韓国から帰国した翌日から、スウェーデン・イギリス調査の仕込みを始める。気がつけば、来週行くんだものねぇ。まだ、全く予習もしてないし。
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関連づけを意識する
今日は金浦空港から。行きは成田-仁川、帰りは金浦-羽田と飛行機を変えてみた。金浦空港は免税店はショボいが、市内からのアクセスは良い。奥さま向けの化粧品は金浦空港で買えたので、用は済んでしまった。あと1時間ほど待ち時間があるので、いつものように旅のまとめを書いておきたい。
亀のようだが進んでいます
In order to answer these questions, this paper analyzes JDP in comparison with LTCI in six points; coverage, fairness, benefits, service delivery, relationship with other sectors, and cost controlling. From this study, it was found that the weak side of LTCI was revealed when its system was partly adopted by JDP; for example, the failure of the assessment of mental status and the standard care time methodology. The differences between persons with disabilities under 65 and the aged ones in various areas also articulated LTCI’s defects; i.e. difference of the needs and wants, the attitude toward institutionalization, and the notion gap between the rights of “the beneficiary” and those “on an equal basis with others”. This study will contribute to the discussion not only on JDP but also shortcomings of LTCI in Japan.
<制度化>への「地すべり的」移行
まず自分の畑を耕せ
ずっと昔も書いた事があるかもしれないけれど、僕は休むのが上手ではない。
即効性と種まきの弁証法的統一に向けて
今日は最終の「ワイドビューふじかわ」。先週の土曜日に乗って以来なので、まだ一週間も経っていない。だが、先週のことが遠い過去のように、ここしばらくも濃密な日々が過ぎ去っていく。今日は三重からの帰り道。
以前から何度か触れているが、三重県の障害者福祉に関する特別アドバイザーの仕事をこの3年間、させて頂いている。山梨でも4年間させて頂いていて、両県の現場に関わることで、僕自身が学んだことは数限りない。山梨では明日、障害者の地域課題について議論をする場(自立支援協議会)の県・地域合同協議会が開かれる。こういった内容は、国から「すべし」と言われてするものではなく、山梨の実践のリアリティの中から、「あってもいいよね」というコンテキストが創発し、産み出されてきたものだ。そういう協議会作りに、ご縁あってその最初から関わっているので、山梨らしい、その地域に合わせた枠組み作りとは何か、をゼロから考える貴重な経験をさせて頂くことが出来ている。
そして、貴重と言えば、三重での経験も、山梨とは別の意味で貴重だ。山梨では、地元ということもあり、しょっちゅう打ち合わせをしたり、あちこちの市町村や現場で対話をする事が出来る。事実、多くの現場での対話を繰り返してきた。その中で、様々な新しいコンテキストも紡ぎ出してきた。だが、三重の場合、静岡経由、新横浜経由、塩尻経由のどの経由で出かけても、5時間近くはかかる。一時期は「週間ミエ」なんて事もあったけれど、そんなにしょっちゅう出かける訳にもいかず。なので、自ずと山梨での立ち位置と変えざるを得ない。その中で、ちょうど声をかけてくださった主催者(三重県庁の担当室長)の意向もあり、三重でこの3年間取り組んできたのは、人材育成に特化した支援であった。その原点になるメールを今探してみると、次の4点の問題意識が綴られていた。少し専門的になるが、そのままご紹介する。
①現在の障害者をとりまく新しい動きが行政職員にも十分に伝わっているのか。
②障害当事者に対する地域のケア会議や自立支援協議会が十分に理解されているか
③アウトリーチ(出前の福祉)が出来ているか。
④地域で暮らすのが困難といわれる対象者が市町の地域で暮らすにはどうしたらいいか
⑤行政職員が施設の実態を知っているか?在宅の障害者の置かれている状況を把握しているか?
このメールをくださったWさんは、県庁の一般職として向き合ったケースワーク業務を通じて障害者福祉の仕事の面白さにはまり、以来ずっと福祉職を続け、今はその現場でのトップとして活躍して来られた、という興味深い経歴をお持ちの方である。現場に精通している政策マン故に、ミクロとマクロの解離、ソーシャルアクションの不足・不在、専門家主導と当事者主体の違い、「援護の実施者」としての行政責任の所在、など、鋭い問題意識を持つ、カリスマ職員である。ただ、他の多くのカリスマ職員と同様、「職人芸気質」「背中で仕事を見せる」というタイプの方であり、僕とは真逆で自分の成果を伝えようとしない謙虚さが身に浸みている方でもあった。よって、「次代に伝える」という部分で弱点を持っておられた。僕が職員研修や組織改革の仕事をしていることを聞きつけ、そういう「次代に繋ぐ」人材育成をお願いしたい、と依頼された仕事であった。
そういうオーダーであったが故に、今から遡及的に振り返ってみると、「次代に繋ぐ」という長期的展望と、すぐに役立つという即効性という、相矛盾するニーズに応える必要があった。この年は障害福祉計画という自治体に作成義務のある計画の見直しの年だったので、それに焦点を当てて一回目は私が講演をしたのだが、事の始まりはこのときの次のような感想からだった。
・「計画の見直しについて具体的な内容に踏み込んだものを期待したい」
・「どこかの市町の計画を例に挙げて話をして欲しい」
・「計画の概要だけではなく、具体的にどこかの例をあげて、その数値をどのように検討していくのか、実際に計画に取り組む立場で悩むことなど教えてほしい。初めて書く分野について、より良いものや地域の実情に応じたものを考えていくにはどうすれば良いか。」
これらの感想を端的に言えば「もう大学の先生の理論的話は結構。具体的に役立つ話を次はしてほしい」ということになる。つまり、長期的展望云々より、まずは即効性のある内容をして欲しい、という切実な担当者の訴えだったのだ。
この感想を読んだのは、2回目の研修をする事になっていた前日の打ち合わせ。正直、読みながら目の前が真っ暗になっていったのを覚えている。だって、自分がデザインした内容とは、全然違うオーダーが受講者から出されたのだ。当然、かなり困った。だって、僕自身は自治体担当者だった経験はない。福祉計画作成に実際に携わった事もない。その中で、現場の人に求められてもいない研修を一方的にしても、百害あって一利なし、そのものだ。しかし研修は既に明日に迫っている…
そんな打ち合わせの中でふと、現場で実際に当事者の声に基づき政策形成にまで携わっている(ミクロとマクロソーシャルワークを両立している)人に話をしてもらったらどうだろう、と浮かんだ。一人は先述のWさん。もう一人、自治体からそういう人に話をしてもらい、僕が「徹子の部屋」ならぬ「寛子の部屋」として代表して話を伺っていけば、「現場の悩み」に基づき、それを乗り越えるエッセンスを引き出せるのではないか。まあ、そんな発作的な思いつきから、ある自治体職員であるMさんをWさんがご紹介頂き、結果的にはそのMさんにも一昨年、去年の研修デザインにずっと関わって頂く事になった。しかし、そうやって受講者代表のような存在も巻き込みながら、受講者の感想に基づいて内容を大胆に変えていったからこそ、双方向の研修が実現し、その研修の場で議論された量的・質的分析(圏域単位の個別給付の給付率分析や困難事例分析)の中から、三重県の障害福祉計画の圏域分析の原案が出来上がる(詳しくは次のHPの第三章 4.圏域の現状と課題を参照)など、結果的にはインターアクティブな研修が出来上がっていった。
(この研修のプロセス分析は、次の文献として整理しています。竹端寛「福祉行政職員のエンパワメント研修-障害福祉計画作成に向けた交渉調整型研修の試みより-」山梨学院大学『法学論集』。ご興味のある方にはお送りできますので、メールにてご一報ください。)
こういう双方向の研修をするためには、当然濃密なコミュニケーションが必要とされる。結果として5回シリーズの研修だったのだが、そのための打ち合わせに3週連続で、しかも祝日に打ち合わせする、という非常識な事もしたけれど、研修チームの皆さんは「何とかええもん作りたい」と乗ってきてくださった。その中で、終わってみれば、次のような感想が出てきた。
・福祉一年生にとっては、かなり難題であった。課題(宿題)をじっくり考える時間的余裕が欲しい。
・結局、最後まで「困難事例を捉え直して…」ができませんでした。(現場を知らないからですね)でも計画の見直しにあたっての考え方などはよくわかりました。何とかこの5日間の研修をもとに実行にうつします。ありがとうございました。
・かなりハードな5回の研修でしたが、参加してよかったと思っています。福祉担当職員としては必要な知識(心構え)ばかりだと思います。
今から振り返ると、これらの感想にあるように、結果的には相当ハードで高いハードルになった研修をやりきってしまった。何せ、企画したわれわれ研修チームには、全くの前例も参考事例もない中で、文字通り全パッケージを作り上げたのだ。今から思えば、よくやるよ、という世界である。だが、そういう事をしながら、種を蒔き続けたのに、反応が出始めている。昨年頃から、三重のいくつかの現場で「行政の担当者が『当事者の声を聞く』という言い出した」「自立支援協議会の形だけでなく、中身についても考えようとしはじめている」という声が出始めた。芽があちこちで出始めているのである。
とはいえ、一年の研修だけでは勿論終わりではないので、昨年は「個別支援計画から自立支援協議会へ」、そして今年は「当事者の声を聞くとは何か」とテーマを変え、3年間の研修で重なり合う部分も持たせながら、研修を続けている。そして、一年目の研修チームでは、僕自身がかなりイニシアチブをとったが、二年目から三年目にかけては、どんどんチームの構成員メンバーでのイニシアチブの範囲を増やす方向にシフトしてきた。たとえ僕自身が「カリスマ講師」になっても(実際はそうではないが)、「タケバタがいなくなったらオシマイ」であれば意味がない。であれば、県のチームの中で持続できる研修作りが必要だ。この思想は、今年度から、県独自研修だけでなく、県が必須事業として行う研修にも拡大し、人材育成チームとして機能し始めている。つまり、人材育成の研修という点が、チーム作りという面に、そして継続的な研修体系作りといった立体に機能し始めているのだ。その中で、「特定の人格のエンパワーメント」(安冨歩)が行われ、そこから「カリスマ職員」の「職人芸」を引き継ぐリレーが行われつつあるのである。
こういうリレーに関わるのは、勿論時間がかかる。一方で、毎年毎年の即効性が求められる。だが、その両者が調和しながらも両立する時、拡大する螺旋階段的な、とでもいうような、渦やコンテキストの創発と拡大が進んでいく。それこそが、人材育成の仕事の醍醐味である。それを、フィールドプレーヤーとして学ばせて頂きつつある、というのが、偽らざる実感だ。まとめてみるならば、即効性と種まきの弁証法的統一への気付き、とでもいえようか。
さて、今年の研修では、どんなワクワクを形作ろうか。今日の仕込みにその片鱗が見えていたので、来月からのスタートが楽しみである。
ミッションを考える
今日の身延線は遅れている。市川大門の花火大会の影響だそうだ。そういえば何年か前、北海道からの帰りの高速バスが、石和の花火大会の終わった直後に突っ込んで、大変な思いをしたことがある。ま、夏は仕方ないよね、と思いながら、亀山郁夫訳の「カラマーゾフの兄弟」を読み始める。昨日今日と大量のアウトプットをしたので、全く別のコンテキストのインプットを心から求めていた事がわかる。おかげで、小説はするすると心に染み入り、僕自身もようやく疲労モードから回復しつつある。それにしても、この二日間は、よくしゃべった。
昨日はあるNPOの将来構想計画について議論する為に、大阪入りする。ドラッカーの『非営利組織の成果重視マネジメント』という自己評価のハンドブックを片手に、そのNPOの使命や顧客、顧客が価値あると感じるもの、などを問い直していく。NPOの専従スタッフと、その現場から多くの事を学び、ボランティアとして関わり続けている若手研究者達による議論。その中で、大きな議論の一つとなったのは、「成果とは何か」であった。これについて、先述のハンドブックでは次のように書かれている。
「何を測定し、モニターするか。どのような尺度が適当か。成功のために欠くことのできないものは何か。非営利組織が自らの成果を定義するために、このような問いかけが必要だ。そのためには、使命に戻らなければならない。自らの能力、働く環境、そして活動分野に関する既存研究や事例について熟考する必要がある。
第一の顧客の声に注意深く耳を傾け、彼らが誰であり何を価値ある者と思っているかについてのあなたの知識を使って考えてみるといい。つまり、対象の定性的および定量的側面について考えるのである。このような方法で努力すれば、ボトムラインを決めることができ、その結果、組織の何を評価し、判断すべきかがわかってくる。」(ドラッカー&スターン編著『非営利組織の成果重視マネジメント』ダイヤモンド社,p42-43)
そのNPOでは、設立して年月が経ち、今、新たな方向性を巡っての転機の時期にいる。それはつまり、これまでの成果尺度の限界と、新たな成果やゴールについての模索である。更に言えば、顧客についての再定義と、顧客に向けて何を使命として仕事すべきか、の非営利組織のビジョンの見直しそのものでもある。僕自身、その団体から様々な恩恵を受け、現場のリアリティについての沢山の示唆を受け、自分自身の今を形作る上で少なからぬ影響を受けてきた。それゆえに、第三者の外部の研究者、という一歩引いた視点ではなく、大切に引き継ぎたい、守り続けたい叡智・宝をどう捉え直せば、次の20年、30年へと活かせるのか、を我が事として考えている。そして、それを考える場に立ち会えた事の喜びと、社会的責務や使命のようなものも、同時に感じていた。そう、そのNPOの使命について考え直す中で、改めて研究者としての自分自身の使命についても考え直していたのだ。
それは、実は今日の会合にもつながる。今日はこの春からの自分自身の変容に大きな影響を与えてくださったF先生とランチをご一緒させて頂いた。夏休みの高槻西武のレストランは恐ろしく騒々しい空間で閉口しながらも、先生にお話したいこと、伺いたいことが色々あった。自分自身、この半年弱の中で、殻を破り、とらわれからの脱皮を試みつつある。以前は馴染みのあるフィールドに関してはインターアクティブだったが、それ以外の場ではアクティブかリアクティブかの一方通行だった。わあわあと他人事として批判するか、あるいは防御反応的に殻に閉じこもるか、の、二極分解だった。普段の職場や親しくさせて頂いている人はあまり信じてもらえないかもしれないが、僕がインターアクティブであるのは、あくまでも自分が守られていると思う局所的範囲での振る舞いだった。そして、それが自分の可動領域や可能性を狭める、一番の理由だった。
だが、この春以後の変容の中で、ベイドソンやポランニー、モランなどの著作を媒介にしながら行いつつあるのは、自分自身が作っていた殻や壁を取り払う作業であった。社会的立場や役割の鋳型に絡め取られ、自分の論理性の薄さへの引け目から論理的であろうと過度に強ばっていた事も加わって、本来の自分の魅力である「直感に基づく編集能力」に蓋をしていた。それが、昨年から始めた合気道、この半年で実ったダイエットなどの、主に身体の変容によって蓋が開き始め、固着した考えの蓋を取ることができはじめた。もっと様々な分野で、心の強ばりを外し、インターアクティブになってもいいのではないか、と思い始めた。それが、自分自身の「直感に基づく編集能力」を活かすことであり、ひいては自分自身の使命を全うする上でもダイレクトにつながっている、とようやく自信を持って言えるようになってきた。そして、その歩みに背中を押してくださるのが、F先生とのやりとりであったのだ。
そう考えると、この二日間は、強く自分自身のミッションについて考え直す旅であった。電車は15分遅れになったが、花火も見れたし、考えもまとめられたので、結果的には程よい遅れであった。
風が通る本読みとは(後編)
「メルロ=ポンティの最初の著作『行動の構造』は、動物の行動の発達の過程を明らかにしながら、その中に人間の行動を位置づけようとしています。これは、ゴルトシュタインの全体論的神経生理学によりかかりながらやった仕事です。次が『知覚の現象学』です。この本ではゲシュタルト心理学のもつ哲学的な含意を洗いざらい明るみにだそうとしています。メルロ=ポンティをはじめて読むと、神経生理学や心理学の話ばかりでてきて、どこが現象学の本なのだととまどいますが、でも、それは生理学や心理学に伴走しながら、方法論的改革をうながし、その哲学的意味をとりだそうとしているわけですから、現象学の発展としてはもっとも正統的なものです。」(木田元「闇屋になりそこねた哲学者」ちくま学芸文庫、p164)
風が通る本読みとは(前編)
35歳にして、遅まきながら、生まれ変わりはじめている。
わかりやすく書く事の難しさ
今、国の障害者福祉に関する検討部会の委員をしている(内閣府障がい者制度改革推進会議 総合福祉法部会委員)
ちなみにこの会議、内閣府が所管だが、総合福祉法部会は厚労省が事務方なので、HPが違ってややこしい。なので、リンクをそれぞれ張っておきました。
この会議が大変なのは、毎回膨大な意見書を提出している、ということ。まあその為に引き受けたのだから仕方ないけれど、結構骨がおれる。しかも、様々な障害の方に合わせた情報保障もしなければならないので大変だ。点字や手話通訳も勿論行っているが、知的障害の当事者の為に、なるべく資料はわかりやすく書き、ルビも振ることが求められている。
で、同じ部会メンバーの知的障害当事者のNさんに教えてもらったのだが、単純にルビを振るだけではダメ、とのこと。わかりにくい表現やまだるっこしい表現ではなく、簡単に理解出来る表現に変えた資料を作らないと、理解してもらえないそうだ。確かに、知的障害者の団体が作った権利条約の本(「わかりやすい障害者の権利条約」)は実にわかりやすい。学生への講義や一般の方向けの講演でも、この本を使う方が皆さん、すっと権利条約の事を理解して下さる。ユニバーサルデザインと通底していて、知的障害のある方にわかりやすいということは、他の人にとってもわかりやすいのだ。
で、そういう能書きを言っていて、己の意見書はわかりやすいか、という事が当然、問題になる。ちょうど明日の部会の意見書は、トルコの出張の前後で必死に書いた。まだまだかりにくい部分もあるかもしれない。でも、自分なりに工夫して、なるべくわかりやすく書いてみたので、下でご参考までに、添付しておきます。(かなり長く、込み入った論点なで、興味のある方だけ、どうぞ)
これを書きながら思ったのだが、簡単に言う、ということは、物事の本質を突かなければならない、ということだ。オブラードに包んだ婉曲表現や、ストレートに言わない皮肉は一切ダメ。また、難しい概念やカタカナ表現もダメ。誤魔化さず、ストレートに、伝わるように、しかも過不足無く書くことは、本当に難しい。
という言い訳をした上で、まだ未熟者の発展途上の意見書をつけておきます。ご笑覧くださいませ。
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(第5回総合福祉部会)「障害者総合福祉法」(仮称)の論点についての意見
提出委員 竹端 寛
分野A 法の理念・目的・範囲
項目A-1 法の名称
論点A-1-1) 法の名称についてどう考えるか?
○結論
○理由
項目A-2 誰の何のため
論点A-2-1) そもそも、この総合福祉法は、誰の何のためにつくるのか?
○結論
だれのため?: 地域でくらす上で何らかの手助けを求めているすべての障害者
なんのため?: 地域の中であたり前(他の者とのびょうどう)のくらしをする上で、必要な手助けをきちんとおこなうため
○理由
地域の中であたり前(他の者とのびょうどう)のくらしをしたいのに、それができない障害者はたくさんいます。障害のしゅるいや重い・軽いでわけずに、本人が必要としているしえんがなされ、自分らしいくらしが地域の中でできるために、あたらしい法をつくるべきです。
論点A-2-2) 憲法、障害者基本法等と「総合福祉法」との関係をどう考えるか?
○結論
憲法は、だれにでも基本的人権は守られる、という理念を示している。
障害者基本法は、障害者が他の人とおなじように基本的人権を持っていること、でも人権を守るためには何らかの手助けもしなければならないという目的が書かれている。
総合福祉法は、憲法の理念や障害者基本法の目的をじっさいに守るための手だんとなる法
○理由
総合福祉法は、理念や目的をじつげんするための具体てきな方法が書かれた法です。
項目A-3 理念規定
論点A-3-1) 障害者権利条約の「保護の客体から権利の主体への転換」「医学モデルから社会モデルへの転換」をふまえた理念規定についてどう考えるか?
○結論
障害がある人も、他の人と同じ(平等の)権利を持っているし、それは守られなければならない、という理念は法の中で書いておくことは大切です。
○理由
1.障害者だからといって、しせつや病院でくらさなければならないのはおかしい。2.障害があっても、地域であたりまえ(他の人との平等)の暮らしをする権利をもっている。3.この権利はどんなに重い障害がある人にも保しょうされるべきだ。この1~3を国民みんなでわかちあう必要があります。
論点A-3-2) 推進会議では「地域で生活する権利」の明記が不可欠との確認がされ、推進会議・第一次意見書では「すべての障害者が、自ら選択した地域において自立した生活を営む権利を有することを確認するとともに、その実現のための支援制度の構築を目指す」と記された。これを受けた規定をどうするか?
○結論
「すべての障害者が、自ら選択した地域において自立した生活」ができない理由をなくす支援の制度を作ることを、法の目的に書くべきです。
○理由
「自立した生活」ができないのは、いろいろな支援がたりないからです。今のやりかたを変え、医りょう的なケアや24時間の介じょなどに必要なお金も人も地域に向ければ、どんなに重いしょうがいの人も、地域であたりまえ(他の人との平等)の暮らしができます。そのことを、法の目的として書いて、守るべきです。
論点A-3-3) 障害者の自立の概念をどう捉えるか?その際、「家族への依存」の問題をどう考えるか?
○結論
支援をうけた自立、という考え方を、法の中でもひとつの柱にすべきです。
○理由
自立には4つの自立があると言われています。1.けいざい的(お金の)自立。2.身体能力の自立。3.自己決てい・選たくの自立。4.個性やその人らしさの自立。1や2の自立がむずかしい障害者が大切にしてきたのは、自分で決める・選ぶという3の自立でした。でも、それが苦手な障害者もいますが、だれだって個性やその人らしさはあります。1や2ができないから、大人になっても家族にずっと頼らなければいけないのは、本人もかぞくも苦しめます。3や4の自立を支えるのが、総合福祉法で大切なところです。
項目A-4 支援(サービス)選択権を前提とした受給権
論点A-4-1) 「地域で生活する権利」を担保していくために、サービス選択権を前提とした受給権が必要との意見があるが、これについてどう考えるか?
○結論
必要なサービスを選ぶ権利と、必要なサービスを受ける権利のふたつは特に必要です。
○理由
今までふたつの権利を守るとは法のなかに書かれていませんでした。だから、重い障害があるから、○○だから、という理由をつけ、地域でのくらしをあきらめ、施設や病院でくらすしかない、と言われてきました。これはさべつです。このさべつをやめるためには、地域であたり前(他の人との平等)のくらしをする上で、必要なサービスを選ぶ権利と、必要なサービスを受ける権利のふたつを法で保しょうすべきです。
論点A-4-2) 条約第19条の「特定の生活様式を義務づけられないこと」をふまえた規定を盛り込むか、盛り込むとしたらどのように盛り込むか?
○結論
「障害をりゆうに、くらす場所やくらし方が限ていされてはならない。今、入所しせつや精神びょういんに入っている人みんなに聞きとり調さをして、出たい人は出られるようにする。」という地いき移行についての規定をいれる。
○理由
どんなに重い障害がある人にも、地域でのあたりまえ(他の者との平等)のくらしを保しょうすること、そのために必要な介じょや医りょう的なケアも地域でととのえること、がひつようです。そうしないと、入所しせつや精神びょういんといった「特定の生活様式」でしかくらせないと「義務づけら」れるひとが出てきます。それをしないための、具たい的な規定がひつようです。
論点A-4-3) 障害者の福祉支援(サービス)提供にかかる国ならびに地方公共団体の役割をどう考えるか?
○結論
国は福祉しえん(サービス)提供の理念やわくぐみ、障害者に守られる権利をつくり、それがちゃんと守られているかをチェックする。それに必要なお金をよういする。
地方公共団体は、その地域でくらす障害者と話し合いながら、国で決めた理念やわくぐみ、障害者に守られる権利を実げんするためにはたらく。
○理由
障害のある人が、地域であたり前(他の人との平等)のくらしをするためには、国と地方公共団体のどちらの役わり分たんも大切です。地域で障害者とであう地方公共団体は、障害者の声をよく聞きながら、障害者の権利をまもる仕事をするべきです。国は、まもるべき権利は何かを決める、まもるためのやり方について指どう・助げんする、まもっていない人・組織にまもるよう働きかける、まもるための予算を用いする役わりがあります。
項目A-5 法の守備範囲
論点A-5-1) 「総合福祉法」の守備範囲をどう考えるか?福祉サービス以外の、医療、労働分野、コミュニケーション、また、障害児、高齢者の分野との機能分担や(制度の谷間を生まない)連携について推進会議の方向性に沿った形でどう進めていくか?
○結論
これらのもんだいは、推進会議のみんなといっしょに話をする場所をつくるべきです。
○理由
推進会議でもこれらの問題について話しあっています。部会は推進会議の方向の具たい化の役わりをもっています。なので、部会だけでは決められない内ようは、推進会議のみなさんと、課だいごとに集まって話をする場をもつべきです。
論点A-5-2) 身体障害者福祉法、知的障害者福祉法、精神保健福祉法、児童福祉法、その他の既存の法律のあり方、並びに総合福祉法との関係についてどう考えるか?
○結論
障害者福祉の3つの法(身体障害者福祉法、知的障害者福祉法、精神保健福祉法)はなくすべきです。精神保健福祉法のうち医りょうの部分は医りょう法に入れるべきです。児童福祉法は障害をもつ子どもをさべつしない内容として高めるべきです。ただ、入所施設にかんする部分は、地域でのあたり前(他の人との平等)のくらしの実現に反する部分もあるので、考えなおすべきです。
○理由
いかなる障害の人にも、本人が求める支えんをする法ができたら、これまでの3つの法はいらなくなります。ただ、急になくすのはむずかしいなら、5年か10年かけてなくす、と決めたらいいと思います。また精神保健福祉法と児童福祉法のなかには、「特定の生活様式の義務づけ」につながるところがあるので、それはすぐなくすべきです。
項目A-6 その他
論点A-6-1) 「分野A 法の理念・目的・範囲」についてのその他の論点及び意見
○結論
○理由
分野B 障害の範囲
項目B-1 法の対象規定
論点B-1-1) 推進会議では、障害の定義について、「社会モデルに立った、制度の谷間を生まない定義とする」ことが確認されている。これをふまえた、「総合福祉法」における障害の定義や支援の対象者に関する規定をどう考えるか?
○結論
下の対象と選び方で決める
対象:身体的、精神・知的障害にともない、他のものとの平等にもとづいて、社会にきちんとてきせつに参加することができない大人・子ども
選び方:この法で決められたサービスが必要だと、支きゅう決ていの時に認められること
○理由
だれを「支援の対象者」にするか、にあたって、障害名できめない。だから、法が対象にする障害とは「○○障害」である、とは言わない。本人のニーズにもとづいて対象となる人をきめる。
論点B-1-2) 「自立支援法」制定時の附則で示されていた「発達障害、 高次脳機能障害、難病(慢性疾患)」等も含みこんだ規定をどうするか?制限列挙で加えるのか、包括的規定にするのか?
○結論
B-1-1で書いたように「身体的、精神・知的障害にともない、他のものとの平等にもとづいて、社会にきちんとてきせつに参加することができない大人・子ども」という、困っている障害者がみんな入る規定にする。
○理由
どれかだけ選ぶやり方は、必ず別の不幸なひとがあらわれるので。
項目B-2 手続き規定
論点B-2-1) 障害手帳を持たない高次脳機能障害、発達障害、難病、軽度知的、難聴などを有する者を排除しない手続き規定をどう考えるか?
○結論
障害手帳を持たないけど、障害ゆえに生活のしづらさをもつ人が、法で決められたサービスを利用したいときは、その理由を書いた医師の診だん書などで証めいできたら、対象者にする。
○理由
困っていると誰がみてもわかる証めい書があればよいので。
項目B-3 その他
論点B-3-1) 「分野B 障害の範囲」についてのその他の論点及び意見
○結論
○理由
分野C 「選択と決定」(支給決定)
項目C-1
論点C-1-1) 「必要な支援を受けながら、自らの決定・選択に基づき、社会のあらゆる分野の活動に参加・参画する」(意見書)を実現していくためには、どういう支援が必要か?また「セルフマネジメント」「支援を得ながらの自己決定」についてどう考えるか?
○結論
どんなに重い障害のある人でも、「セルフマネジメント」「支援を得ながらの自己決定」のどちらかはできる。この理念を実現するための、支きゅう決ていのやり方を考えるべきである。
○理由
重症心身障害をもった人でも、本人中心の個べつ支援けいかくを作る中で、「支援を得ながらの自己決定」ができている。また、それは、本人が中心である、といういみでは、セルフケアマネジメントと同じ方向のものである。そして、それは今の日本でも、十分にやることができる。そのことは、参考資料(「地域主導による障害者支援プロセスのケーススタディ」研究報告書)にくわしく書かれている。
論点C-1-2) 障害者ケアマネジメントで重要性が指摘されてきたエンパワメント支援についてどう考えるか?また、エンパワメント支援の機能を強化するためにはどういった方策が必要と考えるか?
○結論
10万人に1つ(市町村もしくは圏域単位)くらい、障害者のエンパワメントをすすめるため、行政がお金を出して、障害者が運営する場所をつくる必要がある。
○理由
障害のある本人は、自分の必要なサービスをほんとうは知っているはずだ。だが、これまでその声はきちんときかれてこなかったし、誰かにまもられたくらしをしていると、それに気づかなくなる。なので、それに気づき、自信をとりもどすため、ピアカウンセリングやピアサポートなども行われる、なかまの集まる場が必ようである。これは自立生活センターやアメリカのリージョナルセンターのように当事者主たいで運えいされ、行政はほじょ金をだすべきだ。
論点C-1-3) ピアカウンセリング、ピアサポートの意義と役割、普及する上での課題についてどう考えるか?
○結論
C-1-2の場のなかですべき。
○理由
C-1-2のりゆうとおなじ。
論点C-1-4) 施設・病院からの地域移行や、地域生活支援の充実を進めていく上で、相談支援の役割と機能として求められるものにはどのようなことがあるか?その点から、現状の位置づけや体制にはどのような課題があると考えるか?
○結論
まず、相だん支えんをする専もん家は、施設や病院などのサービス提きょう事ぎょう者、行政から自立している必要がある。そうしないと、本人の相談に本当によりそうことはできない。そういう自立した相だん支えん員が、地域移行に関わるということを法でもりこむべきだ。また、相だん支えん員が自立してはたらくための予算を国はよういするべきだ。
○理由
事ぎょう者には、その事ぎょうが成り立つということ、行政は予算をなるべく超えないこと、などの目標がある。障害のある人のニーズと、事ぎょう者や行政の求めることは、いつもいっしょではない。相反することもある。そのとき、ほんとうの相だん支えん者は、事ぎょう者や行政ではなく、障害者の味方をしつづけるべきだ。そのためには、相だん支えん員の自立を守る予算を国は用意しなければならない。
項目C-2 障害程度区分の機能と問題点
論点C-2-1) 現行「自立支援法」の支給決定についてどう評価し、どういう問題点があると考えるか?また、その中で「障害程度区分」の果たした機能と、その問題点についてどう考えるか?
○結論
支給決定は、まず本人のニーズからはじめるべきだ。今のしくみは、ニーズの前に「障害程度区分」と枠ぐみにあてはめてしまう。しかもこの枠ぐみには、いろいろなかたよりや限かいがあるのもあきらかだ。だから、このやり方はやめ、ニーズに基づいた支きゅう決ていのしくみにかえるべきだ。
○理由
「障害程度区分」は身体能力の自立について、あるていど計ることができる区分だった。でも、理解することや決めること・選ぶことの難しさ、あるいは病状のゆれ・なみなどには使えなかった。多くの利用者のニーズが計れないのに、この区分にしばられている自治体は多かった。だから、この区分にこだわるのはやめ、新たなルールでの支きゅう決ていのしくみを考えるべきだ。
論点C-2-2) 「障害程度区分」と連動している支援の必要度及び報酬と国庫負担基準についてどう考えるか?特に、今後の地域移行の展開を考えた際に、24時間の地域でのサポート体制(後述)が必要となるが、そのための財源調整の仕組みをどう考えるか?
○結論
これを参こうにしようねという基準は、これを守らなければならないという上限に、これまでなんども変わってきた。そのたびに、障害のある人たちは、怒りの声をあげてきた。同じことをくりかえさないためにも、基準をこえる支えんを必要とする人にちゃんと必要な量と質のサービスがとどくための基金を考えるべきだ。
○理由
来年の予算はいくらくらいになるかわかっている必要がある。そして、障害のある人の福祉にかかる予算がいくらか、基準がないとわからない、という人がいる。たしかにそういう一面もあるが、それだけが正しいのではない。新法ができてからは、5年か10年の間はたしかに予算は毎年増えるだろう。でも、必要なニーズが満たされたら、予算の伸びはおさまる。高齢者と違い、障害者の数とわりあいは、ほぼ一定だ。90年代に高れい者福祉でゴールドプランを立てたように、どこかで予算を沢山用意して、不十分な地域の障害者福祉の状況をかえる必要がある。
項目C-3 「選択と決定」(支給決定)プロセスとツール
論点C-3-1) 第3回推進会議では、障害程度区分の廃止とそれに代わる協議・調整による支給決定プロセスのための体制構築についての議論がなされた。これらの点についてどう考えるか?
○結論
障害程度区分をやめるならば、協議・調整のやり方をしんけんに考えるべきだ。今だって、程度区分だけでは判断できないので、障害者と支援者、自治体が話し合って支給決定している現実がある。区分にかわるものとして、何らかのガイドラインをその地域で定めた上で、それにそって自治体はきめることは十分に可能だ。
○理由
先の参考資料(「地域主導による障害者支援プロセスのケーススタディ」研究報告書)をまとめる中で、スウェーデンでもアメリカでもイギリスでもなく、日本でほんとうに協議や調整にもとづいた支給の決定をしていた西宮市のことをしらべた。そして、この仕組みは、よその自治体でも使うことができるしくみだ、とわかった。できない(変えたくない)理由をたくさん言い訳するのではなく、できる理由をひとつ見つけ、やってみる努力をしたいものだ。
論点C-3-2) 「障害程度区分」廃止後の支給決定の仕組みを考える際に、支給決定に当たって必要なツールとしてどのようなものが考えられるか?(ガイドライン、本人中心計画等)
○結論
ガイドラインや本人中心計画、だけでなく、障害者のエンパワメント支援をする機関や、行政や事ぎょう者から自立した相だん支えん者も必要だ。また、決ていが納得できない場合にはそれを審査してもらう場(不服申立機関)も必要だ。
○理由
この仕組みについても、参考資料(「地域主導による障害者支援プロセスのケーススタディ」研究報告書)参照。
論点C-3-3) 支給決定に当たって自治体担当者のソーシャルワーク機能をどう強化するか?
○結論
協議・調整のやり方をすすめるためには、自治体の担とう者がきちんと本人のニーズをわかることが必要だ。だから、自治体でその役をする人へのトレーニングは必要だ。ただ、一般的な自治体では2,3年にいちど、自治体の人は仕事がかわる(人事異動)。でも、この障害者福祉では、自治体担とう者にも専門性がもとめられる。だから、ほんとうは福祉の資かく(社会福祉士、精神保健福祉士など)を持っている人がになうべきだ。
○理由
お年寄りの介ご保けん制度ができた10年まえは、福祉の人材がまだ十分に育っていなかった。だが、この10年で、福祉の資かくを持っている人はかなりふえた。自治体の職員の中でも、たくさんいる。そういう人が、専もん性を活かして働くことがたいせつだ。また、資かくをもっていない人にも、相だん支えん専もん員のようにトレーニングする仕組みをつくればよい。
論点C-3-4) 推進会議でも、不服審査機関の重要性が指摘されているが、どのような不服審査やアドボカシーの仕組みが必要と考えられるか?
○結論
都道府県レベルに一つ、不服審査機関が必要だ。この不服審査機関はあくまでも、決められた支きゅう決ていに納得できない人のための機関である(事後救済機関)。それ以外のアドボカシーの機関は、別に作った方がよい。
○理由
権利をまもるためのしくみは、いくつかにわかれる。支きゅう決ていに納とくできない人の権利をまもるためには、不服審査機関が必ようだ。だが、それいがいにも、たとえば病院や施せつ、グループホームなどでのぎゃくたいや権利しんがいの相だんの場が必ようだ。また、入院・入所している人の権利をまもるため、病院や施設をおとずれて、そこにいる人の相だんに応じるオンブズマンのような仕くみも必要だ。アメリカでは、不服審査以外の様々な権利をまもる役わりを、一つの公的権利ようご機かん(Protection and Advocacy: P&A)でおこなっている。これは国の法でぎむとお金がつけられ、州ごとにつくられた、行政からどくりつした機かんだ。このような機かんを日本でもつくる必ようがある。
項目C-4 その他
論点C-4-1) 「分野C 「選択と決定」(支給決定)」についてのその他の論点及び意見
○結論
○理由