本の数珠繋ぎ

 

昨日まで怒濤の日々で、身体がへたっていた。お盆も飲む予定があるので、ここらで一つ休肝日。中野翠の『会いたかった人、曲者天国』(文春文庫)を読みながら、久しぶりに風呂読書をする。クーラーに飲み過ぎににオーバーワークに、と、へとへとになっていたのだが、ゆっくり風呂に浸かる余裕もここしばらくなかった。汗をたらたら、エッセイの名手の誘いで、明治から昭和期の「いぶし銀」的な人物評伝を何十人分も読み進める。仕事に関係のない本ほど、頭の中がさっぱりすることはない。1時間半ほど浸かって、酒を抜き、早く寝ると、何とか今日は体力を持ち直した。

この中野翠の本、だけでなく、夏休み用にと今まで食指を動かさなかった著者の本を、アマゾンの古本屋やあるいは丸善などで10冊ほど、購入。全ては米原万里『打ちのめされるようなすごい本』(文春文庫)を読んでしまったばっかり、である。月並みな言い方を敢えてすれば、この本にこそ、「打ちのめされ」た。

佐藤優の本を色々読んでいて、米原万里への尊敬を込めた書きぶりが気になっていた。そういえば、昔ブロードキャスターに出ていた陽気なおばさん。そんな断片的知識で、まずは『言葉を育てる米原万里対談集』(ちくま文庫)を読んで、人となり、そしてかなりの読書家であることなど、何となく知っていた。しかし、これほど「読ませる」書評家だとは、全然知らなかった。例えば、ぱらりと開いただけでも、

「発見の驚きと喜びに満ちた本だ。読了後、付箋を付けた頁の方がつけない頁を上回っていることに気づいた。その付箋が、私の眼から剥がれた鱗にも見えてくる。」(p321)
「『通訳になるにはどのくらいの語学力が必要なのでしょうか』と尋ねられるたびに、私は自信満々に答えている。小説を楽しめるぐらいの語学力ですね、と。そして、さらに付け加える。外国語だけでなく、日本語でも、と。」(p465)
「旅に似て、魅力ある本はこちらの心をまたたくまに日常のしがらみから解き放ち異なる時空へ運んでくれる。だから旅に持って行く本にはくれぐれも注意を要する。せっかく高い旅費を投じ時間を捻出して肉体の方は秘境を訪れているというのに、心の方は飛行機の中で読み始めた長編推理小説の部隊である大都会の片隅を彷徨っているなんていうお馬鹿な経験が私にもある。」(p438)

短文で、簡潔。かつ、ぐいぐい読者を引き込むスピード感と、落語のような味わいのあるオチ。話芸でも、文章でも、ここまで書けるひとはそう多くない。そんな「目利き」が選んでくれた書評集なのだから、自分の目が見開かれる本、読んでみたい本がわんさか詰まっている。そして、彼女が面白い、という本は、ほんとに面白かったりする。読書音痴にとって、こんな有り難いことはない。

小さい頃は福音館書店の絵本(こどものとも、かがくのとも)を毎月買ってもらうのが楽しみだったのだが、小学校以後、ルパンシリーズや「ズッコケ三人組」以外の「名作」は読まずに、特に小学校高学年以後、トラック雑誌!電車雑誌写真雑誌、とオタク系趣味雑誌ばかり読んでいた。途中で星新一のショートショートなり、北杜夫のエッセイなど読んでいたが、生活の一コマにオタク系雑誌以外の本を読み出したのは、高校生とか予備校生から、だったろうか。相当の遅咲きであり、特に大学時代は、岩波文庫や講談社学術文庫なんぞをめくっている友人や、名前は知っていてもまだ読んだこともなかった村上春樹の世界に18歳で入り込んでいた友人などに圧倒され、自分の無知や空虚さを少しでも埋め合わせようと、焦り始めた。

そんな青年タケバタは、「こいつは面白い」と感じた友人・知人・先生に出会うと、片っ端から「何かお勧めの本はありませんか?」と聞いていった。村上春樹の全集二箱を買ってしまったのも、丸山真男や大塚久雄を囓ったのも、パール・バックの「大地」の続編を探しに雪道をチャリで本屋巡りしたのも、皆、「読書案内」してくれる先達のお陰、である。

そんな読書後発組にとって、米原さんのような乱読家は憧れの的。予備校生時代に図書館で借りて読みあさった森毅先生のエッセイと同型の縦横無尽さと、独特の「おばさん感覚」的な親しみやすさ、それにプラスして専門のロシア関連の書籍を紹介する際の深い洞察力、それに上記でさわりを紹介した、キレとコクのある文体。こういう書き手には、本当に憧れる。

こう書いていて思い出したのだが、高校時代に、家の近所に吉祥院図書館ができた事が大きかった。何せ、誰も借りていない新刊の本がどかんと置かれた図書館。そこから、本格的な読書が始まったのかも知れない。当時はエッセイがとにかく好きで、上述の森毅先生や北杜夫、遠藤周作、椎名誠のエッセイを読みながら、エッセイストに憧れた。河合隼雄の『こころの処方箋』(新潮社)やユングの『個性化とマンダラ』(みすず書房)に出会ったのも、上野千鶴子と中村雄二郎の往復書簡『人間を超えて』(青土社)や森岡正博編著『「ささえあい」の人間学』(法蔵館)、山口昌男の『人類学的思考」(筑摩叢書)に出会ったのもこの図書館だった。具体的な学問の中身、よりも、学そのものに憧れていた10代後半だったから、山口昌男の博覧強記ぶりには、文字通りぶったまげた記憶もある。そう思うと、大変なる学恩をこの図書館には感じる。

こんな本話、を書いていると、つかの間のお盆休みのお供に何を選ぼうか、楽しみになってきた。久しぶりに数日間、仕事以外の本に耽りゆこう。

ツアーを終えて

 

今日はスーパーあずさのひと、である。しかも、久しぶりに塩尻からの最終便、である。この週末もツアーに出かけていた。なかなかハードなツアーであった。

昨年度から関わっている三重県の相談支援体制整備・強化のお手伝いの仕事の一環で、今年は鳥羽市の自立支援協議会立ち上げのお手伝いにも関わらせて頂いている。関東の人は鳥羽と言ってもピンと来ない人もいるようで、木曜の飲み会でも???という表情の方もおられたが、関西人にとって伊勢・鳥羽・志摩といえば、南紀白浜と共に、海水浴にバカンスに、と憧れの地。まさか観光地に仕事で関わるとは思ってもいなかった。そして、関わってみると、いろいろな問題がわかってくる。数多い離島への支援問題、既存の社会資源の少なさ、支援体制の脆弱さ。だが、これらの難点を跳ね返そうとする勢いが、金曜の自立支援協議会準備会の議論でも散見された。そういう息吹を、システムに、制度化にどうつなげていけるのか、ここしばらく月刊鳥羽、となりそうだが、実に楽しみだ。ちなみに、打ち上げ時に頂く刺身も勿論格別である。

さて、オモロイ現場で関わらせて頂くのはありがたいが、大変なのが移動。その日は鳥羽市のアドバイザーを務めている、恩師のK先生とご一緒するので現地で打ち合わせが必要だったのだが、集合時間が正午。で、山梨から朝一番の「かいじ」「ふじかわ」に乗っても、その時間にたどり着けない。そこで、木曜の飲み会は中座して、最終の「スーパーあずさ」で八王子新横浜まで出かけ、前泊! 津や大阪なら5時間の移動で、鳥羽ならさらにプラス1時間の6時間。津なら朝一番でも間に合うのだが、たかが1時間、されど1時間、を実感した。

そして、土曜日は藤井寺まで帰るK先生と大和八木まで近鉄特急でご一緒し、僕はそのまま京都まで。月曜午後に梅田でワークショップの打ち合わせが元々予定に入っていたので、週末は久しぶりに実家に滞在する。そして、3月以来関西にご縁がなかったので、あれやこれやを土、日、月の午前とぶち込んでいく。土曜のお昼は京都駅で研究者の友人Sくんと議論をした後、梅田に場所を変えて、「大阪のお母さま」と再開。9月の仕事の打ち合わせもそこそこに、現場の課題についてあれやこれやと議論をしている内にあっという間に3時間。その後は友人Eくんの新居+愛娘へのご挨拶に逆瀬川(宝塚)まで北上する予定でいたので、汗をかきかき、阪急梅田駅から電車に飛び乗る。

日曜午前は友人Nくんと某所訪問の後、京都駅の近鉄名店街の「鳥八」で昼酒をあおる。日曜は朝から照りつける日差しにやられていたので、ビールが死ぬほどうまい。で、その後、梅田で別件の打ち合わせをした後、いつものコスパで久しぶりに店長と団らんしながらワインを15本!(自宅に送る12本+実家に持って帰る3本)を頼み、その後は甲子園口で散髪。ここしばらく関西に来れなかったので、山梨で仕方なく髪切り屋に6月、入ったのだが、これが大失敗。某理容日本一を名乗る店なのだが、まあ流れ作業で雑に刈るし、美容室と違って顔剃りしてくれるのはよいが、クリームをケチった為、あごは血だらけ。中に入って床屋の台座に座った瞬間、その失敗が予感されたのだが、もう手遅れ。つくづく馴染みのヤマツタさんにこれほど感謝したことはなかった。その後悔の念も、きちんと日曜日に告白し、安心して切ってもらう。たかが散髪、されど散髪、である。

で、今日午前中は大阪府内の障害者支援施設を訪問。そこでの職員研修についてお手伝いして欲しいと言われ、現状についてお話を伺う。何だか最近、あちこちで研修の仕事をさせて頂いていて、自分の研究課題にもこの職員エンパワメントが1項目として加わっているのだが、これも「成り行き」といえば成り行きだし、自然の結論とも言える。以前から、福祉施設において、当事者への支援に本気になっている人が、一方で同じ施設の同僚支援者への目線が必要以上に厳しいことが気になっていた。支援を職人芸に高めている支援者ほど、一方で職人同士の評価が厳しいだけでなく、「技術は盗んで覚えよ」といった徒弟制度的手法で居るような気がしてならなかった。当事者だけでなく、支援者もエンパワメントされないと良い支援は出来ないはずなのだが、その部分が個人の資質の問題に矮小化されているような気がしていたのだ。障害の社会モデルの観点に立てば、支援者の支援内容や力量だって、支援施設の組織論や研修体系によって社会的に構築される(放置される)側面も少なくないと言うのに

そんな思いを、支援現場で15年以上突っ走って来られたAさんと共有出来たのは、僕にとっても大きな収穫だった。そして、「どうせならワクワクする研修をしたい」という思いも。最近このブログでも書いているが、人は「説得ではなく納得」でしか動かない。その際、ダメだダメだと非難や批判をされて、それで納得するのは、よほどお利口さんかマゾ的な嗜好性のある人でないと、続かない。だからといって、安直な「ほめて育てる」と同化するつもりもないが、でも、批判や非難だけでなく、建設的でポジティブな提案に基づく何かがあった方が、多くの人の納得を導きやすい。そう思っていたので、「おもろい研修をしよう」という提案がすっと相手に伝わり、僕もワクワクしてきた。そう、夢と希望がないと、ね。

で、るんるん気分で梅田に場所を移し、午後1時からの別件の打ち合わせから逆算すると、15分しか余裕はなかったのだが、紀伊国屋書店の梅田店に一応寄ってみる。最近あまりご縁がなかったのだが、るんるん気分が同調してか、15分で6冊ほどの本をゲット。気分が良いとこんな事もあるのである。さっさと大学宛に郵送手続きも済ませ、4時まで侃々諤々の議論をした後、新大阪まで急いで戻り、パートナーがご所望の551のシュウマイと餃子もゲット出来て、名古屋までの「のぞみ」では熟睡。次の「しなの」で〆切間近の原稿と格闘して、振り子電車特有の揺れに気持ち悪くなりながら、何とか原案を仕上げて、スーパーあずさの人になった。しかも、これは木曜の夜に乗った同じ列車なのである。

まる4日、よう頑張った。でも、明日も朝からみっちり仕事。今宵、僕より先についているはずのコスパのワインで旅の疲れを取って、早く寝ることにしよう。

単なる宣伝を超えて!?

 

昨日今日とオープンキャンパス。未来の学生さん達に出逢える大切な機会である。

昨日一緒のブースで対応した同僚と、「自分たちの時代にはオープンキャンパスなんて無かったよね」と話す。赤本や合格体験記、大学の入試案内パンフレットといったごく限られた情報で、4年間という大切な期間の所属先を決めるのだから、よく考えたらバクチ的要素があった。まあ、僕自身は、たまたま合格体験記に書かれていた「変人科」という名前に引かれて、人間科学部の門を叩く、という、相当リスキーな選択肢をしたのだが、結果的に今、大学の教員になれているのも、その選択肢が間違っていなかった、のだろう(多分)。

今の受験生は、大学に来て、教員や在校生と話したりするなかで、その雰囲気を感じることが出来る。どこの大学だって、学生囲い込みの側面がこのオープンキャンパスにあることは否定出来ないが、でも、その現場に行き、そこにいる人々のお顔をみて、雰囲気を感じると、宣伝している内容以外の、言外の何か、が感じ取れるはずだ。今日来て下さる方々も、そこでこの大学に対するよい雰囲気を感じ取ってくれたらよいのだが

さて、バタバタしているうちに、告知をし忘れた、大切な情報を二つ、ご紹介しておきます。

一つ目が、山梨県障害者自立支援協議会の平成20年度報告書がようやくネットでアップされました。
http://www.pref.yamanashi.jp/shogai-fks/jiritsushien-kyougikai.html

昨年2月からスタートさせ、市町村に権限が委譲された時代にあって、県単位で出来る「広域的・専門的支援」とは何か? 当事者主体や権利擁護支援を本当に官民協働で議論出来るのか? 形式的会議で終わらせないために、どうすればいいのか? そういった課題や宿題が山積し、昨年1年間、やりながら、悩みながら続けてきた同協議会の報告書。通常の審議会や協議会より、泥臭い記述が多いかも知れないけれど、その分、現場のリアリティに基づく何か、が記載されているのではないか、とちょっぴり自負している。

もちろんこれは通過点であり、来月8月10日に開かれる、県内全ての地域自立支援協議会と山梨県障害者自立支援協議会の「合同協議会」で、この内容も報告し、併せて地域の側からも提言を受け、一つでも二つでも、実際の課題に取り組んで、成果を上げていくための土台が出来ただけである。でも、プロセスとしての中間報告を出しておくことの大切さを、玉木さんが座長を務める西宮市から多く学んだ。市町村ほどダイレクトに課題に接していない分、少しパンチは弱いかも知れないけれど、ご笑覧くださいませ。ちなみに、泥臭さで言えば遙かに泥臭い内容として、私と今井志朗さんという二人の特別アドバイザーの二年間の活動報告も、ついております。こちらは、二年間の学びをまとめた、「宿題」提出のような気分で書きました。

で、書き物について、大切なもう一つの御報告が。次の本が出来ました。

「障害者総合福祉サービス法の展望」
茨木尚子・大熊由紀子・尾上浩二・北野誠一・竹端寛 編著
出版社名:(株)ミネルヴァ書房、発行年月日:20097
ISBN
コード:978-4-623-05519-7
ページ/サイズ:
368p/A5
販売価格:3,150円(税込)

自画自賛ではありますが、良い本になっております。リンク先のDPIHPに目次も記載されていますが、90年代以後の20年間の障害者福祉政策の激変を振り返り、自立支援法以後、すっかり忘れ去られてしまった観のある地域生活支援のうねりや、社会福祉基礎構造改革、支援費に到る経緯やその背景分析などが、ちゃんとなされています。また、介護保険との関係についても、相当突っ込んだ議論をした上で、第三部で自立支援法を批判するだけでなく、では何が必要なのか、の対案を示すべく、努力してきました。ここ数年、DPIの研究会でずっと議論してきた内容をまとめた成果でもあります。僕は個人的に、障害者福祉の分野での、今や古典的名著とも言える「自立生活の思想と展望」(定藤・岡本・北野編、ミネルヴァ書房)の続編とも感じているのですが

3000円を超える、とは高い本になってしまいましたが、その価値は十分にある、はず。なので、良かったら、お手にとってくださいませ

と、うだうだ書いているうちに、今日の大切な宣伝ミッションである、オープンキャンパスの打合せの時間であった。では、この辺で。

二重の誤解

 

久しぶりに、何も予定のない三連休。こういう時でなければ、出来ないことがある。

例えば、観葉植物の植え替え。あれは確か7年ほど前のこと、大阪のお母さまと勝手に思慕させて頂いているMさんから、観葉植物の株を分けて頂いた。その名は、確かドラゴン・ツリー。日光さえきちんと与えていなければ、あまり水やりをしなくても、すくすく育つよ、といって、Mさんのご自宅で見せて頂いたのは、天井に届きそうなほど、大きな鉢植えに育った立派な「樹木」。その一部を株分けして頂いたのだ。

以来、西宮時代に一度、近所の花屋で植え替えを手伝ってもらい、山梨に来て二年目くらいに、大学の近所の花屋で一回り大きな鉢植えに植え替えて、幹はひょろひょろではあるが、育ってきた。窓際の隅、と言っても、あまり日もあたらず、家主(=つまり私)は気が向いた時しか水もやらず、夏は締め切っていたら30度以上はある暑いマンション最上階で暮らしているのに、何とか枯れずに育ってきたのである。バジルを枯らし、クワズイモも根腐れ、サボテンまで枯らしたこともある我が家では、例外中の例外と言うべき快挙。食卓では切り花を切らさぬようにしているが、それ以外では我が家の唯一の生存する緑、である。

この貴重な観葉植物は、どうも最近よりひょろひょろ伸びていき、以前買った接ぎ木も越してしまった。そこで、ようやくこの連休のタイミングを利用して、以前酒折にあった花屋の本店に電話して持ち込む。今は昭和町に移動したので車で30分ほど。たった30分、なのだが、この面倒くささを乗り越えるには、たっぷりとした時間的余裕が必要なのだ。

で、専門家の前に持ち込んでみて、二重の意味で誤解していることがわかった。

誤解その1:植え替える必要はないこと。
ひょろひょろ長く伸びる様子を一目見て、オーナーとおぼしき女性が一言、「日照不足ですね」。日の光が少ないから、光合成をする断面を増やそうと、ひょろひょろ伸びているのだ。だから、茎も痩せている。故に、植え替えも必要ない。下手に大きな鉢に入れると、水がなかなか下まで落ちず、逆に根腐れの原因になる、とのこと。今は茎も根も大きく育てるのが大切なようだ。よって、ひょろひょろ伸び、の対策も、変わってくる。一本の添え木を外し、4本の竹を鉢の四隅に差し込んで、もう一方の端っこを真ん中でまとめてツリー上にしたものに螺旋階段的に巻き付けるべし、とのこと。こうして、幹が太くなるのを待った方がよいそうだ。なるほど。

誤解その2:名前の間違い。
ドラゴンツリーと信じ込んできたのだが、花屋に行く前にネットで調べてみると、そんな名前は出てこない。なんだろう、と思ってお姉さんに聞いてみると、「姫モンステラ」と書いて鉢に刺してくれた。7年間も、名前を間違っていたのですね。たいそうスンマセン。

というわけで、指導料も払えないので565円の液体肥料だけを買い求め、帰りにホームセンターで竹を買い、今日は我が家で補強作業と水やりをしてみたら、少しずつお元気になってこられた。もう少し光も当てて、我が家の「姫」が育つ支援が必要なようだ。

エビの真実

 

今日はまだ時間が早いので、最終とは言っても、「かいじ」ではなく「ふじかわ」の人である。三重からの帰り道、と言えばいつも6時か7時頃まで打ち合わせをして帰るので、東京経由になる。だが、今日は5時前には打ち合わせが終わったので、何とか静岡経由での最終列車に間に合った。それにしても、昨日今日は濃厚だった。仕事のついでにお伊勢さんにお参りまでしてきたからである。だが、この話に入る前には、前段の「尾ひれ」が必要だ。

時計の針を先週に戻すと、先週の木曜日、干し草かブタクサの花粉にやられ、朝からヨークのホテルで死にそうになっていた。近所の薬局で症状を訴えると、「ヨークは盆地だから特に花粉症が酷いのよ」とのこと。早速市販薬を飲んで、少しするとだいぶ症状が緩和されてきた。

水曜午前で終わるエジンバラの学会(SPA)から金曜朝から始まるシェフィールドの学会(EASP)への移動日で、木曜は半日程度の休日。前日の夜はヨークの美しくコンパクトな中心街を一人でほっつき歩き、フィッシュアンドチップスを食べ、パブで一杯のお勧め地ビールを求めてハシゴした。そんな優雅な夕べだった故、ホテルの部屋に戻った夜中以後の急激な鼻づまりと絶不調は、天国から地獄そのもの。まさに身も心もクタクタになり、絶望的な気分だった故、朝10時に飲んだ抗アレルギー薬は、まさに「藁をもすがる」気分。1,2時間でぴたりと症状が止まったのは、本当によかった。

で、そういう絶不調からの回復期、せっかくヨークに来たのだから、とヨーク大聖堂に出かける。国内有数という大聖堂に佇まい、ぼんやりしていると、ひんやりした空気も手伝って、ようやく落ち着きを取り戻す。やはり、『土地の神様』にご挨拶するのは大切なことだ。

で、そうやってヨークの記憶がはっきりしていた月曜日の帰国後、一週間ため込んだ新聞記事を読んでいて、書評欄で井上章一氏の新作が出ていた。その名も、『伊勢神宮』。その記事を見た瞬間、ふと心によぎった。あ、昨年来しょっちゅう三重に出かけているのに、お伊勢さんにご挨拶に行っていないよな、と。しかも今週金曜の鳥羽での会議は、午後5時に着けばいい。早めの列車に乗れば、3時間は伊勢に滞在出来る。このチャンスを逃したら、次はいつかわからない。それが、急遽決まったお伊勢参り、につながったのだ。

実は伊勢神宮も、イギリスと同じ96年に訪れているから、奇しくもちょうど13年ぶりの訪問であった。正月の幕の内に友人と訪れている。だが、その時は内宮しか出かけず、かつ人が多くてほとんどその記憶も残っていない。今回は、伊勢市出身の県庁職員のアドバイスを受け、ちゃんと外宮から内宮へとお参りするプロセスを踏む。先週のヨークもその時期にしては異常なほど暑くて参ったが、今週の伊勢はムシムシしていて汗びっしょり、となる。しかし、手順を踏んだお参りをしていく中で、気持ちはすっきりしていく。

それにしても、予想以上の人の多さ。未だに伊勢神宮が引きつける魅力の大きさ、を感じずにはいられなかった。おかげ横丁で赤福なんぞをつまむ時間的余裕はなかったが、まずはきちんと本意を達成出来た事に大満足。徒然草に出てくる、石清水八幡宮の入口で引き返した「仁和寺のある法師」にならずに済んだ。

そういえば、行きの伊勢神宮予習本で、「仁和寺のある法師」のような間抜けなお坊さんの話を読んだ。(残念ながら井上章一氏の作品はアマゾンですぐに買えなかった)

「なぜ僧侶は普通の人と同じ場所で参拝出来なかったのか。それは僧侶が死の汚れに触れることが多いとされたからである。神宮は死を来れった。後で書くが、神道が理想とする『永遠に生きる』という理念に死ぬということは反する。現実には避けることのできない死という現実をできるだけ遠ざけたいとして、どうしても死者に接することの多い僧尼に遠慮願ったのだろう。でもそれは厳格になされたわけではない。(略)江戸時代にはお坊さんも鬘をすれば参拝できることとなり、宇治橋前に貸し鬘屋ができたという。当時は鬘のことをエビといった。そこでエビを着ければ参宮できると聞いた坊さん、つるつる頭に伊勢海老をくくりつけたという笑い話も伝わる。」(矢野憲一『伊勢神宮』角川選書、p130-131)

「仁和寺のある法師」といい、「つるつる頭に伊勢海老」といい、こういう僧侶のそそっかしいエピソードは、思わずクスリ、ときてしまう。そして、僕自身もスノッブで、かつ思いこみも決めつけが多い方だから、こういう勘違いをしてしまうなぁ、と思う。そういえば、帰りの名古屋駅の売店で買った本の中に、そんな決めつけに対する戒めのフレーズも見つけた。

「『自分の正体を明らかにせよ』
言語と同じくらい私たちの存在に染みついた、生存のための方法論。だからこそ、私は声を大にして、『正体を明らかにするな』と若者たちに言いたいのだ。心の中に青春の残り火を懸命に維持している大人たちにも呼びかけたいのだ。生命の本質は、異質なベクトル間のバランスのダイナミックスにある。たとえ、『正体を明らかにする』ことが市場の要請だとしても、『正体を明らかにしない』という衝動と釣り合って、はじめて私たちは生命を全うすることが出来る。」(茂木健一郎『疾走する精神』中公新書、p173)

そういえば、前々回のブログにも書いたが、前回ヨークや伊勢神宮を訪れた13年前。僕はまさしく「自分の正体を明らかに」したがる人間だった。早く認めて欲しい、少しは尊敬してもらいたい、社会の中に自分の活躍出来る居場所が欲しい。そういった若さ故の焦りと不遜な思い上がりに支配され、「自分の正体」はこれです、と決めつけ、それを売り込もう、認めてもらおう、と必死だったのかもしれない。その時は、自分の専門性のなさが非常に嫌で、早くひとかどの人物になりたい、早く何らかの専門家の入り口に入りたい、と焦っていたのかもしれない。

だが、13年後、今の段階でも結局『正体を明らかにしない』というか、それが出来ていない。未だに自分が専門家かどうかアヤシイし、よしんば専門家の片隅にいたとしても(一応そう世間で規定されているようだ)、一体何の専門家なのか、よくわかっていないし、説明出来ない。専門は?と聞かれ、その時々で障害者福祉論とも福祉政策とも社会福祉とも答えるが、どれも中途半端だし、どれも強く主張は出来ない。そのことで、自分の中での欠落感や未熟さを感じることは、少なくないし、ブログに書き続ける自己反省的言及に、それが如実に表れている。(それを見て、いつものくどさ、と思う方もいるかもしれないが)

だがそんな中でも、こうして山梨や三重でご縁を頂き、エンパワメントや支援に関わる仕事をしている。多少なりとも、現場にお役に立っているようだ。そこから考えると、中途半端な自己定義、というなの「決めつけ」が、自身の存在や考え方に限界を規定することでもあるのではないか、とこの茂木氏の文章から感じる。そして、自分への決めつけが、他者への、社会への決めつけへとつながる。そこから、「つるつる頭に伊勢海老」というお笑い種が生じる。周りから見れば、本人が至って真面目に伊勢海老をくくりつけているのが、可笑しい。だが、視点を変えれば、そういう「決めつけ」を正当化した人ほど、他人に指摘されて逆上する可能性が少なくない。「これが正しいはずだ。何が悪いのだ」と。

うねうね書き続けて来たが、「つるつる頭に伊勢海老」を、僕自身が真顔でしてはいないか? 13年前の愚かさから、少しは成長したか?という以前の問いに戻る。戻る、というより、自分の好きなフレーズで言えば、拡大する螺旋階段的上昇が出来ているか、ということ。同じ地点に戻ってきたようでいて、前回より半径が広く、より高みに昇れているかどうか。そういう位相の違いが、13年前とあるかどうか? それがなければ、「つるつる頭に伊勢海老」を今もしていることになる。さて、僕は以前と違って、少しはエビの真実に気づきはじめたのだろうか。

恥をかいて知る

 

 何でこんなにうまくいかないのだろう。そう疑問を持ったとき、まず自分の思慮不足と努力不足を疑った方がいい。今回の場合も、典型的な僕自身の努力&思慮不足だった。

 1週間たってすっかり記憶が忘れかけているが、先週の金曜日、イギリスのシェフィールドで開かれた社会政策関連の学会で、口頭発表を行った。その際、分科会発表だったのだが、私の発表時に聞いておられたのが8~9人。そして、質問をしてくださったのは、司会者を除くとわずか一人。しかも、日本人。もちろん、その日本人のFさんとの出会いは良いご縁だった。海外を拠点に研究をされている志ある人と出会える、というのは、こういう国際学会の良いところであり、昨年の台湾の学会で出会ったKさんとは、エジンバラでもご一緒させて頂いた。それはそれでありがたい。

 ただ、日本人以外の人に理解されない、興味を持たれない。実はこの学会発表の母体となる発表は、6月に名古屋で開かれた学会で発表していたのだが、その際は、今までの経験の中でもかなり良い評価や反応をもらった。それ故に、また英語故に気合いを入れて準備をしていた故に、他国の参加者からの興味や反応がない事に、とほほ、となっていたのである。そして、会場では「やっぱり日本の障害福祉行政を変えるためのエンパワメント研修」といったドメスティックな内容故に受けなかったのかな、と思っていた。だが、その後、日本人研究者で集った最終日の夜、皆さんの議論を聞きながら、ぼんやり気づきはじめたのだ。僕の井戸の掘り方が浅かったのだ、と。

 イギリスの学会で買い求めた本の中に、それを傍証する本がいくつかあった。単にイギリスのソーシャルケアや障害者支援の課題を整理するだけでなく、イギリス以外のコンテキストで読み込んでも「なるほど」と頷ける取り組みなり視点がある。風通しの良い本であれば、イギリスのコミュニティケアという具体的な論点なのだけれど、日本の論点にかぶせて検討する事も可能だ。つまり、読者がその気になって読めば、自ずと国際比較が可能となるテキストもありうるのだ。

 これは、学会発表での各発表内容にも如実に表れている。東アジアの各国における社会政策の取り組みに関する具体的な発表もあったのだが、それが単にその地域の取り組み成果、というタコツボ議論であれば、その国の人間にとっては面白くても、その国以外の人間が読むと、だから何なの?(So what?)という内容になってしまうのだ。残念ながら、僕自身の発表もその部分があったのではないか、と思う。

 しかし、その成果について少し抽象化したり、あるいは他国の人間にもわかる形での理論的言説に当てはめてどこまで言えるかを模索してみたりする。例えば「ストリートレベルの官僚制」理論であったり、あるいはローカルガバナンスや熟議民主主義であったり。それも、紹介レベルではなく、その理論の骨組みや議論の中核とどれくらいふれあうのか、外れるのか、をあぶり出す形で整理していく。決して理論中心の議論ではなくても、その社会のコンテキストを超えられる理論を誘い水に議論する事で、こちらの伝えたいことも、異なる社会で理解してもらう糸口を開くことが可能になる。

 これって、きっと国際学会に来ている「まともな学者」なら、当たり前のように知っているはずの事であり、実際日本からいらしておられたK先生などもそう語っておられた。しかし、to tell the truth、私自身は恥ずかしながら、よくわかっていなかったのです。そういう意味で、特殊を超える普遍性や比較出来る視点が、私自身の発表に欠落していた。それが、結果としての私の発表の「つまらなさ」につながったのだ。そう思うと、つくづく、悔しい!!

 ローカル・ノリッジは大切なのだが、その一方で、その国のコンテキストを超えて他の社会にも相通ずる普遍性への糸口が開かれている、そういう風通しの良さが大切なのだろう、と改めて感じた。なるほど、痛い思いをしないと、恥をかかないと、僕はわからないのだなぁ、と今回もつくづく感じたのであった。

13年いまむかし

 

フランクフルト空港は夕方であるが、日差しは明るい。ドイツくらい南にくると白夜はないのだろうが、それでも日照時間は長いのだろう。

マンチェスターからのフライトは定刻通りドイツに着き、成田行きの搭乗時間までまだ3時間以上も待たされる。タックスフリーもぱっとしないので、バーに腰掛けて、ドイツビールを頼み、ワイヤレス回線をつなぐ。旅の途中で疲れていて、真面目な本を読む気力もない。そんなときに、パソコンをかちゃかちゃするほど、よい時間つぶしはない。

この1週間、ある学会での発表と、別の学会参加をかねて、イギリスまで来ていた。ヨーロッパといえども、スウェーデンとデンマークを除いてはほとんどご縁がなかった。イギリスは、13年ぶり。1996325日には、湖水地方のケズウィックに居たらしい。

なぜ物覚えの悪い僕がそこまで正確な日付を書けるのか。それは、13年前にイギリスに持って行った本を、再読しようと鞄に入れていたのだが、取り出してみると、13年前のバスチケットがしおり代わりに挟まれていたのだ。

13年。今の人生全体で考えたら、3分の1弱の期間。長いようで、あっという間の期間だったような気がする。

13年前、生まれて初めて、一人で海外旅行に訪れたのが、イギリスだった。大学も2年間が終わった折り返しの春休み。楽しくて安全なところだ、と友達に勧められ、バックパッカーはロンドンの地に降り立った。ただ、そのバックパッカーは大変重要な事実を見逃していた。友人が訪れたロンドンは夏。私が訪れたのは冬。夏は夜10時過ぎまで明るくて、人々も陽気で、気持ちがいい。だが、冬は寒くて、日差しもあまりなく、陰鬱な日々なのである。そう、夏目漱石が神経衰弱になった、あの寒いロンドンなのである

そんな寒いロンドンで、旅仲間も現地での友人も出来ず、湖水地方の人気もまばらなB&Bで、美味しいお茶を入れて頂き、ストーブに暖まりながら読んでいたのが、こんな本だった。

「自分を見せびらかさないから、おのずからはっきり見られ、
自分を主張しないから、きわだって見える。
信用を求めないから、信用をうけ、
うぬぼれないから、最高のものとなる。
争うことをしないから、天下の人で争えるものはいない」
(チャン・チュンユアン著、『老子の思想』講談社学術文庫、p131)

21歳の若者のチョイスとしては、背伸びをしている、という感じは否めない。だが、哲学や思想的なものにあこがれていた青年には、ハイデッカーやヘーゲル、西田幾多郎や和辻哲郎の思想を老子と交わらせて、「道徳経」に独自の視点から解釈を加えるこの文庫に、得も言われぬ知的憧れと興奮を持って読んでいた。

13年前、この言葉をどれだけ理解出来ていたか、はアヤシイし、もちろん今だってわかっているとは言えないだろう。そして、13年前にほのかに思想を専門とする学者にあこがれたが、ドイツ語に挫折した青年は、13年前に思いもしなかった福祉分野の研究者になってしまった。

だが、13年前の何も知らない青二才も、この13年間で多少なりとも試行錯誤や痛い思いをし、従って当時は難解に感じた老子の言葉やその解釈も、以前よりは実感を伴った言葉として身に浸みてくる。そう、今回のような海外旅行中に、アミノ酸を取るためにホテルで飲む味噌汁のように。

愚かなるヒロシ君は、この13年間、見せびらかし、主張し、信用を求め、うぬぼれ、争ってきた。そのたびに、逆効果をもたらし、摩擦と混乱の渦の中に巻き込まれ、傷つき、また少なからぬ人を傷つけ、迷惑もかけてきた。今だって、まだ逆効果の連鎖を完全には断ち切ることは出来ていない。だが、以前より少しはその逆効果の正体を自覚出来るようになってきた。そして、無駄な力みを減らし、必要な力を出せるように、ちょびっとずつだが、軌道修正をしてきたのだと思う。

そして13年後。海外に行くなら、遊びではなく仕事で行きたい、と力んでいたら、幸か不幸か仕事「のみ」で出かける機会が多くなってしまった。今ではもうちょっと遊びに出かける事もしたいな、と軌道修正の必要を感じている。英語は相も変わらず酷いけど、以前よりちょっとは議論に耐えうるものになっていった。

もちろん、直感や感情が先行して、批判的思考が身に付いていないのは、今もそう変わりはない弱点だ。あるいは、13年前より多分5キロ以上は肉が付いてしまった。時差ボケはなかなかとれないし、疲れやすいし、味噌汁を持って行かないと、身体が持たない。そういう衰えや弱みはあるけれど、13年前よりは少しは「ものわかり」が良くなったのではないか、と思う。人はそれを、成熟した、とも、若さを失った、とも言う。出来れば、後者ではなく、前者の意味で捉えたいのだけれど

閑話休題。
以下、エジンバラからヨークへ向かう旅の中日に書いたメモ書きをとどめておく。


7月1日(月)

「研究者の役割、それはcollaboraterです」

スコットランドのエジンバラで開かれていた社会政策学会(Social Policy Association)。その週に開かれる別の学会(East Asia Social Policy reserch network international conference)で発表するために訪英し、ついでに同時期に開かれていた関連学会に、こちらは勉強のために参加した。この学会では、我が国でも最近関心が持たれているダイレクトペイメント(障害者が、自らの障害程度に応じて現金給付を受け、自らが必要な福祉サービスや、誰に支援を受けたいか、を選ぶことが出来る制度)が、高齢者や障害児家族にも応用されてIndividual Budgetsというパイロットプログラムに高められ、その成果についての分析発表などがあり、それはそれで学ぶことが多かった。曰く、障害者では自己決定出来ることがサービスの満足度を高めることにかなり役立つ一方、高齢者は選択する事に困難を感じ、このパイロットプログラムに満足していない、など、様々な分析がなされていた。

それらの議論も面白かったのだが、最も面白かったのが、学会の最終日の最終講演。研究者(Marian Barnes)と精神障害者の家族、当事者が「社会正義と当事者参画」というタイトルで発表した時のこと。講演内容はかなり面白く、終わった後に話を聞いてみたい、と密かに思っていた。だが、質疑応答の時間の「最後にもう一人」という段階で、誰も手を挙げない。100人以上の英語を母国語とする研究者の集まりで、ひどい英語で聞くのも躊躇したのだが、せっかくやってきたのだから、と恐る恐る手を挙げて、一番聞きたかったことを聞いてみたのだ。

「当事者参画に果たす研究者の役割とは何ですか? サポーターなのでしょうか、ファシリテーターなのでしょうか? あるいは、それ以外の役割ですか?」 

冒頭の発言は、この質問に間髪入れずにマリアンが答えた内容である。手持ちの英英辞典でcollaboraterを引いてみると、こんな事が書かれている。

someone who works with other people or groups in order to achieve something, especially in science or art
(特に科学や芸術の分野で、何かを成し遂げるために、他の人々や集団と協働する人:ロングマン現代アメリカ英語辞典より)

つまり、マリアンさんは、当事者参画を進めるにあたっての研究者の役割とは、協働を促進する役割である、と整理しているのである。この話を聞いて、我が意を得たり、と深く頷いた。そして、会の終わった後、彼女に近寄ってもう少し話を聞いてみると、彼女はこう続けたのだ。

「アカデミックの世界は、現場とは離れている。その際、現場と協働して、現場を変えるためにお手伝いするのが、当事者参画を目指す研究者の役割だ。協働して研究を行うだけでなく、今何が起こっているのが、という全体像を当事者や家族に伝え、彼ら彼女らが政策にも参画出来るのかを伝える役割がある。」

文字通り、洋の東西を問わず、同じ思いで仕事をしている人に出会えること、これほど嬉しいことは無かった。そして、改めて僕自身がきちんとcollaboraterの役割を全う出来ているのか、を問い直す機会にもなった。

施設みたいなもん

 

必要に迫られて読み始めた本の中に、ほほぉ、と引きつけられるページを発見した時ほど、嬉しいことはない。今日はこんな感じ。

ある老人はこう呟いた。『誰かさんがあんたの家にケアをしにやってきた時だって、もしその支援とやらがこちらの気をそぐようなもの(disempowering)だったり、決まり切ったことの繰り返し(routinised)だったりするならば、彼らは入所施設みたいなもん(something of the asylum)を、また造り直しているだけだよ。』
Glasby, J. (2007), Understanding health and social care, Bristol: The Policy Press. p40

図式的に考えれば、入所施設とは、人里離れた所に作られた集団管理型一括処遇の場。それに対置するものが、イギリスで言うコミュニティケアであり、日本語では地域(自立)生活支援なんて言われている。自立支援法の中でも、精神病院に入院中の社会的入院患者の72000人を平成23年度までに地域移行させる、また知的障害者や身体障害者の入所施設の1割を上記の年度までに削減する、ということが、国の目標にも掲げられている。市町村や都道府県は、その目標に沿った行動計画をとろうとしている。だが、この数値目標は諸外国に比べて低すぎるのだが、それでも達成することは難しい。

こういった事は、自治体関係者なら誰でも言えることである。だが、地域移行すればそれで成功なのか、というと、そうではないのが、洋の東西を問わず言えること。以前、スウェーデンで滞在時に、現地のグループホームを取材して回った。知的障害者の入所施設を全廃したスウェーデンでも、今度はグループホームがミニ施設化する危険性がある、という話をよく聞いた。それを防ぐためには、ユニット型という、例えば普通の集合団地の101号室が世話人の部屋で、301号室と405号室、203号室が各々の居室、というように、他の人と当たり前の居住環境が保障され、かつ地域の中にとけ込み、障害者だけで固まらない、という工夫が必要だ、とも聞いた。普通の人の最低居住水準が、34平米なのだったら、障害者だってそれと同じほどの広さを保障すべきだ、と聞いて、なるほどと思いながらも、ぶったまげた思い出がある。なぜって、日本では普通の人だって、20平米どころか、ワンルームマンションの学生だって少なくないからだ。

で、こう書いていて、こないだ読んだ早川和男先生の『居住福祉』(岩波新書)を思い出す。今、本が手元にないので正式に引用出来ないのだが、早川先生は、住宅問題は福祉問題である、という観点から、日本人の在宅介護の困難性や入所施設偏重は、一般人の居住水準の低さによる。だから、ディーセントな居住環境の広さが確保されなければならない。普通の人の住宅が広くないのに、障害者や高齢者だけ広くすることは出来ない、という主張をされていた。確か97年に出た本なのに、10年以上経って初めて読む未熟者。しかし、10年を超えても色褪せない魅力を持つ一冊に、早川先生の研究の鋭さと、日本社会の変わらない実態に、憧れと、ため息を同時に抱く一冊であった。

そう、この早川先生の本を読んだ後、パートナーとこの話をしながら、スウェーデンで借りていたアパートを思い出していた。確かに、一般人のアパートも広かったねぇ、と。

私たちがエバコさん、とあだ名で呼んでいたその女性のアパート。彼女は年金生活者で、シングルである。毎年冬の時期にスウェーデンを脱出するから(その年は確かタヒチかどこかに出かけていた)、その間の半年、持ち家のアパートを貸している。普通の公務員か何かをしていた彼女は、築50年程度のアパートに暮らすが、すごくしっかりしたアパートで、かつ70年代のバリアフリー法が施行された後、後付でエレベーターも付いている。家は4人がけのテーブルが入るこじんまりとしたダイニングに、20畳近いリビング、それ以外に部屋が3部屋あるから3LDKだが、確か全部で100平米近い広さ。エバコさんの部屋は他人に使われては困る私物が入っているらしく、鍵がかかっていたが、その部屋以外は自由に使えた。めちゃめちゃ広い。その暮らしを半年して、パートナーと誓ったのだ。日本に帰ったら、とりあえず広い部屋に暮らそう。それだけ、部屋の広さは、人間の心のゆとりにもつながっていたのである。そして、改めて強調するが、彼女は決して金持ちではない。調度品やらなにやらが物語るのは、ごく中流かそれより少し低めの暮らし、なのである。

話がえらく横飛びしていくが、そう、早川先生によれば。部屋は広くなくては人間的でない、という居住権運動をスウェーデンでもイギリスでも続けてきたそうである。だから、僕が暮らしたスウェーデンでは。障害者が暮らす入所施設は、あまりにも非人間的に映った。ノーマルな暮らしに比べてあまりにも落差がある、と。またグループホームだって、普通の暮らしと同程度を保障するためには、3LDKの中に見ず知らずの3人が暮らすのはオカシイ、ならばせめて1LDKでもまともな一区画を障害者も住めるようにすべきだ、という展開が進んでいったのである。

一方我が日本では。ご承知のように、普通の人の住宅環境の質、なるものがよろしくないので、当然!?障害者や高齢者の質は悪くても問われなくなる。そんな前提だから、収容所的な現実が他国に比べて未だに温存されているし、また、地域移行が進んでも、地域の暮らしがそういう最低限な居住環境のままになる可能性が少なくない。悲しいかな、居住環境が「気をそぐようなもの(disempowering)」なのは、少なからぬ都会暮らしの日本人が共通して持っているものなのかもしれない。もしかしたら、私たちの暮らす場が、「入所施設みたいなもん(something of the asylum)」だとしたら。あまり考えたくないけれど、私たちに染みついたパースペクティブにその要素がないか、を考えたら末恐ろしい

信じて、疑う

 

「だが、人間の手になるもので無謬なるものがありえようか。否である。われわれが唯一無二と信じうる真理でさえ、それは人の手になるものである以上、無謬ではありえない。諸君は問うであろう、では、真理とは、人間が拠って立ちうるものになりえないのか、と。たしかに一見すれば、誤りを含んだ真理とは、語の矛盾以外の何ものでもない。だが真理として究められた以上、あくまで真理性を主張することができる。否、あえてその真理性を擁護しなければならぬ。だが、諸君、同時に、諸君はその真理が、さらに一段と高い真理に進みうる道を、そこに開いておかねばならぬ。実にこの道こそ、真理の中における懐疑である」(辻邦生『背教者ユリアヌス上』中公文庫、p257

ここのところ、辻邦生にはまっている。以前ご紹介した『西行花伝』に続き、『安土往還記』を読み終え、こないだから3巻ものの長大作、『背教者ユリアヌス』へと突入した。歴史小説を、本人の心理描写だけでなく、周辺人物の心理描写を重ね合わせながら、タペストリーのように織り込んでいく語り口が、僕にとっては新鮮だった。日頃仕事の本しか読まないことが多く、小説は敬遠しがちだったが、何だか今年に入ってから、無性に読みたくなり、未知のジャンルに切り込んでいる。最近はじめた合気道と同じで、自分が知らない分野での「真理」に触れることの面白さ、を実感しているのを感じる。

さて、この『背教者ユリアヌス』、実は高校生の頃から名前だけは知っていた。高校時代の国語教師が辻邦生の大ファンで、これ程凄い歴史小説はない、と何度も繰り返して言っていた。だが、今から思えば、辻邦生に親しむほどの内的成熟が出来ていなかった故、あれから15年間、出会うことはなかったのだと思う。今も成熟したとは思えないが、30代になり、多少なりとも試行錯誤を重ねてきた今だからこそ、辻邦生が作品を通じて語りだす人生観や哲学から、さまざまな刺激や触発を受ける。今回引用したのは、若きユリアヌスが半幽閉状態の時代に出会った哲人、リバニウスが自らの学塾での講義時に述べていた一フレーズ。目の前で、こういう講義を受けているかのようなアクチュアリティが読者に迫ってきて、読み出したら止まらない。

中身に少し触れておくならば、「誤りを含んだ真理」とは、これまた玄妙なる表現である。確かに「人の手になるものである以上、無謬ではありえない」。だが、「あえてその真理性を擁護しなければならぬ」ほどの、正しさや真理性が満ちあふれているものも、この世には存在する。理にかなっていて、一般原則としての筋目が通っている考えなり、捉え方なり、動きなりは、確かに存在する。だが、その無謬性を盲信・過信してしまうと、大やけどをする。「真理の中における懐疑」とは、単に疑い深くなることではない。「その真理が、さらに一段と高い真理に進みうる道を、そこに開いてお」くための方法論が、「真理の中における懐疑」なのだと思う。真理を自己目的化し、方法論的懐疑を捨てた絶対化をするところから、歪みが始まる。それは、真理の歪み、ではなく、解釈する側の「人の手」による歪みなのではないか。

真理の正しさと、人の手の誤謬性。その両方が真であるからこそ、「信じて疑え」というテーゼが成立するのだと思う。どちらかが欠けても、バランスや平衡が破られる。全くの対極的思考を自身の中に両立出来るだろうか。書き写しながら、ふとそんなことを考えてみた。

ミクロとマクロの接点

 

今日もまた、最終一本前の「かいじ」である。今宵は函館からの帰り道。

障害者団体の連合体であるDPI日本会議の総会が函館であり、分科会のパネリストとしてお話しさせて頂くために、土日の一泊二日で函館入りをする。函館駅までバスで来てみて、かなりビックリ。とにかく、寒い! 駅前の電工表示板では夕方の段階で13度! 春先の寒さである。パートナー曰く、甲府は30度を超えたそうなので、20度の温度差。長袖シャツにジャケットの姿でも、やはり、寒い。携帯用のウインドブレーカーを持っているのに、研究室においていて「宝の持ち腐れ」が続いている。荷物を一杯持って行くにもかかわらず、肝心の何か、を忘れるいつもの間抜けな癖がやはり出てしまう。

で、函館の二日間は予想以上に興味深い日々だった。勿論、ウニやサンマ、生牡蠣など美味い魚に舌鼓が出来たのは、めちゃ収穫だった。だが、それ以上に、最近の自分があれこれ考えていることに、様々な補助線を引き込める内容が目白押し、だったのだ。

今日の分科会のテーマは、「障害者総合福祉サービス法にむけて」というもの。え、そんな法律がいつ出来たって? もちろん、まだである。この自立支援法の対案と位置づけられたものは、私もお手伝いさせて頂いたDPI日本会議の研究チームが検討を積み重ね、まとめて内容だ。本当は今日、この分科会の日程にあわせてミネルヴァ書房から書籍化されて出版される、はずだったのだが、諸般の事情で一週間ほど発刊が遅れてしまった。しかし、来週くらいに出来ますので、また宣伝させてもらいます。結構良い本に仕上がりました。

閑話休題。そう、この本の編集に携わったこともあり、この本のお披露目と、あわせて自立支援法の対案とは何か、今の自立支援法をいじるだけではどう限界なのか、を整理して検討する場になっていた。

で、北野誠一さんや尾上浩二さんといった論客もおられ、そもそも障害の範囲は変だという難病当事者の山本さんの整理も受け、マクロ的・制度政策的議論としても面白かったのだが、ここまでのご発表は共同研究をしてきた皆さんの発表なので、織り込み済み。むしろ、その後の展開が予想外だった。休憩を挟んだ後で、地元北海道から3障害の3つの実践報告、それからフロアとのディスカッションという「ありがち」の流れだったのだが、実はこの中身が予想を遙かに超えて「刺激的」な場となっていったのだ。

3人のパネリストのお一人目の横川さんは、障害ゆえにささやき声しか出ない。マイクボリュームを全開にしても、隣で開かれているコンサートの声量の大きさで聞き取り辛い。。だが、耳を傾けてみれば、声の大小を超えた、本質的な提起がなされている。「運動の盛んな地域に障害者が集中する傾向にありませんか。自分が住みたい町に住めるような支援体制が必要ではありませんか。」と。

なんでも、進行性神経症筋萎縮症の彼女は、青春時代に長期間、病院・施設生活をした後、旅行に訪れた函館に「住んでみたい」と一目惚れして、その後移り住んだという。これは障害の有無にかかわらずよくあることで、例えば沖縄のホテルにとまると、従業員の非沖縄人比率が意外に高くてびっくりする。一目惚れして住む、ということが、しばしば見られる。横川さんも、その一例である。

だが、ここで障害の有無が、大きく左右する。彼女は夜間人工呼吸器をつけて暮らしているから長時間介護が必要。だが、この国では長時間介護をすんなり国が全時間認めてくれる、という仕組みになっていない。自立支援法では国庫負担基準なるガイドラインがあって、その基準以内であれば、国が予算の面倒を見てくれる。逆に言えば、その基準を超えたら、市町村はその経費を持ち出ししなければならない。自治体はどこも財政が豊か、とは言えないから、当然持ち出し分を削ろうとする。そのことで、札幌や和歌山など各地で裁判も起こっている(札幌の原告も来てお話しておられた)。つまり、住みたい場所に住む、という当たり前のことが、障害故に制約されるのだ。だから結果として、障害者運動が自治体と協議して、国基準を超える長時間介護への市町村支出を認めた地域に「障害者が集中する」という事態が生じるのだ。これは、ナショナルミニマムの不全がもたらした個人へのしわ寄せ、とも言えるだろう。

彼女は以前住んでいた東京よりも支給決定量が函館では減ったが、それでも好きな街に住みたい、という。これを自治体の財政基盤の強弱にかかわらずナショナルミニマムとして保障するか、「そういう障害者は住んでくれなくて結構」と実質的に排除する裁量を自治体に与えるか、という大きな問いかけなのだ。

次の能都さんのお話も興味深かった。NPO全国精神障がい者地域生活支援センターを主催されている彼は、一方で街作りの仕掛け人でもある。函館の庶民の台所である「中島廉売」という市場の事務所を無償で借り受け、そこに障害者だけでなく地元住民が集まる拠点を作り上げていく。「ここまで法人が活動してこれたのは、人の手助けと支援があったから。今度は私たちがそれを地域に還元したい」というアイデアから、市場の中に屋台村的な「中島れんばい横丁」を作る。精神障害者とは、という大上段の普及啓発ではなく、その場に集う人が、一緒に酒を飲んで、一緒に活動して、お互いの事を徐々に知り合いながら、一緒に何かを作り上げていく、という。

Social Capitalとか社会的起業とか言われているものを、実際に自然体で切りもりされておられるお話に、グイグイ引き込まれていく。制度が悪い、問題だという視点を一方で持ち、であるが故にこのDPIの全国集会をお手伝いする中で、何か函館で出来ないか、を考えようとする。他方で、自分たちに出来る地に足着いたボトムアップの活動をしておられる。こういう「地べた」の活動の積み重ねは、その地域の文化を変える非常に大きな力になるのでは、と実感しながら伺っていた。この中島廉売に是非とも行ってみたくて、能都さんからも「今晩も函館におられるのなら、ご招待します」と言われたのだが、山梨に戻るスケジュールを入れて後悔至極。是非とも一度、伺ってみたい場所だ。

で、最後に札幌みんなの会の三浦さんの話も色々考えさせられた。彼は知的障害の当事者として、自分たちの仲間の虐待や権利侵害に非常に心を痛めている。就労した障害者が、寄宿舎と職場で24時間管理されて逃げることが出来ず、年金や障害者雇用の助成金、賃金の3つとも雇い主に搾取され、挙げ句の果てに虐待を受ける、というケースが後を絶たない。権力関係が起きやすい入所施設や精神病院では、40年前から事件沙汰になってきて、未だに新聞沙汰になる話である。これは変わっていないし、その後の会場からの意見の中にも、ご自身が虐待を受けた当事者の方の訴えも聞かれた。こういう事態に対して、当事者の立場から「それはオカシイ」「制度や政策は私たちを交えて決めて欲しい!」と訴える三浦さんのお話は、非常に説得力がある。

3人ともそうなのだが、当事者活動という「地べた」の活動がしっかりあって、その上で、仲間のこと、地域のことを考えようとしている。こういう当事者主体のボトムアップ型活動が様々にされていることを伺い、非常に元気をもらった。そう、マクロシステムがどうであれ、自分自身を、仲間を、地域を元気にする活動をしておられる当事者も結構いるじゃん、と。

で、改めて深く学ばされたのが、この3人の「地べた」からのボトムアップ型の報告が、先のマクロ的・制度政策的議論とくっついている、ということだ。障害者自立支援法という制度政策上の問題点について、決して無視もしていないし、オカシイとも思っている。だが、単にそれに文句や批判を言ってオシマイ、ではなく、それぞれの「現場」で出来る「対案」となる活動を作り出し、着々と芽吹かせ、育んでおられる。この、批判だけでなく対案の形成とその実践、という点では、私もその作成のお手伝いをさせて頂いた「障害者総合福祉サービス法」も、まさに障害者団体という現場で作り上げた厚労省への対案であり、この作成を通じて、実践化にむけた様々な論点を検討してきた。こういう「地べた」の積み重ねは、ミクロ・マクロ限らず、ある内容を成功させる為には必須の動きであり、何かを本当に変える上での前提条件なのだ。

そう、その前提条件という歯車が、ミクロとマクロで一瞬であってもかみ合ったのが、今日の分科会であり、だから知的興奮も沸いてきたのだった。逆に言えば、これまでの多くの批判や提起といった言説の中に、ミクロとマクロのズレ、かみ合わせの悪さ、乖離などがあったのでは、とも考えさせられた。「地べた」から遊離している制度政策も、逆に現実にこだわりすぎて理念を見失う「地べた」も、共に中途半端である。別側の極を常に見据え、対極との接点を考える実践、それが大切だと興奮の余韻の中でかみしめていた。