雑種の先にあるもの(連作その4)

前回のブログでは慣れない丸山真男論を書いてみたので、今回はもういちど「学びの回路を開く」の連作シリーズに戻る。とはいえ、この連作、がっちりとした骨組みに基づいて書いているのでは無く、主題に関して思いつくままに書いているので、かなりの振幅の広い(とういか、とりとめのない)内容になっている。これを何とかまとめて一つの著作にしよう、という無謀な事も考えているが、まあ、そのための「ホップ」とでもいえようか。

で、今日取り上げるのは、前回のブログで「戦後啓蒙主義」の丸山真男が「共同体を超える」ために「する」こと論理を取り出した事に関連している。丸山は「である」ことに内在する地縁・血縁の呪縛からの解放を「する」ことに託したが、それから50年たって、そもそも「すること」の商品化・自己組織化が進んでいないか? 「する」ことに人間が支配されていないか?という問いかけを前回のブログでは書いた。
そのような意味で、上記の問いは「モダン」を問い直す問いである。で、そういうお仕事は、理論社会学の分野で展開されているよなぁ、そういえば・・・と書架から引っ張り出したのは、大学時代からお世話になっている社会学の大家の先生に頂いた近著。紐解いて見ると、ちゃんと整理して下さっている。
「モダンの変容といった場合、二つのケースがあることに気づく。そのひとつが、欧米の歴史のなかで蒙ったような変容。もうひとつが、異なった社会的・文化的コンテクストのなかに移転されるなかで蒙る変容。前者が時間的移動に基づく変化とすれば、後者は空間的移動に由来する変化といえよう。ポストモダンとは時間的=歴史的経過に注目したモダンの変容の特徴付けのひとつである。空間的な移転あるいは文化伝播によって蒙るモダンの変質を何と呼んだらいいのか。文化伝播に伴うモダンの変容を『ハイブリッドモダン』と名づけることにしよう。」(厚東洋輔『グローバライゼーション・インパクト』ミネルヴァ書房、p27)
ハイブリッドとは、プリウスで一気にお馴染みの言葉になったが、蓄電とガソリンの混合で動く、つまり「雑種」という意味である。そう、僕らの世代なら受験勉強で必ず読んだ、加藤周一氏の「日本文化の雑種性」のことを、「ハイブリッドモダン」と指す。それなら、よくわかる。欧米で花開いた産業革命や市民革命の成果である工場制労働や議会民主主義を、「空間的な移転」として「輸入」し、「和魂洋才」という形で日本文化の中に入れ込んだのだから、確かに内発的なモダンでは無く、内発的文化と輸入した文化との融合という意味で、ハイブリッド・モダンそのものである。また、モダンの種別的特性として「高度な移転可能性」がある、とも厚東先生は述べる。
「近代文化とは移転可能性が極限にまで上りつめた文化複合体と規定できるだろう。とはいえ合理化されさえすれば移転可能性の程度が高まるというわけではない。合理化の進行が移転可能性の高まる方向で進んだのが西欧合理主義のひとつの特徴といえるだろう。モダンはたしかに西欧を基盤に生誕した。しかし異なった文化圏に移植されても有効に作動し続けるのがモダンである。モダンの種別的特性として高度な移転可能性がある。モダンにとっては移転に移転を重ね、『グローバライズされること』が運命となる。その限りでモダンの本来の故郷は、西欧ではなく、『グローバル・ソサイエティー』ということになるだろう。」(同上、p25)
なるほど、モダンの果てにグローバライゼーションがある、のではなくて、もともとモダンというのが「高度な移転可能性」を基軸に組み立てられるなら、その合理化の進行は当然の帰結として「グローバル・ソサイエティー」に至るのですね。タイでもトルコでもパリでもマクドナルドが幅を利かせているのも、「高度な移転可能性」の格好の例であり、それが「マクドナルド化する社会」なんて言われたりもした。だが、そのことよりも、この「移転可能性」で興味深いのは、「モジュール化への動き」について、である。
「モジュールとは、社会制度の機能単位のことで、社会制度はこうした(相対的に)自己完結した機能ユニットから組み立てられている『モジュール連結体』とみなされる。モジュールは、他の制度的要素からの支援をうけることなく、独自な情報-資源処理を通して、特定のタスク実現=課題達成を果たす事が出来るところに、その真骨頂がある。こうしたモジュールは、ギデンズの言葉を用いれば、コンテクストへの依存を断ち切られた『抽象性システム』の典型といえよう。もしもこうしたモジュールが識別可能なら、文化移転の基本単位はこのモジュールということになる。(略)モジュールをひとつずつ慎重に吟味し、その過不足のない移転の積み重ねによって、制度全体を作り変えていく。オリジナルな制度をモジュールに分解し、そのモジュールの無駄のない組み合わせによって新しい制度を作り上げる。モジュールを戦略地点に選ぶのが文化移転の最も効率的な方策であろう。」(同上、p37)
明治維新の時以来、日本がイギリス、アメリカ、フランス、ドイツなどの欧米列国で盛んに学び、導入した科学的英知は、実はモジュール単位だった、といえば、すごく納得が出来る。どうして別の国々の思想なり文化を移植する事が出来たのか。この問いには、それぞれの領域において、その国の「自己完結した機能ユニット」である「モジュール連結体」が、日本に役立つ、と思ったから入れられたのだ。で、この「モジュールの無駄のない組み合わせ」としての「モジュール連結体」の移転は、欧米から日本へ、だけでなく、日本国内でも中央主権的に地方に移転されていった。都道府県というシステムは、「モジュール連結体」を日本の隅々に移植するにあたって、270もの藩単位に一気に普及させるにはコストやエネルギーがかかりすぎるから、その上位機構として47というブロック単位を作った、という理解をするとわかりやすい。規格化・標準化されたモダンの「モジュール」としての病院、学校、工場、道路、法制度、警察・・・というシステムを一気に広めるには、そのようなコントロールが当時の伝播にふさわしい、という判断があったのだろう。そして、日本は幸運なことに、この「モジュール連結体」の移植で大成功を収めた。
だが、一世紀から一世紀半前に移植し大成功を収めた様々な「モジュール連結体」は、その制度疲労、というか、その限界に達している。丸山真男などの「戦後啓蒙」派の人びとは、日本に根付かなかった「市民革命」的な市民の主体性や自立性という「モジュール」を「する」ことの論理に仮託して、日本に移植しようと試みた。その成果があったのかどうか、はさておくとして、丸山らが当時負の遺産として考えていた身分・家柄・地縁・血縁などの「しがらみ」としての「共同体主義」(=「である」ことを支える論理)は、あれから60年で見事に吹っ飛んでしまった。それも丸山が希求したような「オープンな対決と競争を通じて、議会政治の合理的な根拠を国民が納得していく」という形で「共同体主義」が塗り替えられたのではない。前回のブログにも書いたように、むしろ「する」ことの商業化・自己組織化が進む中で、自己決定や自己選択に思える内容もマスコミや広告による巧みな誘導(洗脳?)として市場化されていった。これは「広告」「マスメディア」という「モジュール連結体」の大きな勝利でもあり、この「高度な移転可能性」のあるメディアと広告の力によって、「標準的な都市の論理」が日本の郊外の隅々にまで移転し、シャッター通りや過疎化・限界集落と国道沿いの金太郎飴のような大規模店の全国展開、が進んでいったのである。これもそのような「モジュール化」の大成功、とも言えるだろう。
とはいえ、それが限界に来ているのだ。丸山の時代は、ハイブリッドモダン化するにあたり、戦後民主主義という「モジュール」をどう日本に成功裏に移転するか、が課題であった。あれから60年を経て、今の日本社会で暮らす私たちに突きつけられている課題は、「出来上がってしまったハイブリッドモダンをどう乗り越えていくか?」という問いである。つまり、以前は「空間的移動」が主題化されていたが、それが変容しながら内在的論理になった今、問い直されるのは、そのハイブリッドモダンの「時間的移動に基づく変化」とどう向き合うのか、である。ポスト・ハイブリッドモダンとでもいえようか。日本社会でモダンを問い直す、ということは、そういうことを意味するのでは無いか。
で、ここでようやく「学びの回路を開く」という連作シリーズに戻ってくるのである。(今回も長い迂回路ですいません)
たとえばこのブログで主題化している、過疎化や少子高齢化の中でどうやって住み慣れた地域で、障害があっても、高齢になっても、シングルマザーでも、ターミナルケアの状態でも、自分らしく暮らしていくことができるか、それをどう支えるシステムを作るか? この問いに答えるためには、実はこれまでのモジュールそのものを問い直す必要があるのだ。厚東先生の言葉を借りるなら、「オリジナルな制度をモジュールに分解し、そのモジュールの無駄のない組み合わせによって新しい制度を作り上げる」必要があるのである。そういう視点で眺めてみると、以前のブログで紹介した岡山モデルや高知モデルも含めて、その推進役である小坂田先生や地域包括ケアを進める人びとがしてきたのは、「モジュールの分解と分析、再統合」であった。これは、その後のブログでご紹介した、中山間地の再生に取り組む各地の実践とも通底している。そして、これらの「先進地」で行われていることを、「コンテクストへの依存を断ち切られた『抽象性システム』の典型」としての「モジュール」として昇華させた上で、「移転可能性」を高めて他の地域に移植すればいい、という案が浮かび上がってくる。現に、厚労省の言う地域包括ケアの絵は、そういうものとして描かれている。
しかし、である。それはあくまでもハイブリッド・モダン時代の発想ではないか。ポスト・ハイブリッドモダンの時代にあっては、単に「抽象性システム」としての「モジュール」を当てはめるだけでは、うまくいかなくなっているのではないか。
ここからは、文献を離れて、ぐっと夢想的・妄想的な話をする。
戦後のハイブリッドモダンを移植する段階では、まだまだ土着的な土の力は、かなりの強固なものであった。丸山真男ら「戦後啓蒙世代」が必死になって引きはがそうとしても、なかなか人びとの心を支配している「村社会」の土着性であった。だが、「する」ことの市場化と「である」ことのハイブリッド化の進展の中で、この土着性こそ、とことん根絶やしの方向に進んでいったのではないか。たとえて言うなら、土壌改良されまくり、本来の力を失った土、というイメージが思い浮かぶ。「ジャスコ」や「洋服の青山」「パチンコ屋」「マクドナルド」「くら寿司」が並ぶ街並みをみて、どこの郊外か全くわからないほどの無表情化している、ということは、ある種の土着性の去勢のようにも思えてならない。それが「文化の伝播」の「学習」なら、真面目に学びすぎた結果でもある、といえるだろう。
で、去勢され、勢いがなくなった土着性は、実は人びとの「しがらみ」だけでなく、「帰属意識」も「安心感」も含めた「ふるさと」そのものを葬り去ろうとしている。雑種文化=ハイブリッドモダンによって日本は繁栄を得たが、それは均一化をもたらし、個々人のアイデンティティを裏打ちする個性や豊かさを奪う部分もあった。変な言い方をすると、「均一な雑種」とでも言えようか。「あなた」が「私」や「彼」と入れ替わっても、「甲府」の郊外が「八王子」や「堺」のそれと入れ替わっても、何の問題もなく動き続けていくシステム。その無表情なシステムの中で、個々人の魂が蓋をされ、「均一な雑種」がやがて、個々人の存在の発露に蓋をする呪縛として覆い被さる。それはあたかも以前「しがらみ的共同体」が蓋をしていたのと同じように。
そこから自由になるにはどうしたらいいのか。もう一度、呪術的な土着性に戻るべきなのか。そこに補助線を入れるとしたら、「世界の再魔術化」という副題のある本を思い出す。
「『対抗文化(カウンターカルチャー)』のさまざまな要素を結び合わせる共通の絆はあるのだろうか? おそらくそれは『回復』(recovery)という概念である。それらがめざすのは、本来の我々のものであるはずの、身体、健康、性、自然環境、原初的伝統、無意識の<精神>、土地への帰属、共同体人間同士の結びつきの感覚、そうしたものを回復することである。そこで唱えられているのは、単に『ゼロ成長』とか工業の減速だけでは無く、この四半世紀の間に失われたものを過去から取り戻そうという姿勢である。前進するために後退する。つまり、それは未来を取り戻そうとする試みなのだ。」(モリス・バーマン『デカルトからベイドソンへ』国文社、p328)
ただ、バーマンの表記は一見すると「復古主義」的に見えるので、注意が必要だ。リカバリーというと、精神障害者支援の分野でも最近「ブーム」から常識へ、と展開している。とはいえ、このリカバリー概念も、以前の状態に戻る、という単純な意味で使われているのではない。リカバリーモデルの提唱者の一人、リック・ゴスチャは「精神障害者は、自分の人生を取り戻し、再生し、改善させることが出来る」といっている。精神障害になり、それまでの仕事一辺倒とか家族関係とかそういう以前のシステム体系が一旦破綻してしまった、という前提のもと、その「人生を取り戻し、再生し、改善させる」か、が鍵になる。「回復」とは「以前と同じにするのではなく、今の状態からどう次のゴールを取り戻し、再生し、改善されるのか」という問いでもある。
そう思ってバーマンの定義をみると、「失った『本来の我々のもの』」としての「身体、健康、性、自然環境、原初的伝統、無意識の<精神>、土地への帰属、共同体人間同士の結びつきの感覚」を、復古主義的にではなく、現代のコンテキストの中で、どうリハビリテイトさせるか、という課題である。
ポスト・ハイブリッドモダンとは、「均一な雑種」の「先にあるもの」を探す営みである。そして、「均一な雑種」からの離脱であるならば、それを既存の「モジュール連合体」の文化伝播という形で乗り切る、という前時代の「ハイブリッドモダン」の振る舞いそのものを再帰的に振り返り、反省し、乗り越えていくことが求められる。つまり、「モジュール化」が「コンテクストへの依存を断ち切られた『抽象性システム』」によって支えられたとするならば、それによって土壌が改良されて土着力が根絶やしにされかかっているとするならば、その去勢された「コンテクスト」という土着力を、現在の視点で再発見し、その土地のポジティブな力として再生させる、という方向でしか、息吹を吹き返さないのではないか。「均一な雑種」の先にいくには、その「均一な雑種」が蓋となって抑圧してきた、その土地独自のローカリティを、「均一な雑種」とどう接合させるか、が課題になっている。
ただ、この際、土着の危険さにも注意が必要だ。
「モダニティの平板さに飽き飽きして、代わりに、差異を産み出す源泉として、土着の文化・文明にスポットライトがあてられる傾向もある。ここにファンダメンタリズム=原理主義が跳梁する根拠がある。」(厚東、同上、p59)
原理主義は、モダニティという平板さの否定として立ち現れる。だが日本社会で暮らす私たちは一方で、ハイブリッドモダンの恩恵を十分に受けていて、それを捨ててまで原理主義的になることは出来ない。であれば、この土着の文化・文明への「スポットライト」のあて方も、単に復古主義的なそれではなく、ハイブリットモダンの文脈と、土着の文化・文明の文脈を、どう対等な形で接合させるか、という視点が必要になる。それでこそ、「均一な雑種」から、その土地らしい「雑種」への昇華・変容が可能になるのだろう。そして、その際の方法論として厚東先生が示唆しているのが、文化と文化の間の相互作用としての「マクロ・インタラクション」である。
「今後問題なのは、二つの文化が出会ったとき、いったい何が起こるかである。相互に排斥し合う、あるいはどちらかが模範とされる、という両極端な場合は、もはや起こりえないであろう。お互いに、他の文化を学習し合い、自己変革を遂げることになると思うが、その結果どういう文化が生まれるのかについて考えようとすると、頼りになる指針が存在しないことにあらためて気づかされる。」(同上、p105)
この際の二つの文化、とは、ハイブリッドモダン化された日本の文化、とポストモダンでスローフードを実践しているイタリアのそれ、といったものにも当てはまるが、それだけではないと考えてみると、面白い。例えば「均一な雑種」としての都市と、徳島県上勝町のような「文化再生を果たした田舎町」、あるいは「均一な雑種」としての現代都市文化と、その同じ都市の150年前の文化、こういった、空間・時間的な文化の比較の中から、「他の文化を学習し合い、自己変革を遂げる」ヒントが隠されている。そういう学習のサイクルを回す中で、「未来を取り戻そうとする試み」としての「回復」が展開されていく。それこそが、ポスト・ハイブリッドモダンの時代に求められる展開なのではないだろうか。最後に厚東先生による近代化の定義を引用しておきたい。
「近代化とは伝統が消滅し近代のみが勝ち誇る過程ではなく、同時代を地平に『新(モダン)』と『旧』の新たな差異化が行われる過程である。伝統は消滅するのではなく、理念的に再編されるだけである。近代化とは伝統を<地>に近代が<図>として描き出される『複層的』過程である。」(同上、p130)
<地>だけ見ると原理主義に陥り、<図>だけに浮かれると開発至上主義者になる。そのどちらも、限界が来ている。だからこそ、既存の「モジュール」としての(=制度化された)設計図を当てにせず、その地域独自の<地図>を描き直す試みが必要なのだ。そして、この独自の<地図>の描き直しこそ、「学びの回路を開く」ことそのものなのだ。

アクチュアルな「論語」の「知」 (連作その3)

先月末の研究会で、安冨先生から、書店に並ぶ直前の新著を頂いた。読み始めて、あまりの面白さに一気にその世界にひきこまれてしまった。その本で一番大きかったのは、次の公式である。

(知/不知)→知
これは一体どういうことであろうか。
安冨先生の『生きるための論語』(筑摩新書)によると、論語に出てくる基本的用語である「知」とは「自己言及的表現」(p36)であるという。これはどういうことかというと、「『知る/知らない』という状態よりも、世界への認識の枠組みを遷移させる学習過程としての『知』」(p43)であるといい、それは「運動」でもある、という。これは、最近になってすごくよくわかる。
受験勉強などの「詰め込み型」の知識であれば、単に「知らないことを覚える」という形での「知」であった。そこにはワクワクやドキドキなどが伴わないので、僕はついつい読書やラジオに走ってしまった。(ネットがあったら絶対勉強しなかっただろうから、受験生時代にネットがなくて本当に良かったと思っている)。だが、受験勉強が終わった後、特に「知る」ことより、「知らなかった」ことに気づける事に、すごく嬉しさを感じる。興味の無いものには、そもそも「知りたい」という動機さえ沸かない。もっと知りたい、と希求する時、「こんなことを知らなかった・わかっていなかった」と前景化することは、恥ずかしい事では無く、むしろ取り組むべき課題が明確化された、と感じるのだ。それを「運動」と安冨先生が呼ぶのは、次のような理由がある。
「新たに産出された『知』は最初の『知/不知』に跳ね返って、また新たな『知』を創り出す。このような回路が繰り返し作動する。この全体が『知』である。『是知也』という断定によって、最初の『知』の意味が変化し、『知』が知っているという状態であると共に、『知』と『不知』を分別するその過程でもある、という意味が膨らむ。このとき、変化しているのは『知』の方ではなく、知ると知らざるとを分別している『私』自身である。言葉の論理展開とともに、それを展開し理解する『私』が変化し、その変化が言葉の意味を豊かにする、というダイナミクスが生じている。この自分自身の変化を伴う解釈の過程は、『学習過程』だと言ってよいであろう。」(p38)
「知る」事の魅力とは、単にクイズ王のように断片を頭の中に放り込んでいくことではない。「知る」過程の中で、「何をまだわかっていないか? 知らないか」が明確になる。すると、以前のその「知る」主体である「私」自体が変容し、それに伴い「知っている」内容も変遷する。「自己言及的表現」とは、「知る」という行為を続ける限り、常にその「知」の枠組みや構造自体が書き換えられ、それに基づいて「私」自身も変容していく、という好循環のプロセスに入る、ということである。そして、それこそ「学習過程」である、という。
「自分自身の既存の枠組みの中に外部から何かを取り込むことが『学』であり、それが自分自身のあり方に変化を及ぼして飛躍が生じる瞬間が『習』である。上の図式では、『知/不知』という部分の過程が『学』であり、それが自らに跳ね返って『知』が変貌する瞬間が『習』に相当している。」(p38)
上記のフレーズを打ち込みながら、改めて僕がブログでし続けてきたのは、この「学習過程」である、と強く感じている。例えば今回は、この安冨先生のテキストに強く感化された自分がいて、それをブログという媒体を通じて「取り込む」という「学」を行っている。だが、僕はこうして7年間ブログを書き続ける中で、「自分自身のあり方に変化を及ぼして」きた。そして、前回の連作や今回の連作を書き続ける中で、おそらくは「飛躍」が生じ始めているのだと思う。そのワクワク・ドキドキの瞬間やプロセスこそ「習」であり、僕の言葉で言えば、「枠組み外し」でもあり、「学びの回路を開く」ことでもある。そのことによって、まさに「知が変貌する」瞬間に、自ら立ち会いつつ、このブログを書いている。それは、少しオーバーな表現を使わせてもらえば、それを「知る」ことによって、以前とは違う景色が見えること、そして、見えてしまった景色を前にすると、もう以前の景色、以前の「私」(の認識)に戻れないこと、を指す。論語には、そしてそれを私たちにアクセスしやすく解説して下さる安冨先生のこの『生きるための論語』には、そのようなパラダイムシフトが内在されているのだ。
そして、この自己言及構造(A/非A)→Aは、「論語の論理構造」(p40)としてあちこちに出てくる、という。仁や和、も不仁や不和を知ることを通じて、一段と高いレベルでの仁や和を獲得する、という意味で、この論理構造の範疇にある、というのだ。そこには、論語の次のような人間観がある、という。
「自分を常にモニタリングして、人の言うことに耳を傾け、自分の間違いに気づいたら、直ちにそれを受け入れ、更に自分の行動を改める。これが孔子の追求する人間としてのあり方の根幹にある。」(p57)
これは多分に自戒を込めて書くのだが、「中途半端にわかっている人」ほどたちの悪いものはない。全くその領域を知らない人なら、それを知る為に必死になる。例えば福祉領域で言うと、毎年4月は、多くの自治体職員が新たに福祉課の担当になる。2,3年で次々に担当を変わる、という現行システムが良いかどうかは別問題として、多くの職員がゼロからのスタートになる。これは、一方では事業の継続性として大きな弊害ではある。ただ、必死になって福祉に関する法や制度、現場の事などを学ぼうとする行政職員の中には、しばらくの間、(A/非A)→Aというプロセスが働いている。その一方、長年同じ福祉現場で働いている職員の中には、「そんなことは知っている」とお高くとまっている人もいる。確かに「ある程度」は知っているが、では深く知っているのか、現時点の課題や他領域の動向も含めて幅広く知っているのか、というと、怪しい人も少なくない。「井の中の蛙」としては「知っている」としても、「大海」に照らせば、全然知らないくせに、「知っている」として、更に知ろうと努力をしない職員も少なくない。
その一方、正しく(知/不知)→知の回路を回し続けた自治体職員の中には、最初の半年こそ現場職員に比べて「知」のレベルが劣るものの、気づけば現場職員よりその本質や構造をよく「知っている」人はいる。現
場の人は「事例」は知っているかもしれないが、事例の背後に潜む構造までちゃんと「知っていない」場合が多く、さらに、それを「知らない」ということも知らない。そういう意味では、実は「自分は何を知らないのか」に無自覚な人は、この学びの回路から阻害されている、とも言える。そして、中堅職員やベテラン、と言われる人の中に、この「知らない」を知る、という自己言及プロセスからの阻害を往々にして感じる。だからこそ、「中途半端」なのだ。(こういう悪口を書き出したら筆が止まらなくなるが、今日の本題から外れたので、またにしておく)
さて、安冨先生のこの本では、他に引用したい部分も一杯あるのだが、学びの回路を開く、という僕の今日の主題と関連する部分を、あと二箇所ほど取り上げたい。
「ここに、AとBという二人の個人がいるとしよう。二人が相互に学習過程を作動させており、『仁』の状態にあるなら、Aの投げかけるメッセージをBは心から受け止めて自己を変革し、そこから生まれるメッセージをAに返し、Aもまた同じことをする。このとき両者のメッセージの交換は『礼』にかなっている。このときAとBとがそれぞれに解釈して把握する意味は、常に互いに異なっている。より正確に言うなら、違う人格がそれぞれに把握している『意味』が、相互に一致しているかどうかなど、原理的にわからない。そのわからなさを無視し、互いに『同じ何かを共有している』という思い込みを形成するのが『同』である。小人は『同』がなければ不安でたまらない。しかし、君子はこのようなことを必要としない。人は人、自分は自分である。人が自分の考えを共有してくれるかどうかなど、問題とならない。それはそもそも不可能なことだからである。それゆえ、君子の交わりは、相互に考えが一致しているかどうかなど問わず、むしろその相違を原動力として進む。こうした相互の違いを尊重する動的な調和を『和』という。」(p103-104)
ここには、福祉現場で昨今耳にたこができるほど言われている「連携」の本質が隠されている。論語や安冨先生は、「違う人格がそれぞれに把握している『意味』が、相互に一致しているかどうかなど、原理的にわからない」、とはっきり言う。だから、「同じ何かを共有している」というのは、あくまで「思い込み」である、と。では、同じ目標の共有に基づいた多職種連携というのは、原理的に不可能なものなのだろうか。それは、「『同じ何かを共有している』という思い込み」という「同」の状態に陥っていないか、と気づくことから始まるのだ。医師と看護師、ソーシャルワーカーと民生委員と、職種や社会的立場、そして個性も人格も違う人びとが、もともと「同じ何かを共有」している、というのは幻想である。でも、そこに集う人びとが「相互に学習過程を作動させて」、相手の「投げかけるメッセージをから受け止めて自己を変革」をしようとするならば、その「メッセージの交換」がその集った人びと全体の中で相互作用化するならば、そこにはお互いの「相違を原動力として進む」「動的な調和」としての『和』が作動する。
「和して同ぜず」とは、「相手も自分と同じ事を思っている(→だから自分が正しい)」という「同」の前提に立つことではない。むしろ、違う考えやスタンスの相手と学習過程を作動させながらコミュニケーションすることによって、一人の考えでは突破できなかった課題に対して、お互いの「相違」に基づきながらどのような風穴をあける「原動力」を見出していくのか。そのような「動的な調和」を「学習過程」中でどう作り込むか。そのためのコミュニケーションはどうあるべきか。これを「礼」にかなったやり方で追求する。これが「連携」の本質なのかもしれない。
あと一つ、どうしても取り上げておきたいのが、「正名」、つまり「名を正す」ということである。
「日本人はアジア太平洋戦争の際に、侵略を『聖戦』と呼び、侵略軍を『皇軍』と呼び、退却を『転進』と呼び、全滅を『玉砕』と呼び、自爆攻撃を『特攻』と呼び自分の国のことを『神国』と呼んだ。このような歪んだ名を与えて思考すると、何が起きるかは明らかであろう。これが『名を正す』ということの意味である。怖いものは怖い、嫌なものは嫌、好きなものは好き、やりたい事はやりたい、やりたくない事はやりたくない、死にたくないなら死にたくない。このように『名』を正しく呼ぶことが、人間がまともに生きるための第一歩なのである。ここを歪めてしまうと、そこから先は何が起きるかわからない。というのも、人間は、世界そのものを認識しているのではなく、『名』によって世界の『像』を構成し、それによって思考しているからである。名と名の関係性を組み替えたり、あるいは名を与えられた像の運動を構成したりすることで、我々は思考し、行動している。それゆえ、名を歪めてしまうと、我々は自らの世界に生じる事態についての正しい像を構成できなくなってしまう。(略)それゆえ孔子は、何よりもまず名を正すべきだ、と言うのである。名が正される人なら、どんなにひどい事態であっても、創造的に対応することができる。」(p138)
「『名』を正しく呼ぶことが、人間がまともに生きるための第一歩」なのである、が、この世界に、その反対の「名を歪める」事態が、どれほど起こっていることだろうか。
例えば、2月に集中的に書き続けたが、3月13日に閣議決定された「障害者総合支援法」。これなんて、明確に「名を歪め」た法律である。その根拠は以前シノドスに書いた原稿などにみっちり書いたのでこれ以上くどくど書かないが、結局のところ、「総合福祉部会」で提言された「骨格提言」を厚労省は「やりたくない」というか「やる気はない」のだが、裁判の和解(基本合意文章)の中で「新しい法律に変えます」と約束したから、「名前『だけ』変える」という、実に姑息なやり方である。そもそも今日は口が悪いので、悪口ついでにいうと、「障害者自立支援法」というのも、実に「歪んだ名を与えて思考」した法律だと感じる。本当に障害者の「自立」を「支援」するならば、応益負担問題以前に、入所施設や精神科病院への長期社会的入院という構造そのものに手をつける必要がある。だが、それは「セーフティーネット」なるこれも歪めた名をつけて温存し、地域社会への資源や財源配分を傾斜することなく、介護保険法に吸
収合併する為の骨格構造を描く主目的は全く「名」として前景化せず(しかもみんな知っている)、障害者運動が大切にしてきた「自立支援」という「名」だけをパクって、さも理解しているかのような法律にする。これぞ、欺瞞そのものである。この欺瞞を正そう、「名」を正そうとしたのが、障害者自立支援法違憲訴訟のはずだったのに(詳しくはHPを参照)、そして国は一旦「名を正す」ことを約束したのに、それを、この2月になって反故にしたのである。
この厚労省の「名を歪めた」思考や動きを批判すると、「訳知り顔」の方々が、「タケコプター的理想論だ」とか、「できねぇよ」とか、「現実論から遊離している」とか、「そもそもそれは政治の問題であって厚労省の問題ではない」とか、いろいろな反論をされる。僕自身も、山梨や三重で公務員の方々と一緒に仕事をする機会が多いので、人員削減を一律にする中で、障害者福祉行政の方々が、どれほど残業を繰り返し、必死になって現場を護ろうと努力しておられるか、はよくわかっている。だから、マスコミがやるような官僚バッシングをしたい訳ではない。ただ、明らかに厚生労働省は自立支援法の前あたり、つまり支援費の雲行きが怪しくなった2004年の当初あたりから、「名を歪め」た思考になり始めているのである。それが、支援費のたった100億程度の予算超過を「アンコントローラブル」と言ってみたり、上述の「自立支援法」なる歪めた名の法律を作ったり、その延長戦上で総合福祉部会の骨格提言を潰しにかかったり、という動きに出ている。大変厳しい言い方をすると、東大を出て優秀なはずの霞ヶ関のキャリア官僚の皆さんが「名を歪めてしまうと、我々は自らの世界に生じる事態についての正しい像を構成できなくなってしまう」という状態に陥っているのではないか、という強い危惧である。
だがら、僕は「何よりもまず名を正すべきだ」という孔子=安冨先生の提案に心より賛意を示すし、その一環として、2月あたり、集中的に厚労省批判の文章も書いてきた。これについて「学者の名を借りた運動家」という評価もあったが、僕自身は、「名を正す」ことは、学者としてすべき大切な仕事である、と感じている。こう書くと、「官僚は学者と違って出来ないとは言えない立場なのだ」という反論も来るかもしれない。しかし、何があって、政治主導で「名を正す」と決め、その決定に基づき国の審議会で議論の上でまとめられた「骨格提言」が実現できないのか、それは財源論の問題なのか、それとも本当にこの提言が机上の空論であったのか。そういう理由をきちんと厚労省は応答する責任がある。それでこそ、「名が正される」のである。そのことなく、「現行法でも裁判の和解内容は遵守できています」という本人も信じていない嘘を平気でつくのは、明らかに「名を歪めた思考」であり、それは天下国家を論じるべき厚労省のキャリア官僚がしては、自爆行為なのである。長く書いたが、厚労省のキャリア官僚には、「『名』を正しく呼ぶことが、人間がまともに生きるための第一歩」であることを思い出してほしい、という、懇請のような思いで、この間批判を書き続けていた。
随分長く書いたが、まだまだ安冨先生のこの本からくみ取れる部分、これに関連づけて自らの気づきを展開したい箇所が沢山ある。この本を読む前には、「論語」がこんなに自らの「学び」や生き方そのものにアクチュアルに響くとは思っていなかったけれど、安冨先生の本を読んで、僕は文字通り(知/不知)→知のサイクル、つまり、知ってしまった以上、今までとは違う景色を見始めている。その意味で、繰り返しになるが、この『生きるための論語』は僕自身の「学びの回路を開く」ためのキーブックとして位置付いている。

復讐から贈与へ(続 学びの回路を開く)

パラダイムシフトについて、非常にわかりやすく書かれた本にであった。

「人は別のサイクルに入ることでしか、あるサイクルから抜け出ることは出来ない。復讐というマイナスの相互性から贈与交換というプラスの相互性に移行するときには、眺めている時間の方向が逆転するのと同時に循環性が保存される。『これからくれる人に与える』、私がこのようにプラスの交換を定義したのは、復讐と贈与との間にある対立関係と並行関係に同時に注目させるためなのである。もし私が、『すでにくれた人に贈る』と言ったとすれば『殺した者を殺す』という公式にもっとも近いところにとどまっていただろう。『すでにくれた人に贈る』というのは伝統的な交換の概念に一致しているかもしれないが、それは、復讐と贈与の二つの相互性の間の並行関係しかつかまえておらず、復讐と贈与のそれぞれが目を向けている時間の方向の違いは見ていない。このような見方が不十分であるのを知るためには、復讐における最初の行為と贈与における最初の行為を比較するだけで十分である。復讐における最初の行為はいつでも過去に先行してなされた攻撃に対する反応であって、未来に受け取る贈与を予期しての反応ではない。他方、最初の贈与は先手を打つことでなければなされない。」(マルク・R・アンスパック『悪循環と好循環』新評論、p34-35)
モースの贈与論から互酬性の形を再考した同著で、一番興味深かったのが、「すでにくれた人に贈る」と「これからくれる人に与える」の比較である。これは、非常に本質的で、含蓄の深い「対立関係と並行関係」である。
復讐に代表される「すでにくれた人に贈る」という論理は、時間の方向で言うと、常に「後追い」である。自分ではコントロール不可能なある行為に大きく影響され、それに何とか返礼するための「贈る」という行為。PTSDであろうと、「お中元のお返し」であろうと、自分が予期せずあるサイクルに巻き込まれてしまい、それへの返礼として「贈る」という論理である。内発的論理というより、外在的に、どこかせかされた感じで「せねば」という気持ちに急き立てられる論理、ということも出来るかもしれない。
一方、「これからくれる人に与える」というのは、文字通り「先手を打つ」ことである。相手がどうするのかわからないけれど、まず「贈与」する。その際、「せねば」と追い立てられるような義務感はない。文字通り「与えたいから与える」のである。「せねば」と比較するならば、「したい」からするのである。これは、魂の赴くままの贈与でもあり、自らの感情に無理矢理鋳型をはめたり蓋をしなくても出来る行為であり、内在的論理に基づく。
この「後追い」と「先手を打つ」の違いは、アジェンダ(=枠組み)設定とも関係している。「すでにくれた人に贈る」のであれば、「すでにくれた」という枠組みや論理にどう対応するか、に主眼が置かれている。その際、既に駆動している他者の意図や枠組みを、肯定にしろ否定にしろ、どうしても参照しなければならない、という点で、相手のペースに乗っている・乗らされている。一方、「これからくれる人に贈る」という際には、最初から誰に何を贈るか、も含めて、こちらで枠組み設定が出来る。振り回されることはない。
「すでにくれた」というのは、「最初に受け取るから得だ」という誤解も生み出す。だが、実は受け取ってしまう、ということは、ある種の返礼義務を課し、さらには復讐やPTSDなどのように被害も受けると、心の傷まで取り込んでしまうことになる。そして、この悪循環贈与のサイクルは、それを意識しないと、ずっと炉心はネガティブな回路で燃え続ける。相手から受けた呪縛の論理が自らに乗り移り、その他者の枠組みでずっと自らの内面を燃やし続ける、というしんどい回路にはまり込むのである。では、それをどうやって抜け出せばよいか。
「悪循環から抜け出るためには、その循環のプロセスを含む循環性を認識することが重要である。そしてすべての循環性を否定するのではなく、別の方向へと出発するプラスの循環に入ることである。人が復讐から逃れるのは、マイナスの循環をプラスの循環に反転させることによってだけなのである。」(p174)
実にシンプルな答えである。「すでにくれた人に贈る」循環性に自らが陥っている、ということに、気づくことでしか、抜け出せない。前回のブログでも触れた拙稿が載っている東洋文化92号の副題が「『箱』の外に出る勇気」とされていたが、このこととつながる。これは、この特集号の編者である深尾先生と安冨先生がスタンフォード大学の別府晴海先生から受け取った言葉である。東洋文化の中で、先生の言葉がこのように引用されている。
「新しい概念を創出することが『箱の外に出る』ことだと思います。『箱の外に出る』ことは必ずしも生産性のある創出にはなりませんが、『箱の外に出る』勇気が、学問にはいると思います。英語でもthink outside the boxと表現します。『自己の呪縛を乗り越える』と同時に、『(学問上の)常識(ドミナントストーリー)の呪縛を乗り越える』ことだと私は理解しています。」(東洋文化92号、p12)
内田樹先生の考えを借用すれば、学問とは、前時代の叡智を受け取り、発展させ、後生にパスをするリレーである。ということは、常に「すでにくれた人に贈る」という論理からスタートする。知識の獲得とは、もちろん、「既にある知識を受け取る」ことからスタートする。だが、どこかで「受け取る」ことを基盤にした「後追い」の枠組みには限界が来る。その時に、実は大切になるのは、「自己の呪縛を乗り越える」という意味での、「後追い」からの開放なのだと思う。それがあって、はじめて「(学問上の)常識(ドミナントストーリー)の呪縛を乗り越える」ことが可能になる。それは、自らが呪縛されているシステム全体を見つめることであり、それは「箱の外に出」て、「悪循環のプロセスを含む循環性を認識する」ことである。そして、それが出来て初めて、「別の方向へと出発するプラスの循環」に入ることが可能になるのである。するとようやく「これからくれる人に贈る」という主体へと変遷が可能なのだと思う。
この悪循環から好循環への、後追いから先手への、立ち位置の転換。「学びの回路を開く」上で、このパラダイムシフトは欠かすことが出来ない点であろう。

学びの回路を開く

昨年の7月、ブログに書き続けた「枠組み外し」に関する一連の考察が、かなり手を加えた上で論文となった。ご縁あって、東大の東洋文化研究所の紀要『東洋文化』の92号「特集 脱植民地化(3)-「呪縛」からの脱却・「箱」の外に出る勇気-」という論文集の中に、「枠組み外しの旅-宿命論的呪縛から信の<明晰>に向かって」というタイトルで、掲載頂いた。

一昨日の木曜日、その特集号の合評会が東洋文化研究所で開かれ、その論文集の著者や、あるいは「魂の脱植民地化」研究に関連の深い方々と議論をするチャンスに恵まれた。その時、様々な刺激や気づきを受けたのだけれど、その議論を通じて一番大切に感じているのが、今回の表題にもある「学びの回路を開く」というフレーズだ。
これは、前回のブログで、「魂の脱植民地化」研究の先鞭を切っておられる安冨先生の著作を引用する中で、心惹かれたフレーズである。そして、この「学びの回路を開く」ということが、コンテキストを変え、渦を作り出し、何かを創発していくために、本当に必要不可欠なのだ、と感じている。
「学びの回路を開く」とは何か。これは、この研究会の議論の際に思いついたフレーズを使うとすると、「服従」と「学習」の違いから説き起こすことが出来ると思う。
「服従」の論理とは、一方通行の論理。教える側と教えられる側、支援する側とされる側、という権力の非対称性の関係をそのまま内包した論理。一方が何かを授ける・与える。他方はそれをそのまま受け取る。その際、一方の側の枠組みを、他方は例え内心疑ってたとしても、口に出してはいけない。ありがたく受け取るのみ。そして、その枠組みの中で、従順に受け止める事が「よい子」「扱いやすい利用者」として評価される。逆に与える側の差し出す何かを素直に受け取れない人は「不良」「問題行動」「逸脱」というラベルが貼られ、治療や処分の対象とされる。この際、権力が非対称の関係なのだから、権力保持側(=つまり与える側)の論理が疑われることはない。オカシイのは、そのせっかく「与えてやった」何かをありがたく受け取らない逸脱者の側にあるのだ。そして、誰のどのような行為を評価・罰するのか、を見ている教えられる側・支援される側は、権力の非対称性という自らにとっては不利な環境を生き抜くために、「服従」する事を学び取り、「お伺いを立てる」という構図を身体化させる。それが、自らの生存戦略上有利になる、と肌身に感じているからだ。ただし、「服従」を学ぶ事からは、「学びの回路」が「開かれる」ことはない。盲目的に従うことのみを学ぶのだから、むしろ「閉ざされた学び」とも言えようか。
一方、「学びの回路を開く」という意味での「学習」とは何か。安冨先生のフレーズを借用するならば、好循環のフィードバック機構を創り出す営み、とでも言えようか。前回のブログで引用した安冨先生の文章を再掲すると、こういうことになる。
「働きかける側と対象となる側に切り分けるのではなく、両者を、相互に依存し、影響しあう一つのシステムとして認識しようとする姿勢である。この共生的関係を明確に認識しあいながら、そこに結ばれる新しい関係によってなんらかの新しい価値を創出することがめざすべき方向となる。」(安冨歩『複雑さを生きる』岩波書店、p128)
そう、教える側・教えられる側や、支援する側・される側といった「切り分け」をやめ、「両者を、相互に依存し、影響しあう一つのシステムとして認識」する。すると、知識や介護をA→Bへと一方的に渡す、という「服従」的論理は崩壊する。なぜなら、AからBに何かを伝える時、切り分けの思考から脱することが出来れば、BからAへも何かが伝わっていることに気づけるからだ。それが「わかった」「ありがとう」という言葉だったり、あるいは「聞きたくねえよ」「そんなことされたら嫌だ」という表情かもしれない。知識や支援内容が物流のようにA→Bへと一方的に伝わるのではなく、その知識なり介護なりが与えられる際、当然そのリアクションが相手から帰ってくる。そのフィードバックを、B→Aのコミュニケーションと受け止めて、その言語・非言語のコミュニケーションを自分に向けたメッセージだと受け取り、そこから新たな何かを差し出す、という関係性に漕ぎ出すことが出来るか、がAの側に問われている。AとBの間に一つのシステムとしての双方向な関係性がある事に気づくか、の分岐点でもある。
その際、「これは決められたルールだから」「教科書にこう書いてあるから」「これは僕の仕事ではないから」・・・と、B→Aで伝えられるメッセージやコミュニケーションを受け取ることを事実上拒否したのなら、それは双方向コミュニケーションの断絶であり、そこからA→Bの一方的なメッセージの増幅と「服従」の論理が強化される。だが一方、「B→A」のメッセージにきちんと応答し、自分なりにそのメッセージを受けとめた上で、相手に何らかのフィードバックをしよう、と働きかけるならば、それは「対話の回路」が開かれることになり、そこから「学びの回路を開く」という循環が始まる。
そう、ここまで書いてきて気づいたのだが、僕が「学びの回路を開く」という際に大切にしているのは、教えられる側・支援される側の回路を開くことももちろんだが、それよりむしろ遙かに開きにくい、教える側・支援する側の「学びの回路を開く」、ということなのかもしれない。
そして、これは先述の昨年7月の連作シリーズの中でも、今回の「東洋文化」の原稿でも引用した、パウロ・フレイレの有名なテーゼと繋がってくる。
「『銀行型』教育の概念では教育する者は教育される者を偽の知識で『一杯いっぱいにする』だけだが、問題解決型教育では、教育される側は自らの前に現れる世界を、自らとのかかわりにおいてとらえ、理解する能力を開発させていく。そこでは現実は静的なものではなく、現実は変革の過程にあるもの、ととらえられるのである。」(パウロ・フレイレ著、三砂ちづる訳、『新訳 被抑圧者の教育学』亜紀書房、p107-108)
以前は僕自身、この銀行型教育と課題解決側教育の違いを、一方通行か双方向か、の違いでは捉えていたが、それでも主に教わる側・支援される側が、「服従」するのではなく、「学び合う関係」「問いかけ合う関係」に変化できるか、という視点で捉えていた。だが、今ようやく気づいたのだが、実は、教える側・支援する側が、「服従」の論理で相手を「一杯いっぱいにする」のか、教わる側・支援される側と一緒に「変革の過程にあるもの」を眺め、その動的プロセスの中にダイブする事が出来るか、が問われているのである。そして、前者の方が前例踏襲的で「常識」的であり、後者に踏み出すことは、時として大きな負荷がかかる。
社会のドミナント・ストーリーは、前例踏襲的な「常識」である場合が多い。「子どもは黙って従うもの」「支援されるだけで有り難い」といった押しつけは、それが「社会化」されるなかで、有無を言わさぬ恫喝的ドミナント・ストーリーとして、「服従」の論理に転化しやすいし、そういう本人もその枠組みを所与の現実として内面化しやすい。だが、社会のドミナント・ストーリーや「常識」は、実は固定的なものではない。
ちょうど昨日、半年前に放映された「STOP虐待! ニルスの国のたたかない子育て」という番組の録画を見ていた。その中で、スウェーデンでは30年前に親子法という法律の中で次のように規定された。
「子どもは世話と、安全と、質のよいしつけを享受する権利を有する。子どもはその人格と個性を尊重しながら扱われなければならず、体罰にも、その他のいかなる屈辱的な取扱いにも、遭わされてはならない」
これに関してセーブ・ザ・チルドレンの実に良いパンフレットを見つけたのだが、このパンフレットにも、その後30年間で、体罰を実際に行う人が劇的に減り、体罰に関する肯定的評価も同様に劇的に減ったことが図で示されている。体罰は仕方ない、という「服従」の論理は、1960年代までのスウェーデンでも支配的であったのだが、1970年代に社会問題になり、1979年に体罰を禁止する法制度を整えて以後、「どうしたら体罰をなくせるか」という「学びの回路」が国の政策レベルでも開かれた。その中で、様々な両親へのサポート体制なども整えられる中で、30年後には、見事に「体罰をしない子育て」を学び取り、社会が変わっていったのである。つまり、「たたく側」である両親(=教える側・支援する側)が、「たたく」という行為を「しつけ」から「体罰」と認識転換し、それをしてはいけない、という社会的な風土を作り替える動的プロセスの中に身を置くことが出来たため、スウェーデン社会は変わっていった、とまとめる事はできる。そして、切り分けない一つのシステムとして考えれば、以前「たたかれていた」子どもは、「たかれない」(=暴力の服従の論理に従わなくて良い)という環境下で生育することにより、本人の成長や個性の尊重に、よい影響を受けていることは、十分に想像出来ることだ。
僕は以前スウェーデンに住んでいた事もあるので、どうしてもスウェーデン贔屓になってしまうのかもしれない。もちろん日本の方が良い部分も一杯あるが(消費生活をするなら間違いなく日本の方が楽しい)、でも、問題があったら社会的にそれを蓋をせずに可視化し、前例踏襲の呪縛から抜け出して、何とか変えようとする、という「学びの回路を開く」福祉システムはすごく好きだし、日本にも学べる部分はあると思う。具体的なこういう制度を取り入れたらいい、というのも勿論あるが(以前はその事に目が行きがちだった)、それより思考法、というか、誤りから学んで変わるフィードバックシステムと学びの回路を開く、という姿勢こそ、スウェーデンの福祉社会から学べる点である、と感じる。法や制度は文化や土地の歴史・文脈に強く依拠しているものであるが、「学びの回路を開く」というフィードバックシステムは、文化や地理的距離を超えた、ユニバーサルな何かだ、と感じている。
まあ、そういうことを書いても、学びの回路を閉ざしている人は、「所詮スウェーデンは人口規模も違う」「25%の消費税、43%の所得税国家とは違う」「キリスト教が支配的な国とは違う」・・・という反論が必ず出てくる。以前はそういう時にムキになって反論した事もあった。だが、今回のブログを書きながら非常にすっきりしてきたのは、確かに文化も制度も考え方も違う国であっても、「失敗から学ぶ」「学びの回路を開く」「開いた上で新たな試みに賭ける」という部分は、通文化的な何かがあるのではないか、と感じている。そして、「スウェーデンとは違う」という際に、単に文化や制度の違いだけで無く、通文化的な「学びの回路を開く」ということまで否定してしまうと、それは「閉ざされた学び」となり、「服従」の論理への埋没では無いか、と危惧するのである。
そして、この論考を閉じる前に、もう一つ、触れておきたい論点がある。
「主体は関係のなかに存在していることを、そしてすべてを記号に置き換えてシステム化させる構造が関係的主体をみえなくさせていることを、私たちは直視しなければならないのです。『正常』と『異常』という記号を基にシステムをつくり上げるのが現代社会です。それが関係のなかにある主体をみえないものに変え、個のシステムのなかに自ら取り込まれていってしまう。こう考えていけば、『正常』、『異常』というかたちで記号化するのではなく、ともに生きていく関係をどう取り戻すのかが見えてきます。」(内山節『内山節のローカリズム原論』農文協、p155)
内山節氏の論理も、安冨先生の論理と通底する部分が多い。影響を与える側・与えられる側を「切り分ける」のではなく、「両者を、相互に依存し、影響しあう一つのシステムとして認識」する。このことは、「主体は関係の中に存在」する、という事と等価であり、「関係的主体」として生きる、ということでもある。しかし、この「関係的主体」という視点が後景化しているのは、「記号」化システムである。高度消費社会とは、マーケット化、記号化することによって、記号そのものへの欲望を加速させ、ある商品を購入しても、またその商品とは違う記号(=差異)のある別の何かを欲望することで、商品購入を加速させるプログラムを構築した。そして、商品購入のゲームが前景化する社会とは、その商品を購入している自分自身が「関係の中に存在している」ということを、見えなくさせていた。
たとえば、胃薬は、それを必要とする人しか飲まなければ、必要以上に売れない。だからこそ、「食べる前に胃薬を飲む」という論理転換(倒錯?)を広告で流し、胃痛の予防的に飲み続けることで、いつしか胃薬無しでは暮らせない人を創り出す。だが、それが製薬会社の儲けの最大化との関係の中で購入している、という自らの「関係的主体」に気づかれては、売り手の側は困るわけである。だからこそ、さらなる「記号」をテレビで流し続け、その「関係的主体」を後景化し、「記号的主体」として、ある特定の「正しさ」を信じ込むように人びとを誘因してきた。そのコマーシャル内容に自主的に「服従」する人びとを生み出してきた。
ながーい迂回路になったが、「学びの回路を開く」とは、「正常・異常」「よい子・悪い子」「標準的行動・問題行動」といった二項対立的で、時として背後に権力や情報の非対称性の大きい局面で、「服従」の論理に従わせるのではなく、フィードバックの回路の中からお互いが学び続けること、である。それは、「真理の探究」と言ってもいいのかもしれない。「たたくのはしつけ」とは、前時代の「真理」だったかもしれない。でも、それがオカシイと感じるなら、「それ以外にしつけの方法はないか」と「探求」するのが、「真理の探究」である。私たちは、その「真理の探究」よりも、昨日と同じ明日、という意味での「日常性の保持」や前例踏襲的な「服従の論理」に傾きやすい。しかし、その宿痾が、現在の日本社会に蔓延する閉塞感であったり、あるいは矛盾の表出であるとするならば、それは「学びの回路を閉ざした結果」とも受け止められるのではないだろうか。
どうやって「学びの回路を開く」ことが出来るか?  何かをする側・される側の双方が、切り分けられるのでは無く、関係論的にフィードバックを交わし続ける中で、どのような変革の動的プロセスや渦、ムーブメントが創発していくのか。「そこに結ばれる新しい関係によってなんらかの新しい価値を創出すること」はどうしたら可能か? 「ともに生きていく関係をどう取り戻すのか」?
このあたりを、もう少し考え続け、再び書き進めようと思う。(もしかしたら、連作化する、かもしれない)。

地域包括ケアに求められる動的ダイナミズム

街おこしや地域の再生、を考える際、無から有を生み出す、という意味での「創発」との関連性が高い。そして、この「創発」に関しては、最近やりとりをさせて頂いている東京大学の安冨歩先生の本から学ぶことは多い。先生の著作に刺激を受けて、ノーマライゼーションの原理と創発をつなげた論文「ボランタリーアクションの未来」を書き上げたくらいだ。
最近、このブログでは地域包括ケアについて色々考え続けているが、その中で気になって、安冨先生の『経済学の船出』『複雑さを生きる』を相次いで読み直していた。その中で、残念ながら今、品切れになってしまっている『複雑さを生きる』の中に、地域包括ケアを考える際の重要な視点がある事に、改めて気づいた。その事を長々と今から書くのだが、一言で言えば、
創発は、PDCAサイクルの外にあり、計画制御が出来ない
ということだ。これが、高齢者や障害者、末期がんやターミナルの患者さんも、住み慣れた地域で暮らし続ける為の、安心と見守りの地域支援システム作りにどうつながっているのか。
「ブリコラージュによる思考の特徴は、目的を固定しないことである。すでに与えられたものから出発し、その組み合わせによってうまくできることを目的とする。目的を固定しないので、状況の変化には対応しやすい。なぜなら出来なくなった目標は視界から消え去り、常に手元にある資源を利用して新しい組み合わせの可能性を探り、目標を動かし続けることになるから。そして達成された目標が手段に組み込まれ、新しい目標が見出される。目的と手段は一つの円環を描き、動き続けていく。これに対して、計画制御というアプローチは、まず目的を固定するところから始まる。」(安冨歩『複雑さを生きる』岩波書店、p177)
行政内部で完結するプロジェクトではなく、地域住民の力を活かしながら、自助や共助の力を高める営みを地域包括ケアとするならば、計画制御アプローチには限界がある。なぜなら、住民の暮らしや営みを「固定」することは不可能だからである。そして、特に中山間地など、社会資源が少なく、自治体の財政力が弱い地域においては、その地域にすでにある人・モノ・支援・ネットワークをどう上手く活用しながら、支援システムを再構築するか、が求められている。その際に必要になるのが、レヴィ・ストロースが提唱した「手元にある資源を組み合わせながら何とか活用する」という意味でのブリコラージュである。(このブリコラージュについては、以前ブログで福祉分野との接合点を考えた事がある)
さて、地域包括ケアにおいても、対象とする地域の住民の「状況の変化に対応」する中で、「常に手元にある資源を利用して新しい組み合わせの可能性を探り、目標を動かし続けること」が求められる。そのプロセスを続ける中から、渦という動的プロセスが生まれる。
「渦の運動がその中心の移動を欲するなら、運動を提起した人物がその中心を離れる必要も生じうる。渦が起きやすいところから、渦を起こし、あちこちで生じた渦を相互に接続し、大きな渦を創り出すことを目指すのが、『共生的価値創出』の重要な点である。」(同上、p130)
この際、大きく問われるのは、生成しつつある渦を大切にするのか、あるいは計画や概念図の実行・履行を大切にするのか。どちらの優先順位を高くするのか、である。地域福祉計画、地域自立支援協議会、地域包括ケア・・・など様々な現場で、計画や概念図が作られるが、それは渦を創り出す為の参照枠組みなのか、あるいはその計画にあくまでも縛られる計画制御の絶対基準なのか、どちらなのだろうか。
「まず始めに問い直すべきは、外部の力によって特定の対象社会に働きかけ、なんらかの方向を目標として資金や人的リソースを投入するという『操作』の姿勢そのものである。これに対して本書は『共生的価値創出』という概念を提唱する。それは働きかける側と対象となる側に切り分けるのではなく、両者を、相互に依存し、影響しあう一つのシステムとして認識しようとする姿勢である。この共生的関係を明確に認識しあいながら、そこに結ばれる新しい関係によってなんらかの新しい価値を創出することがめざすべき方向となる。」(同上、p128)
地域包括ケアシステムは、何らかの「操作」の結果、生まれるものではない。支援する側と支援される側を「切り分ける」という介護保険の準市場的アプローチでは、限界がある、という認識から、この仕組みの導入が求められたのである。そこでは、ケアする側もされる側も、あるいは働きかける側も対象となる側も、「相互に依存し、影響しあう一つのシステムとして認識」するという視点の捉えなおしが必要不可欠になってくる。「この共生的関係を明確に認識しあいながら、そこに結ばれる新しい関係によってなんらかの新しい価値を創出すること」こそ、まさに新たな「渦」を作り出すことであり、共生的価値創出そのものであるのだ。
では、計画制御が不可能であれば、計画そのものもいらないのであろうか? この点について、安冨先生は、次のように指摘している。
「計画はそれ自身としては事態を解決したり推進したりする機能を持たず、逆にそれを阻害する機能を持っている。しかし計画は、その事業に関係する人々のメディアとして機能することができる。たくさんの人間が事業にかかわる場合は、そこに紛争が生じることは不可避といってよい。その場合に、あらかじめ参照基準となる計画が策定されており、人々の合意が一応なりとも成立しているなら、その紛争を事前に回避し、あるいは生じた紛争を迅速に解決する上で、計画が交渉メディアとして役立つことがある。計画もまた法と同じく、メディアとして立ち表れた場合に、有効に機能しうるのである。」(同上、p142)
計画に関連する人々のコミュニケーションを円滑にする「メディア」としての計画。これは、現場の実感にも合致する。ただ、ここで「目標」とも「絶対基準」とも書かず、「参照基準となる計画」と書いていることに、注意をする必要がある。先述したように、地域包括ケアでは、PDCAサイクルや線形制御ではなく、ブリコラージュの動きの中で渦を作り、「共生的価値創出」(=新たな何かを「創発」すること)が必要とされている。そのとき、一応の前提としての「見取り図」としての計画があることで、関わる人々のコンセンサスは得られるが、渦が動き始め、自己組織化が始まると、その渦に合わせて、計画もアプローチも変容することが求められる。
「渦が起きやすいところから、渦を起こし、あちこちで生じた渦を相互に接続し、大きな渦を創り出すことを目指すのが、『共生的価値創出』の重要な点である」ならば、それを実現するためには、「出来なくなった目標は視界から消え去り、常に手元にある資源を利用して新しい組み合わせの可能性を探り、目標を動かし続ける」というブリコラージュの方法論が必要不可欠になる。この動的プロセスを、地域包括ケアに組み込むことが可能か、が問われている。
だが、そもそも地域包括ケアシステムの構築とは、ソーシャル・アクションの営みそのものである。そして、ソーシャル・アクションとは、計画制御の枠組みからこぼれた弱者を救うための、枠組みの捉えなおしとしてのアドボカシー活動に端を発したのではなかったか。当事者の抑圧されていた思いや願い(=本音)を聞く中で、計画制御で執行されている法や制度の問題点に気づき、それを何とか変えるために、現場レベルから、渦を作り始めたうねりであった、といえるのではないか。
そして、実は僕は過去のブログで、創発の渦が出来ていく、ブリコラージュの過程を、繰り返し考え続けてきた。(たとえば「ボトムアップ型の創発と自己組織化」「創発の渦の螺旋階段的拡大」など)
福祉現場の渦の生成と発展を垣間見る中で実感しつつある事、それは、このような渦を広げていく営みの中で、後付け的に使命が見つかり、ビジョンが拡がっていく、ということである。つまり、最初から計画制御が出来ると思わず、とにかく目の前の課題に取り組むために、対象者と自分を切り分けることなく、渦を作り始める。その中で、渦の自己組織化したがって、必要とされるビジョンが切り開かれていく。計画は、あくまでもその際の「参照枠組み」に過ぎない。
法律や制度の枠内で考える、社会システム適応的視点であれば、計画制御は一定機能する、というか、信憑性があるように思える。だが、特に対人直接サービスの領域では、法や制度は常に現実の問題の「後追い」である。であれば、「社会システム適応的視点」は、常に事後対応に終わり、問題の本質にたどり着くことはない。むしろ、法や制度の問題点を徹底的に分析した上で、それを乗り越える策を考えていく、という「社会システム構築的視点」がソーシャルアクションには求められる。そして、この社会システム構築的視点、こそ、地域包括ケアで必要不可欠とされる視点なのだ。
ただ、何もそういうことを力まなくても、現場の、お役所仕事をしていない人々、たとえば街づくりのNPOの人などは、既にこの力を持っている。ようは、行政の側が、そのオルタナティブな力、を信じることが出来るか、それにかかっているのだ。
「市場だけが人間を疎外するのではない。共同体も家族も人間を疎外する。問題は『紐帯』があるかないかではない。人々が相互に学習過程を開いた形でコミュニケーションを形成できるかどうかである。(略)人々を苦しめ、社会を崩壊させるのは、学習過程の停止である。」(同上、p210)
学習過程を開いて、対象とする人、される人という二項対立を超えて、相互に学びあう、コミュニケーション回路を開き続けること。そこから、渦が生まれ、創発につながり、「共生的価値創出」が始まる。この「学びの回路」を開き続けるためには、法や制度、計画、共同体・・・が「所与の前提」や足かせとして、リミッターになってはいけない。この思考のリミッターを外し、ブリコラージュ的に、現場で使えるものを使い倒しながら、まだ無い未来を想起する。この中に、現場の困難事例や閉塞感を超える、新たな可能性があるのである。
そのとき、高齢者や障害者福祉、介護保険、地域福祉、という狭い範囲内でとどまっていては、学習は限定的である。ブリコラージュとは、その現場に落ちている何か、を徹底的に活用することを指す。であれば、観光や商工、街づくりなど周辺領域で、あるいは農村振興や限界集落対応など、使えるツールを使い倒す精神が求められているのである。
「真の意味での責任は、つまるところコミュニケーションにおける学習過程を作動させるということと等価である。この学習過程を停止させている限り、自己の変革はありえず、責任を引き受けることもない。人々が自分の価値を信じ、感受性を開き、学習過程を活発に作動させているとき、そこに背近ある、規範にのっとった、まっとうな社会が出現するのである。」(同上、p145)
カリスマソーシャルワーカーへの依存を超えた地域福祉を展開していくためには、一人一人のワーカーに求められているのは、この意味での「責任」を取る覚悟、学習過程を開き続ける覚悟、なのかもしれない。
追伸:こんなことを地域福祉学会で発表しよう、なんてちらっと考えているのだが、ちょっとぶっ飛び過ぎだろうか・・・

同じ事を逆から眺める

ここのところ、中山間地における地域包括ケアシステムと、コミュニティのあり方や街づくりとの接合点について考えていた。そんな矢先の先週末、広島で開かれた日本NPO学会のシンポジウムにおいて、
そのことを逆の方向から考えている方々と出会った。

「中山間地域におけるNPOの役割」というセッションで、NPO法人ひろしまねの理事長の安藤周治さんと、過疎と戦うインターネット古書店エコカレッジ代表でNPOてごねっと石見副理事長尾野寛明さんのお二人である。お二人とも、広島と島根の間という中山間地で過疎化が進む地域において、コミュニティ・ビジネスや街おこしなどを通じて、中山間地を活性化しようと取り組んでおられる。この営みが、実は僕自身が最近ブログで書き続けている、地域包括ケアやコミュニティの再生において、必要不可欠な部分である、と、お話を聞きながら痛感し始めた。
前回のブログでも触れたが、厚労省が提唱するサービス当てはめ型ではない、本物の地域包括ケアを実現していくためには、行政だけでは、あるいは行政のトップダウン的な発想では、うまくいかない。そして、日本はスウェーデンのような政府信頼型国家でもなければ、貯金をする代わりに税金を沢山納めようという高福祉高負担型国家には、今までも、そして多分これからもなれないので、政府(=公助)が出来ることには限りがある。
そんな中で、個々人が、高齢になっても、障害を持っても、末期がんなど病気が重くても、住み慣れた地域で役割を持って自分らしく暮らしたい、という自助力を持ち続けるためには、公助だけでは限界があり、地域の助け合いシステムという共助が必要になってくる。従来はそれを地縁・血縁組織である町内会や自治会、あるいは社会福祉協議会などが担ってきたが、都会だけでなく、山梨であっても町内会や自治会の組織率は年々低下し、また介護保険以後、少なからぬ市町村の社会福祉協議会は、独立採算と事業に追われ、
地域福祉のミッションを展開できていない。
そこで、地域における「お顔の見える関係作り」から、支えあいの体制、あるいはその町で暮らし続けるための支援システム作りは、役所や介護保険の地域包括支援センター、また障害者地域自立支援協議会などに託されているのだが、これらの機関やそこで働く人々とお付き合いし、また研修をする中で、高齢者や障害者の支援のプロは一般に、ミクロレベルの1;1の支援には非常に優秀であっても、そのミクロの課題の集積としての、その地域におけるメゾレベルの課題を見つけ出すこと、またそれをメゾからマクロレベルの課題として解決する力はまだまだ弱い人が多い、ということを痛感し始めている。個別援助技術には長けていても、ソーシャルアクションを非常に苦手とする人が大半ではないか、とすら思える。
これも前回のブログに書いたが、多問題家族などの「困難事例」と呼ばれるケースは、「その地域における解決が困難な事例」である。個人の問題だけではなく、支える仕組みが不十分である、という点で、地域課題そのものである。そういう地域課題と、地域包括支援センターや社会福祉協議会の職員、あるいは民生委員の方々は日々向き合っているのだが、その個別ケースというミクロ課題をメゾ・マクロ視点という「より大きな地図の中の位置づけ」でマッピングしなおすという、「地域診断」の力が欠けている。ゆえに、問題がおきてしまった後の、個別ケースへの事後対応に終始し、そういう類似の問題が次に起こらないための、予防的なアクションへとつながらない。これが、介護保険の地域包括支援センターや障害者の相談支援事業所がまじめにケースに取り組めば取り組むほど疲弊する、という悪循環にもつながる。この悪循環から抜け出すためには、狭い意味での高齢者福祉、障害者福祉の領域だけに埋没していてはいけないのである。
と、ここまでは山梨や三重での障害者福祉のアドバイザーや、山梨の地域包括ケアのお手伝いをする中で感じていた。だが、その先に、具体的なビジョンというか、どういう方向で、メゾ・マクロ的な課題を解決するか、についての具体例や手がかりが、僕の中で、まだつかめていなかった。
ながーい前置きになったが、それであるが故に、安藤さんや尾野さんのお話には、僕が感じていたメゾ・マクロ的な地域福祉的課題の解決の一例が示されていたのである。
お二人が拠点を置かれる中国山地の山間は、早くから高齢化率が高まり、過疎化や限界集落の問題を抱えていた。消滅寸前の部落、というのも一つや二つではない。そんな地域において、安藤さんは「過疎を逆手に取る会」の活動を展開する中から、街づくりのNPOが生まれてきた。これまでの町内会や自治会中心の「総ぐるみ型の集落運営には限界がある」と、「もうひとつの役場」としての集落支援センター構想を立ち上げ、地域プランナーを配置した、集落の維持・継続支援に力を注いでこられた。 この地域マネージャーが集落の全戸訪問=悉皆調査をする中で、集落の課題をつぶさに聞き取り、課題を析出して、事後救済ではなく、事前予防的に問題に対応しようとしている。
一方、尾野さんは西日本で二番目の蔵書数を持つ古本屋を島根県川本町に作り、そこでは積極的に障害者雇用もしている、という。また、NPOではU・Iターン創業の仕掛け作りのため、行政とタイアップして、江津市でのビジネスプランコンテストや「しまねでコトおこし・弾丸ツアー」など、島根県内に若者を呼び込むプロジェクトをいくつか手がけている。ご自身は東京と島根を1週間ごとに往復しておられ、都会と田舎の、都市部のNPOと地方自治体の、若者と年配者の「通訳者」の位置づけにいる、とおっしゃっておられた。
このお二人の活動は、表面的に見れば中山間地域を活性化させる街づくりや、コミュニティ・ビジネスの支援、という感じと捉えられるかもしれない。だが、田舎に人を呼び込む、顕在化しなかった集落の課題を「開く」、という営みは、実は、自助力や共助力に限界がある地域の課題を、福祉だけでなく産業や商工、観光などあらゆる手段を使いながら開いていくことでもある。その中から、地域の活性化が生まれ、それはひいては自助力や共助力の強化と、公助力の効果的な集中投入の道を開く鍵となるのではないか、と感じているのだ。
こんな気づきや出会いがあったNPO学会、記念シンポジウムに『災害ユートピア』の著者、レベッカ・ソルニットさんの基調講演があった。彼女の本の中に、実はこのブログで書いた内容と非常に親和性のある記述がなされている。
「近年の歴史は民営化の歴史だとも読めるが、それは経済のみならず、社会の民営化でもあった。市場戦略とマスコミが人々の想像力を私生活や私的な満足に振り向け、市民は消費者と定義し直され、社会的なものへの参加が低下した結果、共同体や個々人のもつ政治力は弱まり、民衆の感情や満足を表す言葉さえ消えつつある。”フリーアソシエーション”(自由に誰とでも係わり合いになれる権利や能力)とはよく言ったもので、それでは深い人間関係はできない。代わりにわたしたちはマスコミや宣伝により、互いを怖がり、社会生活を危険で面倒なものだとみなし、安全が確保された場所に住んで、電子機器でコミュニケーションをとり、情報を人からではなくマスコミから得るようにうながされる。」(『災害ユートピア』レベッカ・ソルニット著、亜紀書房、p21)
「社会の民営化」とは「つながりの市場化」のことでもある。高度消費社会において、つながりや人間関係も消費財として市場化されていった。確かにそれまでの地縁・血縁は、人々をその紐帯の枠内に押しとどめる、抑圧的な作用ももたらした。よって、つながりの開放としてのフリーアソシエーションやグローバライゼーションによって、閉塞感を超えて、つながりを勝ち得た「つながり勝者」もいる。その一方で、「つながりの市場化」の結果、特に中山間地域ほど、もともとあった紐帯がずたずたになりつつある。そこに、過疎化と高齢化が重なり、日本の中山間地域は三重苦を抱えている。
レベッカさんの本の中では、実は「災害時」こそ、その紐帯を取り戻し、「つながりの市場化」以前の世界に戻る世界が世界各地で垣間見られる、と書いている。だが、何も「災害」でなくとも、限界集
落や中山間地の少なからぬ地域が、過疎化や高齢化問題が、放置できないほどの問題として極まってきている。この問題の顕在化局面において、地域包括ケアの問題と、街づくりの問題を分けて考えていては、大きすぎる問題は解決不可能ではないか。むしろ、福祉の人間こそ、福祉に埋没するのをやめ、町おこしや産業振興、観光振興などの異なる領域で、その地域の持続可能な発展や住みやすい・暮らしやすい街づくりといったテーマについて「同じ事を逆から眺める」人々と手を携える時期に来ているのではないか。地域福祉計画や介護保険事業計画、障害福祉計画が、そういう他領域とつながらないで、タコツボであっては、問題の解決からは遠のくのではないか。
広島からの帰り道、そんなことを考えていた。

“本物の”地域包括ケアの可能性について

ここのところ、忙しくって、ずっとブログの更新が疎かになっていた。まあ、三月の頭に家族のご先祖のお墓参りもかねて6日ほど、沖永良部島と沖縄に旅に出ていたのも、その理由の一つ、ではある。だが、2月3月はとにかく研修がてんこ盛り、なのだ。今日は障害者の相談支援従事者の現任者研修だったし、昨日は調布市で障害者制度改革の講演、先週土曜日は甲府で医療ソーシャルワーカー向けの研修や、金曜は長野で介護保険の苦情受付担当者研修・・・と、なんだか内容も変わり、目も回りそうな研修・講演付けの日々なのだ。
そんな中で、是非とも備忘録的に書いておきたいことがある。それは、地域包括ケアについてである。
僕自身、厚生労働省が介護保険改正のこれからの方向性として指し示している地域包括ケアについて、よく知らないくせに、否定的な先入観を持っていた。介護保険という公的サービス(公助)への財源投入に限界があるから、リハビリして自助努力で何とかすごしてください、それが無理なら地域のボランティア(共助)で済ませてください、という公的サービス切り下げの言い訳として使っているように見えていたからだ。
ちょうど先週の水曜日から木曜日にかけて、全国の地域包括ケアのモデルになっている岡山モデルや、現在では高知モデルも構築されている、高知県立大学の小坂田稔先生をお招きして、山梨の地域包括ケアについて考える研究会+研修が行われた。僕も、この山梨の地域包括ケアの推進のお手伝いをするチームに加えて頂き、予習をしていたので、小坂田先生の講演は実に楽しみだった。そして、その講演の中で、僕の想像は半分当たっていて、半分は外れていたことがわかってきた。
元津山市社会福祉協議会のコミュニティーソーシャルワーカーとして17年間、地域福祉の現場に入り込んでいた、バリバリのソーシャルワーカーの小坂田先生。今でも授業をこなしながら、高知と岡山の各地の小地域ケア会議にもちゃんと足を運ぶ、時には課題となっている地域訪問にも同行するという根っからの臨床家。なので、地域包括ケアも、社協マンとして感じていた問題意識から立ち上げていったという。
「介護保険が始まった際は、在宅介護支援センターが重視されていた。だが、これは文字通り、在宅で介護を支援する、という仕組み。そこには本人と家族の二層構造にしか目が向いていない。一方、地域包括ケアとは、本人と家族に加えて、地域という視点が重要である。本人が家とデイサービスを単に往復しているだけでは、地域に開かれている、とは言わない。『二箇所に閉じこもっている』のが実態だ。地域包括ケアとは、地域とのつながりが弱体化したり、切れてしまった、支援を必要とする人が、再び地域とのつながりを取り戻す支援をすることである。一方、国が今言っている地域包括ケアとは、中学校区に何らかのサービスパッケージを当てはめて、対応が不可能な部分は自助・共助でやりなさい、というサービス当てはめ型である。あんなものは本当の地域包括ケアとはいえない。」
この説明を聞いて、厚労省のモデルに対する胡散臭さは実にその通りだったが、厚労省モデルとはオルタナティブな実践としての岡山モデルや高知モデルに、随分心を惹かれはじめている。そうそう、これこそ、僕が山梨で研修をしていて、現場の人のお話を伺いながら、問題や課題と感じていた部分に手が届くモデルである、と。それはどういうことか。
福祉の業界用語の一つとして、「困難事例」という言葉がある。たとえばお爺さんが認知症で、娘さんがアルコール依存症のシングルマザー、子どもさんが発達障害というように、一つの家族の中で何らかの困難性を抱えた人が複数いる家庭のことを「多問題家族」なんていったりする。あるいは、いわゆる「ゴミ屋敷」問題、虐待事例、認知症の高齢者を同年代の虚弱の家族が支える老老介護、時には認知症の夫婦という認認介護、あるいは独居老人や孤独死に至る事例など、様々な「困難事例」が、研修やケース検討の場で寄せられる。だが、これらの「困難事例」を、その個人・家族のみの問題、と矮小化していいのか、ということが問われている。実はそれは、無縁社会、ではないが、地域社会やコミュニティの中で支えられない、声がかけられない、見守られなくなった人の、つまりは「その地域における解決困難な事例」と捉えなおすことが出来ないか。個人の「困難」も、そういう事例を蓄積する中で、その地域のなかで生きる困難性、と捉えなおすことが出来ないか。するとそれは個人の問題と片付けることが出来ず、地域や社会構造の変容課題と捉えられないか。いつも研修ではそういうことを話し続けてきた。
その視点で小坂田先生の地域包括ケアの定義を眺めると、僕の問題意識とつながってくる。実は小坂田先生が提唱する実践型地域包括ケアとは、「その地域の中での解決困難事例」とされたケースを実態的に改善していくための具体的方策であるのだ。
たとえば、地域(時には家族)とのつながりが切れ、問題を抱えながら孤立している個人のお宅にコミュニティソーシャルワーカーが何度も足を運ぶ。そういう孤立している人ほど、他人への信頼感が低くなっていて、ソーシャルワーカーの訪問を拒むかもしれない。でも、何度も何度も訪問を続ける中で、少しずつ本人との信頼関係を構築し、そのうちに、孤立した個人の困りごとの本音にアクセスできるかもしれない。あるいは、独居老人が末期がんと診断され、子ども達は遠く離れて暮らしており、地域での看取りケアの仕組みを急に構築しなければならない。こういった、介護保険サービスだけでは全てを解決することが出来ないケースに関して、その地域で力になってくれそうな民生委員さんやご近所の方々、あるいはケアマネージャーや社会福祉協議会職員、ホームヘルパーなど関係者を一同に集めて、ケア会議を開き、解決方法を模索する。そして、そういう事例に対応する中で見えてきた地域課題を、小地域ケア会議のような場で議論し、これからあり得るほかの事例について、対処や解決(場合によっては予防)していく方策を見つけていく。その中で、現場レベルで対応可能なことと、行政の施策として対応すべきこと、などを整理して、改善が必要なものは事業化していく。
このような、困難事例といわれるミクロのケースを、チーム連携で解決する中で、その地域の課題というメゾレベルの問題を発見する。そして、そのメゾレベルの課題を集積しながら、その地域で克服すべき課題として整理し、それを分析検討する中で、行政の施策といったマクロレベルでの解決も含めた具体的な改善策を、官民共同で提案していく。こういうボトムアップの創発的動的プロセスが、小坂田先生のおっしゃる実践型地域包括ケアの中に含まれている、というのだ。それは、障害者分野でも行われてきた、障害者地域自立支援協議会でやろうとしている事とも一致している。実は小坂田先生は、自らが手がけた高知県の地域福祉支援計画において、ひきこもりや自殺対策にも、このような小地域ケア会議や地域に開く仕掛けを作り、実体化しようとしている。社会との接点が切れて、家族や個人の枠の中に撤退せざるを得なくなった人が、再び社会とのつながりを取り戻すための仕組みと仕掛けを、作ろうとしているのだ。
「ただ」と小坂田先生は留保もしていた。「僕のモデルは中山間地モデルです。大都市でこのモデルがどれだけ機能するかはわかりません」と。
そう、その部分は同じ危惧を僕も共有する。上記のようなネットワークは、民生委員や町内会・自治体がある程度実態的に機能していたり、お顔の見える関係が比較的に出来ている中山間部では、かなり有効な手立てとなるだろう。だが、大都会で、人口も事業所も多いけれど、人々のつながりが薄くなってしまっている地域でこの小坂田先生のモデルがどれほど機能するか・・・。これは、正直、未知数である。
だが、こないだブログでご紹介した内山節さんの議論にも通底するのだが、実は都会においても、ほんとはコミュニティのつながり、というか、共同体精神が再び強く求められているのではないだろうか。もちろん、その共同体精神のあり方は、田舎であれば地縁や血縁といった文脈の共有度も高い一方、都会ではその共有度が極端に低いかもしれない。だが、その地域で安心して暮らし続けていく、という「つながり意識」のアソシエーション的共有をすることで、契約的に、というか、自覚的に地域の中で「つながりなおす」ことが、特に超高齢社会が加速するなかで必要ではないか。
その地域の中で自分らしく暮らし続けたい。この気持ちからもう一歩踏み込めば、だからこそその地域が暮らしやすいように変わってほしい、そのために何とかしたい、というボランタリーアクションの萌芽へとつながる。社会福祉協議会や地域包括支援センター、行政の地域福祉課、と言われる公助のセクターは、このような住民達の「地域のために何とかしたい」という自助の力が、やがてネットワークとしての共助につながり、それが公助で補い切れない・あるいは公助が手を出さなくても予防的に対応可能な部分に関与できるよう、支援をしていく。そのことによって、本当に公助の力を必要としている人に、効果的な支援の手を差し伸べられる。こういった役割分担をすることによって、その地域で死ぬまで満足して暮らせる、そんなコミュニティーへと変革していくための切り札として、機能する可能性がある。
そういう「より大きな地図の中での位置づけ」として地域包括ケアを捉えるなら、当然、街づくりや観光、商工といった行政の縦割りの外とも有機的に連携することが求められる。たとえば、徳島県の上勝町や、高知県の馬路村など、町や村の特産品作りに成功している自治体が、その商業的成功で得られたノウハウを地域福祉にスライドさせて活用している。であるならば、逆に「その地域における解決困難な事例」に向き合うことは、その自治体の街づくりや観光、商工の課題とも直結しているはずである。そこまでを射程にいれられるか、も問われている。
ここまで書いて感じるのは、4人に1人が高齢者になる社会において、その最適な解決策は、霞ヶ関ではなく、現場に転がっている、ということだ。しかも、都会ではなく、田舎に。中央ではなく、周縁に。周縁革命、ではないが、今まで都会を憧れ、都会をまねし、都会にキャッチアップすることで必死だった中山間地。だが、気がつけば、都会をモデルにしても、正解が得られるわけではない(むしろ失敗する)ということは、50年かけて痛いほどわかってきた。であるならば、ローカルな文脈を最大限に活用することによって、その地域における解決方策を、その地域の資源を最大限に活用しながら構築していくことの方が、持続可能なプロセスといえないか。しかも、国やコンサルタント会社に与えられるのではなく、自前でそういうモデルを作り上げることが出来たなら、その地域にとっての誇りともなり、自分達でメンテナンス可能ともなる。
実はこういう、住民の持っている潜在能力を引き出しながら、それを組織化することを通じて、自助・共助・公助のバランスを捉えなおし、最適化していくこと。これは、地域包括ケアとして重要なだけではなく、被災地におけるコミュニティの再生の鍵にもなるのではないか。そんなことも夢想している。小坂田先生に伺ったお話を、自分の中で一週間ほど寝かせていたら、こんな帰結になってしまった。
*追伸:今日読みはじめた『災害ユートピア』には、「つながりの民営化」概念が出ていた。確かに都会におけるコミュニティは、つながりのモナド化、民営化と関連性がありそうだ。だが、このことは、今週末、広島で著者の講演を聞くので、その話を聞いた後、考えてみたい。

悪い冗談であってほしい・・・

ここ最近、シングルイシューばかり書いているのはどうか、と思いながら、やはり今日もあの話題。まずは新聞記事からどうぞ。

『厚生労働省は22日、障害者自立支援法の改正について、法律の名称を「障害者生活総合支援法」と変更し、新たに難病患者を福祉サービスの対象に加える案を民主党の厚生労働部門会議に示した。
今国会に改正案を提出し、2013年4月からの施行を目指す。
自立支援法を巡っては、障害者による違憲訴訟を受け、09年に長妻昭厚生労働相(当時)が廃止を約束し、和解条項にも明記された経緯がある。しかし、厚労省では、「廃止をすると障害者ごとに受けるサービスの内容を決め直す必要があり、現場の混乱が懸念される」などとして廃止は見送り、法律名を変える法改正にとどめることにした。』
ため息を通り越して、あ然、というか、腰砕け、というか。この記事を解釈すると、次のようになる。
「現場が混乱するから、法律の中身は一切変えたくない。でも裁判所で法律を変えると約束したから、とりあえず名前だけ変えます。中身もちょっとだけ変えます。」
これはもう、詭弁としか言いようがない。
どうしてこの厚労省の方向性が詭弁であるか、については、実はシノドスという有名なウェブサイトで緊急寄稿させて頂いた。
ここでは、最近書いた3つのブログに基づきながら、障害者福祉のことに興味や関心がない方にも、問題点の大枠を掴んで頂こう、と書き進めていくうちに、12000字を超える長い論考になってしまった。その中で一番言いたかったポイントの一つは、次の部分。
『何かを変える、と決めたのなら、「変えないための100の言い訳」を繰り出すよりも、「変えるための1つの方法論」を徹底的に考えるべきではないか。総合福祉部会が出した骨格提言は、その「1つの方法論」であった。それに対する厚労省案は「101個目のできない言い訳」であった。政策形成過程とは、ステークホルダー間での闘争と妥協のプロセスでもある。総合福祉部会の骨格提言がそのまま一気にすべて実現されるとは思わない。だが厚労省案がそのまま可決されるようでは、政府や議会制民主主義そのものへの信頼が根底から崩れ去る。二つの案の溝を埋めるための、現実的な歩み寄りにこそ、政治家は携わるべきである。ここの部分を政府与党の政治家は勘違いしてないか。』
普段書いているこのブログは、一部の特定の人にしか目にとまらない。だが、さすがにシノドスは読む人が多くて、多くの反響を頂いた。おおむね好評な反響なのだが、一部気になる反響があった。僕の目に止まった貴重なご指摘を二つほど考える。
『「緊張関係を孕んでも、新たなパラダイム構築のためにこそ、官民の協働が必要だ」について。この種の議論は、どうしても「相互に批判的な協働関係が大事」というところに落ち着きやすいのだけれど(NPOと行政の関係性においても、よく言われる気がする)、それを実現させる両者の要件とはいかなるものなんだろう。大きな目標(パラダイムシフト)が共有されない中では、極めて困難でないかと思うのだけれど。だからこそ、ここはその溝を埋めるために政治家が努力すべきだ、という趣旨として理解してよいのだろうか。』「運動と官僚と政治についてのさらなる疑問 」 
『法的リスクを覚悟してもパラダイムシフトを目指すかどうかというのは根本的に政治セクターの問題であり、そのツケを厚生労働省に問うのは筋違いだというのが第一点である。(中略)
結局、別の分野に大幅な歳出減を呑ませるか、国民に負担増を理解してもらうかの熱意を政治が持たないか、現実的にそのような理解は得られないと予想していれば、「これがあるべき姿だ」と言われても「できねえよ」としか言いようはない。「OECD加盟国で下から5番目、という低い予算水準を打破し、障害者の地域生活支援を充実するための安定した予算の確保」と理念を掲げるのは結構だが、そのための歳出減なり負担増なりが可能だという話をしなければそれは「そらをじゆうにとびたいな」と同じことじゃないのかというのが第二点である。』「あるべき姿とその実現」
前者は、関西の地域福祉の現場でNPOを切り盛りしておられる方、後者はN大学の先生である。両者とも、ご自身の現場で官僚制の逆機能と戦っておられ、官僚制の構造的問題を肌身で感じておられるからこそ、鋭い問いを投げかけて来られる。「あなたの言うことは、所詮理想論ではありませんか?」と。(ただ、後者の方のように、ドラえもんの空想だ、とまで批判されるのもどうかと思うが・・・)
確かに両者の仰るように、厚労省の官僚にのみ、パラダイムシフトの責任を取らせる事は、筋違いだ、と思う。昔、自立支援法が制定されるプロセスの論争の中で、某厚労省高官が「政治家が金さえ取ってきてくれたら、僕たちはどんな法律でも書けます」と言い放った、というのを人づてで聞いた事もある。確かに自立支援法はシノドスにも書いたが、財政緊縮という小泉構造改革路線の至上命題に合わせる為の、予算抑制的な法律であった。政治家がどのような方向性の指示を出すのか、でこうも法律が変わるのか、とあ然とした記憶がある。ただ、これは悪名高い医療観察法も同じ政権下で作られた事を思うと、頷ける部分もある。後者の方が仰る「法的リスクを覚悟してもパラダイムシフトを目指すかどうかというのは根本的に政治セクターの問題」というのは、誠にその通りなのである。
で、シノドスにも書いた事だが、僕が関わった内閣府の障がい者制度改革推進会議総合福祉部会とは、前提として「法的リスクを覚悟してもパラダイムシフトを目指す」という「政治セクター」の判断に基づいて開催された、従来の審議会とは別の会議だった。つまり、ここで一歩踏み出すことが決断されたのである。その上で、厚労省は、この「政治セクター」の判断を全く反故にするような工作を、総合福祉部会の最初からとり続けてきた。このあたりのことは、毎回の部会のYouTubeとか議事録を見て頂ければ明らかなのだが、lessorさんのご指摘を使うと、厚労省と協働しようにも、「大きな目標(パラダイムシフト)が共有されない中では、極めて困難」であったのだ。遡及的な議論になるが、そもそも厚労省側には、「政治セクターの決定」そのものを、最初からバカにして、まじめにつきあおうとしていなかった部分がある。僕が問題だ、といっている部分は、むしろこの部分である。
だからこそ、部会の骨格提言に対して出てきた厚労省案が、現行法をほとんど変えるつもりもない内容であるということは、私たち部会構成員よりもむしろ「政治セクター」に対しての、パラダイムを変えない宣言である、と受け止めた。
シノドスでは、「政治家(=厚労省の政務三役)にビジョンがないなら、省を守るための策は、官僚が構築せざるを得ない。省益の追求、と言われるものも、逆に言えば、政務三役の頼りなさの結果とも言える。そして、継続性と安定性を重視する官僚自身に、その枠組み自体を覆すような大胆な改革は難しい」と書いた。結局のところ、政務三役に加えて与党の政治家に対して、厚労省幹部が信を置かず、また彼らの指示ではうまくまわらないから、これまでの法体系の延長線上で決着をつけよう、という官僚の判断に落ち着いたのであろう。この判断は、明確に政治家をコケにした状況分析と判断だけれど、与党政治家は本当にそれでいいんですか、というのが、僕が伝えたかったメッセージでもある。
日本の法体系は、100年以上書けて継ぎ足し継ぎ足ししてきた老舗の醤油のようなもので、その根本から変えるのは難しいし現場に混乱をもたらしかねない、というのは、よく理解できる。後者の方が仰るように、財源をどうとってくるか、訴訟リスクをどう考えるか、というハードルが高いのも、よくわかる。官僚制の逆機能と闘いながら、その大変さを熟知しておられる技術屋さんほど、「できねえよ」「制度改正ナメてるだろ」といった感情を吐露されたくなる気持ちもわからなくもない。
ただ、感情論で話が済まない現実がある。その法律によって、現在でも暮らしに多大な制約を受けている人が現に存在しているのである。
「我が国においてかつて採られたハンセン病患者に対する施設入所政策が、多くの患者の人権に対する大きな制限、制約となったこと、また、一般社会において極めて厳しい偏見、差別が存在してきた事実を深刻に受け止め、患者・元患者が強いられてきた苦痛と苦難に対し、政府として深く反省し、率直にお詫びを申し上げる」
上記は2001年のハンセン病訴訟に関する内閣総理大臣談話であるが、これは現在の障害者の施設入所政策に入れ替えても、まったく同じである。我が国では知的障害者や身体障害者の入所施設に10万人以上、精神病院に35万人が入院している。諸外国と比較した際、入所施設はほぼ全てが社会的入所であり、精神病院も4分の3程度が社会的入院である。この社会的入院・入所の人びとは、それ以外の選択肢を奪われている、という部分では、実はハンセン病と構造的な問題としては同じである。喜んで施設入所しているのではなく、施設入所「しかない」人が沢山いる。また、入所施設や精神科病院も、地域で受け皿がない、がゆえに、最後のセーフティネットとして「社会的入院・入所」をさせている現状がある。このパラダイムを変える為に、ハンセン病訴訟で国は控訴を断念した。自立支援法の違憲訴訟も、このパラダイムシフトを障害者福祉分野で求める訴訟であり、政権交代後の制度改革推進会議は、まさにパラダイムシフトを具現化する為の会議であったはずだ。
このことの重みを、政治家は一体どれだけ理解しているのか? それを理解していないからこそ、官僚の出来る選択肢は、現行法の固守しか残されていないのではないか。だから、悪い冗談のような、名ばかり法改正、が進んでいくのではないか。
本当に、悪い冗談であってほしい、と思うことが、実現されようとしている。

拝啓 毎日新聞社説さま

このところのブログは、何だか堅い意見書モードになっている。本当はもう少し柔らかい普段のドタバタ話や、あるいは最近読んで感動した本の書評なども書き連ねたいところだが(紹介していない良い本も沢山ある)、どうもそうはいかない流れのようだ。

昨日の毎日新聞社説では「社説:新障害者制度 凍土の中に芽を見よう」として、総合福祉部会の事が取り上げられていた。その内容を読むうちに、むくむくと意見がわき上がってきた。だが、社説は無記名で誰が書いたかわからない性質。なので、宛名を「社説さま」とした上で、お手紙を書いてみることにした。
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拝啓 毎日新聞社説さま
山梨学院大学で教員をしています、竹端寛と申します。
このたびは、2月12日の社説で、障害者制度改革のことを取り上げて頂き、誠にありがとうございます。原発災害や被災地の復興問題など国内の諸課題は山積する中で、マスコミはなかなかこの制度改革のことをしっかり取り上げてくださらなかったので、まずは社説という「新聞の大看板」で取り上げて頂いたことに、心より御礼を申し上げます。
私は、この社説で取り上げられた、内閣府の障がい者制度改革推進会議の総合福祉法部会の委員をしております。なので、社説で取り上げて頂いた事を感慨を持って読ませて頂く一方で、記事全体を通じて、選択的・一方的な事実の解釈に関する違和感を感じざるを得ませんでした。もちろん社説とは、事実報道とは一線を画し、社としての主張を堂々と掲げることがその旨とされておられるのですから、事実の解釈に、読者とのズレがあっても当然です。ただ、本当に十分に取材をされた上での社説なのだろうか、何らかの決めつけや先入観に基づく文章ではないか、という違和感を持ちましたので、敢えてこのような形で対論の文章を書かせて頂きます。
まずこの社説は、現行の自立支援法について、大変高い評価をしておられます。曰く、自立支援法になったことによって、予算規模は2倍になった、4月からの改正自立支援法でさらにサービスは拡充する、と。まるで厚生労働省の某企画課長が乗り移ったのか、と思われる意見の後、「そういした流れから隔絶したところで部会の議論は行われてきたのではないか」と書かれています。この部分については、失礼ながらこれを書かれた記者の方は「本当にこの部会を丁寧に取材されたのか?」と訝しくなってしまいます。
私たちが議論をした総合福祉部会は、厚生労働省と自立支援法違憲訴訟団との裁判所での和解の基本合意文章に基づき、「自立支援法廃止と25年8月までに新たな法制定」を目指して作られた部会です。そして、去年の夏にはその新法の骨格提言をまとめました。この骨格提言をお読み頂ければ、自立支援法の改正法ではどうしてダメなのか、の理由がご理解頂けると思います。その事は、僭越ながら私のブログでも何度か書かせて頂きました。(厚生労働省案への意見書骨格提言というパラダイムシフト) ただ、お忙しい記者の方の為に、簡単にその概要と論点を書かせて頂きます。
1,自立支援法は、入所施設や精神科病院での支援が前提となっている法律です。予算規模でも、入所・入院にかけられている財源は、地域生活支援の倍以上です。これはこれまで我が国が隔離収容を中心とした名残であります。記事では予算がこの10年で倍になった、と書かれていますが、入所施設や精神科病院の予算には上限がない一方、地域で重度の人を支えようとしても、国庫負担基準という予算制約があるため、入院・入所を余儀なくされる人が沢山います。
2,自立支援法では、市町村や障害種別での格差が広がるばかりです。先述の通り、入所施設や精神科病院は他国に比べて数倍用意されている一方、障害がある人の地域生活を支える資源は、三障害の間で、あるいは市町村によって、本当に格差が大きいままです。自立支援法では「地域生活支援事業」という市町村に裁量権を与える事業を組み込みましたが、予算を十分に充当することなく市町村に責任と権限だけを丸投げした為、現場では大混乱が起きています。やる気と財政力ある自治体では、重度障害者のホームヘルパーについて、単独助成を出す等の支援をする一方、財政力が乏しい(平均的な)自治体は、国基準以上の支援が必要な人は「自治体では面倒見切れない(ので、施設に入所してほしい)」と支給決定時に促す事態も散見されます。この国では、「どこで、何の障害を持って暮らすか」で、支援の明暗が分かれる、という実に不幸な事態が続いています。
3,その背後に、法理念が具体的な支援方法に及ぼす影響、というのが挙げられます。自立支援法は「障害は個人の不幸であり、健常者に近づくことが自立」という考え方(これを障害の医学モデルと言います)に基づいた法律です。これは能力主義とも一致し、「○○出来る人は地域生活してもよいが、出来なければ施設入所しかない」という隔離収容の発想とも通底しています。一方で、多くの障害当事者や家族、支援者が求めて来たのは、「障害故に社会参加できない、その社会的障壁を越えるための支援が必要だ」という考え方です(これを障害の社会モデルといいます)。現行の自立支援法は、その人員配置基準なども、第二次世界大戦後すぐに作られた身体障害者福祉法、精神薄弱者福祉法、精神衛生法の延長線上の法律です。その当時は、重度障害者は「入所施設や精神病院に入るのが当たり前」でしたから、そこに重点的な予算配置をし、それ以外にはあまり力を入れない法律でした。現在もその大枠が続いている為、あまりにも現実の実態とは違う、世界的な障害者の地域生活支援のうねりともかけ離れた法律である、と批判されて来たのでした。
4,自立支援法やその改正法は、障害者団体の間でも残念ながら賛成と反対の真っ二つに分かれました。それは「雨漏りしている現行法を手直しすることが障害当事者の今すぐの生活に求められる。新たな法制定は時間がかかるが、障害者は待っていられない」という現状肯定型アプローチと、「そもそも現行法は隔離収容という古い思想に基づいた法体系であり、今の障害者の地域生活支援中心という実態・国際的動向に合致していない。だから、土台から作り直さないと、既に破綻しているし、中長期的な展望が開けない」という現状打開のアプローチの葛藤でした。どちらも一理ありますが、国は前述のように、「雨漏りの補修ではなく、土台から作り直す」という新法制定を約束したのです。骨格提言も、手前味噌な話ですが、土台をどう現実的に作り直したら、20年、50年先も障害者が安心して暮らせる法律になるのか、の柱が示されていました。ただ、こないだの部会で示された厚生労働省案は、その骨格提言の主旨を無視して、依然として「雨漏りの補修案」しか書かれていなかったので、多くの部会構成員が怒りを禁じ得なかったのです。
5,総合福祉部会の骨格提言は、確かに厚生労働省の官僚に主体的に関与して頂く事なく、作り上げました。そのことをさして、「官僚を排除して壮大な内容の提言をまとめても、それを法案にするのは官僚なのである」と書かれています。これは、事実の一部だけを切り取ったものではありませんか? なぜ「官僚を排除」する必要があったのか、についての理解をされておられますか? 社説では千葉の差別禁止条例作りも取り上げられていますね。千葉の場合、社説で書かれているように、堂本知事の政治主導の下で、全く前例のない条例を作り上げる為に、官民が一体となって条例を作り上げました。一方、総合福祉部会の場合、現行法を作り替える、というのがミッションでした。また、社説で書かれているように、総合福祉部会は担当大臣が7人も替わるなど、政治主導とはほど遠い状況でした。その中で、厚労省は「政治主導は形だけであり、どうせ根本的に変えられっこない。その財源も政治家はとってこれないはずだ」と高をくくっていたと思われます。事実、私たちの部会では、厚労省のコメントなどに代表されるように、常に上から目線で、かつ「出来ない言い訳」探しに終始している、内向きな議論でした。「土台を作り替えよう」と呼びかけても、「雨漏りの補修以外には絶対出来ない」と言い張っている人に、同じテーブルの場で議論についてもらえるでしょうか? 確かに部会はその努力をすべきだったかもしれませんが、一方で厚労省からは、去年の8月までに骨格提言を作らなければ法案化は絶対無理だ、と抗弁もされ、十分に厚労省と議論する時間すら与えられていなかったのも、また、事実です。そのような、厚生労働省側の、現行法を頑なに維持し、新法制定に向けた議論を拒もうという姿勢も、取材されましたか?
6,現行法だって密室を脱却した、という評価として、今春から適用される障害福祉サービスの報酬単価を決める議論の過程の公開、も社説で書かれていますね。確かに公開ですが、あの議論と今回の総合福祉部会とでは、公開の意味合いと重みが違うと思いませんか? 報酬単価の議論を過程の公開は、確かに画期的ですが、その主導権は、あくまでも厚労省が握っています。どのような内容を議論し、誰を呼んで話を聞くのか、の論点整理権と人事権は厚労省が握っています。つまり、決定権はあくまでも官僚が握っている訳です。その中では、漸進的な変化はあっても、あくまでも「所与の前提」の中での変化です。一方、総合福祉部会だってその議論の過程を公開していますが、この人事権と論点整理権を厚労省が握らず、内閣府の障害者制度改革推進会議の担当室が担ったことにより、部会三役が、厚労省の主導に屈することなく、部会員の考える骨格をまとめる事が出来ました。だからこそ、現行法(=「所与の前提」)に縛られない、画期的な案を出すことが出来た訳です。確かに一部、出過ぎた部分もあるかもしれませんが、その部分のみを捕まえて、「壮大な内容だ」というのは、議論を重ねてきた55人の委員会全体に対して、あまりの表面的批判ではありませんか?
7,この社説は「批判するだけでいいのか。障害者福祉の行方を大局観にたって考えてはどうだろう」と書かれています。では、お尋ねしたいのですが、大局観とは、詰まるところ、官僚主導による現行法の固守(=雨漏りの補修)のみでよい、ということなのでしょうか? 官僚主導の逆機能を跳ね返す、総合福祉部会の骨格提言を簡単になおざりにすることも、「大局観」からみたら、仕方ない、ということなのでしょうか? であれば、20年後、50年後に今の自立支援法が本当に持つ、とお考えなのでしょうか? いずれは介護保険法に吸収合併されるのも仕方ない、という「大局観」なのでしょうか? そして、この介護保険法への吸収合併こそ、障害当事者が、その支援の内容や質がなおざりにされる可能性がある、として拒み続けてきたものであり、上述の基本合意文章でも「現行の介護保険法との統合を前提としない新法を作る」と約束されていることを、ご承知でしょうか?
そういえば、毎日新聞社には、この社説で取り上げられた千葉の差別禁止条例作りの立役者であり、報酬単価のアドバイザーもつとめ、障害者の立場に立った取材を続けてこられ、また私たちの総合福祉部会のメンバーでもあられる野沢さんがおられますが、社説を書かれた方は、野沢さんにきちんと取材されているのでしょうか? ただ、野沢さんは他の審議会や虐待防止関連の研修などで全国を飛び待っておられてお忙しかったようで、総合福祉部会では欠席や一部参加が多く、じっくりこの部会や作業チームの場で議論されていないように見受けられました。なので、もしかしたらこの部会の動きについては「よくわからない」と仰られたのかもしれませんね。であれば、総合福祉部会の部会三役や、主立ったメンバーにきちんと取材されて、社説にまとめて頂きたかったです。単なる批判は勿論建設的ではありませんが、あまりにも官僚や現行法のみを持ち上げるのも、また建設的な議論ではない、と感じています。
そうはいっても、今回、こうして毎日新聞の社説という大看板で、こうして社としてのお考えを出して下さったからこそ、私も自分の意見を対論という形で表明するきっかけが当たられました。そのことに、心から感謝申し上げます。
これからも、様々な角度から取材され、障害者制度改革や、自立支援法の改正か新法の制定かの駆け引きの議論などについて、建設的な取材とご提言を頂ければ幸いです。私でよろしければ、いつでも全面的に取材には協力させて頂きます。
「凍土の中の芽」とは、このような、双方の主張を包み隠さずにオープンにしながら、世論にその判断を委ねる中からこそ、生まれてくるものである、と信じています。
竹端寛拝

厚生労働省案への意見書

一昨日の総合福祉部会に関してのブログは、これまでのブログの中で、一番沢山読まれているようである。たった1日あまりで、当該ページビューが643件となった。多くの方に読まれて、ありがとうございます。

一部ツイッターでもつぶやいたが、多くの人に読まれると、「業界内部向けで難しい」「本当に伝えたいならもっとわかりやすい表現を」というご批判を受けた。このご批判は、実にごもっとも。前回のは、部会直後の甲府へ帰るあずさ号の中で書いた、あくまでも速報的なメモだった。なので、そのうちに、障害者制度改革の動きやこれまでの流れと言った「文脈」を共有していない方にも理解して頂く事を目指した文章は、書いてみようとおもっている。
ただ、その前に、総合福祉法部会の構成員は、今日の正午〆切で、厚生労働省案に対して追加意見があれば書いて送れ、と言われていた。意見は沢山あったので、先ほど書いて事務局に送信した。せっかくなので、その内容を下に貼り付けておく。ただ、これは骨格提言と厚労省案をベースにした意見書なので、あくまでも「文脈」を共有できていない方には???の内容かもしれない。その点は、そのうち書くので、今回はご容赦頂ければ幸いである。でも、厚労省案と対比して読んで頂けると、何となく厚労省案の問題点もわかるのではないか、とも思われる。
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法案骨子(厚生労働省案)に対する意見
委員名:竹端寛
○テーマ:障害者の範囲
(要点)
「政令で定めるもの」という規定では、「制度の谷間」の問題は解消されない。
(理由)
骨格提言では,改正障害者基本法に基づき、谷間を生まない包括的規定がなされている。一方厚労省案で示された「政令で定めるもの」というのは特定の病名を列挙する形(制限列挙)であり、これではこの特定の病名に入らない難病者の「社会的障壁」を支援するサービス体系にならない。よって骨格提言の法の対象規定を遵守した内容にする事を求める。
○テーマ:障害程度区分の見直し
(要点)
支給決定の方式そのものを見直さないと、障害者のニーズにあった支援は提供できない。
(理由)
骨格提言の「Ⅰ―Ⅲ 選択と決定」においては、現在の障害程度区分に基づく支給決定の問題点を整理した上で、障害程度区分を用いない協議・調整モデルの導入を提案している。障害者のADLのみを評価する障害程度区分では、障害者個人の生活のしづらさや社会的障壁といったQOL支援の側面を評価する事はできない。そのため、次年度予算案で程度区分に関する調査・検討の費用として1億円が計上されているが、これは協議調整モデルでの支給決定のモデル事業予算として活用する事が、国費の有効活用として求められる。ちなみに今後5年で検討では遅すぎるので、モデル事業も3年間で成果を検証すべきである。
○テーマ:障害者に対する支援(サービス)の充実
(要点)
真に重度障害者の地域移行を進めるためには、パーソナルアシスタンス制度(重度訪問介護の発展的継承)が必要不可欠である。
(理由)
強度行動障害や重い自閉症、重症心身障害のある人が地域移行出来ない最大の理由は、本人の意思決定支援が出来る、本人と関係性の深い支援者が地域で支える介護保障体制が出来ていないからである。重度障害者の家族や入所施設関係者が地域移行に納得できていないのも、この点にある。その問題を超える最大の突破口が、個別の関係性を重視し、包括性と継続性を持たせたパーソナルアシスタンス制度である。なお財源問題を心配する声もあるが、入所施設を減らし、その職員も再トレーニングした上で「地域移行」させ、当該職員がパーソナルアシスタンス制度の担い手になることで、予算の爆発的増加はあり得ず、むしろ費用対効果は遙かに高いと予想される。
○テーマ:地域生活の基盤の計画的整備
(要点)
障害者権利条約19条a項の「特定の生活様式を義務づけられない」を真に達成する為には、グループホームの整備だけでは不十分で有り、地域基盤整備10カ年戦略を法定化する必要がある。
(理由)
現在、入院や入所せざるを得ない当事者が本当に地域に安心して移行するためには、入所施設や精神科病院の削減目標ではなく、地域資源を10年間で計画的・段階的に増やしていく目標が必要不可欠である。90年代に高齢者福祉の世界でゴールドプラン等の地域福祉重点の計画を立てた事が、介護保険制度の成功を大きく導いた。これと同様に、地域生活の基盤の計画的整備を進めるためには、国が主導した中長期計画が必要不可欠である。国の財源的措置もないまま障害福祉計画の見直しと自立支援協議会の設置促進をしても、地域の社会資源の増加は見込まれない。
○テーマ:地域移行(厚生労働省案から漏れた課題)
(要点)
地域移行について法定化すると共に、現在入院・入所している障害者向けのニーズ調査を国事業として行うべきである。
(理由)
厚生労働省は地域移行推進のサービス基盤整備として、グループホーム等の整備や地域移行支援の報酬の加算、あるいは障害福祉計画での数値目標の設定などの運用で解決できる、としている。だが、地域移行が自立支援法下で進まなかったのは、地域基盤整備10カ年戦略のような地域資源の底上げ計画がなく、またそれを国が主導で行わなかった点が大きい。骨格提言の「地域移行」で述べたように、国が責任を持って地域移行を促進する事を法律で明記する事が求められる。また、現在入所・入院している人に向けたニーズ調査が、部会構成員による厚生科学研究で今年度行われたが、これは在宅者へのニーズ調査同様、国事業として次年度以後取り組むべきである。
○テーマ:権利擁護(厚生労働省案から漏れた課題)
(要点)
障害者虐待防止法と成年後見制度だけでは、権利擁護の施策は不十分であり、オンブズパーソン制度や寄り添い型の相談支援機関などの創設が必要不可欠である。
(理由)
本来の権利擁護とは、日常生活場
面において、本人が孤立して抱える苦情や差別的な取り扱い、虐待その他の人権侵害から護られ、またその事を通じて本人がエンパワメントされて行くことを指す。その方法論として、金銭管理に限定した成年後見制度や、精神科病院や学校における虐待の通報義務のない障害者虐待防止法だけでは不十分である。骨格提言の「権利擁護」でも整理したように、入所施設や精神科病院で本人の気持ちを聞き取り、寄り添うオンブズパーソン制度や、あるいは地域において寄り添い型の相談支援を行う拠点を作ることが必要不可欠である。
○テーマ:総合的な相談支援体系の整備
(要点)
計画相談支援を行ったり、基幹型相談支援センターが地域の事業者や民生委員などの関係者と連携するだけでは、当事者のニーズに基づく相談支援とはならない。
(理由)
相談支援とは、本人との信頼関係を構築した上で、そのニーズを引き出し、それを実現する為の手立てを一緒に考え、その実現を後押しする一連のプロセスである。一方、22年改正法で出来る計画相談は、あくまでもサービス利用の管理と計画に留まっている。本来の相談支援とは、どのサービスに当てはめるか、が目的ではなく、本人のQOLを高めるためにはどのような支援が必要か、そのサービスが使えれば活用し、無ければソーシャルアクションで創り出す事も求められる。上記内容を実現する為には、骨格提言の「相談支援」で述べた新たな相談支援体制の実現が求められる。
○テーマ: 総合福祉部会の発展的継承(厚生労働省案から漏れた課題)
(要点)
骨格提言と厚生労働省案は、あまりに隔たりが大きく、真の障害者制度改革の実現とは言えない。この問題を解決するために、総合福祉部会の構成員および厚労省担当者をベースとしたプロジェクトチームを作り、骨格提言を遵守した新法作成と漸進的・計画的移行のための具体的な検討に当たるべきである。
(理由)
厚生労働省は、新法制定をしない理由として、「現場や自治体が混乱するから」と述べた。だが、これは新法の問題ではなく、現行の自立支援法が具体的なビジョンに欠けていたために起こった現象である。現場は自立支援法の度重なる改正という「苦い記憶」を繰り返したくない、と思っているのだ。その問題を解決するためには、この改革によって現場は具体的にこのようにより良くなる、というビジョンと、それを具体化する工程表を作ることが必要不可欠である。厚生労働省案は、残念ながら現場に精通していない厚労省の人間だけでは骨格提言を実現することが無理である、という表明でもあった。であれば、総合福祉部会を発展的に継承し、内閣府と厚労省が共催する形で、総合福祉部会の構成員と厚労省の担当者によるプロジェクトチームを複数作り、現場の混乱を最小限にとどめ、かつ骨格提言を遵守した新法の制定と段階的・計画的実現に向けた具体的なアクションプランを検討すべきである。