まず、自分から変わる(連作4)

ずいぶん久しぶりのブログである。

海外に出かけている間は、エアポケットや真空状態のように、ぽこっと予定があき、開放的になり、楽になる。だが、直前まで仕事を根詰めたり、帰ってきてから溜まっている雑事に格闘するうちに、旅に出かける前の日常的世界に逆戻りする。それが、これまでのパターンだった。
だが、今回のイタリアの旅の後、もしかしたら少しだけ、それまでのパターンと変化が生じ始めているのかもしれない。それが、Io studio l’ italiano! そう、前回のブログで書いて以来、イタリア語の勉強が進んでいるのである。
正直、続くかどうか半信半疑だったので、自分自身が本当にびっくりしている。というのも、大学の第二外国語で、カントやヘーゲルやウェーバーを原書で読めたらかっこいいな、と、そもそも日本語でも読んだことがない哲学者・思想家への形だけの憧れでドイツ語をとって、本当に苦労した失敗の記憶が大きいからだ。そもそも、あのころは、やっと終わった受験勉強の反動で、しっかり勉強したい、という意気込みもなく、そしてドイツ語世界に対して具体的な願望もなかったから、まったくご縁がなかったのかもしれない。
さらにいうなら、今から8年前には、スウェーデンに半年も住んでいたのに、スウェーデン語は本当に挨拶程度しか出来ない。今から思えばイエテボリの語学学校もあるはずだし、そこに通っていたら、もっといろんなやり取りが現地の人とでき、そこからネットワークが広がったのかもしれない。だが、あの当時、とりあえず半年間で調査の成果をあげることに必死で、かつ「スウェーデン語が出来る日本人の福祉研究者はたくさんいるから、僕がスウェーデン語を学んだってしょせん・・・」と、思い込んで、語学学習に蓋をしていた。いや、そう思い込んで、怪しい英語(ブロークン・ぐろーびっしゅ?)でとにかく課題と向き合うことに必死だった。妻と二人、初めての海外生活で、サバイバルに必死だったと思う。
そういう苦い経験が重なるなかで、「英語を何とかこなすことは出来るかもしれないが、他の言語を僕は獲得するのは無理だ」と思い込んでいた。
だが、今回のイタリアでは、「Si puo fare! (やれば、できる!)」のアイデアをたくさんもらって帰ってきた。極端に言えば、ねじが一本、外れてしまった。
このブログで何度も書いてきたが、僕は「どうせ」「むりだ」「しかたない」という壁と向き合う機会が多い。たとえば、金曜は入所施設の職員労働組合に呼ばれて講演をしたが、そこでも「改革なくして改築なし」と仰る労組の方々に対して、「そもそも改築したら、入所施設をなくすことは出来ないのではないですか? もともと施設ありき、という発想そのものが、どうせ重度の知的障害者は地域生活は無理だ、しかたない、という思い込みに基づいていませんか?」と問いかけていた。
前回のブログでも述べたが、イタリアから帰国して感じるのは、日本はやはり、価値前提の問いかけに関しては「どうせ」「むりだ」「しかなたない」と、問いを発しない(=所与の前提とした)上で、その価値前提の上で、漸進的な変化をもたらそうとしているような気がしてならない。たとえば、入所施設の話でも、いかにそこでの待遇をよくしようか、という漸進的改善については、労働組合の皆さんは必死になって考えている。でも、それは「入所施設は今後も必要だ」という価値前提を所与の前提にしたうえでの考えである。この前提自体を疑い、「やればできる」精神で変えていこうとするのか、と言われると、しり込みする人が少なくない。そして、実は価値前提への問いとは、エネルギー問題や政治改革、社会保障改革など、私たちの生活全体に突きつけられている課題である。
にもかかわらず、価値前提については「どうせ」「むりだ」「しかたない」と蓋をして問わずに、小手先の技術論的課題だけで「国論を二分する」と言わしめる問題がどれほど多いか。消費税の増税、原発の再稼動、政界再編などの論点を巡っても、価値前提については問わずに事象や出来事だけを問うているので、そのときの気分や空気で流される議論が展開されている。だが、出来事の背後にあるパターンや構造、それを突き動かす価値前提をも見抜いて、「本当にそれでいいの?」という問いを発しないと、結果的に「井の中の蛙」のようなむなしい議論の枠の中から出れないのではないか。マスコミで報じる政治家や官僚の動向、だけでなく、「街の声」を聞いていても、あまりに空気に基づく小手先の感想が多く、またそれを選択的に取り上げるマスコミも少なくなく、うんざりしてしまう。
そして、それを「○○が悪い」と他責的にすごしたくもない。とはいえ、僕自身が大きな政治的課題に、他責的にではない形で今すぐにコミットするだけの準備も心構えも出来ていない。そんな中で、自分から出来る、自分の中での変容とは何か。それが、冒頭に戻ると、イタリア語の学習なのである。
他人に「どうせ」「むりだ」「しかたない」と諦めるな、と訴えている人間が、そもそも自らの第二外国語に関しては、その諦念を「しかたない」としていませんか、と。それって、自己矛盾ではありませんか、と。
もちろん、「バザーリアの実践をイタリア語で読みたい」というのが、最大の動機であることに間違いはない。でも、それだったら、ノーマライゼーションの原理について、スウェーデン語のニィリエの文献を読みたい、という気持ちはなぜ沸かなかったのか。あの時と今の違いはおそらく、知識としての学びと、実存に結びつく学びの違い、かもしれない。価値前提を問う現象学的精神医学を、トリエステ語と言われるバザーリアの論理を読み直す中で体得したい。それを通じて、自らの、支援枠組みの、そして日本社会の価値前提を問い直す論理を強固なものにしたい。そのためにも、まずはイタリア語の文法をきっちり身につけたい。
今回、そういう具体的な目的がはっきりしているから、語学学習の戦略もぶれない。イタリア語を学ぶ前に『外国語上達法』(千野栄一、岩波新書)『わたしの外国語学習法』(ロンブ・カトー、ちくま学芸新書)などを読んでみたが、これらの本に書かれていたのは、
・文法を、単に暗記するのではなく、法則性を理解し、日本語とどのように違うのか、を意識して学ぶと頭に入りやすい
・反復こそ、忘却に打ち勝つ最大にして古典的な方法
・週に10~12時間の学習時間を確保すべし
ということであった。
そこで、これらの原則に則って、イタリア語の文法書を7月末に終わらせる目標を立てて、取り組み始める。CDもipodに取り込んだ上で、出張する日は移動の電車内で、普段は朝に原則1コマ分、テキストと向き合っていく。男性名詞と女性名詞、あるいは冠詞の変化、と聞いただけでドイツ語の悪夢を思い出しそうになるが、上記のようなビジョンが明確なので、三日坊主にならずに、進んでいる。そして、こうやってブログに書くことで、ますますイタリア語学習が不退転になるように追い込んでいる。(なので、僕に今度あったら「続いている?」と尋ねてください(笑))
今のところ、規則動詞の変化あたりまでは、非常に順調に、楽しく学べている。これが時制の変化あたりで躓くのか、そのままスルッと文法書を越えられるのかは、わからない。でも、自分の潜在的な可能性が見開かれるような、そんなワクワク感が、現時点では僕の中で渦巻いている。その渦の勢いをとめてしまわないように、「やれば出来る!」の精神で、まず自分自身から変わることが出来ないか。そして、この一見すると非常に個人的で、デタッチメントに見られる内発的な穴掘りも、その穴を掘り下げ続けていくうちに、どこかで広い社会とのアクセスが出来る場面があるのではないか。他責的に陥ることなく、僕の中での閉塞感を越える突破口は、このイタリア語学習の中にあるのではないか。そんなことを夢見ながら、今日もこつこつ参考書に向かうのであった。

Si può fare 連作その3

「旅をするたびに私は、まるで空井戸に落ち込んだ子供みたいに、行く先々の現実にすっぽり溶け込んだようになって、それまでいた場所を忘れ去る。そればかりか、そのつぎに自分が行く、あるいは帰るはずの場所についても、まったく思考が働かなくなるのだ。ウラシマタロウ症候群とでもいえばいいのか、落ち込んでいる井戸の底でオトヒメサマやタイやヒラメを相手に、完璧に充足してしまう。飛行機あるいは鉄道の切符や、手帳に記した予定表があるから、いついつの日に、じぶんがどこそこにいるはずだとはわかっていても、私の中には、まえもって思考をつぎの場所に移すのを拒否する依怙地な虫が棲みついているようなのだ。」(須賀敦子『トリエステの坂道』新潮文庫、p174)
昨日、イタリアの研修旅行から帰国した。トレントとトリエステの二つの街で、精神病院抜きの地域精神保健福祉システムがどう展開されているか、を学びに出かけた。間を挟んだ土日には、その中間点に位置するヴェネチアにも立ち寄り、イタリアの風土や歴史、文化の断片を満喫した。旅先では、イタリアで長く暮らした須賀敦子の文章を、染み入るように読んでいた。
あっという間の旅程が終わり、日本に帰国した翌日、時差ぼけでまどろむ中に読み続けた本の一節に語りかけられたのかもしれない。
「もうまもなく、『落ち込んでいる井戸の底』での『完璧に充足』した日々のアクチュアリティは消え去るかもしれませんよ。書くなら、『依怙地な虫』が死に絶えていないうちにね」
日本に帰ってきて、メールやらツイッター、FBなどの「つながり」の輪に、別に拒否してもいいのに自発的に埋没していくと、確かに急速に陸に戻ったウラシマタロウのように「オトヒメサマやタイやヒラメを相手」にした記憶がすり抜けていく。それとともに、かの地でつかの間に解き放たれた「しがらみ」の鎖に、自らつながれていくのを感じる。その違和感を表明し、出来れば解き放たれていた時期のアクチュアリティを、まだ記憶が薄れぬうちに、備忘録的に記しておきたい。
イタリアで最も学んだこと、それは一言で表せば、”Si può fare”、日本語に訳せば「やれば出来る!」だ。
精神病院を本当に閉鎖し、総合病院の精神科病棟も最小化できる。その実践を、先進地のトリエステだけでなく、別の形で展開しているトレントでも見てきた。イタリアに出かける前のブログで二回ほど書いたが、統合失調症やうつ病、などの疾患別の分類と診断にエネルギーを注ぐのではなく、その人が抱えている、病を発病するまでに至った、極大化した「生きる苦悩」に寄り添い、時には薬を使い、あるいは薬を使わなくても、その苦悩を本人と共に縮減していくなかで、病と共に生きる術を取り戻す支援。それが、本当に二つの街で実践されていた。トリエステではこの考え方を、移民や高齢者支援など、他のマージナルな存在とされた人々の地域福祉の実践にも応用していた・・・。
このあたりの事実は、僕もそのうち文章でまとめるだろうし、あるいは今回の研修に参加された他の精神科医や研究者が書いてくれるかもしれない。そしてその大半の事実は、研修団長を務めた大熊さんの本に書かれている内容でもある。にもかかわらず、現地に行って良かったと思うことであり、まだウラシマタロウ症候群の間に書いておきたいのは、日本的な同調圧力のネジが緩んだイタリアで感じた開放感と、「やれば出来る!」のアクチュアリティである。
「空井戸に落ち込んだ子供」状態の僕が、その異世界で眺めたのは・実感したのは、人間の可能性をとことん信じ、その可能性にかけた人々の具体的な姿だった。
「精神病院は必要悪だ」「日本ではトリエステの光のみが紹介されるが、影があるにちがいない。どこかに重症患者が隠されているはずだ」「隔離拘束や電気ショックは、暴れる患者には必要不可欠だ」
こういった概念は、精神病院の経営者だけでなく、日本の精神科医療の現実という強固な枠組みの中で精一杯頑張っている人にとっても、変えることの出来ない所与の前提となっている。その自らの眼鏡「のみ」が真実であると信じ込んでいるからこそ、そうではない現実には「何か裏がある」「絶対できっこない」と思い込んでいる。だが、これが単なる「思い込み」に過ぎないことが、旅の中で明らかになってきた。
これは、非医療者の僕だけが感じたことではない。ご一緒した、日本の精神科救急やACTの現場で働く6人の精神科医も同感したことであり、旅先でもそのことは繰り返し議論し続けた。「精神病院・隔離拘束・○○はなくせない」というのは、「出来ない100の理由を考える」ことである。でも、イタリアで垣間見たのは、同じ「○○」をなくすための「出来る一つの方法論」を考え続け、それを実践に移した姿だった。
だからといって、日本人がサボっていて、イタリア人だけが偉大だ、とは思わない。これは入所施設をゼロにしたスウェーデンの実践を、半年間に渡ってフィールド調査で調べていたときに感じたことと同じである。どこの国にだって、いい人もいれば悪い人もいる。そして、スウェーデン人よりも、イタリア人よりも、日本人の方が遥かに長時間働いている。それぞれの現場で、個別的課題に寄り添おうとしている日本人も沢山いる。
ただ、厳しい言い方をすると、せっかくのその努力が「漸進的な努力」である場合が少なくない。ある枠組みを変えられない所与の前提として、その前提枠組みの中で現前化している問題を、出来る限り何とか解決できないか、と考える思考であるといえる。既存の枠組みや体系のバージョンアップやモデルチェンジを果てしなく続け、洗練させていく姿、ともいえる。これは福祉や医療だけでなく、日本のものづくりのお家芸的な部分であるかもしれない。
これがなぜ「厳しい言い方」なのか。それは、漸進的努力は、あくまで既存の枠組みや体系のバージョンアップであり、結果的にはその枠組み・体系の延命につながるからである。その枠組みや体系が依拠する前提自身が問題であっても、その前提自身を問い直し、変えることは、その漸進的努力の対象外となる。イノベーションとは漸進的努力ではなく、革新的な創発の中から生まれるが、日本ではイノベーションより、バージョンアップか、よくいってもモデルチェンジどまりである場合が多い。自立支援法だって、介護保険法と支援費制度を合体させた形でのモデルチェンジどまりで、革新的な総合福祉法の骨格提言は、障害者総合支援法という自立支援法のバージョンアップに矮小化されたことは、以前のブログで何度も書いたとおりである。
そして、残念ながら日本では、創発や革新を喜ばない風潮がある。出る杭は打たれる、ではないが、まだ見ぬ何かを語り・想起すると、「そんなのできっこない」「現実を無視している」「理想論だ」と片付けられる。確かに漸進的なバージョンアップやモデルチェンジのほうが、明らかに「現実的」であり「出来る可能性」が高い。だって、以前の枠組みや体系の枠内での移行であるので、前提は崩さなくてもよいからだ。
ただ、その前提が「精神病者は了解不能である・隔離拘束しないと対処できない」「精神病院は必要悪である」という価値前提である場合は、どうだろうか? これは事実ではなく、価値前提であり、思い込みである。しかし、日本という同調圧力の強い国では、他国にいると考えられないほど、この圧が強い。所与の前提として、絶対変えられない枠組みとして機能する。だが、それが事実ではなく、事実と誤認した価値前提であれば、話は全く別になる。以前のブログでオースティンの行為遂行的言語についてメモをしていたが、そう語ることによってその価値が事実認識され、一層強固な価値となるような言葉遣いがある。「○○は必要悪だ」という論理は、事実確認的言語ではなく、明らかに行為遂行的言語である。これは精神病院を入所施設だとか原発とかに入れ替えても、全く同じ論理である。
そう考えると、「出来ない理由を100考える」のではなく、「出来る一つの方法論」を模索する創発的な論理が非常に大切になる。それが、「やれば出来る!」の思考であり、イタリアで眺め続けたのは、その”Si può fare”の精神が結晶化した形での、地域精神保健福祉システムであった。
そう感じた僕自身、イタリアから帰って、自分自身の中で新たな”Si può fare”に挑戦しようとしている。イタリアの精神医療改革の精神的支柱を担ったバザーリアの本が原書で読みたい。そう思って、イタリアで何冊か買ってきた。もちろん、まったくイタリア語は未知の世界。でも、他人を批判する前に、自らの”Si può fare”に挑戦しようとしている。三日坊主にならないためにも、ここに宣言しておく。(大丈夫か、おい・・・)

絶望的なアピールと人間的苦悩 連作その2

精神病院をなくしたイタリアで、その改革を主導したのが、故フランコ・バザーリア医師。彼の足跡を辿った映画C’era una volta la citt dei mattiが公開され、そのDVDがAmazonでも販売されている。

師匠からそのDVDをお送りいただき、昨日見ていた。イタリア語のストーリーで英語の字幕、だが、十分に楽しめる内容だった。以前、「人生、ここにあり!」を見たときにも感動したが(こちらのDVDは日本語字幕入りで発売されました)、あの映画ほど明るくない。むしろ、精神病院から地域に出て行く中で、精神病者も、そして彼ら・彼女らを支える支援者達も、等しく同じ人間として抱える「生きる苦悩」の深さを掘り下げた作品だ。そして、バザーリア医師やトリエステの人々が何を目指したのか、その際、どんな苦労の中でもがき苦しみながら新たな何かを産み出そうとしたのか、が実によく描かれている作品である。
この映画の基底には、バザーリアが生前、イタリアの精神医療改革を取材したスイス人ジャーナリストに語った次の思想が重なっている。
「人間に苦悩がつきまとう。これは社会組織が立ち入ることが全くないためなくなることはない。ある人が調子が悪くなると、何かを求める。しかし、誰も答えてくれない。この要求、つまり要請はいろいろな形態をとりうる。様々な様式、例えばある人が自殺したり、他人を殺したりとか、公の秩序をそこなうとか。ある人が死んだりする時は、それは絶望的なアピールである。しかしこれらのアピールにどのように答えてきたか。いつも答えは決まって抑圧である。そしてこれを正当化するために精神医学はその症状論-これが苦悩の成文化である疾病である-を生み出す。」(ジル・シュミット『自由こそ治療だ』社会評論社、p65-66)
「人間には苦悩がつきまとう」。これは、実に普遍的な命題である。そして、精神を病む人、というのは、この苦悩が極大化し、時として自傷他害、あるいは錯乱や暴言、引きこもりなど「絶望的なアピール」をせざるを得ない状態に追い込まれた人のことをさす。これは、精神を病む経験があろうがなかろうが、時として誰でも起こりうる危機であるが、たまたま「絶望的なアピール」に至る以前で事態が収束したか、しなかったのか、の差に過ぎない部分もある。
だが、その「一線」を超えた時、私たちは一見すると「共感」や「想像」しにくいような、破滅的で破天荒に見える行動化という「絶望的アピール」の表現に目を奪われてしまう。そして、その「絶望的なアピール」という表現で伝えようとする「苦悩」の極大化そのものが、見えなくなってしまう。あまりの激しい表現に、見る者の恐怖や不安も極大化し、なんとかその「絶望的なアピール」の沈静化こそが目指される。そのための「抑圧」手段として、「縛る・閉じ込める・薬漬けにする」という方法論が開発され、「これを正当化するために精神医学はその症状論」としての「統合失調症」なり「うつ病」なりという「症状論」を展開する。あくまで、「絶望的なアピール」の沈静化の方法論に過ぎないものが、医学や客観性の装いをまとうと一人歩きをし、その「科学性」「客観性」が「抑圧」の本質を隠蔽し、世間に流布していく。
バザーリアの興味深いのは、その際、「抑圧」の本質から目を逸らさなかったことである。
「私はバドゥア大学医学部の助手として12年間働いた。このことは重大なことだ。というのは当時拷問人としての教育を、つまり抑圧の論理全体をともに身につけ、内在化したしたからだ。精神科医の教育とは拷問人としての教育に等しいのだ。大学へ足を踏み入れると、もちろん世界を改革しようという観念で行動する。だが、それから大学内の地位序列に汲々としていく。対抗心、競争心、名誉心、だんだんと大きくなる権力の獲得。いつも研究機関の長の厳しい監督下にあり、それは自らを承認させられるまで続く。しかも、知を継承させるのではなく、権力を行使していくのだ。」(同上、p66-67)
彼がフッサールの現象学やサルトルの実存哲学を大学時代から愛読していた、と前回のブログでも書いた。だが、彼の興味深いのは、その現象学的還元の視点を、自らの因って立つ医学部の精神医学システムそのものに対して差し向けた、という点である。自らが「内在化」している「医学部」教育という「抑圧の論理全体」そのもの、因って立つ地盤そのものを疑いの眼差しで眺めた、というラディカルさである。自らが精神病への治療と考えている「知」が、実は「権力行使」である、という事の気づき。その延長線上としての、医学部教育が「拷問人としての教育」であることへの気づき。自らの暗黙の前提とした価値前提そのものを問い直す営みである。これは、このブログで何度も引用した、あのメルロ=ポンティの思想を想起させる。
「哲学者というものは単に存在しようと望むだけではなく、おのれのなすことを理解しながら存在しようと望むわけですが、ただそれだけのためにも、哲学者は、その生活の事実的与件のうちにひとりでに含まれている全ての断定を一旦停止しなければなりません。しかし、さまざまな断定を停止するということはそうした断定の存することを否定することではありませんし、ましてやわれわれを物理的・社会的・文化的世界に結びつけている鎖を否認することではなく、逆にそうした結びつきを見ること、意識することです。これが『現象学的還元』というものであり、そしてその現象学的還元だけが、そうした絶えざる暗黙の断定、各瞬間のわれわれの思考の裏に隠れている『世界の定立』を露呈してくれるのです。」(メルロ=ポンティ「人間の科学と現象学」『眼と精神』みすず書房、p17)
バザーリアは、精神医学が「暗黙の断定」としている「抑圧の論理」の「物理的・社会的・文化的世界に結びつけている鎖」を、「見ること、意識すること」という「現象学的還元」を行い続けた。その中で、自らの知そのものが、実は本当は知ではなく権力行使である、という事実に気づいてしまった。権力行使や拷問人教育という実態を見えなくさせている「われわれの思考の裏に隠れている『世界の定立』を露呈」してしまった、のである。だが、そこからのバザーリアの展開が非常に面白い。
「知とは弁証法的なものであり、教えられるものではなく、管理されうるものでもない。知は対話の中でのみ練り上げられ、あらゆる瞬間に繰り返し問題にされ、吟味されなくてはならない。私は他の人々と共同してお互いの知識をもとに知を吟味することではじめて新たな知を得る。そうでない時は、純粋に権力の行使となる。」(シュミット、前掲書、p67)
「権力行使」とならない「知」とは何か。それをバザーリアは「弁証法的な対話」と言う。映画の中でも、バザーリアは元患者たちと、繰り返し繰り返し対話をしていく。病棟の中での騒動、家族の元に帰った際の衝動的な暴力、共同住居の中での諍い・・・病院から地域に戻り、そこで抑圧されていた蓋が開き、様々な「生きる苦悩」が吹き出す。その際、バザーリアやトリエステの医療者たちは、縛ることも閉じ込めることも、そして薬漬けにすることもなかった。だから、問題はより大きくなり、混乱も続く。その中にあっても、常にその渦中の人々に寄り添い、彼ら彼女らの声を聞き、対話をし続けていた。「絶望的なアピール」を前にしても、それを「疾病」とラベルを貼ってわかったフリをしようとしなかった。その「絶望的なアピール」で、対象者は何を表現しようとしているのか。本人も時には混乱してわからなくなっている、そのアピールの背後にある「人間的な苦悩」の実態そのものを、医療者である自分は未だ知らない。その「無知の知」に基づいて、「他の人々と共同してお互いの知識をもとに知を吟味することではじめて新たな知を得る」という動的な対話のプロセスに身を置こうとした。映画を描かれたバザーリアは、白衣を着た医師ではなく、寄り添うソーシャルワーカーのようなスタンスで描かれていた。これは、「医学部教育」というヒエラルキー体制とは真反対の姿である、ともいえる。
この弁証法的な知について、シュミットは次のように解説している。
「バザーリアとスタッフはこの考え方が西洋の学問的思考構造の全体を基礎づけている観念論的、実証主義的傾向と矛盾することを自覚している。観念論的、実証主義的思考は原因と結果の直接の鎖の中を動いている。それとは異なって、弁証法的思考はいわば三角形を跳躍するように現実を捉えようとする。それはあらゆる対象-「テーゼ」-「アンチテーゼ、つまりその対極」-を内包する。対立した両極を対立させることから『統合』が生じる。そこでまたしても新しい矛盾の入口となる。バザーリアとその仲間がこの思考方法をとる際、彼らは当然弁証法的概念のいくつかを操作する。例えば『異常』と言えば、さしあたって弁証法的に相互に条件づけている『異常』と『正常』がどのような関係にあるのか、を問題とする。そこで『異常』という概念の自明性を問題とする。『病気』が討論される時には、『健康』も明らかにされる。『個人的』苦悩が話し合われれば、すぐに『社会的苦悩』が問題とされる。というのは彼らにとって個人と社会の間に相互作用があることは光と影の相互的役割と同様、明らかなのだから。」(シュミット、p62-63)
「原因と結果の直接の鎖の中」とは、「絶望的なアピール」という「結果」を「統合失調症」「破瓜型」「幻聴支配」などという「原因」と結びつける思考である。確かに「病気」だからそうなるんだ、という理解は、「わかったつもり」にさせてくれる。でも、たまたまそういう疾患状態であって「絶望的なアピール」をしたとしても、病気が人間を支配している、というモデルをバザーリア達はとらない。「絶望的なアピール」という形で現れる「異常」という「テーゼ」に対するアンチテーゼとしての「正常」との関係性をも問題にする。どうしてこんな「異常」な表現をするのか。その背後にどのような「正常」世界での追い詰められた何かがあるのか。そういう「『異常』という概念の自明性を問題とする」ことで、「異常」だけでなく「正常」世界そのものを問い直そうとする。幻覚や妄想、うつ状態という「病気」が討論される時、そういう「病気」にならなかった時や、あるいはそういう「病」が減退した時は本当に「健康」だったのだろうか、が問われる。
この問いかけは、あのべてるの家の川村医師が短冊に書いた「病気で幸せ、治りませんように」という名言をも想起させる。病気が不幸せ、健康が幸せ、という二項対立は、そのような対立軸を作る事により、病気と健康の意味を単純化させていないか。病という形で表現されていることの中に、どのような「生きる苦悩」が現れているのか。それを「健康ではない」と薬と共に消し去ると、病の中に現れている、その人の実存的な課題や、あるいは別の形で生き始めようとする契機や種のようなものも見えなくさせてしまうのではないか。「病気」や「異常」とは、そのような本人の「生きる苦悩」の前景化であり、それは確かに辛いことだし、なるべく治めて楽になりたいけれど、強い薬で意識共々吹っ飛ばすのではなく、地域の中で、苦悩の中で、少しずつ溶解させていく何かではないのか。
こう展開させていくと、「個人的」苦悩のアンチテーゼとしての「社会的苦悩」が討論の対象になることもよくわかる。自己決定・自己責任社会において、自分で決めて、選んだ結果として、訪れた様々な不幸や苦悩。それは「自己責任」だから、努力が足りなかったから、運がなかったから、仕方ないという思考。これは社会問題を個人問題とすり替え、矮小化して「わかったつもり」になる思考ではないか。そしてそのような「理解」は、「知」ではなく、「権力行使」の内面化ではないか。社会の構造的な暴力を「世界の定立」「暗黙の断定」として受け入れ、仕方ないと諦め、その犠牲になった人を「個人的苦悩」の中に押し込めて、それ以上踏み込まない姿勢。実はこれこそが、医療者や私たち、精神病者といった垣根を越えて、人間世界を覆う「抑圧の論理体系」の正体ではないか。この部分を正視せず、目の前の「絶望的なアピール」を制止する精神医療の思想は、「患者を治す」ように見せかけて、正常-異常、健康-病気という枠組み自体を維持・強化する権力ではないか。そして、この権力行使という枠組みから自由になって、本当に「生きる苦悩」と向き合い、その苦悩を少しでも緩和する支援こそ、精神医療という存在に患者が求めている内容ではないか。
バザーリアが、病院病院という構造そのものが問題である、としたのは、この権力構造からの脱皮の最大の障壁としての病院機能への問いかけではなかったか。そんなことを感じながら、映画を見ていた。(つづく)

いたりあ・のおと

『精神病院を捨てたイタリア 捨てない日本』の著者であり、大学院時代からの師匠大熊一夫氏が主催するイタリア調査ツアーに近々同行させて頂く事になった。

イタリアのことは師匠から何度も聞いていたし、岩波の本も読んでいたが、ずぼらな僕は、それ以上の勉強をしていなかった。今回、せっかく現地に行くなら、と、以前からあれこれ集め続けてきたイタリアの精神医療する日本語と英語の文献を読み進めている。そして、今、この時期に、イタリアのことを学べてよかった、と強く思い始めている。そこで気づいたことや感じた事、をメモ的に綴ってみたい。
実は、イタリアの精神医療改革や脱施設化の本質を理解する為に外せない鍵の一つが、現象学的思考だと感じている。以前の僕なら、そのことの凄みには気づけなかった。だが、ブログで「枠組み外し」の連作を書き続け、それを東洋文化で『枠組み外しの旅』として論文化し、その後5月の1ヶ月間でその内容も含めて単著に仕上げるプロセスを経る中で、現象学的還元のすごさ、というか、私たちが当たり前と思っている暗黙の前提や、メルロ・ポンティ流に言うなら「世界の定立」にいかに縛られているか、を考え続けてきた。(ご興味のある方は、「存在論的裂け目と枠組み外し」参照)
そして、自分の中である程度、現象学的視点について、書くプロセスの中で考え続けてきた後に、イタリア精神医療改革の本を読み進めると、「めちゃ、わかる!!!」の連続なのである。
実はイタリアの精神医療改革の父とも言われる、故フランコ・バザーリア医師は、フッサールの現象学やサルトルの実存哲学を深く学び、精神医療に取り入れようとした。その中で、ゴリツィアの精神病院の院長として精神医療改革に着手するも反対に遭い、その後、トリエステの病院を解体するプロジェクトを完遂させ、世界的な精神医療改革の旗手となる。バザーリアは従来の精神医学と自らのアプローチの違いを、次のように述べている。
「この仕事の基礎となっている接近法は決して病気が中心にあるという事実を避けようとするものではない。しかしながら、この新しい潮流の中ではこれまで患者に、あるいは少なくとも精神病院に内在するものとされていた葛藤がそれら葛藤が因って来たるところのより広い社会に投げ返される-というのは病気というものは本質的に社会的関連における自我の特異的な矛盾の歪んだ表現と見なされるものだからである。精神医療従事者にとってこのことは全く新しい役割を担うべきことを意味している。つまり患者と病院との関係の中にいて仲介者の役割を果たすのではなく、家族、仕事場、あるいは福祉事務所といった現実世界での葛藤に介入しなければならないのである。」(フランコ・バザーリア「管理の鎖を断つ」『批判的精神医学 : 反精神医学その後』.イングレビィ編、悠久書房、p321)
僕自身も以前はごっちゃになっていたのだが、バザーリアやイタリアの精神医療改革は、精神医療そのものを否定する、という意味での「反」精神医療とは違う。この点はあとで論述するが、投薬や治療をするものも、大熊一夫氏の表現を用いるなら「縛る・閉じ込める・薬漬けにする」という形態ではない形での、精神障害者へのケアを展開していくのである。だから、バザーリアが言うように、「病気が中心にあるという事実を避けようとするものではない」。ただ、病気を個人の疾病や病理、という形で認識しない点が、最も興味深い点である。バザーリア自身は、「病気というものは本質的に社会的関連における自我の特異的な矛盾の歪んだ表現」である、と述べている。これは、○○病というラベリングを張って理解した、つもりになることへの強烈な批判であり、病気という形で「表現」されている「本質的に社会的関連における自我の特異的な矛盾の歪んだ」何か、に、医療者と患者が協働で目を向ける必要があることを指し示している。そして、この難しい「表現」を理解するためには、「葛藤」という概念も理解する必要がある。
この葛藤概念については、フランコの妻であり、精神病院の構造について鋭く分析した社会学者ゴッフマンの名著『アサイラム』のイタリア語訳者でもあった社会学者で政治家のフランカ・バザーリアが次のように指摘している。
「新しい個人(女性、青年、老人、精神病者、精神遅滞者、同性愛者、囚人など)は、対象化し疎外されることを拒否した象徴であった。現在ではその人たちは、事実、彼らの社会的不平等を確かにすることにしかなっていない、『自然な多様性』という捉え方の中に再び閉じ込められることを拒み、直面し経験するべき社会的葛藤の源となっている。新しい家族の権利、離婚法、性の平等法、妊娠を告知される権利、家族相談サービスの開始、青年雇用促進法、精神医療および保健改革、そして刑務所の改革派、今でも積極的に取り組んでいるとは言えないし、また不完全であったり実施されていない状態であるとしても、こうした葛藤の産物なのである。葛藤は伝統的な文化の自明性に疑問を投げかけたのだ。この自明性は、伝統的な科学の自明性が仲間である人間を全面的に対象化することに基礎を置く場合にのみ可能であったのだが。」(フランカ・バザーリア「社会の鏡としてのイタリア精神医療改革」ラモン、ジャンニケッダ編『過渡期の精神医療』海声社、p398)
対象化し疎外される、というと、これも難しく見えるが、これは深尾先生の言葉を拝借するなら、「魂の植民地化」である。この魂の植民地化、ということは、例えばテレビのCMの言うように「食べる前に飲む」ことで胃薬への依存症状態にあった僕自身の「対象化」と「疎外」にもあてはまる。その社会での常識や「自明性」を鵜呑みにして、それを疑うことなく受け入れた「健常者」とカテゴライズされる人は、実は、「疎外」され「魂の植民地化」された状態であった、といえる。この「対象化」や「疎外」という言葉遣いに、マルクス主義的イデオロギーの匂いを感じる人もいるだろう。確かにイタリアの精神医療改革にはイタリア共産党の存在が大きく影響を与えているが、バザーリア達は、共産主義イデオロギーを患者に当てはめようとしたのではない。マルクスが解き明かし、現象学的還元が見えるようにした、この「疎外」や「自明性」そのものを疑う
、と思考方法で、精神医療そのものを再考する実践を始めたのである。すると、精神障害者の置かれている状況が、「単に病気になった人」とは全く違った地平で見えてくる。「葛藤は伝統的な文化の自明性に疑問を投げかけたのだ」。これは一体どういうことか?
「伝統的な科学の自明性が仲間である人間を全面的に対象化することに基礎を置く」。客観的で合理的で分析的な「科学」によって、「統合失調症」なり「うつ病」なり「反社会性人格障害」というラベルが貼られる。この際、ラベルの持つマイナスイメージが強い場合、ラベルを貼られた人間の主体性よりも、その病名なり障害名が一人歩きする。病気や障害が「人間を全面的に対象化する」のである。そのような病や障害の自明性そのものに「疑問を投げかけた」のが「葛藤」なのである。僕はそれを、次のような疑問として受け止めた。
「この人が暴れているのは、統合失調症だから、でいいんですか? この人が暴れるのは、単に幻聴のせい、というより、幻聴で暴れざるを得ないような状態に、構造的に追い込まれているのではないのですか? その追い込まれている構造を見ることなく、本人の暴れている状態を薬や隔離、拘束で沈静化させたところで、本人が抱えている内在的論理や生きづらさ、あるいは社会の中で生きるつらさや葛藤そのものに目を向けない限り、状態の沈静化はあっても、根本的な解決にむけて動くことはないのではないですか?」
フランコ・バザーリアが「これまで患者に、あるいは少なくとも精神病院に内在するものとされていた葛藤がそれら葛藤が因って来たるところのより広い社会に投げ返される」と述べるとき、病気を患者や病院の中で抱え込んではならない、という警句として、僕は受け止めた。サラリーマンが鬱病になり、自殺未遂をして精神科救急に運ばれる。その際、もちろん救命措置をして、命を救う処置を医者はする。だが、そのサラリーマンを鬱病に追い込んだ「葛藤」そのものは、単にサラリーマンの個人的因子によるものではない。人件費削減や成果主義的志向、新自由主義的発想が強まる中で、社会構造が本人に「自明なもの」として求めている負荷そのものの中に、実は問い直すべき、捉え直すべき「葛藤」があるのではないか、と。それを、あの人は「鬱病だから」と、病名や個人のせいにして、そして治療の対象だからと責任を治療機関になすりつけて終わっていいのか、と。「葛藤が因って来たるところのより広い社会に投げ返される」ことがなければ、本質的な関係性の改善はないのではないか、と。
このブログで考えて来た「魂の脱植民地化」概念とつなげてみよう。会社や日本社会の同調圧力などの強い負荷を、暗黙の前提や自明性として個人化・内面化して受け入れ、「蓋の上の人格」を引き受けるところに、「魂の植民地化」が進行していた。そして、それを「精神病」という個人の病だから、「縛る・閉じ込める・薬漬けにする」形で治療しよう、という精神医療は、実は「魂の植民地化」の片棒を担ぐ役割を構造的に担っている。葛藤の内面化・呪縛化を支援する精神医療役割、ともいえる。この時、現象学的還元を行う、とは、そもそもその葛藤の内面化・呪縛化に手を貸すことが、精神医療の役割期待としてあったとして、それで本当に良いのか、という問いである。社会防衛機能に手を貸す精神医療、という構造そのものへの疑問を差し挟む。これが「自明性」や「世界の定立」そのものを疑う、という意味での現象学的還元の営みであった。そして、その延長線上にしか、葛藤の呪縛化を開くことはできないし、「魂の脱植民地化」もあり得ない。
「治療と保護の矛盾が、医者が採り入れた方針そのものに帰せられる問題なのではなく、実際は社会制度としての精神医学に基本的に備わっているのだということに医療チームは気づく事になった。精神病院という問題以外に精神医学が社会の中で広く果たしている役割について検討することが必要となった。というのも、精神医学的診断は一般に受け入れられていた道徳的秩序に基づいており、この秩序が正常と異常とをその堅苦しい術語で定義していたからであった。またこの道徳的秩序は階級制度そのものであり、これが『下級階層の人々』が精神科患者になるという事実を引き起こしていた。科学的客観性という名の下に隠蔽されていたが、精神科医の伝統的な役割には社会的問題や軋轢を孤立化し吸収するという仕事があった。この役割が精神科医に現実的な社会権力をもたらした。」(フランコ・バザーリア、前掲書、p314)
科学としての精神医学は、社会制度の体系の中で位置づけられている。その政治性に目を向けたとき、現実的に患者よりも精神科医が「現実的な社会権力」を持つ。その背後には、「異常」者を「正常」社会から区分けし、排除する、という「道徳的秩序」維持役割が精神科医に課せられている。これが「科学的客観性という名の下に隠蔽されて」いるが、だが、その「隠蔽」の「蓋」を外してみるならば、広い社会問題としての矛盾や葛藤の内面化・呪縛の問題が現前化される。このような「社会的問題や軋轢」を、解決すべき課題として考えるか、「孤立化し吸収する」ことで「隠蔽」する役割なのか。科学の名を借りながら、医療者はどちらに進むべきなのか、という問いかけである。
こう書くと、なにやらバザーリア派と呼ばれる人は、治療はせずに社会問題を問うてばかりいるのではないか、という疑いをもたれるかもしれない。だが、バザーリア自身が言うように、「この仕事の基礎となっている接近法は決して病気が中心にあるという事実を避けようとするものではない」。ただ、治療や支援をする時のスタンスとして、社会の中での「葛藤」や「魂の植民地化」、その帰結としての「本質的に社会的関連における自我の特異的な矛盾の歪んだ表現」としての症状と向き合おうとしているのである、と僕は理解した。
で、それが具体的にどのようなものであるか。それは、「のおと」第二回に譲ることとする。

個性化への道

2週間ばかり、ブログの更新が止まっていた。
連休明けの週末から週明けにかけては、大阪や三重の現場で、研修をしたり、議論をしたり、の外回り。一方、先週末から今週の冒頭は、今取り組んでいる単著の書き直しに没頭。そして、平日は大学の講義もあるし、今年から学内委員会の委員長になってしまったので、その学務の段取りや仕込みもある。とかく、いろいろ忙しい。
だが、そうやって日々動き、考える中でも、とくに今の時期は、自らのあり方を捉え直す時期なのだと感じている。たとえば、個性化について。
何を今更、個性なのよ、と言われそうだ。そんな、くよくよ悩んでいるのですか、と。
いや、そうではない。自らの個性化への道に、素直に向き合いたい、とようやく思うようになってきた、ということだ。
以前のブログで、福田和也氏の本に出てきた「やりたいこと」「できること」「世間が求めること」について、取り上げた。久しぶりに自分が2年前に書いていたブログの内容を読み返して、この2年での変化を感じている。2年前の段階では、「世間が求めること」に取り組むこと、そして「できること」のレパートリーを広げること、に必死になってきたのだが、それだけでいいのだろうか、と疑問を感じ始めた頃だ。もちろん、自らの技芸を磨くことは大切である。また、対価を頂く仕事として、その品質を保つことは社会人として当然の責務である。だが、その一方で、技芸を磨き、責務を果たすだけでは、常に「他者」という評価軸を意識していることになる。その「他者」軸に依拠し続けることに、何だか閉塞感というか、苦しさというか、そういうものを感じ、それを乗り越える為にどうすればいいのか、もがき始めたのが、ちょうどこの2年前という時期であった。
そして、今更ながらだが、個性化についての古典の中に、自らのプロセスが見事に言語化されている一節があった。
「個性化とは、まさに人間の集合的な使命を、よりよく、より完全に満たすことになるのである。というのは、個人の特性に十分な配慮が払われれば、それが軽視されたり抑圧されたりしたときよりも、より大きな社会的功績を期待できるからである。すなわち個人のユニークさとは、けっしてその実質や構成要素が変わっているということではなく、むしろ、それ自体は普遍的な機能や能力の組み合わせが、ユニークであり、分化のしかたが少しずつ違っているということなのである。」(ユング『自我と無意識』レグルス文庫、九四頁)
そう、「人間の集合的な使命を、よりよく、より完全に満たすこと」としての個性化。それは、たんに「やりたいこと」をやるだけでは、僕の場合は恐らく達成できない。「できること」を広げ、「世間が求めること」に応え続けるなかで、少しずつ醸成されてきた何か、ともいえる。
大学の教員になって8年目になるが、去年あたりから、少しずつ変化していることがある。去年までは、講義において、ある程度確定的になった理論や価値観について、その背景知識も含めて説明していた。その際、それを説明なり解説なりする僕の価値観、についての表明はなるべく抑制的であった。僕自身の「押しつけがましさ」という限界は理解しているつもりであり、それが教育場面で逆効果にならないよう、様々な社会問題そのものを学生にぶつけ、そこから考えてもらい、対話しながら論点を深める、という形での講義を展開していた。
その際、学生さんにしばしば問われたことがある。それは、「一つ一つの講義で取り上げる素材は面白いけど、全体としてどう繋がっているのかわかりにくい」ということ、また、「先生はその問題についてどう思っているのか、教えてほしい」ということ。この2つは、何度も言われてきた。でも、敢えて言わない方がいいのではないか、と思い込んでいた。それが、先ほど書いた自らの「押しつけがましさ」に関してのわきまえである。だが、最近波長が少し変わってきた。それでは、学生を信じていないのではないか、と。僕が、「自らの価値観の表明だから、鵜呑みにしなくて良い」と宣言した上で、事実や理論と、自らの価値を分けて表明したら、学生さんにも誤解なく伝わるのではないか、と。
実際、そうしてみると、実に伝わる。昨年より、反応が随分よい。また、僕自身、講義で取り上げるひきこもりや自殺、認知症ケアやシングルマザー支援などについて、講義の最後に自分の価値や考えをしゃべってみると、実はこういう事を「語りたい」と思っていたことに、遡及的に気づき始めた。つまり、僕はこれまで教員として「できること」のレパートリーを広げ、学生に「求められていること」を伝えているつもり、になっているが、それと自らの「やりたいこと」を講義という枠組みの中でつなげきっていなかった。それが、自らの中で消化不良であり、学生さんにとっても不全感や消化不良として残っていたのではないか、と。
僕自身は、音楽や絵画、スポーツなどでの自己表現が得意ではない。ただその分、しゃべったり、書いたり、という表現方法を選んだ。いや、最初のうちは、それしか考えられなかった。でも、その書く・話すという表現方法においても、「できること」の幅を広げ、「世間に求められていること」に応える中で、いつのまにか、「やりたいこと」の追求がおろそかになっていた。そして、数年来感じていた閉塞感とは、この自己表現としての「やりたいこと」の追求が出来ていないことに起因する何かではないか、と感じ始めている。たとえばこのブログでの自己表現だって、読んだ本から考えた事を表明する、という意味で、「できること」の拡充の手段であり、そして、無意識に書く内容を「世間に求められていること」から逸脱しない範囲に勝手に自己規制している側面がある。そういう点で、「やりたいこと」としての自己表現から、随分逸れた中身になっていたと気づき始めた。
そして、昨年あたりから、講義や講演、あるいは書き物で、少しずつ、自己表現しはじめている。話したいことを話し、書きたいことを書く、というシンプルなことだ。すると、今までより評判が良くなってくるから、不思議なものだ。それは、僕の中で、「できること」と「世間に求められていること」の全体像がおぼろげに見えてきた上で、単にそれに応えるだけでなく、その上で、僕が表現したいことを付け加えようとしているから、かもしれない。それが、ユングの言う「普遍的な機能や能力の組み合わせが、ユニークであり、分化のしかたが少しずつ違っている」ということなのだろう。そんなにオリジナルなことを書いても語ってもいない。だが、その「組み合わせがユニークであり、分化のしかたが少しずつ違っている」ことに興味を持ってくださる方が、少しずつ増えてきている、のかもしれない。
すると、この個性化の過程、というのは、何もどんなブランドに身を包んで、とか、どういう思想に傾倒して、ということではない。むしろ、日々の暮らしの中で、「できること」の技芸を磨き、対話の中で「世の中に求められていること」の責務を理解し、それに応えながらも、その2つに埋没しないこと、を意味しているのだろう。そのうえで、自分なら、どのような「組み合わせ」と「分化」を選びたいか。この「したい」の本性を大切にし、この本性の流れに身を任せて、自己表現を続けて行く。それが、僕の場合はたまたま本業に近い、文章を書いたり、講義をしたり、で実現できそうだ。だが本業でなくても、土との対話、もの作り、山登り、絵や音楽、スポーツ・・・でも何でもよい。そういう自己表現の中に本性を落とし込むことができたとき、人は個性化の道をたどり始めるのではないか。
今朝起き抜けに「個性化の過程にいる」と感じた。その直観がどこまで文章に落とし込めたかはわからない。でも、僕自身、そんな個性化の旅に身をゆだねようと決意した。そういう自己表現を大切にしよう、と。今週末も、その創作期間に入ります。

事後対応型を超える為に

ブログを書き始めて、今月で8年目に突入する。

山梨で大学教員になった2005年の5月に、今はウェブデザイナーをしている高校写真部の友人に、ドメイン取得からブログサイト構築までお願いして作ってもらった。やっと定職に就いた、という嬉しさと、大学教員という肩書きのすごさへのビビリと、がないまぜになる中で、身辺雑記的なものを記録しておきたい、と思って始めた。当時はツイッターもFBもなかったので、また僕はミクシィとはご縁がなかったので、身辺雑記のウェブでの公開、というのはブログという手段しか無かった。
で、久しぶりに8年まえのブログを読み返して、自らの当時の「ビビリ」の姿勢がよくわかる。例えばJR西日本の列車脱線事故に関するブログ。事件発生の当時から、マスコミの糾弾の仕方に違和感を感じていた。事故を起こした運転士やJR西日本という会社を徹底的に糾弾する一方、なくなられた方々の遺族に「お気持ちは?」とカメラを向けまくる手法。これは、祇園や亀岡の車の暴走事故や、あるいは長距離バスの追突事故とも全く同じ構図である。確かに、事故は本当に許せないものだし、加害者である運転士・手や、管理する立場の運行会社の問題は、徹底的に追求すべきである。でも、この当時のブログに書き付けた違和感は、加害者の糾弾と、被害者家族に「お気持ちは」と追いかけるだけがマスコミの仕事なのか、という問いである。8年まえはそれを「個々の個人、会社”だけ”の責任なのか?」「時間感覚について」の二点で考えていた。
だが、8年まえは、この二つを書く事すら、こわごわと書いていた。だから、最近のブログと比較すると、実に文章が短い。事故が起きた直後に、こんなことを言うのは「不謹慎」ではないか。そういう「空気」を読んで、マスコミ報道の潮流とは違うことを言うことを、恐れている自分が一方でいた。根拠も無いのに、直感だけでこんなことを言っていいのか。ちゃんと勉強もしていないのに・・・。そんな恐れをなしていた。
あれから8年。今振り返ってわかったことは、直感は案外正しい、ということだ。ただし、ある程度、知識や情報で論理的な肉付や構造化をしないと他者には伝わらない、という限定付きではあるが。
この列車脱線事故にしても、その後の事件報道にしても、この時の直感で感じていたことを、今なら次のように構造化できる。
マスコミ報道の違和感は、問題を「事後対応」型で処理し、しかも「個人モデル」で検討している点にある。
こう書くと、次のような反論も来そうだ。起こってしまった事件を取材するのだから、当然「事件後」の「対応」じゃないか。しかも、過失責任のある個人や、それを監督する立場にある組織の問題を徹底的に追求するのは当たり前じゃないか。
確かに、一見すると、その通り、である。だが、この「事後対応」で「個人モデル」型の糾弾の仕方は、大岡裁きや水戸黄門を見ている観客のように、事故や事件に関係ない一般市民にとって「勧善懲悪」的な関心を持たせる。「本当にひどいねぇ」「言語道断だ」「被害者はいたたまれない」といった感情を持ち、マスコミ報道に「憑依」していく。被害者のつらさに共感し、加害者・組織への怒りを強める。
だが、その感情を、何ヶ月、何年と持続できるだろうか・・・。
マスコミは、毎日毎日、ニュースを追いかける。それはsomething newでありsomething interestである。新しさと面白さがある素材を追いかける。連日報道する内容は、新事実という面白みがなくなった段階で、「賞味期限切れ」であり、次の事件や事故の報道に切り替わる。読者・視聴者も、めまぐるしく報道される新しい何かに釘付けになり、あれだけ怒ったり悲しんだりした以前の事故は、すっかり忘れてしまう。厳しく言えば、「他人事」だから、マスコミ報道に「憑依」して共感や怒りを持ち、「他人事」であるがゆえに、「喉元過ぎれば熱さを忘れる」。ニュースのワイドショー化が言われて久しいが、事件を「ドラマ」化して、「他人事」として消費している。
だが、本当にある問題を「問題だ」と感じるなら、構造的類同性の方にこそ、目を向けなければならない。8年まえに感じていた「時間感覚」や「個人責任への矮小化」の違和感とは、結局のところ、「問題の一部は自分自身ではないか?」という問いであった。もちろん、その当時、そんな言葉を全く持っていなかったが。
電車が1分でも遅れたら、運転手や車掌が「お急ぎのところ、申し訳ありません」と謝罪する。ちょっと待ってよ。たった数分じゃない。でも、1時間とか2時間とか遅れようなら、駅員に喰ってかかり、時には傷害事件にすら発展する。「そんなに急いでどこにいく」。この「早く」「正確に」という事への強迫的願望が、僕やあなたの中にすくっていて、それが、遅れを許さない、遅れに罰を与える、という鉄道会社の内在的論理に組み込まれた。その内在的論理に抵触する「遅れ」に焦った、「出来の悪い」運転士が挽回しようと必要以上に速度を出した。すると、そういう事を要請した私たち自身の「早く」「正確に」という強迫的願望が、事故の背後にあるのではないか。
そして、これは高速バスの事故でも同じような構造的類同性を感じる。デフレで規制緩和をすることによって、バスの価格破壊がすすみ、安全の担保よりも値下げ競争が強まった。それは、過剰な安さを求めた、僕たち自身の願望の裏返し、とは言えないのか。確かに、日本では必要以上の規制が多すぎるし、それは緩和しなければならない。でも、安全や安心に関わる規制まで緩和の対象にして、本当に大丈夫なのか。これは、混合医療に向けた規制緩和を求める声、あるいは義務教育のバウチャー制度化を求める声、にも同じように感じる危惧である。規制緩和や自由化は、情報の非対称性が強く、安心や安全を担保すべき領域では、馴染まないのではないですか、と。
こういう、出来事の背後にあるパターンや構造こそ、問題がある。これは、8年後なら、やっと言える。最近読んでいる分厚い本にも、こんな風に書かれている。
「なぜ構造の説明が重要かというと、それをもってしか、挙動パターンそのものを変えられるレベルで、挙動の根底にある原因に対処することができないからだ。構造が挙動を生み出すゆえに、根底にある構造を変えることで異なる挙動パターンを生み出すことができる。この意味で、構造の説明は本質的に生成的(根源から創造する)である。また、人間のシステムにおける構造には、システム内の意思決定者の『行動方針』も含まれるので、私たち自身の意思決定を設計し直すことがシステムの構造を設計し直すことになる。」(ピーター・M・センゲ『学習する組織』英治出版、p104)
ある事件や出来事の背景には、共通の挙動パターンや類同性がある。その背後には、何らかの問題が構造化可能だ。そして、その構造を解き明かし、説明することが、問題を本質的に解決するためには必要不可欠だ。本当に感情的に「許せない」と絶叫するなら、その気持ちを、論理的に問題を解決するためのエネルギーとして使った方がいい。だが、加害者やその会社、関連団体に苦情電話や誹謗中傷をするエネルギーがある人も、それを構造問題を解き明かすために使おうとしているかどうかは、甚だ疑問である。祇園の事件の後、日本てんかん協会に誹謗中傷攻撃を仕掛けた人のどれだけが、てんかん病のある人が追い詰められずに働ける構造を作る為の構造的説明に時間をかけているだろうか。
「○○が悪い、許せない、責任者出てこい」
こういう風に他者を誹謗中傷するのは、ある種の人にとっては、勧善懲悪のドラマの主人公に憑依できているようで、気持ちよいだろう。だが、その一瞬の「すかっとさわやか」はあっても、そこから問題を本当に解決しようとしていないのであれば、事件をダシに消費しているだけで、他人事であり、無責任であり、そういう事件を消費して楽しむスタイルだって、言語道断、とは言えないだろうか。
長くなってきたので、結論を急ごう。本当に問題を解決したければ、「事後対応型」の「個人モデル」ではダメだ。起きてしまった事故を繰り返さない為には、事故を教訓に、「事前予防型」の「社会環境改善モデル」を採らなければならない。
「システムの構造を設計し直す」には時間がかかる。そして、そのシステムで安住している自分自身の「根源」も時には揺らぎかねない。変化を求めない人にとっては、個人に問題を矮小化し、「あいつが悪いからあいつが変わればいい」と他人事で見ていた方が楽だ。でも、「挙動の根底にある原因に対処」しない限り、問題は本質的に解決しない。本当に「異なる挙動パターンを生み出す」=つまりは、事故を繰り返さない、ことを求めるならば、「根底にある構造を変えること」が求められる。こういうラディカルさがないと、本質は何も変わらず、「熱さ忘れた」頃に、また同じような事故という挙動パターンを繰り返すことになる。失敗学が提唱している失敗から学ぶ、というのは、そういう「システムの構造を設計し直す」ための学びなのだ。そして、それを設計しなおすことは、そのシステムの構造に影響を与えている・与えられている、意思決定者の一人である僕やあなたの考え方を変える、ということも求められる。だからこそ、問題の一部は自分自身、でもあるのだ。そういう構造的類同性に気づけるか。問題の一部を自分自身、と引き受けられるか。
最後に現在から未来の問題について。原発災害で、脱原発か原発再稼働かで国論を二分している。この時に大切なのも、「事前予防型」の「社会環境改善モデル」で構造から根源的に考え直す視点だ。その時に、別に原子炉の構造や資源エネルギー政策を詳細に熟知している必要は無い。新聞記事レベルでも始められる。「問題の一部は自分自身」という視点で、電力に過度に依存する自分自身とシステムの問題を見つめ直すことが、まず決定的に大切なのだ。自分が変わらないのに、他者に変われ、と言っているだけが、最も他責的で、傲慢なのではないか。僕はそう感じている。
追伸:今日のブログは、ちょっと前に読み終えた佐々木俊尚さんの『「当事者」の時代』(光文社新書)にかなり感化されている部分がある。ただ、研究室にその本を置いてきてしまったので、引用は直接出来なかったが、メンションしておく。分厚いけど、マスコミの「憑依」の問題を徹底的に問い直す、非常に良い本です。あまり売れていない、と佐々木さんはツイッターで呟いておられたが、あれはロングテールのように、長期的に読まれ続ける良書だと個人的には思っている。少なくともAmazonで平均☆三つの評価、は酷い。僕なら間違いなく五つ星にする。

タケバタヒロシの当事者研究

たまに、普段なら読むことのない本を手に取ることがある。タイトルだけみたら、避けていたかもしれない。でも、とある書評で興味を持って、注文をかけた本が昨日職場に届いていて、結果的に一晩で読み終えた。かつ、今抱えているしんどさの原因が、だいぶすっきりわかってしまった。

「敗者が抱えている問題は『運』と『計画』を区別できないことである。」(マックス・ギュンター著、『運とつきあう-幸せとお金を呼び込む13の方法』日経BP社、p33)
ここには、随分深遠で本質的な命題が書かれている。そして、僕が混乱しているとき、ひどく落ち込むとき、実はここに書かれているように、「『運』と『計画』を区別でき」ていなかった。それは一体どういうことか? まずこの二つの言葉を定義する必要がある。
「運(名詞) あなたの人生に影響を与える出来事であるが、自分で作り出せないもの。」(p11)
ふむふむ、極めて真っ当な、かつわかりやすい定義ですね。確かに「運」は「自分で作り出せない」けど、「人生に影響を与える出来事」だもんね。で、「計画」はどう定義されているのか? 実は運ほどきれいに定義されていないが、次の例を読めば、筆者のいう「計画」の定義がわかる。
「車の運転をするときには自分の腕前(計画)を信じていれば、たいていは無事に目的地にたどりつく。まれに不運がめぐってきて、目的地にたどりつく前に飲酒運転の車に衝突されるかもしれないが、そんな不測の事態が起こる可能性は小さい。こういった状況は計画が運を凌駕する例の一つで、計画が99パーセントを支配し、運の役割は一パーセントにすぎない。」(p35)
確かに車の運転が自分でコントロール不能な「運」に支配されているなら、危なくて仕方ない。自分の腕前というコントロール可能な「計画」が支配的であるから、その基本的な腕前を身につける教習所に通い、検定に合格したら、最低限のコントロール可能性としての「計画」が出来るという免許がもらえるのである。ここまで、すんなり頭に入った。ここから、実に興味深い展開がはじまる。
「人間の欠点や能力と同じように人生も運に支配されている。不運に見舞われたら事態を冷静にみきわめることだ。本当に自分がミスを犯したために失敗することもあるだろう。何かヘマをしでかしたのか、そもそも能力が足りなかったのかもしれない。けれども、9割がたは運に支配されていたにすぎない。それならば『運が悪かった』と認めるのは決して恥ずかしいことではない。ニューヨークの心理療法士、ナンシー・エドワーズ博士は、患者の中でもっとも深刻なのは自分のせいではない出来事について自分を責めるタイプで、そうした人はたいてい不運続きの人生を送っているという。」(p42)
恥ずかしながら、僕自身の大きな課題の一つに、この「患者の中でもっとも深刻なのは自分のせいではない出来事について自分を責める」という行動様式がある。くよくよしがちで、発言に対する他者の対応や反応を気にしたり、あんなことを言わなければよかったという後悔が激しい。それが支配すると、悪夢のようにグルグルと自分の体内を駆け巡る。何度も何度も、スルメをかみ直すように、思い出し「くよくよ」をする。それで、随分心的エネルギーを浪費していると思う。しかも、メールや発言の一言でくよくよしているけど、案外他人は何とも思っていなかったりするので、それが無駄だと頭でわかっていても、やはりクヨクヨする。
少し横滑りするが、連休中にユングを読んでいて、どうもこのクヨクヨは単に否定的傾向、というよりも、一つの人格としての「アニマ」なのではないか、と思うようになってきた。
「男性のあるべき理想像としてのペルソナは、女性的な弱さによって補償される。個体は外的に、強い男性を演じる一方、内的には女性に、つまりアニマになる。ペルソナに対抗するのはほかならぬアニマだからである。しかし内面というものは、外向的な意識に対しては暗く、見えにくいものであり、またひとがペルソナと同一化していればいるほど、自分の弱さを考えることができなくなるため、ペルソナの対立物であるアニマも、完全に暗闇にとどまることになる。したがって、アニマはまず外部に投影されるほかなく、それによって、英雄も妻の尻にしかれる仕儀となるのである。」(カール・G・ユング『自我と無意識』レグルス文庫、p128)
僕は、英雄ではないが、妻の尻には確かにしかれている。また、それを望んで?気の強いパートナーを選んだ部分もある。また、ペルソナとしては、前回のブログで書いた単著の中で分析したけれど、大学教員というペルソナに圧倒されて、違和感を感じ始めたあたりから、どうも身体症状としての冷え性や肩こりが酷くなった部分もある。クヨクヨや後悔、という傾向も、大学教員としての社会的な人格が成長する中で、いっそう強まっていった部分もある。それをアニマ、とラベルを貼ってみたとき、ユングの次のフレーズがすごくすっと心の中に入る。
「彼がなすべき唯一正しいことはアニマの姿を自律的人格として把握し、それに人格的な問いをさしむけることなのである。」(同上、139)
そう、「クヨクヨさん」は、否定すべき、打ち消すべき弱点、ではなくて、「一つの人格」としてのアニマと考えてみたら、どうなるだろう。「それに人格的な問いをさしむける」って、まるでべてるの「当事者研究」そのものだ。確かにべてるの当事者研究は、自分でコントロール不能な幻聴や幻覚、妄想に基づく嬉しくない行動の発露に対して、「幻聴さん」などと「一つの人格」を与え、当事者やソーシャルワーカーなどの「研究仲間」とともに、その一つの人格と向き合い、その行動が変わるためにはどうすればいいか、を「研究する」というスタイルである。
と、研究者的に定義できる「知識」はもっていたが、まさか自分自身が「当事者研究する」とは思っていなかった。でも、そういえば、べてるでは、専門家だって、自分の当事者研究をする、って言っていたよなぁ、と、浦河に訪問したときに聞いた話がよみがえる。でも、あのときは一般論として他人事的に聞いていたのだな、と今、改めて感じる。
さてさて。
で、「クヨクヨさん」と「自律的人格として把握」して、連休中にクヨクヨさんがもたげてきたら、「あんたは、それで何をしようとしているの? どうしてクヨクヨしたいの?」とぶつぶつ問いかけてみた。妻は当然気持ち悪がっていたが。でも、アニマという一つの人格として問いかけはじめた矢先に、先の「運」と「計画」について読んだので、「クヨクヨさん」の構造が、かなりハッキリわかり始めた。長い迂遠の後に、『運とつきあう』の議論に戻る。
先の定義に従えば、運とはコントロール不能なものであり、計画は反対にコントロール可能なものである。努力して頑張れば誰でもその能力が高まるのは、定義に従うと、運ではなく計画である。逆に、頑張ったところで、自分がコントロールすることができないもの、それが運である。
で、「クヨクヨさん」は、運なのか計画なのか。あんなことをしなければよかった、というのは、する事の反省であるから、これは計画である。だが、「クヨクヨさん」が自分の中で支配的な時、それは行動の反省を超えている。その背後で、他の人はどう思うのだろうか、よく思っていないんじゃないか、という他者の評価や思いを推測する気持ちが大変強くなっている。その、他者評価や他人の思惑は、自分でコントロールする事が不能なものだ。ということは、制御可能な計画では無く、制御不能な運、ということになる。つまり、「クヨクヨさん」というのは、自分の行動の反省という「計画」側面が支配的に一瞬見えるが、その実態は制御できない他者評価に妄想的に振り回されているという意味で、実は「運」の側面が支配的な人格なのである。
そして、「もっとも深刻なのは自分のせいではない出来事について自分を責めるタイプで、そうした人はたいてい不運続きの人生を送っている」とは、コントロール不能な運を、コントロール可能な計画と誤認して、「自分を責めるタイプ」である、と見立てると、すっきりする。確かにそういうコントロール不能なことで「クヨクヨ」してたって、何の改善も見られず、疲れるばかりで、「不運続きの人生」になるよね。って、あ、僕自身も「クヨクヨさん」とそういう付き合いをしていたかもしれない!!! これが、タケバタヒロシの当事者研究的には「世紀の大発見」なのである。
これは、何でも計画制御可能である、という近代合理主義に落とし穴のような部分でもある、と感じる。そして、そのことは、計画制御について分析した別の本を想起させる。
安冨歩氏は『複雑さを生きる』(岩波書店)の中で、「調査・計画・実行・評価」という計画制御の枠組みを「人間の関与する事態に適用することは、原理的に不可能」(p109)と言い切る。単純な二足歩行や、砲台からの敵艦射撃を例にあげ、単純に見える動作でも、いかに技術やコンピューターで制御しにくいか、コントロールが難しいか、を分析した後、次のように述べている。
「仏教ではものごとの主要な影響関係を『因果』、副次的な影響関係を『縁起』と区別することがある。『因果縁起』ということばは、ものごとが単線的な原因結果関係で成り立っているというのとは正反対に、物事が複雑な相互関係にあることを示す。このような観点からすれば、世界がなんらかの安定状態にあるということは、事物の複雑な相互関係がそれなりの安定状態を達成するように『なっている』としか言いようがない。これを無理に『因果』だけを取り出して制御しようとすれば、ひどいことになるのはあきらかということになる。」(p119)
コントロール可能な「計画」という「因果」の世界の背後には、コントロール不能な「縁起」という「運」の世界が拡がっている。いくら行動を制御しきったとしても、それは「因果」の世界のみ。「複雑な相互関係」のなかで「世界がなんらかの安定状態にある」とき、それは「因果」だけでなく、「縁起」の部分が大きい。それを「因果」でコントロール可能だ、と思い込むことこそ不遜であり、計画制御やPDCAで全てが解決する、なんてはずはない。コントロールが本来出来ないことまで、計画制御をしたら可能だ、というのは誤認だ。こう、安冨先生は喝破している。
で、これを「クヨクヨさん」の原理に当てはめてみよう。(急に高尚な話から卑近な例に戻るが)
先に、「クヨクヨさん」というのは、自分の行動の反省という「計画」側面が支配的に一瞬見えるが、その実態は制御できない他者評価に妄想的に振り回されているという意味で、実は「運」の側面が支配的な人格なのである、と述べた。自分では「因果」の枠組みで制御可能だと思っているが、大半の部分はそう「なっている」という意味での「縁起」的世界が、クヨクヨさんの支配的構成要素である。そして、先に「クヨクヨさん」はアニマである、と言ったが、ユングが言うように、アニマの存在する「内面というものは、外向的な意識に対しては暗く、見えにくいものであり、またひとがペルソナと同一化していればいるほど、自分の弱さを考えることができなくなる」という性質のものである。つまり、「クヨクヨさん」という僕の中での自律的人格は、無意識の世界で「見えにくい」存在であり、かつ無意識の世界にお住まいの方なので、計画制御でコントロール可能なもんではない、「縁起」的存在である、ということなのである。
で、「縁起」的存在、つまり「運」の要素が強い「クヨクヨさん」と上手くつきあうにはどうしたらいいか。これには、実にシンプルな答えが用意されている。
「結果が悪いのは自分のせいではない。だから力の続く限りがんばればいい。」(ギュンター、同上、p45)
「運」と「計画」を区別する。区別した上で、起こってしまった出来事はコントロール不能な「運」=「縁起」だと割り切る。「うまくいかないのは運が悪かったからだと割り切」る。でも、努力可能な(=つまり「計画」できる)自らの技芸は磨く。それしかない。「クヨクヨさん」という自律的人格が強く自己主張をはじめられたら、こう語りかけたらいいのだ。
「クヨクヨさんは、今回は何をおっしゃりたいのでしょうか? 確かに、『こうすればよかった』と後悔したくなる気持ち、よくわかります。でも、自分でコントロールできない他者評価は『運』まかせ、ですよね。であれば、運でクヨクヨせず、次に出来ることだけを整理して、計画する、というモードに切り替えませんか?」
さらに、もう一つだけ、この「運」の本は「計画」についても、次のように述べている。
「長期的な計画を立てるのが悪いと言っているわけではないが、あまり杓子定規に考えない方がいい。計画は将来を見通すうえでの目安であって法律ではない。思いがけずに幸運が近づいてきたら、躊躇せずに、いさぎよく古い計画を捨てる-。これが運の良い人の態度である。何も考えず自然と振る舞うことによって、『長期計画の罠』に嵌まるのを直感的に避けているのだ。」(p118)
なるほど、知っている人は、ちゃんと「計画」や「因果」の枠組みに過剰に囚われず、「縁起」や「運」との巡り会いを大切にし、「躊躇せずに、いさぎよく古い計画を捨て」ているのですね。僕も「クヨクヨさん」も、この「運の良い人の態度」を見習うことにしよう。一人当事者研究の結論は、そういうことになった。

原点回帰した連休

この連休中は、ずっとブログの更新が出来なかった。毎朝午前中はブラウザを開くことも無く、ずっと原稿を書き続けていた。

『学びの回路を開く』
こんな仮題で、僕自身がこれまでに考えて来たことを、一冊の本にまとめようとしている。生まれて初めての単著へのチャレンジだ。
東大の安富先生や阪大の深尾先生が主催される「魂の脱植民地化研究グループ」の皆さんが出される叢書の一つとして出してみませんか、というお誘いをうけた。実は、僕は共著や編著者の経験はあっても、単著は出した事がない。憧れに感じてはいたものの、まだまだ自分は勉強不足だし、先になる、と思っていた。ふつう、博士論文を単著にされる方もいるのだが、僕の博論は、その時点では満身創痍で提出し、何とか学位は頂いたけど、そのままで出せるものではなかった。自費出版してまで出す気にもなれず、またフィールド調査の新鮮みも失われてしまったので、結局、大学の紀要にまとめてそれでオシマイ、になっていた。
あれから10年弱。そろそろ、自分の言いたいことも溜まってきた。ブログでこうしてずっと書き続けているが、やはり一冊の本として、これまで考えて来たことを、きちんと形にしたい時期になっていた。勉強不足、知らないことが多い、と言い出したら、多分一生書けないままで終わってしまうだろう。確かに、碩学だが一冊の本も出さない先生、というのも、アームチェア学者の中にはおられる。何を聞かれても答えられるほどの博学だが、学べば学ぶほど、自らが知らないことが多くなり、その事に対して恐れるあまり(=知らないことに誠実であるあまり?)、知るという行為を優先し続けた結果、その知った内容をまとめる、書き表す、という事に結びつかない先達のことだ。
だが、僕自身は、明らかにそういう人とは人種が異なる。
まず、そこまで碩学ではないし、溜め込み続けることが熟成になるとは、僕の場合には思わない。ある程度、出力を続けながら考え続けないと、その知識がどのような意味を持つのか、僕自身にとって何の役に立つのか、わからない。僕はレヴィ=ストロースの言うところのブリコラージュ、つまりは「その場で使えるものを使い倒して何とかする」という思考法でしか、前に進むことは出来ない。であれば、自らが学んだ知識も、実際に自分の人生の中で使いながら、その知識を元に考えて、書き進めながら、その知識の使い勝手を学んでいくしかない、という癖を持っている。だからこそ、ブログにも書き続けてきた。そして、そろそろそれは、ブログ上だけでなく、ちゃんと一冊の本にまとめた方がいい、と思っていた。
そんな時期のお誘いだったからこそ、喜んで引き受けた。
とはいえ、400字詰め原稿用紙換算で300枚、というのは、これまで書いた事のない量である。査読論文などは、だいたい50枚以内が多いが、それだってひーふー言いながら書いている。その6倍である。いくら、博論や幾つかの原稿が元ネタとしてあるから、といっても、そう簡単に書ける量ではない。
それから、今回は書くスタイルも、大きな問題だった。なるべく自らの内側に深く切り込んで、前言撤回的に書き進める、ということが、今回の目標だった。それは、次の警句を、本を書きながら、戒めにしていたからだ。
『長く書いて、かつ飽きさせないためには、螺旋状に「内側に切り込む」ような思考とエクリチュールが必要である。そして、そのためには「前言撤回」というか、自分が前に書いたことについて「それだけではこれ以上先へは進めない」という「限界の告知」をなさなければならない。おのれの知性の局所的な不調について、それを点検し、申告し、修正するという仕事をしなければならない。それがないと、「内側に切り込むように書く」ということはできない。前言撤回を拒むものは、出来の悪い新書の書き手のように、最初の5ページに書いてあることを「手を替え品を替え」て250ページ繰り返すことしかできない。』(内田樹 『140字の修辞学』
僕自身が、ここ最近、「手を変え品を変え」同じ事を書き続ける「出来の悪い新書の書き手」のような状態に、実は陥っていた。それは、以前から愛読している「研究者の悪魔の辞典」という恐ろしくも本当のことが書かれているウェブサイトの「30代の危機説」そのものだ。そんなに30代で成功したかどうかは別として、実はこの1,2年、有り難いことに、執筆依頼が増えている。それはいいことなのだが、その依頼をされる方は、障がい者制度改革に関わっていたという「経験」とか、あるいは脱施設・脱精神病院を研究してきたという「業績」を見られて、依頼して来られる。これらの「経験」や「業績」を評価頂くのは確かに有り難いことではある。だがその一方、それは既に「過去」の事である。この「過去」に基づいて、その過去の延長線上の文章を書いていると、「失敗が起こるのは、たいした種がなくても従来型の依頼に応え続けるケース」という指摘に当てはまっていく。従来型の依頼に応えていれば、それに基づいた文章が生産され、それを読んだ人は「この人はこういうことが書けるのね(こういうことしか書けないのね)」と判断され、それに基づいた同種の依頼が再生産され・・・(繰り返し)。という過去の縮小再生産サイクルになりうる。そして、僕自身が実はその縮小再生産サイクルに陥っていたのだ。
そして、それは本人が一番よく気づいていることだが、ありがたいことに、研究仲間のある人から、その縮小再生産サイクルに入っていた論文について、次のような真摯な一言をいただいた。
『これまでの竹端論文を全て読んできたので、コアなファンの眼では「竹端論文ダイジェスト+新事例」という印象で、新鮮な発見が少なかったからかもしれません。もちろん、一般の読者にとっては、要旨明瞭で、竹端論文の美味しいとこ取りの論文だと思いました。』
これは、実は非常に危険な状態である、という警句と受け止めた。
まず、僕の論文を全部読んで下さる、というだけで奇特な方なのだが、その上で、「新鮮な発見が少ない」とお感じになられた、ということは、もう僕が縮小再生産に傾きつつある、という指摘なのだ。つまり、「手を変え品を変え」、依頼に応えるために、角度を変え、新たな事例を入れながらも、同じ事を書き続けているのである。そう気づいた時、ある社会学の大家の先生に言われたキツイ一言がよみがえった。
「それって、埋め草原稿じゃないの?」
新聞や雑誌で、急に原稿内容の差し替えがあり、空白や余白が出る。今から広告だけで調整できない。そんな中で、隙間を埋めるために書かれた記事や原稿のことを指す。別に僕が依頼されて原稿を書く場合、数時間単位で書き上げる、厳密な意味での「埋め草原稿」ではない。だが、どこかで書いた内容の焼き直しに近い内容であれば、それは読者からしたら、「新鮮な発見が少ない」(あるいはない)という意味で、埋め草原稿そのものではないか。それが依頼主にとっては「埋め草」ではなくても、その依頼を断らずに応じて、それで意図的ではないにせよ業績になってしまう、という心性そのものも、「埋め草業績」を認める何かに通底しないか。そのような警句として受け取った。
実は、僕はあるジャンルでは、それをコンパイルしたら一冊の内容を超える位の原稿量は書き上げている。そして、数年前、事実それを書籍化しようとしていた(=だからこそ、それを欲しい、という人には全部コピーして配れる準備も整っていた)。だが、その束を抱えて、件の社会学の大家の恩師に相談に行った時、ハッキリそう言われた。
「一冊目が、何よりも肝心だ。人は処女作を読んで、こんな事を書いている人だ、とあたりをつける。その一冊目がつまらなかったら、この人は所詮こういう人だと、以後、見向きもされなくなる。だいたいおまえだって、◎◎さんや□□さんがぼんぼん出している本を、ちゃんと読み続けているか? また同じ事を書いている、と思って読まないんじゃないのか? それと同じになっていいのか?」
そう、たしかにその先生が挙げた某二人は、書籍を沢山出しているが、だいたい同じような事が書いてあって、かつ難しいので、いつも放っぽりっぱなしにして、読むことはなかった。有名出版社から出ているのに読めないのは、僕が頭が悪いし勉強意欲に欠けているからだ、と思っていた。でも、もしかしたら、知識は沢山詰まっていても、それが「埋め草原稿」的な、「新鮮な発見が少ない」何かである事を本能的に察知して、読まなかったとすれば・・・。
そう思うと、僕は単著の計画を封印して、少なくとも、そのジャンルでは、しばらくは本を出さない、ということに決めた。何よりも、自分にとって、わくわくとした面白さ、新しい発見がないようなプロジェクトは、新たな論文であれ、単著であれ、したくない、と思い始めていた。
であるがゆえに、この連休中の単著執筆は、本気で必死だった。
書いている自分自身にとって、「新鮮み」や「発見」のない原稿を書きたくない。でも、僕が持ち合わせている知識や元ネタには限界がある。それをないから、と新しい本を読むことに必死になったら、クイズ王的なトリビアとしての「新鮮な発見」はあるかもしれないが、内容的には面白くない。むしろ、「新たな発見」とは、これまで見えている景色を、どう新しく解釈できるか、ではないか。それは、新たな情報を探し続けるネットサーフィン的なものではなく、村上春樹流に言えば、「井戸を掘る」ように、所与の前提とされた世界観の奥底に潜む、誰もが知らない集合的無意識のような闇に潜り込み、その中から、自分でしかすくい取れない視点や考え方を掘り当てて、この世の光に照らし直すような営みでは無いか。そして、その営みこそ、内田樹さんは「前言撤回的」と言ったのではないか。
なので、僕は今回、本を書き始めた時、これまでの論文スタイルから、方針を大転換した。
・誰かを説得するのではなく、誰かに評価される事を期待せず、まずは自分が納得する文章を書く。
・私や筆者という、自分の気持ちが完全に乗り切らない主語は使わず、ブログの時のように「僕」という主語で書く。
・「俺はこんなに知っているぜ」的なトリビアな知識の披露を目的とはしない。ならば、そういう知識の塊を引用で散らすことはやめ、本当に伝えたいことのみをシンプルに書く事にする。
・だから、客観性のルールからも、この際、距離を置く。自らの実存やこれまでの経験、あるいは直観として捉え、あるいは考え続けてきたことを、そのものとして書き進める。
・上記の方針を貫徹するため、「自分の内面の振り絞り」を、著作のテーマにして、前言撤回的に、自分の内側にどんどん切り込んでいく。その中から、見慣れた景色を未だ見ぬ何かに変える地点まで、自らを追い込んでいく。
さて、こう追い込んで、結果はどうだったか?
まだ、250枚の初稿を昨日書き終えたばかりなので、結論はつけられない。でも、現時点での感触として、書いていて、非常に何というか、ある意味、自己治癒的であり、ある意味で、「俺ってこんなことを考えていたんだ」とか「確かにこういう風にも考えられるよね」と書き上がったものに頷かされる展開になっていった。単純に言えば、書いていて、すごく面白かった。これは、「埋め草原稿」的な何か、では考えられない楽しさである。
確かに、依頼された原稿にも、もちろん魂を込めて、最善を尽くして書いてきた。もしかしたら、依頼された編集者の方がこれを読んでおられるかもしれないので、敢えて言い訳では無く、誠実に書きますが、誤魔化して適当に書いたつもりはありません。あしからず!!!
でも、単著、という一つの物語の中で、僕が10年かけて考え続けて来たことを、今の視点で並べ直し、再びその文章に火を入れ、息吹を組成させ、ある部分はばっさり落としたり、あるいは大胆に書き加えたりしながら、一つの物語の文脈の中で再度の賦活化をはかる作業は、実にチャレンジングでエキサイティングだった。ほんとうに、めちゃ面白かった。これを書いている間は毎日、ネットやSNSを見ている暇はないほど、原稿書きに没頭していた。書く楽しみ、という原点にやっと回帰できた連休であった。(逆にいえば、それまで没頭するほどの何かに出会えていなかったのかもしれない・・・)
昨日初稿を書き上げた文章は、しばらく寝かせて、再度頭から書き直そうと思う。なので、ようやく、ブログを書く時間が出来た。実はこのブログも、自分の考えをまとめたり、これまでの未分化だった何かに言葉を与える、という意味で、僕が考え続ける上で、非常に大きな役割を果たしてきた、ということも、今回の単著を書くためにブログを読み返していて、非常によくわかった。自分のサイトで幾つかの言葉に検索を書けてみて、「こんな原稿も書いていたんだ」と改めて気づかされたことも、沢山合った。それが単著の原稿にも取り入れられていくのだから、何だか思いも寄らなかった貯金に助けられてしまった格好だ。(ま、書いた内容をすっかり忘れる、というのも、僕の特性なのかもしれないが・・・)
ほんとうは、今日の講義で取り上げた「認知症ケアと魂」の話を書くつもりで、表題もそう書いていたのだが、どうやらその前に、書くべき事があったらしい。結局その話は次に置いておく、として、今日は楽屋話とでも、メタ文章論とでも、あるいは単なる自己治癒的な文章とでもいうべき、書く楽しみという原点についてのお話しでありました。

問題の一部は自分自身(連作その5)

という表題を痛感する今日この頃。

その事を教えてくれたのは、短期大学の保育科で「地域福祉」の受講生の皆さんたちだ。
実は、この講義は、政治行政学科の「地域福祉論」とかなりの相関性がある。にも関わらず、政治行政学科と保育科では、同じ年の学生が受講してくれるのに、評判が昨年までは全く異なっていた。さて、どちらの方が受けが良かったでしょう?
普通、福祉に興味があるのは、政治行政学科より保育科の学生、と思われだろう。僕もそうだった。でも、蓋を開けてみると、政治行政学科では食いつきがよくても、短大では食いつきが非常に悪いのが、昨年までの通例だった。それは、なぜか?
去年までの僕の仮説は、短大生が内気すぎる、という仮説だった。確かに僕の講義では、毎回のテーマについて、ビデオや資料などを通じて考えた事をワークシートに書かせ、学生さんを当ててその内容を発表してもらい、それに対する問いかけをする中で、講義を深めていく、という形態を取っている。これは、短大でも4大でも、どこの大学でも変わらない展開である。だが、短大生は、去年までは、極度に当てられることを恐れていた。毎回、ワークシートで、「当てないで欲しい」「当てられるのが恐怖だ」というコメントが並んでいた。それに対して、去年までの僕は、短大生が「正解幻想」に囚われていて、間違ったことを言いたくないから、当てられたくないのだ、という仮説を立てていた。
この仮説は、半分当たっている。が、半分は大きく違った。
その最大の間違いは、「問題の一部は自分自身」というテーゼを入れていなかったことだ。つまり、「短大生が悪い」(=僕は悪くない)という他責的な文法で解釈・処理をしようとしていた。これが最大の「問題」であった。
この「問題」に気づいたのは、短大での講義を担当して3年目の今期に入ったときから。どうも僕は短大生にびびられている。そのイメージを変えるにはどうしたらよいか? そこで、第一回の講義では捨て鉢作戦に出た。自分に関する不利益情報や、自分自身が不安に思っていること、困っていることを、一番最初に皆さんにぶつけてみたのだ。
「僕の講義スタイルは、毎回、皆さんが書いてくれたワークシートの内容について、マイクを向けて皆さんのご意見を伺います。その際、『なんで?』と問いかけることがあります。これは、問い詰める訳ではありません。ただ、僕は興奮してくると、つい口調が強くなったり、声が裏返ったりします。すると、問われている学生さんは、『責められてる』と誤解することもあるようです。でも、僕は皆さんをいじめたくて問いかけているのではありません。この講義で扱う地域福祉課題は唯一で正しい『正解』のない問いです。なので、皆さんお一人お一人の率直な声に基づいて、講義をします。当然、僕も価値観を表明しますが、皆さんも価値観を表明して欲しいです。その際、皆さんの価値観が、どういう背景に基づくか、について聞きたいから、『なんで?』と聞きます。でも、繰り返しますが、皆さんを責めるためではありません。いや、むしろ、皆さんと仲良くルンルン講義をして行きたい、と思っています。どうか、怖がらないで、優しく見守ってください。普段の大学での講義は男子が過半数なので、女性の過半数のこの授業で、僕はいつも緊張しています。何百人の聴衆の前で講演するより、今、テンパっているかもしれません。なので、どうぞよろしくお願いします。」
我ながら阿呆だ、とも思うが、どうせなら思っている不安やためらいを全部最初にぶちまけてしまった。
すると、どうだろう。今年の学生さんは、すっとその事を受け止めてくれ、かつ過去二年間とは対比にならないほど、リアクションもよい。毎回の授業での、やりとりの内容も深まっている。理解度も高く、学生さんからの発言も、より深いものになっている。今日の講義も、学生さんのリプライがあまりに興味深かったので、その内容を突っ込んで一緒に検討しているうちに、これまでの講義で考えた事もないことが浮かび、それを整理している僕自身が興奮しながらしゃべっている、という事態だった。そして、その様子を、後から学生さんが、「今日の講義は非常に面白かった」と伝えてくれた。
何が違うのか。それは、たぶんようやく僕自身が、学びの回路を開く、つまり、学生さんからも学ぼうという器が出来、真摯に向き合い始めたのだと思う。
ちょうど、今、パウロ・フレイレの『新訳 非抑圧者の教育学』を読み直している。前のブログでも触れたが、フレイレは教育には「銀行型教育」と「問題解決型教育」がある、という。教える側は知っている人、教わる側は無知の人、だから一方通行で知識を詰め込めばいい、というのが銀行型教育である。一方、問題解決型教育とは、教える側と教わる側の真の対話から、共に学び合い、成長し合う中で、世界に対する見方を変えていく学び、とでも言えようか。この二つが大きく違うのは、教える側の方が、自らも学ぼうとするか否か、の違いである。
そして、そのことは「学びの回路を開く」という事とダイレクトに繋がる。僕自身、去年まで、短大での講義の時に、自分自身の「学びの回路」を部分的にではあれ、閉ざしていた。「短大生は○○だ」と臆断と偏見による都合の良い合理化を行い、その合理化に基づいて、ゆがんだ認識を行い、その認識に基づいて対応していた。また、僕自身がその歪みを学生たちにかぶせたので、学生たちはその呪縛の悪循環サイクルから抜け出すことが出来ず、結果として「タケバタは怖い先生」「この授業はしんどい」という臆断が既定事実化していった。つまり、問題構造を創り出したのは、他ならぬ自分自身であり、悪循環のサイクルに火をつけ、加速させたのも、僕自身であったのである。なんたるマッチポンプ!
そう気づいた後、結局当たり前のことだが、自分自身がまず変わろうとした。「問題の一部は自分自身」。ならば、他人を変えようとする前に、まず僕自身が変えるべき点を洗い出し、それを一つ一つこなしていくしかない。そう思って事態に取り組んでみると、あっけないほどがらっと学生たちの対応が変わった。去年までの学生さん、本当にすいません。おろかなのは、あなた方ではなく、私自身でした。
僕自身、この学びの回路を、教える側である学生さんに開いたからこそ、学生さんからプラスのフィードバックを頂き、その返礼に促されて、授業がルンルンと展開でき、そこから次のフィードバックとして、講義における新たなつながりや関連性の発見へと繋がった。そう思うと、悪循環から好循環へと循環回路を切り替える為に、まず自分自身の循環性そのものに気づき、それをプラスに切り替える一歩を自分から押すべきだ、という、こないだ読んだ『悪循環と好循環』の定義そのものだった。読んだだけでは、中々学べない。自分自身の実践での躓きを通さないと、そこから痛い思いをしないと学ばない。だが、マッチポンプ構造に気づいて、それを変える為に自覚化すると、変わらないと思い込んでいた構造が、丸ごと変容する。そういうダイナミズムを、講義という場面で感じた4月末、であった。

制度の自己組織化

中途半端な研究者(僕のような)より遥かに鋭い視点で問いかけをされるとみたさんが、次のような深刻な指摘をしておられた。

「制度の制度化」とでもいうのだろうか。ことば遊びのようだが、介護保険や障害者自立支援法の「制度」を利用・使用するために、「制度化されたルール」にのっとらないといけなかったり、制度を利用するためにさらに制度を利用しなければならないという循環に陥る。その一つは市場のルールである。
制度について、私のまわりにいる幾人かの人たちが、最近なんともいえない自分たちの違和感を訴えているが、私も含めてそこからお金をもらっている限り、その制度化の循環からは逃れられない。そのことは個人的には意識的でありつづけたい。だからこそ、どう「制度化」されたふりをして制度をつかうかというけとになるのだろう。
しかし、もう戦艦大和にのるしかないところまできているような気がしてならない。
僕はそれを読んでいて、「制度の自己組織化」という言葉が浮かんだ。
あるモデルなり実践例を抽象化して、制度が組み立てられる。自立生活運動から生まれた重度訪問介護、作業所運動から発展した!?地域活動支援センター、宅老所ムーブメントから出てきた介護保険の小規模多機能型。どれも、実践例の抽象化、モデル化、構造化である。だが、その抽象したシステムとは、ムーブメントが持っていた息吹や魂の捨象を伴う。いや、制度に組み込まれる、ということは、とみたさんの言うように、「制度の制度化」、あるいは「制度の自動律」「制度の自己組織化」が始まる。つまり、制度のもともと内在的に持つ志向性や動きに、取り込んだ新たなものも吸い寄せられてしまう。つまり、制度化する以前にもっていた、作業所運動なり自立生活運動なり、宅老所のダイナミズムのようなものは、より大きなシステムである「制度」の規範性の中に取り込まれ、そこに適合的でないものは、捨てられてしまうのだ。
これはどういうことを意味するか。
「制度の自己組織化」とは、「制度」の生存戦略、とでもいえようか。生物学的な比喩を用いれば、「制度」自身が淘汰圧を超えて生き残るために、様々なものを切り捨て、新たなものを取り込んでいく様相を思い起こす。その際、目新しい動き、時代に先駆けた展開も、キャッチアップして取り込んでいこうとする。先述の様々な運動の中から出てきた実践例の取り込みも、その一例である。
だが、この際、気をつけなければいけないのは、あくまでも「制度の根幹」を変えることなく、自らの制度に都合の良いように、新たなな何かを取り込む、ということの問題性である。ここは重要なので繰り返して述べるが、新たな何かを制度に取り入れるとき、特に日本の社会福祉の領域では、制度適合的な部分が選択的に取り入れられ(あるいはそうなるようにモデルが改変され)、それ以外の、特に制度の根幹への根本的な問いは、きっぱりと選択的に忘却される。制度が実情にあっていないなら、その根幹も含めて変えよう、という反省的な営みはそこにはない。実情がどうであれ、制度「さえ」生き残ればいいのだ、という意味での「制度の自動律」であり、「制度の自己組織化」戦略である。それゆえ、制度に取り込まれた新たなモデル、というのは、残念ながら制度化された時点で、その本質を失う運命にある。なぜなら、実情に合わせた支援をしたい、という新たなモデルの理念そのものが、制度化では捨象されてしまうからである。
そして、僕自身が今一番疑いのまなざしを向けているのは、官僚は何のために働くのか、という部分である。本来、制度とは、人々の幸せを導くための方法論であるはずである。その方法論が、現在の実情とずれたなら、方法論を変えて実情にそぐうようにする。これは、誰でもわかる話である。だが、ブログでしつこく書き続けた障害者制度改革の例を挙げるまでもなく、わが国の官僚制システムの中では、その方法論の維持こそが絶対的な目的とされ、実情とのズレは「仕方ない」と目をつぶってしまう。このような、方法論の自己目的化、としての「制度の自己組織化」が実に進展していると思う。とみたさんが「戦艦大和にのるしかないのか」という悲観は、この方法論の自己目的化の自壊的作用についての悲観なのだ。
ではどうすればいいのか?
僕はその処方箋を持っていないが、少なくとも、こうやってその「制度の自己組織化」の逆機能や問題点、方法論の自己目的化の自壊的作用について、指摘し、警鐘を鳴らすことから始めるしかない、と思っている。まずは、その問題性を言語化すること。その違和感を共有すること。それではだめだ、という認識を広げること。迂遠にみえても、ここからはじめるしかない、と思っている。そして、総合福祉部会の骨格提言のように、愚直に見えても、理想論と言われても、「制度の自己組織化」に歯止めをかける提言をし続けることからしか、光は見えないと思う。
制度は、ぬえのように自己組織化を突き進める。ジョージ・オーウェルの「1984」的世界は、今の介護保険制度の自己保身的態度やそのとばっちりとしての自立支援法への固執の論理と、人々の幸せより制度の自己組織化を優先する、という意味で通低する要素があるような気がしてならない。テクノクラートは、何のための技術者なのか。市民の幸せのためか? 制度の自己組織化維持のためか? この本質的な問いを、本当に問うてみるならば、答えはおのずと出てくると思うのだが・・・