生産ー拡大再生産に回収されない何か

「はたらく」とはなにか。最近、改めてこんなことを考えている。

きっかけは色々あるが、フックは障害者就労に関する報道。テレビニュースなので、こういう支援をすることによって、これくらい重度の障害者でも、大手の企業で働くことが出来ます、というポジティブな紹介である。
そのこと自体にけちをつけるつもりはない。障害者自立支援法で評価されるべき部分として、障害者の一般就労が広がった、工賃が上がった、ということであろう。大学院生の頃、京都の作業所で、フィールドワークの一貫として、「お○べ」の箱折作業をしたことがあるが、一つ折って何十銭!にしかならない箱折を、汗だくで丸一日体験して、その労賃が数百円レベルだったことに、唖然としたことがある。多くの障害者が働く作業所の平均月収は1万円を越えない、という現実をどう変えるのか。そのために、工賃倍増計画などの取り組みをして、実際に山梨でも工賃がかなり上がった、という実績を聞くと、これはこれでいいことだと思う。
ただ、一方で、障害者の就労は、その方向「しかない」のか、といわれると、それはそれで疑問が生じる。社会復帰やリハビリテーションが、健常者世界との「同化」側面だとすると、「健常者並みの賃金を」というのは、就労における「同化」側面とされやすい。それ以外のベーシックインカムを求める方向性もあるが、上のテレビニュースや工賃倍増計画で言われるのは、あくまでも「同化」側面だ。繰り返し書くが、これもこれで「あり」であり、ケチをつけるつもりは毛頭ない。
だが、健常者の就労感覚に「同化」させること「しかない」のであれば、重度障害者と呼ばれる人、あるいは精神障害者の中でも、たとえば一般就労の厳しさの中で耐え切れなくなって、ドロップアウトを余儀なくされた人には、過酷な「同化」とは言えないか。自らが否定された空間に戻る・漸近線的に近づくこと(=同化を目指すこと)しかない世界であれば、なかなか夢も希望も抱けない。
では、どう考えればいいか。
たとえば、重症心身障害と呼ばれる、たいへん重い障害を持っている人々の地域生活支援を展開している西宮市の青葉園の基本理念には、こんなことが書かれている。
「青葉園のとりくみは、生産性・効率や、単なる身辺自立のみを追求する活動 とは根本的に異なり、通所者や職員・親など園にかかわる全ての人たちが一体となって共に考え、悩み、理解し合い、そして主体的に生き会うくらしを 創造していくことを基本目標にしている。」
重症心身障害の人は、資本主義社会が求める生産性や効率の概念に合わない「規格外」だから、と、資本主義社会が進行する中で、隔離収容の対象となり、入所施設や精神科病院の重心病棟に社会的入所させられてきた。だが、それは、効率や生産性「のみ」を重視した考え方・価値観の押し付けである。その押し付けが、重症心身障害の人だけでなく、「健常者」と呼ばれる人々にも重圧を与え、自殺者3万人社会、そしてうつ病患者が多発する日本社会という帰結になっているのは、皆さんもご承知のとおりだと思う。
青葉園の取り組み、あるいは精神障害者の「作業をしな作業所(=たまり場)」のような空間は、資本主義社会の「生産性・効率」に「のらない」場である。健常者の就労への「同化」とはスタンスを異にする空間である。ではそれをどう表現したらよいのだろう。そう思っていたら、思想家バタイユの解説書の中に、そのヒントが出てくるとは思いもよらなかった。少し長いが、引用してみる。
「近・現代の産業社会において、同質性の基盤をなしているものはなにか。それはまず生産活動である。資本制生産では、生産手段を所有する階級が、生産活動を主導する。それだけではなく、生み出された生産物を商品として流通される仕方、それに応じて消費される仕方も導いている。大衆は自分で好きなように消費していると思っているかもしれないが、基本的には<資本>が商品として流通させたいものを-そして再生産の拡大が円滑に進行するよう企図しているものを-消費している。それゆえ生産-拡大再生産の活動が社会の中心を占め、流通(交換)過程も消費過程もその中心軸に即してオルガナイズされる。したがって、そこでは生産-拡大再生産に役立つことが最優先され、ものごとや人間を測る尺度になる。(略) こうした尺度に照らして『悪い』もの、なにも有用性のないものは嫌われ、抑制され、縮減され、排除される。社会全体から、というよりも『社会の同質的領域』から、である。バタイユの見方では、社会の同質性は、邪魔になる部分、有用性を欠き、意味あるものにはなりえない、<異質性をおびた>エレメントを抑制し、排除することで(より精確にいえば、排除しつつ、欺瞞的に同化し、押さえ込むことで)形成されている。」(湯浅博雄『バタイユ-消尽』講談社学術文庫 p96-97)
資本主義社会の「社会の同質性領域」では、労働者や一市民が生産の主導権を握っているわけではない。「<資本>が商品として流通させたいものを」「消費している」。「流行」なるものに象徴されるように、消費者の欲望は、あくまでも資本の論理の領界内である。そうしないと、「生産-拡大再生産」の活動がうまくまわらない。その意味で、「社会」は「同質性」を保たないと、うまくまわらない、というのが「資本制生産」の論理である。そして、障害者就労というのも、「生産-拡大再生産」の論理の「領域内」のルートにのることを、目標とされている。それ自身は、繰り返して書くが、一つの方向性としては「あり」だと思っている。
だが、その「生産-拡大再生産」の論理の究極的な形としての、新自由主義的・グローバリズム的な、たとえば年俸制や能力給、あるいは派遣労働などによって、仕事の「ゆとり」や「あそび」の部分がどんどん労働空間から縮減し、結果として働く人のうつ病や自殺という形でのドロップアウトを加速させているのではないか。「生産-拡大再生産」の論理は、自らの論理にのらない、「邪魔になる部分、有用性を欠き、意味あるものにはなりえない、<異質性をおびた>エレメントを抑制し、排除すること」をひたすら続けてきたのではないか。
その際、<異質性をおびた>側が、「排除」されることや「欺瞞的に同化」させられることに抗う、ということも一つの形態なのではないか。北海道浦河の精神障害者のコミュニティ、べてるの家は「右肩下がりの人生」「降りていく人生」をスローガンにしているが、このとき、「生産-拡大再生産」から「降りる」「下がる」ことによって、それ以外の豊かさを手にしている、から、あれだけ沢山の「べてらー(べてるファン)」を作り出している、とはいえないだろうか。
バタイユ自身は、この「社会の同質性」に回収し尽くされない、<ロゴス中心主義的>考えに内包されないものとして、<至高な瞬間>と読んでいる。この<至高性>や<消尽>概念が、障害者就労のオルタナティブとどう接続するのか、はまだ僕自身、研究不足であり、断言は出来ない。でも、生産性に回収されない消尽としての活動、と言われると、青葉園の活動なんて、まさにそのような「わくわく」「いきいき」した活動のように見えてくる。
生産-拡大再生産、というのは、現在の消費社会の基本であり、それを否定するつもりはない。だが、その論理「しかない」といわれると、その論理にしんどさを感じている人、その論理に適合的ではない人が、結果的に「排除」「欺瞞的に同化」されてしまう。すると、それ以外の論理をどう組み立てていくのか。<至高な瞬間>という考え方で、「拡大-再生産の論理」をどう捉えなおせるか。このあたりが、今の世の中の「閉塞感」なるものを相対的に捉えなおすための鍵にもなるような気がする。そういえば、「生産-拡大再生産」のルールをまじめに遵守していた人が、障害者福祉に関わって、ねじが外れ、どっぷりその世界にはまり込む、という場面も少なからず見かける。これも、もしかしたら、障害者福祉のもつ、「同質化」概念への<異化>作用に、少なからぬ魅力を感じたせい、と解釈できるかもしれない。
時間切れなので、今日のところはこのあたりにしておくが、この「生産-拡大再生産に回収されない何か」については、もう少し突き詰めて考えてみたい。

消化不良な最近

ブログの更新は二週間ほど止まっていた。ツイッターも、どうも書く事にためらう。

この二週間の間に、東京に2回ほど、ワークショップに座談会と、新たな学びを求めて出かけた。また、25日から28日までは、同僚のH先生ご夫妻と我が妻と4人で、松島→平泉→気仙沼と旅にも出かけた。その間もあれこれ刺激的な本との出会いもあった。様々な事を感じてもいた。だが、どうまとめてよいか、まだ言葉にならない。
昨日もある座談会に参加し、これまでに考えた事もなかった視点やアイデアを沢山頂き、刺激的な時間をすごす。膨大な新しいアイデアや情報に触れると、それを理解・処理するのに時間がかかる。消化するのに時間がかかる。ブログも、その消化の為の補助具として使っているのだが、それ以前に、ブログに向き合うほどの体力が回復していない。新たな考え方に出会う事は、それくらい、気力だけでなく、体力も消耗する。30代も半ばを超えると、そのことに自覚する。それだけ、先入観や固定観念で頭でっかちになっているのかもしれない。
腑に落ちる、という言葉が、身体表現として、アクチュアリティをもって、迫ってくる。
腑に落ちる、ためには、まず口の中に放り込んで、食堂から胃を通って、内臓器官に徐々にジワジワと染みこんでくるイメージが想起される。同じように、新たな考えや視点も、自分の頭の中をくぐらせて、これまでの自分の考えて来たことの中にジワジワ染みこませながら、自分の内在的論理と対話をさせながら、染み渡らせない限り、本当にわかった、ことにはならない、と思う。特に、あまり頭の回転がよくないからか、あるいは実際に身体を通さないと理解できないからか、僕はこういう全身を通じた理解形式でしか、物事と向き合う事が出来ない。
8月にタイに出かけた際、生まれて初めて食中毒になった。食中毒は、自分自身の体調のコンディションと、食べたものと、気候や風土の3つの要素の相互関係の中で、中毒反応として出てくると、その時、つくづく感じた。衛生状態の悪くないデパートのフードコートで、前の人が食べていて美味しそうだった牡蛎のお好み焼きをついつい頼んだのだが、その後、全身の発疹や脱水症状、あるいはめまいやふらつきのオンパレードで、体内がその牡蛎を拒絶している表現に出会ってしまった。
同じように、考えやアイデアは、その時の体調や、考え方、志向性などによって、体内に、受け入れられたり、吐き出したりするものなのかもしれない。例えば昨日の座談会の内容は、自分の中ではまだ消化しきっておらず、じんわり咀嚼し直している段階である。だが、別の場で聞いた別の話は、正直僕の身体が受け付けなかったようで、直後にべろっと吐き出してしまった。
では、その二つの新しいアイデアのどちらがよくて、どちらが悪い、という訳ではない。要は自分との相性、というか、現段階での自分の生き方や視座、志向性と、その新しいアイデアなり視点との、接続がうまくいくか、あるいは反作用の方向に進むか、という有機的な科学反応的な連鎖関係の問題である、と思う。また、いくら良いアイデアでも、ずっと摂取しすぎると、おなか一杯を通り越して、胃が消化不良を起こすかもしれない。それと同様に、ここ二週間ほど、様々な場所に出かけ、いろいろな事実やアイデア、視点を破竹の勢いで吸収し続けた為、頭の中が消化不良を起こしているのかもしれない。
そういうときには、基本に戻る事が大切。今から、ここしばらくお休みしていた合気道の稽古に出かける。頭がぱんぱんになっているときは、その回路を一度きって、身体を使いながら、身体運用の稽古に集中するに限る。その中で、自然と凝りや歪みが、解けてくる瞬間がある。ある程度、現在の消化不良感をブログに書ききったので、そろそろ出かけます。

「創発的な出会い」について

先週末、勤務先の仕事で、2泊3日の静岡出張に出かけた。そこで、創発につながる、貴重な出会いがあった。

その前に、この聞き慣れない「創発」なるキーワードについて。広辞苑で引いてみると、こんな風に定義されている。
「進化論・システム論の用語。生物進化の過程やシステムの発展過程において、先行する条件からは予測や説明のできない新しい特性が生み出されること。」
創発やイノベーションとは、先行条件から予測や説明できない新しい特性、ということ。時として、無から有が生み出されることであったり、これまでの関係性から別の新たな関係性が紡ぎ直されることであったり。僕は今、この創発的コミュニケーションを強く希求しているような気がしている。で、この創発的コミュニケーションについては、安冨先生の定義を補助線にすると、わかりやすい。
「社会をよりまっとうな方向に動かしていくためにすべきことは、創造的な出会いを通じて、一人一人が自分自身の真の姿に恐れず向き合う勇気を持つことである。暗黙知の十全な作動が価値を生み出すのであり、そのためには創発の作動を疎外するものに勇気を持って目を向け、取り除かねばならなない。個々人のこの努力を背景として、人々は創造的な出会いを積み重ねることが可能となり、それが社会の要素たるコミュニケーションの質を高める。組織もまた同じように、自らの真の姿に直面し、それを改め、社会という生態系のなかにふさわしい地位を見出す必要がある。それは個々人の創造性の発揮を促すことではじめて可能となる。」(安冨歩『経済学の船出-創発の海へ』NTT出版、p258)
安冨先生の本を読んで、上記の引用をした1年前のブログでは、まだ僕自身、創発を頭の中で理解するだけで精一杯で、自らの実践として受け止める事は出来ていなかったと思う。だが、最近少しずつ、創発的コミュニケーションの面白さ、にはまりつつある。そこで出てくるのが、静岡での話。
今回はマーケティング論がご専門のH先生とご一緒した。マーケティングとは、お客様に何らかの新たな価値を提供し、ある商品購入へとつなげてもらう戦略である。そこには、創発的コミュニケーションが当然のことながら、必須条件となってくる。その領域のことについては耳学問でしか知らない僕は、行きの車の中から二泊三日の旅の中で、仕事の合間、あるいは飲みながら、色々マーケティングと創発にまつわるお話を伺い続けた。その中で、僕の心の中に強く残ったのは、次のフレーズだ。
「創発とは、関係性を紡ぎ直し、新たな関係性をコンテキストの中に埋め込むこと」
これは、H先生が言ったのか、僕が言ったのか、あるいは今飲み屋の記憶を思い出している僕の創作なのか、よく覚えていない。でも、案外このフレーズは大切なよう気がしている。
安冨先生のいう「創造的な出会い」とは、関係性を紡ぎ直したり、予測不可能な新たな関係性が生まれ出す出会いである。その中では、自家薬籠中のものであったり、当たり前、とされたものが、別の角度から再度、捉え直される。あるいは、固定観念に囚われていた枠組みそのものへの疑いのチャンスが到来する。それを「あいつはわかっていない」とか、これまで構築したブランドやアイデンティティの危機だ、として蓋してしまうことも出来れる。だが、安冨先生が言うように、「創発の作動を疎外するものに勇気を持って目を向け、取り除かねばならなない」。そうしないと、新たな何かを生み出す努力が、いつのまにかこれまでの関係性の枠組みの墨守に、結果的につながる可能性もあるのだ。
つまり、「創発的な出会い」を感じた時、これまでの暗黙の前提世界に引きこもるのではなく、時として量子力学的跳躍(quantum leap)をする事が求められるのである。それが「創発の海」へ飛び込むための、条件なのかもしれない。ちょうど、出張時に買い求めた内田先生の最新刊の中にも、安冨先生の指摘と通底するフレーズがあった。
「新しいものを創り出すというのはそれほど簡単ではありません。創造するということは個人的であり具体的なことだからです。」(内田樹『呪の時代』新潮社、p18)
安冨先生は組織の創発とは、「個々人の創造性の発揮を促すことではじめて可能となる」という。そう、何か新たな価値や関係性が生まれる時には、それを作り上げる「個人的」「具体的」な物語が付随している。これは法や制度であっても、同様だ。最初のモデルは、脱法的で、反制度的な、個々人の努力である。たとえば、富山の看護師の惣万さんが始めた時には「脱法行為」とまで言われた宅老所が、各地に伝播する中で、「小規模多機能ケア」という形で介護保険制度の中に組み込まれたのは、局所的な「成解」のユニバーサルな「正解」への昇華だった。(その事は以前のブログでも触れた)。そう、法や制度は何らかの標準化としての安定的・継続的な「正解」として認識されているが、その内実は、局所的(ローカル)な「創発」が、その地域やコンテキストを書き換える中で「成解」となり、そのエキスが他でも利用可能なものとして抽出される(=普遍化される)中で、結果的に「正解」として機能するのである。つまり、「成解」としての「創発」は、非常に「個人的」「具体的」な何か、からしか生まれない、ということである。そして、その「個人的」で「具体的」な何か、というのは、これまでの関係性の閉塞感を超える、関係性の紡ぎ直しや書き換え、であるのだ。
同じく出張先の静岡で、森まゆみさんの『起業は山間から』(バジリコ)を買い求め、今日読み終えた。世界遺産となった石見銀山で郡言堂というアパレル会社を作り出し、人口500人の村で100人もの雇用を生み出し、旧家を再生させたりリノベーションさせていく達人、松場登美さんと、地域雑誌の古株『谷中・根津・千駄木』の仕掛け人との掛け合いは、非常に面白い。僕もこの松場さんの事は、確か「ソロモン流」で取り上げられていて知ったのだが、彼女のライフヒストリーを、聞き手の名手である森さんが上手に整理してくださった同書を読んでいると、松場さんの創発は実に「個人的」で「具体的」な物語である、と気づかされる。旦那がたまたま石見銀山の出身で、たまたまデザインや服飾にご縁があって、たまたま自分の着たい服がなかったから、という入り口から、松場さんが様々な人との「創造的な出会いを通じて」「自分自身の真の姿に恐れず向き合う勇気」を持ち続けた事によって、地域に根ざした会社作りから、街作り、地域アドバイザー的な存在として全国で講演に引っ張りだこになるほど、の活躍をしておられるのだ。彼女の人生には、何らかの「正解」があったのではない。あくまでも現実との出会いの中で、「自分自身の真の姿」と向き合い続け、「関係性を紡ぎ直し、新たな関係性をコンテキストの中に埋め込むこと」としての創発的な出会いに賭け続けた中で、結果論としての成功や注目に結びついたのである。
前回のブログでも書いたが、僕はこういう「個人的」「具体的」な物語形成が、「福祉の街作り」に決定的に欠けている、と感じ始めている。行政が主導になった時、「個別性」と「具体性」は捨象され、ついつい普遍性と公平性の原則に縛られてしまう。しかし、地域の再生とは、本来、行き詰まった関係性を紡ぎ直す、という意味で、創発的な何か、である。そこで、マクドナルドのマニュアルのような、普遍的なものを外部のコンサルティング会社が持ってきても、そのローカルなコンテキストにはまる訳がない。あくまでも、ローカルなコンテキストにおける一回性や偶有性の土壌の中で、その土地の人びとがどう「関係性を紡ぎ直し、新たな関係性をローカルなコンテキストの中に埋め込み直すのか」が問われている。そこで、高齢者や障害者、児童福祉の問題も、行政課題として、だけではなく、町のこれからの大事な問題(の一つ)として、町のコンテキストの中で、他の問題と重ね合わせながら論じられ、具体的な解決策を模索しない限り、いくら制度や法の編み目をかぶせても、絶対にうまくいかない、と感じ始めている。官民の協働も、結局個々人の「創発的な出会い」がその土台にない限り、うまくいかないのではないか、と。
つまり、福祉の街作り、なるものも、お顔の見える個々人の「創発的な出会い」を通じた関係性の変容や、そこから生まれる新たな価値という個人的・具体的な物語が土台にあって、初めて可能になるのではないか。
今日のエントリーは、たまたまご一緒したH先生との「創発的な出会い」からスタートした。そういう「出会い」に気づける主体でいるか? そういう己自身の課題が創発の鍵を握る、ということに、遅まきながら気づき始めている。

福祉の街作りから、コミュニティデザインへ

ここしばらく、毎週長時間移動の日々。先々週は京都→三重、先週は大阪と2週連続、片道5時間の旅。

若い頃は身体が持ったが、最近、どうも疲れがかなり内部に蓄積される。とはいえ、出張先の本屋で色んな新しい本と出会い、読み進めるには、列車内という空間が決して悪くないのも、また事実。
最近は、デザインに対する認識を変える本と何冊も出会っている。
きっかけは、こないだのブログでも書いた、西村佳哲さんの著作。読み始めた時は、自らの変容期における仕事観の再考、という内的必然性から読み始めたのだが、彼の著作を読み進める中で、それは僕自身の仕事のやり方の再考にも直結している、と思い始めた。つまり、福祉という領域を、そのコップの内部でのみ、観察していないか。タコツボ化をあれだけ警戒しながら、実は福祉という領域内での横断的なつながりは求めていたとしても、福祉以外の領域との関係性を捉えようとしていたか、と言われると、全然出来ていなかった。環境問題やまちづくりなど、近接領域はあるのに、そういう近接領域にすら手を出せていなかった。
しかし、福祉領域内にとどまる、というのは、実は与えられた枠組みを、所与の前提として受け止める、ということにもつながる。例えば精神障害者福祉を専門にしています、いうのは、高齢者福祉や家族福祉は専門外です、ということと裏表の関係であったりする。しかし、それは実は社会的に構築された枠組みを、そのまま鵜呑みにしている、ということ。精神に障害のある人の地域生活支援を考えようとしたら、認知症の問題は高齢精神障害者の問題であり、家族関係の問題を捉えると家族福祉にも直結する。もっといえば、精神障害とは個人と社会環境との相互作用の中から生じてくる何か、であるから、障害者を排除する街作りかどうか、や、そもそも高ストレス・強い同調圧力社会の中での精神障害の位置づけ、さらには「生き方」や哲学の一部としての病、など無限に広げて考えることが可能だ。思考のリミッターをかけているのは、訳知り顔のこちら側であり、リミッターを外すと、ある問題と他の問題は、縦横無尽に関係している。その関係性をどれだけ広げながら、深めることが出来るのか。あるいは、関係性を厳格に限定して、ある部分のみを局所的に掘り下げるか。
僕のやり方は、残念ながら、これまで前者だった。だから、以前西村氏の最初の著作『自分の仕事をつくる』を読んだ時、何となく面白い、と思いながら、その重要性が分からなかった。ゆえに、今回読み直そうと書棚を探したが、実は引越の整理で処分していた事を発見。2年前の僕には、アクチュアルな本として響いてこなかった。しかし、こないだ買い直して読み始めると、今はアクチュアルな問いとして引っかかってくる。枠組みに囚われるのではなく、僕自身が納得する、自分の仕事をつくっているだろうか?と。
その際、出張先の書店で何気なく手に取ったもう一冊の本も補助線になる。
「100万人以上いるといわれる鬱病患者。年間3万人の自殺者。同じく3万人の孤独死者。地域活動への参加方法が分からない定年退職者の急増。自宅と職場、自宅と学校以外はネット上にしか知り合いがいない若者。その大半は一度も会ったことのない知り合いだ。この50年間にこの国の無縁社会化はどんどん進んでいる。これはもう、住宅の配置計画で解決出来る課題ではない。住宅や公園の物理的なデザインを刷新すれば済むという類の問題ではなくなっている。僕の興味が建築やランドスケープのデザインからコミュニティ、つまり人のつながりのデザインへと移っていったのは、こんな問題意識があったからだ。」(『コミュニティ・デザイン』山崎亮著、学芸出版社)
この本を読んで、僕自身、なぜデザインに惹かれているのか、が非常によくわかった。実は僕は山崎さんと逆の辿り方で、同じ問題意識にたどり着いているのかもしれない。
障害者の地域自立支援協議会や、高齢者領域で言われている地域包括ケアに関わる事が多い。行政の会議に呼ばれるだけでなく、いくつかの自治体の場作りや仕掛け作りのアドバイザーもしている。で、市町村の福祉現場の話を聞きながら、どうしたら社会資源を増やせるか、開拓できるか、ソーシャルアクションの仕掛け作りはどうしたらいいか、などを話していて、先述のタコツボ的な限界を感じていた。限界集落や、高齢化率が5割近くなる町の課題、あるいは公共交通が少ない中での移動支援の課題などは、単に障害者や高齢者の問題、という対象を限定した話ではなく、街作りや地域課題そのものなのだ。それは福祉政策の領域を、明らかに超えている。だが、最近までどうそれを言語化していいのか、わからなかった。でも、山崎さんの文章を借用すれば、今なら言えそうだ。
「これはもう、障害福祉計画や介護保険事業計画、地域福祉計画で解決出来る課題ではない。障害者や高齢者制度の物理的なデザインを刷新すれば済むという類いの問題ではなくなっている。」
そう、ゆえに、山崎さんが言うように、「人のつながりのデザイン」を通じて、街作りや観光、商工、環境問題など、いろいろな別の領域と繋がっていかないと、福祉課題は根本的に解決出来ないのではないか。そう思い始めている。一方で、国の会議にコミットし、国レベルの政策転換のお手伝いは続けている。だが、こちらは財源がないという安易な言い訳に逃げる官僚や政治家の都合に、かなり左右される。そう簡単に動きにくい。もちろん、それでも自分に出来るアクションは何らかの形で続けていくが、他方で、市町村レベルであれば、担当者と住民が力を合わせてやる気になれば、大きな変化やアクションが、国レベルよりも遙かに具現化しやすい。山崎さんは家島や海士町でその事を体現されていたが、僕も鳥羽市や南アルプス市と関わる中で、そういう実感を感じ始めている。メゾ的な変化を起こすには、マクロからも、ミクロからも、両面作戦があってよい。で、そのミクロから攻め入るときには、障害者福祉がテーマとなっていても、それに限定せずに、より広いコンテキストの中で、人と人のつながり・関係性を変えるデザインを意識することが、かなり重要になってくるのだ。
これは決して僕のオリジナルな発見ではない。そういえば、面白い地域福祉の実践をしている人は、総じてその土地の物語に耳を傾け、福祉以外の様々な関心ある市民と関わりながら、その土地の、そこで暮らす人との関わりの中で、福祉問題を文脈化させていた。そういう地に足ついた福祉課題の再文脈化と、変革に向けた方向性付けのデザインこそ、コミュニティデザインなのかもしれない。遅まきながら、僕もその志向性をきちんと耕したい、と思い始めている。

誰のための継続性・安定性?

この前、某自治体職員と雑談していたとき、こんな話をきいた。

「厚生労働省は、総合福祉法を本気でやる気など、一ミリもなさそうですね。だって、こないだの主管課長会議でも、来年4月からの改正自立支援法の説明ばっかりで、総合福祉法の話なんて、話題になったのは、たったの5秒ですよ。8月に骨格提言が出て、その後の厚労省の会議で全く説明されないなんて、普通に考えればあり得ない話であって、随分変ですよね」
哀しいけど、さもありなん、と思いながら、その話を聞いていた。以下書くことは、その話を聞きながらふと頭をよぎった、事実に基づく僕の妄想であることを、始めにお断りしておく。
先ほど話題にしたのは、障害保健福祉関係主管課長会議と呼ばれる、厚生労働省が都道府県や政令指定都市の担当者向けに行う会議のエピソードである。確かにHPで出されている上記会議の資料をざっと眺めてみても、障害者自立支援法を廃止し、新たな法律を作るために、私も委員として関わった内閣府障害者制度改革推進会議、総合福祉法部会の骨格提言について、まったく触れていない。私たちは昨年の4月から議論をスタートさせたが、震災で2ヶ月ほど進度も遅れ、拙速にまとめられないから、出来れば1,2ヶ月結論を出すまで時間がほしい、と再三厚労省にお願いした。だが、厚労省は平成25年8月に施行するためには、来年の通常国会に載せなければならないので、8月末の〆切りは絶対に譲れない、と主張。その厚労省の意見を受け入れる形で、8月30日に骨格提言を作り、親会議を通じて蓮舫大臣にも手渡した(この骨格提言の内容や意義については、8月30日のブログにも書いた)。つまり、国の審議会として、正式に国にその内容を上程したのである。しかし、それを担当課である厚労省が全く無視している。これは実に異常な事態である、と共に、霞ヶ関の官僚支配の本質を垣間見たような気がしている。
官僚の仕事の重要なミッションは、「継続性と安定性」の確保、である。ルーティンワークをルーティーンたらしめる継続性と安定性にかけては、「お役所仕事」と揶揄されるほど、彼らの本領を発揮する。だが、震災のような安定した規範の消失した現場では、この「継続性と安定性」の土台が崩壊している。震災時から復旧や復興支援、あるいは原発対応を巡って役所が機能不全を起こしたのも、そもそもこの「お役所仕事」の基盤である「継続性と安定性」そのものが崩れ、圧倒的な「前例なき事態」に押し流されたからであった。そこではボランティアやNPO・NGOのような即興性をもった支援が活かされたのも、阪神淡路大震災や中越沖地震と同様であった。
そして、今、社会保障領域においては、震災時に匹敵するような、「継続性と安定性」の危機にある。増大する社会保障費を前にして、増税という選択肢を取る事が、政治・政局の問題として、何度も否定されてきた。すると、特に介護保険制度財政的にを破綻させないためには、介護保険の被保険者(つまり保険料を支払う人)を40歳から20歳に引き下げ、安定的な独自財源を確保したい、というのは、厚労省の悲願であるはずだ。だからこそ、障害者自立支援法は、将来的な介護保険との統合を前提した制度設計を行ってスタートさせた。であるがゆえに、厚生労働省と自立支援法違憲訴訟団との間で取り交わした、「介護保険との統合を前提としない」という基本合意文章は、おそらくは厚労省にとって「目の上のたんこぶ」の存在であるだろう。しかも、この基本合意文章に基づいて作られた、制度改革推進会議の総合福祉法部会では、介護保険の根幹である要介護認定やそれに基づく支給決定が、障害者の地域生活には不適合である、という整理の基で、新たな支給決定の枠組みを提案した。これは、自治体でやられている支給決定の実態にかなり近いものであるが、これを認めてしまうことは、厚労省の枠組みの否定であり、かつ将来的な介護保険と障害者福祉法の統合=介護保険の被保険者の拡大論をつぶしてしまう。介護保険の「継続性と安定性」を守ることが本丸である霞ヶ関側にとっては由々しき事態である・・・こんな認識なのではないか。だからこそ、厚労省の制度改変を伝える会議で、2ヶ月前に出された障害者自立支援法に変わる新法の骨格提言について、全く紹介しない、という異例な事態になっているのではないだろうか。
さらに邪推すると、来年4月からの改正自立支援法は、「改正」と言いながら、大幅な制度改変を予定している。相談支援や虐待防止が強化されるが、その中でも現場にはかなりの変更を強いられる部分が多い。そういう圧倒的な制度改変のリアリティを来年4月に持ってくる意味は何か。もちろん、表面的には「障害者支援の現実を一刻も早くよりよいものにしたい」という言葉が聞こえてくる。しかし、平成24年4月という時期に大幅な制度改変をすると、当然25年8月にまた新法への改正をする、なんていう気力が自治体担当者や福祉施設の現場の人びとに沸くはずがない。それを承知で厚労省は「今後3年間の間に改正自立支援法を完全実施すればいい」などと述べている。つまり、平成25年8月に自立支援法の枠組みを捨てる気などさらさらなく、この改正自立支援法こそを着実にしたい、そのための仕掛けをしっかりしているように思えてならないのだ。
そういう指摘は、総合福祉法部会でも出された。だが、そのときの厚労省側の答弁は、「政治家が出された法案を着実に執行しているだけですから」とポーカーフェイスで答える。だが、来年4月から始まる改正自立支援法案は、厚生労働省が元々原案を作り、障害者団体の反対で一旦阻止された内容をほぼそのまま踏襲していることは、業界内での「常識」である。かつ、この間、厚労省側が、与野党の厚生労働関係の国会議員周りをしながら、総合福祉法は予算が青天井であり、実現は無理と吹聴して回っている可能性も十分にありうる(その片鱗は小宮山大臣の発言にも見て取れる)。
継続性と安定性の話に戻ろう。いったい、誰のための、何のための、継続性や安定性が大切なのだろうか。
霞ヶ関で働く一人一人の官僚は、障害者の暮らしの継続性や安定性向上を願って働いておられる方も少なくない。これは、霞ヶ関に通いながら、官僚の方と出会いながら、感じていることである。だが一方、省としてこの間の厚生労働省の動向を、部会の一委員として眺めていると、どうも厚労省の考える「継続性と安定性」とは、厚労省の施策体系の「継続性と安定性」であり、障害者の地域生活の「継続性と安定性」が第一義に置かれていないような気が、ふとしてしまう。これが非現実な僕の妄想であればよい。だが、先ほどから書いていた断片をつなぎ合わせてみると、どうも現実感の希薄な空想に思えないような気がする。
青臭い話を敢えて書くが、法律や制度、政策や予算は、人びとの暮らしを豊かにするための方法論にすぎない。そして、その方法論が実態と乖離しているなら、抜本的に見直す、あるいは法律を作り替えて対応する必要がある。2年前に取り交わされた国と訴訟団の基本合意文章が示しているのは、現行法の改正では障害者の地域生活支援の実態に合わないということであり、だから新法を作り直し、パラダイムシフトする必要がある、ということを、国が約束した文章でもある。総合福祉法部会が1年半かけて必死になって作り上げたのは、そのパラダイムシフトの具体的な内容であり、55名という立場もスタンスも異なる障害者団体間で、何とかまとめ上げた、障害者の地域生活支援を実質的に保証する為の、あらたな骨格であった。しかし、その実質的内容を、厚労省は実質的に反故にしようとしている。
誰の、何のための、継続性や安定性の確保なのか? 守るべきは、変えるべきは、一体何なのか? この点について、官僚や政治家の間できちんとした認識がなされないと、真剣に内容を検討することなく「予算がない」という安易な言い訳にすがり、制度改革そのものが流されてしまう。総合福祉法部会は制御不能なアンコントローラブルな部会だったから無視をして、制御可能な自立支援法で対応する、というのが妄想でなければ、優秀な官僚の皆さんは、一体何を支配したいのか、どの継続性や安定性を確保したいのか、誰の何のためなのか、大きな疑問がうかぶ。まさかその答えが「省益」なんてちんけな答えであるはずがない、ということを、祈るばかりだ。

比較軸から羅針盤へ

風通しのよさ、を欲している。心も身体も。
引越しをしたのも、以前の家が本当に風通しの悪い家だったからだ。隙間風は吹きすさび、冬には凍てつく寒さになる鉄筋コンクリート建てマンションの3階。それが夏になると、隙間風どころか、わずかな涼風も吹かない。さらに、照りつける厳しい日差しは、最上階の我が家の気温を面白いほど上昇させ、篭った熱気と湿気は風が吹かない分、熱帯夜をさらに暑くする。引っ越した後に痛感したのだがついたのだが、コンディション的に相当過酷なマンションに6年も住んでいたことになる。
だが、山梨に赴任してからの6年間、なかなか出て行くことが出来なかった。大家さんが良い方だったから、というのもある。妻は3年目くらいから、SOSを出していた。でも、僕自身が、なんとなく引越をするだけの気力やモチベーションを保持していていなかった。暮らしていたマンションも風通しが悪かったが、それ以上に自分自身の心と身体の風通しが悪かったのかもしれない。だからこそ、物理的風通しの悪さに、文句を言いながらも鈍感になり、そこから脱出する、という具体的方法論を模索することのないまま、澱んでいたのかもしれない。
そんな生活との転機が訪れた今年。物理的に引越しをすることによって、風通しのよさ、ということを体感することが出来た。何事も、比較軸を手にしてみないと、それまでの状態がどうであったか、を相対的に評価することは出来ない。たとえば入所施設や精神科病院に長期間「社会的入院・入所」している人に、「今後どこに住みたいですか?」と聞いてみると、一度目に聞いてみるならば結構な割合で「ここに暮らしたい」とおっしゃる。だが、それは、すでに地域生活という比較軸を長期間の入院・入所で実質的に失っているから、他の別な選択肢が想像できないが故の、「もうここでいい」というメッセージの場合が少なくない。現に、長期間施設入所をした後、地域生活を再開された知的障害者への聞き取り調査を数年前にしたことがあるが、誰も「施設に帰りたい」とは言わなかったのが印象的だった。地域に出たいと最初は思っていなかった人でさえも、同様だった。地域生活という別の暮らし方を実感してみて、初めてそれ以前の暮らしが「風通しの悪い暮らし」だった、と実感しておられたのである。
僕自身も、ある意味そのような浦島太郎状態だったのかもしれない。比較軸を手に入れてみて初めて、それ以前の生活が「不便」で「風通しの悪い」生活だった、と遡及的に振り返りつつある。そして、そういう「風通しのよさ」を手に入れると、次は自分の仕事や暮らし方、日々のすごし方といった部分での「風通し」はどうだろう、と気にし始める。すると、どうやら僕を構成する様々な時間的・空間的配置や、僕の働き方そのものが、「風通しの悪い」ものである、ということに気づき始めた。なんだかしんどいなぁ、と思っているものの少なからずは、単なる加齢に伴う体力低下や運動不足といった表面上の問題ではなく、自らの実存上の風通しの悪さという本質的な何かとリンクしているのではないか、という仮説が、より強いリアリティをもって、身体の中で鳴り響き始めたのだ。
たとえば仕事について。ここしばらく、西村佳哲さんの本を何冊か、集中的に読んでいる。彼は「働き方研究家」であり、その処女作は以前に文庫版で斜め読みをしていたが、その際には僕自身の心にインパクトを持って響かなかった。しかし、こないだ出かけた小淵沢のリゾナーレ内にある、県内ではよいセレクションをしているブックス&カフェで、震災後の「どこで生きるか」を主題とした『いま、地方で生きるということ』(ミシマ社)と偶然出会ったことが、大きなきっかけとなった。震災というとてつもない出来事を未だに租借できぬまま、6月に引越しをするからと現地にボランティアにも行けぬまま、悶々としていた心が引越し後に少しずつほぐれていく中で、西村さんや、西村さんが主題化する東北で生きる人々の言葉が、文字通り乾いた心に吸い込まれるように、僕の心の中に染み入った。そんな浸透の様子に初めて、自分の心がカラカラに乾いていると気づいた。そして、次々に西村さんの本を買い求め、どれも貪るように読んでいる自分がいる。
西村さんは、仕事を単に「食い扶持を稼ぐため」という表層レベルでは解釈しない。その人の考え方、だけでなく、生き方・ありかた・実存といったBeingの問題として捉える。どれだけ魂とつながった働き方が出来ているか。どれだけ心からのワクワク・ドキドキが湧き上がってきているか。自分の実存に正直で、嘘をつかない誠実さを仕事に反映できているか。そして何より、世間の空気を読むのではなく、自分自身の中に吹く(時にはか細い)風を読んで、風通しのよさを心にも身体にも持ち続ける事が出来るか。そのためには、時にはNOを言うことを辞さない原則を持ち続けられるか。彼が主題として選んだ「働き手」たちは、みんな上記のポイントを必ずクリアしている人々だった。そして、書き手の西村さん自身がそのプリンシプルを著作を通じて体現しておられることが、よーくわかった。だからこそ、風通しの悪い以前の僕にはそのよさが理解できず、今になって急激に貪るように読みたくなってきたのである。そして、改めて上記の問いが、僕の仕事、働き方、実存に向けて振り向けられる。
自らの不全感・中途半端さ加減の少なからぬ部分が、この風通しの悪さである、と気づいたのは、彼の著作を読み進める中でのことだったと思う。しばらく前から薄々感じ始めていたが、確信を持てたのは、西村さんが紹介してくださった多くの「働き手」と自らの働き方を比較する、その比較軸を西村さんが提供して下さったからだと思う。比較には、「見ないほうが良かった」という比較だってあるとは思うのだが、この比較軸は、自分の中でなんとなく不全感や疑問として感じていた事をはっきりと言語化し、かつ背中を押してくれる貴重な枠組みとして、僕自身は受け取った。「風通しの悪い人生なんて、つまんないじゃないの」と。
だからこそ、久しぶりに京都→三重と出張を続けた帰り道のスーパーあずさの中で、改めて見つめなおす。僕自身にとって「風通しのよさ」とはなんだろうか。どうすれば、日常世界における澱みを少しでも減らし、今よりは心地よい、風通しの良い心身を保てるだろうか。そのために、働き方や生き様をどう変えていけばいいだろうか。持つべき比較軸や羅針盤は、世間的な価値観や評価軸ではない。自分の魂にとっての風通しのよさ、という比較軸であり羅針盤。その枠組みを気づいたら手にし始めている。だからこそ、これからの航海が、澱んだ内海の吹き溜まりではなく、まだ見ぬ大海原という外海に漕ぎ出し初めている、ということも、少しびびりながらも、感じているのである。もちろん、行き着く宛先は、未だはっきりとした輪郭を帯びてはいないのだが、とにかく風を信じて漕ぎ出すしかないのだ。

枠内での思考の限界

昨晩、ツイッターを眺めていると、とある人がこんなことをつぶやいていた。

「インプットとアウトプットの間に、物事を精査して、それ以外の可能性も考慮する、という比較検討の視点が日本人には足りない。Aと言われたら、Aのことしか考えられず、Aしかできない。」
昨晩、この方のツイートに対して、「それってシンキングデバイドですね」と応答していたのだが、今朝ふと考える。一般的日本人が、他国民と比べて何も考えていない(めちゃくちゃ考えている)といった極論は、単なる暴論にすぎない。どこの国の人だって、人間の基本的な振る舞い能力に、そう大きな偏差があるわけがない。ただ、考えるエネルギーをどう振り分けるか、については、個体差だけではなく、文化的偏差があるのではないか。では、日本に住む人が考えるエネルギーをどこに選択的に集中し、それ以外のどこがおろそかになっているのだろうか? その結果として、「Aと言われたら、Aのことしか考えられず、Aしかできない」人が沢山この社会にいる、という事態になっているのだろうか?
一つの補助線として、同調圧力、が挙げられる。これは山本七平(イザヤ・ベンダサン)の『空気の研究』に代表される日本人論に必ず出てくる議論である。震災後の「自粛」「不謹慎」論の横行なども、この同調圧力の典型例と言われる。ただ、もう一歩踏み込んで、なぜその同調圧力に多くの人がはまり込んでいくのか。考えるエネルギーは、そこでは使われないのか。
このことに対して、例えばこんな仮説を提示してみよう。
同調圧力という枠組みを前に、その枠組み自体を疑うのではなく、枠組みの中でどう適切に振る舞うのか、という戦略を必死になって考えている、と。
「Aと言われたら、Aのことしか考えられず、Aしかできない」のは、Aという前提を疑うのではなく、Aを所与の前提として考え、そのAの中でのハイパフォーマンスを最初から考える方が、日本社会での振る舞い方としては適合的である、ということではないか。これは、その社会への基本的信頼性が高く、その枠組み自体は疑わずとも生きていけるという前提の基でのみ機能しているバーチャルなプラットフォームではないか。そして、それを山本七平なら「空気」と呼んだのではないか。
一昔前、ミニバンがはやったころ、どの会社も同じようにミニバンの後続機種を出した。同じようなものを、同業他社が普通に出しても、そのまま売れる。今だって、洋服の世界では「今年のトレンド」なるもので機能しているのかもしれない。このような「共通のプラットフォームにおける微妙な差異」に考えるエネルギーを注ぎ込む事で、日本の高度消費社会は飛躍的にそのサイクルを回し、内需拡大にもつながり、景気の浮揚に貢献してきた。枠組み自体は疑わなくとも、枠内での差異を考えるだけでいいのだから、ある種かなりミニマルな(下手をしたらトリビアルな)差異の検討というオタク的展開に終始できた。それをある人は閉塞感と呼び、他の人は「しかたない」としてきた。
だが。年間3万人の自殺が10年続き、その閉塞感がきわまったところに未曾有の東日本震災や原発事故が起きてしまう。「想定内」というフレーズが、社会への基本的信頼感が、カタストロフィと共に、部分的に崩壊しつつある。ベルリンの壁の崩壊後のソ連や東欧は、社会主義から資本主義へとパラダイムそのものを替え、大きな試練を強いられた。そのときと似た、しかし、日本のパラダイムの場合は、これからどう別のパラダイムに向かうかわからない、そんな「想定外」の穴が、社会的信頼感というプラットフォームに開いてしまった。その中で、「Aと言われたら、Aのことしか考えられず、Aしかできない」でもよかった、幸福な時代は、もしかしたら、後退しつつあるのかもしれない。
ハッキリ言って、枠組み自体を一つ一つ疑うことは、「非効率」である。それに、消費を減退させる。「本当にこの服(車、ゲーム、本、電化製品・・・)を買う必然性があるのだろうか?」と疑わないことを前提に、買い換える事を前提に、日本社会の消費サイクルは回っている。いや、コマーシャルも含めて、そう需要を喚起してきた。だが、そのコマーシャルを映す媒体であるテレビ自体から人びとが離れていくことは、「大きな物語」という枠組み自体の、決定的な崩壊期でもある。
ただ、多くの日本人が、「Aのことしか考えられ」ないパラダイムから、まだ離れることは出来ない。いや、そのパラダイムはまだ支配的であり、そのパラダイムを疑わないことが、生存戦略上有利、と考えている人が多い。ただ、本当にそうなのか? パラダイム自体の根本的補修や、部分的掛け替えなどの大規模なメンテナンスを本気でしないと、オゾンホールのように、社会的信頼感への穴は、どんどん大きくなり、この日本社会の先達が作り上げた安心・安全のプラットフォームは構造的欠陥→構造的崩壊の危機をもたらさないか。
そんな危惧をしている。

想定内を超える瞬間

いつもは「聞き手」なので、「聞かれること」はあまり得意ではない。

昨日はとあるタウン誌のインタビューを受けた。こちらも色々お話を伺いたかった、あるNPO法人の理事長さんとの対談である。
相手に聞かれたことを丁寧に答える、というのが、インタビューの基本なのだろう。でも、僕の場合、ついつい勝手にしゃべってしまう。それは、自分が聞き手として、「自分が聞きたいこと」「相手に言ってほしいこと」を自分の枠組みの範囲内で聞き続けてきた、という自らの愚かさを知っているから、かもしれない。だから、意識しなくても、普段より緊張して、その結果、普段より遙かに沢山しゃべる。そして、通常のインタビュアーなら、その普段より沢山しゃべる内容に圧倒され、結局こちらの持ちネタというか、もともと持っていたストーリーの枠内に収まる。すると、僕自身がみれば、想定内のアウトプットがもたらされる、ということが、少なくなかった。
饒舌なのに想定内、これほど自分にとって、つまんないものはない。
だが、昨日の聞き手のMさんは、「聞き手の私」をしっかりもち、がっつりぶつかってくださる。しかも、僕のようにしばしば「なんでですか?」と問い返すことなく、基本は笑顔で頷く。しかし、肝心なところで、大切な捉え直しや合いの手を入れてくださる。そこで、饒舌に想定内のストーリーになりかけていたのが、ふと、立ち止まって、考えて、想定外のところに踏み込み始める。
「聞き手」を続けていて、面白い、と感じる瞬間は、「語り手」が自らの想定内を超える瞬間。聞き手とのやりとり(本当の意味でのdia-logue)という相互作用を続ける中で、語り手がふと、量子力学的跳躍を果たす瞬間。そこから、語り手自身が思いもしなかったことを、蜘蛛の糸でも掴むかのように、語り出す瞬間。そこに出会えると、対話の質が随分深まり、聞き手の方もいつしかその相互作用の中で、聴ける内容も深まっていく。
昨日のインタビューでは、聞き手の側のハンドリングがうまかったので、また語り手の私と話が合う部分も少なくなかったので、その相互作用の中から、普段の僕が記憶の納屋か倉庫にしまい込んでいた、いくつかの懐かしい在庫を取り出していただく事ができた。僕自身も久しぶりに見る、過去の記憶や経験の断片。しばらくの間考えてもいなかったことなので、埃を払いながら、話をしながら、その懐かしい在庫の現代的意味を問い直そうとする。あるいは、今考えつつある断片との融合の中で、まだ見ぬ何か、を紡ぎ出そうとする。
聞き手がうまいと、そういう導きに誘われ、気づけば、想定外の場所に、連れて行って頂ける。
その瞬間、饒舌はひとたび止まり、うーん、と考え込む瞬間にたどり着く。攻撃的!?おしゃべりな僕にはあまりない、エアポケットのような瞬間。しかし、その瞬間と出会えるから、まだ見ぬ何か、語ってこなかった、今から語られようとする何か、が未然形として、前のめりに示されていくのだ。これこそ、自分の殻を破る瞬間だし、対話的環境がエキサイトする瞬間である。
そういう、至福なインタビューだったので、2時間しゃべりっぱなしで、ノドがからからになってしまった。
僕だったらあんなにしゃべられたら2頁の記事にまとめられないが、そこは優秀なる記者さんが横でじっと聞き耳を立てておられたので、取材チームのお二人は実に名コンビ。今から、どんな記事になるか、楽しみである。

村上春樹と「神話の力」

まさか自分が「物語」にどんどん惹かれていくとは、よもや思いもしなかった。

仕事場の書架はもちろん、自宅の本棚にも、小説は実に少ない。入り込んだらその世界にずっと浸るのだが、なかなか小説世界に入り込む(その世界に馴染む)のに時間がかかるのか、食わず嫌いなのか、その両方だと思うのだが、小説を読むことは少なかった。例外的に村上春樹だけは小説もエッセーもほぼ全てを何度か読み直すほどのファンだが、同じく物語性の強い漫画も含め、ほとんど手をつけていない。また、映画もドラマも、ほとんど見ない。
では、嫌いなのか、というと、そうでもないような気がする。逆に小さい頃は感情移入しすぎて、疲れたのだ。特に、テレビドラマで主人公が恥ずかしい経験をする時など、先読みしすぎて、いたたまれなくなってトイレに隠れる、なんて変な子どもだった。ドラマがそれだけわかりやすくて陳腐だったのかもしれないし、僕の感覚が、今より少しは鋭敏だったのかもしれない。あと、受験勉強時以来、ドラマや映画は時間がかかるので、見始めたら効率が悪い、という効率第一主義にはまっていた部分もなきにしもあらず、かもしれない。
いずれにせよ、一番小説が吸収できそうな10代20代を通じて、村上春樹以外の物語世界にはほとんど馴染まなかった、という、物語経験についてはいささか寂しい記憶が残っている。生きること、自分の世界観の範囲を広げることに必死で、ノンフィクションや新書、研究所などを貪り読んでいたから、小説まで手が回らなかった、とでも言っておこうか。
それが、30代も後半になって、一冊のキーブックと出会えた。
「この種の冒険の第一段階では、英雄は、彼がなにがしかの支配力を持っていた住み慣れた世界を離れ、別の世界の入り口へとやってきます。湖の岸とか海辺ですね。そこでは深淵の怪物が彼を待ち受けている。で、ここで二つの可能性があります。ヨナのタイプの物語では、英雄は怪物に飲み込まれて奈落の底へ落ちていき、のちによみがえる-死と再生のテーマのバリエーションですね。意識界の人格は、ここでいかんともし難い無意識のエネルギーの支配下に入り、試練と啓示に満ちた恐ろしい夜の海の旅をしなければなりません。それと同時に、どのようにしたらこの闇の力と折り合いをつければいのかを学ぶ。そして最後に腹から出てきて新しい生き方に到達するわけです。」(ジョーゼフ・キャンベル&ビル・モイヤーズ『神話の力』早川文庫、310頁)
この本は、『リーダーシップの旅』をぱらぱらと読み直しているときに、野田氏と金井氏の双方が薦めていたので買い求めたのだが、しかし内心「神話?僕が?」とかなり偏屈な先入観を持っていた。
だが、上記のフレーズにさしかかった時、これが村上春樹の世界観と見事に通底する、というのがよく分かった。『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』における「やみくろ」であり、『ねじまき鳥クロニクル』における「井戸」。あるいは『海辺のカフカ』における森。どれも「いかんともし難い無意識のエネルギーの支配下」の世界である。そこで、「やみくろ」の場合は象徴的に「闇の力と折り合いをつけ」ようとする。あるいは「井戸」の場合なら、「恐ろしい夜の海の旅」をする。そういう世界を繰り返し村上春樹は書き続け、読者の僕は貪るように読み続けた。それが、神話世界と通底する、なんて思うこともなく。
そして、ちょうど買いそびれていた村上春樹のインタビューをネットで注文して読み始めると、共通することが語られていた。
「どうして『壁抜け』ができたかというと、僕自身が井戸の底に潜っていたからです。深く潜って、自分をどこまでも普遍化していけば、場所とか時間を超えて、どこか別の場所に行けるんだという確信を得られた。つまり主人公の『僕』が井戸の底に降りて意思の壁を抜けるというのは、作者である僕自身が実際にその壁を抜けたことのアナロジーなんです。空間と時間を移動する視線を獲得できたことは、小説家としてとても大きいことでした。」(『考える人』2010年夏号p26)
「住み慣れた世界を離れ、別の世界の入り口へとやって」くる。このとき『神話の力』によれば、別世界や怪物を殺してしまうパターンと、そのなかに飲み込まれ「奈落の底に落ちてい」くパターンの二つがある、という。村上春樹の小説世界は、基本的にいつも後者。アノニマスな無名の青年が、わけのわからない世界に引きずり込まれていく。『スプートニクの恋人』におけるギリシャの島も、ある種の異界だ。村上春樹はそうやって、時間と空間の限定性を超えて、普遍的無意識としての物語世界の元型にアクセスし、そのなかでの「試練と啓示に満ちた恐ろしい夜の海の旅」を提示し続けるから、英語で読んでも日本語で読んでも違和感なくその物語世界に入ることが出来、かつ世界的な読者層を持つ作家として成功を収めたのだと感じる。
「境界線を越える、そこから冒険が始まるということです。守られていない、新しい領域へ入っていくのです。限られた場所、固定された生活習慣、決められたルールなどを後にしなければ、創造性を発揮することはできません。」(『神話の力』p331)
通常の生活の中で、「境界線を越える」という事がなかなか出来ない。だからこそ、その代償行為ではないが、すぐれた物語に接することで、人は「限られた場所、固定された生活習慣、決められたルール」び「壁抜け」が出来、「空間と時間を移動する視線」としての「創造性」を獲得することが出来る。
「われわれは独力で冒険を挑む必要さえない。あらゆる時代の英雄たちが先に進んでくれたからだ。もはや迷路の出口はすべて明らかにされている。われわれはただ英雄が開いた小道をたどりさえすればいい。」(『神話の力』p264)
そう、物語世界を読み進めることは、「英雄が開いた小道をたど」ることなのだ。今までそんなことを考えたこともなかったが、何度も村上作品を読み直すうちに(そのうちの何冊かの長編は英語版でも読んでみた)、『神話の力』で提示された内容が、僕にとっては村上春樹という媒介を通じて、すーっと身に染みてきたのである。
そして、ひとたび村上ワールドに浸るその象徴的な意味を、『神話の力』という補助線によって知ることが出来た今、他の「神話」にも、俄然興味が生まれてきた。そうしてみると、僕の本棚は、本当に「神話」が少ない。とりあえず「トニオ・クレーゲル」を読み、一昨日は「風と共に去りぬ」を観た。どんどん色んなタイプの「神話」と出会いたい。そんな10代の少年のような事を感じている、36歳の「読書の秋」の予感である。

発疹の「知らせ」

夏休み期間もあっという間に過ぎ去り、大学では講義再開。

講義がない間も濃度が濃かった。2本の論文をほぼ書き終え(今日あたりに脱稿予定)、バンコク(結婚式)とパリ(休暇旅)に出かけ、総合福祉法は骨格提言までこぎ着け、何度か出張もした。そのガタが来たようで、このところ、身体の調子があまり良くない。
手荒れが治らず、発疹のようなものが手と足に出ている。タイ農村部での結婚式の後、戻ったバンコクで牡蠣にあたって、激しいめまい(ブラックアウト寸前)と全身のひどい蕁麻疹に見舞われ、ホテルで寝込んだ。そのときに比べたらたいしたことはないのだが、8月末くらいから、手や足や首筋に発疹が出ている。パリでこってりとした料理やフランスパンをバクバク食べた。フランスパンもよく考えたらバターがたっぷり入っているのですね。普段パンもあまり食べないので、たんまり身体の中に油を入れたことになる。そのせいもあって、パリ滞在の最後は胃腸の調子が最悪だったが、帰国後、野菜中心の生活に戻しても、発疹は治まらない。ちょうど先週末、普段通っている主治医(中国医学)の診察日だったので、その事を相談したら、こう言われた。
「もう身体は若くない。無理が利かない身体になった、ということです」
「人間は30を超えると、後は下り坂。決して登ることも、維持する事も出来ない。出来る事は,せいぜい、その下るスピードを遅くするのみ」
結構なショック。実年齢は36歳、気持ち的には大学院生、だったのだが、身体は無理が利かない、という引導を渡されてしまった。確かに日曜日にはお昼に恵比寿でランチミーティングに出かけ、夕方は甲府の道場で合気道、なんてしていると、翌日に相当疲れが残る。そして、この疲れへの気づきは、小さい頃からの習性(への修正)へと自らを導く。
小さい頃、鉄道少年だった僕は、時刻表とにらめっこしながら、どうしたらうまく乗り継いで、どんな風に遠くまで旅が出来るか、を空想するのが大好きだった。時刻表さえ眺めたら、それこそ何時間でも過ごせる子どもだった。今は「駅探」のようなツールに頼りっきりになってしまうけど、中学生くらいまではダイヤ改正の度に大判時刻表を買い求めるマニア、だった。
そのマニア的心性は、鉄道関係の本をすっぱり捨てた後も、心の中に残っている。例えば時間効率性の話。こないだのように、昼は恵比寿、夕方は甲府、で予定を入れることは、時刻表的には十分にあり、なので、僕はそれをこなして来た。だが、自分のペースで動きたい妻にとっては、「無茶なスケジュール」だそうだ。それを言われて、僕のことを気遣ってもらっているのはありがたいが、正直、何が「無茶」なのかわからなかった。先週木・金の出張だって、台風一過で身延線は線路が流され運休、新幹線は大混雑で新横浜から立ち席、の中で、朝一に八王子→新横浜まわりで京都まで出かけ、打ち合わせ。その後、大阪で4時間ほど研究会をして、夕方は講演の後に、朝3時まで久しぶりに激しく飲む。翌日はさすがに10時頃までホテルで休むも、梅田のジュンク堂で本を買い込み、ランチを人と食べた後、午後はあるセッションに司会者として参加し、帰りは名古屋→塩尻経由で9時半頃に帰宅、である。それを、当たり前のようにこなしている自分がいた。
だが、その「当たり前」こそ、実は問われるべき「無茶」だったのである、と気づくまでにだいぶ時間がかかった。それを、身体が発疹を起こして、知らせてくれたのだ。漢方医曰く、「熱が溜まっている」とのこと。この際の熱は、東洋医学的な熱であり、実際に体温が上昇している訳では必ずしもないそうだ。仕事のしすぎや悪い油などの理由で内熱が溜まり、それが発疹や花粉症症状として出るらしい。そういえば、パリについた当日も、ホテルでひどい鼻水・鼻づまりに悩まされた記憶がある。
つまり、時刻表的効率性を元に、仕事も予定もどんどん入れていたが、それが逆に己の自由度を奪い、心身ともに無理が溜まり、身体への発疹として警告になっているのだ。このコールサインを見誤ったら、生命も短くなる。正直、そう感じている。生き方を変える、まで言うと大げさだが、でも自らの行動規範をなにがしか変容させないと、早死にしそうだ。
そんな、ある種の曲がり角の際に、次のフレーズが心に突き刺さった。
「今朝の新聞になにが載っていたか、友達はだれだれなのか、だれに借りがあり、だれに貸しがあるか、そんなことを一切忘れるような部屋、ないし一日のうちのひとときがなくてはなりません。本来の自分、自分の将来の姿を純粋に経験し、引き出すことのできる場所です。それは創造的な孵化場です。(略) いまの私たちの生活は、その方向性において非常に実際的、経済的なものになっています。だからみんな、ある程度の年齢になると、次から次へと目先の用事に追いまくられて、自分がいったいだれなのか、なにをしようとしていたのか、わからなくなってしまう。二六時中、しなければならない仕事に追われているのです。あなたにとって幸福は、無情の喜びは、どこにあるのか。あなたはそれを見つけなくてはなりません。ほかのだれもが見向きもしない古くさい曲でもいいから、とにかく自分が大好きなレコードを聴くとか、あるいは好きな本を読むとか。聖なる場所では、あなたは、例えば平原の人びとがおのれの住む世界全体に対して持っていたような、生きた『汝』の感覚を持つことができるのです。」(ジョーゼフ・キャンベル&ビル・モイヤーズ『神話の力』早川文庫、207-208頁)
僕にとっての「聖なる場所」「聖なる時間」は、どれだけ保てているだろうか。
この問いは、「非常に実際的、経済的」に動いてきた己自身にぐさりと刺さる問いである。外に出かける事は多くても、自分の内側の為に使う時間は、本当にごくごく限られていた。その限られた時間も、「聖なる場所・時間」として使えていたか、というと、大いに疑問である。どちらにせよ、「目先の用事に追いまくられて」いることは、確かだ。現に今も、月末〆切りの3つの課題が終わるか、で、ひやひやしている。そしてその事で、内なる熱気がクールダウンする場も時間もなく、結果的に「内熱が溜ま」り、発疹としてのSOSを出しているのである。これを「自分を見失う」と言われたら、文字通り、見失っていると言えるだろう。そして見失っていた間でも、30代前半の間は、身体に負荷をかけても引っ張り続けてこれたが、30代後半になり、いよいよそういう「経済・効率」一辺倒の生き方では、身体が悲鳴を上げているのだ。
脳中心の、時刻表的効率性では、身体がついて行かない。むしろ、身体のコントロールの及ぶ範囲内で、心身を文字通り何とかする(マネージメントする)ための、「聖なる場所」「聖なる時間」の確保。忙しいからこそ、自分以外でも出来そうな仕事は断る勇気をもって、「自分のための時間・予定」を確保する。勘定する。講演や研修も、月あたり、ある一定以上の数になれば断る。そうしないと、本当に自分を見失いそうだ。
こう書いていて、以前ブログで書いた、福田和也氏が指摘する「やりたいこと(志望)と、出来ること(能力)、そして世間が求めること(世間の都合)」の三つを思い出した。
「出来ること」が少しずつ増え、それにつれて「世間が求めること」に忙殺されるようになってきた。だからこそ、「聖なる場所」「聖なる時間」を自分のために確保しないと、「やりたいこと」が摩滅し、気も減退していくのだろう。それを、身体は発疹として警告してくれているのである。40代で燃え尽きる「会社人間」の中には、おそらくこの「出来ること」「世間が求めること」に過度に傾斜して、「やりたいこと」から遠ざかり、「聖なる場所」「聖なる時間」が確保できなくなる中で、鬱や自殺という選択肢以外が見えなくなってしまう人もいる。それは、他人事ではなく、僕自身も、もしかしたら薄皮一枚の隣り合わせの局面なのかもしれない。世間からは割と「好きなことをして」と言われ、自分でもその気になっていたが、「好きなこと」と思い込んでいる事の中にある、「出来ること」「世間に求められること」を引き算して、どれだけ本当に「やりたいこと」が残っているのか、の見極めが必要だ。そのためにも、「聖なる場所」「聖なる時間」が必要とされているのだと思う。
「やりたいこと」の最大化という目標。「出来ること」「世間が求めること」に引っ張られている(つまりは「やりたいこと」が気づけば最小化しかねない)30代後半だからこそ、真剣に考え、追い求める目標のような気がする。