご著書3冊が送られてきた。で、そのうちの一冊である『建築という対話』(ちくまプリマ—新書)が面白かったので、ブログに書いた

そしてブログに書いた後、光嶋さんのパートナーの永山春菜さんが家から30分の場所で、合気道高砂道場を主催されていると知り、2月に娘を連れて体験に伺う。小学生になったら、娘と一緒に合気道に行きたいと思っていたのだ。一緒にお稽古してみて、びっくり。永山さんの所作と技の美しさに惚れ惚れしてしまった。こういう合気道を、娘に身につけてもらいたい、と心から思った。そして、お話をしているうちに、どうせなら僕も凱風館に籍を移し、娘と一緒に学びたいと強く思うようになった。

そして、その体験稽古が終わった後、光嶋さんから「ちくまの編集者に竹端さんのブログ記事を送ったらすごく喜んでくれて、『ケア論を書いてもらう著者を探していた』と言っていたから、声がかかるかも」と言われて、帰宅してみたら、まさにそのタイミングで、筑摩書房の編集者、鶴見さんから「はじめまして」のメールを頂く。こんなことってあるんだろうか、と思うくらいの絶妙なタイミング。そこで、2月中頃にZoomでお目にかかって、妄想たっぷりの話を鶴見さんに聞いてもらい、それを目次案にして頂いて、それを手に入れた内容+「はじめに」に当たる部分を書き上げたのが2月末、編集会議が通って正式にGoサインが出たのが、3月下旬。8万字で4章立てだったので、一章2万字なら一月一章で書けるかも、と思って書き出したら、本当に毎月一章ずつ書き上げていく。すると7月頭に、「どうせならこのまま10月に出してしまいませんか?」と言われ、この流れに乗った方が良いと思い、7月には4章まで書き上げ、7月末にはゲラが届き、8月半ばに「おわりに」と「あとがき」を書いて、10月には書店に並んでいた。

その間、4月には凱風館に僕も入門し、稽古し始める。本当に、頭を打つというか、ゲシュタルトの崩壊というか、これまで学んできたことを身をもってアンラーン=学びほぐしている。今までいかに力んでいたか、力尽くで無理矢理相手を倒そうとしていたか、を嫌と言うほど指摘される。でも、厳しい場ではない。女性の有段者も多いので、皆さんしなやかで竹のようにやわらかく、弾性のある技をされる。僕はゴチゴチの硬さなので、全然違う。だからこそ、凱風館で学び直す意義や価値がある、とめっちゃ感じながら、通い続けている。

2,娘と親の移行期混乱

3月にはこども園の親子ミュージカルも無事終え、こども園を卒業した(そのときのことはブログに書いた)。4月からは近所の公立小学校に通うことになった。その後、大きな移行期混乱に遭遇する。

なにせ、これまで遊びが中心で、サッカーやハンターなど身体を思いっきり動かしていた娘が、毎日5時間目まで、座って勉強し続けなければならない。それが文字通りの価値転換である。その上、こども園時代と違って、39人の詰めつめの教室で、先生が一人、というのも、集団保育が原則で色々な先生が関わってくれたこども園と大きく異なる。そして、柔軟にダイナミックに活動をしていた私立のこども園から、ルールや規則が定まった公立小学校に移行する。実は、父親の方がそれにうまくついて行けないのではないか、とオロオロ・ハラハラしていた。のだが・・・

娘は、有り難いことに、毎日楽しく出かけてくれている。登校班にもなじんで、上級生のお兄ちゃん、お姉ちゃんの輪の中にも入っている。学校でもお友達が出来たようで、わいわいやっている様子を、学校から帰ったら教えてくれる。教科では、絵本を読み続けてきたので国語は得意だけれど、数の概念を頭に入れるのに時間がかかり、算数は手こずる。ただ、それもこども園時代のパパ友が、別の小学校の先生だったので、算数のアシストのコツを教わると、少しずつ、娘も算数がなじんできた。今でも算数の宿題に手こずることはあるが、なんとか出来ている。なにより、「そんなに嫌なら宿題しなくてもいいよ」と言うと、「するー!!!!!」と絶叫してやり遂げようとされる。それがなんだかすごいな、と思って見守っている。

3,表現の場や可能性が広がる

ケアの本を去年と今年に書き、自分自身の表現の場や可能性が、少しずつ広がっているように思う。最近では、ケアに関する原稿依頼も増えてきたし、先月から、Voicyの方に声をかけられ、僕も毎朝しゃべるようになった。このVoicyのチャンネルは、「モヤモヤ対話へようこそ! ケアと福祉と社会のあいだ」と名付ける。そして、開始する際に決めた方針は、「わかりやすい・白黒を明確にする話をしない」「モヤモヤを辿るようにしゃべる」「台本を書かずに、一つのキーワードだけで10分喋りきる」「日常業務に差し障りないように、起き抜けに収録し終える」「お題に一ひねり加える」あたりだろうか。収録の10分という尺は、ブログよりは短いけど、ツイッターは10ツイート分くらいはありそう。そういう時間で、毎日しゃべるので、朝・あるいは前の晩に思い浮かんだキーワードで、とりあえずしゃべり始める。うまくいっても、うまくいかなくても、取り直しはせず、一発取りでそのまま流す。そういう風にして、継続してしゃべり続けると、今までと違う間口が広がるのではないか、と思い始めている。

あと、オンライン読書会は沢山していた。たぶん7つくらいしている(来月だけで、読書会で読む本の締め切りが7つ並んでいる)。結構きつい。でも、そうやって締め切りがあるからこそ、仲間と読むからこそ、読み切れる本が沢山ある。最近、このブログはほぼ書評ブログになっているが、それは読書会で読み続けてきた本がネタ本になることがほとんどである。そうやって、他者との対話の中で、本の読みが深まるし、深まることによって、見えてくる世界も広がっているように思う。

そのうちの一つ、2月から始めた「生きるためのファンタジーの会」が超絶面白い。若い友人、青木海青子さん・真兵さんと、現代書館の編集者の向山さんと共に、毎月海青子さんが選んだ一冊のファンタジーを元に、ポッドキャスト「オムラヂ」でおしゃべりし続ける、という企画。そのうち書籍化を考えているのだが、これは仕事ではなく、ほんまに趣味として面白い。ファンタジーなき男だった僕が、ファンタジーと出会い直し、その世界を3人と語り合いながら、どっぷりと深めていく企画。毎回、同じ話を元に、どんな風にお互いが読み合ったのか、を語るのが超絶面白い。毎回1時間以上と話が長くなるのだが、よかったら「モモ」編と「ゲド戦記」編を聞いてみてくださいませ。

というわけで、色々あったけど、ものすごく充実した一年でございました。来年もよい一年になりますように。そして、みなさん、よいお年をお迎えください。

投稿者: 竹端 寛

竹端寛(たけばたひろし) 兵庫県立大学環境人間学部准教授。現場(福祉、地域、学生)とのダイアローグの中からオモロイ何かを模索しようとする、産婆術的触媒と社会学者の兼業。 大阪大学人間科学部、同大学院人間科学研究科博士課程修了。博士(人間科学)。山梨学院大学法学部政治行政学科教授を経て、2018年4月から現職。専門は福祉社会学、社会福祉学。日々のつぶやきは、ツイッターtakebataにて。 コメントもリプライもありませんので、何かあればbataあっとまーくshse.u-hyogo.ac.jpへ。