自律性を支援するには

昨日、ゼミ生の皆さんと飲み会だった。彼ら彼女らの語りに耳を傾けながら、ある一冊の本を思い出していた。

「自律的であることは、自己と一致した行動をすることを意味する。言いかえれば、自由に自発的に行動することである。自律的であるとき、その人はほんとうにしたいことをしている。興味をもって没頭していると感じている。たしかな自分から発した行動なので、それは偽りのない自分である。統制されているときはそれとは対照的に、圧力をかけられて行動していることを意味する。統制されているとき、その行動を受け入れられているとは感じられない。そういう行動は自己の表現ではない。なぜなら、統制に自己が従属しているからである。まさに疎外された状態だと言ってよい。統制されたり疎外されたりすることなく、自律した偽りのない自分であることが、生活のあらゆる場面で大切だ。」(デシ&フラスト『人を伸ばす力-内発と自律のすすめ』新曜社、p3)
僕の3,4年のゼミは、自分の頭で考えること、を大前提にしているゼミであり、自発的で、議論にも積極的な学生達のあつまりだ。そして、少なからぬゼミ生が、これまでいわゆる「よい子」であった、と思われる。ただ、「よい子」というのは、世間の基準における評価が高い、ということと、しばしば一致している。すると、世間の基準に自分を合わせてきた、という意味での評価の高さは、下手をすれば「親や周りの人々、世間の『統制』を受け入れてきた」ということにつながりかねない。それが気になって、飲み会の時にそれとなく聞いてみると、ぽろぽろ目に涙を浮かべるゼミ生も、やっぱり出てくる。そんな折に、ちょうど読んでいた本の一節を思い出したのだ。
内発的動機付け」研究の権威である社会心理学者のエドワード・デシの考えを、ニューヨークタイムズ元編集者がわかりやすく伝える形で整理した共著には、「支援する」側が学ぶべき至言にあふれている。冒頭における「自律」と「統制」の」違いも、その一つ。ゼミ生だけでなく、いわゆる「よい子」の中には、これまで「統制に自己が従属している」人生を送ってきた人も少なくない。ただ、大学生となり、親や教師、コーチや彼氏・彼女の言うことに「違和感」を感じ始めたとき、僕のゼミの門をくぐる。それは、何だかオカシイ、という不全感を感じ始めているからかも、しれない。そういうゼミ生達をこれまで何人もみてきた。そして、彼ら彼女らの内在的論理を一言で表現するのが、先の表現を用いるならば、「統制」や「疎外」された状態、である。
一方で、ゼミ生のなかには、そもそも最初から我が道をスクスク歩んでいる学生の一群もいる。何だか奔放にやっているようにみえるが、発表やコメントをさせると、すごくシャープで切れの良い発言をしてくれる。彼らの言動を見ていると、「自分から発した行動なので、それは偽りのない自分である」と思える。他方、涙を見せる学生とは、これまでの行動に、自己評価ではなく、他者評価の軸が強く影響している、と思われる場合が少なくない。それは、「自己と一致した行動」ではなく、「他者の評価と一致させる行動」である。しかし、原則的に、人は他者の意見を完全には理解できない。ということは、「他者の評価と一致させる」というのは、実は到達不可能な幻想であり、その幻想を追い求める、ということは、いつまで経っても「見果てぬ夢」である。「見果てぬ夢」を追い求めるうちに、いつのまにか自己は他者に統制されたり、あるいは「自分のほんとうにしたいこと」から疎外され、しぼんでいく。そんなときに、僕のゼミで、スクスク歩む「自律的」な仲間と出会うことは、一種の衝撃であるようだ。かつて、「僕は自分のことがわからなくなりました」と混乱したゼミ生もいたが、これは、統制・疎外された状態から、ほんまもんの「自律」に移行する「移行期混乱」なのかもしれない。
ただ、それに気づいても、変容は簡単ではない。
「変化への出発点は自分を受け入れ、自分の内的世界に関心をもつことである。たとえば、自分はなぜ食べ過ぎるのか、自分はなぜ妻に向かって怒鳴るのか、自分はなぜ子どもと一緒に時間を過ごさないのか、自分はなぜこれほどタバコに依存しているのか、などと考えることである。もともと、何年も、何十年も以前にその行動を獲得したのは、その行動が困難な状況に対処するための最良の方法であったからだと思われる。何かの行動をする理由をみつけるのは、出発点としては有益であるが、非難をする機会になってはならない。変化の過程は、人が非適応的な行動をする理由に気づくことで促進されると同様、その行動について自分自身や他者を非難することによって妨げられるのである。」(同上、p266-267)
僕自身も、以前はしばしば「食べ過ぎ」て今より10キロ以上太っていたから、よくわかる。『枠組み外しの旅』でも書いたが、その肥満化のプロセスは、何者でもなかった大学院生から、収入の乏しい非常勤講師を経て、大学教員として組織に順応するに至る、20代から30代中盤までの10年以上の間、自分のストレスという「困難な状況に対処するための最良の方法」であった。それは、自律的、というより、ある種の統制された状況であった。「枠組み外しの旅」を書くきっかけとなった東日本大震災後の混乱の中で、僕自身はある種の崩壊の危機にもいた。そして、「世間の目」に統制されり反発を覚えたり、そこで疎外されるよりは、「内的世界に関心」を持とうという追い詰められた動機によって、自分自身を呪縛する囚われから自由になるプロセスであった。
一方、ゼミ生達をみていると、その統制や反発、疎外に気づいているものの、「その行動について自分自身や他者を非難することによって妨げられる」状況に陥っている人も、いるような気がする。低い自己肯定感が前提となって、「そうなってしまうのは、私が悪いからだ」と決めつけてしまい、自分自身への非難を行う事で、悪循環に陥ってしまうのである。すると、支援する側に求められるのは、その悪循環構造からの離脱支援である。これは、言うは易く行うは難し、である。だが、同書の中には、そのヒントも載せられている。
「われわれのほんとうの仕事は、彼らが自分自身の意思で自主的に活動に取り組むよう促すことであり、それによって将来、われわれが側についていて援助の手をさしのべなくても、彼らが自由に活動できるようにすることである。」
(p124)
ここはすごく大切な部分である。支援をする両親や教師、管理職や支援者は、支援と支配を、時として無自覚に混同しやすい。自律を促すのではなく、統制の管理下におきたがる。そこに対して反抗をしてくる対象者には、より強い統制や圧制によって、無理矢理自分の支配下におこうとする。これは、自律の芽を摘む行為そのもの、である。
ほんまもんの自律支援とは、「彼らが自分自身の意思で自主的に活動に取り組むよう促すこと」である。今は支援の手がないとうまく立ち上がれないゼミ生達も、疎外や統制された状況でなければ、つまり「その行動について自分自身や他者を非難すること」のない、安心できる環境であれば、「非適応的な行動をする理由に気づくことで」、自分から変わる事が「促進」される。これはつまり、「将来、われわれが側についていて援助の手をさしのべなくても、彼らが自由に活動できるようにすること」に直結する。
この変化を、自律に向けた第一歩と喜べるか、自らの支配・統制下からの離脱と恐れるか? それは、実は支援をさしのべる側が支配者になっていないかどうか、の試金石でもあるのだ。
「真の自己は内発的自己から始まる。すなわちわれわれの生得的興味と潜在能力、そして新しく経験したことがらを統合しようとする、生命体としての傾向が出発点なのである。真の自己が洗練されていくにつれて、人はより大きな責任感を発展させていく。自律、有能さ、関係性に対する欲求から始まって、人は、他者に何かをしてあげようとする意欲や、何かが必要とされているかに応じて行動しようとする意欲を発達させる。こうした価値や行動を統合することによって、より責任感を強め、同時に、個人的自由の感覚をも保ち続けることができるのである。」(p155-156)
時に自己評価の低い学生と出会うこともある。その際、教師タケバタに求められているのは、彼ら彼女らの「内発的自己」を信じて、それが促進するのを励まし、その芽がスクスクと伸びるのを応援することである。自分の「統制」に応じた時だけ評価する「愛情留保的アプローチ」(p156)ではなく、「個人的自由の感覚をも保ち続ける」ことができるように、応援しつづけることなのかもしれない。それが、統制や疎外、反発などで、低い自己評価状態という悪循環に陥っている学生たちが、その悪循環から脱出する一つのきっかけになるのかも、しれない。
そう思えば、このゼミ生とのやりとりは、僕に実に多くの何かを気づかせてもらえる大切な機会であり、そのゼミ生の自律性が深まることを通じて、僕自身の自由や自発性が促進される、という意味で、相互エンパワーメントの世界なのだな、と実感した。そんな飲み会であった。

「知性」って、ワクワクすること

この連休中は、前半が風邪を引いて本を読みながらダラダラすごし、後半は原稿を書いていた。なので、比較的いろんなジャンルの本に目を通していた。その中で、『日本の反知性主義』(内田樹編、晶文社)を読んでいると、ワクワクする表現が沢山出てくる。反知性主義に関して、ではない。「反知性主義」を語る、ということは、「知性とは何か?」を語ることでもある。エッジの効いたオモロイ著者達が、「知性とはなにか?」を語るのを読んでいると、こちらもワクワクしてくる。まずは編者の内田先生の定義から。

「『自分はそれについてはよく知らない』と涼しく認める人は『自説に固執する』ということがない。他人の言うことをとりあえず黙って聴く。聴いて『得心がいったか』『腑に落ちたか』『気持ちが片付いたか』どうかを自分の内側をみつめて判断する。そのような身体反応を以てさしあたり理非の判断に変えることができる人を私は『知性的な人』だとみなすことにしている。その人においては知性が活発に機能しているように私には思われる。そのような人たちは単に新たな知識や情報を加算しているのではなく、自分の知的な枠組みそのものをそのつど作り替えているからである。知性とはそういう知の自己刷新のことを言うのだろうと私は思っている。」(内田樹、p21)
大学院生の頃、大熊一夫師匠に教わった最も大切なことの一つが「分かったふりをしない・知らないことは知らないと言う」ということであった。「わかったふり」をすることで、目の前の問題を問題として認識出来なくなる、と。ギリギリと考え続けるためには、他人の説明や本を鵜呑みにせず、目の前の事象がなぜ生じているのか、について、「なぜそうなのか?」をギリギリ考え続けることが必要不可欠だ、と学んだ。
これを内田流の表現で言い換えるなら、「自説に固執」しない、ということだ。「これも、あれも知っている!」と知識のストックの多さを自慢するのは、所詮「クイズ王」に過ぎない。残念ながら、どんなクイズ王でも、スマホの検索機能には、ストックの面では勝てない。インターネット時代においては特に、知識の多寡ではなく、「自分の知的な枠組みそのものをそのつど作り替え」る、という意味での、「知の自己刷新」こそ、「知性」そのものである。
そして、拙著『枠組み外しの旅』を書くプロセス自体も、自慢げに響くかもしれないが、「自分の知的な枠組みそのものを作り替え」る営みであった。とにかく、安易に「わかったふり」をしたくなかった。様々な著者や、自分が過去に書いた文章と対話しながら、「『得心がいったか』『腑に落ちたか』『気持ちが片付いたか』どうかを自分の内側をみつめて判断する」作業を、虚心坦懐に行ってきた。時には学者のルールや世間の常識から逸脱しているように思えることでも、自分の内側と対話を重ね、「知的枠組みを作り替える」という意味での「知の自己刷新」に必死になって取り組んで来た。その中で、風穴をあける体験が出来たのではないか、と感じている。そして、これもおこがましい表現かもしれないが、その「知の自己刷新」の体験こそが、「ギリギリ考え抜く」ことそのもの、なのかもしれない。
次は、作家の高橋源一郎さんの定義。
「『歪み』を見つけること、そして、その『歪み』を描くこと。それが『知性』だ。『歪み』が見えることを、『知性』がある、っていうんじゃないかな。」(高橋源一郎、p124)
内田・高橋定義に共通するのは、「知性」を感覚的言語で表現している、という点。IQや情報のストック、あるいは情報処理能力をさして、「知性」と述べてはいない点である。高橋さんは、「知性」を「『歪み』の認識」として表現している。これは「多数派が作る社会の『歪み』」を認識することだ、とも述べている。
例えば精神病院って、「多数派が作る社会の『歪み』」の象徴的空間、かもしれない。そこに排除されること、そこから出られないことが何を意味するのか。なぜ日本では30万人以上の人が、その空間に未だにいるのか。それを「必要悪だ」「しかたない」「受け皿がない」と分かったふりをせず、なぜそうなのか、本当に仕方ないのか、を考え続けることが「歪み」を見つけることにつながる。また、私たちが、「どうせ」「しかたない」と見ないことにしている・蓋をしていることの中にこそ、この社会の「歪み」が多く内包されている。沖縄の基地移設問題や、原発再稼働問題にしても、「わかったふり」をせず、「多数派が作る社会の『歪み』」をどう自分事として認識するか、が「知性」には問われている。
もう一人、今度は映画監督の想田和弘さん。
「知性とは、自分の頭で吟味し、疑い、熟考する能力や態度のことである。それは『結論先にありき』の予定調和や、紋切り型でお仕着せの思考を拒絶する。知性の発動に『ショートカット(近道)』はあり得ない。それがゆえに、知性が充分に働くには時間と労力が必要である。同時に、時間と労力をかけて考えても考えても、なんの地平も開けず、したがって何の結果も得られない可能性もある。そういう『空振りのリスク』を潔く引き受け、知的投資をドブに捨てる覚悟の上で、それでも誠実に”発見”や”気づき”を希求すること。それが真に『知的な態度』なのではないか、と思う。」(想田和弘、p243-244)
これも内田先生の受け売りになるが、「知性」とは、市場原理主義のタームとはだいぶ違う。四半期決算で回収できないもの、それが「知性」である。つまり「時間と労力が必要」なのである。しかも、時間と労力を投資することが、見返りやリターンに直結するとは限らない。「そういう『空振りのリスク』を潔く引き受け、知的投資をドブに捨てる覚悟の上で、それでも誠実に”発見”や”気づき”を希求すること」という部分は、すごくわかる。「発見」や「気づき」は、「想定外」のものであるから、だ。
市場主義や会社経営においては、「これだけ投資したら、このようなリターンがあります。リスク分散はこうやっています」というロジックは、説明責任として必要不可欠なことである。なるべく、「想定内」にすることが求められる世界である。それでも、株価の暴落や敵対的買収など、「想定外」の事態は起こる。しかし、一般的には「想定内」で考える事が、クールなことだ、と誤解されがちである。でも、ほんまもんの事業も投資も、そして学びも、実は「『結論先にありき』の予定調和」ではない。それは複雑系の世界であり、予測可能性とは、安冨先生の言葉を借りれば「計算量爆発」の帰結に陥るからである。(さらに言えば、本当に「知性」のある経営者なら、「想定外」の事態に心が開かれている柔軟性がある)
つまり、「知性の発動に『ショートカット(近道)』はあり得ない」のである。「こうなるはずだ」と「自説に固執」せず、「多数派が言うことの歪み」に自覚的になりながら、「時間と労力」をかけて、手を抜かずに「自分の頭で吟味し、疑い、熟考する」こと、それが「知的な態度」なのである。テキパキと処理能力を高めるよりも、時間がかかっても、ウロウロしながら、「空振りのリスク」を潔く引き受けながら、それでも「歪み」に敏感になり、自分の身体が「腑に落ちる」まで「ギリギリ」考え続けること。それが「知性」なのだろう。そして、こういう営みをする中で、自らの「知の枠組み」の「作り替え」が少しずつ、生じるのだと思う。
僕自身は、多くの先達から学び、「知の枠組み」の「作り替え」作業の面白さや、ワクワクさ、に気付いてしまった。だから、予定調和や「想定内」の世界に身を置くことは出来ず、「空振りのリスク」を覚悟の上で、「知性」の世界を希求する旅に出続けている。
そう、「知性」って、お高くとまることでも権威主義的に小難しい知識をひけらかすことでもない。もっとワクワクするし、イノベーティブなことなのだ。そう思うと、「反知性主義」って、ずいぶんつまんなさそうだよなぁ、とつくづく感じてしまう。でも、他人をとやかく批判している暇はない。自分自身の「知的枠組みの自己刷新」を目指して、この連休もギリギリ考え続けたい、と思う。

精神病院という構造そのものへの問い

久しぶりに論文を読んで興奮していた。イタリアで脱・精神病院の展開をしたフランコ・バザーリア。彼やバザーリア派の実践してきた成果は、師匠の本にも書かれ、松嶋さんの本や、拙稿でも触れている。そして、その延長線上で、「施設化の何が問題か」を正面から取り上げ、バザーリアに関するイタリア語文献も用しながら議論を展開する、興味深い論文を、著者の鈴木さんから御恵贈頂いた。面白くて、一気に読んでしまった。

「施設の中で患者は精神医学の『対象』となり、医師の側から診断が下される。次に職員が行う一連の医療処置の『物体』となる。こうしたプロセスの中で患者は『自分自身を完全に見失ってしまう』、つまり自らの存在がもはや主体ではなく『客体』となっていくことに気付く。こうして施設内では、『対象化・物体化・客体化』という三重の意味での”モノ化”のメカニズムが作動していくことになる。」(鈴木鉄忠「”二重の自由”を剥ぎ取る施設化のメカニズム-F.バザーリアの精神病院批判を手がかりに-」社会学・社会情報学第25号 p140)
入所施設や精神科病院への批判は、僕も拙著の中で行ってきた。だが実際に、そうした施設・病院の職員と議論をすると、「僕たちだって一生懸命頑張っている」「帰るところのない人もいる」「今さら地域に戻しても、かわいそうなだけだ」といった反論が出てくる。僕は、そうした病院・施設の現場で、頑張って中身を変えようとしている職員がいる、ということは、理解している。でも、だからといって、入所施設や精神病院の構造を、そのまま続けても良い、とは思わない。それはなぜか、と言えば、鈴木さんが整理しているように、そういった環境では、「『対象化・物体化・客体化』という三重の意味での”モノ化”のメカニズムが作動して」いるからである。
これは、個人の資質や性格の問題ではなく、構造への問いである。福祉や医療という、人を支えるシステムが、障害や病気と診断を下し(=「対象」化し)、決められたルールに従う「物体」とみなし、主体性を失って客体化する。このプロセスそのものが、人間性を剥奪しているのに、その結果よだれを垂らしたり、生気を失った表情を見せた人々は、「病気や障害のせい」だから「しかたない」とされる。この「”モノ化”のメカニズム」によって、効率的に少ない人手で管理のしやすい「患者」「入所者」とはなるが、個性や尊厳、誇りや役割をもった「○○さん」の主体性は剥ぎ取られ、喪失していく。この主体性を剥奪する構造そのものが、問題なのである。つまり、そこで働いている人々の個人的努力や性格の良さ、だけでは、どうにもならない問題が、入所施設や精神科病院に代表される「施設化」の問題である。
そして、この施設化の問題点を、鈴木さんは「・・・からの自由」と「・・・への自由」の”二重の自由”の剥奪、と整理している。前者は、物理的な隔離拘束を指す。だが、そのような物理的な自由の剥奪は、同時に「人間らしい仕方で生きてゆく可能性にたいする、一定の、具体的・積極的態度」を、その被収容者から剥奪する。これは、「・・・への自由」とまとめられている。例えば、病棟転換型施設とか、あるいはグループホームなどでも決められたルールに雁字搦めになっている「ミニ施設化」された場所ならば、この「・・・への自由」は剥奪されたままだ。施設化とは、自由を剥奪することを通じて、人々を「モノ化」し、主体性を剥ぎ取る暴力装置そのものをさしている。しかも、それが法律や制度に則って、システマチックに、かつ標準化・規格化された形で行われる、という意味で、生権力の行使であり、集団管理型一括処遇がもたらす個人の無力化プロセスでもある。
この無力化プロセスを乗り越える糸口が、ゴリツィアの精神病院改革でバザーリアが取り組んだ、アッセンブレアと呼ばれる、患者と医療者の対話集会だった、というのも、なるほど、と頷かされる指摘である。
「この集会では患者自身に発言が求められる。自分自身のこと、人生や願望について、精神病院に居続けることの意味について、変えてゆくべき事柄について、意見が求められる。アッセンブレアを通じて『患者の自由意志と自己決定とコミュニケーション能力を蘇生させること』(大熊2014:54)により、『人間らしい仕方で生きていく可能性に対する、一定の具体的・積極的態度』と結びついた”・・・への自由”を取り戻していくのである。」(同上、p141)
モノ化され、主体性が剥ぎ取られた存在には、意見が聞かれない。聞かれないうちに、言いたい意見も抑圧され、失われていく。あるいは何を言っても「病気だ」とラベルを貼られたら、その空間で言う気もなくなる。こういう状況を変えるためには、まず患者自身が本当に思っていることを、安心して表明できる場が必要不可欠だ。それは、患者を「モノ」として扱わず、意見を持つ「主体」として受け止める聴き手が存在して、初めて可能になる。つまり、患者より、聴き手の医療従事者が、自身の患者との向き合い方を180度転換し、病院や入所施設の構造的暴力にも意識的であり、自由の剥奪から距離を置いて、患者ではなく「入院している○○さん」の声をじっくり聞こうという姿勢。それが、アッセンブレアという舞台だったのだ。
こう考えると、アッセンブレアとは、べてるの家の「当事者研究」や、オープン・ダイアログ、あるいは精神医療オンブズマン等の、源流にあるものだ、ということも見えてくる。このどれもに共通するのが、患者の声を「狂った人のおかしな発言」と決めつけるのではなく、「生きる苦悩が最大化した人(=主体)」による、必死の訴えであり、その人の生きづらさや生活のしづらさを本人の「声」として受け止め、そこから支援や治療のあり方を変えていこう、というプロセスである。さらに言えば、治療する・されるの関係であれば、医療者が支配し患者は依存的に従う、という関係性になりがちだが、共に課題を探り、問題を一緒に乗り越えていこう、という姿勢であれば、協働する、という関係性へと変容する事が可能だ。これは確かにパラダイムシフトであり、価値転換である。問題は、この価値転換を、医療者側が認めるか、という課題だが。
これに関連して、オープンダイアログに早くから着目している精神科医の斎藤環氏は、次の様に述べている。
「精神科医自身が、今まで、この内因性疾患についても、『脳の疾患であり、脳の疾患である以上は薬物治療が必須である』と教え込まされてきたわけです。世界中のマジョリティーの精神科医はそれを頑なに信じていて、脳の病気だから薬物治療だという等式はゆるぎないものです、いまだに。オープンダイアログがなぜ画期的かというと、そのゆるぎなかった図式に、ひびを入れるからです。(略) オープンダイアログが薬を一切使わないにもかかわらず、発症期の統合失調症を改善する力があるとすれば、投薬なしに治療できないと思ってきた前提が変わってくることになります。」(精神看護17(4):30)
実は、アッセンブレアの取り組みから、バザーリア達が産み出していったのは、「モノ」化した患者の主体性を回復することであった。それは明らかに、施設化された空間における投薬中心の治療より、効果的であった。つまり、投薬や精神病院が必要不可欠だ、という「ゆるぎなかった図式に、ひびを入れる」ことは、オープンダイアログが世界中に広まるより何十年も前から、イタリアで実践され、成果をもたらしてきたのである。その帰結は、必然的に以下のようになる。
「バザーリアは精神病院を『治療の場所』ではなく『施設化の場所』として捉えた。その『施設化』は患者に対して”モノ化”のメカニズムを作動させる。そうして最終的に患者の”二重の自由”を剥奪するところまで到達する。『施設化』の乗り越えは、入所者の”二重の自由”を守るという倫理原則を据えて、医師・患者の関係に象徴される非対称な関係を変容させるような、施設内の改革と地域支援サービスの構築、そして精神病院の『破壊』に求められたといえる。」(鈴木、前掲書、p143)
オープンダイアログが目指すのは、「医師・患者の関係に象徴される非対称な関係を変容させるような、施設内の改革と地域支援サービスの構築」である。確かに、これだけでも大きなパラダイムシフトがある。だが、本当に「非対称な関係を変容」させ、入所者の「”二重の自由”を守る」ことを念頭に置けば、精神病院という構造そのものの『破壊』は、その論理的帰結として必要不可欠である。イタリアで進んでいる司法精神病院の全閉鎖に向けた闘いは、まさにこの論理的帰結から生まれた、当然の方向性である。
本当に「治療」や「支援」を行おうとすれば、対象者の自己回復力や自己治癒力への働きかけも、必要不可欠である。だが、主体性が剥奪される場所では、自己回復力や自己治癒力も縮減する一方だ。利用者と支援者が非対称な関係性を乗り越えるためには、その関係性が暴力的に規定されている入所施設や精神科病院の構造的問題そのものが前景化され、その『破壊』こそが必要不可欠である、と改めて感じながら、鈴木論文を読みふけっていた。

「チーム山梨」の地域包括ケア本、出来ました

山梨に引っ越して丸10年が経つ。この間、地域福祉に携わる自治体や現場の皆さんと、様々なコラボレーションを行ってきた。その成果の一部が、やっと一冊の編著という形で出来上がった。
ちょっとタイトルが長くてすいません。でも、「チーム山梨」を創り上げる上で大切にしてきたことを、タイトルに込めてみました(^_^)
で、出版記念に、僕自身が書いた「はじめに」をブログ上に公開します。良かったら、ご一読を♪
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現場からの疑問
本書のタイトルを見て、現に手にとって下さった方の中には、地域包括ケアシステムの構築に既に関わっている、あるいはこれから関わろうとされる方が少なくないだろう。そのような「想定読者」の皆さんが、持っているかもしれない「疑問やためらい」の数々を、冒頭にいくつか提示してみたい。
・地域包括ケアシステムって、何だかよくわからない。
・地域包括ケアシステムの理念はわかるけど、具体的にどうしていいのかわからない。
・法律で求められているから、何かしなくちゃいけないのだけれど、何から手を付けてよいのかわからない。
・「個別支援会議」と「地域ケア会議」の違いは何か、が腑に落ちない。
・地域包括ケアシステムって、地域包括支援センターの仕事のはずで、なぜ行政の事務職が取り組まなければならないのかが、理解できない。
・わが自治体はどうすべきかの「正解」を示してほしいけど、国も県も誰も示してくれない。
これらの発言は、実際に私が何度も聞いたことのある話である。そして、これらの現場発の質問に応える為に、本書が作られた。そこで、本書の全体構成についてご紹介する前に、本書が出来る経緯についても触れておきたい。
「チーム山梨」の「規範的統合」
これまで我が国の地域包括ケアシステムの理念的整理を行い、事情通の人なら必ず目を通す報告書を作ってきた「地域包括ケア研究会」は、平成26年3月に「地域包括ケアシステムを構築するための制度論等に関する調査研究事業報告書」を発表した。これは、厚生労働省の補助金で行われた研究事業であり、我が国の介護保険政策の方向性を示してきた研究者や元厚労省専門官などが関わり、今後の地域包括ケアシステムの目指す方向性や意図が明確に示されている報告書である。
2015年度の制度改正の前提にもなった同報告書で、「規範的統合」という聞き慣れないフレーズが登場した。同報告書の4ページには、このように定義づけされている。
「保険者や自治体の進める地域包括ケアシステムの構築に関する基本方針が、同一の目的の達成のために、地域内の専門職や関係者に共有される状態を、本報告書では「規範的統合」とよぶ。「規範的統合」を推進するためには、地域の諸主体が、同じ方向性に向かって取組を進める必要があり、自治体の首長による強いメッセージの発信も重要である。また、自治体・保険者には、まちづくりや医療・介護サービスの基盤整備に関して、明確な目的と方針を各種の計画の中で示す工夫が求められる。」
一見すると難しそうな解説だが、実は本書の元になる「手引き」(後述)を創り上げるプロセスは、「チーム山梨」のメンバーが、「同一の目的の達成のために、地域内の専門職や関係者に共有される状態」を産みだしてきた「規範的統合」のプロセスそのものでもあった。しかも、それは国のやり方を上意下達的に鵜呑みにする・あるいは「自治体の首長による」トップダウン的なアプローチとは真逆の、現場から創り上げるボトムアップ的な手法に基づく「基本方針」としての「手引き」の作成であった。
つまり、「地域包括ケアシステムの構築に関する基本方針」の創設と現場レベルでの「共有」という「規範的統合」のためには、様々な関係者を巻き込んだ「チーム作り」が必要不可欠である。そして、本書の出来上がるプロセスとは、「チーム山梨」の「規範的統合」過程であり、「自分たちで創り上げる地域包括ケアシステム」の動きそのものであったのだ。
これは一体どういうことか。
「チーム山梨」の生成プロセス
本書の編者4人(竹端、伊藤、望月、上田)は、「チーム山梨」による「規範的統合」のために活動を共にしてきた。
山梨県庁で地域包括ケアシステム推進担当であった保健師の上田は、平成 23 年度から、地域包括支援センターの現状や課題整理、そして「地域ケア会議」の推進をテーマにした「地域包括ケア推進研究会」を設置することになった。その際、障害者領域での地域自立支援協議会の立ち上げ実績があり、コミュニティ・ソーシャルワークにも詳しい福祉政策の研究者である竹端にも声をかけ、研究会のコーディネート役を依頼した。
この1年目の議論をもとに、平成 24 年度は、市町村の地域ケア会議の実践を支援するアドバイザー派遣事業もスタートした。先述の竹端だけでなく、ケアマネジメントが専門で介護福祉士・社会福祉士でもある伊藤、公衆衛生が専門で保健師でもある望月、そして老年看護学が専門の小山(1年目のみ)という山梨県立大学の3名の若手研究者も加わり、4名体制で県内の市町村支援チームを作った。このアドバイザー派遣や、二年目を迎えた上記研究会の議論を踏まえ、山梨の現場で見聞きする困難とは何で、それを克服する為の処方箋や、実現可能な地域ケア会議とは何か、について整理した「地域ケア会議推進のための手引き~市町村・地域包括支援センターの視点から~」を平成25年3月に発刊した。この「手引き」の中で、「チーム山梨」による「地域ケア会議」のオリジナルな定義づけも行った。
「地域ケア会議とは、自分の住んでいる地域でよりよい支え合いの体制づくりを作るためのツールであり、単に会議を開催すれば良いのではなく、各地域の実情に基づいて、地域づくりの展開のプロセスの中で、開催形式や方法論を柔軟に変えていくことが求められる、動的プロセスである。」
研究会での議論や、アドバイザー派遣による支援などを通じて、「チーム山梨」が最も大切にしてきたことは、こ
の「動的プロセス」である。こちらが予め「正解」を用意して、それを現場に「当てはめる」のではなく、各現場で起きている「課題」の背景にある「困難な物語」を読み解き、その要因を分析する中で、各現場固有の解決方策を、それぞれ見つけ出そうとする「動的プロセス」を重視してきた。そして「手引き」は、各自治体で成功する解決策としての「成解」を見出すヒント集として作成された 。
この「手引き」は、現場実践で苦悩している地域包括支援センター関係者だけでなく、地域包括ケアシステムをゼロから学ぶ自治体事務職や社会福祉協議会など、様々な関係者に読まれた。また、ウェブで公表した為、県外からも広く読まれることになった。平成25年度は、アドバイザー派遣事業を続けると共に、この「手引き」を普及・啓発しながら、「地域ケア会議」を「魂の籠もったもの」にするためにはどうしたらよいか、を上記研究会で議論し続けた。特に、「自立支援に資するケアマネジメント支援」「地域ケア会議への医療や多職種の参画」「住民主体の地域づくりへの展開」の「3つの視点」が研究会での議論の争点となり、この「3つの視点」からどのような現場の変容課題が浮かび上がるか、を整理し、平成26年3月には「地域ケア会議等推進のための手引き(Part2)~住民主体の地域包括ケアを多職種で効果的に実践するために~」が刊行された。
本書は上記の二つの「手引き」を創り上げた「動的プロセス」の中から産み出された、「チーム山梨」の「規範的統合」の一つの成果である、ともいえる。
カリスマ依存ではなく「自分の頭で考える」
ここまでお読みになられた段階で、読者の中には、「山梨ってすごい」「うちの県・市町村・組織・・・ではとてもそこまで出来ない」「核になる人材がいない」・・・という嘆きやボヤキを抱かれた方もいると思う。現に、こういう声は、私の耳にも入ってくる。
だが、本書を通じて「チーム山梨」で整理してきたことは、カリスマワーカー・保健師・社協職員・行政職員・首長・・・が「いない」自治体でも実現可能な方法論である。「いやいや、そもそも研究者がこんなに現場で継続的にアドバイスしてくれることがない」という反論も聞いたことがあるが、これだって山梨の専売特許ではない。
平成23年度末に山梨で講演して下さった美作大学の小坂田稔先生は、中山間地における地域包括ケアシステムのあるべき・出来うる姿を早くから提唱され、「地域ケア会議 岡山モデル」という形で整理してこられた。その後、赴任された高知県立大学時代には、「高知県地域福祉支援計画」という行政・包括・社協が一体的に地域福祉に取り組む総合計画も作成された。この小坂田先生が、岡山や高知で実績を出し続けておられるのは、研究者仲間や実践現場の人々とのチーム形成を巧みに作ってこられた故、である。山梨でアドバイザー派遣事業として研究者チームを作ったのも、また「地域包括ケア研究会」というチームで「手引き」を作り続けたのも、この小坂田方式の模倣、であった。
ただ、いくら模倣であっても、単なるカット&ペーストやパクリ、当てはめ、ではない。山梨で活躍する専門職・市町村職員・社協職員・県庁職員・研究者・・・という貴重な社会資源をどう活かすことができるか、を常に意識し続けた。その中で、カリスマ自治体、カリスマワーカーでなくとも、どこの自治体でも実現可能なレシピを作ることを目指してきた。ただし、「自分の頭で考える」という条件付きで。
願わくば、本書を手にとって下さった皆さんが、「チーム山梨」で整理した方法論を参考にしながら、皆さんの自治体で実現と持続が可能な、「わが自治体独自の地域包括ケアシステム」を創り上げて頂きたい。そのために、様々な関係者と本書をダシにして、わが自治体の「あるべき姿」をじっくり考え合い、語り合って頂きたい。それこそ、国が求める「規範的統合」に向けた第一歩になるはず、である。
本書の構成
本書は第Ⅰ部「地域包括ケアシステムを創る」と第Ⅱ部「地域包括ケアシステムを『創る』ための3つの課題」の二部構成になっている。第Ⅰ部は総論、第Ⅱ部は各論、という位置づけである。そして、第Ⅰ部の前に序章を、第Ⅱ部の後には終章を置いている。
序章では、「地域包括ケアシステムって、何だかよくわからない」「地域包括ケアシステムって、地域包括支援センターの仕事のはずで、なぜ行政の事務職が取り組まなければならないのかが、理解できない」という疑問に答えるための、地域包括ケアシステムに関する5W1Hが描かれている。想定読者としては、福祉行政に初めて携わる自治体担当職員向けの初歩的な解説、をイメージした入門編である。
第Ⅰ部は三章構成になっている。冒頭の疑問に即していえば「地域包括ケアシステムの理念はわかるけど、具体的にどうしていいのかわからない」「 法律で求められているから、何かしなくちゃいけないのだけれど、何から手を付けてよいのかわからない」という疑問に答えようとしている。
第1章「地域包括ケアシステムは誰が創るのか」では、従来の専門職の「個別指導」というアプローチを超えた「御用聞き」のスタンスや、個別課題を地域課題に変換する為の視点・論点、リーダーとファシリテーターの違いなどについて論じた。
第2章「ボトムアップ型地域包括ケアシステムの創り方」は、ボトムアップ型の仕組みとは何か、その中で地域ケア会議をどう位置づけるか、という概念的整理を行う(第2章第1節)と共に、その効果的な実践に必要な「7つの要素」を提示し、「戦略」や「戦術」以前に、自治体レベルで内政と対話に基づく「土台」づくりを行わないと、規範的統合はうまくいかないことも整理した(第2章第2節)。また、本書に至る「研究会やアドバイザー派遣事業を活用した動的プロセス」も整理している(第2章第3節)。
第3章「事例から見るボトムアップ型地域包括ケアシステム」では、二つの全く異なるアプローチを取り上げる。第1節では、総合相談体制の構築や地域福祉計画作成に向けた動的プロセスを、地域包括ケアシステム形成にむけた要として位置づけている南アルプス市の実践をご紹介する。第2節では、「御用聞き」に基づき、支援者の事業ベースではなく、住民のニーズベースでの地域課題の把握と地域展開を進める北杜市の実践をご紹介する。
第Ⅱ部は、先の手
引き作成の経緯でもご紹介した「自立支援に資するケアマネジメント支援」「地域ケア会議への医療や多職種の参画」「住民主体の地域づくりへの展開」の「3つの視点」を深める章立てになっている。また、「『個別支援会議』と『地域ケア会議』の違いは何か、が腑に落ちない」「わが自治体はどうすべきかの『正解』を示してほしいけど、国も県も誰も示してくれない」という問いへの応答も心がけた。
第4章「ケアマネジメントを徹底的に底上げする」は、5つのパートから構成されている。まずは「課題を明確化するとはどのようなことか」を焦点化した地域アセスメントに関する概説(第4章第1節)の後、地域ケア会議における「困難事例」の検討を行う意味や、今後の事例検討のあり方についての整理・検討がなされる(第4章第2節)。その上で、地域ケア会議においてグループスーパービジョンを通じたケアマネジメントの底上げを行った富士吉田市の事例報告を受け(第4章第3節)、介護支援専門員が地域包括ケアシステムにどう向き合うべきかの論点整理も行った(第4章第4節)。それらを踏まえ、多くの現場専門職が苦悩している「個別課題から地域課題への変換」に関して、ケアマネジメントの観点から具体的なあるべき姿を描いていく(第4章第5節)。
第5章「多職種が本気で連携する」は、5つのパートから構成されている。多職種連携を本気で進めるためには、各々の専門職が、自らの専門性の壁をどう乗り越えて変容する必要があるか、を、介護支援専門員(第5章第1節)、医療ソーシャルワーカー(第5章第2節)、訪問看護師(第5章第3節)、作業療法士(第5章第4節)の実践現場から見えた課題として提示している。その上で、実際の自治体における地域ケア会議における連携課題の整理の中から、「自分事」としての「連携」とは何か、についての総括的な考察を行った(第5章第5節)。
第6章「地域づくりへと一歩踏み出す」は、4つのパートから構成されている。最初に、これまで何度も触れてきた「動的プロセス」としての地域ケア会議とは一体どういうものか、を具体例に基づきながら整理する(第6章第1節)。次に、地域包括ケアシステムを政策として機能させるためにはPDCAサイクルの必要性が繰り返し主張されているが、現場で本当にそれを回すためのポイントを概説する(第6章第2節)。その上で、地域づくりにおける主軸を担う社会福祉協議会がどのような変容課題を迫られているのか、それを文字通り「身をもって」体験している南アルプス市社協の実践を報告する(第6章第3節)。その上で、包括と社協の役割分担について、コミュニティ・ソーシャルワークの課題として整理し、さらにはCSWそのものの変容課題も整理する(第6章第4節)
これらを踏まえて終章では、「チーム山梨」の「規範的統合」に向けた動的プロセスや本書作成を通じて見えた地域包括ケアシステムの今後の課題や、ボトムアップ型で「自分たちで創り上げる」上でのポイントなどを改めて整理する。また、医療との今後の連携課題についても提示している。
繰り返しになるが、本書は法律書でもなければ、マニュアルでもない。これを読めば全て解決、という本ではない。そもそも、地域包括ケアシステムの構築は、何かを読み、それを鵜呑みにすれば出来るものではない。その地域の実情や社会資源を頭に浮かべ、「自分の頭」で考え、「お顔の見える関係性」を構築する中で、一組織・一法人・一専門職の壁を越えた「チーム○○」を創り上げる動的プロセスが立ち上がる。そして、その動的プロセスの中にこそ、地域包括ケアシステムを「自分たちで創り上げる」エッセンスが詰まっている。
本書が、その動的プロセスを展開する原動力やヒントになってほしい、と願っている。

未来を描くプロセスの共有

3月も半ばになって、やっと落ち着いてブログを書ける。今日ご紹介するのは、10日ほど前に釜石で講演するために7時間半!の移動時間で一気読みしたアダム・カヘンの『社会変革のシナリオ・プランニング』(英知出版)。カヘンの翻訳本は全て読んできて、その感想はブログに書いたこともあるし、論文にも引用したことがあるが、今回の本を読んで、彼の言うシナリオ・プランニングの本質が、やっとつかめたような気がする。

「シナリオ作成に特に役立つ結論の一つは、確実なことと不確実なことのリストである。チームにこう聞こう。私たちのシステムを動かしている力のシステム構造のレベルを見たとき、未来に確実に起こることのうち最も重要なことは何だろう? 未来に起こるかどうか不確実だがもっとも重要なこと、そして、それぞれの両極は何だろう? 確実なことは、その名のとおり、全シナリオに存在することになる。一方、不確実なことはシナリオを区別する重要要因になる。(略) システム全体の今の現実について完全なモデルはつくれないように、未来の確実性と不確実性も正確に測ることはできない。今の現実を規律をもって偏見なく観察し、根底にあるシステム構造を体系的に忍耐強く吟味することをとおして、確実なこと・不確実なことについてチームで合意に達することしかできない。」(p86-87)
この部分で僕の頭はだいぶクリアになったのだが、カヘンの本を読んだことのない人には「なんのこっちゃ?」の引用なので、少しこれを僕が関わる現実と重ね合わせながら、読み解いていきたい。
シナリオ・プランニングは未来について「これから起こる可能性があると思うこと」(p29)をストーリーとして、複数考え出すことである。彼はそれをアパルトヘイトが終わる90年代最初の南アフリカで、あらたな社会的統合を目指したワークショップを成功させる中で発展させていったが、これは僕が関わる自治体レベルでの地域包括ケアシステム構築でも十分応用可能である。
たとえば、中山間地で高齢化率が50%を超えるといわれる、ある集落を例に挙げてみよう。そこは、スーパーまで車で30分以上かかるし、急斜面の山間で60代が「若者」だと言われる集落である。子育て世帯もいることにはいるが、集落の中では赤ちゃんの姿を見なくなってもう10年以上たつ。地域包括支援センターの職員達は、このまま行けば「消滅集落」ではないか、と思って、その集落の持続可能性をどうするか、を考えていた。こういう状況だとしよう。
その時に、集落の町内会長や民生委員といった「顔役」だけでなく、子育て世代や「若者」と言われる60代の人など、その集落の主立ったキーパーソンに、その集落という「システムの中や周辺で起きていることや起こりそうなことのうち何が重要か、システムの未来にどんな希望や恐れをもっているか」(p68)をヒアリングする。このヒアリングは、包括だけで行うのではなく、その集落の「持続可能性」を考えて変化を起こしたいと願う住民有志と数名のコア・チームを組んで行った方がよい。その中で、行政や包括が知らない、様々な生の現実が語られる。「このままだと10年後には集落は消滅しそうだ」という悲観的な「起こる可能性」が語られる一方、「いや、みんなで助け合いを続けるから、案外20年くらいは持つかも」という楽観的な「可能性」や、「そういえば、街場に出ていた子ども世帯が、定年退職して週末には集落に帰って田んぼを耕している。その子や孫世代が移り住めば、この集落はあんがい続くかも」といった、想定外のストーリーが語られる。あるいは、2年ほど前から集落の外れの空き家を、その集落出身ではない都会の若者が借りて、田舎暮らしを楽しみ始めている、こういう若者世帯が子どもを生んだら、案外集落の賑わいも少しは残るかも・・・という希望的な「起こる可能性」が語られるかもしれない。
こういった情報をコア・チームで整理して、誰の発言か分からないような形でまとめて文章化する。その上で、「集落の未来を考える会」を開き、その集落の将来を心配する主立った人々に集まってもらう。立場も年齢も人生経験も価値観も異なる人々なので、最初から意見が一致する事なんてないだろう。その際に重要なのは「メンバーが普段のものの見方を超えて、新鮮な目でみること」(p70)である。「そんなの無理だ」「この集落ではできっこない」という発言は、これまでの経験則に基づく先入観だが、しばしば「顔役」の人々は、そういう発言をしやすい。この集まりでは、「どうせ」「しかたない」と最初から決めつけずに、「心を開いて、探求し、学ぶことが必要だ」(p70)を参加者全員にルールとして徹底してもらう。
その上で、この参加者全員で「たくさんの発想と選択肢を考え出す拡散の局面、それらを時間をかけて徹底的に考え、話し、”醸成”する創発の局面、何が重要か、何に合意するか、次に何をするか結論を出す収束の局面」(p83)の三つの局面を繰り返しながら、ワークショップを繰り返し、内容を練り上げていく。

最初は「どうせ」「しかたない」といった消極的意見が出ていた人々にも、「そう決めつけないで、これまで集めた情報をもとに、他の可能性も考えてみませんか」という「拡散」モードでの議論をお願いする。すると、楽観的な情報を元に、「こんなことも出来るかも」「あんなことも起こりうるかも」というアイデアが色々浮かび上がる。ワークショップを開きながら、それらのアイデアを「時間をかけて徹底的に考え、話し、熟成」させるなかで、いくつかの未来予想図であるシナリオの断片が「創発」してくる。その創発された断片を整理しながら、いくつかの「起こりうるシナリオ」として、整理していく。そして、その整理された複数のシナリオを、改めて参加者全員で検討し、どのシナリオに向けて自分たちは進むべきかを考える。

このプロセスを経て、産み出された複数のシナリオには、「未来に確実に起こること」と、「未来に起こるかどうか不確実だがもっとも重要なこと」の双方が載っている。例えば、こんな風に。
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シナリオ1 この集落は、高齢化率が50%で、このまま15年後には高齢化率が70%になる。山間の集落だが、田畑の維持や獣害対策でさえ、大変な状況になる。その中で、人々には諦めムードが拡がり、要介護高齢者は入所施設への移住が進む。そして、集落維持が出来なくなり、やがて20年後には最後の住民が街場の町営住宅に移住し、200年以上の伝統のある集落に終止符を打つ。
シナリオ2 この集落は、高齢化率が50%で、このまま15年後には高齢化率が70%になる。山間の集落だが、田畑の維持や獣害対策でさえ、大変な状況になる。なんとかその状況を変えようと、週末に田畑の世話に来る、団塊の世代の集落の「子ども」たちが、移住するように働きかける。しかし、集落の昔からのしきたりや行事・役の重さに耐えかねた「子ども」達は、その重荷がある間は移り住みにくい、と消極的になる。また、町内会でも「帰ってくるなら伝統に従え、それが無理な人は無理に帰ってこなくても良い」と頑なになり、結局出戻り組は想定の半分以下になる。なんとか20年後も集落は存在しているが、その先にあるかどうかは不透明なままだ。
シナリオ3 この集落は、高齢化率が50%で、このまま15年後には高齢化率が70%になる。山間の集落だが、田畑の維持や獣害対策でさえ、大変な状況になる。今回のワークショップを通じて、集落の閉鎖的な雰囲気が、定住者や出戻り組の促進の壁になっている事に気付く。そこで、最近移り住んだ若者や、週末に帰ってくる「子ども」達も参加してもらうワークショップを開く中で、彼ら彼女らから出された、「重すぎる組や役の負担」を思い切ってバッサリ減らすことを集落一致で決める。その後、若者のアイデアにより、定住や農業での自活支援を行政の支援を受けて集落の自治組織が全面になって行い、5年後から少しずつ、移り住む住民が増えてくる。町内会長も思いきって60過ぎの「出戻り組」が引き受け、小規模多機能のデイ・ショートを集落自前で作り、集落内での雇用も産み出す。またホームページなどを使って農業やアートをしたい若者達の移住を促進し、7年後には集落待望の「赤ちゃん」が誕生する。
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この3つのシナリオをもとに、住民達がワークショップで話し合い、自分たちがどのシナリオに向けて、どう行動変容すべきか(しないでおくべきか)を、お互いが納得いくまで話し合い、次の行動に移す。
ちなみに、上記のシナリオは、僕の架空のものだが、シナリオ3については、例えば地域再生のお手本と言われる「やねだん」の取り組みで実現していることだし、「限界集落」に週末世帯がいる、というのも、山梨県内で実際に見聞きすることだし、『限界集落の真実』でも語られているリアリティである。
そして、シナリオ・プランニングの最も興味深いことは、この1~3のシナリオを、キーパーソンやステークホルダーへのヒアリング、および彼ら彼女らの集まったワークショップで分かち合い、価値観の相違を超えて、「これから起こる可能性があると思うこと」を共有するプロセスである。そこには、対立し、いがみ合った過去の歴史を乗り越え、相互にコミュニケーション出来る土台を創り上げ、価値の違いを相克する「未来への共有点」を探り出す。まちづくりや街おこしで最も苦しい部分は、一言でいってしまえばこの「価値観の相違」だが、これを乗り越えるために、お互いの価値観やこれまでのライフ・ヒストリーを否定するのではなく、「起こりうる未来」という点での価値の共有を目指す。その中で、共通の目的に向けて、1人1人がどう変わるべきか、何から始めたら良いか、を参加者全員で整理し、1人1人が納得していく。
この未来を描くプロセスの共有こそ、地域ケア会議や、課題だらけの街の再生にも、十分に使える方法論であり、部分的には僕もアドバイザーとしていくつかの自治体で仕掛けて来たことの延長戦にあるな、と思った。だからこそ、このシナリオ・プランニングは使える!と興奮しながら読み終えたのだ。いくつかの自治体で、このプロセスを試してみたい、と頭の中の妄想は既に膨らんでいる(^_^)

『同行二人』の可能性

「人はなかなか自分のことについてはわからない。それは自分の置かれている状況を客観的に見ることが難しいからだ。だが、参照点になってくれる誰かがあなたのそばについていてくれたらどうだろうか。あなたはこの他者の認知を参照点として利用することで、一人では見えなかった別の可能性が見えるようになり、別の行為の可能性が広がるだろう。お遍路さんではないが、『同行二人』で道程を一緒に歩くことというのは、このようにして本人の行為の可能性を拡張し、主体性を行使するのを助けるのである。」(『プシコ ナウティカ-イタリア精神医療の人類学』松嶋健著、世界思想社、p211)

イタリア精神医療の現場でフィールドワークをした松嶋さんの博論が元になった大著を、昨夏の発刊直後に読んでいたが、昨日はその松嶋さんと討論できる勉強会に参加してきた。松嶋さんは、以前紹介したメッツィーナさんの講演会など、イタリア精神医療の要人が日本にやってきたときに、抜群の通訳をして下さる貴重な存在でもある。そんな、イタリアと日本の架け橋の存在のお一人だからこそ、彼がフィールドワークの中で学んだイタリア流の支援のあり方について、色々聞くと、実に面白かった。その本質を表しているのが、冒頭の引用部分だ。
確かに、僕自身もアドバイスを求められると、学生さんや現場支援者には、それなりの指摘は出来る。でも、自分のことになると、全くアドバイスが出来ない。それは、「自分の置かれている状況を客観的に見ることが難しいからだ」。特に、事態が混沌としていたり、自分自身がパニック状態であると、なおさら難しい。そんなときに、確かに「参照点」があれば、「一人では見えなかった別の可能性が見えるようになり、別の行為の可能性が広がる」。いつもパートナーと晩酌しながら、たわいもない話をあれこれしているが、その中で、僕は彼女に「定点観測する参照点」になってもらい、その何気ない一言に随分励まされ、また助けられている。そういう「同行二人」は、確かに僕自身の「行為の可能性を拡張し、主体性を行使するのを助け」てきた。
で、これは、僕がゼミ指導や、福祉現場のアドバイザーをしているときも、する・されるが変わるだけで、構造は全く同じである。彼ら彼女らの語っていることをとにかくじっくり伺い、ふと思いついた事を口にするだけなのに、それがフックになって、随分と学生さんの思考が深まる場合がある。現場の困難な物語を伺った上で、「それってこういう視点でも捉えられますよね」と指摘するだけで、「救われた」と言われたこともある。アドバイスを求めるときって、問いを抱えた当人が、その問いをどう考えたらよいのかわからずに混乱している時である。であれば、その混乱を鎮めるお手伝いをしながら、情報や考え方の整理のお手伝いをするだけで、自ずと解決の道が開かれ、一歩を踏み出そうという勇気が生まれる。これは、僕がパートナーと共に参照点になり合う場合でも、学生や現場の支援者とのやりとりでも、同じ事だ。
この「同行二人」とは、「本人の行為の可能性を拡張し、主体性を行使するのを助ける」ことを意味する。たぶん、支援現場において、ここがミソだろう。「参照点」となって定点観測し続ける中で、相手が「一人では見えなかった別の可能性が見える」のを助ける、ということだ。そのプロセスを通じて、混乱や混沌の中で「主体性」が低減している相手は、徐々に「主体性」を快復し、自分の人生のハンドリングが再び出来るようになっていく。そういうサポートの対象者が、パートナーやゼミ指導を求める学生だけでなく、人生において大きな危機(クライシス)にある・その経験を持つ人に変わった、というだけである。そこには、「統合失調症」「境界性人格障害」などの診断名を付ける必要がない。これは、イタリアの精神病院を解体した医師フランコ・バザーリアの次の思想に通底する。
「バザーリアにあったのは、所与の客観的なものとして立ち現れているように見える『病気』が、実は、ある特定の場所や環境、制度のなかではじめてその現実性を獲得しているのではないかという認識である。そして、『病気』の現実性を支えているのが、精神病院という施設であり、精神医学という制度だというのである。」(同上、p141)
先にみたように、「参照点」となる相手の力を利用して、混沌や混乱を乗り切り、別の可能性を見いだす、というのは、僕も含めて、誰だって当たり前のようにやっている。「大きな危機にある人」が、その支援を受けながら、別の可能性を見いだしていけば良いだけである。それに、「病気」というラベルを張るから、病者の混乱と、それ以外の人の混乱があたかも「違う」ようにみえ、「普通とは違うように見える人」だから、特別な対策としての「精神医学という制度」であったり、「精神病院という施設」が必要になる。全ては、「病気」と名付けることにより、その「病気の現実性」が支えられてしまうのだ。バザーリア派の医師フランコ・ロッテリは、こうも言う。
「精神医学は『人間』をエポケーすることで、距離を取った客観的で抽象的な知と権力を再生産する。バザーリアは逆に『病気』をエポケーすることで、人間をモノ化する装置を転倒させる。だがそれは同時に、病人の主体と出会うという危険を受け入れることでもあったというのである。」(同上、p142)
ちなみにエポケーとは現象学の用語で、括弧にくくる、という意味。病気を括弧に括ることで、「病気だから○○する」という当たり前の前提を疑う、ということである。だがこれまで「精神病院という施設」や「精神医学という制度」は、「人間」を括弧にくくることで、人間として当たり前の「生きる苦悩」を、「病状」という形で「距離を取った客観的で抽象的な知と権力」に変換し、それを「再生産」してきた。すると「大きな危機にある人」は「同行二人」ではなく、縛る・閉じ込める・薬漬けにする、という「治療」を受け、ますます混乱や絶望が激しくなり、その自己表現として「病状」を示し、さらに「治療」が強化され、という悪循環が高速度回転していった。そして、「精神病院という施設」や「精神医学という制度」は、そのような悪循環、つまりは「人間をモノ化する装置」として機能してきたのである。
だが、なぜそのような「装置」が必要であったのか。ロッテリの引用に続けて、松嶋さんはこう指摘する。
「だがなぜ主体と出会うことが危険なのか。それはおそらく、人間的な主体であるというところにこそ狂気が存するからである。それを恐れるからこそ、精神医学は狂気を医療化し、『精神疾患』という概念に閉じ込めようとするのだ。バザーリアはこう述べている。
『精神疾患が存在しないなんて、私は言ったことはない。精神疾患という概念を私は批判するが、狂気を否定しはしない。狂気は人間的な状況だからである。問題は、この狂気にどのようにして向き合うかということである。この人間的な現象を前にして、われわれ精神科医はどんな態度をとり、そしてこの[狂気の]必要性にどう応えることができるだろうか。』」(同上、p142)
これは、端的にいえば、精神病者を「自分とは違う異常者」とみるか、「自分もそうなる可能性がある状態に自分より先になった人」とみるか、という人間観の違いである。「精神医学は狂気を医療化し、『精神疾患』という概念に閉じ込めようとする」最大の理由は、「人間的な主体であるというところにこそ狂気が存する」と認めるならば、自分自身も「狂気」になる可能性がある、ということを認めなければならないからである。「狂気は人間的な状況だ」というと、「異常」とレッテルをはって、自分とは違う異次元の存在だと捨て去れない。自分自身もそうなる可能性がある極限状態を見る、ということに、多くの人は耐えられないからである。
この本の表紙に書かれている、イタリアの精神保健のモットーの一つに「近づいてみれば誰一人まともな人はいない」という強烈なメッセージがある。「私はまともである」と思い込んでいる人も、「近づいていれば」、まともではない「狂気」の部分がある。それは、僕もあなたも同じだ。そんな「人間的な状況」である、「狂気」という「人間的な現象」=「危機」に際して、「どのようにして向き合うか」が問われているのだ。
だからこそ、「同行二人」が必要になる。
「コレスポンデンスとは、二人の人間が向き合うインタラクションとは違って、同じ方向を向き、同じ風景を目にしながら一緒に歩いていく二人のあいだの関係である。それはまさに『同行二人』としての利用者とオペラトーレの関係にほかならない」(同上、p431)
ここでポイントになるのが、狂気の状態にある人とインタラクションで向き合う、というのではない、という点だ。狂気の状態にある人から、「狂気」を括弧でくくって取り出し、その狂気という「生きる苦悩が最大化」した「危機」という「同じ風景」を、当人と支援者が共に眺める。そこから、その「狂気」の「必要性」にどう「向き合」えばいいのか、を一緒に模索しながら、歩みを共にする。これが、「同行二人」の醍醐味であり、病気を括弧に括ることの本質なのだ。そして、それは、北海道浦河のべてるの家でやっている当事者研究だって、病気を括弧でくくって、その狂気を他の仲間や支援者と共に眺める、という論理では同じ、ということになる。
「イタリアでは、精神医療から精神保健への転回がなされたとき、問題はもはや『心』や『精神』を治療することではなく、『生きること』に定位し、『生きること』をどう支援していくかに変わった。『精神』の健康は、『生きること』のなかに、人々のあいだで生きていく過程において得られるものだということである。」(p405)
精神障害者だけでなく、自殺者や社会的ひきこもり者も多い日本において、「『心』や『精神』を治療する」ことよりも、切実に求められているのは、「生きることを支援すること」ではないだろうか。繰り返し書くが、「狂気」を否定する「反・精神医学」の主張ではない。「狂気」の状態にある「病人の主体と出会うという危険を受け入れ」る覚悟を、専門職や支援者が持てるのか、という問いである。DSMなどの「距離を取った客観的で抽象的」なラベリングで分かったふりをした上で、「病人」を閉じ込めると言う形で「人間をモノ化する」現状に従うのか。それに反旗を翻し、「『狂気』の状態にある」人と、「狂気」を共にながめ、自分が「参照点」になることで、「本人の行為の可能性を拡張し、主体性を行使するのを助ける」、「同行二人」の役割をするのか。この点が、イタリア精神医療の最大の醍醐味だ、と感じた。
そして、それは今はやりのオープン・ダイアログだって同じではないか、と思っている。「狂気」を否定せず、「狂気」の状態にあるときの苦しさや、それに支配されていることも含めて、支援チーム(=イタリアならオペラトーレ)と共有し、その状態を脱する為にどうすればよいか、をそれぞれの専門性を活かした「参照点」が助言をしながら、一緒に考え合うのが、オープン・ダイアログの本質ではないか、と勝手に想像を膨らませている。
松嶋さんの大著と、著者自身との対話から、支援の可能性というギフトを頂いた1月末であった。

縮小都市・まちづくり・地域福祉

年末に読み終えた本と、正月明けの旅行や出張で垣間見た風景が重なった。
フックになったのは、『縮小都市の挑戦』(矢作弘著、岩波新書)。全国各地で地域興しを担う人材育成をしている尾野寛明さんと、12月に岡山でセミナーの打ち合わせをしているときに、紹介された一冊。オモロイ人物に紹介された本に外れはないので、早速ゲット。確かに、実に示唆に富む、興味深い一冊だった。
この本の中では、かつて自動車産業の城下町として栄えたアメリカのデトロイトとイタリアのトリノが、その後GMとフィアットの凋落と共に寂れ、荒廃した後に、スモールビジネスを中心とした活気を取り戻しつつあるプロセスが描かれている。そのプロセス自体も面白いのだが、僕が特に興味を惹かれたのが、都市再生の流れと、ポストフォーディズムに関する整理の部分だ。先取りして言っておけば、この二つは、大都市だけでなく、中小都市の再生や活性化にも示唆に富む指摘だと感じている。
昼間でもひとり歩きは身の危険を感じるほどだったデトロイト中心部の「決して行ってはいけない」危険地区。そこが再生するまでには、次のようなプロセスがあったという。(P66-69)
第一段階 衰退・荒廃した地域で、「アーバンパイオニア」が「開拓者精神」をもって新しい何かを始める。著者によれば、このアーバンパイオニアとは、①ぼろ住宅を安く取得し、DIY精神で自分で修繕して、そこを自宅に移り住むタイプ、②廃棄された倉庫や工場を安い賃金で借り、アーティストがそこをスタジオにするタイプ、③空き物件を活用してスモールビジネスを始める起業家型、の3つがあるという。これらのアーバンパイオニアは、補助金などに頼らず、その地域や場の可能性を予感し、「空き」をオモロイと感じる感性を持っている、という。
第二段階 このアーバンパイオニアが根付くと、地元のスモールビジネスが相次いで起業する。その中で、トレンドに敏感な若者のに人気のスポットが増える。
第三段階 その成功を見定めるように、コンビニやカフェ、ファーストフード店が出店する。この段階で、地元の不動産デベロッパーやチェーン系ビジネスが投資をし始めることにより、地区の改善が進展し、家賃が上がり、貧者が追い出される、という。
第四段階 このように賑わいが活気づくと、全国区のデベロッパーや金融資本が舞台に登場し、新築ビルや集合住宅が新設される。
地域福祉の視点で見れば、この第三段階で「貧者が追い出される」のは問題あり、であるが、それを除けば、第一段階や第二段階は、別に荒廃した危険地帯だけでなく、いわゆる「シャッター通り商店街」や、地場産業が衰退して活気がなくなった日本の地方都市にも十分に応用が出来そうなプロセスである。
次にフォーディズムとポストフォーディズムの違いについて(p151-154)。
フォーディズムとは、T型フォードを生産する時に開発された、ベルトコンベヤ式労働による大量生産型の生産様式である。それが都市に応用されると、デトロイトやトリノ、日本で言えば豊田のように、ワン・カンパニー・タウン、つまり企業城下町になる、ということである。このフォーディズムの企業活動は、主要な大企業が規格品の量産を行うために、単純な非熟練労働を雇い、コスト削減が目標とされる。下請けと大企業は垂直関係で結ばれ、行政も企業誘致政策を第一義におき、特定企業や業種のニーズに対応した「生産のための都市インフラ」を整備する。つまり、企業と政府は密月関係にあるが、工場移転の可能性をちらつかせながら、企業は自治体間競争をさせる垂直関係であり、結果として大企業の独占が進むと共に、郊外化が進展する、という。
ただ、これは大企業がその本拠地を構え、生産活動をし続ける限り循環するプロセスである。GMやフィアットのように、その看板企業が凋落すると、その企業に依存した企業城下町は、ガタガタと総崩れしていく。それは、規格化・標準化された一企業に依存することにより、街の多様性を見失うことに起因する、逆機能的側面である。フォーディズム都市の好循環は、企業業績の悪化と共に、もろくも簡単に悪循環へと転化する。
だが、その後にデトロイトやトリノでは、ポストフォーディズムの動きが展開し始めている。アーバンパイオニアやスモールビジネスが、新たな中小企業を興す中で、マーケットの創造を始める。その中で、規格化された安価な大量生産商品ではなく、知識・技術集約的労働に基づく、高付加価値品の生産がなされていく。これは、元請け-下請けの垂直関係ではなく、中小企業同士の水平でネットワーク的関係が展開する。すると、行政も大企業のみに目を向けるやり方から、その地域に定住する住民や中小企業が根付くようなQOL向上のためのインフラ整備に乗り出し、「我が町でしか出来ない○○」という都市ブランディングに乗り出す。それは、企業と政府のパートナーシップでもあり、他の自治体と競り合うのではなく、お互いが差別化した魅力を持つ街として連携し合う。その中で、みんなで街作り、というステークホルダー間の集合的協働が加速し、都市に賑わいが戻る(再都市化する)という。
この「都市再生」や「ポストフォーディズム」の動きの断片を、僕は長崎県の波佐見町で垣間見た。
正月明けに博多から長崎までの旅行に出かけた。その中で、目的の一つは、もともと有田焼だった。骨董や飾り物の陶磁器には興味がないが、普段使いの器が好きで、沖縄に出かけるたびに、やちむんの里であれこれ買い求めるのが、近年の楽しみである。今回もそんなノリで有田に行こうと予習用に買い求めた旅行本のいくつかで、有田ではなく、波佐見焼が取り上げられている。調べてみたら、昔からの焼き物の街だが、江戸時代は伊万里から出荷したから「伊万里焼」とも言われたり、お隣の有田焼と比べると生活に根ざした廉価な製品を作る産地、と言われていたらしい。でも、普段使いの食器としては、シンプルで非常に良さそうなものがありそうだ。有田は数年前出かけたから、近所の波佐見にも寄ってみるか。そんな気持ちで出かけたら、びっくりした。僕の中では、有田より遙かに面白そうなのだ。
有田に比べたら、波佐見のブランド力は格段に落ちるかもしれない。高価で華麗な焼き物でもない。江戸時代に庶民が使った「くらわんか椀」や、幕末から明治にかけて醤油を詰めて輸出する瓶として使われた「コンプラ瓶」など、実に生活に根ざした焼き物が波佐見焼の特徴だ。そして、その「用途の美」に、現代風のアレンジをした、シンプルでお洒落な食器が、波佐見の窯元にはザクザクあったのである。
それだけではない。波佐見の街中にあるショップ「HANAわくすい」では、波佐見焼の風景に似合うような雑貨や、全国各地から取り寄せた手仕事の品物を取り寄せたセレクトショップが、窯元の売り場に併設されて店を構えていた。目利きの中川正七商店が扱う商品なども、ごく自然に並べられている。気付けば焼き物だけでなく、様々なジャパンメイドの手仕事品と出逢って、段ボール箱を宅急便で送るほど、買い込んでしまった。当然、焼き物にかんしては仲買を通さないから、大変リーズナブルなお買い物が出来た。
このように、ポストフォーディズム的な街とは、質の良い「本物」と出会える街だと感じた。波佐見なら、「ほんまもんの、普段使いの器」と出会える街である。しかも、独占的な大企業がある企業城下町ではなく、小さな窯元が切磋琢磨している、文字通りの中小企業の街。でも、質とセンスの良い、東京のセレクトショップにもおいてありそうな器がそろっているので、また訪れたくなる街。その晩は僕たちは近所の武雄温泉に泊まったけれど、例えば武雄市や嬉野市の宿とコラボすれば、器と食と温泉の、豊かなツーリズムの可能性がありそうだ。こういう差別化した街同士の連携が、人口減少時代に元気な街として再生していくのだと、感じた。
そして、このような都市の再生に必要なのが、「開拓者精神」をもったアーバンパイオニア。大量の資金と生産量を投下するフォーディズム的な街作りの時代は、全く相手にされなかった存在かもしれない。でも人口減少が進む縮小都市においては、きらりと光る「オモロイこと」を始めた若者たちのアントレプレナーな展開は、大都市だけでなく、中小都市や中山間地の「町の中心地」にすら活かせるカンフル剤のように思えてならない。
そういえば、矢作さんは、日本の「まちづくり」を英語に訳すとき、こんな説明をしている、という。
「革新的なコミュニティを孵化させ、養育する取り組み(hatching and nurturing innovative communities)」(p204)
僕は、このフレーズは「地域包括ケアシステムの構築」や「福祉のまちづくり」においても、必要不可欠な要素だと思っている。それを、昨日の岡山でのセミナーでも実感した。
昨日は、岡山県社協主催の「無理しない地域づくりを考える~岡山県内で小さな挑戦をしている現場職員の話を聞く~」のファシリテーターを、先述の尾野さんと二人でさせて頂いた。2012年の春に尾野さんに出逢って以来、ずっと暖めてきた「まちづくり」と「地域福祉」のコラボが、ソーシャルなスナフキンの県社協職員、西村さんの仲人のお陰で、2015年に岡山で実現したのだ。その場で、尾野さんと剛速球の投げ合い対談の後、3人の挑戦者の話を聞き、会場全体と考え合う中で、「まちを元気にするには、こういう孵卵器のような場が必要不可欠だ」と思い始めている。
昨年はNHKドラマで「サイレントプア」が放映され、この4月から生活困窮者自立支援法がスタートし、併せて介護予防の施策が市町村の地域支援事業として重点化される時代にあって、コミュニティソーシャルワーカー(CSW)の必要性がますます叫ばれている。だが、地域のソーシャルワーカーが、本当に地域全体を視野に入れて眺めているか、というと、現状ではアヤシイ場合が少なくない。個別援助技術には長けていても、個別課題を地域課題に変換できないワーカーは少なくない。さらに言えば、地域の福祉課題を、まちづくりの課題に接続させる力量を持っているひとは、なおさら少ない。僕自身は、地域福祉が福祉に限定されることなく、コミュニティワークという形で、地域の様々な課題に接続され、開かれていくべきだ、と考えている。そして、昨日の岡山のお三方は、実際にコミュニティワークを地道に本気にやっている三人だった。
井笠市で若者就業支援と農業のコラボに取り組む山脇さん(ワッキー)。岡山市内で魅力的な大人と若者の出逢いの場を創るNPOだっぴを運営しながら、ご自身の住む限界集落では若者を呼び寄せるイベントを開いている河原さん(花ちゃん)。そして、弁護士事務所に所属する社会福祉士として、後見人や刑事弁護での支援に取り組む尾崎さん(リッキー)。この三人は、狭い意味での(教科書的な)地域福祉の枠を遙かに超えているが、地域の困難な課題を自分事として引き受け、自分の出来るやり方で、「無理しない地域づくり」をオモロク楽しんでいる三人である。その三人の取り組みを伺いながら、こういう三人のように、「役職」ではなく、「自分事」として地域にコミットする「わたし」が前面に出た人々を育ている「インキュベーション(孵卵器)」的な人材育成が必要不可欠だ、と改めて感じた。そして改めて、尾野さんが全国各地で人材育成塾の塾長として引っ張りだこなのは、「革新的なコミュニティを孵化させ、養育する取り組み」が切実に求められているゆえだ、と感じた。さらに言えば、コミュニティソーシャルワーカーも、権利擁護や当事者主体という当然の理念を踏まえた上で、この三人のように、「自分事」として地域作りにコミットするのが必要不可欠だ、と強く感じ始めている。
縮小都市の課題は、狭い意味での都市計画の話だけでなく、地域福祉にも直結する課題である。まちづくりや地域福祉の過渡期だからこそ、若者・バカ者・よそ者にも活躍できる素地や可能性は沢山ある。地域福祉においても、開拓者精神を持ち、スモールビジネスにも親和的な、都市再生の担い手がいても良いのではないか。そして、そういう担い手を養成するのは、専門が定まらないニッチ産業としてのタケバタの役割の一つではないか。そう感じている。
今日は阪神淡路大震災から20年目の節目。僕はあの当時、学生ボランティアとして被災地に入った事が原点になり、気がつけば研究者になっていた。直接神戸に関わることはないけれど、まちづくりや復興ということは、今も変わらぬテーマになっているのだと、改めて感じる。僕にしか出来ないことを、これまでも、これからも、地道に重ねていこう、と改めて感じた。

2014年の三題噺

師走がガチガチにタイトなスケジュールで、ようやっとアップが出来る。気付けば、今年たぶん最後のエントリー。まだ年賀状も書いていないのだが、年賀状に書く文面も思い浮かばないほど走り抜けてきたので、ここいらで頭の整理をかねて、今年一年を三題噺風に振り返っておくことにしよう。

①インプットの時期、と位置づけてみたが・・・
一昨年に『枠組み外しの旅』、去年に『権利擁護が支援を変える』と二冊の単著を出した。前者は博論の内容を、後者は20代から暖めてきた権利擁護ネタをガッツリとアウトプットしたので、さすがに、ストックはある程度総ざらえした感じがある。なので、今年はあちこちに出かけて、いろいろな新しい出逢いやつながりを見つけにいこう、と思った。その狙い自体は、間違いではなかった。ただ、ちょっと出過ぎた。
正月明けから出張が多く、3月には岡山と東北にツアーに出かけ、改めて地域づくりへのコミットの面白さを感じ始めた。そして、4月以後は、某自治体の地域福祉計画関連のワークショップに関わりながら、6月は学会発表を国内で二つ、7月には韓国で一つこなし、それと平行しながら、山梨で実践してきた地域包括ケアのコンセプトをお伝えする講演も、お声がかかれば引き受けてきた。その合間に、大阪方面の出張もなんやかやと続き、気付けば泊まりがけの出張が重なる日々。風邪を引いたり、身体がクタクタになることもしばしばで、合気道にも山登りにも、全然行けない日々。「何のためにそんなに予定を詰め込んでいるのですか?」とパートナーに冷ややかに問われ、己のスケジュール管理のなっていなさにやっと気付く始末。阿呆の限りです。
グーグルカレンダーにスケジュールを書き入れるとき、移動の時間およびその負担については、これまで意識することはなかった。知り合いに、平然と全国をノマド的に(鉄道オタク的に?)動き回る猛者もいるが、30代も終わりの年齢になると、片道5時間とかの移動がしんどくなってくる。翌日や翌週に、出張のつけが回ってくる。今年は鍼や整体にもお世話になり始めたが、施術するたびに、ガチガチになる身体をほぐしてもらう有様。身体が資本のこの商売では、ちょっとマッチポンプ的な展開になってきた。ある程度関わり続ける現場を絞り、それ以外の新規の(一回限りの)仕事を減らさないと(=断る勇気をもたないと)、身が持たない。様々な現場を訪問させて頂き、その現場のリアリティを伺うことには価値があるけれど、僕自身のモチベーションを崩す位の忙しさになると、本末転倒になる。それと、ガッツリ本を読むというインプットが何より出来ていない。これが最も大きな問題であり、来年、なるべく出張予定を減らして、本気で確保しなければならない部分だと思う。
②領域越境性が強まる
専門を聞かれても、もともと「まだありません」と答える時もあるように、これだと言えるものがない。一応公の場で紹介される時は、障害者政策とか、権利擁護とか、地域福祉とか福祉社会学とか、それっぽい専門を言っているけど、どれもドップリの専門、とは言えない。講演で依頼される内容も、国の委員をしていた時は「障がい者制度改革の行方」がほとんどだったけれど、その委員も終わって、バックラッシュ的に!?障害者関連の講演はパタリと途絶える。その一方、去年の秋に社会福祉士会で地域包括ケアの講演をさせて頂いて以来、「私から始まる地域包括ケア」というタイトルで全国にお邪魔することが多くなった。山梨の実践で培ってきた、「自分事としての地域作りへのコミット」の内容が、全国的に求められているのだ。
でも、これは少し前でもツイッターで連ツイしていたが、決して障害者福祉や権利擁護の内容から離れた訳ではない。むしろ、高齢者福祉分野にここ3,4年、コミットの度合いを深める中で、「困難事例」といわれる領域を紐解いてみると、「認知症の疑いがある母の支援でケアマネが関わり始めたら、娘は統合失調症でシングルマザー、孫は発達障害の疑いがある」といった、家族内での様々な関わりや支援が求められる家族が少なくない。そして、そういう家族をケアマネさんは支援することに慣れていない場合、「困難事例」とラベルが貼られ、地域包括支援センターに丸投げになる。でも、地域包括支援センターだって、虐待対等に介護予防事業、地域作りに困難事例対応もやっていたら、パンク寸前になり、事後対応に終始する。成年後見制度=権利擁護という矮小化された図式ではどうしようもない権利擁護課題が山積されている・・・。このような悪循環なのだ。
そして、このような悪循環を好循環に変えるためには、「ないものねだり」の欠損モデルではなく、本人や家族のストレングスを「あるもの探し」で探り出し、それを強化していく生活モデルや社会モデル的な発想が必要不可欠になる。これは、専門職主導から当事者主体への転換と共に、障害者福祉の領域ではやっと当たり前に語られるようになってきたが、認知症支援や高齢者福祉では、まだまだ専門職や家族主導が大きくて、当事者主導にすら至っていないケースが少なくない。問題があれば包括に投げるか、入院・入所させて支援終結、なんて考え方も未だにみられる。こういう発送の中で、悪循環が増幅するのだ。であれば、障害者の地域生活支援の考え方は、高齢者福祉にも当たり前のように越境させ、使えるのではないか。そういうつもりで、地域福祉に関わってきた。
すると、行政も、学者も、セクショナリズムが強く、高齢者と障害者、地域福祉と越境的に関わる発想がなかなかない。ゆえに、僕のような「すきま産業」の人間にも、越境的な地域作りのお手伝いの声がかかる。実際、山梨県内の某自治体でアドバイザーをさせているのだが、権利擁護や事前予防を中心にした、地域福祉計画と障害福祉計画、介護予防計画の連動のパズルのピースが、少しずつはまりはじめている。こういう領域越境的な仕事に関わらせてもらえるのは、大変だけれど、めちゃくちゃ面白い。そうそう、少しフライング的な予告ですが、三月末あたりに山梨の実践は『自分たちで創り上げる地域包括ケアシステム』というタイトルでミネルヴァから編著が出そうです。これも、チーム山梨の皆さんと練り上げてきたもののアウトプットだが、こういう領域越境的な仕事が出てきて、僕の中でワクワク感が広まっている。
③福祉研究者の枠組み自体
も超えられるか
実はそういう取り組みをする中で、僕自身が今問われているのは、自分の専門用語や「自分の土俵」ではなく、「相手の土俵」で戦えるか、という問いかもしれない。例えば、コミュニティビジネスや中心市街地活性化の取り組みをしている人々にとっても、少子高齢化という同じ問題と向き合っているのに、「福祉は関係ない」とそっぽ向かれている。これは、福祉現場の人間が、街づくり系の人々が納得できる・グッとくる何かが話せていない証拠でもある。その際、相手を「わからずや」となじるのではなく、相手の内在的論理を理解し、相手の納得できる・腑に落ちる言語で地域福祉を伝えられるか、という問題認識を抱え始めている。あるいは、福祉にそんなに関心や知識もない地域住民のみなさんに、「自分事としての地域福祉」を考えてもらえるか、という課題もある。それに関しても、少しずつ、種まきをし始めている。
今年最後の出張だった、岩手県の釜石市と大槌町でチャレンジしてみたのは、地域住民の皆さんと考えあう「自分事としての地域福祉」のワークショップだった。それも、「お上への要求反対陳情」スタイルのものではなく、「官民が一緒になって考え合い、連携提案する」やり方への転換も兼ねたワークショップである。やる前は僕も行政の担当者も冷や冷や関わってみたが、蓋をあけてみれば、力を持ち、「自分事」として考えている地域住民の方々の声に助けられ、少しは皆さんの腑に落ちる何かが生まれたのではないか、と思う。僕が1時間半、自分のパワーポイントを使い、自家薬籠中のものにしたネタを一方的に展開するのではない。住民さんたちに考え合って頂き、その声を拾い、その声に基づきながら、現場で必要とされる叡智を探り合うワークショップ。これは、僕自身の器や人間性も鋭く問われる、楽ではない仕事である。でも、そっちの方が、遙かに実りが多い。
実は、大学の講義ではもう何年も前から、学生たちと考え合う形の授業スタイルを模索していた。近年になって、そういうスタイルは「アクティブ・ラーニング」という名前だと、後で気付いた次第である。名前はどうであれ、一方的に話を黙って聞く、のではなく、「聞く→考える→対話する→振り返る」のプロセスを繰り返す中で、地域福祉の課題を自分事にしてもらうプロセスに入ってもらう、という手法である。これは、専門職と住民、地域福祉と街づくり、という、領域や壁を越えるためにも必要な対話的なアプローチ(注)だと思う。僕自身が、その場を信じて、その場全体の変容を応援する形でファシリテーと出来るか、も問われている。でも、もっと大切なのは、そこに来る人々の力を信じ、参加者の「あるモノ探し」をする中で、現場から立ちあがる叡智を、よりよい何かにアクセスさせる編集役が僕にも求められていると感じるし、実際、そういう実験を研修や講演という場を借りて、この一年、し続けてきた。
こう書いていたら、その昔、社会学の大家の先生に、「タケバタ、研究者は落語家ではないぞ!」と強く諭されたことを思い出す。落語家は、同じネタのバージョンを変えながら、目の前のお客さんと同期させていくなかで、その芸を磨きあげていく。だが、研究者がそれをしたら失格だ、と。常に新しいネタを入れながら、something new & interestを追求し続けよ、と言われ、それを何とか遵守しようともがいてきた。

だが、それは領域「内」で深化するためには必要不可欠だが、領域越境的には、それでは足りないことも見えてきた。つまり、同じ研究者仲間という「内輪」向けなら、そのアプローチでもよい。でも、現場の実践者や、地元の様々な住民向けという研究者コミュニティの外に向かうならば、新ネタを仕込むだけでなく、もっと根源的に問われていることがある。それが、対話的なアプローチなのである。こちらの知識を一時間半で波状爆弾のようにしゃべり倒すのではなく、相手がその知識を自分事として受け止め、腑に落ち、その知識を元に自らの行動変容に結びつける支援、それが狭い意味での福祉研究者の枠組みを超える時に、求められるのである。

これに最初から気付いていた訳では、もちろん、ない。今年は研修や講演が多かったけれど、途中から自分だけがしゃべる事に、強い不全感を抱いていた。それは、新ネタに入れ替えていっても、本質的に変わらなかった。そんな折り、以前のブログにも書いたけれど、「手綱を緩め、場に任せる」と、場が劇的に変化し始めた。明らかに以前より反応が良くなり、講演や研修後の手応えが強くなった。変なたとえだが、「僕の話を減らせば減らすほど、皆さんの満足度が深まった」感じである。それが、僕の狭い福祉研究者役割の枠組みを超えるきっかけになりはじめた。

そういえば、先月に開かれた県内の専門職相手の勉強会で、このアプローチを使ってみたら、終了後の懇親会で、某お姉様に「タケバタ君も、成長したね♪」とお褒めの言葉を頂いた。曰く、「以前は早口でまくし立てて、自分の賢さをひけらかしているようにしか思えなかったけど、今日のやり方は、相手の行動変容を導くやり方で、相手に合わせたやり方で、すごく良かった」とのこと。僕自身は以前は単に必死だっただけなのだが、見る人が見ればそう映っていたのだ、と強烈に気付かされた瞬間だった。
ちなみに、この相手を見なければならない、というのは、合気道の基本でもある。今年はあまり練習できなかったけど、有段者になり、少しは技が身体に馴染んできたのか、最近技をかけている時も、相手の事を見ることが出来るようになってきた。すると、相手のかかわり方に合わせて、自らの関わりを変えることが、少しずつだけど、出来るようになってきた。それと共に、無駄に力を入れることなく技を繰り出すことで、より相手の力を活かしながら、自らの技へと誘うことの大切さがわかるようになってきた。
実は、領域越境性とか、福祉研究者の枠組みを超える、ということで求められていることも、僕自身の構えの問題なのかもしれない。自分で勝手に範囲や領域、枠組みを作らず、現場の内在的論理に耳を傾け、じっくりと全体像を見て・把握して、現場の人のエネルギーをうまく活かしながら、その澱みや詰まりを取り除き、再活性化させる支援をすることが、「すきま産業」としての僕に「出来ること」であり、「世間から求めら
れていること」だし、それが「したいこと」にもつながる
のかな、と思い始めている。
・・・というわけで、馬車馬のように働き、もがいてきましたが、こうやって改めてまとめてみると、自分のこれからやりたい方向性が、少しずつ整理されてきたような気がする。実は、近未来に、次の単著を出したい種が出てきて、それも少しずつ発芽させつつある。来年、時間を確保して、その執筆にもエネルギーを注ぎたいから、もう少しスケジュール管理もちゃんとしないとね、という教訓も、書きながら強く自覚化した、つもりだ。
みなさま、良いお年をお迎え下さい。
竹端寛拝
注・・・対話的アプローチのリンクを張ったブログは、ある研究会で、参加した一般市民から出された「一見すると突拍子もない質問」に端を発している。このときは、僕自身の器が小さくて、その「突拍子もない(ように見える)」意見に相手の納得のいくコメントも出来ず、「ご意見は承りました」で終わってしまい、対話になっていなかった。でも、この暮れにユング関連の本を何冊か読み直す中で、それは場全体を支配する集合的無意識に関わる問いではないか、と思い始めている。僕が研究者的論理整合性を大切にするならば、その「突拍子もない」意見を、論理的に反駁しておしまい、とすることも可能だ。あるいは、相手は僕の話を全く聞かずに単に自己主著をしたいだけ、と決めつけることも出来る。でも、その場でわざわざ自己主張という形で出される何かも、講演なり研修なりという場全体から生起したもの。そうであるならば、その発言に何らかの集合的無意識が投影されていないか、と考えてみるのも、面白い。これは、今後の僕自身の探求課題ということで、付記しておく。

治療から歓待への価値転換

11月22日、精神病院をなくしたイタリア・トリエステの実践を世界に広めるロベルト・メッツィーナさんの講演会が大阪で開かれた。僕は、大学院生の頃から関わっているNPO大阪精神医療人権センターのボランティアとして、当日の司会を、大熊一夫師匠の横でさせて頂いた。当日興奮しながら書いたツイッターメモ書きはまとめて頂き、また、会場にお越しになられたフリーライターのみわよしこさんはその日のうちに!講演録メモ書きもつくってくださった。

そこで、詳細は上記のまとめやメモ書きに譲るとして、この日に考えたことを、忘れないうちに整理しておきたい。それは、精神障害による急性期症状を、「病気」と見るか、「人生の危機における大切な出来事」と捉えるか、というパラダイムシフトに関してである。(なので、前回のブログ「生きる苦悩から生きる喜びへ」と繋がっている)
メッツィーナさんのスライドで、もっとも対比的だったのは、OspedalizzazioneとOspitalitaの対比だった。イタリア語の表現の似ているこの二つ、前者は「病院化」であり、後者は「歓待」である。それまで急性症状の患者を治療を目的に収容することで、患者自身が「病院化」していったのに対して、トリエステで1970年代から実践し続けてきたことは、「病院化」をやめ、地域の精神保健センターで「歓待」することだった。この治療から歓待への価値転換によって、支援のあり方は大きく変わった、という。
この価値転換を、入院する精神障害者の内在的論理から眺め直してみよう。急性期で治療機関につれて来られる人は、錯乱したり、興奮したり、極度に落ち込んだり、自殺願望があったり・・・と、とにかく人生におけるとてつもない「危機」の状態にある。そのときに、本人は表面的な症状だけでなく、内心では自分自身がコントロールできないことへの不安・怒り・絶望・・・なども最大化している。また、そういう「いつもと違う自分」を「そうじゃないんだ」と否定したくても、それをうまく伝えられないコミュニケーション障害にも陥っている。周りから理解されず、自分自身も生じている事態の全容がつかめず、文字通りの「危機」的状態である。
この「危機」に際して、「あなたはオカシイのだから、治療しましょう」というアプローチと、「こういう大変な危機に、よくぞここまでこられた。まずはそれを歓待します」というアプローチでは、入り口が全く違う。前者は無能力な「一患者」として捉えるが、後者では「危機にある大切なあなた」という視点である。治療中心であれば、その標準化された治療枠組み(クリティカル・パス)の中に入ることが目指され、それが出来ない人は、縛る・閉じ込める・薬漬けにすることによって、とにかく沈静化することが目指される。でも、歓待を重視するなら、その人の危機的状況に共感しつつ、一緒にその危機を脱する為に側にいる、という約束をする。その中で、本人との信頼関係を構築し、対話の中から、薬も必要に応じて用いながら、急性症状の「嵐が過ぎ去る」のを共に待ち、落ち着いた後になって、「なぜそのような嵐が来たのか」を共に探る。
これまでの治療パラダイムであれば、とにかく症状を押さえつけ、沈静化させ、再び表面化しないようにすることがゴールとされた。だが、自傷他害や興奮、鬱症状とは、言語的コミュニケーションで表現できないほどの圧倒的な「危機」に際した人が全身で発してしまう、やむにやまれぬ非言語表現である。その際、その非言語表現「だけ」を隔離や拘束、薬物治療で取り去っても、その非言語表現に頼らざるを得ないご本人の「生きる苦悩」は消え去らない。「危機」とは「生きる苦悩」の「最大化」した状態であるだけに、そこから文字通りの「危機こそチャンス」ではないが、その「危機」と向き合う可能性を秘めている。だが、治療パラダイムは、この「危機」の沈静化を目標にこそすれ、その「危機」の意味を探り、「危機」を抱える本人がそれを乗り越える支援にまで、手を出さない。それは、標準化された治療枠組みを越えているからだ。
でも、トリエステでは、その標準化された治療枠組みを超えた支援を行う。メッツィーナさんはそれを、能動的な市民となっていくプロセスを取り戻す市民権と表現していた。つまり、危機状態で、市民としての権利が剥奪された状態にある人が、再び能動的な市民として人生の豊かさを取り戻すプロセスを支援することこそ、トリエステの支援において大切にする価値である、というのである。これが、「歓待」の大きな意味合いなのだ。
だが、このような「歓待」は、当然のことながら、一人の医師、看護師、ソーシャルワーカーでは無理がある。ある人の人生の危機に際して、その「危機」を鎮め、危機の悪循環パターンを共に解明し、その悪循環パターンから逃れる方法論を一緒に模索するためには、精神医学的・心理的・ソーシャルワーク的な様々なアプローチを統合したチームでの支援が必要だ。そして、このチーム支援において大切なのは、本人と家族、支援者の「取るべき責任」と「取れるはずのない責任」を峻別することでもある。治療者が本人の「取るべき責任」を奪いすぎることをやめ、なるべく本人の持っている(潜在的な)責任を取る能力を回復させる支援こそ必要不可欠である。そうやって、本人が「取るべき責任」を回復する支援をすることは、支援者が「取れるはずのない責任」を取らずに済み、かつ、支援者の専門性を活かした「取ることの可能な責任」をとることへとエネルギーと資源を集中することが可能になる。そして、その支援者と当事者の役割関係がうまく分担できるから、両者に信頼関係が生まれ、そこからリカバリーに向けた協働作業が始まるのだ。
そして、繰り返しになるが、その際大切なのは、支援者がご本人に対して、「こんな大変な危機にもかかわらず、よくここまで来てくださった。大変だったでしょう。まずは、このセンターで歓待します。とりあえず、混乱の嵐が落ち着くまでここにいて、一緒にこれからどうしたら良いか考えましょう。悪循環を好循環に変えるお手伝いをさせてください」という「歓待」の価値観である。この「おもてなし」があるからこそ、危機のまっただ中にある人も、「ここにいても良いんだ」という基礎的安心感を持ち、そこから、ぐちゃぐちゃに絡み合った糸を、支援者や仲間、家族や様々な支援的ネットワークの中で、ゆっくりじっくりほどくプロセスを進めるのだ。それこそ、能動的な市民として地域社会の中で暮らす権利を取り戻す支援であり、生きる苦悩を生きる喜びに転換する支援の第一歩なのだ。
そして、この話は、狭い意味での精神医療の話に限らず、「困難事例」「多問題家族」とラベルが貼られ制度の狭間や複数制度が重複する事例と言われる人々や、来年度から始まる生活困窮者自立支援法の対象になる人々への支援においても、共通する課題である、と感じた。大切なのは、「歓待」した上で、生きる苦悩に寄り添い、その悪循環を好循環に変えるための、継続的で包括的な支援なのである。
そう考えたら、トリエステのアプローチは、海外で行われている特異なケア、ではなく、まさに我が国でも先駆的実践がなされ、あちこちで求められているアプローチそのものである、と感じた。さらに言うならば、私たちの社会が、目の前で最大級に困惑している人を、「異常な病人」と排除するのではなく、「危機にある隣人」と受け止められるか、チーム支援を受けながら地域に戻っていく人々を先入観で排除せずに仲間として「おかえり」と言えるのか。このあたりの価値形成の問題でもある、とも感じている。これは、簡単にできることではないが、意識化しておく必要のある課題だ。
追記:メッツィーナさんが講演で「トリエステモデルを取り入れた」と仰っていた、WHOのメンタルヘルスアクションプラン、なんと日本語に翻訳されていました。

「生きる苦悩」から「生きる喜び」へ

こないだ、関西大学の研究会にお呼びがかかった。「アクションリサーチと枠組み外し」というテーマで、自著や自分がやってきたことを語ってほしい、という有り難いオファーである。現場での講演は沢山あれど、大学の研究会に呼ばれる事は、実はこれまでなかった。一匹狼的な研究を続けてきたので、こういう同業者を前にしたプレゼンは、めちゃ緊張するものである。

で、そのプレゼンを終わらせた後、ホストの草郷先生から、こんなことを言われた。「『生きる苦悩』より、『生きる喜び』の方がいいんじゃない?」
草郷先生は、ブータンの国民総幸福(Gross National Happiness)の研究をしておられる方である、ということは、一応知っていた。だが、僕自身の研究とそれが直接関係する、とは思ってもいなかったが、言われてみれば、その通りである。それは一体どういうことか?
僕が「生きる苦悩」という言葉を使うとき、それは、以前論文にも書いた「病気から生きる苦悩へのパラダイムシフト」というフレーズが頭にあった。これは、イタリアで精神病院をなくした原動力になった医師のフランコ・バザーリアの言葉から取っている。彼は、精神障害と安易にラベルを貼って、「縛る・閉じ込める・薬漬けにする」ことを良しとしなかった。ただ、反精神医学のように、精神病がない、と否定する訳でもない。幻聴や幻覚、妄想や自傷他害のような形でしか、自分自身を表現できないくらいにまで「追い詰められた」人の、その「生きる苦悩」にもしっかり向き合おうとした。病気しかみようとしない医師、ではなく、病気という形で「生きる苦悩が最大化」した人の全体と向き合うことで、本人と医師・家族・社会との関係性そのものに踏み込んだ関わりをしようとした。そうしないと、病状は収まっても、根本原因である生きる苦悩は減らないのではないか、という視点である。
バザーリアが1970年代にイタリアで提唱した、この「病気」から「生きる苦悩」へのパラダイムシフトは、21世紀の我が国でもキュアからケアへのパラダイムシフトが提唱され始め、今日的課題として位置づけら始めている。だが、「生きる苦悩」に「寄り添う」ことを支援目標にしても、それを抱えた当の本人は、そんなに嬉しくないかもしれない。「生きる苦悩」が減るだけではなく、具体的にどう変わるのか、の目標がないと、生きていく希望が生まれない。その時、「生きる苦悩」から「生きる喜び」へのパラダイムシフト概念が、大きな補助線になりそうである。でも、これとて、僕のオリジナルではない。
ここ半年くらい、ブリーフセラピーの本を読みあさってきた。このブリーフセラピーって、以前ブログでご紹介した本のタイトル通り、『“問題行動の意味”にこだわるより”解決志向”で行こう』という考え方である。不登校や摂食障害、自傷他害、「ゴミ屋敷」など、周囲との関係性がうまくいかず、周囲の人々から「問題行動」とラベルを貼られる事態。これらの「問題行動の意味」に「こだわる」のは、本人も支援者も同じである。だが、そこにこだわればこだわるほど、そこに「居着いて」しまい、その固着した関係性から抜け出すことが出来ない。であれば、その「問題行動の意味」は理解した上で、そこに「こだわる」より、現実的にその状態から抜け出す「解決」方法を一緒に模索した方が良いのではないか。それが、ブリーフセラピーの考えたかである。(たぶん)
で、この「問題行動」を「生きる苦悩」と置き換えた時、同じ事が言えるのではないか、と思い始めている。「生きる苦悩」が最大化した人を前にして、まずはその苦悩の内容やご本人にとっての意味を支援者が理解することは、必要不可欠なことだ。だが、伴走型支援と呼ばれる支援において、その「苦悩」ばかりに目を向けていると、当事者と支援者が共に隘路にはまり込んでしまう。そこから目を転じて、「生きる喜び」を一緒に探そうと模索する同伴者になるとき、従来の価値観が一転する。それは、GNHの本にも出ていた「地元学」の表現を借りるならば、「『ないものねだり』から『あるもの探し』」へのパラダイムシフト」である。精神障害者支援の領域では、人々の出来ないことをベースにした欠損モデルから、その人が持っている強みを活かすリカバリーモデルへの転換、でもある。
これは、個別支援だけにとどまらなパラダイムシフトである。過疎化や高齢化、核家族化などが進み、町内会や自治会など旧来のネットワークも弱まってきた地域においては、孤独死や老々介護など、「生きる苦悩」が最大化した事例が沢山出てきている。それを、個人の欠損や病気と捉えるのではなく、地域社会の弱み、と捉えた時、その地域で「生きる苦悩」を、その地域で「生きる喜び」にどう転換できるか、という課題とも重なってくる。その際に、改めて「我が町の強み」を探る、「あるもの探し」の視点が大切になってくる。「これはダメだ、あれも足りない」と問題構造の原因追及をしていても、ため息しかでない。でも、「うちにはこんな魅力や強みがあるから、これを活かして何とか解決出来ないか」と「解決志向」で望んだ方が、悪循環は好循環に転換しやすい。
「生きる苦悩」の悪循環構造の分析も、もちろん大切だ。だが、その構造を分かったところで、それを好循環に変えることがなければ、単なる批評家で終わってしまう。悪循環にはまっている人・地域・社会は、「わかったふり」をして上から目線で指導してくる評論家を求めてはいない。「ほな、どないしたらええん?(では、どうしたらよいの?)」という解決策を求めているのだ。ただ、これは、「誰かに答えを差し出してもらいたい」という他責的思考では、苦しい。一緒に解決策を考えて、これでやってみる、と主体的に自ら解決を望む、解決志向型のアプローチが求められる。それは、個別支援でも、コミュニティ支援でも、変わらないはずだ。
ただ、付言しておくなら、「生きる苦悩」や「ないものねだり」から、「生きる喜び」や「あるものさがし」へと転換する際に、従来の価値前提も変える必要があるだろう。新自由主義的な競争原理で「生きる苦悩」や「ないものねだり」の悪循環回路にはまり込んだのなら、それ以外の「生きる喜び」や「あるものさがし」をする必要がある。この従来の価値前提を捨て去ることが出来るかどうか。これが、実は苦悩を抱えた人にも、最も難しい部分かもしれない。べてるの家が提唱している「降りていく生き方」というコンセプトも、この価値前提の転換と、大きく関係しているのかもしれない。自分の当たり前にしていた価値前提から「降りる」プロセスを経ないと、「苦悩」は「喜び」に転化できないのかも、しれない。