「L型」枠組みを疑うメタスキル

昨日のゼミで、ゼミ生から、L型G型大学に関する質問が出た。ここ数日、ネットで話題になっていた話である。ソースは、文部科学省で開かれている「実践的な職業教育を行う新たな高等教育機関の制度化に関する有識者会議」という会合の第一回で、企業再生などを手がけてきた冨山和彦委員の提出資料のなかで触れられていた内容である。

「我が国の産業構造と労働市場のパラダイムシフトから見る高等教育機関の今後の方向性」と題されたプレゼン資料の中で、ごく一部のtop tier校(top tierって一流という意味なんですね。わざわざそれを日本語で書かないのが、なんだか・・・)はG型(グローバル型だそうです)の大学として、「グローバルで通用する極めて高度なプロフェッショナル人材の排出」、そしてそれ以外の大学はL型(ローカル)大学なので、「生産性向上に資するスキル保持者の排出(職業訓練)」をミッションにすべきだ、と整理している。実は、この整理自体、G型の人はレベルが高くて、L型の人はG型の人の「生産性向上に資する」存在になれば良い、という「上から目線」がプンプン臭うのだが、その本領が発揮されるのが、プレゼン資料7ページで書かれた「L型大学(含む専修・専門学校)では、「学問」よりも、「実践力」を」という表題の例示である。これは極めて本質的なので、この部分は全部紹介する。
文学・英文学部:「シェイクスピア、文学概論」ではなく、「観光業で必要となる英語、地元の歴史・文化の名所説明力」
経済・経営学部:「マイケルポーター、戦略論」ではなく、「簿記・会計、弥生会計ソフトの使い方」
法学部:「憲法、刑法」ではなく、「道路交通法、大型第二種免許・大型特殊第二種免許の取得」
工学部:「機械力学、流体力学」ではなく、「TOYOTAで使われている最新鋭の工作機械の使い方」
を学ぶべきだ、と書かれている。しかも、この委員は経済学部出身らしく、(筆者は日本のトップ戦略コンサルタントの一人だが、ポーターの5Forcesは使ったことが無い)という「自慢」が書かれていた。
この資料について、昨日のゼミで説明した上で、「みなさんはどう思う?」と聞いてみた。すると、「ふざけんな!」という怒りの声がある一方で、「むかつくけど、そう言われたら従うのしかないのかなぁ」という弱気の声もあった。それに関連して、ネットの記事を見ていても、「経営者にならない人間には教養より実践力だ」といった意見も出ている事も知った。
ゼミでは時間が超過していて言えなかったが、このことについて、ゼミ生に言いたいことがある。それが今日の本題である。一言で言えば、次の様になる。
このG型L型という枠組み自体を「鵜呑み」に受け入れてしまうこと事態が、自らをG型と「自慢」している人々(=いわゆる「勝ち組」)の人の「思う壺」になりはしないか。
この二項対立的な図式には色々問題点があるが、最大の難点は、G型大学に行く人は「雇用する側」、L型大学に行く人は「雇用される側」とすっぱり分けた上で、「雇用される側」は「雇用する側」にとって、「生産性向上に資するスキル」さえ持てば良い、という、選民思想というか、ある種のカースト思想的発想である。そのカースト的思想の持ち主の言葉を借りると、「「経営学」などというものを大衆化した大学で教える意味はない。彼らの大多数は、経営者にはならないからだ」ということになる。
だが、待ってほしい。経営者しか経営学を学ぶ必要はない、というのは、ずいぶん狭い視野しかお持ちではないようだ。まともな経営学者の伊丹敬之先生は、「経営とは、他人を通じて事をなす」ことだと言っている。これは、別にG型大学を出ていなくても、大企業の社長ではなくても、課長や店長や部門長として、だけでなく、チームリーダーにも十分に必要とされる資質である。
ここまで書いていて思いついたのだが、確かに途上国では、L型の学校出身の人は「簿記会計ソフトや大型二種免許、工作機械の使い方に必要最低限の英語」といった実践力しか持っていない場合も少なくない。だが、それに比べて日本の企業や町工場の最前線で働く人材は「層が厚い」と言われる理由は、L型の学校出身の人であっても、単に「生産性向上に資する」=つまりは使い勝手の良い労働者としてのスキル、だけではなく、その「生産性向上」に関するメタスキルを持っている、ということである。
僕の父は、母子家庭で育ち、商業高校卒業後、呉服業界に就職した、この整理で言うところの、L型学校出身層にあたる。でも、単に企業経営者にとって使い勝手の良い人材、ではなかった。現場のチームリーダーとして、お客さんとの関わりも豊かにしながら、会社の業績向上にも貢献した。呉服業界自体が傾き始めた後も会社に残り、社長の息子に帝王学を教えたり、何とかその経営を営業面で支えた人材である。退職時の肩書きは課長だったが、実質的には経営幹部として会社の方針を支えてきた人材でもある。会社=大企業、としか思い浮かばない人には「盲点」となっているが、中小企業では、L型学校出身者がきちんと経営のサポートまで行う事で、企業として存続している。そういう会社は、東京では「盲点」かもしれないが、地方に行けば、むしろそういう会社の方が数として多い。
そして「盲点」として言うならば、「弥生会計」とか「工作機械」の「使い方」に関する知識、とは、長くて5年、下手したら2,3年しか通用しない知識である。技術革新が加速度的に進めば、こういう知識はすぐに過去のものになる。その時に、「生産性向上に資する」存在でなくなったら、「もういりません」と使い捨てが出来る存在、とも言える。企業としては、低賃金でそういう人材を獲得出来るから、「オイシイ」のかもしれない。でも、それは、社会での二極化をますます進行させ、L型大学出身者の階層を固定化し、カースト化のような格差社会の進展を進める機能を持ちはしないか。
知識だけなら、スマホでも学べる時代において、大学教育の要諦とは何か。それは、愚直に見えるかもしれないが、「批判的思考能力の涵養」である。つまり、「正しい」と言われていることを、「ほんま
かいな?盲点はないのかな?」と疑ってかかる思考である。それは、「生産性向上に資するスキル」というもの自体を疑う、という意味での「メタスキル」である。このメタスキルを持たないと、弥生会計や工作機械がバージョンアップされた時に、ついて行けない人材になる。それでは、真の意味での「生産性向上に資する」人材とはならない。
さらに言うならば、このような「メタスキル」を持った人材は、ブラック企業で唯々諾々と働くことに対して、NO!と突きつける人材である。仕事が嫌なのではない。その業務内容が人間の尊厳を奪うような働き方である場合、経営者にもきちんと「オカシイ」と言える人材である。こういう人材が育つと、確かに目先の生産性は落ちるように思えるかも知れない。だが、本当の競争力のある企業とは、社員1人1人が会社の質の向上の為に、時には経営層にもモノを言える環境を保持する企業である。もっと言えば、社員のメタスキルを、会社のイノベーションにつなげることの出来る企業である。知識基盤型社会において、知識を疑い、知識の価値を吟味するようなメタスキルを兼ね備えた人材が、経営層のごく一部にしかいないような企業は、退場を迫られるかM&Aの対象になる。本当の実力のある企業とは、経営者と労働者をカーストのように分けず、社員全てがメタスキルを活かして役割と責任を持つ企業である。(僕はそのことを、中川淳さんの本を読んで感じた)
そういうメタスキルを育てるためにこそ、地方大学の存在価値はある。この9年間、山梨で教えてきて、そう感じる。最初は支配的言説を「鵜呑み」にしている学生でも、「疑う技術」を学ぶうちに、これまでの自分の中での「当たり前の前提」が崩れ始める瞬間がある。「自分は○○になりたい」と思い込んでいた学生が、実はそう親やまわりに「思い込まされていた」と知る事がある。でも、それを知ったあと、清々しい顔をして、新たに「では僕は何をやりたいのだろう?」と気持ちを切り替え、俄然学び始める。この中で、ブレークスルーが起こり、人間的成長を果たす学生を、何十人と見てきた。そういう学生にとって、戦略論や刑法は、何十年後の知識として直接残っていないかも知れない。だが、それらの学びを習得するプロセスの中で、こうやって物事を考えたり整理すればよいのだ、という考え方・学び方の学習が出来るのである。それこそが、メタスキルの涵養である。僕の3年ゼミは、毎週新書一冊を読んでもらって、その内容に基づき議論をしているが、それも知識の習得だけでなく、その本や議論を通じて自分たちのモノの見方自体を捉え直す、メタスキルの獲得を目指している。そして、そういうプロセスこそが、弥生会計や工作機械のバージョンがアップして、目先のスキルが使えなくなっても、ずっと使い続けることが出来る、真の意味での「生産性向上に資する」スキルなのである。
企業経営にとりくむ実業家の方々は、確かにポーターの戦略論を使っていないのかもしれない。でも、ポーターなどの経営学者達が、従来の経営の何がどう問題か、を疑い、新しい枠組みで考えた、その批判的思考能力自体は、実は彼らの理論から学びうることである。たまたま、その実業家は、良い教師や良い教科書に出会えず、それを学べていなかったのかも知れない。だが、自ら学ばなかったことを理由に、「社会的に必要ない」と言い切ることは、言語道断としか、言いようがない。
本当に現場を変えたいコンサルなら、まず思い込みでモノを言う前に、現場をじっくり観察するはずである。その教育現場の実態観察がない中で、わかってもいないのに、余計な口出しをしないで頂きたい。

納得形成は「よく聴くこと」から

この秋も、恐ろしいほど、移動の日々。ブログの更新が怠りがちである。静岡に釜石・大槌、大阪と毎週のように長距離移動し、その合間にも東京出張もあったりする。落ち着いてものが考えられないので、よろしくない傾向である。

ただ、ありがたいことに、最近、講演に出かけた先で、以前より「言葉が伝わる」率が高くなってきた。それと共に、以前に比べれば、8割くらいの熱量で話をしても、その話の伝わり方は以前より2割増しのような気がしている。
それはなぜなのだろう、と考えて、ふと思いつくことがあった。それは、
説得より納得!
このフレーズは、現場向けの講演でもよく使っている言葉である。人は、納得しない限り、行動変容しない。いくら必死に心を込めて相手を説得しても、相手の内在的論理に届いて、腑に落ちて、あるいは「してみたい」と思って、相手が「納得」しないと、相手は動かない。これは、コミュニティソーシャルワークといわれるような、住民参加型福祉を推進する際の、当たり前だけれど、一つの肝でもある。そんなことを、講演では話していた。
で、お陰様で、講演しながら自己洗脳!?しているので、僕自身も以前に比べたら、講演が「説得」型から「納得」型に、少しは変わってきたのではないか、と感じている。
以前は、ジャ○ネット○カタのおじさんのようなハイトーンな声で、しゃべりまくって、情理を尽くして語ればよい、という説得モードだった。でも、最近の講演では、事前に主催者の方々と打ち合わせをするなかで、「納得」のヒントを掴んでから、登壇することにしている。そのヒントとは何か?
めちゃ簡単な話だ。主催者の、現場の声を、しっかりと聴くこと。それに尽きる。
あまりに当たり前すぎて、簡単すぎる説明に思うかもしれない。でも、案外それが僕には出来ていなかった。
毎回、話をするために、パワーポイントを仕込む。僕は以前恩師のお一人に「研究者なのだから、落語家にはなるな」と言われたフレーズを大切にしている。同じ話を繰り返しする落語の素晴らしさは評価するけれど、研究者が同じ話を繰り返していたら、話し手である僕自身が堕落する。なので、なるべくsomething new & interestを放り込みながら、角度を変えながら、話を切り込んでいこうとする。当然、パワポにもその工夫はする。だが、一番の工夫は、現場の声をしっかりと聴き、それと僕が考えてきたこととを、講演のその場で、即興的に対話させていくことである。そして、それは、受ける。
主催者はおおむね、その地域の福祉現場の方々である。その方々に、その地域の実情や福祉課題を聴く。自治体の特徴や、お国柄、その地域のリアリティをいろいろ聴いていく。場合によっては、主催者が感じている問題意識もしっかり聴いておく。そして、それらの「現場の声」と、僕自身が考えてきたり準備してきた内容を、まさに即興演奏のように、あるいは「熊さんハッつぁん」のように、講演の場で対話させていく。すると、聞き手の方々は、自分たちの現場の課題がライブで織り込まれていくので、自分事として聴いて下さる。それが、こちらの伝えたいことと織り込まれていくと、皆さんの中での感度が上がっていく。
講演を、対話の機会にするのは、簡単ではない。でも、聞き手となるべく対話的な関係を構築しよう、と思えば、いくつもの工夫が可能なのだと思う。
あと、質疑応答でも、こちらの対話の仕方によって、大きく変容可能性がある、と感じている。
時として、予定調和とは真逆のような質問を受けることがある。「あなたの言っていることはオカシイ。厚労省はそんなことは言っていない」とか、「あなたのお話は余裕がある人間には出来るけれど、毎日の生活費を稼ぐのに必死な人々には無理だ」とか、実際に言われたことがある。言われた時は、まだ未熟で、情理を尽くして、必死に「説得」しようとしていた。でも、それでは相手の「納得」は見いだせず、質問者も僕も、消化不良のまま終わることが多かった。
だが、その際、僕は相手の内在的論理を聴いてはいなかった、のかもしれない。相手は、わざわざ僕のタイトルを見て、やってくるのである。そして、僕が厚労省とは違う意見を持っていることも、あるいは「お金を稼ぐこと」以外の価値観の大切さを説いていることも、百も承知である。ただ、それが自分の中でこれまで信じてきた「信念体系」と大きく乖離しているし、簡単に飲み込めないから、違和感を表明しておられるのである。その際、僕が説得モードで話をすることは、相手の違和感をより増幅させる、悪循環の高速度回転につながるような気もする。(この悪循環の高速度回転については、以前のブログ参照)
語られている中身の事実を争っているのではない。その事実を語る僕自身の価値前提に同意が出来ない、という批判なり意見なのである。その際、僕が熱量を込めて語ることは、文字通り「火に油を注ぐ」ことになる可能性がある。その場合、相手の内在的論理を形成する価値前提をじっくり伺った上で、自分の内在的論理の価値前提との違いを整理し、「どちらの価値前提かによって、事実の見え方が分かれますよね」とお答えするしかないのである。ただ、残念ながら、短い質疑応答の時間でそんなことをしている暇がないので、尻切れトンボになってしまう。でも、本当は、その価値前提を巡る違和感の表明にこそ、じっくり耳を傾けるだけの価値があるものも、ある。ただし、対話者が「自分の価値前提が絶対だ」と思っていたら、対話は成り立たない。お互いが、自らの価値前提や信念体系を、括弧に入れて考える余裕を持っているか、が鍵にはなるが。
これは、講演だけでなく、大学での講義でも全く同じだ。僕は、講義の中で、価値前提や信念体系の話に踏み込む。福祉やボランティアの議論においては、唯一の正解がある、というわけではなく、どの価値前提や信念体系を選ぶか、という問いが、沢山含まれている。例えば、重度障害者でも入所施設ではなく地域生活支援を、とか、特別支援学校ではなく普通学校で、などの課題は、明確に価値前提の問いでもある。事実の背後にある、このような価値前提の問いに対して、きちんと学生たちの意見を聴きながら、どのような納得形成が出来るか。これは、大学教員にとって大切な仕事だったりもする。
こんなことを感じながら、講演現場では、なるべく心穏やかに、支援現場の方々の語りに耳を傾けようとしている。

現場から変える福祉政策

「福祉政策を変えるためのノウハウをまとめた、わかりやすい新書がほしい」

そう言われて、その気になっている僕がいる。

日曜は津に前入りし、三重県が主催する「市町障害福祉計画研修」の担当チームの皆さんと事前打ち合わせ+飲み会、だった。その飲み会の際、県の担当者のお一人から、「先生が自治体支援を通じて実践されてきたことを、わかりやすい新書のような形で書いてほしい」と言われた。
 
月曜日は朝から夕方まで、1日研修+今後の展開に関する戦略会議。みっちり現場支援に携わった後、4時間半かけて津から甲府に帰る列車内で、ふと考えてみた。言われてみれば、30代って、ずっと自治体福祉政策を底上げする仕事に携わってきたな、と。山梨県と三重県では、障害者福祉のアドバイザーとして7年以上コミットし、山梨県ではここ3年は地域包括ケアシステムの展開のお手伝いもしている。その際、ずっと大切にしてきたのは、「厚労省の指示待ち状態」を超え、現場からのボトムアップ型の政策形成、だった。タイトルを付けるなら、「現場から変える福祉政策」。地味かもしれないけれど、こういうタイトルで、地域福祉の現場でどのような変化が起こっているのか、地方自治体レベルでの福祉的支援の現場で起こっいる課題を乗り越えるために、どのようなツールを使って、どう変えて行けば良いのか、を障害者・高齢者福祉政策に関して、整理して言えそうな気になっている。
とは言っても、出版社からのオファーを受けた訳ではない。新書を出している出版社に、つてがあるわけではない。ただ、運が良ければつながったら、という淡い期待で、どんな本が書けそうなのか、章立てを考えてみた。
序章 上意下達・中央集権型福祉の限界
→序章で書くとすれば、標準化・規格化された福祉政策の限界、だろうか。介護保険法や障害者総合支援法は、全国一律の最低限度の量と質を定めた内容。でも、それが「最低限」の保障しか出来ていないがゆえに、歪みや限界があちこちに生じている。介護保険の要支援・要介護1の切り捨て、あるいは障害者の長時間介護保障が国基準とならない、ということなど、大きな矛盾がある。それに加えて、施設福祉中心の限界もあり、地域自立生活支援への転換が求められている。少子高齢化の中で、当事者主体を貫きながら、持続可能な福祉制度を作るには、現場からの創意工夫が必要不可欠だ。
1章 手作りの福祉計画
→現場から創り上げる手作りの地域福祉の実践例としては、僕がアドバイザーとして関わっている某市の事例を取り上げてみると面白いと思う。児童・高齢・障害・貧困の縦割り福祉を超え、福祉総合相談窓口を作り、そこでの困難事例の検討の中から、地域課題を発見し、それを地域福祉計画という行政計画に乗せて、ミクロの個別課題をマクロの福祉政策へと転換するプロセスを歩みつつある某市。ここでの、行政・包括・社協・地域住民の協働プロセスを描いていくと、「現場から変える」のダイナミズムが描けそうだ。
2章 自治体現場をサポートする
→市町村の福祉行政は、何とかよりよい仕事をしたい、と思う。でも、いかんせん、人減らしと業務過多の反比例の中で、国が求める仕事をこなすだけでも精一杯で、最低限度以上のことや、況んや新規事業にまで中々手が付けられない。そんな実態を超える為にこそ、都道府県の広域的・専門的支援が必要不可欠だ。昨今、都道府県の不要論とか道州制とか言われているけれど、本気で都道府県が地域支援に向き合えば、自治体が地方分権における自由裁量を活かした自治体独自政策を生み出す支援が出来る。そのサポートをしてきた山梨県の相談支援体制の整備支援、三重県での障害福祉行政に関わる市町職員エンパワメント研修、そして山梨の地域包括ケアシステム構築支援の体験から、国と市町村の間に立つ都道府県の福祉政策の「あり得る(けどあまり実践されていない)可能性」を検討する。
3章 NPOからのボトムアップ型政策提言
→現場から変える福祉政策、というのは、何も自治体行政で完結する話ではない。自治体が把握していない現場の政策課題について、NPOが水先案内人として施策化を主導することもできる。NPO大阪精神医療人権センターが行っていた大阪府の精神科病院訪問活動を「精神医療オンブズマン制度」という形で政策化したことは、NPOから自治体への、ボトムアップ型の政策提言の成功事例の一つ、といえる。この取り組みの可能性と限界を通じて、官民協働の可能性や限界を考える。(これは『権利擁護が支援を変える』に入れた論文のエッセンスをまとめる形)
4章 国の政策だってボトムアップで
→民主党政権時代に僕も委員として関わった、内閣府の障がい者制度改革推進会議総合福祉部会は、国の法律の対案を、当事者や事業者、自治体などの現場レベルの委員が集まって議論・整理しまとめ上げた画期的な提言である。だが、上意下達・中央集権型福祉の厚労省はどうしても受け入れることが出来ず、自民党政権への政権交代が濃厚になった為、完全にその内容をネグレクトし、実現には至らなかった。だが、この内容には、ボトムアップ型の政策形成が、国の政策でも不可能ではない、ということの萌芽が示されている。この部会のプロセスを振り返り、ボトムアップ型の福祉政策の可能性について検討する。
こんなラインナップを新書でいかがでしょう?
ご興味のある出版社さま、ホームページに記載されているメルアドで、ご連絡くださいませ。
なんて書いて、そんなに都合良くオファーなんて本当に来るのだろうか・・・

「居住福祉」と地域移行

早川和夫先生の最新作、『居住福祉社会へ』(岩波書店)を読んだ。早川先生は、建築学の観点から、日本の住環境の貧困さ、劣悪さを論じるだけでなく、「住まい」の環境の向上と住居の公的保障こそ、社会保障の基盤である、と唱え、「居住福祉」という概念を提唱した第一人者である。今回の一冊は、その早川居住福祉学のエッセンスを詰め込んだ、集大成であり、かつ入門書の役割も果たす、お得な一冊。

この本を読んでいると、地域包括ケアシステムや街づくりの基本にも、「住まい」があり、居住福祉が基盤になければならない、と痛感する。
今回、この本を通じて初めて知った事実として、1961年のILO(国際労働機関)による「労働者住宅に関する勧告」がある。これは、早川先生によれば「労働者の拘束的役割を果たす『使用者による住宅の供給』の禁止と社会的責任による住宅供給を満場一致で採択した」(p115)ものであった。これは簡単に言えば、社宅の禁止を求める勧告である。なぜ、社宅が問題なのか。それを、早川先生は、イギリスのホームレス支援団体「シェルター」の報告書を解説として引用している。
「社宅の利用がつづくのは住宅不足のあらわれです。雇主が従業員をあつめるさいに、社宅を(ゴキブリをあつめるのと同じ)誘引剤として使用できるという事実は、従業員が社宅を受け入れる以外に道はないと考えるからです。良質で安価な住宅の供給さえあれば、社宅の利用は減少するはずです。社宅は一種の落とし穴です。いったん社宅に移り住むと、多くはそこから出られない。社宅の居住権については法律上の保障がありません。だから職を失うことは、すなわち家をうしなうことを意味します。つまり多くの人々は借家人でなく、奉公人が住まわしてもらっている状態なのであり、主人の気まぐれで追い出されるのです。」(p118-119)
この記述を引用しながら、様々な日本のリアリティが目に浮かぶ。リーマンショック時の派遣切りの際に問題になったのは、派遣労働者が社宅に住んでいて、解雇と共に家からも追い出され、あっという間にネットカフェ難民やホームレスに陥っていた。派遣労働者だけでなく、そもそも日雇い労働者も、「ゴキブリを集めるのと同じ誘引剤」としての「社宅」に吸い寄せられる。これは、「良質で安価な住宅の供給」がないが故、である。阪神・淡路大震災でも、東日本大震災でも、仮設住宅の狭さ・質の低さが大きな問題になっているが、そもそも国自身に「良質で安価な住宅の供給」という発想がない。
一般人に対してもそうなのだから、障害者や高齢者の住宅政策は、さらに貧困だ。上記の報告書の「社宅」を「精神科病院」「入所施設」と置き換えてみたら、「利用者が施設・病院を受け入れる以外に道はないと考える」「いったん移り住むと、多くはそこから出られない」「借家人ではなく、奉公人が住まわしてもらっている状態」というリアリティは、そのまま通じてしまう。そういう意味で、「社宅」や「入院・入所施設」は「一種の落とし穴」であり、「良質で安価な住宅の供給さえあれば、入所施設・精神科病院の利用は減少するはずです」とも言えるのである。
僕は2ヶ月ほど前に、精神科病棟の一部を居住施設に転換する病棟転換型施設構想に反対する文章を書いた。その文章を書いた同じ時期に、旧知の新聞記者から、「では、どういう条件なら認められますか?」と尋ねられた。僕がその際答えたのは、早川先生の居住福祉を念頭に置いて、次のように話した。
「今の病棟転換型施設は、病院の利益を前提とするなら、まともな居住空間を作ろうとは考えていないはず。たぶん、ワンルームマンションと同程度か、それより狭い6畳一間にトイレだけついている、という程度を想定しているはず。それでは、単に個室に変わっただけで、退院とは言えない。本当に退院、というならば、たとえば元精神科病棟だったところを徹底的にリノベーションして、せめて1LDK、出来れば2LDK以上のマンションして、普通の人も住みたいと思い・実際に居住するマンションにして、そこに障害当事者も住んでいる、のであれば良いけれど、そういうものを作る気は、経営者にはないでしょうね。」
この意見は突飛すぎたのか、新聞記事には取り上げられなかったが、でもこの考えは、以前早川先生の本を読んでブログを書いた時から変わっていない。そもそも日本の居住環境の質が低すぎ、部屋が狭すぎるのだ。でも、これは日本に限った話ではない。早川先生によれば、「ヨーロッパでも20世紀初頭までは『ブタ小屋』に近かった。それが住宅大国になるについては、国民と政府の様々なとりくみがあった」(p170)という。我が国では、未だに隣の声が聞こえるワンルームマンションに普通の人が住んでいるからこそ、生活保護世帯はボロボロのアパートでも仕方ない、とされてしまう。そもそも、これを「居住の貧困」の問題として、社会問題化出来ていない、という課題でもあるのだ。そして、そのしわ寄せは残念ながら、生活保護世帯や障害者・高齢者などの社会的弱者にはよりシビアに響く。6畳一間でふすまを開けたら隣の人が暮らしている、というグループホームを見たことがあるが、見知らぬ人とそういう「共同生活」をさせることこそ、まさに「居住の貧困」そのもの、とは言えないだろうか。
では、どうすれば良いのか? 早川先生は、「居住民主主義」というアイデアを提示する。(p174-176)
①公共財としての性格を持つ住宅→勤労者の賃金に見合った良質の借家供給は、市場メカニズムではなく、公的資金による社会住宅(公的住宅)として提供する
②都市生活・福祉施設の一環としての住居→住居を市民社会構成の基礎単位と捉え、地域コミュニティをつなぎ、都市的生活諸施設と一体化してはじめて居住性を確保しうる存在と位置づける。
③住宅政策における民主主義=市民的自治の確立→「居住の権利」意識の涵養と、自分たちが住む住宅政策や地域社会に関しての意思決定への住民参画
これは、障害者の施設・病院からの地域移行政策にも、実に必要不可欠な視点である。
①’→収入の低い障害者に良質の借家を供給するには、市場メカニズムにお任せ、ではなく、「公的資金による社会住宅」は必要不可欠である。これは、例えば民間のアパートを政府が買い取り、その質を向上させて提供する、という方式もありうる(これを早川先生は「住宅産業の社会化」と述べている。p189)
②’→病棟転換型施設の問題は、それが病院の敷地内にあり、地域から断絶されている、という点である。厚労省の検討会で、担当課の課長は「病院も地域です」と言い放ったが、病院の敷地内にある施設に暮らして、地域のコミュニティや生活諸施設と断絶されていては、「居住性」を担保されない。気軽に飲みに出かけたり、近所の図書館でDVDを借りたり、スーパーで買い物したり、電車に乗って気ままに出かけたり、という「当たり前の暮らし」が「一体化」されない住居は、「市民社会構成の基礎単位」とは言わない。
③’→長期にわたっての入院中の精神障害者・入所中の知的・身体障害者にも「居住の権利」がある。だが、「どこで誰とどのように暮らすか」という当たり前の「居住の権利」そのものが奪われている。これは、今年日本政府が批准した障害者権利条約19条の言う、「居住地を選択し、及びどこで誰と生活するかを選択する機会を有すること並びに特定の生活施設で生活する義務を負わないこと」に違反している。
こう書いてみると、早川先生はごく当たり前のことしか書いていない。だが、なぜこれが多くの日本人にとって、馴染みが薄いのか。その背景に、ある種の洗脳がある、と指摘する。
「『住宅は自己責任』という政治的プロパガンダのもとで、国民は『持ち家取得を目標に人生を費やす』か、甲斐性のなさをかこちながら貧しく危険の多い住居で我慢するか、という住意識が受け付けられてきた。人間として生きていくのにふさわしい住居に住むことは基本的人権であり、生存権の基礎であり、日本国憲法第25条が掲げる社会保障も安心できる住宅保障がなければ成り立たない、といった前述の認識と要求は全く育たなかった。住宅は経済政策の一環として景気浮揚の手段、大手不動産・土建産業による経済活動の一環として閉じ込められた。住居の確保は私的努力で行われるので、住宅は私有財産という考え方が浸透した。」(p172-173)
「住宅は自己責任」というのは、一種の政治的プロパガンダである。これは、「民間活力の活用」と「残余主義」を前提とした日本型福祉論には、この「自己責任」論は実に好都合であった。また、昨今の新自由主義的な流れにも、うまくフィットする。だが一方で、ヨーロッパでは20世紀初頭まで、このプロパガンダが流通していたが、第二次世界大戦後の福祉国家の形成の中で、「公的資金による社会住宅」という「良質で安価な住宅の供給」を公的政策として進めた。我が国だって、そのような方向に政策的に転換することは、不可能ではないのだ。
今こそ、居住福祉の視点で、福祉政策を見つめ直す必要がある。改めて、そう感じる一冊であった。

パブコメを書いてみた

実家のある京都市が、「京都市不良な生活環境を解消するための支援及び是正措置に関する条例(仮称)(ごみ屋敷等対策条例)の制定について、という文章を出した。いわゆる「ゴミ屋敷」への対応案のようだが、色々問題があると感じた。京都市民以外でも受け付けるようなので、パブコメを書いてみた。以下、貼り付けておきます。
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京都市保健福祉局保健福祉部保健福祉総務課
ごみ屋敷等対策検討プロジェクトチーム事務局御中
山梨学院大学で教員をしている竹端と申します。
京都市出身で、現在も両親が京都市で暮らしております。
今回、貴市の条例案に憂慮の念を抱き、意見を書かせて頂きます。
私は大学で福祉政策を研究しており、精神障害のある方の支援にも研究テーマとして携わってきました。その中で、「ゴミ屋敷」とされるご家庭の問題についても、見聞きしてきました。確かに、ご近所にとっての大きな迷惑になっており、その苦情が今回の条例案の発端になっている、ということも、容易に推察されます。また、沢山の市民からの苦情と、当事者への対応で、板挟みになっている市役所の方々のご苦労も、理解できます。
ただ、今回の条例案を拝見して、最も危惧することがあります。それは、
「ゴミを溜めたり、ペットの糞尿などの被害を、強制的に止めることだけが、本当の解決に繋がるのか?」
という問いです。
既にお調べになっておられると思いますが、同じ「ゴミ屋敷対策」でも、豊中市さんと豊中市社協さんが取り組んでおられるアプローチは、京都市さんの条例案とはかなりアプローチが異なります。それは、まず、その「問題」とされる方に寄り添って、本人の「ゴミを溜めざるを得なくなったプロセス」を伺い、本人との信頼関係を構築した上で、ご本人が納得してゴミを捨てることに同意するプロセスを、時間をかけて構築していく、という点です。この時のキーワードは、「信頼関係」と「納得」です。この2つを作り出すために、社会福祉協議会に配属された「コミュニティーソーシャルワーカー」が、時間をかけて、ご本人のもとを通い続けています。そのアプローチの前提として、「話せばわかる」「相手と対話できるまで、こちらがアプローチし続ける」という姿勢があります。
一方、京都市さんの条例案の概要をみていて、そのような丁寧な関わりをされた上で、それでも応じない場合の措置なのだろうか、という点について、大きな疑問を感じます。行政が指導しても従わない場合は、強制的な命令も仕方ない、というプロセス自体への問いではありません。まず、行政が「指導」するときに、一方的・高圧的にゴミを捨てよ、という「指導」であれば、本人が「納得」してそれに従うのだろうか、という問いです。
一般に、ご近所とのトラブルを抱えたり、ゴミ屋敷となってしまうような方には、「性格が悪い」「人格障害」「発達障害」などのラベルが貼られやすいです。ただ、それは病状のせい、というより、ご本人と社会関係のうまくいかなさが極まって、周囲からの孤立、信頼できる他者の不在、諦めや焦燥感・・・などが重なり、「生きる苦悩が最大化」した結果、、ゴミを溜めるに至った、と私は理解しています。その時、「ゴミを捨てる」ことのみを目的とした「指導」をすることは、ご本人にとっての不信感の増すばかりです。ましてや、強制的な執行をした場合、さらに行政への不信感の悪循環は強まり、ご近所との関係もさらに悪化する可能性もあります。
では、どうすればいいか。
そこで、大切なのが、豊中市さんのされているようなアプローチです。「ゴミを捨てる」ことだけではなく、ご本人が「ゴミを溜めざるを得ない」悪循環構造に入り込み、その悪循環構造からの脱却を、ご本人との信頼関係を構築しながら、作り出そうとされています。「要支援者が自ら不良な生活環境を解消できるよう働きかけ」を本当にしたいと思うのなら、一方的な指導ではなく、まずは本人との信頼関係を構築し、その中で、「生活環境を改善したい」という「生きる希望や自信を取り戻す支援」こそ、必要不可欠だ、と私は考えます。その為にこそ、行政職員さんの叡智を結集し、自治組織との連携の中で、より良い支援体制や支援実践を創り上げていって頂きたい、と願っております。
これらの実践を充分に行った上で、なおも条例が必要な事態が全く変わりない、というのであれば、話は別です。でも、条例案を拝見する限り、そのようなアプローチを充分に尽くされたようには、お見受けしません。
条例は、一旦動き出すと、市民に大きな影響を与えます。まずは、本人との信頼関係醸成を目的にした、ご本人が悪循環から抜け出す「対策プロジェクト」をこそ、して頂きたいと願っております。
それがなされていないなら、この条例案には反対です。

地域づくりの玉手箱

なんて魅力的なレシピにあふれているのだろう、と思った。
とは言っても、料理本のことではない。「地域づくりのレシピ」と銘打たれた本の中で、ぐっと捕まれるような、核心的な表現の数々に出会う。例えば、こんなフレーズ。
「人が力を発揮して働くということは、その人が個人的に備えている能力の問題ではないと思っています。その人のもっている力が引き出され、発揮できるかどうかは職場のあり方にずいぶんさ左右されるのです。どれだけ主体的にやりがいや目的意識をもって仕事に取り組むことができるか、ともに高め合える工夫ができるのか、働く人たちも利用する人たちもそして関係者もあらゆる形で関わる人たちが協働することによって、よりよい場が実現できることが重要だと思います。だから、どんな人も自分のもっている力や個性を存分に発揮できる職場づくりはとても大切なテーマなのです。」(『日置真世のおいしい地域づくりのためのレシピ50』日置真世著、CLC、p187)
日置さんは、お子さんが障害を持って生まれた事がきっかけで、親の会活動から地域の社会資源作りなどを通じて「ネットワークサロン」のプロジェクトを釧路地域でどんどん増殖させ、障害のある人の生活介護やグループホーム、児童デイサービスなどだけでなく、不登校や生活保護受給世帯など、地域で支援を必要としている人々への事業展開を、次々と実現しているプロジェクトリーダーでもある。
その彼女の仕事の仕方を端的に表すのが上記の発言。彼女の中では、支援する人・される人、とか、障害や高齢、児童、生活保護などの対象別という切り分け方がない。民間か行政かNPOか、という立場や属性にも、こだわりがない。真の部分で、「どんな人にも役割があり、魅力がある」という軸があり、その人の役割や魅力を発揮でき、誇りを持って生きるための仕掛けや仕組み作りが必要だ、というミッションである。飯を食うために行う、というより、この仕事を通じて「活かされいる」と実感できる人を一人でも多く作りたい、という野望に満ちている。ご自身の肩書きを、自称「緩やかな市民革命家」と書いておられるが、「すべきだ・しなければならない」、という道徳的規範を押しつける説得型ではなく、「こんな風になったら良いよね」という夢を共有化・言語化し、応援団を形成する中で実現に持ち込むという、人々の納得のネットワーク形成の達人である。
日置さんはサロンを「人と情報のたまり場」と定義する。付け加えるなら、彼女たちが増殖させているこのネットワークサロンは、事業ベースのサロンではなく、人々の「思いや願い」をベースにしたサロンのようだ。事業規模が年間3億を超え、120人の有給スタッフがいる釧路の一大組織に育っても、彼女の地域作りの視点は、非常にシンプルで、かつ説得力がある。
「地域づくりとは地域のニーズを把握することであり、人を発掘し、育て、つなげることです。また、実際に地域の課題を解決することであり、新しい地域のあり方を提案することでもあります。そうした地域づくりのためのあらゆる機能を兼ね備えた新しい地域の課題を解決するツールが『コミュニティハウス』なのです。具体的な姿形が大切なのではなく、地域でつくりあげ、地域が考えながら協働して進めていくプロセスこそがモデルになるのです。」(同上、p273)
地域福祉の推進、とは、昨今の地域包括ケアシステム構築において、主流となる考えである。だが、そこに携わる行政や地域包括支援センター、社会福祉協議会というアクターが関わると、気づいたら予算や事業、お互いの立場といったものに絡め取られ、住民主体のかけ声とは裏腹に、支援者ベースになりやすい。しかし、日置さんは、地域づくりを、「住民活動の組織化」、などという表現では言わない。
 
「人を発掘し、育て、つなげること」。
 
なんて、魅力的な表現だろう。地域でまだ出会えていない様々な人々の魅力に気づき、その魅力を役割に変え、それをネットワークの中に投入して、様々なシナジー効果を生み出し、ご本人も、周りの人も、みんながハッピーになれるような好循環を作り出していく。実に魅力的な方法論である。かつ、彼女にとって、何らかの事業や箱物という成果物が目標ではない。「具体的な姿形が大切なのではなく、地域でつくりあげ、地域が考えながら協働してすすめていくプロセス」の重要性を説いている。これは、僕たちがチーム山梨で地域ケア会議を定義した時の「動的プロセス」論とも相通じる。
そう、地域の中でのネットワークサロンの展開とは、僕がブログで書いてきた表現を用いるならば、「拡大する螺旋階段」とか「渦づくり」の「動的プロセス」なのである。その中から産まれてくる「姿形」とは、あくまでも結果論であり、その「姿形」を創り上げる中で、「地域が考えながら協働」する、そのプロセスの中にこそ、「人を発掘し、育て、つなげる」動的ダイナミズムが体現されている。それこそ、今の事業型社協や上意下達型の地域包括ケアシステム推進に最も欠けて視点である。
その意味で、この「レシピ集」の中には、コミュニティーワークの無限の可能性が詰まっているし、このレシピを参考に、自分たちの地域でのオリジナルメニューの戦略がいろいろ浮かんでしまいそうな、実に愉快で、かつ学びの深い本であった。

残念な読後感

読み終わった後、これほど「残念」さを持つ本に、最近あまり出逢わなかった。というか、テーマが違ったら、決して最後まで読み通せなかっただろう一冊がある。

「調査を進めながら、私は一度も自ら『研究の中立性』を主張したことはない。決して『中立的な』研究はないし、福祉推進派にも福祉見直し派にも属さない自らの立場があると思った。ただし、立場が異なる人々が存在するなかで、対象が偏るとバイアスが生じる恐れがあることは自覚していた。こうした私の立場は、『研究の中立性』を求める人々にも、過去の福祉政策が正しかったと確信している人々にも理解されることは難しかった。私は、調査対象の偏りを避けること、また調査結果から得られた知見を忠実に記録すること、決して『結論ありき』の調査はしないことだけは約束した。実際の研究結果が、福祉推進派の期待も福祉見直し派の期待も『見事に裏切る』ことができること、これこそが私の目標であった。」(『地方自治体の福祉ガバナンス-「日本一の福祉」を目指した秋田県鷹巣町の20年』朴姫淑著、ミネルヴァ書房、p15-16)
この著者の博論に基づく一冊は、確かに読者の1人である僕の「期待も見事に裏切る」内容であった。しかも、それが残念な形で。
ただ、急ぎ付け加えておくが、僕自身も、「中立的な」読者ではない。僕の師匠は、この本曰く、「早い時期から鷹巣町の福祉政策において、距離を置いた外部支援者というよりも、当事者に化してしまった」(p79)大熊一夫氏である。僕自身、師匠に同行させて頂き、何度か鷹巣のケアタウンなどに見学にお邪魔した事がある。明らかに、この本のカテゴライズで言うところの「福祉推進派」のバイアスがかかっている。(ちなみに、鷹巣福祉のことをネットで知るには、この本曰く、福祉推進派の「外部支援者」である大熊由紀子さんのHPに色々掲載されています)
その一方で、なぜ鷹巣福祉が2000年代以後、急速に凋落していったのか、そのわけを切実に知りたい、と思う読者の1人でもあった。その顛末は、いくつかの師匠の本にも書かれている。だが、「福祉見直し派」の内在的論理も知りたい、と思って、この本を手に取った。師匠が福祉推進派の「当事者に化した」と評されるなら、外部研究者という「非当事者」が「自らの立場」で、福祉推進派・見直し派の双方の中心人物に長時間インタビューした記録は、師匠とは違う切り口で、鷹巣福祉の変遷の本質を描き出してくれるかも知れない。それが、7000円を超える高額な本を購入した最大の理由だった。だが、結果は、「残念」の一言であった。
何が「残念」だったのか。それを説明するために、著者の次の表記が手がかりになる。
「私が鷹巣町で目撃したのは、誰かがつくり上げたものを、誰かが根源から破壊することであった。その破壊力はどこから来るのだろうか。その力は必ずしも利害関係でもない。いつか深く傷つけられた記憶が、その政策を破壊する原動力になっている場合もある。福祉政策を批判した人々は、これまでの鷹巣町の福祉政策の成果を自分たちのものだとは思わなかった。『我々の福祉』ではなく、デンマーク型福祉に憧れた政治家や外部支援者、一部の住民によってつくられた『あなたたちの福祉』だと思った。その破壊する力には、長い間の恨みや嫉妬が含まれていた。福祉政策を批判する人々は、これまでの福祉政策をつくり上げた人々の独善と放漫を厳しく批判した。『日本一の福祉』政策を実現することは、政策に反対する人々からすると、自分たちが否定される過程でもあった。」(同上、p342)
これは、事実かどうかはは判断が不能である。ただ、「福祉見直派」の心情や内在的論理が、割としっかりと把握されている記載であると感じた。「福祉見直し派」とカテゴライズされる人は、「鷹巣町の福祉政策」に関してこんな風に見ていたのか、という事を、鷹巣町に通っていた大学院生時代の僕は知らなかった。そういう「見直し派」の内在的論理を、丁寧な聞き取りで描き出したのは、「知らなかった事を知れた」、という思いがある。
ただ、このような「恨みや嫉妬」という「深く傷つけられた記憶」に関して、正直に申し上げて、著者は「不用意」に聞いてしまったのではなかったか。それゆえに、この「恨みや嫉妬」という感情を、そのままこの本の中に投影してしまった。それが、この本を読むのが途中で苦しくなった、最大の理由である。「恨みや嫉妬」を、研究者の視点で解毒すること無く、そのまま書き示す。この著者がとった方法論は、僕は良しとしない。なぜなら、それは結果的に「恨みや嫉妬」の感情を反復させることであり、その反復によって、そのマイナスの悪循環は、治まるどころか、高速度回転する可能性がある。そう、以前のブログで引いた、アーリの発言のように。
「反復によって、『局所的』な変化で最も小さいものが、無数のたび重なる行動を通じて、予想外の、予想不可能でカオス的な帰結をもたらし、そして時としてエージェントが、自らがもたらそうとしていたものとは正反対のものを生み出すことになる。」(『グローバルな複雑性』ジョン・アーリ著、法政大学出版会、p71)
鷹巣町の政争の「推進派」「見直し派」の主要人物にインタビューした著者が解明すべきだったのは、この「推進派」と「見直し派」が、どのような「反復」を繰り返すことによって、「予測不可能でカオス的な帰結」をもたらしたのか、それが両派の「もたらそうとしていたもの」と、どのような「正反対のものを生み出すこと」になったのか、という、その悪循環の構造の解明ではなかったか。著者も、結論部分で次のように語っている。
「結果的に、福祉政策を進めるなかで、ますます住民が分断されてしまうことが非常に残念に思われた。人々を和解させ、連帯させるのではなく、人々を分断させ、敵対させるとはいったい何なのか。」(朴、p343)
これは、「推進派」「見直し派」双方が、実は深く感じていた疑問であり、いらだちであった、と想像出来る。だからこそ、どちらの「味方」にも属していない、第三者であるこの著者に、これだけ沢山の人が自分の思いを語ったのではないか。そして、その際、著者に期待されていたのは、「人々を分断させ、敵対させる」現状をどうしたら回避できるのか。旧鷹巣町の「人々を和解させ、連帯させる」ためにはどうすればよいのか、という筆者なりの処方箋ではなかったか? そして、そういう期待をこそ、この本は「見事に裏切る」ことになった。
確かに研究者には、研究の自由が保障されている。僕は他の研究者の「研究の自由」を毀損するつもりはない。だが、この事例は、猛烈な「破壊力」を前に、「推進派」「見直し派」の双方の、多数の人々が「深く傷つけられた記憶」を辿る研究である。流された血の跡にようやく出来た瘡蓋を見せて下さい、と頼むインタビューである。そこには、他方に傷つけられた「痛み」や「苦しみ」が、つよく作用している。そのような「生々しい感情」は、話す側にも、聞く側にも、蔓延しやすい、毒性化しうるものである。だからこそ、ふぐを調理するように、発言からきちんと毒を腑分けする能力や、その毒に感化されないセンサーが必要だった。だが、この本全体を通じて、様々な立場の「毒」をそのまま記載することにより、両者の「深く傷つけられた記憶」そのものを「反復」してしまっている。これでは、「分断」や「敵対」を加速させる効果はあっても、「和解させ、連帯させる」ヒントをこの本からは得られないのではないか。それが、一読者の感じた、素朴な疑問である。
筆者は「両者の間には、コミュニケーション自体が成り立たない深い溝があった」(p17)という。その両者と「コミュニケーション」できた著者だからこそ、その「深い溝」という悪循環の構造を解き明かし、「和解」や「連帯」に向けた、好循環の可能性を探るべきではなかったか。それが、著者のタイトルにある「福祉ガバナンス」の可能性ではないのか。その可能性を追うのではなく、多くの人々のあまりにも生々しい感情的な発言を「そのまま」掲載することによって、「恨みや嫉妬」、「深く傷つけられた記憶」といった「破壊力」を「鎮魂」するのではなく、むしろ「反復」する結果にはならなかったか。
「実を言うと、鷹巣町の人々がすべての問題を『政治家のせい』にしたり、すべての結果を『政治が変わったから=町長が変わったから』のように説明することに対して、私は強い違和感を覚えた。(略) そうした態度では、相手に対する批判だけあり、自分自身に対する反省はないように思われた。」(p18)
鷹栖町の人々が「相手に対する批判だけ」に終始するのは、20年以上にわたって蓄積された「深い溝」ゆえである。だからこそ、ある種の「感情癒着状態」から抜け出せず、その「破壊力」を制御できず、苦しんでいる。両者への聞き取りを通じ、筆者はそのことを充分に知っているはずである。なのに、「自分自身に対する反省はないように思われた」と、ある種”クール”に指摘してみせる。だが、インタビューに応じた語り手たちが求めているのは、「反省のなさ」に対する批評ではない。両者が抜け出せない悪循環構造をこそクールに分析し、「和解」や「連帯」という「福祉ガバナンス」実現にむけた鍵や好循環の可能性を検討することではなかっただろうか。
僕が読後に感じた「虚しさ」は、このあたりに渦巻いている。

手綱を緩め、場に任せる

そのことに気付けたのは、僕にとっては、決して小さくはない変化である。
 
福祉分野の研修を依頼されることが、少なくない。現場職員のスキルアップの研修を、沢山引き受けてきた。
研修の場で、これまでの僕は、その場をうまく収めることを意識していた。僕はなるべくいろんな人に発言を求めるのだけれど、その話を聞きながら、全体の流れの中に入れ込むことを常に意識していた。時として、想定外のボールがくると、たじたじになったり、あるいはお恥ずかしい話だけれど感情的になることだって、あった。そうして、必死になってハンドリングして、何とか一定レベルの研修の場を作ろうとしてきた。だから、一日研修の終わりは、たいがいグッタリしていた。
場のコントロールに必死になり、手綱をしっかりと握り、とにかく一日が終わるまで、ハイテンションだった。「元気を貰いました」なんて言ってもらえるのを喜んでいたけれど、それだけ「気」を使い、僕自身の生きるエネルギーというか、僕の気の流れは悪くなっていった。ここ数年、漢方治療に取り組んでいるが、一番最初に主治医に言われたのが、「気の巡りが悪い」ということ。つまり、文字通り「身を削って」研修していた。「もう少し、講演も研修もリラックスしたら?」とアドバイスされるのだけれど、せっかく話を聞いてもらえるチャンスなのだから、とどうしても必死になり、入れ込んだ話になっていた。
でも、昨日の研修現場では、ふと、手放してみたくなった。無理して発言をハンドリングするのではなく、その場の力を信じてみようと思った。全体討論の中である人から提起された、少し想定外なボール。「これに対して、誰か応えられる人はいませんか?」と、場全体に問いかけてみた。すると、ちゃんと応えてくれる人がいる。僕がアヤシイとってつけた発言をしなくとも、現場のリアリティに基づきながら「私なら、こうする」と言ってくれる人がいる。そこに、僕が合いの手を挟みながら展開すると、無理なく自然に落ち着くべきところに収束していく。
これまで、収めることばかりを意識化して、もしかしたら場全体の力を信じていなかったのかもしれない。いや、僕自身が場全体の力を信じ切れるほどの力量がなかったのかもしれない。でも、ふと、手放してみたら、場全体の物語が進行し始めた。そして、その場全体の物語の傍観者になっているほうが、随分と実りが豊かで、面白かった。そうなってみて初めて気づいたのだが、これまでは僕自身の物語に場を押し込んでいたのかもしれない。だからこそ、必死になって手綱を握りしめ、ぐいぐいと押し込んでいくことしか出来なかった。だから、研修の感想には、「面白かった」「元気を貰った」という感想と共に、「少し強引な展開に思えた」というのも、時として混じっていたのだ。
昨日の研修では、特に全体討論の時間で、場全体にバトンを託してみた。すると、僕が言及しておきたかった事が、どんどん会場内の発言から出てくる。僕は、それに対してポジティブな評価をしていくだけで、するすると進んでいく。参加者たちも、大学教員のきれいごと、ではなく、会場内の同業の研修仲間から出てきた迫力ある発言ゆえに、学びが多い。みんな興味深く話に聞き入り、メモを取り続けている。単なる双方向の空間を超えた、濃密な学び合いの空間が、気付いたら構築されつつあった。何気なくマイクを差し出した相手が、前の発言者の話を受けて議論を展開するシンクロニシティが、何度も起こっていた。僕は、マイクを持って歩きながら、その場全体の流れの展開の面白さに、ある種、くぎ付けになっていた。そんなライブだからこそ、終わった後は、心地よい疲れ、だった。いつものようなグッタリとした感覚は、全くなかった。
実は、僕自身が、研修のリーダーシップをとることに、これまで必死になっていたのかもしれない。でも、僕に求められる役割は、ファシリテーション。参加者がもともと持っている経験値や潜在的な可能性をうまく引き出し、別の角度から再検討し、新たな可能性を見出す支援。リーダーからファシリテーターへの変革は、支援者だけでなく、僕にも不可欠。1年前にブログで整理していたことは、支援者の変容課題だけでなく、僕の変容課題でもあったのだ。
昨日感じた解放感とは、無理にリーダーシップを取らなくてもよい、ということの解放感だった。取るべき責任と、取れるはずのない責任。それを見間違うと、自分がしょいきれない重荷を抱え込み、不全感を抱く。思えば大学教員になって、研修や講演の場で、必死になって求められることに応えようとしてきた9年間は、そんな背伸びばかりする、力みまくりの日々だった。
ここ5年くらい稽古に励んでいる合気道につなげて考えるなら、力づくの技が、一番ダメだといわれる。相手の身体のエネルギーや動きたい方向性を邪魔せずに、かえってその動きを活かしながら、その力も活用しながらこちらの技を導いていく。すると、小さなエネルギーでも、簡単に相手の動きを変え、こちらと一体になり、相手を崩すことが可能になる。
研修で必死に手綱を握りしめていた僕は、合気道の練習で体ががちがちになり、とにかく技を決めることに必死だった時代を思い起こさせる。有段者の兄弟子たちは逆に、しっかりとしたぶれない筋を持ちながら、柔軟に、こちらの力量を見極めながら、こちらの技にあった展開をしながら、うまく導いてくださる。これも、一つのファシリテーション。大切なのは、相手の動きをしっかりみて、その動きに合わせながらこちらの出力や方向性を変えていく柔軟性。でも、技を決めることに関しては、ぶれない一貫性をもちづける。この二つの絡み合ったファシリテーション。
一貫性にばかり目を向け、必死になっていた僕も、ようやく場全体の力を信じ、その場に身をゆだね、そのエネルギーにそった展開に歩みだす柔軟性を、少しはもち始めたのかも、しれない。

「学びの本質」を学ぶ

僕は、受験勉強なるものには、馴染めなかった。自分の頭で考えることは好きだったのだが、闇雲に暗記するというプロセスはどうにも好きになれなかった。中学時代の社会科は大の得意だったのに、高校の日本史や世界史では暗記的勉強が嫌で挫折。今から思えば歴史を放棄した事の代償は大きいと悔やまれるが、後の祭り。

でも、学ぶことは、素直に好きだ。クイズ王的に知識を溜め込むことには何の興味も持てないが、何かを学び、それによって自分の内側の組織編成が変わり、成長できるプロセスは、すごく魅力的だ。大学以後、試験科目に縛られない自由な学びの世界に見開かれ、専門や領域を限定せず、心の赴くままに学び続けて来た。そんな「学び」のプロセスや本質が、ものすごくわかりやすく書かれている本に出逢った。
「私見によれば、ドラッカーのマネジメント論の要点は以下の三つである。
   ①自分の行為のすべてを注意深く観察せよ、
   ②人の伝えようとしていることを聞け、
   ③自分のあり方を改めよ。
自らの世界に生じているものごとの本質に触れたなら、世界の見え方は一変する。世界の見え方が変われば当然、そのなかにいる『自分』のあり方も改まる。この時まさしく、パッと目の前が大きく開けた感じになり、自然と涙があふれてくる。そこには『恐れ』はない。」
(安冨歩『ドラッカーと論語』東洋経済新報社、p24)
このドラッカー=安冨論の要諦は、他者や世界を知る前に、まず自らの行為に目を向けよ、という部分。そういえば、安冨先生は、数年前に出された『生きる技法』の中で他者との比較に目を奪われ、憧れか自己嫌悪に終始することを「自己愛」と呼び、それとは反対に自らのあるがままの等身大の姿を受け入れることを「自愛」と呼んでいた(そのことは以前のブログも参照)。自己愛と自愛の最大の違いは、②→①か、①→②か、の違い。まず、「他者との比較」が先に来てしまうと、自分の実像がわからないままなので、ついつい他者の良い部分に目を奪われ、憧れや自己嫌悪を抱きやすい。でも、それで「あるがままの自分自身」を理解せずに、他者の真似ばかりしていたら、心ここにあらず、でいつまで経っても苦しい悪循環から抜け出せない。思えば20代前半まで、僕もこの回路にはまり込んでいた。
ゆえに、その悪循環の反復から抜けるためには、②ではなく①から始めよ、とドラッカー=安冨論は伝える。これは、言うは易く行うは難し、の世界である。なぜなら、膨大な情報の海に流されずに、自分のあるがままとは何か、今していることはどういうことか、を「注意深く観察する」のは、「時流」に反することだからである。「時流」=世間の流れに乗る方が、一見するとラクに見える。だが、それは憧れや自己嫌悪の無限増幅回路に乗っかる事をも意味する。この無限地獄から降りる為には、時流に反してでも、まず「自分のあるがまま」を注意深く観察することがある。そこに、マネジメントの入り口というか、本質が隠されている、というのだ。
上記の部分は、僕が『枠組み外しの旅』でウンウンと考え続けてきたことを、実に平易な日本語で鮮やかに示されていて、まさに脱帽した。と同時に、何度も何度も頷いていた。
論語に関しても『生きるための論語』という示唆深い作品を出しておられる安冨先生は、ドラッカーと孔子の本質的な共通点を次のように語る。
「フィードバックなしに組織は決して作動しない。これは、学習回路の開いた『君子』が存在しなければ、国家は存続が危ういと述べた『論語』と同じ主張である。社会のあらゆる組織の根幹には『フィードバック』がなくてはならない。ドラッカーは二十数世紀前に孔子が唱えた『學而時習之』を、現代の組織運営に再発見した人物と言えないだろうか。『マネジメント』の根本概念は何かと問われると、『顧客の創造』をあげることもできようが、私は『フィードバック』こそがドラッカー経営学の最重要概念だと考えている。」(同上、p46)
フードバックに基づく行動や認知の変容
これが学びの本質であると、ドラッカー=論語=安冨論は語る。自分の中に取り込んだ「入力」によって、以前の自分とどんな違い(=「出力」)が生じたのかを理解するというフィードバック。これは、自らの学習回路を開き、「自分が何を知らなかったか・わかっていなかったか・出来ていなかったか」を理解するプロセスである。このメタ認知がないと、どう変わるべきか、の具体的戦略が描けない。そして、その前提として、自分の未熟な部分も含めて、まず「あるがまま」の等身大を受け入れる必要があるのだ。
卑近な例だが、昨日まで韓国の国際学会に出かけてきた。社会起業家精神という言葉がここ数年の研究上のキーワードであり、それを深く学べそうな学会で、様々な発表を聞き、僕自身も発表してみた。アウェーな領域で、海外の学会。当然、誰も知り合いはいない。かなり緊張もしたし、準備も相当大変だった(何せこの1ヶ月で3つの学会発表のフルペーパーづくりに追われていた)。でも、そういう新たな場に身を置いて、アジア各国の研究者の発表を聞いたり、そこで知り合った日本人研究者と飲みながら議論している中で、「自分が何を知らないか・気付いていないか」に気づく事ができた。
英語がうまくしゃべれない。きちんと聞き取れない部分もある。フレンドリーに英語で話しかけるのが苦手だ。ディスカッションの輪の中に入りにくい自分がいる。懇親会ではやっぱり「壁の花」になりそうだ・・・。そういう苦々しい思いは、4年前の国際学会の時からあまり変わっていない。そういえば、そのトルコの学会発表の後の4年間は、障がい者制度改革推進会議と二冊の単著執筆に忙殺され、国際学会から遠ざかっていた。
ただ、4年前より少し成長しているのは、様々な「出来ない」「わからない」事に関して、そういうストレスフルな自分をありのまま受け入れようとし始めたこと。英語でアウェーな情報が渦巻く環境の中でも、②に巻き込まれる前に、①を少しは自覚していたこと。そうは言っても、憧れや自己嫌悪がもたげそうになったけれど、でも何とかフィードバックに基づく学習モードを維持できたこと。だからこそ、「己のわからなさ」を自覚した上で、「他人の伝えたいこと」から学び、自らの学習=変容課題に少しは気づけたこと。これが最大の収穫。その中で、住民主体型のcommunity developmentが、僕のここ最近の仕事を包含するキーワードであることを再確認できた。このフィードバックは、自分の次の学びの目標を定める上で、凄く大きな収穫であり、成果である、と感じている。
そういうフィードバックに基づく学習こそ、「学びの本質」である、と改めて安冨先生の本から学ばせて頂いた。新たな学びを忘れないうちに、備忘録的に書き記しておく。

現実を変える認知論的転換

こないだシノドスに、精神病棟転換型施設の問題点に関する記事を掲載頂いた。おかげさまで沢山のかたに読んで頂いたようで、様々なフィードバックがある。その中で、知り合いの記者から、こんなことを言われた。

「タケバタさんの文章は、割と哲学っぽいからねぇ」
僕の文章が「哲学」的? 確かに、財源論や具体的な方法論といった政策論は、あの記事では書いていない。むしろ、「精神病棟に住んでいる人は、高齢者で身よりも行き場もない人々だから、病棟を建て替えた入所施設で暮らしてもらうしかない」という「よりまし」論の認知の歪みに関して、「それはオカシイのではないか?」と批判をしたつもりである。ずっと「病状」「受け皿のなさ」を理由に隔離収容を続けておいて、現実に病床を減らす段階になれば、「病院の経営の為に退院させられない」という「釈明」をしても、それで「しかたない」とされてしまう患者の立場になったら、こんな理屈はたまったものではない、という趣旨である。すると、別の医師はとあるML上で、僕のような意見を述べる人々を「在宅原理主義者」と命名された。「実際に退院支援をやった苦労を知らない人間による、無責任な発言は許せない」、と。
こういう批評を読んでいて、感じることがある。
これは、政策論ではなくて、現状認知に関する「ちがい」である、と。
まあ、こういうことを書くから「哲学的」だと言われる。現実を変える政策論ではなく、現状を解釈するだけのアームチェア学者ではないか、と。でも、僕も、国の政策を検討する委員会に入ってみてわかったのだが、本当に政策を変えたければ、政策形成に関わる人々の認知を変える必要がある。いくら現行法からどう変えたら良いのか、という実現可能な対案を示しても、人々が「どうせ」「しかたない」と思っている、その認知枠組みを変えない限り、たとえ首相の肝いりで始めた政策であっても、うまくいかない。(その顛末は、二年前にシノドスに書いた)
だからこそ、『枠組み外しの旅』や『「病気」から「生きる苦悩」へのパラダイムシフト』といった、認知枠組みの転換に関する文書を書き続けてきた。そして、昨日読んだ薄いブックレットの中で、僕よりも軽やかに、そのパラダイムシフトを論じている先達に出会った。
「”意味”とは、ヒトとヒトとの間で『与えられる』ものであり、なんら『実体』を表すものではない。したがって、多くの『問題行動』や『症状』も、それはなんら『実体』を持つものではなく、『これが問題行動だ』『これが症状だ』と、そのヒトビトの中で認識された時点で、『問題行動』となり、『症状』となる、ということになります。」(森俊夫著『”問題構想の意味”にこだわるより”解決志向”で行こう』ほんの森出版、p39)
軽妙な(=オヤジギャグ入りの)話口調で、1時間ちょっとで読めるブックレットだが、中身は、まさに支援現場における認知枠組みにパラダイムシフト(=質的転換)をもたらす本である。森さんは、臨床心理士として数多くの支援現場に携わる中で、「問題行動の意味」にこだわることは、その「問題」に集中し、その行動をする本人や、その「問題行動」で困っている家族が、その「問題」から離れられなくなる、と指摘する。そんな「生じてしまった問題」という過去から現在にとらわれるより、「どうしたいのか」「どう変わりたいのか」という「未来」に目を向け、変わるための方法論を支援者と本人・家族が一緒になって模索する方が、現実的に変わる、と指摘する。
本人は、「問題行動」という悪循環にとらわれてしまって、そこから抜け出す事が出来ない。そのとき、家族や支援者が、その「問題行動」の「意味」や「原因」を追求するのは無駄である、と森さんは指摘する。これは、「悪循環の高速度回転」の構造を指摘した安冨先生の文章を想起させる。
「社会の安定は規範のみによって維持されていると誤解している場合、社会が不安定化しているという事態の『原因』を、規範が緩んでいるということに求めるという誤認が生じる。するとその対策は規範を強化することに求められる。このような対策は逆効果になる可能性が高い。悪循環が生じているときに循環のどこかを加速すれば、回転速度が上昇してしまうからである。状況を放置したままで規範を強化すると、そこからの逸脱がより多く目につくことになり、人が罰せられる回数が増え、与えられる罰が多くなる。これは人々に法からの逸脱が増加しているというメッセージを与え、法の機能不全と秩序の崩壊を感じさせる。この感覚は人々の不信感や放埒を拡大し、秩序をさらに不安定化する。これに対してさらなる規範の強化で臨めば、悪循環は高速度で回転する。」(安冨歩『複雑さを生きる』岩波書店、p105)
この本の中で安冨先生は、A→Bという原因と結果の連鎖という「因果論」的思考の限界を指摘する。人間世界でおこる「複雑さ」を縮減して理解する為の、「思考の節約」としての「因果論」的思考。それで、近代科学が飛躍的に発展し、様々な機械製品を発明できたから、私たちはそれが人間界にも当てはまる、と「思い込んで」いる。だが、先の森氏が指摘しているように、人間の「問題行動」には、単一の「原因」はない。問題行動という「結果」は、複雑な要因が絡み合って構成されている。であれば、その「意味」を模索する営みは、たいてい「正解」にたどり着かない。それどころか、これが「原因」だ、と「思い込んだ」内容に関して、その「対策」を打つことは、安冨先生に寄れば、「悪循環が生じているときに循環のどこかを加速すれば、回転速度が上昇してしまう」とさえ言う。「問題行動」に関して、「原因」を追求する営みが、実はこの「回転速度の上昇」につながる、「悪循環の高速度回転」の無限ループにはまり込んでいる可能性はないだろうか。
だからこそ、森さんは、その循環から出よ、と言っている。「問題行動の意味」(=原因)探しではなく、「解決」に目を向けることの重要性を指摘している。しかも、本当に「問題行動」を止めたければ、「どうなればいいのか」という「解決」のゴール設定を「本人が設定する」(p63)ことの重要性を唱えている。だが、支援者と言われるヒトビトは、本人の「どうなればいいの?」と聞く代わりに、「問題は何ですか?」と聞き続けるという。「困りごと」に目を向けてくれるのは良いけれど、「困らないためにどうしたいか」を聞いてくれないので、結局のところ、悪循環の高速度回転を、支援者が後押しする事態になってしまうのだ。そして、では支援者はどうアプローチを変えればいいのか、についても、森さんは次のように指摘している。
「多くの場合、クライエントは、自分が解決の方法を知っているということを知らないのです。今の例でも、先生が『痛くないところはどこ?』と聞いて初めて、クライエントは、自分の身体の中に痛くないところがあるのだ、ということを知ったのです。そんなものなんです。クライエントは『問題』のことしか考えていない、『問題』しか見えていないものなんです。『解決』がそこにあっても、全然目に入っていないんです。だから治療者が『ここを見てごらん』と、『解決』の方向に視線の向きを変えてあげる。これこそが心理療法であるわけです。」(森、同上、p71)
これは、心理療法を福祉的支援と言い換えても、全く同じ事がいえる。支援が必要な状態に陥っている人の中には、「自分が解決の方法を知っているということを知らない」人も少なくない。その際、「知らない」ことの「原因」や「意味」を探索するより、「知っている」ことに気づく支援の方が、遙かに生産的である。その方向性を変える支援こそが、価値があるのだ。そして、「解決の方法」を「本人が設定する」からこそ、これまで「問題行動」という悪循環の無限ループに固着していた本人が、初めてその悪循環構造から脱する事が出来るのである。
そして、僕はこれは、精神科病院に長期間入院して、「学習性無力症」になった多くの社会的入院患者にも通じることだと感じる。彼ら彼女らは、自分たちの過去に生じた「問題行動」や「精神症状」の「原因」や「意味」にのみ向き合わされ、「では、どうしたいのか?」という未来に向けた検討を一緒にやってくれる支援者がほとんどいなかったのではないか? だから、「退行症状」や「無為自閉」と呼ばれるような状態に構造的に追い込まれたのではないか。それって、支援者の作り出した「施設病」ではないか。そして、そのことについて、「病状だから」「受け皿がないから」と本人の退院の求めを拒否し続け、「どうしたらいいのか」について、入院患者本人に聞いてこなかった(=本人が設定する機会を奪ってきた)結果としての、長期社会的入院ではないか。
で、やっとのこと、精神科病床の削減の議論が始まった、と思ったら、今度は、病院経営という「都合」ばかりが主題として論じられる。今まで入院してきたご本人の「どうしたいか」という「設定」こそ大切にしよう、と提案すると、「在宅原理主義者だ」と一蹴される。それって、この悪循環構造にのみ固執する「現実主義」にしか思えない。原因-結果の因果論的思考や経験主義に拘泥し、「これまで地域移行がうまくいかなかったのだから、病棟内施設ではないと問題は解決しない」という自らの認知の偏りや思い込みを、政策に当てはめる思考である。別に、それを一個人の中で「妄想」するには、表現の自由だから、干渉するつもりはない。だが、病棟転換について議論する検討会の委員がそんな「妄想」を抱いているのは、大きな問題である。なぜなら、それは今まで「どうなればいいの?」と尋ねらてこなかった長期社会的入院患者に、また本人に聞くことなく、パターナリスティックに政策を続けることに変わりないからである。もう、こういう本人不在の政策的議論は、いい加減、終わりにしなければならない。
だからこそ、認知論的転換が必要なのだ。本人に聞くことなく、「専門家」が知っているから本人はそれに従えば幸せだ、という専門家主権型の認知枠組みこそ、そろそろ終焉を迎えなければならない。「病院=専門家中心の世紀」は、少なくとも精神医療では、20世紀のうちにとっくに「終焉」を迎えている。このような前時代の方法論を温存させるのではなく、クライエントが「知っていること」をちゃんと尋ね、その実現に向けた支援をするように、認知枠組みをこそ、変えていく必要がある。これが、病院中心のパラダイムから、地域支援中心のパラダイムへのシフトの最大の課題だ。そして、医師が「取れるはずもない責任」まで一手に担い続ける(させられた)歴史からも脱却しなければならない。居住支援や、生活支援まで医師が心配せずとも、ソーシャルワーカーやヘルパー、訪問看護などが力量を上げ、医師ときちんとチームを組んで、「医師には取れない責任」を生活支援側が取れるように、役割と責任の再分担をこそ、考えなければならない。それが、安心して医師が「取れない責任」をとり続ける悪循環から離脱できる条件でもあるのだ。
・・・と、ここまで書いても、僕の意見は「原理主義」なのだろうか?