2013年の三題噺

いよいよ今年も、今日まで。

先週末に早めに実家&墓参り1000キロツアーを果たして、昨日は疲れも溜まって「あまちゃん祭り」を10時間見ていたので、やっと年賀状の印刷を果たせたのが、先ほど。ブログ読者と年賀状の送り先は恐らく殆どかぶらないので、年賀状にも書いていた、今年の三題噺を、少し長めに書いてみよう。
①二冊目の単著が出る
何度もブログやツイッターでも言及しているが、11月に二冊目の単著、『権利擁護が支援を変える-セルフアドボカシーから虐待防止まで』を現代書館から出して頂いた。去年に引き続き、二冊目の単著である。「精力的ですね」と言われることもあるが、確かに一冊目の刊行直後から、この二冊目を何とか2013年度中に出したい、という一心で取り組んで来た。
同書のあとがきにも書いたが、大学院生の頃から「権利擁護」については考え続けてきており、様々な媒体に書き続けた原稿を集めたら、既に4年前の段階で、単著一冊分以上の原稿は書きためていた。その当時、単著が一冊もなかったので、当初はこの本を先に書き上げる「つもり」だった。だが、社会学の大家の恩師から、「一冊目が、全てを決める。いきなり寄せ集め論文で本を出したら、その後、誰も読んでくれなくなるよ」と、ありがたいご助言を頂き、全くその通りだったので、この原稿はお蔵入りしていた。その後、合気道やダイエット、「魂の脱植民地化研究」との出会い、そして3・11の衝撃と様々な出来事に遭遇する中で、気がつけば2012年に『枠組み外しの旅-「個性化」が変える福祉社会』の方を、先に上梓することになった。
そして、この『枠組み外しの旅』を上梓した後だからこそ、視座と根性が定まった。権利擁護について考える上で、支援と支配の近接性や、権力構造の分析など、際どい事を書く必要がある。業界慣れしていくに従って、数年前はそこを「自主規制」していた自分がいた。だが、『枠組み外しの旅』は、そのような自主規制や自らの囚われを「意識化」すると共に、そこから自由になって、より本質的な構造を直視する事を目指した、ある種の理論書であり、自己変革を社会変革とつなげる為の道筋を書こうとした書籍だった。その本を書いたからこそ、権利擁護に関しても、これまで書いた原稿を再度点検し、徹底的に手を入れ、いくつかは全く一から書き直すことによって、魂を込めた権利擁護論を仕上げることが出来たのではないか、と思っている。
あと、一冊目は、自分の世界観を構築する為の文章でもあったため、ゴリゴリと鋭角的な文章だった。「講演はわかりやすいのに、本は取っつきにくい」と批判されることも、少なからずあった。一冊目は理論書的に書いたが、二冊目は実践現場に重ね合わせる形で書いたので、なるべくわかりやすく書こう、と四苦八苦した。予備校時代からお世話になっている田平先生に徹底的に校正に付き合って頂き、半泣きになりながら、言葉をわかりやすく言い換える努力をした。お陰で、「一冊目よりわかりやすい」という評価も頂け、少し胸をなで下ろしている。でも、初版1800部を何とか売り尽くすための、講演時の地道な手売り活動は2014年も続けていくつもり。権利擁護関係での講演は、お引き受けしますよ(^_^)
②合気道で初段を頂く
二冊目の単著と共に、今年の二大目標だったのが、実はこの合気道の初段の審査を通過すること、だった。あこがれの袴を目指して、の稽古に精進していた。
思い起こせば、合気道に入門したのが、2009年の5月。入門当初はうぶな事をブログに書いているが、その時の「楽しさ」はおかげさまでずっと続いている。いや、少しずつ技を身体が覚えるようになってくると、出来る範囲も広がり、楽しさやワクワクがむしろどんどん深まっていった、という方が正しいだろう。週1回の稽古も2回、3回と増えるようになり、いつしか稽古の時間を何とか空ける事を日程調整の柱にし始めていた。
そして、昨年あたりから、「袴を着ける」という目標が、現実的になりはじめた。だが、有段者への審査は、白帯・茶帯の時代の審査とは、格段にレベルも内容も異なる。剣や丈などの武器技が増え、自由技もたくさん出来なければならない。だがそれ以上に、基本の技に対する正確さや丁寧さが、級の時代とは比較にならないほど、求められる。それまでは、何となく力技で投げていた、その所作の一つ一つが、問われる。合気道とは、気を合わせる道。つまり、相手と接点を見出しながら、相手と自分の気を合わせながら、うまく導く必要がある。その際、基本動作をきちんと一つ一つ丁寧に運用していくことで、その気が合う基本が出来る。その部分こそ、実は上達するための、最も基本であり、最も難しい壁なのだ。この1年くらい、その壁を前に、ウンウンと唸っている日々だった。
もちろん、7月の昇段審査の後も、劇的に上手くなった、なんてことはない。でも、袴をはいて、初心者の方と一緒に稽古をする中で、自分が先生や同門の先輩に言われ続けてきたことを、気づいたら口にしている自分がいる。「もっとリラックスして(落ち着いて、ゆっくりと・・・)」とは、僕が常に指摘されてきたこと。それを、初心者の方にお伝えしている自分がいる。僕は、人に教えている時が、最も学べる、OJT型の人間なので、実は合気道の学びは、初段から深まりそうだ、とワクワクしている。
③山登りを始める
合気道で基礎体力と足腰の筋肉がついてきたようなので、発作的に5月くらいから、山登りを本格化させた。実は職場のハイキング隊で以前から何度か誘って頂いていたのだけれど、一冊目の単著が出るまでは、なかなかご一緒出来なかった。だが、今年は少し自分のための時間も確保しようと、月に一度、山登りをスタートさせ、これが結構楽しく、ハマリ始めている。
5月 茅ヶ岳(1703m)→6月 鬼ヶ岳(1783m)→7月 瑞牆山(2230m)→8月 東天狗岳(2640m)+甲斐駒ヶ岳(2965m)+赤岳(2898m)→10月 乾徳山(2031m)→11月 小楢山(1712m)
こうして記録を改めて振り返ると、結構沢山登っていますね。ちなみに東天狗岳以外は、全て一人で登っている。
山梨って、実は3000m級の高度な山から、1500mくらいの手頃なハイキングコースまで、沢山の山登りが出来る場所だったことに、今まで住んでいて、全然気づいていなかった。職場の同僚にハイキング隊に誘ってもらい、でも仕事も一杯一杯だったので、なかなかそこから一歩が踏み出せなかった。でも、単著二冊目に取りかかり、合気道も初段審査の近づいた5月の連休辺りに、発作的に「山登りって楽しいかも」と思い立ち、アウトレットでハイキング用のシューズを買い求め、発作的に登り続ける。合気道と同じで、これもすごく楽しい。で、色々装備を少しずつ揃えながら、東天狗岳を登る際、ハイキング隊の隊長に「タケバタさんなら一人で登れるんじゃない」と太鼓判も押され、調子に乗って甲斐駒ヶ岳と赤岳を夏に本当に制覇。すごく嬉しかった、のだが、軟弱なハイキングシューズでの下り坂は随分と危険で、右足の親指と薬指に血豆を作り、結局親指の爪は剥がれて、今小さいのが生え替わりつつある。そんなアクシデントにも見舞われた。
その後、本気のトレッキングシューズも買い直し、その後も登り続けている。合気道に続き、二つ目のハマる趣味が出来てしまった。まあ、そうは言っても、基本は日帰りで天気の良い日にしか登らない、という軟弱スタイルだけれど、それも良し。実は1年前にハイキング隊の隊長に甲斐駒ヶ岳の麓まで連れて行ってもらうも、整備不良で引き返す、悔しい思いをしたが、今年はそれに完全にリベンジ出来た。
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あと、地域包括ケアシステム関連の仕事で、色々な現場の人々とのコラボレーションが面白くなったり、いろいろ書き足りないことはあるけれど、これくらいにしておこう。

来年も、もっとワクワク出来ますように、と願掛けして、今年最後のブログとします。

みなさま、良いお年をお迎え下さい!

『台湾海峡一九四九』雑感

「人生はときにどこかで誰かの人生と交差する。しかし偶然の一点で交わったあと、それぞれの方向へと遠ざかり、すべてはぼんやりとした全体に含まれて、消える。」(龍應台著『台湾海峡一九四九』白水社、p332)

戦争にまつわる記述は、どちらかといえば「読まず嫌い」のジャンルだったのだが、今年の正月に読んでブログにも感想を書いた『沖縄の記憶-<支配>と<抵抗>の歴史』以来、ジョン・ダワーや色々な著者の本を、ぼちぼち、読んでいる。僕は為政者や政治家、軍幹部がどう考えたか、という大局的・戦略的記述(=ドミナント・ストーリー)より、戦争時代に、一人の個人が、どのような境遇で、何を考え、どう翻弄されたか、という「小さな物語」に、なぜか興味がある。
今回密林をブラウジングしていて、偶然出会ったは、台湾出身の女性作家による歴史ノンフィクション。自らの両親のルーツを辿る物語からスタートさせて、やがて中国・台湾・香港・マレー半島で、1949年を軸に、時代がどのように動き、その時代の波に人々がどう翻弄されたのか、を多くの「当事者」の証言を元に織り上げていく。彼女のドイツ人との息子、フィリップ君が19歳の時、学校の宿題でオーラルヒストリーを習って、龍さんのファミリーヒストリーを聞こうとした時、彼女がこれまで直視してこなかった、一九四九を巡る大きなうねりを、彼女なりに書いてみよう、と思い立った。抗日戦線をそれぞれ戦った国民党軍と共産党軍が、日本軍なき後、両者による内戦につながっていく。その過程で、昨日まで共産党軍だった兵士が、捕虜になり、国民党軍の一員として銃を持たされた。その逆もある。しかも、中国人兵士の多くが、誘拐された元農民である。彼らが、中国本土から台湾へ、台湾からマレー半島へ、様々な形で強制的に運ばれていった。そんな、戦闘や強制収容された経験を持つ市井の人々に、丹念に聞き取りをする中で、「偶然の一点で交わった」、その時代の「交差」ポイントを描こうとする。
「どんな物事であろうと、その全貌を伝えることなど私にはできない。フィリップ、わかってくれるだろうか? 誰も全貌など知ることはできない。ましてや、あれほど大きな国土とあれほど入り組んだ歴史を持ち、好き勝手な解釈と錯綜した真相が溢れ、そしてあまりのスピードに再現もおぼつかない記憶に頼って、何をして『全貌』と言えるのか、私にはひどく疑わしい。よしんば『全貌』を知っていたとして、言葉や文字でどうしたら伝えられるのか。たとえば、一降りの刀で頭を真っ二つに切られたときの『痛み』をどう正確に記述するのか? またその『痛み』と、遺体にしがみつく遺族たちの心の『痛み』を、どう比較分析するのか? 買った側の孫立人郡長は、殲滅された敵軍の死体を見て涙を流した。それも『痛み』というのか?それとも別の何かなのか?
だから私が伝えられるのは、『ある主観でざっくり掴んだ』歴史の印象だけだ。私の知っている、覚えている、気づいた、感じたこと、これらはどれもひどく個人的な受容でしかなく、また断固として個人的な発信だ。」(同上、p161)
この本が400頁を超える大著なのに、一気に読み進められた最大の理由。それは、これが龍さんの「個人的な発信」である、という点だ。俯瞰的に歴史を眺めながらも、あくまでも龍さんや出会った人や資料と対話する中で、彼女の記憶や感覚とリンクしながら、一九四九を挟んだ大きな時代の奔流を、彼女の「主観でざっくり掴んだ」物語として描ききってくれたからこそ、中国の内戦のことを殆ど何も知らなかった日本人の僕にも、スッと受け止められる。第二次世界大戦や日中関係については、「あれほど大きな国土とあれほど入り組んだ歴史を持ち、好き勝手な解釈と錯綜した真相が溢れ」ているが故に、理解しようとしても、「とりつく島」がなく、最初の一歩が踏み出させなかった。でも、龍さんが出会った、着目した市井の人々の「痛み」を巡る物語に立ち会う中で、中国や台湾、日本という文化的な差を超え、一人の人間の人生が翻弄されていく悲劇を、我がことのように共感し、共に「痛む」ことができた。そういう意味で、希有な作品である、と感じた。
香港や台湾、そして沖縄など、戦争と被支配の痕跡がある街を、気づけば旅することが少なくない。今までは旅先で現地人のご老人に出会っても何とも思わなかったが、これからは、市井の人々が関わったかもしれない、激動の時代の痕跡を、思い浮かべながら旅をするかもしれない。
*ちなみに龍さんへのインタビュー記事もネット上にあります。

関係性の捉え直し(増補版)

先週末は、大阪で二つの濃厚な講演会に参加した。

この二つの講演会をつなぐキーワードは、わたしとあなた、を巡る関係性をどう捉え直せるか、という点にある。忘れないうちに、そのあたりを少し考えてみたい。
13日は、イタリア・トリエステの精神医療改革に取り組んだペッペ・デラックアさんが、現象の背景にあるパターンや構造について熱く語っていた。(イタリアの改革については、僕も以前紀要に書いた事がある)。
その中で特徴的だったのが、冒頭に語られた、「強制治療下においては、人間がいない」という指摘だ。精神病院では、「人」はおらず、「モノ」として扱われている、と。だから、非人間的処遇もまかり通る、と。そして、強制医療施設の扉を開く、とは、モノの処遇から、人の処遇へと返ることである、と。これは重要な指摘である。
精神科病院や入所施設の持つ権力構造を分析した社会学者ゴッフマンは、その特徴を次の4点として指摘している。
①生活の全てが同じ空間で一元管理されている。
②一元管理の下で、プライバシーは存在しないか極端に軽視されている。
③毎日の全活動が決められたスケジュール通りにとり行われている。
④強制される全ての活動は、各施設の設置目的を遂行する意図で想定されている一貫した流れに基づき、計画されている。(Goffman, 1961:6、拙訳)
この4つは何を物語っているか。それは、強制的に入れられている・あるいは実質的にそこしかないと思い込んでいる(込まされている)場所で暮らし続ける(=特定の居住施設で生活する義務を実質的に負っている)と、当たり前の市民としての権利を奪われてしまう、ということだ。そして、当たり前の権利が奪われた状態で暮らしていると、支援者と障害当事者の関係性は、いつの間にか「お世話してあげる人」と「支援してもらう人」という非対称性が強まり、ひいては支配-服従の関係につながる、ということだ。で、支配者は服従者を人として扱わず、モノとして扱う。その際、服従する事を良しとせず、支配者に必死に反抗しようと声を荒げたり、拒否的反応をすると、「問題行動」「強度行動障害」「暴力行為」とラベルが貼られ、縛る・閉じ込める・薬漬けにする、という「対抗手段」がとられる。これが、強制治療に関する最大の悪循環である。しかも、その際、縛る・閉じ込める・薬漬けにする行為を行う支配者側のスタンスは、問われる事はない。「治療行為」「支援」という正当化言語の枠内に収まってしまう。
ペッペさんが問いかけたのは、この治療者の正当化言語そのものに対する問いかけだ。治療や支援の文脈の中で合理化・正当化される隔離や拘束、薬物治療。これらの「もっともらしい言語」を使ってみても、やっていることの実態は、市民の権利を著しく制約・剥奪すること。で、そのような制約・剥奪をせずに、本当の支援をするにはどうすればいいか、を徹底的に考え抜くのがトリエステ流のやり方だ、と受け取った。興奮したり攻撃的になるには、訳がある。「精神病(強度行動障害、認知症、BPSD、発達障害)だから」とラベルを貼って「わかったふり」をすることなく、ある行為をする背景に、どのような生きる苦悩の最大化が潜んでいるのか、を徹底的に当事者と支援者が共に考えることで、自分を傷つけたり他人に危害を与える前に、その前兆の段階で芽を摘む支援へと導く。もちろん、言うは易しだが、実践はすごく大変であることは想像できる。でも、専門知識を持つあなたと、生きる苦悩が最大化して困っている私。この二者が出会うとき、あなたが私の生きる苦悩に寄り添うことなく、私の一種のSOSのサインとしての行動や状態のみに目を向け、それにラベルを貼り、そこにしか対応してくれないならば、私の苦悩はさらに深まり、状態は悪化する。私が悪くなる初期段階で、あなたは支配者ではなく、支援者として、その苦悩を減らす・苦悩が悪化し行動化するのを食い止める支援をしてくれたら、もっと救われるのに。
こんな風に彼の発言やイタリアの実践を受け止めてた。だが、これは現在の主流となる精神医療のパラダイムとは、全く異なる。
現在の精神医学の主流は、アメリカ精神医学会が作っているDSM (Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders)に大きく依拠している。訳せば「精神障害の診断と統計の手引き」となる。このDSMは、アメリカ中の、そして他国の医師が診察しても同じ診断が下せるように作ったガイドラインである。ということは、裏を返せば、このガイドラインが出るまでは、文化間・医師間での診察はバラバラだった、ということだ。だから、一定程度の標準化・規格化が求められた。つまり、DSMとはあくまでも診断や統計の手引きであり、一つの方法論である。
だが、この方法論が現在、ずいぶん自己目的化しているように思える。たとえば他科と同じように、診断名やカテゴリー分類さえ出来たら、その標準化された治療方法に沿った投薬をすることで、問題は解決する、というクリティカル・パスが導入されている。でも、双極性障害でもアルツハイマー病でも、その症状の現れ方は千差万別。投薬は統計学的に標準化可能化もしれないが、関わり方は、標準化不能である。精神障害を抱えて暮らす、という部分では、治療と支援の双方が必要不可欠だ。その際、治療はある程度標準化可能でも、支援は個別のニーズに合わせながら、支援者のあなたと当事者の私が出会う中で、その関係性の上で成り立つ標準化不能な生命現象である。この部分を、標準化可能であるかのように思い込むから、「一元管理」のような発想が出てくる。そして、そのような集団管理や一括処遇は、一人一人と向き合った支援ではない(=市民としての権利を疎外する)ものだから、当然、本人は納得しない。故に、反発する。その正当な反発に「問題行動」「攻撃性」などのラベルが貼られる。すると、支援や治療のまずさが、いつの間にか本人の問題にすり替えられ、更なる悪循環に陥る・・・。
だからこそ、まずは対象者を「病者」というモノ扱いをせず、どのような人間的な苦悩なのか、に向き合う為にも、強制医療の扉を開く必要がある、という。つまり、卵が先か鶏が先か、の論で言えば、強制医療を最小化することこそが先だ、という議論になるのだ。
「常識」を問い直すことにより、あなたとわたしの関係性が変わる。これは『枠組み外しの旅』でも考えたことだが、実は加害者と被害者の関係性でも同じである、と気づき始めた。
15日の講演会では、西鉄高速バスジャック事件被害者の山口さんと、池田小学校襲撃事件の被害者の主治医であり、時には加害行為をする精神障害者の主治医でもある大久保さんの二人が講演した。このお二人の話は、実に濃厚で、かつイタリア精神医療改革の話と、根本的には通じる部分があった。
山口さんは、バスジャックの犯人の少年に何度も切りつけられ、殺される寸前にまで至った。でも、死刑廃止を求めている。その理由はなぜか。それは、実際にバスの中で少年と出会った際、「モンスター」「悪魔」とは思えなかったから、という。他人事には思えなかった。不登校している娘さんの事も重なり、「少年はこんな事をしなければならないほど、追い詰められている」と共感出来た。すると、相手の背景を納得してしまうと怒れなくなった、という。実際、山口さんは事件の示談の際、「もし少年が会ってくれるなら、私は会いたい」と伝え、その後少年との面会も果たした。そして、事件の後、不登校の子ども達の居場所作りの活動を続けている。「あなたは、あなたでいい」という「ありのまま」の関係性を作る活動が、バスジャック事件の少年のような追い詰められた子どもを作り出さない為にも必要不可欠だ、との確信を持っておられるようだ。
また、池田の開業医の大久保さんは、これまで講演では語ってこなかった池田小学校事件の後のケアの実情や、そこから考えた事を講演で話してくださった。また、虐待やトラウマを抱えた人のケアもするなかで、「不条理」という考え方をどう捉えるか、という根本的な問いを提起する。「不条理」とは、本来理解できない、わけのわからない事態のこと。そこに巻き込まれた時、それを何とか理解するための言葉として、「責任」概念が出てくる、という。だが、この責任概念に基づき、その判断を司法に委ねることで、被害者と加害者は分断され、あとは加害者と司法の二者関係になり、被害者はその二者関係から疎外され、蚊帳の外に置かれる。被告人の人権が軽視されている、という問題構造はここにあり、司法による疎外状態から回復する必要が求められている。それは、被害者の人権の重視・軽視の問題とは全く別次元の話であり、そこを混同してはならない。被害者もその怒りをどこにぶつけてよいかわからないから、加害者への「責任」論になっている部分もある。
このお二人のお話を伺う中で、「被害者と加害者」という位置づけは、支配と服従、のような二項対立的な部分とも、ある種、通じる部分がある、と感じ始めている。犯罪や加害行為はあってはならない。がゆえに、その許されない事が起こってしまった場合、不条理や大きな不幸に突然見舞われた被害者は、絶望的な気持ちになる。その際、山口さんや大久保さんの話を伺いながら感じたのは、不条理の後にどう生き延びるか?という「問い」だと感じた。絶望的な不条理に見舞われながら、その後の人生をどう主体的に生き延びるか? その際、加害者を恨み、責任者出てこいと追求する「被害者」の位置づけに固定されてしまうと、それ以外の人生が全て奪われてしまう。突然の、あってはならない、とんでもない不条理や大きな不幸。だが、それに見舞われた人が、それをどう自分の人生の中に落とし込み、再び生き続けるのか? 山口さんは、それを自分の中で何度も問い続け、講演活動などを通じて、単なる「被害者」役割を超えた、山口さんという人生の主人公として生き延びておられるように、お見受けした。
大久保先生は、加害と被害とは「突然、大声で呼びかけられてしまった関係」とも語っていた。出会いたくなくても、不条理にも出会ってしまった関係。それを、憎しみや恨み、怒りという関係だけで「被害者」の位置づけに固定化されると、被害者は、それ以後の人生を、自分のものとして生きにくくなる。同じように、加害者も、罪を償ったあと、人間として更正していく旅に出る必要がある。つまり、被害と加害の関係を、善と悪の二項対立の物語で「わかったふり」をすることは出来ない。被害者も、加害者も、その被害者・加害者役割に同定されることなく、どうそれ以外の人生を生き直すことができるか、で、二人の物語は大きく変わる。
この部分を、先の医療者のあなたと、支援を受ける私の二人の物語の書き換え、と重ねてみると、どんなことが言えるだろう。その為に、ジャーナリスト佐々木俊尚さんの補助線を使いたい。
「本来われわれは絶対者ではない。絶対的な悪でもなく、絶対的な善でもない。その悪と善の間の曖昧でグレーな領域に生息している。しかしそのグレーな領域で互いの立ち位置を手探りでたしかめている状態、その状態こそが当事者である。われわれはそういうグレーな領域のなかに生息することで、つねに当事者としての立ち位置を確認する。グレーな領域こそが、インサイダーの本質なのだ。そしてこのグレーを引き受けることこそが、社会をわれわれ自身で構築するということにほかならない。」(佐々木俊尚『当事者の時代』光文社新書、p361)
絶対的な悪や絶対的な善はない。グレーな領域で生きている私たち。しかし、医療者側、被害者側に立つと、その役割を引き受ける時点で、「善」の立場が覆い被さる。そして、問題行動を起こす患者や加害者は「絶対的な悪」とカテゴライズされやすい。だが、「絶対的な悪でもなく、絶対的な善でもない」という原則に立ち戻るならば、私たちが陥る二項対立図式から、逃れられるかもしれない。とはいえ、わかりやすい勧善懲悪やパターナリズムを拒否し、「グレーな領域」に居続ける、ということは、ずっとその意味を考え続けなければならない、ということでもある。
「あなたは悪い、私は悪くない」
こう白黒はっきり付けた方が、わかりやすい。でも、それでは、グレーであることを拒否し、いつしか社会を他人事の視点で眺めることになりはしないか。そして、他人事の視点から、自分事になってしまった人に対して、勝手に批評家的に「あいつは悪い、こいつは悪くない」とラベリングして、「わかったつもり」になっていないか。さらに言えば、この「わかったつもり」の善悪の判断こそが、真の理解や本物の再犯防止、あるいは問題の最小化を阻む、最大の壁なのではないか。安易に他者の枠組みやラベリングでわかったふりをせず、「グレーな領域」で考え続けることとは何か。
そんなことを、グルグルと考え続けている・・・。

根源を問い直すソーシャルワークへ

僕はソーシャルワーカーでもないし、ソーシャルワークの正式な教育を受けてはいない。だが、大学院時代に精神科ソーシャルワーカー117人にインタビュー調査をした博論研究に端を発し、ソーシャルワーカーとは何か、ソーシャルワークが社会に果たす役割とは何か、を気づけばずっと考え続けてきた。今も、地域包括ケアシステムの推進という文脈で、コミュニティ・ソーシャルワークの可能性や、そこでソーシャルワーカーがどう変容すべきか、ということを、現場のワーカーと一緒に考えている。

とはいえ、率直なところ、博論を書いた後、最近あまりソーシャルワークの専門書を読んでいなかった。理由は簡単。ワクワク出来る本がそんなに多くないからだ。技法論の栄枯盛衰は色々あって、生態学的アプローチからリカバリーまで、色々読んでいるけれど、ソーシャルワーク魂が感じられる本に、最近なかなか出会えなかった。だが、久しぶりにワクワクする専門書と出会った。
「過去20年にわたるソーシャルワークへの新自由主義的な攻撃の主要な方向の一つは、ソーシャルワークの教育と実践から『ソーシャルワークの価値をめぐる話題』を削除もしくは格下げしようと企てることであり、またソーシャルワーカーを倫理中立的な職務を遂行する社会的技術者もしくは社会的エンジニアとして再構築しようと企てることであった。しかし、このような企ての意図に反して、ある社会集団を悪魔とすることを含む新自由主義的アプローチは、結局のところ、ソーシャルワークの価値の核となる部分を切り崩すものとして人々に経験され、この経験が、幅広い層のソーシャルワーカーに不満を抱かせ、社会正義と社会連帯に基づいたソーシャルワークの形態に回帰することを求める声が広がっている。」(イアン・ファーガソン『ソーシャルワークの復権』クリエイツかもがわ、p228-229)
何がワクワクするって、最近のソーシャルワークに感じていた不全感そのものをテーマに挙げていたからだ。イギリス人の著者は、精神保健サービス領域のソーシャルワーカーの現場経験を持つ研究者である。イギリスのサッチャリズムやニューレイバー、その背後にある新自由主義的アプローチが、ソーシャルワークのどの部分を変節させたか、を巧みに分析し、何がソーシャルワーク魂を矮小化させているか、をあぶり出す名著である。
この著者は、ケアマネジメントがマネジド・ケアの流れを組む費用抑制的色彩があること、それゆえ個人にのみ着目し、社会的な構造の問題に着目しなかったことを、「倫理中立的な職務を遂行する社会的技術者もしくは社会的エンジニアとして再構築」する営みだ、と厳しく批判している。また、新自由主義的なアプローチは、社会的弱者を「依存する人」という文脈で、「ある社会集団を悪魔とすること」のラベリングを行っている、とも指摘している。その上で、「倫理的中立」を超え、「ソーシャルワークの価値の核となる部分を切り崩」す営みに反旗を翻すことこそ、「ソーシャルワークの復権」にとって必要不可欠だ、と整理している。そして、その際の「価値の核」となるものとして、1970年代に世界各地で広がったラディカルソーシャルワークの「遺産」を次のように整理している。
「①中核的な思想として、「抑圧された立場にある人々を、彼ら・彼女らの生活の社会的・経済的構造の背景から理解する」という特有の信念がある。その信念は、1980年代から1990年代に及ぶ反抑圧実践の発達を活気づけた。
②ワーカーとクライエントの間のより対等な関係への要求である。それは共通する利害の認識とクラエイエントの経験の尊重とに基づいたものであり、10年後の利用者参加の発展を先取りしていた。
③主流のソーシャルワークにおいて留意されることが次第に少なくなっていった集団的アプローチの重視である。それは、1980年代のサービス利用者運動の発展、特に障害者運動や精神保健サービス利用者運動の発展に反映されていた(それらには専門的ソーシャルワークの関与はほとんどなかった)。」(同上、p181)
この3点も、僕自身にとっては実にすんなりと頷ける部分である。
①に関しては、パウロ・フレイレが『被抑圧者の教育学』で取り上げた事であり、僕の単著一冊目の『枠組み外しの旅』でも「反ー対話」と「対話」の対比で取り上げた視点である。また、イタリアの精神医療改革の先駆者、フランコ・バザーリアが重視したのも、精神病に人々を追い込む社会構造について、であった。このことも以前ブログに「個人的苦悩」に対する「社会的苦悩」に絡めて書いたことがある。
②についは、二冊目の拙著『権利擁護が支援を変える』の中で、「支配」と「支援」の違いについて論じた部分でも取り上げた内容もあった。専門家主導がいつの間にか専門家「支配」に簡単に転化しやすいこと、それを防ぐには、ワーカーとクライエントが相互主体的に関わり合う中で、お互いの認識も共有され、クライエントの経験も尊重される、ということである。この点も、以前ブログで「問題行動」と「相互主体」を絡めて考えたことがある。
③については、システムアドボカシーというのは集団的アプローチそのものである。これについては、僕自身がNPO大阪精神医療人権センターに大学院生の時から関わった中で教わったことだし、障がい者制度改革推進会議の総合福祉部会にコミットした時は、ある種、システムアドボカシーのお手伝いの側面もあった、と理解している。
つまり、僕自身、このラディカルソーシャルワークの「遺産」を、実は勝手に引き継いでいる(つもりになっている!?)人間の一人だったのだ、ということを、この本を読んで初めて気づいた。だからこそ、ワクワクするのは当たり前である。
一方で、ソーシャルワークの新自由主義的な「変節」の中では、「選択」や「利用者エンパワーメント」という、一見聞こえの良いフレーズが繰り返されてきたが、それは方法論的個人主義と合理性、市場の優位性という新自由主義の文脈の枠内でのみ、活用されたフレーズであったことを筆者は喝破している。
「『自己利益を追求するために個人
は常に合理的に行動する』という考え方は、社会的ケア市場の消費者としてのクライエントやサービス利用者の在り方を再構成する根拠とされてきた。」(p49)
ダイレクトペイメントという現金給付やパーソナルアシスタンスも、社会運動的な側面で出てきたものである一方、『自己利益を追求するために個人は常に合理的に行動する』という新自由主義の枠組みに適合的であるがゆえに、政策として採用された部分もある。この政策適合性の背後にある社会構造的な枠組み(=新自由主義)の価値前提そのものへの問いが、根源を問い直す、ラディカル・ソーシャルワークにつながる。それは、貧困や障害、病気を「個人の不幸」と矮小化させず、社会構造の問題と捉える「障害の社会モデル」とも通底する視点である。
こう考えてみると、「ソーシャルワーカーを倫理中立的な職務を遂行する社会的技術者もしくは社会的エンジニアとして再構築しよう」とする「企て」とは、ソーシャルワーカーに対して、政策価値に関しても「中立」、いや「忠実」な「社会的技術者」でいなさい、という服従の論理にも見えてくる。厚労省関係者が喧伝する地域ケア会議の実態が、自立支援にケアプランがなっているかどうかをチェックする「お白砂会議」になっているのは、予算削減(=マネジド・ケア)という政策遂行者の価値に「忠実」である事をケアマネに求めている事態そのものである。そのような「価値前提」そのものを「根源を問い直す」営みをソーシャルワーカーがすることは、ある種、現状肯定の論理に関しての価値破壊的側面があるのかもしれない。だが、本来の「本人中心=当事者主体」の論理を貫くならば、そのような現状の政策の根源を問い直すことこそ、必要不可欠とされている。そして、それをソーシャルワーカー自身が問いかけることこそ、求められている。
厚労省が言う、地域包括ケアシステムにしても、総合支援法の見直しにしても、あくまでも政策遂行者の論理に過ぎない。その論理を鵜呑みにする時、それはアドボカシーの価値や理念を忘れた、「社会的技術者」である。ほんまもんのソーシャルワーカーなら、政策遂行者の論理そのものに対しても、当事者主体という自らの「価値前提」を通して、自分の頭で考え直し組み立て直すべきだ。そんな気概を、この本から受け取ったバトンとして記しておく。僕はソーシャルワーカーではないのだけれど・・・。
追記: この本については、山森先生がわかりやすい書評を書かれています。僕とは着目点は違いますが、学びの多い書評です。

密画と略画の重ね描き

「正しさ」を疑うことは、簡単なことではない。
特に、自らが寄って立つ基準にしている「正しさ」、以前から空気のように当たり前に思っている「正しさ」。それらが、「もしかしたら違うかも知れない」と言われると、自らの土台が崩されるようで、「ほんまかいな!」「そんなはずはない!」と絶叫したくなる。
例えば、311や原発災害の後、言われているのは、「科学万能主義」への大いなる懐疑である。「専門家」と称する人が、原発災害について、それこそ全く違うことを言っている。それぞれが根拠とする数値や「科学性」を根拠に、「安全」「危険」など異なる価値表明をしている。その価値表明に、一喜一憂しながらも、本来「唯一の正解」を出せる「はず」と思っていた科学者達が、現実に対してこうも違う見解を述べる事に、大きな違和感を感じている。
その中で、哲学者の大森荘蔵の言う「科学は常識に密着したより詳しいお話」という考え方をヒントに、生命誌研究家の中村桂子さんは、「まずは一人一人が『自分は生き物である』という感覚をもつこと」の重要性と、そこから近代科学を問い直す論考を提示してくれいる。
中村さんは、大森荘蔵の「略画」と「密画」を、「常識」を問い直すキーワードとして提示している。
「日常、自分の眼で物を見、耳で音を聞き、手で触れ、舌で味わうという形で外界と接している時に私たちが描く世界像を、大森は『略画的』と呼びます。(略)それに対して、近代科学が生まれたことにより可能になった世界の描き方を、大森は『密画的』と呼んでいます。『密画』は、(略)ここでは可能な限り最小の単位まで還元し、分析的にものを見ていく見方を指しています。基本的に科学は密画を描くものであり、世界を密画化していく、というのが大森の考え方です。」(中村桂子『科学者が人間であること』岩波新書、p98)
これはすごくよくわかる二分法である。日常的には、僕たちは「略画」の世界で生きている。そこでは好き・嫌いや五感が大切にされる、はずである。だが、一方で、僕たちは近代科学の「密画」世界も徹底的に「学習」して、それを常識(=略画世界)の中に取り込んできた。賞味期限とか、平均体重とか、正常値の範囲内とか、そのような数値化・標準化可能な「分析的」な「密画」のデータを、日々の生活(=「略画」)の世界に取り込んできた。テレビでも毎日、そんな「密画」を紹介したり、それを取り込むバラエティ番組や情報番組で溢れている。その中で、ある価値転倒が生じている、と中村さんは指摘する。
「重要なことは、『科学的』だからといって、密画の方が略画よ『上』なわけでも、密画さえ描ければ自然の姿が描けるわけでもないということです。密画を描こうとする時に、略画的世界観を忘れないことが大切なのです。」(同上、p109)
これは、科学(=「密画」)を万能と捉え、何でも科学で説明出来るはずである、というある種の「科学信仰」と、その裏表の関係として、科学を否定し科学を敵と見なす「略画信仰」の双方に対する批判である。つまり、密画と略画は、どちらが優れている訳でも、どちらか「だけ」が大切な訳でもない。その両方が併存する中で、初めて人間理解が進み、より良い暮らしへのヒントも得られる、という視点である。これは、「密画」(=科学)万能主義を唱える機械論的世界観が、人間を「死物化」したことへの批判でもあり、その一方で、人間的復権を求める「略画」万能主義は、近代科学が成し遂げた「より詳しいお話」を全否定するという意味で、蒙昧にならないか、という指摘である。
では、どうすればいいのか? その時に大切なのが、「重ね描き」である、という。
「科学で『知る』ことによって自然を全て理解することはできないとしても、それは大きな問題ではありません。科学の役割は、密画を略画に重ね合わせることえで、自然(人間・生命を含む)のわかり方がより豊かになることを楽しめるようにすることなのですから。密画と略画を重ねて見えてくる全体像をもとに、自然・生命・人間について考える世界観を、機械論的世界観に対して、『生命論的世界観』と呼ぶことにします。これは人間が本来持っている略画的世界観に近いもの、というよりそれと同じと言ってもよいと思うのですが、ここに密画を重ねることを拒まないという新しい視点を入れます。」(同上、p138-139)]
ふだん生命論とか自然科学系の本をあまり読まない僕なのだが、この部分の記述を読んで、「ああ、そうだよなぁ」と深く納得した。そして、これは前回のブログの最後で書いた部分と重なる、と感じている。ちょっと、引用してみたい。
「僕が書いていることは、一見すると論理に飛躍があり、非科学的に見えるかもしれない。でも、そのパンを美味しいという人がいて、その支援で助かったという人がいるならば、その「目に見えない(=非線形的)」理由に基づいていても、「目に見える結果」を重視すべきではないか。科学を否定するのではない。科学のみが万能である、という科学万能主義のパラダイムこそ疑い、「美味しいパン」「満足できる支援」という成果を徹底的に追求すべきではないか。」
「腐る経済」に基づいて、天然酵母に基づく美味しいパン作りをしているタルマーリーさんの実践と、入院しかないと言われていた重度精神障害者を訪問支援チームで支え続けているACT-K。この双方の実践は、「密画」的世界の限界を、ある種、超えている。
「『腐らない』食べものが、『食』の値段を下げ、『職』をも安くする。さらに、『安い食』は『食』の安全の犠牲の上に、『使用価値』を偽装して、『食』のつくり手から技術や尊厳をも奪っていく。」
これが、「腐らない経済」=近代資本主義経済の基本だった。そしてそこには、計量経済学や様々な密画的な技法が駆使され、べらぼうな額の「腐らない」金銭取引が日夜続いている。それが利潤と貧困を大きくしてもいる。だが、タルマーリーさんの実践は、その「腐らない経済」を否定するのではない。「密画」世界の中で成立した「どんな山奥から東京までも1日でパンが運べる」ロジスティックや、山奥の店でもインターネットで全世界に発信できる通信網などのお陰で、タルマーリーさんのファンは増えてい
る。同じように、ACT-Kだって、薬物治療を否定する「反精神医学」ではない。そうではなくて、投薬による治療をチーム医療の方法論の一つと捉え、それ以外の「寄り添う支援(=「ひとぐすり」的なサポート)を展開する事で、幻覚や妄想に苦しんだり、医療中断で症状が悪化した人を、強制入院という非人道的な処遇に戻さず、地域の中で支え続ける方法論を見出したのである。
これは「密画」という科学に基づく世界観の否定ではない。そうではなくて、「密画」の限界を知り、「密画」だけで対処出来ない領域を、「略画」の世界でカバーする「重ね描き」をする中で、ほんまもんの「おいしさ」「満足できる支援」を作り出す、というシステムなのである。「密画」のみを「信仰」するならば、「菌を豊かに育てるためには新築よりも古民家の方がいい」「悪霊に苦しんでいる当事者には一緒にお札を貼ってみる」という行為や発言は、「密画」の外にある世界観故に、「非科学的だ」と一笑に付されることも少なくない。だが、それはあくまでも「密画」以外の世界を「ない」とする、一つの信仰である。「密画」世界に「のみ」拘泥せず、密画と略画を「重ね描き」する実践を通じて、現にそれで「おいしい」「満足できる支援」が展開されているのに、それを標準値から逸脱した「例外的事象」と割り切ってしまう考え方こそ、「非科学的」とは言えないだろうか。
「科学は常識に密着したより詳しいお話」というスタンスに立ち戻るなら、その「より詳しいお話」には様々なバリエーションがありうるということ、そして「詳しいお話」だって、軌道修正が必要なことがあること、密画と略画の重ね描きが双方の「お話」の世界観をより豊穣にしてくれる可能性があること・・・これらの「生命論的世界観」こそが重要視されているような気がする。そして、自然科学を社会科学と言い換えるなら、「密画」の絶対信仰からの脱却としての現象学的還元は、拙著『枠組み外しの旅』の重要なテーマでもあった、ということを、最後に付け加えておく。

「腐る経済」と本人中心支援の共通点

ここ一ヶ月、落ち着いてブログ更新が出来なかった。先週末、新刊の『権利擁護が支援を変える』も上梓され、やっと一息付ける。で、今日のテーマは昨日の朝、京都駅の本屋で買い求め、甲府に帰り着く間に一気に読み終えた一冊から。

「『腐らない』食べものが、『食』の値段を下げ、『職』をも安くする。さらに、『安い食』は『食』の安全の犠牲の上に、『使用価値』を偽装して、『食』のつくり手から技術や尊厳をも奪っていく。(略) そしてもういひとつ。時間による変化の摂理から外れたものがある。それが、おカネだ。おカネは、時間が経っても土へと還らない。いわば、永遠に『腐らない』。それどころか、投資によって得られる『利潤』や、おカネの貸し借り(金融)による利子によって、どこまでも増えていく性質さえある。これ、よく考えてみるとおかしくないだろうか? この『腐らない』おカネが、資本主義のおかしさをつくりだしているということが、僕がこの本で言いたいことの半分を占めている。」(渡邉格著『田舎のパン屋が見つけた「腐る経済」』 講談社 p74)
渡邉さんは、岡山の勝山で「タルマーリー」というパン屋を営むご主人。経営理念に「利潤を出さないこと」を掲げ、辺境革命を冒頭では宣言している。その革命の原動力が、表題の「腐る経済」だと言う。食の偽装が次々と暴露される昨今、マルクスの資本論も引きながら彼が整理する、「腐らない」食べものの問題点についての指摘は、実にアクチュアルである。そしてそれは、彼がイースト菌や偽装された天然酵母と決別し、ほんまもんの発酵や菌と出会う過程の中で気づかれた、現場からの叡智である。そして、ほんまもんの天然菌に基づく酒種パンを作り上げるためには、菌を変えるだけでなく、菌に馴染みやすい地元の自然栽培の麦や美味しい水が不可欠であることや、そのような「菌の声」に基づく「菌本位制」のパン作りをするならば、安く大量に作るという「腐らない経済」とは決別し、「パンを正しく高く売る」必要がある、という。
この「菌本位制」の「腐る経済」の話はめちゃくちゃ面白いので、ご興味がある人は是非とも手にとって読んでほしいのだが、僕はこの本を読みながら、僕自身が考えてきた「支援」の世界にも共通する話だ、と興奮していた。
それは、「腐らない経済」が障害の「医学モデル」に代表される科学万能主義に、そして「腐る経済」が「関係性」と「生命現象」を重視する、障害の「社会モデル」やナラティブ世界と通底している、と感じ始めているからである。ちょっと整理してみよう。
近代科学やそれを内包した20世紀型の「医学モデル」は、線形的な因果関係を重視してきた。AならばB、という時、Aが原因でBが結果、というモデルである。そして、その流れは標準化可能であり、ゆえに画一化と効率化の対象にもなる。ベルトコンベアー式労働とは、手工業の複雑なプロセスをできる限り因数分解し、原因と結果という細かい線形のパッケージに組み立て直し、各部分のみを分担する分業制を徹底化させる中で、職人の熟練を、未熟練の単純作業に分割した。その上で、それは機械労働や低賃金国での単純労働にどんどん置き換わっていく。「安く」「大量に」というこの高度消費社会のメカニズムの中で、生産者の尊厳はどんどん劣化していく。渡邉さんの先の発言の「食」を「モノ」に置き換えると、こんな風にもいえる。
「『腐らない』モノが、『モノ』の値段を下げ、『職』をも安くする。さらに、『安いモノ』は『モノ』の安全の犠牲の上に、『使用価値』を偽装して、『モノ』のつくり手から技術や尊厳をも奪っていく。」
食品偽装の前には建築偽装など、日本人は勤勉で生真面目、と言われて、もの作りニッポン、なんて言われた時代も凋落しつつあるが、その背後には、大量生産や大量消費を煽り、「腐らない」おカネ(=利潤)を大量に生み出すことを目的にした、「腐らない経済」の弊害があるのではないか、と渡邉さんも指摘する。
そして、実はこの問題は支援パラダイムの根幹にもある。
例えば入所施設や精神科病院に長期に社会的に入院・入所させられている障害者が何十万人といる。そのような、入所施設や精神科病院という、全生活を一元的に支配・管理するような施設のことを、アメリカのゴフマンという社会学者は「全制的施設 (total institution)」と名付けた。そこでは、集団管理と一括処遇がパッケージとして行われ、少人数の支援者で大人数の入居者を「効率的」に「処理」することが求められている。全ては施設の「決まり」と「タイムスケジュール」の中で進み、寝起きの時間や食事の時間もそのスケジュールに従わねばならない。この「支配的支援」は、いくらよい支援者がそこで働いていても、抑圧的な施設構造そのものの問題であり、その抑圧的構造そのものを問題視しないと、問題は解決されない。(その辺りの詳しいことは、『権利擁護が支援を変える』でも議論した。)
で、この「全制的施設」での画一化・効率化・標準化されたケアとは、まさに「腐らない経済」の論理そのもの、なのである。そして、問題は、支援とは本来、生きている人(=つまりいつかは「腐る」存在になる人)を対象にしている。「腐らない」モデルは、時間による変化を想定しないモデルである。標準化も画一化も、時間による変化を考慮に入れないからこそ、考えられる視点だ。だが、人間は、発達や成長、老化や病気など、様々な要因で、日々刻々と変化する存在である。つまり「死に至る」(=少しずつ劣化していき、いつかは「腐る」)存在なのだ。ただ、その劣化の仕方は、人それぞれで違う、だけでなく、その人がどのような関わりをするか、でも大きく変わる。近代科学は再現性と線形性を大切にしてきたが、実はパンでも人でも、「腐りゆく存在」と考えれば、そこに見過ごされているのが、「関係性」と「生命現象」という視点である。
実はこの「関係性」と「生命現象」とは、臨床心理学者の河合隼雄氏が、脳科学者の茂木健一郎氏との対談の中で語った内容である。
「近代科学は、ご存じのように、関係性を絶って、客観的に研究する。しかし、われわれのほうは関係性がなかったら、絶対、話にならない。だから、その関係のあり方をすごく大事にしていく。それから生命現象というものは、
物理の力学のように、これだけ質量があって、位置がこうで、というふうに定義できないんですね。また物理は、目で見えていること以外のことを絶対扱わない。しかも、ほかにどんな可能性があるか、それに気づこうとしない。それに気がついて、そこに注目して、ユングなんかはやったわけですね。」(河合隼雄・茂木健一郎『こころと脳の対話』新潮文庫、p16)
医学的に説明がつかないけれども、治癒する、ということがある。これは、線型モデルの中では説明がまだ出来ないけれど、現象として変化が生じている、ということである。「目で見えていること以外」をも認めるかどうか、というパラダイムが問われている。タルマーリーでは、毎日菌と対話しながら、作り方の条件を変え、菌が喜ぶようにパン作りしている、という。これは、明らかに数式や標準化という「目で見える」以外の事を扱っている。でも、そこから美味しいパンが出来るなら、タルマーリーの皆さんは、菌とよい「関係性」を保ち、その関わりの中から聞こえてくる変化に合わせて作るプロセスを変化させる中で、一回性の生命現象として、「今日のパン」を作り続けている、とは言えないだろうか。そして、それこそが「腐る経済」であり、「腐る」という「生命現象」を持つパンだからこそ、「腐らない」、規格化と標準化されたパンとは違う本気の味わいがあるのかもしれない。
で、今日はもう少しだけ続けたいのだが、この「関係性」と「生命現象」を重視した「腐る経済」の論理は、支援においても必要不可欠だ、というのが、今日一番伝えたいことだ。それを実感したのは、精神科病院にずっと社会的入院を続けているような、「重度」と言われた精神障害のある人を、地域で支え続けているACT-K(集中的地域支援)のチーム支援の本に、まさにそれと合い通じる内容を見つけたからである。
「急性期状態が過ぎると、1日1回1時間程度の定期訪問に少しずつ戻していった。『玄関から悪霊が入ってくる』との訴えには、本人と相談し神社のお札を玄関に貼り、大きな杉の木の棒で玄関を固定し、中からでしか開けられないように工夫を凝らした。その工夫が功を奏したのか安心感が徐々に出てこられ、幼少期にいじめにあい不登校でほとんど勉強していないことや、勉強したいことなど自分自身のことや希望を話すようになった。」(高木俊介監修、福山敦子・岡田愛編『精神障がい者地域包括ケアのすすめ』批評社、p64)
『玄関から悪霊が入ってくる』というのは、普通の人にとっては明らかに「目で見えていること以外」のことであり、再現性や標準化不能なことである。近代科学はそれに「幻覚・妄想」というラベルを貼って標準化し、それに薬物治療という対処療法を当てはめて、対応しようとした。もちろん投薬でその状態が治まるならば、それでよい。でも、この例に出てきたカズマサさん(仮名)の場合、そのような投薬では全く治まらないどころか、幻覚や妄想で様々なトラブルを起こし続け、強制入院と退院を30年繰り返して来た人である、という。
このような悪循環の増幅作用を何とか阻止し、好循環に変える為に支援チームがとった戦略。それが、一見すると「非科学的」に見える、「お札を玄関に貼る」「玄関の戸締まりを強化する」という戦略だった。それは、標準化された科学の枠を明らかにはみ出している。だが、ACT-Kの支援チームは、本人の『玄関から悪霊が入ってくる』という訴えを、幻覚や妄想と切り捨てず、それにより「困っている」という生命現象に着目した。そして、その「悪霊」に苛まれて悪循環プロセスから抜け出せないなら、まずは「悪霊」を一緒に退治する関わりをカズマサさんとし始めた。その関係性の変化の中で、これまで周囲の人を全て敵だと思っていたカズマサさんが、初めて自らの困り事や本音を語り出す、という形で、カズマサさんを巡る生命現象が、固着状態から開き始め、動き始めたのである。それによって、精神科病院という「全制的施設」での標準化されたケアでは治癒不能だったカズマサさんに、安心感が生まれ、「地域で安心して生活できる」状態を少しずつ取り戻しつつある、という。これこそが、科学中心主義ではなく、本人中心型の支援の醍醐味だ。
さて、ここから何が言えるのだろうか。
渡邉さんがタルマーリーで挑戦し続けているのは、「菌」の声を聞き、菌が喜ぶような素材を選び、素材を活かしながら(素材との関係性を深めながら)、日々刻々と変わる条件を加味して、パンという生命現象を作り上げている姿であった。一方、ACT-Kのチーム支援とは、支援対象者の声に基づき、一見すると科学の範囲の外であっても本人の声に寄り添う中で当事者との関係性を深め、その中でご本人の「強み」や「想い・願い」を活かした支援を展開し、ご本人の生活状況を向上させる支援を展開しているのだった。どちらも、「腐る経済」という視点で考えると、一期一会の関係性を重視し、作り手と素材、支援者と対象者を切り分けず、関わり合い、相互変容を行う中で、酒種パンや地域生活支援という生命現象を作り上げてきた、とは言えないだろうか。
僕が書いていることは、一見すると論理に飛躍があり、非科学的に見えるかもしれない。でも、そのパンを美味しいという人がいて、その支援で助かったという人がいるならば、その「目に見えない(=非線形的)」理由に基づいていても、「目に見える結果」を重視すべきではないか。科学を否定するのではない。科学のみが万能である、という科学万能主義のパラダイムこそ疑い、「美味しいパン」「満足できる支援」という成果を徹底的に追求すべきではないか。それこそが、ベルトコンベア的な生産や支援が見失った「職人魂」、なのではないだろうか。つまり、「腐る経済」とは、21世紀型の「職人魂」の全人的復権、とは言えないだろうか。
そんな「妄想」が昨日から頭の中をグルグル巡っている。

『権利擁護が支援を変える』一部公開

いよいよ明日、11月8日が、僕の二冊目の単著、『権利擁護が支援を変える』(現代書館)の発売日である。今回は税込み2100円に抑えて頂いたが、それでも2000円超えとは、決して安くない金額。そこで、出版社とも話し合った上で、前著と同じように、本書の冒頭を「立ち読み」出来るようにしました。お読み頂いた上で、よかったら、ご購入頂くか、図書館にリクエストしてくださいませ。では、どうぞ。

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この本は、私がこれまで権利擁護について考え続けてきた内容をまとめた論考である。序章では、本書全体を貫く総括的な(マクロの)視点を描こうとしている。だが、とりかかりは私の経験という個人的な(ミクロの)視点から始めたい。
小学五、六年生の頃、私が通っていた地元の小学校では、クラス全体で「いじめ」がしていた。私は実家のマンション11階の手すりから身を乗り出して、「ここから飛び降りたら死ねるんだなぁ」とぼんやり考えていた。
当時、いじめっ子の番長が、クラス内の他の目立つ人間を次々に標的にしていじめを開始し、ついには担任の先生をクラスから追い出すほど、私のクラスは荒れていた。私自身は、幼なじみのAくんがいじめの標的になり、その子の友人という理由で無視されていた。あの二年間の記憶は、先述の飛び降り願望を除けば、今ではごっそり欠落している。だが、断片的に強烈に覚えている光景がある。それは、「いじめられる側」から「いじめる側」への「大転換」が起こったときのことである。
ことの発端は、一緒にいじめられていた親友Bくんの一言だった。「僕たちが本物の標的ではない」。転校生だったBくんは、いじめの構造を見抜き、本当の標的と、その標的の周辺領域ゆえにいじめられている層を、冷静に分析していた。そして、ある日の放課後、いじめる側の周辺領域(いじめる側のある種の”最下層”)にいた比較的気弱なCくんと、いじめられていた私とBくんの三人だけが教室にいたとき、BくんはCくんに話しかけた。
「あのさあ、あんたは、ほんまは僕らをいじめる気持ちはないやろ? ○○に言われて、仕方なしにいじめに加わって僕らを無視してるのやろ?」
私は、クラス内の暗黙の「裏ルール」を破る事態のに、「そんなことをすれば何をされるかわからない」と戦々恐々だった。恐らくそれは話しかけられたCくんも同じだったのだろう。でも、気にせず話しかけるBくんに対して、Cくんはおずおずと頷き、話し始める。その瞬間、「いじめられる側」の周辺領域にいたBくんと僕は、「いじめる側」の周辺領域へと、立ち位置が変わり始めた。以後、僕はAくんを避けるようになり、「いじめる側」の級友とよく話すようになった。結果的にAくんへのいじめに加担してしまったのだ。
その後、このいじめは、小学校卒業と同時に終わった。教育委員会がこのクラスを相当問題視していたようで、私も含めたほとんどの級友が進学した地元公立中学では、私のクラスの子どもたちだけが、周到に一四クラスに振り分けられた。以後、いじめられる経験は私にはなかったが、Aくんとはその後も疎遠になってしまったままだ。
なぜ、このような個人的な内容からスタートしたのか。それは、私が権利擁護の問題に関わるきっかけが、この問題に詰まっているからである。いじめという「差別」や「排除」は、いじめられる側からすると、圧倒的な抑圧・統制の下に置かれる事態である。今から考えれば「そんなことくらいで」と笑えるが、「その世界しか知らない」当時の私は、いつまで続くかわからない抑圧的事態に嫌気がさし、その当時は漠然と「死」も考えていた。「客観的」に見れば、私自身の被害は「無視されること」くらいだったので、ひどい被害とは言えない。小学校卒業までのたった二年間だから、まだ「まし」だった、と。しかし、当時の私自身の主観の中では、全く見えない将来に絶望していた。
しかも、その後の「いじめられる」側から「いじめる」側への構造転換を経験して、世間や集団の「境界」と言われるものの不透明さ、曖昧さを実体験する。いじめられる側だった時に圧倒的な抑圧性をもっていた「壁」が、実は自分自身を内的にしていた規範(いじめというゲームのルール)の内在化であること、そしてそれを外在化することで、「いじめられる」構造の外に出ることは不可能ではないことも実感した。裏を返せば、「いじめる側」もいつかは「いじめられる側」に追いやられる可能性がある、ということだ。だから、級友で傍観者は一人もおらず、みな必死になって「いじめ」行為に荷担していた。
私が体験したこの「いじめの構造」は、権利擁護の課題と密接に結びついている。まず、「社会的弱者」と言われる人は、多数派にとっても「他人事」ではない。ある日、気づいたら自分がごく当たり前の「したいこと」「嫌なこと」を口にできない状況に構造的に追い込まれる可能性がある、という意味で、極めて「自分事」であるということだ。その上で、「社会的弱者」が自らの持つ力に気づき/気づかされると、その呪縛的構造から飛び出すことも可能である、という点は、第一章で述べるセルフアドボカシーやエンパワメントの考え方とも共通する。ただ、私のように呪縛的構造を内在化した人間が一人でその構造に立ち向かうのは大変なので、同じ経験をした仲間や支援者から支援されないと抜け出せない、権利擁護の課題でもある。そして、「いじめの構造」はクラス替えという組織的関与で終らせることが可能だった。ということは、組織や社会構造的な権利擁護の課題もある、とも言える。つまり、ミクロの(微視的な)「いじめ」問題も、マクロの(巨視的な)課題とつながっており、それら全体を権利擁護の課題として焦点化することで、「死ぬことばかり考えている」状態に構造的に追い込まれた人を支え、救うことも不可能ではないのである。そんな「枠組み外し」の方法論を展開したい。
本書では、権利擁護の構造や方法論をひも解くなかで、絶望的な苦悩に追い込まれた人びとに寄り添い、その構造転換を支援
する具体的な方法論を示したい、と考えている。その具体例に入る前に、まず「構造転換」とは何か、に関する二つの方法論を考えたい。一つは、アサーティブネス(自己主張・自己表現)や権利の自覚と呼ばれる、内在的論理の変更の方法論であり、もう一つは、社会や環境側の転換であり、後述するノーマライゼーションの原理が目指したものでもある。前者が心理的な抑圧について、後者が社会構造的抑圧について、それぞれ主題化している。
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権利擁護が支援を変える*目次
序章 権利擁護が支援を変える
第一章  セルフアドボカシー論
  一 セルフアドボカシーから始まる権利擁護──方法論の自己目的化を防ぐために――
  二 相談支援と権利擁護──カリフォルニア州と日本のピア・セルフアドボカシー――
  三 当事者研究とセルフアドボカシー
第二章 セルフアドボカシーから権利擁護まで――アメリカにおける権利擁護機関・アドボカシー実践――
  一 個別事例から法改正にまで取り組む公的権利擁護機関
  二  強制入院時における「患者の権利擁護者」の役割--真の「代弁者」役割とは--
  三 障害児教育の現場における隔離・拘束
  四 権利擁護の四つの側面
第三章 日本における先駆的実践――精神医療の「扉よひらけ」――
  一 「入院患者の声」による捉え直し――精神科医療と権利擁護――
  二 NPOのアドボカシー機能の「小さな制度」化とその課題――精神医療分野のNPOの事例分析をもとに――
終 章

コミュニティを変える社会起業家精神

このブログは、前回書いた「出来る一つの方法論を徹底的に考える」「あるもの探し」としての、コミュニティ・ワーク論の続きでもある。そこに、社会起業家という補助線を引くと、かなり展望が開けてくるのではないか、というお話。

社会起業家というと、市場を通じて社会を変える取組み、と認識している人も少なくない、と思う。だが、必ずしも市場を使うかどうか、が社会起業家の条件ではない。むしろ、解決すべき課題(目的)を何とかするための方法論の一つとして、ビジネスも有効な手段の一つだ、という認識である。もちろん、ビジネスではない、教育や福祉などの制度、地域の人々のボランタリーな活動を手段として、その目的が達成される場合もある。あるいは、ビジネスの力と、制度やボランタリーな活動を組み合わせて解決する場合もある。
僕自身は以前、スウェーデンのベンクト・ニィリエは、「重度障害者は入所施設や精神病院しかない」という社会の思い込みを壊し、「ノーマライゼーションの原理」という形で支援の新たな形態を作り上げ、世界中で脱施設・脱精神病院の動きを広めた社会起業家だという論文を書いたことがある。あるいは、システムの限界・壁を越える社会起業家の創造プロセスをU理論や魂の脱植民地化との関連で論じたこともある。これらの一部は、『枠組み外しの旅-「個性化」が変える福祉社会』という単著の中にも組み入れた。
この本を上梓してはやもう1年、今月末には二冊目の単著『権利擁護が支援を変える-セルフアドボカシーから虐待防止まで』(現代書館)が出ることになった。前著が理論編だとしたら、後者はその実践編とも言える本であり、この10年間、追いかけてきたことをある程度この二冊で形に出来た。(今回の本の内容は、発売日近くになったら、またアップします)。
で、二冊目の本も校了し、最近またインプットモードに戻りつつある。その中で、改めて「枠組み外し」が、社会起業家やコミュニティ・ワークと強く関連付いている、と再確認させてくれる本と出会った。
「社会起業家たちは、単なる対処療法ではなく、根底にある問題を解決するヒントとなる、社会的なパターンを見出そうとしている。問題を生み、長引かせているそもそもの社会システムとは何かを理解しなければならない。必要であれば構造そのものをかえようとするだろう。そうしなければ、強いインパクトを伴った持続的な変化は起こせないからだ。このように、物事の上流に目を向けて問題のおおもとに対処しようとするアプローチは、下流を見て出てきた問題に応急処置を施そうとするよりも、はるかに持続的な効果をもたらす。」(ビバリー・シュワルツ『静かなるイノベーション』英治出版、p28-29)
実はこの本の原著『Rippling』も1年前に買っていたのだが(密林ではご丁寧に「2012年3月30日に注文しました」と出てきた)、この1年半は二冊の本を出すのに必死で、洋書はほとんど積ん読だった。己の不勉強ぶりがお恥ずかしいのだが、でも良い本が時間をおかずに翻訳される日本の翻訳書環境は本当に有り難い限りだ。で、この本は翻訳も実に読みやすい素敵な本で、昨日の東京出張で読み出したら止まらず、一気に読み終えてしまった。
そして、「単なる対処療法ではなく、根底にある問題を解決するヒントとなる、社会的なパターンを見出そうとしている」という表現から、ノーマライゼーションの原理だけでなく、僕が博論で見つけ、『枠組み外しの旅』でも触れた「5つのステップ」だって、ある種の社会的なパターンだな、と思い始めている。で、去年あたりから、この「5つのステップ」が、コミュニティ・ソーシャルワークと繋がっていると感じ始め、その関係性もブログでぼつぼつ考えていた。そんな中、このシュワルツさんの本を読んで、見事にピースがはまった感覚を持ち始めた。
シュワルツさんが関わる、世界中の社会起業家のネットワーク、アショカ財団は、システム変革に向けたアプローチを、次の5つに整理している。
アプローチ1,時代遅れの考え方をつくりかえる
アプローチ2,市場の力学を変える
アプローチ3,市場の力で社会的価値をつくる
アプローチ4,完全な市民権を追求する
アプローチ5,共感力を育む
この本は、それぞれのアプローチに取り組む代表的な社会起業家を合計18人取り上げ、彼ら彼女らの取組が、どう個人や組織、地域や社会を変えてきたのか、を魅力的に描き出している。
そして、この5つのアプローチは、最近僕がぼんやり考えてきた、コミュニティ・ソーシャルワークからコミュニティ・ワークへと向かう上で、重要な補助線である、と染みこんできた。
たとえば、前回のブログで紹介した「フラノマルシェ」や「里山民主主義」は、アプローチ2や3から取り組むやり方である。でも、過疎化していく状況を逆手に取り、「出来る一つの方法論を徹底的に考える」「あるもの探し」の姿勢は、市場に関与する局面だけで求められているわけではない。「福祉は行政からのお恵み」、だから与えられる側は黙って従え、という支配-服従の論理の問題性は、前著でもこの10月末出る新著でもずっと考え続けてきたことだし、それは「時代遅れの考え方をつくりかえる」こと、そのものである。そして、僕自身が気になるのは、精神科病院や入所施設に長期社会的入院を続けている人、強度行動障害や重症心身障害、ゴミ屋敷や問題行動とラベルが貼られている人々のことである。そういう状態の人に「困難事例」とラベルがつくと、いつの間にか「完全な市民権を追求する」ことが本人に出来なくなるばかりか、その人々を支える支援者も、ましてや周辺住民も、「共感力」を失って、「迷惑な存在」を排除しようというベクトルが働く。
こういう問題の「個人化」に抗して、社会が解決すべき問題だと捉え、現実的な解決策を模索して歩みを進める社会起業家は、福祉の現場でも沢山求められている。それは、行政が提供するサービスに限界があり、かつ従来の市場の価値とも相反するものだったからだ。だが、例えば日本のモノ作り産業の現状を追いかけ、近年は中山間地の女性起業や六次産業に着目する関満博先生の『地域を豊かにする働き方』(ちくまプリマ-新書)に出てくるのは、被災地で起業家精神を持って、ネットワークの力を借りながら、事業再生を果たしていく人々の姿である。しかも、その事業再生を通じて、地域社会の雇用を護り、活性化の支援をする、という社会的使命を帯びるなら、それは社会起業家そのものである。また、物語としてのコミュニティデザインの側面から、「歓喜咲楽」「私発協働」「対話共有」「軋変可笑」の4つのキーワードを基に場所の持つ物語の可能性を論じて来た延藤安弘先生の『まち再生の術語集』(岩波新書)の議論とも繋がる。
自らが暮らす家、地域、住・自然環境、社会に目を向け、自分自身や地域住民が役割や誇りを持つ(取り戻す)・・・それらを再生させ、つなぎあわせ、新たな魅力を付加する営みが、日本のそこかしこでも同時多発的に生成している。それは、地域福祉に限定したらコミュニティ・ソーシャルワークだが、対象領域に切り分けなかったら、地域活性化としてのコミュニティ・ワークそのものであり、そこには何らかの社会的問題の解決に心血を注ぐ社会起業家やプチ・リーダー達の存在が、少しずつ、だが着実に増え始めているのである。
ただ、少し気になるのは、制度化された福祉領域の中では、地域福祉、なんて言っても、それは事業や制度の枠内でとどまっているのではないか、という疑問である。厚労省は「地域包括ケアシステム」の展開の重要性を語るが、市町村や社協、地域包括支援センターなど法や制度に準拠した機関は、法や制度、事業の枠内で、そのシステム構築を考えるのではないか、という危惧である。本来、地域の再生や、そこに住む人々の役割や誇りのある暮らしの支援、とは、どう考えたって現場発の、ボトムアップ型の考え方のものである、はずだ。だが、国が音頭を取って地域福祉展開を語るとき、どこかで例えば介護保険の要支援サービスの見直しに代表される、「制度内福祉の切り捨て」の側面が見え隠れする。また、手法も、先進事例から抽出化されたパターンを全国に普及しようという努力は一定評価されるべきだけれど、現場の問題からその地域における問題のパターンを見つけ出し、解決する為に先駆的事例のパターンを活用できる社会起業家やプチリーダー的な実践者がいないと、単年度主義の行政的な「事業」の枠組みは乗り越えられない。つまり、トップダウン的な国主導の地域包括ケアシステムと、今回取り上げたシュワルツさんが提示した社会起業家のアプローチには、大きな隔たりがあるのだ。
で、僕自身はどう考えるのか?
僕は、限界集落や中山間地の現実を変えるために、「完全な市民権を追求する」社会起業家がコミュニティ・ワークを志向するのを応援したい、と思い始めている。対象別の福祉、だけでなく、住宅政策や環境政策との壁も乗り越え、営利と非営利の壁も乗り越え、その地域全体を再生させるための方法論を考える社会起業家論=コミュニティ・ワーク論が必要不可欠だ、と感じている。そのために、僕自身が色々な現場を尋ね歩く旅を再開し、そこで見聞きしたことに基づきながら、拙著の表現で言うなら「学びの回路」を開き、「学びの渦」を生起・発展させ、チェンジメーカーと対話を重ねる中で、福祉領域を突き抜けるコミュニティ・ワーカーが増えるために出来ることを考えたい、と願っている。地域福祉実践家が、より広い視野で地域活動に取り組めるための、視点の転換の支援をしたいと思っている。そして、そのためにも、僕自身が、社会起業家精神(social entrepreneurship)をもって、アクションを起こし始めたい、と感じている。
ここ数年は政策的議論を展開してきたけれど、そろそろ、地道にフィールドワークを本格的に再開せねば。他人の批判をする前に、まず自分が動き出さねば。そういう想いで、ふつふつとし始めている。

コミュニティ・ワークに向けて

学会発表というのは、新たな分野にチャレンジするときの「腕試し」の場でもある。最近、気づけば地域福祉やコミュニティ・ソーシャルワークの領域に関わっているので、ここらで少し考えを整理して、その領域のプロ集団の議論にも耐えうるものか、チャレンジしてみよう。そんな気持ちで、数年ぶりに、札幌で開かれた社会福祉学会で発表をしてみた。

その中で、最大の収穫だったのが、コミュニティ・ソーシャルワークとコミュニティ・ワークの違いについて。学者は定義を厳密にする種族なので、「あなたはその二つをどう使い分けていますか?」と、僕の発表後に訊ねられた。そこから、総括討議の時間にも、この二つの違いを巡る議論が展開。実は、感覚的に使い分けているものの、厳密に両者を比較検討したことのない僕自身にとって、冷や汗もののセッションだった。だが、関西の地域福祉の大御所のとある先生が、簡潔明瞭にスパッと言い切る。
「学者間では定義を巡って議論するのも大切だけれど、現場に対しては、研究者が自分なりに定義づけたらよろしいのです。」
なるへそ!
この分野を何となく独学で囓りながら、気づけば越境していた僕自身は、アメリカやイギリスだけでなく、日本の定義も充分に勉強していないし・・・と、おっかなビックリの部分があった。だが、僕は地域福祉「研究の専門家」になりたいわけではない。地域福祉の「課題を解決するお手伝い」をしたいのだ。であれば、現場の人と一緒に使えるわかりやすい定義を作って、もちろん諸研究も勉強し続けながら適宜改変を繰り返し、考え続けていけばいいのだ。であれば、とりあえず僕なりに、こう位置づけてみよう。
コミュニティ・ソーシャルワーク(community social work)・・・地域に関わる福祉的支援。ある地域において、生活上の困難(福祉的課題)を抱えている人びとに寄り添い、その人びとを直接的に支える仕組み作りに関わりながら、その個別課題を「その地域における解決困難事例」として「変換」し、地域住民と課題を共有しながら、その地域課題を解決・予防していく仕組みをも作り上げていく仕事。
コミュニティ・ワーク(community work)・・・地域全体を支える支援。地域の福祉的課題は、単に福祉のみで完結しない。過疎化・少子高齢化・限界集落や障害者の地域自立生活支援、孤独死の問題は、単に共同体の減退のみならず、商店街や地場産業の斜陽、耕作放棄地の課題、里山の崩壊や獣害、公共事業や補助金依存型の産業構造の限界、外国籍やひきこもりの人びとの居場所のなさ、住環境の荒廃・・・など様々な地域の問題と密接に結びついている。それらと地域福祉課題を関連づけ、住民たちが「自分たちの問題だ」と意識化するのを支援する。その上で、住民たちが、より大きな地図の中で、領域を超え、使えるものは何でも使い、地域の中で、様々な課題を有機的に解決するための方策を考え、実践するのを後押しするのが、地域活動としてのコミュニティ・ワークである。
こう整理しながら、明らかに僕自身の志向性は、コミュニティ・ソーシャルワークを超えて、コミュニティ・ワークに向かいつつある、と感じ始めている。福祉の問題は、福祉「だけで」は解決出来ない。福祉の問題を常に一方に置きながら、複眼的に、地域全体の課題を捉え、両者をつなげながら、解決の糸口を見つける。それを通じて、福祉従事者以外の人にも、広く福祉的課題を「自分事」として捉えてもらう。そのためには、まず福祉関係者が福祉以外の地域課題を「自分事」として目を向ける。その円環的な作用としての、コミュニティ・ワーク。
学会発表の内容に引きつけて言うなら、地域の問題や課題を、カリスマ・リーダーと呼ばれる人が解決する図式は、多くの地域福祉や町おこしの現場で、これまで語られてきた。だが、コミュニティ・ワークに求められているのは、特定の一人のリーダーが住民を引っ張る、という図式ではない。ファシリテーターが、住民たちの持つ潜在的能力や可能性を引き出し、多くの住民自身が既存の/新たな役割を担って、みんなが「自分事」として地域課題解決に向けて協働していく。その協働化や住民活動の組織化を、コミュニティ・ワーカーやタウンマネージャーと呼ばれる人が支援する。そういうenabler/facilitatorの機能を担う人材こそ、地域変革に求められているのではないか。そう感じ始めている。
そして、その実感は、この旅で読み終えた二冊の本と共鳴する。
一冊目は、学会前にちょいと休暇で訪れたフラノマルシェ。富良野の名産品が売っているから、というガイドブック情報くらいしか持ち合わせていなかったのだが、白い恋人も六花亭も置かず、富良野のお土産だけを沢山置いているコーナーの一角に置かれていた、『フラノマルシェの奇跡』(西本伸顕著、学芸出版社)。妻がお土産を選んでいる間にパラパラと眺めていたら、「カリスマではない、プチリーダーの存在」という項目が目に飛び込んできた。おおっ!と読んでみると、こんなことが書かれていた。
「金と力のあるカリスマリーダーが、ヒエラルキーの力で周囲を強引に巻き込み、力づくでことを成していくという、ローカルにありがちな構図は富良野には存在しない。それぞれのテーマごとにリーダーの存在があり、参加メンバーの顔ぶれは似通っていても、リーダーとフォロアーの関係はテーマごとに入れ替わるだけで、今日のリーダーが明日のフォロアーという場合も珍しくない。実にフレキシブルかつフラットな人間関係が富良野のまちづくりの特徴だ。しっかりとしたテーマを持った言い出しっぺが、腹を括ってことにあたれば、仲間連中がフォロアーとなって後押しをする。そんなまちづくりの仕組みが暗黙の了解事となっているのだ。私は、こうした数多くの『プチリーダー』の存在が、富良野のまちを健全なまちとして発展させていく上で大きな原動力になっていると考えている。一人のカリスマよりも多数のプチリーダー。富良野の『まち力』の特徴はこんなところにもあるのではないか。」(p124)
「一人のカリスマよりも多数のプチリーダー」の重
要性。これは地域福祉の領域に置き換えても、全く同じ課題である。同じ住民として、お互いの得意・関心分野を活かしながら、「今日のリーダーが明日のフォロアー」という「フレキシブルかつフラットな人間関係」の中で、役割を交換し、お互いの「言い出しっぺ」をみんなで応援していく。それが、カリスマリーダーや行政の補助金に依存していく関係性を脱し、住民ひとりひとりの役割と誇りを生み出すまちづくり、にも通じている。これは、福祉的課題の解決でも、同じロジックで考えられるのではないか、と思いはじめている。そして、このフラノマルシェの産みの親であり、富良野のまちを官民協働で変えてきたお一人である著者の西本さんは、本の最後にこんなフレーズも書いている。
「まちづくりに関わる人間に欠かせないのは『当事者意識』と『やり抜く覚悟』だ」
「まちづくりでつい陥りがちな『ないものねだりの、あるもの無視』という態度をあらため、『あるもの探しのあるもの活かし』に向き合うことこそがまちづくり=まち育てのあるべき姿なのだと思う。」(p212)
「当事者意識」とは、僕が「他人事」から「自分事」へ、と表現していることそのものである。また、「ないものねだり」から「あるもの活かし」とは、僕がよく使う表現で言い換えるならば、「出来ない100の言い訳を考える」段階から、「出来る一つの方法論の探求」への移行である。どちらも拙著『枠組み外しの旅』で考え続けてきたテーマそのものである。
そして、「当事者意識」を持った「あるもの活かし」をメインとしたコミュニティ・ワーク論として、もう一冊の本がつながってくる。
「これまで我々が発達させてきた社会は、様々な立場の個人を分断し、問題ごとに解決策を講じ、お金をかけて解消していくという道筋をたどってきた。老人も、子どもも、働きたいのに子どもを預けられない主婦も、みんな弱者として扱われる。でも、単体では弱者に見える人も、実は他の人の役に立つし、その『お役立ち』は互いにクロスする。クロスすればするほど助かる人が増え、それまで『してもらう負い目』ばかり感じてきた人が『張り合い』に目覚め、元気になっていく。気がついてみれば、孤立していたみんながつながっている。そこには、無縁社会の孤独の中、たったひとりの親の死を隠してまで、その年金にしがみつくといった寒々とした悲壮はない。孤立をなくすために何か対策を講じたのではなく、地域にいる、ハンデほある人たちをどうにか活かすことを考え続け、課題を克服した結果、孤立もなくなっているのだ。しかも、かかるお金は課題ごとに講じる『対策費』より格段に少なくてすむ。」(『里山資本主義』藻谷浩介・NHK広島取材班著、角川書店 p221-222)
老人と知的障害者、児童、生活保護受給者、シングルマザーなど、対象が違うと行政の所轄が違い、「様々な立場の個人を分断し、問題ごとに解決策を講じ、お金をかけて解消していくという道筋」をとってきた。だが、つながりがきれた「単体」としては「弱者」であっても、様々な関わりを取り戻す中で、それぞれの「弱者」の持つ潜在的能力や役割、可能性を発掘する事が出来ないか。そして、そういった多くの人びとの「お役立ち」を「クロス」させ、要支援者という立ち位置に「『してもらう負い目』ばかり感じてきた人が『張り合い』に目覚め、元気になっていく」。これこそ、全人的復権、という意味での地域におけるリハビリテーションそのものである。身体機能の回復、安心・安全の確保だけでなく、その地域で役割や誇りを持って自分らしく楽しく生きていくこと、これこそリハビリテートの考え方そのもの、なのだ。(ちなみに福祉の世界で、リハビリの概念を変えた取組は次のHPを参照)
「地域にいる、ハンデほある人たちをどうにか活かすことを考え続け」る。その中で、広島の中山間地の社会福祉法人は、空き家をデイサービスに改築し、そこに通うお年寄り達の育てる野菜を買い取って社会福祉法人で地産地消に励み、対価として地域通貨も払う。また、野菜の集荷などに、地元の障害者を雇用する。「里山資本主義」で紹介されたこの事例もまさに、『あるもの探しのあるもの活かし』そのものである。この活動を進める「過疎を逆手に取る会」とは、「出来る一つの方法論」を徹底的に考えるグループである、とも言える。その中で、誰も目を付けなかった製材屑からペレットを作り、エコストーブやバイオマス発電にまでこぎ着ける。そこから、里山の活用や、コンクリートに変わる集成材の可能性を開発していく。この『里山資本主義』で取り上げられたテーマは、福祉・環境・地場産業・まちづくり・エネルギー政策と領域横断的だが、「その地域の課題を、当事者意識を持った住民達の協働の中で、その地域らしく解決していこうという試み」とまとめることが出来る。これこそ、住民の「地域活動」としての、コミュニティ・ワークそのものなのだ。
「出来る一つの方法論を徹底的に考える」「あるもの探し」としての、コミュニティ・ワーク。この世界は、まだまだ僕が知らない面白さが沢山ありそうだ。そして、その視点で眺めてみたら、灯台もと暗し。山梨の中でも、コミュニティ・ワークの領域での面白そうな実践がいくつか頭に浮かぶ。日常的には地域包括ケアシステムや障害者自立支援協議会の支援というコミュニティ・ソーシャルワークに関わる事が多いが、少し意識して、コミュニティ・ワークという地域活動に目を向け、あちこちに訪ね歩いてみたい。そう感じ始めている。

内奥への旅

発作的に山登りを始めた。せっかく山が多い山梨県に住んでいるのだから、少しでも登ってみたい、と。

数年前から、大学の同僚がハイキング部を主催していて、日程が合えば大菩薩峠や網笠山のハイクに連なっていた。だが、ちょうど二冊目の単著原稿の整理をし始めた連休の頃、ふと「一人で登ってみよう」と思い立ち、5月から茅が岳、金峰山、瑞牆山、東天狗岳(これはハイキング部での登山)、甲斐駒ヶ岳、赤岳、と破竹の勢いで登っている。自分では「一月一山作戦」と名付けていたが、この夏は海外調査も旅行も帰省もせずに、二冊目の単著にずっと取り組んでいたので、8月だけで三山も登ってしまった。
で、お話は先週木曜日の赤岳登山の時の話である。
合気道を4年間続けてきたお陰で、体力はかなりついてきたようである。登山のガイドブックで書かれている標準時間より、だいたいにおいて早く登れる。ハイキング部の隊長によれば、歩き方がしっかりしている、とお褒めの言葉さえ頂く。それが、合気道で重心を下げる訓練をしているからなのか、小学生から高校生まで続けていたボーイスカウト活動の記憶がよみがえってきたからなのか、はわからない。でも、甲斐駒ヶ岳にしても赤岳にしても、体力的には余裕を持って登れた。それが、次の山登りを楽しみに待つ理由なのかも知れない。とはいえ、赤岳登山は、不思議なつながりをもたらしてくれた。
事はまだ登り初めて20分くらいしか経っていない時期に起こった。
以前から、八ヶ岳は登山者にかなり知られた山である。僕は美濃戸から南沢を通って行者小屋へと進む、最も定番のなだらかな登り道ルートを辿ったが、この道はかなりわかりやすい目印が各所に付いている。かつ、難所には鎖があったり、川を渡る箇所には工事現場の足組を使った仮設の橋まで架かっている。登山客の往来も激しい。普通なら、迷いようのない登りである。
なのに、迷ってしまった。
後から思えば、何の変哲もない広場の終盤でのこと、である。広場ゆえ、真っ直ぐな一本道のように行く先が固定されていない。その広がりをルンルン歩きながら、ふと道が狭まるところで、二本に分かれていた(ように思えた)。時刻は朝7時、日の光は直接はさしこまない場所で、かつまだ森の暗がりが微かに残る時間帯、である。左には山側に登る道が、右には川へと折れる道がある。そういう時は、木に付けられたテープや、木や石に書かれた矢印を頼りに、登山道を探す。そして、その木は、右に行け、と書いている(ように見えた)。何だか少し訝しい気持ちになりながらも、歩を進めてみると、川にぶつかる。橋もなにも架かっていない。渡れなくはなさそうだが、割と滑りそうだ。でも、向かい側には、また道らしきものが続いている。
なんか怪しいな。
そう思ったら、引き返すべきが原則。なのに、歩き始めで急いていた足取りゆえに?、へんに焦ってしまって、気づいたら川を渡っていた。でも、渡り終えてみて、やはり違うような気がする。変だ、戻ろう。そう思って、余計に焦りながら、つるつる滑る石の上に足をのせていたら、バランスを崩して・・・。その後は、ご想像どうり、川にはまった。両側の靴と、両手をついたから上半身がばっしゃーん、と、べちゃべちゃになる。夏とは言え、寒い川の水にかかり、ずくずくである。やってしまった。
で、分岐点でとにかく荷物を降ろし、上着を着替え、タオルで拭いていたら、先ほど抜いたはずの人びとも、後からきた人も、誰ひとり!!!間違えようもなく、すいすい登っていく。誰も間違えない場所で、もののけか何かに吸い寄せられるように、川に落ちるために、引き寄せられていったのだ。悔しい、とか、恥ずかしい、とかよりも、あまりにも阿呆らしいその間違いに、何だか不思議な思いをしだした。
その後、替えの靴下を持ってこなかったので、靴の中はびちゃびちゃのまま、登り進める。体力は落ちていないが、気力はごっつう下がっており、かつ足が冷えているので、足取りが重い。その中で、何とか気力を回復しながら、頭の中ではあるフレーズがこだましていた。
「あ、これって、ある種の『内奥への旅』なのかもしれない」と。
『内奥への旅』。それは、「戦場のメリークリスマス」の原作者で、イギリスの元軍人、ローレンス・ヴァン・デル・ポストのアフリカ探検記である。臨床心理学者の秋山さと子さんのエッセイに出てきて気になって、とうの昔に絶版になっていたので、密林!で30年前の古本を手に入れて、家の書斎に放ったらかしていた。アフリカの奥地を探検する紀行文で、ユング心理学とのつながりがある、という紹介くらいしか知らない。だが、なだらかな登り道から行者小屋を経て、急峻な階段→岩肌のよじ登りをしながら、赤岳の頂上を目指す過程でも、このタイトルが頭から離れない。ユング心理学では、布置とかコンステレーションという「ご縁」が重なったことを大切にする風土があるので、そのご縁を大切にして、山を下りてから、くだんの古本を仕事の合間にちびりちびりと読み出した。
アフリカの未踏の山を探索する探検紀行文としてもなかなか面白いこの著作。あるいは、植民地時代のアフリカ人とヨーロッパ人の対比を知る歴史的価値もあるのかもしれない。が、僕が最も目を引かれたのは、次のフレーズだった。
「われわれ自身の内部の亀裂こそ、われわれの生のパターンの中にも亀裂を生み出すのだ-それこそが真ん中に恐るべき切り傷を、この暗く深いムランジェの峡谷を刻みつけ、その峡谷に厄災が走り、悪魔が跳梁するのだ、私の本能はそう答える。外の世界に起こる事故や厄災は、内なる自己と厄災とを喰って太るのである。われわれの外面的な生のデザインは、その微少な部分から、最新式の爆弾の原子に至るまで、われわれの最も内奥にあるひそかな目的を反映し、追認するものなのである。」(『内奥への旅』p197)
「外の世界に起こる事故や厄災は、内なる自己と厄災とを喰って太る」とは、外部世界の出来事と、内部世界の変容の共時性(シンクロニシティ)やある種の共犯・増幅関係の妙味を伝えている。確かに、何か第六感で「変だ」「オカシイ」と思ったとき、そのか細いシグナルを信じて慎重に行動するか、「いや、大丈夫」と理性で第六感に蓋をして無理をするか、は大きな分岐点だ。で、その理性で第六感に蓋をして無理をするとき、「その微少な部分から」「生のパターンの中にも亀裂を生み出す」結果、大きな「厄災」へとつながる。誰も間違えない分岐点で間違えて川にはまった僕は、確かに「魔が差した」のであるが、それは外部的な「悪魔の跳梁」だけでなく、僕「自身の内部の亀裂」の外在化、とも言える。
ゆえに、その後の心のか細いモールス信号は、このヴァン・デル・ポストの小説のタイトルを灯し続け、僕はそのお陰であまり無茶をせず、体力的には消耗しきっていなかったが、横岳や硫黄岳への踏破はお預けにして、早い時間に山を下りることが出来た。今から思えば、そのシグナルを聞いていなかったら、厄災は川にはまるどころの生やさしいものではなかったのかもしれない。
ひとりでの山歩きのどこが楽しいの?
と妻に聞かれることもある。確かに仲間と登っていたら、おしゃべりに花が咲き、あっという間に頂上に来ていることもある。何より、経験豊かな隊長に身を委ねると、自分自身で道を探す苦労はせず、このように川にはまる危険性もかなり減り、随分と気が楽である。だが、それでもひとりで山に向き合うとき、月並みな言い方だが、山を登りながら、「内奥への旅」がリアルに実感できているのかもしれない。「外の世界」で急峻かつ険しい道に格闘しながら、心の中でも、一歩、また一歩と、普段は向き合う事のない、井戸の深みに降りていっているのかもしれない。だからこそ、「亀裂」にも気づきやすいし、また気づいたらハマりやすいのである。しかし、そのようなリアルな生そのものと向き合うこともまた、山登りの楽しみの一つかもしれない。
「われわれの精神の内部にはっきり認められる亀裂に、各人の幇助しているところをしかと見つめ、生のあらゆる部位においてその裂け目を埋めるべく努力することが、かつてないほどに肝要だと思われるのである。」(p197)
私は、どのような外部のトラブルや厄災、それにつながる「亀裂」に「幇助」しているのか。私の生や精神の「亀裂」や「裂け目」とはどこにあるのか。何を矛盾したまま放置しているのか。どこから目を背けているのか。そして、どう「埋める努力」が出来そうか。峻険な山を登るとき、いつも「こんな高い山なんて登れるのだろうか?」と挫けそうになる。でも、千里の道も一歩から。歩みを一歩ずつ進める中で、確実に頂上に近づく。生の亀裂や裂け目の一つ一つと向き合い、逃げずに埋める努力をするのは、ある種、一歩一歩の地道な足取りに近い。だが、その歩を着実に進めながら、内なるモールス信号の微弱な電流を逃さず、その第六感を着実にキャッチして、慎重に、着実に、歩を進められるのか? この本を読み終えた後、僕は微弱な電流に耳を傾け、己の内側の「亀裂」を辿ろうとし始めている。
僕自身の「内奥への旅」は、まだまだ歩み始めたばかりである。