記事一覧

本当の謝罪とは

 

昨日は大学が停電、おまけにこの1週間、大学のサーバーは保守点検中のため、ネットが接続できない。よって一昨日などは、ネットにつながなくてもよい(むしろつながない方が良い)お仕事、すなわち採点業務に没頭する。200人分の出席と点数をエクセルでつけて、一定の基準で評価を割り出すと、あれまあ綺麗に分布した。結果として基準が間違いではなかったことが証明されて、一安心。でも、結構これをやるのは毎年の重労働で、一昨日も停電前の霜取りをしながら、クーラーをかけてパソコンの前で出席簿を整理しながら6,7時間格闘していると、肩がバッチリ凝ってくるのがわかる。

で、昨日はおうちで一日とある業務に関連した「インシデントレポート」の執筆。私が関わったとある調査でとんでもない失敗が起こってしまった。それを繰り返さない為に、何がどういう脈絡でケアレスミスの積み重なっていった結果、重大インシデントになったのか、を一日かけて整理する。関係者へのヒアリングは済んでいたものの、自分も含めた問題点を「反省」するレポートを書くのには、気力も体力も本当に必要だ。すごく大変だったが何とか原案を書き終えられたのも、次の本が指針となってくれたからだ。

「ある失敗を次の失敗の防止や成功の種に結びつけるには、失敗が起きるにいたった原因が経過などを正しく分析した上で知識化して、誰もが使える知識として第三者に情報伝達することが重要なポイントになります。他人の失敗のみならず、自分の失敗体験から何かを学ぶ時にもそのままいえることで、失敗情報を知識化することは、いわば『失敗学』の大きな柱の一つです。」(畑村洋太郎『失敗学のすすめ』講談社文庫、p92)

元はといえば、失敗の結果、大きな迷惑をかけてしまった相手の方に対して、責任者の一人として私自身が謝罪の電話を入れた時のこと。「直接お詫びに伺いたい」と申し出る私に対して、その相手の方は、「関わった関係者個々人がバラバラに謝罪にくるのではなく、きちんと組織的に総括してほしい」と言われた。「それは、今後同じようなミスを繰り返さないための総括と組織的対応ですか?」と聞いてみると、「それが必要だ」という相手の方の答え。怒り心頭のはずなのに、コミュニケーション回路を閉ざさず、きちんとこちらのすべき事を指し示してくださったのには、改めて相手の方に深い敬意を抱いた。と共に、そういうインシデントレポートをきっちりまとめることは、研究者として当該調査に関わった人間の、最低限の責務だと判断。だが、そういう分析をしたことがなかった私にとって、「失敗学」の提唱者の畑村さんの本は、本当に分かりやすく、すべきポイントが明晰に整理されている一冊だった。

「小さな失敗という水が貯められていく過程で放水という防止策を打てば、決壊などの問題が生じる心配はまったくありません。これを行わずに徐々に水を貯め込んでいくと、最も弱い部分にやがて小決壊が始まります。それでもなお放水を行わずに放置しておくと、ある閾値に到達したときについには大決壊が始まり、破滅に向かって一気に突っ走る、取り返しのつかない大失敗に成長してしまうのです。」(同上、p88)

そう、今回インシデントレポートを書く中で見えてきたのは、節目節目の防止策が打てる「はず」だった、ということだ。ただその手続きを踏まず、また「最も弱い部分にやがて小決壊」が生じた時に何の対応策も打たずに「放置してお」いた結果、「ある閾値」を超えて「大決壊が始まり、破滅に向かって一気に突っ走る」に至ったのである。その過程をつぶさに整理し、記述する中で見えてきたこと。それは、そういう「つもり」「はず」で集団的な仕事をすることの危険性と、責任体制が不明確であることの怖さ、であった。責任体制が不明確であった為、問題発生当初、インシデントの直接の引き金となった個人が責任感を感じ、まわりもその人の個人的ミス、と見ていた部分があったからだ。つまり、「決壊」原因が個人因子に矮小化され、組織的「防止策」の不全について、議論がなされてこなかったのである。

「一つの失敗の原因をたどっていくと、複雑な階層性が存在していることに気づきます。ここで注意しなければならないのは、階層の上にいる者は自分に責任がおよぶことを恐れて、失敗の責任を下の者に転嫁することがよくあるということです。最近頻発している医療ミス問題でも、病院側が管理の不備、経営の問題を認めず、一看護婦のミスとして問題を処理しようとするケースをしばしば見かけます。階層性に存在するこうした問題を理解しないことには、やはり真の原因が見えてこないのがまさに失敗の持つ特性のひとつなのです。」(同上、p65)

今回のインシデントでは、上司にあたるポジションの人々のサボタージュや責任転嫁はなかった。だが、直接の引き金になった個人が、「問題の責任は全て私にあります」という善意志を持つ人であったばっかりに、抱え込んでしまい、そこから組織に情報が流れず、インシデント発生後の対応が後手にまわってしまう、という悪循環に陥っていた。「一つの失敗の原因をたどっていくと、複雑な階層性が存在している」にも関わらず、失敗を犯した個人がそれを自責の念から一人でせき止めてしまうと、「小決壊」の根本的解決にいたらず、「閾値に到達し」「大決壊」へとつながってしまう。本来すべき「複雑な階層性」に潜む問題の根元的部分まで検討されないから、結果として「次の失敗の防止や成功の種に結びつける」ことが出来ないのだ。すると、また同じ問題を繰り返す事になりかねない。このような「人災」を防ぐために、畑村氏は次のような提案をしている。

「失敗を知識化するための出発点となる『記述』は、文字どおり失敗経験を記述するという意味です。このとき、『事象』、『経過』、『原因(推定原因)』、『対処』、『総括』などの項目毎に書き表すと、問題が整理されて失敗の中身もクリアになります。(中略)記述した失敗除法は、次に『記録』をしなければなりません。前者は当事者の覚え書き程度のものでも構いませんが、それらをデータとして利用しやすいように整理する作業が『記録』です。失敗情報を手軽に使える知識にするには、必要に応じてすぐに検索できるように工夫をすることも必要です。」(同上、p117)

この畑村氏の整理に基づいて、「記述」された資料も用いながら「記録」を作成しようとしたので、しんどかったが、何とかレポートを書き上げることが出来た。畑村氏が言うように、「、『事象』、『経過』、『原因(推定原因)』、『対処』、『総括』などの項目毎に書き表すと、問題が整理されて失敗の中身もクリアにな」るのだ。ゆえに、組織として同様のケースに臨む際には今後どうすべきか、という提言も、クリアになった失敗の中身に添って構築すると、evidence-basedな(証拠に基づく)説得力のある提言が組み立てられる。おかげで、冷静にレポートを書くことが出来た。

失敗は注意していたって、多忙や偶然の重なりの結果、誰の身にも起こりうる。まだ大学院生だった頃、私が直接の引き金になり、何人かの人を巻き込み、ご迷惑をかけた「重大インシデント」を発生させたことがある。その際、私は畑村氏が描く次のような状態だった。

「失敗した本人にしても『どんな失敗でも悪』という凝り固まった考えから抜け出せず、実際にミスから事故やトラブルを起こしたときには、現実を直視できないほどにパニックに陥ったり、落胆したりすることがあります。平常心を失ったそんな状態では、失敗情報を正しく記述し、分析・検討して知識化する作業などできるはずがありません。」(同上、p131-2)

そう、問題発生時には、まさに私自身が「現実を直視できないほどにパニックに陥った」のであった。私に怒りをあらわにした相手に対して、「平常心を失った」私は、ひたすらごめんなさいと謝り倒していた。だが、相手の怒りは収まるどころか深化し、ついに全く無視されるに至った。私自身、一種のPTSD状態に陥り、相手の車を見るだけでその現場から逃げてしまう日々が続いていた。「申し訳ない事をした」という思いと、「確かに私も悪いが、なぜ謝っても許してもらえないのか」という思いがない交ぜになり、個人的に相手を恨む、という、生まれて初めてに近い経験もした。

だが、今から思えば、私自身が「『どんな失敗でも悪』という凝り固まった考え」に固着していたのが、事態を悪化させた理由にあると考える。「一つの失敗の原因をたどっていくと、複雑な階層性が存在している」はずなのに、私は「一つの失敗の原因」をずっと私の無限責任と考え、地獄のような悪循環回路に陥っていたのだ。そうではなく、構造的要因である「失敗情報を正しく記述し、分析・検討して知識化」する「平常心」を意識的に保つことが出来れば、あのような結末に至らず、もっと事態が打開していたかもしれない、と悔やまれる。

本当に悪い、すまない、と思う時、謝罪の気持ちを持つのは勿論大切だ。だが、それを再発防止に向けた努力につなげない限り、真の意味での謝罪にはならない、と私自身は考える。ごめんなさい、ごめんなさい、とひたすら子犬のように眼をウルウルさせて許しを請うたところで、インシデントの本質をつかみ取らない表層的な「謝り倒しモード」は、問題を矮小化させるだけで、余計相手との関係を悪化させる可能性もある。7年前に親しくさせて頂いた方とは、残念ながら未だに絶交状態にされてしまっているが、今回の対象者には同じ失敗を繰り返したくない。本当の謝罪とは、二度と問題を繰り返さないように個人・組織としての再発防止策を徹底的に構築することを通じて、つまり実践を通して個人・組織が「変わる」ことでしかあり得ない。そういう想いが、一日パソコンに向かって再発防止策を練り上げる気持ちを支えていた。

どっちにも向けない事態

 

甲府は梅雨が明け、いよいよ夏日が続いている。我が家は鉄筋コンクリート住宅最上階(といっても3階)ゆえ、めちゃくちゃ暑い。しかも、窓が北と東にしかないので、風通しもあまりよくない。夜、外は涼しくとも、部屋は30度以上、むんむんしているので、あまり望ましくはないけど、クーラーなしにはやってられない。部屋を閉め切ってクーラーをつけっぱなしで寝ると、熟眠感がないばかりか、どうも朝の目覚めが悪い。クーラーをかけない時期は5時半とかに起きていたのだが、もう最近は毎日7時過ぎ。ただ、夏バテしたくないので、まあしゃあないか、とも思う。

ようやく夏休み期間なので、色々溜まっていた仕事を片づけていく。と同時に、今週はこってりジムに通う。月曜日はマシンで、昨日と今日はプールでこってり汗を流す。おかげさまで今、76キロをたまに切る時も。しっかり食べてはいるので、だいぶ体重減が馴染んできたようだ。で、月曜日にルンルンマシンで運動しながら、の、「ながら読書」のお供に持って行った本に、唸りながら運動していた。

「新保守主義政権のもとで、市場主義にもとづく諸施策が矢継ぎ早に講じられた結果、『市場の力』が暴力と化し、社会的弱者をしいたげる傾きが際立ちはじめた。それらに対して、欧州諸国の選挙民はいっせいに『ノー』といったがために、中道左派政権の登場が相次いだのである。暴力と化した『市場の力』の犠牲となった弱者みずからが『ノー』とさけんだのはむろんのこと、ノーブレス・オブリージュ(貴族など高い身分の者にはそれに相応する重い責任・義務があるとする考え方)をわきまえる欧州諸国の中産階級の多数派もまた、おなじく『ノー』といったのである。」(佐和隆光『市場主義の終焉』岩波新書、p24)

すでに皆さんもお気づきの通り、これは我が国の先般の参議院選挙の結果の整理としても、充分通用する。民主党が中道左派といえるか、「ノーブレス・オブリージュ」の精神を我が国の中産階級が持っているかどうか、という2点は議論が分かれるところだが、「『市場の力』が暴力と化し」た、と多くの選挙民が実感し、「いっせいに『ノー』といった」が為に、自民党が歴史的惨敗なる事態に追い込まれた。以上は、ここ10日ほどのマスコミの論調と同じで、何ら目新しい筋書きではない。ただ、この本が書かれた年度が注目に値する。欧米で中道左派政権が次々に誕生したのが、98年から2000年にかけて。そして、この本は2000年10月に刊行された。ヨーロッパで10年前に起きていたことに、今強い類似性がある、という事が何を意味するのか、が実に気になった。さらに、気になったのが次の部分。

「市場主義者、ないし保守主義者が、失業者をはじめとする社会的・経済的弱者を路頭に迷わせよ、といっているわけではむろんない。セーフティ・ネット(安全網)としての福祉制度導入の必要性は、たとえそれが必要悪であるにせよ、彼らも認めるにやぶさかではない。しかし、セーフティ・ネットという言葉から読みとれるように、経済の効率化をはかるためには、弱者は切り捨てられてしかるべきであり、切り捨てらえrた弱者に対して、最低限度の生活を保障するに足るセーフティ・ネットを用意しておきさえすればよい、との考え方の奥底には、弱者救済のセーフティ・ネットを用意するほうが、弱者を雇用して賃金を支払いつづけるようりも社会的コストは安くてすむ、との『強者の倫理と論理』が横たわっていることを見落としてはなるまい。」(同上、p38)

「弱者救済のセーフティ・ネットを用意するほうが、弱者を雇用して賃金を支払いつづけるようりも社会的コストは安くてすむ」というのは、ある意味えげつない言明だ。だが、一定の説得力を持っている。日本だって、90年代以後、規制緩和(=最近では規制改革というそうですが・・・)のかけ声の下、護送船団方式・終身雇用システムを解体しにかかったのである。福祉国家についてちょっとだけ考えた以前のブログでも、大沢真理氏の次の部分を引用した覚えがある。

90年代の日本の社会政策は、男女の就労支援と介護の社会化という一筋の両立支援(スカンジナビア)ルート、労働の規制緩和の面では市場志向(ネオリベラル)ルート、不況のもとで女性と青年を中心に非正規化が進み労働市場の二重化が強まるという意味の「男性稼ぎ主」(保守主義)ルートを混在」(大沢真理 2007 『現代日本の生活保障システム』 岩波書店:89)

「規制緩和」による「労働市場の二重化」という事態は、「弱者を雇用して賃金を支払いつづける」(=完全雇用)というルールから、「弱者は切り捨てられてしかるべき」というルールへ、日本社会がゲームのルールを変えてしまったことを意味する。

しかも、小泉政権の「三位一体の改革」以後、社会保障費全体の圧縮が加速し、「弱者救済のセーフティ・ネット」たる生活保護の部分への締め付けも相当厳しくなっている。「社会的コスト」を更に「効率化」しようとした政策のしわ寄せが、ご案内の通り、様々な「格差」として表面化し、選挙の際の有権者の投票行動の大きな要素になったと言われている。

ただ、ここから実は自分の考えがまだまとまっていない部分に突入するのだが、多種多様な「格差」を、「格差」という切り口から一元的に考えていいのか、という問題が、今の僕にはまだ考え切れていない。具体的に言えば、前回の選挙では、地方の一人区で自民党が負けまくった。この背景には、民主党への積極的応援、というより、安部政権にお灸を据える、という意味合いが大きかった、とマスコミでは報じられている。その背景として、小泉構造改革で公共工事が激減し、地方に大打撃をもたらしたからだ、とか、六本木ヒルズの金持ちと地方の格差は広まるばかり、という言説が流れる。だが、ここで問題なのは、じゃあケインズ型福祉国家でいいのか、と言われると、僕は口ごもってしまうのだ。橋脚を一本作るだけで1億円くらいする。山梨でも長野でも、ウルグアイラウンド対策予算だか何だかが農水省から出されていて、農道を造るのにじゃぶじゃぶ金がつぎ込まれていた、とも聞く。そういった「公共工事」を増やすこと「しか」格差の解消方法はないのか、というと、それも違うと思うのだ。

このときに、これも先述のブログでひいた、ある言葉を思い出すのだ。

「『いくつかの国(たとえば、アメリカ)を除いて、ほとんどの社会サービスの成長は公共セクターのなかで起きている』という先進諸国の経験則を、われわれは知っている。ここで社会サービスとは、『保健、教育、一連のケア提供活動(たとえば、保健や家事支援)』が含まれ、これはまさに、家計で生産される福祉サービスの外部化のことである。ところが日本は、未だに、先進国の経験則に反した報告に進もうとする典型的日本人好みの選択をしようとしているようにみえる。しかしながらそうしたアメリカ型の方向では、労働者保護立法を緩め取り去り-いわゆる労働市場の規制緩和を図ることによって-賃金格差を拡大させでもしないかぎり、日本では早晩行き詰まるであろう。」(権丈善一 2004 『年金改革と積極的社会保障政策』慶応義塾大学出版会:162-163

そう、行き詰まりを感じて現政権に批判票を投じた「典型的日本人」。だが、公共セクターも、土建型のハコモノ主義では成り立たなくなっていることも、まった一方で事実。ゆえに、「市場主義」や「格差」で「行き詰ま」ったからといって、ケインズ型、日本ではつまり田中角栄型のバラマキ福祉国家には戻れない。道路工事で誰も通らないところにでも警備員を雇うのは、ある種「弱者を雇用して賃金を支払いつづける」政策だったが、そういう事まで「格差是正」のために必要か、と言われると、それはクビをかしげてしまう。では、最低限のセーフティ・ネットだけで良いのか、と言われると、そうでもない。月並みな結論だが、「公共セクター」の予算配分を、「家計で生産される福祉サービスの外部化」である「社会サービス」へ重点化する以外には、活路が見えてこないような気が、現時点では僕には感じられる。ただ、ここで更に問題なのは、公共工事の削減で社会的弱者になった人々の中には、大沢真理氏が整理するところの「男性稼ぎ主」型そのものであり、子育てや家事労働などを女性に任せてきて、それを仕事にすることが得意ではない人々も少なからずいる。その人々(しかもある程度中高年齢)が、「家計で生産される福祉サービスの外部化」の現場で何らかの貢献が出来るか、というと、その現場は不得意だから・・・と尻込みする層も出てくるのではないだろうか。

田中角栄型の政治に戻るのはあまりに効率が悪い。だが、小泉改革路線ではあまりに経済の効率化が進みすぎ、格差が耐えきれない。このどっちにも向けない事態に、福祉国家の理論が何を提供してくれるのだろうか。私たちはどこの先進例から、何を学べるだろうか。「第三の道」は、本当に光り輝いた道なのか。日本流の何らかの「隘路」があるのか? その辺を注視しながら、ヨーロッパのこの10年の動きも、少し追いかけてみる必要があるように感じ始めている。

欠けていた方法

 

3週間ぶりに何もない日曜日。甲府はじっとり暑く、ナメクジのような一日をすごす。

午前中はテレビをぼーっとカチャカチャしながら過ごしてオシマイ。食器洗いに洗濯、食事作りと家事をして、素麺をすすってまたうたた寝。その後、起き出して1時間ほどぶらぶら本を読むが、暑くて集中できない。お風呂を浴びて、ついでに水浴びをして、近所のスーパーに夕食の買い出し。今朝、「今晩は赤ワイン! でも海産物も食べたくて、とろけるチーズも良い。明日は弁当がいるのでそれようのも少しは欲しい」という謎かけを残してパートナーが出て行ったので、車中で献立を巡らす。我が家の冷蔵庫には、頂き物のキュウリ、ゴーヤもある。それゆえ、「たこの酢の物」と「チーズハンバーグ」、ついでにゴーヤと野菜の炒め物、というレシピが決定。夕刻の混み合うスーパーで買い物をして帰宅した頃、やっと頭がまともに動き出す。いろんな事を忘却しているので、備忘録的に先週後半を整理してみる。

木曜は奈良に出張し、今やっている県の仕事の関連で、奈良県庁で実情の取材。以前から書いているが、今地域自立支援協議会という仕組みを作るお手伝いをしている。これは全く初めての試みなので、よそでどうやっているのか、が気になる。もちろん国も様々な参考例を出してくるのだけれど、正直出してくるモデルは山梨の実情には合わない。都会で社会資源が元々ある、とか、スーパーマンがいる、という地域のモデルは、典型的な場所にはうまくフィットしないのだ。そういう意味で、「ごく普通の地方」である山梨からの内発的モデルをどう作り出すか、という時には、奈良で今、構築されようとしているモデルは参考になる。各地域をまとめる人材をどう育て、そこから現実的に可能な地域作りをどう模索していこうとしているのか、が真剣に検討され、実践に移されている。この「形」だけでなく、「中身」「心意気」を、山梨でもどう活用できるか、頭をひねりたいところだ。

で、その後、京都の自宅に帰って一風呂あび、友人のナカムラ君と西大路駅前で再会。前日に急に連絡したのに、都合をつけて付き合ってくださる。古くからの友人との語らいは、社会的立場や規制なく好きにしゃべれるので、ビールが進むこと、進むこと。気が付いたら久しぶりにジョッキ6、7杯ほど飲んでいた。

翌朝、久しぶりに家でのんびりしながら、午後からの調査の戦略を練る。科研の調査で、「福祉組織の人材開発論、組織変革論」を、とある現場でフィールドワークしながら考えているのだが、なかなか方向性が見えず、他の仕事が立て込んでいた事もあって、煮詰まっていた。だが、台風一過の涼しい風が吹き込む自宅で、父親がヤンキースの試合を見ている横でぼんやり考えているうちに、今なすべきことが定まってくる。そう、こうやって煮詰まっている時って、対象となる課題に関しての「内在的論理」を掴み切れていないのがその要因として大きいはずだ。そう、恥ずかしながら最近、佐藤優氏の著作を通じてまともに知ったこのヘーゲル的述語をグーグルでひいてみると、何と二番目に己のブログが。何とも変な気分だが、自分がそのとき整理したブログを見ながら、午後の調査の戦略がだいぶ見えてきた。

そう、調査が行き詰まる時って、その現場に慣れてきた後のこと。そこのルールが見えてくるから、その現場について、一家言持ってしまい始めた後のことだ。一家言持つ、ということは、聞き取りをしている最中にも「有識者の学術的分析」がシャシャリ出てしまうことを意味する。それは、謙虚に「対象の内在的論理」をつかみ取った後なら有益かもしれないが、外部者による「分析」の眼は、自ずとその対象に対する「偏見」「先入観」「固定観念」へとスルリと変わってしまう。そうすると、考えが固定化、固着化してしまうから、自ずと考えが「煮詰まる」のだ。つまり、「煮詰まる」とは、対象の内在的論理を掴む運動をやめてしまう、という思考停止状態ゆえのことでもある。そう、思考が停止してしまう、というのは、インプットがなくなって、「視座が往復」しないから生じる。ならば、午後の調査では、虚心坦懐に相手の「内在的論理」を掴むことに心を砕こう・・・この方針が決まったので、ぐっと気持ちが楽になった。

午後、馴染みの店で髪の毛を切ってさらにさっぱりし、現場に行くと新しい発見が!! これだから、調査は大変だけれど、面白い。アイデアが出るモードになったので、アイデア続きにその後、現場で議論をしてから、最終の「のぞみ」「かいじ」と乗り継いで甲府までの5時間の旅。心の中が新しいエネルギーで沸き立っている時には、集中も出来る。昨年夏に書いたアメリカの論文が、査読の際にボツ評価されたことを以前書いたが、そのテーマについて去年出されたアメリカの研究者の本を読み始める。そこには、自分が前回論文を書いた時に、抜けていたこと、よくわからなかったこと、何となく大事そうだけれどどう大切かが整理できなかったこと、が分かりやすい言葉で、バチッと書いてある! これだ! と叫びそうになりながら、じっくり5時間かけて、該当する部分を辞書を引き引き読み進める。そう、このボツになった理由も、結局テーマの「内在的論理」を掴みきれずに、日本人の私の分析だけでごり押ししていた部分があったのが要因だった。このデータや論理をもとに、以前の論理を構築し直したら、9月締め切りの別の学会誌に投稿するのは、不可能ではなさそうだ。

そう思うと、少しだけ自分の方法論に自覚的になり始めた夏、なのかもしれない。えっ、何を今頃、ですって? すんません・・・。

ドタバタな7月末

 

前回、前々回と久しぶりに二日連続でブログを書いていたので、ようやっと「週刊タケバタヒロシ」状態か、と思いきや、すんません、また「週刊誌」状態に逆戻り。そんな余裕をかましている暇が、全くなくなってしまったのだ。

それが発覚したのは先週の月曜あたりのこと。お盆頃だ、と思っていたとあるプロジェクトの〆切が、今月末、ということが発覚したのだ。こちらは、火曜日にテスト監督を一日こなしたあと、ようやく7月末〆切の原稿二つにとりかかり、それを終えてから8月上旬にこのプロジェクト原稿に集中的に取り組もう、ともくろんでいた。でも、チームで取り組み、どのみち9月の学会でも報告するテーマなので、7月末が〆切なら、最優先課題にせざるを得ない。しかも、プロジェクトチームのブレーン役のH氏から火曜朝に届いたメールには、割り振られた箇所(10ページ分)の他に、「竹端とH氏の担当分となっている所は、今週末に原稿を上げてしまい」という記述が。そんなアホな!とわめきたくなりながら、でもネジを巻かねば仕方ない。とにかく、火曜日は自分の試験も含めて4コマ連続でテスト監督、水曜午前は午後の会議の書類作り、午後からは2時間半の長丁場の会議でヨレヨレ。で、ようやっと取り組みはじめたのが木曜日の午前で、午後は現場他大学で会議、だった。その後何とか金曜日にとにかく骨格を仕上げて、息抜きにプールで一泳ぎ。その後、土曜の朝に書き足して、午後はオープンキャンパス。そして、日曜の午前中に何とか脱稿して、そこからようやく次の原稿に。

この次の原稿は、編者をさせて頂いているとある教科書なんだけれど、とある先生が〆切を2ヶ月もすぎてから「書けない」とバンザイされてしまったので、一番下っ端の私が穴を埋める必要が出てきた。しかも、編集者曰く「11月に出さないと私のクビがアブナイ」という大変な事態。で、初稿は7月末にこちらも入れないと、間に合わない。当然の事ながら、とてもひとりでは出来ないので、最近仲良くさせてもらっているMさんに泣きつく。何とかその章の3節分はお願いできたのだけれど、21世紀に入った後の福祉改革の歴史は、こちらが引き受けざるを得ない。これまで書き散らかした原稿を編集し、重複をさけ、さっさと整理してエイヤッと日曜日に仕上げてお送りする。Mさんがその前後を見事に整理してくださっていたので、何とか格好はついた。

以上、非常事態下にあった原稿を優先すると、25日が〆切だったアメリカの精神障害者の権利擁護に関するレポートに、ようやっと取り組みはじめたのが、〆切を5日過ぎた昨日になってから。その雑誌の編集者に8月第二週まで待って欲しい、と事前に交渉はしておいたけれど、でも情勢は非常によろしくない。というのも、一般に流通する雑誌に書かせてもらう、というのは、僕のような実力のない下っ端の研究者にとって、すごく大切な機会。編集者の信用を失うのは死活問題だから、〆切とその内容の両方を、きちんと守らねばならないのだ。実力もない私が〆切延長、というのは、信用失墜の一歩手前、崖っぷちなのである。

タイトな日程だけれど、きちんと書く事を決めておかないと、特に海外物は英語を読み返すのが億劫になって、お蔵入りしてしまう。そう思って「夏休みなら大丈夫なはず」と思って、お願いした連載のスペース。編集者のKさんも大変よくしてくださるので、期待を失望に変えてはいけない。トラブル続きで1週間、書き始めるタイミングを逸した、から、と言って、ズルズル〆切を延ばしてもいけないし、中身が薄くなったら、もっとやばい。でも一方で、英語の資料は、身体に馴染むまで数日かかる。馴染まないうちに書いてしまうと、何のヒネリもない、どうしようもない報告になる。さて、どうしようと焦りながら先週から仕込んでいたけれど、英語がようやくじんわりしみてきたのが、昨日の夕方から。ただおかげさんで、一端しみこんでみると、なぜ2回の連載をお願いしたか、という「書きたいポイント」もようやく思い出す。と、同時に、今回書くべきフレームも、やっとのことで見えてくる。この輪郭さえ見えると、あとは早い。今日は会議を挟みながらも、一日粘って、ようやくこちらも骨格が固まる。明日、書き上がったものをシェイプすれば、とにかく週末までに編集者に送れそうだ。

と、自分が忙しい事をひけらかすようで、何だかイヤな感じなのだが、世の中には僕より遙かに忙しい人々が確実に存在する。次の文章を読んでいると、えげつない、という思いが半分、これぐらいで根を上げてはいかんよなぁという思いが半分、ためいきがそれ以上、出てくる。

「仕事をしながら勉強を続けていくことは難しい。特に、能力があると見なされると、仕事が自分の要領をはるかに超えて任されるようになるので、それこそ睡眠時間を削り、土、日も大使館に行っても仕事を全部処理することは出来なくなる。『何を切り捨てるか』について真剣に考えなくてはならなくなる。僕の場合、大学で講義をする、学会で発表する、締め切りのある原稿を引き受ける等、のっぴきならない状況を作り、新しいことを勉強するようにした。」(佐藤優『獄中記』岩波書店、389-390

ご承知のように、僕に特段何らかの能力があるわけではない。だが、確実に30代に入ってから、「仕事が自分の要領をはるかに超えて任されるようにな」りはじめた。睡眠時間も削りたくないし、かといって全く休みをゼロにするのも忍びない。今回7月末の10日間、うんと集中できたのも、7月の中旬までに、何回か家でゆっくり出来たり、息抜きが出来たからだ。だからといって、「何を切り捨てるか」という局面で、「仕事をしながら勉強を続けていくこと」を僕が選択すると、これはおまんま食い上げ、の事態になる。すると、「学会で発表する、締め切りのある原稿を引き受ける等、のっぴきならない状況を作り、新しいことを勉強する」ことが、唯一の両立の機会になるのだ。

そう思うと、今回の締め切り直前のドタバタも、これを通じて一定の整理や、また新しいテーマ、それに積み残しの宿題の再確認とモチベーションアップなど、いろいろな「勉強」になった。標題通りのドタバタタケバタであったが、それはそれとして何かを得られたのだ。それにしても、これからは何らの事を「切り捨てる」ことも視野に入れないと、回りきらないのも事実。選択と集中、それをかみしめた7月末でもあった。

「宿命論」と恋バナ-限界状況を超えること(その2)-

 

「眼に見えぬものさえ名という呪で縛ることができる。男が女を愛しいと思う。女が愛しいと思うその気持ちに名をつけて呪(しば)れば恋」(岡野玲子「陰陽師1」白水社p85)

昨日ブログに陰陽師のことを思い出して書いていたが、実は当のコミックをなくしてしまっていたので、早速帰り、近所の本屋で購入。あらためて、この漫画のクオリティの高さに恐れ入る。と同時に、前回書いた安倍晴明の文言が全く漫画の文章と違うことに驚き。自分が記憶しているのは、自分の記憶したい様な記憶の仕方であるんだなぁ、と改めて思う。

で、改めて引用してみて思うのは、「眼に見えぬものさえ名という呪で縛ることができる」ということの重みだ。それに「宿命論」をかけると、どうして「名付け」(=name)に自分がピピッときたのか、がよりクリアに整理できる。

なぜだか知らないけれど、僕は昔から「どうせ・・・」「○○したってしゃあない」という諦めの文言が大嫌い、という癖をもっていた。参議院選挙の報道でも、選挙には関心があるけど、自分の一票で変わると思わない、と考える層が少なくない、という調査結果が出ていた。そう、このような、最初から「どうせ」と既定路線の枠組みに宿命論的に従う、ということに、生理的違和感や嫌悪感を感じているのだ。確かに諦めなければならない時も、僕自身にもたくさんあった。でも、何でもかんでも「どうせ」で片づけて、そのくせ飲み屋の端っこでくだを巻いているオヤヂにだけはなりたくない、そういう気持ちを子供の頃から持っていた。変な少年である。まあ、たぶんに小学校の頃からテレビっ子で、特にニュース番組大好きっ子だった事も左右しているのかもしれない。アニメやドラマよりはニュースステーションや報道特集、NHKスペシャルに鼻をふくらませていた変なガキんちょだったので、そういう「刷り込み」があったのかもしれない。そのあたりは定かでないが、とにかく「どうせ・・・」と言ってしまうことは、体制内順応であり、結局何も変わらない事を唯々諾々と受け入れる、そのガス抜きの文言として「どうせ・・・」という言葉があるんだ、と何となく受け止めていた。

で、フレイレに戻ると、昨日この部分を引用していた。

「対話とは、世界を命名するための、世界によって媒介される人間と人間との出会いである」(訳文p97)

なんだか日本語のつながりがわかりにくいので、昨日アマゾンからもう届いてしまった英語版をひいてみると、この部分はこんな風にかいてある。

“Dialogue is the encounter between men, mediated by the world, in order to name the world.”Freire pp88)

下手くそながらこんな風に訳してみると、自分では腑に落ちた。

「対話とは、『世界』によって左右される二人が、その当の『世界』に名付けを行うために、邂逅することである」

ここで二人がmenと書いてあるのは男性中心主義だ、と1970年の文章に対して、今の文脈や政治的正しさ(political correctness)から目くじらを立ててはいけない。そうではなくて、英語を読んでみてわかったのだが、当の「世界」に縛られているはずの二人、しかも抑圧者と被抑圧者の関係にもなりうる二人が、偶然に出会って、そこからお互いが納得できる形で新たに「世界」を名付けなおす。既存の「世界」への言明に唯々諾々と従うのではなく、二人でコンセンサスを得る形で、「これってこうなっているんだよね」と状況を主体的に定義し直す。その過程の中から、「どうせ」「しゃあない」と諦めきっていた状況が変化し、「もしかしたら変わりうるかもしれない」「事態が打開できるかも知れない」という希望が宿ってくる。つまり、この対話の過程に、希望の生成過程があるのではないか、そう感じたのだ。

先ほどの陰陽師の話に戻ると、「あ、俺って恋しているかも」って心の中で唱えることによって、恋が始まるケースなんて、これまで少なくともタケバタにはたくさんあった。正直に言えば、気が付いたら誰かを本当に好きになっている、なんてことはなく、「好きなんじゃないかな」という名付け(name)が心の中でなされてから、後付的に心の中にその気持ちが宿り、時間を経て熟成されていったような気がする。その行為をクールに言えば、岡野玲子が安倍晴明に語らせた様に、「愛しいと思うその気持ちに名をつけて呪(しば)れば恋」なのだ。

ここで肝要なのは、「気持ちに名をつけて呪(しば)」ることである。つまり、名付ける時点までは「なんとなく」というとりとめもない感情に、「恋」という一つの概念、イメージ、方向性を与えて固定化・確定化させてしまうことが、「呪」の本質である、ということだ。その時点までは、友達以上恋人未満、で、なんか良い感じ、だけど、どうなんだろう・・・っていうもやもやした中途半端な気持ちに、「恋」という命名をしてしまうや否や、私たちは当該文化における「恋」のドレスコードに見事に拘束される。「これって恋、かも!!??」という枠組みに囚われるやいなや、それまで意識しなかったのに急に相手のことを意識しはじめるし、どきどきもするし、他人の恋バナが急に気になるし、めざましテレビの「今日の占いカウントダウンハイパー」を急に真剣に眺めはじめるのだ。いやはや、人間って、なんて単純なんだろう。(え、人間じゃなくて、それはあんた自身のことじゃないかって?ええ、その通りでございます)

恋愛話で脱線したが、日本語を運用する私たちは、日本文化がその言語に託したイメージを、その語を口にすることによって、内面化してしまうのである。だから、「しゃあない」「どうせ」と口にすればするほど、そのイメージなり世界を内面化してしまい、ますます「しゃあない」「どうせ」スパイラルに陥るのだ。(また脱線するなら、演歌的歌詞の世界はスパイラル世界の究極的形、とも言える。) そして、そこから抜け出す方法として、フレイレが「対話」という手法を編み出したから、この本が世界中で売れた名著になったのだ。そういえば真っ赤な表紙の英語版は30周年記念版なのだが、「世界中で75万冊売れた」って書いてあるしね。

で、恋バナ関連で妙に盛り上がってしまったので、肝心の「対話」の話を書こうと思ったら、あれまあ今日もお弁当を作る時間になりました。では、続きはまた。

限界状況を超えること(その1?)

 

日曜は東京で有志が集まっての勉強会。真面目に議論する場があると、にわか勉強にも弾みがつく。取り上げたのが、パウロ・フレイレ『被抑圧者の教育学』(亜紀書房)。30年以上前の古典だが、噛めば噛むほど味わい深い。以下、議論で出たことも踏まえながら、備忘録的に面白かった部分をふくらましておきたい。

全員が各自本を読んだ上で、担当者がレジュメを切って発表、というスタイルだったのだが、当日発表者のHさんの次の箇所にまずはピピッと来てしまった。

「相互主体的な関係にある人と人の間で世界を指し示す(name)言葉が発せられ、対話となる」(Freire pp.88-89)

nameなんて部分があったっけ?と思って本をめくるが、なかなか該当箇所にたどり着かない。それもそのはず、Hさんは英語版の“Pedagogy of the Oppressed”を読んでいて、それを元にレジュメにしてくれていたのだ。で、該当部分を確認して、日本語訳を見てみると、こんな風に書いてあった。

「対話とは、世界を命名するための、世界によって媒介される人間と人間との出会いである」(訳文p97)

「命名」と言われても、もう一つピンとこなかったのか、ここにチェックは入れていなかった。だが、世界を「指し示す」(=名付ける“name”)といわれて、しかも、Hさんのレジュメのその下には、こんな気の利いた参考文献までついていた。

「ものの根本的な在様を縛るというのは、名だぞ」「この世に名づけられぬものがあるとすれば、それは何ものでもないということだ。存在しないと言ってもよかろうな」(夢枕獏『陰陽師』文春文庫)

僕は思わず膝をたたいた。何故って、僕もこの『陰陽師』の「呪」(しゅ)という考え方を思い出していたからだ。聖書の「初めに言葉ありき」も同じだが、世界に名前を付けて、口に出すから、その世界が始まる。たしか、安倍晴明は、口に出して言うということは、すなわちそこに言霊が宿り、そこから恨みも含めた気持ちが込められる、だから安易に口にしてはならない、というようなことを言っていたなぁ、と、岡野玲子のクールなタッチの漫画を思い浮かべながら、連想していたのだ。(本当はこの先に言語論の展開もあるのだが、「ある」ということを知っているだけで、不勉強なタケバタはそれ以上論じる力量はございません)

で、世界を「指し示す」(=name)することが出来る、ということは、その世界に対して自らが枠づける(frame)ことも出来るし、場合によっては枠組みを変更する(reframe)ことだってできる。キリスト教的にはこの命名は「神のみぞ知る」世界なのかもしれないのだが、実は「被抑圧者の教育」においても、このことは決定的に大切な要素を持ってくる。「どうせ世の中って・・・」と悲嘆にくれる、現実世界を「諦め」ている人々の多くが、自らが決めた枠組みではなく、他人の(=フレイレの文脈では「抑圧者」の)枠組みを「宿命論」として受け入れている。そして、「宿命論」として受け入れている枠組みに対しては、疑う、という行為は起こりようがない。だが、自らを呪縛している枠組みの状況(=フレイレはそれを「限界状況」(=limit situation)と整理している)について自覚的になり、これってこういう枠なんだよねぇ、と世界を「指し示す」ことが出来れば、その枠組みに対する「捉え直し」をすることが可能であり、それはこれまで宿命論的に受け入れてきた自身の世界観の変更(reframe)にもつながるのだ。

「この状況そのものを課題として人間につきつける。状況がかれらの認識対象になるにつれて、かれらの宿命論を生み出してきた閉じられた呪術的知覚は、現実を知覚する時でさえもその知覚行為自体を知覚することができ、かくして現実を批判的に客体化することができる知覚に道を譲り渡すのである」(訳文p90)

そして、この「呪術的知覚」と「知覚行為自体を知覚」の違いの背景には、教育観の二つの違いがあるのだが・・・ぼちぼちお弁当を詰めて「テスト監督」に出かける時間なので、この続きは、また次回に。

ミッションとポジション

 

前回、甲府で微弱な揺れがあったことについて書いたが、先週末にはご案内の通り、中越で大震災が起こる。仕事場からの帰りのラジオで、「渋滞が発生し、乾パン以外の食料が届けられていない避難所がいくつも存在する」という報道に接すると、胸が痛む。学生時代であれば時間があったので、何かお役に立てれば、と現場に駆けつける事が可能だった。今は予定がタイトに入っているので、義捐金など別のやり方を考えなければ、と思う。

現場に駆けつける、と言えば、もう10年近く前、トルコでおそった大震災(トルコ中西部地震)の後、被災地KOBEから義捐金と復興に向けた経験を伝えよう、という想いの詰まった救援チームが結成された。専門性も何も持たない大学院生だった私も、ひょんな契機からこのチームに参加する事となる。「自分なんかが行っては邪魔になるのでは」という思いで一杯だったのだが、チームの一員になってしまった以上、現地到着後、とにかく自分にも出来ることを、と必死になって探し、チームの活動記録の作成や日本へのレポート送信などの後方支援活動のお手伝いをしていた。当時は「何かお役に立ちたい」という強い思いと、「でも僕なんかが行っても足手まといになるのでは」という無力感に引き裂かれ、とにかくしんどい想いだった。

しかし、今になって思うと、マスコミ報道などの断片的なこと以外、日本ではあまり知られていなかった被災地の現状を伝える、という仕事にも、一定の役割はあった、と思う。その昔、ボーイスカウトで緑化募金などをやっていても、義捐金がどう使われるか、について集める当の本人が理解していなかった。そういう「寄付金の宛先」についてディスクロージャーする役目が、現地での活動を報告する、という役割にもあった。「兵站」「ロジスティック」なんて言葉は当時は全く知らなかったが、そういう「縁の下の力持ち」の仕事をあの当時はしていたのである。

ただこれも、その後いくつもの国際会議などに参加して、ロジスティック担当(=ロジ担)の方々の活躍ぶりを垣間見て、その仕事の重要さを理解して、今にしてようやく「ああ、トルコでは僕もロジ担だったんだねぇ」と整理できた。ところが視野狭窄の当時、そういう「後方支援」の本質を理解していなかった私は、前方支援に立てない自分の無力さ・歯痒さで一杯いっぱいになっていたのだから、本当に情けない限り。「自分が」何かをする、という「自分」意識が前に出るが故の問題なのだ。被災地のためにチーム全体がうまく機能することが第一のミッションならば、専門性を持たない自分のポジションで何が出来るか、という全体像の中での自分の位置づけを考え、出来る範囲の最大限の仕事をすればいい、というクールさが足りなかった。使い古された言葉だが、cool headなきwarm heartの限界を、今改めて感じる。

話は変わるが、このcool headwarm heartは、先週末に開かれたシンポジウムの壇上でも聞いていた言葉だった。長野における障害者の地域支援体制を作り上げてきた第一人者のお一人、福岡寿さんを迎えてのシンポジウムで、福岡さんの口から、長野ではどう地域作りを「仕込む」か、についてcool headwarm heartを持って次々と手を打ってきた、という話を伺う。

2年前の自立支援法制定時に既に、「これからは市町村が主役だから」と、私が今やっている全市町村周りも既に終えておられた福岡さん。各地域の底上げをするなかで、もちろん前提としてwarm hearを持ちながら、地域の資源をどううまく活かして地域支援というミッションを育んでいくか、をcool headで分析した上での行動であることが、福岡さんの講演の端々にほとばしっていた。私自身、山梨でお手伝いをする立場にいて、福岡さんほどの視野の広さを持ててはいないが、せめて10年前の頃よりは「全体像」を意識したいものだ。間違っても「自分が」なんて囚われに陥ることなく、「山梨の豊かな地域支援作りというミッションを実現するために、私のポジションで何が出来るのか」というチームの一員としての意識を持ち続けたい。

そう、どんなポジションであれ、ミッションという全体像を忘れないポジショニングを意識化・内面化できれば、過たずに真っ当な行動が出来る。トルコと長野の話をつなげていくと、こういう整理が見えてきた。

二つの世界

 

今朝は地震で目覚める。微弱な揺れだが、久しぶりにグラッとくると、嫌な感じ。
今日は5時半頃の揺れだったが、それから15分後の阪神大震災のとてつもない立て揺れが酷かったので、それを思いだして、嫌な感じになっていたのだ。まあ、今日は微弱な横揺れで、当時は11階、今日は3階、なので大きな違いだが。

嫌な感じ、というと、昨日は本当にその感じが続いていた。前日最終の「かいじ」で東京から帰ってきたので、寝不足だった、というのがベースにあった。その上に、仕事上のストレスやもやもや感、そして運動不足にさらには湿度の高さまで加わって、全体的に鬱々とした気分だったのだ。口をつくと、ネガティブな言葉しか出てこない。こういう時は部屋の掃除をするに限るのだが、掃除をしてみても、まだ気分は超低空飛行。これは、フィジカルな環境を変えねばまずい、と、その日に〆切の書類だけ何とか仕上げ、早々に大学を退出。5時前にはジムの人に。エアロバイクにサウナでこってり汗をかくと、ようやく心も体も楽になってくる。なるほど、水が溜まっていたんだねぇ。科学的な説明ではないが、イメージ的には体内が余計な水分で充満していたような感じだったので、水抜きして飽和状態から下げると、ぐっと楽になる。私の場合、気分の落ち込みは、身体的変調とリンクしていることが多いんだよなぁ、とつくづく感じる。

昨日のジムのお供に選んだのは、積ん読本だった一冊。インタビュー分析のために読まねば、と半ば義務的に持って行ったのだが、目を見開かれる思いがした。

「同一の世界について異なった経験が生じれば、それらはこの決定的な世界、つまり信任された世界と対立するものとして吟味され、表現され、誤った経験として扱われる。そして結局は誤った主観性の産物とされてしまうのだ。」(メルヴィン・ポルナー「おまえの心の迷いです-リアリティ分離のアナトミー」『エスノメソトロジー』せりか書房、p45)

昨日のジムに行くまでの鬱々とした気分。自分にとっては、どうも変な(=誤った)感じがしていた。だから、ジムで汗をかきながら、なんとかその感じを元に戻そうとしていていた。この変な、あるいは元に戻そう、という感覚は、「信任された世界と対立する」経験なのだ、という確信から生じる。一方で、「異なった経験」をしている、という事実はあるが、「信任された世界」への「決定的」な信頼があるがゆえに、その「異なった経験」のストーリーにはまりきることはなかった。「今日はあかん日やなぁ」と鬱々としていても、「いつもはそんなことはない」という「信任された世界」へのリアリティがまだ確実に残っているから、「信任された世界」に戻ることが可能だ。だが、それが戻れなくなるポイント、というのも確実に存在している。

「自己の最初の世界経験の正当性に対してコミットメントを放棄した者が再び基礎づけを獲得するのは、彼が以前に敵対していた者の世界経験を受け入れた後だけである。自己のコミットメントを変えること、つまり転向とはかつて敵対した集団に自己を加入させることに結局なる。彼は今や仲間であり、彼らの経験世界を共有する。彼が仲間だというのは、彼が『何が実際に起こったか』について彼らの世界経験に従い、それを準拠点として自分の昔の主張や経験がもとづいていた方法を主観的であり、にせもので、誤っていたことを明らかにするからである。」(同上、p62)

筆者はこの「転向」を「一つの基礎づけから別な基礎づけへの跳躍」(同上、p62)とも言っている。
僕が昨日体験していた鬱々とした気分は、まだ「一つの基礎づけ」の「世界経験」の枠内にあってのものだっただけに、「逸脱」経験の範疇の中にあり、「今日は変だ」という形でのコントロールなり、対処が可能なものである。だが、その「逸脱」経験が毎日継続的に続いていくと、やがて「逸脱」状態が常態化するようになる。すると、これまでの「基礎づけ」そのものへの不信感が募ってくる。「敵対していた者の世界経験」に近づいている、という意識を、それとは違う「世界経験」と併存させておくことは、すごくしんどい。だから、そのとき、元の世界に戻るか、別の世界に「転向」するか、の選択を迫られるのである。この「準拠点」の選択は、「跳躍」を時として伴うものであり、いったん飛んだら、もとの世界に戻れないものなのだ。

なぜそんなことが気になるのか? ポルナー氏の議論の先には、このような整理がなされている。

「研究者の世界経験がそれ以外の世界経験を考察するための準拠点として確立される。少なくとも分析者本人や彼の研究仲間は、分析者の世界経験に特権的地位を与えているため、それ以外の世界経験はただ単にどのような社会学的メカニズムや心理学的メカニズムによって維持されているのか探求されるだけになり、結局は皮肉られるのである。ここで分析者は、自己の世界経験に特権的な地位を与えることによって、まさに経験の政治学に従事しているのである。なぜなら、『何が実際に起こっているのか』を決定するとき、競合する世界経験に直面し、それに逆らっても自己の世界経験を準拠点として使うことによって、分析者はもはや合意を伴った経験のとどかない一つのコミットメントを選択し、それに基づいて行為しているからである。」(同上、p72)

ここに至って、最近繰り返しこのブログにも書いている、枠組みの限界性、ということと、ポルナー氏は同じ事を伝えていることに気づく。“You are wrong!”と何らかの対象に対して「問題がある」と宣言する時には、その背後に“I am right.”という暗黙の前提がある。この前提は、客観的なものを装っているが、実は「競合する世界経験」の中で、「合意を伴った経験の届かない一つのコミットメントを選択し」た上での判断基準なのである。つまりは、“I am right.”というのは、「自己の世界経験に特権的な地位を与える」ための、きわめて「政治学」的な言明なのである。

さて、話を昨日の話に戻してみよう。
私は昨日、大変鬱々とした気分だった。そして、それを「いつもとは違う」という形で「変だ」と有徴化してみていた。そのため、ジムに行き、サウナにも入り、汗をかいてスッキリして、「元に戻った」。これは、状態がその前の日と同じような形に戻った、つまりは「一つの基礎づけ」の枠内に留まったからこそ、昨日の自分を「皮肉る」ことが出来る。だが、もしも昨日のような気分がずっと続いていたら、どうなるのだろう? 「皮肉」ろうにも、その状態がずっと続いていたら、それは笑えない話だ。それまで自分が「競合する世界経験」と考えていたものを内面化してしまうと、「準拠点」そのものが揺さぶられる。その際、「転向」し、「自分の昔の主張や経験がもとづいていた方法を主観的であり、にせもので、誤っていたことを明らかにする」営みか、「自己の最初の世界経験の正当性」に固執する営みか、その二者択一しかないのだろうか? リアリティ分離の状態にあって、引き裂かれつつも両義的に考え続けることが出来ないのだろうか? この両義的な思考がなければ、障害者福祉の研究なんて所詮無理なのではないか?

そんなことを考えていた。

視座の往復

 

気が付けばもう7月。
ももやすももが美味しい季節になってきた。大家さんに頂いた甘酸っぱいすももを、今朝も三個ほおばる。

ここのところ、朝は6時前には目覚める。年を取った、のもあるかもしれないけど、カーテンのすき間から覗く明るさと気持ちのいい鳥の鳴き声(たまに鬱陶しいカラスの声もあるけれど・・・)で、勝手に目が覚めるのだ。以前はそれでも「まだ後1時間」と無理して眠ろうとしていた。だが、「身体が起きるのなら、起きて活動した方がいいよね」と思い直し、一人サマータイムの導入。その代わり、もう11時には眠くて床に入っております。

さて、最近読んで「おもろい切り口」と思ったのが、佐藤優氏の視点。養老孟司氏が書評で褒めていた本を買って読んでみると、確かに面白くて、最後までスルッと読んでしまう。ある新聞に載せた時評と後からの注釈、という形で進んでいく本論はもちろん面白いのだが、むしろ後書きの方が気になった。

「第二の要素である分析の視座について筆者の考えを述べたい。
いまから約200年前、ドイツの哲学者ヘーゲルは、『精神現象学』を著し、この世界に現れる出来事をどのように解釈したらよいかについて、ユニークな方法を提示した。(中略)ヘーゲルの分析手法の特質は視座が移動することだ。ヘーゲルは、特定の出来事を分析する場合、まず当事者にとっての意味を明らかにする。対象の内在的論理をつかむことと言い換えてもよい。その上で、今度は、対象を突き放した上で、学術的素養があり、分析の訓練を積んだわれわれ(有識者)にとっての意味を明らかにする。更に有識者の学術的分析が当事者にどう見えるかを明らかにするといった手順で議論を進めていく。当事者と有識者の間で視座が往復するのだ。この方法が国際情勢を分析する上でも役に立つ。」(佐藤優『地球を斬る』角川学芸出版 p266-7)

「対象の内在的論理」と「有識者の学術的分析」「の間で視座が往復」すること。これが実に鮮やかに出来ていることが、この佐藤氏の時評を引き立たせている。彼は「この方法が国際情勢を分析する上でも役に立つ」と書いた後に北朝鮮の「内在的論理」に肉薄し、「学術的分析」との「視座」の「往復」を鮮やかに示してみせるが、これはなにも「国際情勢を分析」するときにだけ、役立つものではない。福祉の世界だって、全く同じ事が必要とされている。

インテークや地域診断、アセスメントという言葉で語られる時、「対象の内在的論理」を掴むことが念頭に置かれている。ただ、佐藤氏の分析を読んでいてハッと気づいたのだが、その際に「対象」からの聞き取りをしながらも、「内在的論理」ではなく「有識者の学術的分析」をこそ、優先させていないだろうか。「この人は○○できないから、△△しないと仕方ない」という言葉を、アセスメントの場面で聞くことがある。特に、認知上の障害を持つ方やコミュニケーションの障害を持つ方へのアセスメントの際、「有識者」の側が、「よくわからないから」という理由で、しばしば本人の「内在的論理」に肉薄せずに、「われわれ(有識者)にとっての意味」だけですませてしまう場面がある。これは、福祉の「有識者」も陥りやすい手法であり、「内在的論理」をくぐらせることなく、外形的基準(しかも標準化出来る基準)のみで判断することの危険性を、障害当事者は身体を張って訴えてきたのだ。

福祉の世界では、この往復は、すごく難しい。「内在的論理」をきちんと聞くと、そっちに引っ張られてしまい、「対象を突き放した」議論が出来なくなることもある。逆に、「有識者の学術的分析」を前提にしすぎると、当事者の訴えの中から、分析者の側の視点に馴染みやすい部分のみを選択的に抽出し、結果として本人の「内在的論理」の構築に至らないケースもある。この視点の往復こそ、難しいが、それが出来なければ、インテークや地域診断なんて、絶対に不可能なのだ。

私もここ2ヶ月で、以前から書いている「特別アドバイザー」の仕事で、28市町村のうち、23市町村の役場に訪問を終えた。出かけてみて本当によかった、と思うのは、県庁や県の出先機関に集まってもらって話を聞くだけでは絶対につかめない、各市町村(やその担当者レベル)の「内在的論理」を肌で感じることが出来るからだ。「特別アドバイザー」としては、たぶんに「有識者の学術的分析」が求められるのだが、それを「内在的論理」とはかけ離れた「べき論」で片づけてはならない。あくまでも一つ一つの自治体を思い浮かべながら、「有識者の学術的分析が当事者にどう見えるか」という「視座」の「往復」をしつづけるからこそ、その地域にあったアドバイスなり支援が可能である。支援もアドバイスも助言も、当たり前のことだが、標準化できるものではない。「学術的分析」に一定の柱があったとしても、あくまでも「内在的論理」との呼応関係の中でのみ、その柱は生きてくる。そのあたりをきちんと理解して対話し続けるか、が私の仕事にとっても大きな課題になっている。

国際情勢を分析する「インテリジェンス」から、私自身へのアドバイスをもらえるとは思ってもいなかった。

「行き当たりばったり」ではなくて

 

昨日は東京で研究会。ネタは福祉国家。ここしばらく、気になって「にわか勉強」「ながら勉強」を続けているテーマである。ま、実質的にはいつもギリギリになって、の「付け焼き刃」的お勉強なのだけれど。

土曜日、オープンキャンパスが終わった後のジムで、「積ん読」状態だった社会学の大先生による福祉国家論を読みながら、エアロバイクをこぎ進める。政治学系統の学者が書く福祉国家論より、僕はこっちのほうが遙かに理解しやすい。以下、シンボリックに戦後日本の福祉国家の変遷をまとめた部分を引用してみる。

「戦後日本の福祉国家化は、敗戦の翌年に公布された日本国憲法第25条によっていわば道路だけ開通したものの、その道路に走らせる福祉国家という自動車を作る努力は、それから15年たった1961年までなされなかったので、道路は遊休設備にとどまっていた。やっと1961年からこの道路の上を福祉国家という自動車が走るようになり、さらに1973年にその自動車は高性能の新車と取り替えられた。ところがその直後に石油危機が到来したために、自動車のガソリンが給油切れとなり、この自動車を走らせるかどうかについて、国家的統一意志が解体してしまった。1990年代に、福祉国家推進派がゴールド・プランと介護保険という新車種を製造したけれども、福祉国家解体派が強くなりつつある現段階では、今後果たして国家予算という給油が続くかどうかが危ぶまれているのが現状である。」(富永健一『社会変動の中の福祉国家』中公新書 p196)

1961年というのは、国民皆保険と国民年金が整った年である。たった戦後16年で全国民をカバーする事が可能だった背景には、高度成長の恩恵が大きい。そして、田中内閣時代の「日本列島改造論」が叫ばれた1973年、老人医療費の無料化や生活保護の扶助基準引き上げ、年金の物価スライド制などが制定され、「福祉元年」とも呼ばれる。「ところがその直後に石油危機が到来したために、自動車のガソリンが給油切れとな」ったのが、最大の不幸。それまで二桁成長を続けてきた事を背景に、イケイケドンドン的に「福祉ばらまき論」を展開したのだが、経済が世界的に萎縮し、「福祉国家の危機」が叫ばれた70年代おわりには、早速その「危機」を輸入してしまう。そして、実質的な底上げが不十分なまま、「家族の相互扶助」「民間活力の活用」「ボランティアの振興」を端とした「日本型福祉社会論」へと方針転換。これは「小さな政府論」への序曲となっていった。

ただ、この「日本型福祉社会論」は「日本の伝統に基づいた」などとよく誤解されているが、そうではないことを、別の論者はわかりやすく整理している。

「『男性稼ぎ主』型の生活保障システムでは、壮年男性にたいして安定的な雇用と妻子を扶養できる『家族賃金』を保障するべく、労働市場が規制される。それを前提として、男性の稼得力喪失というリスクに対応して社会保険が備えられ、妻子は世帯主に付随して保障される。家庭責任は妻がフルタイムで担うものとされ、それを支援する保育、介護等のサービスは、低所得や『保育に欠ける』などのケースに限って、いわば例外として提供される。(中略)日本の『男性稼ぎ主』型については、それが『伝統的』なものではなく、高度成長期以降に導入され、1980年代に仕上げられたものであることに、注意しなければならない。」(大沢真理 2007 『現代日本の生活保障システム』 岩波書店:54-56

これは富永氏の整理と一致するところだ。1961年にようやく福祉国家として走りはじめ、1973年にバージョンアップするものの、長続きせずに1982年から「福祉見直し」へと突入する。そして、当時の崩壊する直前の「イエ制度」や「地域の相互扶助コミュニティ」に依存する形での「日本型福祉社会論」を張り、なんとか政府の介入を縮小する形で(「○○に欠ける」=残余的に)社会サービスが作り上げられる。その「男性稼ぎ主」型として、20世紀終わりまで引っ張ってきた、というのである。

富永氏は2001年の段階で、「今後果たして国家予算という給油が続くかどうかが危ぶまれている」と予言していたが、それは見事に的中してしまう。経済財政諮問会議が説く社会保障費の削減は、まさに「ガソリンが不足していますから福祉分野にターゲット化して、給油制限をします」という宣言である。介護保険も結局のところ、主婦パート並みに低賃金を用いて「民間活力の活用」をしている。また、要介護認定の支給限度額は、在宅であれば家族の支援を前提にした「家族の相互扶助」の思想は脈々と残り続けている。

「現在の『参加型』福祉社会モデルの制度設計としての『多元的』介護サービス供給システムは、その機能の過程で在宅介護労働に対する『女性役割』『非専門的労働』『低賃金不安定労働』といった社会的認知の相互循環関係を創出し、それらの『一連の社会的認知』が維持・再生産されることに大いに加担しているのである。」(森川美絵 1998 「『参加型』福祉社会における在宅介護労働の認知構造」『ライブラリ相関社会科学5 現代日本のパブリック・フィロソフィ』サイエンス社:414

森川氏が整理するように、90年代は「参加型福祉社会」と言われたが、日本型福祉社会の三要素をうまく溶け込ませた社会政策、と見てとることができる。そのプラットフォームの延長戦上に、「介護の社会化」といわれた介護保険があり、その制度に近づける形での障害者自立支援法が形成されていくのである。そんな90年代を大沢氏はこう振り返る。

90年代の日本の社会政策は、男女の就労支援と介護の社会化という一筋の両立支援(スカンジナビア)ルート、労働の規制緩和の面では市場志向(ネオリベラル)ルート、不況のもとで女性と青年を中心に非正規化が進み労働市場の二重化が強まるという意味の「男性稼ぎ主」(保守主義)ルートを混在」(大沢200789

この「混在」に対して、富永氏は厳しい整理をしている。

「日本型福祉国家は『ハイブリッド型』であるということになろう。しかしこのハイブリッド型というラベルは、日本にとってけっして名誉なものではない。なぜなら、それはこれまでの日本が、福祉国家化についての明確な長期的政策目標をもたず、その場その場で行き当たりばったりにやってきた結果を意味しているからである。」(富永2001210)

混在、あるいは交配(ハイブリッド)という考えは、「行き当たりばったり」の結果だ、という老師の言葉通り、2003年あたりから政府はしきりに「燃料切れ」のサインを出し、高齢者福祉政策の抑制に舵を切り始めている。そういう意味では、「男性稼ぎ主」の終身雇用も怪しくなり、ネオリベラルルートでは格差社会も助長され、かといって増税と裏表の両立支援ルートも選挙前には言いづらい、という八方ふさがり状態なのかもしれない。こういう実情では、次の言葉が僕自身には実にスッと入ってくるのだが・・・

「(福祉サービスの家計内生産を外部化する)選択に直面する時に、間違いなくアメリカ型を選択してしまうのが、典型的日本人の癖である。しかしながら、アメリカには低賃金労働者がいるために家計生産の外部化が市場において機能しうるのであるし、なによりも「いくつかの国(たとえば、アメリカ)を除いて、ほとんどの社会サービスの成長は公共セクターのなかで起きている」という先進諸国の経験則を、われわれは知っている。ここで社会サービスとは、「保健、教育、一連のケア提供活動(たとえば、保健や家事支援)」が含まれ、これはまさに、家計で生産される福祉サービスの外部化のことである。ところが日本は、未だに、先進国の経験則に反した報告に進もうとする典型的日本人好みの選択をしようとしているようにみえる。しかしながらそうしたアメリカ型の方向では、労働者保護立法を緩め取り去り-いわゆる労働市場の規制緩和を図ることによって-賃金格差を拡大させでもしないかぎり、日本では早晩行き詰まるであろう。」(権丈善一 2004 『年金改革と積極的社会保障政策』慶応義塾大学出版会:162-163

「賃金格差を拡大させ」ながら、行き詰まりを回避しようと「行き当たりばったりに」もがく現代の日本。コムスン問題もその延長線上に見える。介護労働がもともと「『女性役割』『非専門的労働』『低賃金不安定労働』といった社会的認知の維持・再生産」の上に成り立っているのに、規制改革や介護報酬の単価切り下げやらが、さらに追い討ちをかける。公共セクターにおける擬似市場を、その不正を監視しながらも、育てようとするのか、単に潰しにかかるのか? 「典型的日本人の癖」を、選挙のときにこそ、自己点検・自己評価することが本当は求められているのだが・・・

「今後の課題は、どのようなレジーム類型を選択するかについて、明確な意識をもった国民世論を形成していくことにある」(富永2001211)

1ヶ月後の参議院選挙がその序曲になるのか、いつもの「行き当たりばったり」なのか。あ、これはエスピン-アンデルセンの言う「福祉レジーム」であって、脱却すべきと言われるとあるレジームではありませんので、念のため。