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「魂の傷つき」と向き合うために

こないだのオンライン研修で、鹿児島大学の的場康徳先生とご一緒させて頂いた。なぜ消化器外科の先生と相談支援の研修でご一緒するのだろう???と疑問に思っていたのだが、先生の話を聞いて、深く納得。緩和ケアという、身体疾患の治療ではどうしようもない場面において、どのように患者の生きる苦悩と向き合うのか、というお話だった。それは、「病気から生きる苦悩へのパラダイムシフト」という論考を書いたこともあるので、めちゃくちゃよくわかる。そして、的場先生が依拠しておられる、現象学者の村田久行先生の本に目を通して、目からうろこ、体験をたくさんしている。今日はそのことを、言語化してみたい。

「援助とは苦しみを和らげ、軽くし、なくすることである。なぜ医療者の意識の志向性はせん妄患者の≪苦しみ≫にではなく、≪身体≫≪治療≫≪病態≫に向けられるのであろうか> その理由は、≪身体≫≪治療≫≪病態≫であれば見た目で捉えやすく、対処できるが、せん妄患者の≪苦しみ≫は捉えにくいからである。」(『シリーズ 現象学看護1 せん妄』村田久行・長久栄子編、日本評論社、p17)

これは、せん妄に限った話ではない。せん妄という言葉を抜いて、医師と治療場面で向き合う全ての患者でも、同じ事が言える。医師は治療(cure)をするのが仕事である。すると医師の意識の志向性は、≪身体≫≪治療≫≪病態≫に向けられる。そうすべきであるとトレーニングを受けてきている。だから、「患者の≪苦しみ≫は捉えにくい」。これは僕自身もわずかな患者経験をしていて感じることである。確かに治療をしてほしくて、医者の前に行く。でも、身体や病態として表出されているつらさの背後にある、ぼく自身の生きる苦悩にも目を向けてほしい。でも、これまで出会った医者の中で、僕の<苦しみ>もじっくり聞いてくれたのは、山梨時代にお世話になった漢方医の中田先生だけだった。

なぜそうなのか。現象学者は「意識の志向性の方向性」について語る。

「意識は同時に2つの物・事を意識できない。あるものに意識が向けられ、それが意識に顕在化すると、それ以外のものは背景に沈み、非顕在化する。この意識の対象の顕在化と被顕在化の相互移行は『ルビンの杯』の顔と杯、〔図と地〕の関係にもたとえられる。」(p35)

なるほど、そりゃそうだ。一つの見立てをする、ということは、そっちに意識が向けられ、他の視点は「背景に沈み、非顕在化する」のである。身体症状や病態に意識の志向性が向き、その治療方針をどう組み立てるか、を必死になって考えているときに、患者の苦しみの話は、診察室で聞いていても「非顕在化」して頭に入ってこない。患者は、身体疾患だけでなく、それを患うことによる生きる苦悩をも語ってるのに、そのうちの≪身体≫≪治療≫≪病態≫しか聞かれないと、「わかってもらえていない」と、医師に対して不信感を持つ。一方、先述の中田先生は、治療にじっくり時間をとって、患者の苦しみの話を聞こうと意識の志向性を向けていた。その苦しみが、≪身体≫≪治療≫≪病態≫にどう作用しているか、に意識を向けようとしていたのだと思う。それだけで、患者の医師への信頼度は随分異なる。

そして、患者の苦しみに目を向けるときに大切なのは、スピリチュアルペインだと、引用した同書では書かれている。

「スピリチュアルペインは、『自己の存在と意味の消滅から感じる苦痛』と定義され、それはたとえば、生の無意味、無価値、無目的、孤独、疎外、虚無と言った苦しみのことをいう。これはかならずしも終末期がん患者に限るものではない」(p31)

この定義を読んで、改めて「そうだったのか」と深く頷く。今まで字面しか知らなかったので、スピリチュアルペインとは、死ぬ間際の際に、人生の喪失に直面して、宗教的な助けを求める、そういう苦しさのことであって、いま・ここ、の自分には関係のないことだと思い込んでいた。でも、「生の無意味、無価値、無目的、孤独、疎外、虚無と言った苦しみ」と言われると、「終末期がん患者に限るものではない」。いじめ等のハラスメント、ひきこもり、親しい人との不和・別れ、失業や生活苦、「ゴミ屋敷」状態・・・など、様々なトラウマ的体験にもとづく絶望的状態って、それによって「生の無意味、無価値、無目的、孤独、疎外、虚無と言った苦しみ」に襲われ、その「対処行動」としての「薬物依存」だったり「自殺衝動」だったりするのである。それは、「精神症状」と言われるものにも、広く通底するような気もする。

ただ、以前の僕は、精神的苦痛とスピリチュアルペインの違いがよくわからなかった。苦痛には、身体的苦痛、社会的苦痛、精神的苦痛とスピリチュアルな苦痛の四つがある、と言われている。ただ、最後の苦痛を「霊的苦痛」と訳してしまうと、全く意味がわからなくなってしまう。身体的苦痛は病気そのものの痛みや、治療に伴う痛みであり、社会的な苦痛とは家族関係の悪化や仕事の喪失、貧困などの社会状態の悪化による痛みをいう。そして、精神的な苦痛とは「恐れ、怒り、不安、孤独感、抑うつ、せん妄」などをいう。これと、「生の無意味、無価値、無目的、孤独、疎外、虚無と言った苦しみ」を比較すると、精神的な苦痛は、スピリチュアルな痛みが表面化し、他の人にも把握しやすくなり、治療の対象になりやすくなったもの、とも言えるかも知れない。そして、スピリチュアルな痛みは、身体的・社会的・精神的苦痛の背後にある、その人の生きる苦悩の最大化したもの、と捉えると、これまでの僕の把握はがらりと変わってきた。

身体の痛み、社会的な痛み、心の痛み・・・それらが重なるなかで、魂が傷ついているのである! それが魂の(スピリチュアルな)痛みなのである。ならば、これまでぼくもずっと考え続けてきた、魂の植民地化は、まさに魂の痛みをもたらす構造的暴力であり、魂の脱植民地化とは、そのスピリチュアルペインからどう脱することが出来るか、の思考回路を開くプロセスなのかもしれない。

そして、村田先生はスピリチュアルペインには三つの側面(三次元)がある、という。時間制、関係性、自律性の三側面である。それをこんな風に整理しておられる。(p37-38)

①時間性のスピリチュアルペイン—将来の喪失から生じる生の無意味
②関係性のスピリチュアルペイン—他者との関係の喪失から生じる空虚や孤独
③自律性のスピリチュアルペイン—不能と依存から生じる生の無価値、無意味

①は「もう先がない」「終わりだ」と感じる、将来の喪失への絶望感だが、これは末期がん状態だけではない。失業や失恋、大学受験の失敗など、それまで専心していたもの・入れ込んでいたものを失った時、そうなる可能性は充分にある。②については、「言いようのない孤独」や「さびしさ」という表現が同書ではなされていたが、僕も20歳前後の時、この「言いようのない孤独」と「寂しさ」にさいなまれていた。③の「何の役にも立たない」「もう自分では何も出来ない」というのは、子育てをはじめた時、仕事とほんとど両立不能状態になった時に、そうやって自分を責め続けていた。

つまり、時間性・関係性・自律性の三次元での「魂の傷つき」は、僕にだってたくさんの記憶がある。「生の無意味、無価値、無目的、孤独、疎外、虚無と言った苦しみ」は、僕にとって他人事ではない。ただ、有り難いことに、何とかそれを乗り越える、というか、周りにサポートされながら、傷つきから快復することが出来たから、いま・ここ、の自分があるのだ、と改めて感じる。

では、この「魂の傷つき」からの快復に、他者がどう関われるのだろうか? 同書では以下のように説く。

「スピリチュアルケアとは、スピリチュアルペインをケアすることである。このことを現象学看護は『自己の存在と意味の消失から生じる苦痛(スピリチュアルペイン)』を『関係性にもとづき、関係の力で和らげ、軽くし、なくすること<ケア>』と理解している。(略) スピリチュアルケアの独自性は、<傾聴>と<共にいる>という<基盤となるケア>を土台にして患者のスピリチュアルペインをケアするものでなければならない。」(p47-48)
「患者は困難に遭遇し、現在の対処方法が無効なとき、自分自身の不完全さや無力を自覚する。しかし、その無力の自覚が患者を内的自己の探求に向かわせ、日常の自己から内的自己への超越が試みられる。患者はこれまでの生き方や価値観を見直し、病気や死に翻弄されない自己を探求するのである。日常の自己が他者・超越者・自然との関係のなかで新たな自己を見いだすとき、この価値観の再構築がスピリチュアルな覚醒であり、成長である。その結果、患者は新たな統合をなしとげ、病気に意味と目的を見いだして、新たな強さ、安心、愛、希望を獲得する」(p48)

この記述を読みながら、僕はアルコホリックアノニマス(AA)や当事者研究、ピアカウンセリングなど、障害当事者が主体となった、治療とは違う、オルタナティブな関わり方(ケア)のことを強く思い起こしていた。CILはピアカウンセリングを次のように定義している。

「ピアカウンセリングは1970年代初め、アメリカで始まった自立生活運動の中でスタートしました。自立生活運動は、障害を持つ当事者自身が自己決定権や自己選択権を育てあい、支えあって、隔離されることなく、平等に社会参加していくことを目指しています。ピア・カウンセリングとは、自立生活運動における仲間(ピア)への基本姿勢のようなものです。」(ピアカウンセリングとは

障害者は健常者に比べて劣る存在だと認識され、差別され、教育や社会参加の機会から疎外されていた時代に、「ありのままのあなたでいい」と障害当事者が捉え直すことを、一人ですることは簡単ではない。多くの仲間と話し合い、関係性を豊かにするなかで、障害にまつわる世間的価値観に「翻弄されない自己を探求するのである」。それは、こないだ読み終えたジュディス・ヒューマンの感動的な伝記からも、ヒシヒシと感じる。

人が「困難に遭遇し、現在の対処方法が無効なとき、自分自身の不完全さや無力を自覚する。しかし、その無力の自覚が患者を内的自己の探求に向かわせ、日常の自己から内的自己への超越が試みられる」。これを一人でやるのは、気が狂いそうになる。現に、東日本大震災の直後、ぼく自身も「自分自身の不完全さや無力」に強く襲われ、本当に気が狂う一歩手前までいった。

その時、僕が救われたのは、先述の中田医師であり、魂の脱植民地化概念との出会いであった。当時は、不妊治療が八方塞がりで先の見えなさも重なっていたので、漢方治療にすがってみようか、と出かけたのだが、ゆっくり話を聞いてくれる中田医師の前で、話し出したら溢れるようにしんどさや苦しさといった、「魂の傷つき」が出てきた。その後も1年くらい、毎回受診するたびに、そういうしんどさを話し続けたのだと思う。そのなかで、暴飲暴食や仕事のし過ぎ、といった「これまでの生き方や価値観を見直し」はじめたのだった。

それから、魂の脱植民地化概念との出会いも衝撃だった。これは311の一年前、今日との学会で深尾葉子先生と出会ったことに遡る。当時、こんなことを書き連ねていた。

「自分が納得して、その通りだよな、と思いこんでいて、かつ「自分らしさ」と思いこんでいる、自分の中での支配的な言説なり視点なりの少なからぬ部分が、ストックフレーズや手垢にまみれた思想の焼き直し・刷り込みに過ぎないのではないか、ということである。しかも、それを主体的に選び取った、と思いこんでいるけど、どこかで「選び取らざるを得ない」場面に構造的に追い込まれていませんか、とも、この「植民地化」から読み取れる。」(食毒から、魂の脱植民地化へ

ぼく自身が必死になって構築してきた「これまでの生き方や価値観」そのものの中に、「魂の植民地化」があったのではないか。それが、自らの魂を蝕み、苦しめているのではないか。そう気づき始めた1年後に311が発生し、文字通り自分自身が瀬戸際に追い詰められたところから、書いて考えて表現する作業をはじめ、それが初の単著『枠組み外しの旅』につながった。あの本を書くプロセスは、ぼく自身にとって、「日常の自己が他者・超越者・自然との関係のなかで新たな自己を見いだすとき、この価値観の再構築がスピリチュアルな覚醒であり、成長である」という軌跡そのものであった。

だからこそ、表題に戻るなら「魂の傷つきと向き合う」ことが、コロナ危機においても、ものすごく大切なのだと感じている。

このコロナ危機において、僕も含め多くの人が、「困難に遭遇し、現在の対処方法が無効なとき、自分自身の不完全さや無力を自覚する」のである。その際、「魂は傷ついている」のである。だが、これまでの治療やCureの場面においては、身体的・社会的・精神的な痛みや傷つきしか、着目されてこなかった。だが、明らかに今も多くの人が「魂の傷つき」に苦しんでいるのである。意識の志向性を、身体や社会、精神的な傷つきだけに留めず、その背後にある、生きる苦悩が最大化した姿としての「魂の傷つき」にも向けることができるのか。この視点の切り替えは、一人一人の人生にとっても、大きな価値転換になりうるのではないか、と思っている。

「日常の自己が他者・超越者・自然との関係のなかで新たな自己を見いだすとき、この価値観の再構築がスピリチュアルな覚醒であり、成長である」

これを、一人一人の「いま・ここ」にどう置き換え、自分自身の「魂の傷つき」と向き合う契機にするのか。これは、実に探求しがいのある課題だと感じている。

不幸な二項対立に陥らないために

今更ながら、児玉真美さんの『殺す親 殺させられる親』(生活書院)を読み終える。読ませる本なのだけれど、ウッと胸に迫るものがある。

「医療職に『正しい医学的知識を与えてやれば親は正しい選択をするはずだ』という思い込みがあるように、障害者運動は『自立生活の実例があると知らせてやれば、親はその正しい道を目指すはずだ』という思い込みがあるように思えてならない。その思い込みが裏切られると『頑なだ』『無知だ』と医療職が親を上から目線で決めつけてきたように、障害者運動もまた『正しさ』による判定のまなざしで『できない』親を断罪し、それによって親の側の事情を語ろうとする声を封じてきたのではなかったか。『できない』背景にある親の知見や思いは、誰にとっても簡単には語ることができない複雑なものばかりだ。まずは否定も批判もせずに聞いてみようとする姿勢と出会うことがなければ、それらの『なぜ』はこれからも語られないままだろう。」(p305)

児玉さんは、重症心身障害という、知的障害と身体障害を重複して、自ら意志表示がしにくい状態である娘の海さんの母である。障害のある子どもの親となることで、子どものケアのために大学の英語教員の職を辞めざるをなくなり、以後は子どもの療育をサポートしながら、海外における尊厳死や意志決定支援を巡る恣意性や医学モデルの歪みに関する議論を追いかけ、それを『アシュリー事件』のような形で著作にしたり、障害学を学んだ生命倫理学者の著作を翻訳をされるなど、文筆家としても活躍しておられる。そのプロセスの中で、障害の社会モデルや障害者運動にも出会い、親という立ち位置の持つ支配の可能性にも、自覚的に感じておられた。

そんな児玉さんにとって、相模原での障害者殺傷事件の後、入所施設のあり方を糾弾する障害者団体の主張の仕方に、「もうものを言えなくなった」という。彼女の娘の海さんも療育園という入所施設に入っていて、そこでの医療職のアプローチに対して、社会モデル的な観点から色々伝え続け、時には施設職員からモンスター的に思われても、海さんに最適な支援を目指してこられた児玉さんにとって、上記の言い様は、障害者運動が否定してきた、障害の医学モデルの独善性と共通していた、という指摘である。

これは、すごく辛い構図である。

障害者団体は、治療という名の下で障害者を管理・支配し、当事者の声を聴こうとしなかった医学モデルに強烈な異議申し立てをした。そのプロセスの中で、医師の言うことに従順に従い、「本人のために」と子どもを入所施設に入れた親の行いを批判した。だが、そのプロセスにおいて、親は医者だけでなく、障害者団体からも批判され、糾弾されている、と、児玉さんは異議申し立てしている。「『できない』背景にある親の知見や思いは、誰にとっても簡単には語ることができない複雑なものばかりだ。まずは否定も批判もせずに聞いてみようとする姿勢と出会うことがなければ、それらの『なぜ』はこれからも語られないままだろう」と。

それを、別のページでは、端的に次のように語る。

「障害を社会モデルで捉えるように、親の様々な思いや行動もまた、社会モデルで捉えてもらうことはできないでしょうか。『親は一番の敵だ』で親をなじって終わるのではなく、『親が一番の敵にならざるを得ない社会』に共に目を向けてもらうことはできないでしょうか。」(p264)

僕はこれを魂からの叫びであり、悲痛な懇請だと受け取った。

現象的には、子どもを入所施設や精神病院に入れるのは、親や家族である。すると、不本意にそこに入れられた側にとっては、『親(や家族)は一番の敵だ』となりかねない。でも、それは不幸な二項対立であり、内ゲバ的な展開であり、問題を個人間の、家庭内の問題に縮減して考える、という点では、障害の医学モデル・個人モデル的な視点ではないか、と児玉さんは言う。親や家族は喜んで子どもを入所施設や精神病院に入れている訳ではない。『親が一番の敵にならざるを得ない社会』があるからこそ、そうせざるを得ないのである。

その「『できない』背景にある親の知見や思いは、誰にとっても簡単には語ることができない複雑なもの」だと理解した上で、「まずは否定も批判もせずに聞いてみようとする姿勢」がなければ、その背景は語られず、真の問題は解決しないのではないか、と児玉さんは訴えかける。

この問いかけは、入所施設や精神病院批判を一貫してし続けてきた、僕の喉元にも突き刺さる。

以前から論文にも書いているが、日本の障害者政策は「家族丸抱え」が基調で、それが限界を超えた場合は、「入所施設や精神病院に丸投げ」であった。家族が丸抱えすることもなく、入所施設・病院に全てを押しつけるのではなく、地域の中で、親元から離れて、安心して暮らせるような居住支援や生活支援、医療的支援などを整えてこなかった。しかも、医療保護入院に代表されるように、その入所の可否の決定も、親に丸投げされていた。つまり、ケアが必要な障害者の支援に関して、行政責任が最小化される一方、家族責任が最大化されたまま、家族か施設か、の二者択一だった。そして、それは沢山の親や家族を介護やケアでギリギリの状態に追い込んでいった。

この構造的な悪循環を踏まえることなく、『親(や家族)は一番の敵だ』というのは、こういう言い方をするならば、敵を間違えている。本来は、親に丸抱えさせる、施設に丸投げする、行政の不作為こそ、問わなければならないのだ。それがない中だからこそ、前回のブログで書いたように、医者が社会の秩序維持を抱え込まざるを得なくなり、そういう歪んだ状態が固着してしまうのである。

その固着した構造の歪みの中で、相模原事件の入所施設では構造的な虐待が起き続け、その素地の延長線上で、相模原事件という恐ろしい大虐殺があったのだ。ことは一人の死刑囚の問題だけではなく、入所施設の組織構造的な歪みであり、そういう歪んだ施設をそのまま温存させてきた行政の不作為が重なるのである。その本丸について糾弾することなく、『親(や家族)は一番の敵だ』というのは、本質を外すだけでなく、行政からしたら、当事者団体と家族会が内ゲバ的に対立してくれたら、自らの責任が免責される、オイシイ展開なのである。これは、あかん!

さらに、児玉海さんは医療的ケアが必要な重症心身障害者であり、医療と福祉、リハビリという多方面からのケアを充実させる、という点において、日本のグループホームでは福祉的支援に偏り、不十分であると児玉さんは指摘する。だからこそ、入所施設の拠点的役割を家族としてヒシヒシ感じて、その入所施設の医学モデル的価値前提と常に闘いつつも、そのケアの重層さの重要性も感じておられるという。そんな児玉さんと初対面の相手が、名刺交換をしながら、「すぐに施設に入れてしまうからいけないのです」(p281)と教条的に児玉さんに伝えた場面を読みながら、残念ながら脱施設・脱精神病院と唱える人々の中にも、医学モデル的価値前提を持つ専門職と同じような、『正しい医学的知識を与えてやれば親は正しい選択をするはずだ』という不遜な思い込みと同種のものがあったのではないか、と思う。そして、自分自身はどうなのだろう、と自問する。

なぜ児玉さんのお子さんは、入所施設に住んでいるのか。そこに預けるまでのプロセスで、海さんと母の真美さんにはどんな葛藤や苦しみがあったのか。そういった様々な、「『できない』背景にある親の知見や思いは、誰にとっても簡単には語ることができない複雑なものばかり」なのである。それは本書全体を通じても、痛切に伝わってくる。そのような複雑に絡まり合った内容を「まずは否定も批判もせずに聞いてみようとする姿勢と出会うことがなければ、それらの『なぜ』はこれからも語られないままだろう」という児玉さんの指摘は、重い。

ケアラーである家族や親に、あまりに丸抱えをさせてきた歴史がある。そのケアラーの声は、入所施設や精神病院に入れさせられた当事者の声と共に、なかったことにされている。どちらの声も聴かれていない。両者は、時として二項対立的な、というか、利益相反的な立ち位置に捉えられる。でも、児玉さんが言うように、「『親は一番の敵だ』で親をなじって終わるのではなく、『親が一番の敵にならざるを得ない社会』に共に目を向けてもらう」ことがないかぎり、この二項対立的・利益相反的な不幸な関係性は解消されないのである。

障害の社会モデルが大切だと思うなら、この二項対立的・利益相反的な不幸な関係性が、なぜ維持されているのか、それは誰にとってどのような利益になり、誰が消極的にであれ加担しているのか、を分析する必要がある。そして、児玉さんも本書の中で指摘しているが、それは社会保障費を削減したい国の思惑であり、家族なんだから最後まで責任を取れと突き放す世間の視線である。これらのものにNOと言い返すとき、『親は一番の敵だ』と言わされている社会構造そのものを、捉え直す必要があると、改めて感じている。

隔離収容とコロナ危機

7月31日に放映されたETV特集「ドキュメント 精神科病院×新型コロナ」を遅まきながら見る。日本の精神医療の構造的問題が1時間にぎゅっと詰まっていて、その悪循環がコロナ危機で高速度回転している様子が手に取るようにわかり、見ていて辛かった。

一番辛かったのが、民間精神病院の団体の長である山崎學氏の発言

「精神科医療っていうのは、僕はよく話をするんですけど、医療を提供しているだけじゃなくて、社会の秩序を担保しているんですよ。町で暴れている人とか、そういう人を全部ちゃんと引き受けているので、医療と社会秩序を両方精神医療に任せておいて、この(診療報酬)点数なんですか?って言っているわけ。一般医療は医療するだけじゃないですか。保安までも全部やっているわけでしょう、精神科医療って。(入院を)断ってたらどこもとらないし、一番困るのは警察だと思うよ。警察と保健所が困るだけだよね。」

彼は以前から「精神科医に拳銃を」と団体の機関誌に載せるような筋金入りの確信犯なので、正直想定外の発言ではなかった、残念ながら。だが、テレビカメラの前でもそういうことを堂々と言ってのけるのは、俺たちが「社会の秩序」なるものを担保しているのだ、という強烈な自負心があるからだ、と見ていて改めて感じた。その上で、「医療と社会秩序を両方精神医療に任せ」ていることが問題だ、と言うのではなく、「この(診療報酬)点数なんですか?」=つまり一般医療と違って保安も全部やっているのだから、もっとカネをよこせ、と堂々と述べているのは、本当に銭ゲバというか、あきれ果てた。それは、半世紀以上前に日本医師会の当時の会長である武見太郎が「精神科医は牧畜業者だ」と揶揄していたが、結局の所、警察と保健所の代わりに患者を隔離拘束して「社会の秩序を担保」するのが精神病院なのだから、カネをもっとよこせ、という帰結で、医療とは全くかけ離れた牧畜業者の論理が21世紀も続いていることを、まざまざと見せつけられた気分である。

そして、危機こそその人なり組織の本質が垣間見れる、というが、それは山崎発言だけではなかった。

この番組は、コロナ危機における精神科治療の受け入れ病院になっている東京都立松沢病院に密着取材していたのだが、都内の民間病院からのクラスター患者が転院してくて、そこには隔離収容の様々な縮図がてんこ盛りになっていた。褥瘡がひどいレベルであるお年寄りの話は、介護保険が始まる前ならいざ知らず、今はふつうの老人施設でもなるべく褥瘡を減らす努力をしている。あるいは、コロナで転院してきたけど、精神症状はほぼ喪失している、30年以上の入院患者。家族が帰っていてほしくない、というので、転院前の病院の病室しか居場所がない、ともいう。そういえば、この番組は原発事故で病院閉鎖した福島の精神病院に長期入院し、のちに退院した時男さんのドキュメンタリーを撮った青山さんが制作チームにおられたが、原発がコロナ危機に変わっただけで、構造は非常に共通していると感じる。つまり、普段は外からうかがい知ることが出来ず、外部の目が入ることない、がゆえに、「牧畜業者」に長い間飼い慣らされ、病状が消失しても、そこからでれない人がたくさんいて、コロナ危機や原発災害で、外に出ざるを得なくなって、そういう状況が初めて「発見」される、という構図である。

さらに、そこに保健所や行政も、結果的に加担している構図も見えてくる。

クラスタが発生したY病院では、大部屋に陽性患者を集め、急遽大工道具で鍵を設置し、外から南京錠をかけていた。ナースコールもなく、居室内の囲いのないポータブルトイレで用を足すことが求められ、水などを求めて患者が絶叫していたという。しかも、保健所が指導に来る日だけ、南京錠は外されたが、その居室の前は通り過ぎたので、閉じ込められた人の声は聴かれないまま、放置されていた。そして、保健所が帰った後、再び南京錠で閉じ込められたという。これは明確に精神保健福祉法違反であり、厚労省の担当者も一般論として指導を徹底する、と述べてるものの、保健所や東京都は具体的な回答を拒否し、病院も取材に応じなかった、という。

そして、残念ながら、このような杜撰な行政指導も、いまに始まったことではない。医療監視や実地指導の当日だけ、隔離拘束がとかれたり、施錠された部屋が開放されたり、ということは、コロナ以前からも、よろしくない病院あるある、であったのだ(この実地指導の問題は20年近く前の院生時代に論文に書いたが、本質的には変わっていない・・・)。そして、これは精神医療業界の「常識」で、であるがゆえに、このY病院に実際に訪問して、南京錠施錠を発見した松沢病院スタッフ達の会議の後で、一部の医師が「コロナを治療した後、その病院にそのまま帰すだけでいいのか?」と当時の院長であった斎藤医師に詰め寄った所、「そういう病院が潰れてしまったら、今の社会は受け入れないので、もっとひどい病院に行くだけだ」と苦渋の表情を浮かべていた。

この斎藤院長の煮え切らない発言にモヤモヤしたのだが、これはこの院長や松沢病院の責任ではない。結局のところ、医療だけでなく社会の秩序維持までも精神病院にお任せしてしまい、少ない予算でお願いするから中身については特に問わない、という形で戦後ずっと民間病院に強制入院をほぼ丸投げしてきた(9割の病床が民間病院)、日本の精神医療の宿痾が、コロナ危機に極大化しているのである。

そのことは、4年ほど前に記事(誰のため、何のための「改正」? 精神保健福祉法改正の構造的問題)を書いたのだが、その際に書いた論点は、残念ながらこの番組でも活用できてしまう。僕はこの記事の中で、「精神医療の目的は犯罪予防ではない」と書き、精神科医に治安の責任を負わせるべきではない、と書いたが、現状では先の山崎発言にあるように、犯罪予防や治安の責任を精神科医や精神病院に追わせているのである。だから、他科で見られる重大な人権侵害も、精神科病院ならずっと見過ごされてきたのだ。これは、神出病院など最近の虐待事件でも、繰り返し現れ続けていることでもある。

斎藤院長は番組の中で、こんなフレーズも述べていた。
「見たくないんだよ、自分が怖いものは」「ひずみは必ず脆弱な人に現れる」

精神病院に患者を閉じ込めて、そこで何が行われているのか、直視しない。これは、家族関係などの極端な悪化の中で生きる苦悩が最大化した人を、家族だけでなく支援者もうまく見る事が出来ないから、精神病院にお任せしてしまう、という現状である。「町で暴れている人」も、意味なく暴れているのではなく、暴れざるを得ないほど、生きる苦悩が最大化したのだが、そのときに、町の中でそれを鎮める術を日本ではうまく構築してこなかったから、そうなっているのである。一方、オープンダイアローグだとか、トリエステ方式だとか、世界の様々な地域では、急性期の人も、家族が丸抱えするのでも、病院に丸投げするのでもなく、地域の中で、医療者と家族と本人が共に、急性症状を鎮め、よりよい関係性を再構築するための支援をやりながら、隔離拘束を最小化している地域もある。

つまり「医療と社会秩序を両方精神医療に任せておいて、この(診療報酬)点数なんですか?」という「問い」に対するまっとうな答えとは、「社会秩序は警察に戻した上で、まともな医療をちゃんとやってください」ということに、尽きるのだ。それが出来ないなら、病院経営から退散してほしいのだが、厚労省はそういう病院の持続可能性には妙に配慮してしまう(僕は以前、それをワープロ業者への補助金と批判した)。

そこで、コロナ危機で改めて浮かび上がった、脆弱の人に直撃したひずみとしての現状をどうするべきなのか? 隔離収容での集団管理型一括処遇が、クラスタ感染をもたらした大きな要因であることは、まず間違いない。そして、その陽性患者に適切に対応出来ない古い病棟体質が、二次被害ももたらした。そういう意味で、結局の所、やっぱり社会的入院の患者さん達を、国の責任で退院させていく、強力な戦略が必要不可欠だ、という帰結に尽きる。そして、それをどうやったらいいのか、は10年前に関わった国の障がい者制度改革推進会議総合福祉部会で既に整理している(そのことはブログに以前書いた)。

こういうことを放置していたからこそ、今回の精神科病棟におけるクラスタ感染だとするならば、これは自然災害なのか? 人災の部分はないのか? 改めてこの番組を見ながら、モヤモヤが強まるばかりである。

わたしたちの怒りが社会を変える

アメリカの障害者運動のリーダーで、後にアメリカ政府や世界銀行でも活躍したジュディス・ヒューマンの伝記『わたしが人間であるために 障害者の公民権運動を闘った「私たち」の物語』(現代書館)を読む。そこには、差別され、排除されてきたがわだからこその悔しさと、絶対に諦めない不屈の精神が溢れている。そして、彼女の言葉はほんまもんの力強さで、読む人を揺さぶる。(彼女の語りはTEDでも見れる)

この本は、公民権運動から疎外されていると感じていた障害者達が、自らの市民としての権利を獲得するために、連邦政府ビルを占拠して激しい抗議活動を行いながら、政府高官や政治家と交渉を続け、障害者の権利を認めさせてきた、その闘いの内実や、そうせざるを得なかったジュディスの憤りがひしひし伝わってくるし、物語としてめちゃくちゃ面白いので、あっという間に読んでしまう。そして、障害者運動の歴史的意味に即した解説は、巻末に日本の障害者運動のリーダーのお一人、尾上浩二さんがバッチリ書いておられる。なので、ぼくは個人的に揺さぶられた部分をご紹介してみたい。

「 あなたのことを無視する時、相手は意図的に力を誇示している。相手は基本的にあなたが存在しないものとして振る舞う。そして、そう振る舞う理由は、それが可能だからだ。それをしても、自分の身には何も起こらないと思っているからだ。
無視は人々を沈黙させる。無視することで、意図的に和解や妥協を回避する。そして、自分が無視されても仕方がない存在だと感じさせることで、「自分は価値のない人間だ」 と言う最も嫌な恐怖心を植え付けるのだ。その結果、無視された間は、騒ぎを起こすか、黙殺される状況を受け入れるか、の二択を必然的に追い込まれてしまう。
もし、無視をする相手に対して立ち上がり、困らせるようなことをすれば、あなたは礼儀正しい言動の規範を破ったことになり、最終的にはもっと嫌な気分にさせられ、力を削がれ、おとしめられた気分にさせられるのがオチだ。」(p213)

彼女は障害を理由に学校への入学を拒否され、大学卒業後もニューヨーク市で教師になりたいと願うも障害を理由に拒否され、あるいは飛行機に乗るときに介助者がいないから搭乗拒否をされ・・・と様々な場面で拒否され続けてきた。それだけでなく、彼女や障害者運動の仲間達が、不公正な現状を変える法改正を訴えても、役人や政治家は彼女たちの発言を無視し続けてきた。そもそも普通高校に進学した折にも、彼女はふつうの同世代の友人として見なされていなかった。「基本的にあなたが存在しないものとして振る舞う」一般人と、ずっと出会い続けてきた。

でも、彼女は泣き寝入りしたり、自分の夢を諦めたりしない。「自分が無視されても仕方がない存在だと感じさせることで、「自分は価値のない人間だ」 と言う最も嫌な恐怖心を植え付ける」という構造をそのものを理解し、それはおかしい、許されるはずがない、と小さいときから感じていた。怒りに蓋をしなかった。だからこそ、「騒ぎを起こすか、黙殺される状況を受け入れるか、の二択を必然的に追い込まれてしまう」状況では、必ず彼女は声を挙げた。それは、彼女が「存在しないものとして振る舞う」一般社会に対する異議申し立てであり、おかしいものはおかしい、というごくまっとうな姿勢からであった。

とはいえ、彼女は最初から「礼儀正しい言動の規範を破」ることを平気でやってのける人物だったのではない。

「 成長するにつれ、私は2つの真実を経験した。私の母は闘士だった。同時に、母は父には従順だった。 自分の意見を通すためなら、当局に疑問を突きつけるためなら、自分のために立ち上がるためなら、なんでもしろと教えられてきた。同時に、私はいい子になるように育てられた。」(p235)

ジュディスの母は、彼女が学校に入れるように、教育委員会や近隣に働きかけることを惜しみなく続けてきた。その意味では、その当時の「障害のある子どもに普通教育は必要ない」という社会規範に異議申し立てをする闘士であった。その一方で、家の中では夫に従順である、という意味で、家父長制的価値規範には従順であった。これは、障害があることを理由にして人生を諦めるな、という意味で、「自分の意見を通すためなら、当局に疑問を突きつけるためなら、自分のために立ち上がるためなら、なんでもしろ」という闘士の精神である。その一方、家父長制的な価値規範の中で「いい子になるように育てられた」。

そして、ジュディスは障害のある女性、ということで、複合差別を受ける事になる。最近は交差性(intersectionality)という言い方もしているが、複数のアイデンティティ(障害者であることと、女性であること)の両方が重なる=交差する事によって、複合的な差別にあう、ということである。ジュディスの場合は、戦う障害者運動のリーダーとして、様々な異議申し立てをしてきた。だが、仲間とともに作った当事者組織(WID)の共同代表を降りることが求められ、男性リーダー(エド・ロバーツ)に一本化することが、彼女のいない理事会の場で決められてしまう。彼女は「でしゃばり」と言われたが、エドは「でしゃばり」とは言われなかった。(p237)

「本音を言えば、わたしはエドみたいに自分を前面に出したことはなかった。エドはそれを自然とやっていた。物事は動き、自分は歓迎されて当たり前だとエドは思っていた。特権はそこにあるものだった。でも、わたしにとって、それは働きかけて初めて得られるものだった。わたしの考え、わたしの存在そのものでさえ、受け入れられて当然だと感じたことは一度もなかった。意識していなくても、男性とは異なる振る舞いをするようになっていた。」(p235)

エド・ロバーツも、ジュディス・ヒューマンも、世界的に知られた障害者運動のリーダーである。そして、2人で共闘する中で、アメリカ社会での差別禁止の法制度を実現させていった。だが、この2人の間にも、男性と女性という違いゆえの、交差性問題が生じていた。ジュディスは主張することだけでなく、いい子になるよう育てられたゆえ、エドのように自分を前面に出す機会を逸して、それゆえ、共同代表の座から下されたのである。これは、障害者運動の中でも、男性の無自覚な特権性に基づき、女性障害者に「でしゃばり」とレッテルがはられる風潮が続いていたのである。

だが、ジュディスは、その自分の中の「いい子性」を、少しずつ脱ぎ捨てていった。「でしゃばり」と言われようと、怒ることをやめなかった。

「この怒りは間違っているのだろうか? 小さいときに教え込まれたように、これらは女性らしくない、自分勝手な振る舞いなのだろうか? わたしはそうは思わない。私たちの怒りは、根深い不平等によって焚き付けられた憤りだ。憤りに値する、数々の過ちがあったのだ。そして、その憤りがあったからこそ、私たちは現状に風穴を開けることができたのだ。」(p237-238)

これはアメリカの、カリフォルニアの、1970年代の障害者運動だけの課題ではない。日本のいま・ここにおいて、障害者運動だけでなく、女性差別や、様々な社会問題が放置されている中で、「根深い不平等によって焚き付けられた憤り」がTwitter上には溢れている。だが、ジュディスはそれを匿名で誰かに罵詈雑言を投げつけて終わるようなことはしなかった。そうではなくて、良い子の仮面を脱ぎ捨てて、あかんもんはあかん、と立ち上がり、実名で抗議活動に取り組み、実際に社会的な不平等を変えていき、現状に風穴を開けていった。彼女は怒りに蓋をしたりなかったことにして、「いい子のふり」をしなかった。そうではなくて、おかしいことはおかしい、と怒り続けることで、それを社会変革のパワーに変えて来たのである。

手前味噌であるが、今年出した拙著との共通点を思い出していた。『脱「いい子」のソーシャルワーク:反抑圧的な実践と理論』という共著を、この本と同じ現代書館でこの春出した。そのタイトルを考える際、反抑圧的実践を日本で伝えるために、どんなタイトルが良いかを著者チームで相談した際、「体制にとって都合のいい子」をやめよう、という意味で、「脱いい子」というタイトルをつけた。実は、福祉研究者の一部から、このタイトルにモヤモヤする、という声を仄聞していた。だが、今回ジュディスの伝記を読んで、改めてこのタイトルで良かったと思っている。障害者であれ支援者であれ、「でしゃばり」と言われたくないので、おかしいと思っても「いい子」の仮面を脱ぎ捨てられない人は多い。でも、本当に社会を変えたいなら、福祉用語で言えばソーシャルアクションに取り組みたいなならば、「いい子」でいること、というのが、自らにつけられた足枷であり、自己呪縛である、ということに気づく必要がある。先達のジュディスは、悔しい思いを重ねる中で、その悔しさが、複合的な差別要因を内面化し、自覚化できていなかったゆえのものである、と気づいた。その上で、それを言語化し、憤りを怒りとして表現し、社会に訴えかける事により、社会を変えてきた。あかんもんはあかん、と怒りを表明しても良いのである。それを地で証明してくれたのだ。

その彼女たちの怒りを、障害が現時点ではなくて、男性という特権を持っている僕が、どう理解できるか、受け止められるか。彼女たちの怒りの声に真摯に耳を傾けられるか。その上で、何ができるのか? そういうことが問われていると思うし、それが昨今の日本でも使われ始めたally(同盟者)に求められている課題なのだと思う。

そして、最後に翻訳についてひとこと。この本の訳者、曽田夏記さんは、次世代の障害者運動のリーダーのお一人である。その彼女が訳した文章は、実に読みやすい。実はぼくも原著を持っていて、でも曽田さんが訳されると聞いて「積ん読」だったのだが、今回翻訳を読み終えて、改めて原著をパラパラ拾い読みしてみた。どの部分もスッと頭に入ってくる。翻訳を読んでいるのだから当たり前だろう、と言われるかも知れないが、さにあらず。翻訳がひどいと、原著のテイストと全然違う場合が少なからずあるのだ。「え、こんなことを言いたかったんだ、意味がわからないのは翻訳のせいだったんだ」とがっかりすることも、数知れず。でも、この本の場合、原著のヴォイスが、そのものとして日本語に変えられている。それは、「障害のある仲間たちが日々の活動の中でわたしに聞かせてくれた経験や感情」(p326)を血肉化した曽田さんだからこそ、選び取ることができた表現だったのだ、とも感じられた。

そういう意味では、ジュディスやアメリカの障害者運動の息吹が、日本の障害者運動の息吹と交差するなかで、すぐれた翻訳作品としてできあがった傑作である。夏の読書のお供に、是非ともオススメする。少なくとも、障害者関連で読んだ本では、文句なく古典的名著になる一冊である。

処「法」箋の威力

青木志帆さんの新刊『相談支援の処「法」箋—福祉と法の連携でひらく10のケース』(現代書館)を読む。この本、法律の解説本でもあるのだが、そのジャンルのなかでは破格の読みやすさと、面白さ。それは、福祉現場の様々な「困難事例」に、法のアプローチならどう関われるか、を書いているからである。

青木さんは明石市役所に勤める弁護士で、社会福祉士で、ついでにいうとタニマーの活動もされている、魅力的でオモロイ人である。ぼくも以前から仲良くさせてもらっていて、2019年の年末に姫路の飲み屋で昼酒(コロナ危機では出来ないけど)をあおりながら、おしゃべりする中で、「こんな本を書いてみたい」と構想を伺い、めっちゃおもろいやんと、現代書館とお引き合わせをさせて頂いた。そして、出来てみたら、ほんまにオモロイ本で、ぼくもめちゃくちゃ勉強になった。

例えばケース7で出てくる「万引きを繰り返す高齢者」の話。青木さんは、福祉現場でソーシャルワーカー達と仕事を共にする弁護士、というニッチな立ち位置ゆえ、下記のようなエピソードが書ける。

「「なぜ悪いことをした人の支援をしなければならないのか」「私たちが支援をすることで、刑が軽くなるのはおかしいと思う」。
私が、法律相談を聞きながら更生支援をしていたときに、現場の専門職からよく聞いた意見である。私は、これはもっともなことだと思う。ただ、刑事手続きの登場人物たちが福祉的支援を求める目的は、「あるべき刑罰を軽くするため」ではない、ということはどうかわかってほしい。
たとえば、逮捕・拘留をきっかけに、その人の生活を困難にさせていること(障害、認知症、財産管理能力、親の介護と子育てのダブルケアなど)が外部に初めて明らかになることは実際多い。その人を犯罪に走らせたものが、そうした支援で社会内で更生できたほうが本人にとっても社会にとってもメリットが大きい。刑事手続きの関係者たちは、そうした思いで被疑者・被告人への福祉的支援を求めている。」(p133)

これは、法務省の視点だけでも、厚生労働省の視点だけでも、書けない文章である。そして、日本のお役所は一般的に縦割りであるがゆえ、省庁が違うと言語だけでなく価値前提も異なる。そのため、特にこのような罪を犯した障害者・認知症者のように、司法と福祉のどちらのアプローチも求められるけど、両者のアプローチがそもそもだいぶ異なる時に、この二つのアプローチをうまく接続させることは、そう簡単ではない。これは、現場でよく聞く話でもある。

そして、青木さんは、その両方の視点や内在的論理を知る、優れた通訳者的存在でもあるため、お互いの誤解を解くために、すごくわかりやすい例で解説してくれる。上記の場合なら、因果応報的な懲罰の論理に過度に囚われる福祉支援者に対して、「その人を犯罪に走らせたものが、そうした支援で社会内で更生できたほうが本人にとっても社会にとってもメリットが大きい」という論理をわかりやすく教えてくれる。そしてその背後にある「再犯防止推進法」の存在を挙げた上で、「なぜ更生支援を自治体でやらなければならないのか」も説く。そう、実はこれは福祉関係者と行政の間の価値観や認識のズレを埋める本でもあり、青木さんは市役所勤務ということもあって、自治体の論理と福祉・司法の論理の通訳もしてくれる。さすが、マルチタレント!

こういう認識のズレがなぜ生じるのか。青木さんはこんな風にも解説している。

「法律の世界は、原則として『合理的な判断能力のある人』をプレーヤーとして念頭に置いている。このため、福祉の当事者をめぐるケースマネジメントと法律とは、それほど相性が良くない。合理的な判断が難しい状況になる人に用意されている制度は、成年後見制度くらいしかない。医学的な意味で判断能力が低下している場合は成年後見制度を利用すればいい。でも、環境的要因のせいで『なんでそうなるのかなぁ』という選択をしてしまう当事者たちの場合、その困難を解決するのに法律は本当に使いづらい。
だからといって、『解決ニーズがないんじゃ仕方ないね』と権利救済を諦めてしまうのはいかがなものなのだろうか。すぐに分離できなくても、家計を立て直すのに時間がかかりそうでも、『法律にあてはめたら本来はこうなる』という結論を支援方針の軸としてチームで共有することができれば、少なくとも現状よりも権利侵害の度合いが深まってしまうことは防げるはずだ。将来生ずるかもしれない、深刻な法的な危機を予想し、そこから逆算して支援者としてできることを考えられたらよいと考えている。予防医学、予防法務的発想に近かもしれない。」(p187)

そう、福祉の分野でややこしいのは、意思決定支援が必要な状態にある人である。それは、「合理的な判断能力」なるものが、一時的であれ、部分的であれ、損なわれている状態にある人のことだ。その理由は千差万別。単に高齢者や障害者だから、だけでなく、そこに多重債務や虐待、DV、8050問題、あるいは周囲の差別的対応など、色々な問題が重なるなかで、「どうしてよいのかわからない」状態に追い込まれる。そういう時に、「福祉の当事者をめぐるケースマネジメント」が求められているのだが、青木さんはその状況は、「合理的な判断能力」を前提とした「法律とは、それほど相性が良くない」とも言う。

でも、この本の良いところは、『法律にあてはめたら本来はこうなる』という方針を支援チームで立て、そこに法律家も協力することで、「少なくとも現状よりも権利侵害の度合いが深まってしまうことは防げるはずだ」と明快に述べる点である。そう、法は福祉的支援に万全ではないが、使えるものはトコトン使おうよ、とその使い方を教えてくれる、道先案内人なのである。事実、弁護士と一緒に仕事をするにはどうしたらよいか(ケース10)とか、債務整理の類型と具体的な違い(ケース2)とか、虐待防止法とDV防止法の使い勝手の違い(ケース6)とか、法学部で勉強するか、公務員試験を受けるとかしないとお目にかからないような知識を、本当にわかりやすく解説してくれていて、ぼくも勉強になる(前任校では法学部に13年勤めたけど、不勉強で知らないことだらけだった・・・)。

そして、こういう具体的な知識を福祉現場の人が身につけることによって、「将来生ずるかもしれない、深刻な法的な危機を予想し、そこから逆算して支援者としてできることを考え」る、事前予防的なアプローチが取れるのである。さらに言うと、弁護士や司法書士クラスタの人は、この本を読むことにより、福祉現場の人が何に困って、法律クラスタの人と近づきにくいか、とか、福祉現場の支援者が大切にしている価値前提や、連携の際に躓きやすいポイントとはなにか、を知ることも出来る。行政職員であれば、これからの自治体行政において、福祉と法がどう連携してことに当たる必要があるか、を理解することもできる。

そういう意味では、一粒で何度も美味しい処「法」箋なのであった。

「企業災害」と「否認/再認」

東日本大震災から10年たって、やっと、原発問題に関する書籍をぼちぼち読み始めている。

正直言って、そのことを考えるとキャパオーバーになりそうで、原発関連の新聞記事やテレビ番組は、見ないようにしてきた。原発のような危険なエネルギーは論外だという想いと、その一方でクーラーや携帯、PCにZoomなど電力を使いまくっている自分。電力の必要性と原発の危険性などを考えると、単純に矛盾のるつぼに陥りそうで、他にも考えるべき事が多いから、と目を背けてきたのだ。

だが、きっかけは、昨年NHKで緒方正人さんのドキュメントを見て、その後『チッソは私であった』を読んだことだ(そのことはブログに書いた)。そして、先日にオンラインで開かれた「原発災害と社会的分断」というラウンドテーブルに発話者の一人として誘われた事がきっかけとなり、本棚に買ってはいたけど読めなかった原発関連の書籍を読み始めた。10年経った今なら、やっとそれらを読んで考えられるようになってきた。

一冊目は、森永ヒ素ミルク事件や水俣病などに医師として関わり続けた山田真さんの本である。

「森永ヒ素ミルク中毒事件は食品公害と呼ばれる。水俣病も公害と言われる。だが、公害という言葉は実はふさわしくないように思う。これらの事件は加害者がはっきりしていて、その加害者は企業なのだから、『企業災害』と表現すべきではないだろうか。東電福島原発の事故も、同じく企業災害の範疇に含まれるだろう。
企業の犯罪は、最初に被害を出しただけではなく、事後処理のレベルでも行われてきた。この事後処理における犯罪のくり返しが、ぼくを『何度も見た』という思いにさせるようだ。つまり加害企業が被害を隠蔽し、被害者を切り捨てることのくり返しである。」(山田真『水俣から福島へ 公害の経験を共有する』岩波書店、p4)

僕はその名前くらいしか知らなかった森永ヒ素ミルク事件は、ドライミルク生産工程で起こった、明らかに企業コストを下げるためのずさんな品質管理の中で起こった人災であり、「企業災害」である。そして、当時このドライミルクが流通していた岡山県内で「奇病」が発生している事は小児科医は気づいていた。どうも森永のドライミルクと関係があるらしい、とも気づいていた。だが、岡山大学の小児科は教授が、「もし森永ドライミルクが『奇病』の原因ではなかった場合森永に大変な迷惑をかけることになる。だから森永ドライミルクが原因でないかなどということを軽々しく口にすべきではない」と箝口令がしかれた(p15)。これが被害の蔓延につながったという。

さらに被害者への検診をする段階において「ヒ素中毒の影響と確認される病状はない」と判断することにより、被害が専門家によって認められない被害者が多く発生する。これは「異常ではない」と言わず、「ヒ素中毒と関係があるかは確定できない」から、被害対象の範囲外である、という対象範囲の極端な制限であり、被害者外しの論法である。そして、これは広島や長崎の原爆被害者に対する論法と全く同じだ、と筆者は述べている。数日前に「黒い雨訴訟」で広島高裁が被害者全員を認定せよ、という判決を下したが、戦後76年たっても、被害者範囲を限定した専門家や国の判断が、被害者を苦しめる構図は変わっていない。

この大企業と国が結託して、「企業災害」の範囲を限定し、被害者を極端に制限し、なるべく問題を矮小化する構図は、水俣病でも福島原発事故でも同じだ、という。さらに、この「企業災害」における被害者軽視に、医者や科学の専門家が加担し、国家や大企業の論理に迎合して、被害範囲をできる限り狭めたり、「直接の因果関係は確認出来ない」などと認定することで、問題がないかのように「お墨付き」を与える論理が生まれてきたのだ。

そのことについて、哲学者二人による論考は、アルチュセールの「否認」「再認」の概念を用いて、次のように整理する。

「アルチュセールはこのメカニズムを、イデオロギー的主体化=服従化のメカニズムと名付けている。これを私たちの文脈に当てはめるなら、国家と資本は、自らが経済的、軍事的な目的で構築した原発を維持し、発展させるために、諸主体に働きかけ、『原発は安全であり、事故を起こしてもその影響はほとんどない』という『イデオロギー的再認/否認』のメカニズムに従って諸主体の認識を構成しようとする、ということになる。私たちが『安全』イデオロギーと呼ぶのは、原発の安全性と原発事故の影響に関わる、このような『イデオロギー的再認/否認』のメカニズムの総体である。」(佐藤嘉幸・田口卓臣『脱原発の哲学』人文書院、p94)

「原発は安全だ、アンダーコントロールだ」というのは、事実確認的発言ではなく、そういうものだと自分に思い込ませる意味では、行為遂行的発言である。そして、ある種の価値観を「再認」し、別の価値観を「否認」するために、そのような発言を繰り返すことは、確かに「『イデオロギー的再認/否認』のメカニズム」である。さらにいえば、国家がそのような『イデオロギー的再認/否認』の言説をくり返しながら、人々を一定の方向に導く、という論理構造こそ、まさに「イデオロギー的主体化=服従化のメカニズム」である。

これは、まさにコロナ危機の2020年から2021年夏において、ずっと僕たちが垣間見たことではなかっただろうか。突然の学校休校に始まり、GoToキャンペーンやオリンピックの延期や開催に向けた朝令暮改、そしてワクチン接種の加速化と失速化、など、様々な問題が起こるたびに、「安全神話」がどんどん揺らいでいく。まさに行為遂行的発言の恣意性が暴露され、統治メカニズムとしての「イデオロギー的再認/否認」の暴力が可視化され、人々がそれに翻弄されているプロセスのように思えてならない。

「彼らが、事故の危険性に関する様々な指摘をイデオロギー的に再認/否認するのは、そのような危険性を否認しなければ、内部に巨大なエネルギーと膨大な放射性物質を内包する点において極めて危険な、原発というシステムを運用することが不可能になってしまうからだ。そして、こうしたイデオロギー的再認/否認のメカニズムは、私たちの『原発事故はあってほしくない』という否認のメカニズムと共振して、互いに強化し合う。従って、イデオロギー的再認/否認の悪循環から抜け出すためには、過酷事故の可能性を直視して、原発を廃止するという決断を下す以外に方法はないのである。」(p158-159)

僕自身にも「『原発事故はあってほしくない』という否認のメカニズム」が働いていた。それは、原発事故の後も、そうだ。2011年3月、毎日テレビとツイッターに釘付けになって動けなくなっていた僕は、当時の枝野官房長官がくり返し述べていた「直ちに健康に影響はない」というフレーズを、「信じたい」と思っていた。それは、広島や長崎の原爆被害者の事を想起すれば、あるいはチェルノブイリの事を考えたら、「直ちに影響はあるはず」なのだけれど、「まさか」そんなはずはないと思い込みたかったし、それは佐藤さんと田口さんの指摘する、「『原発事故はあってほしくない』という否認のメカニズム」そのものだった。

そして、国民の側の被害があって欲しくない、という「否認のメカニズム」は、企業災害を起こした側やそれを管理する国側の、統治機構の「否認のメカニズム」と軌を一にする。「まさか水俣の奇病とチッソが関係しているはずはない」「寒村に一大産業をもたらした足尾銅山が公害を起こすはずはない」・・・などという「否認」および、貧しいこの地域が生き残るには原発(工場、鉱山)と共に生きるしかない、という「再認」のメカニズム。そこに電源三法交付金などの国家による「買収」=アメが結びついていると、「この利益誘導のシステムはいわば、経済的権力によって地方を麻薬中毒患者のように原発に依存させ、その依存から抜け出せないように服従化し続けるものなのである。」(p200)

その上で、以下の表記は、コロナ危機にある現状の構造を見事に射貫いているようにも思える。

「官僚機構は、政権がいかに交代しようとも、また、どれほどカタストロフィックな原発事故が起きようとも、一貫して従来通りの政策を実行しようとする。原子力国家とその官僚機構の本質的性格とは、『何が起きようとも自らの前提、原理を決して変えない』という極めて硬直的なものである。」(p447)

この硬直性は、コロナ危機における政府や政権の対応のまずさにも表れている。今に始まった問題ではない。結局、明治以来の官僚機構の一貫性は、平時には日本型統治の良い部分にもつながっていたが、グローバル化してDX化している21世紀においては、その一貫性や前例踏襲主義は、全く役立たないどころか、弊害になっている。それは、未だに保健所からFAXで連絡させることとか、海外から帰国した人への検疫体制のアナログ的展開とか、あるいは大阪市に代表されるパソナへの外部委託問題とか、色々なところで露呈している。

それらの個別事情を、「イデオロギー的再認/否認のメカニズム」と補助線をつけたうえで、僕たち市民の一人ひとりに、その「イデオロギー的再認/否認のメカニズム」が内面化されていないか、を批判的に問い直す事が改めて必要なのだと思う。

ぼくは最初の単著、『枠組み外しの旅—「個性化」が変える福祉社会』(青灯社)を書いたのは、2011年の震災後のショックからだった。2012年の春に論文を書いたのがきっかけになり、深尾先生と安冨先生にお声がけ頂き、3ヶ月ほどで一気呵成に書き上げた。

あのときは、今から思えば、あの本で問い直したかった枠組みとは、福祉に関する「イデオロギー的再認/否認のメカニズム」だったのではないか、と思っている。そして、それを問い直す中で、原発問題や沖縄米軍基地問題の膠着性にも、この枠組み問題があるという事には気づいていた。だが、編集者から「その辺りをもう少し深く書いてみませんか?」と言われても、その時にはどう書いてよいかわからず、放置していた。

それからまもなく10年が経つ。そして遅まきながら、日本社会に蔓延する、福祉以外の「イデオロギー的再認/否認のメカニズム」との共通性というか、同根性のようにも、目を向けるようになってきた。それは僕自身の「『原発事故はあってほしくない』という否認のメカニズム」と向き合う事であり、緒方さんの言葉を借りれば、「チッソは私であった」とはなにか、を自分に問い直すことでもある。やっと、そんな地平に経ち始めたのかも、しれない。

そろそろ、あの本の続編を書くべき時期なのかも、しれない。

『チッソは私であった』と向き合って

福祉社会学の講義で、緒方正人さんを取り上げたハートネットTVの映像を元に学生達と議論する。今年の授業は『なぜ人と人は支え合うのか』および拙著『枠組み外しの旅』をテキストに、相模原事件や優生思想など障害者福祉を中心に議論をしてきた。だから、水俣病問題とは、直接関係はない。また、僕の授業で、水俣病問題を取り上げたことは、一度も、ない。

でも、昨年末文庫本として復刊された『チッソは私であった』(緒方正人著、河出文庫)を読んで、強烈に魂が揺さぶられた。彼が狂った描写を読んで、決して他人事に思えなかったからだ。そして、これは深い意味で、僕が追いかけて来たテーマと共通している、と感じていたからである。

「『チッソってどなたさんですか』と尋ねても、決して『私がチッソ』ですという人はいないし、国を訪ねていっても『私が国です』という人はいないわけです。そこに県知事や大臣や組織はあっても、その中心が見えない。そして水俣病の問題が、認定や補償に焦点が当てられて、それで終わらされていくような気がしていました。(略)要するに構造的な水俣病事件と言われる責任というのが、結局はシステムの責任ですね。システムの責任が今まで言われていたのです。人間の責任という一番大事なものが抜け落ちている。平たく言えば、この世の中では、責任というのが、制度化されてしまう。医療制度の問題や、お金を払えばいいんでしょということになってしまう。」(p44-45)

僕自身は、例えば脱施設・脱精神病院の問題も、国がシステムとして対応すべきだ、と考えてきた。ハンセン病の国家賠償訴訟のことや、旧優生保護法での強制不妊手術の問題についても、国家が謝罪し、法的に対応するよう、市民運動のうねりが圧力をかけてきた訳であって、同じようなことが必要だと思っている。

だが、水俣病訴訟の原告団のリーダーとして、自分の父親が殺された敵討ちをしようと遮二無二頑張ってきた緒方さんは、制度的保障が不十分な形でも実現していくプロセスを見ながら、これはおかしい、と直感する。誰の責任か、を会社や国に問うても、そこで引き受ける人間が見当たらない。結局のところ、国や会社というシステムを回す個人は、人事異動でたまたまそのポジションについただけ、というスタンスを崩さず、その人々が全人格を賭けて責任をとろうとしないし、それも求められてない。すると、「人間の責任」が有限化され、限定されることにより、「この世の中では、責任というのが、制度化されてしまう。医療制度の問題や、お金を払えばいいんでしょということになってしまう」のを知る。

これでは、誰に敵討ちしてよいのか、わからなくなってしまう。さらに緒方さんは、チッソや国の責任が有限である、という論理を広げていく内に、被害者である自らへの責任問題も考え始める。

「私自身も今では車も運転し、船も木造からFRP(強化プラスティック)になって、情報を新聞やテレビから得、電化製品の中にあるわけです。確かに私自身が水銀を流したという覚えはないですけれども、時代そのものがチッソ化してきたのではないかという意味で、私も当事者の一人になっていると思います。しくみ全体が、そういうふうに動いてきているということがあると思います。かつては、チッソへの恨みというものが、人への恨みになっていた。チッソの方は全部悪者になっていて、どっか自分は別枠のところに置いていた。しかし、私自身が大きく逆転したきっかけは、自分自身をチッソの中に置いた時に逆転することになったわけです。水俣病の認定や補償や、医療のしくみを作ることではすまない責任の行方が、自分に問われていることにを強く感じていました。」(p73)

今日の授業では熊本出身の学生がいたので、水俣のことを教わったら、「魚がめちゃくちゃ美味しくて、ミカンが特産品で、鹿児島との県境に近いところ」といっていた。そんな風光明媚な場所だったが、工場誘致の結果、チッソが工場を作り、そこで地元の人々(農家や漁師の家の長男以外)の雇用が生まれた。そして、アンモニアやプラスティック素材の原料(オタノール)を作ることで、現代人の生活と強く結びついている産業であり、工場である。つまり、チッソを誘致し、チッソが作り出す化学製品を求めたのも、便利で快適な生活をしたいと望んだすべての近代人であり、「時代そのものがチッソ化してきたのではないかという意味で、私も当事者の一人になっている」と緒方さんは気づいてしまったのだ。

「問題の一部は自分自身である」

これを、ご自身も水俣病の後遺症に苦しみ、父親を急性水俣病で亡くした緒方さんが認めるのは、身をひき裂く苦痛であると思う。「チッソの方は全部悪者になっていて、どっか自分は別枠のところに置いていた。しかし、私自身が大きく逆転したきっかけは、自分自身をチッソの中に置いた時に逆転することになったわけです」と語るが、それは緒方さんにとっては、文字通り天地がひっくり返るような経験であった。

「私自身、その問いに打ちのめされて85年に狂ったのである。それは、『責任主体としての人間が、チッソにも政治、行政、社会のどこにもない』ということであった。そこにあったのは、システムとしてのチッソ、政治行政、社会にすぎなかった。それは更に転じて、『私という存在の理由、絶対的根拠のなさ』を暴露したのである。立場を入れ替えてみれば、私もまた欲望の価値構造の中で同じことをしたのではないか、というかつてない逆転の戦慄に、私は奈落の底に突き落とされるような衝撃を覚え狂った。一体この自分とは何者か。どこから来て、どこへゆくのか、である。それまでの、加害者たちの責任を問う水俣病から自らの『人間の責任』が問われる水俣病へのどんでん返しが起きた。そのとき初めて、『私もまたもう一人のチッソであった』ことを自らに認めたのである。それは同時に、水俣病の怨念から解き放たれた瞬間でもあった。」(p10-11)

被害者としての自分、加害者としてのチッソと国。これは絶対的な事実である。だが、緒方さんは被害者である自分も、「立場を入れ替えてみれば、私もまた欲望の価値構造の中で同じことをしたのではないか」と気づいてしまった。彼はそこでテレビを庭で壊し、車をぶつけた、という。つまり、自分が「欲望の価値構造」を持っていながら、「加害者たちの責任を問う」ことの矛盾や限界に気づいてしまい、それで狂ったのだ。でもそれは、僕たちが直視せずに「そういうものだ」「仕方ない」と諦めて蓋をした、パンドラの箱を緒方さんは開けたのだと思う。だからこそ、常識の箍が外れてしまうことで、狂ったのだが、それはまともな狂いというか、むしろ「私という存在の理由、絶対的根拠のなさ」の深淵に立ち向かう勇気を、緒方さんは持っていたのだと思う。ゆえに、かれは『私もまたもう一人のチッソであった』と認めることによって、被害・加害の二項対立軸の膠着状態としての「怨念」から解き放たれたのかも知れない。

これを、なぜ福祉社会学の授業で取り上げたのか。

例えば相模原事件の植松死刑囚に対して、「私もまたもう一人の植松死刑囚であったかもしれない」と思い始めている自分がいる。それは、この10年ほど、新自由主義がもたらす構造的剥奪について色々本を読み進めたり、議論を深める中で、結局のところ、能力主義が優生保護思想と強く結びついた時、「役に立たない障害者など、いなくなってしまえ」という極端な思考が生まれうる、という可能性に気づいてしまった。

もちろん僕はそうは思っていない。でも、役立つ・役立たないという能力主義は深く内面化してきたし、それで一定程度、勝ち残ってきた、と思い込んできた。そして、それこそが「立場を入れ替えてみれば、私もまた欲望の価値構造の中で同じことをしたのではないか」という緒方さんの問いに直結するのである。

また、精神病院が日本でいまだに「必要悪」と言われ、未だに30万人近くの人が幽閉されている現実の背景には、精神病院を必要としているこの社会構造を問うことなく、「加害者たちの責任を問う」アプローチでは限界を感じているからである。この日本社会で、未だに精神病院を求め続けている現状について、「自らの『人間の責任』が問われる」ような気がしているのだ。つまり、システムの問題を追及するにしても、その改善を求めるにしても、結局のところ、システムの漸進的改善=消極的なシステムの維持、を求めようとしていて、そのシステムのもつ構造的な膿のようなものと向き合おうとしていないのではないか。問題を寸止めで解決したふりをして、賠償や補償などの「お金」で解決したフリをして、結果的には精神障害を他人事と感じているこの社会の有り様までは問い直していないのではないか、と思い始めたのだ。

そう考えたら、拙著で取り上げたバザーリアもニィリエもフレイレも、自らの『人間の責任』をとろうともがいていた、とも言えるかも知れない。システムの問題点を糾弾や指摘するだけでなく、人間として自分はどのような責任をとりうるのか、を必死になって模索してきたようにも思える。それが、僕自身が拙著のタイトルにも込めた「枠組み外し」であり「当たり前をひっくり返す」の意味なのではないか、とも思い始めている。

そして、「人間としての責任」を考えたときに、僕自身がずっと気になっているのは、福島の原発問題である。このことは、又改めて、論じたい。

超アヤシくて実用的な本

「人生は悪循環か好循環のどちらかだ。悪循環に襲われている人は、感謝が足りない。日々、「ありがとうございます」と感謝の言葉を述べるだけで、悪循環は好循環に変わり、家族関係の不全も見事に改善される。ついでに言えば、先祖供養も感謝の気持ちでやれば、守護霊が護ってくれる・・・」

一見すると、非科学的で非論理的で、スピリチュアル系満載のアヤシいフレーズに思える。その一方で、どこか真実味もありそうな気がする。とはいえ、こんな簡単に複雑で困難な問題は解決するはずがない・・・。

そんな想いに駆られるかも、しれない。

でも、これは心理療法の一つ、家族療法のマスターセラピストで、数々のクライアント家族の不全を劇的に改善してきたマスターセラピスト、東豊さんのメッセージだとしたら、認識は変わらないだろうか。事実、上記に書いていることは、東さんの新著『超かんたん 自分でできる人生の流れを変えるちょっと不思議なサイコセラピー P循環の理論と方法』(遠見書房)の概要だったりする。そして、一読して、科学的かどうかはさておいて、これは非常に実用的な役立つ一冊だと感じた。

東さんはP循環とN循環という二つを、家族関係の主軸におく。PositiveとNegativeの略称である。「N循環の家族関係はN循環の心身を作り、P循環の家族関係はP循環の心身を作ります」(p20)という。実際、東さんが出会うクライアント達は、みなこのN循環に家族関係や心身が陥っていて、夫婦の不仲や子どもの不登校、DVなど様々な「困難」や「問題」に陥っている。そして、N循環を相手のなかにみつけ、相手のせいにして、さらにN循環を強化している。それを受けた側もさらに相手のせいにして、N循環を強化し・・・。

このようなN循環を変えるために、東さんはシンプルで驚きの誘いをする。

「まずはあなたからP気を放つのですよ。それを誘い水として周辺のP気をおびき寄せるわけです。」(p34)
「最初のうちは、本心か否かに一切こだわることなく、形だけでも感謝の言葉を言うのです。」「これを感謝行(感謝の実践)」と呼びます。」(p35)

うーん、充分にアヤシいメッセージ。公認心理師より新興宗教家とかスピリチュアル系YouTuberとか祈祷師のほうが絶対に向いていそうな(儲かりそうな!?)メッセージ。そう思う一方で、10年前に東豊さんの名著『セラピスト入門』と出会って、システムズアプローチの魅力にはまり、東さんの本を含めて家族療法の本を読み続け、オープンダイアローグを学んできたので、この東さんのフレーズは、臨床的裏付けがしっかりした、説得力ある言葉だと感じる。

さらにこの本には先祖供養や守護霊の話など、一般的な「科学的」で「実証的」な「大学教授」の書く本には出てこない「課題」が出てくる。だが、おそらく東さんの臨床現場では、そのような「先祖のたたり」とか「守護霊に護ってもらえない」などの「主訴」を抱えてくるクライアントが沢山いるのだと思う。すると、それを非科学的だ、非論理的だ、と断罪したところで、そのような「主訴」で困っているクライアントの悩みを解消することは出来ない。

そのため、マスターセラピストは、使える物は何でも使う。神社で柏手を打つ、お神礼を家に飾って祈る、「ご先祖の皆様、ありがとうございます」と唱える・・・といったことも、使える対処法であれば、何でも活用しようとする。どれも、神や仏を信じろ、という宗教に引き寄せて述べているのではない。すべては、P循環を自分自身や家族関係のなかに生み出した上で、本人や家族が囚われているN循環の魔の手から解放されるために、徹底的に使える物は使い倒せ、と主張しているのである。しかも、N循環の呪縛力は強いので、「N循環からの脱出」よりも「P循環の形成」こそ先に目指すべきである、とも主張している(p123)。そういう意味で、徹底的にプラグマティックな本なのだ。

N循環は、社会学のいう「予言の自己成就」にも近いかも知れない。「どうせできるはずもない」「やっぱり無理に決まっている」、そう思って課題に取り組むと、必ず失敗する。それは自分自身にかけている呪いの言葉、つまりは自己呪縛に縛られているからである。

マスターセラピストの東さんは、この「予言の自己成就」を解くための方法論を徹底的に探ってきた。「どうせ」「しゃあない」「やっぱり」というN循環にはまっている人に、そのN循環の構造を説明したところで、その循環から出ることは出来ない。そこで「ありがとうございます」という感謝行を編み出した。「ありがとう」と毎日唱えることで、心の中にその時だけでもP循環を生み出す。それは、N循環に陥っている本人や家族にとっては、違う循環の芽生えである。悪口や他者批判、自己嫌悪に陥っていては、いつまでもN循環の沼から出られない。だからこそ、マスターセラピストはこう宣言する。

「『P循環の形成』が人生の主題であると自覚し、P気を大切にする生き方を選択する。これが真の問題解決につながります。」(p127)

ほんと、その通りだと思う。僕もこのマスターセラピストの教えに従い、P循環の形成を生きる指針にしようと思う。東さん、良い本を書いてくださって、ありがとうございます!

内在的論理を掴む極意

社会学の師である厚東洋輔先生の大著を、東大出版会の雑誌UP2月号に書評させて頂いた。

書評はしっかり読み込む必要があるし、ましてや自分の恩師の集大成のような大著を、まさか僕が書評することになるとは思っていなかったので、めちゃくちゃ時間をかけたし、ドキドキしながら、以下のような原稿を書き上げた。出版社からブログへの転載は良いと言われたので、元々のワード原稿を貼り付けておきます。折に触れて読み返したい大著です。

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厚東洋輔氏の『<社会的なもの>の歴史—社会学の興亡1848−2000』は700ページ近くをかけて繰り広げられる、壮大な社会学理論を巡る物語である。それを、理論・学説史を専門にしていないフィールドワーカーであり、福祉社会学と社会福祉学の境界領域をさまよっている私が取り上げるのは、正直言っておこがましい。さらに言えば、四半世紀前に卒論指導をして頂いた「先生」の本を、このように取り上げるのは、かなりハードルが高い。だが、授けて頂いた学恩を文章で返礼するチャンスゆえ、忖度せずに書かせて頂くこととする。

文献フィールドワーカー

この本を読み通して気づいたことは、厚東氏は、文献フィールドワーカーであった、という驚くべき発見(仮説)である。あるいは、アームチェアフィールドワーカー、と言ってもよいだろう。通常、アームチェア社会学者と言えば、家から一歩も出ずに、古今東西の文献を渉猟して、博覧強記の学者、というイメージである。情報処理能力や英独仏の原著読解力が極めて高く、様々な理論や学説を縦横無尽に結びつけていきながら、快刀乱麻に理論的課題を分析整理し尽くしていく、そんな姿が思い浮かぶ。

確かに、この著作の中では、上記のようなアームチェア社会学者の実力が、遺憾なく発揮されている。だが他の理論社会学や学説史の本と圧倒的に異なるユニークさが、本書には貫かれている。そのヒントは、あとがきに記載されていた院生指導の記述に垣間見えている。

「どうしたら<theoryに関する知識>を<theorizingする力>へと変換することが可能になるのか、自分なりの試行錯誤の結果到り着いたゼミ方式が、<原書を一行一行丁寧に読解する>という実にシンプルなやり方である。原文を一行一行辿り直す作業を繰り返すことによって、原著者の思考過程を追思惟することが、すなわち理論の組み立て過程を追体験することがようやく可能となるのである。「理論」の理解で大切なのは、推論結果を要領よく把握することではなく、原著者と同じような推論過程を自分でも確実にできるようになることである。本書では、学史上重要な業績が取り扱われる場合、結論の手際よい要約よりは、結論の引き出される推論過程を一歩一歩再構成することにエネルギーが注がれている。」(p678-679)

「推論結果を要領よく把握」したうえで、「結論の手際よい要約」がなされている本を読むと、切れ味の良さに圧倒される。だが、厚東氏はそのような<theoryに関する知識>の整理では満足せず、<theorizingする力>へと変換することに、重きを置いている。この本でも、社会学の巨人達が生み出した著作に関して、「結論の引き出される推論過程を一歩一歩再構成することにエネルギーが注がれている」のである。それが、圧倒的に類書と異なっている。そして、時には再構成の過程の中で、「この著者の推論過程を辿るなら、本来の組み立てはこのようになるはずだ」という大胆な読み替えまでしていく。このあたりは、情報処理能力の高さだけでは歯が立たない領域である。そして、この記述には、十分に思い当たる節がある。

今から20年以上前、全く勉強しないまま臨んだ秋の大学院入試の際、英語の試験で不合格の憂き目にあった私は、卒論の指導教官だった厚東氏に泣きついた。氏は本書第9章に出てくるウィリアム・ベヴァリジのVoluntary Actionをテキストに、<原書を一行一行丁寧に読解する>指導をしてくださった。当時の私は非常に雑な読み方しか出来ていなかったのだが、厚東氏は一行一行、どころか、一つの単語を前後の文脈に合わせてどう訳すか、という部分まで、厳密に訳し直すように指導された。「結論の手際よい要約」が出来ればそれで良い、と思いながら、それすら出来ていなかった当時の私にとって、ここまで綿密に精読するのか、と驚きながら、氏の手ほどきを受ける中で、気がつけば原文の論理を辿る面白さと、少しずつ出会い始めていた。

ではなぜ「原著者の思考過程を追思惟すること」が、文献フィールドワークといえるのか? それは、私自身のその後のプロセスと関わりがある。

対象にギリギリと迫ること

私は、大学院では厚東洋輔氏ではなく、大熊一夫氏に弟子入りした。1970年に酔っ払ったふりをして精神病院に潜入し、その劣悪な実態を朝日新聞夕刊に「ルポ・精神病棟」として連載し、以後半世紀、精神病院の構造的問題を追い続けてきた福祉ジャーナリストの第一人者である。大学行政人としても優れた采配を振るった厚東氏が中心となって大阪大学人間科学部に新設されたボランティア人間科学講座の初代教授として着任し、国立大学初のソーシャルサービス論を掲げた研究室を主催したのが、大熊氏だった。私はその講座の大学院一期生であった。

アームチェア社会学者の厚東氏と、ルポルタージュを専門とする大熊氏は、一見すると水と油のように思える。だが、二人には大きな共通点が存在する。それが、対象への迫り方、である。

大熊氏が口酸っぱく言っていたことは、「本を読んでわかった気になるな」「対象にギリギリ迫れ」「足で稼げ」であった。徹底した取材で閉鎖的な精神医療の闇に迫っていく大熊氏ならではのアプローチである。師匠に連れられて精神病院でのフィールドワークを始めた私は、ソーシャルワーカーの仕事にくっついて回り、ワーカー固有の論理を理解しようと心がけた。博士論文では、京都府内の117人の精神科ソーシャルワーカーにインタビュー調査をして、その内在的論理を掴もうとした。

その当時は、フィールドワークやインタビュー調査をするのに精一杯で、理論書は殆ど読んでいなかった。だが、20年後に厚東氏の上記の指摘を読んで、びっくりしたのだ。「原著者と同じような推論過程を自分でも確実にできるようになること」とは、対象にギリギリ迫って、対象者の内在的論理を掴む、フィールドワークの手法と通底しているということに。

他者の内在的論理を掴む

フィールドワークの基本は、他者の合理性の理解、である。他者の内在的論理を徹底的に辿ろうとする。インタビューや参与観察を通じて、その動きをトレースする。その中で、他者にとっては非合理に見えるものであっても、本人の中でどのような内的合理性があるのか、を追体験し、再構成する。

実は、それは支援における基本でもある。支援対象者の査定や評価の前に、対象者の世界観を理解することから始めないと、支援がズレてしまう。特に、家族や近隣の人々との相互対立や悪循環を深めているような、「困難事例」とラベルが貼られた人々の支援をする際には、世間的評価は脇に置き、内的合理性を理解することが必要不可欠である。周囲から見ればとんでもないこと、と思えるような言動でもあっても、そんな「結論の引き出される推論過程を一歩一歩再構成すること」によって、そこにどのような内的合理性があるのか、という対象者の「思考過程を追思惟すること」。これを、私は福祉現場のフィールドワークから学んで来た。

このフィールドワーク的な「足で稼ぐ」手法を、厚東氏は文献でやっていたのだ。フィールドワーカーが膨大な時間を現場に通って、現場の言葉や雰囲気を吸収するように、膨大な時間を文献の中に沈思させて、その著者がどのような思いでなにを語ろうとするのか、の背景まで探ろうとする。アームチェアに座りながら、対象となる文献と格闘する中で、その内的合理性を辿る、というアームチェア社会学とフィールドワークの驚くべき接点が、厚東氏の著作の中にあったのだ。

例えば、ベヴァリジの著作を紐解きながら、厚東氏はこのように肉薄していく。

「ベヴァリジの構想においてキーをなすのは「社会サービス」の概念である。彼は所得保障としての社会保障の意義を次のように述べている。
『社会保障の目的は、欠乏の廃絶を通して、自分の力量に合わせてサービスを提供する意思のあるあらゆる市民が、いかなる時にあっても、自分の責任を果たすのに十分な所得を持つことを保障することにある』
所得保障は、それ自身が目的ではない。それはある種の行為を人々に可能にするエンパワーメントとして=条件整備としておこなわれる。「ある種の行為」とは何か。それは「社会のなかで活動」することである。「自分の力に合わせてサービスを提供すること」という規定を勘案してもう少し狭く、「社会を作り上げること」という方が適切だろう。」(p431)

この著作においても、「引用文は、本文の私の用語法と整合するように、すべて「厚東」の責任で訳し直されている」(pⅩ)。この「原文を一行一行辿り直す作業を繰り返す」作業を通じて、ベヴァリジにとって「欠乏の廃絶」は「目的」ではなく「条件整備」であると厚東氏は喝破する。しかも、「理論の組み立て過程を追体験する」中で、この「条件整備」とは、「社会を作り上げること」であると本質を射貫く。しかも、「社会サービス」は「個々人の自閉的な欲求満足のため(だけ)でなく、「社会」を作り上げるために費消されるべきである」との論理を読み解き、前者を「社会的給付」と訳し、後者を「社会的奉仕」と整理して提示する(p432)。四半世紀前に氏に一行一行読み方を教わったVoluntary Actionとは、「「社会」を作り上げるために費消されるべき」「社会的奉仕」であったのか、と気づかされて、ベヴァリジの世界観や意図を追体験することができ、改めて<社会的なもの>の歴史の結節点を辿り直す知的興奮を覚えた。

40年の時を超えて

そして、内在的論理の把握に関してもう一点、触れておきたいのが、マックス・ヴェーバーに関する氏の記述である。

「ヴェーバーの後半生の課題は、自己の入り組んだ「感情—反応の複合体」(フロイトなら「エディプス・コンプレックス」と呼ぶだろう)を学問の力で切開し、原理や価値の争いに移し替える—理念の平面に身を移し替えて両親に対するかたくなになったこじれた想いから自由になることである。「父」と「母」をいかに調停するか、という難問に終生苦しめられるなかから、ヴェーバーは、「政治」と「宗教」を基軸に<非合理的なものの合理的把握>を試みるという根本視座を体得していったのである。」(p250-251)

この分析は、1977年に厚東氏が東京大学出版会から出した初の単著の「あとがき」と繋がっていると私は受け取った。

「定評あるヴェーバー解釈にあきたらず、それに異を唱えるような論文をあえて書いてきたのは、なぜなのか。顧みて考えると、学部四年の時に、「東大闘争」に際会するという体験が、一つの岐路であったように思われる。「闘争」の渦中で、ヴェーバーに対して、きわめて強いアンビバレントな感情を味わった。それまでヴェーバー批判をしてきた人々が、その批判どおり行動できず、自他を瞞着する様をまのあたりにみて、ヴェーバーの所説、とりわけ学問論は、あのような危機的状況において自己欺瞞なく行動しようとする際には、きわめて頼りになる指針だ、と一方では実感しながらも、他方、ヴェーバーの本をそれまでに若干読んできたばっかりに、ヴェーバーの「世界観」にがっちりとはがいじめにされ、態度が棒を飲んだようにすっかり硬直化してしまい、変転常なき状況に柔軟に対応できず、結果として、政治的無能力に陥ってしまった、という感情をもったこともたしかである。ヴェーバーに対するこうしたアンビバレンスゆえに、ヴェーバーは、私にとって、「研究対象」となったのかもしれない。」(厚東洋輔『ヴェーバー社会理論の研究』東京大学出版会、p230)

厚東氏は、学部四年の時に際会した「東大闘争」において、「ヴェーバーに対して、きわめて強いアンビバレントな感情を味わった」。そんな自己の入り組んだ「感情—反応の複合体」を「学問の力で切開し、原理や価値の争いに移し替える」ことを試み、ヴェーバーと格闘した。「「政治」と「宗教」を基軸に<非合理的なももの合理的把握>を試みるという根本視座を体得していった」ヴェーバーの内在的論理=思考過程を追思惟することで、厚東氏自体が<theoryに関する知識>を<theorizingする力>へと変換することに成功した。それが、40年以上前の初の単著であり、本書に受け継がれている厚東社会学の根幹にある。

「政治的無能力」に陥ることなく「危機的状況において自己欺瞞なく行動」するために必要なことはなにか。それこそが、若き厚東氏に宿命づけられた根源的問いであった。そして、ヴェーバーを皮切りに、社会学理論というフィールドを探求し、<社会的なもの>をtheorizingする先達の内在的論理を一つ一つ丹念に追思惟することを通じて、個人による異色の社会学通史を完成させるにいたった。

社会問題の縮図としての「東大闘争」から半世紀、きわめて強いアンビバレントな感情を抱いた厚東氏が、学問を通じて<非合理的なものの合理的把握>を切開した、そんな落とし前が本書で付けられていると私には感じられた。

「対話のことば」をめぐる対話

井庭さんの『対話のことば:オープンダイアローグに学ぶ問題解消のための対話の心得』(丸善出版)を遅まきながら、やっと読む。この本は出たときから存在を知っていたけど、その当時はパターンランゲージの面白さや可能性を理解していなかったので、読まねばならぬ本リストの中に入れていなかった。でも、こないだブログで紹介した『クリエイティブ・ラーニング』を読んだ後、すごく気になってやっと買い求める。パターン・ランゲージの構造を知っていると、この本が何を伝えようとしているのかがよくわかり、読んでいる途中から「これは使える一冊だ」とひしひし感じるようになる。

その論理構造として僕が理解したものを、言語化してみたい。

この本は見開きで一つのテーマになっている。

例えば26番目のテーマとして書かれているのは、「混沌とした状態」である。見出しには、「その混沌は、変容の最中である」と書かれている。その下に、テーマを象徴する絵と、セイックラ・アーンキルの本が引用された上で、右隣のページには、「状況→問題→別のやり方→その結果」という四つの内容が示されている。例えば、こんな風に。(以下はp65の抜き書き)

【状況】「それぞれの人が自らの認識を語ることで、多様な認識が場にもたらされ、混沌としています。」

【問題】「わかりやすく整理したり、何らかの結論で話をまとめたりしようとすると、≪新たな理解≫が生まれる可能性が失われてしまいます。」

【別のやり方】「混沌とした状態は、意味が変容していく最中であると捉え、居心地の悪さに耐え、保留しながら、対話を続けます。」

【その結果】「安易に結論づけず、多義的で不安定な状態に耐え抜くことで、最初は別々だった認識がだんだんと混じり合っていきます。そして、そのような対話を続けることによって≪意味の変容≫が起き、≪新たな理解≫へとつながっていくのです。」

前半の状況と問題については、思い当たる人も多いのではないだろうか。ある会議で、一つの方向で話をまとめたいと思っていたのに、「余計なこと」(と自分には思われること)を言い出した人のお陰で、ドンドン違う意見が表明されていき、話がまとまらないだけでなく、議論の方向性も定まらなくなってしまう、そう、袋小路の瞬間。

それが袋小路に至るのは、そのような混沌とした状況を「問題だ」と感じ、そこで介入するから、かもしれない。こちらは良かれと思って、「わかりやすく整理したり、何らかの結論で話をまとめたりしようとする」のだが、そのような介入に対して、納得いかないその場の人が、さらに「余計なこと」を話し続け、介入が全く役立たないところが、混沌具合が増えていく、そんな場面である。

僕は自分がファシリテーターをしていたある研修会の場で、「なんでこんなことを議論しなければならないのか、わからない!」とある参加者に言われた時に、まさに混沌状態に陥ったことがある。その時に、仕事でその場をまとめなければならない、と思い込んでしまった僕は、「わかりやすく整理」しよう、「何らかの結論で話をまとめよう」と、必死になっていた。でも、その参加者は全く納得しておらず、僕が無理矢理まとめようとすることに反発され、場全体が崩壊しそうな瞬間が訪れた。

だが、ダイアローグを学んでいた主催者のお一人が、その時、僕に助け船を出してくれた。「この状況だと、先ほど話された方の意見が否定されてしまうようで、僕は心配です」と話してくれたのだ。その時になって、僕もハッと我に返り、安易にまとめようとしたり、一つの方向に結論づけようという意識も手放した。そうではなくて、めちゃくちゃぼく自身の居心地は悪かったのだが、とりあえずその状況に耐えようとしながら、会場の皆さんに、この状況について、どんな風に考えられるか、をさらに考え合ってもらった。

すると、「なんでこんなことを議論しなければならないのか、わからない!」という発言も含めて、多様な意見が出される背景を会場全体で理解し合おうとする雰囲気が生まれ、「別々だった認識がだんだんと混じり合ってい」った。その中で、自分たちが何のために対話をしているのか、について「の≪意味の変容≫が起き、≪新たな理解≫へ」向かっていった。

・・・と、このフレーズを読むだけで、僕には上記のエピソードを語りたくなってしまう。そして、この本は、そういうエピソードを一人一人が語るための、対話の補助線なのである。それが、パターンランゲージの魅力であり、面白さなのだ、と改めて思った。それが標題にこめた意味であり、「対話を引き出すためのことば=パターンランゲージ」なのだと思う。

そして、一定程度に抽象化されていて、主語がない、述語中心のセンテンスで書かれているので、「そう言えば、僕の場合は」と主語を自分として考えやすい。そして、数人でこの本の同じページを開きながら、自分の場合だったらどうだろうと語ることによって、議論の膨らみや拡がりが生じ、より多様な認識がもたらされていく。でも、パターンランゲージという共通の羅針盤があるので、混沌に陥ることなく、お互いの意味の変容を促し、多様な声に基づくポリフォニックな理解が進み、新たな理解が拡がっていく。

これは、まさにゼミでの議論でも目指していること、そのものである。

ということは、この本は例えばゼミ生に読んでもらって、どこかのページについて語ってもらうとか、そういう使い方も出来る。それは筆者が作っているリーディングパターンとかコラボレーションパターンでも促されていたけど、この本でも充分できるのではないか、と思い出した。

またオープンダイアローグを学びたい人の間でも、この本を使いながらの対話をすることで、理解が深まるし、自分自身の変容にも繋がるのではないか、と感じている。ダイアローグを学んで相手を変えたい、という前に、まずは自分自身のダイアローグのあり方を振りかえり、捉え直し、自分の対話姿勢を変える。それが、オープンダイアローグでもっとも求められているスタンスだと思う。それを、みんな共に考え合うツールとして、すごく役立ちそうだ。