エピファニーと自己物語

自分自身に関する・開かれた、アカデミックな文体や論理で語る自己物語。直訳するとそんな感じになる『オートエスノグラフィー:質的研究を再考し、表現するための実践ガイド』(新曜社)という解説書を読んだ。その中で興味深かった内容を、オートエスノグラフィックに紹介したい。

「オートエスノグラファーは、エピファニーについても書く。それは、私たちを変化させ、自らの生に疑問を抱かせる、驚くべき、日常からかけ離れた、人生を変えるような経験である。その過程で、エピファニーはトラウマを刺激し、悲しみや不快を感じさせ、そして時にはより満たされた人生をもたらしもする。」(p28-29)

エピファニー(epiphany)を英英辞典で引くと、こんな風に書かれていた。

a moment when you suddenly feel that you understand, or suddenly become conscious of, something that is very important to you

「『これは自分にとって大変重要なことだ』と、ぱっとわかったと感じたり、ぱっとそう意識化できた瞬間」

僕にとって上記のようなエピファニーの瞬間は、東日本大震災以後の混乱期であり、子どもが生まれたあとの混乱期だった。どちらも、これまでの自分の当たり前や生きていく規範のようなものが大きく揺さぶられ、ぼくを「変化させ、自らの生に疑問を抱かせる、驚くべき、日常からかけ離れた、人生を変えるような経験」となった。そして、ぼくはそのしんどい時期を、自らの内的感覚を言語化しながら一体どういうことなのかを考察しようとした。それをブログnoteに書きながら考え、結果的には『枠組み外しの旅』『家族は他人、じゃあどうする?』という形で書籍化を果たすに至った。

今まで全く意識化できていなかったが、確かにこの二冊の出発点は自分にとっての大きな人生の転換期という意味で、エピファニーだった。前者では、それまで「すべきだ・しなければならない(shold, must)」で思っていた被災地支援と、「今の自分には無理だ」という「したい・したくない(would like to)」のズレが最大化し、気が狂いそうになっていた。だからR・D・レインの『ひき裂かれた自己』を読んで、まさに自分がその状態だと気づいて、そのことをブログに書いた。その後、ぼく自身の引き裂かれは、社会に求められたshould, mustを内面化して、魂が植民地化されているのではないか、という視点から、「魂の脱植民地化」に関する「枠組み外し」を掘り下げていき、1年後には本ができあがっていた。ちなみに、この「ボランティアのしんどさ」については、3月に出る『モヤモヤのボランティア学』の中でも深掘りしたオートエスノグラフィー的文章を書いている。

後者では、子育てを始めて以来、業績至上主義で馬車馬のように働いてきて、業績を積み重ねないと生き残れない(Publish or Prish)を内面化して、出張しまくる生活が、すべて立ちゆかなくなった。それは、生産性至上主義とかワーカホリックを無自覚に内面化していたぼくにとって、仕事依存を絶つ、という意味では、ある種の禁断症状や生き方への大きな問いがもたらされることだった。でも、この生産性至上主義を問い直す中で、ケアを基盤とした社会とは何か、を体感的に理解し始めたので、それを言語化していった。

つまり、僕が遭遇したエピファニーの意味や価値を考え、書いているうちに、本になってしまったのである。

「エピファニーは、私たちのなかに残る印象、『危機的な出来事が終わった後もおそらく長く』持続する『想起、記憶、イメージ、感情』を生み出す。これらのエピファニーは私たちを立ち止まらせ、省察へと導き、その出来事の前には探求する機会も勇気も持ち得なかったであろう、他者や私たち自身の姿を探求するよう促す。」(p50)

確かに、二つの書籍につながる言語化も、エピファニーとの出会いという圧倒的な体験がなかったら言語化することは決してなかったことだと思う。その圧倒的な出会いの中で、「私たちを立ち止まらせ、省察へと導き、その出来事の前には探求する機会も勇気も持ち得なかったであろう、他者や私たち自身の姿を探求するよう促」してくれたのだ。自分が所与の前提にしていた「枠組み」を問い直すこと、さらに言えば「生産性至上主義」というこの社会の前提を問い直すこと、そんな「勇気」は、圧倒的体験としてのエピファニーがないと、問い直せなかった。というか、問い直さないと、僕は生きていけなかった。

それでいうと、義父が亡くなった、というのもエピファニーの一つだ。その前後で、妻も大きく苦しみ、妻と共に生きるぼくも大きく揺り動かされてきた。そのことを言語化しておきたいと、葬儀が終わった後、忘れないうちにノートPCにメモを取り出したことが、「死にゆく者が生者を束ねゆく : アクターネットワークセオリーで辿る義父の死」という論文になっていった。

ただ、これらの文章が論文として機能するためには、「ナラティブ合理性」が求められるという。

「ナラティブ合理性は、ナラティブ蓋然性(probability)とナラティブ忠実性(fidelity)の二つの要素からなる。ナラティブ蓋然性は、物語が首尾一貫しており、つじつまが『合って』おり、そして矛盾がないときに存在する。物語に、読者はこう尋ねるる。『この物語は、語り手やキャラクターが述べたように起きることが可能だったのだろうか?』 ナラティブ忠実性は、物語の『真実性の質』を問う。つまり、『推論の健全性とその価値の真価』である。その物語について、読者はこう尋ねる。『その物語のなかの行動や相互作用は、『十分な理由』によって起きているか?』 そして、『この物語の教訓は、私の人生に関係していて、価値があるか?』」(p102)

「ナラティブ蓋然性」と「ナラティブ忠実性」という概念は知らなかったけれど、ぼく自身が上記の論考を書くときも、ここで語られた二つの合理性は大切にしていたことである。ナラティブ蓋然性については、首尾一貫した物語になるためには、ストーリーテリングが大切になってくる。特にエピファニーに基づいた記述の際、そのエピファニーが圧倒的なものであればあるほど、「ほんまかいな?」と疑いたくなる。だからこそ、それが「ほんまなんやなぁ」と読者に納得してもらうようなストーリー展開の記述が求められるのだ。それは、義父の死にまつわる記述でも、意識したポイントである。

ナラティブ忠実性について書かれた『推論の健全性とその価値の真価』というのも、深く頷く。圧倒的なエピファニー体験と、それが一体どのような意味や価値があるのか、理論的世界をロジカルにつなぐためには「推論の健全性とその価値の真価」が問われる。子育てをしながら己の生き方を問い直した際、それが生産性至上主義とどのようにつながっているのか、という「推論の健全性とその価値の真価」を丁寧に述べようとしたし、でもそれは理論の具体例で終わらないように、現実の現象と理論の結びつきを丁寧に辿ろうとした。

自分自身に関する記述であるオートエスノグラフィーだからこそ、その自分に関する語り=ナラティブの合理性はかなり重要視される。エビデンスはその語りにしかないのだから、ナラティブ忠実性やナラティブ蓋然性といった二つの合理性をしっかり打ち出さないと、信頼してもらえないのだ。

その上で、オートエスノグラフィーに関する「関係性の倫理」についても、以下のように描かれている。

「・著述の動機や方法を批判的に省察することで自己満足を回避する。
・『抑圧的システムを永続化していたり、その対象である事への自身の関わり』を吟味することで、経験を表現するときに、非難したり恥じたりすることを避ける。
・フィールドワークの経験を謙虚に、批判的に省察することによって、英雄視することを避ける。
・不正義や抑圧の批判的分析を提起することなく、自己や他者を犠牲者として位置づけることを避ける。
・研究者としてのアイデンティティと特権を認識することによって、自己正当化を避ける。
・あなたが表現する文化や経験の歴史、文化、ポリティクスについて学び、自己/他者との関わりを失うことのないようにする。」(p102)

「著述の動機や方法を批判的に省察する」というのは、オートエスノグラフィーにおいては肝となる関係性の倫理だと思う。自伝や自慢話のような「自己満足を回避」するためには、エピファニーに遭遇した後、どのように自らの生を生きてきたのか、それはそれまでの人生とどう違ったのか、なぜそのような価値観を抱いたのか、といったことに、批判的に省察を加えて行く必要がある。これは「英雄視することを避ける」ことにもつながる。

一方、ぼく自身が子育てを始めた際に、生産性至上主義にはまり込んでいると気づいて、深く自分を恥じた。だが、それは自分の個人的な問題というより、この社会の抑圧的システムの永続化が個人化された問題と捉えなければならない。だからこそ、個人化された問題の社会的意味や価値を省察することによって、「経験を表現するときに、非難したり恥じたりすることを避ける」ことが可能なのである。これは安易に「犠牲者として位置づけ」ることを禁じる、ということにもつながる。

最後の二つについては、研究者が自分のことを言語化する際への戒めである。「あなたが表現する文化や経験の歴史、文化、ポリティクスについて学び、自己/他者との関わりを失うことのないようにする」というのは、言語化の鍵になる。この本については、セクシャルマイノリティの当事者の語りについて書かれていたが、障害者文化であれ、子育てであれ義父の死であれ、その当事者文化の歴史やポリティクスをしっかり学んで言語化する必要がある。自分が代表例だ、という安易な標準化や普遍化をしないように、その物語が「表現する文化や経験の歴史、文化、ポリティクス」にリスペクトを常に抱きながら、その文化や経験の一表現に過ぎないし、他の表現だってもちろんあり得る、という立ち位置が求められるのだ。それが同じ文化や経験を共有する「自己/他者との関わりを失うことのないようにする」ためのポイントなのだと思う。

そういう意味で、この本に書かれていることは、ぼく自身が書いてきたものを確認する上でも、そして今後の自分の書くものを考える上でも、大切なリフレクションをもたらす一冊だった。

「会話がシステムをつくる」

対話についてずっと考えて、実践して、そういう場作りもしてきたのだが、自分自身の実践を振り返る上でも、すごく意味のある一冊と出会った。それが、トム・アンデルセンの原典・原点に触れる一冊である。

「膠着したシステムにいるすべての人があれかこれかのどちらかの観点から考えすぎていて、正しい理解や正しい行為が何であるのかを示す権利を巡って争いがちだということである。リフレクティング・チームは、あれもこれもやあれでもなくこれでもないという考え方を示そうとしている。」( 『トム・アンデルセン 会話哲学の軌跡』矢原隆行&トム・アンデルセン、金剛出版、p56)

対話が失敗するのはどういうときか。これは、アンデルセンが言うように、「あれかこれかのどちらかの観点から考えすぎていて、正しい理解や正しい行為が何であるのかを示す権利を巡って争いがち」な時である。「正しさ」を巡る争いは、時として「膠着したシステム」に帰着する。宗教や政治の話はタブーとされるのは、「正しさ」が一元的になりがちで、それが「あれかこれか」の話になりがちだからだ。コロナ下の3年間では、ワクチンやマスクを巡る話も、残念ながら「正しさ」を巡る「あれかこれか」になってしまった。だから、話題として避けるし、対話がしにくい。

そこで、彼は正しさを巡る争いから抜ける手段を明快に提示する。「あれかこれかのどちらか」でバトルになるなら、その視点を捨てれば良い。その代わりに、「あれもこれもやあれでもなくこれでもない」という視点を提示する。そして、それを提示するための手段として、支援対象者やその家族が話すのをじっと聴いた上で、支援者が「あれかこれかのどちらか」を指導するモードを捨てて、「あれもこれもやあれでもなくこれでもない」という可能性を示唆するトークをすれば、そこから会話システムが転換するのではないか、という実におもろい提案をする。そして、それをリフレクティングと名付ける。リフレクティングとはもちろんオープンダイアローグでも出てくる言葉なので表層的に知っていたが、「あれかこれか」を超える方法論だ、といわれて、深い部分で腑に落ちた。

そして、もっともしびれたのが、次のフレーズである。

「会話がシステムをつくるのであって、その逆じゃない」(p144)

たとえば「あの人困った人だよね」とか、「わからず屋だよね」という会話はしばしば聞かれる。その際、「困った人」や「わからず屋」というのは、名指しされたAさんならAさんの問題と俗人化される。リアルにもめ事に巻き込まれていると、Aさんたまらんなぁ、とつい言ってしまいたくなる。そして、そういう困った人にどう対策したら良いか、という「会話」がなされる。そこでは、困った人と被害を受ける人、というシステムが先に規定されていて、そのシステムに関する「会話」がなされる。

でも、「あの人困った人だよね」とか、「わからず屋だよね」という「会話」が、困難事例や問題行動という「システム」を作り出す、と考え方を転換させたら、何が見えてくるだろうか。困った人だよね、という「会話」が、「あの人は困らせる人で、私たちはそれに困っている」「あの人こそが悪い人で、私たちは悪くない」という「あれかこれか」の二項対立を生み出す。一方、相手の方も「私は○○の意図があってやっているのであって、私は悪くない」と思う場合がしばしばだ。すると「正しい理解や正しい行為が何であるのかを示す権利を巡って争い」が生じ、「膠着したシステム」になってしまう。

それを解きほぐすためには、会話を変えればよいのだ、とアンデルセンは教えてくれる。「あれもこれもやあれでもなくこれでもないという考え方を示」すことによって、「あれかこれか」の二項対立で視野狭窄になっている、その袋小路から抜け出すことが可能だ、というのである。

「もし、二人もしくはそれ以上の人々がいくらか異なる意味を保有していて、互いに聞き合うことができるならば、彼らの間の会話は容易に新しく有用な意味を創出するだろう。もし、二人もしくはそれ以上の人々がとても異なる意味を保有していたら、彼らは互いに聞き合うことが難しいと思うだろうし、互いに遮ったり、相手のことをただそうとしたりするかも知れない。そのようなことが頻繁に起きると、会話は壊れてしまうだろうし、そうなったときこそ本当に大きな問題が生まれるだろう。」(p172)

これは、トム・アンデルセンからバトンを受け継いだ一人、トム・アーンキルが『あなたの心配事を話しましょう』の中で書いている、「適度に異なるアプローチ(appropriately diffent approach)」を想起させる。同じ事を反復していては悪循環を増幅させる。でも、全く新しいやり方(=とても異なる意味)を提案したら、誰もそれに賛同してくれない。そのときに、同じやり方の反復でも、全く新しいやり方でもない、「適度に異なるアプローチ」をすると、相手も納得して受け入れてくれる可能性が高い。それを、アンデルセンは「二人もしくはそれ以上の人々がいくらか異なる意味を保有していて、互いに聞き合うことができるならば、彼らの間の会話は容易に新しく有用な意味を創出するだろう」と述べる。この意味は大きい。

まず、複数の人の間で意見は一致している必要がなく、「いくらか異なる意味を保有していて」もOKだし、それは違っていてもいい、という。ただ、「互いに聞き合うことができる」かどうか、が問われている。意見を言おう・押し付けようとせず、相手の内在的論理を丁寧に掘り下げて教わる、というスタンスである。そこで大切なのが、お互いが「いくらか異なる意味を保有」している相手の話を聞き合うことで、「彼らの間の会話は容易に新しく有用な意味を創出するだろう」と整理することである。

そして、これに深く頷くのは、僕が普段、実践していることををまさに言語化してくれているからだ。

例えば自治体や社協、福祉現場などの会議に呼ばれた際、以前の僕は、ある理念や価値観を重視して「○○すべきだ」と伝えていた。「有識者」として、それを「伝えなければならない」と思っていた。そして、それを受け入れられない場合は、「相手がわからず屋だ」と思い込んでいた。それは、完全なるモノローグである。

6年前にオープンダイアローグの集中研修を受け、ダイアローグ体験を重ねる中で、最近の僕は、自分が先に理念なり価値観を伝えることはしなくなった。それよりも、そこに参加する人々の「いくらか異なる意味」をじっくり聴くモードになっていった。その中で感じた疑問を口にし、「あれかこれか」ではなく、「あれもこれもやあれでもなくこれでもないという考え方」を膨らませていく会話を繰り広げていく。すると、一見するると「膠着したシステム」のように見えた事態も動き始め、「会話は容易に新しく有用な意味を創出する」のである。そういう意味で、会話が「新たなシステム」をつくる場面に遭遇することが、数多くある。そして、それは想定外の展開であり、その会話が深まっていくほど、そこに関わる僕は深く感動する。そういう事態が、しばしば生じている。

最近そういう対話の質の変化を感じていたので、それは一体何だろうか、と思っていた。でも、アンデルセンの本と出会って、「そうか、ぼくの対話への関わりが、相手やその場にとってのリフレクティング・プロセスになっていて、膠着したシステムを溶かす・緩める、新たなシステムを生み出す会話になっているからかもしれない」と思い始めている。そして、新たなシステムを生み出す会話では、次の様な展開が動き出すとアンデルセンは語る。

「会話は、まさにいま生き直している過去の経験の瞬間の動きへと話し手を連れ戻す。しばしば、聞き手は目の前の感情に引き込まれ、自分自身の表現に心をふるわせている話し手を見て心を動かされる。両者の心が動くこうした瞬間は、何が言われたことで相手の心が動かされたのかを探求するための絶好の機会だ。
そうした表現を『おし広げ』、ニュアンスを持たせることは、変化した記述や理解、あるいは現在の困難な瞬間から、願わくばより困難でない次の瞬間にどんなふうに進んでいくかという新たなアイデアに寄与するかもしれない。」(p150)

上記の記述を書き写しながら、「めっちゃわかるわぁ!」としみじみ感じていた。

ゼミ生や福祉現場の人と、1:1でじっくり話し込んでいるうちに、「心が動く」瞬間がある。対面であっても、オンライン越しであっても、涙を流したり、心をふるわせている相手と出会うことが、しばしばある。その際ぼくという「聞き手は目の前の感情に引き込まれ、自分自身の表現に心をふるわせている話し手を見て心を動かされる」のである。圧倒される瞬間であり、ああ、繋がったな、ちょっと前のブログで言うなら「結びが出来たな」と感じる瞬間である。

そして、そのような結びが出来る瞬間とは、確かに会話の中で、「まさにいま生き直している過去の経験の瞬間の動きへと話し手を連れ戻す」時に始まる。これまで「そういうもんだ」「どうせ」「しかたない」と思い込んでいた、膠着したシステムが、僕という聞き手が「いくらか異なる意味」をもって問いかけることで、揺れはじめる。それを感じたぼくは、さらに問いを重ねていく中で、「そうした表現を『おし広げ』、ニュアンスを持たせる」ことを意識する。「こうすべきだ・ねばならない」というshould,mustの言語を手放し、「いま・ここ」の相手に集中してお話しを伺っているうちに、「変化した記述や理解、あるいは現在の困難な瞬間から、願わくばより困難でない次の瞬間にどんなふうに進んでいくかという新たなアイデアに寄与する」ことが、自然と出来てしまっている。

その自分自身のプロセスを振りかえり、それがリフレクティング・プロセスだったのだ、と言葉を与えてもらったようで、すごく味わい深い、素敵な一冊だった。また、トム・アンデルセンに出会い、彼のリフレクティング・プロセスに魅了され、彼の足跡を訪ね歩き、刑務所でのリフレクティング・プロセスなど多くの現場に訪問していた矢原さんが訳してくださったからこそ、トム・アンデルセンが伝えたかったニュアンスが伝わってきた。読みやすい訳文や紹介文で、言語や文化を越えて、会話哲学のエッセンスのバトンを託してもらえた。本当に得がたい、有り難い読書体験だった。

心理社会的援助の醍醐味

今まで、精神障害者への支援に関する本はそれなりに読んできた。でも、今日ご紹介する本は、これまで読んできた本とは、少し毛色の違う本である。母の目の前でリストカットを繰り返す人に聞き取りをしたエピソードに関して、このように書かれている。

「なぜ、こんな行為を繰り返したのか。ゆりさんに聴いてみた。ゆりさんは『手当てをしてもらっているときは自分だけのお母さんっていう感じしてた』と語りながらこう続けた。『今思うと・・・、お母さんは辛かったと思うよ。血だらけなんやもん。ほんまに悪いことして迷惑かけてって。冷静になったらわかるんやけど、そんときはそんなことは考えない、ただただ、自分がしんどいからコントロールがきかへんのよ。お母さんに甘えて、お母さんにあたって。そんなことの繰り返し。私、酷いよね』。母親が抱えたであろう痛みに対して申し訳ないという思いを抱えているのだが、『手当をしてもらう 』ということで母親のぬくもりを感じようとしていたゆりさんの思いも理解できないことはない。たとえ、方法は間違っていたとしても、必死でお母さんを求めていたんだなと思う。」(山本智子『「家族」を超えて生きる−西成の精神障害者コミュニティ支援の現場から』創元社、p28-29)

山本さんは公認心理師で、心理的援助スタッフとして、副題にあるように、西成の精神障害者コミュニティ支援の現場で、精神障害者の声を聞き続けてきた。この本は、彼女が聴いてきたたくさんの声の物語を編み直した、素敵な一冊である。そして、類書と何が違うのか。それは、聴かせてもらった語りと、それを聴いて山本さんが感じたことや心に浮かんだことを交錯させながら、審判や評価をするのではなく、生きづらさの問題を「共に眺めよう」とする視点にあふれている点である。

心理的なアセスメントの視点は持ちつつ、本文の中では、その評価やアセスメントの視点で「病状」の「解説」や「分析」をすることはない。そうではなくて、ゆりさんの生きづらさ・苦しさの内在的論理を本人の語りから辿りながら、聞き手の山本さんが理解できたことをそのものとして差し出す。道徳的な非難や批判をせず、どんな思いでそのような行為がなされたのか、を辿ることで、他者の合理性を理解しようとする。その営みが、全編にあふれているのである。その意味では、理解社会学の方法論と極めて近いと感じる。以前のブログでも引用した、社会学者の岸さんの言葉を思い出す。

「他者の合理性を再記述する、つまり、行為の合理性を理解するとどうなるか。その帰結はいろいろあると思いますが、そのひとつは、行為責任の解除です。「そういう状況なら、そういうことするのも仕方ないな」というのが理解でしょう。」(「インタビュー 社会学の目的 岸政彦」

山本さんの聴く姿勢も、まさに「そういう状況なら、そういうことするのも仕方ないな」という姿勢である。だからこそ、彼女に語る人々は、安心して、これまで胸の内にしまっておいた事を語り始める。

「『10代後半からの十数年、精神科病院と施設で過ごしたという話をしましたけど、そこが自分の人生の中から抜け落ちているっていう感覚がわかりますか? 取り返しのつかない、たぶん、人にとって一番元気で楽しかったはずの時間を僕は失ってるんですよね。これから生きていてもなんの意味があるんでしょうか。』
この言葉を聴いて、淳さんが死にたいと語るその理由の一つにこの『失われた時間』が深く根付いていたのだなと思った。」(p95)

精神障害者の人はしばしば「希死念慮」がある、と語られる。教科書的には、それが病状の一つと整理されている。だが、淳さんの語りを聴いた山本さんは、病状としての希死念慮より、諦めざるを得なかった・取り返しのつかない・抜け落ちた感覚が「失われた時間」につながり、「そういう状況なら、そういうことするのも仕方ないな」と、病状ではなく、淳さんの内在的論理として理解し、受け止めようとしていく。

精神障害の支援においては、脳の器質性の理解やそこに働きかける薬物療法のような生物学的なアプローチと、山本さんが専門としているカウンセリングや発達支援のような心理的アプローチ、そして居住支援や生活支援、就労支援などの社会的な(ソーシャルワークの)アプローチの三つの重ね合わせが大切にされている。そして、病院中心医療においては、生物学的アプローチに偏り、心理・社会的アプローチが不足してきた。山本さんがチーム支援の一人である、西成の精神障害者コミュニティ支援の現場においては、心理・社会的アプローチが豊かであると感じたし、山本さんの物語にも、その視点から、ゆりさんや淳さんの語りを受け止めようとする彼女の姿勢が色濃く出ている。

急性期に家族に多大な迷惑をかけ、妻から離縁され、娘からも愛想を尽かされ、息子とのつながりをかろうじて保っている祐さんの物語にも、それが濃厚に詰まっている。

「祐さんとの面談を重ねていく中で、なぜ初回面談のときに切羽詰まった様子で『早く働くためにどうしたらいいのかを教えてほしいです』と言ったのか、その理由が少しだけわかったような気がしていた。祐さんはもう一度、家族に戻りたいのだろう。そのためにも、ちゃんと働いて、夫として、父親として、認めてもらいと思っていたのではないだろうか。奥さんに対して、息子さんや娘さんに対していままで自分がしてきたことは、一生、許されることではないということも十分わかっている。そして、幸せな家族を自分が壊してしまったという思いから逃れることもできていない。しかし、面談も終わりに近づくにつれ、『できたらもう一度、家族と一緒に暮らしてみたいです。奥さんや子どもたちがもし許してくれるなら』と言った。これが祐さんの心からの願いなのだろう。私はそれを聴きながら、家族一人一人の心には許しがたい深い傷が残っているだろうし、時間はかかるだろうが、祐さんがそれをあきらめない限り、いつか実現するのではないかと、密かにそう期待した。」(p144)

仲間たちと作った『「困難事例」を解きほぐす:多職種・多機関の連携に向けた全方位型アセスメント』というアセスメント本の中でも、支援対象者の主観的世界の理解が大切だ、と整理した。ゴミ屋敷や自傷他害に代表されるように、「迷惑行為」や「暴力・暴言」などを繰り返す支援対象者は「困難事例」とラベルが貼られやすい。それは、本人が困難だ、というより、本人に関わる家族や支援者、周囲の人にとっての困難さが大きい場合、そのようなラベルが貼られる。でも、そのような行為をしてしまう本人にも、主観的な世界があり、それなりの行為の理由や、その行為に関しての主観的な思いがあるのである。祐さんは、自分が家族に振るった暴力や暴言、迷惑行為によって、家族を壊したことを理解している。でも、「ちゃんと働いて、夫として、父親として、認めてもらい」、それを通じて「家族に戻りたい」と切実に願っている。だからこそ、「対人関係に困難があって定職に就きにくい」とラベルが貼られている状態であっても、山本さんに対して「切羽詰まった様子で『早く働くためにどうしたらいいのかを教えてほしいです』と言った」のである。

山本さんや西成の精神障害者コミュニティ支援のチームの素敵なところは、この祐さんの語りを読み解きながら、その内在的論理を辿り、その主観的な思いや願いを実現するために、現実的に何ができるか、をチームで考えていこう、という姿勢が明確な点である。それは、太郎さんを支援する久美さんという支援者のエピソードに象徴されている。

「ある日、太郎さんが『一人で暮らしてみたい』と久美さんに言ったそうだ。その頃の太郎さんは、幻聴も酷く、身体は常に震えていて、歩くことさえおぼつかない様子だったので、支援会議の中でも『無理じゃないか』という話になっていた。私が、過去に同じような困難がある人が周囲からの援助を受けながら一人暮らしを実現できた経験を話そうとしたときに、久美さんが『なんで? やってみんとわからんことを無理とかいうのはおかしい』と言った。それでも、ほぼ全員の援助者が太郎さんの一人暮らしには反対だった。そこで、久美さんはこう言った。
『私ら援助者は、そもそもその人の『自己決定を支える』ために何をすればいいのかを組み立てるだけであって、『無理やろ』とか、実際にやってもみないうちから予想して、援助者の考えを押し付けるのはどうかと思う。どうすれば、一人暮らしが可能になるのかを太郎さんと一緒に考えたらいいんじゃないの。」(p164-165)

ある状態の当事者のアセスメントをした上で、「無理じゃないか」と判断する。それは、きつい言い方をすれば、リスク回避的なやり方であり、「できない100の理由」を述べることでもある。でも、「太郎さんが『一人で暮らしてみたい』と久美さんに言った」ということを、久美さんはすごく大切にする。久美さんの中には「そもそもその人の『自己決定を支える』ために何をすればいいのかを組み立てる」のが援助者の仕事であるという明確な方針があり、そこから「どうすれば、一人暮らしが可能になるのかを太郎さんと一緒に考えたらいいんじゃないの」という戦略が生まれる。結局、この久美さんのブレない姿勢に他の支援者も感化され、一人暮らしをするための、「できる一つの方法論」をチームで考え、それを実現していくのである。

これぞ、精神病院や入所施設ではなく、地域で障害者を支え続ける醍醐味だと感じた。自己決定を大切にして、それを支える、というのは、標準化・規格化された生活に障害者を合わせるのとは真逆の発想である。「○○ができたら自立生活可能」という発想自体、能力主義的な発想であり、医学モデル的な発想である。そうではなくて、「幻聴も酷く、身体は常に震えていて、歩くことさえおぼつかない様子」であっても、その太郎さんが『一人で暮らしてみたい』と語った、その状態の太郎さんの「いま・ここ」をそのものとして尊重する。それが、自己決定支援の原点である。無理難題をかなえる、のではない。人間として尊厳のある暮らしを支えるために、「できる一つの方法論」を共に考え合うのが、支援チームの醍醐味なのだ。そして、山本さんの関わる西成の精神障害者コミュニティ支援の現場においては、そんな素敵な支援が展開されているのである。

脱施設化とは、このような「できる一つの方法論」の積み重ねなのだと思う。そして、標準化・規格化された施設や病院の中では「ないこと」や「病状」にされ、消されていた・諦めさせられていた当事者の語りが豊かになり、他の人とは違う、太郎さん、祐さん、淳さん、ゆりさんの大切な物語として語られ直されるプロセスなのだと思う。そして、そのプロセスを豊かにする上で、心理・社会的な援助が豊かに展開され、それが太郎さん、祐さん、淳さん、ゆりさんの「唯一無二性」がそのものとして再度花開いていくのだと思う。

実に良い本を読んだ。

対話と「結び」

最近、ゼミをしていても、あるいは福祉現場の人との対話の場においても、相手の話をじっくり伺っているなかで、相手と「つながった」と感じることが少なくない。今日は午前中、1:1で福祉現場の方のモヤモヤのお話しを伺った後、卒論〆切Ⅰ週間前の4年ゼミでの対話の時間だったのだが、どっちも深く「つながった」感覚があって、なんかめっちゃいいなぁ、とほっこりしていた。

この「つながった」感覚って何だろう、と考えていたら、それは合気道で言うところの「結び」かもしれない、と思い始めている。合気道は、武道の一つなのだが、勝ち負けを目的にしていない。相手を負かすことではなく、相手とつながり、二つの身体が一つのものとして機能していこうとする。ぼくは、合気道の稽古が十分に出来ていないこともあって、技にこだわってしまい、相手との「結び」が出来てない。だが、日常生活に置き換えてみると、対話の場においては、もしかしたら「結び」が出来つつあるのかもしれない、と思い始めている。

相手と対話する際に、邪な意図を持っていては、絶対につながれない。話を導いてやろうとか、こういうことを聴きたいとか、こちらが勝手な先入観や意図を持っていると、その自分の意図に支配されて、その枠組みでしか、相手と出会うことが出来ない。すると、その意図が相手に伝わり、その枠内に縮減して話を伺うことになったり、それに不同意で怒った相手にこちらの枠組みをぶち壊されたりする。いずれにしても、相手の話を部分的にしか理解出来ないことになる。相手が伝えたい全体像を、そのものとして受け取ることは出来ない。

だから、最近では、対話の場では、向こうが用意して下さった資料があっても、事前に目を通すことはあっても、なるべくそれを手放して、ぼんやり話を伺いはじめる。

相手の話をじっくり聴きながら、いくつかのきっかけになるような質問を出してみながら、その人の思いや全体像のようなものを、語られる中身や雰囲気を味わいながら、聴き続けていく。感じようとする。すると、ジワジワ、言外の想いも含めた、その人のありようみたいなものが、みかん汁で書いた「あぶり絵」のように、浮かび上がってくる。こちらも感応できはじめる。それをさらに掴もうと、「いま・ここ」で感じる感想や質問をしてみた上で、さらに「あぶり絵」がし見えてくるのを、一緒に探る。

ここで大切なのは、実は話を聴く相手も、最初から結論(あぶり絵の中身や実態)をわかっていない場合が多い、ということだ。自分にとって当たり前すぎて、考えたこともなくて、わからなくて・・・言葉にしたことも人に伝えたこともないことを、ぼくの質問がフックになって、話し始めてみる。その中で、対話を深めていくなかで、ふと口をついて出たフレーズが、実はすごく大切なその人の「思いの核」になっているような何かで、それが出てくることによって、これまで寸止めしていた・言語化出来なかった・せき止めていた感情や感覚が、あふれ出る泉のように湧き出すことがある。そういう場面に、数知れず立ち会ってきた。嬉しくて溢れるような笑顔になって見る見る自信が持てた瞬間とか、蓋をしていた感情があふれ出して涙が止まらなくなる瞬間とか。対面であれ、オンラインであれ、そういう瞬間に立ち会うことが、ほんとうに最近しばしばある。

そして、そういう瞬間とは、対話を通じて、自分と相手の区別を越えて、相手と「結び」を作れた瞬間なのではないか、と思い始めている。聞き手のぼくが溶け込んで、発話者の相手の思考が開かれて、それが拡張し、華開いていく瞬間に立ち会う喜び。こちらが相手の中に意図して入り込む、とかではない。計らいは邪魔なだけだ。そうではなくて、ぼくの存在が自然と消えていき、相手の思いや感情がそのものとして賦活され、流れが生まれはじめ、その流れが蕩々と言葉になってあふれ出し、その物語の豊穣さが対話空間にあふれる瞬間、ああ「つながっている」と感じるのだ。そして、その感覚こそ、相手の身体と一つに繋がる「結び」の感覚なのではないか、と。

たまに、「相手の顔に書いてある」ことをこちらが言うだけで、「そうそう、それこそがいいたかったんだ!」とか、「なんで、誰にも言えなかったあのことがわかるんですか?」とびっくりされることがある。ぼくには別に超能力があるわけでもないし、相手の心が読めるわけでもない。ただ、じっくり相手の話を聞いているうちに、相手の伝えたいポイントが見えてくるのだ。それを言語化して、それってこういうことですか、と差し出すと、さっきのような反応が来る。これは、本当に「相手の顔に書いてあること」を読み取るかのように、相手の話をじっくり聞いて・感じて、理解できたことを伝え直すだけなのだが、もしかしたらそれはなかなか世間ではできていないのかもしれない。だからこそ「こんな深い話を初めてしました」と驚かれることが最近しばしばあるのだ。

そういう対話のコツはなにか。純粋な興味を持って聴き続けること。その際に、「相手の思いの背景や全体像のようなものまで教えて欲しい」とただ願うこと。そう願いながら聞いているうちに、全体像につながる「あぶり絵」が浮かび上がってくる瞬間がある。そうすると「それってこういうことですか」と差し出してみる。そこから聞き手のぼくが徐々に消え始め、語り手である相手の全体像が、ぐわーっと対話の中で、その姿かたちを表し、動きはじめる。そうすれば、しめたものも。後はその動き出したなにか、がどんな感じなのかを、相手と一緒に探求していくだけで、物語が大きく動き始める。

ひとたび「結び」ができてしまうと、そのつながりを邪魔しなければ、物語は自己生成的に豊かに膨れ上がっていく。だがそれは、ChatGPTといったオープンAIのように既に語られた何かから生成されるものではない。相手の心の中に確かに存在していて、でも未分化な、言語化されてない、もやもやな何か。そんな何かが、ぼくとの対話の中で立ち上がってきて、初めて自己生成される瞬間なのでる。オープンAIのプロセッシングなんか比べものにならないほど、感動するし、予測不能な創発が生まれる瞬間である。

それって絶対内田先生ならブログに書いているはずだ、とググってみると、2005年に「コヒーレンス合気道」と言語化されていた。

「「コヒーレンス」coherence というのは「一貫性、整序」という意味であるが、ようするに「足並みが揃っている」状態を表す。」
「強いコヒーレンスをもった生物がコヒーレンスの弱い生物とコンタクトをとると、強いコヒーレンスに「足並みが揃ってしまう」ということがあるのではないか。」

ここで書かれている「足並みが揃う」、というのは「空気を読む」とか「同調圧力」とは次元が違う量子物理学の話であり、「それぞれの波動の位相が揃い、同調するにつれ、ひとつの巨大な波やひとつの巨大な原子内粒子として活動しはじめる」という話である。それを読み返していると、最近読んだ別の本にも触れたくなった。

「『存在するもの』は、その網のはかない結び目(ノード)でしかない。その属性は、相互作用の瞬間にのみ決まり、別の何かとの関係においてだけ存在する。あらゆる事物は、ほかの事物との関係においてのみ、そのような事物なのだ。」(カルロ・ロヴェッリ『世界は「関係」でできている—美しくも過激な量子論』NHK出版、p196)

一貫性や整序がより整った存在が、そうではない存在と相互作用をすると、相手に同期して、弱いコヒーレンスの人の足並みが揃ってくる。相手との相互作用の瞬間における「結び」が「はかない結び目(ノード)」を生み出し、それが「そのような事物」性(=存在するもの)となる。

今まで書いてきたことを整理するならば、対話という場面において、何をどう言っていいのかわからない、言葉が出てこない、モヤモヤしていて訳がわからなくなっている場面の人(ゼミ生や福祉現場の人)とお話しする機会が多い。その際、僕が自分の一貫性や整序を大切にして、ぼんやりリラックスしながらも、「いま・ここ」を大切にしながら相手の話をゆっくりじっくり聴いていく。すると、相手の中での一貫性や整序(コヒーレンス)も整いはじめる。その中で、相手との「結び」が生まれ、そのはかない結び目(ノード)が徐々に複雑で豊かな結び目として立ち現れ、それが圧倒的な物語の自己生成につながっていくのではないか。だからこそ、ぼく自身は、対話で邪な意図や計らいを捨て、自分自身とつながる。自分自身の一貫性や整序を大切にして相手に向き合えば、自ずと相手がそのものとして存在しはじめるのではないか。そんな仮説を抱いている。

問題は、これが合気道では上手く出来ないこと。また、稽古をしながら考えてみよう。

復讐よりも連帯可能性を

ウェンディ・ブラウンの最新刊『新自由主義の廃墟で』を読む。前作では、「新自由主義的合理性」の内在的論理が骨太に描かれ、自分自身がその論理をしっかり「所与の前提」にしてしまっていることに気づかされ、圧倒された。そのことはブログにも書いた。

今回の本は、アメリカ社会において、この新自由主義的合理性が、女性や黒人、LGBTQや障害者を保護する為になされた様々なアファーマティブアクションという「社会的なもの」と「政治的なもの」を毛嫌いし、「表現の自由」を縦に、政府による規制や介入を外していく様が描かれていて、背筋が寒くなった。

「拡張された『個人の保護領域』の保護は、伝統と自由がその敵−すなわち政治的なものと社会的なもの、合理的なものと計画されたもの、平等主義的なものと国家主義的なもの−を撃退するための方法である個人の自由が、正しくも制限をとりはずされた領域を広げることは、伝統的な信念や習律が、もしくはハイエクが『人間の交際に関する・・・しきたりや習慣』と呼ぶものが、かつては民主主義に支配されていた場所における市民的なものと社会的なものを合法的に取り返し、さらには再植民地化することを可能にする。」(p145)

この本で味噌となるのは、「政治的なものと社会的なもの、合理的なものと計画されたもの、平等主義的なものと国家主義的なもの」という社会民主主義的な価値前提を破壊しようとするのが、「伝統と自由」である、という点だ。家族主義とキリスト教原理主義が、市場原理主義と結びついたとき、経済の領域だけではなく、アファーマティブアクション全体への攻撃となる、という点である。

「コスモポリタン的な都市住居者たちがフェミニズム、非規範的なセクシャリティ、非伝統的な家族、世俗主義、学芸、そして教育を擁護するのに対して、傷ついた白人の内陸居住者たちは反射的に中絶、同性婚、イスラム教、『白人に対する攻撃』、神を信じないこと、そして知性主義に反対する叫び声をあげる。ここで声を上げているのは『伝統』でもなければ道徳でさえなく、彼らの伝統や道徳を押し流したいと願っていると認識された世界に対するヘイトの声なのだ。」(p162)

「政治的なものと社会的なもの、合理的なものと計画されたもの、平等主義的なものと国家主義的なもの」という社会民主主義的な価値前提それ自体が、poor whiteと呼ばれる「傷ついた白人の内陸居住者たち」を攻撃している訳ではない。ただ、社会的なものや政治的なものが、異性愛的で家父長的でキリスト教原理主義的な価値観以外のものを認める多様性(diversity)や包摂性(inclusion)を社会制度の中に取り込んだとき、「傷ついた白人の内陸居住者たち」は、「彼らの伝統や道徳を押し流したいと願っていると認識された世界に対するヘイトの声」をあげ始めた。それが、ケーキ店と妊娠相談センターを舞台とする裁判において象徴的に描かれる。

アメリカ合衆国憲法の修正第一条には「連邦議会は、国教を樹立し、若しくは信教上の自由な行為を禁止する法律を制定してはならない」と書かれている。これを土台に奇妙な裁判が起こされた。

「マスターピース・ケーキショップに同性の結婚式のためにケーキを作って売ることを要求することで、修正第一条の権利が侵害されるだろうというジャック・フィリップスの主張は、そのひとつひとつは単独では成立しないさまざまな主張の布置の上になりたっている。この布置は表現の自由と宗教活動の自由を結びつけて、公的領域における伝統的道徳のための新たな空間と力をつくりだす。」(p182)

同性婚に反対するケーキ屋の店主が、ケーキの注文を拒否した。これは公共施設法の違反であり差別である、と、カップルは不服申し立てをコロラド州市民権委員会(CCRC)に行い、CCRCはカップルの主張を受け入れる。だがその後、連邦最高裁判所において、公共の店舗が差別的な扱いをしてはならない、という社会的・政治的な判断を、「表現の自由と宗教活動の自由を結びつけて」拒否したのだ。彼は普通のケーキ店の店主であり、彼のケーキはことさらキリスト教のテーマや図像、メッセージが入っていた訳ではないのに、「最高裁は同性婚のためのウェディングケーキを作ることは『彼のもっとも深いところで信じている信仰に反するようなお祝いに参加すること同等だろう』と断言している」(p186)のである。

この最高裁判決も実に変なのだが、さらに変なのが「妊娠相談センター」とカリフォルニア州法務長官の裁判である。

アメリカには今、約4000の緊急妊娠相談センターがあるが、これらは中絶やアフターピルに関する相談を受け付けるのではない。逆に「望まない妊娠をした女性たちに、中絶をしないように説得をすること」(p198)が目標とされている。キリスト教保守主義団体から組織的な援助を受けている。しかも、「資格のある医療スタッフはいないにもかかわらず、彼らは白衣やスクラブを着て、受付書類に健康状態の情報を書かせ、病院のような見た目や雰囲気を模倣している。フェミニズム団体の精神や調子を登用するセンターもある。」(p199)

こういうセンターに対して、カリフォルニア州法は、「非認可の緊急妊娠相談センターに、自分たちは医療施設ではないという通知を明示し、すべての緊急妊娠相談センターに、両親のケアや妊娠中絶もふくむ、カリフォルニア州によって提供される無料もしくは低価格の総合的な生殖医療が利用可能であることを示す通知を掲示もしくは頒布することを要求した。」(p197)

この訴訟に関するブラウンの整理に、アメリカ社会の変質の本質が詰まっている。

「<マスターピース・ケーキショップ>訴訟と同様に最高裁は、表現の自由が、保守的キリスト教が私的領域から離脱して、商業的・公的領域における勢力となるための手段となることを許し、また同時に商業的・公的領域を規制する法から、それを宗教だから(「信仰」だから)という理由で保護するものである。これこそが、修正第一条の適用範囲を考える際に、『職業上の表現』には何も特例的な部分はないという最高裁の主張の真の重要性なのである。この訴訟を、職業上の表現についての訴訟であり、同時に深い信仰の場における表現規制についての訴訟であるとあつかうことによって、誤表象さらには詐欺行為を保護された表現へと変換するための理路を、最高裁は創造しているのである。真実、透明性、説明責任はすべて、職業的なサーヴィスの仮面をかぶった宗教的な目的のために、二の次にされてしまうのだ。」(p209)

同性婚に反対するから、ケーキショップが同性カップルにケーキを売らない。中絶に反対するから、妊娠相談センターが相談者に中絶に関する情報を提供しない。どちらも、商業的・公的領域の施設であり、信仰施設ではない。そして、商業的・公的施設では、対象者に差別的な取り扱いをしてはならない、という社会的で政治的な配慮がなされている。この社会的で政治的な配慮より、修正第一条で保証された信仰の自由の方が勝るのだ、と、連邦最高裁は判断したのである。つまり、信仰施設だけでなく、商業的・公的領域の施設であっても、同性婚への反対や中絶への反対行動は、そこで働く人々の「信仰上の理由」に基づき、差別とは当たらない、と判断されたのだ。これは、女子教育を制限・禁止したり、ブルカをかぶらない女性を思想警察が取り締まることも許されるイスラム原理主義と同様の宗教原理主義が、アメリカにおいても最高裁で認められた、ということでもある。

トランプ政権で、最高裁判事の勢力が逆転し、保守派に牛耳られた、という報道は耳にしていた。表現の自由に関する修正第一条については、たまにニュースでも聴く。だが、これらが合わさることによって、公的・商業的な施設における差別的な取り扱いを禁じる法規制という政治的・社会的なものよりも「表現や信仰の自由」が勝る、とされてしまうと、1960年代からアメリカ社会が構築してきたものを、根底から根絶やしにするのではないか、という戦慄・旋律が、本書には通底している。

黒人解放運動に端を発し、フェミニズム、障害者運動、先住民の権利回復、LGBTQや宗教的少数者の権利確保など、アメリカ社会では「未だ優遇されていない人々」のエンパワメントと尊厳を重視する法政策がとられてきた。不平等な状態を是正するためのアファーマティブアクションも制度化されてきた。だが、その一方で、アメリカの白人労働者階級は、製造業の没落と共に衰退し、ラストベルトとして放置された。もともと労働者の党であった民主党は、マイノリティの権利擁護に邁進する一方、エリートな知識層はpoor whiteを馬鹿にしているのではないか、キリスト教的な家父長主義や異性愛主義は重視されていないのではないか、と白人男性労働者たちは感じていた。だからこそ、「福音派キリスト教徒たちは、文化的エリートに軽蔑され、世俗的な勢力によって攻撃されたという共通の経験のために、トランプに深く同一化した」(p130)のである。

そして、ブラウンはトランプや、トランプを応援する内陸部の白人男性に共通するのは、怨嗟や怒りであり、脱昇華されたルサンチマンであり、「復讐しかなく、出口も未来もない」(p245)と言い切る。本書の結論部でそう書いていて、はっきり言って、何の夢や希望もなく、本書は締めくくられる。

本書の元々の副題は、「西洋における反民主主義的な政治の隆盛」であった。アメリカ社会において、民主主義的な政治の成果として、アファーマティブアクションといった政治的で社会的なものが半世紀以上書けて法制度化されてきた。だが、それが、白人労働者階級の没落と特権の剥奪される事態を前にして、彼らはマイノリティを攻撃し、「反民主主義的な政治」を遂行するドナルド・トランプを選んだのである。そして、この攻撃に対して、「いかなる種類の左派の政治批判やビジョンが、それをとらえて変容させることができるだろうか?」(p256)という締めくくりで本書は閉じられている。つまり、それができていない現状への、著者の嘆きのようなものが、本書の結末になっているのだ。

これを読んでいて、思い出さざるを得ないのが、選択的夫婦別姓に頑なに反対するのが、日本会議と統一教会という二つの宗教団体であり、そこにつながる自民党の保守勢力であった、ということである。また、児童手当の拡充に反対するのも、家族の役割が制約されるから、という同じ保守勢力の意向が働いた。これは「子ども庁」発足時に「家庭の役割が大切だから」と「子ども家庭庁」と名前を変えさせた経緯にもつながる。異性愛的で家父長的な家族主義が宗教原理主義と結びついた時、洋の東西を問わず、社会的・政治的な法規制や国会による制度の拡充に反対し、「家族のことは家族で」と責任を押し戻す流れになるのである。個人の自由と伝統的道徳(家族主義と家父長制)は、社会的なものや政治的なものより優先される、というのは、日本も同じなのだ。ただ、アメリカの場合は、何事も極端なので、それが最高裁レベルの判例にまでなってしまった。でも、アメリカのトレンドの10年遅れで日本でも同じ事が起こる、と言われているのでは、日本だってこのトレンドが現実になる可能性があるのである。

では、これはどうやったら回避可能なのか。それは、年末にブログでご紹介した、江原由美子さんの本の中で、以下のように示されている。

「異なる属性をもつ人々の間でも、『経験の共有』は可能である。アイデンティティの回復そのものを求めるのではなく、『貶められた経験を共有』することで、『他者を貶めることがない』社会の実現のために連帯することができるはずだ。このような連帯を可能にするためには、『アイデンティティの非本質化』という第二波フェミニズムの『文化主義』的方法論が、有効に機能するはずである。」(江原由美子『持続するフェミニズムのために – グローバリゼーションと「第二の近代」を生き抜く理論へ』(有斐閣)p195)

特権が失われた、という「貶められた経験」。ここから、「復讐」に向かうしか方法論がないと、白人労働者階級は思い込まされている。でも、「復讐」しなくてもよい。障害者や女性、黒人や様々なマイノリティは、そもそも以前から「貶められた経験」を持っていた。今ようやく、白人男性も、その経験を共有できた。それを奪い返すという復讐モードではなく、誰もが貶められるのは嫌だから、『他者を貶めることがない』社会の実現のために連帯しないか、と提起することは可能だと江原さんは述べる。これは、確かに時間はかかるけど、希望だと思う。

SNSにおいても、表現の自由を建前に、社会への怨嗟やルサンチマンに基づき、復讐心に燃えた書き込みをしばしば見かける。でも、そのような「貶められた経験」は他者への復讐ではなく、『他者を貶めることがない』社会の実現のために連帯するための原動力として活用することもできるはずだ。そのような社会的な連帯の可能性、つまりは政治的・社会的なものを否定するのではなく、アップデートして、これからのよりよい幸せをもたらす原動力として用いることはできないか。そう、夢想している僕がいる。

初めてなのに、懐かしい

先週の土曜日に、内田樹先生と青木真兵・海青子夫妻のトークショーで初めて出会った建築家の光嶋裕介さんに、日曜日に拙著を三冊お送りしたら、火曜日にサイン入りのご著書三冊が届く。そのうちの一冊を読み出したら面白くて、圧倒されてしまった。

光嶋さんは自らの生き様を”Always Think, Always Feel”(p250)と表現している。建築家は美的感覚に優れた人が多いが、光嶋さんの場合、思弁的で美的であるだけではない。地べたの感覚をしっかりつかんだ上でのThinkであり、Feelなのだ。だからこそ、ほんまもんの迫力がある。

彼はお子さんが生まれて気づいたことを、こんな風に書いている。

「赤ちゃんの行為についていくのは、なかなか大変です。大人の体力も消耗します。しかし、赤ちゃんは、生きることに必死なので、こちらも必死に応えてあげないと、すぐにうまくいかなくなります。自分の思うようにならない子育てという時間において、何かを計画通り執行することは難しく、その場その場で柔軟に対応するしかありません。
これこそ、レヴィ=ストロースのいうブリコラージュではないでしょうか。予定調和に事が進まない中で、いかにして、身体知のようなもの、あるいは野生の思考を発動させながら娘と豊かな非言語的コミュニケーションを成り立たせるかを考えています。この自分が最も愛情を注いでいる対象が、まったく思い通りにならないことが、自分という個人の枠を大きく広げてくれるように日々感じています。
合気道のお稽古のように、僕はこの娘をこの胸の中に抱えて、可能な限り彼女と同期しようとしています。まさに自分の想像を一気に凌駕するような行動をする娘とのかけがえのない時間を介して、生命力の神秘を少しの間だけ体験しているのかもしれません。」(光嶋裕介『建築という対話』ちくまプリマ−新書、p198)

光嶋さんに出会ったその日、梅田から帰りの新快速で芦屋でお別れする前、少しだけしゃべった後、「今日は初対面とは思えない、懐かしさがありました!」とリプライを頂いた。それは、この本を読んで本当にそうだと感じた。自分が感じてきたこと、言語化してきたことを、別のアプローチから言葉にしておられる。子育てがままならないこと、娘が圧倒的に他者性を持っていること、その中で娘の声に耳を傾けながら父が変わる柔軟性が求められていること。それらは、僕も6歳になる娘から教わり、その一部は『家族は他人、じゃあどうする? 子育ては親の育ち直し』という拙著に書かせてもらった。

だが、光嶋さんの手にかかると、この生活実感の「わかる、わかる」に、ブリコラージュと合気道、そして美しさが乗っかってくる。僕は娘と可能な限り同期しようなんて考えてこなかった。合気道の稽古を続けてきたけれど、娘と結びを作ってつながる、とは意識してこれなかった。また、ブリコラージュはもちろん知っていたし、僕の仕事のあり方も、福祉現場の人から問いを投げかけられて、その現場やメンバーの持っているものからなんとか解を導き出そうという「ありもの仕事」なのだが、娘との関わりが「ブリコラージュ」だとは想像してもいなかった。計画制御で頭でっかちの父ちゃんが、娘に予定調和を投げ倒されてとほほ、という記録は、上記のエッセイには書き込めた。確かにそのプロセスのなかで、父の枠は広がったと思う。でもその先に、「自分の想像を一気に凌駕するような行動をする娘とのかけがえのない時間を介して、生命力の神秘を少しの間だけ体験している」と言われてみて初めてそうだと気づいたけど、そんな風に言語化する力が、僕にはなかった。この深い思考と、それを表現する美しい言葉に、そしてそこにこもっている思いの力強さに、圧倒されていた。

こんなに僕が光嶋さんの考えに圧倒されるのは、先に光嶋さんの建築物を「体感」しているからかも、しれない。彼の建築物の一つである無形庵に通い、開放的なスペースで施術を受けている。もともと駐車場だったスペースに建てられた、文字通り小さな庵なのだが、中に入ってみると、天井が高くて、窓も大きくて、木のぬくもりがあり、開放感がある。ベッドで仰向けになると、細長い窓から空をずっと見上げられる。そこで、山本さんが好きなジャズやボサノバなどのLPをかけてもらいながら施術を受け、彼と合気道話で盛り上がっていると、何というか第二の我が家というか、ほっこりとした安心感に包まれるのだ。有名な建築家の設計した建物、といえば、使い勝手よりオリジナリティや美的感性が先立つもので、暮らしづらそう、と思い込んでいたのだが、無形庵はその逆で、もうちょっといたいなぁ、と思わせる、気持ちの良い庵なのである。

彼がそのような建築を生み出す理由を、「クライアントと同化していく」ことにあげている。

「自分が溶け込んでいくと、何か設計しているというより、自然と立ち上がる感覚、つまり、設計させられているように感じることがあります。過剰な作為が消えて、そこにあるであろう自然に形を与える作業のように思えるときがあります。自らデザインしているという気持ちが強すぎると、つい作為的な線になってしまうもの。クライアントと同化するということは、なるべくそうした自我を抑制しながら設計するということだと思っています。
そういうときは、途中でクライアントに何か言われたとしても全然嫌な気になりません。なに注文つけてるんだ、と怒るのではなくて、なるほど、そういう可能性もあったかと一緒になって考えるようにしています。相手と対立しないで、同化することは、対話を通して習合的に合意形成を図ることであり、そのようにして強度ある建築を作りたいと思っています。」(p157)

「過剰な作為が消えて、そこにあるであろう自然に形を与える」というのは、まさに無形庵を思い浮かべてぴったりな表現である。その場と対立しない、その場に溶け込んでいく、クライアントの生き様に同期しながらも、「対話を通して習合的に合意形成を図る」からこそ、光嶋さんの建築家としての英知が、山本さんの主催する場の中で花開く。そんな風に感じている。

そして、「初対面とは思えない懐かしさ」と言えば、実はぼく自身も、自分の仕事の仕方そのものが、「クライアントと同化していく」ことにあるのだ。

20年前、博論を書き終えて仕事を始めた頃は、誰も自分のことを見てくれない、評価もしてもらえない、と、「我が、我が」「僕見て、僕見て、ワンワンワン!」と吠えまくって自己主張していた。単にうるさいやつだった。でも、それで頭を打って失敗する中で、あるいは当時住んでいた山梨で様々なクライアントから非定型な相談が持ち込まれる中で、気がつけば、「自らデザインしているという気持ち」が消え始めた。なんともならない現場をなんとかしてほしい、というオーダーに応えるためには、ただひたすら現場の人々の声に傾ける必要がある。その中で、「相手と対立しないで、同化すること」によって、真の課題がおぼろげながら見えてくる。すると、「対話を通して習合的に合意形成を図ること」によって、依頼された仕事は、時には想像も及ばない方法で、深化していく。そうすると、研修でも講演でも、こちらの自意識をできる限り抑えて、「そこにあるであろう自然に形を与える作業」に没頭していくうちに、オーダーメイドの、唯一無二の、そしてクライアントがしたかった研修なり講演が実現できる。これは、僕が20年かけて生み出した極意なのだけれど、こんな風にやっている人が他の業界にいたんだ、しっかり言語化されていたんだ、と思うと嬉しくなった。

そんな光嶋さんの半生が綴られたこの本は、元々中高生向けの新書であり、将来娘さんに読んでもらいと彼女を想定読者(宛先)にして書いているので、彼の青春時代の葛藤も、隠すことなく綴られている。その率直さも、すごく共感できる。

「自分はあの人たちと違う、あの人たちは輝いているように見える、それに比べて自分は・・・と、劣等感を感じていた中学時代と違って、いま、俺は俺のフィールドをちゃんと開拓していけばいいのだ、と感じるようになっていました。要するに、そもそも他人と自分を比較することをしないということかもしれません。
何かを排除することでつくった表層の統一感よりも、ときにノイズのような雑多なもの、異物をも同居させることの方がよほど豊かなのではないかと思うようになって、ずいぶんと気が楽になりました。」(p113)

憧れと自己嫌悪の牢獄である他者比較に囚われると、その自己呪縛から抜け出すのは、簡単ではない、ぼく自身も若い頃はずいぶんそこでがんじがらめになってきたし、今でもたまに亡霊のようにとりつかれる時がある。でも、光嶋さんが書いてくれているように、自分のフィールドをどう開拓するか、の方が大切なのも、中学生から30年以上経って、本当にそう思う。さらに言えば、僕は正直、「○○の専門家です」という一芸に秀でた存在ではない自分への引け目をずっと感じてきた。結局はブリコロール(ありもの仕事)をする人なのだけれど、その雑種性への引け目、とでも言おうか。でも、光嶋さんはその有り様を、「何かを排除することでつくった表層の統一感よりも、ときにノイズのような雑多なもの、異物をも同居させることの方がよほど豊かなのではないか」と書いてくれている。そうなんだよね。ぼくはノイズや異物がたくさん自分のポケットに入っていって、興味関心もあちこち移り変わるし、「表層の統一感」がぜんぜんない。でも、そのほうが、「よほど豊かだ」と言われたら、そりゃそうだ!と思うし、嬉しくなる。引き出しが多いほど、対応力が豊かになる。一見すると関係ないAとBを掛け合わせ、Cという異なるものを作り出したり、AやBの世界を豊穣にすることだってできるのだ。

この本は、共感する部分が多すぎて、ドッグイヤーだらけなのだが、もう一カ所だけご紹介しておきたい。

「目の前の現実に満足しないで、より豊かな天命とのご縁のために、日々自分の中の人事を尽くす、そうした積み重ねは、果てしなく続きます。何かができるようになるための準備を怠らないということです。
その準備のための実りある対話を目指すには、やはりタイミング(時間)とシチュエーション(場所)が鍵となってくるのではないでしょうか。自分の行動力に対して、自分のセンサーが反応したとき(いわゆる「ピピピ」ですね)に、ふと我に返って考えて、少し間をとることだと思うのです。ゆとりを持つこと、それは、心の声を聴くための時間と言えるのかもしれません。物事には偶然と必然があると先にも書きましたが、誠意を持って他人と接していると、ご縁は『向こうからやってくる』と思うに至りました。
奇妙に聞こえるかも知れませんが、僕にとってのご縁とは、本当にそういうものなのです。理屈を超えています。運もとても大切な要素でしょう。ただ、自分なりの人事を尽くすことの先にある運だと思います。」(p50-51)

これも「初めてなのに、懐かしい」フレーズである。僕の人生そのもの、でもある。

大学院生では、ジャーナリストの弟子入りをしていた。福祉社会学も社会福祉学もどちらもなじめず、その境界領域にいた。50の面接に落ちて、初めて採用されたのは、法学部政治行政学科だった。誰も知り合いのいない山梨で、13年間対話を続けてきた。それは、「より豊かな天命とのご縁のために、日々自分の中の人事を尽くす」こと、そのものだったのだと思う。そして、どんなに忙しくても、「誠意を持って他人と接」することだけは、ぶれない軸として持ち続けていたと思う。だからこそ、確かに「ご縁は『向こうからやってくる』」と感じている。

「ただ、運が良さそうな人と一緒にいるのが一番いいように思います。そうした嗅覚が備わってくると、これぞというタイミングを逃さず、必ずしかるべき機械がくると信じて、備えつつ、じっと待つことができるようになります。そして、たいていの場合、そのタイミングとは「いま」なのです。」(p51)

光嶋さんと出会って本を贈り合う関係になったのは、ほかでもない2023年1月という「いま」だった。でも、だからこそ、彼の書いていることが、「初めてなのに懐かしい」ほどよくわかる。僕は建築家ではない。でも、彼が愛読してきた内田樹先生や村上春樹の作品を僕も読んできて、深い井戸を掘る感覚は、僕も共感している。このブログを書くのも、井戸を掘る、井戸の中で自分一人でたたずむ感覚である。そこからどこに向かうのか、書く前にプランがあるわけではない。書きつつあるプロセスのなかで、そのときの文章や思考に導かれて、文章を紡ぎ出していく。合気道で、光嶋さんほど、自分の感覚を研ぎ澄ますことはできていないけど、どこかで身体感覚を回復させたいと右往左往している。そういうプロセスの共通性があり、お子さんの年齢も近いこともあって、明らかに運の良さそうな光嶋さんと「いま・ここ」で出会えたのが、めっちゃ嬉しい。

書いてみたら、結局彼へのラブレターのような読書感想文になってしまった。

あと、この本を読んでいると、生命力のある家に住んでみたくなる。実家を出て四半世紀、ずっと借家暮らしだったのもあって、快適で生き心地のよい家に住んでみたい、志ある建築家と対話を重ねみたい。そんな夢想を抱かせる一冊でもある。

我執を吹き飛ばす出会い

昨晩は久しぶりにトークショーに一観客として参加し、めっちゃ興奮していた。ジュンク堂梅田店で開かれた、内田樹先生と青木真兵さん、青木海青子さんの対談である。内田樹さんは日本を代表する思想家で、青木夫妻はオムラヂで対話させて頂く「若き友人」である。こないだは海青子さんと「彼岸、幽霊、狂うこと」についての対話が盛り上がった。(「声がなんだ」

最もガツンとやられたのは、内田先生が「合気道の稽古とは、良導体をめざすことだ」と語られたことだ。野生のエネルギーが自らの身体を通じて発露するために、余計なことを考えたり、無駄な動きをせず、そのエネルギーがうまく通るように素直な身体をつくり、我執を捨てよ。身体の自然=良導体のパフォーマンスの最大化の邪魔をしないために、我執を捨てる必要がある、と。

何がガツンときたかと言えば、気がつけばぼく自身は「我執の塊」だったからだ。最近、自分の中で何かがくすぶり続けているな、と思ったが、それは「我執の腐臭」がくすぶり続けていたのである。それを突きつけられたようで、本当に、いてて、だった。

2009年から甲府で合気道を始めた。子どもが生まれたり、姫路に引っ越したり、コロナの自粛期間が続いたり、と飛び飛びになっているが、細々と続けている。甲府の道場でなんとか二段まで頂いていたが、それ以後、子育てに忙しく、なかなか稽古に行けていない。何より、よくわからない壁にぶち当たり、全く前に進めないように感じていた。道場が変わって、教わり方も変わったことも、ぼく自身の混乱に拍車をかけた。にっちもさっちもいかないような、閉塞感があった。

でも、もう20年も本を読み続けて、自分の中で勝手にスターであった内田先生に初めて生でお目にかかり、その謦咳に触れた際、「我執を捨てよ」と言われて、グサッときた。合気道でぼく自身が全く成長できていないのは、この「我執」に囚われているからだ、と。そして、「我執」に囚われているのは、もちろん合気道だけではない、ということも、痛感している。

トークショーの冒頭で、青木真兵さんや海青子さんの本が2刷り、3刷りと売れている、と聴いた。お二人とこの数年、仲良くさせて頂き、オムラヂなどにも出させて頂いている「若き友人」が活躍して、評価されているのは、素直に嬉しい。嬉しいのだけれど、「でも、ぼくのこないだ出した単著はまだ初版を超えていないよな」というドロドロとした我執が、つい漏れ出てしまう。青木夫妻に嫉妬や競争意識を持つことはない。でも、ツイッタで同業他者の活躍を見ると、憧れと自己嫌悪の自己愛モードに囚われて、しんどくなるときがある。そういうくすぶり=腐臭こそ、良導体のパフォーマンスを悪くする元凶である「我執」なのだ。そう、合気道だけでなく、生き様でも、我執の塊じゃん、と。そう思っていると、本当にいてて、なのである。

さらに言えば、良導体の話は、内田先生の本で何度も書かれていて、何度も読んでいる「はず」。にもかかわらず、しっかりわかっていなかった=身についていなかった、という事実にも、グサッとやられた。頭でっかちじゃん、と。

この「書かれていて情報として知っているはずのことが、現実にできていない=わかっていない」というのは、他にもあった。それが論語の「述べて作らず」である。

オリジナルな何かを自分は作れるはずだ、というのは「オリジネーター幻想」である、と内田先生は喝破する。そうではなくて、先達の師から受け継いだものを、自分なりに受け止めて、レシーブし続ける中で、自分なりに継承していくことができるよね、と青木真兵さんは受ける。そうだった、そうだった、『先生はえらい』にも書かれていたことだよね、とこの対話を聞きながら、僕は深く頷く。

実はオリジネーター幻想は、我執に強く結びついている。自分が生み出したものなのだから、自分が独占支配できるし、それによって競争に勝てるのだ。そんな弱肉強食の勝ち負け思考。意図や計らいに埋め込まれて、「我が、我が」と自らの占有権を主張しまくり、他者を蹴落とす思考。気がつけば、そんな「幻想」に何度も誘惑され、飲み込まれそうになる自分がいる。

でも、だからこそ、内田先生の言葉は、まっすぐ僕に届いた。「先生が、他でもないこの僕宛に、何かを伝えてくださった」という「コンテンツはわからないけど、宛先は僕だ」という「思い込み」を持つことができた。これも、内田先生が贈与論を用いながら何度も書いておられるけど、この「私宛に届いた」という「被贈与の感覚」が、「述べて作らず」の原点にある。師から受け継いだものは何か、を探り、やがてそれを語るようになる、というポジショニングは、まさに「我執」や「オリジネーター幻想」を超え、「述べて作らず」の「良導体」になる第一歩なのだ、と。その「被贈与の感覚」を、まさにライブで感じることができた瞬間だった。

実は、2005年からこのブログを始めたのは、内田先生のブログのまねだった。2003年に博論を書いた後、禁欲していた読書生活を再開した時に、当時話題になっていた『「おじさん」的思考』を手に取って、めっちゃくちゃはまった。以来、ブログを読みまくり、出される書籍は次々に読み進めていった。ぼく自身にとって、ほぼすべての本を読み続けているのは、内田先生と村上春樹、池田晶子だけ、である。そして、2005年に大学教員になった際、文章修行をするに当たって、内田先生がブログで書かれている骨法をまねて学ばせてもらおうと思った。

そして、山梨で県庁の仕事をしていた時に、ずっとお世話になっていた担当者のTさんが合気道の有段者だと知り、彼に導かれて合気道の道場に通うようになったのが2009年。以来、本だけで読んでいた合気道の世界を体感できるようになり、通っていた合気道三澤塾の先生や同門の方々のフレンドリーで開放的な姿勢に受け止められて、熱心に合気道に通うようになった。2013年には初段を、2018年には二段を頂いた。

こうやって勝手に師事していたが、内田先生ご本人には直接お目にかかったことはなかった。こういうのは「ご縁」であって、無理に接点を求めて近づくもんじゃない、と感じていた。そのときが来れば、どこかでつながるはずだ、とも感じていた。なので、2020年に青木真兵さんから突然メールが来た時、あの内田先生のブログやツイッタで登場する人から直接連絡が来た、とめちゃくちゃ嬉しかった。以来、真兵さんや海青子さんと何度も対話をする中で、すごく豊かに学ばせてもらっている。

そして、もう一つの結節点となったのが、無形庵の山本さんだった。これも内田先生が以前ツイートで姫路に来られていたのを見覚えていたことがきっかけ。凱風館の門人で合気道の有段者の山本さんが、三軸修正法の施術家として開業したのでお祝いに出かけた、と書かれていた。三軸修正法といえば、内田先生と池上六朗さんの対談ももちろん読んでいたので、その記憶が元になって、昨年から通い始めた。無形庵は、すごく独特な外観なのだが、施術されている間に空が見えて、狭いはずの空間なのに圧迫感が全くない、気持ちよい空間。聴けば、凱風館を設計した・そのご著書も読んだ光嶋裕介さんの設計だという。僕が読んできて、勝手に慣れ親しんだ世界が、そこにある・つながっている、とびっくりした。以来、施術を受けながら、合気道話にも花が咲いている。前回のエントリーで書いた「ファスティング」も、山本さんに助けてもらって、達成できた。

そして、その山本さんに誘われて、昨日のイベントに出かける。様々な弱い結びつきが、一気につながった瞬間だった。お手紙を入れた拙著は持って行ったが、膨大な献本があると山本さんから聴いていたので、内田先生にお渡しするのは迷惑かな、と逡巡していた。でも、内田先生が話すのを聴いているうちに、「宛先は私だ」と感じてしまったので、終了後、拙著をお渡しすることもできた。

そして、終了後の凱風館門人の皆さんが参加された食事会にも、ちゃっかり混ぜて頂き、その帰りの電車の中で、光嶋さんとお話しすることもできた。「今日は初対面とは思えない、懐かしさがありました!」とツイッターに書いてもらったが、まさにその通り。ぼく自身が読んできて、勝手に慣れ親しんできた世界に一気につながったような、懐かしさ満載、であった。

我執を捨てることは簡単ではない。でも、述べて作らず、を大切にして、良導体になるような文章を書き続けることは、僕にとって日常的にできる練習だ。このブログの備忘録メモもその一つ。最近、色々な閉塞感を感じていたが、それが一気に吹き飛ぶような、良い時間を頂いた。

2022年の三題噺

今年もブログの締めくくりは私的な三題噺。大きく動き始めた1年だった。

1,『家族は他人、じゃあどうする? 子育ては親の育ち直し』の刊行

4年ぶり・4冊目の単著は、まさかの子育てエッセイ。エッセイは書いてみたいと思っていたが、まさか子育てエッセイになるとは思っていなかった。かつ、子どもが生まれたあと、家事育児をしながら感じる男性中心主義や男らしさ(マスキュリニティ)、生産性至上主義などをがっつり問い直し、ケア中心の社会に至るためにどうしたらよいか、を地べたから考えるエッセイである。読んで下さった方は、「読みやすけど、具体的な子育ての話と抽象的な話の往復の度合いが激しい」という感想も頂く。現代書館の編集者Mさんとかなりやりとりをして、文章を何度もなんども書き直した。おかげさまで、今まで出した3冊の単著は全く読めなかったうちの母親も「これなら読めた」といってもらえた(^_^)

今年は、この本の刊行に合わせて、色々なイベントもした。平尾剛さんと梅田のジュンク堂で、青木海青子さんとは京都の誠光社で、トークイベントもさせてもらった。あと、メディアにも色々出させて頂いた。朝日新聞の高橋さんとポッドキャストで対談させてもらったことがご縁になって、朝日新聞ポッドキャストに出演してもらい、ファンだった神田さんと対談までさせてもらった(それはwithnewsで前編後編と記事になりました)。「こここ」では僧侶の松本さんと対談させてもらった(「ちゃんとしなきゃ」の呪いをとくには?福祉社会学者 竹端寛さん× 僧侶 松本紹圭さん)。そして、Wezzyでは、男性と家事、というテーマでお話しさせてもらった( 「家事しなくてもしゃあない」で許されていた中高時代 竹端寛さんの場合)。

本を巡る対話を色々重ねる中で、ぼく自身がケアや子育てについて考え直すことが多かったし、書籍化することで、それをネタに対話が深まるのはすごく豊かな経験だった。来年もこういう対話の機会が増えたら良いな、と思っている。

2,子どもの成長に驚く

子どもは年長組。この1年、様々な成長があった。その成長は「○○ができるようになった」と他者比較・能力主義的にまとめたくない。そうではなく、娘の唯一無二性が、どんどん育っている。そんな風に感じるのだ。

こども園ではサッカーのチーム戦!をしていることもあって、夏休みや冬休みは、しっかり父親もサッカーに付き合わせて頂く。ぼくはそもそもサッカーが嫌いで、小学校1年の時に親に入れられたスポーツ少年団を1週間で辞めた苦い思い出があったのだが、娘はそんな父親のトラウマなど気にすることなく、サッカーしよう!と誘って下さる。父は40年ぶりにサッカーのトレーニングシューズを買い求め、大晦日の今日も子どもとサッカーする。公園で子どもが遊ぶのを見ているのではなく、一緒に○○して遊ぶ、というのは、言葉以外でのコミュニケーションで、めっちゃ面白い。

そして、子どもは数字や文字、音楽など、様々な世界に興味を急速に深めている。そして、「自分で○○したい」と強く主張している。ここで親が「危ないからやめときなさい」「言うとおりにしなさい」と押さえ込むと、子どもの自主性が縮こまる岐路なのだと思う。昨日もカレーの具材を子どもと一緒に切っていて、包丁使いが危なっかしいと思うのだが、見守りながら一つ一つ、「自分でもできたよ!」という経験をしてもらいたい、と思う。子どもが自立的・自律的存在として、一人で判断し行動できるように、親がいかに観察して、伴走しながら、子どもが主体的に取り組めるように応援できるか。親がやってしまった方が早いことも多い中で、観察と一呼吸置くことができるか、が大きく問われていると感じる。

そして気づけば後数ヶ月で小学生になる。実は子どもより親が小学校に適応できるか、ドキドキしているのだが。。。

3,ファスティングをしてみる

ファスティングのコーチをして下さる方とご縁があったので、12月に1週間のファスティングに生まれて初めて取り組んでみた。断食である。最初の2日間で、炭水化物を抜き、食べる量を減らしていく。次の3日間は酵素ドリンクのみで過ごす。そして、最後の2日間は、重湯から少しずつならしていく。そんな一週間。実は手でグーをした量が胃の大きさで、一回の食事で咀嚼する量としては、ほんとうはそれくらいが理想的、とも学ぶ。

もともと最近食べ過ぎで、ベルトが1穴緩めなければならず、胃もたれしたり、でも食べる量を減らせず・・・と生活習慣が悪化していた。だが、自分では自制できなくて、どうしたものか、と思っていたので、渡りに船だった。断食期間より、準備食の2日目が一番きつくて、眠気が出たり、イライラしたり、としていた。でも、それを乗り越えると、嘘のように凪の日々で、酵素ドリンクのみの3日間は、仕事をしていても、身軽に動けた。75キロ以上あった体重が、最終日には70キロちょっとまで下がり、その後、72キロ前後で推移している。すごくありがたい。

で、このファスティングのあと、食事に関しての認識が深化した。食べ過ぎなら、食べる量を減らせば良い。酵素もとれるから、朝は生野菜をジュースにしたら良い。それを学んで、せっせと毎朝、生野菜とリンゴやバナナ、豆乳でジュースにして、朝ご飯はそれだけにしている。空腹感も出てくるが、ファスティングでなれてきたので、「ああ、あのいつものやつ」と思いながら、昼ご飯までかわしていくこともできる。それで、昼夜は楽しく食べ、飲んでいる。そういう生活ができるようになったのは、大きな成果だ。

体重が増えたら、たまに一日野菜ジュースのみで終わると、元に戻るとも言われたのが、大きな収穫。75キロから戻せない、と思い込んでいたので、サッカーもそうだが、思い込みを外せると、ことのほか嬉しい。

というわけで、今年も家事育児の合間に、あれこれしていて、本当にあっという間の一年でした。皆さん。よいお年をお迎えください。

「他者を貶めることがない」社会に向けて

年末に原稿を書きながら、読み始めたらめちゃくちゃ面白くて一気読みした本がある。それが、江原由美子さんの『持続するフェミニズムのために – グローバリゼーションと「第二の近代」を生き抜く理論へ』(有斐閣)である。この間、フェミニズムに関してモヤモヤしていた事が、まさに主題化されていた。それは「1%のフェミニズム」、またの名を「リーン・イン・フェミニズム」に関してである。

少し前に話題になった、政治学者のナンシー・フレイザー達による『99%のためのフェミニズム宣言』(人文書院)に僕も衝撃を受けた。そのことについて、江原さんはこんな風にまとめている。

「ナンシー・フレイザーの『第二波フェミニズムとネオリベラリズムの関係』に関する見方は、人の心をつかむよくできたストーリーである。第二波フェミニズムが求めた『女性の解放』=『自由の希求』が、皮肉にも歴史の仕掛けた『罠』の中で、フェミニストをネオリベラリズムを推し進める加担者にしてしまったというストーリー・・・。」(p70-71)

『リーン・イン』を書いたフェースブックのCOO、シェリル・サンドバーグは、「ガラスの天井」を越えて、子育てをしながらも、GAFAのトップの1人になった、という意味では、世界を変えた女性の1人である。2018年に日本語訳が出た当初、この本を読んで、女性リーダーの台頭を手放しで喜んでいた。だからこそ、『99%のためのフェミニズム宣言』を読んだ時に、ぼく自身の盲点を射貫かれるようで、衝撃を受けたのである。シェリル・サンドバーグは確かに『女性の解放』=『自由の希求』の体現者でもある。でも、彼女は子どもたちのケアを有色人種のナニーに任せて、猛烈に働いているではないか。それはまさにネオリベラリズムを推し進める加担者の1人ではないか。そんな1%のリベラル・フェミニストの影で、「貧困の女性化」により有色人種のナニーを初めとした99%の女性たちには光が当たらないままではないか。このフレイザーの提起は、「人の心をつかむよくできたストーリー」であって、ぼくもフレイザーの意見に同調していた。

フレイザーは問いかける。「承認」と「再配分」の政治において、第二波フェミニズムはマイノリティの「承認」にエネルギーを割き、権力や財の「再配分」に注力してこなかったではないか? だからこそ、80年代から隆盛を極めはじめたネオリベラリズムと結果的に軌を一にして、1%の成功者の女性を承認する代わりに、99%の「貧困の女性化」に対応せず、財の再配分がなされてこなかったことを放置したではないか?「女性の解放」は、結果的には男同様に働ける女性にとっては「自由の希求」だったかもしれないけれど、男性中心主義的働き方が変わっていない、という意味では、何も変容していないではないか?

このフレーザーの批判に対して、江原さんは丁寧に反論していく。その詳細は本書を読んでほしいのだが(僕はほぼ全てのページに赤線を引き、ドッグイヤーだらけになった)、特に心惹かれた部分を引用する。

「『リーン・イン』フェミニズム批判には、フェミニズム批判とは別に、『個人的自立のための資源や増大する選択肢、能力主義的達成』を思考するという女性に対する批判も読み取れる。(略)フェミニズムに対する『個人主義』的だという批判は、そもそも、女性が『個人』であろうとすること自体を身勝手と非難する近代家族の『家父長的ジェンダー観』に基づく価値判断を基礎としている。そして、そのような『身勝手な女性』の集まりであり、『恥知らずにもそのように身勝手な女の生き方を奨励する』フェミニズムを批判する人々も、多く同調者としてしまうのだ。しかし、男性ではなく『個人主義』的な女性のみを『身勝手』と批判することは、まさに近代社会における女性抑圧構造の一部なのである。」(p161)

シェリル・サンドバーグが男性だとしたら、「個人主義」なり「身勝手」と批判されただろうか。この江原さんの問いかけにも、グサッときた。そう、男性は家事育児をしない前提が日本では保たれているから「加点モデル」で、女性は家事育児をすることが前提だから「減点モデル」なのである。シェリル・サンドバーグにもその「減点モデル」を当てはめて、「家父長的なジェンダー観」に基づいて査定をしていなかったか? 少なくも、彼女を責めるなら、彼女の夫や他の共働き男性も、同じように責められてしかるべきではないか。この「なぜ女だけ批判に値するのか?」というのは、あまりにその通りである。

次に、承認と再分配についての江原さんの解釈にも、深く頷く。

「多くの場合、マイノリティは、何を主張する場合にもまず、自分たちがマジョリティと「同じ資格で存在』していることを、マジョリティに『承認』させなければ、その声を『聞いてもらうことができない』位置にいる。だからこそ、たとえ主要な主張が『再分配』であっても、『承認の政治』をも問わざるを得ないのである。」(p172)

これは、障害者運動を追いかけてきたぼくとしては、すごく良くわかる。障害者の分離教育や入所施設・精神病院への隔離が当たり前だった時代、自立生活を望む障害者達は、「母よ!殺すな」と訴え、強烈な自己主張をしてきた。以前ブログで紹介した横田さんは、こんな風にも言っている。

「障害者と健全者の関わり合い、それは、絶えることのない日常的な闘争(ふれあい)によって、初めて前進することができるのではないだろうか。」

日常的な闘争(ふれあい)をしないと、まず承認すらしてもらえない。その声を聞いてもらえないと、自分たちが求める再分配にたどり着かないのである。それはフェミニズムや他のマイノリティの社会運動にも共通することである、というのは、すごくよくわかる。

その上で、もう一つだけ引用しておきたいのは、右翼ポピュリズムとフェミニズムの対立と和解の可能性についての、江原さんの指摘である。

「おそらく白人男性労働者たちは、かつては自分たちこそ、地域の中心的支え手であるというマジョリティ意識をもっていたのではないか。自分たちの政治的立場を代弁してくれる政党もあり、さまざまな問題を解決する能力をもち、自信を持っていた。けれども、産業空洞化等により地域の産業は変化し、自らの経済状況も悪化した。かつて自分たちの政治的主張を代弁してくれた政党は、今は自分たちに関心を寄せないどころか、かつては中心にいた自分たちを差し置いて、マイノリティの方に頭を向けている。白人労働階級は、かつては政治の中心だったのに、今や『周辺化』されてしまいかねない状況に置かれているのだ。この状況に対する抵抗感が、自分たちをマイノリティに重ねて考えることを妨げる。マイノリティの奴らとは違う。自分達は『本流』なのだと。『右翼ポピュリズム』に傾倒する者は、まさにこの点において、マイノリティと自分とを重ね合わせることを拒否するのである。」(p141)

この記述を書き写しながら、それは廃藩置県後に没落した武士階級の「周辺化」と類似していると感じた。西南戦争に駆り立てた怒りや「右翼ポピュリズム」にも、同種の劣等感のようなものがあったのかもしれない。だが、江原さんはこのような整理で終わらない。こういう「マイノリティとして差別された経験」の共有から、「白人男性労働者」とフェミニストは、分かち合いの可能性がある、と指摘するのである。

「このような『属性ゆえに貶められる」という経験は、差別という社会構造が生み出すマイノリティに対する意味づけをマイノリティ自身に課すことで、差別という社会構造の責任をマイノリティ自身の属性に責任転嫁する差別行為を経験することだ。このような『周辺化』の経験は、属性やその属性に対するアイデンティティの強さにかかわらず、多くの人々が経験しているのである。つまり『共有されたアイデンティティ』が弱まってきたとしても、『貶められたアイデンティティの回復』ではなく、『貶められた経験』を共有できる可能性は広くあるのだ。異なる属性をもつ人々の間でも、『経験の共有』は可能である。アイデンティティの回復そのものを求めるのではなく、『貶められた経験を共有』することで、『他者を貶めることがない』社会の実現のために連帯することができるはずだ。このような連帯を可能にするためには、『アイデンティティの非本質化』という第二波フェミニズムの『文化主義』的方法論が、有効に機能するはずである。」(p195)

仕事や誇りを奪われたラストベルトの白人男性労働者たち。それは、「周辺化」されることで、蔑まれ、馬鹿にされ、その差別を内在化させることで、怒りをもつ。そして、そのやり場をフェミニズムや女性蔑視に向ける。一見すると、そんな右翼ポピュリズムと和解可能性などなさそうに見える。でも、マイノリティ同士で「貶められたアイデンティティの回復」を巡って競い合うと、それは「内ゲバ」になってしまう。そうではななくて、「貶められた経験」という共通体験で、繋がることは可能なのだ。差別され、理不尽な目にあってきたのは、家父長制の下で虐げられた女性であり、この30年で見捨てられた白人男性労働者であり、日本で言えば非正規雇用で食いつないでいる「ロストジェネレーション」だったりする。そういうマイノリティが、「『貶められた経験を共有』することで、『他者を貶めることがない』社会の実現のために連帯することができるはずだ」。

この指摘はまさにそうだし、ぼく自身が障害者運動にずっとシンパシーを持ちづけてきたのも、「『他者を貶めることがない』社会の実現のために連帯」することだったので、なるほど!と唸った。そして、それぞ実現するためには、『アイデンティティの非本質化』、つまり「女だから」「貧しい白人男性労働者だから」「非正規雇用だから」という「○○だから」というアイデンティティを「非本質化」することである。それは、女性運動や障害者運動が培ってきた伝統であり、グローバライゼーションの時代の今こそ、その論理を使えるのではないか。

この江原さんの提起は実に心強い。

それ以外にも、グローバライゼーション=ネオリベラリズムとイデオロギー的な理解をするフレーザーに対し、エスピン・アンデルセンの福祉レジームを用いながら、アメリカのようは自由主義以外の社会民主主義レジームの北欧や、あるいは日本のような家族主義のレジームは、グローバライゼーションの展開が別様である(北欧では再分配の政治は常に生き延びているし、日本では承認の闘争をし続けない限りジェンダーギャップ指数がいつまでも再下位であり続ける)という指摘など、刺激的な論考が多いのだが、ちょっと長くなったので、ご興味がある方は直接本書を手にして欲しい。

フェミニズムは全ての人を解放する思想である、というフレーズを改めてかみしめた良書で、この一年で読んだ本の中でも、最も心揺さぶられる本の一つであった。

「二人の協定」と互いの成長

子育てをしながら、いろいろな父ちゃん母ちゃんの話を聞いていると、どうもパートナーとの対話をじっくりされていない、する場合でも限定的な対話の方が、結構いるような気がする。仕事に家事育児まであったら、パートナーとの会話は二の次、三の次、になるようだ。

でも、実は仕事も家事育児も大変だから「こそ」、パートナーとの対話が必要不可欠なのだと思う。それを痛烈に感じさせる一冊を、ゆっくり読んだ。

「誰だって、自分の成長を育んでくれる関係、パートナーが自分という人間を丸ごと理解してくれる関係を望むだろうが、そういう関係を育てるには長い時間と手間がかかる。些細な物事に常に関心を払い、同時に将来を見据え、パートナーがどんな成長を望んでいるかに絶えず目を向けておく必要がある。その努力が絶えれば、カップルとしてなんとか関係を続けることはできても、理想の関係になることはできない。」(ジェニファー・ペトリリエリ著『デュアル・キャリア・カップル』英治出版、p258)

この本は、共働きで子育てにも向き合う多くのカップルにヒアリングをし、人生の移行期の課題を探った一冊である。パートナーがフルタイムで働いているか否かには関わりなく、パートナーが仕事と子育てと人生をどのように豊かに送っていくのか、を考える上で、様々な「よそ様のご家庭の実情」がわかって、そのエピソードを読むだけでも、実に示唆深い一冊である。

その中で、特に大切なのが「パートナーがどんな成長を望んでいるかに絶えず目を向けておく必要がある」というフレーズ。子育てに忙しく、仕事もなんとかこなさなければならない、と思うと、パートナーの成長は優先順位の3番目以下に下落しやすい。正直、子どもが小さかった頃は、そんな風に感じていた時もあった。でも、パートナーと意見が分かれて、口論になるような事態を振り返ってみると、だいたいにおいて、「パートナーの成長」を気にかけられないときだった、と思い出す。子どもの成長を見守りながらも、自分自身も成長したい。そして、それは自分だけでなく、パートナーも全く同じはず、である。

だが、性的役割分業が大分減ってきた、とはいえ、ケア領域を「女の仕事」と思い込む男性も少なくないので、家事育児の時間は妻に偏りやすい。すると、夫は自分の成長に投資する時間や余裕を残す一方で、家事育児を押しつけられた妻の側は、その物理的・心理的余裕がないまま、置いてけぼりになりやすい。その不均衡が不満になり、夫と妻の間での認識にずれが残り続けていると、不満や認識のずれが爆発し、言い争いになりりやすい。「相手がわからずやだ」と避難したくもなる。

その際、この著者が言うように、「些細な物事に常に関心を払い、同時に将来を見据え、パートナーがどんな成長を望んでいるかに絶えず目を向けておく必要がある」。自分がどんな成長を望んでいるのか、は、頭の中で常に考えているから、わかる。でも、パートナーがどんな成長を望んでいるのか、は、絶えず聞いてみないと、わからない。しかも、自分自身の成長課題も、状況に合わせて変化するのと同じように、パートナーの成長課題も変化する。仕事に家事育児と精神的に追い詰められていると、自分のことでいっぱいいっぱいになって、つい、パートナーの成長課題にまで気を配れない。でも、そんなときこそ、相手は「わかってくれない」「気を配ってもらえない」とイライラしがちで、それは「些細な物事」に現れやすいのだ。ぼく自身もその「些細な物事」の変化に気づかず、何度もドンパチしたことがある。

それを回避するために、著者は「二人の協定づくり」をしている、という。それは、二人で意識化したい・常に確かめ合いたい価値観と限界、不安について話し合い、共通した基盤を見つけるのである。そこにはこんなことが書かれていた。(p65-69)

価値観・・・何を幸せと感じ、何を誇りと思うのか? 何に満足を感じるのか? いい人生とはどんな人生か?
限界・・・地理的限界(どこに住むのか、転勤するか)、時間的限界(どこまで仕事に時間がとられても許されるか、出張はどれくらいOKか)、在・不在に関する限界(別居や配置転換はどれくらい許容されるか)
不安・・・仕事や育児に対しての、あるいはパートナーとの関係性の中での不安が高まらないうちに、率直に話し合うことが出来るか

そして著者は、人生の転換期は、二人が一緒に生活を共にしはじめ「どうしたらうまくいくか?」を模索する「第一の転換期」、中年期にさしかかり「ほんとに望むものは何か?」を自らに問いかける「第二の転換期」、子どもが巣立ったり退職期にさしかかることによって「いまのわたしたちは何者なのか?」を振り返る「第三の転換期」があり、それぞれの時期に「二人の協定」を見直せるか、も問いかけている。

ぼくとパートナーの場合、「どうしたらうまくいのか?」の最初の協定づくりそのものが、大プロジェクトだった。価値観や生き方が全く異なる他人と暮らしはじめ、大いに戸惑うことだらけで、その違いが最大化して、些細なことでもめることが何度も何度もあった。そのたびに、お互いの不安をさらけ出しながら、何を大切にしたいのか、を何度もなんども話し合った。面倒に感じることもあったが、それをしないと離婚の危機は「いま・ここ」に迫っていたので、仕方なくし続けた部分もある。だがそうやって、二人で確認する中で、「二人の協定」は明文化されていないものの、共有されるようになっていった。ただ、限界については曖昧で、その分、ぼくは仕事が集中してくると、家にいないことが多くなったが、そのぶん、たまに二人で旅行に行って埋め合わせる、などでお互い了解していた。

ただ、子どもが生まれたのは42歳で、ちょうど二人とも中年期にさしかかっていたので、「ほんとに望むものは何か?」を再定義する必然性に迫られた。特にシビアな問いになったのが、地理的限界、時間的限界、在・不在に関する限界である。

放っておいてたら死んでしまう小さな命を前にして、「どこまで仕事に時間がとられても許されるか」は大幅に変更が必要になった。少なくとも子どもが小さい間は、自分自身の成長課題より、家事育児にリソースを注ぎ込まないと、二者関係から三者関係への移行期混乱は乗り越えられない。自分では仕事を減らして家事育児に注力しているつもりでも、パートナーから見れば、「なんでそれもしてくれないの?」と怒りが爆発することもある。そんな中で、子どもが生まれる以前は出張しまくっていたが、それをほとんどなくす、という大幅な仕事の仕方の転換が求められる。出張が自分の生活や成長の一部になっていた、と錯覚していたので、そのモードをやめるのは、ある種、自分の身を切られるような辛さだった。でも、子どもと妻との三人の生活を豊かにするためには、必要な「成長の痛み」だった。その上で、二人の親は関西で、当時僕たちは甲府に住んでいて、あまりに実家が遠いことへの心配や不安もあり、二人で話し合って、ぼくの職場を姫路に変えることにした。妻は専門職なので、甲府でも姫路でも、すぐに仕事に就けた。

この第二の転換期でも、子どもが生まれて最初の数年は、本当に何度も何度もぶつかり合い、話し合った。それまで15年ほど一緒に暮らし、何度も話し合い、「二人の協定」がしっかりできあがっていたものだと思っていたが、子どもが生まれて三者関係に移行すると、「二人の協定」は全く新たに書き直す必要があったのだ。

だからこそ、この本は、すごく味わい深く、自分たちの試行錯誤(七転八倒!?)のプロセスを言語化してくれるようで、実に味わい深く読んだ。そして、冒頭にも書いたが、「パートナーの成長」をどれくらい意識化出来るかが問われている、というのは、本当に胸に響いた。気がつけば、視野狭窄気味になり、自分の成長やそれにまつわる不安でいっぱい一杯になる。子どもの成長については夫婦で日常的に話し合うが、その話し合う二人の、お互いの成長を、そこで話題にすることは、意識化しないと出てこない。ぼくはそれを忘れている場面が多い、と痛感させられた。そして、この本を読み始めてから、何度かパートナーの成長について話題にし、それを一緒に考え始めている。

そういう良い変化を与えてくれる良書でもある。パートナーがフルタイムで働いているかは関係なく、カップルとしての成長を考える上で、重要な一冊になりそうだ。