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新たな展開の予感

二週間近くのご無沙汰です。

相も変わらず日帰り東京出張が二日連続で続いたり、など仕事も確かに忙しいが、この二週間で、いろいろな事が変化していて、時間的にも物理的にもブログに時間をとれなかった。備忘録的にその変化を少し記録しておきたい。

1,Evernoteが習慣化する。
前回のブログを書いた24日から、Evernoteを使い始めたのだが、これはかなり習慣化してきた。毎朝、前日の記憶を頼りにEvernoteに日記を書き始めたのだが、まあ、書くことがあるわ、あるわ。ブログやツイッターなどのアウトプットは「他人に見られる」ことを基本としているので、実はこれでもかなり取捨選択して、抑制気味に書いている。別に暴発したいのではなく、他人の目に触れるには値しないけれど、自分では書いておきたいその日の出来事や、他人の印象や発言、等を、書き出したら、結構書くことがあるのである。朝からどん詰まりに忙しい日以外は、朝起きてご飯を食べるまでの隙間時間に、ツイッターを見ながらこちょこちょ書いている。
いや、それだけでなく、研究にも活用している。ちょうど来週の11日が、福祉社会学会での学会発表があって、予稿集は書いておくっているのだが、まだその内容を仕上げていない。どうせだったら、とこれまでにため込んできたアイデアも含めて、EvernoteでB6カードよろしく書きためている。すると、アイデアの思いつきや、忘れかけていた記憶の再生など、色々な効果が出始めた。これまで福祉社会学会では2008年からずっと、地域自立支援協議会というメゾレベルの現場のダイナミックスについて、その本質に迫れないか、とあれこれ考えてきた。ただ、ぼちぼち今回あたりでいったんまとめをして、論文にしなければ、と思っている。そのため、具体的な事象に埋没せず、「問いの次数を上げる」ことが求められる。そして、僕が今、研究上でデッドロックにさしかかっているのは、「木を見て森を見ず」ではないが、個別具体の事にこだわってしまい、問題の本質にまで迫れていなからである。
ちなみに、この「問いの次数を上げる」というのは、内田樹さんがよく言っているフレーズである。彼のHPを引いてみると、大変興味深い例が載っていた。読み返していて「そうそう」と思う直近の例を、今ブログであれこれ書き始めたのだが、内容が表に出来ない部分もあったので、これはEvernoteの日記に移行する。そう、これまで書けない内容については書かれずに死蔵されて来たのだが、それを書いて消化・昇華させることが出来るのも、良いところです。と、脱線しているけれど、とにかく研究のまとめをそろそろせにゃまずいので、俯瞰的にこれまで考えて来たことをまとめるにも、Evernoteは活躍し始めている。
2,引越作業とゴミ捨て大会が進む
あと2週間ほどで、市内の別の場所に引っ越すことにした。今の場所は足かけ6年住んでいる。朝は鳥のさえずりで目覚める、大変良い場所なのだが、心機一転したかったのと、次の家のご縁が見つかったので、思い切って引っ越すことにした。そのため、連休明けくらいに業者に段ボール箱を運び込んでもらい、以来少しずつ、段ボール箱に詰めながら、部屋の整理も同時並行的に行っている。
その中で、読んでいない本でも、今の関心から外れてしまった本は、今回思い切って処分することにした。段ボール箱に引っ越し先にも持って行く本を詰める中で、この本とはご縁がないな、と思う本は処分用に分けていったのだ。数にして200冊は超えただろうか。感じ的に段ボール箱で2-3箱分くらいは避けただろうか。大学でフリマをし、8000円くらいのお買い上げになった。それは被災地の障害者支援団体に振り込む予定だ。それでも、14箱は新居に持って行くのだから、決して少なくはない。
2回分の週末を本詰めにかけた後、昨日あたりから、「開かずの箱」やゴミゴミした周辺領域、にも手をつけ始めた。「とりあえず」詰め込んである雑多な内容を、一度地面にさらけ出して、本当にいるものだけを取り出し、あとは捨てる、という地味で面倒くさい作業だ。本を箱詰めするより肉体は使わないが、実は精神的にクタクタになる。なぜなら、真実は細部に宿るから。
前回の引越は、プータローだった西宮時代から、常勤となった新天地へと移る時期と重なった。かつ、引越の1週間前にアメリカ調査から帰って来て、その間にインフルエンザにもかかり、送迎会を軒並みキャンセルする、という失態も重なった。その上で、1週間で引越準備を完了する、というかなりクレイジーなスケジュール。とにかく箱詰めして、前の日は徹夜して、必死になって片付けて、ふらふらになりながら夕方の高速道を甲府に向けて走っていたのを、ぼんやり覚えている。あの頃は全く人生にゆとりがなくて、引越をするだけで精一杯だったのだ。
その後、甲府に超してから、山梨での生活に慣れるのに2,3年かかった。それは、常勤の仕事に慣れるのに、と言い換えてもいいもしれない。で、慣れた頃から、山梨県や三重県での障害者福祉のアドバイザーをし始めたので、加速度的に仕事が忙しくなる。妻はその頃から、引っ越ししたい、と言っていたのだが、今度は忙しくて余裕がなくなったので、とてもじゃないけれど、と拒否していた。乱雑な部屋をみて、ここからどうやって荷物を整理できるのだろう、と途方に暮れていたのも、一因であった。
それが昨年の心境の変化のあたりから、ぼちぼち動いてもいいのではないか、と思いを改める。そして、昨年の夏には不動産屋も廻ったり、学内で声もかけてみたが、なかなか物件は見つからない。そんなもんかなぁ、と思っていた矢先、今年の年明けに、身近な知り合いから、分譲マンションを人に貸したい、というご縁と出会う。いわく、5月末をめどに実家に戻ろうと思っている、とのこと。3月は仕事も立て込んでおり、引っ越し代も高いので、半年後の引越なら余裕もありそう、ということで、話がとんとん拍子で決まった。
6ヶ月の心理的余裕は、確かに大変良い。少しずつ片付けながら、心理的にも、今までの固着した考えを捨てていくのに、それくらいの時間が必要なようだ。実際、今回は連休明けから、よほどの用事がない限り、土日は引越のためにまるまる時間を確保している。その中で、今まで先延ばしにしてた「開かずの箱」「ゴミだめ」とも、向き合うことが出来ている。自分に余裕があるから、これまで蓋をしていた様々な「ゆがみ」「よどみ」と向き合えるようになってきたのだろう。使わないパソコンソフトやハード、読み返さない記録、聞き返さないカセットテープ、袖を通さない洋服、など、この際一気に処分する。毎週ゴミ袋を一杯にするたび、少しずつ心が軽くなっていく実感がある。そして、パソコンラックや、普段使わない重いスーツケース、不用意に取っておいた紙袋、などもとにかく捨てまくる。すると、変なもんで、部屋がだいぶシンプルになり、良い気が流れるようになってきた、ような気分になる。断捨離ではないけれど、引越を機会に、モノとのつきあい方を、大きく見直そうとしている。
3,蘊蓄ハイキング隊、はじまる
先週の金曜日から突然始まったこの企画。ちょうど、「せっかく山梨に来たのに、山梨の自然とふれあっていなかったなぁ」と思い始めた矢先に、大学の同僚A先生から、ハイキングのお誘いを受けたのだ。曰く、「大菩薩峠の半日ハイキングとその後の温泉」という、なんとすばらしい企画。
前日は雨だったのに、その日は非常に晴天に恵まれ、実に気持ちのいいハイキング日和。同僚が多いハイキングなので、山歩きしながらもピーチクパーチク、蘊蓄や阿呆な話に余念がない。かつ、隊長のS先生が、装備もばっちりで、山歩きのことだけでなく、森羅万象についての蘊蓄の大家。よって、蘊蓄ハイキング隊と決まったのでありました。
大菩薩峠の尾根から見る雲海の景色は実に美しく、隊長の言う「山登りはいっぺん出かけてみると、その魅力にはまるよ」という言葉を、文字通り実感した。この夏はこの隊の企画に乗っかって、僕も山梨の山と、一つずつご縁を頂こう、と思う。
Evernoteも引越も、蘊蓄ハイキング隊も、胎動する何か、を感じ始めるエピソード。どこに進むかはわからないけれど、何だか新たな展開の予感がする三題噺、でした。

方法論の刷新

タイトルは仰々しいが、中身は現実的だ。

ウメサオタダオ展に出かけた、という事を前々回のブログでご紹介した。
今回氏の著作を何冊か集中的に読む中で、以前読んだつもりだったけれど、ちゃんと記憶にも残っていないし、また書架にもなかった大ベストセラー『知的生産の技術』(岩波新書)を、東京出張のついで、昨日オアゾの丸善で買い求めた。
実は読み直す以前にも、改めて方法論の刷新が必要だ、と感じていた。みんぱくにつとめる大学時代の同期のO君から、展示会の折に『特別展「ウメサオタダオ展」解説書「梅棹忠夫 知的先覚者の軌跡」』を頂いたのだが、このガイドブックは非常に内容が濃くて、学ぶことが多かった。その中でも、方法論に関しては、山根一眞氏の『情報の整理と再構築の偉大な一歩』というエッセーに非常に心惹かれていた。その中で山根氏が梅棹氏から言われた言葉が、非常にあまたの中に残っていた。
「山根君は『B6カード』を使うことで、情報をどう扱うべきかを学んだ。それで、自分なりの方法や技術を産み出した。そういうことを想定して書いたのが『知的生産の技術』なんです」(p100)
つまり、ばらばらの情報をB6カードに「発想メモ」としてとり続け、何かのテーマについて書くときには、テーマや小見出しからそのカードを引っ張り出して、並べ直し、「こざね法」でカードなりメモなりを組み合わせ、論理を発展させていく。梅棹氏の友人、川喜多二郎氏のKJ法と共に、情報を帰納法的に集約していく中で、大きなテーマでのひとまとまりをつける、という編集機能を備えたやり方が、B6カードによる知的生産技術の要旨である。
このやり方を、パソコンやクラウド時代にどう活かせるのだろう? そう考えていた矢先、昨年の夏に人から教わったけれど、放置していたEvernoteを思い出した。そうか、あれはカードそのものだし、ファイルメーカーと違ってクラウドだから、アンドロイド携帯とも同期出来るのではないか、と。
ネットで調べてみたら、gmailと同時活用している人の本や、『知的生産の技術』との関連性で論じている人の本など、ちゃんと気づいている人は沢山いたのですね。上の二つの本も、早速アマゾンで購入。
仕事の方法論については、山梨県や三重県の障害者福祉のアドバイザーをし始めて、学外での社会貢献の仕事がかなり増え始めた3,4年前に、ビジネス書やライフ・ハック系の本、また「週刊東洋経済」「日経ビジネス」[The 21」などのビジネスマン向け週刊誌をかなり貪り読んだ。その中で、仕事の締め切りに対する意識や、常に先々の仕事を見据えた中で早め早めに処理する技術など、方法論的なものについて、ある程度学んだ、つもりでいた。事実、以前に比べたら、仕事の処理速度はかなり速くなっていたと思う。
ただ・・・。
それでは、事務仕事や講演のパワーポイントなどは早くこなせても、論文など、じっくり考えて文章にしていく作業に活かされていなかった。処理は出来ても、「知的生産」には至っていない、という不全感が、ずっと蓄積したままだった。本は以前より膨大に吸収し、昨年あたりから色々新たな気づきもあって、それをブログやツイッターで時に触れてアウトプットもしているけれど、それはあくまでも情報の断片であり、その情報の断片と、これまで研究してきた自分の研究テーマや主題との関連づけが非常に薄い、と感じた。つまり、以前、我が学科のM先生から言われた「雑学王をどう脱するか?」という壁を、超えられないまま悶々としたままの自分がいたのだ。
そんな中でのEvernoteくんとの出会いは、実は雑学王を脱するための、僕なりの処方箋にもなり得る、と勝手に夢想している。
僕は、いちおう障害者福祉政策の専門家、というタグが貼られているらしい。たしかに、障害者の地域移行や地域生活支援などで、文章も書いている。しかし、それにとどまらず、高齢者福祉や地域福祉、ボランティアやNPO、支援や新しい公共など、より広いコンテキストの中で、自分の研究が位置付いている、と感じている。また、最近どうもユング心理学系が気になって仕方がないが、もともと博論時代からの主題である、「精神障害者のノーマライゼーション」課題の、主観ー実存的問題と、社会環境(の障壁)との相互作用論も、自分の中でアクチュアルな主題となりつつある。複雑系やメタ認知理論、フーコーにメルローポンティも、単なる趣味を超えて、関係があるような気がして仕方ない。
そんな雑食家が、雑学王を超えて、ちゃんと情報を関連づけ、つなぎ直す方法。それが、クラウド環境やITメディアを活用した、現代版のこざね法的、KJ法的法的な「知的生産の技術」ではないか、と感じている。これまで試行錯誤しながら、「情報をどう扱うべきかを学んだ。」 その修行時期がそろそろ終わり、「自分なりの方法や技術を産み出」す時期に移行しているのではないか。そう感じていた。
ゆえに、今日からEvernoteは早速大活躍している。メモを書きまくり、そこで気づいた事はツイッターに加工したり、逆にツイッター内容を貼り付けたりして、メモをどんどん膨らませていく。研究室で死蔵しかけていた幾つかのキーブックも、「著者にとってのだいじなところではなく、自分にとってのおもしろいところ」としての「わたしの文脈」(「知的生産の技術」p112)でノート化していこうと決めた。
ここしばらく、情報をむやみやたらと吸収しているばかりでなく、きちんと分析して、考えて、アウトプットしたい、と思い続けてきた。それが、ウメサオタダオ展という媒介項で、知の巨人とつながり、そこから自分なりの方法論について刷新するチャンスをいただけた。なんとありがたい学恩。
出来の悪い一研究者だけど、氏から勝手に受け継いだと思い込んだバトンを手に、自分なりに知的生産の大海に漕ぎ出したい。

バランスを考える

前回のブログを書いたのは大阪、上本町のホテル。その後、大阪で講演し、翌日と翌々日は三重県のお仕事で研修にみっちり関わって、帰ってきた時には、ひどく疲れて果てていた。それでも、翌日講義をしてから、東京での会議に行こうとしていた。だが、さすがに体力の限界一歩手前。ドクターストップならぬ、妻からの「倒れる前に休んだら」の一言で、仕事をキャンセルして、火曜水曜と静養する。

倒れるまで最善を尽くして働いても、その後、沢山の穴を開けることになるくらいなら、倒れる前に、休みを入れる。いや、その前に、4月末からの20日間の間に、金沢2泊3日、京都・岡山3泊4日、大阪・三重3泊4日、というタイトな予定を入れる事の方が、問題性が高い。連休で、同僚の結婚式に実家周り、それに講演が重なった事による無茶なスケジュールだが、もう少し1ヶ月とか半年とか、見通しを立てた日程調整をしなければ、とつくづく痛感。
火曜日も水曜日も、最低限の講義だけをこなして、家に直帰してゆっくり休んでいたら、何とか復活。やはり、寝不足と移動時間の長さが応えたようだ。何せ、一日5時間以上の移動が計7日、という強行スケジュールで、しかもずっと旅というわけではなく、その間に甲府に戻って講義もしたり、という環境を続けて来たので、平時と旅路の混ざり具合もしんどさに拍車をかけていたのだろう。何せ、オン・オフの切り替える暇もなく、ずーっと5速で走り続けて来たのと同じだから、そりゃあ、モーターも焼け焦げます。というわけで、先週後半はかなりセーブモードで過ごしていた。
そのクールダウンの時期に読んだのが、もう1年も前に買った次の二冊。
『未来を変えるためにほんとうに必要なことー最善の道を見出す技術』(アダム・カヘン著、英知出版)
『シンクロニシティー未来をつくるリーダーシップ』(ジョセフ・ジャウォースキー著、英知出版)
ちょうど一年前にカヘンの『手ごわい問題は、対話で解決する』ジャウォースキーの『出現する未来』を読んで、ブログにご紹介もしていた。そのときに買ってはいたのだが、書棚に寝かせていた両著者の別の本を、改めて読んでみて、なかなか刺激的だった。いつものように両方の引用をする、というよりも、印象に残っている事を、デッサンしてみようと思う。
この両者は、ロンドンのシェルの世界戦略を考える部門で共に仕事をした事がある、というだけでなく、ある共通点がある。それは、徹底的に論理的に考え抜いた上で、論理思考以外の何かを取り込みながら、自らの思考を発展させて来た、という点である。
カヘンはアパルトヘイト後のアフリカや内戦後のグァテマラなど、コンフリクトや対立の激しい現場において、方向性をまとめ上げ、コンセンサスを作るファシリテーターの仕事をずっと続けてきた。ジャウォースキーは、一流弁護士の立場を捨てて、リーダーシップを育てる為のフォーラムを組織したり、あるいはシェルでは90年代の激変期にシナリオ・プランニングの仕事を続けてきた。両者とも、科学的因果論で徹底的にロジカルに考えた上で、その論理だけでは突き抜けられない壁を、生成的複雑性やシンクロニシティの考え方を取り入れながら、バランス感覚や直観も大切にしながら、乗り越えていく。そのプロセスの物語自体が大変興味深いだけでなく、東洋人の僕からすると、西洋的思考の限界を東洋的叡智を吸収しながら乗り越えていく、という点でも興味深い。
ニュートン・デカルト的な心身二元論的思考は、産業革命や大量生産・大量消費というパラダイムシフトをもたらし、ヨーロッパ・アメリカ主導型の20世紀型文明を構築する事に高く貢献した。だが、その因果論的な思考の枠組みそのものが、実験・論証可能なものに限定する事によって成り立つ世界である。メタ認知的に考えた時、認知可能なものしか認識せず、それ以外のものについては口を閉ざす、というあり方は、確かに知的には誠実かもしれない。だが、「だからこそ、それ以外のものはない」という思考は、実はそれ以外の可能性のふたを閉ざす可能性があるのではないか。そのことは、これまでバーマンの『デカルトからベイドソンへ』、あるいは佐藤優の『国家と神とマルクス』などの著作に引き付けて、ブログでも書いた事がある。20世紀の後半、特に複雑系の知識が広まった後に明らかになってきたのは、因果論的科学思考の外側にも、何らかの世界観がある、ということであり、それは仏教哲学やユング心理学、老荘思想などでは、ずっと前から言われていたことを再発見する過程でもあった、ともいえる。
とまあ、小難しいことを書いていたが、結局のところ、自然と人間、論理と直観、心と身体、男性と女性、文明国と発達途上国、一神教と多神教、などを二項対立として浮きだたせ、そのどちらかを優位だと盲信するところに、問題の複雑化、絡まり具合のさらなる混乱化がある、ということは、どうやら間違いないようだ。だが、だからと言って、今傾いている一方を否定して、もう片方に傾けば、オカルト主義か、あるいは逆のイズム信奉者で終わってしまう。大切なのは、自分がどの領域に偏っているのか、それ以外の何が足りない(見えていない)のか、という己の偏差を自覚し、吸収できそうなものがあれば、適宜吸収する、というバランス感覚なのだと思う。
そのバランス感覚で言えば、合気道をするようになって今月で3年目に突入するが、身体の声をちゃんと聴いてこなかった、ということが、最近は以前より、よくわかる。身体が固い、凝っている、疲れて悲鳴を上げている・・・などのことは、以前は全くセンサーを切っていたので、気づけなかった。だが、先週のダウン時も含め、限界でヒューズが飛ぶ・ブレーカーが落ちる前に、危機を察知することが、少しずつではあるけれど、できるようになってきた。そして、昨日の朝は、急に緑が恋しくなって、近所の武田の森まで車を走らせ、午前中は森林浴。すっごくエネルギーを充填できたので、その後は仕事もはかどり、今日は模様替えや書斎の整理まではかどった。
ことほど左様に、バランスを保とうと意識することが、何らかの歪みやひずみを補正し、邪気を払い、まっとうな魂の感覚を保全するために、実に大切なのだ、と、昨年から感じつつあるし、今年はとみにそれを意識している。
さて、そろそろ合気道の時間なので、今日はこの辺で。

フィールドワーカーの原点

常々、僕の師匠から言われ続けた事がある。
「足で稼げ」
師匠大熊一夫は、朝日新聞記者からジャーナリストを経て、大学教員になった経歴を持ち、今は再びジャーナリストに戻った。幸いなことに僕は大学院生として彼に師事し、ジャーナリストに戻られた後も、折に触れご指導頂き、その謦咳に触れている。師は、『ルポ・精神病棟』などの名作で知られる、対象にギリギリ迫って本質を平明な言葉で鷲づかみにするジャーナリストである。
それまで弟子も持たず、最前線のジャーナリストであり続ける為にも早期退職した師匠が、自らの体験知や方法論を後人に伝えたい、と3年間だけ教育職に就かれた。一方、新聞記者に憧れながら就職活動にも躊躇っていた僕は、「一流ジャーナリストの弟子入り出来る」という安直な気持ちで、大学院の門を叩く。あれから14年。たぶん僕は大熊一夫という師匠に弟子入りしなければ、大学教員として働くことはなかっただろうと思う。それを、再認識したのが、師匠に学んだ校舎(阪大人間科学研究科)の目と鼻の先にある「みんぱく」である。恥ずかしながら、昨日が「みんぱく」デビューの日でもあった。目指すは、国立民族学博物館で開かれている「ウメサオタダオ展」。様々な原点を垣間見た半日だった。
事のきっかけは、連休中に仕事先の秋葉原駅のエキナカ書店で偶然眼にした梅棹忠夫氏の『裏返しの自伝』(中公文庫)。大学院生の頃に月並みに『知的生産の技術』(岩波新書)は読んだけれど、B6カードに挫折する、と言う「定番」学生であり、それ以外の膨大な著書に触れるチャンスもないまま、だった。しかし、何気なく読み始めたら、彼の「ごっつさ」というか様々な魅力に引きこまれる。さらに挟まれていたしおりは、6月まで彼が作ったみんぱくで開催されている「ウメサオタダオ展」の案内。ちょうど5月の第二金曜日はみんぱくのお向かいの古巣で学会の仕事もある。これは、行かない理由がない。よって、早速彼の表の自伝である『行為と妄想』(中公文庫)も買い求め、甲府から大阪に向かう移動旅で読み進めながら、ワクワクとみんぱくに出かけた。その期待は、勿論裏切らなかった。
今回二冊の自伝を読んで、みんぱくの展示を眺めて、改めて感じたこと。それは、会場二階にある「はっけんデジキャビ」に「参加」している時に浮かんだ。体験型博物館の重要性を感じていた梅棹氏の思想を受け継ぎ、この特別展示では、観る者が触ったり体験出来たりする展示資料が少なくない。その最たるものが、梅棹氏の開発した先述のB6版カードに、入館者が自分の感想やお勧めを書き込み、デジ刈るアーカイブとして取り込んで、それも展示の一つとしてしまう、という内容。ちゃんとB6カードと鉛筆も用意されている。10数年ぶりに手にしたB6カードに、気が付けばこんな事を書いていた。
「『帰納論の大家』
足で稼いで、現場でじっくり観察し、現地の人・モノ・歴史に耳を傾ける。それを収集するだけでなく、共通項を抽出し、組み替え、編集し、紡ぎ合わせる。時には捉え直す。今回よく分かったのは、この知の巨人が帰納論的方法論の大家であったという事。この技芸と学問魂を、僕も見習いたい。」
本質は細部に宿る。だが、細部にばかり没入していると、大きな地図の中での位置づけを見失う。もうお一人の師である大熊由紀子さんはよく「鳥の眼、虫の眼、比較の眼、歴史の眼」と表現しておられたが、梅棹忠夫氏もまさにこの4つの眼を縦横無尽に駆使した巨大フィールドワーカーだった。今回自伝を読んでようやく知った東洋と西洋の間の「中洋」概念にしても、西アジアから南アジア、東アジアに至るまでのフィールドワークをしながら、現地の声に耳を傾けながら、それを日本や中国、ヨーロッパと比較する中で出てきた概念である。足で稼いで、その現場で見聞きし、感じた事を、B6カードに書き記し、編集し直し、組み替える中で生まれてきたアイデアである。我が師は足で稼いだ現実の積み重ねを多くのルポとして結実されたが、梅棹氏はその方法論を基に独自の文化・文明論を打ち立てていったのだ。だが、私自身、このウメサオタダオ展に触れ、足で稼ぐ、という二人の共通点と、私自身の原点を改めて再認識させられた。
もちろん、足で稼いでいても、ルポとしても、文明論としても、ちゃんとした仕事(作品化)は不肖の弟子にはまだ出来ていない。しかし、今回改めて「知の生産技術」の方法論にも触れながら、今現在自分が向き合っている仕事を「フィールド」として捉え直したら、出来うる仕事はあるのではないか、その中でちゃんと記録や整理が出来ているか、といった事を色々考えさせられた。まずは、B6カードの電子化であるファイルメーカーかエバーノートあたりの活用を考えねば。そういう研究欲をすこぶる刺激した、原点回帰の展示会であった。

道具考

連休の初日は、我が家のPCのお引っ越し。

職場のPCもまる6年使ってガタが来ていて切羽詰まっていたので、なんとかニューマシンに変えてもらった。一方我が家のPCは4年半落ちくらいの、エプソンダイレクトくん。普通にワードやパワポを使ったり、メールを書く分には何の不便もない。だが、ネット動画を見たり、itunesで音楽を流したり、ツイッターのTLを追いかけたり、ということを同時並行でやっていると、処理能力のキャパを超えているようで、ひーひーいっていた。同時期に二台とも変えるのはどうかな、とも思っていた。だが、ツイッター上でお二方のPCの達人からもアドバイスをいただき、思い切ってPCを買い換えることに。
実はこの買い換えを機に、改めて道具についても考え直していた。
以前なら、まだ使えるのに「もったいない」という気持ちの方が先行していた。だが、マルチタスク(というほどのものではないが)を一台のマシンでこなし、なおかつ効率的に処理できなければ、仕事用としての「用をなす」ことにはならない。用途を限定すればまだ十分に使えるマシンであっても、それは道具に併せて自分がしたいことを限定することになるのであれば、トータルとしては自分の身の丈にあっていない。それって、よく考えたら昨年、別の局面で経験していたことである。
年10キロダイエットした後、洋服をたくさん捨てた。ジャケットはそのまま使えたけれど、下腹の贅肉がかなり消えたので、ズボンが全く合わなくなってしまったのだ。中にはそこそこの値段(といっても貧乏学生にとっての)の、思い出もあるパンツやスーツもあった。が、無理してきても、高校生の”ぼんたん”(なんて言葉はたぶん死語だろうが)のように、ものすごく不格好。服と自分が全く適合していない。ゆえに、思い切って、捨てたり、あげたりした。(ちょうど我が家に遊びにきたMさんにウェストサイズがぴったりだったのだ!) まだまだ使える、と思っても、自分の姿形や内実に一致していないものは、結局、実質的に不釣り合いで、使いようがないのだ。
これはPCでも全く同じ。自分の用途と、PCの機能が不釣り合いになった段階で、そのPCとおさらばすることは、問題がないどころか、むしろ次の段階に進むためには必要不可欠。新しいマシンがこれまでとは比べものにならないくらいに処理能力が高く、ソフトをインストールしながらメールを書く、といった同時並行作業もへっちゃらなので、改めて今回の買い換えはよい買い物をした、と満足。しかも、ご縁はあるもので、先ほどツイッターにPC買い換えをつぶやいたら、連動させているFacebook経由で、お世話になっている障害者福祉組織のTさんから、「XPパソコンが足りないので、譲ってくださいませんか」というコメント。
何というタイミング。捨てるのはもったいないし、有効活用できないものか、と思っていたので、渡りに船、のお話。連休中にリカバリディスクをかけて、まっさらにしてから、モニタとともに大阪に送ろうと思う。このモニタも、博論を書いている時に買ったから、もう8年選手。両方とも、大変お世話になりました。
これまで使ってきた道具に感謝しながら、次の局面で必要な道具に乗り換えていく。そうしながら、道具とともに成長していく。そういうことが必要なんだと、PCから改めて学ばせてもらった。今のマシンは、芸事の導師さまにご同伴いただき、パソコン工房で買い求めたUNITCOMというマシン。インテルのコアi3で4GBのメモリ、1テラバイトのハードディスクと言われても、もはや宇宙語。でも、半日使う中では、非常にええ仕事してくれています。
さて、今度は使い手が、PCに見合う「ええ仕事」をする番です。はい。

イメージの書き換え

ポスト311、という現実の中で、以前なら手に取らなかった本と出会い、その視点の鋭さに驚かされることは少なくない。たとえば、以前なら表題だけでよまなかったであろう次の本にも、はっとさせられる記述と出会った。
「人間は自分を取り巻く周囲の現実に注意をふり向けなければ、快適に、あるいは効率的に生きていくことはできない。そして我々は頭のなかで、言葉やイメージといったシンボルを通じて現実を理解する。もちろん人によって思い描くシンボルは異なる。現実に対するイメージも、各人が抱く感情や人生に対する価値観によって違うだろう。しかし共同体の人々とともに効率的にものごとを処理し、生きていくためには、だれもが共有できるイメージが必要である。もしある人物が思い描く現実が、周囲の人々に共通する平均的なイメージと著しく異なっていたら、その人物は共同体社会のなかでは、変人あつかいされることだろう。では、人々が共有できるような現実というイメージを決定するのはだれなのか?」(カレル・ヴァン・ウォルフレン『誰が小沢一郎を殺すのか?』角川書店、P116)
小沢一郎氏と検察とのやり取りが、正当な判断なのか陰謀的なものなのか、そのあたりは私には判断できるだけの材料がそろっていないので、このブログで何か書くことは、今のところない。ただ、現実認識の社会的構築と、そのイメージ化にマスコミが果たした役割、ということを考えるとき、この記述は非常に重い意味を持つ。私たちが、自分とは直接面識もないし、知識もない、関わり合いも薄い・ない「大きな問題」、たとえば原発や政治家の問題を考えるときに、多くの人はその考える素材は、「言葉やイメージといったシンボル」を通じた間接的な思考方法でしかない。そして、そのシンボルによる判断、というのは、実のところしっかりした論理的根拠や土台に基づかない、あやふやなものなのかもしれない。
「現実とはイメージだからである。そして私たちがイメージとして思い描くシンボルや思考、概念は、周囲との関係性のなかで解釈する必要がある。そしてそれがどのように解釈されるかということには、当然、意味がある。なぜならば政治的現実とは、我々が手で触れ、その形や色について容易に表現できるようなものではないからだ。それは政治にかかわる人々のあらゆる行動、思考、相互作用、政界での出来事、そうした一切は我々に示されて初めて現実となるわけだが、それがどう示されるか、ということが重要になる。ところがそれが示される際、そうした行動や出来事を我々のために解釈する人々がいるために、ゆがんだ形で提供されることがある。ではそのような人々とはだれかなのか? それはメディアを動かす人々である。」(同上、P116)
この文中にある「政治的現実」を、「原発を巡る現実」と入れ替えても、同じことがいえる。原発を巡る情報は、専門家ではない一市民は「手で触れ」ることもできないし、「容易に表現できるようなものでもない」。だから、ベクレルだのマイクロシーベルだの、出てきてもさっぱりわからない。「そうした行動や出来事を我々のために解釈する人々」の解説を聞いて、安全か否か、を判断している私たちがいる。しかも、その判断は、あくまでもシンボルによる判断であり、イメージによる判断でしかない。だから、「あの学者(政治家、テレビ局、新聞・・・)は信用できそう」という信念も、あくまでも想像上の信念でしか、ない。だが、その信念を、「周囲の人々に共通する平均的なイメージ」として受け止め、「平均的なイメージ」なんだから、「なんとなく真実に違いない」と思い込むことによって、「大きな問題」に悩まされることなく、日々の些事に没頭できたのである。
だが、ポスト311の現実が突き付けたのは、この「平均的なイメージ」の虚構性の暴露、であった。恥ずかしい告白だが、私自身、震災直後は「原子力発電所はなんとか止まったはず」「安全性はきっと東電で保証してくれているはず」と思い込んでいた。自分が直接かかわることができない「大きな問題」については、日本社会の「平均的なイメージ」を信じ込み、大丈夫なはずだ、という無謬性にすがろうとしていた。ツイッター上で流れる様々な情報も、「そうではない”はず”」と思い込もうとしていた。つまり、現実の直視、よりも「平均的なイメージ」の延長線上(土台?)にある、イマジナリーな想像上の不安定な信用性に逃げ込み、それ以外の情報を「そんなはずはない」と信じ込んで安心しようとしていた。そして、震災から1週間、2週間とたつ中で、「我々が手で触れ、その形や色について容易に表現できるようなものではない」問題についての認識の虚構性、イメージという不安定さ、に見事に直面することになってしまったのだ。
もちろん「共同体の人々とともに効率的にものごとを処理し、生きていくためには、だれもが共有できるイメージが必要である」。だが、この「だれもが共有できるイメージ」の再構築、およびイメージの書き換え、も、ポスト311の局面で、切実に求められているのではないか。そんな風に感じ始めている。

村上春樹の通奏低音

自分の変わり目の時期に、なぜか僕は村上春樹を読み直す。

小説はあまり読まないのだけれど、村上春樹だけは何故か全集まで買い込んでいる。昨日は全集版で『ノルウェーの森』を読み直していた。前回この作品を読んだのは、確かカリフォルニアに出張時に買いもとめた英語のハードカバー。もちろんそれ以前に日本語版で何度か読んでいたし、ストーリーはもちろんある程度知っているつもり、なのだが、今この時期に読むと、また違った味わいがある。
大学生の頃、友人が読んでいるのに影響されて何気なく「ねじまき鳥・・・」を読み始めたら、あまりにその世界観にずっぼり入り込んでしまい、その後数日何も手が着かなかった経験がある。以後、彼の作品を手当たり次第読んだのだが、その数年後、集めた小説全てを売り払ってしまった。多分あれは博士過程の折り返しを過ぎた頃。その時は様々なトラブルを抱えてにっちもさっちもいかなかったから、詳細は覚えていない。でも、博論に向けて体制を立て直さねばならない時期に、「村上春樹に逃げていてはいけない」という気持ちだったのだと思う。それほど、研究に手が着かなかった、という証拠でもある。僕はもともと乱読派だったのだが、この時期、村上春樹だけでなく、様々な他分野のジャンルを封印する。
だから、ではないけれど、博論を終えた後、村上春樹に渇望していた。カラカラに渇いた喉を潤すかのように、彼の作品を次々と見つけては買い求め、貪り読んでいた。当時、妻が世帯主で僕は収入が殆どなかったので、古本屋を何軒か定期的にチェックするのだが、村上春樹の小説はなかなか古本市場で出回らないし、あっても他の小説家に比べたら結構値段も高かった。でも、とにかく一つの区切りをつけた後、古本屋で出会った村上春樹本を片っ端から買い集める中で、彼流の「井戸を掘る」という普遍的世界観へのアクセス方法が、自分のしているちっぽけな仕事と共通している事を知り、ずいぶん励まされたと思う。
ある作品なり論文なりに価値や普遍性がある時、それは他の作品との比較や否定ではなく、タテに深く深く掘り進め、掘りきって「貫通」すると、風が通り、普遍性の水脈へとたどり着く。その水脈にアクセスする事が出来た作品は、独りよがりな「よどみ」「歪み」がなく、「他者」のコアな部分とのアクセスが可能になる。村上春樹の作品が、英語版で読んでも変わりなくすっと入ってくるのも、世界中で翻訳されているのも、やはり表層の日本の描写の地下奥深くに潜む、通文化的な普遍性に辿り着いて、その普遍的な物語性にフォーカスしているからだ、と思う。そして、自分も当時の博論執筆を通じて、穴を掘りきる事の難しさと、ある種の微かな手応え、のようなものを感じていたので、村上春樹作品に随分その後背中を押してもらった。
今回、「ノルウェーの森」を読み直して、それが前回のブログにも書いた「存在論的な裂け目」を巡る物語である、と改めて感じた。
直子という媒介を通じた死の世界への誘因と、対極的な緑という媒介を通じた生の世界。その両極が太極図のように押し引きし合い、「僕」(=主人公のワタナベくん)は翻弄されていく。そしてキズキの死の際には見ずにすんだ「存在論的な裂け目」に、直子を通じて直面する事となり、その死が決定的な危機へと「僕」を追いつめる。最後にレイコさんという媒介役が、あの世とこの世の、直子と緑の、死と生の、白と黒の、結び直す触媒として文字通り巫女的な役割を果たしたことにより、「僕」は、存在論的な裂け目に引きずり込まれる危機を乗り越え、緑という生の世界と繋がりなおす、再生のきっかけを得る。
こうまとめてしまえば実に陳腐な説明しか出来ない自分にいらだつが、とにかくその作品世界の、特に直子がやがて心の病を極大化させ終焉を迎える途上での記述の中に、パックリ開いた「存在論的な裂け目」にグイグイ引っ張り込んで行かれる、その激流に抗えない根源的恐怖のようなものを強く感じた。
そして今更ながら、なのだが、思い出してみると、村上春樹はこのような「奈落の底」のような「存在論的な裂け目」を、色々な場面で、繰り返し繰り返し、通奏低音的に書いている。「羊を巡る冒険」における鼠との再会、「スプートニクの恋人」における観覧車の出来事、「海辺のカフカ」における兵隊との遭遇、「1Q84」における高速道路の非常扉・・・。他者との比較や否定に明け暮れる日常世界の「当たり前」、そのごくごく近所に、落とし穴のように、「存在論的な裂け目」はしっかりと潜んでいて、ふとしたきっかけでその穴に向き合わざるを得なくなる「僕」。今回の大震災のようなカタストロフィは、「存在論的な裂け目」をまざまざと見せつけたが、村上春樹の小説がもたらす「裂け目」の危機と再生の物語は、平時の、それをなかったことにしてしまえる温々とした文明社会においては、物語の形式を通じて「裂け目」を指し示す、ある種の巫女媒体だったのかもしれない。
久しぶりに明け方まで小説を読みふけっていたので、もう一つ冴えない頭ながら、読後に感じた最初の「心の震え」を、デッサンしてみた。自分自身の変化の時に村上春樹を読み返したくなるのは、この通奏低音からアクチュアルに感じられる「裂け目」を通じて、自分なりの危機と再生を無意識的にリフレーミングしているからかもしれない。

存在論的な裂け目

組織編成の組み替え。

例えば人事異動や配置換えに代表される、組織内部での流動性担保の方策がある。だが、これは多くの場合、玉突き的な、外在的なものであるがゆえに、ピッタリとはまった場合は非常に効果的だが、本人の希望の如何にも関わらず、新たな部署において適性を発揮するか、は、その場に行ってみないとわからない。そう考えると、環境との相互作用という意味では、外在的な変容である。地震の後だろうと関係なく、この4月はこのような外在的変容が日本中で予定されている。我がマンションでも、今日も引っ越しのトラックが止まっている。
そういう外在的変容と対置したとき、内在的変容とは、どのような意味合いを持つだろうか。
ポスト311の、何も手に付かない日々の中で、ふと手にした一冊に、その内在的変容のフックになる一節が書かれていた。
「われわれはみな個人的体験から、世界のなかでのみ、世界を通してのみ、われわれがわれわれ自身になりうるのだということを知っており、また、われわれがなくとも<世界自体>は存続するであろうが、<われわれの世界>はわれわれの死とともに消滅してしまうことを知っている。」(R.D.レイン『引き裂かれた自己』みすず書房、p18)
僕は、この一節に強い既視感を感じた。レインの著作は初めて読むが、この一節は、大学生の頃からずっと感じていたことでもある。きっと池田晶子の著作などを通じて、同様のフレーズに出会っていたのだろうと思う。
由来はこの際、どうでもいい。肝心なのは、今、このフレーズに強い共感を感じるのはなぜか、という点だ。今回のカタストロフィに際して、己の自己も「引き裂かれ」たような衝撃を受けた。ネットやツイッター、テレビなどでの情報の氾濫の渦に呑み込まれ、思考が停止し、「被災地に比べて自分は・・・」と比較不能な事で落ち込み、沈んでいた。ブログの文章を書きながら、頭の中でいくら冷静さを鼓舞しても、圧倒的現実を前に文字通り「身がすくみ」、頭よりも心がショートしていた。その2週間あまりの中から立ち直り始めた時、出発点として偶然(という名のご縁で)手に取ったレインのフレーズに、今、だからこそ、強い共感を覚える。20代から僕の中にあった言葉で置き換えてみたら、こういうことになる。
「僕をめぐる世界は、僕がいなくなれば、オシマイである。」
一見すると刹那的に見えるかもしれない。だが、それはレインの次の一節を補助線に引くと、違う様相を帯びてくる。
レインは、実存主義的精神医学の騎手であり、反精神医学のカテゴリーの中にも入れられている、精神科医である。生物学的な精神医学が隆盛になり始めた1960年代にあって、精神病者の実存に寄り添う形で、狂気を作り出すこの社会の問題性を鋭く指摘した。その意味で、同時代のフーコーと共に、精神医学の権力性・暴力性の問題を焙り出した先駆者でもある。そのレインの28歳の処女作の中に、ポスト311の僕自身の実存と触れあう箇所があるのだ。少し難しい言い方だが、そのまま引用してみよう。
「自己の存在がこの一次的経験的意味で安定している人間では、他者とのかかわりは潜在的には充足したものであるが、存在論的に不安定な人間は、自己を充足させるよりも保持することに精いっぱいなのである。日常的な生活環境さえが、彼の安定度の低い閾値をおびやかすのである。一次的存在論的安定が達成されておれば、日常生活環境が自己の存在に対する絶えざる脅威となるようなことはない。生きることについてのこのような基礎が達成されない場合には、ありふれた日常的環境でも持続的な致命的脅威となるのである。」(同上、p52)
ポスト311の局面で生じているのは、「一次的存在論的安定」への大きな裂け目、亀裂である。地震と津波と原発事故のトリプルショックで露わになったのは、2万人をはるかに越える人々の死であり、生き残った多くの人々の存在論的な安定を衝撃的に奪ったということであり、直接的な被災地だけでなく、放射能汚染の影響もあり、東京も始め、広範囲な地域において「存在論的に不安定」な状態が生まれてしまった。大量生産・大量消費型社会の宿痾のようなものや、蓋をして見なかった事にしていた日本社会の歪みやひずみが、一気に奔流のように表面化してきたとも言える。某知事のように「天罰」と他責的に言い放つ不遜さには全く同感出来ない一方、ポスト311に生じたこの「存在論的な不安定」について、他者の責任ではなく、私自身の本質(=一次的なもの)における「存在論的裂け目」と、個人としては感じざるを得ない。他者への罰、ではなく、私自身への存在論的問いかけに感じてしまうのである。
このレインの著作の副題は「分裂病と分裂病質の実存的研究」と書かれている。私には、統合失調症を抱えた友人や知り合いが何人かいるが、多くの統合失調症の人が言う、「病気のしんどさ」と「生活のしづらさ」の本質的な部分、「自己を充足させるよりも保持することに精いっぱいなのである」という事の意味が、このポスト311の局面で、少しだけかもしれないが、僕にとってはアクチュアルなものとして感じられている。こんな存在論的揺らぎを、しかも、自身の内面での直下型の出来事として体感した人は、ものすごく圧倒的な恐怖を受け、ズタズタに引き裂かれるだろうな、と、身体から析出された感覚として、共感する。
僕にとってのポスト311の2週間は、「日常的な生活環境さえが、彼の安定度の低い閾値をおびやかす」ような日々だった。確かに表面的に見れば、山梨は余震があってもひどくはないし、家も仕事場も、殆ど被害がなかった。計画停電は実施されているが、ライフラインもロジスティックも、山梨に関しては問題はない。ガソリンだって、今なら問題なく入れられる。
だが、そういう一見すると安定した日常生活環境にあっても、僕自身の存在論的な安定さに亀裂が入り、引き裂かれた状態で、ぱっくりと存在論的な不安定を目の前にすると、日常生活を普通に過ごすことだけでも、ものすごく大きなストレスと疲れを生じさせる。311以前ならひょいひょい片づけていたハードワークも、優先順位づけに基づく仕事の効率化も、一気に低下するほど、僕自身の「安定度の低い閾値をおびやかす」事態だったのだ。
そんな中で、計画停電のある夕方、蝋燭の灯火だけを頼りに、この間の事を少しまとめるために、ブログ用ではなく、自分自身の心の整理として、文章をリハビリ的に書いていた。レインを手に取る数日前のことである。
「以前から考えていることだが、タケバタヒロシを巡る世界は、タケバタヒロシがいなくなれば、オシマイである。それは明日かも知れないし、10年後、50年後なのか、僕にはさっぱりわからない。
であれば、近視眼的な情報に惑わされて、一喜一憂し、空気を読むだけで精一杯な人生で終わることだけは、絶対に嫌だ。
生きていること。妻と楽しむこと。毎日新しい発見があること。何かをつくり出していくこと。そういうアクティブ・イマジネーションを最大限に意識し、日々の暮らしを祝い、楽しみ、喜びを見つけ出していく。それがまずもって、豊かな暮らしを日々過ごすために、必要不可欠なのだと思う。そうして、自らがアクティブ・イマジネーションを最大化させた生活を送ることが、社会を変え、世の中に貢献すること、つまり必要とされる時に<行為>できることにもつながるのだ。」(2011年3月23日 午後6時)
存在論的な裂け目において、僕自身が、「何のために生きるのか」という、20代前半以後は蓋をしていた課題に、再び目を向けようとしていた。少し前に読んでいた『ユングの生涯とタオ』の中で出会った、「危機とは危険と機会いう表裏一体の局面である」、というフレーズを思い出しながら、己の存在論的危険の局面において、改めて再生の機会を与えられたような気もしている。
刹那的に生きるのではない。それとは真反対で、いつまで続くか分からない命であるからこそ、日々をもっと豊かに、時には祝祭的に、そして実りある内容を持って暮らしたい、という欲望がムクムクと内発的に生まれてきたのである。そうして、自らの存在論的な充溢があるからこそ、他の人の支援や応援という、利他的な<行為>も求められる、必要とされる、と強く実感し始めている。
求められもしないのに、しゃしゃり出る「我が我が」的行動の背後に潜む、アイデンティティの空虚さの埋め合わせ的独我論は嫌だ。とはいえ現実は募金や呼びかけくらいしか出来ず、直接的に被災地・被災者のお役に立てない、という厳然たる事実にも打ちのめされていた。そんな僕にとって、ポスト311の2週間は、自分自身の存在論的安定性の裂け目に直面し、これまでの「経験的意味」を改めて問いなおし、一次的・本質的な部分から己の組織編成の内在的組み替えをしていた日々だったのかもしれない。
そうして、「存在論的裂け目」は、再び後景化しつつある。少しずつ、日常生活の暗黙の前提に支配される日々に戻るのだろう。だが、ポスト311という原体験は、僕自身にも、己の中の本質的な部分に潜む「存在論的不安定性」を直視させた。その経験は、僕をどこに運ぶのか、それはわからない。だが、見てしまった、知ってしまった亀裂と付き合うことが、僕自身の組織変容に課せられた課題なのだと、肯定的に引き受けるつもりだ。
この衝撃を、僕は、忘れまい。

相互的な行為が創り出す支援

震災の後、現地に向けて何も動けなかった数日間は、実にきつかった。

だが、被災地以外でも、様々な支援や義援金を集める動きが始まっており、いくつかのプロジェクトには、直接間接にお手伝いや支援もしている。そういう状況において、今求められていること。それは、行動と行為の違いから読み解けるような気もする。
被災地で何とか役に立ちたいという思いはあっても、相手のニーズに基づかなければ、一方的なお節介になる。また、自己承認や「俺が俺が」を前景化、目的化させた行動であれば、いくら善意志に基づいていても(いやそうであれば尚更)、足手まといなだけだ。
被災地に求められているのは、現地の人々が必要としている本当のニーズを伺い、そのニーズに基づいて適切な支援を行う、という相互的な行為である。
一方的な行動なら、個人の独善的判断で、何でも出来てしまう。だが、相手のニーズに基づいた支援、というのは、相手があるが故、一筋縄ではいかない。更に言えば、前者は自己完結型にもなりがちだが、後者の場合は、より多くの人を巻き込んで、多層的なネットワークを形成していく傾向が強い。前者はトップダウン型に、後者はボトムアップ型に、より親和的なものかもしれない。
平時であれば、継続性や安定性を基盤とした官僚制が確立されていて、指揮命令系統というものも整っている。そこから逸脱する事については、大きな制裁が加えられることも少なくない。だが、今回のような大震災が奪ってしまったのは、そのような継続性と安定性、それに指揮命令系統そのものである。その際、一方的な単独行動が横行すると、ただでさえ混乱している現場の秩序がさらにかき乱され、ぐちゃぐちゃになってしまう可能性が高い。
一方で、現場のニーズと何らかの形でアクセス可能な人々が集まり始めた場合、その現場のニーズをボトムアップ的に拾い上げ、それを資金や物資と繋げるネットワークが形成される。これは、決してトップダウンではなく、あくまでも現場のニーズに基づいた柔軟で動きのあるネットワークではないと、うまくいかない。そして、例えば障害者支援領域では、そのようなネットワークがいくつも立ち上がっている。
どちらも少なからぬご縁のある方々が担っておられる、信用出来るプロジェクトである。内容も、普段からお顔の見える関係のある横の繋がりの拡大・延長線上の中で、被災した障害者を支援しよう、という動きである。これらの動きは、もともとの平時から水平な、ボトムアップ型の繋がりであるし、お顔が思い浮かぶので、すぐさま連携が取れ、かつ必要な支援が動き出しやすい。相手のお顔が思い浮かぶが故に、「我が我が」という支援には絶対にならず、相手のニーズに基づいた支援が着実に実行しやすい。
これを読まれているあなたご自身が、これまでにつながりがある団体や組織を通じて、何らかの支援を求められているなら、もしかしたら既に支援を始めておられるかも知れない。だが、あなたがそういうご縁がないのであれば、例えば上記でご紹介したようなネットワークに寄付をするなども、新たなご縁をつなぐこと、と言えるかも知れないし、単独行動ではない、相互行為の一つの形かも知れない。
それは何も障害者支援に限ったことではない。僕は参加出来なかったが、19日はヴァンフォーレ甲府の選手と山梨学院大学の学生、教職員による、チャリティーイベントが開催された(詳細はこちら)。これは、3月の試合が中止になったけれど、何か震災のことで役に立ちたい、と思ったヴァンフォーレ甲府のクラブチーム側と、この間ホームの試合をサポートし続けて来た、山梨学院大学の長倉ゼミとの協働企画の中から実現したものである。これも、様々な思いが一つになった、という意味では、山梨から東北を応援したい、という相互行為の一つとも言える。
この時期に必要とされること。それは、今、自分の立場で、相互行為として被災地の為に出来ることは何か、と、関連づけて考えることだと思う。単独の行動であれば、思いつくことはあまりない。思いついたとしても、ろくな結果にならならいこともしばしばだ。だが、自分のご縁や関わり、関連性の糸をたぐる中で、自分から、あるいは余所から、声がかかる瞬間があるはずである。その時に、関わりやご縁、きっかけの糸をたぐりながら、相互行為として編み込んでいく、ある種の協働の物語や文脈形成の環の中に入ることが出来れば、そこから、確実に相手のニーズに伝わる回路が拡がるはずだ。
今こそ、相手の立場やニーズ、だけでなく、自分の立場や役割、他人との関わりを改めて見つめなおす時期だと思う。どういう相互行為や文脈の糸の中に自分はいるのか。その文脈の延長線上で、被災地のために、自分の今の場所だからこそ出来ることはなにか。そういう自己を掘り下げる行為を一度くぐらせたあとの、被災地支援は、自我の押しつけではなく、相手の気持ちに寄り添う形での相互行為に成りうる。
この一週間、そういう意味では、動けなくても仕方なかった。でも、向き合う中で、そろそろ色々な声がかかり始める。その声に耳を傾け、動くべき時に、動くべき方向性に向かって、動き始めるタイミングなのかも知れない。そう感じている。

慎みのある暮らし、とは?

連日膨大な、かつ苛酷な情報が流れてくる。一気に食べ過ぎると腹を下すように、情報が過剰に流れてきて昇華不足では、頭と心がパンクする。僕にとって書くことが頭と心の整理とリハビリ、置き所の確保なので、今日は備忘録的なことを書いておく。

まず、今回の広範囲に渡る大規模な震災と、続く余震、そして原発問題という様々な問題の連鎖に際して、日本社会うんぬんを言う前に、己の生き方自身も問われている、と感じる。
大地が裂け、津波が押し寄せる大きな被害。余震が続き、計画停電も起こり、ガソリンや食パンの買い占めも発生し、原発は信じられない事態が次々発生して、国外退去をし始めた外国人、東京から西に逃れる人々も出ている。
そういう流動的状況は、「当たり前の前提」という日常を一気に押し流し、人々を不安にさせ、群集心理にすがりやすくさせる。「非常事態だ」「自粛せねば」「不謹慎だ」という声も早くも聴かれる。また、それに対して懸念する声も上がっている。(自粛ムードに批判の声 本当に「不謹慎」なのか
私自身は、昨日も飲み会があり、上記で引用を張ったブログの佐々木さんと近いような、ワイナリーでフランス料理、というのを堪能していた(でもフランス料理なんて、随分久しぶりに食べるのですよ♪)。正直、連日ずーっと気を張りつめていると、そういう「ほぐす」場が無ければ、身が持たない。昨晩も帰ってきた後、震度5のゆれで、また気が張りつめてしまったが、少なくとも飲んでいる数時間は、報道も情報も忘れて、落ち着いていた。
流言飛語に惑わされたり、不要・不急なものの買い占めに走ったり、または繰り返し報道される被災地の酷な映像でPTSDになるくらいなら、情報はある程度セーブして、楽しめる場にいるのなら、楽しめる時は、楽しんだほうがいい。本当にそう思う。楽しんで、心と身体の緊張をほぐして、そして日々目の前のお互いのポジション、持ち場、立ち位置、役割・・・で出来うることをする。それと節電・募金しか、被災地にいない一般市民に今できることはないのだと思う。
前回のブログにも書いたが、阪神・淡路大震災を遙かに上回る被害を受けた今回の震災は、間違いなく長期戦になる。ということは、特に被災地以外の人々にとっては、一週間、数週間頑張り続けて、自粛し続け、緊張し続けて、それで燃え尽きても、問題は解決しない、ということだ。地域も人種も思想も越えた、日本に住むみんな、という意味でのオールジャパンで連帯して問題を解決して行くためには、これから数年間かけて、被災地の事も忘れずに、一緒になって、今ある場所から前に進んでいこう、ということである。
であればこそ、まずは今こそ、緊張しすぎないように、リラックスを心がける必要がある。正直、今日が初めての甲府での計画停電だったのだが、計画停電を無事に過ごせるか、だけでも、相当緊張した。私も妻も、毎日をきちんと送るだけで、相当疲れ果て、ぐったりしている。だから、今日も美味しい料理を作って、ワインも開けて、夜は心を落ち着かせるカームダウンの必要性を感じている。
3月11日以後は、それ以前の日常とは変わってしまった。であれば、11日までの日常意識を引っ張っていても仕方ない。それよりは、11日以後の現実の中で、新たに日常を再構成していくことこそ、むしろ求められているような気がする。
計画停電を引き受けながらの日常をどう再構成するか。被災地への支援を頭の隅に置きながら、自分にも出来ることをどう考えるか。それと、自分が3月11日以前から置かれてきた、山梨在住の、大学教員としての現実とを、まだ重ね合わせる事は十分には出来なくとも、意識しながら、暮らしていくことが大切なのだと思う。求められているのは、自粛して行動を必要以上に制限するよりも、情報をちゃんと咀嚼出来るクールな判断力を持ち続け、情勢が変わった時には俊敏に動ける柔軟性だ。
昨日とは違う今日、今日とは違う明日。論理的にはわかっていても、こう毎日刻々と本当に違う情報が膨大に流れてくると、日常性にしがみつきたくなる。それは、人間のバランス感覚として当然だ。だが、それを買い占めや流言飛語への飛びつき、と言う形で保とうとするのは、ますますマイナスのスパイラルに陥る。ならば、それよりは、かなりの緊張感が続く日々の中で、被災地以外の人間としては、「きちんと楽しみ」「きちんとリラックスを確保する」ことこそ、慎み深く生活を続ける為に必要不可欠ではないだろうか。
私やあなたが、身が持たなくなってしまっては、元も子もない。まずは、この状況を生き延びる。その為のクールな判断を保ち続ける為に、リラックスや楽しみを確保する。そして、真っ当な判断力を持って、己の立場で出来る日々の暮らしと、被災地に向けた+αの貢献を行う中で、オールジャパンとしての数年に渡る復興計画に、日本に暮らす一員として携わる。それこそ、慎みのある暮らし、だと僕自身は考える。だから、中途半端に「不謹慎」なんて言葉を使うことこそ、慎みたい。