地域支援におけるストレングスモデルへ

ずいぶん久しぶりのブログの更新。ここ最近は、ツイッターで書くことはあっても、ブログにまで手を付ける暇がなかった。5月末から6月前半にかけて、二つの学会の口頭発表に向けたフルペーパー作りに、国際学会の共著のフルペーパーが元々のデフォルト作業に挙がっていた。それだけでなく、大学の学内仕事も急激に立て込み、その上で「精神病棟転換型施設」に関して、放っておけないのでシノドスに原稿を書かせて頂いた。空いている時間はずっとパソコンに向かって何らかの原稿を書き続けていて、割と満身創痍。へろへろ、である。

ただ、そうやってアウトプットをしているようだが、去年までとは違う仕事の仕方をしている。昨年までの二年間は、これまで10年くらい書きためていた内容を、二冊の本にまとめる作業であった。だが、今は新たなジャンルにチャレンジしているので、ある種、書きながら考え、インプットしているような日々でもある。すると、読み返す本でも、別の視点から眺めることができる。
「支援のパラダイムを病理的な観点からストレングスとリジリアンスへと変更することは、クライエントにつていの新たな考え方をもたらしてくれる。それは、クライエントに内在するストレングスや力を引き出す支援体制につながる。それは単に、既存の病理学的なパラダイムに『ストレングスを足して混ぜる』以上のことである。そのようなパラダイム転換は、クライエントの欠点ではなく、技能、適性、能力を評価する新しい創造的なかかわり方をもたらす。」(『ストレングス・モデル 第三版』ラップ&ゴスチャ著、金剛出版、p74)
このラップのストレングスモデルの第一版は、翻訳者が精神科医だったこともあり、非常に医学モデル的な翻訳で、その良さが分からず「積ん読」書だった。だが、大阪府大の三田さんに「翻訳が悪いから、英語で読んで! めちゃ、感動するから」と言われて第二版を英語で読んで、その鮮やかな当事者中心性に魅入られた記憶がある。その後、リカバリー概念をよく理解した福祉研究者たちによる第二版の翻訳も出て、この1月に書き改められた第三版の翻訳も出た。で、たまたまこの第三版を読んでいて、上記の箇所に、別の引っかかりを持ち始めた。これって、個別支援の話に限定されることはないな、と。
ここ数年、地域包括ケアシステムや地域福祉領域で、現場支援の仕事にコミットしている。その視点で、ストレングスモデルを捉え直すと、実は地域への関わりも、これまでは「病理的な観点」ではなかったか、という問いが生まれる。限界集落や、支援困難事例など、家族やコミュニティの「問題」ばかりに焦点化してこなかったか。その地域や家族の持つ「良さ・強み」や復元力(リジリアンス)を信じ、その快復を信じていただろうか、という問いである。家族や地域の持つ「技能、適性、能力」をポジティブに「評価」し、「新しい創造的なかかわり方」をしてきただろうか。専門家が決めた枠組みの中で、「問題家族・限界地域」と固着化し、その「病理」を専門家と家族や地域の相互関係の中で増幅させてこなかっただろうか。
そこから、最近読んだ複雑系の議論にも接続可能だ。
「反復によって、『局所的』な変化で最も小さいものが、無数のたび重なる行動を通じて、予想外の、予想不可能でカオス的な帰結をもたらし、そして時としてエージェントが、自らがもたらそうとしていたものとは正反対のものを生み出すことになる。」(『グローバルな複雑性』ジョン・アーリ著、法政大学出版会、p71)
地域支援においても、例えば介護予防事業などのような「反復」が、正の効果を生み出すか。人々の役割や誇りや生きる希望に着目することなく、ADLにのみ着目する介護予防事業の反復は、一定以上の効果はもたらさず、返って「予想外」の「もたらそうとしていたものとは正反対のものを生み出すことになる」可能性はないか。そして、ここからは暴論だが、実は介護予防のパラダイムも、介護予防対象者をある種の「病理モデル」で捉えているが故の限界、とは言えないだろうか。それを、リカバリーやリジリアンスの視点で捉え直す、パラダイムシフトが求められているのではないだろうか。
具体的に考えてみよう。介護予防の脳トレとか、介護予防体操だとか、現場でされている実践にケチをつけるつもりはない。だが、繰り返し述べるが、人は役割や誇りや生きる希望を持つことが、最大の「生き甲斐」につながる。人の「良さ・強み」や復元力(リジリアンス)の発揮は、これらの役割や誇り、生きる希望と密接にリンクしている。そして、そのストレングスやリジリアンスに着目した支援を展開するか、病理モデルで捉えるか、で、何を「反復」するかも変わってくるのだ。

地域支援においても、問題を予防する、という病理モデルで関わるか、その地域の強みや良さ、復元力を信じ・伸ばすストレングス視点で関わるか、は、全く別の「反復」を生み出すはずだ。「何もない」「問題ばかりがある」と思ってその地域に関われば、支援者は「出来ないところ、だめな部分」を無意識に探そうとする。問題のない地域などないのだから、そのようなアプローチで探れば、実際に問題点はザクザク見える。そして、その問題にのみ「反復」的に関わる事が、結果的のその地域の「問題」のみをクローズアップし、問題に対応し予防しようとしているようで、問題の極大化につながりかねない。これは、例えばスラム地区を「問題地区」とのみ捉えて地域開発を行っても、スラム地区の改善にはつながらない、という海外の事例を思い出す。

一方、その地域は魅力的である、その魅力を探そう、という単純なアプローチは、そもそも関わる側が、「その地域には支援者の知らない何らかの潜在的な可能性があるはず」という前提で関わる。前者との「先入観」の違いによって、支援者と地域住民とのポジティブなコミュニケーションが増幅=反復する中で、その地域に関するネガティブな反復をポジティブに変え、「問題予防」モデルとは「正反対」の成果が浮かび上がってくる可能性があるのだ。これは、例えばチーム山梨の実践の中でも、「御用聞き」モデルという形で実践されはじめている。

こういうアイデアと、出会いながら、学会発表などでアウトプットしながら、新しい何かをつかもうと、インプットし続けているのかもしれない。

「五つのステップ」という学恩

連休後半でようやく時間が出来たので、録画した「ほのぼの屋」の映像を見る。僕がこの「ほのぼの屋」さんの存在を知ったのは、2002年。博論調査をしている真っ最中だった。ちょうどオープンほやほやの「ほのぼの屋」さんを訪問して以来、だったが、今年二軒目のお店を開く、と番組で知り、嬉しくなった。それと共に、博論で掘り下げたことを、もう一度、反芻しながらこの番組を見続けていた。(YouTubeにもアップされています)

博士論文をどういうテーマで掘り下げようかと迷っていたD2の終わり頃、大熊一夫師匠から、こう言われた時には、文字通り頭が真っ白になった。

「タケバタくんは、どうも精神科ソーシャルワーカーに執着しているようだから、いっそのこと、京都中の精神科ソーシャルワーカー全員にインタビューして、そこから発見したことを論文でまとめるように。それがなければ、君に博士論文の道はない。」
それを言われたのが2002年の冒頭で、博論締め切りはその年の12月末。文字通り、1年を切ったタイミングで、まさかの巨大調査。しかし、それをしなければ博論の可能性はない、とまで、師匠に断言されてしまう。強烈なピンチ。だが、迷っている暇もないほど追い詰められていたので、フィールドワーク先の精神科病院のベテランPSWにご協力頂き、京都のPSW協会の当時の会員120人強全員に連絡させて頂き、うち117人からインタビューさせて頂く、という無謀な試みを始めた。そして、確かに師匠の言うとおり、この「ほぼ全数調査」は、博論だけでなく、その後の僕自身の研究を進める上での大きな原点となった。
この調査は2002年の春から秋までのおよそ7ヶ月くらいでやり終えたので、死にものぐるいの調査だった。舞鶴から精華町まで、京都は縦に長い。そして、京都市内だけでなく、郡部にも様々な作業所や授産施設もあり、PSWは点在している。1名の方は電話インタビューだったが、後の方には、全員に会いに出かけた。研究費をどこからも貰っていなかった(助成財団に申請するというアイデアすら浮かばないほど追い詰められていた)ので、家庭教師や塾講師で稼ぎながら、毎日京都中を駆けずりまわり、話を伺い、インタビューデータを整理し、分析する、という過酷な日々だった。だが、その際に指導教官の大熊由紀子さんに、次のようにアドバイス頂いたことが、このインタビューを実りある論文に変えるきっかけとなった。

「現場で見聞きしたことから、どのような法則があるのか、をまとめてみては? 私も『おゆきの法則』としてまとめているのよ」
由紀子さんがおっしゃる、「作業仮説をたてる⇒法則を発見する⇒実証・検証・分析によって、それを吟味する、というプロセス」は、グラウンデッド・セオリーにも通じる、帰納法的な調査の王道である。だが、当時、グラウンデッドはおろか、帰納法と演繹法の違いも怪しい状態だったので、とにかく「インタビューデータから法則を作るんだ」という言葉を念仏のように唱えながら、現場に通い続け、話を聞き続けていた。その中で、冒頭にご紹介した「ほのぼの屋」の総支配人で、まいづる福祉会に所属するPSWの西澤心さんのお話を伺った頃から、ぼんやり法則のようなものが、僕の頭の中に浮かび始めた。
「僕が『オモロイ』と思うPSWって、現場を変え、社会資源を作り出している人だ。でも、本当に地域を変えた人って、当事者や周りの他人を変える前に、まずは自分が変わることからスタートしているのではないか?」
そういう予感を基に、インタビューデータを読み返して見ると、確かにオモロイ展開をしている人は、精神障害を持つ当事者の「本音」に出会い、まず自らの態度や考え方、既成概念や偏見の限界に気づく。そして、根本的に仕事のあり方を変えようとする。西澤さんが冒頭の番組でも話していたけれど、「障害者でもまともな給料がほしい」という本音に対して、「あなたは○○が出来ないから無理」と決めつけるのではなく、「では障害を持ちながらも、まともな給料が払える仕事を作り出すにはどうしたら良いか?」を考える。「出来ない100の理由」で説得するのではなく、「出来る一つの方法論」を徹底的に考え抜く中から、ブレークスルーとなるアイデアを思いつき、その実現に向けて周囲を巻き込み、渦を大きく展開する中で、無理に思えたことを実現していく。その結果として、障害当事者の役割や誇りを取り戻す支援が展開でき、それが希望につながる。そんなプロセスが見えてきたので、「五つのステップ」という法則にまとめてみた。
<精神障害者のノーマライゼーションを模索するPSWの五つのステップ>
ステップ1:本人の思いに、支援者が真摯に耳を傾ける 
ステップ2:その想いや願いを「○○だから」と否定せず、それを実現するために、支援者自身が奔走しはじめる(支援者自身が変わる) 
ステップ3:自分だけではうまくいかないから、地域の他の人々とつながりをもとめ、個人的ネットワークを作り始める 
ステップ4:個々人の連携では解決しない、予算や制度化が必要な問題をクリアするために、個人間連携を組織間連携へと高めていく 
ステップ5:その組織間連携の中から、当事者の想いや願いを一つ一つ実現し、当事者自身が役割も誇りも持った人間として生き生きとしてくる。(最終的に当事者が変わる) 
(竹端寛 2003 「精神障害者のノーマライゼーションに果たす精神科ソーシャルワーカー(PSW)の役割と課題―京都府でのPSW実態調査を基にー」大阪大学大学院人間科学研究科博士論文)
たとえば、ほのぼの屋の展開に当てはめるなら、それまでのまいづる福祉会がやっていたのは、ごく普通の作業所であり、工賃は1,2万円が上限だった。でも、「まともな給料がほしい」という「想いや願い」に、西澤さんや支援者たちは「そんなの無理」と否定せず、本気で実現するための奔走を始める。その中で、古本屋を始め、それがやがてレストランの運営という物語の展開を引き寄せ、月4、5万円の給料、多い人では月7万円を超える給料を支払うことが可能になり、ご本人の「役割」と「誇り」を取り戻す支援に
つながる。そして、このステップは、ほのぼの屋に限らず、例えば共生型ケアを始めた「このゆびとーまれ」の惣万さんや、精神障害者の地域支援の先駆的存在である「べてるの家」の向谷地さんなど、地域を変えてきたソーシャル・アクションの担い手に共通するプロセスであることも、博論を書いた後になって、気づき始めた。そのことは、博論執筆後10年後にやっと出せた単著、『枠組み外しの旅-「個性化」が変える福祉社会』の中で、整理することが出来た。
社会を変える前に、他人を変える前に、まず自分が変わる。
これは、言うは易く、行うは難いこと、である。特に福祉現場のような支援関係であれば、指導・助言は簡単に支配に転化しやすい。そんな中で、認知症や精神障害を持つ当事者を変えることより、その人が置かれた社会的環境を変えることで、障害のある人でも、認知症であっても、「ごく普通の暮らし」が実現できる。それが、スウェーデンやデンマークなどの北欧で実践されてきた、ほんまもんの「ノーマライゼーション」の中身そのものであり、博論を書いた後、僕自身もスウェーデンで半年暮らす中で実感したことでもある。
そして、僕自身はこの「5つのステップ」という作業仮説を法則化し、吟味するプロセスに歩み始めることが出来たので、その後、障害者地域自立支援協議会や地域包括ケアシステム、あるいはコミュニティ・ソーシャルワークの現場実践に関わるようになっても、ずっとこの「五のステップ」から、眺め続けている。このプロセス化は、僕自身が博論で気づいたこと、だけではなく、その後の10年の、そしてこれからの僕自身の仕事を形成するための、一つの軸というか、視座の獲得につながった。
そんな学恩を、西澤さんを始めとした京都のPSWの方々や、大熊由紀子さん、大熊一夫さんから頂いたんだなぁ、と走馬燈のように思い出しながら、映像に見入っていた。

ほんまもんの「共生社会」とは?

この原稿は、日本知的障害者福祉協会の出している「さぽーと」第61巻第2号に掲載された文章です。入所施設で働く職員や施設長が読まれる雑誌で、お題は「共生社会の実現に向けて」だったので、少し踏み込んだことを書いてみました。長いので、お暇と時間がある方は、どうぞ。

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「私たちが目指す共生社会の実現に向けて」


<はじめに>

「共生社会の実現に向けて」とは、一見すると、支援現場で働く「あなた」にとっては、すごく遠い「お題目」に見えるかもしれない。だが、知的障害のある人と支援者が日々どう向き合っているか、という目の前の課題の「捉え直し」が、共生社会の実現という大きな社会構造にも少なからぬ影響を与える。そのことを、具体例に基づき、考えてみたい。

<フィールドワークの現場にて>

10年以上前、とある入所施設で調査研究を行う際、まずはその施設の実情を学ばせてもらおう、と「一日体験」をさせてもらった。私が受け入れられたのは「重度棟」と呼ばれ、強度行動障害を持つ方や、重症心身障害の方が入所されていた。その棟に足を踏み入れてまもなく、何も言わずにスッと近寄ってきて、私の手を握ってくれた男性がいた。仮にAさん、と呼ぼう。

Aさんは言語的コミュニケーションが難しい方である。私が色々話しかけても、何も答えてくださらない。でも、ずっと手を握って、施設内をあちこち動こうとする。「なるほど、今日は一日Aさんが私にお付き合いしてくださるのだな」と勝手に納得して、手をつながれるまま、施設内をぶらぶらしていた。その後、とある「事件」が起こることなど、全く予期せぬまま。

Aさんと私は、日中はデイルームとして開放されている、食堂の片隅に座っていた。やがて夕食の配膳の準備が始まると、支援スタッフがそこにいた当事者のうちの何人かを食堂の外に出し、食堂の扉の鍵を一旦施錠する。多くの利用者は、食堂の外からガラス越しにこちらを眺めている。私とAさんはその光景を、食堂の中からぼんやり見ていた。

そして、支援スタッフは当日の夕食の配膳を始めた。味噌汁にご飯、おかずと各テーブルに並べていく。Aさんと私が座っているテーブルにもその食事が並べられていった。すると突然Aさんは、目の前のおかずを猛烈な勢いで食べ出した。必死の形相で、目の前の一人分だけでなく、他の人の分まで食べようとする。私はオロオロして、「Aさん、食事時間まで待とうよ!」と語りかけ、ご飯を食べる手を押さえようとするものの、Aさんは食事に集中して聞いてくれない。するとベテランスタッフ達が「しまったなぁ」という顔でやってきて、暴れて抵抗するAさんを二人がかりで抱きかかえ、食堂の外に連れ出す。オロオロしながら後から私もついて行くと、「静養室」と書かれた部屋にAさんを入れ、外から鍵をかけた。Aさんは必死に扉をガンガン叩いているが、あるスタッフは「もう今日の晩飯は十分に食べたから、オシマイ」と言って、食堂に戻っていった。

後でそのスタッフに伺うと、食堂の配膳時には、きちんと食事まで待てる人以外は外に出ておいてもらわないと今日のようなことが起こるということ、そしてAさんは普段は外に出される人であるということ、今日は私が一緒にいたのでそれをしなかったこと、が語られた。私には、「静養室」の中から扉を叩きながら私を見つめるAさんの表情が、今でも脳裏に浮かぶ。そして、「静養室」から出された後のAさんは、私と目を合わせず、決して手もつないで下さらなかったことも・・・。

<どちらの視点で眺めるか>

このエピソードを誰の視点で眺めるか、によって、見えて来る風景は大きく異なる。

まず、支援者の視点で眺めてみるならば、私の行為は「招かれざる客」による、「秩序を乱す行為」に映ったのかもしれない。ただでさえ少ない人員配置基準で、特に夕食時の配膳にも時間がかかる。その際、Aさんのように支援者の制止が聞かない利用者は、外に出しておくしかない、というのは、この棟でのある種の「裏ルール」である。なのに、外部者(私)がそのルールを破ったが故に、面倒なことになった。こっちだってAさんの気持ちを尊重したいのは山々だが、管理栄養士が一日の栄養バランスをきっちり調整してくれている食事なので、みだりにその量や内容を変えたくはない。そもそも、Aさんにじっくり付き合いたいが、50人の入所者を数人のスタッフで支援する為には、その余裕はない。すると、申し訳ないが、手のかかる事態になった場合は、静養室で落ち着くまで居てもらうしかない。言葉でそのことを伝えてわかっていればいいのだが、あいにくAさんはそれもわかってくれないので、力尽くでもそうするしかない・・・。

この視点も、支援者側にとっては、一つのリアリティを構成している。だが、別の視点で眺めてみると、別のリアリティも浮かぶ。

Aさんには、重い知的障害があり、言語的なコミュニケーションは取れない。IQ測定不能、と言われる。気に入らない・思い通りにならない事が起こった時には暴力行為を起こす、と記録されている。だが、Aさんは、他者との日常的接点を求めている人かもしれない。他人と手をつないでいると、安心感が広がり、心穏やかでいられる。いろいろと感じることも、考えることもあるのだが、とにかくそれを言葉として表現する事が出来ない。また、支援者が言うことは聞こえていても、どう判断し、考えればいいのか、を落ち着いて整理出来ない。また、そのような経験も少ない。その昔、家族と共に暮らしていたときは、食事だって自分の分がしっかり用意され、自分のペースで食べる事も出来た。だが、今暮らしている施設では、他の人に取られてしまう心配もあるので、とにかく早く食べなければ、とガムシャラになった。あと、不安が強くなると目の前のことしか見えなくなり、言葉や行為で制止されても、その意味がわからず、ますます不安が強まり、必死に反発する。本人にとってはSOSの自己表現なのだが、それが「暴力行為」と見なされて静養室に閉じ込められる。でもAさんは、不安故に必死になっているだけなのに、なぜそれで閉じ込められるのか、さっぱり理解できず混乱は深まり、必死に扉を叩いて抵抗する。「ここは恐ろしいところだ」と恐怖を感じながらも、毎日を必死で生きている・・・。

<グレーの立ち位置から>

このような整理の仕方には、様々な「反応」が考えられる。

Aさんの日常生活を支援していない『外野』は、好き勝手なことを言える」「現場の苦労も知らないくせに」「うちにもAさんのような人はいそうだ」「やってもいないものが、余計な口出しをするな」・・・

断っておきたいが、私は裁判官でも評論家でもない。どちらの、誰の見方が「正しい」「悪い」と査定・糾弾したい訳ではない。ただ、知的障害のある人との「共生」を考えるなら、上記の二つの見解の相違をつなぐ橋を架けなければならない、と考えている。その際、大切なのは、白と黒、善と悪を二項対立的に並べることではなく、むしろグレーの位置から考える、ということである。ジャーナリストの佐々木俊尚は、自らの新聞記者経験の自戒を込めて、次のように整理している。

本来われわれは絶対者ではない。絶対的な悪でもなく、絶対的な善でもない。その悪と善の間の曖昧でグレーな領域に生息している。しかしそのグレーな領域で互いの立ち位置を手探りでたしかめている状態、その状態こそが当事者である。われわれはそういうグレーな領域のなかに生息することで、つねに当事者としての立ち位置を確認する。グレーな領域こそが、インサイダーの本質なのだ。そしてこのグレーを引き受けることこそが、社会をわれわれ自身で構築するということにほかならない。(佐々木俊尚『「当事者」の時代』光文社新書、p361)

的障害のある人に関わる支援者も、「グレーな領域に生息している」。ゆえに、徹底的に当事者主体を貫くことも、逆に徹底的に支援者主導を貫くこともできる。

当事者主体を本気で貫くならば、集団管理や一括処遇をしなければ運営が成り立たない入所施設の人員配置基準そのものを問わざるを得なくなる。20118月に出された『障害者総合福祉法の骨格に関する総合福祉部会の提言』のパーソナルアシスタンスの定義の中で言われた、「1)利用者の主導(支援を受けての主導を含む)による、2)個別の関係性の下での、3)包括性と継続性を備えた生活支援」こそが、知的障害のある人への個別支援にも必要不可欠な制度だ、と感じるようになる。すると、入所施設という構造そのものへの問いが生まれて来る。

一方、支援者主導を重視するなら、重度障害者の安心・安全や「親亡き後の我が子の幸せ」を現実的に護るセーフティーネットの機能として、入所施設は必要不可欠だ、と整理出来る。その入所施設の人員配置基準そのものが低い現行法内で対応するには、少ない人数で効率的に当事者を支援する事も求められるため、時には「支配」的な関わりをしても、「しかなたい」とされる。そして、集団管理と一括処遇を続け、なかなかじっくりと一人一人に関われない中で、支援者の口頭での指導で応じない当事者に対しては、時として強制的な「指導」をすることも「やむをえない」雰囲気が出てくる。

支援をする「支援当事者」も、「グレーな領域に生息している」。ただ、支援者のあなたがそのグレーを「どう」引き受けるか、で、どのような「社会をわれわれ自身で構築する」のか、が変わってくる。そして、それはあなた自身が、社会をどのような「枠組み」で捉えているか、で変わってくる。

<二つの視点>

具体的に考えてみよう。私はしばしば講演で次の「二つの視点」を用いて皆さんに問いかける。あなた自身は、普段どちらの視点で物事を眺めていますか、と。

①「○○法・制度・体制での現実」の分析

  法自体やその枠組みを自明で変えられないもの(暗黙の前提)とし、「出された法・制度・体制の中でどう今の現実・事業・問題に適用しようか」と考える

  社会システム適応的視点(目の前のものを見る)

② 「法・制度・体制の枠組みや問題点」の分析

  制度や法内容を知った上で、その内容・説明を「鵜呑み」にしない。「私や私たち、地域の皆が豊かで自分らしく生きていける社会を作るためには、どこが問題・ツボなのか?」という視点から、法や制度、データを検討する

  社会システム構築的視点(鳥の目でものを見る)

「現実主義」を標榜する人ほど、①の視点で見ているかもしれない。確かに、②は一見すると理想論を追いかけるだけで、現実と乖離しているように、見えなくもない。だが、ここで問いかけたいのは、「法自体やその枠組みを自明で変えられないもの(暗黙の前提)」とする、という視点である。実は、知的障害のある人との共生を妨げているのが、法や制度の枠組みそのものである、としたら、どうだろう?

一人一人の支援当事者が、一生懸命、心を込めて知的障害者に向き合いながら支援をしていても、その現場の、一法人や一個人の努力だけでは解決出来ないことがある。それが、「重度障害者は入所施設での支援が『当たり前』」とされる制度設計であり、入所施設では個別支援が不可能で集団管理型一括処遇をせざるを得ない人員配置基準である。また、グループホームも20人以上の大規模型でも「しかたない」とされる論理である。

率直に申し上げて、これらの法制度の枠組みには「どうせ」「しかたない」の壁が立ちはだかっているように、私には見える。「昔から決まっているから(社会保障費はこれ以上増やせないから、知的障害者は生産性が低いから、国民の理解が得られないから・・・)」「どうせ」「しかたない」の壁。だが、これらの「出来ない100の理由」こそが、知的障害のある人との「共生」を妨げる最大の壁ではないのだろうか?

<枠組み外しの旅>

こう書くと、「そんなこと言われても、一人の支援者が法や制度、システムに関わる事など出来る訳がない」という批判が来るかもしれない。確かに、あなたや私「だけ」では、マクロな現実は変わらない。でも、社会やシステムの総体を変える前に、まず、あなたや私の関わり方そのものを、変える必要はないのだろうか? 社会システムに対する「どうせ」「しかたない」という「諦め」や「出来ない100の理由」を、知的障害のある人への支援の際にも、無批判に適応・転嫁していないだろうか? そうではなく、現場レベルから、「出来る一つの方法論」を徹底的に考え抜く実践を展開出来ているだろうか?

2012年に出版した『枠組み外しの旅-「個性化」が変える福祉社会』(青灯社)の中で、私自身が問い続けてきたのは、これらの問いであった。「支援当事者」は、支援対象者と関わり合う中で、支援を構築している。その際、支援制度やシステムという「所与の前提」の中で、関わり合うことが基本とされている。だが、その支援現場で、「支援当事者」であるあなた自身の関わり方を変えたら、個人やシステムそのものに影響を及ぼすことも、不可能ではない。あなたや私が変わる事で、あなたや私が関わる世界に変化をもたらすことが出来る。その渦は、最初は小さくても、やがて渦が拡大する中で、あなた自身の「個性化」にもつながり、それは社会変容とも重なるのではないか。それを論じた。

その実例が、スウェーデン人のベンクト・ニィリエである。彼は、知的障害者の家族会(FUB)のオンブズマンをしていた1960年代に、知的障害者が処遇されている数多くの入所施設・特殊病院を訪れた。そして、入所施設の個々の支援(現象)に共通するパターンや構造が集団管理型一括処遇である、と気づき、それは「アブノーマル」である、と結論づけた。それを変える為に、1969年、「ノーマライゼーションの原理」(注1)を発表した。

1,ノーマライゼーションは、知的障害者にとっての一日のノーマルなリズムを意味している。

2,ノーマライゼーションはまた、ノーマルな生活上の日課も含んでいる。

3,ノーマライゼーションはまた、本人にとって意味のある休日や家族と一緒に過ごす日々を含む、一年のノーマルなリズムを経験することを意味する。

4,ノーマライゼーションはまた、ライフサイクルにおけるノーマルな発達的経験をする機会を意味している。

5,ノーマライゼーションの原理はまた、知的障害者本人の選択や願い、要求が可能な限り十分に考慮され、尊重されなければならないことを意味している。

6,ノーマライゼーションはまた、男女が共に住む世界に暮らすことを意味する。

7,知的障害者にできるだけノーマルに近い生活を獲得させるための必要条件とは、ノーマルな経済水準を適用することである。

8,ノーマライゼーションの原理で特に重要なのは、病院、学校、グループホーム、福祉ホーム、ケア付きホームといった場所の物理的設備基準が、一般の市民の同種の施設に適用されるのと同等であるべきだという点である。

ニィリエが提示したこの「8つの原理」は、「出来ない100の理由」ではなく、「出来る一つの方法論」の提示であった。この原理に基づいて、欧米でも、日本でも、知的障害者本人の「ノーマルな生活環境」の構築が進められてきた。スウェーデンでは、19991231日までに入所施設を全廃する法律まで作り、実際に2003年にはゼロになった。それは、パーソナルアシスタンスなど地域で支援する制度を知的障害者の権利として保障するLSSという法律が作られたからこそ、実現した成果であった(注2)。

まり、ニィリエ個人の「枠組み外し」は、それが「原理」として示される中で、多くの人や社会に影響を与えた。1960年代には入所施設ケアという「枠組み」は、世界的に変えられない「常識」であった。だが、このニィリエの「枠組み外し」の「原理」は、その後たった30年で、スウェーデンでの入所施設ケアを終焉に導く原動力になったのである。あなたの支援現場では、この8つの原理は護られているだろうか? 「出来ない100の理由」と「出来る一つの方法論」のどちらが重視されているだろうか? これらの問いかけは、知的障害を持つ人との共生を考える上で、大切な問いとなる。

<セルフアドボカシーについて>

ころで、このニィリエの提唱した8つの原理の中で、当時、家族会から最も反発が強かったのが、5の自己決定・自己選択の原理であった。「自分独自の意見や考えを持つこと」は、親の支配下からの「巣立ち」を意味している。「そんなこと出来るはずがない!」と思い込んでいた家族達の眼には、ニィリエはある種の「危険思想」を吹き込む人に見えたのだろう。彼はこの原理を提起してまもなく家族会から実質的に追い出されるのだが、その背景にも、「知的障害者はあくまでも親の主導に従うこと」という信念体系があった。

この信念体系について、「対岸の火事」と笑い事に出来るだろうか?

「支援」現場において、「する・される」の関係は、「グレーな領域」である。たとえ言語的コミュニケーションが殆どとれない対象者と相対しても、支援される側の表情や眼の動き、行動パターンなどから支援者が学び続け、本人の笑顔や心地よさが増える支援を心がけることも出来る。一方、支援者の都合に合わせて、当事者をコントロールすることも可能である。「支援」は、「支配」に転嫁する可能性を多分に秘めている。意思決定支援も、その支援に携わる支援者が「支配的」な支援をしているならば、本人の意思決定を豊かにするどころか、身近な抑圧者にすり替わってしまう危険性を孕んでいる。これでは、知的障害を持つ本人にとっては、「共生」社会ではなく、「強制」や「矯正」を強いられる事態となりかねない危険性もある。

そこで大切な視点が、セルフアドボカシーの考え方である。

セルフアドボカシー(self-advocacy)とは、一言で言えば「自分自身や同じ経験を持つ仲間による権利擁護」である。従来型の権利擁護やアドボカシーは、「必要なことなら何でもしてくれる擁護者(advocate)」にお任せする形が主流であった。ここでは擁護者の専門性と性善説に基づき、あくまでも依頼者は「援護の客体」として擁護者に全面的に依存する、という流れのなかに位置する。あたかも弁護士や医師に対して「全面的にお任せ」するように。

一方、セルフアドボカシー支援では、問題解決の主体は擁護役ではなく、本人自身であると位置付ける。ただ、自分だけでは解決できない(しにくい)から、「自分の問題を解決するために必要な戦略や技術を学ぶのを助けてくれる人」(the self-advocate)に頼る。しかし、それは一時的・部分的なものであり、セルフアドボカシー支援の目標はあくまでも「自分のために発言し、自分の人生に影響を与える決定に参画できるよう力をつけること」である。

ただ、このセルフアドボカシーの考え方については、「身体障害者や軽度の知的障害者には当てはまっても、重度の知的障害者にはそぐわないのではないか?」という疑問を抱かれるかもしれない。しかし、私が出会ったAさんだって、セルフアドボカシーの視点で支援を考えていれば、その後の展開は随分異なったのではないか。今なら、そう言えそうだ。

<権利擁護が支援を変える>

Aさんが必死の形相で目の前のご飯を、他人の分まで食べていた。それまで落ち着いて私の手を導いてくれていたAさんとは、全く他人のように豹変した姿。そこには、食事に対する強いこだわりや、あるいは切迫感のようなものがあった。それを「職員の制止が効かない逸脱行動」と捉えるのは、本人の行動を管理・支配したい支援者側の欲望が現れた視点、とは言えないだろうか。普段落ち着いている人が、なぜ食事に関してだけは、落ち着きをなくすのか。そこに、本人なりの強烈な「○○したい」という思いや願い、切迫感のあるSOSの自己表現が存在する。そう捉えるならば、その「問題を解決するために必要な戦略や技術」を支援者と支援対象者が一緒に考え合うのが、セルフアドボカシーに基づいた支援戦略、とは言えないだろうか。

繰り返し述べるが、支援と支配は紙一重の関係にある。「問題行動」を制止する事が目的になれば、支援は簡単に支配に成り下がる。2013年の暮れに発覚した千葉県の袖ケ浦福祉センター養育園の虐待事件でも、暴行行為の理由として、「支援がうまくいかず、手を出してしまった。安易な方法に頼ってしまった」と職員が答えていた、という(注3)。「支援がうまくいかない」というのは、支援現場でしばしば見られることだ。この際、チーム支援や相談できる関係性が組織的に保たれていないと、抱え込み・燃え尽きや、今回のような虐待・暴行などの結果を生み出しかねない。支援現場とは、常に「グレーな領域」なのである。

だからこそ、対象者がどのような障害・状態であろうとも、支援現場で常に求められるのは、ご本人が「自分のために発言し、自分の人生に影響を与える決定に参画できるよう力をつけること」というセルフアドボカシー支援である。自傷他害や問題行動という形でしか「自己表現」(=発言)が出来ない人が、その命がけの自己表現で何を伝えようとしているのか、を、支援チームで探る姿勢である。その中から、ご本人の人生によい影響が生まれるように、本人と支援チームが一緒になって共同決定していく姿である。一人の支援者が本人の気持ちを勝手に代弁して意志決定支援をせず、支援チームと本人が想いを共有するなかで、より良い支援の方向性を一緒に模索する、「出来る一つの方法論」を探る姿である。そういう権利擁護に基づいた仕事の仕方こそ、支援現場を変えていく。

そんな思いを込めて、昨年、『権利擁護が支援を変える-セルフアドボカシーから虐待防止まで』(現代書館)という本も上梓した。支援現場では、矯正・強制の方向にも、また共生の方向にも進みうる、「グレーな領域」である。であるからこそ、「出来ない100の理由」も、「出来る一つの方法論」も展開しうる現場である。制度やシステムを変えるのは簡単ではない。だが、支援者であるあなたが、セルフアドボカシーを学び、権利擁護に基づいて支援を変えていく中で、支援現場は少しずつ、変わり始める。その姿勢が、社会を変える第一歩となる。支援現場のあなたが、権利擁護実践をどう展開出来るか。この個別支援の試行錯誤が、知的障害を持つ人との共生に向けた、大きな一歩となるはずだ。


1・・・Nirje, Bengt. 2003. Normaliseringsprincipen. Stockholm:
Studentlitteratur. (
ハンソン友子訳 2008『再考・ノーマライゼーションの原理 : その広がりと現代的意義』現代書館)

2・・・竹端寛「スウェーデンではノーマライゼーションがどこまで浸透したか?」平成15年度厚生労働科学研究障害保健福祉総合研究推進事業 日本人研究者派遣報告書 

 http://www.dinf.ne.jp/doc/japanese/resource/other/takebata.html

注3・・・毎日新聞 20131215日 『袖ケ浦の少年死亡:施設虐待「最も悪質」 実態解明を要求』 http://mainichi.jp/select/news/20131216k0000m040009000c.html

立場主義の呪縛を自覚化する

年度末から新年度にかけて、仕事がみっちり立て込んできた。その間、3月末に墓参を兼ねた旅に出かけたら、見事に沖縄で風邪を引いてしまう。でも、向こうで養生して、甲府に帰ってきたら治ってしまい、仕事仲間から「甲府での緊張感が抜けたのですね」「向こうで緩んで、帰って来たら仕事モードなのですね」と言われて、ハッとさせられる。反論したいが、全くその通り。

で、そのことの意識化、だけでなく、自分自身が今、強く意識化していることがある。それは、手前味噌ながら、拙著に書いておいたことだ。
「実は僕自身、大学講師の時は、「大学教員」というエクリチュールの「虜囚」性をそれほど意識していなかったし、それがマイナスの循環性である事にも気づいていなかった。しかし、「准教授」という肩書きに変化した後、しばしば自分の中で「山梨学院大学法学部政治行政学科准教授」という肩書きが鳴り響く。それは、「准教授」という肩書きが求めるエクリチュールや役割期待と、「タケバタヒロシ」という実態との乖離の部分もある。おそらく「准教授」役割(エクリチュール)を当たり前のものとして引き受けるか、あるいは逆に「タケバタヒロシ」という個性や本性を突き通せば、この乖離はなかったのだろう。だが、僕自身は准教授の肩書きと個性の間で揺れ動いていたので、この肩書きから召喚の声と一体化できずに、でもその声を聞き続けていた。」(竹端寛『枠組み外しの旅-「個性化」が変える福祉社会』青灯社、p42-43)
エクリチュールとは、「社会的に規定された言葉の使い方」という意味で、ロラン・バルトが提唱したものである、と僕は内田樹先生の本を通じて学んだ。このエクリチュールが大きな問題になるのは、単なる言葉の使い方を超えて、「生き方とセットになっている」という点である、と内田先生は指摘している(『街場の読書論』)。例えば「やんきい」でも「国会議員」でも「教師」でも、単にそれっぽい言葉の使い方をするだけでなく、表情や感情表現、服装やはたまた宇宙観までが影響される、というのだ。確かに、「やんきい」が政治を論じる姿はあまり見かけないし、本来バカではないはずの「国会議員」が反知性主義的な発言をする。政治を論じたい「やんきい」も、反知性主義を諫めたい「国会議員」も、それぞれのエクリチュールに拘束されて、その枠組みやパッケージに反する言動を自己抑制してしまう、というのだ。
そして、「教師」という自分の仕事でも、同じことが言える。引用部分で述べたかったのは、大学院生時代のメンタリティーを持っていたタケバタヒロシくんが、「准教授」という肩書きになった後、「山梨学院大学法学部政治行政学科准教授」というエクリチュールと、「タケバタヒロシ」の本性とが、乖離・分裂した状態のままで、非常に違和感を持ち続けた、ということだ。「僕自身は准教授の肩書きと個性の間で揺れ動いていたので、この肩書きから召喚の声と一体化できずに、でもその声を聞き続けていた」結果、僕は大きな「危機」に陥る。それが、『枠組み外しの旅』を書かせる原動力になった。
その「危機」の話にご興味がある方は拙著をご高覧頂くとして、今日書いておきたいのは、「その後」の話である。「准教授」というエクリチュールと「タケバタヒロシ」の分裂の危機を、『枠組み外しの旅』を書きながら、何とか乗り越えてきた。その後、あのしんどさは何だったのだろう、と思っていると、この本でもお世話になった安冨先生が、非常に明快に整理して下さった。それが「立場主義」である。
立場主義三原則
1,「役」を果たすためには、なんでもしなくてはならない。
2,「立場」を守るためなら、なにをしても良い。
3,人の「立場」を脅かしてはならない。
エクリチュールが生き方とパッケージになっている。これは、「立場」を守るためなら何をしても良いし、「役」を果たすためにはなんでもしなければならない、という「立場主義」そのもの、である。「准教授」という「立場」や、それに付随する「役」。それを守るために、そのイメージを汚さないために、様々な思いや感情を持つ「タケバタヒロシ」に蓋をして、「准教授」に適合的な部分だけを表出せよ。そういう社会的な同調圧力に対して、どこかで身体が納得しきれなくて、「肩書きから召喚の声と一体化できずに、でもその声を聞き続けていた」のであった。それが、「一次的存在論的安定」に亀裂をもたらす、深刻な危機に僕自身を追い込んだ。3年前の今頃、ある種、自分の中の何かが分裂する危機にいたのだ。
だが、その自らを追い込む呪縛の構造を自覚化し、その「枠組み」を外し、「箱の外に出る勇気」を持つことによって、僕は、何とか快復していった。今から思えば、この『枠組み外し』本は、「立場主義」という「箱の外に出る勇気」を持つために、ある種の自覚化を促し、結果論として自己治癒的に書いた本なのかもしれない。
そして、その「自覚化」が出来たからこそ、今、僕自身が直面している、より強固な「立場主義」の「呪縛」についても、そのものとして「自覚化」出来ている。
四月から、肩書きから「准」が外れてしまった。
そのことが何を意味するのか、よくわからない。だが、多分に「立場」や「役」の拘束力や呪縛が、以前の肩書きより遙かに強固であることは、想像に難くない。実は、この肩書き変更は、真剣に辞退しようと考えたのだが、結果的に立場主義三原則に抵触する可能性もあり、辞退しない選択をした経緯もある。既に、審査の段階で、立場主義の呪縛の枠内にいたのだ。
ただ、以前と違い、「箱の外に出る勇気」を持てている。自らの本性に対する違和感が「立場主義」である、という自覚化が出来ている。さらに言えば、その「立場主義」からの「枠組み外し」の方法論も、自ら一度くぐり抜け、整理してきたので自覚化出来ている。僕自身が人間らしく生き続ける為に必要なのは、この「自覚化」である、と強く感じている。自己呪縛を乗り越えるのは、自覚化である。その「武器」
を手に入れた分だけ、以前よりもずいぶん楽に暮らせそうだ。

援助屋をenjoyする

一ヶ月ぶりのブログのタイトルが、まさかの親父ギャグ(^_^)

いやはや、この話をする前に、怒涛の一ヶ月をちょっとだけ振り返る。前回のエントリーが雪害だった、というのが随分遠い昔に感じられるように、雪で閉じ込められた数日間以後、馬車馬のように動き続けた。毎週、三重や岡山、宮城に岩手と出張を重ね、年度末も重なったので会議や打ち合わせ、講演や原稿執筆にも追いまくられていた。いや、過去系ではなく昨日も卒業式の後に東京で会議があり、今日は南アルプス市で一日セミナーをこなす。文字通り、「二月は逃げ、三月は去る」状態だ。
その中で、強く感じ始めているのが、オモロイ何かを探し続けたい、という気持ち。それが、表題の「援助屋をenjoyする」につながる。
事の発端は、岡山ツアーからだった。ここ数年、地域福祉領域をかじり続ける中で、どうも「まちづくり」と同じ事を議論している、と感じ始め、そちらの本も読み進めてきた。でも、「まちづくり」系の本は、商店街の再生や農村・里山再生という表題になり、書店のコーナーでは地場産業や地方行政、都市計画、あるいは農業のコーナーにおかれている。一方、地域福祉の本は、福祉のコーナー以外には置いていない。シャッター通りにせよ限界集落にせよ、共に高齢者の多い地域、という意味では、福祉的課題と見事に重なるはずなのに、どちらも自分達の領域から越境しようとなかなかしていない。この領域には新参者の僕でも、「何だか変だ」という直感くらいは働いていた。
その思いを、岡山で昨秋講演をした際にぶつけた所、主催者のソーシャルなスナフキン、西村さんが、その話に共感してくれた。それだけでなく、「岡山にはオモロイ現場がありますよ!」、と教えてくれた。それが中国山地の鳥取県との県境、岡山県美作市梶並地区。そこで山村シェアハウスをやっている藤井さんと西村さんは友人だという。これは渡りに船、とばかりに、地域福祉とまちづくりの接点を見つける旅に出かけたい、とお願いした。そして、気がつけば、スナフキン西村さんは、「竹端先生と回る日々のオモロイと『地域福祉』をつなぐ学びの渦への旅」という、ながーくアヤシイタイトルの旅のツアコンをして下さっていた。
そんなこんなで、高齢化率が5割を超えた梶並地区に20人ほどの地域福祉やまちづくりに関わる若手・中堅が集っていた。「こんなに賑やかな視察は初めて」と藤井さんに言わしめるほど、みんな元気でワクワクしていた。午前中は現地で様々な山村おこしを展開する藤井さんと能登さんのお話しを伺い、地元食材を使っためちゃ旨いカレーをお昼に頂いた後、現地を視察。その後開かれた座談会「日々のオモロイと地域福祉をつなげる!」が予想外の展開だった。
この座談会、ソーシャルなツアコン・スナフキンの西村さんの企画意図としては、まちづくりと地域福祉の担い手が議論し合うことで、その接点を見出したい、という企画意図だった。そこで、僕はというと、ちょうど読み返していた『リーダーシップの旅』に出てくる三つのフレーズをもじって、次のような「三題噺」をするのはどうだろう、と思いつきを送ってみた。
1,自分自身がどう日々の「オモロサ」を作り上げているか :lead the self
2.そのオモロサを、自分だけでなく、周囲を巻き込みながらどう展開しているか :lead the people
3,それが社会に向けてどんな発信に繋がっているか :lead the society
結果的に、この三題噺の座談会は、めちゃくちゃ濃密な時間になった。地域福祉とまちづくり、という領域を超えて、本気で地域で関わる人々は、まず自分自身の「オモロサ」に忠実であること、だからこそ多くの周りの人が「それ、オモロそうやん♪」と寄ってくること、そしてそのうちにその対象地域なり現場なりがその「オモロサ」に気づいて、発信と対話の渦が拡大する中で、状況が変わってくること。この動的プロセスは、全く同じだった。実はこれは『組み外しの旅』の二章に書いた「反ー対話的関係を超える」の中で紹介した、僕が博論調査で整理した「地域を変えたソーシャルワーカーの動的プロセス」と、結構似ていた。ただ、10年前の博論調査では、押さえていなかったことを、今回改めて発見した。それは、
「やっている本人が、『すべき・しなければならない』ではなくて、『オモロサ』を感じて飛び込んでいる」
という点だ。これは、根本的に重要だと感じる。
「すべき・しなければならない」というshould,mustのアプローチ。これは、規範的なものであり、他者に関しては「ある特定の価値観を押しつける」という形で作用しやすい。でも、自分が「したい」「楽しい」「オモロイ」と思って取り組むことは、would like toの世界であり、他人事ではなく、自分事の世界。それを楽しんでいたら、周りにもその「オモロサ」に気づく仲間が見つかっていく。「すべき・しなければならない」の重苦しさがなく、「何だか楽しそう」という共感は、比較的他人にも伝染しやすい。その中から、「オモロイ」の共感のネットワークが広がる中で、一つのアクションが展開して行く。こういう「学びの渦」は、自他共にワクワクが相互作用し、拡大する中で、徐々に拡大していく。それが、ソーシャル・アクションなり「街の再生」なり、という「結果論」に結びつく。そう感じ始めた。
その実感を持って岡山から帰ってきた三日後、今度は被災から三年が経った気仙沼・陸前高田・大船渡・大槌と巡るヒアリングの旅に出かけた。こちらは、大学院時代の仲間で、国際協力や緊急人道支援がご専門の桑名さんに連れて行って頂いた旅だ。これまで海外の災害時や紛争後の人道支援に携わり、現地に長期間滞在しながら支援活動を続けてきた多くのNGOが、被災地に入り込んで支援活動を展開している。その現場の評価のお仕事をされる桑名さんのヒアリングに同席させて頂き、12月に出会った某包括の方々に再会する旅でもあった。
その二泊三日の旅の中で、桑名さんからふと「援助屋」という言葉を聞いた。緊急人道支援に携わる人々は、自分達のことをそう呼ぶらしい。なるほど、僕だって、支援現場に役立つ仕事をしたい、という意味では、広義の意味での「援助屋」の1人だなぁ、と。そこから、岡山ツアーで学んだ「オモロサ」の話が繋がってきた。
「そうだ、援助屋だって自分達の仕事をenjoyしてもええんや!」
誤解なきように慌てて付け加えると、援助対象者をダシにして楽しむ、ということを意味しているのではない。そうではなくて、支援現場での自分の仕事を「ワクワク」しながら、「オモロイ」なぁと実感を持ちながら、展開して行くこと。それが、長続きするし、燃え尽きないし、結果的に良い仕事につながるのではないか。もちろん、そのプロセスでは、辛いこと・苦しいことは一杯ある。lead the selfからlead the peopleにつながるプロセスは、自分の内面と向き合う試練でもある。しかし、そのモチベーションに、自分自身の「個性化」に向けた探求をしたい、という「オモロサ=enjoy」があっても良いのではないか、と感じている。逆に言えば、「すべきだ・しなければならない」だけで仕事をしている人は、福祉であろうと教育であろうと、対人直接援助の現場では、他人に自らの歪みを押しつけるような破壊的構えになってしまう。それを打破するのが、「オモロサ」であり、「援助屋をenjoyする」という感覚なのだ。
そういう意味では、今年、被災地のある自治体包括にお邪魔しながら、地域の課題を共に考え合うプロジェクトに携わるプロセスに、突入しそうだ。それは、「震災後の被災地を支援しなければならない」という強迫観念ではない。その包括チームの皆さんと出会いを重ねる中で、そこの包括チームの苦悩をうかがう中で、「なんか僕でも出来そうなことがありそうだ!」という予感を持ち始めている。僕は、自分の論文を書くための調査を現場でしたい、とは思わない。逆に、現場に役立つ仕事が出来るなら、やりがいがあるし、何より「オモロそうだ」と感じる人間だ。そういう意味では、根っからの「援助屋」なのかもしれない。そして、その援助屋としてenjoy出来そうな、たまたま被災地と呼ばれる自治体現場と、出会うご縁を頂いた。
これからも、徹底的に「援助屋をenjoyする」モードを突き進みたい。そう感じた疾風怒濤の旅の渦中、だった。

想定外の事態とブリコラージュ

2月14日から15日にかけての大雪、まさか大規模な災害になるとは、当初は思ってもいなかった。
たまたま14日の金曜日は休みを取って松本に遊びに出かける予定だったのだが、朝からの急激な雪で予定を取りやめ、どか雪の中をスーパーに買い出しに出かけた。その時点では、甲府が陸の孤島になり、スーパーやコンビニから生鮮食料品が消えるとは思っていなかった。夕方降り積もる雪の中、1時間かけて車の雪かきをしていたが、まさか土曜朝に車がすっぽり埋まって、掘り出すのに3時間かかると思ってはいなかった。土曜は雪かきの後は家に籠もっていたので、まさか甲府市内ですら交通網が寸断されているとは思わなかった。テレビを付けても雪害の情報は殆どなく、多くの人々が県境や山間の道路・集落で孤立状態であるとは、土曜の段階では知るよしもなかった。まさか14日の大雪で未だに中央線の特急が止まっていて、19日の東京出張までボツになって、家でブログを書くことになるなんて、思いも寄らなかった。
事態の深刻さにやっと気づけたのは、日曜朝に近所に偵察に出かけ、除雪が手つかずの道路、埋もれている家々、あちこちでスリップして動けない車、おにぎりなどがすっからかんのコンビニ・・・などの甲府市内の現実を、目の当たりにした時だった。その後、日曜からせっせとツイッターに情報を投げたり、あるいは収集する中で、各地の大変な実情を掴み始めた。やっと中央のメディアや政府も、月曜日くらいからその全容を掴み始め、報道量も格段に増えた。その後の展開は、皆さんもご存じの通り。政府や県庁に対策本部が設置され、月曜くらいから、甲府の上空を飛ぶヘリの量が格段に増え始めた。
そんな未曾有の「想定外」の事態の中で、多くの人が、自分の現場で、出来ることを懸命にこなそうとしている。自分の家だけでなく、近所の道を必死になって雪かきし続ける。スリップして動けない車を、一緒に押して助ける。気になる要援護者の安否確認に奔走し、食事や薬を届けたり、雪かきを手伝ったりする。フェースブックで各地の被害情報をシェアしたり、ボランティアセンターを立ち上げたり、その現場に駆けつける。被害情報を集め、それを県や国に届ける。帰宅困難者のために、炊き出しなどを行う。・・・様々な現場で、様々な助け合いの営みが、自発的に展開されていた。
であるが故に、中央の政府やマスコミの動きが、後手後手に廻っているのが、目についた。SNSでも批判の声が多く挙がっていたのが、「日曜の首相は、災害対策の陣頭指揮を執らず、友人と天ぷらを食っていた」「マスコミはソチ五輪一色で、被災地情報をほとんどじてない」といった批判だ。
確かに、この二つについては、僕自身も「どうなってるんだ!」と憤りを覚えた。だが、怒りの感情に、ふと別の視点が舞い込んだ。「これって、311の後と変わらないのではないか?」と。
3年前の東日本大震災の後、初動体制の遅れやリーダーシップの不足が指摘されたのは、別の政権与党における首相だった。311の時はさすがに地震報道一色だったが、多くの孤立地域の情報は、被災後数日経たないと、その詳細も報じられなかった。それを、リーダー個人の能力不足や、マスコミの五輪利権などに原因を求めて批判する人も、少なくない。ただ、五輪は別にして、中央の政府やマスコミの対応が、3年前と今回で共通性が高い場合、それを個々の政治家や報道機関の問題に矮小化していいのだろうか。むしろ、中央集権的なシステムの限界、と考えた方が、よりクリアに見えるのではないか。そう思い始めている。
「まさか」という「想定外」の出来事。想定外、とは、普段から想像やシュミレーションが出来る範囲を超える、ということである。ということは、その現場を見ない限り、イメージがわかない、ということである。「事件は現場で起きている!」とは、「現場以外では、その事件のリアリティはわからない」という視点でもある。しかも、「2月8日の東京の大雪被害だって、翌日の9日にはなんとなかった」という直近の記憶が張り付いていたら、それが認知に大きな影響を与え、現場からのSOSに対しても、「今回の雪だって、一晩で止むよ」「災害だなんて、大げさな」という形で、「問題」を「問題」として、認識出来ない。
図らずも今回の大雪の対象地域に甲府がなった為、気づけたこと。それは、甲府や山梨の深刻さが、他の場所に伝わるために随分時間がかかった、ということだ。そして、そこには情報量の絶対的な不足、だけでなく、「まさか」「そんなはずはない」という、「想定外」に対する想像力の弱さの問題もある、と思う。逆に言えば、私たちの生活は、それほど「想定内」だけで、日常が廻ってしまっているのだ。
ジャストインタイム方式というのがある。これは、世界最大の自動車会社、トヨタの考えた「無駄を徹底的に排除する思想」だそうで、同社のHPに次のように書かれていた。
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「ジャスト・イン・タイム」とは、「必要なものを、必要なときに、必要なだけ」という意味です。自動車のように3万点にものぼる部品から造られている製品を、大量にしかも効率良く生産するためには、部品の調達などのために、ち密な生産計画を立てる必要があります。その、生産計画に応じて「必要なものを、必要なときに、必要なだけ」供給できれば、「ムダ、ムラ、ムリ」がなくなり、生産効率が向上します。
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この生産性と効率性を重視する思想は、実は現代日本で暮らす私たちにも染みついているのではないだろうか。例えば、大雪の後、スーパーやコンビニの生鮮食料品が空っぽになったり、あるいは月曜火曜のスーパーでは、品薄の商品を求めて渋滞や行列が出来た、というエピソード。そこには、「スーパーやコンビニが自宅の冷蔵庫代わりなので、買い置きは特にしない」というライフスタイルはなかったか。
さらに言えば、「必要なものを、必要なときに、必要なだけ」を実現可能にするためには、物流や道路などのインフラ整備が進んでいなければならない。Amazonの当日配達なども、これらのインフラ整備のお陰、である。裏を返せば、インフラ整備が進んでおらず、人や物の移動が困難だった時代は、冬期における食料や燃料の備蓄は当たり前だった。いや、その備蓄の為に、多大な労力を注ぎ込まない限り、冬は越せない、という時代だった。つまり、少しの自然災害だけで、日常生活に多大な被害が出るため、ボーイスカウトの標語ではないけれど、「備えよ、常に!(Be prepared)」でないと生き残れなかった。毎年のように予想できない想定外の事態と、戦い続けた日々だった。
それが、戦後の高度経済成長、そしてここ20年代の急速なIT化で、「予測可能」とどこかで錯覚しはじめたのではないか?
確かに、インフラ整備や高度情報化社会の中で、「コントロールできる範囲」が確実に増えた。だからこそ、大量生産・大量消費が可能になり、そこから、「必要なものを、必要なときに、必要なだけ」という思考や行動様式が生まれてきた。だが、これらは、昨日や今日が明日、何もなく続くことが前提となる、平時の思想である。突発的な災害や事故など、「想定外」の事態に飲み込まれると、もうコントロール不能になる。でも、そんなコントロール不能なことに直面する機会が少なくなり、自然を制御した、と錯覚すると、想像力が、以前に比べて低下した。だからこそ、本当に想定外の事態に飲み込まれても、杓子定規な前例踏襲的対応を取ったり、あるいはその問題の重要性に気づけなかったりする。あるいは、実際、その現場に直面すると、パニックになって、何も考えられなくなってしまう。
これは、マスコミや官僚、中央の政治家への批判に留まらない。僕自身に内在している「盲点」ではないか、と感じ始めている。
では、どうすればいいのか?
単純な話だが、「世間の常識や前例を鵜呑みにせず、考え続けること」「想定外の事態が起きたら、臨機応変に動きながら、その考えを刻々と修正していくこと」しかない、と思う。
これは、僕自身が関わる、障害者の地域自立支援協議会や、高齢者の地域包括ケアシステムの話とも通底する。
このどちらも、トップダウンで国の言うことの「指示待ち」ではなく、その地域で求められている障害者・高齢者の支援方策を、その地域の実情に合わせて、その地域の人々の協働の中で作り上げていこう、というシステムである。国が、障害福祉計画・介護保険事業計画・地域福祉計画との連動の中で考えよ、と大枠を示しているが、その中身は、各自治体の裁量に任されている。そして、各自治体レベルでは、この「裁量」をどう活かしたらいいのか、に試行錯誤しており、うまく活かせている自治体と、そうではない自治体にわかれる。そして、上手く活かせている自治体ほど、先ほど述べた、「世間の常識や前例を鵜呑みにせず、考え続けること」「想定外の事態が起きたら、臨機応変に動きながら、その考えを刻々と修正していくこと」が出来ている。これは一体どういうことか?
「事件は現場で起きている」。ゆえに、解決策は、標準化や規格化が可能ではない。その地域のローカルな文脈に合わせた形で、その現場で成功する解決策を導き出すしかない。つまり、「正解」はなく、「成解」を見出すしかない、というのが、地域福祉のリアリティである。(これについては、以前のブログにも、『枠組み外しの旅』にも、書いた事がある) そして、それはそっくり、災害時の対応にも当てはまる。
「必要なものを、必要なときに、必要なだけ」というのは、「何が必要か」がわかっている、つまり必要なものが規格化・標準化されている限りにおいて、通用する思想である。常に同じパターンの繰り返しであるが故に、「必要・不必要」の基準も「規格化」が可能であり、その規格外のものは全て「無駄」として切り捨てることが可能である、という視点である。それは、効率化と合理化を進める限りにおいては、正しい。想定内の事態に備える、という「リスク管理」的には、合理的である。だが、「何が正しいかわからない」というデインジャーの事態に遭遇したとき、その範囲を超える。(この点については、内田樹先生が何度も指摘している)
今回の雪害だけでなく、東日本大震災にしても、原発災害にしても、生じてしまった問題にどう対応すべきか、について、唯一の「正解」はない。それは、少子高齢化にどう備えるか、災害時要援護者をどう見守る体制を作るのか、という問いでも同じである。たった一つの「正解」がない問題とは、標準化や規格化が不能な問題、とも言える。ということは、合理化や効率化、あるいはこれまでの法制度はこうだったからその枠内でという前例踏襲主義の考え方では、うまくいかないということだ。そこで必要になるのは、これも内田先生からの孫請けになるが、レヴィ=ストロースの言うブリコラージュ、つまり目の前にある素材を使いながら、その場で出来ることを片付けていく、という「ありあわせの料理」で何とかするしかない。
ただ、過去数十年の、標準化・規格化・効率化・合理化が進んだ現場で、この「あり合わせの料理」をする力を備えた人材が減りつつある、とも思う。地域住民レベルでは、「行政サービスがちゃんとしろ!」という「消費者」モードになると、自分たちの街を自分たちの手で作り上げる、という自主活動が、どんどん先細りつつある。町内会・自治会・消防団活動の低迷は、その顕著な例である。また、地方自治体も、合併前後で、効率性を重視して人を減らしすぎて、いざという時に人海戦術が出来ないのは、今回の雪害でも見られた。また、旧芦川村や旧三富村、旧増富村など、未だに孤立していたり、あるいは除雪の進んでいない山間部地域は、限界集落に近い過疎地域であり、災害時要援護者が沢山いる、だけでなく、合併後にそれまでのきめ細かい住民サービスから取り残された地域であり、今回の雪害後も、その被害の実態が把握されない、情報が伝わってこない、という悲鳴が、SNSを通じて聞こえてくる地域である。
私たちの暮らしは、表面的には、標準化や規格化が進んでいる。だが、それは円滑に機能する部分だけであり、それ以外の部分は多様な不合理で、規格外で、標準化不能な領域を孕んでいる。例えば、独居高齢者、老老介護・認認介護・老障介護家庭、引きこもり、「多問題」家族などは、「標準化」「合理化」という尺度から眺めれば、ある種の「規格外」の存在であるが、その数は増えているし、こういうカテゴリーに属する人の中には、災害時要援護者になる人も少なくない。であるからこそ、標準化・規格化された領域だけで考えるのではなく、規格化や標準化不能な領域での人々の支援の有り様から、逆に私たちの標準化・規格化「幻想」の枠組みの問題も見えて来るのかもしれない。
長々まとまりなく書いてきたが、この文章自体にも一定の「正解」があるのではない。僕自身が自分の盲点を自覚化し、「世間の常識や前例を鵜呑みにせず、考え続けること」「想定外の事態が起きたら、臨機応変に動きながら、その考えを刻々と修正していくこと」を、実践し続けていきたい。そして、僕が関わる場で、現場の人々と考えあいながら、何らかの成功する解決策を見出したい。そんなことを改めて感じた雪害であった。

バイアスやストーリーの自覚化

僕が、一日で一番本を熱心に読む場所は、もしかしたらお風呂もしれない。

そう言うと、かならず尋ねられる。「本がシワシワになりませんか?」
ご心配なく。日本の本の紙質は非常に良いので、新刊本なら、間違いなくパリッとしている。この前、状態の良い1989年印刷の古本を読んでいたが、それでも何ら問題はなかった。たまに赤ペンまで持参して、風呂の中で線を引いたりコメントするも、大丈夫。その昔、居間の本を片付けない僕を懲らしめようとした家人にイタズラされて、その時読んでいた本を洗濯機に隠されたことに気づかず、そのまま「洗ってしまった」こともあったが、さすがにシワシワになるも、乾かしたらその本は読めたくらいだから。(とはいえ、赤ペンの線は消えましたが・・・)
なぜ、風呂読書が好きなのか。それは、この情報化社会の中にあって、風呂空間だけは、完全に外界と遮断が出来る、ということ。いや、もちろんお風呂にテレビや携帯を持ち込める時代とは知っているが、僕はそれはしない。湯気の中、ある種、胎内に回帰するような空間の中で、ネットや騒音などのノイズを遮断して、本とじっくり対話する時間。当たり前だが、図書館や他者から借りた本は持ち込めないので、自腹本ばかり。そして、自腹本なら、「読むべき本」ではなく、「読みたい本」をお風呂読書のお供にする。
昨日も、気づけば1時間半、ある本の世界にすっかりはまり込んでいた。最相葉月さんの新刊『セラピスト』(新潮社)。ベストセラーの『絶対音感』の著者だ、とは知っていたが、縁あって初めての彼女の著作に触れる。そして、その世界にはまり込みながら、僕自身が精神医学や臨床心理に興味を抱く部分と、彼女の執筆動機が似ている事に気づく。
「自分のことって本当にわからない-。そう。自分のことって本当にわからない。」(p320)
僕自身は、高校生の頃、河合隼雄の名著『こころの処方箋』(新潮文庫)に出会い、中学時代から北杜夫のエッセイ好きもあって、臨床心理や精神医学に興味があった。で、入った大学では臨床心理のコースもあったのだが、心理学実験には苦手な統計が必須であることと、あるユング派セラピストの教官に「君は黙って相手が話し出すのを待つことが出来る?」という問いかけに答えられず、社会学系に切り替えた思い出がある。でも、ずっと興味関心は持ち続け、本書に出てくる河合隼雄や中井久夫、ユング派の論考、木村敏・・・などの著作は読み続けてきた。また、一冊目の拙著『枠組み外しの旅』は、副題が「個性化が変える福祉社会」というタイトルに象徴されるように、本を書き進める中でユングの「個性化」理論を取り入れた事から、思わぬブレークスルーを頂く事が出来た。でも、「自分のことって本当にわからない」というのは最相さんと同じで、時折そんなことを、ブログにも書き付けている。 (「内奥への旅」「人生の正午にさしかかり」・・・)
で、ここ数年、そうやって本を読み続け、自分自身の考えも時折書き続けながら、自分自身や自分の心を巡る問題を眺め続けてきた。同じように、最相さんも、このテーマに取り組み始めた時、臨床心理学者の木村晴子氏から、「この世界を取材するのであれば、あなたも自分を知らなければならない」と言われた。そのことを考え続け、後に河合隼雄氏のご子息で同じく臨床心理学者の河合俊雄氏に尋ねると、こんな答が返ってきたという。
「自分はこう見てしまうといったバイアスや、相手にこういうことをしゃべらせたいという自分なりのストーリーを自覚するということでしょうか」(p319)
自分の「バイアス」だけでなく、「自分なりのストーリー」の「自覚化」。
ああ、と繋がった感覚。それは、この正月からずっと読み続けている、ユング心理学出身で、今では独自のプロセス指向心理学を体系付けたアーノルド・ミンデルの最新邦訳の中にも、この「自覚」がキーワードになっているのだ。
「自覚は戦わない。自覚は戦いに気づき、またその場で起きているさまざまな出来事に気づくが、何かと同一化したり、それらに評価を下したりはしない。自覚があれば、あなたはみんなの自発的な行動に気づくことができ、そこからみんなにとっての最善の道となる思いがけないプロセスが展開するだろう。」(ミンデル『ディープ・デモクラシー』春秋社、p55)
最相さんも、あとがきの中で、僕と同じように「沈黙が苦手」と告白する。「あのう、といわずにただ黙っていることがいかにむずかしいかと思う」(p331)というのは、僕自身にもそのまま当てはまるリアリティである。ただ、彼女が中井久夫へのインタビューから学んだのは、次の視点であった。
「言葉によって因果関係をつなぎ、物語をつくることで人は安住する。しかし、振り回され、身動きさせなくなるのもまた言葉であり、物語である―。中井久夫のそんな言葉が取材中、頭を離れなかった。それは、ノンフィクションといいながらも、自分の見立てやストーリーからはみ出るものを刈り取る行為を意図的に、あるいは無意識のうちにしていることを自覚化していたからである。」(最相、同上、p332)
「言葉によって因果関係をつなぎ、物語をつくることで人は安住する」
だからこそ、この「安住」打ち破られた時、別の「因果関係」に基づく「物語」が打ち立てられる。例えば、「聴覚障害を乗り越えた」「奇跡の」作曲家として売り出されていた佐村河内氏が、実は別の作曲家に作曲を依頼していた問題に関して、マスコミは今度は「偽装だ」「耳は聞こえていたのに」という別の「因果関係」に基づく「物語」で、彼を糾弾する。マッチポンプ的に、ある人を取り上げ、落とす。この国の政治家や芸能人、スポーツ選手などの有名人に、マスコミが行ってきているのは、このような定型的な物語への「安住」と、それが破綻した時に別の物語へと作り替える事で、少なくとも、物語の作者のマスコミと、聴き手の視聴者が「安住」する共犯関係の構築である。しかし、この共犯関係の最大の問題は、「自分の見立てやストーリーからはみ出るものを刈り取る行為」への「無自覚」さ、である。自分の「バイアス」や、「自分なりのストーリー」の癖の無自覚である。
この「無自覚」の何
が問題なのか。それは、ミンデルの議論を「逆さ」にすればわかる。「何かと同一化したり、それらに評価を下」すことに一生懸命になると、「みんなの自発的な行動に気づくことができ」ず、気づけば他者と「戦い」をはじめることになり、「みんなにとっての最善の道」を描くプロセスを歩めない、と。これって、中国や韓国との敵対的感情のマッチポンプ、とも共通項がありそうだ。
ソクラテスではないけれど、「汝、自身を知れ」とは、自らの「バイアス」や「ストーリー」を自覚化せよ、ということだと、つくづく思う。
「自分はこう見てしまう」「相手にこういうことをしゃべらせたい」という、普段主題化されない、ある種の支配的欲望。これに無自覚であれば、自分が選択的に「見てしまう」情報のみを、「ツイッターではみんなこう言っている」と「事実認識」として受け止め、「○○さんもこう言っているではないか」と、自分の聞きたいことを「しゃべらせ」、それを「因果関係」の「物語」でつなぎ、その世界に「安住」してしまう。しかし、そんな狭隘な「因果関係」だけではうまくいかないから、時として、「振り回され、身動きさせなくなるのもまた言葉であり、物語である」のだ。では、どうすればいいのか?
それも、中井久夫の発言の中に、ヒントが隠されている。
「言語は因果関係からなかなか抜け出せないのですね。因果関係をつくってしまうのはフィクションであり、治療を誤らせ、停滞させる、膠着させると考えられても当然だと思います。河合隼雄先生と交わした会話で、いい治療的会話の中に、脱因果的思考という条件を挙げたら多いに賛成していただけました。つまり因果論を表に出すなということです。」(p270)
「脱因果論的思考」とは、なかなか言い得て妙な表現である。「因果関係」を一つの「フィクション」と認識する、ある種の「メタ認識」のこと、ともいえる。「自分はこう見てしまう」「相手にこういうことをしゃべらせたい」という、自分の世界認識に通底する支配欲を認識する「メタ認識」である。この「メタ認識」があると、自分が強く「因果関係」として結びつけやすい要素「以外」の、別の物語、別の可能性が、生まれてくるのかもしれない。そういえば、それを河合隼雄自身が、茂木健一郎との対話の中で、次のように語っていた。以前のブログでも引用しているが、もう一度。
「近代科学は、ご存じのように、関係性を絶って、客観的に研究する。しかし、われわれのほうは関係性がなかったら、絶対、話にならない。だから、その関係のあり方をすごく大事にしていく。それから生命現象というものは、物理の力学のように、これだけ質量があって、位置がこうで、というふうに定義できないんですね。また物理は、目で見えていること以外のことを絶対扱わない。しかも、ほかにどんな可能性があるか、それに気づこうとしない。それに気がついて、そこに注目して、ユングなんかはやったわけですね。」(河合隼雄・茂木健一郎『こころと脳の対話』新潮文庫、p16)
「原因」と「結果」とは、様々な「関係性」の中から、「目で見えていること」の一つを選び取った、複数ある物語のうちの一つ、である。しかし、「関係性」の中から展開される「生命現象」に関しては、一つの「因果関係」以外の、別の「可能性」があり得る。それを、安易に「因果関係モデル」(=客観性)の中に閉じ込めず、生命現象そのものとして眺める事は出来ないか。これが、河合の問いかけである。これは「奇跡の音楽家」「詐欺的行為」などの表面的レッテルで「わかったふり」をして、その「物語」世界に「安住する」、その己の認知のバイアスを認識する「メタ認知」であり、「脱因果的思考」である。
風呂読書が大切なのは、電話やネット、社会的しがらみや立場主義といった、「つながり」によるバイアスから、いったんは自由になれること。その上で、自らの内奥に潜む、自らの「バイアス」「ストーリー」を自覚化しやすい空間である、ということかもしれない。だからこそ、毎日風呂に浸かってどっぷり汗をかきながら、本の世界に浸りながら、実は自分の「物語」世界を「自覚化」する旅に、出ているのかもしれない。

社説が暴露する「病院の論理」

2年ぶりに、新聞の社説に意見を書いてみる。

前回は2012年の2月、国の障がい者制度改革推進会議総合福祉部会において、厚労省が「ゼロ回答」をした直後の毎日新聞の「上から目線」に異議を唱えた。今回も、障害者政策に関する記事なのだが、内容は異なる。で、社説はじきにネット上で読めなくなるので、取りあえず該当の社説を引用しておく。
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朝日新聞 2014年1月24日社説 「精神科医療 病院と地域の溝うめよ」
精神疾患で入院している患者は日本に約32万人。入院患者全体のほぼ4人に1人にあたる。
そして年間2万人が病院で人生を終える。何年も入院生活を続け、年老いた統合失調症の患者も多いとみられる。
こんな状況をいつまでも放置しておくわけにはいかない。
病院から地域へ。
日本の精神科医療に突きつけられてきたこの課題について、厚生労働省が近く新たな検討会を立ち上げる。
議論の中心テーマは、既存の精神科病院の建物を居住施設に「転換」して活用するかどうかである。
日本には精神科のベッドが突出して多い。人口あたりで見ると、先進国平均の約3・9倍になり、入院期間も長い。
厚労省は10年近く前、大きな方向性を打ち出した。
入院は短く、退院後は住みなれた地域で、訪問診療や看護、精神保健の専門職に支えられて暮らす――。
しかしこの間、入院患者の数に大きな変化はない。改革の歩みはあまりに遅い。
背景には、精神科病院の9割が民間という事情がある。単にベッドを減らせば、入院の診療報酬に支えられてきた経営が行き詰まる。借金は返せなくなり、病院職員も仕事を失う。
そこで病院団体側は、病院の一部を居住施設に転換できるよう提案し、国の財政支援を要望している。
これに対して、地域への移行を望む患者や支援者は「看板の掛け替えに過ぎず、病院が患者を囲い込む実態は変わらない」と強く反発してきた。
この対立の構図に、いま変化が起きている。患者の退院と地域移行の支援で実績を上げてきた団体が、「転換型」の議論に意欲を示しているからだ。
病院のままでは、入院患者に外部の専門家からの支援を届けにくい。居住施設になれば、患者に接触してその要望を聞き取るのが容易になり、本格的な地域での暮らしにつなげやすい。そんな考え方が背景にある。
むろん制度設計や運用次第で「看板の掛け替え」に終わる危険性も否定できない。反対する側が抱く不信感の源がどこにあるのか、丁寧にひもとく作業が大前提となる。
新年度の診療報酬改定でも、退院促進や在宅医療を充実させる方向が打ち出された。これを追い風に、病院中心から地域中心への流れを加速させたい。
病院と地域の溝を埋め、患者が元の生活に戻りやすくする知恵を今こそ絞るべきだ。
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この社説の中段あたりで、実はかなり事の本質を(恐らく無意識に)突いている記載に出会う。
「この間、入院患者の数に大きな変化はない。改革の歩みはあまりに遅い。背景には、精神科病院の9割が民間という事情がある。単にベッドを減らせば、入院の診療報酬に支えられてきた経営が行き詰まる。借金は返せなくなり、病院職員も仕事を失う。」
この朝日社説の認識では、「精神科病院の経営問題・雇用問題」の目処が立たない・改善されない事が「原因」で、「入院患者数が減らない」、という「結果」とつなげている。社説は会社の看板の主張であるから、まさか社説が、一人の記者の思い込みで構成されている訳ではないだろう。厚労省にも日本精神科病院協会にも、その他の業界団体にも取材をした上で、「裏が取れた」という自信を持って、そう仰っているのであろう。
であるが故に、病理は深い。
そう、この社説のいうように、精神科の入院患者数が減らないのは、「入院の必要な人が減らない」から、ではない。「地域での社会資源・受け皿が足りないから」、でもない。精神科病院の経営問題・雇用問題ゆえに、入院患者数が減らないのだ。裏を返せば、精神科病院に長期入院している人の多くが、「病状の改善が見られないから」ではなく、「精神科病院の安定的経営」および「そこで働く人々の雇用の場の確保」のために、そこに入院させられているのである。これを、奴隷や使役、自由の剥奪、と言わずして、なんと言えば良いのだろう。そして、これは厚労省も病院側も認識を共有するだけでなく、大新聞の社説までもが、それを現実的に認めているのである。さらに言えば、精神科病院の経営問題・雇用問題の安定化のために、今度は空いたベッドには認知症の人をたくさん入れようとしている。
ここで、素朴な疑問が浮かぶ。
「そこで強制的に入院させられている人の権利」を犠牲にしてでも、「精神病院で働く人・経営する人の権利」を護らなければならないのだろうか?
あと、この問題を追いかけてきた立場からすれば、もう一つ、疑問が浮かぶ。
これまで、厚労省や病院団体は地域移行が進まない理由を「地域での社会資源が少ないから」「病状が継続し入院の必要性があるから」と言い続けてきた。だが、実はこれらの理由は「精神病院の経営問題・雇用問題」の「隠れ蓑」、だったのだろうか? 「出来ない100の言い訳」に過ぎなかったのだろうか?
さらに、ここからもう一つの疑問が浮かぶ。
「病院の一部を居住施設に転換」する案を推進する、ということは、結局、「強制的に入院させられている人の権利」はないがしろにして、「精神病院の経営問題・雇用問題」を、これからも優先する、ということか?
社説では、そのあとに、一見もっともらしいことが書かれている。
「制度設計や運用次第で『看板の掛け替え』に終わる危険性も否定できない。反対する側が抱く不信感の源がどこにあるのか、丁寧にひもとく作業が大前提となる。」
これには、ちょっと待ってほしい。「不信感の源」は、「制度設計や運用」の問題ではない。そもそも、病院の敷地内にあり、精神科病院の病棟を建て替えた施設って、たとえ個室にしたところで、どう考えても、「看板の建て替え」ではないか? 長期間、その病院の施設内から出ることが許されず、病院での生活以外の外の世界を知らず、病院の支配的暮らしに飼いならされ、「施設症」になっている入院患者にとって、病棟の敷地内の生活が続くのであれば、どんなものであれ、そこは「病院生活」の継続、である。
以前、精神科病院の目の前のグループホームに「退院」したものの、病院の訪問看護に往診、病院のデイケアに病院からの給食、はては病院のスリッパにジャージ姿で過ごし、「僕はいつ、退院できるのですか?」と仰った「元入院患者」のことを思い出す。「施設症」とは、支配・管理の下に置かれた人にとって、それほどまでに根深い問題なのだ。
本気で「病院中心から地域中心への流れを加速させたい」ならば、すべきことは一つ。「精神科病院の経営問題・雇用問題」を優先させる政策をやめることである。
そういうと、「現実主義」の官僚や記者からは、「非現実な発言」に思われるかもしれない。でも、例えば一般企業であれば、パソコンを使えない、ワープロやガリ版印刷しか対応できません、という企業や個人には仕事がまわらない。必死になって、顧客のニーズに合わせて、提供する商品やサービスを変更しているのが、一般企業の普通の姿である。しかも、国からの補助金をもらわずに、市場原理の厳しい競争の中で、それに耐え忍んでいる。
その一方、国から診療報酬や補助金という名の巨額の税金投入をされながら、精神科病院での治療は、もう「ガリ版印刷」なみに、社会的使命を終えようとしている。これは、実際に精神病院を捨てたイタリア、だけでなく、世界的なスタンダードである。
ちなみに、今回の病床転換型施設構想は、この世界的スタンダードに、表面上の帳尻を合わせようという姑息な側面も見え隠れする。この1月、日本は国連障害者権利条約を批准した。国際条約は、憲法より下位に位置づけられるものの、国内法より上位に位置づけられ、関連する法律を批准時には改定する必要がある。その権利条約の19条a項では、次のように言っている。
「障害者が、他の者との平等を基礎として、居住地を選択し、及びどこで誰と生活するかを選択する機会を有すること並びに特定の生活施設で生活する義務を負わないこと。」
精神病院に長期間入院させられている。しかも、病状や地域の受け皿ではなく、精神科病院の経営や雇用問題のために、入院させられている。これは、見事に、「特定の生活施設で生活する義務を負わ」されていること、そのものであり、差別である。日本政府はこの条約を批准したからには、このことが「差別である」と認めることになる。
であるが故に、病院か、居住施設か、の選択肢を作ることで、この「特定の生活施設で生活する義務を負わ」されている実態を回避しようと狙っている。ただ、それはあくまでもペーパー上の問題であり、長年、病院の管理・支配的な生活に飼い慣らされてきた人々にとっては、病院も敷地内居住施設も、「病院の中から出られない」という意味では、「特定の生活施設で生活する義務」の点で全く同じなのである。
では、実際に変えるにはどうすればいいか?
実は、毎日新聞社説が「非現実だ」と否定してくださった、障がい者制度改革推進会議総合福祉部会の「骨格提言」には、どうすればよいか、の骨子をちゃんと整理している。
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Ⅰ-6 地域生活の資源整備
【表題】 「地域基盤整備10ヵ年戦略」(仮称)策定の法定化
【結論】
○ 国は、障害者総合福祉法において、障害者が地域生活を営む上で必要な社資源を計画的に整備するため本法が実施される時点を起点として、前半期画と後半期計画からなる「地域基盤整備10ヵ年戦略」(仮称)を策定するもとする。 策定に当たっては、とくに下記の点に留意することが必要である。
 ・ 長期に入院・入所している障害者の地域移行のための地域における住まの確保、日中活動、支援サービスの提供等の社会資源整備は、緊急かつ重点的に行われなければならないこと。
 ・ 重度の障害者が地域で生活するための長時間介助を提供する社会資源を都市部のみならず農村部においても重点的に整備し、事業者が存在しないめにサービスが受けられないといった状況をなくすべきであること。
 ・ 地域生活を支えるショートステイ・レスパイト支援、医療的ケアを提供きる事業所や人材が不足している現状を改めること。
○ 都道府県及び市町村は、国の定める「地域基盤整備10ヵ年戦略」(仮称)にづき、障害福祉計画等において、地域生活資源を整備する数値目標を設定るものとする。
○ 数値目標の設定は、入院者・入所者・グループホーム入居者等の実態調査基づかなければならない。この調査においては入院・入所の理由や退院・退所を阻害する要因、施設に求められる機能について、障害者への聴き取り行わなければならない。
Ⅲ-4
【地域移行・地域生活の資源整備に欠かせない住宅確保の施策】
○ 長期入院を余儀なくされ、そのために住居を失う、もしくは家族と疎遠なり、住む場がない人には、民間賃貸住宅の一定割合を公営住宅として借り上げるなどの仕組みが急務である。グループホームも含め、多様な居住サービスの提供を、年次目標を提示しながら進めるべきである。
○ 保証人や緊急連絡先が確保できないために住居が確保できない入所者・入院者に対して、公的保証人制度を確立すべきである。
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「精神科病院の経営や雇用問題」を護るより、まず利用者の権利を護り、精神科病院の入院患者の「移行計画」をこそ、国は真剣に検討すべきである。その際、住居支援と生活支援が、最大の鍵になる。だからこそ、「病棟転換型施設」なる「パッケージ」が安易な解決策として浮かび上がる。だが、これは、繰り返し言い続けるが、入院患者の権利より「精神科病院の経営や雇用問題」を優先させる、非人道的な方法論である。
さらに言うなら、障害者の居住の貧困は、この国の住宅政策の貧困にも裏打ちされている(その辺りは早川和男先生の『居住福祉』に詳しい)。安価な公営住宅の絶対的不足と、生活保護者向けの質の悪い民間アパートの横行、という実態がある。この辺に手を付ける事が大変だから、問題の本質的解決を避けるため、精神科病院を「必要悪」的に温存させている部分もある。
だが、それは、あくまでも官僚や支援者側の理屈、である。サービスの受け手である障害当事者にとって、地域支援の方が遙かに成果が上がることがわかっていながら、自分達のこれまでのやり方を変えるのが面倒だから、そのツケを利用者に押しつけるやり方は、あまりに差別的ではないか? そして、それが障害者権利条約の違反という形で国際問題化するのが面倒だから、と、「看板の掛け替え」で誤魔化そうとするのも、あまりに低俗な解決策ではないか。
長く書いたが、最後にもう一言。「病院・施設の経営・雇用問題」に関しては、先の骨格提言で、次のようにも整理している。
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Ⅰ-5 地域移行
○ 入所施設・病院の職員がそれぞれの専門性をより高め、地域生活支援の専門職としての役割を果すため、国は移行支援プログラムを用意し、これらの職員の利用に供しなければならない。
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実は、入所施設をゼロにしたスウェーデンでは、1990年代に、「2000年までに施設をゼロにする」という時限立法を作った上で、入所施設の職員を地域で働くスタッフにする為の再トレーニングをしている。(このことは10年前の報告書にも書いておいた。) これは、ガリ版印刷しか対応出来ない人がPCで仕事が出来るような再トレーニングと似ている。でも、そのような再トレーニングを「自分には無理だ」と言って、業界を去った人もいる。その一方、試練を乗り越え、地域で再び障害者支援に取り組んでいる人もいる。旧態依然とした精神科病院の経営や雇用を護るより、このような、「地域で働くための、仕事の仕方の再トレーニング」にこそ、国は税金を使うべきであることも、付け加えておく。

履歴という名のしがらみ

日常の履歴とは、時として、人の可能性を閉じ込める洞窟であり、イドラではないか。

僕ならば、大学教員、山梨在住、週に2,3回は合気道に通い、山梨県内のいくつかの自治体で福祉政策形成のお手伝いをしている・・・といった「履歴」がある。そして、当たり前の話だが、年を取るにつれて、この履歴はどんどん膨らんでいく。
小さい頃から、同年代の仲間と野球をするよりも、大人の会話に混ぜてもらいたい、ませたガキだった。新聞やニュースを読んで、社会問題に「意見のようなもの」を中学生くらいから、語っていた。受験勉強が大嫌いで、大学のような、自分の世界観を拡げられる勉強に憧れていた。つまり、20代前半までは、一生懸命背伸びをして、大人に認められたい、ちやほやされたい、「世間に求められる人になりたい」、と痛切に願っていた。
それが、30代になって、一転する。
大学教員になって、「世間に求められる」機会が、格段に増え始めた。もちろん、実力が伴わないのに期待して頂いていることも理解していたので、必死になって勉強し始めた。大学院生の頃までは生活費や本・調査代を稼ぐのに必死で、あまりきちんと勉強していなかったので、大学教員になってから、遅まきながら、勉強を集中的にし始めたと思う。現場のニーズに合わせて、On The Job Training的に、学びながら伝え、伝えた現場から学ぶ、という泥縄的な事を繰り返して来た。
その中で、おかげさまで出来ることが少しずつ増えてくる。すると、世間に求められる事も増える。ただ、それは単純に言祝ぐべき事態ではないことに、「求められる事」が増えるまで、気がついていなかった。
「求められる事」が増える、とは、社会の中での関係性が増える、ということである。そして、この関係性が増える事、とは、時として、その人が動ける可動範囲を実質的に制限することにもつながりかねない。これは一体どういうことか?
関わりが増える、とは、その人に求められる役割や期待が増える、ということでもある。ただ、これは自分自身が「したい役割」「望んでいる期待」とは異なる。あくまでも他の人が「僕にしてもらいたい役割」であり「僕に望んでいる期待」である。そして、関係性が増える、深まる、ということは、時として、「求められる役割や期待」を「自分自身が望む役割や期待」より、優先させてしまうことである。しかも、少なからぬ場合、場の雰囲気や流れなどによって、無自覚的に、他者期待を優先させてしまうことになる。これが、その人の役割期待に結びついた「履歴」という名の「しがらみ」になってしまう。
こう書くと、「履歴」というのは、他者から押しつけられた刻印のように見えるかもしれない。でも、よく考えてみたら、その「履歴」という名の「しがらみ」を、喜んで、自分自身で形成している場面がある。それが、ツイッターやフェースブックに代表される、SNSの世界である。
僕はツイッターは一般向け、フェースブックはお顔の見える間柄の人、と分けている(なので、実際のお友達でない方からのフェースブック申請は原則的にお断りしております、あしからず)。だが、どちらにせよ、どちらのサイトでも、積極的に意見表明せよ、なんて、誰からも求められていない。なのに、どうして毎日のように、ツイッターで何度も呟いているのか。ツイッターでは、エゴサーチもしてしまうのか。それって一種の依存症ではないか。
この疑問に関しては、「履歴の更新」という概念を持ってくれば、わかりやすい。そう、実際の社会においては、毎日の労働の中で「関わり」をせざるをえないが、バーチャルな世界でも、わざわざ色々呟いて、バーチャルな世界での履歴を一生懸命構築しようとしているのだ。よく考えてみれば、それは疲れること、ですよね。
僕は、合気道や山登り、温泉、旅が好きだ。これらに共通することは、「履歴を消し去ること」である。合気道をしている最中に、「先生」と言われることはない。山登りの最中には、ひたすら自分の体力との対話を重ねている。温泉では、最初は仕事の事でもやもやしていても、そのうち気づいたら無心になれる。旅に出かけたら、日常の関係性から自由になり、その場でのゼロからの出会いを楽しんでいる。そして、これらは、「履歴」という名の「しがらみ」からは、原則として、自由である。
もちろん、「履歴」とは、慣れ親しんだ関係性の蓄積、の側面も持つ。その「履歴」こそ、アイデンティティや自己同一性と言われるものの源泉にもなっている。だが、一つのアイデンティティが形成される、とは、それ以外の可能性に蓋をしていく、ことにもつながりかねない。役割期待に応える、とは、その役割の範囲内に自らの志向性や言動を制限する、ということでもある。それは、不自由にもつながる。だからこそ、「履歴」が累積されてきた場面でこそ、そこから自由になる、「履歴を消し去る」行為が痛切に必要になるのだ。
そういえば、村上春樹は30代後半の数年間、ローマや地中海の島、ロンドンなど拠点を移しながら、旅をしながら、『ノルウェイの森』や『ダンス・ダンス・ダンス』を書いていた。その時代の旅日記であり、彼の心象風景も真摯に綴られた『遠い太鼓』の中で、彼は異国で暮らし続けることのハードさや、でもそうせざるを得なかった当時の境遇を書いている。東京では、しょっちゅう電話やインタビューなど、関わりを求められ、疲れ果てていた、と。そこで、自身が構築した「履歴」ゆえに「世間から求められること」という「しがらみ」を、一旦断ち切ろうとした。「履歴というしがらみ」から自由になって、自らの「新しい履歴」を積み上げるために、文字通り、人生を賭けたチャレンジに踏み出した、とも言えるのではないか、と感じる。
「履歴」とは、これまでの積み上げた蓄積であり、遺産である。でも、生きていく、とは過去に基づいた未来、に限定されることはない。過去は重要な参照軸ではあるけれども、時として、その参照軸の枠組みでは立ちゆかない、未曾有で想定外な未来が待ち構えている。その想定外の未来を前にして、「自分の想定内とは違う!」と怒りに打ち震えるのか、自分の新たな「履歴」を生み出すチャンスと捉えるのか。この二つで、「履歴」は「しがらみ」になるのか、「創造の源泉」になるのか、大きく異なる。
「履歴」が「しがらみ」にも「創造の源
泉」にもなり得る、ということには、常に自覚的でありたい。そして、「履歴の更新」の場面では、自分自身に、こう問いかけたい。その行為は、「しがらみ」ですか? それとも「創造の源泉」ですか?と。

現象とパターン、そして構造

あけましておめでとうございます。

2014年、最初のブログです。今年もどうぞよろしくお願いします。
年始は急ぎの原稿やゲラチェックをした以外は、ゆっくりと読書をして過ごした。特に年末京都で買い求めたある本が、僕自身の「個性化」プロセスにとって、すごく重要な一冊となり、同じ著者の本を何冊か読み続けている。その話は少し熟して来たら書くとして、今日のテーマは、年末にある自治体担当者と、表題を巡るやりとりをする中で、考えていることなど。
とある自治体で、地域福祉計画策定に向けたアドバイザーとして、お手伝いさせて頂いている。その中で、障害、高齢、児童という領域を超えて共通する課題を整理し、人材育成や権利擁護ネットワーク形成、あるいは地域活動の活性化などをテーマにした部会を作り、関係する人々による議論がスタートしている。
その際、領域横断的な課題をどう抽出したらよいか、を事務局との打ち合わせの際、質問された。これはこの現場に限らず、地域包括ケアシステム構築のアドバイザーをしていると、少なからぬ現場で尋ねられることである。
「個別の事例分析は得意でも、そこからどう地域課題を抽出したらいいのかわからない。」
こういう質問を受けるたびに、表題の三つのキーワードを用いて説明している。それは、たとえば徘徊とか「ゴミ屋敷」など、目の前の現場で生起している現象の背後に、どのような共通するパターンがあるか、を見抜き、その背後にある構造を探るなかで、個別課題は地域課題に変換可能だ、という整理である。事務局会議でも同じ事を話したところ、優秀なる担当者Kさんは、こんな甲州弁で整理し、事務局便りとして出してくださった。
「それぞれの立場から見えることや、実際に地域のなかで起きている困りごと(ケース)を出発点として、議論を掘り下げていきましょう。
 ①今、何が起きてるずらか、何に困ってるらか?(現象)
 ②「現象」を並べてみると共通点は何ずらか?(パターン)
 ③そもそもなんでほうなるでぇ?背景は何ずらか?(構造)
 ④よその部会の話ともつながるじゃんね(互いの交通整理)
上の視点でおおまかな表を作ってみましょう。」
甲州弁は難しいですねぇ(^_^)
それは、さておき、ただ、実際に作業部会で議論をしてみると、この「現象⇒パターン⇒構造」の整理が難しいという意見も出てきた。特に、パターンと構造の違いがよくわかからない、と。そこで年末、さらにコメントを求められた僕は、こんな風に整理してみた。
「パターンと構造の違いは何か。パターンとは一つの領域の中で起こっているもの。構造とは一つの領域を超えて、他の領域にも関係している課題。働く若者、子育て世代、高齢者の各々の領域における現象の背後にあるパターンを整理する中で、全ての世代に共有できる課題の構造が抽出できる。そんな関係性です。」
こう整理した後、仕事納めの日、件の担当者Kさんから、さらに鋭い指摘を頂いた。
「この例を作っていた渦中の自分たちもそうでしたが、『パターン⇒構造』の整理は、一方向的に順序よく行えるものではなく、ブレーンストーミング的に、表層の現象を掘り下げ、『これってつまりどういうことでしょうね?』『なんでそうなるんでしょうね?』の議論を十分に発散させたうえで、最後に整理していく、という方法のほうが現実的なのかな?とも思いました。」
す、鋭い! Kさんの方が、僕より遙かに本質を突いている!!!
そう、Kさんの指摘するように、パターンから構造を抽出するのは、一方通行の話ではない。KJ法の考え方を応用するならば、ばらばらに見える現象の中から共通するまとまりを見出し、それにわかりやすいラベルを付けるのが、パターン化。そして、そのパターンを並べながら、各々の関係性を整理する中で、構造化を果たしながら中見出し、大見出し、そして表題を付けていくのが、抽象化であり、構造化である、と言える。そして、その際に、常に仮説という見通しを立ててパターン相互の関係性を整理しながら、こうも言えるのでは、ああも言えるのでは、と考え合う中で、その仮説を書き換え、より説得力ある構造を見出していく。それが、データに基づく課題抽出の王道である。その際、常に「これってどういうことか?」「なぜそうなるのか?」と問いかけ合いながら、お互いが納得できる整理を見出していく。そういうプロセスが、「現象⇒パターン⇒構造」の整理の醍醐味ではないか。
実はこんな簡単なことに気づいたのは、今ブログに書き付ける中で、上記のKJ法の説明の図を見ながら、思い出したことだった。こういう「道具箱」を作って頂けると、話が早くて助かりますね。
僕は博論でもKJ法に基づいて117人のインタビュー調査を整理した経験があるが、その際大切なのは、常にデータとの絶え間ない対話、だった。ここで言い直すなら、目の前の現象というデータが、何を意味しているのか。他のどの現象(データ)といかなる共通点があるのか。これを、ずっと様々なデータを眺めながら、整理していった。このプロセスは、パターンを見出し、構造化していくにあたって、ずっとし続けたことであった。
社会福祉の現場で生起している現象に基づき、政策課題という構造として提示する。この際、現場のリアリティと、政策言語はしばしば乖離しやすい。現場から見れば、政策言語はあまりに一般的過ぎて、現場のリアリティを踏まえていない、という諦めになる。一方、政策担当者から見れば、現場で生起している現象を、どのように政策に落とし込んでいっていいのか、それが何を意味するのか、を理解するのが難しい。これが、福祉現場と福祉政策のつながりが持ちにくい、最大の要因の一つである、と僕は感じている。
その際、僕のようなプロセス・コンサルタントに求められている最大の役割は、現場のリアリティと政策言語の双方をきちんと有機的に結びつけること。その為に、現象に潜むパターンをあぶり出し、そこから構造化をするお手伝いをすること。また、そのプロセスも含めて言語化していくことで、現場で考える上で使える「武器(=考える素材)」を沢山提供し、現場に役立てること。
僕はここ数年、障害者自立支援協議会や、障がい者制度改革推進会議、そして地域包括ケアシステム構築など、いろいろな現場で関わってきているが、結局僕が得意であり、出来ることであり、社会に求められていることは、現場で生起している、しばしば絡まり合った糸をほぐし、その現象の背後に潜むパターンを探り当て、そこからその現場で成功する解決策を構造化の形で、現場の人と一緒に探りあてていく、そんなプロセス・コンサルタントなのかな、と思い始めている。
新年最初のブログにあたり、今の自分の立ち位置の確認的な内容になった。今年は、さらに進めて、ミンデルさんがディープ・デモクラシーの中で述べていた、サイコ・ソーシャルアクティビストへの道が目指せるかどうか、さらなる修行に勤しみたいと感じている。
そのプロセスや試行錯誤も、このスルメに書き続けていくつもりです。今年もこのスルメに変わらぬご愛顧を、よろしくお願いします。