記事一覧

誰のための継続性・安定性?

この前、某自治体職員と雑談していたとき、こんな話をきいた。

「厚生労働省は、総合福祉法を本気でやる気など、一ミリもなさそうですね。だって、こないだの主管課長会議でも、来年4月からの改正自立支援法の説明ばっかりで、総合福祉法の話なんて、話題になったのは、たったの5秒ですよ。8月に骨格提言が出て、その後の厚労省の会議で全く説明されないなんて、普通に考えればあり得ない話であって、随分変ですよね」
哀しいけど、さもありなん、と思いながら、その話を聞いていた。以下書くことは、その話を聞きながらふと頭をよぎった、事実に基づく僕の妄想であることを、始めにお断りしておく。
先ほど話題にしたのは、障害保健福祉関係主管課長会議と呼ばれる、厚生労働省が都道府県や政令指定都市の担当者向けに行う会議のエピソードである。確かにHPで出されている上記会議の資料をざっと眺めてみても、障害者自立支援法を廃止し、新たな法律を作るために、私も委員として関わった内閣府障害者制度改革推進会議、総合福祉法部会の骨格提言について、まったく触れていない。私たちは昨年の4月から議論をスタートさせたが、震災で2ヶ月ほど進度も遅れ、拙速にまとめられないから、出来れば1,2ヶ月結論を出すまで時間がほしい、と再三厚労省にお願いした。だが、厚労省は平成25年8月に施行するためには、来年の通常国会に載せなければならないので、8月末の〆切りは絶対に譲れない、と主張。その厚労省の意見を受け入れる形で、8月30日に骨格提言を作り、親会議を通じて蓮舫大臣にも手渡した(この骨格提言の内容や意義については、8月30日のブログにも書いた)。つまり、国の審議会として、正式に国にその内容を上程したのである。しかし、それを担当課である厚労省が全く無視している。これは実に異常な事態である、と共に、霞ヶ関の官僚支配の本質を垣間見たような気がしている。
官僚の仕事の重要なミッションは、「継続性と安定性」の確保、である。ルーティンワークをルーティーンたらしめる継続性と安定性にかけては、「お役所仕事」と揶揄されるほど、彼らの本領を発揮する。だが、震災のような安定した規範の消失した現場では、この「継続性と安定性」の土台が崩壊している。震災時から復旧や復興支援、あるいは原発対応を巡って役所が機能不全を起こしたのも、そもそもこの「お役所仕事」の基盤である「継続性と安定性」そのものが崩れ、圧倒的な「前例なき事態」に押し流されたからであった。そこではボランティアやNPO・NGOのような即興性をもった支援が活かされたのも、阪神淡路大震災や中越沖地震と同様であった。
そして、今、社会保障領域においては、震災時に匹敵するような、「継続性と安定性」の危機にある。増大する社会保障費を前にして、増税という選択肢を取る事が、政治・政局の問題として、何度も否定されてきた。すると、特に介護保険制度財政的にを破綻させないためには、介護保険の被保険者(つまり保険料を支払う人)を40歳から20歳に引き下げ、安定的な独自財源を確保したい、というのは、厚労省の悲願であるはずだ。だからこそ、障害者自立支援法は、将来的な介護保険との統合を前提した制度設計を行ってスタートさせた。であるがゆえに、厚生労働省と自立支援法違憲訴訟団との間で取り交わした、「介護保険との統合を前提としない」という基本合意文章は、おそらくは厚労省にとって「目の上のたんこぶ」の存在であるだろう。しかも、この基本合意文章に基づいて作られた、制度改革推進会議の総合福祉法部会では、介護保険の根幹である要介護認定やそれに基づく支給決定が、障害者の地域生活には不適合である、という整理の基で、新たな支給決定の枠組みを提案した。これは、自治体でやられている支給決定の実態にかなり近いものであるが、これを認めてしまうことは、厚労省の枠組みの否定であり、かつ将来的な介護保険と障害者福祉法の統合=介護保険の被保険者の拡大論をつぶしてしまう。介護保険の「継続性と安定性」を守ることが本丸である霞ヶ関側にとっては由々しき事態である・・・こんな認識なのではないか。だからこそ、厚労省の制度改変を伝える会議で、2ヶ月前に出された障害者自立支援法に変わる新法の骨格提言について、全く紹介しない、という異例な事態になっているのではないだろうか。
さらに邪推すると、来年4月からの改正自立支援法は、「改正」と言いながら、大幅な制度改変を予定している。相談支援や虐待防止が強化されるが、その中でも現場にはかなりの変更を強いられる部分が多い。そういう圧倒的な制度改変のリアリティを来年4月に持ってくる意味は何か。もちろん、表面的には「障害者支援の現実を一刻も早くよりよいものにしたい」という言葉が聞こえてくる。しかし、平成24年4月という時期に大幅な制度改変をすると、当然25年8月にまた新法への改正をする、なんていう気力が自治体担当者や福祉施設の現場の人びとに沸くはずがない。それを承知で厚労省は「今後3年間の間に改正自立支援法を完全実施すればいい」などと述べている。つまり、平成25年8月に自立支援法の枠組みを捨てる気などさらさらなく、この改正自立支援法こそを着実にしたい、そのための仕掛けをしっかりしているように思えてならないのだ。
そういう指摘は、総合福祉法部会でも出された。だが、そのときの厚労省側の答弁は、「政治家が出された法案を着実に執行しているだけですから」とポーカーフェイスで答える。だが、来年4月から始まる改正自立支援法案は、厚生労働省が元々原案を作り、障害者団体の反対で一旦阻止された内容をほぼそのまま踏襲していることは、業界内での「常識」である。かつ、この間、厚労省側が、与野党の厚生労働関係の国会議員周りをしながら、総合福祉法は予算が青天井であり、実現は無理と吹聴して回っている可能性も十分にありうる(その片鱗は小宮山大臣の発言にも見て取れる)。
継続性と安定性の話に戻ろう。いったい、誰のための、何のための、継続性や安定性が大切なのだろうか。
霞ヶ関で働く一人一人の官僚は、障害者の暮らしの継続性や安定性向上を願って働いておられる方も少なくない。これは、霞ヶ関に通いながら、官僚の方と出会いながら、感じていることである。だが一方、省としてこの間の厚生労働省の動向を、部会の一委員として眺めていると、どうも厚労省の考える「継続性と安定性」とは、厚労省の施策体系の「継続性と安定性」であり、障害者の地域生活の「継続性と安定性」が第一義に置かれていないような気が、ふとしてしまう。これが非現実な僕の妄想であればよい。だが、先ほどから書いていた断片をつなぎ合わせてみると、どうも現実感の希薄な空想に思えないような気がする。
青臭い話を敢えて書くが、法律や制度、政策や予算は、人びとの暮らしを豊かにするための方法論にすぎない。そして、その方法論が実態と乖離しているなら、抜本的に見直す、あるいは法律を作り替えて対応する必要がある。2年前に取り交わされた国と訴訟団の基本合意文章が示しているのは、現行法の改正では障害者の地域生活支援の実態に合わないということであり、だから新法を作り直し、パラダイムシフトする必要がある、ということを、国が約束した文章でもある。総合福祉法部会が1年半かけて必死になって作り上げたのは、そのパラダイムシフトの具体的な内容であり、55名という立場もスタンスも異なる障害者団体間で、何とかまとめ上げた、障害者の地域生活支援を実質的に保証する為の、あらたな骨格であった。しかし、その実質的内容を、厚労省は実質的に反故にしようとしている。
誰の、何のための、継続性や安定性の確保なのか? 守るべきは、変えるべきは、一体何なのか? この点について、官僚や政治家の間できちんとした認識がなされないと、真剣に内容を検討することなく「予算がない」という安易な言い訳にすがり、制度改革そのものが流されてしまう。総合福祉法部会は制御不能なアンコントローラブルな部会だったから無視をして、制御可能な自立支援法で対応する、というのが妄想でなければ、優秀な官僚の皆さんは、一体何を支配したいのか、どの継続性や安定性を確保したいのか、誰の何のためなのか、大きな疑問がうかぶ。まさかその答えが「省益」なんてちんけな答えであるはずがない、ということを、祈るばかりだ。

比較軸から羅針盤へ

風通しのよさ、を欲している。心も身体も。
引越しをしたのも、以前の家が本当に風通しの悪い家だったからだ。隙間風は吹きすさび、冬には凍てつく寒さになる鉄筋コンクリート建てマンションの3階。それが夏になると、隙間風どころか、わずかな涼風も吹かない。さらに、照りつける厳しい日差しは、最上階の我が家の気温を面白いほど上昇させ、篭った熱気と湿気は風が吹かない分、熱帯夜をさらに暑くする。引っ越した後に痛感したのだがついたのだが、コンディション的に相当過酷なマンションに6年も住んでいたことになる。
だが、山梨に赴任してからの6年間、なかなか出て行くことが出来なかった。大家さんが良い方だったから、というのもある。妻は3年目くらいから、SOSを出していた。でも、僕自身が、なんとなく引越をするだけの気力やモチベーションを保持していていなかった。暮らしていたマンションも風通しが悪かったが、それ以上に自分自身の心と身体の風通しが悪かったのかもしれない。だからこそ、物理的風通しの悪さに、文句を言いながらも鈍感になり、そこから脱出する、という具体的方法論を模索することのないまま、澱んでいたのかもしれない。
そんな生活との転機が訪れた今年。物理的に引越しをすることによって、風通しのよさ、ということを体感することが出来た。何事も、比較軸を手にしてみないと、それまでの状態がどうであったか、を相対的に評価することは出来ない。たとえば入所施設や精神科病院に長期間「社会的入院・入所」している人に、「今後どこに住みたいですか?」と聞いてみると、一度目に聞いてみるならば結構な割合で「ここに暮らしたい」とおっしゃる。だが、それは、すでに地域生活という比較軸を長期間の入院・入所で実質的に失っているから、他の別な選択肢が想像できないが故の、「もうここでいい」というメッセージの場合が少なくない。現に、長期間施設入所をした後、地域生活を再開された知的障害者への聞き取り調査を数年前にしたことがあるが、誰も「施設に帰りたい」とは言わなかったのが印象的だった。地域に出たいと最初は思っていなかった人でさえも、同様だった。地域生活という別の暮らし方を実感してみて、初めてそれ以前の暮らしが「風通しの悪い暮らし」だった、と実感しておられたのである。
僕自身も、ある意味そのような浦島太郎状態だったのかもしれない。比較軸を手に入れてみて初めて、それ以前の生活が「不便」で「風通しの悪い」生活だった、と遡及的に振り返りつつある。そして、そういう「風通しのよさ」を手に入れると、次は自分の仕事や暮らし方、日々のすごし方といった部分での「風通し」はどうだろう、と気にし始める。すると、どうやら僕を構成する様々な時間的・空間的配置や、僕の働き方そのものが、「風通しの悪い」ものである、ということに気づき始めた。なんだかしんどいなぁ、と思っているものの少なからずは、単なる加齢に伴う体力低下や運動不足といった表面上の問題ではなく、自らの実存上の風通しの悪さという本質的な何かとリンクしているのではないか、という仮説が、より強いリアリティをもって、身体の中で鳴り響き始めたのだ。
たとえば仕事について。ここしばらく、西村佳哲さんの本を何冊か、集中的に読んでいる。彼は「働き方研究家」であり、その処女作は以前に文庫版で斜め読みをしていたが、その際には僕自身の心にインパクトを持って響かなかった。しかし、こないだ出かけた小淵沢のリゾナーレ内にある、県内ではよいセレクションをしているブックス&カフェで、震災後の「どこで生きるか」を主題とした『いま、地方で生きるということ』(ミシマ社)と偶然出会ったことが、大きなきっかけとなった。震災というとてつもない出来事を未だに租借できぬまま、6月に引越しをするからと現地にボランティアにも行けぬまま、悶々としていた心が引越し後に少しずつほぐれていく中で、西村さんや、西村さんが主題化する東北で生きる人々の言葉が、文字通り乾いた心に吸い込まれるように、僕の心の中に染み入った。そんな浸透の様子に初めて、自分の心がカラカラに乾いていると気づいた。そして、次々に西村さんの本を買い求め、どれも貪るように読んでいる自分がいる。
西村さんは、仕事を単に「食い扶持を稼ぐため」という表層レベルでは解釈しない。その人の考え方、だけでなく、生き方・ありかた・実存といったBeingの問題として捉える。どれだけ魂とつながった働き方が出来ているか。どれだけ心からのワクワク・ドキドキが湧き上がってきているか。自分の実存に正直で、嘘をつかない誠実さを仕事に反映できているか。そして何より、世間の空気を読むのではなく、自分自身の中に吹く(時にはか細い)風を読んで、風通しのよさを心にも身体にも持ち続ける事が出来るか。そのためには、時にはNOを言うことを辞さない原則を持ち続けられるか。彼が主題として選んだ「働き手」たちは、みんな上記のポイントを必ずクリアしている人々だった。そして、書き手の西村さん自身がそのプリンシプルを著作を通じて体現しておられることが、よーくわかった。だからこそ、風通しの悪い以前の僕にはそのよさが理解できず、今になって急激に貪るように読みたくなってきたのである。そして、改めて上記の問いが、僕の仕事、働き方、実存に向けて振り向けられる。
自らの不全感・中途半端さ加減の少なからぬ部分が、この風通しの悪さである、と気づいたのは、彼の著作を読み進める中でのことだったと思う。しばらく前から薄々感じ始めていたが、確信を持てたのは、西村さんが紹介してくださった多くの「働き手」と自らの働き方を比較する、その比較軸を西村さんが提供して下さったからだと思う。比較には、「見ないほうが良かった」という比較だってあるとは思うのだが、この比較軸は、自分の中でなんとなく不全感や疑問として感じていた事をはっきりと言語化し、かつ背中を押してくれる貴重な枠組みとして、僕自身は受け取った。「風通しの悪い人生なんて、つまんないじゃないの」と。
だからこそ、久しぶりに京都→三重と出張を続けた帰り道のスーパーあずさの中で、改めて見つめなおす。僕自身にとって「風通しのよさ」とはなんだろうか。どうすれば、日常世界における澱みを少しでも減らし、今よりは心地よい、風通しの良い心身を保てるだろうか。そのために、働き方や生き様をどう変えていけばいいだろうか。持つべき比較軸や羅針盤は、世間的な価値観や評価軸ではない。自分の魂にとっての風通しのよさ、という比較軸であり羅針盤。その枠組みを気づいたら手にし始めている。だからこそ、これからの航海が、澱んだ内海の吹き溜まりではなく、まだ見ぬ大海原という外海に漕ぎ出し初めている、ということも、少しびびりながらも、感じているのである。もちろん、行き着く宛先は、未だはっきりとした輪郭を帯びてはいないのだが、とにかく風を信じて漕ぎ出すしかないのだ。

枠内での思考の限界

昨晩、ツイッターを眺めていると、とある人がこんなことをつぶやいていた。

「インプットとアウトプットの間に、物事を精査して、それ以外の可能性も考慮する、という比較検討の視点が日本人には足りない。Aと言われたら、Aのことしか考えられず、Aしかできない。」
昨晩、この方のツイートに対して、「それってシンキングデバイドですね」と応答していたのだが、今朝ふと考える。一般的日本人が、他国民と比べて何も考えていない(めちゃくちゃ考えている)といった極論は、単なる暴論にすぎない。どこの国の人だって、人間の基本的な振る舞い能力に、そう大きな偏差があるわけがない。ただ、考えるエネルギーをどう振り分けるか、については、個体差だけではなく、文化的偏差があるのではないか。では、日本に住む人が考えるエネルギーをどこに選択的に集中し、それ以外のどこがおろそかになっているのだろうか? その結果として、「Aと言われたら、Aのことしか考えられず、Aしかできない」人が沢山この社会にいる、という事態になっているのだろうか?
一つの補助線として、同調圧力、が挙げられる。これは山本七平(イザヤ・ベンダサン)の『空気の研究』に代表される日本人論に必ず出てくる議論である。震災後の「自粛」「不謹慎」論の横行なども、この同調圧力の典型例と言われる。ただ、もう一歩踏み込んで、なぜその同調圧力に多くの人がはまり込んでいくのか。考えるエネルギーは、そこでは使われないのか。
このことに対して、例えばこんな仮説を提示してみよう。
同調圧力という枠組みを前に、その枠組み自体を疑うのではなく、枠組みの中でどう適切に振る舞うのか、という戦略を必死になって考えている、と。
「Aと言われたら、Aのことしか考えられず、Aしかできない」のは、Aという前提を疑うのではなく、Aを所与の前提として考え、そのAの中でのハイパフォーマンスを最初から考える方が、日本社会での振る舞い方としては適合的である、ということではないか。これは、その社会への基本的信頼性が高く、その枠組み自体は疑わずとも生きていけるという前提の基でのみ機能しているバーチャルなプラットフォームではないか。そして、それを山本七平なら「空気」と呼んだのではないか。
一昔前、ミニバンがはやったころ、どの会社も同じようにミニバンの後続機種を出した。同じようなものを、同業他社が普通に出しても、そのまま売れる。今だって、洋服の世界では「今年のトレンド」なるもので機能しているのかもしれない。このような「共通のプラットフォームにおける微妙な差異」に考えるエネルギーを注ぎ込む事で、日本の高度消費社会は飛躍的にそのサイクルを回し、内需拡大にもつながり、景気の浮揚に貢献してきた。枠組み自体は疑わなくとも、枠内での差異を考えるだけでいいのだから、ある種かなりミニマルな(下手をしたらトリビアルな)差異の検討というオタク的展開に終始できた。それをある人は閉塞感と呼び、他の人は「しかたない」としてきた。
だが。年間3万人の自殺が10年続き、その閉塞感がきわまったところに未曾有の東日本震災や原発事故が起きてしまう。「想定内」というフレーズが、社会への基本的信頼感が、カタストロフィと共に、部分的に崩壊しつつある。ベルリンの壁の崩壊後のソ連や東欧は、社会主義から資本主義へとパラダイムそのものを替え、大きな試練を強いられた。そのときと似た、しかし、日本のパラダイムの場合は、これからどう別のパラダイムに向かうかわからない、そんな「想定外」の穴が、社会的信頼感というプラットフォームに開いてしまった。その中で、「Aと言われたら、Aのことしか考えられず、Aしかできない」でもよかった、幸福な時代は、もしかしたら、後退しつつあるのかもしれない。
ハッキリ言って、枠組み自体を一つ一つ疑うことは、「非効率」である。それに、消費を減退させる。「本当にこの服(車、ゲーム、本、電化製品・・・)を買う必然性があるのだろうか?」と疑わないことを前提に、買い換える事を前提に、日本社会の消費サイクルは回っている。いや、コマーシャルも含めて、そう需要を喚起してきた。だが、そのコマーシャルを映す媒体であるテレビ自体から人びとが離れていくことは、「大きな物語」という枠組み自体の、決定的な崩壊期でもある。
ただ、多くの日本人が、「Aのことしか考えられ」ないパラダイムから、まだ離れることは出来ない。いや、そのパラダイムはまだ支配的であり、そのパラダイムを疑わないことが、生存戦略上有利、と考えている人が多い。ただ、本当にそうなのか? パラダイム自体の根本的補修や、部分的掛け替えなどの大規模なメンテナンスを本気でしないと、オゾンホールのように、社会的信頼感への穴は、どんどん大きくなり、この日本社会の先達が作り上げた安心・安全のプラットフォームは構造的欠陥→構造的崩壊の危機をもたらさないか。
そんな危惧をしている。

想定内を超える瞬間

いつもは「聞き手」なので、「聞かれること」はあまり得意ではない。

昨日はとあるタウン誌のインタビューを受けた。こちらも色々お話を伺いたかった、あるNPO法人の理事長さんとの対談である。
相手に聞かれたことを丁寧に答える、というのが、インタビューの基本なのだろう。でも、僕の場合、ついつい勝手にしゃべってしまう。それは、自分が聞き手として、「自分が聞きたいこと」「相手に言ってほしいこと」を自分の枠組みの範囲内で聞き続けてきた、という自らの愚かさを知っているから、かもしれない。だから、意識しなくても、普段より緊張して、その結果、普段より遙かに沢山しゃべる。そして、通常のインタビュアーなら、その普段より沢山しゃべる内容に圧倒され、結局こちらの持ちネタというか、もともと持っていたストーリーの枠内に収まる。すると、僕自身がみれば、想定内のアウトプットがもたらされる、ということが、少なくなかった。
饒舌なのに想定内、これほど自分にとって、つまんないものはない。
だが、昨日の聞き手のMさんは、「聞き手の私」をしっかりもち、がっつりぶつかってくださる。しかも、僕のようにしばしば「なんでですか?」と問い返すことなく、基本は笑顔で頷く。しかし、肝心なところで、大切な捉え直しや合いの手を入れてくださる。そこで、饒舌に想定内のストーリーになりかけていたのが、ふと、立ち止まって、考えて、想定外のところに踏み込み始める。
「聞き手」を続けていて、面白い、と感じる瞬間は、「語り手」が自らの想定内を超える瞬間。聞き手とのやりとり(本当の意味でのdia-logue)という相互作用を続ける中で、語り手がふと、量子力学的跳躍を果たす瞬間。そこから、語り手自身が思いもしなかったことを、蜘蛛の糸でも掴むかのように、語り出す瞬間。そこに出会えると、対話の質が随分深まり、聞き手の方もいつしかその相互作用の中で、聴ける内容も深まっていく。
昨日のインタビューでは、聞き手の側のハンドリングがうまかったので、また語り手の私と話が合う部分も少なくなかったので、その相互作用の中から、普段の僕が記憶の納屋か倉庫にしまい込んでいた、いくつかの懐かしい在庫を取り出していただく事ができた。僕自身も久しぶりに見る、過去の記憶や経験の断片。しばらくの間考えてもいなかったことなので、埃を払いながら、話をしながら、その懐かしい在庫の現代的意味を問い直そうとする。あるいは、今考えつつある断片との融合の中で、まだ見ぬ何か、を紡ぎ出そうとする。
聞き手がうまいと、そういう導きに誘われ、気づけば、想定外の場所に、連れて行って頂ける。
その瞬間、饒舌はひとたび止まり、うーん、と考え込む瞬間にたどり着く。攻撃的!?おしゃべりな僕にはあまりない、エアポケットのような瞬間。しかし、その瞬間と出会えるから、まだ見ぬ何か、語ってこなかった、今から語られようとする何か、が未然形として、前のめりに示されていくのだ。これこそ、自分の殻を破る瞬間だし、対話的環境がエキサイトする瞬間である。
そういう、至福なインタビューだったので、2時間しゃべりっぱなしで、ノドがからからになってしまった。
僕だったらあんなにしゃべられたら2頁の記事にまとめられないが、そこは優秀なる記者さんが横でじっと聞き耳を立てておられたので、取材チームのお二人は実に名コンビ。今から、どんな記事になるか、楽しみである。

村上春樹と「神話の力」

まさか自分が「物語」にどんどん惹かれていくとは、よもや思いもしなかった。

仕事場の書架はもちろん、自宅の本棚にも、小説は実に少ない。入り込んだらその世界にずっと浸るのだが、なかなか小説世界に入り込む(その世界に馴染む)のに時間がかかるのか、食わず嫌いなのか、その両方だと思うのだが、小説を読むことは少なかった。例外的に村上春樹だけは小説もエッセーもほぼ全てを何度か読み直すほどのファンだが、同じく物語性の強い漫画も含め、ほとんど手をつけていない。また、映画もドラマも、ほとんど見ない。
では、嫌いなのか、というと、そうでもないような気がする。逆に小さい頃は感情移入しすぎて、疲れたのだ。特に、テレビドラマで主人公が恥ずかしい経験をする時など、先読みしすぎて、いたたまれなくなってトイレに隠れる、なんて変な子どもだった。ドラマがそれだけわかりやすくて陳腐だったのかもしれないし、僕の感覚が、今より少しは鋭敏だったのかもしれない。あと、受験勉強時以来、ドラマや映画は時間がかかるので、見始めたら効率が悪い、という効率第一主義にはまっていた部分もなきにしもあらず、かもしれない。
いずれにせよ、一番小説が吸収できそうな10代20代を通じて、村上春樹以外の物語世界にはほとんど馴染まなかった、という、物語経験についてはいささか寂しい記憶が残っている。生きること、自分の世界観の範囲を広げることに必死で、ノンフィクションや新書、研究所などを貪り読んでいたから、小説まで手が回らなかった、とでも言っておこうか。
それが、30代も後半になって、一冊のキーブックと出会えた。
「この種の冒険の第一段階では、英雄は、彼がなにがしかの支配力を持っていた住み慣れた世界を離れ、別の世界の入り口へとやってきます。湖の岸とか海辺ですね。そこでは深淵の怪物が彼を待ち受けている。で、ここで二つの可能性があります。ヨナのタイプの物語では、英雄は怪物に飲み込まれて奈落の底へ落ちていき、のちによみがえる-死と再生のテーマのバリエーションですね。意識界の人格は、ここでいかんともし難い無意識のエネルギーの支配下に入り、試練と啓示に満ちた恐ろしい夜の海の旅をしなければなりません。それと同時に、どのようにしたらこの闇の力と折り合いをつければいのかを学ぶ。そして最後に腹から出てきて新しい生き方に到達するわけです。」(ジョーゼフ・キャンベル&ビル・モイヤーズ『神話の力』早川文庫、310頁)
この本は、『リーダーシップの旅』をぱらぱらと読み直しているときに、野田氏と金井氏の双方が薦めていたので買い求めたのだが、しかし内心「神話?僕が?」とかなり偏屈な先入観を持っていた。
だが、上記のフレーズにさしかかった時、これが村上春樹の世界観と見事に通底する、というのがよく分かった。『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』における「やみくろ」であり、『ねじまき鳥クロニクル』における「井戸」。あるいは『海辺のカフカ』における森。どれも「いかんともし難い無意識のエネルギーの支配下」の世界である。そこで、「やみくろ」の場合は象徴的に「闇の力と折り合いをつけ」ようとする。あるいは「井戸」の場合なら、「恐ろしい夜の海の旅」をする。そういう世界を繰り返し村上春樹は書き続け、読者の僕は貪るように読み続けた。それが、神話世界と通底する、なんて思うこともなく。
そして、ちょうど買いそびれていた村上春樹のインタビューをネットで注文して読み始めると、共通することが語られていた。
「どうして『壁抜け』ができたかというと、僕自身が井戸の底に潜っていたからです。深く潜って、自分をどこまでも普遍化していけば、場所とか時間を超えて、どこか別の場所に行けるんだという確信を得られた。つまり主人公の『僕』が井戸の底に降りて意思の壁を抜けるというのは、作者である僕自身が実際にその壁を抜けたことのアナロジーなんです。空間と時間を移動する視線を獲得できたことは、小説家としてとても大きいことでした。」(『考える人』2010年夏号p26)
「住み慣れた世界を離れ、別の世界の入り口へとやって」くる。このとき『神話の力』によれば、別世界や怪物を殺してしまうパターンと、そのなかに飲み込まれ「奈落の底に落ちてい」くパターンの二つがある、という。村上春樹の小説世界は、基本的にいつも後者。アノニマスな無名の青年が、わけのわからない世界に引きずり込まれていく。『スプートニクの恋人』におけるギリシャの島も、ある種の異界だ。村上春樹はそうやって、時間と空間の限定性を超えて、普遍的無意識としての物語世界の元型にアクセスし、そのなかでの「試練と啓示に満ちた恐ろしい夜の海の旅」を提示し続けるから、英語で読んでも日本語で読んでも違和感なくその物語世界に入ることが出来、かつ世界的な読者層を持つ作家として成功を収めたのだと感じる。
「境界線を越える、そこから冒険が始まるということです。守られていない、新しい領域へ入っていくのです。限られた場所、固定された生活習慣、決められたルールなどを後にしなければ、創造性を発揮することはできません。」(『神話の力』p331)
通常の生活の中で、「境界線を越える」という事がなかなか出来ない。だからこそ、その代償行為ではないが、すぐれた物語に接することで、人は「限られた場所、固定された生活習慣、決められたルール」び「壁抜け」が出来、「空間と時間を移動する視線」としての「創造性」を獲得することが出来る。
「われわれは独力で冒険を挑む必要さえない。あらゆる時代の英雄たちが先に進んでくれたからだ。もはや迷路の出口はすべて明らかにされている。われわれはただ英雄が開いた小道をたどりさえすればいい。」(『神話の力』p264)
そう、物語世界を読み進めることは、「英雄が開いた小道をたど」ることなのだ。今までそんなことを考えたこともなかったが、何度も村上作品を読み直すうちに(そのうちの何冊かの長編は英語版でも読んでみた)、『神話の力』で提示された内容が、僕にとっては村上春樹という媒介を通じて、すーっと身に染みてきたのである。
そして、ひとたび村上ワールドに浸るその象徴的な意味を、『神話の力』という補助線によって知ることが出来た今、他の「神話」にも、俄然興味が生まれてきた。そうしてみると、僕の本棚は、本当に「神話」が少ない。とりあえず「トニオ・クレーゲル」を読み、一昨日は「風と共に去りぬ」を観た。どんどん色んなタイプの「神話」と出会いたい。そんな10代の少年のような事を感じている、36歳の「読書の秋」の予感である。

発疹の「知らせ」

夏休み期間もあっという間に過ぎ去り、大学では講義再開。

講義がない間も濃度が濃かった。2本の論文をほぼ書き終え(今日あたりに脱稿予定)、バンコク(結婚式)とパリ(休暇旅)に出かけ、総合福祉法は骨格提言までこぎ着け、何度か出張もした。そのガタが来たようで、このところ、身体の調子があまり良くない。
手荒れが治らず、発疹のようなものが手と足に出ている。タイ農村部での結婚式の後、戻ったバンコクで牡蠣にあたって、激しいめまい(ブラックアウト寸前)と全身のひどい蕁麻疹に見舞われ、ホテルで寝込んだ。そのときに比べたらたいしたことはないのだが、8月末くらいから、手や足や首筋に発疹が出ている。パリでこってりとした料理やフランスパンをバクバク食べた。フランスパンもよく考えたらバターがたっぷり入っているのですね。普段パンもあまり食べないので、たんまり身体の中に油を入れたことになる。そのせいもあって、パリ滞在の最後は胃腸の調子が最悪だったが、帰国後、野菜中心の生活に戻しても、発疹は治まらない。ちょうど先週末、普段通っている主治医(中国医学)の診察日だったので、その事を相談したら、こう言われた。
「もう身体は若くない。無理が利かない身体になった、ということです」
「人間は30を超えると、後は下り坂。決して登ることも、維持する事も出来ない。出来る事は,せいぜい、その下るスピードを遅くするのみ」
結構なショック。実年齢は36歳、気持ち的には大学院生、だったのだが、身体は無理が利かない、という引導を渡されてしまった。確かに日曜日にはお昼に恵比寿でランチミーティングに出かけ、夕方は甲府の道場で合気道、なんてしていると、翌日に相当疲れが残る。そして、この疲れへの気づきは、小さい頃からの習性(への修正)へと自らを導く。
小さい頃、鉄道少年だった僕は、時刻表とにらめっこしながら、どうしたらうまく乗り継いで、どんな風に遠くまで旅が出来るか、を空想するのが大好きだった。時刻表さえ眺めたら、それこそ何時間でも過ごせる子どもだった。今は「駅探」のようなツールに頼りっきりになってしまうけど、中学生くらいまではダイヤ改正の度に大判時刻表を買い求めるマニア、だった。
そのマニア的心性は、鉄道関係の本をすっぱり捨てた後も、心の中に残っている。例えば時間効率性の話。こないだのように、昼は恵比寿、夕方は甲府、で予定を入れることは、時刻表的には十分にあり、なので、僕はそれをこなして来た。だが、自分のペースで動きたい妻にとっては、「無茶なスケジュール」だそうだ。それを言われて、僕のことを気遣ってもらっているのはありがたいが、正直、何が「無茶」なのかわからなかった。先週木・金の出張だって、台風一過で身延線は線路が流され運休、新幹線は大混雑で新横浜から立ち席、の中で、朝一に八王子→新横浜まわりで京都まで出かけ、打ち合わせ。その後、大阪で4時間ほど研究会をして、夕方は講演の後に、朝3時まで久しぶりに激しく飲む。翌日はさすがに10時頃までホテルで休むも、梅田のジュンク堂で本を買い込み、ランチを人と食べた後、午後はあるセッションに司会者として参加し、帰りは名古屋→塩尻経由で9時半頃に帰宅、である。それを、当たり前のようにこなしている自分がいた。
だが、その「当たり前」こそ、実は問われるべき「無茶」だったのである、と気づくまでにだいぶ時間がかかった。それを、身体が発疹を起こして、知らせてくれたのだ。漢方医曰く、「熱が溜まっている」とのこと。この際の熱は、東洋医学的な熱であり、実際に体温が上昇している訳では必ずしもないそうだ。仕事のしすぎや悪い油などの理由で内熱が溜まり、それが発疹や花粉症症状として出るらしい。そういえば、パリについた当日も、ホテルでひどい鼻水・鼻づまりに悩まされた記憶がある。
つまり、時刻表的効率性を元に、仕事も予定もどんどん入れていたが、それが逆に己の自由度を奪い、心身ともに無理が溜まり、身体への発疹として警告になっているのだ。このコールサインを見誤ったら、生命も短くなる。正直、そう感じている。生き方を変える、まで言うと大げさだが、でも自らの行動規範をなにがしか変容させないと、早死にしそうだ。
そんな、ある種の曲がり角の際に、次のフレーズが心に突き刺さった。
「今朝の新聞になにが載っていたか、友達はだれだれなのか、だれに借りがあり、だれに貸しがあるか、そんなことを一切忘れるような部屋、ないし一日のうちのひとときがなくてはなりません。本来の自分、自分の将来の姿を純粋に経験し、引き出すことのできる場所です。それは創造的な孵化場です。(略) いまの私たちの生活は、その方向性において非常に実際的、経済的なものになっています。だからみんな、ある程度の年齢になると、次から次へと目先の用事に追いまくられて、自分がいったいだれなのか、なにをしようとしていたのか、わからなくなってしまう。二六時中、しなければならない仕事に追われているのです。あなたにとって幸福は、無情の喜びは、どこにあるのか。あなたはそれを見つけなくてはなりません。ほかのだれもが見向きもしない古くさい曲でもいいから、とにかく自分が大好きなレコードを聴くとか、あるいは好きな本を読むとか。聖なる場所では、あなたは、例えば平原の人びとがおのれの住む世界全体に対して持っていたような、生きた『汝』の感覚を持つことができるのです。」(ジョーゼフ・キャンベル&ビル・モイヤーズ『神話の力』早川文庫、207-208頁)
僕にとっての「聖なる場所」「聖なる時間」は、どれだけ保てているだろうか。
この問いは、「非常に実際的、経済的」に動いてきた己自身にぐさりと刺さる問いである。外に出かける事は多くても、自分の内側の為に使う時間は、本当にごくごく限られていた。その限られた時間も、「聖なる場所・時間」として使えていたか、というと、大いに疑問である。どちらにせよ、「目先の用事に追いまくられて」いることは、確かだ。現に今も、月末〆切りの3つの課題が終わるか、で、ひやひやしている。そしてその事で、内なる熱気がクールダウンする場も時間もなく、結果的に「内熱が溜ま」り、発疹としてのSOSを出しているのである。これを「自分を見失う」と言われたら、文字通り、見失っていると言えるだろう。そして見失っていた間でも、30代前半の間は、身体に負荷をかけても引っ張り続けてこれたが、30代後半になり、いよいよそういう「経済・効率」一辺倒の生き方では、身体が悲鳴を上げているのだ。
脳中心の、時刻表的効率性では、身体がついて行かない。むしろ、身体のコントロールの及ぶ範囲内で、心身を文字通り何とかする(マネージメントする)ための、「聖なる場所」「聖なる時間」の確保。忙しいからこそ、自分以外でも出来そうな仕事は断る勇気をもって、「自分のための時間・予定」を確保する。勘定する。講演や研修も、月あたり、ある一定以上の数になれば断る。そうしないと、本当に自分を見失いそうだ。
こう書いていて、以前ブログで書いた、福田和也氏が指摘する「やりたいこと(志望)と、出来ること(能力)、そして世間が求めること(世間の都合)」の三つを思い出した。
「出来ること」が少しずつ増え、それにつれて「世間が求めること」に忙殺されるようになってきた。だからこそ、「聖なる場所」「聖なる時間」を自分のために確保しないと、「やりたいこと」が摩滅し、気も減退していくのだろう。それを、身体は発疹として警告してくれているのである。40代で燃え尽きる「会社人間」の中には、おそらくこの「出来ること」「世間が求めること」に過度に傾斜して、「やりたいこと」から遠ざかり、「聖なる場所」「聖なる時間」が確保できなくなる中で、鬱や自殺という選択肢以外が見えなくなってしまう人もいる。それは、他人事ではなく、僕自身も、もしかしたら薄皮一枚の隣り合わせの局面なのかもしれない。世間からは割と「好きなことをして」と言われ、自分でもその気になっていたが、「好きなこと」と思い込んでいる事の中にある、「出来ること」「世間に求められること」を引き算して、どれだけ本当に「やりたいこと」が残っているのか、の見極めが必要だ。そのためにも、「聖なる場所」「聖なる時間」が必要とされているのだと思う。
「やりたいこと」の最大化という目標。「出来ること」「世間が求めること」に引っ張られている(つまりは「やりたいこと」が気づけば最小化しかねない)30代後半だからこそ、真剣に考え、追い求める目標のような気がする。

メゾ支援とその記述の難しさ

障害者福祉の領域だけでなく、福祉全般に言えるとおもうのだが、大局観を描く、あるいは個の支援やその関係性の機微を表す、ことは結構多くの論者がやっている。でも、大局観と個別支援の間にあるメゾ支援の事はあまり描かれない。着目もされにくい。だが、そのメゾ支援こそ、結構大事なのではないか、と僕は思う。

たとえば税と社会保障の一体改革に代表される、国レベルの社会保障のあり方。あるいは、私もその一員として関わった内閣府障がい者制度改革推進会議の総合福祉法部会の骨格提言。それらは、これからの社会保障や障害者福祉の国レベルの「あるべき姿」を描く場所である。それはそれで必要であるし、私が関わった編著もあるが、マクロ政策の話として、経済学者福祉社会学者もいろいろな人が論じている。
あるいは、ミクロ支援について。当事者主体や障害の社会モデルが浸透してくる中で、あるいはクリスティーン・ブライデンさんに代表される認知症の当事者の語りや、べてるの家の「当事者研究」などを通じて、さらには障害学やエスノメソトロジーなどの深化によって、障害者福祉領域でも、個別支援の内容について、当事者側からの見立てや、当事者と支援者の関係性について深めた議論が、かなり面白くなってきている。それについて雑誌も創刊されたり、あるいは特集論文が商業誌でくまれたり、ということもよく見るようになった。それもそれでよいことだ、
ただ、その間をつなぐメゾレベルの記述を探すと、どこかの地域の先進事例を取り上げるか、あるいは教科書的な堅い記述は多くても、そのどちらでもない、メゾレベルの、かつ興味深い言説が、本当に少ない。
個別支援では解決しない地域課題について、国レベルのマクロ計画ではない地域のリアリティに基づく支援について。ミクロとマクロをつなぐ要になるはずのメゾレベルの支援の議論は、地域福祉の業界内では論じられているのであろうが、あまり興味深い論考にお目にかかるチャンスがない。たとえば障害福祉計画や地域自立支援協議会は、国レベルのマクロ計画と個別支援のリアリティをつなぐ大切なハブ役割を担っているはず、なのだが、それらについて、きちんと言及される事も少ないし、されていても教科書的(=厚生労働省のパワポの引用的)記述に終わっていて、興味深い内容があまりない。このあたりが、実は一番腹立たしいと感じている。
なぜって? それは、自分自身が実践者としてコミットしていて、お手本になるようなものが、本当にないのである。
たとえば今日は山梨県障害者自立支援協議会の全体会であった。今年度は障害福祉計画の見直しの年にあたり、山梨県では、その作業の中で、県自立支援協議会の提案を聞いてくれるチャンスができた。これは、地域課題の県政への政策提言という、画期的なチャンスだ。僕はこの県自立支援協議会の立ち上げ支援をした関係で、出来た当初から座長の仕事をさせて頂いている。全体をどう切り回していくのか、について、他県や先進地の話を聞こうにも、市町村レベル(ミクロ)での好事例はあちこちで聞けても、都道府県というメゾレベルでの好事例の話は聞かない(あれば、教えてください)。だから、協議会メンバーで毎年試行錯誤を繰り返しながら、手策繰りで方向を描き出すほかはない。少し手前味噌な話になるが、都道府県レベルの障害者自立支援協議会としては、山梨県は日本でも屈指の真面目さで取り組んでいると思うのだが、そもそも厚生労働省は国レベルの協議会のあり方について、「あるべき姿」すら示せていないし、好事例を集めようという気もあまり無いように見える。
あるいは、国政策の現場への具体化としての人材養成や研修について。これも、僕がずっと関わっているが、この領域にもマニュアルはない。国や世界的な理念の変遷、あるいは個別プログラムの解説の本はいくらでもあるが、その両者を、研修という場でどうつないで、現場の人に理解してもらうか、という事が書かれた本もない。ゆえに、来週から相談支援従事者の初任者研修が始まるのだが、結局これも自分でミクロとマクロをひっつける、メゾレベルの講演をすることを心がけて、研修を受ける人にその両者がどうつながっているか、を体得してもらわないと、なんだか一体感も統一性もない研修になってしまう。
事ほど左様に、メゾレベルでは、ある程度の実践者が頼ったり指針に出来る「お手本」が本当にないのである。
また、メゾレベル支援の記述も、問題がある。単純にメゾだけに焦点を当てると、無味乾燥で、組織図的表現しか出来ず、教科書的、厚労省の事務分掌的表現になってしまう。本当に魅力ある形で表現しようと思ったら、実はマクロ的な政策の大局観と、ミクロの個別支援のリアリティの双方がわかっていて、それをつなぐ形での表現が出来ないと、メゾレベルの支援のダイナミズムは描けない。不勉強な僕が、その両者のダイナミズムを描けている本として頭に浮かぶのは福岡さんの本や、こないだご紹介した西田さんの本のような、実践家のリアリティを普遍化していく本くらいしか思いつかない。研究者サイドから、それを普遍的で、かつリアリティと面白さもある内容として整理している本に出会わないのである。
そして、21世紀に入って、マクロな福祉政策の本も、ミクロな支援の関係性の本も、割と勉強になったり面白い本が沢山書店にならんでいるのに、その間をつなぐメゾレベルの面白い本が、本当に少ない。論文も少ない。たぶん書き手も少ないだけでなく、編集者や出版社サイドも、個別支援のリアリティや大局観のような「わかりやすさ」がない、白と黒の中間色のような本は「売れない」「需要がない」と思っているのかもしれない。でも、たぶんちゃんとしたメゾ支援の本なら、ニッチ産業なので、需要もありそうなのだが・・・。
こう書けば、「おまえが書けよ」と言われそうだ。
もちろん、チャンスがあれば、書きたい。できれば、研究者対象の論文ではなく、現場の支援者やもっと多くの読者層に届く何かとして。
ようやく総合福祉法部会の仕事が終わったので、そろそろ自立支援協議会の課題とか、メゾレベルの職員研修の問題とか、個別支援と障害福祉計画をどうつなげるか、というメゾの話を、本当に論じていかないと、いつまでたっても国のパワポや無味乾燥な教科書議論ばかりしか参考書がないと、メゾ支援が成熟しない、と感じている。(その入り口のデッサンは2年前に書いたが、その年の後半あたりから制度改革の話に巻き込まれ、どうもきちんと書けないでいる。) ただ、ミクロとマクロの両方を見つめたメゾの話なので、まとめるのはそう簡単ではないだろう。でも、稚拙でもいいから、書いて示していかないと、ミクロとマクロの問題が乖離したまま、どちらも蛸壺的に話が進んで行きそうなのが一番心配だ。正直、現場のリアリティのないマクロ議論も、あるいは理念や政策の方向性とのリンクのないミクロ支援の話も、どんどんオタク的な専門分化をしていく様相が、障害者福祉領域では見られる。このことを危惧している。そうではなくて、その両者をつなぐような仕事(最近では大野更紗さんがその視点で書いておられるが)を、研究者の方からも、していかないとアカンよなぁ、と思い始めている。
というわけで、今日は何だか半分は実践者の愚痴、半分は研究者としての反省、を込めた、モノローグでした。

ピークの向こう側にあるもの

なぜ人は旅に出かけるのだろう?

そういう疑問が頭によぎる。日常から離れる、ということは、刺激も多いが、トラブルも当然のことながら、多い。疲れることも多い。フルアテンダントのツアーなら、そういうトラブルは少ないかもしれないが、それなら、旅に来た実感はあまりわかない。自分達でオーガナイズしはじめると、決めなければならないことがあまりに多く、疲れる事もしばしばで、何をしているんだろうと困惑することもある。特に、ガイドブック片手にスケジュールをびっちり立てる旅ではない場合、その困惑や途方にくれる感覚は、ある時点でピークを迎える。
だが、実は旅とは、このピークの向こう側にこそ、あるのかもしれない。
思い通りにならないことの数々。それは、ホームグラウンドでの日常性・定常性との大いなる差異の塊である。そして、思い通りにならない、とは、その日常性にしがみついている、ということの証左でもある。他国にいて、自国での流儀にしがみついているから、思い通りにならないのも当たり前だ。身体の時差ぼけよりも、マインドの時差ぼけを抜き去る方が、実は大変なのかもしれない。
それほど己に付きまとっている、自己同一性という名の、自明性や暗黙の前提に対する撞着は強固なものである。日本を離れて一週間あたりで、ある種のピークを迎えるもの。それは、己自身の狭隘なる性格、至らなさ、出来なさ加減などの前景化である。
別に修行僧のような、あるいはバックパッカーの旅をしているわけではない。普通の旅行者である。でも、英語があまり通じない国で1週間をすごして、ごつごつ頭をぶつけながら感じるのは、様々な楽しい経験と共に、この種の自分自身の限界との出会い、でもある。
『「他者」の私への抵抗は、世界内的な抵抗ではない。「私より強い」力を持つものは、「私より強い」という仕方で私と比較考量されているわけだから、「度量衡」を私と共有している。ひとつの全体性を私とわかちあっている。そのようなものをレヴィナスは「他者」と呼ばない。「他者」の抵抗力を構成するのは、その「予見不能性」である。」(内田樹『レヴィナスと愛の現象学』文春文庫、p90-91)
旅先で、普段は出会わない「他者」と出会う。「予見不能性」であり、かつ「度量衡」を私と共有しない、異なる世界からの「抵抗」である。ガイドブックやツアーは、その「抵抗」を減らし、「予見不能性」を減らすための道具である。だが、今回の旅では、ガイドブックを持つことはあっても、「予見不能性」に割りと身をさらしている。ゆえに、普段より、はるかに疲れる。肉体的負担ではなく、精神的な疲れとしての「世界内的抵抗」ではない、異界と接触する「抵抗」である。
だが、この抵抗と触れ続ける中で、自らの「予見可能性」の再検証も実は可能となる。自分が暗黙の前提としているもの、当たり前と思い込んでいるもの、が、いかに不確かな前提に基づいているのか。それを思い知らされることによって、むしろ己の「度量衡」自身がのバージョンアップや改良をも、可能になるのだ。どれほど見えていなかったか、どれほど気づけていなかったか、といった不能や不完全性と、「他者」との出会いや抵抗を通じて知ることによって、結果的に、自らの存在そのものを問い直し、確かめなおす契機となるのかもしれない。
旅先で、混乱と困惑と疲労のピークの先にあるもの。その一つが、自らの世界観自体との直面であるとしたら、外界への旅路は、内界へのそれとも密接にリンクしているのかもしれない。

骨格提言というパラダイムシフト

今日、2011年8月30日、日本に住む多くの人にとって、この日は首相交代の日として認識されているだろう。だが、僕自身にとっては、首相交代よりも大きな意味を持つ場に居合わせた。総合福祉法部会の骨格提言が、ようやく出来上がったのだ。
昨年四月から始まった、内閣府障がい者制度改革推進会議、総合福祉法部会。名前だけでお経のように長い部会なのだが、僕もこの委員として当時の!福島みずほ内閣府担当大臣からの委嘱状を頂き、制度改革に向けた議論をスタートさせた。そして18回目の今日、現行法である障害者自立支援法に変わる新法である障害者総合福祉法の骨格を部会の全員一致で了承し、骨格提言としてまとめることができた。この骨格提言は、様々な意味で日本の障害者福祉政策にパラダイムシフトをもたらす、転換点となる骨格提言である。以下、部会の一員として参加してきた立場から、その概要といくつかのポイントを整理しておきたい。
①障害者総合福祉法がめざすべき6つのポイント
総合福祉法の骨格提言自体は122ページにわたる膨大な内容であるが、そのポイントは冒頭に6点にわたって示されている。その表題だけを並べると、以下のとおり。
【1】障害のない市民との平等と公平
【2】谷間や空白の解消
【3】格差の是正
【4】放置できない社会問題の解決
【5】本人のニーズにあった支援サービス
【6】安定した予算の確保
この6つのポイントの重みを、これまでの政策との比較の観点で、簡単に解説しておきたい。
【1】障害のない市民との平等と公平
→障害者への福祉政策は、特に20世紀の措置時代においては、恩恵や慈善に基づく政策であった。ゆえに、二級市民扱いするような劣等処遇であっても、安心や安全が守れるならそれでやむなし、とされる弱者救済の論理であった。だが、国際条約である障害者権利条約の批准を前提に、わが国の障害者福祉政策もパラダイムシフトする必然性に迫られた。なぜなら権利条約では「他の者との平等」がその条約の中心論点として示されているからだ。これは、障害者だけが人里離れた入所施設や精神科病院での長期社会的入院・入所を余儀なくされる、あるいは障害者だけが4人部屋や6人部屋を強いられる、ということはない、ということである。また、あるいは障害者であるがゆえに普通の人がカラオケや飲みに出かけたり、結婚や子育てをしたり、という当たり前の生活から排除されない、ということでもある。この「他の者との平等」に基づいた施策を進める、というパラダイムシフトの骨格提言なのである。
【2】谷間や空白の解消
これまでの障害者施策は、ある意味「継ぎ足し法」であった。当事者や家族、関係団体から「これが問題になっている」といわれ、何度も抗議や運動をされる中で、ようやく対策が認識され、制度化されていく、という制度が実態の後追いを繰り返してきた。それでも、精神障害者の福祉施策だけでなく、盲ろう者や難病患者の生活支援、あるいは障害児支援など、埋まっていない空白や谷間の問題はたくさんある。そういう制度の谷間を生まないための支給決定や相談支援のプロセスを作り上げることで、後手後手の対応ではなく、障害ゆえの生活のしづらさへのを支援を求める全ての障害者に速やかに支援の手が差し伸べられるようなものを求める方向性が出された。
【3】格差の是正
入所施設や精神科病院からの障害者の地域移行が進まない最大の理由は、地域での各種の社会基盤の整備が諸外国に比べて徹底的に遅れているから、である。それゆえ、東京や大阪なら一人暮らしやグループホームでの暮らしが出来ている重症心身障害を持つ人が、山梨なら地域で支える仕組みが脆弱なゆえに医療施設での長期社会的入院を余儀なくされている、などのケースは、障害の種別を越えて未だに少なくない。そういう意味では、それまでのその地域における支援実態にあまりに格差が大きく、障害を持っても暮らしやすい街と暮らしにくい街、もっと言えば障害者が支援を受けて暮らすことが現実的に厳しい街まで、格差が非常に大きくあった。総合福祉法では、その格差を是正することを理念として目指しているのである。
【4】放置できない社会問題の解決
さきの【3】とも関連して、わが国では、特に20世紀型の慈善・恩恵の福祉政策が展開されてきた。ゆえに、公的責任は先進自治体を除いては極めて限定的であり、家族の丸抱え、ないし施設・病院への丸投げ、という二者択一状態にあった。この二者択一の状態をやめ、第三の選択肢としての地域生活支援体制の充実と、効果的な地域移行プログラムの推進を目指すことも、総合福祉法の柱として明記されている。これも、これまでの障害者福祉政策からの大きなパラダイムシフトの一つである、と言える。
【5】本人のニーズにあった支援サービス
実はこれまで整理してきた内容と、5つ目のポイントは大きく重なっている。これまでの慈善・恩恵的な福祉政策は、決定主体が行政や支援者などの専門家と呼ばれる人であった。
障害者自立支援法で自己決定や自己選択がだいぶ出来るようになった、と喧伝されたが、実際には選べるほどのサービスもなく、また支給決定における障害程度区分の問題や、長時間介護の国庫負担上限問題など、本人の求める支援ニーズを抑制するような支援体系であった。この部分にもメスを入れ、支援体系をニーズベースで再編するだけでなく、パーソナルアシスタントという本人の選んだ、本人主導の継続的介助サービスの導入など、支援を求める人のニーズにあわせた体系内容に変えることも骨格として提言された。
【6】安定した予算の確保
そして、今までの5つのポイントを実現できるかどうか、は実はこの6点目の財政論議になってくる。ここで、今日の部会と、冒頭の首相交代の話がつながってくる。障がい者制度改革推進本部の本部長は、内閣総理大臣なのである。そう、今日からこの問題を扱う本部長が変わったのだ。担当する内閣府も厚生労働省も大臣が変わる。その中で、あと二年はちゃんと政権を続ける、というのであれば、首相はこの問題にも本気で取り組んでいただきたいのである。実は、障害者権利条約と共にこの総合福祉法が出来る根拠となったのが、障害者自立支援法意見訴訟段と厚生労働省の和解に基づく「基本合意文章」であるが、その基本合意文章の中で、平成25年8月に現行法(自立支援法)に変わる新法制定が謳われた。そして、国はそれを約束したので、総合福祉法部会を開き、来年の通常国会にはその法案を国会に上程する。ゆえに、法案を今年後半に書くためにも、この8月末の骨格提言提出の線は譲れない、と言われてきたのである。そこで、かなりの大変な思いをしてこの骨格提言を出したのだから、今度は政治家と官僚はそれを実現するための「安定した予算の確保」に向けて、動き出してもらわないと困るのである。
さて、これまでは新法の骨格について若干の解説をしてきたが、この新法の骨格提言に秘められたパラダイムシフトは、何もこの内容だけではない。実は、この骨格提言が作られるプロセスそのものにも、既存施策からの大きな転換が秘められているのである。この部分は、骨格提言を読んでも出てこないので、一部会委員の主観として、書いておきたい。
②小異をすて、大同で団結
大同小異、という言葉がある。小異を超えて、大きな方向性で同意しようよ、ということである。これまでの障害者福祉は、残念ながら、障害者関係者から見れば重大な違い、だけれども、それ以外の一般市民から「小異」にも見える部分で、長らく大きな分断をしてきた。その一番不幸なエポックが、自立支援法の賛成・反対による分断である。厚生労働省のあまりに急な、介護保険との統合もにらんだ法制定プロセスに、納得できない障害者団体と、そうではない団体との中で、大きな溝が出来てしまった。障害者の地域生活支援を求める、というところでは一致している、障害者の理解者たちの間で、法律という方法論的断絶がある種の「踏み絵」と化し、共に障害者支援の充実のために手を携える、という目的まで共有できなくなってしまったのだ。これは実に不幸な数年間であった。
だが、今回の制度改革推進会議の総合福祉法部会は、国の審議会にしてはありえない、55人という大所帯である。この55人には、自立支援法に賛成した人、反対した人、中立だった人もみな、入っている。入所施設や精神科病院からの地域移行を研究テーマにして、国のこれまでの政策にもわりと批判的でった僕自身も入れていただいた。僕に限って言うならば、これまでの国の社会保障審議会などでの人選から見ても、絶対入るはずのない人選だった。そういう人も、地域移行と地域の基盤整備を進めるため、是非とも、とお声がかかったのである。
そういう意味で、障害者福祉領域で、内野・外野・場外、現状肯定派・否定派・様子見派、など主義主張の違いを超えて、新法を作るために、これまで同じ場で議論をすることなどなかった面子が勢ぞろいしたのである。そして、18回の部会と、部会作業チームでの議論、あるいは自主的な集まりや、座長会議などでの調整、部会三役などの大変な調整など、様々な議論が積み重ねられ、やっとのことで今までにない規模での幅広いステークホルダーによる、小異を捨てて大同で団結する、ということが、この骨格提言で出来たのである。このことの意味は、すごく大きい。
③当事者主体の論点整理
今回、これまでの社会保障審議会などに参加するステークホルダーより、より幅広い関係者の間で合意できたのはなぜか。それは先ほどの人選もさることながら、実はこの部会の論点整理自体が画期的だったのである。
今、この文章を、甲府に帰る「あずさ」号の中で書いているので、正式に引用をすることは出来ないが、国の様々な審議会に出ている東大教授の森田朗氏の『会議の政治学』を読むと、審議会をどううまく取りまとめていくか、の舞台裏話が書かれている。その中で、論点整理権と人事権の重要性が確か書かれていた。つまり、どういうことを議論するのか、という論点整理を誰がするのか、と部会の座長や副座長も含めた人選を誰が持つのか、である。
で、これまでの社会保障審議会などは、言わずもがな、であるが、その双方を厚生労働省が握っていた。だが、今回は人事権は僕が見るところ、厚生労働省と制度改革推進会議側の妥協と思われる。だから、通常の倍の50人超えの部会構成になった。だが、論点整理権は部会三役が持った。このことの意味は大きい。僕もある審議会をずっと膨張し続けたことがあるが、審議会のお決まりパターンは、中間整理や最終まとめ案など、全て事務方の霞ヶ関の側で用意し、委員は当日その内容にクレームや反論をつけることがあるものの、基本的には最後は座長預かりで、しかもそれは座長の背後にいる主務官庁の側で最終案を出す、というのがよくある姿であった。これは、裏を返せば、依頼元である霞ヶ関の論理に沿った人選・議論内容・最終案、ということになる。ある意味マッチポンプ的要素もあり、だから「御用学者」といった言葉も出てくるのである。
だが、今回の骨格提言に向けた議論には、そのような予定調和はなかった。内閣府主催の会議なので、議事進行権はあくまでも内閣府の制度改革推進室と部会三役の側に託された。ゆえに、これまでの厚生労働省の会議では出てこなかったような論点がかなり出てきたのである。それがパーソナルアシスタントや、障害程度区分を廃止した上での協議調整による支給決定モデル、などであった。漸進主義の国の枠組みなら、「急進的過ぎる」として、最初から議論の枠から外されることも、部会の総意として論点整理を一から作り上げてきたので、骨格提言の中にまで残ることになった。ゆえに、厚生労働省は、これまでの審議会への対応とは全く違う対応を取る。それは、この部会の論点整理案への反論であり、部会作業チーム報告への「厚生労働省のコメント」も、厚生労働省の示した論点整理案の反論を論拠として、コメントしているのである。そのことによって、部会は何度も紛糾し、かなりの緊張する局面もあった。
だが、裏を返せば、これまでの国の法律に関する論点整理は、あくまでも霞ヶ関の都合に基づく、国主導の論点整理であった。それに対して、今回の骨格提言にいたる論点整理では、現実との齟齬はあるものの、あくまでも支援を求める障害当事者のニーズに沿う、「あるべき姿」に近づくための論点整理であった。現状と問題だけを示し、あるべき姿をあまり示さずにすぐに「落としどころ」を探る従来の審議会とは違い、あくまでも「あるべき姿」を掲げ、それと現実の間で問題点を整理し、あるべき姿に近づくための方策を考える方法論として論点整理が機能したのである。しかも、その論点整理に、支援を受ける当事者の声がかなり反映されていた。この専門家主導から当事者主体への論点整理の移行は、すごく大きな意味を持っている。そして、その理想系を実現するための骨格提言を、主義主張を超えた55人の委員の総意で決められた、ということも、改革の方向性をステークホルダー間の利害を超えて整理できた、という点でも大きい。
④今後の課題
このように、大変な波乱を含みながらも、何とか「あるべき姿」とその方向性について骨格提案としてまとめることができたからこそ、これからの行く末、が非常に大切な局面になってくる。とくに、世論、政治家、官僚の三つの動向が非常に気になるところだ。
まず世論であるが、業界関係者向けの講演をしても、障害者自立支援法の改正案については周知されていても、また障害者基本法が変わった、ということを知っている人さえ、総合福祉法についての認知度があまりに低い。厚生労働省が行う説明会の場でも「まだ議論中でございます」とあまり積極的に紹介されてこなかった影響もあり、自立支援法がまだこのまま続くと思っている人も多い。だが、骨格提言がまとまり、制度改革本部長である総理大臣にも早いうちに提言として手渡されるのである。であればこそ、早い段階で、この内容についての普及啓発の動きが広まっていく必要がある。少なくとも、上記の6点のポイントや、上に書いたような意義について伝えた上で、この骨格提言が実行されるように、これからの法文化作業や国会での議論を注視して見守っていく、そういう興味関心の輪が広まっていく必要性が強く感じられている。基本法改正の時のようなタウンミーティングにならった、骨格提言の普及啓発の集まりは必要不可欠だ。それは、次の二つの動向が、非常に気になるからだ。
次に政治家の動向であるが、財政再建や東日本大震災の復興支援の局面で、非常に財政緊縮的に動いているのが、この間の予算の動向である。特に来年度の政府予算の概算要求における、一律1割カットの方針は、この部会の骨格提言の方針と大きく異なる。これまで、OECD加盟刻の中で下位に属していた障害予算を平均並みにあげてほしい、という、世界標準で見たら決して無茶ではない提言であるのだが、財政削減の大合唱が先行すると、このまっとうな提言がいつの間にか夢物語とすりかえられてしまいかねない。厚生労働省だって、三位一体の構造改革時に、この手法でずいぶん財政削減を財務省から迫られ、当事者の意見を一理あるとしつつ、財政抑制的な手法も盛り込んだ自立支援法へと舵を切らざるを得なかったのである。この部分を理解し、安定した予算の確保に向けて全力で取り組むことこそ、「政治主導」の果たすべき役割である。また、このことは政府与党だけでなく、障害者施策に与野党の違いはない、といっている野党の政治家も、自分ごととして受け止めていただきたい課題である。この間、障害者福祉政策が国会の審議の場で、半ばバーター取引の材料のように使われているように勘ぐりたくなる場面があるやにも仄聞するが、これは政党の考えの違いを超えて、当事者・関係者の総意の骨格提言として、重く受け止めていただきたい、と切に願う。
そして、官僚の動向について。
この間、霞ヶ関に通い続け、厚生労働省の方々ともお話しする場面が多かった。その中で、各官僚個人個人は非常に優秀で、人間的にも信頼できる方が少なくない、という当たり前のことに気づかされた。だが、一方で、マスコミで喧伝される「総体としての官僚制機構の問題性」はやはり感じられた。それが、官僚制機能の逆機能問題である。官僚制は、そのシステムからして、継続性と安定性の確保を自らのミッションとしている。そのために、自分たちが枠組みを作ったものを、自らで大きく作り変えたり、捉えなおすことが得意ではないのだ。だからこそ、この総合福祉法という枠組みの作り変えに対しても、その方法論的反発だけでなく、自立支援法とは方向性の異なる骨格提言自体にも様々な反発が予想される。
だが、大切なのは世論と政治家の動向が、官僚に「良い仕事」をするための後押しとして機能してほしい、という点だ。優秀な官僚は、方向性と予算確保が示されたら、それを具体化するために全速力で駆け抜ける体力と知力を持っている。だが、この1年半の間の18回の会議を通じ、今ひとつこの部会に厚生労働省の担当部局が乗り気のように見えなかったのは、政治家の予算確保のめどが見えなかったことによる。政治家の動向が、骨格提言を後押ししなければ、政治家の動向に左右される官僚はいい仕事が出来ない。そして、政治家は、世論の風を読むことによって、政策決定をしている。であればこそ、世論が今から「総合福祉法を実現するために与野党超えて汗して働いてほしい」という願いを出し続けないと、今の財政削減あり気の論調を変えることは出来ない。
つまり、骨格提言は定まった。問題は、まさにこれから、なのである。
骨格提言がまとまった今日だからこそ、あるべき姿の実現に向けた、次の展開の課題を上記のように整理しておくこととする。

外国人介護職の受け入れ論・再考

前々回のエントリーで、外国人看護・介護職受け入れ問題について書いたところ、ASEAN関連で仕事をしている友人から、興味深いリプライがきた。ご本人の了解の上で、その意見を貼り付けた上で、ちょっと考えてみたい。

だがその前に、前々回のエントリーの要点。
----------------
外国人介護・看護職受け入れには、次の4つの前提が、意識的であれ、無意識であれ、あるような気がする。
前提1:日本人の若者にとって介護労働は人気がない
前提2:介護労働の報酬は低い
前提3:介護労働の内容は、トレーニングさえ受ければ誰でも簡単にできるものであり、代替可能性が高い
前提4:香港や欧米では、フィリピンなどの外国人介護職を受け入れて成功している
この4つの前提を一つ一つ検討してみると、介護や看護労働は、人手不足だから、安価な外国人を受け入れたらいい、という論理は、介護や看護労働を非常に表面的に捉えて、有り体に言えば見下した視点であると僕は考える。
-----------------
その上で、以下は友人からのメール。
-----------------
介護・看護のご意見拝読しました。
正直、本当に足りないのか、日本人でまかなえないのか、よく分かりません。産業界の移民推進の議論も、よく分かりません。ただ、厚生労働省が、以下の流れを全く理解しない(したがらない)ことによって、実際にやって来た人がぼろぼろになって帰っていくのをみるのが不憫ではあります。少なくとも厚労省は積極的に受け入れる立場ではありません。
私は貿易自由化の立場から、「入れればいいんじゃないの?」派です。労働力が輸出産業の国と工作機械が輸出産業の国で貿易自由化の議論をするのであれば、当然起こりうることでしょう。「うちのものは買え、でも、おまえに優位があるモノは買わん」では商売にならない。問題は、それが国内の需要とマッチしているかどうか。インドネシアやフィリピンは、「それが日本の需要にマッチしそうだ」という判断をして、EPA交渉に臨んだわけです。介護・看護に関しては、非熟練労働者としてではなく、熟練労働者の移動として向こうはとらえているわけです(少なくともハウスメイドの輸出を認めろとは言われていない)。
日本側が、日本国内の熟練労働者としての介護・看護と同等の質を求めるのも当然でしょう。ただ、そのために難しい日本語の専門用語による国家試験を課すことが正当かどうか(不当な障壁かどうか)は別の議論です。また、熟練労働者の移動である以上、賃金に関して内外価格差があったら、これも不当な話です。ですから、前提2であったような話は本当はあってはいけない。
おっしゃるように介護は準市場の領域です。準市場、ということは、介護は公共財ではないわけです。つまり、今の日本において、介護は競争的な財として考えられています。価格が公的に決められているので、消費者は価格以外の要素に反応して選択をすることになります。自由化の議論でこの話を推し進めていくと、最終的に消費者が「介護をする人」を選べばいい、ということになります。
たけばたさんがおっしゃる、ケアのきめ細やかさ=専門性と言語は、確かに大きな課題です。看護師で言えば、インドとイギリスがやはり類似の関係にあります。看護師不足が出たときにどっと受け入れて、解消すれば帰っていただく。日本でこんなことはできない。だから、おのずから、移民論は限界のある話なのだろうと思います。
もし、人材不足が将来にわたって予測されるのであれば、報酬単価をもっときちんと上げた上で、門戸を開けばいいだろうと思います。実際に、EPAの枠ではなくても、すでに外国人は介護現場にいます。CILにもいたりします。うまくいく人もいれば、うまくいかない人もいる。現状では、消費者の「選択」が可能ではないから、たけばたさんが心配することが起きかねない。だったら、選択が可能になるぐらい選択肢を増やせばいい。そのためには、報酬単価をきちんと上げたり、外国人の給与を抑えるような行為を規制したり、そうした制度的・財政的なインフラを整えてあげる必要があります。
とにかく介護保険以降、介護を準市場の領域にして(これは厚労省)、なおかつEPA/FTAの交渉の一部となった(これは経産省)以上、積極的に受け入れるかどうかは別として、この流れは避けられないのではないでしょうか。
と、思いつくままに。。。
----------------
経済学の修士号も持っていて、福祉現場にも造詣が深く、かつ今ASEAN諸国で仕事をしている友人(といえば誰か分かる人には分かるんのですが・・・)の指摘はなるほど、説得力がある。
そして、それに対するリプライを書こうと思っていた矢先、介護人材の不足の記事が。
「介護現場の人手不足感が再び強まっている。23日に公表された2010年度の介護労働実態調査によると、「職員が不足している」とする介護事業所は50.3%と過半数に上り、前年度より3.5ポイント増加。1年間に辞めた人の割合を示す離職率は17.8%で、3年ぶりに悪化した。
昨年10月1日時点の状況について、厚生労働省所管の財団法人「介護労働安定センター」が調査。全国の約1万7千事業所とそこで働く約5万1千人を抽出し、約7300事業所、約2万人から回答があった。
ここ数年は政府が介護職員の処遇改善に力を入れた効果で改善傾向にあったが、同センターは「景気の回復に伴い、介護よりも待遇がいい他の仕事へ転職する傾向が再び強まっているのではないか」とみている。
最も人手不足感が強いのは訪問介護の事業所で、「職員不足」とする事業所が65.9%。施設介護の事業所では40.4%だった。
離職率では、施設介護職員が前年度より0.2ポイント改善したものの19.1%と高い水準。一方、訪問介護職員は14.9%で、前年度より2ポイント上がった。
介護職員の賃金は、全体平均で月額21万6494円と前年度に比べて4062円増えたが、46.6%の職員が「仕事内容のわりに賃金が低い」と不満を感じている。事業所も過半数が「今の介護報酬では人材の確保・定着のため
に十分な賃金を払えない」としており、さらなる労働環境の改善を求める声が強い。」(朝日新聞 8月24日
さて、どう考えるべきか。
友人の指摘も、介護人材の不足の記事も、やはり先述の前提2と3に立ち返って考える必要がある。
前提2:介護労働の報酬は低い
前提3:介護労働の内容は、トレーニングさえ受ければ誰でも簡単にできるものであり、代替可能性が高い
朝日の記事では、前提2が大きな問題になっている、という。そして、この前提2の報酬という公定価格を決める国基準がなぜ低いのか、を考える必要がある。公定価格が定まっていても、例えば医師はある程度「食える」し、看護職でもそこそこの給与がある。(ただし看護で食えるのは、実は夜勤加算が大きいウェイトを占めており、公定価格自体は決して高くなかったり、また低いままに据え置くために准看護師制度が未だにある等の問題点もあるが、これも置いておく)。だがその一方で、介護職は看護職と比較してもなぜこれほど賃金が低いのか。これは、前提3と直結する。そして、この部分は、友人の次の指摘にもやはり直結するのだ。
「報酬単価をきちんと上げたり、外国人の給与を抑えるような行為を規制したり、そうした制度的・財政的なインフラを整えてあげる必要があります。」
そう。前提3を「既定路線」とした上で、低い報酬という「制度的・財政的」制約を課している限り、「報酬単価をきちんと上げ」ることなく、「外国人の給与を抑えるような行為」を規制しないまま、「やすかろう」というノリで、かつ、「前提4:香港や欧米では、フィリピンなどの外国人介護職を受け入れて成功している」ということを鵜呑みにして受け入れると、介護分野に関わる人材は、国籍を問わず、不幸になっていくのである。
そして、もう一度前提3に絡めて言うならば、外国人看護師・介護職について、ASEAN諸国はどう捉えているか、という友人の指摘を再度振り返る必要がある。
「介護・看護に関しては、非熟練労働者としてではなく、熟練労働者の移動として向こうはとらえているわけです」
実は、この視点が前回の僕の考察には抜けていたし、前提3とも通底する大きな問題である。介護・看護は「熟練労働」という考えで、我が国でも教育(現任者教育含む)しているのか、そしてそれに見合うだけの対価をちゃんと支払っているのか、という点である。
国として、介護・看護は「熟練労働である」と前提3を変える事によって、前提2の単価も自ずと変わらずを得ない。その上で、日本の若者や他職種で働く人にとって、本当に介護労働市場は魅力のない業界か、という前提1を問い直し、さらには自由貿易の観点から前提4に関して外国人労働力も「熟練労働の移動」として、国内と同一水準、同一評価基準で受け入れ、利用者の選択の幅を増やす、というのであれば、僕は何も反対する理由はない。
繰り返し述べると、前提2と3を、所与の現実とするか、その労働に対する認識不足と価値の引き下げであると見なすか、がこの問題の攻防戦だと思う。
ついでに述べておけば、特に震災以後、国債発行残高の件も併せて、歳出削減の大合唱になっている。来年度予算も1割カットという報道もなされていた。こういうと、思考の省略が得意な人は、「だから介護報酬を上げるなんて無理だ」と簡単に言う。ちなみに障害者予算の増額にも同じ思考の省略が働く。だが、これらは思考の省略である事を繰り返し述べておく。介護・介助の報酬を上げること、とか、障害者の地域生活支援の充実のための予算増、などは、目的が真っ当であるが故に、予算という方法論的制約故に止めてはならない。
予算はあくまで方法論である。その必要な予算を考えた上で、それを捻出する財源や、あるいは雇用創出などのマクロ的視点からの均衡も含めて考えなければならない。また、例えば障害者福祉なら入所施設や精神科病院につぎ込んでいる財源を地域に付け替える、などの予算の振り替え、組み替え、という名の本当の意味でのリストラクチャリングも必要である。そうしないで、ギリシャやイタリアにならないために、という安易な財政削減論は、思考の省略以外の何物でもない、とも思う。