障害者制度改革の新たな局面

久しぶりに東京からの帰りのあずさ号の中で、スルメ用の原稿を書いている。前回は忘れもしない8月30日。障害者自立支援法を廃止して、新たな法律を作るための原案作りの場である、内閣府障害者制度改革推進会議「総合福祉部会」が、「骨格提言」をまとめた日であった。その日は、55人委員会がどのような意見のズレや壁を乗り越えて、総合福祉法に求める骨格提言という形で一致団結した意見をまとめたのか、について、そのプロセスと内容をお伝えした。ここからが正念場だ、高揚感+一抹の不安を持って、ブログをまとめたことを覚えている。
あれから半年弱。その骨格提言に基づく厚生労働省案が示されるので、急遽部会が開催された。しかも、骨格提言がまとまった8月30日以上にマスコミが集っている。部会が始まる前から、あちこちで「今日でこの部会は終わりではないか」「厚生労働省案に押し切られておしまいではないか」という良からぬ噂も聞こえてくる。そんな不穏な空気の中、しかも今日は厚生労働省の2階講堂が取れないので、19階の会議室で議論を行い、傍聴者を別室にしても、すし詰め状態の空気の悪さ。この雰囲気の悪さは、今日の議論をまさに体現する「空気」であった。
部会が始まって、冒頭1時間で厚生労働省の企画課長から、8月の骨格提言を受けて、どのような対応を行い、厚生労働省としてどのような法律案を作るのか、の趣旨説明がなされた。8月末の段階では、新しい法律を作るためには、内閣法制局とのすり合わせも必要なので、24年の通常国会に載せるためには、絶対に8月末という期限をずらせない、と厚生労働省側に言われ、必死になって8月末に骨格提言をまとめた。だが、今日の説明が始まった段階で、それは「大嘘」だった、とわかる。そもそも厚労省は、実際に新法を作ろうとしていなかった。詳しくは厚生労働省案を見ていただきたいが、彼らの論理とそれに対する僕の雑感を簡潔にまとめるならば、次のとおりになる。
イ、自立支援法の平成22年改正案が今年の4月から実施されることで、現場はそれに追いつくために必死の状況だ。ただでさえ制度改革が繰り返されたので、来年また制度が変わることについて、現場の反発や混乱は必死だ。できっこない。また新法に作り変えるには、現行法の数千もの事項を変えなければならないので、現実的に大変だから無理だ。
→バタコメント:骨格提言をまとめる昨年8月末まで、そんなことを厚生労働省は全く言ってはいなかった。これは「後出しジャンケン」という狡猾さである。ちなみに、これは中西委員の代理であるJIL理事の今村さんが言っていたことだが、制度改革が重なるから現場が混乱するのではない。制度改革の先に夢も希望も見えないから、現場は混乱するのである。この辺も厚労省側は都合の良い理由のみを前景化させる牽強付会の戦法である。
ロ、平成22年の自立支援法改正案および改正障害者基本法によって、自立支援法の問題点や、あるいは自立支援法意見訴訟団との基本合意文章の内容の大半は解消できる。
→バタコメント:上記の強弁に適合的な部分のみを整理した説明資料を、厚労省は「総合福祉部会の骨格提言への対応」として提示した。だが、あくまでも自らの都合の良い部分のみを選択的に提示している。佐藤部会長からの当日資料にも示されたが、骨格提言の60項目のうち、不十分ながら骨格提言を取り入れている項目は3箇所、検討されているがその内容が不明確な事項は9箇所、あとの48箇所は全く触れられていないのである。ちなみに、十分に取り入れられている事項は一つも無かった、ということも念押ししておく。
ハ、自立支援法は医学モデル的だというご批判もあったので、改正障害者基本法を受けて、社会モデルを理念規定に入れる。難病の対象拡大やグループホームとケアホームの一本化、あるいは程度区分については今後5年後を目処に検討するなどの努力もした。出来ることから着実に、段階的計画的に実施して行きたい。
→バタコメント:障害の範囲の拡大など、障害者基本法の改正案に対応せざるを得ない部分については変えることにした。だが、「障害者自立支援法」という名称が「自立支援」という名前を用いながら中身が疎かだった悪夢を思い出さざるを得ない。医学モデルから社会モデルへの転換、という言葉だけを借用して、それが意味する財源や法制度のあり方の改革には手をつけずにお茶を濁す体質は、全くそのままである。さらに、5年後の見直し、など問題を先送りして、その間にそれなりの「変えない言い訳」を作る時間をとる、あるいは論点そのものをうやむやにする可能性も高い。
人によって評価は色々あるが、僕自身は「実質的なゼロ回答」として厚生労働省案なるものを読み取った。もとより厚生労働省が主導する形ではなく、政治主導で進み始めた障害者制度改革推進会議。しかも、内閣府が音頭を取り、厚生労働省は総合福祉部会でも人事権と論点整理権を取れなかった。内閣府の制度改革推進担当室主導であり、そこには民間任用された、障害当事者で弁護士でもある東さんが室長になったこともあり、かなり当事者主導での改革を進めてきた。だからこそ、そんな厚生労働省が「蚊帳の外」に置かれた総合福祉部会の骨格提言を、全く聞く耳を持つ気もない。そういう本音があけすけに見える厚生労働省案の説明であった。
個人的に憤る部分も勿論ある。だが、どこまでも楽天的な戦略を考える癖がある僕としては、さてここからが本当の政策形成過程における勝負の開始だ、と思っている。
今まで、厚生労働省側は総合福祉部会に対して「コメント」という名の批判しかしてこなかった。今回、総合福祉部会の骨格提言に対置させる形で、厚生労働省の案が示された。一部マスコミは、これが決定事項であるかのような報道の仕方をしている。確かに、一つの案しか出されなかったこれまでの政策形成過程においては、国の案が示される、ということは、その方向性で行く、ということの表明であっただろう。その時代のやり方を前例踏襲した、さらには厚生労働省による綿密なブリーフィング(という名の誘導)を受けた、総合福祉法部会をまともに傍聴もしていない記者が、厚労省案をそのまま鵜呑みにして「改革の方向性はこれだ」と誤解をしても仕方ない。(ちなみに部会を受けた後のマスコミ記事は少しだけ論調に変化があったが、それでも「原則無料化」が骨格提言の最大の目標ではないことは、骨格提言自体をお読みいただければ一目瞭然である。しかし、それが恰も最大の争点であるかのように書いているのは、厚労省への取材の中でそうブリーフィングされ、そのまま記事にしている可能性が否定できない。)
だが、実は上記の流れでの押し切り方は、明確にアンシャンレジーム(旧体制)のやり方である。そうは問屋が卸さない、というのが、僕の見立てであり、希望的観測でもある。その理由をいくつか述べる。
まず、今回は比較検討が出来る、ということだ。総合福祉部会は、2011年8月に「障害者総合福祉法の骨格提言」を55人委員会の総意としてまとめている。障害当事者や家族、支援者、学識経験者などで、これまで厚労省の委員会に入っていた人も、そこから除外されていた人も、簡単に言えば自立支援法の賛成派も反対派も一緒になって作り上げた骨格提言である。その前提があった上で、今回の厚生労働省案を比較検討したときに、あまりにも厚労省案が”スカスカ”だ、ということがわかる。部会委員以外の障害当事者や関係者、広く国民一般がこの二つを見たときに、どちらの方が、より誠実で説得力がある議論に見えるだろうか。
次に、官僚制支配の構造的問題の論点がこれで明確にわかった、ということである。思えばこの総合福祉法部会は、政権交代後の2009年9月、長妻大臣による「自立支援法を廃止する」という宣言からスタートした。その当時は政治主導が明確な形で示され、これを受けて首相を本部長とする障害者制度改革推進本部が出来、その下に内閣府障害者制度改革推進会議が出来た。総合福祉部会は、その下部組織の位置づけである。そして先述の通り、その人事権と論点整理権は、政治主導の一貫で内閣府の推進室側におかれたことにより、これまでの厚生労働省の人事権・論点整理権に基づいて開かれた社会保障審議会では決して議論がされることの無かった、社会モデルに基づく政策展開についての具体的な内容が骨格提言に盛り込まれた。だが、この間、民主党の政権基盤の弱体化と官僚支配の盛り返しの中で、今、完全に政務三役の政治家の先生方は、事務局のコントロール下におかれている印象をぬぐえない。事実、総合福祉法部会に出席された政務官は、終始、事務局(厚労官僚)の作成したペーパーの線に沿った解答を逸脱することは無かった。また、もしかしたら、本気で骨格提言は絶対に出来ず、厚労省案しかできない、と思っておられるのかもしれない。そうであれば、本当に官僚の手の平の上、という意味で、官僚制支配の勝利であり、構造的問題が象徴的に表れていた部会である、ともいえる。
さらに、上記二つを受けた審判なり判断が、再び一般市民に投げ返された、という点である。総合福祉法の骨格提言において、障害者運動や障害者支援に携わる人々は、自立支援法の賛成反対という「コップの中の争い」を乗り越えて、新たな望ましい新法の形を骨格提言として示した。それに対して、厚労省はゼロ解答に近い内容を厚労省案として示した。その中で、政治主導の後退と官僚制支配のぶり返しが、劇画のごときわかりやすさで前景化された。それを受けて、市民はどう判断されますか、と、ボールは部会から、市民の側に投げ返されたのである。
この間、1月18日現在で、5つの県議会、3つの政令指定都市議会、49の市町村議会で、総合福祉部会の骨格提言を尊重した総合福祉法制定を求める意見書が採択されている。ここには、与野党を超えて、地方議会の議員の先生方が、市町村現場の閉塞感を超えるために、この骨格提言が必要不可欠だ、と感じてくださったから、これだけの請願や意見書の採択となっている。この意見書採択を受け、国会議員の中にも、総合福祉部会の骨格提言をきちんと尊重すべきだ、と考えて発言しておられる先生方もおられる。ただ、ここからは私の邪推と妄想だが、この間、厚労省は、国会議員へのロビー活動を周到に進めてきたようにしか思えない。「こんな骨格提言はお金がかかりすぎます」「実現なんて出来っこありません」「現場は大混乱です」「自立支援法改正案の法が現実的です」。こういう情報をずっと議員回りをしながら耳打ちし続けてきたとしたら、それを鵜呑みにする議員さんも少なくないだろう。政府与党のワーキングチームでも、ねじれ国会を乗り切るためには、厚労省案でよいのではないか、という意見が出ていることを聞くにつれ、そんな妄想や幻覚がありありと僕の目の前に去来してしまう。
だからこそ、ボールは再び部会から市民の側に戻されたのだ。総合福祉部会の骨格提言の完全実施と、厚生労働省案と、どちらがいいのか。あるいは、今日の部会では、両者をつなぐためにJDFが骨格提言完全実施に向けた「工程表」を提示したが、このような工程表を政府与党は出さなくていいのか。さらにはこの「工程表」と厚労省案をすり合わせる必要は無いのか。ちなみに僕自身、今日の部会では、骨格提言と厚労省案のすり合わせをするワーキングチームを置くべきだ、という提言を行った。そういう現実的な提言や、さらには厚労省案への意見を行うのも市民側に求められている。あるいは政府与党、その動きを監視する役目を持つ野党など、通常国会上程に向けて、様々なアクターに対して、再度ロビー活動や障害者運動の声を上げる必然性が高まっている。
付言するならば、実はこの総合福祉部会の設立根拠も、来月あたりで危なくなっている。この部会は先述の通り、内閣府の障害者制度改革推進会議が親会議になっているが、この親会議自体が、障害者基本法の改正を受けて、障害者政策委員会にこの3月にでも、形を変えることになっている、と担当室の東さんから、部会の最後に話があった。親会議がなくなるので、この総合福祉部会も3月以後はその設置根拠を失うのです、と。そして、今の弱腰な政権与党が、再びのこ部会を形を変えてでも生き延びさせるとは思えないし、厚労省は当然アンコントローラブルな人間(もちろん僕を含む)を、自らが人事権と論点整理権を持つ審議会から排除するだろう。しかも、繰り返しになるが、今月中にも与党のワーキングチームで取りまとめ、3月中ごろには閣議決定し、国会に上程する、というのである。このような急展開の中で、舞台は総合福祉部会からマスコミや世論の動向、障害者運動やロビー活動側に、急激に移行しつつある。
今回のメモでは、内閣府障がい者制度改革推進会議の総合福祉部会構成員として、今日の話をもとに、出来る限り感情的な内容を抑えて、事実と状況に関する論点整理を行ったつもりである。読者諸氏に置かれては、この実情をご自身で解釈された上で、何らかのアクションに向けて動き出してほしい。(ちなみに、福島智委員が民主党議員に対して「原点に帰れ」と訴えた意見書は、実に心揺さぶられる内容であった。こちらも良かったらぜひお読みいただきたい。)
最後になるが、制度化とは、様々なステークホルダー(利害関係者)による闘争や妥協の産物、の側面がある。そういう意味では、総合福祉法部会が骨格提言を出すまでが制度化の第一フェーズ、今日の部会で出された厚労省案やそれに向けた厚労省側の情勢作りが第二フェーズ、とするならば、両者の意見が揃った今から、制度化に向けた世論と政治の闘争が始まる。まさに、これは制度化に向けた第三フェーズが始まった、とも言えよう。これまでに、総合福祉部会に出来ることは、かなりやりつくしたつもりだ。もちろん、またバトンを託されたなら、出来ること、すべきこと、したいことは沢山ある。だが、そのバトンは、第三フェーズにおいては、残念ながら、政治家と官僚、そして市民に戻されてつつあるようだ。僕が書ける範囲のバトンは、速報的に書いた。その上で、皆さんが必要だと思うアクションに進み始めていただきたい。そう願って速報的な記述を終える。
2012年2月8日 午後9時
内閣府障がい者制度改革推進会議 総合福祉部会構成員 竹端寛拝

スクリーン依存という「夢心地」からの脱却

昨日の朝、東京出張のために、足早に駅に向かう途中で気づいた。

「あ、携帯忘れた」
電車の時間がギリギリなので、取りに行けない。以前なら後悔したり、その後ずっと落ち込んだりしたかもしれない。でも、その時の僕は、むしろワクワクしていた。
「あ、これはいよいよ『インターネット安息日』の実験ができるぞ!」
実際、スマートフォンを持ち歩かなかったので、妻とやりとりする為に何度か新宿駅付近の公衆電話を探したが、それ以外、「つながり」環境から離れていることにより、行き帰りの電車の中で、こんなに集中して本を読んだり考え事が出来る、とは思いもよらなかった。それほど、僕はスマホやパソコンを通じた、ネット上の「つながり」に中毒状態であり、依存症であったのだ。それをハッキリと気づかせてくれたうえで、別の生き方を模索するための、大切な指針となる本と出会った。
「人間は外界への旅を愛する。つながりを強く求めるのは人間の本質である。しかし、自分の内面に立ち返って現実の生活を見つめなおしてこそ、スクリーンに向かっている時間が実り多いものとなるのだ。この両方のニーズがかなう世界を目指すべきではないか。」(『つながらない生活-「ネット空間」との距離のとり方』 ウィリアム・パワーズ著、プレジデント社、p21-22)
フリーの作家・ジャーナリストのパワーズ氏は、職業上、パソコンやスマートフォンなどの「スクリーン」と毎日にらめっこしている生活だった、という。だが、ある日、近所の池でボートを漕ごうとしてスマホを池に「水没」させた時、飛行機の機内にいるときと同じような、ネット上の「つながり」が切れた解放感を味わった。その経験から、実は自らが「つながり至上主義」者であると気づき、その中毒状態から抜け出しながら、適度な距離を取り、折り合いをつけるにはどうすればいいのか、という「内面の旅」に出始める。
そこまでなら、自己啓発本にも出てきそうな展開だが、この本を出張帰りの新大阪の本屋で眺めて、ついつい買ってしまったのは、第二章で取り上げられた先人達のラインナップに意外性を感じたからだ。プラトン、セネカ、グーテンベルグ、ハムレット、フランクリン、ソロー、そしてマクルーハン。どれもスクリーン至上主義時代を生きていない先達達が、なぜ、この本に登場するのか。そのあたりは本書を読んでほしいのだが、上記の先達は、実はみな、「つながり」の方法が激変する転換期に生きており、彼らの叡智の中に、「つながり」に巻き込まれず、自ら内省する時間を確保するためのヒントが隠されているのである。それを僕は、こんな風に受け取った。
1,プラトン→つながりから距離を置く。
2,セネカ→じっくり自分の考えと向き合うために、つながりを減らす。
3,グーテンベルグ→ブラウザを開かずに文章を練る。
4,シェークスピア→紙の本や手帳を活用して、一つのことに集中する。
5,フランクリン→何かを諦めるのではなく、前向きな自分の「内面の探求」を促すための儀式・ルールを作る。
6,ソロー→内面を大切にする場所と時間を確保する。
7,マクルーハン→スクリーンのみ、よりも、お顔の見える関係作りを重視する。
実にどれも書いてみれば「当たり前」の事ばかり、なのだが、特に昨年の震災以後、ずーっとツイッターの画面から離れられない依存的な自分がいた。フェースブックも色々つながりをもち、Gmailと共に、ブラウザ上に常駐させて、「つながり続けよう」とする自分がいた。間違いなく僕もパワーズ氏と同じ「つながり至上主義者」になっていたのだと思う。その間、内面的な気づきもあり、色々じっくり考えたいのに、それだけの時間がとれない事にいらだっていた。だが、忙しくしているのは、スマホやPCなどのスクリーンに齧り付いている部分も多分にある。現に、昨日それを止めてみる「インターネット安息日」にしたら、随分色んな事が考えられたり、内面の探求に繋がる良質の読書も出来た。また、放ったらかしにしていたモレスキンの手帳を、アイデアメモとして取り始めると、色んな事が見え始めた。そういう、自分の限界(と決め込んでいた部分)を超える為にも、「つながらない生活」は、大きなヒントを与えてくれたのだ。
あと、もう一つこの本に出てきたエピソードで、今でもその衝撃の渦中にある逸話がある。
「彼(=マクルーハン)は、人びとがなぜガジェットに夢中になるのかを説明するために、ギリシア神話のナルキッソスを引き合いに出した。ナルキッソス青年は水に映った自分の姿を別人と勘違いし、恋焦がれた末に死んでしまう。『この神話の要点は、人間は別の何かに投影された自分に、たちどころに魅了されるということだ』。同じように、わたしたちが新しいテクノロジーにひかれるのも、それによって自分が別の何かに投影されるからである。しかし、ナルキッソス同様わたしたちも、身体が外界へと引き延ばされて自分がどこかへ投影されるという、ガジェットの作用に気づかない。この混乱はある種の夢心地を伴う。なぜかわからないが、ガジェットから目を逸らすことができないのだ。」(同上、p284)
本当にぎくり、とした。
ツイッターのタイムラインを追うだけでなく、たまに「@つながり」を確認したり、朝起きたときにツイッターの「@」マークが表示されていないか、とか、フェースブックの「お知らせ」に赤で数字が入っていないか気になっている僕は、ある種の「夢心地」でいた。それは、「別の何かに投影された」自分への陶酔、という意味で、ナルキッソス青年と同じなのだ!!!!! この衝撃は、痛々しさと共に、自らに突き刺さる。そんなに自意識の歪んだ姿に「夢心地」になっていたなんて・・・。
このフレーズに出会って、夢から醒めてしまった。
もちろんツイッターやGmailなどのつながりのツールから、多くの恩恵を受けているのは、事実である。頑固爺さんのように、そのつながり自体を否定したりはしない。だって、随分そのつながりから正の恩恵も受けてきたのだから。だが、「つながり至上主義者」として、スクリーン依存症になり、「夢心地」で我を忘れるほど埋没していては、単に阿呆になったも同然である。自分の内面の探求が出来ない、その為の時間が確保できないことが一番つらい。筆者は最後にこう書いている。
「あなたが考え方、暮らし方をどう選ぶかにかかっているのだ。」(p334)
本当に「わかった」というとき、それは行動変容を伴うはずだ。このフレーズは、僕自身が授業や研修の場で言い続けて来たことである。その刃は、今、再び自分に突き刺さっている。ただ、そんなに不安はない。ちょうど、「三食教」から自由になって、もう二年になろうとしている。あのときは炭水化物を減らしながら、自分自身の固定観念と向き合っていた。今度はその延長線上で、スクリーンへの依存も減らしながら、内的自己を見つめる時間を確保すればいい。そういえばツイッターを始めたのは、ダイエットが進み始めた2010年3月からだった。今思えば、食事への依存の代償行為として次に選んだのが、スクリーン、だったのかもしれない。
もう、そういう依存なく暮らしたい。真剣にそう思い始めている。

両端を眺めながら

この週末、二つの「端」を眺めている竹端がいた。

一つの端は、最先端の方。土曜にうちの大学で行われた「生涯学習フォーラム」で、基調講演の渡邉先生の話が面白い、と同僚から伺い、潜り込んでみた。確かにお話はメチャクチャ刺激的だった。「できごとの実相を伝える多元的デジタルアーカイブズ」というタイトルは、僕には最初ちんぷんかんぷんだったけれど、長崎や広島の原爆体験の記憶を、グーグルアースとくっつけながらウェブ上で融合させる事で、過去と現在をつなげ、記憶の断片を再組織化させるアーカイブスの紹介は、実に魅力的だった。また、東日本大震災後は、ヒロシマ・ナガサキのアーカイブスの経験を被災地に活かした東日本大震災アーカイブも進行している、という。
そのお話に魅入られながら、渡邉先生の一連のプロジェクトの発端になったという、ツバル・ビジュアライゼーション・プロジェクトのことが、ずーっと気になっていた。このプロジェクトは、地球温暖化で島がなくなってしまうかもしれない、という事で一躍有名になったツバルについて、現地に暮らす人びとの顔写真と、現地の風景写真に基づいて、「ツバルの別の様相(=できごとの実相)」を伝えようとするアーカイブである。ここで僕が圧倒されたのは、ある島に住む住民全員の顔写真を撮って、その人がどこに暮らしているか、をグーグルアース上で表示させている映像を眺めた時だった。その島の人びとと信頼関係を作った日本人の写真家が撮った、住民一人一人の顔写真をクリックすると、住民さんの一言が添えられており、しかもその人へのメッセージを送ることが出来る。このプロジェクトHPを通じて、全世界からツバルの住民宛に、メールも届く、という。そのつながりも、グーグルアースを通じて可視化していた。そのつながりの可視化と促進、という観点に、すごく魅入られながら、先生のお話を伺っていた。
先生の基調講演の直後、僕も別の場所で講演をする事になっていたので、直接先生に聞きそびれた事があった。それを、少しブログにしたためておきたい。それは、地方におけるつながりの再組織化に関して、というもう一つの端について、である。
僕はここ最近のブログでも書き続けているように、地域コミュニティにおける人びとのつながりの捉え直し、に興味を持っているし、関わり続けている。限界集落や高齢化率の高い地域における見守りネットワーク、あるいは地域包括ケアと呼ばれる支援体制をどう構築していけばいいか。その中で、住民主体の地域共同体再生に、福祉行政や事業所などがどう共同参画できるか。こうした問いが、福祉現場のフィールドワークを通じて、地方における普遍的課題として前景化している。こないだブログに引用した内山節氏のフレーズを用いれば、「ともに生きる世界があると感じられること」という共同体精神を、これからの地域社会でどう育んでいくか。この問いと直面している、と言っても過言ではない。
その際、ツバルのプロジェクトは、実はリンクしてくるのではないか、と直感しはじめている。ツバルのような、日本に住む私たちから見て周縁と思われる土地においても、その土地で暮らす人びとの営みや共同体がある。それを、前述のツバルプロジェクトは活き活きとデジタルアーカイブとして示してくれている。そこから、ウェブを通じた新たなつながりも創発されている。そこで、僕の中で生まれた問いは、「このウェブを通じた新たなつながりの創発」を、地域福祉の課題に応用できる可能性はあるか、という問いである。
ここ数年、地域包括ケアや地域自立支援協議会といった、市町村や地区コミュニティ単位での、「その地域における解決困難な福祉課題」をどうしたら解決していけるか、を主題として集まるネットワーク形成にコミットしている。その中で、僕のネットワークに関する認識の甘さを痛感しつつある。以前の僕は、ある地域のリーダーを育てる事によって、その地域を変革できないか、と考えていた。これはプロジェクトを引っ張るイニシエーターという「特定の人格のエンパワメント」を通じて地域の再構築を計ろうとする考え方である(このことについても、以前のブログに整理した)。だが、この「特定の人格のエンパワメント」=イニシエーター主導型モデル、であれば、その他の人びと=フォロワーの力を引き出したり、そこから何かを生み出す、という側面が弱い。確かに地域活動は、民生委員とか自治会長とか、あるいはその地域の将来を憂う若者とか、「特定の人格」から渦がスタートする事が多い。でも、その渦を探し、そこにのみエネルギーを注ぐアプローチは、ある種の中央集権的発想のダウンサイジングにしか思えないような気も、一方ではしているのだ。
そこで、ツバルのプロジェクトのような、住民全員に光を当てるプロジェクトが、どう応用可能性があるのだろうか、ということが気になる。このツバルプロジェクトでは、住民の誰がリーダーだ、とか、議員さんだ、行政職員だ、という序列がない。住民がみんな、水平な関係で置かれている。そこに、ツバル以外からも、様々なコメントがダイレクトに個々人に寄せられる。この水平的なウェブ空間に流れてくる情報、という観点を、地域福祉の困難性の解決、という問題とどこかで結びつける事は出来ないか、というのが問いなのだ。地域福祉の課題というのは、その土地のローカルな文脈や社会資源の問題と結びついた、局所的課題である。一方で、ウェブを用いた「できごとの実相を伝える多元的デジタルアーカイブス」とは、その局所的課題の閉塞感を乗り越える、外からの、別の場所からの風を運び込む力を持っている。この「別の風」と「ローカルな文脈(の閉塞感)」が出会うことによって、新たな何かの創発や、問題の解決のための第一歩が動き始めないか。そう夢想しているのだ。
ただ、当然、この両端を結びつけるには、大きな課題が幾つかある。個人情報保護の問題だったり、あるいはデジタルデバイドの課題だったり。昨日の講演会でも、ツイッターという言葉を知っていたり活用していたりするのは、参加者の1割にも満たない、という現実がある。地域福祉の課題にそれらのITを用いる際のデバイドは相当高い。また
、地域課題は動的で可塑的で、人間関係の濃密な機微にも関わる何かであるが、可視的なアーカイブに一旦置いてしまうと、その動的性質が崩れ、関係の(時にはドロドロした)ダイナミズムもそぎ落とされ、静的なものとして着地してしまわないか、という危惧もある。もちろん、アップデートすれば、その一部は解決出来るのだろうけど、そのアップデートには、情報格差の壁が高くのしかかっているのだ。
と、現段階では結びつけるのが難しそうな、多元的デジタルアーカイブスと地域共同体の再活性化、という二つの「端」。でも、尊敬するフィールドワーカーの関満博先生は『現場主義の知的生産法』(ちくま新書)の中で、時代の最先端と最後尾の双方を追いかけ続ける中で、問題の構造が立ち現れてくる、と述べていた。ウェブを通じた最先端の方法論と、過疎化や高齢化で弱体化しつつあるコミュニティをどう最活性化するか、というある種の最後尾の話。両方は、どこかでつながるのではないか、という予感を、とりあえず両端を眺めながら、したためておきたい。

支援の閉塞感の彼方に

「優れた知とは、それが知ることのできないものの前で立ちどまる。」
(『荘子に学ぶ』ジャン・フランソワ・ビルテール著、みすず書房、p60)
こないだ神保町の本屋で買い求めた新刊は、それまであまりご縁がなかった「荘子」を、哲学者という視点で捉えなおし、その本質を実にわかりやすく伝えてくれる、おそらく「今年最大の収穫(の内の一冊)」になる、キーブックであった。その本を読み進める途中で、たまたまアポイントを入れて訪れた現場で、この本とシンクロニシティの体験をすることになるとは、思いもよらなかった。
来月の2月18日、山梨で共生型ケアを展開されている「かんむら」さんが、共生型ケアの元祖、富山の惣万さんたちを呼んだ講演会+シンポジウムを主催される。その第二部で、障害者と高齢者の支援の重なり合い、という観点から、僕もシンポジストの一人として呼ばれることになった。だが、共生型ケアは話を聞いたり映像を見たりしたことはあったけれど、実際に訪れたことがなかったので、シンポジウムの前に一度訪問させてください、ということになった。
そして、昨日の午後、訪れた「かんむら」で僕が見たのは、まさに「知ることのできないものの前で立ちどまる」という現象であった。
よそのデイサービスで「問題行動」を取り、出入り禁止となった人。ターミナルなので見れませんと言われた人。○○だからうちには無理、と言われた人・・・。そういう人々がこの「かんむら」に集っている、という。しかも現場は、小学校低学年の子ども達もぎゃーぎゃー騒いでいるし、障害のある若者も有償ボランティアに来ている、そんな、これまでの「デイサービス」の「整った空間」とは間逆の場所。だが、その混沌とした空間の中で、不思議と皆さん、自分らしさを取り戻している、という。暴力行為が減ったり、無くなったり。笑顔が増えたり。子ども達に優しく諭す認知症のお年寄りが現れたり・・・。
これらを「家庭的雰囲気」「共生型ケア」という形で「わかったようなふり」をすることは簡単だ。でも、そういうものではない、とその現場でぼんやりしているなかで、感じ始めていた。
認知症のお年寄りと、元気な子ども、知的障害のある青年、そして看護師や介護福祉士といったスタッフ。それらが一つの家の中で取り交わす相互作用。もちろん、その相互作用は、下手をすれば、単なる雑居部屋となる可能性が十分にある。昔とある県の「共生型グループホーム」なるものが、そういう雑居部屋然とした空間であることを垣間見て以来、なんとなく共生型への嫌悪感=先入観を抱いていた。しかし、昨日訪れた「かんむら」は単なる雑居部屋とは全く違う、混沌とした中にも一つの調和の取れた空間であったような気がする。その秘密は何だろうか。
それは、「かんむら」の代表の岡さんが話していた、「こちらから、特別にプログラムなど働きかけない、仕掛けない」という言葉の中に隠されているような気がする。
こちらから仕掛けなくても、様々な人々(障害者、高齢者、子ども、支援者・・・)が寄り合うだけで、色々な動作やエピソードが始まる。子どもに反応するお年寄り、なんとなくお手伝いをし始める知的障害の青年。あるいはそういう場の中で佇んでいる職員。そういう、意図せざる相互作用の中に、福祉サービスという枠組みの中では「知ることのできないもの」が、「かんむら」という場に立ち現われる。その立ち現れた何かの前で「立ちどまる」ことが出来るのか。あるいは、せっかく立ち現れそうになった相互作用を、「福祉サービス」という枠組みの中に矮小化してしまわないか。
さらに敷衍して言えば、実は福祉サービスや支援と言われるものは、これまで、目の前で繰り広げられる「知ることのできないもの」を、福祉や支援の規格外ゆえに、「なかったこと」にして、無視してこなかったか。自らの理解できる範囲内での現象を、専門家の視点から分析することに躍起になっていなかったか。その標準偏差(=という名の学術体系)の枠組みの外にある何かを、「逸脱行動」「問題行動」「○○スペクトラム」などというラベリングをぺたんとはって、それ以上の意味や内在的論理を追求することなく、「知った」ふりをしていなかったか。「知ることのできないもの」をそのものとして認識し、その前で「立ちどまる」勇気をどれだけもてたのか。「知らない間に、なんだか空間が出来ている」という状態を作るための努力をどれだけしていたのか。「知っている範囲内」に無理やり支援や対象者を押しとどめてはいなかったか。
「あなたの意識的な活動が、より深い源から養われた、もっと無欠な活動に達するのを妨げないように気をつけなさい」(同上、p50)
多様な人が集うことで、その場に生起する無意識的な流動性の渦が流れ始める。その渦を、専門性という名の意識的な働きかけによって、消してはいないか。渦から創発される「知ることのできないもの」を「なかったこと」にすることによって、その場で立ち上がる力動性を限定することになっていないか。
専門性がいらない、といっているのではない。いやむしろ、専門性を十分に鍛錬したうえで、その専門性にすがらない、という熟達が求められる。牛さばきの達人といわれた料理人は、恵王の質問に次のように応えている。
「私は牛を目で見ることなく、精神で見るのです。私の感覚はもはや介入せず、精神が欲するままに動き、牛の輪郭そのものに従うのです。」(同上、p14)
この料理人も最初は「目の前のすべてが牛に見えました」という。だが、鍛錬を積み三年の修練のあとに、「牛の何らかの部分だけをみていました」という。いわゆる専門家がタコツボ的に陥るのも、この「何らかの部分のみをみる」という局所的視点であろう。それでは、部分最適はできても、全体をみたことにならない。だが、熟達する、つまり『荘子に学ぶ』で言うところの下位の状態(レジーム)から上位のそれへと移行するとき、「活動は、意識の統制から解き放たれて、もはやそれ自身にのみ従う」(同上、p15)という。
支援者という「料理人」も、最初は「目の前すべてが牛」である状態から「何らかの部分をみる」という段階にいたることで「専門性」が完成された、と錯覚していないか。本当はその先に、「対象者を目で見ることなく、精神で見る」ことが出来ているか。「知識」にとらわれることなく、「精神が欲するままに動き、対象者そのものに従う」状態(=上位のレジーム)へと移行できているか。
この移行が完成したとき、初めて場全体への配慮ができ、そこから場全体の相互作用を押しとどめることなく、その「知ることのできないもの」の力に身をゆだねる=「精神が欲するままに動く」ことが出来るのではないか。
支援の専門性が、タコツボに入るような閉塞感を、各領域で感じる。それを超えるためには、この料理人が示したような、あるいは「かんむら」のような場で起きているような、レジームの移行が必要なのではないか。
「人が物の筋道をかき乱し、存在の自然な性質を侵害すると、はかりがたい自然は、作用できない。獣たちは離散し、鳥達は夜に鳴き、災禍が植物におよび、厄災が虫を見舞うことになる。こうしたことは、秩序を調整せんと主張すると生じるのだ!」(同上、p124-125)
「かんむら」において僕が垣間見たのは、そこにいる全ての人々が、その混沌とした空間の中で、なんとなく一つの調和(=筋道)を見出しながら、そこにいる、という感覚だった。それは、ある場を共有する人々が意識的・無意識的に発するメッセージを交歓しあう中で、「存在の自然な性質」を共有しながら、探り当てつつある「物の筋道」だった、とはいえまいか。
一方、支援やサービスの専門家は、しばしば「善きことをなさんとする意図や、他者を助けて導こうとする欲求に駆り立てられたままでいる」(p127)。これを、「秩序を調整せんと主張する」「意図」や「欲求」であると見るならば、その「秩序」とは、いくら相手のことを表面的に慮っているように見えても、その実、支援する側の「秩序」への「調整」の欲望ではないか。支援者側の「あるべき姿」の中に、当事者側を無理やり当てはめようとする、という説得モードだからこそ、その説得に適合しない人は、「問題行動」という形で、反発するのではないだろうか。
その際、本人が納得する形を探し出す、ということは、「人が物の筋道をかき乱」さない、ということかもしれない。その場で生起する様々な想定外のドラマ(=知ることのできないものの)を、「なかったこと」にせず、支援の規格の中に矮小化せず、その「前で立ちどまる」という、知への、相手への、場全体への深い敬意。その敬意を払う中でこそ、支援空間という場全体を、「目で見ることなく、精神で見る」ことが出来るのではないか。そういう視点から振り返ってみると、「自己決定支援と意思決定支援は違う」とか、「認定(上級)○○士が必要だ」とか、そういう議論は、「目で見る」=コップの中、での争いであって、下手をすれば本質を見失った議論に繋がってはいないか。
そんなことを、「荘子」と「かんむら」のシンクロニシティから考えていた。

創発の渦の螺旋階段的拡大

今日の講義で、NPO法人子育て支援センターちびっこはうす理事長の宮澤由佳さんにお話頂いた。彼女の20年に渡る社会起業家の軌跡をうかがう中で、ふと創発の渦の螺旋階段的拡大の姿が目に浮かんだ。忘れないうちに、そのことを書いておきたい。

ここ最近、コミュニティの本を読みあさってエントリーしてきたが、社会を変える渦は、必ず個人の思いからスタートする。しかも、単なる思い、で留まらずに、その思いから仲間が増え、組織的・制度的つながりへと展開していくなかで、一定の自己組織化が進んで行く。宮澤さんのお話にも垣間見えたその渦を、授業中に次のようにメモしてみた。
1,その地域・領域における社会問題、ニーズ、状況の極まりに出会う
2,その問題を他人事して「仕方ない」と思えず、「放っておけない」と自分事になる
3,取り組む仲間を見つけて、解決に向けて行動を進める
4,前途を阻む「壁」に出会う
5,試行錯誤の中から新しいアプローチを生み出し、壁を越え、自らの既成概念や旧い枠組みを超える
6=1’,あらなたその地域・領域における社会問題、ニーズ、状況の極まりに出会う
 (2’以降へ)
ここで肝心なのは、この渦は拡大・深化する螺旋階段のように、その射程範囲と深度を増していく、という点である。1~5段階のプロセスは、ビジネスであれ、行政的課題であれ、あるいはサードセクターの課題であれ、課題を解決するモデルとしては、わりとオーソドックスなフレームであると思う。ただ、社会的起業家に特に特徴的なのは、この1~6の回転、および螺旋階段的拡大のモチベーションが、「もうけ」ではなく、使命やビジョンである点だ。
使命やビジョン、と書くと大げさだが、最初は第六感の大風呂敷(=ほら吹き)かもしれない。でも、その大風呂敷を広げて、次にその広げた風呂敷を実現する為に行動化を伴うために、様々な人々を巻き込んでいく。だが、その大風呂敷は、これまでの体制の中にはなかった風呂敷(=視点、見方、パラダイム)であるがゆえに、当然、制度的枠組みや偏見、先入観などによって、つぶされがちだ。これが、一つの「壁」となる。そして、ここで「もうこれ以上仕方ないかも」という2と同じ危機が訪れる。
このクライシスを、逆に枠組みを乗り越える為のチャンスと捉える事ができるか、が大きな分かれ道だろう。大風呂敷のまま、であれば、ここで風呂敷をたたむ(=仕方ないとあきらめる)方向性にいくかもしれない。だが、すでに多くの人を巻き込んで、フォロワーも増え、イニシエーターはのっぴきならない状態に追い込まれている。その中で、既存の解決方法では思いつかなかった、新しいアプローチ(=視点、見方、パラダイム)を試行錯誤の中から見つけ出すことによって、大風呂敷は、単なるホラから、ミッションやビジョンへと深化していく。それが、その地域・領域におけるローカル・ノレッジとも適合しながら、化学反応を起こす視点であれば、解決策は、思いもよらない新しいイノベーションや創発を生み出し、予想以上の事態が展開していく。そして、このサイクルを回して拡大していく中で、次の壁にもつながる、新たなフェーズに出会う。すると、これは最初の1の段階に戻ったようにも見えるが、前回の1の段階とは、すでに関わっている人々の量も、情報も、コミュニケーションも、そして抱えている事態も大きく前回より広がってより、問題やニーズの極まりも、より深化(深刻化)している。そこから、創発の第二フェーズの渦巻き時期に展開していく。
実は、この拡大する螺旋階段のイメージは、以前から自分の中に内包されていた。だが、それが創発の渦と結びつき、前々回のエントリーでご紹介した5つのステップとも通じる、とは思ってもいなかった。そして、この創発の渦が回転していくための原動力として、前回のエントリーでご紹介した「ともに生きる世界があると感じられること」という共同体の古層=精神とアクセスしていることが必須なのである。ちなみに、宮澤さんにとっては、「子どもが安心して育つ環境作り」というビジョンが、「主婦が世界を変える」という大風呂敷に展開していかれたそうだが、その元々の「安心して子育て出来る環境を作る」ということは、まさに「ともに生きる世界がある」という精神の具現化でもあったような気がする。
こういう風に僕も書き続けることによって、自らの創発の渦を、少しずつ螺旋階段的に拡大しようとしているのかもしれない。

共同体の「古層」にある内在的論理

最近、「偶然」の出来事のなかに、積極的な意味を見出そうとしている。(消極的なそれは運気を下げそうなのでしませんが・・・)

実は今日主題として取り上げる内山節氏の『共同体の基礎理論』(農文協)は、短期間で2冊、購入している。最初、12月のクリスマス前に買い求め、赤線書き込みをルンルンしながら読み進めていた。だが、暮れに妻と東京に遊びに行った際、朝7時過ぎに甲府を出た「かいじ」の11号車5番A席の前のポケットに入れたまま、置いてきてしまったのだ。なぜそんな特定の場所まで覚えているかって? その後、何度も何度もJRの忘れ物センターに電話をかけたのです。同じ本は買えても、書き込みまでは引き継げないので、僕にとっては「貴重」な一冊。取り返したい、と粘ったけれど、結局見つからず。で、泣く泣く再度買い求め、昨日から読み直していた。
だが、結果的には暮れに読み終えず、今の時期に読み直して、実に良かった。それは、昨日のエントリーでご紹介した『コミュニティのちから』の読後感に感じた、ある種の不全感とアクセスしていたからだ。
僕は基本的には、金子氏らの著作に敬意と賛意を示している。それは、昨日も今日も変わらない。「”遠慮がちな”ソーシャルキャピタル」概念を用いる事によって、イニシエーターとフォロワーの相互作用の中から、日本的な社会変革の実践例が出ていることが明確に示されていたのは読み応えがあったし、「7つのルール」も、僕自身が博論を書いているときに発見した「5つのステップ」と通底する実践的ツールだと思う。ただ、昨日の記事を早速読んでくださったある方から、フェースブックを通じて「7つのルールが実践的でわかりやすい」と書いておられたのに対して、こんな風に書いている自分がいた。
「確かにシンプルでわかりやすいし、ツールとしてはこのルールは使える、と思います。その一方で、ツール(=方法論)の自己目的化に堕してしまわないためには、何のために、という目的(=社会ビジョン)を常に意識化しておく必要があると思います。そして、そのボトムアップ型の社会ビジョンを考える際には、上記のツールだけでは足りない、ような気もするのです。自分達のコミュニティをどうしていきたいのか、についての、外在的論理ではなく、内在的論理が。そのあたり、明日あたりにまたブログに書き足してみようと思っております・・・。」
そう、金子ゼミの3人による『コミュニティのちから』は、あくまでも研究者が現地の方々の文献やヒアリングに基づいて、外から理解できる範囲での、外在的論理で整理したものである。ただ、その外在的論理はかなりの確度の深いものであるが故、他に応用可能性が高く、ひいては説得力が高い書籍として仕上がっている。だが、これは僕自身の博論の限界とも通底するのであるが、それでも外部の研究者のインタビューに基づく整理は、やはり事象の外在的論理は整理し尽くしても、その内在的論理に迫りきれない、と思い始めている。これは、単なる調査者ではなく、その現場の変革のアドバイザーとして、実践により近い立場から関わるようになった、この4,5年で特に感じていることである。一言で言うならば、コミュニティの変革って、そんなにシンプルでも美しいことでもない、もっと泥臭い何かが詰まったものである。その「泥臭さ」の論理、「泥臭い」なかに潜むそのコミュニティの自生的な論理としての「内在的論理」を掴まないと、実体にギリギリ迫る、ということにはならないのではないか、そう思い始めているのだ。
で、やっと冒頭の内山節氏の話に戻る。この哲学者は、群馬県上野村という人口1300人の山間の村と東京を往復する生活をしている。山梨で言えば、丹波山村や小菅村、早川町のようなところに拠点を構え、農業をしながら、著述を続けている哲学者である。共同体の一員として、お葬式を出すだけでなく、様々な活動にも参加し続けてきた生活者であるがゆえに、大塚久雄やテンニェス、マッキーヴァーの共同体論とは異なってくる。
「地域共同体とは何なのであろうか。地域というひとつのものにすべてのメンバーが統合されていると考える地域共同体論は正しいのだろうか。私が上野村や訪れた各地で経験してきた地域共同体はそういうものではなかった。共同体に暮らす人ではなく、共同体を観察した人達の地域共同体論の問題点が、そこにはあるような気がした。私は共同体は二重概念だと考えている。小さな共同体がたくさんある状態が、また共同体だということである。ひとつひとつの小さな共同体も共同体だし、それらが積み重なった状態がまた共同体だとでもいえばよいのだろうか。このような共同体を私は多層的共同体と名づける。」(内山『共同体の基礎理論』p70)
この「多層」性とは、複数の意味合いを帯びている。例えば山梨では今でも「無尽」が残っているが、この無尽を幾つか掛け持ちすることが、その人がいくつかの共同体から承認されている、「人びとの信頼を得ている」証である、という(p128)。また、こういった無尽や職能団体の寄り合いだけでなく、お祭りや信仰についても、部落毎に異なっていて、これも多層性を織りなしている、という。更に言えば、自然との折り合いも含めた多層性である、という。
「日本の共同体は自然と人間の共同体として、生の世界と死の世界を結合した共同体として、さらに自然信仰、神仏信仰と一体化された共同体として形成されていた。ここには進歩よりも永遠の循環を大事にする精神があり、合理的な理解より非合理な諒解に納得する精神があった。人びとは共同体とともに生きる個人でありい、共同体こそ自分たちの生きる『小宇宙』であると感じていた。」(p16)
そう、共同体こそが「小宇宙」だったのである。明治期以後の国民国家や廃仏毀釈、戦時統制、あるいは戦後の高度経済成長やその後のグローバリゼーションの到来で、この「小宇宙」は壊されていった。が、基本的には共同体は合理も非合理も含まれる、ブラックボックスとしての「小宇宙」であり、その中で、自然との折り合い、先祖や道祖神、様々な祭りや祈りとの折り合いをつけながら、集落の、あるいは仲間との、あるいは仕事の関係者との、多くの小さな共同体を作りながら、その小さな共同体が「小宇宙」と共振し合うなかで構成されていった。そこから、内山氏は、これまでのコミュニティ・共同体論には見られない、重要な指摘をする。
「自然と人間が結び、人間が共有世界をもって生きていた精神が、共同体の古層には存在している。それが共同体の基層であり、この基層を土台にして時代に応じた、地域に応じた共同体のかたちがつくられる。ゆえに共同体が壊されていくというとき、その意味は、自然と人間が結び人間達が共有世界を守りながら生きる精神が壊されていくことを意味する。(略) 共同体はその『かたち』に本質を求めるものではなく、その『精神』に本質をみいだす対象である。」(p32)
ゲマインシャフトやゲゼルシャフト、アソシエーションやコミュニティといった、共同体の『かたち』や機能別類型は本質ではない、と内山氏は言い切る。そうではなくて、自然も含めたその地域で、その時代を、地域の人とどう共に生きていくか、という「精神」こそ、共同体の古層であり、本質である、というのだ。だからこそ、共同体が壊れていく際、復活すべきなのは、「かたち」ではなく、「精神」である、ということになる。ただ、この「精神」は決して単なる過去を賞賛・過剰に称揚するようなものとは違う、現代にも(再)構築可能なものである、という。
「私たちがつくれるものは小さな共同体である。その共同体のなかには強い結びつきをもっているものも、ゆるやかなものもあるだろう。明確な課題をもっているものも、結びつきを大事にしているだけのものもあっていい。その中身を問う必要はないし、生まれたり、壊れたりするものがあってもかまわない。ただしそれを共同体と呼ぶにはひとつの条件があることは確かである。それはそこに、ともに生きる世界があると感じられることだ。だから単なる利害の結びつきは共同体にはならない。群れてはいても、ともに生きようと感じられない世界は共同体ではない。課題は、ここにともに生きる世界があると感じられる小さな共同体をいかに積み重ねていくか、なのである。それが積み上がっていけば、小さな共同体同士の連携もまた形成されていくだろう。ここに共同体があると感じられる時空も生まれていくだろう。」(p168-9)
「ともに生きる世界があると感じられること」。これが共同体の「精神」の本質である、という。その時、合理的な利害ベースではなく、自然災害も家庭問題も失業も、様々な矛盾や非合理をひっくるめた自然や隣人を、「ともに生きる」から、と分かち合う、そんな共同体の積み重ねが、共同体の再生には必須だという。その上で、社会の変革についても、次のように指摘する。
「システムを変えれば世の中はよくなるという発想から、それぞれが生きる世界を再創造しながら世の中を変えていくという方向に、変革理論自身が変動してきたといってもよい。(略) 道筋が、システムの変革からはじまるのではなく、生きる世界の再創造をとおしてシステムの変革も求めるという方向に変わったのである。」(p166)
この指摘は、介護保険の地域包括ケアシステムや、障害者の地域自立支援協議会という「システム」の立ち上げや運営促進の支援に携わってきた人間として、実に耳の痛い話である。だが、正鵠を射る指摘である、とも感じる。中央集権的で上意下達のシステム変更では、現場の地域福祉は立ち行かなくなっている。その中で、上記の地域包括ケアや自立支援協議会がうまくいっている地域は、システム変更を丸呑みするのではなく、その地域のローカル・ノレッジを組み込んだ形での、その共同体に合った形でシステムを取り入れていく営みが見られてきた。つまり、「ともに生きる」という時空や精神が共有されている土壌があって、「生きる世界の再創造」という目的のために、手段としてのシステム変更が加えられるのである。
ながーい道を辿ったが、この点が、先の手段の自己目的化の論点や、金子氏らの議論と対比した際の、内山共同体論の魅力なのである。
昨日のブログでも引用したが、金子氏は「社会活動の基本モデル」として、下から「個人」「組織」「制度」「社会ビジョン」という四つの層を示し、「それぞれの層は、一つ上の層を制約としている」と示している。また、この基本モデルは「インターネットの世界で基本とされている通信プロトコルの層別構造を示した「OSI (Open Systems Interconnection)参照モデル」を形の上で模して、社会活動を実行する際の社会的制約の階層構造を示したものである」(『コミュニティのちから』p295)という。実はこの仮想空間をモデルに作った「社会活動の基本モデル」に欠けていたものこそ、内山氏が共同体の古層とも呼んだ「ともに生きる世界があると感じられる」という「精神」だった。この「精神」は、目的合理性を持った「社会ビジョン」とは異なり、自分がそこに生まれた時に、既に親や先祖から伝わっている通奏低音であり「古層」である。だから、僕はこの「精神」は、四つの層の下に拡がる、ある種ユングの集合的無意識論と繋がるような「精神」である、と理解している。自我の下にあって、その共同体のこれまでの歴史やローカルノレッジを下支えしているけれど、普段意識することがない、そんな無意識であり「精神」である。これは、近代合理主義的な分析手法では析出されない何か、である。
だが、山梨や三重で幾つかの地域に関わって見えてくるのは、この第三者が外在的論理によって析出しにくいローカル・ノレッジが、確実にその地域の制度変革の成否に強く結びついている、という実態である。その地域の中で、どれだけ「ともに生きる世界があると感じられる」という「精神」が共有されているのか、そしてそれを「再創造」しなければならないという危機意識もどれだけ共有されているのか。その共有度の度合いによって、「システム変革」が表層的なものにとどまるか、起爆剤となるか、は大きく異なる。その「精神」の「古層」が、「個人」に憑依した際に、「ほっておけない」「何とかしたい」という「自分事」として関わるイノベーターを生み出し、それがフォロワーの渦を巻き込みながら、「組織」的な連携からやがて「制度」の変革へとつながり、結果として「社会ビジョン」の変化を後付け的にもたらすのである。そうすると、先に「泥臭い」何か、との述べた共同体の内在的論理としての「古層」=「精神」は、上記の4つの層を「制約」としているのではなく、逆にその層を規定し、揺り動かす為の集合的無意識としての役割をしている、とも言えるのかもしれない。
本当はここから、丸山圭三郎の「生の円環運動」論や、河合隼雄の「ユング心理学と仏教」との接続まで考えたいのだが、今はまだその力がないので、今日はこのあたりにしておく。

ボトムアップ型の創発と自己組織化

今年最初のブログも「コミュニティ」の問題に触れる。
実は、このブログを読まれている、以前仕事をご一緒にした事がある方から、コミュニティについての勉強会のお誘いを頂いた。そこで題材にするのが、以前のブログで取り上げた『コミュニティ・デザイン』、前回のブログで紹介した内山節氏の『共同体の基礎理論』、そして今日ご紹介する『コミュニティのちから』である。
この『コミュニティのちから』は、名著『ボランティア』(岩波新書)を出され、慶応のSFCでソーシャル・イノベーションを教えておられる金子郁容氏と、金子氏のゼミで修士論文を書いた今村氏、園田氏の3人による共著である。長野の保健指導員や茅野市の「パートナーシップのまちづくり」、あるいは鹿児島県鹿屋市の地域医療の再生などの事例を、パットナムのソーシャル・キャピタル論と対比させながら論じている。そして、パットナムの事例に出てくる北イタリアのような自主性や積極性のあるソーシャル・キャピタルと対比して、日本の各地域に根付くのは”遠慮がちな”ソーシャル・キャピタルである、とする。ちなみにソーシャル・キャピタルとは社会関係資本などとも呼ばれているが、その特徴としてパットナムは「社会ネットワーク活動」「相互信頼」「互酬性の規範」を挙げ、コミュニティのソーシャル・キャピタルの豊かさが、そのコミュニティの成否に大きく相関している、と示した。
さて、この『コミュニティのちから』においては、上述の日本の事例を分析する中で、ソーシャル・キャピタル醸成のためには「ルール」「ツール」「ロール」のそれぞれの絡み合いが大切だ、と指摘する。その上で、「いいコミュニティ」を作るのに有効な「七つのルール」を抽出している。(p302)
1、コミュニケーションをよくする
2、きっかけを作る/誘う/巻き込む
3、一緒に汗をかく
4、自分から動く
5、成果の可視化/共有
6、論理で正面突破する
7、実践を促進するためのルールをつくる
この「7つのルール」を眺めながら、これは創発に向けた自己組織化の促進に必要な要素抽出である、となんとなく考えていた。
そもそも、「コミュニティのちから」を必要とされているのは、その「ちから」がないと解決できない問題(=福祉業界ではよくそれを「困難事例」などと言う)が発生したときである。もともとうまくいっていたり、問題が顕在化しなければ、とりたててそんな「ちから」を主題化する必要はない。「コミュニティのちから」が相対的に弱体化する一方、行政でも市場でも解決できない社会的な課題が大きく広がるなかで、それをどうやって弱体化しつつあるコミュニティで解決できるのか、を探るために、ソーシャル・キャピタルという指標も取りざたされている、と考えることもできるだろう。
その際、「これは問題だ」と気づき、動き始める「イニシエーター(新しいことを始める人)」(p294)がいて、その人に巻き込まれていく「フォロワー」の「ロール」を引き受ける人が出始める、と同書では指摘している。そう、実は問題があっても「どうせ」「仕方ない」「自分ひとりでは何も変えられない」と思う人ばかりでは、何もはじまらない。つまり、「イニシエーター」が「問題」を「発見」し、それを解決したいといつの間にか問題を「自分事」として引き受ける瞬間がないと、物語はそもそも起動しないのである。
そして、物語が起動し始めた際に、単なる一人の努力で「燃え尽き」に終わらせず、個人から組織、制度へと昇華していくための有効な「七つのルール」も、非常に共感を持って読んだ。実は、僕自身、精神障害者のノーマライゼーションに関する博士論文を書いている中で、京都中の精神障害者に関わるソーシャルワーカー117人にインタビューを行い、地域を変えている面白い実践をしている現場の精神科ソーシャルワーカーは、以下の5つのステップを踏んでいることに気付いた。
ステップ1:本人の思いに、支援者が真摯に耳を傾ける
ステップ2:その想いや願いを「○○だから」と否定せず、それを実現するために、支援者自身が奔走しはじめる(支援者自身が変わる)
ステップ3:自分だけではうまくいかないから、地域の他の人々とつながりをもとめ、個人的ネットワークを作り始める
ステップ4:個々人の連携では解決しない、予算や制度化が必要な問題をクリアするために、個人間連携を組織間連携へと高めていく
ステップ5:その組織間連携の中から、当事者の想いや願いを一つ一つ実現し、当事者自身が役割も誇りも持った人間として生き生きとしてくる。(最終的に当事者が変わる)
(竹端寛 2003 「精神障害者のノーマライゼーションに果たす精神科ソーシャルワーカー(PSW)の役割と課題―京都府でのPSW実態調査を基にー」大阪大学大学院人間科学研究科博士論文)
このステップを上昇するために、上記の「7つのルール」が必要不可欠である。また、僕が調査したPSWの中には、保健師出身のPSWが沢山いて、ちょうど長野の保健指導員のケースや茅野市のケースなどとも重なる部分が多いなぁ、と思いながら読んでいた。
ただ、僕の今の関心からすると、この5つのステップなり「7つのルール」なりを踏みながら、どう創発が自己組織化されていくのか、が興味がある。つまり、ステップの上昇や、あるいは「コミュニティのちから」の発揮の背景には、もちろんソーシャル・キャピタルの力も大きいが、それだけでなく、イニシエーターとフォロワーの、「特定の人格のエンパワーメント」が必要不可欠のように感じるからだ。(この点は、一年前のブログで安冨先生の議論に基づいて考えたことがある。)
さらに言うならば、触媒役やファシリテーターとして、様々な地域の「コミュニティのちから」を高めるために、どのような創発支援、あるいは「特定の人格のエンパワーメント」の支援が求められているのか、というあたりにも、非常に興味がある。これは、山梨や三重で、障害者の地域自立支援協議会や、高齢者の地域包括ケアシステムに関する様々な動きをお手伝いするなかで、痛切に感じていることである。多くの地域で、地域福祉や地域包括ケアに関して、それなりの努力が積み重ねられてきている。だが、今ひとつ、一皮向けるための、もう一歩の努力、をどうしていいのかわからずに、決め手に欠けている。あるいは官民・官官・民民のセクショナリズムの壁に阻まれて、点が線にならない。ましてや地域を動かす面のアクションにつながらない・・・。そういう実例を沢山見てきた。
金子氏らの本では、個人-組織ー制度を規定するものとして、「社会ビジョン」を描いているが、この「社会ビジョン」をそのものとして描くのではなく、僕の5つのステップのように、個人から組織、組織から制度とボトムアップに積み上げ、実態を変えていく中で、社会ビジョンも後追い的に変わってくる。そういうボトムアップ型の変容と、その中での「社会ビジョン」の創発、および自己組織化が、多くのコミュニティで求められているのではないか。そんなことを感じながら読んでいた。

「魂の諒解」に必要な「構え」とは?

おそらく今日が今年最後のエントリー。なので、改めて東日本大震災の事を考えてみたい。
震災や原発事故について、どういう「構え」をしたらいいのか。未だにわからない。糸口もなかなか見いだせない。震災から9ヶ月たった今も、まだその戸惑いの渦中にいる。そんな中で、すーっと心の中に染みこんだフレーズと出会った。
「大きな災禍からの復旧、復興への歩みがはじまるとすれば、その出発点にあるのは、魂の諒解、魂の次元での折り合いなのではないだろうか。直接的な被災者ではなかった人びとも同じことだろう。魂の次元で被災者とともに生きようと諒解した人びとは、自分のできることを探した。知性の次元で考えれば、被災者とともに生きるとはどうすることなのかはよくわからない。しかし、多くの人たちが今回の大震災では、魂の次元で被災者とともに生きようと考えた。出発点は魂の折り合いであり、諒解なのである。だから頭で考えただけの復興の計画を聞かされても、誰もが空々しく、あるいは虚しく感じる。確かに町や村を再建していくには、いろいろなことをしなければならないだろう。そんなことはわかりきったことだ。だがそれだけでは何かが十分ではないと感じる。そんな感じを抱いている人も多いだろう。それは魂の諒解を伴わない復興計画から浸み出てくる虚しさである。」(内山節『文明の災禍』新潮新書、p13)
確かに僕自身も、3月11日から9ヶ月過ぎた今でも、あの日テレビの映像を通じて見てしまった現実が、「腑に落ちて」いない。「魂の次元で被災者とともに生きようと考え」てはいるのだが、それにはどのような構えや振る舞いがよいのか、未だに見いだせていない。その理由として、「魂の次元での折り合い」がついていないからではないか、といわれたら、直感的に確かにそういう気がする。僕自身が、具体的に震災や原発災害とどう向き合えばいいのか、腰が据わっていない。それは、今回の震災でもたらされた膨大な数の死者・行方不明者を前にして、僕自身がそれをどう受け止めていいのか、どう魂のレベルでこれを諒解していいのか、が、腑に落ちていないから、とも言えるだろう。その上で、内山氏は次のように論を進める。
「東日本大震災では、無関係な他者の死に対しても、無関心でいるわけにはいかなかった。あまりにもすさまじい生と死の境界が、テレビをとおして私たちの前に現れてきたのである。そして関心をいだいたときから、私たちはこの死の現実に対してどう向き合ってよいのかわからなくなった。呆然としているしかなかたのである。現れてきた現実の受け入れ方がわからない。だからそれは恐怖になり、心の奥に沈み込んだ『かたまり』になった。かつて共同体を通して死を諒解していった日本の人びとは、共同体を失ったとき、死を、とりわけ不慮の死を不条理のなかにみるしかなくなった。とすれば、それもまた現代文明の敗北である。現代文明は新しい形で死を諒解する構造をつくりださなかった。なぜなら現代文明は生の饗宴として展開したからである。あるいは個人を軸に置いた生の饗宴として展開した。それでは生と死のつながりの諒解など形成しようもない。」(同上、p45)
震災から9ヶ月が過ぎた今も、ある意味、「呆然としている」状態が続いている。テレビでは年末特集で当然津波の映像をやっているが、まともに見ることが出来ない。それは「現れてきた現実の受け入れ方がわからない」からであり、「心の奥に沈み込んだ『かたまり』」のようなものが、つっかえているからかもしれないし、それが逆流して眼前に出てくることの恐怖なのかもしれない。僕自身が「個人を軸に置いた生の饗宴」を享受し、「生と死のつながりの諒解」からかけ離れていた。共同体に関わりの薄い僕には、だけれども「新しい形で死を諒解する構造」がなかった。それゆえに、「無関係な他者の死に対しても、無関心でいるわけにはいかなかった」際、どう振る舞えばよいのか、がわからず、フリーズしてしまった、というのが実感である。そのフリーズ感を、こうも具体的な表現で書いてくれる作品に、今の時期に出会えたことにより、その氷が、少しずつ溶けつつある。
仕事として、「地域福祉」という領域に関わっている。最近では、地域包括ケアや地域自立支援協議会、といった、コミュニティの再生や賦活化のお手伝いもしている。だが、お恥ずかしい話、僕の中にそのコアな部分にある共同体なりコミュニティなりに対する構えや諒解、というものがなかった。自分なりにビジョンを持つこともないまま、求められるがまま、に、幾つかの地域でのアドバイザーの仕事をしてきた。制度や政策論レベルで、行政施策をよりよいものにするならば、という道具主義的な考え方であれば、それでも何とか仕事をしてこれた。
とはいえ、道具主義の向こう側にある、「何のために」という目的を見据えた支援をしないと、方法論の自己目的化に繋がる。自分の仕事がどうもそういう自己目的化のタコツボの中に入り込んでいるのではないか、と、特に震災以後、感じるようになってきた。福祉現場から依頼された、直接の目的は、確かに果たそうと努力している。しかし、方法論的にある程度の到達が出来ても、目的を見失った方法論であれば、結果として糸の切れた凧のように、初期の目的からずれて、明後日の方向に飛んでいくことになりかねない。そのため、ここしばらく、地域福祉の前提となるコミュニティについて、学び直そうとし、ブログにもメモを書き続けていた。実は内山節氏の存在も、そのブログを読まれた方から教えていただいて初めて知った。
そして、コミュニティや共同体について縦穴を掘り始めてすぐ気づいたのが、それを語るタケバタヒロシ自身が、コミュニティや共同体から切り離された存在である、ということだ。「個人を軸に置いた生の饗宴」の枠の中で、バーチャルな存在として「コミュニティ」や「共同体」を語っている、というお恥ずかしい事態である。しかも、そのロゴス中心の、バーチャルな考え方が、そろそろ破綻している、ということに、震災後、身体が気づき始めた。ゆえに不全感の「かたまり」が全身を覆っている。
だが、それを突破する(かもしれない)道が、見え始めている。そのきっかけは、ふと読み直したくなって手にした、大学生の頃に読んだ新書からだった。
「<ロゴス>と<パトス>というギリシア語からは、ひどく難解な哲学的行論を予想する人がいるかもしれない。しかし、これをくだいて言ってしまえば、<頭>と<気持>なのである。先日たまたま、初期の『男はつらいよ』シリーズのビデオを見ていたら、例の寅さんがくりかえし呟いていた。『頭じゃわかっているんだが、気持ちが俺をひょんな方向へ駆り立てていっちゃうのよ。』 思想・学問・芸術の別を問わず、私たちのいかなる<知>の営為も、『今、ここ』に生きる生身の人間とその日常から遊離してはならないだろう。<頭>と<気持>・・・まことに人間の一生は、寅さんの体験するような、二つの相対立するものの間で揺れ動き、そこからすべての喜怒哀楽が生まれてくる。」(丸山圭三郎『言葉と無意識』講談社現代新書、p16)
震災という不条理を僕自身が「魂のレベルで諒解」出来ていないのは、<頭>と<気持>が分離しているからだ。寅さんなら、ふらふらと『頭じゃわかっているんだが、気持ちが俺をひょんな方向へ駆り立てていっちゃうのよ』と出かけてしまうが、僕はその逆で、どこにも行けず、山梨で閉じこもっていた。もちろん本務の仕事をしていたし、様々な仕事で出張をし続けていたが、被災地支援については、直接のアクションは何も起こせなかった。寅さんのように「気持ちが」「駆り立て」る、という<パトス>に従うことなく、<ロゴス>の回路も情報過多でオーバーフローし、<頭>を働かせられずに「呆然」としていた。
思えばこの10年ほどは、研究者としての「立場」を内面化するために、ロゴスの囚人へと自らの魂を進んで捧げ、パトスについては「ロゴス以前」として見ないようにしてきた自分がいた。だが、大震災や原発災害は、そのロゴスの前提(「まさか」「はずだ」)を「想定外」という一言で吹き飛ばしてしまった。ロゴス=頭、が吹き飛んでしまった今、再度パトス=気持、の前提から、議論を紡ぎ直す必要があるのではないか。だが、このパトスとは、決して単なる情緒的なものではない。
「パトスの位相にあるロゴスは、一切の実体論的二項対立以前の動きであるだけでなく、その差異化自体が、意識的主体の意思によるものではない非人称的活動であることを見逃してはならない。そこでは、自/他以前の<on ひと>が語るのだが、そのonは能動/受動以前の受動性によって語らされる(パトス=パッシオ=パッション)。とは言っても、主体が雲散霧消するのではなく、それは逆に多様化され複数化され、『私はもう一人の他者』(ランボー)となり、『歴史上のあらゆる自分とさえなる』(ニーチェ)のだ。ロゴスの表層において錯視されていた自我の同一性は崩壊し、デカルト的主体(コギト)によて抑圧されていたより豊穣な自己の世界に人は生きる。」(同上、p38)
「生と死のつながりの諒解」を形成してきたかつての共同体は、「意識的主体の意思によるものではない非人称的活動」によって形作られてきた。氏神信仰や祭礼など、「大地にねざした共感、すなわち五感を駆使した『ふれあい』にもとづく人と人との『あいだ』の存立を可能とするような範域性」(吉原直樹『コミュニティ・スタディーズ』作品社 p82))で繋がる地縁とは、「個人を軸に置いた生の饗宴」よりも、「さまざまな無名の霊への融合という『かたち』をとって、自然をわがものとするのではなく、自然に同体化するという、近接性/隣接性の性格(→位相的つながり)を色濃く帯びていた」(同上、p226)。そのなかで、主体が「多様化され複数化され」ることによって、「デカルト的主体(コギト)によて抑圧されていたより豊穣な自己の世界に人は生きる」ことができた。つまり、<頭>と<気持>が繋がるためには、コギト=ロゴスの囚人・抑圧的環境を出るための、死者や霊ともアクセス出来る氏神信仰や祭礼といったコミュニティの共通の象徴の具現的イメージが重要であった。この「昔から続く」ロゴスの範囲を超えた儀礼的な何か、のお陰で、大災害も大干ばつも、何とか共同体として乗り越えてこられた。
だが、京都の街中で育った僕にとって、あるいは山梨で暮らす今の僕にとっても、このような共同体は、少なからぬ部分、崩壊の一途を辿る現実にあると感じる。個人主義的なロゴスの世界は、グローバリゼーションという追い風を得て、パトスを個人消費という形に矮小化し、コミュニティとしての、消費行動の外側にある「非人称的活動」をことごとく「前近代的」と捨て去ってきた。おしゃれで便利な消費生活、という枠内に生を矮小化し、自我の同一性を「消費者」という形で同定化することによって、金を使う・金を回す、という事が第一目的となるような社会を作り上げて来た。いつのまにか、内奥の<気持>より、大衆消費社会というイメージ=<頭>でっかちを優先した。その果てに、<頭>では捉えきれない大災害が直面し、頼るべきコミュニティや共同体も持たない中で、僕自身も、そしておそらく多くの人も、「呆然」と不安の「かたまり」を抱えて、この年末を迎えている。
その時に、どのような「構え」が必要なのだろうか。
人は、<ロゴス>に信をおけない場合、その対極にある<パトス>に飛びつきやすい習性をもつのかもしれない。
今日の朝日新聞の世論調査で、首相になってほしい人、として、1位が石原慎太郎都知事、2位が橋下徹大阪市長、3位が小泉純一郎元首相の名前が書かれていた。これは、不安という社会心理の中で、強烈なリーダーシップを求める集合的<パトス>の反映、とも言えなくはない。この3人の言説に共通しているのは、ワンフレーズで直裁に言い切る<パトス>的発言である。その是非は置くとして、<ロゴス>としての政府や専門家の発言への信用度が失墜している今、<パトス>の言葉や情感、イメージを直裁的な表現でに訴えかける人に、強いリーダーシップを求める<気持>も、理解できなくはない。
だが、ここで大事なのは、<気持>だけの暴走では、やはりダメだ、ということである。大切なのは<気持>と<頭>を再接続させること。情緒的に「ぶっ壊した」ところで、その後に何を作るのか、という<頭>=ロゴス、がなければ、終末論的破壊幻想でしかない。コミュニティについても、単に祭礼や氏神信仰を復活させれば事足りる、という訳ではない。グローバル化と過疎化、少子高齢化が進む地方においては特に、何を残し、何を掛け替え、何を新たに創発させるのか、というロゴスと、その地域で暮らす誇りや喜びというパトスの再接続が必要なのだ。そして、制度やシステムは、そのロゴスとパトスの再接続の為にこそ奉仕すべきである。まかり間違っても、独善的なリーダーシップのもたらす破壊ショーに花を飾る手段に没してはならない。
横道にそれたので、「魂の諒解」の話に戻ろう。
「魂の諒解」のために必要な「構え」についてであった。
時間がかかるし、地道なことだが、震災以後の現実において、個々人が<気持>と<頭>を再接続させることが一番必要な「構え」なのではないか、と感じている。直接に東北の支援につなげるかどうか、ではない。日日の仕事や生活の中で、どこか<気持>が矮小化されたり、あるいはパターナリスティックな消費経済の目くらましにあっていることはないか、の再点検が、第一義となるだろう。その中で、守るべきものは何か、必要なものは何か、大切にしなければならないことは何か、を、自分の<頭>で再構築する。安易なモデルやプランを鵜呑みにするのではなく、個々人の、その地域の、というローカルなレベルで、<気持>と<頭>を再統合する努力をするしかないのだ。震災以前に覆っていたこの国の閉塞感という「ロゴスの表層において錯視されていた自我の同一性は崩壊」してしまった。であるならば、「より豊穣な自己の世界」を求めて、まずは自分自身の<気持>と<頭>を丁寧に結び合わせることからスタートするしかない。
来年は、そんな一年にしたい、と思っている。

べてるの家とローカル・ノレッジ

めっきり寒くなったので、最近は毎日何らかのスープを頂いている。味噌汁やキムチスープなど、あるいは鍋をするときでも、我が家のベースは昆布だし。それも、日高産の「ばらばら昆布」を使うことがここ数年の定番になっている。

「ばらばら昆布」といえば、福祉業界では結構有名な、北海道浦河の精神障害者の回復拠点・コミュニティーである浦河べてるの家で、定番商品になっている、地元の日高昆布の切れ端を袋詰めしたもの。精神障害者の早坂潔さんが「精神ばらばら病の早坂潔が売る昆布です」と、全国での講演でセット販売するゆえに、売れまくっている。事実、おいしい。浦河には3度ほど取材で訪れ、またべてるの講演に立ち会ったら必ず買っているのだが、最近はネット販売で毎年買っている。ついでに言うと、朝さっと味噌汁を作るときは、ばらばら昆布より、刻んだ昆布がお茶パックに入っている「だしパック」の方が便利である。
今朝、商品と共にダンボール箱に入っていた浦河べてるの家の紹介チラシを読みながら、ぼんやり考えていた。そこには、こんなことが書かれていた。
「べてるの家の歩みは、様々な悪条件を好条件として活かしてきた歴史から生まれたものです。社会的な支援体制の乏しさや地域経済の弱体化が、精神障がいを抱えながら生きようとする当事者自身の生きづらさと重なり合ったとき、『地域のために、日高昆布を全国に売ろう』という起業の動機につながりました。」
べてるの本はある程度目を通している僕としては、上記のフレーズは何度も読んだ内容である。でも、改めて今考えてみると、この数行には、大きな意味が込められている。そこには、精神障害者の「生きづらさ」と、「支援体制の乏しさ」、そして「地域経済の弱体化」を重ね合わせ、「地域のために、日高昆布を全国に売ろう」というアクロバティックな発想の転換をした点である。被援助者ではなく起業者として、また支援を受けるだけでなく商売人として、昆布を通じて全国につながっていったことは、これまでも言われてきた。でも、もう一歩踏み込んでみると、精神障害の「生きづらさ」と、地域全体の「弱体化」を重ね合わせたとき、町おこしの一つの手段として、昆布に自らの存在を重ねて売り出した、という戦略には、ここのところ考えているコミュニティの問題と重なるところがあるような気がするのだ。その補助線として、最近はまっている吉原直樹先生の、震災後の論文を用いて考えてみたい。
吉原氏は震災以前から進んでいた、自動車中心の生活による近隣との疎遠化をさして、「プライバティゼーション(私事化)」と呼ぶ。その上で、震災からの復興について、次のように書いている。
「過疎化をそのままにし、プライバティゼーションを放置した状態でいくらコミュニティの再生を説いたところで『絵に描いた餅』に終わってしまう。見方を変えて言うなら、過疎化とプライバティゼーションが現に進んでいる中で、『あるけど、本当はない』地域コミュニティに期待しても決して再生にはつながらないのである。コミュニティの再生のための基本要件は、もはや存立の基盤を失ってしまっている『古きよきコミュニティ』への過剰な思い入れに浸るのではなく、過疎化とプライバティゼーションが深くゆきわたっているという地域の実情を踏まえた上で、そうしたものによって視えなくなっている『生活の共同』の枠組みを再建し、あらためて自律的な生活基盤を確立することである。」(吉原直樹「ポスト3・11におけるコミュニティ再生の方向」『地域開発』2011.9 p25)
そう、地域コミュニティとは、「過疎化とプライバティゼーションが現に進んでいる中で、『あるけど、本当はない』」という危機に陥っているのである。これは、浦河や東北だけでなく、山梨でも全く同じだと思う。そこで、「『古きよきコミュニティ』への過剰な思い入れに浸る」ことは、ノスタルジーの世界観を満喫することは可能であっても、実際に「地域おこし」という実践へと結びつくにはかえって障壁になりかねない。べてるの家の活動が始まった30年前の浦河も、「過疎化やプライバティゼーション」が進む中で、「社会的な支援体制の乏しさや地域経済の弱体化」が先鋭化しつつある状況であった。そのとき、コミュニティの弱体化が「精神障がいを抱えながら生きようとする当事者自身の生きづらさと重なり合った」ことから、商売という突破口を彼らは見つけ出した。
さらにいえば、実はこのときに地域福祉の推進や行政との協働、という方向にべてるの家が当初進まなかったのは、もしかしたらその協働のあり方の問題もあったのかもしれない。
「地震直後および原発事故直後に『区会とか町内会の姿がよく見えなかった』のは確かであるが、そうした地域コミュニティの不活性化が地震勃発以前の行政による『上から』の町内会の起用と被災者を広く囚えてきたプライバティゼーションとの相乗作用に基づくものである」(同上)
この吉原氏の論考は、防災コミュニティを行政主導型で進めてきたが、結局は「上から」のコミュニティ作りが機能しなかったことを指摘している。前回のブログにも書いたように、防災コミュニティを地域福祉と入れ替えても全く通じる、行政主導型の「上から」のコミュニティ論が、「過疎化とプライバティゼーション」とあいまって、本当の地域づくりに実態的に機能していない、ということを如実に表している。
では、どうしたらいいのか。
「『生活の共同』のありようをより視野を拡げて3・11以前にさかのぼって問うなら、クリフォード・ギアツがローカル・ノレッジと呼んだものの地域社会における存続形態が大きな争点になるだろう。それは『住民の視点』から織りなされる『固有の知識』であり、『人間の生がある地でとったかたち』を示している。地域社会の歴史は無数のローカル・ノレッジとともにある。当然のことながら、地域社会の再生にはこのローカル・ノレッジのありようが深くかかわってくる。しかしそれは普段意識されることはない。それが強烈に意識されるようになるのは、専門知=技術知がある大きなできごとを前にして壁にぶつかったときである。われわれがいま遭遇しているのは、まさにそうした状況である。」(吉原、同上、p26)
「地域社会の再生にはこのローカル・ノレッジのありようが深くかかわってくる」とい
う吉原氏の指摘は、深い共感を持って読んだ。僕自身も、以前、「正解」から「成解」へ、というテーマでブログを書いたとき、このローカル・ノレッジを意識していた。そして、改めて浦河べてるの家のことを考えてみると、まさに北海道の辺境地で、過疎化と高齢化が進み、地元の水産業も商売が右肩下がりである、というローカル・ノレッジに根ざしていた。そこで、「『古きよきコミュニティ』への過剰な思い入れに浸る」ことはしなかった。いや、精神医療やソーシャルワークといった「専門知=技術知がある大きなできごとを前にして壁にぶつかった」時に、そんなことを言っていられなかった。そんな追い詰められた局面で、「社会的な支援体制の乏しさや地域経済の弱体化が、精神障がいを抱えながら生きようとする当事者自身の生きづらさと重なり合った」ときに、「様々な悪条件を好条件として活かしてきた歴史」が立ち現れてきたのである。これぞ崖っぷちで「生活の共同」を改めて問う中で、浦河町の特産である日高昆布につながることが出来たから、浦河べてるの家は、その後、地域再生や精神障害者の快復の見本例と昇華していったのだと思う。
そこまで考えたとき、地域包括ケアや地域自立支援協議会と呼ばれる、福祉行政で進めようとしている施策のあり方にも、根本的な疑問が生まれる。それらの施策は、「『古きよきコミュニティ』への過剰な思い入れに浸る」ものではないか。あるいは「上からのコミュニティ論」ではないのか。「過疎化とプライバティゼーション」があいまって、弱体化しているコミュニティを再生させる際に、本当に「『住民の視点』から織りなされる『固有の知識』」を大切にしているか。そのローカル・ノレッジに基づいた、地域づくりをしようとしているか。国のモデル事業を縮小再生産的・表層的に当てはめておしまい、とはしていないか。
立ち返るのは、その地域の住民の本当の「困りごと」であり、その地域の「過疎化やプライバティゼーションの進行具合」であり、それ以前から培われてきたその地域の「固有の知識」であるはずだ。これらのローカル・ノレッジを丁寧に聞き取り、ここから地域福祉を立ち上げていく、というボトムアップ的なものでない限り、浦河のような地域再生は出来ない。
さらに言うならば、浦河べてるの家には、「べてらー」と呼ばれる熱心なファンがいる一方、「べてるは所詮特殊例だから」と蔑む声も聞かれる。僕自身も、長い間、どうべてるを評価してよいのかわからなかった。だが、浦河べてるの家や、中心的人物のソーシャルワーカー向谷地生良氏をローカル・ノレッジに基づく地域再生の視点で捉えると、すっと理解できる。べてるの人々は「全国どこでもべてるは出来る」と言い、べてらーたちもそれを夢見るが、なかなか実践できていなかった。もちろん、「幻覚妄想大会」や「三度の飯よりミーティング」、「当事者研究」というアウトプットや成果を利用できるならしたほうがいいと思う。でも、多分大切なのは、そのアウトプットが出来上がるプロセス、つまり、浦河固有のローカル・ノレッジを精神障害者の地域資源のなさという過酷な実情と重ね合わせ、少しずつ地域の一員として、商売という軸で地域展開を続けてきた、浦河べてるの家のローカル・ノレッジに基づく歩みのプロセスにこそ、他の地域でも応用可能な、福祉のコミュニティ作りのエッセンスが詰まっているのではないだろうか。そしてこれは、制度化やシステム化とは一見相容れない、地道で時間がかかる作業ではないだろうか。
僕自身は、地域自立支援協議会や地域包括ケアといった、ともすれば「上から」の地域福祉にもなりかねないものにかかわり、そのお手伝いをしようとしている。その際、自戒すべきなのは、どんな理想論であっても、上からの網掛けは、絶対失敗する、ということである。時間がかかっても、その地域固有のローカルな文脈に耳を傾け、そこから立ち居がってくる「固有の知識」をベースにして、制度やシステムで使えるものは使い倒しながら、その「固有の知識」に基づいた、その地域独自の展開をうまく促進させる。そういうボトムアップ型のコミュニティ作りをしない限り、「過疎化やプライバティゼーション」の波には絶対に勝てっこない。そう、思い始めている。

動員型から創発型コミュニティへ

自らの恥さらしから始めるが、地域福祉というものに携わりながら、「コミュニティ」というものを、真正面から検討したり、勉強したりすることは、これまでほとんどなかった。だが、最近、コミュニティ・デザインのことなど考えるきっかけがあり、どうせなら、と思って「積読」状態だったある本を読み出したら、その知的刺激にしびれまくっていた。

「ここのところ、コミュニティ・インフレーションとでも呼ぶべきような状態がブーム性を帯びて立ちあらわれているが、そこで中心をなしているのが地縁と直接接続された、『不快な記憶』を消去した『町内会物語』である。そこからは、ヨコの位相的な秩序形成とともにあった、川田のいう美的感受性が歴史的に、さらにイデオロギー的に捻じ曲げられてきた状況の意図的な忘却といった事態、そしてそうした忘却の向こうにおいてすすむ地域コミュニティの道具主義的な利用の動きを観て取ることができる。」(吉原直樹『コミュニティ・スタディーズ』作品社 p227-8)
なんとなく、コミュニティが全てを解決する「打ち出の小槌」的に使われている現状がある。介護保険制度も、もともとが部分保険で家族介護を当てにしていた制度だが、いよいよ家族制度の弱体化や無縁社会なるものの進行の中で、制度で担保する高齢者福祉に限界が来ていて、それを穴埋めするための「地域包括ケア」としてのコミュニティが当てにされている。いわく、インフォーマルケアでの見守り支援が、介護予防につながる、とも。山梨で地域包括ケアを推進するための、県や市レベルでの研究会などにも混ぜていただき、その推進のためのお手伝いをしながら、一方でなんとなく、「コミュニティ・インフレーション」というか「地域コミュニティの道具主義的な利用の動き」への違和感を感じていた。その違和感を、都市社会学の大家は、「イデオロギー的に捻じ曲げられてきた状況の意図的な忘却」としての、「不快な記憶を消去した町内会物語」の注釈の中で、ズバッと次のように表現している。
「関東大震災時に自警団が朝鮮人を大虐殺したこととか戦時体制下において国民の戦争への動員を草の根から組織していったこと等といった町内会につきまとう忌まわしいできごとは今日人々の記憶から忘れ去られようとしている。その一方で、『ご近所の底力』といった形での『町内会物語』が編まれている。『不快な記憶』を忘却の彼方に置くかぎり、『ご近所の底力』が新たな動員であることに気づくことは難しいであろう。今日巻き起こっているコミュニタリアン主導のコミュニティ・インフレーションは、ある意味でこういう状況を一層加速させているといえる。」(同上、p229)
中野敏男氏のボランティア動員論にも通低する、動員の論理の隠蔽を表出させる言説である。先述の地域包括ケアも、その実戦部隊として、町内会・自治会や民生委員の方々に依存する部分が少なくない。もちろん、関わろうとする方々個々人は、「地域のために何かしたい」「恩返ししたい」という善意思をもって参画される方も少なくないだろう。だが、それを官主導で進めることは、実は「新たな動員」になる可能性がある、ということを、ともすれば忘れがちである。
高齢者の地域包括ケアや、障害者の地域自立支援協議会は、住民参画型の地域福祉を進める上での推進役を果たしている。それは、地方分権・地域主権の中では、「ガバメント(統治)からガバナンス(協治)へ」という枠組みとも同期している。だがこの点についても、吉原氏の警鐘は実に重い。
「ガバナンスは今日新自由主義的なコンセンサスの方式として上からのガバメント的な組み込みにさらされつつある」(同上、p154)
そう、「ご近所の底力」で解決しましょう、という美名は美しいが、大きな政府として税を投じて行う地域福祉には限界があるので、政府の規模と関与は小さくし、その代わりに町内会や自治会を通じて地域住民を新たに動員して安上がりで効率的に福祉政策の担い手を育てよう、という「上からのガバメント的な組み込みにさらされつつある」のが、地域包括ケアであり、地域自立支援協議会の抱える内在的危険性でもあるのだ。吉原氏の著作では福祉政策についての直接の言及はないが、防犯コミュニティの「上からのガバメント的な組み込み」の実態を読みながら、これは福祉政策にもそのままトレースできる、と感じている。
では、町内会や自治会は必要ないのか?吉原氏はそうは言っていない。むしろ、これまでの「官治的自治の枠内」つまり「内に閉じられているということを特徴とするような自治的能力=内発性に依拠する」(p50)町内会の形態から、「『異なる他者』との間に緩やかな横結的なつながりをつくり、リゾーム状に立ち上がる」「反措定としてのコミュニティ」(p51)を提起する。そのコミュニティは次のような特徴を持つという。
「『脱領域』、『脱組織』によって特徴づけられるネットワーク型コミュニティは、ある意味で『反コミュニティ』として存在する。たえず『動いていること』がそうした措定を可能にするのである。ネットワーク型コミュニティは『つなぐこと』にこだわるが、それ以上に『囲われること』に抵抗する。領域に固定(化)されるのではなく、状況にしたがってそのウィングを広げたり、縮めたりするのが得意なのである。」(同上、p52)
これは、地域自立支援協議会の立ち上げや推進の支援を行ってきた実感からも、実はしっくりくる整理である。その地域の課題をガバナンス型に上意下達で通達するのではなく、ガバメント的に官民協働で考え、変えていく協議会を構築するためには、「『脱領域』、『脱組織』によって特徴づけられるネットワーク型コミュニティ」であることが求められる。障害者政策にひきつけるなら、三障害の障害別に分科会を作っていた協議会は、領域ごとにタコツボ化したため、大体失敗したところが多い。また、組織の長ばかり並べた協議会では、組織の既得権益やエゴが先鋭化して、これも実質的な議論にいたらなかった。さらには、協議内容を行政が最初からお膳立てしている(=囲われる)協議会は、そもそも会議が活性化されない。一方、活性化された議論を行い、実際に政策を変える力を持つ地域自立支援協議会は、「領域に固定(化)されるのではなく、状況にしたがってそのウィングを広げたり、縮めたりするのが得意なのである。」
このような「ネットワーク型のコミュニティ」に必要なものは何か。それを筆者は「『線形的なもの』からの離陸(テイクオフ)」(p361)だという。そういう計画制御の枠組みを超えた、創発性を持つことが、上記のコミュニティに必要不可欠だという。
「予測不可能な仕方で諸主体が関連しあう際の、諸主体が『ゆらぎ』ながらも、それより高次の『生のコラージュ』へと展開していく状態(being)を自覚的に追求することが、『創発的なもの』を析出する際の要をなすのである。」(p360)
そう、管理や動員をすることが目的の「官治型自治の枠内」を超えた「ネットワーク型のコミュニティ」をオーガナイズしようと思えば、「線形的な」「計画管理」の枠組みを超える必要がある。地域というのは本来「予測不可能」なのだから、その中でのネットワークは文字通り「生のコラージュ」そのものなのだ。それを、計画制御の枠内にとどめず、以前のブログでご紹介した安冨歩先生の著作を拝借するならば、「複雑さを生きる」視点で、「創発的なもの」を希求しない限り、新たな動員論の枠組みから抜けることは出来ない。
そのための方法論をどう現場で築き上げていくか、は、これからの実践および研究課題だが、実に大切なパラダイムシフトを受け取ることが出来た著作であった。そして、優れた著作は、それ自身が「脱領域」的な、普遍性を持ち、「創発的」である、と改めて実感した一冊でもあった。